1 :
1:
支那・鬼畜米英・左翼・ユダヤの
悪宣伝を信じてはならない。
インドが日本の御蔭をこうむっていることは言語に尽くせない大きなものがあります。
偉大な貴国はインドを解放するに当たって、可能な限り軍事援助を提供しました。
何十万にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と汗と涙を流してくれました。
インド国民は日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、永久に忘れません。
インドの独立は日本帝国陸軍によってもたらされました。
ここに、日印両国の絆がいっそう強められることを、祈念します。
S・S・ヤダフ インド国民全国委員会事務局長、インド国民軍大尉
3 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 12:50:00 ID:???
糞スレ3ゲット
4 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 12:50:41 ID:???
前スレのまとめ
1牟田口は救いようの無い基地外で百万回死ね
2日本陸軍はどうしようもない史上最悪の無能者の集団
3牟田口マンセーしてるのは基地外ネットウヨの厨房だけ
5 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 13:13:56 ID:???
6 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 13:23:58 ID:???
陸軍になんと勉強しかできない馬鹿の多い事
牟田口はいうなれば狂人みたいなものだ。
評価するに値しない。
補給を現地調達に頼る様なインパール作戦を立案するなんて
兵隊さんは、スネークじゃないんだよ!ホント勘弁してくれ
勉強すらできないのかも
7 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 13:25:56 ID:???
陸軍は基地外が出世する組織
断じて我が大日本帝国は侵略などしてはおらん!
大東亞共栄圏の独立国は、大日本帝国はじめ、大満州帝国、
蒙古聯合自治政府、中華民国南京政府、フィリピン共和国、
ビルマ、タイ王国、ラオス王国、カンボジア王国、ベトナム帝国、
自由インド仮政府、インドネシア等数多くある。
もっと勉強せんかい!
───────v─────────
<_☆_>
(〇m〇)
._φ※:⊂)
/旦/三/ /|
| ̄[●] ̄| |
|大東亞聖戦|/
9 :
ウィキの酷使:2006/11/04(土) 19:12:49 ID:???
インパール作戦のインド独立に果たした役割は大きく、牟田口閣下はガンジーよりもよほど
インドに貢献しているのであーる!
芸者ガールと共に「インド独立の英雄」としてインド政府は叙勲しなければなるまい
なんなら牟田口閣下を初代首相に任命するくらいしてもよいのではないか。
10 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 20:31:59 ID:???
>8 :\(〇w〇)/米英撃滅!:2006/11/04(土) 14:21:33 ID:???
断じて我が大日本帝国は侵略などしてはおらん!
大東亞共栄圏の独立国は、大日本帝国はじめ、大満州帝国、
蒙古聯合自治政府、中華民国南京政府、フィリピン共和国、
ビルマ、タイ王国、ラオス王国、カンボジア王国、ベトナム帝国、
自由インド仮政府、インドネシア等数多くある。
もっと勉強せんかい!
───────v─────────
<_☆_>
(〇m〇)
._φ※:⊂)
/旦/三/ /|
| ̄[●] ̄| |
|大東亞聖戦|/
アジア諸国の独立は戦争の副産物だよん
大日本帝國は侵略した、そして破れた・・・失敗の一事例にすぎないよ
侵略、それは悪事ではない。もちろん相手方には迷惑な事だが
チャンなどが言う「歴史認識、反省」とは「次はもっと上手にやれ、勉強せよ、研究せよ」と教えてくれているんだよ
11 :
(;´Д`):2006/11/04(土) 22:02:31 ID:???
>>7これが真理。そして現在の日本企業も。
とにかく相手より高い所から机上の空論でも良いから声高に
プランぶち上げて失敗する。
12 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 22:08:46 ID:???
無駄口叩くぐらい誰でも出来る
13 :
1:2006/11/04(土) 22:18:44 ID:???
慎重論を述べれば
声高に一蹴し、形勢悪しと判断したら態度豹変、
「徐々に手仕舞いの方向に向かえと指導しましたが
こちらの指示を守らずに勝手に判断してこんな結果に・・・」
都合よく言い訳、平素のゴマ擦りが奏効、てめえだけは身の安泰はかる
功績は自分、責任は部下・・・
何処にでも居る罠、こんな糞上司
14 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 22:27:07 ID:???
そういや、一昔前に
海の山本・栗田・福留
陸の牟田口・富永・辻を貶せば、何処からか沸いてきて
「今さら死人を鞭打つうんぬん」
必死に弁護する電波が居たが何処へ消えた?
15 :
名無し三等兵:2006/11/05(日) 14:04:21 ID:???
確かに牟田口を叩くなんざ誰でもできるし今更やるほどのことでもないんだが、
叩く以外のことも割と思いつかないんだよなあ。なんか意外なネタない?
16 :
名無し三等兵:2006/11/07(火) 15:43:51 ID:???
ジンギスカン作戦なんていうから、羊連れてったのかと思ったよ。
17 :
名無し三等兵:2006/11/07(火) 23:59:48 ID:???
>>15 尉官〜佐官の頃を評価してみるとか?
この人の若い頃をほとんど知らんので、あたしゃ何も言えんのだけど。
18 :
名無し三等兵:2006/11/08(水) 00:12:01 ID:???
カムチャッカ半島を騎馬で縦断調査したらしい
19 :
名無し三等兵:2006/11/08(水) 20:08:24 ID:???
>>15 シンガポール攻略戦では第18師団を率いて無難な指揮統率ぶりだったが
20 :
名無し三等兵:2006/11/09(木) 03:03:42 ID:???
誰がやっても同じような勝ち戦なら、普通にやって行けたんだろ。
陸軍官僚としては出世コースにいたんだし。
21 :
(;´Д`):2006/11/09(木) 03:43:04 ID:???
>>19 インパール作戦以前の侵攻作戦は開戦前から計画されておった。
それでも開戦指令書紛失やら、辻の立案した擬装作戦がマッハの早さで
頓挫したり、南方方面軍は大変だったごたるよ。
詳細を見るにつけ、陸軍が現在の日本企業と大差ない組織だと痛感する
とよ。
22 :
名無し三等兵:2006/11/09(木) 05:57:24 ID:???
勝ち戦だと勝てるが負け戦だと負ける。凡百の能力だな。
でもこれ言ったら日本軍将官のほとんどが…。
23 :
名無し三等兵:2006/11/09(木) 07:52:37 ID:???
戦後は飲食業に進出したらしいが、中華レストラン ジンギスカンハウスという店舗の命名が何とも
24 :
名無し三等兵:2006/11/09(木) 16:13:22 ID:???
ちゃんと食わせてくれるかどうか、大変疑わしいお店ですね。
25 :
(;´Д`):2006/11/10(金) 01:14:21 ID:???
このレストランのその後が知りたし。
オジタンも調べよ。
26 :
(;´Д`):2006/11/10(金) 22:58:15 ID:???
多分、連日のように15軍の生き残りや遺族達が
「社長を出せ」とか、客に紛れて料理に難癖つけたりで凄かったのでは。
27 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 08:25:35 ID:???
吊るし上げ喰らった上でかつての部下の葬儀で作戦の正当性を訴えるビラを巻いたのなら相当面の皮が厚いな
28 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 09:54:15 ID:???
その話はよく言われるけどビラの現物や文面って見たこと無いけど、どこかで見れるの?
29 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 12:02:07 ID:???
普通の神経の持ち主なら、さっさと捨てちまうんじゃね?
そんな唾棄すべきビラなんて。
酷使さんの妄想と違って、インドから叙勲されたなんて話もとんと聞かないし、
支持者みたいな人もいないだろう。
30 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 12:05:36 ID:???
>>21 だって現在の日本企業を作ったのは失業した高級参謀達だもんw
31 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 12:14:15 ID:???
>>28 自費出版で数も少なく、その上受け取らなかった人もいるようなので、
現存しているとなれば大変貴重な史料だな。
というわけで、現物をみたことがあるっぽい
>>29さんにうpキボンヌ。
32 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 12:50:44 ID:???
おや街宣酷使さま、あなたがお持ちだと思いましたよ。
33 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 14:03:22 ID:???
結局、牟田口の弁明ビラ配りエピソードは都市伝説みたいなものか。
現物が出てこないんじゃな。
34 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 14:32:48 ID:???
15軍関係者に自分であたってこい。
35 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 14:40:30 ID:???
酷使なんて所詮牟田口程度の腰抜。
平時は大きな口を叩くところも一緒。
36 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 15:55:16 ID:???
とかくカテゴライズして認定したがる輩は右だろうと左だろうと等しくウザイ。
血液型云々言ってる奴らとオツムの中身が大差ない
37 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 17:07:03 ID:???
児島襄は牟田口を評して、
非常に臆病な性格で、その反動で極端に大胆な行動に走って失敗した。
って総括してたね。
38 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 19:23:14 ID:???
ビラは残ってないかもしれないが、国会図書館が盧溝橋事件の記録証言を録った
時、主旨を無視して延々とノモンハンの言い訳を語ってたんだろ。
それは確実に残るな。
39 :
(;´Д`):2006/11/11(土) 21:29:56 ID:???
>>30 企業のホームページ見た時、「沿革」の項目見ると
「おやおや〜?」という記述があるよね。
40 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 21:37:06 ID:???
つ 大橋武夫
41 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 23:25:34 ID:???
>>38 国会図書館の目録にそんなものないけど・・・
42 :
名無し三等兵:2006/11/11(土) 23:46:36 ID:???
陸軍金沢騎兵連隊に入っていた
私の父が語るには軍隊という所は
小学校卒業者は最初は歩兵から
中学校卒業者は最初は将兵から
と言うように完全な学歴至上主義だったそうです。
43 :
名無し三等兵:2006/11/12(日) 01:03:45 ID:???
>>42 ごめん、いってる意味がわからない。
歩兵は歩兵科なのかもしれんが、将兵って何よ?
44 :
名無し三等兵:2006/11/12(日) 04:30:37 ID:???
将校と言いたかったのでは?
45 :
名無し三等兵:2006/11/13(月) 11:01:20 ID:???
>>42 学歴至上主義なのはどっちかというと海軍だろう。
陸軍はむしろ叩き上げが好まれる風潮だった。
まあこれは下克上と同じ事なのであまり褒められた事ではないのだが。
46 :
名無し三等兵:2006/11/13(月) 15:57:16 ID:???
>>45 海軍では大学生とか大卒が主計少尉とかっていきなりなってるから
海軍の思い出とかよく言ってて、
陸軍では大卒でも、2等兵からなので
そういう人たちが陸軍を悪く言ってるって
聞いたことある
47 :
名無し三等兵:2006/11/13(月) 23:06:31 ID:???
牟田が陸大出だから学歴の話題を出したのではないか
48 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 09:23:46 ID:???
陸大が教養を無視して作戦ばっかり詰め込んだ結果がコレって感じだけど。
しかも記憶ばかりで思考をかろんじたために、夜襲とか包囲殲滅とか、お決まりのパターンになりやすく、
相手からは「毎度同じで分かりやすい」と評されまくったわけでしょ?
49 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 09:29:39 ID:???
まあ、イギリス軍はそれ以上にアレだったわけでもあるが。
50 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 09:51:54 ID:???
マンシュタインも包囲殲滅にこだわってたけどね
51 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 13:39:54 ID:???
日本陸軍の場合、包囲殲滅に拘るって割には歩兵の機械化とか機甲戦力が…
ま、南方の島とかでは大戦車戦で雌雄を決するとかはまず困難だから
戦車よりも航空戦力に資源・重点を置いたのは無理も無いが、それにしてもなぁ
52 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 16:28:53 ID:???
でも、なぜか主敵はソ連。(笑)
53 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 17:06:55 ID:???
