日中戦争(支那事変)7 参謀本部第二部支那課

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806名無し三等兵:2007/03/11(日) 19:48:21 ID:???
法的な拘束力はありませんでしたね。
「空気読めよ」って雰囲気だったのでしょう。
807イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 22:48:53 ID:KYiiKfB3
>>803 >>日々の更新お疲れ様であります。。
毎度どうもでございます。ベリーサンクス。

>>804 >>イナゾウさんが読んだ資料の中にも、やはり戦陣訓を
>>暗記させられたと言う記述や証言が出てきますか?

もちろん『戦陣訓』が出されたのは1941年初めですから、暗記させられたという
記述なり証言の回想が現れるのは、それ以降になります。具体的には太平洋戦争
中期以降に入営した人たちですね。

例えば、『日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』(川崎
春彦著、光人社NF文庫)があります。著者は1943年11月に現役兵として第6師団・
歩兵第45連隊(鹿児島)の営門をまずくぐり、南京に到着したのち、第58師団
(熊本:広部隊)に配属されて「大陸打通作戦」に参加します。
808イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:06:27 ID:KYiiKfB3
その中の初年兵教育のくだりで、「(駆け足など体力には自信がなかったが)
頭脳の方では負けなかった。『戦陣訓』とか『歩兵操典』を明日中に何頁まで
暗記せよと宿題が出たが、中学校の教練ですでに習ったことばかりだったので、
いつも真っ先に正確に答えていた」という回想があります。

まあ、「軍人勅諭」や「戦陣訓」は文量的に大した事はありませんが
(受験勉強に比べれば)、「歩兵操典」はさすがにハードです。無論、
全部ではなく部分的に暗記させたのでしょうけどw。

また一連の『華北戦記』の中でも、1942年4月の初年兵に対する精神訓話で
すでに柏崎中隊長が『戦陣訓』を取り上げ、「捕虜になってはいかん。不幸
にして捕虜になったら潔く自決せよ」と強調しています。普通、中隊長などが
行なう精神訓話は「軍人勅諭」が中心としたものでした。

この時は理由がありまして、1ヵ月ほど前の戦闘で行方不明になった中隊の軍曹が
八路軍の捕虜になったにも関わらず、治療を受けて全快し、優遇されているという
噂が流れたためです。
809イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:28:26 ID:KYiiKfB3
>>806 >>「空気読めよ」って雰囲気だったのでしょう。

本来、陸軍向けに出された訓示でしたが(当時ヒデキは陸相)、太平洋戦争以降
だんだん海軍にも伝染してきます。これをもって海軍の堕落だと非難する人も
おりますがw。

映画『硫黄島からの手紙』では、日本兵の手榴弾自決するシーンが妙に強調されて
いますが、主人公の友人などもあっさり死んでいます。もうボカン、ボカンとw。

「北支の治安戦」においても、よく日本のトラック部隊が八路軍の待ち伏せ攻撃に
あって、運転手や警乗の兵士に多くの犠牲者が出ましたが、その中に内臓が全部露出
している遺体もたまにありました。これは「捕虜になるくらいなら」と、手榴弾で
自決したものです。
810イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/11(日) 23:44:54 ID:KYiiKfB3
>>802 >>日本兵は「捕虜」になるのも「離隊逃亡」するのも大変な訳で、非常に
>>長くなりましたが、今までの話は「日本人反戦同盟」への壮大な前振りですw。

さて、ここからが本題です。支那戦線において、日本兵は捕虜になることを極端に
恐れていましたが、もちろん幾つか理由があります。

1つには「戦陣訓」などでも強調されているように、捕虜になる事はこのうえない
不名誉であり、本人ばかりか一家一門の恥となり、肉親は非常に肩身の狭い思いを
しなければなりませんでした。

2つには「捕虜になること」は、本人が恥をかいて済むどころの話ではなく、
軍刑法に照らし合わせて『厳罰』の対象になります。例えば、『軍旗はためく
下に』(結城昌治著)の中には、八路軍の捕虜になったものの自力で脱走して
きたため何の問題もないと思ったら、軍法会議で「敵前逃亡・奔敵」罪で死刑w
というエピソードがあります。
811イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:09:19 ID:pmJWjXUh
3つには、捕虜になったら「支那人に残酷な殺され方をするのではないか?」という
恐怖の念が大きかったことです。まあ、柏崎中隊長の拷問を見ても想像がつく通り
自分も同じ目に遭うのではないかとw。これは敵地で戦争をやっていますので、
尚更でしょう。まあ、左翼が言うと「侵略戦争の自覚があったから」となりますがw。

