1 :
名無し三等兵:
ただのハッタリじゃないの?>騎兵軍団
正面からぶつかったら歩兵が勝つような気が
2 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:24:56 ID:???
ない
3 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:27:18 ID:???
4 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:32:50 ID:lfS43cxE
騎兵のスレがないんで立てたんだが何か問題でも?
5 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:33:10 ID:???
r ィヽ
| ヽ. / / |
_ j vl!,⌒ `'ノ、ノ
ィ!::::|ゝ' \ゞ\\
' /| :::|ノ iゞ、.ヾ! ヽ
,/ / |!__| ゞ,..ノ`ヽ,リ
,. ' ' |! ! イ!rz ノ'
イ ノ' ″ || ゝ , !
/ レ'/ |r=ォ i _j._ l!
/ /! l!レ''"/ ハメ\ /,. --ヽ
____ ,./ イ /ノ!L,ノ / ∧| \:::\r/:::/ヽ. !′
, "´ 7/ノ/ / / ゞ.._ \::rt::/ ヽ ゙ 、
/ / ' ' `rーゞラ rャ i
/ ,/ ' / / / ヽ..:.:ゞ!、,.._ ,.:j
./ レ ' , / ゝ':.´: : : ./
' ' i ヽ / ` ニニフ
' ∧
l :::l イ l
l :::| ,, / |
l :::| / ヽ ' |
l! ::| ヽ / ,.′
6 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:33:45 ID:RgxGIlzG
∧ヽo)ヘ ∧(oノヘ
/(R゚一゚)ヽ < 右の武田久! 左の武田勝! > /(゚一゚L)\
┌──────
│ ふたりは!
└y────y─
∧ヽo)ヘ ∧(oノヘ
/(R゚一゚)ヽ人/(゚一゚L)\
.__
|武| ┌──────────
|運|.. │ 武田騎馬軍団!!
|長| └─y────y────
(゚久゚)
巛∧ ∧(oノヘ| _∧∧(oノヘ
./ ・ ヾ.(゚一゚ R\ (_・ |(゚一゚L\
(_/\ ⊂ ヽ三|| |\Ю ⊂)_|√ヽ
冫´ | / ⌒ Y (  ̄ ~∪ )^)ノ
,/ | ,.し_ 丿 ||` || ( | ( |
\(/ /´ // / ``) ::`) '~ ~ '~ '~
/ / //_/ ; ;; ;;; `)⌒`)
7 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:35:38 ID:???
10億頭の騎兵集団なら1個小隊程度の歩兵は蹴散らせるだろう。
つまりは集団で使えば本当に効果絶大なんだよ。
8 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:37:01 ID:???
9 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:40:26 ID:???
{ヽ ,,,,,, __,ノ} ∧ /i, /|
ヽ. Vノ巛( ,ノ . ヽ Y ∧ ,. | ,'//
レ彡ノ川 | ヽミミ 、 'i | i ! / | i ' /
/ く 〉リリ | 川ヾヽ i i ∧/ / / i / /
. {=、 `' ィ=、|リリ川ヾヽ. . 'i ',ヽ ' / 〈 i / /
ゝ' `ィ 川川川リヾー- | ' j | ヽ. V /
| } 川川川リヾヾ. ヽ、 i ! 〉 ./
| } : ノ| 川川リリリヾ ヽ,,; | //
‖ | / // リリリリリリリ. i:〉 ´''''''''゙'r ´`>
|l. ; : ,'.,' . i´ : :,.,.,. :. ヘ/
|ゝ-ー-、ノノ !: : :,'r‐ァ : : ヽ
@1⌒ヽ.ゝ . /: : ,',. `´: : : : : ゝ、
`ト、 :;;;イ}t'| ;;;;;;; : : : : : ,.;;; : : : : `‐ .,
ヽ.}::_ソ | .. ヽ,_ : :_, 1:;:;'' : : : : : : : :ヽ.、
| i': : : : : : : : : : : : : ;`‐- .,
10 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:42:09 ID:lfS43cxE
>>8 いいねーいきなり人をクズよばわり
2ちゃんねるに来てるって実感するわーw
11 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:44:13 ID:qnJBhgw9
12 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:52:14 ID:???
映画「ワーテルロー」で騎兵突撃を受けた方陣が本当に壊走したとか
13 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:06:46 ID:???
>>10 いいからとっとと移動しろよカス。
以下鍋の話題で。
14 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:09:39 ID:???
アッララララーイ アッララララーイ
/ ///////////////
/ ///////////////
/ ///////////////
/ ///////////////
( ・∀( ・∀( ・∀( ・∀( ・∀・)・∀・)・∀・)・∀・)
| ̄ || | ̄ || | ̄ || | ̄ || | ̄ || ⊃─────── ─ ─ ─ ─ ─
\/ \/ \/ \/ \/-J -J -J -J
15 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:12:39 ID:???
16 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:13:56 ID:lfS43cxE
>>12 それはエキストラがビビリだったからだと思われる
何も知らない素人なら馬が突進してくるだけで逃げてくれるという例
一番原始的な騎兵の使い方だな
しかしそれが古参兵にも通用するか
17 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:19:58 ID:???
すき焼きは鍋料理に入るの?
18 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:24:05 ID:qnJBhgw9
肉料理
19 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:33:44 ID:???
みんなすき焼きは関東風?関西風?
20 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 01:47:31 ID:???
馬と鎧と騎士で体重500キロの物体が
時速40キロくらいで突っ込んでくるんだぜ。
轢かれて死ぬだろ。槍衾みたいのがあれば馬が串刺しだけど。
21 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 02:03:12 ID:???
22 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:30:44 ID:???
>>16 当時の歩兵は、足軽みたいなもんだから、逃げるでしょ
23 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:38:07 ID:???
槍や火縄銃では騎兵の突撃を止められない
信長が勝ったのは馬に銃撃するヨーロッパじゃ考えられない
卑怯な手を使ったから
24 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:38:33 ID:???
徴集兵だと逃げ惑い、傭兵だと踏ん張れるというのが歴史上の経緯なような。
そういや、逃げ場がない場所での徴集兵が勝った事もあったな。
25 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:43:07 ID:qnJBhgw9
26 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:46:49 ID:???
手段は違っても、歩兵が騎兵の馬の首とか狙うのは普通だよな。
27 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 03:51:01 ID:???
っつーか、1で言えば、移動だけでも騎兵が有利だと思うが。
平地なら回り込んで側面とか突けるし。
28 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 04:03:42 ID:???
>>25 欧州でのスポーツ化したルールを破った事じゃない?
29 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 04:24:58 ID:???
>>25 アパッチだって騎兵隊の馬に毒矢は使わなかったのに卑怯だ
30 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 04:34:53 ID:???
>>29 外国の、別の時代の価値観や規範が、何か信長に関係あるのか?
31 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 04:48:45 ID:???
ヨーロッパでは騎兵が主力だったが日本は歩兵が多かった
馬に攻撃かけるかどうかの違いからだろうか
それとも馬が高くて変えなかった?
32 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 04:54:46 ID:qnJBhgw9
ヒント:山
33 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:00:12 ID:???
戦車なんてハッタリ。正面からぶつかったら騎兵の方が強い。
34 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:00:49 ID:???
>>32 山の多い日本では戦車は不要って言ってるのと同じじゃないか?
35 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:17:55 ID:qnJBhgw9
日本にチャリオットなんてあったか?
36 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:21:01 ID:???
日本にいた馬は小さかったし、装甲に関する事情も違うし。
それを言えば、ヨーロッパ人種とは人間の背丈も筋力も違うしなあ。
37 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:30:33 ID:???
騎兵のwiki読むと結構おもしれー
38 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 05:37:35 ID:???
39 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 08:38:23 ID:???
40 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 10:28:24 ID:ijD11Bzu
>>1 騎兵本来の戦い方なら正面からはぶつからん。機動力を生かして側面からだ。
騎兵の本質はとの質問に、窓ガラスを素手で割った話知ってる?
敵の弱点を一気につく、しかし自らも傷付く。
41 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 11:55:22 ID:???
プジョンヌイの第一騎兵軍は一万騎以上の騎兵を集団運用してた。
42 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 12:05:46 ID:???
