>>939 一番良いのは家康みたいに最前線には出張るが、槍働きはせずに
指揮に専念するという人なんだけどね
>>940 >サラブレッドに比べれば、欧州騎兵の馬もモンゴル騎兵の馬も小柄です
サラブレッドは軽種馬。体高は160cm程度で、馬の中では中ぐらい。
で、フランス騎兵などが乗っていたのは中間種馬や重種馬。どれもサラブレッドより大きい(2m近い
ものもいる)。蒙古馬は確かにサラブレッドより小さい(体高150cm程度)けどね。
で、日本の在来馬種は全てポニーに分類され、体高は110cm〜135cm程度。
というか、軍馬の話をしてるときになんで純然たる競走馬であるサラブレッドの話が出てくるのか
理解できん。
フランスの軍馬と言えばペルシュロン。体重1トンにも及ぶ化け物じみた馬で、
強いものだと一頭で十馬力もの力を出すw
体高は、確かにでかいものだと2mを超えることもあるが、平均的なやつは160〜170cm程度と、
サラブレッドとそんなに変わらない。ただし体重は倍ぐらいある。
記録上最も大きなペルシュロンは体高210cm、体重1300kg以上もあったそうだ。北斗の拳に
出てきそうだな。
重い鎧に身を固めた騎士を乗せて活躍していたが、騎兵の役割が突撃より機動力重視になるに
つれて軍馬としては廃れた。
>>942 一応サラブレッドを軍馬として使おうとしたこともあるにはあったらしい。戦前の日本陸軍とか。
結局ひ弱すぎるということでアングロアラブに切り替えたようだが。
騎馬武者なんて鉄砲のいい目標にされるだけだから鉄砲普及以降は下馬して戦
うようになったんじゃないの? 小部隊の指揮官がポンポン撃たれて死んじゃ
ったらいくさにならんでしょう。
日本の場合馬に乗ってる人は指揮官であって兵隊じゃないから騎兵はできんで
しょう。馬は身分の象徴でもあって足軽雑兵を馬に乗せるわけにもいかんし、
馬自体がそんなに数がそろわんだろうし。
相変わらず馬の話になるとループするのな
>>942 当時の馬は140前後だぞ?
どうもポニーって分類に惑わされてる人が多そうだ
ポニーの分類じゃ騎馬兵にならないってのなら
アメリカのカウボーイだって騎馬兵にならん
>>945 大規模な部隊は無いけど
武家の次男や三男などを中心として集められた
二〇騎〜三〇騎の小規模な部隊なら編成された
(もちろん騎馬オンリーというよりは騎馬中心って事だが)
備の中で各組に分かれるようになると
長柄組・鉄砲組・弓組と共に馬組(馬廻)なども編成されるようになった
947 :
935:2007/03/20(火) 23:52:23 ID:???
>>939 ああスマン
細川と黒田の話は別の話だと思ってた
細川家の記録の中に黒田の話がでてくるのですね
う〜んどうなんだろ
その辺は本人の性格もあるのかな?
たまたま乱戦になったときに見かけたのかもしれない
当時は小物は数に数えない事もあったらしいので
兵五〇騎って言ったら小物含めて250〜300人ぐらいらしいですし
でも本当に一人で行ったのかもしれないし
ただ
>>878の後半の秀吉の批評みたいなのもあるので
当時でも指揮をしっかりしたほうがってのは認知されてたんじゃないかな?
戦国後半にかけては備の内容も組の分け方もかなり指揮系統を意識したものになりますし
ただ、それを実践するか、個人の武勇を優先するかはその人次第って所?
948 :
某研究者:2007/03/20(火) 23:55:15 ID:obqM/ATb
>蒙古馬は確かにサラブレッドより小さい(体高150cm程度)けどね。
モンゴル馬は135程度と聞いたが
どうなのだろうか
>>946 >長柄組・鉄砲組・弓組と共に馬組(馬廻)なども編成されるようになった
馬廻は兵種名じゃなくて、一種の階層名(備の指揮を取るほど大身でない侍身分で近習や小姓でないものの総称)だろう。
少なくとも、信長の組織編制上はそう。
だから馬に乗って部下を多数引き連れているものもいれば、徒歩の侍もいる。
>>949 えっと馬廻りってのは本陣備の騎馬組のこと
(その大名家で最精鋭が集められた)
基本的に二〇〇石前後の下級武士や
ソコソコの武士の次男などが集められる
組頭は千石クラスが勤める
信長時代よりあとになるけど
江戸初期の酒井家の編成では
騎馬組の内訳・・・侍22人、奉公人58人(計80人) 乗馬22頭(計22頭)
となってる
951 :
948:2007/03/21(水) 00:31:58 ID:???
