だつおはメンヘルだよ。さすがにずっと無職はきついんだろうなwww
1944年前の最高 敗戦時能力 残存率 1941年末 増加率
水力発電 千kw 6,074 6,233 102.6 5,368 16.1
普通鋼鋼材 千トン 7,998 8,040 100.5 7,506 7.1
アルミニウム 月トン 11,100 8,350 75.2 7,240 15.3
工作機械 トン 190 120 63.2 110 9.1
石油精製 千kl 3,739 1,443 38.6 2,359 -38.8
石鹸 千トン 278 99 35.6 278 -64.4
綿スフ紡績 百万錘 13.8 2.8 20.3 13.8 -79.7
綿織物 千台 393 123 31.3 393 -68.7
自転車 千台 3,600 720 20.0 2,880 -75.0
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/GAKU00-16.htm 敗戦時の生産能力
934 :
名無し三等兵:2007/05/27(日) 22:33:28 ID:lrzpa1LF
>>911 あたりまえだろ・・・常識的に考えて・・・。
野外のアナルセクースは燃えるよな、。
フロイトはそういうのを性対象倒錯と名づけて、精神病の一種に分類してたな。
悪化するとピアノの脚に欲情したりする例まで確認されているそうだ。
936 :
名無し三等兵:2007/05/28(月) 18:53:53 ID:uO88/mzU
>>935 一種のフェチだよね。ゴムに興奮したり、革に興奮したり、金属に興奮したり、
いろんな形態があるそうな。
そのうち打通太郎に先祖還りするんかの
938 :
特攻隊:2007/05/28(月) 20:20:28 ID:UtN8z/cW
youtubeで調べるといいですが、朝日新聞と検索してみてください。
何を考えてるんでしょう。
939 :
だつお:2007/06/07(木) 19:47:51 ID:F2IL9mc0
ファシストドイツを粉砕したソビエト赤軍>>>>>越えられない壁>>>>>前近代的日本軍から逃げ回っていたチンピラゴロツキ
↑ ↑
NATOを増強>>>>>>>>>>>>>>>隔絶した重要度の差>>>>>朝鮮半島における軍事力投入
942 :
だつお:2007/06/09(土) 20:16:06 ID:CIJ2G+Rh
break-down of German and Italian losses against American,
British, and French forces in the war in Europe follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Tunisia 19,600 19,000 130,000 168,600
Sicily 5,000 2,000 7,100 14,100
Italy 86,000 15,000 357,089 458,089
Western Front 263,000 49,000 17,614,794 7,926,794
Total 373,600 85,000 18,108,983 8,567,583
1 Includes 3,404,949 disarmed enemy forces.
The break-down of Japanese losses in the Eastern battlefronts,
including China, since Pearl Harbor is as follows:
Battle dead Permanently disabled Captured Total
Southern Pacific 684,000 69,000 19,806 72,806
Central Pacific 273,000 6,000 17,472 296,472
India-Burma 128,000 38,000 3,097 169,097
China 1,26,000 126,000 1,059 253,059
[sic] [sic]
Aleutians 8,000 1,000 30 9,030
Total 1,219,000 240,000 41,464 1,500,464
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/COS-Biennial/COS-Biennial-3.html Biennial Reports of the Chief of Staff of the United States Army
July 1, 1943, to June 30, 1945 to the Secretary of War
発総統 総統司令部 一九四三年一一月三日 複写部数二七 <指令第五一号>
この二年半、多大の犠牲を伴う厳しい対ボルシェヴィキ闘争は、東部正面
において我方の軍事力の大半を注入することとなり、極度の努力が求められ
てきた。危機の大きさと一般の情勢からそれが必要であった。しかし状況は
変わり、東部正面の危機は相変わらずであるか、それよりも大きな危機が
西部正面に出現している。アングロ=サクソンの上陸作戦である!