昔立ってた騎兵スレ落ちてたのか。
43 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 12:19:37 ID:???
機関銃という兵器が騎兵(乗馬戦闘)を駆逐した。
44 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 12:39:17 ID:???
45 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 12:39:19 ID:???
先込め式の銃の時代なら(状況にもよるが)有効
機関銃なんかが登場すると完全に時代遅れ
でFAでしょうよ
46 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 12:59:13 ID:???
騎兵率いてブイブイ言わせてたけど鉄条網にやられた人いたよな?
どこの国のなんて軍人さんだっけか。
47 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 13:04:04 ID:???
>20
騎兵に使う馬は重馬みたいな1トンクラスじゃないの?
48 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 13:06:58 ID:???
アラブ種で500kgくらいだから、そんなもんじゃね?
49 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 13:10:32 ID:???
1トンとか重すぎ黒王号ワロタ
50 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 13:26:22 ID:???
野戦築城と長弓を始めとする防御火力(火力?)の発達が
段々と騎兵の使い道を限定したとも言えるな。
51 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 13:52:02 ID:???
つーか騎兵の使い道なんて最初から限定されとりますが。
高価な決戦兵力だから、普通は敵側面を突くか、歩兵で崩した後の追撃が仕事。
がちがちに方陣組んだ歩兵以外なら、まあ正面から突けないことはないが、
損害が出ると財布が非常に痛いので、なるべくなら避けたい。
とはいえ、騎兵がいないと敵の騎兵がやりたい放題なので、やはり戦場には要る
機関銃が出てきたらどうせ歩兵も密集隊形では突撃できない
火力が騎兵を絶滅に、というのは何か違うような…
52 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 14:39:24 ID:???
騎兵は今も健在。アフガンとかで大活躍。
53 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 14:54:20 ID:???
スーダンではラクダに乗ってAK乱射する集団が大暴れだしな。
54 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 15:10:12 ID:???
>>23 信長は宣教師から欧州の戦術などを学んでいたようだ。
そして軽歩兵が中心の日本と違い、騎兵が主力の欧州には、当然のように騎兵に対応した戦術が存在した
武田の騎馬隊を破った戦術も、鉄砲よりもむしろ、そうした欧州の対騎兵戦術を活用した結果ではないかと最近では言われている
55 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 15:13:49 ID:???
>>31 一番の問題は騎兵を活用するのに適した平原が日本には少なかったことが大きいだろう
騎兵の持ち味は、その迅速な速力を生かした突撃力であり。
沼沢地とか森林などの迅速な騎馬の運用が難しい場所ではあまり強みはない
56 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 15:15:59 ID:???
アラビアのロレンスは、ライフル片手に駱駝に乗って活躍したな。
その姿には映画で見て惚れ惚れしたものだが。。
57 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 15:19:48 ID:???
世界史的に見れば、騎兵が役立たずに貶められたのは、アメリカの南北戦争からだった。
南北戦争初期には騎兵の突撃があったものの、後期になれば塹壕や蛸壺などの、言ってみれば現在の歩兵戦術が主流となっていた。
それはもちろん重火器の登場により、騎兵の突撃力が封じられたからだ。
さらにその流れを決定付けたのが日露戦争であった。
最新の装備の機関銃の登場で、歩兵による銃剣を用いた突撃が難しくなったからな。
それを突破したのが、第一次大戦に登場した戦車だが、これは戦闘教義で言えば、騎兵と同じ突撃力を求めたものであり
戦術的な運用から言って、現在の騎兵と言って過言ではない
58 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 16:06:20 ID:???
日本で騎兵突撃が生まれなかったのは兵科分離の前に鉄砲がきて天下統一したからじゃないの?
59 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 16:12:09 ID:???
>>57 重火器のせいではないんじゃないか?
テルシオだって騎兵の衝力をかなりよく防御する。
むしろ槍兵と銃兵の理想比とは?という問題が銃剣と銃の発射速度の改良で
解決(昇華?)されたことの方が大きい気がする。
もちろん機関銃の存在も大きいけど。側面でもなんでも機関銃が一丁あるだけで
防御火力がアホみたいに向上するわけで。
60 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 16:16:02 ID:???
>>54 野戦築城の話、チェリニョーラの戦訓が伝わって…とか言うけど、ホントか?
あれ、重騎兵対策だから、そもそも騎兵の衝撃戦術やらない日本で必要ないでしょ
「ゴンサロ公はかかる策にてフランス騎兵を〜」とか言われて、戦国武将に判るのか?
長篠以前に馬防柵や空堀がなかったわけでも無いだろうし…
61 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 16:30:34 ID:???
>>59 スイス槍兵やテルシオでいっぺん騎兵が不利になって、
銃剣で槍兵が不要になって、横隊戦術になって、騎兵の衝撃戦術がまた有効になって(ホントかよ)
20世紀に機関銃で突撃がまた不利になった、という動き?
南北戦争は全般に騎兵が活発に動いた印象があるけどなあ
62 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 17:02:07 ID:???
ちゅーか、いつも思うんだが
方陣組んだときに、槍兵も長弓持たせて(当然槍は、足元に放置)
接近するまで弾幕を張り→騎兵の突撃があったら槍衾を形成とかの戦法って
有効だよね。
火器が無い時代なら、馬止めの柵+足止め用の穴と組み合わせれば無敵のような気がするんだが?
俺が知らないだけかも知れないが
史実では、このような戦法を取った軍隊は無かったのかな?
63 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 17:14:45 ID:???
>62
まず長弓兵も方陣組める槍兵も特殊技能。兼ねるのは無理だろう。
弓兵と槍兵で組めばいいわけで、これは基本。
馬防柵は基本戦術なので、古代から普通にやる。
但し、迂回されたら終わりなので、他の障害地形や部隊と組み合わせて使う。これも基本。
だいたい、騎兵は正面から突っ込まない
側面を突くか、砲なり歩兵なりで敵の隊列崩してから突っ込む。
つまり、正面の柵とか壕だけでは騎兵は防げない(当たり前か)
64 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 17:30:47 ID:???
歩兵同士が乱戦してるところに突っ込ませるとすごいよ。
65 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 18:42:15 ID:???
>>59 指摘の通り、南北戦争の時の変革は、大砲と銃の改良が大きいですよ
この時代には銃の命中精度が飛躍的に高まり
その結果、騎兵による突撃が難しくなりました
66 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 18:47:56 ID:???
>>60 例外的に多数の騎兵の運用に成功していたのが、武田の騎馬隊だったわけですが。
もともと昔、言われていた、鉄砲隊が三段構えで連射を可能としたとの説は、歴史学者が卓上で考えたものであり
実際に当時の火縄銃を使って調べてみたら、思ったような連射が出来なかった。
そもそも、三段構えとの発想は戦史に三段構えの云々と書かれているとこから想定されたものだ
そうなると武田の騎馬隊を破った戦法は、草原に堀や壁を巡らせた欧州型の野戦築城があったのではないかと推測されるようになった。
それを三段構えと書いたのではないかと考えられています
もちろんこれも当時の戦史の記録が余りにも簡略的であったので、推測されるだけで定説というわけではいようですが
67 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 18:51:43 ID:???
>>63 騎兵と言っても、時代によって運用方法が異なるが、基本的には密集による敵への突撃が役割です。
特に戦場を迅速に動いたのは、防御が軽量な軽騎兵であり、彼らは防御が弱い代わりに槍として動いたわけです
68 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 19:01:42 ID:???
>>66 三段撃ちは宣教師の記録に残ってた訳だが…
歴史学者が勝手に妄想した訳じゃない
強いて言えば宣教師が妄想した
69 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 19:18:30 ID:???
>>68 だから、記述から推測されたわけであり
明確に三段撃ちの方法までかかれていたわけではない
70 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 19:31:06 ID:qnJBhgw9
>例外的に多数の騎兵の運用に成功していたのが、武田の騎馬隊だったわけですが。
ソース何??まさか甲陽軍鑑?
71 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 19:50:22 ID:???
マジレス、日本史レベルなら騎乗兵100人は十分多数だ
72 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 19:57:11 ID:???
正面からぶつからないのが騎兵の仕事なんだが・・・
「坂の上の雲」でも読め
73 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 20:00:29 ID:???