補給以外はマトモな作戦だった。
54 :
名無し三等兵:2006/11/14(火) 17:20:36 ID:???
55 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 08:43:39 ID:???
>>48 柳田とか佐藤、小畑も陸大出だがインパール作戦には反対しただろ。
硫黄島の栗林や沖縄の八原も陸大出でしかも恩賜軍刀組の優等卒業だが?
陸大というより個人の資質の問題だろ。
56 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 09:41:21 ID:???
つまり牟田口が超絶バカだったと?
57 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 11:34:24 ID:???
>>56 そのとおりだが、当時の大日本帝国そのものが超絶バカなので、超絶バカが標準
牟田口は単に派手なことをして目立っただけ
58 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 11:48:23 ID:???
腹を切っていればなんぼかは評価はよくなっただろうに・・・
59 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 12:16:50 ID:???
牟田口と辻と小松原は自決していれば
名将・名参謀と末代まで評価されたろう
60 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 12:41:24 ID:???
後世の結果が全部わかってる段階で
知ったかぶりで批難だけしてる香具師が
一番たちの悪い超絶バカ
61 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 14:40:45 ID:???
牟田口一人自決しても、三万人の餓死には引き合わないと思われ。
62 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 14:52:34 ID:???
63 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 15:01:52 ID:???
>>60 確かに南雲換装や栗田ターンへの批判については、そのような反論があてはまると思う。
しかし、牟田口にはあてはまらないだろ。
補給軽視がもたらす結果について、当時予見できなかったとは思えない。
そこらへんを勘違いするなら、「酷使乙www」としか言いようがない。
64 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 15:54:42 ID:???
1944年当時のビルマ戦線は、潜水艦により多数の輸送船が撃沈され弾薬の補給は難しか
った。インパ−ル戦の補充兵で日本から送られた人は、船団の9割は沈没させられたと。
現地には10%の補充しか届かないことになる。これではインパ−ルに補給したくても物資
がない。
65 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 16:04:31 ID:???
牛が無いならヘリを使えばいいじゃない。
66 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 16:30:56 ID:???
67 :
名無し三等兵:2006/11/15(水) 17:26:09 ID:???
どこに逃げるんだよ
68 :
名無し三等兵:2006/11/16(木) 23:43:25 ID:???
>>67 白旗掲げて敵のいる方向に逃げればいいじゃない
69 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 09:26:58 ID:???
>>68 「降伏する輩は国賊、家族は村八分」
基地外帝国に家族が人質になってるのにそんなことは出来ない
70 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 09:33:28 ID:???
日本陸軍は基地外
日本の優秀な人間や善良な人間を殺しまくって東条や牟田口のような基地外を増やした最悪の組織
戦後の日本が駄目になったのも基地外陸軍が原因
71 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 11:15:22 ID:???
釣れる?
詰め込み教育で作戦馬鹿を量産した意味で、駄目組織だったのは確かだけど。
72 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 11:18:51 ID:???
>>70 たしかに陸軍は基地外だが、明治陸軍は海軍こそが国防の要であることを
知っていて、常に海軍をたてて海軍に従った優秀な人たちだった。
昭和陸軍は海軍の邪魔ばかりしてアメリカよりも海軍を敵とした本物の基地外。
アメリカが無理矢理戦争をしかけてきたから日本は自衛のためのやむをえない
戦争に巻き込まれたが海軍が主導していればあんな無様な負け方はしなかった。
73 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 11:22:45 ID:???
>海軍が主導していればあんな無様な負け方はしなかった。
ん?釣りか?w
74 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 11:28:35 ID:???
>>73 話のレベルについてこれない低能は失せろ厨房
75 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 11:59:06 ID:???
>>69 実際は降伏してても戦死扱いなので勇士の家となる。
76 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 13:03:47 ID:???
77 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 15:01:12 ID:???
>>70 日清日露や戦後の高度成長期など戦略方針が明確で一貫してたときは
陸軍的な日本型組織は有効に機能し、莫大な国富を築きあげた。
今だって充分その恩恵を受けてるんだから、日本型組織を槍玉に挙げて
今の日本に不平不満を言うのは単なる八つ当たりでしかない。
78 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 15:45:19 ID:???
そもそも海軍型の組織というのが想像できない。
超がつく学歴至上主義で、上下が完全に隔絶した社会になりそうだ。
79 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 15:51:19 ID:???
海軍は格差社会。
勝ち組は英国風テーブルマナーで士官室で華麗に社交、
かたや負け組はバッターを喰らいつつ窮屈なハンモック部屋で寝食、
艦底のボイラー室で汗まみれ。
80 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 16:36:51 ID:TTGTrETs
下位群がヴァカだから負けたんだろうが
81 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 17:47:50 ID:???
コイツの命日と俺の誕生日が一緒だ。
本当に、心の底から嫌になる。
82 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 18:52:07 ID:???
>>75 たとえそうであっても、そのことを前線の兵士達は知らない
だから家族を死ぬより辛いめに合わせるくらいなら
基地外司令官の基地外命令に従い、死ぬしかない
それが基地外帝国クオリティ
まあ「皇軍は神軍」の酷使様に何いっても無駄だろうがw
83 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 19:30:36 ID:???
降伏するわけにいかないから攻撃するってどんな短絡思考だよw
じっくりと守りを固めるとか方法はいくらでもあるだろうに
補給無しで攻撃なんて最下策だろう。
84 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 20:08:33 ID:bhrQ7UTV
この馬鹿は出世が異常にしたかったらしい。女と一緒に風呂に入るのも好きだったそうな。
85 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 20:11:22 ID:???
>>女と一緒に風呂に入るのも好きだったそうな。
それは俺も好きだ。
86 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 20:15:14 ID:???
俺だって出世したい
87 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 21:13:23 ID:???
俺も。
その為に三万人ほど野垂れ死にしていいとはおもわんが。
88 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 21:21:25 ID:???
牟田口将軍は勝ち組。
勉強と仕事で必死に努力した結果あのような誰もが羨む地位を手に入れることができた。
努力即権威。僻んでばかりおらずに君らも頑張れ。
89 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 22:25:30 ID:???
負けて本国に帰らされて予備役編入。
どうみても左遷です。ご苦労様でした。
90 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 23:13:36 ID:???
激戦場から内地へ帰れたんだから命拾いしたともいえる
予科士官学校長で最後の軍隊生活をマターリ
戦後は軍人恩給と焼肉屋の経営で優雅な隠居生活を楽しみつつ
インパール論争でボケ防止
91 :
名無し三等兵:2006/11/17(金) 23:52:49 ID:vQIJHkfp
>インパール作戦前に、日本軍は飢餓行軍実験を行っていた。
>少量の米と塩だけを持って、蛋白質摂取禁止で、1個大隊で徒歩の強行軍。野草は食ってよし。
補給のこともちゃんと考えていた
92 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 00:37:21 ID:???
93 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 00:38:45 ID:???
>>90 予科士官学校長として佐藤中将を侮辱する演説をw
94 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 13:07:28 ID:???
>>90 本人は激戦地には行ってないのが、これまた味噌ってもん
95 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 17:00:45 ID:???
さらに未開のジャングルを進む
道には、なぜか牛馬の死体が転がる
ジャングルの奥地で、英吉利軍発見
重火器装備で攻めてくる
こんな大敗北を喫しながら、
決して反省などはしない
牟田口中将の厚かましさに
ぼくらは思わず涙ぐむ。
行け行け牟田口廉也、行け行け牟田口廉也、行け行け牟田口廉也
どんと行け
大敗北を喫してジャングルを後にする、来る時あてだけいた兵や、
食料弾薬ありやしない、師団長すら消えている。
行け行け牟田口廉也、行け行け牟田口廉也、行け行け牟田口廉也
どんと行け
前半部を思いつきませんでした。下手糞でした、不遜でした、
インパールで斃れた英霊に詫びる為、逝って来ます。
96 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 17:40:15 ID:???
帝国陸軍の伝統でしょ?強引な突撃は。
日露戦争での英雄の勝利がもたらした伝統。
でも、実は大量死。 影の別部隊の手柄により勝利。
97 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 20:11:35 ID:???
別にやりたいからやってるわけではなく、
それをやらないと負けてしまうからやってるだけ。
98 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 20:19:33 ID:???
>>96 おいおい、日露戦争の時代には戦車なんかないだろ。
歩兵の突撃で事を決するしかない。
99 :
名無し三等兵:2006/11/18(土) 20:20:53 ID:???
日本海軍は常に先進的な技術と独創的な新戦術で大勝利してきたのに
無能陸軍はいつまでたっても銃剣突撃しかできない池沼w
艦隊決戦一本槍の無能海軍が何を抜かすw
>>99 陸上戦闘に最終の決を与えるのは歩兵の銃剣突撃である。
あくまで頑強に陣地に籠る敵歩兵を追い払い、殲滅する力を持つものは
航空機の爆弾でも大砲の砲弾でも戦車のキャタピラでもなく
近接戦闘で敵の喉元に突きつける銃剣のみである。
>>101 あえて「最終の決」と書いてあることから判っているとは思うが、
その歩兵を敵陣に送り込むための手段が航空機や大砲や戦車だよな。
牟田口司令官は、3人の師団長を罷免しても、食糧弾薬が殆ど無い状態を知りながらも
銃剣突撃を続けさせた。防御の体制を取れば遥かに人命の損失は少なくなったのに。
なぜなのか、理屈で考えれば勝つのは不可能なのに。精神力に全てを掛けたのだろうか。
>>103 基地外の理屈なんて知るかよw
陸軍はみんな基地外ばっかだから特攻なんて平気でやるんだろ
>>102 大砲で叩いても全然抜けないから、WW1で戦車がでてきたんだけど。
火力的には明らかに戦車より大砲のほうが大きいぞ。
ダイエット道場「ジンギスカンハウス」
牟田口の子孫は名前ですぐに分かるな、カワイソース
ボードのシミュレーションゲーマーに…
>>108 盤上のユニットに無茶な持久力を求めるプレイスタイルが災いして連戦連敗。
「もう戦闘力0だと? 皇軍精神は無いのか!!」
もちろん忠実に対戦車ユニットなし
日本軍の対戦車兵器は、本当に貧弱だな。師団に3門しかない37mm対戦車砲ではM3
軽戦車の正面装甲すら撃ち抜けない。兵隊の自爆攻撃に頼るしかない。英軍では携帯
ロケット砲を装備して日本軍の虎の子の戦車を簡単に破壊してるのに。
》師団に3門しかない37mm対戦車砲
あー……。
日本軍歩兵師団の対戦車砲装備定数は12門だが、インパ−ルの3個師団は37mm対戦車
砲各3門を持っていけば、英軍の数百台の戦車を撃破して陣地を占領できると牟田口司令
官は考えて準備し、作戦を開始した。
いっそ、手ブラで行けばもっと進撃でき…(略)
九四式37mm速射砲は対戦車砲じゃないよ。
ていうか、ビルマ方面の装備はかなり優遇されている。
>>113 牟田口は37mm砲の威力を過大評価してたの?
「対戦車砲」の呼称にだまされたの?
日本軍の装備した破甲爆雷は威力が低く、3個重ねても厚さ40mmまでしかぶち抜けなかっ
た。1945年の布団爆雷が出るまでは、歩兵の自爆攻撃すら、戦車には殆ど無力であった。
対戦車は大砲に頼るしかなかった。
>>115 問題なのは、ビルマ戦域の配備量ではなく、インパール作戦への投入量。
独立速射砲大隊はいくつついていたの?