で、実際はどうだったかというと、もちろん執拗な「死体損壊」と「野晒し」に
いたる残酷な殺され方をした日本兵も多かったのですが、戦闘で人事不省となって
八路軍の捕虜となったものの手当てを受けて厚遇されたケースも頻繁にありました。
>>808 を参照)

>>この時は理由がありまして、1ヵ月ほど前の戦闘で行方不明になった中隊の軍曹が
>>八路軍の捕虜になったにも関わらず、治療を受けて全快し、優遇されているという
>>噂が流れたためです。

結論から言えば、これは要するに『宣伝戦』なのです。
812イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:30:21 ID:pmJWjXUh
要するに、日本の兵士は「死んでも捕虜になるな!」と叩き込まれており、
それが日本軍の精強さの1つの理由なのですが、相手からしてみれば『悪夢』
以外の何物でもありませんw。何しろいくら劣勢な戦況でも決して降伏しない
訳ですから。相手が同じ支那人の場合なら、とっくに降伏するか潰走でしょう。

そして通常は、まともに正面から戦ったら八路軍など相手にならないほど
日本軍は強大な訳です。で、どうするかと言えば「宣伝戦」な訳で、逆に
言えば、それぐらいしか出来ないという「苦肉の策」とも云えます。

例えば、日本兵の捕虜を取っても殺さずに優遇することで、「死んでも
捕虜になるな!」と教えられている日本兵部隊の士気をぐらつかせるのです。

また捕虜になった日本兵が、自分の元の部隊に帰りたいと言えば、無事に
帰してやります。意外に感じるかもしれませんが、そうすればその捕虜となった
兵士は「八路軍の捕虜になっても殺されることはない」という、これ以上ない
強力な「生き証人」となって、他の日本兵の土壇場での戦闘意欲に大きな影響を
与えるでしょう。
813イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 00:35:22 ID:pmJWjXUh
まあ、捕虜になって生きて戻ってきた日本兵は、軍法会議で厳罰を
喰らうかもしれませんが、それはそれで、八路軍は「こんな日本軍で
命を懸けて戦う意義なんてどこにもないぞ」と宣伝戦のネタにする
ことでしょうw。
814名無し三等兵:2007/03/12(月) 03:51:19 ID:???
八路軍と対比させて日本軍の軍紀の乱れが収拾のつかないものだったこと
も指摘しています。

「しかし、八路軍というのは強かったですよ。本当の共産党員というか、負傷して倒れて
いる下士官だったか、助けてやろうと色々やったが、絶対にいうことを聞かない。
それで動かんもんだから、とうとう置いてきてしまった」
(しかし八路軍は)「資産階級や豪農に対しては相当ひどいことをやったようだ」(“万人
孔”のようなものが出来るほど虐殺し死体を埋めたそうです)
「その代わり、八路軍は民衆の針一本、糸くず一つ取らないんですから。家にも入らない。
日本の兵隊はすぐに家に入っては村落露営だなんていっている。入るな、といっても駄目です。
勅諭なんか口では言うけど、さっぱり実行しない将校が多いでしょ。それじゃ兵隊になんぼ言
ってもだめですよ」
815名無し三等兵:2007/03/12(月) 10:33:00 ID:???
家の爺さんも、南支派遣軍に居たらしいが、
一番怖かったのは「八路軍」、2番目は「班長」って言ってた。
とにかく精強だったらしく、蛸壺で上に銃だけ出して、隠れていたそうだ(トラック運転や
炊事担当)。
やっぱり勇敢な香具師は早く死んだとさ。
816名無し三等兵:2007/03/12(月) 10:33:51 ID:???
ちなみに爺さんは「パールー、パールー」と言ってたよ。
817名無し三等兵:2007/03/12(月) 10:36:25 ID:???
ところで書いたあと思ったが、南支に八路軍っていたのかな?
紅軍全体の俗称で「八路軍」って兵隊は言ってたのかな。
818名無し三等兵:2007/03/12(月) 11:05:32 ID:???
>>816
百団大戦の時の戦いぶり見ても、
日本軍と同じく命に対してまったく配慮しない戦いぶりだしね>精強