東部正面では、広大な領土のおかげで、相当に土地を失っても、
ドイツの中枢部に致命的な打撃を与えることはない。
西部正面ではまったく違うのである! ここで敵が我方の防衛線を
突破すれば、当面の結果は予測がつかない。すべてが示唆するのは只一つ、
敵がヨーロッパの西部正面に攻勢をかけてくるということである。遅くとも春、
もっと早くなる可能性もある。ほかの戦場を優先して、西部正面をこれ以上
弱体化させるようなことは、責任上できない。そこで余は、特にイギリスへの
長距離爆撃が始まる地を中心に、防衛を強化する方針をきめた。敵が攻撃して
くるところは必ずそこであり、すべての徴候を見誤まらなければ、上陸軍との
決戦生起が、ここであるのは間違いない。
ヒュー・R.トレヴァー=ローパー「ヒトラーの作戦指令書 電撃戦の恐怖」
945 :
だつお:2007/06/23(土) 21:17:10 ID:ALicDV7n
In dealing with the first of these three points, the memorandum applied the
"strategic axiom" that the commander should first attack and defeat the weaker
force of a divided enemy. Eisenhower reasoned that although Germany and its
satellites were stronger in total combat power than Japan, Japan was still
"relatively stronger" since it was not at war with the Soviet Union and much less
accessible to attack by the main forces of the other Allied powers. Moreover, it
took three to four times as many ships to transport and maintain a given American
force in the Pacific as in the Atlantic. Therefore, Eisenhower concluded, "logistic
reasons, as well as strategic axiom, substantiate the soundness of the decision
to concentrate against the European Axis.
http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/Sp1941-42/chapter7.htm >Germany and its satellites were stronger in total combat power than Japan,
>Japan was still "relatively stronger" since it was not at war with the Soviet Union
ナチスドイツ+枢軸諸国>大日本帝国
ナチスドイツ+枢軸諸国−ソ連<大日本帝国−中国
中国は世界最大人口とはいえそれはチンピラゴロツキが沢山涌いてくるだけで、
それは反ファシズム戦力として計上されるシロモノではなかったということだ。
中国人という害虫汚物が大発生すると国外に溢れて地球環境が汚染されるから、
連合国側からみても中国は有害ゆえ皇軍に大量虐殺してもらったほうがよかった。
チンピラゴロツキに援助しても、チンピラゴロツキはチンピラゴロツキ。
中国人という中国人は、みんなみんなチンピラゴロツキ。
このスレもスクロールするのがめんどくさくなってきた
947 :
だつお:2007/07/01(日) 13:22:27 ID:Upo66Luw
珍棒太郎「GHQの対日冶金技術供与」(宇宙出版)の50ページ
1949年8月1日日付でのマッカーサー元帥談話より抜粋
「われわれは中国国民党軍の敗退を耳にし、朝鮮戦争の勃発を予期した。
そこでわれわれは稚拙で使い物にならない日本の造船所を大急ぎでアメリカ式
に再建すべきだと考え、昭和天皇に申し出た。天皇は快く応じ、われわれと
ともに現場指導へ赴くことになった」
珍棒太郎「GHQの対日冶金技術供与」(宇宙出版)の50ページ
1949年8月1日日付でのマッカーサー元帥談話より抜粋
「われわれは中国国民党軍の敗退を耳にし、朝鮮戦争の勃発を予期した。
そこでわれわれは稚拙で使い物にならない日本の造船所を大急ぎでアメリカ式
に再建すべきだと考え、昭和天皇に申し出た。天皇は快く応じ、われわれと
ともに現場指導へ赴くことになった」
珍棒太郎「GHQの対日冶金技術供与」(宇宙出版)の50ページ
1949年8月1日日付でのマッカーサー元帥談話より抜粋
「われわれは中国国民党軍の敗退を耳にし、朝鮮戦争の勃発を予期した。
そこでわれわれは稚拙で使い物にならない日本の造船所を大急ぎでアメリカ式
に再建すべきだと考え、昭和天皇に申し出た。天皇は快く応じ、われわれと
ともに現場指導へ赴くことになった」
珍棒太郎「GHQの対日冶金技術供与」(宇宙出版)の50ページ
1949年8月1日日付でのマッカーサー元帥談話より抜粋
「われわれは中国国民党軍の敗退を耳にし、朝鮮戦争の勃発を予期した。
そこでわれわれは稚拙で使い物にならない日本の造船所を大急ぎでアメリカ式
に再建すべきだと考え、昭和天皇に申し出た。天皇は快く応じ、われわれと
ともに現場指導へ赴くことになった」
948 :
珍棒太郎:2007/07/13(金) 19:19:55 ID:???