秋山好古「騎兵とはこれじゃっつつ!」
74 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 20:05:16 ID:qnJBhgw9
武田だけが例外らしいから
武田しか騎乗兵100人を揃えられなかったってことか
75 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 20:17:11 ID:???
日本じゃせいぜい十騎くらいで突撃くらいのもんだったろうから
百騎集中運用したらたいした物ですよ。
76 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 20:47:52 ID:???
77 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 21:56:53 ID:???
そもそも、騎兵なら騎兵だけ、歩兵なら歩兵だけで編成していたわけではないし
78 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 21:59:10 ID:???
別に集団だから強くなるわけじゃないかな<騎兵
射撃系なら集団性は出るかもしれないけど騎兵が多いからと
強くなるとは限らんかも。
突破力はあるのかもしれないけど
リスクもかなり高いから歩兵に有利としても別に集団だと
さらに歩兵に有利とは言えないかもな。
とりあえず轢くより突く方が早いし確実だし被害も低いし
馬の足でも折れたら落ちて骨折か死亡するんじゃないかな。
あと戦車は重装歩兵で
騎兵は戦闘機ってイメージじゃね?
まあ騎兵部隊は個々の強さがたぶん出る感じだろうから
歩兵のがたぶん部隊攻撃力みたいな集団の力は効果があると思う。
79 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:11:50 ID:???
牛に轢かれると人は死にますから、
馬でも似たようなもんかと。
80 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:19:53 ID:???
馬の足を斬ることを目的とした刃物があったらしいな
確か長巻だったかな?
81 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:22:46 ID:???
アカデミー賞映画「ガンジー」で、インド独立運動のデモ隊の列に、騎馬警官の群れが突っ込み、皆で体を丸めて地面に伏せてやり過ごす…という場面があったのだが、
原版では殆ど無言だったこのシーンが、TV放送吹き替え版では、
「みんな伏せろ!馬は人を踏まない!伏せるんだ!」
…というセリフが挿入されていた。
確かに、普通の乗用馬なら、人を踏まない調教を施しているのかもしれないが、この場合は、さて…?
82 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:36:12 ID:???
>>81 馬が人踏んだらバランス崩して足の骨痛めちゃわないか?
83 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:37:29 ID:???
五輪クラスの重量挙げ選手で瞬間0.8馬力だそうな
馬は1馬力(w)だから、蹴られたら、そら重傷以上だわな
84 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:38:29 ID:???
まぁ踏まれた方も市ぬから
85 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:47:15 ID:???
いやだから「衝撃」だから
密集して疾走してくる馬群の前に立つこと考えたら、
怪我とかの前に、まず士気が持たないわけで
びびらせて敵歩兵の隊列崩したら、その時点で会戦は勝ちですよ
86 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 22:49:34 ID:???
武田騎馬軍団とか架空の存在で議論しても仕方ない気がする。
87 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 23:21:21 ID:???
騎兵といえばザマの会戦。活躍してんじゃん。
しかし、ファルサルスの戦いでは槍兵に抑えられてるな。
馬鹿と鋏では?
88 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 00:12:14 ID:???
89 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 00:24:49 ID:???
>>88 ローマ軍の優勢な騎兵戦力を無効化しただろ、カルタゴ騎兵。
90 :
89:2006/12/01(金) 00:25:38 ID:???
一時的にだけど
91 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 00:50:18 ID:???
勇者が百人、かって気ままに戦うよりも、凡人が百人、息の合った戦いをする方が強いのは道理。
騎兵も単体では、敵にすぐ潰されるだけだ。
92 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 00:56:01 ID:???
>>66 仮に武田軍に例外的に騎馬武者が多いとして、それを戦術単位にして突撃したことを示す記述があるの?
結局、全て宣教師の伝聞からの2段3段の推理でしょ。
宣教師が実際に戦場を観戦したわけじゃないし。
戦があって、織田方は鉄砲が多いらしい、武田方は馬が多いらしい、織田が勝った
そんな情報から宣教師が西洋の軍事モデルを当てはめて、勝手に火力と陣地の勝利と推定したのかも。
そこから我々は、三段撃ちだ、野戦築城とか、西洋モデルを引っ張り出そうとしてるのでは?
長篠は、実は歩兵同士がもみ合った当時のオーソドックスな戦闘だったかも知れないわけで。
93 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 01:07:23 ID:???
>>67 だから突撃しない、とは言ってないでしょ。
正面からの突撃はなるべく避けていた、と言ってるわけで
クレシーでもいいから、騎兵が正面から突っ込んだ戦闘の地図見てくださいよ
防御側はちゃんと部隊の両側を騎兵が侵入できない障害地形に置いてるでしょ
だから、敵騎兵はやむなく正面から突っ込むしかなかったわけで
それは、フィリップ王も判ってたとおり、非常にハイリスクな行為なんですよ
94 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 01:14:51 ID:???
ローマ時代って蹄鉄が無かったらしいが、するってぇと馬は裸の蹄で走り回ってたのかしら
藁のサンダル履かせてたという説もあるがそんなんで大丈夫だったんかな?
95 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 03:59:41 ID:???
おかんが少女時代、転んですべって、馬橇の下敷きになりそうになった。
御者はおかんに気が付かなかったが、
馬は人を踏むのが嫌で勝手に止まったので助かった、という話があってなあ。
普通の状態の馬は、人を踏みたくないだろうが、
そういう訓練とかすれば踏むのか?
でも、頭蓋骨とか踏んだら、角度によっては馬が危険な気がする。
96 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 05:42:40 ID:Ji/AtdSD
ヒント:黒王号
97 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 06:20:01 ID:???
中世の騎兵はみんな真正面から突撃してる気が。
98 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 07:57:11 ID:???
単独で使うよりも良い
99 :
名無し三等兵:2006/12/01(金) 09:33:39 ID:???
>>92 それを日本陸軍が、機関銃陣地に正面から騎兵突撃を挑むのは無謀、ってのの好例みたいに教育してたんだよな
んで、それが世間に広まった
確かに武田軍は戦国最強の軍だったのかも知れんが=武田騎馬軍団最強って訳じゃない
日本史には武田騎馬軍団なんて出て来ません。匂わすような資料はトンデモな甲陽軍鑑だけです。
北条の方が兵の部隊単位の騎乗率は高かったと記憶してます。
長篠での織田徳川の鉄砲は別動隊も含めた全軍で1500程度です。長篠決戦の本隊だと1000程度です。
余所の家からも必死に借り集めてもこの程度でした。装備率は高いが、所詮数%足らずです。
長篠の武田軍には、勿論騎馬もいたでしょうが、鉄砲で騎馬を叩いた戦争ってわけではありません。
退路を脅かされ、中世的な主従関係のせいで引くに引けず、堅陣にバンザイして壊滅しただけです。
長篠での鉄砲はあくまで弓と同じな弓より高威力な陣地からの射撃武器で、それ以上でもそれ以下でもありません。
三段撃ちの記述は一級資料の信長公記ではなく、一字違いの信長記だけだったと思います。
何で武田=騎馬隊のイメージなわけ?
そりゃ騎馬もいただろうが、主戦場が起動力の削がれる甲斐信濃の山地での馬を運用するなら荷駄だろ。
武田の騎馬武者が強かったからじゃね?
騎兵は唯でさえ金と育成時間がかかるうえに、戦場では飼料輸送が必要だし
消耗してもすぐに補充が利かない等運用の融通もきかないので
費用対効果でみるなら兵役義務でタダ同然の歩兵をそろえた方が効率よいだろうな。
ただし戦略的に威力偵察や後方の補給線攪乱に投入したり
戦術的価値の高い局面で活躍するのは騎兵集団ならではだよ
そこで遊牧民ですよ。
モンゴル最強
騎兵と言っても、亀のように倒れたら身動きが取れなくなるまでの重武装の騎兵も実際に存在した
そのような防御に徹した重騎兵が敵を押し止める間に、軽装備の軽騎兵が敵の側面を突いて攻撃を続ける
そのような戦法が重騎兵と軽騎兵をミックスした戦い方だった。
モンゴル軍の場合は、特殊で騎兵は軽騎兵のみと統一性が取れ。
敵が大軍と見れば、その俊足を生かしてかく乱し、敵が少数と見れば一機に踏みにじるのが戦法だった。
欧州や中東の国家も、それに一方的に叩かれたのだし、確かに強力だったと言うしかないな
.__
|風|
|林|
|火| __________
|山| /
_∧ .∧(oノヘ| ̄ < 御旗楯無、ご照覧あれ!