ただその時日本の民間人多数を殺傷したあたり、
外国民間人への対応も基本的に日本軍並みw
819名無し三等兵:2007/03/12(月) 11:14:18 ID:???
>>814
えーと、それを指摘してるのは誰なんでしょうか。
「日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還」(川崎
春彦著、光人社NF文庫)の話なんですか?
820名無し三等兵:2007/03/12(月) 12:27:13 ID:???
>>819
有名な話ですが、支那派遣軍参謀であった三笠宮が、若杉参謀の名で
1944年1月5日に南京の司令部で行った教育講話において、日本軍に
比して中国共産党軍の軍紀をべたほめしています。
記録から要点を拾うと下記のような感じです。
蒋介石が抗日にいたった原因について:
・満州独立
・日本の華北に対する野心
・支那事変勃発以来の日本の暴虐行為
・強姦、良民の殺傷、放火
・中国独立革命機運に対する日本の逆行、妨害
共産軍の軍紀に関して:
・中共の男女関係はきわめて厳重で強姦などは絶無に等しい。
・対民衆軍規もきわめて厳正で日本軍の比ではない。
・これで中共が猖獗しなかったら世界七不思議の第一となるであろう。
・斯くの如き日本軍では到底中共に対抗することはできないと思う。
汪兆銘国民政府について:
・元来国民政府は、当時外国から非難された日本の侵略主義を掩蔽
せしめんが為めの一時的思い付きによる小刀細工の感が強い。
・斯くの如き政府なるが故に、その末梢における大部分の官吏軍人は、
単に日本を利用して金を儲けようとしている連中である。
・右の如き政府に民衆の信頼なきは当たり前である。
821名無し三等兵:2007/03/12(月) 13:07:56 ID:???
すごいなあw
こんなこといってたらアカ扱いされて大変なことになりませんか。
822えICBM:2007/03/12(月) 17:44:58 ID:???
マルクス・レーニン主義はプロレタリア革命を標榜してるから、人民に対する態度は良くて当たり前だろう。
人道的とかそういう観念というよりも、やり方の問題だろう。
823名無し三等兵:2007/03/12(月) 19:21:19 ID:???
824名無し三等兵:2007/03/12(月) 19:59:31 ID:???
>>823
かっこいい
825名無し三等兵:2007/03/12(月) 21:22:36 ID:S57dRtBY
「満州は支那にあらず」「満州は中国の一部ではない」と言いながら
奉天や長春、ハルビンなどにあった日本の領事館の正式名称は
「大日本帝国在中華民国奉天総領事館」
「大日本帝国在中華民国長春総領事館」
「大日本帝国在中華民国ハルビン総領事館」
だったんだけどな。
826名無し三等兵:2007/03/12(月) 21:53:57 ID:???
それが責めるようなこと?
827元32(予備役少佐):2007/03/12(月) 23:00:50 ID:???
>>825
例の「満州は支那にあらず」という誤解は、
歩く電波発生器の孫文おじさんに責任があるように思います。

満州を何とか日本に押しつけようと、
長い間、不屈の努力を続けたわけですから。

犬養といい、松井石根といい、田中義一といい、
中山先生の電波にかき回された面もあるかもしれませんね。
828名無し三等兵:2007/03/12(月) 23:27:52 ID:???
世の中信義よりもフレキシビリティが大事。ダブスタ上等。
文句をつける方が間違い。
829イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/12(月) 23:58:05 ID:08qJUe1N
>>821 >>すごいなあw こんなこといってたらアカ扱いされて大変なことになりませんか。

まあ、最近話題になっている『小倉侍従日記』にもあった話……。戦況が悪化するなか、
次々と意見具申する弟宮たちに「皇族は責任なしに色々なことを言ふから困る」などと
昭和天皇が不満を述べられていましたが、そんなものでしょうw。

>>814 >>「日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還」
>>(川崎春彦著、光人社NF文庫)の話なんですか?

