>>935は
>>936宛だった。
しかしまあ、無限のエネルギーを仮定するには、「無限に古く無限に大きく膨張も収縮もしない宇宙」でないと
無理じゃないかねえ。
有限の宇宙の場合、初期エネルギーが必要以上に大きいと、誕生して大きくなる前につぶれてしまうので。
BHが二つグルグル回ってて、真ん中に特異点が剥き出しになる・・・・・・だっけ?
今更な遅レスだが、シュピーゲル号にしろヱクセリヲン特攻にしろ、
直線航路で考えてるみたいだが、放物線じゃないのかな?
交戦後に帰還軌道に乗ったとしたら、非常に長い長楕円になるかもだ
銀河脱出速度も超えてると思うぞ。
自力で噴射しながら帰還軌道に乗るわけだが、それが長楕円を成すんじゃないか…っていうかその後地球に帰還するんだがどんな航法が適切なんだろう?
シュピーゲル号?…キャプテンU?
エネルギーと推力が文字通りありあまってるから、それこそ「現代の技術で最適な軌道決定」とかとは
別世界だろうね。
ああ、ついでに重力制御技術と慣性制御技術もあったな。
‥SFだけに、もうなんでもありだな(苦笑
慣性制御で進路を捻じ曲げながら帰還したりしてw
航路の大半を直進して、最後の最後で慣性制御でくいっとまげて、
最適な停泊航路に乗せるみたいなのも簡単そうw
ノリコ達がるくしおんと遭遇した分についてはワープ機関を有してないロケットだったじゃん。
ほだから、どうしても最適軌道取らざるを得ないし、
ヱクセリヲン特攻についても、今更意味が有るかどうか判らないが、
地球以外の天体から出撃したように装った可能性はないかという事で。
中世のガレー船乗りが、ジャンボジェットを推し量ろうとするようなもんだな。
亜光速ブースターより性能がへぼい恒星間バザードラムジェットだってもっと無茶苦茶できるというのに。
RX-7に慣性制御能力あったっけ?あったとしたら、ロケットで加速した後は慣性を上手に制御していたと適当な言い訳がw
ルクシオンに並ぶまでは、ルクシオンの航路に対する近接航路は取る。漸近線だな。
仮に並んだあとから加速をやめると、エーテルの抵抗で減速するものの、太陽の重力も、
銀河系の重力も軽く振りきる速度だから、宇宙の彼方まですっとんでく。
もどってこないんだから、放物線もなにも‥
>>952 亜光速ブースターのほうにあるんじゃね。
なかったら加速した瞬間に皆纏めてスクラップになっちゃうぜw
M78星雲から宇宙遊泳してウルトラマンはワープしてくるん?
次元波動超弦励起縮退半径跳躍重力波超光速航法=略して‘超光速”でしょうかね…。
>>947 その二つは近い技術だと思うんだけど。
今の人類が電子を操れるように、重力子を操れる技術レベルなんだろ。
むしろ逆かな。「ヒッグス場を自在に制御できるのであれば、重力子も自在に発生できる」といったほうがいい。
んー、あー、960はちょい嘘くさい。
慣性制御は「物質がヒッグス場から受ける抵抗を減少させる技術」で、
重力制御は「物質とヒッグス場の相互作用以外で重力子を発生させる技術」というべきか。
同じようにヒッグス場をどうにかして操作するにしても、技術の方向性がまったく違うわね。
慣性中和と、慣性制御では慣性制御のほうが技術的に上で、応用範囲も広いかもだ
というか、言葉的には零にするのも制御のうちジャマイカ?
トップ世界の慣性制御は、慣性をすごく小さくは出来るけど、零には出来ないらしい。
慣性と質量は密接に関わり合ってるため、慣性制御はすなわち質量制御となる。
質量を零にできれば、最小のエネルギーで完全な光速飛行が可能になる。
なんか宇宙がめちゃくちゃになりそうだなw
純粋数学で物理法則を書き換えているというのは、ぶっちゃけそういうことだろう。
有質量で慣性をryみたいな
だから因果律が薄くなって、何が起こるかわからない、と。
航行中のエルトリウムには近寄りたくないなw
因果律が希薄になると、周辺空間への影響が小さくなるかもしれないよw
むしろ非操作空間に戻れなくなるような可能性のほうが
周囲の物理法則を自分に都合のいい(ただし矛盾や破綻のない)数学モデルに
書き換えるっぽいので、物理法則の操作とは別物のような。
なんかこう見ると、別の真空解をもつ世界に移動してしまいそうなもんだが。
物理量を操作するのをやめて、その物理量で都合よい結果を出す空間に変化させるというパラダイムシフト
>>968 つ空想具現化装置プラグマタイザー
「物理法則書き換え」の利用法としては、ストレートでいい発想だったな。
発動せよ!プラグマタイザー
あのマンガ好きだったんだが…
しかしあれは空想するだけでは光の虚像しか現れない、素粒子レベルからの正確なry
やっぱちがうわw
「霊力子カルディオンの操作による魔法も、時には物理法則に屈する」
とか、
「魔法だって、島一つ浮かすには莫大なエネルギーがいるんだ!」
とか。
‥いま市川裕文はいずこに‥
宇宙の始まりと終わりを見たッッ!!
なんか、S・F・…。 SFしてるぅ〜〜〜〜〜〜〜!!