(_・ |/(゚Д゚ )|\ \__________
|\Ю ⊂)_|√ヽ
(  ̄ ~∪ )^)ノ
||` || ( | ( |
'~ ~ '~ '~
モンゴル軍は男子全てが生まれつきの騎兵という特殊な民族の集団なので
戦力としては平原最強だが、東南アジアの密林や海を越えて元寇なんてのは苦手
日本で騎馬が発展しなかった理由の一つは、騎馬が得意とする広い平原が少なかった事だろう
平原でこそ、騎馬は強力な力を発揮するが、起伏の激しい場所では役立たずとは言わない
実際、源平の戦いでは騎馬の崖を下っての襲撃に成功しているからな
それでも十全に力を発揮できないのは事実だ
>>107 ジャングルで苦戦するのはモンゴルに限らず、どこの軍隊でもそうだと思う
逆に、地元の人間でもないのに密林戦がやたら得意だった軍隊なんか
あったら面白いんだが
モンゴル騎兵とアレクサンダーのマケドニア軍が激突したら?
モンゴル騎兵とカエサルのローマ軍団が激突したら?
モンゴル騎兵とイングランドの長弓隊が激突したら?
モンゴル騎兵と織田・徳川連合軍が激突したら?
モンゴル騎兵とナポレオンの大陸軍が激突したら?
111 :
名無し三等兵:2006/12/02(土) 17:26:23 ID:45ot6fIE
>>109 インドネシアのあたりでオランダの東インド会社の商館の
傭兵などはどうしてたんでしょうね。ジャングルの場合、河川交通
を制すればよいような気がしますが。
騎兵はどうなんだろうな。人間の担送が主体になるんではないかな。
112 :
名無し三等兵:2006/12/02(土) 17:33:37 ID:qDeh/uWd
タイフーン作戦であったな。露助の騎兵一個師団が無茶苦茶な突撃をして全滅した事が。たしか独軍の損害は機関銃の暴発か何かで軽傷一名だったような。
重装歩兵だって平原じゃなきゃ力を発揮できないぞ
お前ら根本的な事を忘れているぞ。
明治以前の日本の馬は体格が小さくて軍馬としては低質、
騎兵なんてたいして戦力にならんって事よ。
>>100 あの時代の鉄砲って、既に弓より強かったんだっけ?
>>114 モンゴルの馬だって日本と同じくらい小さい
117 :
名無し三等兵:2006/12/02(土) 22:19:08 ID:PaAmkUTN
>>114 江戸時代に小型化されたから明治の馬が小さいのは当たり前だな
118 :
えICBM:2006/12/02(土) 22:36:32 ID:???
今日読んだマンガによると、日本の戦国時代の騎馬突撃は、近くまで接近したら馬をおりて突撃していたそうだ。
武田騎馬隊も例外なく。
まあ、あくまでマンガでの説明なのだが。
機械化歩兵みたいなもんか
>>115 諸大名があれだけ買い集めたんだから弓より強かったんでない?
弓矢は盾で防げたからねえ
つうかなんで日本では盾がはやらなかったんだろう
>>115 とりあえず、鳴り物なので、馬はびびりそうだな。
>>121 両手持ちの剣とあわせて興味深いね。
昔、さんまの何でもダービーってテレビ番組があってさ。
そこでナリタブラリアンって名付けられた、いかにもニブそうなポニーが
プロ騎手(たしか武弟だったと思う)に調教されて、立派な競争馬のように成長してたな。
あの後、日本のポニーは貧弱で鎧武者を乗せて戦争なんかできないなんて説が流行ったんだけど、
絶対に嘘だと俺は思ったよ。
騎馬武者の存在も否定してる奴っているの?
125 :
名無し三等兵:2006/12/03(日) 08:06:41 ID:ly9SoArd
鈴木氏の影響で、馬上戦闘をしなかったと思ってるやつは多いんじゃないか。
源平の頃はやってたんだろうけど、室町・戦国と降るにほとんど無く
なったんじゃないか。馬は武将のシンボル、大将の証拠みたいな扱いに
なっていったような気がする。日本で盾が発展しなかったんではなく、
日本人が想像する戦の時代には鉄砲や槍が主武器になってるからだと思う。
これだと片手で武器持つのは不可能だからな。
ところでブジョンヌィの第一騎兵軍について詳しい本ない?
128 :
名無し三等兵:2006/12/03(日) 09:53:09 ID:OfhcicLz
>>123 ポニーっつっても種類があってデカイ部類のポニーだから、
日本の馬はポニー並ってのは嘘じゃないだけで、悪意のあるミスリードなんだがな
>>118 それは普通に騎手でも小銃装備になった19世紀初頭〜南北戦争の頃でも下馬して戦うケースが多かった。
騎馬弓兵の集中運用という時代なら、匈奴〜特にモンゴルあたりが最強。
ま、騎兵は集団での決戦兵器というより、より戦果を拡大するための追撃戦、騎馬弓兵なら、
退却しながら、追撃軍を消耗させるような運用のほうが多かったはず。
機関銃が出てきてもポーランド人だけは、東欧の湿地帯に騎馬隊の持つ機動力が
有効だと何かの戦果を見て信じてしまって、第一次大戦後も騎兵強化していたと。
130 :
えICBM:2006/12/03(日) 14:30:29 ID:???
>>129 そのマンガでは下馬して戦う理由は、単純に馬上で武器なんか操れないからだそうだ。
片手武器なら手綱を持って可能だが、緒戦片手武器で威力は小さい。
敵に有効な打撃を与えるには、両手武器を持つ必要があるが、手綱がもてないから操作できずに落馬。
敵兵と距離を置いての騎乗弓兵による攻撃なら可能だし、有効なのは確かだろう。
モンゴル騎馬軍団最強。
ただし軍といってもテムジンによって組織化された巨大盗賊集団なので
外部に打って出ないと常に内部崩壊の危険をはらんでいるのが欠点
モンゴル騎兵については、以前パンツァー誌で読んだ記事だと、
軽騎兵:弓などの射撃装備。
重騎兵:革主体のよろい装備で白兵用。
会戦の場合、軽騎兵がかく乱射撃を行った後に、重騎兵が突撃して止めという、わかりやすい流れ。
モンゴル騎兵と同じ遊牧民であるサファビー朝のキジルバシや遊牧民出身の
マムルーク軍団も強かった。
が、オスマンの火器には勝てず。
ところが17世紀にもなってヌルハチの満州騎兵は火器を大量に装備した明軍に
勝っちまった。
なんで?
鋼鉄製の甲冑で馬まで覆い、鉄騎兵と呼ばれる重装甲を採用したからじゃね?
>>133 装備で勝敗が決まるわけではないから。
>>134 いくら装甲を固めても火器に耐えるのは難しいと思われ
野戦築城能力が低かったのかな?
>>136 後金軍の戦術勝ち
サルフの戦いでは明軍はちゃんと火器も揃えてたし、野戦築城もしていたが、
後金軍は下馬騎兵による障害除去と重騎兵による突撃で勝利している。
でもまあ、袁崇煥や孫承宗みたいに火器で後金軍を破っている明将もいるし、結局は使い方次第かと。
後金軍と明軍の場合は、騎馬がつよかったとか以前に。
賄賂を渡しすぎが原因だな。
国庫が払底したのが原因で起きた李自成の乱と
それに続いた呉三桂の裏切りが破滅を招いただけ。
>>130 そのモンゴル騎馬軍団を連破した鎌倉騎馬軍団最強。
モンゴルじゃなくて、シナチョンの強盗集団ですよ。
シナチョンの弱卒相手なら勝って当然です。
141 :
えICBM:2006/12/04(月) 13:50:22 ID:???
>>139 いや、当時の船では騎馬の輸送は困難だから日本は助かった。
騎馬軍団が上陸してたら、ちょっと恐ろしすぎる。
当時の博多周辺で騎馬が有効に活用できるかな?