違うでしょう。関係ありませんけど、この本も大変面白い本です。終盤までは
ごく普通の戦記本なんですが、最後の最後で大ドンデン返しがあります。ちなみに
サブタイトルの「生存率1000分の3からの生還」とは、著者と同時期に第58
師団(熊本)に入隊した初年兵1000人は著者も含めて3人しか生きて帰れなかった
という意味です。はて? そんなインパールや東部ニューギニアみたいな戦場が支那戦線に
あったかしらん? 大げさじゃないかしらん? と思っていると最後に分かりますw。
830イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:08:33 ID:K04HP8cU
M・ナイト・シャマランの『シックスセンス』に匹敵すると言ったら、
間違いなく言い過ぎですw。

>>827 >>犬養といい、松井石根といい、田中義一といい、中山先生の電波に
>>かき回された面もあるかもしれませんね。

まあ、支那通軍人によく見られる「大アジア主義」(松井石根はその代表)の
「電波発生源」は孫文先生ですからね。松井は1933年から「大亜細亜協会」を
各地に設立することに情熱を注ぎ始めますが、これは孫文主義で、アジアから
欧米勢を排除していくのを理想の王道と称していました。

松井は1935年に大将で予備役になって以降は、ますます「大亜細亜協会」に
のめり込む事になります。そして運命の1937年に上海派遣軍司令官です。
831イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:20:51 ID:K04HP8cU
>>817 >>ところで書いたあと思ったが、南支に八路軍っていたのかな?
>>紅軍全体の俗称で「八路軍」って兵隊は言ってたのかな。

似たようなもので南支には「新四軍」がいました。第二次国共合作で工農紅軍が
再編成されたもので、正式名称は「国民革命軍・新編第四軍」、主力は共産党軍
です。終戦末期、「大陸打通作戦」を終えた日本陸軍の一部は広東方面を目指し
ますが、いまだ日本軍未踏の地であり、匪賊、新四軍、国民党軍が入り混じって
極端に治安の悪い地域でした。

とくに新四軍が多く、集落を襲撃しては掠奪、暴行を繰り返し、同じ支那民族で
ありながら同胞にも全く容赦がないという極悪ぶりを発揮していますw。

先ほどの『日中戦争 一兵士の証言――生存率1000分の3からの生還』がまさに
このルートをたどった部隊の話であり、新四軍の残虐行為について以下のような
回想があります。
832イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:28:29 ID:K04HP8cU
「この後まもなくのころ、ここに記述するに迷うような悲惨な事件が起こった。
 山の峠を下りて集落の入口に差しかかったところ、見通しのよいところにある
 大きな樹の幹に、二つの死体が括りつけてあった。わざと日本軍の目につく
 ように、死体は必ず通る道路わきにある。

 近づいてみると、軍服の日本兵である。斥候兵が捕虜にでもなったのか、
 一人は鼻を削がれ、一人は両眼をえぐりとられて、血だらけだった。まだ
 死後数時間かしかたっていない遺体で、何と残酷な殺し方かと憤怒の念に
 かられた。確証はないが相手は多分、新四軍だろう」

まあ、この後の「八路軍の宣伝戦」をやっていくと、実情以上に八路軍を
過大評価するような記述が続きそうなので、前もって「こういう事」も
指摘しておきますw。
833イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:37:56 ID:K04HP8cU
まあ、ここのところ日本軍の血生臭い話が続きましたので(主に柏崎中隊長w)
バランスを取るために、支那側の残虐行為も取り上げましょう。八路軍ではあり
ませんが、国民党軍の話で以下のようなものがあります。出典は、前にも取り上げ
ました『憲兵物語』(森本賢吉、三宅一志著)です。少し長くなりますが…。

●森本の聞いた限りでは、日中戦争が拡大していった状況は、こういうことだった。

「政府の不拡大方針をよそに、支那事変が拡大した発端は、北京〜天津間の軍用電話
 交換所・揚村の日本軍守備隊15人を、国民党中央軍が虐殺したことだったという
 のは、常識だよ。目はえぐれ、舌と鼻はそがれ、丸裸で睾丸も切られ、首にかけた
 認識票でしか身元を確認できない惨状だった。

 切り取ったものは、柱なんかに打ちつけておったんよ。だから、天津から駆けつけた
 一連隊の救援隊が怒って、あたりかまわず殴りこみを掛けて、砲弾を打ち込んだのよ」 
834イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:44:43 ID:K04HP8cU
「討伐日本軍の小・中隊を、梅干しで赤丸を描いた日の丸を振って集落代表が
 出迎え、最後の一兵が城郭に入ったところで門を閉めて、中国兵が斬殺する
 例もよくあったよ。