珍棒太郎
○ドイツと中国の軍事、経済関係について
ドイツと中国は伝統的に親善関係にあった。「ハプロ」(HAPRO−工業製品貿易有限会社の略)の
設置が具体的例の第一である。これは中国の生産物と引き換えに中国に武器を供給する目的で設
立された特別の組織であり、1934年(昭和九年)8月23日に締結された貿易協定と36年4月8日締結
の借款協定(ハプロ条約)に基づいて活動した。この借款協定では、ドイツが中国に、中国に軍事工
業設立を目的として一億ライヒスマルクという巨額の資金を貸し付けつ事を規定している。
ドイツは自国の再軍備に必要な貴金属であるタングステンとアンチモニーおよびその他の原料を輸
入し、これに引き換えに、ドイツの兵器や鋳鉄、製鋼のプラントなどを輸出して大きな利潤を上げてい
た。これは蒋介石の意図する60師団の建設にも応じるものであった。
右の条約の締結、遂行のため、後述するライヒュナウ将軍をはじめ、武器商人でありかつドイツ陸軍
に力を持つ退役大尉クラウン等の将校が活躍した。この貿易は、支那事変勃発の後も続けられ、日
独間に種々の物議を起した。
ドイツはまた1928年(昭和三年)から38年までの11年間、中国に軍事施設を派遣していた。この間に
おける使節団長は、陸軍大佐マックス・バウアー(1928〜29)、陸軍中佐へルマン・クリーベル(1929〜
31)陸軍大将ウェツェル(1931〜33)、陸軍元帥フォン・ゼークト(1934〜35)、陸軍歩兵大将アレクサン
ダー・フォン・ファルケンハイゼン(1935〜38)である。ゼークト元帥は、ドイツ国防軍の創始者として威
信と名声を博した人であり、1933年にも中国を訪問している。
この軍事援助は、軍需品貿易と密接な関係を持っていた。国防軍の有力な軍人で、ナチス党員でも
あるワルター・フォン・ライフェナウ将軍(国防省及び陸軍省の大臣官房長、ミュンヘン管区司令官を歴
任、1940年、元帥に昇進)は、1939年に中国を訪問し、「ハプロ条約」の成立と運営に努力した。軍事施
設団は、ドイツ国防軍を中国に強く結びつける作用をするとともに貿易の利益に奉仕した。
(戦史叢書支那事変陸軍作戦<1>p108〜109)
インチキ武術家 遠山↓
中国武術【異端系】ディープ会話道場
http://sports7.2ch.net/test/read.cgi/budou/1077702731/269 269 名前:猫だニャン ◆lKnekodaJo [sage] 投稿日:04/03/16 17:53 ID:BLBrSPfJ
>李酪農氏
文章が読めない人ですね。
実戦ならボクシングの世界ランクにだって勝てる自信、もちろんありますとも。
なおかつ師父や師叔なら絶対といっていい程、勝てない要素が見当たりませんし、
師叔はボクシングルールのスパーでも実際にミドル級(世界ランカー)を倒しています。
インチキ老師とはまたずいぶん愚弄されたものです。
そういうあなたはどうなんですか?