>>117 大砲に頼るのは、それが王道であって問題ない。
1945年に布団爆雷が出るまで、歩兵は地雷でキャタピラを切断するしかなかったが、それも
転輪と転輪の間に入れなければ切断できないので、戦車が停止してくれなければ不可能。
インパ−ルでは歩兵が戦車はおろか装甲車を撃破したという戦果すら殆ど無い。
どうせ大型兵器はアラカン山脈をほとんど越えられない。
どうせ歩兵はアラカン山脈を越えて生きて戻れなry
日本軍がRPG-7を大量に持っていたら・・・
まさに連合国の戦車兵の地獄絵図が展開されていただろう
誰かそんな内容の火葬戦記書いてください。
昔々、インパールに大量のRPG-7を持った日本軍がいました。
続く
チンドウィン川を越えるときに半分流され、アラカン越えで半分失われました。携行食糧もRPGの分減っていたので
続く
みんなでwikiに投稿してジンギスカンハウスを有名にしようぜ!
牟田口の悪行は世界に広めて晒し者にしたほうがいい
どっかのサイトには人類史上稀に見る愚将と書かれてあったな
ジンギスカンハウスはまだあるのか?
インパ−ルには、独立速射砲大隊1個が参加しているが、戦史を見ても、どこにも活躍した
記録が無い。どこで戦っていたんだろうか。装備は37mmそれとも47mm。47mmなら相当
活躍している筈だから、記録がどこにも無いとういうのは不思議だ。インパ−ルに行く途中
敵航空機の執拗な攻撃により、多くの装備を失ったが、それに含まれるのかも。
インパ−ルへの補給路は山岳地帯を縫う細い山道と川を越えていくが、道路は常に航空機
により機銃掃射と爆撃を受けており、その為に補給も殆ど出来なかった。47mmは分解搬送
が出来ないので爆撃を受けても道路を離れることが出来ない。
昔NHKでインパ−ルの番組やってるの見て泣いたのは内緒だぞ。
>>130 上に行くごとに補給車両他がどんどん減って行くヤツ?
独立速射砲大隊なら本来は47mm機動砲のはずだけど、どうなんだろ。
とりあえず、手元の弓兵団所属者の手記を見ると、
独立速射砲第一大隊が、
33D山本支隊に配属で、テグノパール・パレル道方面に主力が居るね。
山本支隊には戦車連隊や野戦重砲連隊もいたと思った。
6月12日パレル東方のクデクノー攻略戦に、第3中隊欠の100名が居る。兵器の記述なし。
筆者たちの隊70名が、「友軍の大部隊」として歓迎される描写が出てくる状況。
なお、敵戦車の出現は触れられていない。
>>132 なお、正しくは独立速射砲第十四大隊。
部隊長名はどちらも川道となっているので、同一部隊を指すものと思われる。
あと、こんなの見つけた。
>一式機動47ミリ砲(速射砲)
>インパール作戦では、この速射砲は敵戦車に対し効果薄であり、
>戦場は山岳地帯が予想されるため先行部隊は携行しなかった。
>山砲兵聯隊が後送し、インパール周辺の平地に進出した戦闘部隊に交付することになっていた。
>ただし弾薬は一門につき120発のみ用意されていただけだった。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/imphal/imphal.html 速射砲兵は、歩兵化されて投入ということか?
前述の戦記井坂「弓兵団インパール戦記」によると、突撃第二波の陣地占領要員に使われている。
>>132 戦車連隊も重砲兵連隊もビシェンプール正面じゃないの?
烏合作戦開始時は、山本支隊所属でパレル道でいいみたい。
4月末テグノパールまで行った辺りで、
戦車14連隊と野戦重砲兵第18連隊の第二大隊が、
第33師団本隊へ配属変更になってビシェンプール道。
但し、戦車連隊の軽装甲車中隊だけは最初からビシェンプール道だったようだけど。
配属変更でやむなく引き返したけど、ちょうど雨季に入って大変だったとか。
これって計画通りの行動だったの?
後知恵だが、最初から33師団主力方面に戦車や重砲を配属してれば
状況も少しは違ったものになったとは思うが。
特に、緒戦でインド17師団を包囲したときにこの重戦力があったらな。
アラカン越えられないだろう
138 :
名無し三等兵:2006/11/23(木) 15:44:22 ID:IS4YDP/V
こいつが戦後に各所で配布したという、
自己正当化パンフは、どこで見れますか?
…中華「ジンギスカン」で店名入りマッチと一緒に置いてたとか?
139 :
名無し三等兵:2006/11/23(木) 16:02:32 ID:IS4YDP/V
すまん、過去レスに「都市伝説」とあるな。
終わった後にせめて腹切っておけば、もうちっとましな…
ならんか
それが怖くて逃げた奴に、そいつは無理。
中学生のときにコイツのこと知って人間の醜さを思い知らされた
戦争よりももっと醜悪なものを知った気がする
なんていうか戦争が悪いんじゃなくて人間が悪いんだと悟った
そういう意味では一回りして再評価
半藤一利の昭和史だったかな?
牟田口は部下を叱るときに乗馬用のムチで部下を叩いたりしていたと書いてあった
色々関連エピソード読んだけど有能無能というより人格破綻者じゃないの。つか異常?
こういうのが軍の頭にいたと思うだけでも寒気が
裏付けの無い”エピソード”は単なる大袈裟な噂話だったりするから鵜呑みは禁物だよ。
権力争いに負けて地方にとばされた傍流派閥の1員。
でもまだまだ野心満々、出世欲満々。
部下にとってロクでもない上司の典型的パターン。
一緒に死んだ牛もカワイソス
軍事研究とかの記事探すと牟田口中将を擁護する資料も結構見つかるんだが・・・いま手元にない。
>>146 >出世欲
そんなことは無い。出世など・・・私は御国のために一生懸命・・・・ (牟田口中将談 「軍事研究」)
>そんなことは無い。出世など・・・私は御国のために一生懸命・・・・
それで、あの結果ならよけい悪いわ。
こういう頭の悪い働き者は銃殺にしないといかんね。
なるほど、いい例だw
真面目な馬鹿が一番タチ悪いって言うしな。
ビルマの過去の戦訓では、英軍は包囲されたら撤退していた。今度も撤退すると牟田口
中将は考えたのだ。そこまでは良い。しかし今は制空権があり空輸でウィンゲ−ト空挺旅団
と同様の補給が出来ると考えるのが素人でも解かる。ましてや軍事専門家である。
とすれば、何を根拠に3週間で確実に勝てると判断したのか、対戦車装備も弾薬もなしで、
英軍は包囲されたら撤退する。それしかないが、まさか素人でも解かることを。
第二次大戦でも空中補給が成功した例はものすごくレア。
普通はできないと判断する。それが常識。
確実に勝てるとは思っていないだろう。
苦境のなかで決心した攻勢防御なんだから。
もし勝てたらめっけもの、程度。
兵隊の優秀さ当てにした無謀な作戦 インパール
>>155 作戦失敗は計算に織り込み済みってこと?
の割りには責任取るのを恐れて中止命令出すのが先延ばしになってるが。
>>153 ウィンゲ−ト兵団の作戦価値に対する日英両軍の見方は違う物があって
英軍には空中補給による大規模作戦に自信を与えた。
日本軍にとってはこの後方撹乱はインパールの英第四軍団の反攻開始のための橋頭堡であり、
敵大規模反攻の機先を制するため、むしろ速やかにインパール作戦を断行すべき、
との判断材料になった。
日本軍の対戦車砲は威力も低いし、数も少なすぎる。個人携行の対戦車火器も無いのに。
ちなみに1944年のドイツ軍は、75mm対戦車砲15581門。88mm対戦車砲2305門。を生産
して、個人携行の対戦車火器も多数を装備していた。日本は47mm対戦車砲月産50門。
>>153>>154 18年後半から日本軍はビルマ戦線で、英中軍の、
空中補給に支えられた円筒陣地を撃破出来なくなってるね。
「戦勢我に非ナリ」と焦り狂う要素にはなっても、
「何で勝てなくなったんだ?」の検討にならない、それがむっちー。
18年後半?
その頃の日本軍って攻勢に出てたっけ?
神憑かりの主観主義と、勲章欲しさの独断専行や火遊びはムッチーの専売特許じゃなく、
旧軍の伝統・組織文化を忠実に体現した人物と誉めてあげることは出来る。
>>149 自己欺瞞。他人も騙すし、自分も騙している可能性を検討しないと。
官僚ほど出世欲と自負心の強い人種はいない。
それだけの競争をくぐり抜けてきたし、
たしかに努力もしている。だからなおさら我が身は可愛い。
東亜の独立のために戦った牟田口閣下は英雄である。
インド独立は大東亜共栄圏の産物であり
牟田口閣下は叙勲されなければならない
>>161 ウィンゲート旅団(第一次)は18年春だね。
フーコンでの中国38師vs18師は18年晩秋から。ユパングでの包囲失敗は年末年始。
第二次アキャブの失敗は19年の2月。
>>144 >>146の書いた正常な「碌でもない上司(=中間管理職)」だと思われ。人格破綻者の喩えはむしろ花谷の方が近い。
166 :
名無し三等兵:2006/11/27(月) 09:08:17 ID:vw3PES6+
ずっと連隊長をやってればよかったんだよ。
いやいや大隊長ですよ。
168 :
名無し三等兵:2006/11/28(火) 23:39:04 ID:QgFJ7w5n
全然関係ないが、きのうユーミンの古い歌
「傷ついた友達さえ置き去りにできるソルジャー」
を聞いたので、なんとなく書き込んでおく
>東亜の独立のために戦った牟田口閣下は英雄である。
戦ってないじゃん。
河辺中将と顔色見比べてただけジャン。
>支那・鬼畜米英・左翼・ユダヤの 悪宣伝を信じてはならない
しかし、ムッティーを誉めそやす方が寧ろ、↑の連中の
思惑に適うと思うのは俺だけか?
今やインド独立の勲功を讃えられることもなく、牟田口閣下の戦後は苦難に満ちた
ものであった。中華料理店を経営して糊口を凌ぎ、不遇のうちにこの世を去ったのであった。
172 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 09:55:42 ID:lOSdFFjZ
↑
ヴァカか?
173 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 10:21:07 ID:q7FlultY
覚悟の自決すら阻止され、「生きて虜囚」の辱めにあわされた
挙句、惨殺された東条閣下こそ不遇の極み
東條さんも部下に介錯を頼んで切腹するとか
近衛文麿みたいに青酸カリを使うとかすればよかったのに。
176 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 13:18:48 ID:q7FlultY
177 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 16:13:53 ID:4Q7gZ2Ja
このスレって牟田口を擁護するスレじゃないの?
おまえら軍オタなら楽勝だろ
178 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 16:39:58 ID:lOSdFFjZ
179 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 16:48:49 ID:OoQZkvvd
むしろ軍オタだからこそ、遠慮なく糞をクソだと言うのでは?
おまえらは売国奴なのか?