 救援隊は、『クソッたれが。今朝、同じ釜の飯を食ったのに。戦友の仇を
 とらんと、アレらが浮かばれん』と言わぁね。日本兵は、遺体にまで残虐
 行為はせんから、よけいに腹が立ち、指揮官がよほどしっかりしとらんと、
 住民を皆殺しにする。その繰り返しが、戦争よ」
835イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/13(火) 00:51:07 ID:???
また最近テンパリ気味でして、本編ではなく小ネタでした。上記の
『憲兵物語』は他の人に勧められて読んだ本ですが、やはり自分も
お勧めです。以上、乱筆御免w。

しかし、もうこのスレも「ご臨終」が間近くなってきました……。
836名無し三等兵:2007/03/13(火) 01:16:15 ID:???
>>819
この本の第九章「鈴木啓久師団長の供述と回想」です。

「この共産軍は正規の軍隊、つまり自他共に常時軍隊として現れてくるのではなくて、
或る時は『正規』の軍隊の姿で現れ、或る時は便衣に鉄砲という姿で現れ、或る時は
一般住民の姿として存在しているのであって、今日は部隊をなして現れているかと思
うとあるは全く姿を隠してしまい、昨日は程遠い処に居るとの情報を得たかと思うと、
今日は足下近くから飛び出てくるという始末であって、数時間も経たない前は全く安
全であった処が其数時間後には、雲でも湧き出たようにいつの間にか大軍となって目
の前に迫ってくる」(P-222〜223)

「こうした彼等との戦闘であって見れば仮令、所謂『大戦果』を挙げたとしてもそれは
徹底的では決してない。だから、いつどんな姿で『報復』としてハネ返って来るか判ら
ないと云う心配が脳裏から全く離れない、所謂『油断もスキもあったものではない』と
いう言葉の通りの在り方である」(P-223)

このような八路軍の縦横無尽な活躍は民衆との緊密な繋がりによって可能になったもの
でした。中国の民衆は一体となって八路軍に協力し、そして自ら侵略者に対峙していた
のです。
日本軍が制圧している「治安区」でも、日本軍に協力的な人物は“漢奸”として蔑まれ
居づらくなるだけでなく殺害されることすらありました(P-224)。
そして「未治安区」の村落では日本軍来襲の報が伝われば、敵に物資を与えてしまうこと
や「徴用」されることを防ぐために、すぐさま村民全員、家畜を含めた財産とともに避難
してしまう「空室清野」作戦を実施し、それが間に合わなければ村に残った老人子供だけ
でにわか作りの日の丸で「恭しく」迎えます(同)。
そして八路軍ゲリラが日本軍の虚を見て襲撃を行なったことでしょう。
837名無し三等兵:2007/03/13(火) 01:50:22 ID:dMoE7zYc
南京ではどれぐらいの人が殺されたのですか
838名無し三等兵:2007/03/13(火) 08:16:19 ID:???

支那軍敗残兵が5万位と住民5千人くらいです
839名無し三等兵:2007/03/13(火) 10:44:16 ID:???
>837
3500万人です。
840名無し三等兵:2007/03/13(火) 12:08:43 ID:???
>>830
シックスセンス?

・・・・・・アンブレイカブルと間違うとりゃせんかい。
841イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 22:32:21 ID:???
>>836 >>この本の第九章「鈴木啓久師団長の供述と回想」です。

それ、書名は何になりますでしょうか? アンカーだと『日中戦争 一兵支の証言』の
ように読めますが違いますよね。第6章までしかありませんし。

>>840 >>シックスセンス? ・・・・・・アンブレイカブルと間違うとりゃせんかい。

最後に「意外な結末を迎えるw」という意味なら何でも良いです。
842イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 22:54:43 ID:7Vp2OTCD
さて脱線が続きましたが、そろそろ『北支の治安戦』補論3「日本人捕虜と反戦同盟」に
戻りたいと思います。それは深夜、突然にやって来ました――。

時期は1943年末頃、山東省での「高度分散配置」にある分遣隊(堡塁)での話です。
太平洋戦線の戦局悪化に伴い、支那戦線からも兵力が抽出されて弱体化が進んできます。
この分遣隊でも兵数の削減とともに、2挺2筒あった軽機・擲弾筒も1つずつ減らされて
しまいました。