これ以上愚弄なさるのであれば、下記まで連絡ください。
[email protected]
皇軍とドイツ軍の戦力差よりも、ソ連軍と中国軍の戦力差のほうが大問題。
強いドイツ軍を殲滅したソ連軍と、弱い皇軍にさえ歯が立たなかった中国軍。
フランスにおける大敗走と堕落の光景についての恥ずかしい話がヒトラーの
耳に届いた。ある地区では五つの別々の師団に属する五つの混乱した隊列―が
東に向かって同じ道路をベルギーもしくは西部防壁に向かって流れ下っている。
別の地区では将校がピストルで脅して自分の自動車を橋の隘路を通させているし、
あるいはかけがえのないレーダー装置や砲や弾薬が敵の手に落ちるのに、空軍の
トラックが家具や掠奪物をのせて基地から出て行く、その間敵の飛行機はこの隊列
を一〇〇フィート上空からずっと機関砲や機関銃で悠々と掃射している。
<中略>
嵐の強まる様子は九月十八日のクライペの日記にはっきり描かれている。
その日はそうでなくてもヒトラーはひどい頭痛で一睡もできず、機嫌の悪い
日だった。「総統の会議の間に」とクライペは書いている、「オランダに
空輸上陸があったとの新たな知らせが入る。総統は怒り出し、空軍の無能
をののしり散らし、敵を迎え打つために戦闘機が何回オランダに出撃したか、
いま直ぐ知りたいという。私は航空団“ライヒ”に電話し、天候のせいで
今日はほとんど出撃しなかったのを知る。総統は私のこの旨の報告を最も
辛辣な批評に対する言い訳と受け取り、「空軍全体が無能、臆病で苦境に
ある私を見殺しにする。数多くの空軍部隊がライン川を渡って退却して
いるとの新しい報告を受けている」という。
<D・アーヴィング「ヒトラーの戦争」>
この午後のヒトラーの国会演説はとくに変わった点はなかった。
彼は一九四三年にヨーロッパに侵入するローズベルトの意図を明らか
にした「戦争計画」を最近暴露したシカゴ・トリビューン紙に言及し、
日本と調印したばかりの協定のテキストを読み上げたが、心の奥底
では本能が総統に、これから展開する出来事を歓迎すべきではないと
警告していた。ベルリンの鉄道駅に出迎えた空軍関係者フォン・ベロー
少佐は、彼が真珠湾の長期的影響について自信がないのを知った。
リッベントロップも(のちに)、合衆国を参戦させないための三国
条約がいまや合衆国をドイツと直接対決させるに至ったので狼狽
したと告白した。だが彼もヒトラーも日本の起草した世界を作戦地域
に分ける軍事協定にはなんの意義も唱えなかった。それによると、
ドイツとイタリアの作戦地域で、この線から東は、英領インドを
含めて日本の作戦区域となっていた。日本をイギリスとの厳しく長期
の紛争に巻き込み、単独平和の可能性を排除するにはこれしかない、
とドイツの指導者は判断した。
#デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」より。
日本のシンガポールとオーストラリア進出でイギリスはインド軍部隊
とアンザック(オーストラリア・ニュージーランド)部隊をとくに地中海から撤収
せざるを得ないし、合衆国はイギリスとソ連への兵器供給を削減しな
ければなるまい―こういった戦略的利益があるのに、ヒトラーがつぶ
やくのが聞かれた、「私は事態がこうなるのを全く望んではいなかった。
いまや彼ら」―つまりイギリス―「はシンガポールを失うだろう」と。
彼がヘーヴェルにこの言葉を語ったのは、“バルバロッサ”作戦が冬の
最初の危機に陥ろうとして彼が“狼の巣”に帰還したあとだった、
「日本の援助でわれわれが極東における白人の地歩を叩き潰す―そして
イギリスがボルシェヴィキの豚どもと一緒にヨーロッパと闘うというのは、
なんと奇妙なことか」。外相は冷静に戒めた、「アメリカの補給がムルマ
ンスクとペルシア湾を通ってロシアに到達しないようにするのにせいぜい
一年しかありません、日本はウラジオストックをなんとかしてくれるで
しょう。これがうまくいかず、合衆国の軍需潜在力とロシアの人的資源
とが一緒になったら、戦争に勝つのがむつかしい段階に入ることになり
ます」。これにヒトラーは答えなかった。
#デイヴィッド・アーヴィング「ヒトラーの戦争」より。
― 八月三十一日、
ヒトラーは、外相J・リベントロップの覚書をうけとった。
外相は、ソ連軍のルーマニヤ進攻によってドイツは最重要戦略物資である
石油の確保に支障をきたすことになった、これはこれまでに失った資源事情
をさらに極度に悪化させる、と指摘した。
ドイツはすでにポルトガル、スペインのタングステン、ウクライナのマンガン、
トルコのクローム、南フランスのボーキサイトの入手をふさがれた。
フランスでは、米英軍の進出でドイツ側が各地に配備した大量の工作機械
も放棄する結果になっている。
いま、ルーマニヤをソ連にわたし、さらに他のバルカン諸国もドイツ陣営
から離脱する気配を見せはじめた点を考えれば、「終戦」の時期にさしかか
ったと判断すべきであろう。