まあ聖書は世界で最もうれたSFだからな
まあSFつってもスピリチュアル・ファンタジーの方だけどな
うわ、その言葉で無茶苦茶胡散臭くなった
>>971 本職の玩具デザイナー一本に戻ったのでは?
ダ・イ・…バ・ス・…タァ────────────────────ットオッッ!!!
俺さ、トップ2なんて「なんだこの矛盾だらけで、前作半ば無視な展開」とか思ってたわけよ。
昔はNeXT Generationなんか楽しんでたなぁ、とか思い出しながらさ。
で、そうま版NeXTのコミックが出てたのを見つけて、買ってみたのさ。
いや、ごめん、俺が間違ってたわ。
あのコミックが許せるなら、トップ2のOVAは神作品だね。
リアル厨房時代の思い出って、美化されてんのな。
>>978 グレートアトラクターはしょぼかったね。
トップ2の理に適った前半の仕込みが分からないと?…w
因みに3話は全編通して唯一のキャラ話。(よく出来ている)
毎回しり上がりに物理法則無視の常識が覆るダイナミズムは最早お約束というか、パターンの了承だし。
仕込み?なんなのかわからんが、
それ以前に6話しかないのに前半分は勘違いで味方同士で戦ってて意味ありませんでした〜
ってオチが脱力
>勘違いで味方同士で戦ってて意味ありませんでした〜
↑
ってのはテーマ的に、単純に価値観やそれまでの認識(常識)が覆るって事だろ。
物理法則捻じ曲げも、ノノ、ラルクの立ち位置やすれ違いも、超能力⇔努力・根性も、トップレス≒宇宙怪獣という含みも、そういう事に全て掛けてあるじゃん。
『醜いアヒルの子』の引用自体が色々象徴してるし…。
それに12000年後って印象をボヤカスして、先ず世界観に馴染ませてからポンと前作との関連を持って来るには前半部の手順が必要。
前半部や特に冒頭は、2度目以降に鑑賞するに際して、また違った視点で意味を成す様に見せる工夫だしな。
大人の事情を鑑みれない子供から否応なしに大人になる…って事を拒む様な、ピーターパンシンドローム的なテーゼとかさ。
お姉さん(成人女性)のノノから「お姉さま」と呼ばれ、精神的な成熟を促されてるラルクとか。
『人類(トップ2の視聴者やヲタク)が大人になる為の通過儀礼…』とか思いッきし言っちゃってるしw(要はEVAと同様な事言ってるよな…)
…脱力しちゃうってのはサ、趣旨を汲み切って反芻してないって事だろ?
軍板的ネタもとっくに尽きていることだし、次スレは無しでいいと思う。
というかここはいつからアニメ板の出張所になったんだ。
グレンガランのあとはここで工作ですか
と、書くと盛り上がるのが他所板。
ここで書くべきは、その軍事的考察を!
>>982 一生懸命考えてるんだろうことは分かるけど、全然共感できなくてつまんない。
別にいいんじゃないか?
同じ様な趣旨を言っててもEVAはちっとも面白くないし…。
EVAはアンノと同じ性格の人間にはすごくピンと来るらしいが、そうでない人には上っ面だけで頭の中で捏ね繰り回しただけのモノにしか思えない。
つまり、多くの人には余り説得力が感じられない。
普通は多くの人間に共感出来る様に創るものなのだが(変人トミノとかでもw)、EVAはアンノの内面に先鋭化させた手法を取った為に根っこの部分は共感し難くなってしまっているらしい。
トップ2も、もしかしたら鶴巻の創るものと波長の合う合わないがあるのかもしれない。
ただ、鶴巻はそこまで自己内面に先鋭化した手法で作品を発信しているとは思えないので、切り口としては公共性は保たれていると思う。
カルトな創り方をしているのに何故かアニヲタ意外にまでムーブメントになってしまったEVAがどうかしているのかもしれない。
EVAが当時的な社会病理だとかの時代性にシンクロしていたとは思えないが、まあ、それまでの流れを変えてしまった事は動かしがたい事実だけど…。
エヴァは初っぱなから「わかりやすさ」と「サービス精神」に満ちてたからな。
いや、違う。
正確には「わからなくていい事」と「わかった方がいい事」の違いが明確だった。
トップ2はその辺が曖昧だったのが失敗(言い切ってしまうけど)の理由。
トップ2に「わからなくてもいい事」は根本的に無いと思う。
セリフやドラマで説明するより、自分で気付いて貰うように複雑に創り込んでいるのだと思う。
それがトップシリーズというタイトル的に失敗だとすれば、それは前作トップ1がドラマ部は明確だったという印象のギャップからだろう…。
鶴巻の前作「FLCL」から鑑みればトップ2の込み入り方は至極当然の様に受け入れられるから…。
因みにEVAは序盤パズル的な謎引っ張りで物語りに引き込んでいたが、1クール過ぎた辺りから「こりゃ、最後まで観ても解答はないな…多分」という予感は誰もが抱いていた(当時的)。
劇場版観て「やっぱな…」とある種予感を裏切られなかった向きの観客もいただろうが、それよりも何よりも主人公が物語りの冒頭から何も変わらせようとしない趣旨が不可解だったのではないか…。
アンノは自分が嬉しい要素はヲタも喜ぶ天賦の才覚があるからキャラは今も人気があるが、その本質まで共感出来た人間は果たしてどれくらいいるのだろう…?