八路軍はこうした日本軍の兵力縮小に目ざとく、分遣隊(堡塁)に対する深夜の嫌がらせ
攻撃も以前より一層活発になってきました。とはいうものの、連日深夜、望楼めがけて
小銃弾を2〜3発撃ち込んでくるといった程度のものですが、この頃から『日本人工作員』
の訪問を受けるようになりました。『華北戦記』の著者・桑島は、初めてそれを目にした時の
衝撃は今でも忘れられないと云います。

「近くに敵…」という知らせに急いで望楼上に駆け上がると、西方から「ダーンッ!」
という花火のような銃声が1発、深夜に響き渡ります。それから1分ほど経って、
思いもかけない放送が始められました――。
843イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:11:19 ID:7Vp2OTCD
「オーイ、古城苗家分遣隊の歩哨さん。皆さん、今晩は。おつとめご苦労さんです。
 私はもと第18大隊にいた山下兵長です。今は八路軍の『日本人反戦同盟員』で。
 今夜は古城苗家分遣隊の皆さんに宣伝に参りました。よろしくお願いします」

真っ暗闇の深夜ですから当然、『元・山下兵長』の姿は見えません。100メートル
ほどの距離はあったようですが、メガホンを使っているので声ははっきり聞こえます。
叫び方も説得するような調子で、堂に入っていたと云います。

「歩哨さんは、そうして寒いなかを望楼に立って、一所懸命にお国のために
 尽くしていると思っているでしょうが、それは1つもお国のためになって
 いないのです。中国を侵略して手柄を立て、勲章を欲しがっている高級軍人
 や、富を増やそうと企んでいる財閥の手先になっているのです。皆さん、
 無益な戦争をやめて、八路軍に投降しませんか……」

降って湧いたような放送に、分遣隊長も望楼上に飛んできます。
844イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:28:06 ID:7Vp2OTCD
「2、3発撃て!」という分遣隊長の命令に、暗闇の中を『日本人工作員』の
声がする方めがけて小銃弾を撃ち込みます。すると、放送は一時中断されましたが
また直ぐに始まります。

分遣隊の日本軍は「夜は一歩も外に出ない」という事を八路軍は知っていたので
大胆に振舞います。小銃や機関銃、はたまた擲弾筒などを撃ち込まれても『闇夜に
鉄砲』ですから命中しないものと安心して、思う存分20分ほど放送していき
ました。そして最後に「また来ます」と結んでいきますw。

捕まえて『八つ裂き』にしてやりたいとは思うものの、下手に堡塁から飛び出して
いったらどうなるでしょうか? 当然、日本人工作員の『監視役』であろう八路軍も
行動を共にしているでしょうし、逆に1人でも『闇夜に松明』とばかりに逆襲されて
死傷者を出したら「アホらしい」のひと言です。結局、言われるがまま、宣伝放送を
聞かされるがまま、となりますw。
845イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/14(水) 23:46:11 ID:7Vp2OTCD
先に「八路軍が日本人捕虜を優遇した」と述べましたが、要するに『宣伝戦』に
利用する訳です。これでもし日本軍の中から投降する兵が現れれば、戦わずして
戦力を削ることができ、そうでなくても厭戦気分を徐々に蔓延させられます。

>>842 >>初めてそれを目にした時の衝撃は今でも忘れられないと云います。

「みなさーん、ラクス・クラインでーす♪ プラントのために戦ってくださって
 ありがとうございまーす!」

ミーア・キャンベル初登場時の『衝撃』に匹敵するでしょうw。
846イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 00:01:09 ID:7Vp2OTCD
その後ふたたび、八路軍所属の「反戦同盟・日本人工作員」の訪問を受けたのは
20日ほど過ぎた、やはり深夜でした。

「みなさんは、中国との戦いを聖戦であると思い込んでいるようですが、それは
 誤りです。中国との戦いは例えていえば、隣の家へ土足で上がりこんで、土地を
 寄こせと鉄砲や刀を振り回して、家人を撃ち殺したり切り殺したりするのと全く
 同じで、こういう戦争を侵略戦争というのです。皆さんは、軍閥や政府の戦争
 指導者に踊らされているのです……」

「古城苗家の皆さん、皆さんが八路軍に投降すれば、大いに優遇します。八路軍は
 日本の軍隊のように、上官が部下を殴るようなことは絶対にしません。食べ物や
 寝る場所は幹部も兵隊もみな同じで区別がなく、非常に民主的な軍隊です。皆さんの
 投降を心から歓迎します……」