「本職は、ここに総統が賢明なる決断を下し、本職に対米英和平交渉の権限
を与えられんことを要請するものである」
外相リベントロップは、そうヒトラーに献言していた。
「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」(児島襄)
1945年4月初めまでに、ルフトバッフェは1,200以上のMe262を受領しました。
その月においては戦闘機用配備が最高になりますが、ピークでもそれらの
うちの200機以下で、生産機数の6分の1程度が戦闘部隊に供給されました。
実用性はお粗末なままで、60%あたりをさまよっていました。Me262の昼間
戦闘機で飛ばれたのは最大でも57機にすぎず、1945年4月7日のことでした。
By the beginning of April 1945 the Luftwaffe had accepted more than
1,200 Me 262s. The month saw the high point in the fighter's deployment,
yet at the peak fewer than 200 of these aircraft, or about one in six
of those built, served with combat units. Serviceability remained poor,
hovering around the 60 per cent mark. The largest number of Me 262 day
fighter sorties flown on a single day, only 57, was on 7 April 1945."
http://fm.greenhillbooks.com/greenhill/gbn/104/defeat_of_LW.html
958 :
だつお:2007/08/09(木) 19:51:06 ID:BzMoEMFR
独断と私見でルーズベルト評。
http://plaza.rakuten.co.jp/shibu2003/2010 上は国士系のサイトで、米共和党のルーズベルト批判も載せているが、
第二次世界大戦における各国の軍事的役割を考えればルーズベルトの決断
はかなり合理的だったと言えるのではないだろうか。そもそもソ連との
協調を拒否するのであれば主敵ナチスドイツ打倒はおぼつかない。
あくまでソ連との協調を拒否するのであれば、アメリカは不戦しかなくなり、
第一次世界大戦までに築いてきた大国アメリカとしての国際的地位を失う。
日本だって第一次世界大戦で日英同盟のために欧州派兵か否かが検討されてる。
弊害はあったにせよ、やはりルーズベルト政権はアメリカを世界的大国にした。
パックスアメリカーナ、アメリカングローバルスタンダードの布教に成功した。
共産勢力の台頭は、大祖国戦争における共産主義ソ連の勝利と大陸打通作戦に
おける反共国民党の大敗によるものであり、ルーズベルトの責任とは言えない。
強いて言えばアメリカは戦勝国であってもその役割は限定されるというだけのこと。
最強ドイツ軍を殲滅したソ連赤軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>>
>>>>97式中戦車チハにドツキ回されたエセ反共チンピラゴロツキ
・・・とまあ、歴史とはこう教えられるのが本質的に正しいと思うがどうか。
アメリカ陸軍参謀本部の計画作戦部長はアイゼンハワーであったが、
彼はこうした状況に直面してアメリカ独自の解決策を摸索していた。
一九四二年二月二八日に彼はマーシャル参謀総長に研究結果を報告した。
彼は分断された弱い方の敵から最初に撃破すべきであるとの軍事的な公理を
援用しつつ、次のような見解を主張していた。すなわちドイツは日本と比べれば
より大きな戦闘能力を持っているものの、独ソ戦によって日本よりも相対的に
弱くなっている。そしてドイツはイギリスから攻撃しやすく、太平洋にアメリカ
軍部隊を輸送して維持することは大西洋で同じことをする三倍から四倍の船舶
が必要である。そしてイギリス本土の基地機能は他のどこよりも優れている。
したがってアメリカの戦略の基本任務はイギリスを確保し、ソ連を戦争に
とどまらせ、ドイツと日本の結合を阻止することにあると論じていた。
<第二次世界大戦の政治と戦略 (赤木莞爾 慶應義塾大学出版会)>
In dealing with the first of these three points, the memorandum applied the
"strategic axiom" that the commander should first attack and defeat the weaker
force of a divided enemy. Eisenhower reasoned that although Germany and its
