昭和20年8月14日、日本政府はポツダム宣言を受諾。翌15日、終戦の詔勅が放送された
多くの日本人にとって、この日が終戦の日である
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| ヽ >耐エ難キヲ耐エ……
| | >忍ビ難キヲ忍ビ……
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しかし、8月15日のこの時点では「戦争」は終わっていなかったのである……
昭和20年2月、ソ連クリミア半島のヤルタで行われた会談においてルーズベルトは
千島列島をソ連に引き渡すことを条件に、日ソ中立条約の一方的破棄、
すなわちソ連の対日参戦を促した。ソ連軍はヨーロッパ方面においてドイツを破って勝利を収めつつあり
南下政策の一環として次の作戦目標を、満州国、朝鮮半島と決めていた
「ソ連は領土を獲得したい」 「アメリカは太平洋での損害を減らしたい」
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スターリン ルーズベルト
ヤルタ会談の中で、ソ連は対日処理について、無条件降伏と徹底的な軍備撤廃、
ソ連軍による日本占領を主張した。しかし米国統合参謀本部は、ソ連が戦争の
決着がついた所に火事場泥棒的に便乗してくるとの見方を強めていた。この時点で、ソ連は日本
本土への野心があったといっても良いだろう
モスクワ時間の8月8日深夜、ソ連は日本へ宣戦布告。翌9日零時に戦闘を開始した
期限が残っていた日ソ中立条約を一方的に破棄しての侵攻だった――
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――――ドラえもん のび太のTHE LAST BATTLE――――
スターリンは北海道を領有することを欲していた。そのため日本降伏直後に占領の意志を示したが、
トルーマンに拒否されていた。しかし彼は諦めておらず、その野望を実現するためにも、
極めて短い期間で千島列島・樺太島を攻略し北海道の東部を実力で奪取する必要があった。
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// / ヽi ←スターリン
|_| ┃ ┃ | 「満州の関東軍はぶっ潰した
( ⊂⊃ ヽ 次は千島・樺太に侵攻する」
>、 \__ノ ノ .nm
/ \─── ´ヽ、 /)- |
/ \--/ |  ̄|_丿
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昭和20年8月18日、面積わずか230平方キロメートルの占守島は文字通りの激戦地と化していた
カムチャッカ半島の目と鼻の先にあるこの小島を巡り、日ソ軍が死闘を繰り広げていたのである
ソ連にとって占守島は北海道侵攻のための最初の一歩であり、日本にとっては最後の砦だった
少しさかのぼってその前日、17日のこと…
第91師団長堤中将は、北海道・樺太・千島の防衛を統括する第5方面軍からの命令に基づき
終戦処理の指導に当たっていた
_,,,......,,,
,,,''" ゙''''丶
i;;:::::ハ,:::::ハ、::::ハ ノ __
!:::::ノ-lノ ノ'"- l/ / 一切の戦闘行動停止。止むを得ない自衛行動を妨げず。
r、| イ゚j` 'l゚j`l < その完全徹底の時期を18日16時とする
、_: ` ' ` ノ \________
>、 丶フ /i:\
l /`i -'イ W
W /\/ /⌒ヽ
/l./\/ ヽ
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↑堤中将
第91師団を基幹とする北千島守備隊の兵力は、歩兵10個大隊、重軽火砲約200門を数え、
総兵力は23000名であった(占守島に配備されていたのは約半数)
北海道は取り立てて大きな戦闘がなかったため、当時としては弾薬や食料も比較的豊富に備蓄されていた。
その指揮下に入った戦車第11連隊は、独立戦車第2中隊を加え、戦車64両を保有していた。
この第11連隊こそが、占守島防衛戦の要石となるのであった
ちなみに、第11連隊は通称士魂部隊とも言うが、これは「11連隊の魂→十一の魂→士魂」と変化したものである
一方その頃、ソ連側
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| \()/ | 「8月17日夜に占守島北東部に奇襲上陸し
(| ((・) (<) |) 主攻を小泊岬から片岡方向に指向、そして
| ⊂⊃ | 18日日没までに片岡海軍根拠および
| .| ⌒ \.l/ ⌒ | | 全占守島を占領する!
/ |. l + + + + ノ |\ 日本守備隊は北海道へ通じる腐ったドアだ、そのドアは一蹴りで開く!」
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|ししl_l ( | |
|(_⊂、__) | |
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↑極東ソビエト軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥
17日深夜、ソ連はカムチャッカ半島ロパトカ岬の砲台より砲撃を開始し、艦砲の射撃の後に
占守島攻略部隊が強襲上陸を開始した。このときの戦力は第101狙撃師団(約8300人)
火砲218門、またそれらを揚陸するための艦艇38隻 揚陸艇16隻である。
つまり、ソ連軍は武装解除中の日本軍を強襲する形になったのである
しかしソ連軍の侵攻はその最初の段階で、既に思うように行かなくなった
本々、占守島の陣地構築の問題から砲兵は水際配備となっており、水際殲滅を方針にしていたため
上陸用船艇群に大打撃を与える事に成功したのだ。この予想外の抵抗にソ連軍は混乱してしまう
/!/{ / ヾ--r
_ /  ̄ <_
_>`´ 揚陸艦__<_
> r‐'" ̄ ̄ ノ ̄ ̄`ヽ、―ニ 二
/ , | `ヽ/ ´`ヽ _ 三,:三ー二
 ̄/ | ノヽ--/ ̄ , ` ̄ ̄ ̄
/ /⌒ヽ,| ミ } ...| /! 速射砲・大隊砲・臼砲
レ l d _}`ー‐し'ゝL _
| ヽ、_, _,:ヘr--‐‐'´} ;ー------
|/| \ ノ`ヾ:::-‐'ーr‐'"==-
ヽ/l/|` ー------r‐'"  ̄ ̄
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18日午前2時頃、占守島北端の国端崎に設けられた監視哨から報告がはいった。ソ連軍の強襲上陸である。
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/ − 、-、\ 「 竹田浜に敵上陸開始。
/ , -|ノ ・|・ |-ヽ 兵力数千人!」
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. | / /\_三 | 三__>
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ヽヽ ヽ__(二二)_/ /
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占守島北部の守備を担当する独立歩兵第282大隊の長、村上少佐は、既に配備についていた
彼は部下将兵に「射撃開始」を命令する。また、ソ連軍侵攻開始の報は堤中将にも入れられ、物議をかもした
「軍使が来たのが手違いで戦闘に発展したのかも」というものである。ここで中将は結論づけた
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./, - 、, - 、  ̄ ヽ
./-┤ 。|。 |――-、 ヽ
| ヽ`- ○- ´ / ヽ | 何勘違いして居るんだ・・・!
| - | ― | | 一体何処の世界に
| ´ | `ヽ . | |ヽ 深夜に数千人で砲撃と共に上陸してくる軍使がいるんだよ・・・!
∩ 人`、 _ | _.- ´ | .| \ この馬鹿が・・・!
| ⌒ヽ / \  ̄ ̄ ̄ ノノ \
| |´ | ̄―--―― ´ヽ _ /⌒\
\_ _/-―――.| ( T ) `l Τ( )
 ̄ |  ̄ } | \_/
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