大日本帝国の中将をクソよばわりとは。
181 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 18:00:13 ID:lOSdFFjZ
愛国者だからこそヤツをクソ呼ばわりする
死ね売国奴ども
183 :
名無し三等兵:2006/11/29(水) 18:47:16 ID:sfdwS+2y
なんかムタの生まれ変わりきて暴れてたあああああああああああああああああああああああああ
いっそのことタイの国境あたりまで撤退しちゃえば?・・・と言ってみる
>>184はツッコミをいれること
186 :
名無し三等兵:2006/11/30(木) 00:18:31 ID:z0vqnAA7
>>184 部分ビルマってことなら、徐々に戦線を縮小持久というのもあったかも。
マジ戦略で言うなら、「43年までに講和」。出来なきゃ日本に見込みナシ。
作戦が多少長期化しても雨季に当たらないような時期に作戦を開始してたら
同じ敗北でもまだ兵力の消耗は避けられたかも。
>>175 東条は、あの時点では自決する気はなかっただろ。
雨季は皇軍に味方するとか言ったあふぉだからなあ・・・。
>>180、182
たとえ相手が元帥だろうが批判すべきは批判するのが日本人の愛国心
「すべて正しい」と盲従するのが中国人と韓国人の愛国心
もう少し上手にエラを隠せよ、パンチョッパリw
東条は、天皇の身代わりに絞首刑になったことは忠臣の鑑かもしれんが
自殺に失敗し、物笑いの種になったのは武人として失格
それに指導者としてあまりにも人物が小さく見苦しい
大河ドラマのセリフじゃないが、カミソリはナタにはならんということか
それでも牟田口が首相になるよりはましかな、あのオッサンが首相だったらどうなってたやらw
>自殺に失敗し、物笑いの種になったのは武人として失格
米兵に撃たれたって証言があるし、真相はなんともいえないと思う。
不自然な事に、自殺する当日になっても遺書は書きかけで清書もされてなかったそうだし。
>>192 お前の様な小物に人物評なんて出来るのか?
吉田茂いわく「軍人は教養人ではない」
米内光政いわく「軍人は片輪の教育しか受けていないので、
本来、政治にはむかない」
吉田も満蒙問題では当初、タカ派的でイケイケだった。
米内は上海やトラウトマン工作では大失敗してるしw
でも成長したぶん、頑なすぎた東條よりはましでしょ。
ムッチーは・・・・だめぽ
>>193、
わざわざ証拠もないようなことをいちいちあげてくるなんて、東条英機にずいぶん優しいんだね
コヴァですか?
でもムッチーなら民家のゴミ箱を調べたりしないなw
>>197 心臓を狙って拳銃撃ったんだけどね〜 それに文句を言うとは。
まあ東條は何のかんの言っても重要人物だから戦犯にもなったが
牟田口は戦犯にもなれない小者だったっちゅう事だな。
戦犯?何を言う、英軍の救世主じゃないか。
牟田口の積極性は評価しても良い。
仮にインパール作戦をやらずとも、ジワジワと追い詰めれて兵力と領土を
イギリス軍に削られただけなのだから。
その積極姿勢は大いに賞賛するべきである
>>203は理詰めで批判すること
積極性は素晴らしいと思う。
その積極性がドイツ軍でいうところの「春の目覚め作戦」並みの結果を招いたのは残念。
3個師団壊滅を「その積極姿勢は大いに賞賛するべきである」で済ませるとは、いい時代に生まれてきたもんだ
歴史をゲーム感覚で評価とは恐れ入る
>>199 お公家さんの近衛公は毒を使ったにせよ、自決してますがw
お公家さんに出来て、戦陣訓を作らせた陸軍大将様が
まともに自決も出来ぬとは、嘲笑われて当然
この積極性礼賛が日本軍の悪いところだな。
為さざると遅疑するとは指揮官の最も戒むべき所とす
是此の両者の軍隊を危殆に陥らしむること其の方法を誤るよりも
更に甚だしきものなればなり
補給と歩兵の移動の機械化にも積極的だったら良かったのに。
>>206 まぁ自決することが「責任を取る」と感じるか「責任の所在を曖昧にする」
と感じるかは人それぞれだからなぁ。
>>199 「遺書書きかけだから犯人は米兵」じゃなかったの?
下手な切腹は「士道不覚悟」。それが武人の世界。
まぁ、結果として「戦勝国に渡す象徴的イケニエ」になり、
天皇の盾になったんだから結果オーライではある。
>>203 国力に重深の無い悲しさと、戦争=戦闘って視野狭窄の弊で、軍人の体質に
「時間は敵。何か仕掛けていなければ不安」って染み付いてるからねえ。
>>207 「無能な働き者」になることを推奨か。
まあ確かに軍人にとって果断であることは美徳なのかもしれんが……
常識的には専門馬鹿だ罠
しかし失敗の構造はバブル崩壊・金融敗戦とほとんど同じ。
バブルのつけの被害者世代であるコヴァとか酷使様が戦前称えるってのは、
北鮮の人民が心底から将軍様を称えるのも同然。
マゾですか?
果断と蛮勇の差がわからないのが、匹夫の匹夫たるゆえん
と、偉そうにいってみるテストw
>>212 軍板で執拗に旧軍や牟田口叩きやってる香具師の
メンタリティがよくわかるレスで面白い。
要はバブルのつけで現在不遇にある自分の個人的私怨を
過去の組織や人物にぶつけて発散させてるわけだね。
空しいな。
これほど擁護のしようがない人物もいないと思うがw
彼に匹敵するのは富永恭次くらいのもの。
首脳部に、酒色を供する清明荘(ビルマ)
>>210 「士道不覚悟」だぁ?
昭和からずいぶん遠い価値観を持ってきたもんだな。
日本帝国は武士を滅ぼして成立したんじゃなかったのか。
>>218 しかし葉隠れの武士道を強要したのも事実
それも徴兵の百姓町人にな
>>214 まぁインパール戦の本(光人NFあたり)を一冊でも読むことをお勧めするよ。
明治時代の軍の指導者たちは徴兵の百姓町人たちは基本的に弱いと知ってて
その兵の弱さを前提にそれでも勝てるように火力や補給に神経を尖らせたのに
なんで昭和になってあんなボロボロになったのかチョイと不思議だ。
>>222 満州事変において最初火力重視で望んだが、中国兵は無制圧突撃でも容易に退却した。
のちに北支事変や日華事変だと最初から無制圧突撃で成功した。
それによって火力支援が無用であると誤認した。
因みに歩兵操典では敵を火力で制圧してから突撃しろ、と書いてあるw
>>219 葉隠では「武士道は死ぬここと見つけたり」みたいな
ファナティックな部分はごく少数だよ。
大半が日常の規範、道徳、処世術。
>>222 日露戦争では慢性的に弾薬が不足し、国家が破産しそうな勢いで外国から買って埋め合わせようとしたんだが。
それでも足りなくて結局兵の血で贖った。
補給に気を使ってるなら、そもそもこんな状態で戦争を仕掛けない。
>>223 通常: 「火力で劣勢」→「攻撃に見込みナシ、防勢転移。損耗を防ぎ敵の出血を買え」
インパール発想: 「火力で劣勢」→「今、ここで、吶喊でなんとかしろ」
訂正
インパール発想: 「火力で劣勢」→「戦線が広すぎて防勢に見込みなし」→
「敵が準備を整える前に先手を打て。攻勢防御」→「インパールにいる英軍を叩け」
あれが攻勢防御?!無謀な猪突にしか見えんが
劣勢だと何故か二倍の敵に攻撃仕掛けちゃう、という発想もさることながら
弾もなく餓死寸前の兵隊が前線で役に立つと思っていたのだろうか?
>>229 兵站軽視と敵を侮るのは、当時の日本の「国技」
現在は、中国の「国技」だがw
そういうごく普通の疑問も、
酷使様には旧軍を貶めるメンタリティゆえとしか見えないんだろうな。
単純に火力だけ見ても帝国陸軍の標準師団の半分(装備のいい31師団で)
15師団なんか約5分の1の火砲もってないからなぁ。
弾薬も良くて定数の四割、場合によっちゃあ一割弱しかもっていなかったし・・・
確かこれって他国の空挺師団より火力が弱いんだよな・・・
>>224 しかし、その少ない部分だけを強要したのも事実
>>228 防御のための攻勢なんだから攻勢防御だろう。
でなかったらなんだと言うんだ?
>>229 2倍程度の兵力差なら奇襲で容易にひっくり返せる。
>>233 勝手に事実にするな。
葉隠武士道を押し付けた例とは一体なんだ?
まさか戦陣訓とか言うなよ。
>>234 >防御のための攻勢なんだから攻勢防御だろう。
いや、それはちょっと・・・
敵の攻勢に対して防御側が攻勢を行うなうのが攻勢防御。
インパール攻撃はどちらかといえば先制攻撃に近いと思うよ。
>>235 底流それがあったのは間違いないと思うが?
戦陣訓以前でもそういう風潮はあったよ。
さらに言えば葉隠れ武士道ではなくそのパクリといったところだろう。
>>236 連合軍が攻勢の準備をしているところを攻撃するのは?
>>237 間違いない、という根拠はなんだい?
>2倍程度の兵力差なら奇襲で容易にひっくり返せる。
火力や制空権、輸送能力や予備兵力なんか見ると2倍どころの差じゃないんだがなぁ・・・
「2倍の敵」とか言い出したやつに言ってくれよ。
まぁすべてがインパール作戦の迎撃に出たわけじゃないけど
あの地域に展開していたのは東南アジア方面軍第11軍集団
戦力はイギリス第14軍に三個軍団(総兵力九個師団、三個旅団、六個連隊)
大半はインド師団だが。で軍直轄戦力が二個師団。
でこれにレド方面にはアメリカ式に装備改変した中国軍四個師団が展開。
雲南方面にも中国軍15個師団(実質戦力は旅団だが)展開しているわけだ。
>>238 >攻勢の準備をしているところを攻撃するのは?
軍事用語で「先制」という言葉がある。「敵の攻撃準備に対して我が軍は先制する」とか使うようだ。
>間違いない、という根拠
戦国期や江戸期の武士道とは違うからね。
どっかからバクってきたと思うね。
似たようなのに「士道」っていうのがあるね。新撰組のオニーサン達が使ってたやつ。
まぁこれは俺がそう思うだけで君はその思想の形成過程を知っているのだろう。
>>241 そんな圧倒的な敵戦力に対してビルマの広大な戦場で専守防御なんてやろうとしたら
至る所迂回浸透されて手のうちようもなくなるな。
硫黄島とかぺリリューとか沖縄みたいな限定された戦場じゃないんだよ。ビルマは。
>>243 だからといって補給や火力を無視して、皇軍兵士たちの屍をむざむざさらす
ことが良かったとは思えんがな。
>>243 ただ現実には攻勢を行うとなると物資の輸送手段とか補給路とか戦闘以前の問題に突き当たる。
師団長や参謀長が反対したのも理由があるわけだ。
まぁ1943年にはウィンゲート部隊による浸透攻撃もおこなわれていたからな。
あの時点でインド方面への攻勢を行いたいのはわからんでもないが、あまりにも
補給を軽視しすぎ、かつあれほどの悲惨な結末を招いたんだからな。
酷使様に補給の事いっても無駄
旧軍の信奉者は旧軍同様、補給の問題なんか眼中に無い
結局、ビルマを防衛したかったのかインドに侵攻したかったのかどっちなんだ?
>>243 だから論理的な帰結として戦線を整理縮小して防衛するのが普通の考えだと思うが。
攻勢防御ってのは、だいたい、当時の司令部が考えてたことなのか?
おおまじめにインド侵攻の第一手だと思ってたんじゃないの?
方面軍→インパールを英軍の攻勢の橋頭堡と考えてこれを先制撃破しようとした。
15軍司令部(牟田口)→インドアッサム州に侵攻→インド全土で独立運動惹起→英国の戦争脱落を目論んだ。
>>250 むっちーは「インド独立が大東亜戦争の帰趨を決定する!」とか思っていたみたいだけどなぁ。
理想→インド全土で独立運動
現実→ビルマ軍の卑劣な裏切り
単純なムッチーは、チャンドラ・ボースの英雄的カリスマというか男気にすっかり魅了されて
インドまで進攻するつもりだったようだ、本気も本気で
このチャンドラ・ボ−スという御仁、インドでは独立の英雄と言われ「半神」扱いだが
インパール作戦に参加させられた兵士から見りゃ、神は神でも疫病神だろうな・・・
日本軍がインパールを例えば4月中に陥落させても
英国は史実どおり6月には米国とノルマンディーに上陸しただろうし
インドの一部に自称独立政府の旗が翻っても米国の戦力だけで日本は敗北するよな。
やっぱ国内向きの政治的アッピールのための作戦としか…
そも最低限、攻勢なら防御側に対して三倍の戦力があって初めて対等に戦えるんじゃね?
