>>535 よくわからない。
無駄に兵を殺した、というのは、具体的にどういうこと?
>無駄に兵を殺した
煽りでなければ軍板では恥ずかし過ぎる認識だろう
自決推奨はまづいだろ
捕虜になればいいとこまでレッツ自決は無駄
東條がいてもいなくても、日本軍は自決推奨だよ。
あんまり東條も戦陣訓も関係ない(例・ノモンハン)。
日本陸軍では降伏すると処刑される場合があります。司令官限定ですが。
陸軍刑法
第四十条 司令官其ノ尽スヘキ所ヲ尽サスシテ敵ニ降リ又ハ要塞ヲ敵ニ委シタルトキハ死刑ニ処ス
さらなる圧力に働いたのは事実でしょ
それに関しては東条、今村、畑、山田、島崎、藤村などの、
戦陣訓製作に関わった全員に責任があるね。
544 :
名無し三等兵:2007/04/22(日) 22:56:35 ID:xkc+P68X
きみを心配している
最高責任者に責任があるだろ
責任があると言う事にして、各方面に支障がない場合は責任がある。
支障が大きい場合は、最高責任者であったとしても責任は無い。
>>345 陸軍大臣は教育総監より偉いわけではないので。
戦陣訓作成の責任は教育総監(山田乙三)が負い、
示達の責任は陸軍大臣(東條)が負う。
ただ、次官級の教育総監部本部長、陸軍次官も責任を負うのは当然。
ついでにいうと、史実が示すように、
戦陣訓は良識派軍人による軍紀粛正運動のひとつでもあるので、
東條がいなければ軍紀悪化→事件続発の可能性があった、
というのも議論した方がいい。
しかし、日本軍は戦陣訓のせいで連合国の捕虜を蔑視し、
多数の虐待事件を起こしたそうじゃないか。
それに応じて連合国も日本軍捕虜の扱いを過酷にしたと聞くぞ。
綱紀粛正は大事だが、まず捕虜の何たるかについて教えろよ。
捕虜虐待の例あげれ
バターン米軍部隊移送の件かね
>>548 その説は根拠がないと思うよ。
たしかに捕虜虐待のない軍隊はないけれどね。
ちなみに、日本の捕虜になった米英人の死亡率は極めて高いけど、
日本本土に移送する船舶が撃沈される率が極めて高いから、
そのあたりをきちんと配慮して計算する必要があると思うよ。
日本を無理に美化するつもりはないけど、念のために。
>>548 追加。
戦陣訓には捕虜虐待を戒めた有名な一節もあるので念のため。
一応、全部読んでみた方がいいよ。
>>551 これのこと?
常に大国民たるの襟度を持し、正を践み義を貫きて皇国の威風を世界に宣揚すべし。
国際の儀礼亦軽んずべからず。
>>549 そう、バターン死の行進。
軍事板の名コテである眠い人も、日本軍には捕虜に関する蔑視概念の存在したと言ってる。
戦陣訓があまねく浸透している日本兵が、
恥じる様子もなく捕虜になった米比軍将兵に対し侮蔑の感情を持ち、
殴打などの暴行や残虐行為を行なったと。
戦陣訓があるから捕虜に関する国際法の教育ができなかった、って話を聞いたことがある。
>555
日露戦のときは教育してたでそ。
日露戦争時にはまだハーグ陸戦条規は制定されてないんじゃなかった?
一体何を教えてたの?
国際法ってハーグ陸戦規定だけなの?
捕虜の待遇に関しての話をしてるんだけど。
捕虜の扱いについて規定してあるのはハーグ陸戦条約でしょ。
【質問】
東条英機の拳銃自殺未遂は有名ですが,死刑執行前夜にも首つり自殺未遂をした,というのを何かで読みました.
そういう事実があったのかどうかを教えて下さい.
【回答】
あった.トイレット・ペーパーで首吊りしようとした.
別冊歴史読本「A級戦犯」43〜44ページ(A級戦犯二十八被告の素顔 東条英機)より引用.
■処刑直前に自殺未遂
東条は戦争犯罪人として米軍のMPに連行される寸前に拳銃による自殺を試み,失敗したことはよく知られている.