satellites were stronger in total combat power than Japan, Japan was still
"relatively stronger" since it was not at war with the Soviet Union and much less
accessible to attack by the main forces of the other Allied powers. Moreover, it
took three to four times as many ships to transport and maintain a given American
force in the Pacific as in the Atlantic. Therefore, Eisenhower concluded, "logistic
reasons, as well as strategic axiom, substantiate the soundness of the decision
to concentrate against the European Axis.
http://www.army.mil/cmh-pg/books/wwii/Sp1941-42/chapter7.htm
・・・・・一一月二四日、第六軍の補給係将校は一日に二〇〇トンの燃料
と二〇〇トンの弾薬および二七日以後はある程度の小麦粉を要求したが、
二五日国防軍総司令部の戦史係は、パウルスの「七〇〇トンの要求」は
明らかに誇張されていると書き、やがて三〇〇トンの数字が承認された。
十分なユンカースが手に入らないとのリヒトホーフェンの反対は信じられず、
第六軍は南西方向に脱出する以外にないとの彼の電話による勧告は無視された。
彼は日記にこう書いている。「総統は私のいうことによく耳を傾けてくれたが、
反対の決定を下した。軍が持ちこたえられると信じ、二度とスターリングラード
に到達できると思われないからだ」。ゲーリングに連絡しようとリヒトホーフェン
は試みたが、連絡できなかった、全国元帥はパリに行っていた。空軍参謀本部は
明らかに楽観的だった。というのは国防軍総司令官戦史係は二回こう記して
いるのである、ユンカース二九八機が動員できる、一日の能力六〇〇トンである、
わずかしか、一日二、三〇機しかスターリングラードにまだ到達していないが、
天候が良くなって空中輸送が始まったら、事態は変わる、と。それでヒトラーは
安心した。一一月二七日午後のヒトラーの戦争会議についての国防軍総司令部の
記録はこうなっている、「スターリングラード周辺の敵の配置は第六軍の意図にと
ってこの上もなく好都合である、スターリングラードの食糧事情は思ったよりよい」。
北西前線を撤退させるパウルスの計画はうまく進展していた。二九日の会議の記録は
フォン・マンシュタイン元帥の情勢判断にふれ、「総統と同じ結論に到達」といっている。
#デイヴィッド アーヴィング「ヒトラーの戦争」より
原註1 発見された国防軍総司令部の戦闘日誌に、スターリングラード
危機の絶頂における一九四二年一二月二一日のヒトラー、イェショネク、
ツァイツラーの決定的な議論が述べられているが、そこの「しかしいつも
のようにまたなんら大胆な決定は下されてない。総統はもはやそうする力
を持たないかのようである」との文章は一九四五年のでっち上げで、
一九四二年の原文にはなかった。
>パウルスの「七〇〇トンの要求」は明らかに誇張されていると書き
原註4 国防軍総司令部戦争日誌の著者グライナーは一九四五年に
この文句を削除し、のちに出版された原文には出ていない。
>全国元帥はパリに行っていた。
原註5 ところが一九四二年一一月二五日の「日記」にエンゲル少佐はゲーリ
ングが“狼の巣”にいることにしてなんとヒトラーと劇的会談をやらせている。
>ユンカース二九八機が動員できる、
原註6 グライナーはあと智慧で一九四五年に記録を「改竄」し、「第四空軍
は輸送機は二九八機しかない、約五〇〇機が必要である」と直している。
>総統と同じ結論に到達
原註6 この妥協的文句はグライナーの一九四五年の改竄された原文
からはすっかり削除された。
原註8 もとの文書が残っている。マンシュタインは出版された
回想録の中で、私の引用したのっぴきならない言葉遣いを「改竄」し、
第六軍は脱出の機会が失われた以上、救出を待つべきである、それも
適当な空中補給が行われるとの「条件」でである、としている。
1945年4月初めまでに、ルフトバッフェは1,200以上のMe262を受領しました。
その月においては戦闘機用配備が最高になりますが、ピークでもそれらの
うちの200機以下で、生産機数の6分の1程度が戦闘部隊に供給されました。
実用性はお粗末なままで、60%あたりをさまよっていました。Me262の昼間
