>>144 >>145 だから、民衆まで大規模に動員されるのは、蒙古襲来からだろう。
それ以前は民衆まで動員されるような大規模な戦役は限られていた。
だからクロスボウのような、弓に比べて訓練が少なくて済むが連射性が乏しい
そのような装備は敬遠されたのではないかと述べている。
一度、そのような方向性に走れば、日本の場合は島国だから他国の影響を受けることはなく
消え去った武器が外国人が用いていて有効だったから、見直されるような作業が行なわれる機会がなかったのではないかと言いたいわけです
>>142 そこまでは必要ないだろう。
クロスボウは250ポンドから300ポンドくらいが最大だ。
300ポンドと見ても、1ポンド0.45キロで計算すれば135キロに過ぎない
もちろん弓では到底、引ける強さではないがな
さらに一般によく売り出されているのは、150ポンドから200ポンドくらいだから、90キロ程度だ。
やはり強いものは必要だが、自動車用ほどは必要ではないでしょう
>>165 弩は昔から知られていた
飛鳥時代の推古26(618)年に、高句麗から弩が献上されたとする文献上の初見があり
大同5(810)年に陸奥国の弩師の任期変更に関する規定や元慶5(881)年の秋田城における蝦夷の反乱の際、
敗退した政府軍が失った兵器のなかに大量の弩が含まれていたとする記録などがあげられ、対蝦夷政策に急を要していた律令政府側の兵器としての使用が読みとれる。
ttp://www.pref.miyagi.jp/bunkazai/do/do-hakken.html 弩が廃れたのは、律令国家の軍事力である軍団の衰微や、辺境防衛の必要性が薄れ
前九年・後三年の役などでは、安部・清原氏なども歌を詠むなどしていて、すでに大和民族化しており
大規模な常備軍を置く必要が薄れたことにより、技術の継承が必要な弩を作ることが難しくなっていたから出はないかと思われる。
中国において弩は、政府管理の武器として厳格に管理されており
許可無き保有は当然罰せられた。
その製造・整備は政府直轄の工房で行われており、その製造には高度な技術が必要だったと思われる。
つまり、弩とは中央政府の強固な意志によって作られ、維持される高度な技術製品なのである。
日本では、律令国家がその軍事力を無くしていき、地方は武装農民などが強大化していく
そのような状況では弩の出る機会は無く、製造の簡単な弓が主流となっていく
弓は訓練が必要な武器であるが、弓馬専門の芸能人である武士にとっては差別化が図れるので都合が良い。
>それ以前は民衆まで動員されるような大規模な戦役は限られていた。
鎌倉以降、戦国までの戦いは大規模な戦いです。
中世の日本の動員兵力は最大で20〜30万程度、
これは地中海世界、アラブ地域ではオスマントルコなど大帝国並みの戦力。
守護大名同士、戦国大名同士の合戦なども動員兵力の点で
ヨーロッパにおいては一大国家規模に匹敵する。
なぜなら大軍団同士での戦いは行われた。
そして民衆が戦争に動員され
飛び道具による大規模な戦いも行われたのだよ。
170 :
訂正:2006/12/30(土) 17:36:43 ID:???
なぜなら大軍団同士での戦いは行われた。
↓
このように大軍団同士での戦いは行われた。
>>165 お前は知識なさすぎ。
ゲームの設定資料集などの偏った知識でなく、
きっちり日本の歴史を勉強して来い。
織豊政権以前には兵農分離はされてない。
常備軍が存在しなければ非熟練兵とよばれる一般民衆が
がり出されない戦は無い。
172 :
名無し三等兵:2006/12/30(土) 17:57:01 ID:Og/2p6IC
秀吉そのものが半農だったのを知らないとか?