>>249 一体どこまで戦線を整理縮小するんだよ
ちなみに教科書的には当時の一個師団の通常の防御正面は6〜8kmくらいとされてるがw
>>254 皇道派将校に分類されるだけに、神憑かり、精神主義、
ロマン主義の傾向が陸軍軍人の中でも強いタイプ。
あと権威主義と自己顕示かな(マスコミ好きの女好き)
ボースに魅了されたのもこういう素質の為だろうね。
(権威主義者は、他の権威やカリスマに服従しやすい)
自己の過ちを直視出来ず、正当化に固執するのも権威主義者の特徴。
(生まれが現代だったらサヨかウヨのプロ市民か、
トンデモ系の煽動学者あたりになっていると思うw
攻勢に出るにしても、日本版チィンディット長距離挺身隊を編制して状況を探るとか
米式中国軍の動きを封じた方が良かったんでね。
防御にまわるにしても泰緬鉄道が完成している以上、さほど悲観的でもなかったんじゃ?
>>256 各接近経路に沿って、遅滞行動しながら、ね。
陣前逆襲規模の攻防を織り交ぜてもよいだろう。
どこまで縮小? 「ビルマ戦線の戦闘」が「永遠に続く」わけでなしw
これ、戦争全体の情勢と見通し・地歩の重要性と力関係の按配、の問題だから。
なんにせよ「補給無視で長躯突出」なんて、
エゲレスのスパイだったとしか思えない狂った作戦指導よか余程マシ。
北部でスティルウェル中国軍への圧迫、ミートキーナ防衛
南部でアキャブ方面へ侵攻する連合軍に対する反撃など
インパール作戦以外にやるべきことがあったんでね?
>>259 援蒋ルート遮断という戦略目標のために日本軍はビルマ全土を制圧した。
遅滞行動しながらビルマの戦線を縮小するというが、その戦略目標と目的は何?
>>261 その「戦略目標」自体が、連合国側による新ルート開拓により意味を失いつつあった。
そして、更なる攻勢は、彼我の戦力比&日本の兵站能力からして「不可能」。
旧ビルマルートの閉塞を維持することすらも、早晩不可能になる。
戦略上の任務に見合う能力がそもそも無いわけだ。
不可能な目的に拘泥した挙句、進め過ぎた前線が大崩壊してちゃ意味が無い。
「戦略目標の達成」に努めるのなら、交通要点での要塞抵抗って選択もある。
無謀な攻勢によって戦力を消尽するよりも、任務をより長期間果たし得る選択肢。
ビルマでの遅滞行動の意味なら、東南アジアの側翼防御として一応の価値がある。
問題は「連合国側による新ルート開拓」を
当時の方面軍なり大本営なりが認識していたかどうか。
情報戦には無敵の弱さを誇った皇軍だけに・・・・
>>262 連合国側にとって意味を失いつつあったんなら
わざわざフーコン・雲南から大規模攻勢かけてこないだろ
やっぱ敵側の士気が落ちて再編制も遅れていた1942年中に
(牟田口が反対した)『21号作戦』でケリをつけとくべきだったと思う。
266 :
名無し三等兵:2006/12/05(火) 18:38:10 ID:MaeyTA4m
牟田口は戦後 連合軍に逮捕されたが、山下のように戦犯にはならず、
釈放された。インパール作戦により、連合軍に『利』をもたらしたというのが、
その理由だそうだ w 。とんでもない国賊野郎を今になっても擁護するスレ
が出来ているとは、、、驚きだ。
誰も擁護してない件について
まあ、再評価するとしたら十八師団長としてのシンガポール攻略戦での功績ですかね。
こんなヤツ国士様だって擁護したくねえよ。
>>265 1944年だったら方面軍案が最良だったと思う。
>とんでもない国賊野郎を今になっても擁護するスレ が出来ているとは、、、
驚きだ
支那・鬼畜米英・左翼・ユダヤどもが日本人の正常な価値観を狂わせるため
>>1を手先に使ってムタを誉めそやすのである。
274 :
名無し三等兵:2006/12/06(水) 10:24:05 ID:KGjWaAdn
用語してるのは極一部のアフォだって
「軍事研究」誌の資料だっけ? > 用語
軍事研究の「インパール作戦」を書いた太田嘉弘氏は陸大出の参謀将校で
インパール戦のとき、文面から見るに恐らく方面軍司令部に所属していた。
ムッチーは陸大の先輩。
よって擁護するのは当たり前なので、ある程度事情を斟酌する必要があるw
>>276 それじゃあ、ムッチーとは「共犯」の関係ジャマイカ。
>>276 「共犯」の関係にあるチャンドラ・ボースも、ムッチーをほめたたえてるな
これも酷使様がムッチーを擁護するときのネタになってるし
>>275-276 読んだことないんで聞きたいんだが、その論文は具体的に
どんな事例を挙げて牟田口を擁護してるわけ?
>>274 たとえ牟田口でも日本兵の一人だから、その日本兵が馬鹿馬鹿言われる
のが我慢できなくて擁護しているように見えるな
むしろ、これほどまで牟田口が悪く言われてなかったら酷使サマでも牟田口を
批判するんではあるまいか?
>>280 論文というより戦史。実際に「戦史」と銘うっている。
まず佐藤中将はくそみそw
で柳田中将もみそくそw
具体的な内容は日曜に「軍研」を押入れから引っ張り出してみるよ。
>>281 大半の酷使様は、中国や韓国の「愛国烈士様」と同レベルの馬鹿だから
ついからかいたくなるw
「軍事研究」誌は中国や韓国の「愛国烈士様」と同レベルの馬鹿?
話題になるようなものを載せたがるのが、ブンヤの性(さが)ってやつだろ
「軍事研究」誌だって例外じゃないということさw
286 :
名無し:2006/12/07(木) 15:57:25 ID:???
どうすれば牟田口を擁護出来るんだろ?
数万の兵士を餓死させて、自分は安全なところで宴会三昧。
戦争が終わっても自分は正しかったと言い続け、結局死ぬまで責任を認めず
・・・どうやって擁護すんの?
>具体的な内容は日曜に「軍研」を押入れから引っ張り出してみるよ。
この人に期待しよう・・・ >擁護
無敵皇軍を侮辱する特亜の手先がいるスレはここですか?
ほんとに無敵皇軍だったらインパール作戦は成功し
オレの爺さんが戦争後遺症で苦しまずにすんだろうな。
日本陸軍の陸軍大学教育での作戦立案は、補給を軽視し、必勝の信念さえあればどんなに
劣弱な装備でも勝てる。といった論理や合理性からかけ離れたものであった。
もっとも、日本の国力ではロシア、米国、英国といった工業先進国と武器、弾薬の質量で
考えれば、負けるのは明らか。そこで精神力に頼るしかなかったのだが。
>>290 >日本陸軍の陸軍大学教育
知ったかで俗論語るのもいいが、ちっとは当時の資料にでも目通してみたら?
陸軍大学校戦術講授録とか。
>>288 いいえ、むっちーをだしにして、特亜の愛国烈士様並にお馬鹿な酷使様をからかうスレです。
>>286 まぁ無理な攻勢を行い、友軍に多数の餓死者が出たという意味では
安達二十三中将なんかいるけど、彼の死に様は(日本人的な感覚としては)
立派としかいえないよなぁ。
本人が反省して無い、という以前に
ぶっちゃけ神がかりだの自己弁護だの、要するに逃避しかしてないからさぁ。
まあインパールの時も祭壇作って拝みまくっていたそうだが。
それと芸者遊びw
>>291 「タテマエ」としてはちゃんと戦理を教育はしていたよね
現代の学校で「イジメはいけませんよ」って程度にはねww
教科書や講義録がまともだったから、その教育が血肉化・内面化され、
かつ実践されたに違いないというのは、ちょっとお目出度い。
むしろそういう教育を施していてさえ、あの始末だったのがより深刻だと思う。
(相手のハンコの上に自分のハンコを押す、
小畑と永田のガキのケンカなみの確執とか見てもね。
小畑はインパールに反対したから、ムッチ〜に追い出されたんでわ?
日本と米国や英国との戦時中の戦車と大砲と砲弾の生産力の差は数十倍である。
日本は1割以下の鉄鋼生産力の大部分を艦船の製造に向けなければならないので、
地上兵器、弾薬までは手が回らない。重要な製造機械も輸入品が多く増やすことは難しい。
1944年の米国は75mm戦車砲月産3000門。日本は47mm速射砲月産50門。独は2000門。
しかも片や一作戦で三万餓死、片や餓死ゼロ。馬鹿のお陰で戦力差拡大。
ドイツ軍の1944年の対戦車砲生産高。
75mm対戦車砲 15581門。88mm対戦車砲 2305門。
ただ対峙しててもジリ貧モードになるのが見えてるなら積極的に敵を叩くのは当たり前
真珠湾攻撃からしてその行動原理でやってる訳だし。
牟田口個人のエピソードや現場の悲惨さを伝え聞けば憤慨するのは人として当然だが
あの時あの状況下での作戦実施判断その物に関しては牟田口を責めるのは筋違いだと思う。
どうせ負ける前提で兵士を大事にしろなんて言ってたら戦争はできんし
そもそも戦争するなよって話ならそれこそ牟田口の責任じゃないしな。
>>301 対峙しても彼我の力量差で見込み無し→じゃ攻勢も無理=戦理に沿った思考
対峙しても彼我の力量差で見込み無し→突出して当座の敵を叩こう=先の見込み無しの発狂思考
>負ける前提で兵士を大事にしろなんて言ってたら戦争はできん
そう。太平洋戦争に関する意思決定全体がおかしかった。
そして、牟田口はそれに輪をかけておかしかった。
だって、部分ビルマでの攻勢の、兵站的基盤は無かったんだから。
>>293 自決すればいいとはアホじゃないか君は?
そもそも牟田口個人のエピソードのソースは?
小説じゃないよね?
>>302 結局ただの結果論じゃねーか。
軍隊てのは過去の戦訓に縛られるもんなんだよ。
中国大陸や南方攻略作戦では何倍もの戦力差があろうと兵站基盤が無かろうと
戦勝を収め続けてきたからな。
そもそも戦理は過去の戦訓から導かれるもんだろうが。
過去の戦訓から導き出される戦理が、270度ずれているのが大日本帝国クオリティー
>>296 ある連隊が南方に向かうとき、某連隊長は味方の損害を少なくして敵に出来るだけ多くの損害を与えるため
移動中の輸送船の中で士官たちを集め、実戦経験をつんだ下士官を講師として、「戦いかた」の講義を行い
まず最初に教えたことは、「士官学校で教えられたことは忘れろ!」だったとかw
ちなみにその連隊は強敵として米軍から恐れられ、被害も最小限で、
終戦後もみごとに士気を保ったまま内地に帰還したとか
旧陸軍の「士官教育」っていったい・・・
>>306 270度ずれているって具体的にどういうこと?