戦闘機で飛ばされたのは最大でも57機にすぎず、1945年4月7日のことでした。
By the beginning of April 1945 the Luftwaffe had accepted more than
1,200 Me 262s. The month saw the high point in the fighter's deployment,
yet at the peak fewer than 200 of these aircraft, or about one in six
of those built, served with combat units. Serviceability remained poor,
hovering around the 60 per cent mark. The largest number of Me 262 day
fighter sorties flown on a single day, only 57, was on 7 April 1945."
http://fm.greenhillbooks.com/greenhill/gbn/104/defeat_of_LW.html STRATEGIC OPERATIONS (Eighth Air Force): Mission 931: 1,314 bombers and 898
fighters are dispatched to hit airfields, oil and munitions depots and
explosive plants in C and N Germany; all primary targets are bombed visually;
they meet 100+ conventional fighters and 50+ jets; the German fighters attack
fiercely and in the ensuing air battle down 15 heavy bombers; the AAF claims
104-13-32 aircraft including a few jets:
http://paul.rutgers.edu/~mcgrew/wwii/usaf/html/Apr.45.html SATURDAY, 7 APRIL 1945 EUROPEAN THEATER OF OPERATIONS (ETO)
964 :
名無し三等兵:2007/08/25(土) 03:15:34 ID:zWsrapXc
英語わかんね
965 :
名無し三等兵:2007/09/03(月) 20:43:39 ID:ufoXTLsy
日本軍の酸素魚雷は世界一ぃぃぃぃ!!
…なんか迫力ないな
966 :
名無し三等兵:2007/09/04(火) 20:00:28 ID:hjks6Y4f
紫電改よりは運用実績ありそうだな、Me262。
誤解してる香具師も多いが、ドイツ海軍の通商破壊戦が効果を上げた
のは専ら1943年3月までのイギリス商船に対してのみ。
また太平洋やインド洋でも、大東亜戦争開戦から1年くらいの
あいだはかなりの米英船舶が日本海軍によって沈められている。
Merchant Ship Losses (1939 - 1945)
(Ships over 200 tons)
Britain 3194
US 866
Neutral 902
Japan 2436
Other Allied 1467
http://www.100thbg.com/mainpages/history/history4/ww2stats.htm Merchant Ship Losses (1939 - 1945)
期間 大西洋 地中海 インド洋 太平洋
1939.9- 5605449 84394 210005 99531
1941.3 (1533) (17) (31) (15)
1941.4- 8631521 1032733 838511 1043328
1943.3 (1727) (271) (231) (467)
1943.4-9 744507 246889 322080 84341
(130) (55) (54) (16)
1943.10- 497895 371012 417938 120023
1945.8 (88) (69) (68) (16)
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/shiplost.htm 連合国の海運の損失 (単位:トン、(隻数))
インド洋には多分ドイツ潜水艦の戦果も含まれてるぞ
保守
ドイツが…ロシアの東に北海道や中国方面を睨む形で移転。
日本とドイツはイギリス、オランダ植民地から取れる地下資源と物資を得れる。
その場合ドイツが勝つのは明白。
中国や朝鮮方面の日本陸軍は負けるであろう。