あ、ちょっと訂正。
馬廻の本来の意味は、大将(もしかしたら馬印?)の廻りを固める親衛隊ってこと(各備に配備されていない大将直卒)だと思います。
信長の場合、組織が急に大きくなったので”取り合えず馬廻”扱いの侍
(現代風に言えば、とりあえずどの営業所に配属されるか正式辞令でるまでは、営業本部付きとか)が多くなってるんだと思う。
952 :
950:2007/03/21(水) 00:32:13 ID:???
参考までに他の組も上げていくと
鉄砲組1・・・侍1人、奉公人5人、足軽36人、人夫11人、口取2人(計55人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
鉄砲組2・・・侍1人、奉公人4人、足軽36人、人夫11人、口取2人(計54人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
長柄組・・・侍1人、奉公人2人、足軽30人、人夫3人、口取2人(計38人) 乗馬1頭、駄馬2頭(計3頭)
弓組・・・侍1人、奉公人4人、足軽19人、人夫5人、口取11人(計30人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭)
軍監・目付・・・侍3人、奉公人5人、口取1人(計9人) 乗馬2頭、駄馬1頭(計3頭)
(各組の戦果や働きを観察指導する役目)
太鼓・貝・・・侍2人、人夫3人、口取1人(計6人) 駄馬1頭(計1頭)
(各組に号令のための太鼓や貝をならす)
侍大将・・・侍1人、奉公人27人、口取4人(計32人) 乗馬2頭、駄馬4頭(計6頭)
(備の大将・本陣の場合大名自身・その他の場合家老などの重臣が勤める)
荷駄・・・侍1人、奉公人2人、足軽4人、人夫2人、口取8人(計17人) 乗馬1頭、駄馬8頭(計9頭)
(荷駄組は戦況や状況によって大きく人数・駄馬の数が変わる)
となるわけで、最初の馬組とあわせると備全体の総人数は
侍35人、奉公人112人、足軽141人、中間5人、人夫39人、口取22人(計354人) 乗馬32頭、駄馬22頭(計54頭)
となります
あくまでも一例ですから、各大名家によってかなりの違いはあったでしょう
あとコレは平時(江戸初期)の編成ですから
戦闘の多かった戦国期にはコレに動員兵が加わったと
動員兵は訓練などの問題で槍組になることが多かったようです
なので江戸期になると槍組の数が減らされました
953 :
950:2007/03/21(水) 00:37:01 ID:???
>>951 948ってなってるけど949さんかな?
本来の意味はそうなのかも、江戸期になると本陣備の騎馬組を指すようですが
信長の時代の場合そうかもしれませんね
それに、急激に兵力の増えた信長は備の編成が間に合わずに
とりあえず馬廻りってのは多かったのかもしれませんね
ある用語を一時代のみの意味で使うのは禁物だよなあ。
最近、ドラマみたいな騎馬突撃は無かったという説が、騎馬武者自体指揮官以外居なかったみたいな流れになってるな・・・。
西国武者は確かに馬少ないけど・・・。
>>952 この奉公人ってのはさ、仕事としては足軽?中間?
956 :
950:2007/03/21(水) 03:23:37 ID:???
>>955 >>952の資料が江戸時代初期のものなので
戦国とは多少違うのですが
個々の侍個人に仕える者の総称です
編成に出てくる侍個人に仕えてる人のことです
なのでその侍によって奉公人の数に違いが出ます
侍大将なんかになると奉公人の数も多いですね
身分としては若党、中間、小者に分けられたようです
若党は士分、中間は文字通り中間(準士分)小物は平民扱いでした
若党、中間は戦闘にも参加していたようです
(戦国時代の若党とこの時代の若党は少々意味が違うようです)
>>952の資料では奉公人の身分の内訳はわかりません
大名家からみた資料ですから
足軽は大名直轄の兵 奉公人のうち若党、中間は侍個人の足軽
って感じではないかと推察します
957 :
950:2007/03/21(水) 03:47:17 ID:???
>>952の資料
一組抜けてた
旗差・馬印・・・侍2人、奉公人5人、足軽16人、中間5人、人夫4人、口取1人(計33人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭)
そこに出てる中間は大名お抱えの中間じゃないの?