>>307 もともと満州での対ソ戦想定教育なんだから仕方ないでしょ
ノモンハンで惨敗してるじゃんwwww
>>309 それは作戦レベルでの評価でしょ
連隊長や大隊長以下の戦術レベルでは奮戦してソ連軍に大損害与えてるんだから
少なくとも陸軍士官学校レベルの教育の成果は有効に発揮されていたと言える
ぶっちゃけ、会社にもこういう奴はおる。
他人を死地にまでは追い込んだりはしないが。
>>311 で、その腹いせにネットで牟田口を身代わりに叩いて日頃の鬱憤晴らししてるわけかw
なんか人間小さいな。
>>310 そしてその優秀な士官や下士官の命を戦理もヘチマもなく無駄遣いしたのが
ムッチーというわけだ。
>>313 戦理もヘチマも無いのは当時牟田口が置かれた状況そのものだよ
あの方面が戦争として独立してて、牟田口が戦争を終わらせる決断も出来る立場にあるならば別だが
現実には大東亜戦争の一方面として背後には同盟国タイを抱えた状況なんだから。
>>314 で、三個師団もの戦力の大半を飢えと病気で死なせ、ビルマの防衛そのものが破綻したんだよね。
と言ってじっとして侵攻を待つのもどうかと
317 :
名無し三等兵:2006/12/09(土) 14:39:59 ID:Lb0VQtEj
>>308 270度とは、あさっての方向だよ
>もともと満州での対ソ戦想定教育なんだから仕方ないでしょ
それこそ、まともに教育していない証拠じゃないか
対米戦想定の教育をしてないのが、「仕方ないでしょ」で終わり?
酷使様は我々一般人とはよほど思考が異なるとみえる
そのうち「間違いを、間違いと認めなければ、間違いではない」と考える「立派な人でなし」になれるぞ
日本陸軍はもっと早くに(自殺行為の)対米戦を想定しる!! か・・・・
>>315 酷使様にまともな心があると思うのが間違い
酷使様は国民は国のため犬死するのが義務だと思っているから
2万や3万死んだって、「それがどうした」で終わり
彼らはインド独立の礎。
まあ対ソ戦想定の装備・編制・教育で数十年間営々と育成されてきた軍隊を
急に数ヶ月で対米戦に適応できるようにしろ、なんてどう考えても無理があるよな。
>>321 ソ連だったら遙々シベリア超えてやって来るハンディが有るから
極東で抑えきれないことも無かったんだが。
>>320 大半の戦死者は、そんな称号ごときのため死にたくは無かったろうがな
美辞麗句で本質をごまかそうとするなよ、薄汚い卑怯者さん
>>321 日英同盟堅持しててアメリカとも仲悪くなかったら
対ソ戦やっても破滅することはなかったろ。
>>322 だから陸軍を南方にひきずりだした海軍が全部悪いんだよ。
太陽の光がこの地上を照すかぎり、
月の光がこの大地を潤すかぎり、
夜空に星が輝くかぎり、
インド国民は日本国民への恩は決して忘れない。
P.N.Lekhi(インド最高裁弁護士)
>>324 われわれインド国民軍将兵は、インドを解放するために共に戦った戦友としてインパール、コヒマの戦場に散華した
日本帝国陸軍将兵に対してもっとも深甚なる敬意を表わします。
インド国民は大義のために生命を捧げた勇敢な日本将兵に対する恩義を末代にいたるまでけっして忘れません。
我々はこの勇士たちの霊を慰め、御冥福をお祈り申し上げます。
1998年1月20日 於 ニューデリー
インド国民軍大尉 S.S.ヤダバ(インド国民軍全国在郷軍人会代表)
インパール作戦とインド独立
インド独立の活動を続けていたチャンドラボースが日本への支援を要請してきた。日本はその要請に呼応し、インド国内の要衝インパールを
奪取して、インド国内の反英独立勢力の支援と、混迷する戦局の打開を計るべく、インパール作戦の実施に踏み切ったのである。
ビルマ方面軍第15軍傘下の7万8千、そしてインド人の志願兵によるインド国民軍(INA)2万もチャンドラボースの統卒下に参加した。
(略)
戦後、昭和20年11月 インドを支配していたイギリス当局は 「インパール作戦に参加したインド国民軍は、イギリス皇帝に対する反逆者である」
として、3名の将校を極刑に処そうとした。インドの民衆の意向に背いて、軍事裁判を強行した英当局に対する大衆の怒りは爆発した。
抗議運動はインド全土に広がり、いたるところで官憲と衝突、流血の惨事となった。 更に英国本土にショックを与えたのは、英海軍のインド人乗務員の
一斉反乱であった。
英国も遂に事態収拾困難と考え統治権を譲渡、昭和22年8月15日 インドはパキスタンと共に独立したのである。
インパール作戦に参加した日本軍7万8千名、インド国民軍2万余名
戦没者 日本軍4万9千名、インド国民軍も3千名
しかし この作戦が直接の契機となり、今後相当の年月がかかるであろうと言われていたインド独立が、戦後わずか2年で達成されたのである。
それぞれの国と家族を思う純粋な心と信念をもって戦った、日本軍とインド国民軍(INA)の英霊を私達は忘れることはできない。
守るほうが少ない戦力で戦え、補給も全然楽。
無駄に餓死させることもなかったんじゃね?
ほんと、撤退路の視察するくらいなら、進撃路を視察してこいと…
> 「インパール作戦に参加したインド国民軍は、イギリス皇帝に対する反逆者である」として処刑されそうになったインド国民軍の軍人に対し
> 日本軍の将校は、「処刑されないために、われわれが無理やり命令したと証言するから、命令されて蜂起したと証言しなさい。」
> と言ったところ、「いやわれわれは日本軍に命令されたからではなく、自らの意思で蜂起した」と証言したのでした。
>
> 抗議運動はインド全土に広がり、いたるところで官憲と衝突、流血の惨事となり、英国も遂に事態収拾困難と考え統治権を譲渡、
> 昭和22年8月15日 インドはパキスタンと共に独立したのであります。
>>247 >旧軍の信奉者は旧軍同様、補給の問題なんか眼中に無い
734 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/09/18(月) 15:38:05 ID:???
> 牟田口→部下の撤退許さず自分だけ「北方撤退路の視察」と言って逃げ帰る
> チンドウィン河畔まで苦しい退却を続けて来た諸部隊は、軍司令官が既に同河畔を去り、
> 遠く後方に撤退したことを知って、軍司令官に対する不信を深めた。
> 戦史叢書「イラワジ会戦」
> (河辺方面軍司令官も)牟田口中将が更にシュエジンからも後退したことを知り、軍の退却指導の錯乱と見て概嘆した。
735 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/09/18(月) 15:38:34 ID:6JQTri7k
しかし真相は
> (逃げたなどとは)心外至極のことである。 あの時軍司令官たる私がチンドウィン河畔をにとどまって
> 諸隊の退却を指導することの重要さは私も十分承知していた。
>
> しかし、それよりチンドウィン河以東ジビュー山系間の補給体系を速やかに確立することの方が
> より重要だと信じたればこその行動であった。
>
> インパール作戦失敗に関する私の責任は弁明の余地もなく、また弁明しようとは思わない。
> しかし、私のシュエボ先行を卑怯者呼ばわりされては黙っていられない。
>
> 牟田口中将談
>
> 月刊 軍事研究 2001年5月号 P153
>>327-329 戦死者を鞭打つつもりは毛頭ないが
戦死者を悪用しようとしている藻前の性根が気に入らない
戦死者は空虚な美辞麗句よりも1杯の飯のほうが欲しかっただろうな
激戦地となったコヒマでは、日本兵が倒したイギリス軍戦車を今も勇気のシンボルとして大事に保存している。
また、インパール手前のロトパチン村には、村民たちが作った日本兵の慰霊塔があり毎年供養が続けられて
いる。ロトパチン村長は「日本兵は飢餓の中で勇敢に戦い、この村で壮烈な戦死を遂げていきました。この勇
ましい行動はみんなインド独立のためになりました。私たちはいつまでもこの壮烈な記憶を若い世代に伝えて
行こうと思っています。そのため、ここに日本兵へのお礼と供養のため、慰霊祈念碑を建てて、独立インドのシ
ンボルとしたのです」
亜細亜独立 インド
ttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/asia-indo.htm
>>324 >>333 >大半の戦死者は、そんな称号ごときのため死にたくは無かったろうがな
>戦死者は空虚な美辞麗句よりも1杯の飯のほうが欲しかっただろうな
英霊の意志を勝手に妄想して我田引水してるお前も五十歩百歩だろうが
>>334 日本兵が餓死したり戦死したりするのを「見ていただけ」の連中の子孫に祭られているわけだ
慰霊塔を建てて称えてくれるのはありがたいが、なぜそのとき一握りの米でも分けてくれなかったのだろう
そうすれば、たとえ何人かでも生還する者が増えたかもしれないのに
>>335 申し訳ない、我ら凡俗は酷使様と違って霊界と通信する能力はないのでありますw
誰がアジアの侵略者だったのか。より
《私たちは、日本兵が私たちの自由解放のため戦ってくれているのを知っていたので、食料や衣料を喜んで提供しました。
ところが、それを知ったイギリス軍が厳しく取り締まったため、日本兵は、ますます困難に陥りました。
しかし、日本兵は、飢餓の中でも勇敢に戦いました。それは皆インド独立のための戦いだったのです。私たちはいつまでも
この壮烈な記憶を若い世代に伝えて行こうと思っています。》
(日本兵の慰霊供養塔を建てたインド・インパール地方のロトパチン村のモヘンドロシンハ村長)
>>338 所詮自分達の血は流したくなかったわけだ、偽善だな
ついでに偽善を称えるヤシも偽善者だ
(三月十二日 於 インパール平和記念碑前)
私共はこの度「ビルマ英霊顕彰会」の企画した第18次インパール、ミャンマー慰霊巡拝団のコヒマ・インパール班として、生涯忘れることの出重ない
曾っての死闘の地コヒマ・インパール地区に三年振りに参りました。
顧みれば過る大戦に際し、祖国防衛の防人として雄々しくこのナガランド・マニプールの山野に若き青春を捧げられた卿等英霊と万斛の涙とともに
断腸の思いを残してお別れしてから、早くも六十年の歳月が流れました。
(中略)
あの日あの時の若き戦友の勇姿が六十年後の今尚昨日のように眼前に彷彿として浮かぴ上がり、うたた感慨無量であります。圧倒的物量を誇る英印軍に
対時し、弾薬・食料の欠乏等あらゆる困苦に耐え勇戦敢闘、ついに護国の鬼と化せられた卿等の勲しは敵将をして「かかる兵士は史上空前絶後であろう」と
激賞せしめました。
(中略)
戦いに敗れても、政治の一手段と青われる戦争目的は十分達成きれたのであります。のみならず卿等の墳墓の地となったインド国をはじめ過去数百年
白色人種の餌食となって植民地の屈辱に晒されていたアジア諸国はもとより奴隷的隷属を強いられていたアフリカの国々もことごとく栄誉の独立を
獲得したのであります。
換言すれば、卿等の尊い犠牲により、二十世紀に世界の地囲は塗り変えられたのであり、後世の史家をして大東亜戦争の世界史的意義とそれに殉じた
英霊の勲しは永久に燦然と語り継がれる事でありましょう。
(中略)
お別れに際し御霊の永久に安らかならんことを祈念して追悼の言葉ときせて頂きます。
平成十六年三月十二日 インパール慰霊巡拝団 佐藤 博志(元陸軍大尉 インパール作戦中隊長)
ttp://www.eireinikotaerukai.net/E06Link/E060017.html
インドで作られた歌 日本兵士を讃える歌. 作詞作曲 マパオ村村民 日本語訳 古田中 勝彦
一、
父祖の時代より
今日の日まで
美しきマパオの村よ
いい知れぬ喜びと平和
永遠に忘れまじ
*合唱(繰り返し)
美しきマパオの丘に
日本兵来り戦えり
インパールの街目指して
願い果たせず
空しく去れり
インパールの北方18kmにあるマパオ村。インパール作戦で日本軍が、この地のイギリス軍を撃退して駐留した。日本軍は村人を保護した。
そして、村人から食糧や衣服の支援を受けた。
村人はインド独立の為に戦う日本軍の規律の厳格と、日本軍兵士の勇敢さを讃えて歌にした。今日に至るも歌い継がれている。
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~thai/page033.html
「かかる精強な軍隊が地球上に現れることは二度とないだろう」
英軍将校 マウントバッテンによるインパール作戦に於ける日本軍評
あーあ酷使様爆発しちゃったよ
カビの生えたコピペ持ち出してきて貼りまくってるよ
でも自分の言葉で話せないのがいかにも酷使様らしいね
事実だろうけど
なにもうそとはいってないさ、そういった酷使様御用達の「証言」があるだけだろw
よりによってインパール作戦の戦死者をムッチーの弁護に利用する、さもしさと偽善ぶりが気にくわないだけ
日本軍がインドで称えられてるからムッチーが「正しい」わけじゃないだろ
誰も無駄口を讃えてないだろ?キチガイアカは字も読めないのか
ハイハイ、カレー電波乙。
別に牟田口はインドのために兵を餓死させたわけじゃなし。
そもそも無理なんだよ、牟田口を再評価するなんて。
>>346 たしかにムッチーをを讃えてはいないな、免罪符を与えようとしている酷使様がいるだけだ
キチガイウヨは日本語も読めないのかw
「かかる精強な軍隊が地球上に現れることは二度とないだろう」
英軍将校 マウントバッテンによるインパール作戦に於ける日本軍評
だからなんでその精強な軍隊をウィンゲート長距離挺身隊や
スティルウェル米式中国軍、チッタゴンからアキャブに進出する連合軍や
チンディット部隊の撃滅に当てなかったんだ馬鹿じゃねぇか
と牟田口が批判されているのでは。
どれもウ号作戦をやらなかったら有利に叩けた相手じゃね?