「皆さんの故郷には、懐かしいお父さんやお母さん、奥さんや子供さんが一日も早く無事で
 帰還できるようにと、首を長くして待っていますよ。決して命を粗末にしないで下さい……」
847イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 00:06:54 ID:85+D92kZ
こういうのを、同じ「日本人の口」から言わせる訳ですw。まあ、支那人というのは
後の「第二次国共内戦」と見ても分かるとおり、事前に「寝返り工作」でオセロゲーム
みたいなことに励むのが大好きですからねw。それだけで決着がほぼ着いてしまうのが
恐ろしですが……(北伐や第一次国共内戦・参照)。
848イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 00:18:22 ID:???
まあ、あとは「本当に悪いのは政府や軍閥、財閥、高級将校などであって
日本兵の皆さんは『被害者』なのです。早くそれに気がついて下さい」と
いうのが特徴的というか、いつもの典型的というか……w。
849名無し三等兵:2007/03/15(木) 07:50:51 ID:???
>これでもし日本軍の中から投降する兵が現れれば、戦わずして
>戦力を削ることができ、そうでなくても厭戦気分を徐々に蔓延させられます。

何で日本はこの手を使わないんだろう?
東京ローズは思惑が外れて、かえって励みになったとか
850名無し三等兵:2007/03/15(木) 08:26:30 ID:???
>>849
日本軍の捕虜になって米軍の給与の良さを思い知った米兵が
そんな呼びかけをするはずがない。
兵に対する福祉の悪すぎる日本だから通用した戦法。
851元32(予備役少佐):2007/03/15(木) 15:09:05 ID:???
>>850
スレ違いなので手短に。

太平洋戦争では、
放送専門家である連合国将校の捕虜などを起用した、
対連合軍謀略放送などは、当然行われていますよ。

日本の情報謀略は、むしろ効率的に展開されています。
その成果の一つが、インド国民軍ですね。
852イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:07:57 ID:1B9CkkeG
>>848 の続き。反戦同盟の『日本人工作員』が2度目に来訪した際には、もはや
分遣隊では非常呼集も威嚇射撃もしませんでしたので、悠々と放送していきます。

>>849 >>何で日本はこの手を使わないんだろう? 東京ローズは思惑が外れて、
>>かえって励みになったとか

別の角度から考えてみるとヒントになるでしょう。上記の舞台となった分遣隊は
古城苗家という場所でしたが、中隊本部の塞里からも隔絶した場所にありました。

この2ヵ所をつなぐ道路は幅2メートルほどの細い道で、山あり谷あり稜線あり
という地形も加わって当然、トラックは通れません。中隊本部からの連絡には、
十数頭のロバを連ねて2個小隊の警護兵力をもってせねばならず、月に1回あるか
なしかという状態でした。

もちろんラジオも無ければ新聞もありません。情報からは完全に隔絶された世界で、
太平洋戦争の戦局や世界情勢の推移はもちろん、支那戦線すら分かりませんw。

   ッ-ヘ。__。ヘ    ./ー- 、
   レ, '´゚   `,〉   /==ヽ 
   i ハ)))ハ))ノ)  ム,   |/  
    イオi ゚ ヮ゚ノヘ   /      499KB。そろそろ逝っとく?w
    ,ぐ`i盃、ツつr'ソ   
   ,メ∪イ-i、ゝ      
    ゙'ーi_'ォ_ァ"       
854イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/03/15(木) 23:22:33 ID:1B9CkkeG
>>849 >>何で日本はこの手を使わないんだろう? 東京ローズは思惑が外れて、
>>かえって励みになったとか

>>852 で北支の治安戦における高度分散配置(分遣隊)は、『情報から完全に
隔絶された世界』と述べましたが、代わりに反戦同盟の「日本人工作員」が深夜
投降の呼びかけに来るたびに情報を伝えてくれるのです(核藁)。

このような日本人工作員の『勧誘』が有効だったかどうかは後で述べますが、謀略
放送においては、相手側が「つんぼ桟敷」に置かれていると反証ができませんから
余計に有効なのは言うまでもありません。
855氷の小さな妖精 チルノ ◆FU/OcfTlfM

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