>>142 絵詞の図からみると騎兵は用いていたようだ。主に日本側がだが。
馬の腹から出血する場面があるが、あれは乗ってた御家人にとって
痛恨の一撃だったでしょうね。
日本に侵攻した蒙漢軍2万5000のうち3000以上が騎兵で、さらにこれに高麗兵8000が加わる。
一方、迎え撃った日本軍は御家人が約5000騎で補助戦闘員5000を加えても1万程度。
モンゴル軍はこれ程の兵力差がありながら、たった1日で日本軍に敗退したのだから、
純粋に騎馬軍団としての戦闘力が日本より大きく劣っていたと考えるべき。
>>144 御家人一人に付き補助戦闘要員1名ていうのは少なくね?
3〜4人はいたんじゃね?
>>142 モンゴル騎兵の機動力を発揮するのは無理だろうね
博多湾を守る日本軍を突破して、大宰府も抜いて筑紫平野まで
進出すれば可能かもしれないけど、今度は水田が(笑
モンゴル軍の主力は殆どが船酔いで使い物にならんかったと思われる。
秣の準備と健康管理で馬を海上輸送するのはww1まで大変な難作業だった。
自動車化万歳。
>>144 3000+雑魚 対 5000+補助戦闘員
日本の方が戦力上じゃん。
てつはう、石火矢なるものが登場した戦いでもあった。
陸続きだったら、ベトナムまで攻め込んでるのがモンゴル軍。
でも暑いの苦手ね。
元のベトナム侵攻はトンキン湾からの上陸作戦でなかったけ?
白藤江(ウル覚え)を鎖で封鎖して元水軍あぼーんだった気が
>>147 モンゴル軍の主力は殆どが、文永の役の前年の済州島への侵攻で、渡航作戦を経験済みだ。
>>148 馬の海上輸送なんか大昔から普通に行なわれてるぞ。
元寇より200以上年も前にウィリアム1世が騎兵を伴ってイングランドに侵攻し、勝利してるじゃん。
>>149 大元ウルスはモンゴル帝国内で最強のウルスだよ。
クビライは、蒙漢軍や高麗軍を動員して、アルク・ブケの乱やナヤン・カダアンの乱などで、
モンゴル帝国内のライバルたちを蹴散らしたんじゃん。
>>150 「てつはう」は主にモンゴル軍が日本軍から逃げる時、煙幕を張るために使われていた。
>>152 いやいや、経験したからといって船酔いしないとはかぎらぬ。
>>152 >馬の海上輸送なんか大昔から普通に行なわれてるぞ。
可能不可能で言えばもちろん可能だよ。
ただ、馬には1日5〜6kgくらいは秣が必要なわけで、陸上にいる内はこれをその辺の草地でまかなえるけど
いっぺんフネに積み込むと、いちいちどっかから刈って持ってこなければならないのが
面倒だという話。
距離もさることながら、波浪や風雨という点でも英仏海峡を渡るよりは難儀だと思うがな。
それに、モンゴル軍の方が戦闘員1人当たりの馬の数が多いのではないか?
>>155 馬は多いほうがいい。 長途で乗り潰してしまう可能性もある。
>>155 波浪や風雨という点では英仏海峡を渡る方が対馬海峡よりも難儀だろ。
1066年のイングランド征服の際、ウィリアム1世は8月初頭に艦隊を集結させながら
悪天候のため出港することができず、9月11日にようやく出港したものの、今度は
風に流されてサン・ヴァレリーに漂着。
イングランドに上陸したのは9月28日になってからだった。
それと比較すれば、元寇の際の元軍のほうが、遥かに順調な航海の末に博多湾に
到着している。
>>142 文永の役で、騎兵を主戦力とする日本軍は水際撃退作戦を採用せず、わざわざ
騎兵運用に適した地形を選んでモンゴル軍を迎え撃っている。
モンゴル軍が進軍してきたところを、足場のしっかりとした場所で、鎌倉武士が
得意とする騎兵の集団戦法を用いて撃破するというのが、総大将の少弐景資の
作戦だった。
そのためモンゴル軍は、副将の劉復享が射倒されるなど大打撃を受け、わずか
1日で日本から逃げ帰ってしまう。
当時の日本人の日記である金剛仏子叡尊感身学正記では、文永の役の記述は、
『十月五日に蒙古人が対馬に着き、二十日、博多に着き、すぐ退散した』。
文永の駅では元も勝つつもりはなかったろう。
遠征そのものが威力偵察みたいなものだよ。
>>159 残念ながら、文永の役が元の威力偵察だったということを裏付ける文献は皆無。
ほぼ同時期の元軍による東南アジア侵攻は、いずれも1万以下の兵力で行なわれており、
4万もの大軍を動員した文永の役は、対南宋戦以外では破格の規模なんだよね。
更に、高麗史には元軍の主将が戦況不利を理由に撤退を決定した際に、
高麗の武将が「帰りの船を焼き、背水の陣で戦えば戦局を打開できる」と
主張したと記述されているが、普通に考えれば威力偵察部隊が背水の陣で
戦おうとするはず無いよな。
元史日本伝の文永の役の記述は、『冬十月、その国に入りこれを敗らんとするも、
官軍整わず、また矢尽き、ただ四境を虜掠して帰る』。
はっきりと「その国(日本)に入りこれを敗らんとするも」って書いてあるだろ。
おまえ等スレ違いだ。「元寇」の話はよそでやってくれ
騎兵を集団で使った「元寇」の話が何故スレ違いなの?
戦闘そのものは元軍のほうが優勢で日本軍を退却させたが、損害が予想以上だった
ため敵の増援や水城などの防御施設を考えるとこれ以上の進撃は不可能、
と考えて撤退した、ということじゃないか?
これが大陸ならもうちょっと粘ったかもしれんが、やはり背後に海があることに
恐怖を感じてさっさと撤退したんだろう
で、騎兵の話は・・・日本の騎兵(武士)が大陸の軍隊にも通用することが
証明された、ってことで
鎌倉時代のサムライが「戦法」「戦術」なんてもんを知ってたとは思えんのだが。ましてや「騎兵戦術」なんぞを。
「やあやあわれこそは」とか那須の与一が扇撃ったりみたいなことしてた時代に
当時の文献では、元軍に合戦で勝利したと書かれている文永の役が、どの時代から
日本軍が劣勢だったという話に変化したのかを調べたんだよ。
江戸時代や戦前の史書では、普通に日本軍が勝ったことになっていた。
なんと、日本軍が劣勢だったのに暴風雨で偶然勝利したことになったのは、
戦後になってから。
日本を占領したアメリカって、教科書の武士が勇敢に戦ったとかいう記述を
片っ端から墨で消さしたりしたじゃん。
「やあやあわれこそは」とかも、あくまで教科書向けの話であって、中世戦史の
研究者自身は、本気で当時の武士が一騎打ち戦法で戦ったなんて思っちゃいない。
近藤好和とかは著書の中で、中世の武士が集団戦法で戦う様子を描いた資料として、
有ろう事か『蒙古襲来絵詞』を載せていたりする。
>>165 その手の一騎打ちは軍記物の影響で作られたイメージ
まあ、長篠三段撃ちと同じだな
現在では源平合戦時の武士は、歩騎混交の集団戦法をとっていたのが研究者の見方
とりあえず、ここらを読んでみてはどうか
近藤好和『騎兵と歩兵の中世史』、『『弓矢と刀剣―中世合戦の実像』(吉川弘文館)
川合康『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ)
そう言われてみれば、源平合戦で「やあやあ我こそは〜」で始まった合戦ってないよね?
軍記物のイメージだったのかよ!
当時の日本騎兵ないし騎馬武者の戦闘術としては、
すれ違いざまに内兜を射込み、それで勝負が付くまで巴戦ってイメージだけど、これで正解?