「インド人の証言が無条件に正しい」というなら、酷使様たちが国賊の代名詞にしている
本多勝一が集めてきた「中国人の証言も無条件に正しい」ということになるぞ
それでいいのか、酷使様?
インパール作戦のおかげでインドが2年足らずで独立できたというなら
具体的な因果関係を示してもらいたいな
コピペ厨には無理かなw
インパール作戦が行われなくても、インドは1947年に独立していただろう
単なる要因の一つを、あたかも主因であるかのように装うのは
某板で通用しても、ここでは通用しないぞ
インパール作戦とインド国民軍に参加した将兵の裁判の因果関係は薄い。
インパール作戦が実施されなくてもインド国民軍の裁判は実施された可能性が高い。
インド国民軍の裁判がインド独立に与えた影響は無視できない。
単なる着火点とはいえ、裁判によって起きた混乱状態を英国が収拾できなかったことが
独立に繋がったのは事実。
>>342 マウントバッテン「そいつらに勝った俺たちは最高にグレート!」
Wikiのエピソード読み返すとやはり狂人としか思えん
子孫はずっと汚名を背負っていくんだな
牟田口なんて苗字はそうそうないから誤魔化しも利かない
そういや、東部ニューギニア戦線に従軍した人の本に、何故だが
ニューギニアにインド国民軍の兵士が派遣されていたと書いていたなぁ。
祖国独立とは関係ない土地で戦わねばならなかったインド兵も大変だっ
ただろうなぁ・・・
まぁ実際インパール付近に投入されていたイギリス軍はインド師団中心
ナンだけどなぁ・・・
>>358 英印軍のインド人兵士たちも、戦勝後の「インド独立」の約束を信じて
「インド独立のため」戦っていた
日英両軍に「独立のため戦うインド人」がいたなんてことは
歴史を自分の都合のいいとこだけ皮相的にしかみない酷使様におかれましては
英印軍のインド人兵士を「裏切り者」の一言で片付けてしまうのだろうがねw
オイ印度カレー厨、もうコピペはネタ切れか?
カレーといっても浜茶屋の粉っぽいカレー並みだなw
無意味なコピペで埋めたところで、数万人を「餓死」させる作戦を強行した無能が蔽われるワケでナシ。
【日本軍がインドで称えられてるからムッチーが「正しい」わけじゃないだろ】(
>>345)
それと
>>329のコピペ、「インド国民軍裁判事件が無かったらインド独立は無かった」っていう、
「他の要素の書き落し」による文脈ー印象操作が酷いねえ。
国民軍裁判問題は、当時展開されていた独立要求運動の「一部」でしかなかったわけで。
>>342 それはそう。軽装歩兵レベルの装備で、武器弾薬はおろか食料の補給すら無い状態で、
戦車を伴う火力充実・補給充分の英伊印軍相手に三ヶ月敢闘して、
「自殺的抵抗」状態になっても軍組織の崩落(集団投降等)も無かったんだから。
人類の常識を超えてる。
別にそれ、軍司令官がむっちーだったからそうなったって話じゃ無いんだわ。
>>361 >無能が
ただもっと有能な人物だったら英軍に勝っていたのかと言うと・・・
>>362 もっとましな戦い方をした
もっとましな戦果を挙げた
もっとましな負け方をした
もっとましな評価をされた
どうころんでもムッチーよりましw
そうかな・・・
ウィンゲート空挺団の陣地は強固で、火力支援と装甲戦力の無い日本軍の銃剣突撃では
損害ばかり多くて、攻略は不可能だった。砲弾さえ充分にあれば何とかなったかも知れない
が、殆どの輸送船が撃沈されており不可能。夜襲も照明弾により失敗の連続であった。
>>350 >ウィンゲート長距離挺身隊
>チンディット部隊
少数の軽快機敏な敵の掃討に大兵が長期間牽制拘束される。それこそ敵の思う壺。
配備手薄なインパール方面からの英軍攻勢を誘発する恐れがある。
>スティルウェル米式中国軍
援蒋行路遮断を考えれば最も叩いておきたい敵だが、これに関しても
フーコン方面に15軍の主力を転用すると上記のようにインパール方面の英軍攻勢に対応できなくなる。
>チッタゴンからアキャブに進出する連合軍
この方面の日本軍の補給は夜間敵機の目を盗んだ小舟艇によるものが主で、
大兵団を展開するとなるとインパール作戦以上に補給の目算が立たない。
インパール方面の憂慮も同様。
インパールから中部ビルマに英軍が侵入してくると北部ビルマの日本軍の命脈も絶たれる。
>>287 ヤレヤレやっと見つかったよw
もっと保管を工夫しなきゃなぁ・・・
軍事研究2001年7月号P153
著者の考察
>全く受身の専守防衛に近い作戦を採って自滅する作戦を選択するより、
>軍アラカン山中に投じ決戦すべきであった。
>また拙劣であった第15軍に師団長の作戦指導にも触れた。
>結果から見れば至短時日ではあったが、勝算が見えたときもあったことは事実であった。
>戦はやってみなければわからぬし、最後の5分前までわからないと、古来言われている。
>完全に勝算を見出せない、防衛作戦に比し、勝ち目をインパールに託した、
>積極作戦を可とする。
まぁ若い参謀将校の認識だとこれくらいなのは仕方がないとは思うけど。
要は「有り金全部で万馬券に突っ込んでみました」みたいな。
「投資信託で大損するようなヤシが、株の先物取引に手を出しました」かも
>>367とは別の人だけど、自分も「軍事研究」ひっくり返してみたから、書いとくね。
軍事研究2001年3月号日本の戦史(80)牟田口中将とディマプール(五十)大田善弘
国立国会図書館収蔵の牟田口弁明録音の話題。
盧溝橋事件担当として召喚されて、なぜかインパール作戦を語る部分。
牟田口供述の内容は、英第4軍団参謀バーカー中佐との文通について、感想をつけて語る。
以下、「牟田口供述による」文通内容。
バーカーQ1:インパール占領後の予定は?
牟田口A:ビルマ防衛のためインパールに防衛線構築。
しかし、戦争全般転回のためディマプール進出の気運も、私の内心あった。
Q2:佐藤中将には失望したか? 田中中将指揮ならば戦況は変わったという考えに賛成か?
指揮によっては、ディマプールに到達したり、アッサムに侵攻できたかもしれないが?
A:佐藤中将の統率は私を最も失望させました。
予想通り防備薄弱なコヒマ占領の後、ディマプール突進を命じたが、方面軍に止められ残念。
ディマプール攻略は、退路遮断と、補給困難を鹵獲品で救う期待もあった。
たとえ失敗しても、敵の反抗への時間稼ぎにはなるはずだった。
方面軍が同意して、南方軍から航空増援を寄越せば、戦争全般を好転できると思っていた。
突進中止になっても、当初命令のコヒマは確保すべきで、佐藤の独断退却は遺憾。
故人を責めるのは忍びないが、真実を伝うべき戦史の趣旨を思って記す。
もし田中指揮であれば、命令を待つまでもなく独断ディマプールに突進したはず。
(ここで唐突に、『この機会を借りて』と、盧溝橋の雪辱としてアッサム進撃を考えたとの例の説明。)
(さらに「附言」として、盧溝橋事件が紅軍の謀略との本人注記も、続く。)
(そして、ここで著者大田による解説が入るが、これは後述する。)
Q3:INA師団についてどうか?
A:戦闘力としては期待していなかった。アッサムに進出すれば活躍しただろうが、
『日本軍はそんなことは考えていなかったのです。』
(Q4は省略する。内容的にQ2と重複。)
Q5:ビシェンプール占領に対し、あれ以上の作戦準備は可能だったか?
A:同方面担当の第33師団長の錯覚で、攻略したはずのトイトムの要点を再占領された。
これ無くばインド第17師団を追撃してビシェンプールに入れ、作戦全般が変わっていたはず。
Q6:航空部隊はもっと役に立ちえたか?
A:当時日本の航空戦力は非常に劣勢で、あれ以上は期待できず。これは作戦失敗の要因の一。
Q7:英軍の指揮官に対して批判はあるか?
A:内戦作戦の妙を発揮し優秀だった。敬意を表する。
(以下もバーカーとの文通)
バーカー:ストップフォード英第33軍団長に照会した所、第31師団が進撃したら困ったろうと。
この場合、ディマプールで戦闘になれば、コヒマも熟柿のごと。
牟田口:敗戦責任を一身に受け、戦後苦しかった。
自分の判断の正しさが判明し、宮崎中将も喜んでくれていた。
田中中将に、「故人には悪いが真相を書くべき」との助言を受け、それで真相を書いた。
バーカー:貴殿の協力に感謝。執筆中の戦史では、従来見解よりも貴殿の評価は高まる予定。
コヒマの成功を利用しなかったのは、貴殿や佐藤の失策というよりK将軍の失策となるだろう。
4月に後2個師団が貴殿の指揮下にあれば、インパールまで侵入できたかもしれない。
英国側から見た佐藤の評価は、恐るべき対手。
(以下、牟田口が供述録音した感想。)
私は間違っていなかった。決心したとおりやれば勝てたのだ。コヒマ鵯越成功。
宮崎もディマプール進撃中止に疑念を持っており、K方面軍司令官の指示と聞かせると納得した。
宮崎に当時の状況を聞くと、糧秣は携行の3週間分は無傷で、兵器も鹵獲品を使ったため十分あったと。
>>371に触れた、著者大田による解説の要旨は以下の通り。
インパール作戦の戦略評価
・ビルマは支作戦と決まった以上は、防衛が主旨。
・実質的にはイラワジ防衛線とインパール攻勢防御の二択。
(チンドウィン河等は防衛線にならないというのが方面軍と15軍の判断。)
・大本営第一部長真田少将のクッション作戦が成立するかどうか。平地では無理だろう。
東京裁判批判(おおむねお決まりの「東京裁判史観」批判が続く。牟田口関連は以下。)
・盧溝橋事件に関しての牟田口中将は「〜史観」の犠牲、というような話。
・劉少奇の自白で不起訴。
・中共の陰謀で日本軍・牟田口は馬鹿を見た。
・いや、バカを見ているのは今の日本人。盧溝橋の前で日本軍が悪かったという総理がいるから。
>>372-373 ちょっと質問。田中将軍って、どっちの田中?