しかし,絞首刑と判決が下り,明日処刑という当日,トイレットペーパーをコヨリにしたヒモで首をつって自殺しようとしたところを発見された.
そのとき東条はこのまま死なせてくれと男泣きした.
巣鴨プリズン所長のアーサー・ベル大佐が妻のフロレンスに語ったこととして朝日新聞が伝えた話だ(昭和五十八年七月十三日).
それにしても,小口径の拳銃とか,トイレット・ペーパーとか,なんで2度もおよそ最初から成功率の低い自殺方法を選ぶんだろうね.
狂言だからじゃね?
それにしてもなあ。仮にも一国の宰相がお恥ずかしいこって…
アーサー・ベル→フロレンス→朝日新聞→別冊歴史読本の作者→軍事板FAQ
…こういうのを孫引きの孫引きというんですかね。
事実としてあったと主張するなら、
せめて他の人間の証言か状況証拠がほしいところ。
つか、裏取れてないのに「事実」なんていっちゃまずいんでないの?
>>557 制定されている。
ハーグ陸戦条規は何度か改定されているので、
その点を注意。
>>561 ゲーリングの自殺のおかげで、
巣鴨では監視が厳しくて自殺は大変なんだ。
>>564 日本が加盟したのは日露戦争後の1910年のようだけど?
>>553 現地軍(比軍)捕虜は現地解散、釈放した
とりあえずこれだけ言っておく
>>566 比兵捕虜も米兵と一緒に死の行進に参加したんじゃないの?
捕虜になった後の教育もされてないから
日本兵は米兵がびっくりするほどなんでもペラペラ
自分から喋ったとか。
生きて虜囚の辱めを受けずという教育から自分の名前が表に出る
事を避けて佐々木小次郎とか宮本武蔵とか偽名が多かったけどな
ちょっとスレとはアレだが
英国人捕虜はドイツ兵にその紳士的な振る舞いから敵ながら尊敬されて
米国兵捕虜はその粗野な在り様からいいだけ軽蔑されてたそうな。
まぁ、捕虜になった時期も関係してるんだろうけど。
>569
言っていいことは言わないで
言っちゃ駄目なことは言いまくる
ホントアホだな……
「言っていいこと」ってなに?
どうでもいいが、東条は戦陣訓そのものを作ったわけじゃないんでしょ?
他人が作ったのに判を押しただけで。
>572
名前と階級と所属と軍籍番号だったっけ?
>>575 そうすると、死の行進に参加したのは1万から2万ぐらい?
バターンでは捕虜連れてったせいで日本兵も一緒になってばたばた倒れてたのは無視かい。捕虜なんざどうでもいいんなら辻の言うとおり皆殺しにしとると思うがな
>>570 紳士的…? 戦車にくくりつけて突撃とかしたし、ドイツ降伏後にも極寒の中放り出して死なせまくったんだがな
比島戦史によれば、日本軍は米比軍の数をそれなりに見積もっているぞ。
給養設備が足りないのはともかく、予想外の捕虜を得た、
というのは当てはまらないのではないか?
>>577 ソースはカート・ヴォネガット・ジュニアの『スローターハウス5』
ヴォネガット自身も米国兵でバルジの戦いにおいてドイツ軍の捕虜となった。
1例をもって
「英国人捕虜はドイツ兵にその紳士的な振る舞いから敵ながら尊敬され」
とか
「米国兵捕虜はその粗野な在り様からいいだけ軽蔑されてたそうな」
とか印象操作するのはどうなのか。
つか、
>>579が挙げたソースは「戦車にくくりつけて突撃」とかへの反論になってないのでは。
>>576 米2万比5万と記憶している
激戦で日本軍も相当消耗していた
バターン半島総攻撃時の小説家の従軍記として
火野葦平「兵隊の地図」
上田広「地熱」
柴田賢次郎「樹海」
三つの報道部隊により、三作品ができた。
火野葦平氏は戦後「バターン死の行軍」を著している。
これを小説ととるか、第一次資料に近いものととるかは自由。
すくなくとも大戦中の米での対日謀略宣伝「バターン死の行進」発表ほどの
フィクションは無いと思えるのだが。
L6、○「バターン死の行進」ね