騎兵集団で編隊戦というよりは、単騎格闘戦でさ。
当時の合戦は、大抵の場合は両軍が楯を並べてバリケードを築き、その後ろから
弓騎兵が矢を射合う「楯突戦」から始まる。
「楯突戦」でタイミングを計ってから、決着をつけるために騎兵が楯の外に出て、
馬を馳せ合いながら矢を射合うのが「馳組戦」。
この際、逃げる敵を前方に射ながら突進するのが「追物射」で、『蒙古襲来絵詞』にも
元軍に対して集団で「追物射」を行なう白石道泰指揮下の武士団が描かれている。
一方、劣勢の側は後方の要衝に再び楯を並べ、防衛ラインを築いて応戦。
戦国時代になると、常に戦争状態だから、だれてきて「矢戦にて帰りけり」と、矢だけ適当打って
日が暮れたから帰るなんてチンタラした戦争もやるが、決戦レベルの合戦だと馬も使うのだな。
>>171 中世前期でも、楯突戦は何度もやったが馳組戦は一度も経験してないとかいう武士が
居たみたいだから、似たようなものかも知れない。
中世前期の合戦では、敵の殲滅や掃討が目的だったため騎兵の機動力が重視されたが、
合戦の目的が領地の争奪に変化するにつれて築城能力などが向上し、歩兵が戦闘の
中心になっていったという流れらしい。
素朴な疑問
盾でバリケード作って撃ち合いって、別に弓騎兵なんか使わずに普通の弓兵を使った方が良くない?
騎兵を使う意味が無いと思うんだけど。
突撃用の騎兵なら盾と弓兵の後方に待機させておけばいいじゃない。
当時の支配階級の武士も一応戦闘に参加しておかないと格好がつかないから、非効率を承知でやって
いるのかな?
源平時代の大鎧の重量は約30キロ
戦場ではこれに鉄兜、刀、弓の重量が加わり、40キロ近くになる
これだけの重量だと徒歩で移動するのは一仕事だし、戦闘はもちろんきつい
要するに源平時代の武士にとって馬は足代わりだったわけだ
これが室町頃の腹巻や胴丸だとせいぜい10キロから15キロ程度になる
当然、動きも身軽になるわけで、白兵戦闘が増えたのも当然かなと思う
それと、もちろん歩兵の弓兵も楯突戦には参加する
家之子、郎党なんかがこれに当たり、騎兵が出撃する際にも随伴して馳組戦を支援する
敵を馬から引き摺り下ろしたり、大将が首とりやすいように押さえつけたりね
うーむ。
楯突戦なら弓騎兵1騎より弓を持った軽装歩兵を10人揃えた方が安上がりで効果的のような
気もするが。どうせ騎兵の機動力を生かせない状況なんだし。
昔の戦争の話題で盛り上がってる所悪いがWW2〜現代までの一部の軍隊には
ヘリボン部隊や偵察部隊に〜騎兵という名を持つ部隊が有るが
この呼称はどうして流行らなかったんだぜ?
あと戦車部隊や機械化歩兵に騎兵と付けた例は有るんだろうか?
第二次大戦以降ならごろごろしてるね。
WW2列強の「騎兵」は、機械化部隊に変わりつつも名前を残してるケースが多い。
例えば、英軍の近衛騎兵連隊なんかも、軽戦車部隊になってたと思う。
米軍の騎兵師団のうちヨーロッパ戦線に行ったほうも機械化歩兵。
でも太平洋に来た師団はただの歩兵だったか? 米軍だから自動車化されてるだろうけど。
日本の師団騎兵は、「捜索」連隊(乗車歩兵と軽装甲車)に変わったものが多いけど、
中身は捜索連隊同様に機動化されつつも、名前だけはそのまま騎兵連隊だった例もあったような。
本当の乗馬部隊も多数残ってるけどね。
>>172 >敵の殲滅や掃討
あのころの戦というと、死者はほとんど出ないような気がしたけど、そうでもないの?
>>176 米陸軍に第1騎兵師団がある。ここの各旅団下の大隊は
それぞれ騎兵大隊という名前だけど中身は他の機甲部隊や
機械化歩兵大隊と変わらない。
また、英陸軍の場合だと竜騎兵などは機甲大隊ですね。
王立戦車連隊なんてのもあるけども、伝統ある連隊も戦車装備に
なってる。blue and royalsとか。
英陸軍の場合は軍の規模を削減する場合、二つの連隊の名前を
あわせて存続させる形をとる。
>>180 トラシメヌス湖って、今の地名で言うとどこなの?
日本語とは思えないから、北海道?
>>178 日本の戦は首が手柄だから追撃戦は厳しいぞ
>>175 弓を撃つにはかなりの訓練がいるからじゃないか?
筋力のない奴は戦力として当てにならんかもしれん
常備軍を持って常日頃訓練させてないと主戦力にするにはきつかろう
純軍事じゃなくて社会的背景も大きいだろうからややこしいな
弘安の役の際の元軍掃討戦で、日本軍は元兵7〜8万人を殺害し、2〜3万人を捕虜にした。
中国の映画、英雄に出てきた足で弓を押して全身で
弓矢を撃つのは大陸じゃ普通なのか?
あげます
>>185 背筋力使って打つ奴だな。
ウィキにあった、腰の力を使うってどうやるのだろ。
弩はそれなりの威力のものになると足とか使わないと張れないらしいが
弩の集団だと弾幕が薄くて、重装騎兵の集団突撃に有効打を
与えるには相当の数が必要だったらしい。 ロングボウなら、
時間・空間の密度が数倍〜1桁は違うので、英軍は仏軍に
エジンコートで勝利を収めることが出来たが、あれでも
野戦陣地の後背に騎士の一団が回られていたら、あえなく壊滅の
可能性はあった。
ボウガンとかなら即射精で優れるから対騎兵では有利じゃないの?
何で日本で流行らなかったか知らんけど、
>190
ボウガン=弩
威力はともかく、速射性には劣っていると思いますが。
192 :
名無し三等兵:2006/12/17(日) 23:36:08 ID:0+t+NCNB
遅いレスだが、モンゴル騎兵は、簡単に説明すると。
軽装で馬上から弓を撃てる騎兵を大量に運用。
↓
敵の歩兵や重装騎兵が接近する前に弓を打ちまくり。
↓
近づいてきたらすたこらさっさと距離をとる。↑
のくりかえしをしてたって記述があるが、歩兵もいっぱいいたと思うけどな。
193 :
名無し三等兵:2006/12/17(日) 23:43:10 ID:va4yqlZc
少なくとも突撃用の騎兵は歩兵の前で速度が落ちるような場所やタイミングで投入するべきじゃないな
モンゴル軍は全員騎兵(しかも兵1人に馬数頭)で、敵国が侵攻を察知して軍の動員を
かける前に奇襲攻撃をかけられるので連戦連勝だと聞いたが。
モンゴル軍も歩兵はある程度伴っていたみたい。
但し、現地調達の被征服民部隊。勢子みたいな者。
主力はモンゴル騎兵。
特に、機動作戦のときは、複馬制を生かした純粋騎兵だったと思われる。
兵站は、現地調達と、生きたままの随伴食用獣。
「日本騎兵史」などによると、会戦時には五列程度の横隊を組んで行動し、
うち2〜3個横列が射撃武器装備の軽騎兵(非装甲)、残りが白兵装備の重騎兵(革鎧)。
横列単位で入れ替わりつつ、半弓軽騎兵が機動射撃。
必要な場合には、重騎兵が前に出て盾になってカバーする。
とにかく集団で機動して相手の陣形を乱し、
生じた弱点を投げ槍と半弓で集中射撃の後、重騎兵の突撃で蹴散らしたらしい。
最近では戦国時代の戦いでは刀は主力兵器ではなかったとか
武田の騎馬隊というのは虚構だったという説が流行っているけど
江戸初期に日本を訪れた朝鮮通信使が残した記録によれば
日本人が言うには日本最強の軍隊は薩摩の剣兵と甲斐の騎兵だったそうだ。
当時の日本人がそう言っていたのに何故か今では薩摩の剣が強いとか
武田の騎兵が強いというのは明治以後の創作ということになってるな。
最近では大阪の部隊が弱かったというのは虚構だったという説が流行っているけど
当時の歌によると、またも負けたか八連隊だったそうだ。
当時の日本人がそう言っていたのになぜか今では
モンゴルは功城戦では現地の民間人を連行して人間の盾にするという当時の
基準からしても非道極まりないことも敢えて行った。
その結果、英語版wikiによるとモンゴルによる征服の死者は6千万。
第2次大戦に匹敵する人類史上最大の殺戮である。
いかにモンゴル騎兵が強力かつ残虐であったかが分かる。
フスの戦闘車の前には騎兵なんて無力よ。
>騎兵部隊の運用
明37年の名軍歌「日本陸軍」の6番(騎兵)でも
撃たれて逃げゆく八方の
敵を追い伏せ追い散らし
全軍残らずうち破る
(後略)
って歌われてるな。
>>197 後世になってから本当の歴史が分かるのは珍しくないしし、おかしくないじゃん。
学者曰く
>>200 ナポレオン戦争時代には、軽騎兵は戦列から脱落した兵が、再集結するのを
防ぐ追撃戦専用として定着した。
202 :
名無し三等兵:2006/12/18(月) 04:27:48 ID:/k6uBrm9
歌詞から察するに明治の騎兵と戦国時代の騎兵では運用方法が違うみたいで…
>>202 そりゃ弓矢や火縄銃の時代と、野砲とライフルの時代では同じ兵科でも運用は変わるだろ
そういえば、二次大戦時に赤軍がモンゴル騎兵師団に突撃させて、
ドイツの歩兵師団に二時間程度で全滅させられてたな。
それは800年前に負けた仕返しですか?