海軍は日本が勝つが致命的ではない。
後々Me262やv-1ロケット等で日本は苦しめられるであろう。
故に長期戦になればなるほどドイツの勝ちは揺るぎない。
全然明白じゃないだろ。
その条件だと後々Me262やv-1ロケット等が開発されるまで、ドイツ側に日本を
攻撃する手段が皆無。
海軍は歯が立たないし、航空機の航続距離は短すぎるからな。
短期間で日本が勝利するよ。
十分だ。
日本ではドイツを落とせない。
時間が有ればドイツが余裕で勝つ。
海軍はただ時間を稼いで時期を待てば良い。
陸軍は朝鮮半島を制圧。
空軍も届く範囲で戦ってれば良い。
それに列車砲とかUボートで打撃を与える事も可能。
つまり兵器等を見ればドイツの方が勝算が高すぎる。
それはドイツの場合は海軍を失おうと十分に戦える。
日本の場合は海軍を失うと完全に敗戦濃厚。
故にドイツが日本を直接攻撃出来る手段が有る限り負けない。
つまり海軍の無効化する事で勝つ。
例え日本海軍が海上を制圧して陸軍を送り込もうと揺るぎの無い事だ。
時間があってもドイツにそんな国力はない。
よってドイツの勝ちはありえない。
日本の方が国力が無い。
(James Burke in "Connections" and Robert Buderi in "The Invention That Changed
the World" called the predictor "Number 9". Nick Spalding has the training
schematics for "PREDICTOR AA No. 10".)
Burke said "Devilish difficult things to hit, buzz bombs. At first
it took the antiaircraft gunners 2500 rounds to bring one down. Then
(and on behalf of the U.K., I thank you Bell Labs), along came the
M-9 Predictor, and the cost of bagging the doodle bug went down to
100 shells. Significant savings all round (including lives). All it
took was the magic math to run a feedback loop that could update
constantly the set of data you got from the radar about the incoming
buzz bomb's last position, so as to be able to make a good guess at
its next and to point the guns that way. Then boom."
http://ed-thelen.org/pre_nike.html >(and on behalf of the U.K., I thank you Bell Labs),
米国最大の電話会社であるAT&Tが設立した研究機関。C言語やUNIXオペレ
ーティングシステムを始め、現代のコンピューティング環境を支えるさま
ざまな基盤技術がベル研究所から生まれている。
http://www.atmarkit.co.jp/icd/root/76/5798876.html ベル研究所 (Bell laboratories)
980 :
名無し三等兵:2007/09/29(土) 04:26:32 ID:hK0VFmII
age
ここでやや先回りして、1941年10月の独ソ戦線全般における総括をしてみよう。
赤軍航空隊参謀部の資料によると、この月の損害は1729機に上り、しかもその内
の931機は敵戦闘機や高射砲による撃墜、あるいは戦闘任務から未生還、事故による
損壊のいずれにも分類されていない。損害の54%を占める飛行機の辿った運命は
いまだもって不明なままなのである。特にたくさんの襲撃機(308機中225機)が
「未確認損失」欄(赤軍内部では機体数計上方法の整理をした際に浮かび上がった、
撃墜、未生還などの戦闘損失や故障などの非戦闘損失のいずれにも該当しない原因
不明の損失)に記帳されている。どうもこれは、当時頻繁に発生したAM-38型
エンジンの故障と予備部品の不足から修理が不可能であったことと関係がありそう
である。また、およそ70%もの赤軍航空機は、空戦で失われたのではなかったと
いっても過言ではなかろう。
http://members.at.infoseek.co.jp/utidayuki/moskow.htm モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年