陪臣なら奉公人に含まれてそうだし。
ごめん、958は無視してくれ。
起き抜けでわけわからんこと書いてしまった・・・。
>弓組・・・侍1人、奉公人4人、足軽19人、人夫5人、口取11人(計30人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭)
なんで弓組に馬の世話係が11人も?馬上弓?とつつこんで見る。
>>946 >アメリカのカウボーイだって騎馬兵にならん
ちょっと待て。カウボーイは騎馬兵じゃないだろもともと。それにアメリカで一般的な
クォーターホースはポニーじゃないし。
う〜む、馬廻衆に該当する物を騎馬組と呼び変えただけの様な気もするが。
>>960 >弓組・・・侍1人、奉公人4人、足軽19人、人夫5人、口取11人(計30人) 乗馬1頭、駄馬1頭(計2頭)
>なんで弓組に馬の世話係が11人も?馬上弓?とつつこんで見る。
口取り1人の間違いでしょう、計30人からそれくらい察しましょう。
この酒井家の陣立てで気になったこと。
>軍監・目付・・・侍3人、奉公人5人、口取1人(計9人) 乗馬2頭、駄馬1頭(計3頭)
>太鼓・貝・・・侍2人、人夫3人、口取1人(計6人) 駄馬1頭(計1頭)
>侍大将・・・侍1人、奉公人27人、口取4人(計32人) 乗馬2頭、駄馬4頭(計6頭)
徒歩の侍(概ね100石以下)がいないですね、軍監・目付の所の一人と、太鼓・貝の2人以外はリストから見れば多分馬に乗ってると思う。
侍大将は替馬が一頭いるんでしょうね。
酒井家では、徒歩の侍がいない(馬に乗れるクラスのみを侍と称して、それ以下は足軽という階級制度)なのかな。
一般的に戦国時代の編成として言われるものだと
旗本(馬廻)、長柄、弓、鉄砲、小荷駄(ここまでは酒井家のリストにある)と、手明とか言われる短い槍持ったりしている組(多くは侍)ですね。
>>962 だけど例として出てる酒井家の備えは複数あるウチの一つだよ。
大名直卒の備えでもないし。
大名家直属だろうが何だろうが編成された一備えの「部隊」であることには変わらない。
>>953 「馬廻」でいうところの「馬」って、「大名本人の御馬」って意味だよ。馬廻衆は、御馬の廻りに侍る衆。
別に騎馬武者とは限らない。江戸時代の話で言えば、藩によっては馬廻衆なのに馬上資格を持たない
中級の武士もいた。
馬廻衆の役割としては大名の護衛とか伝令とかがメインだから、必然的に馬に乗ることは多かったと
思うが、いわゆる騎兵とか騎馬隊というのとはちょっと違うのでは?
>>967 >黒田家と細川家は、犬猿の仲
関が原以降(領地の引継ぎで揉めてから)ね。それまでは別に悪くない。豊後の細川勢は黒田勢(数ではこっちが多いけど)と共同して大友勢を破っている。
犬猿の仲だから何? 細川家の記録に出てくる黒田長政の行動は、真実を記していない可能性があるってことですか?
>>963 確かに歩行武者居ないですね
あと侍大将はかなり身分のある人ですから
その奉公人27人の中にも騎乗可能な補佐役みたいなソコソコの禄高の人が居たのでは?
なので乗馬が2頭なのかも・・・・変え馬かもしれませんが
うめ〜干し
って結構重要な携帯食料だったのかな?当時
>>972 殺菌効果とか激しい運動で失われがちなミネラルの補給とかクエン酸による
疲労回復効果とか、梅干には優れた効用が色々あるな。
頭に貼ると頭痛薬にもなる。
うめ
>>972 雑兵物語の一番最初の語り手が、落語みたいな話をしてますね。
梅干はみるだけで唾が湧くから、それで喉を潤せ。食べたり舐めるなどもってのほか。
うめうめ・・・
某研って何が楽しくて2chにいるのかな?
普通に会話に絡めて話せば本人だって楽しいだろうに・・・
>>977 自然現象にそんなこと言っても。
あれはああいったものなのだ。
>>977 そうそう、無視してスルーがいちばん
触らぬ基地外に祟り無し
でうめうめ
埋たて
ちょ・・・
>>977の発言を考慮してか
新スレで某研が空気読んだ発言してる(笑)
なんかわからないけど
ここ埋めときますね?
ume
うめ
>>981 あのくらいのコミュニケーションはこのスレでもしてただろw
なんつうか某研を知らない世代が増えたのかなあ・・・
世代もくそも、某研はずっと現役で活躍しっぱなしだろ
むしろ最近になってカキコが増えてきたような気さえする
それが若いんだよ・・・全員から荒らし扱いされてたころの某研の投下量と来たら・・・
埋ついでに某研分析ですか?
今居る某研は偽物じゃね?
某研の名をかたった荒らし
新スレの
>>48-54までの一連のカキコの中に
タイミング良く
>>49だけはいるなんてオカシイし
前から戦国スレを荒らしたい人が居たみたいだけど
ソイツが某研騙ってるだけのような気がする
などと埋ついでに某研分析してみるのだが