ただ単に、時間稼ぎと武器弾薬の消費を狙った、
赤軍では至ってポピュラーな戦術。
>江戸初期に日本を訪れた朝鮮通信使が残した記録によれば
江戸時代は『武田騎馬軍団の当時』ではありませぬ。
>>203 幕末期から日清戦争まで、日本で使われた銃器類の
変遷速さは今のパソコンの進歩と見まがうほどだな。
なにせ17世紀末から19世紀末まで約50年で西洋史
200年分の変化がある。 もちろん騎兵の運用思想に
ついてもしかり
このスレの諸兄なら周知のことかと思うが、保守代わりに。
世界戦史上、最終期の騎兵突撃例。
(1)1939年ポーランド戦での波軍騎兵。
森林地帯を巧妙に機動して、独軍の歩兵縦列を奇襲。1個大隊を潰走させたことも。
なお、突撃せずに、乗馬歩兵や騎砲兵として威力を発揮したケースももちろんある。
(2)1942年夏、東部戦線での伊軍騎兵。
サヴォイア竜騎兵連隊の600騎が、ソ連軍背側よりサーベル突撃を敢行。
手始めに1個大隊を潰走させ、続けて反撃を受けつつもさらに1個大隊を撃破。
火砲十数門・機銃50を鹵獲、捕虜600を得た。損害も大きかったようだが。
(3)1945年春、中国戦線での日本騎兵。
老河口作戦に参加した騎兵第四旅団が、老河口飛行場に乗馬突入。
211 :
名無し三等兵:2006/12/22(金) 13:24:12 ID:wDLFcQPp
騎兵4旅だけが帝国陸軍最後の騎兵? あとは全部 戦車や偵察に改編されたのかな?
騎兵旅団を構成していた戦略騎兵は、戦前の最盛期には4個旅団ありましたが、
第四旅団を除き開戦前後に改編・消滅しています。
戦車第三師団系の部隊になったものが多いです。(機動歩兵連隊と師団捜索隊)
なお、消滅前にすでに乗車歩兵化が進んでいたものもありました。
師団騎兵の場合、捜索連隊や捜索隊と名を変えたものは、基本的に車両編制です。
乗車or自転車化歩兵中隊2、軽装甲車中隊1〜2くらい。但し、乗馬中隊を1個残している場合もあります。
また、南方侵攻時には、オートバイ中隊が増設されたものがあります。
大戦後半には解体されたり、積荷の関係で残置されたり、徒歩歩兵に縮小編制になったり。
騎兵連隊や騎兵大隊の名が残っている場合、基本的には乗馬兵でした。
乗馬中隊2〜4程度に、重機中隊(駄載)が付いたり付かなかったり。
大戦時の部隊数は捜索連隊に比べても少なく、せいぜい一桁だったはず。
南方進出した部隊は、ほとんどが徒歩歩兵か、臨時に自動車を配属された乗車部隊に改編。
例えば、ブーゲンビルへ行った騎兵第六連隊は徒歩部隊。
それでも終戦時に2個か3個は乗馬騎兵連隊が残っていたかと。(近衛と朝鮮あたり、支那にも?)
このほか、歩兵団レベルで、小隊〜中隊規模の乗馬兵を持っていた師団があるようです。
伝令と司令部直衛を兼ねたものと思われます。
基本的に、前述したように捜索連隊含めた騎兵系部隊は、大戦中は衰退傾向にあります。
本土決戦期の新設師団には捜索連隊などはなく、連隊本部に乗馬小隊を有するだけです。
上に挙げた歩兵団などが持っていた伝令と一緒でしょう。歩兵団が省略されたので最初から分属と。
例外的に、ある程度の積極戦闘を期待されたのが、各師団管区単位で編成された乗馬中隊。
本土決戦時に、空挺降下した敵に対して、機動反撃するのが任務の一つだったようです。
空挺に対して装甲部隊を急行させるのは良くありますが、最後の騎兵はその代用極貧部隊でした。
黒王みたいな馬がいれば
英語WIKIの元寇の所見たんだけど、戦力の表記みてワラタ
Strength
15,000 Mongol & Chinese soldiers and 8,000 Korean warriors
>>214 そんな馬があったら戦像みたいに使われてるぞ
旧軍最後の正統騎兵である騎兵第四旅団の乗馬は、平均馬齢15歳に達していたそうな。
218 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 15:59:11 ID:Hp49STi8
以前読んだ本 関東軍特殊部隊で騎兵からの転属者が沢山いた話が出てくる。泣く泣く騎兵用軍刀を返納し歩兵用の編み上げ靴と巻ききゃはんに。
219 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 16:05:43 ID:Hp49STi8
私自身も自衛隊時代に職種変換で戦車ブーツ 戦車帽拳銃かグリースガンから編み上げ半長靴 鉄帽 64式小銃に変わった時同じ様な感じでした。結局 普通科【歩兵】に馴染めず早々と辞めましたけど(^_^)v
捜索連隊改編時に、軍旗を返納するときにも、ひと騒動あったらしいですね
逆に、官給下士官兵新軍刀の制定・研究時に騎兵科軍人がわがまま言って一悶着あったりとか。
222 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 16:52:17 ID:Hp49STi8
騎兵連隊は確か乗馬突撃用に多少小さめな軍旗だったはずです。陸士では何期まで騎兵科があったのでしょうか?乗馬訓練は末期まであったようですが。。
223 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 17:01:22 ID:Hp49STi8
騎兵科は兵でもサーベルに乗馬長靴ですから。
224 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 17:18:24 ID:gYSwMwHt
ローマ帝国軍は初期は重装歩兵が有名だったけど
ローマ帝国末期になると重装騎兵中心の軍制にかわる
装備も中世みたいだ。
歩兵の重要さが復活するまで大分かかったのはなんで?
騎兵とは違うが、トナカイ挽きのソリ戦車兵の威力は凄いのう。
毎年この時期になると襲来して、雪原を、街の歩道を喪男の血で染め上げる。
トーチカに篭って耐えることしかできない。
騎士の戦いの添え物扱いだったからかなあ。その他大勢にコストかけられないってのもあるし。
>>224 ローマ帝国末期では軍団が小型化して、大規模な会戦ではなく
小規模な対蛮族戦に特化していったことで歩兵戦列が組みにくくなったこと
現地の服属蛮族中心の支援軍の役割が大きくなったこと
ローマ市民権がカラカラ帝によって、総ての属州民に与えられ
兵役を勤めなくてもローマ市民になれるため、軍団兵が傭兵化したこと。
などなど
あと、時代の軍事トレンドが騎兵化してったてのも大きい。
229 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 17:29:21 ID:Hp49STi8
騎兵でトーチカ攻撃はあまりお薦めではないですね。黒鍬者つかったほうが○ やはり機動力 装甲部隊の移動できぬ地形を移動し後方攪乱や輸送路の遮断がよいかと。
重騎兵ってのは、少数の戦力で蛮族を蹴散らすのには向いているんだが
維持コストがかかる欠点を持つ。
後期の小型のローマ軍団は、共和制後期や帝政前期と比べてそれほど戦闘力が低下したわけではないのだが
大規模な会戦には向かない傾向にあった。
共和制後期のローマ軍団は、至近距離から投槍を投げつけるまで敵前でも沈黙を守り
敵に大きな精神的ショックを与えることができたが
後期のローマ軍団は、ゲルマン風の雄叫びをあげながら敵に前進していったという。
231 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 17:47:27 ID:gYSwMwHt
>>228 スイスの槍歩兵やランツクネヒトも傭兵だよねえ。
やっぱ騎兵より歩兵の方が強いのでは
>>231 どちらが強いということはない、よく訓練された歩兵の戦列は重騎兵の突撃を跳ね返すが
寄せ集めの歩兵では簡単に壊走する。
共和制後期のローマ軍団は無敵に近く、東方の諸王国を簡単に撃破していったが
騎兵中心のパルティア王国だけはそうはいかず
機動力を生かして接近戦を避け、騎射で悩ませながら偽装後退によって誘き出し
隊列が崩れたローマ軍団を殲滅した例もある。
だが、そのパルティア軍も防御に撤したローマ軍には手こずっている。
233 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 18:58:50 ID:gYSwMwHt
>>232 山がちで密集陣形取れないところでも話だろ
会戦方式でローマはほとんど負けてない
>>233 パルティア軍とローマ軍は会戦形式で戦ったのか?
会戦形式で挑むローマ軍に対して、パルティア軍は遊牧民族的な戦術で挑み勝ったわけで
そりゃローマ軍と同じく腰を据えて激突すればパルティア軍の負けでしょ。
235 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 21:13:06 ID:QzcXIdDU
秋山好古は教官をしている際に
生徒の前で窓ガラスを素手で割って、砕けたガラスと血だらけの手を見せて
騎兵はこれだと身をもって教えたそうな
>>225 いやまったくだ…昨年は幸せだったのに…
スカパーでやってた最強武器みたいな番組で、
出てきた研究家だかのおっさんが、
ちゃんと訓練した槍兵100人いれば、
騎兵50人と戦えるみたいな事を言ってたな。
238 :
名無し三等兵:2006/12/24(日) 22:12:55 ID:Hp49STi8
騎兵が戦場で花形だったのは日露戦争まででしょう。 しかし金のかかる兵科ですね。
>>223 正式には「乗馬本分兵」な。
輜重兵にも長靴と官給軍刀は支給されてたし。
>>230 羅馬帝国の東西分裂後、生き残った東羅馬の騎兵は
カタフラクトで、重装甲で敵陣になだれ込んで兵を押し潰すのに
使ったが、ウマにも装甲を施したので高価な代物だったさうな。
>>239 騎兵志望すると、輜重に回されることがあったらしいな。
>>241 やっぱ、馬に重量物引かせてカーブとか回るのも、技術いるからかなあ。
243 :
名無し三等兵:2006/12/25(月) 19:15:26 ID:XJwXBoQc
241 何かの本で読んだ気がする。。
「大本営参謀の情報戦記」で有名な堀栄三氏は、もともと騎兵将校。
少尉時代に満州で匪賊相手に乗馬突撃したことがあると。
凍結した川の向う400mくらいから、敵が機銃と小銃を撃ってくるのに対し、
筆者を含む騎兵中隊が、真正面から乗馬突撃。
敵は、途中から算を乱して敗走したため、こちらには損害無しと。
中隊長いわく「弾丸はたまにしかあたらないから『たま』という。」
筆者は、敵をなめた無謀な戦闘だと思ったらしい。
245 :
名無し三等兵:2006/12/28(木) 02:40:44 ID:q3kBt5ce
>>244 火力が薄いゲリラや適当な中国軍相手なら何とかなるかも。騎兵と言えば建川中将が有名ですよね。
246 :
名無し三等兵:2006/12/31(日) 23:19:48 ID:bb5wNpX4
あげ
>>244 小さい砲でも撃たれたら、凍結した川面が破れて
全滅する可能性があるってのに良くやるわ。
ドイツかどっかの将軍が、第一次世界大戦後にもかかわらず「次に行われる大戦では騎兵が重要な役目を果たすだろう」という説を唱えていたと思うんですが誰でしたっけ。
日本の陸相で陸軍大将は、太平洋戦争直前に竹やりがあれば勝てると豪語していた。実話
騎兵があれば、全世界を征服できる。
装甲車部隊やヘリコブター部隊も「騎兵」と呼ばれている件について
馬から車両もしくはヘリに変わっただけでは
名誉称号みたいなもん
馬に乗ると言うのは庶民にできる事ではない事から
騎兵はエリートの部隊というイメージがヨーロッパには有ったのではないか?
ポーランド騎兵が騎乗戦車に突撃をしたとナチスが宣伝したのも
伝統のある軍隊を貶める効果を狙ったのかもしれない。
アメリカは馬に乗って鉄砲を持った市民が開拓した国と言うイメージ
を大切にしたいだろうからその限りではないがその隣のカナダは
ロイヤル・カナディアン・マウンテッド・ポリス(RCMP)つまり騎乗の
警官が安全を確保した地域に入植する建前になっており、現在では
アメリカで言うFBI,連邦警察てき組織になっているがその名前は残されている。
遊牧民から見た世界史(杉山正明著):日経ビジネス文庫
31項「騎馬の威力」より抜粋
金朝の講和使節団は、17騎で本国との連絡の為、河北を北へ急ぎつつあった。
それを途中で、北宋側の軍事指揮官が、2000の歩兵をもって襲撃した。
武装していた17騎は、ただちに左・中・右の3隊にみずからを小分けした
手慣れた戦闘隊形であった。このささやかな3隊は駆け巡り、射たて、敵陣を
撹乱し、縦横に馬を走らせた。2000人はさんざんに翻弄され、なすすべなく
潰走した。17騎は、1騎もそこなわれなかった。
負けた北宋側の記録に残っているそうです。
なかなか面白い本でした。杉山節というか、この人の文体好みです。
255 :
名無し三等兵:2007/01/08(月) 08:42:56 ID:HuOuT83h
あげておくよ
>>254 一騎当千とはいかずとも、一騎当百二十くらいか
>>248 かなりうろ覚えなんだが、
ゼークトの旦那が「まだ使える」みたいな事を書いていたような気がする。
「重要な役目」とまで言っていたかどうかはちょっと憶えてない。
>>257 東部戦線では広範な戦域をカバーするのに騎乗歩兵の
価値はあったらしいから、その事を指していたとおもわれる。
役目といっても、スクリーニングとか、警戒に出す程度。
やっぱり補給が大変。
今ならLAVみたいな軽装甲車両の仕事でないか
>>258 部屋から『一軍人の思想』が出てきた。
1927年の『現代騎兵論』って項に騎兵について書いてあった。
戦略戦術にド素人な漏れの拙い読解力だと、
機甲部隊っぽい使い方に読める。
(正面攻撃に使っちゃダメとか、
火力を持って叩けそうなとこに回り込めとか、
指揮系統とか砲兵狙えとか、目的達成したら即他方面に移動しろとか)
てかこれ、騎兵の肩持ってるように見えて
騎兵科の連中に表立って「将来的にはダメ」って言えなかった
だけじゃないんだろうかw
(騎兵でこそ機械化に対する理解が必要みたいな事がちまちまと何度も書いてあるし)
漏れだと今ひとつ頼りないんで機会があったら是非読んでみて欲しい。
オートバイに乗った歩兵は現代の鉄の騎兵
そのまま突っ込んだら機関銃の餌食だ
移動手段としては最適かもしれない
ただ音が大きいからマフラーのさらなる改良に期待します
【ロンドン13日】英日曜紙ニューズ・オブ・ザ・ワールドが報じたところによると、
チャールズ皇太子と故ダイアナ妃の2男のヘンリー王子が今週、イラク派遣部隊向けの訓練を開始する。
訓練には、イラクのアラビア語、現地の習慣や生活状況などの講義も含まれているという。
王子はイラク勤務を強く希望しており、所属連隊は4月にイラクに派遣されると伝えられている。
ヘンリー王子と兄のウィリアム王子はともに近衛騎馬連隊の「ブルーズ・アンド・ロイヤルズ」に所属している。
―時事通信(一部略)―
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070114-00000021-jij-ent
そんだけ氏の連載って最近ないの?