柳田後任の田中信夫中将か第十八師団長の田中新一中将か。
でもあの戦上手の名将宮崎繁三郎が、当時ディマプールまで進撃する余裕があった
というような証言をしてるのは意外な事実。
部隊規模の小ささが幸いしていたのでは?
補給を受けないなら頭数が少ないほうが動きやすくて全然楽。
師団規模のアラカン越えは地獄だろう。
第31歩兵団 団長 宮崎少将(インパ−ル)
歩兵第58連隊 山砲兵第31連隊第2大隊
工兵第31連隊の一中隊 独立輜重55中隊
第31師団の兵力の1/3を指揮。
宮崎繁三郎はコヒマ占領で約1個師団分の敵物資を鹵獲。爆撃により大部分は焼失したが
食糧は確保。
なお、以上の内容は、牟田口証言によればであり、
必ずしも事実に合致した内容かは不明なことに注意。
>>375 >田中将軍
それが、原文でも「田中将軍」とかになっていて、はっきりしません。
ただ、
>>373末の牟田口感想に、以下のエピソードが出てくるので、たぶん田中新一。
戦後、佐藤中将の同期の田中新一中将に会ったときの会話。
牟田口:故人の佐藤を責めるのは忍びない。
田中:気持ちはわかるが、戦史を誤るのは徳義に反する。ありのままに。
という内容で、これを受けてバーカー中佐に真相告白する気になったと、牟田口は言っている。
>>371の牟田口回答に共通する内容ですね。
散々基地害扱いしといて、「故人を責めるのは忍びない」とはあんまりなセリフだな。
その辺が牟田口らしいといえばそうだが。
牟田口は1961年7月7日に行われたビルマ会に出席したことがある。
席上激しい痙攣に襲われ、退席。以後二週間に渡り病床に着いたと。
牟田口ヲタの知識量はすごいな
そんなどうでもいいことまで知ってるなんて
牟田口中将と同じことを米英軍の将軍がやったら、作戦の承認すら為されない。
そこに日本軍の本質と組織の誤りがある。米英は武器よりも人間を大切にする。
日本軍は兵隊の命はハガキ代の値打ちしか無いと公言し、羽根よりも軽いものだと言って
武器弾薬の代わりに、自国民である兵隊の命を軽んじた。これは一般の国民にも適用され
ることで、国民を代表する政府、国家とは言えない。天皇を守って死ぬのが兵隊なのか。
>>378 31師団でコヒマ攻防の主役は専らこの宮崎部隊。あとの2個連隊は半遊兵化していた。
佐藤師団長が最初から作戦に不信感を抱いており、兵力温存につとめたため。
>>379 宮崎部隊はコヒマの英軍に唯一マトモにぶつかっていたので敵の鹵獲物資にありつけた。
師団の北翼警戒でほとんど戦闘らしい戦闘をしていない歩兵第124連隊などは当然飢えることになる。
佐藤も宮崎も評価の分かれるところだな。
映画板みてたら「牟田口中将の映画つくってほしい。 中村獅童主演で」とか
書かれていたんで、ワロタよ
結局どうすれば良かったんだろ。
退くも地獄、進むも地獄
>>389 だから、あそこは「なにもしない」が正解なんだよ!
(以下、牟田口が供述録音した感想。)
「私は間違っていなかった。決心したとおりやれば勝てたのだ。」
どう評価されようと、無謀な作戦で大勢の人間を家畜以下の扱いで無駄死にさせたのは事実。
しかもその責任を負わず、戦後は相当な軍人恩給貰ってたんだろうな。
恩給で道楽のジンギスカン料理の店か。。皮肉なもんだ。
きっとジンギスカン作戦を信じた兵士の霊が、毎晩集っていたことだろう。
,.,r'ヽ
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゙i:::::::〉ニヽ::::::;;;;;;;!.._,,,,、_,..イ'" ゙i ,,....、 ,r'.:::ヽ、
|:::i"r-:、`ヽ::t''_ー--'"''|::::..゙i ,! i":::::ノ'7::::::::::::::゙i, ,....、
゙i,゙i::: ゙i,,゙ヾ、:::::゙i ゙r_7,_,イ |:::: / :::::::::::::::/::::::`;
゙i゙i、::::..ノ..:,!;;ヽ;;;;,l....r'゙ ;;i;__ レ''"゙ヽ〈 :::::::,.r''":::::::::::::i'
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ジンギスカン作戦・・・。物資の輸送と同時に食料を確保できる、いい作戦なんだ・・・。
395 :
名無し三等兵:2006/12/17(日) 16:38:06 ID:8BPaO1Y3
「諸君、xxx兵団長は、軍命に背きxxx方面の戦線を放棄した。
食う物がないから戦争は出来んと言って勝手に退りよった。
これが皇軍か。
皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。
兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。
弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。
銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。
腕もなくなったら足で蹴れ。
足もやられたら口で噛みついて行け。
日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。
日本は神州である。神々が守って下さる」
国立国会図書館収蔵の牟田口弁明録音
Q2:佐藤中将には失望したか? 田中中将指揮ならば戦況は変わったという考えに賛成か?
指揮によっては、ディマプールに到達したり、アッサムに侵攻できたかもしれないが?
A:佐藤中将の統率は私を最も失望させました。
(略)
突進中止になっても、当初命令のコヒマは確保すべきで、佐藤の独断退却は遺憾。
故人を責めるのは忍びないが、真実を伝うべき戦史の趣旨を思って記す。
牟田口中将談
私は間違っていなかった。決心したとおりやれば勝てたのだ。コヒマ鵯越成功。
宮崎もディマプール進撃中止に疑念を持っており、K方面軍司令官の指示と聞かせると納得した。
宮崎に当時の状況を聞くと、糧秣は携行の3週間分は無傷で、兵器も鹵獲品を使ったため十分あったと。
牟田口談
そういえば、伊藤正徳「帝国陸軍の最後」なんかに出てくる、インダンジーの会談ってどんなだっけ?
たしか、牟田口中将は、作戦中止にしたがっていたけど、
河辺方面軍司令官が、もう一押しといって続けさせたようなことが、書いてあったような。
いや、男二人で見つめあい、無言のお見合いを続けていただけともw
蘆溝橋でもこれやってたみたい。
相性が良かったんだね、きっとw
戦上手の宮崎少将をもってしても
火力・弾薬の不足からコヒマ西南台地の英軍陣地を攻略することは出来なかった。
佐藤中将が退却を開始した6月4日には
宮崎少将に与えられた歩兵は約400人ほどだった。
コヒマ西南台地を攻略すればコヒマ‐インパール間の道路を遮断できたわけで
無理をしててでも十分な補給を与えるべきだったな。
しかしA・J・バーカー中佐も余計な事を言ってくれたもんだw
だめなものはだめなんだがw
佐藤中将の師団にだけ、500発もの山砲弾を補給したのに、コヒマ西南台地を攻略できない
とは、何と情けない。宮崎少将に渡ったのは1/3以下の砲弾だが。100発も山砲弾があれば
攻略できなくては。なぜならその砲弾がビルマ方面軍が補給可能な最大限度なのだから。
>>398 「俺の目を見て察して欲しい」とか、ぐっずぐず腹芸ごっこやってるアレね。
言い出しっぺが責任取らなきゃならないって所で、
おっさん同士で火中の栗の押し付け合いというか。
あのー、前線、餓えてんですけど。
>>400 むっちーも、口では補給の必要を云々しただろう。
「輸送手段」がそもそも無かった。
「輸送手段」として「牛」を用意せよと、あれほどいったではないかっ!
ビルマ方面軍司令官「河辺正三中将」第15軍司令官「牟田口廉也中将」を始め参謀長以
下主要幕僚が更迭された。牟田口廉也中将は参謀本部付となり、内地へ帰ることになった。
ビルマ方面軍司令部は彼の為にラングーンの偕行社で盛大な送別会を開いた。その席で彼
は「インパ−ル作戦を実行したからビルマを取られずに済んでいる。もし無理をしてもやらな
かったら今頃は大変なことになっておった」と豪語し出席者をあ然とさせた。
傲慢で功名心が強い敗軍の将牟田口中将は、数万人の将兵を飢餓と病気で死なせ、世に
言う「白骨街道」(別名・靖国街道)については何の反省もなく、凱旋将軍気取りで内地へ帰還
した。彼は一旦予備役に編入されたのち、再招集され陸軍士官学校校長に就任した。
ウィンゲート兵団は6個旅団約2万人。日本軍の補給路遮断、第15軍の後方切断が直接
目的となった。ウィンゲート少将はインドウ制圧を目的とする「サーズデイ作戦」を立案し
た。インドウを押さえれば北方の第18師団の補給は途絶え、同時に西に延びる第31師団
の補給線も中断できる。残る第15・第33師団の補給基地であるピンレブ、ピンガインを襲え
ば第15軍は完全に飢える。第15軍の補給路は、ウインゲート空挺部隊により完全に切断
された。
米英軍の補給は、戦闘時1日に1個師団あたり650トンの物資を補給する事になっていた。
兵站が戦争という仕事の9/10を占めているという考え方で、優れた士官を配置した。
日本軍はどうであったろうか、輜重兵は最下級の兵隊のやる仕事とされていたのが実情。
インパ−ルでは補給は最初の3週間分の携行品だけで、以後の補給は計画すら無かった。
408 :
牟田・・・:2006/12/19(火) 16:29:55 ID:???
敵の糧食を分捕れば宜しい。
「計画すら無かった」というか、そもそもすでに方面軍には弾薬・糧食の
手持ちがなかったんじゃねーの?
だったら作戦すな!
ウヨな連中の間でコミンテルン謀略史観がはば利かせているそうだが、
たしかに謀略にひっかかりそうな頭の悪さだww
1944年にはビルマへの輸送船の9割が沈められており、武器も弾薬も10%しか届かない。
乏しい備蓄弾薬を節約して使うしか無かった。牟田口中将も補給したかったが、出来なかっ
たのだ。
4万5000人を超える捕虜や現地労働者の死者を出して
1943年12月25日に泰緬鉄道が開通し
日本軍はビルマに対する補給の目途を立てることが出来た。
にもかかわらず、1944年の備蓄弾薬が乏しくなっていたとすると
元からビルマ方面に送られていた武器弾薬が少なかったのだろうか?
ヒント:「補給路」
>>412 鉄道駅=補給基点から、前線までの距離がまた遠いんだわ。150〜200km、
攻勢が進捗すると、進出距離の分+。
その間をトラックか牛馬車で運搬しなければなんだが、それが… 無い。
レイテでは、補給品山積みなオルモック(補給基点)から50km先でもう飢えてたりする。
前線への輸送手段が無いとそうなる。
補給は雨季に入ると徒歩の行軍すら困難である。作戦開始で、現地到着後すぐに雨季に入
り以後数ヶ月補給は殆ど出来なかった。もちろん予期したことである。
くり返すが、 だ っ た ら 作 戦 す な !
417 :
牟田・・・:2006/12/20(水) 18:02:27 ID:???
軍事研究2001年7月号P153
著者の考察
>全く受身の専守防衛に近い作戦を採って自滅する作戦を選択するより、
>軍アラカン山中に投じ決戦すべきであった。
>また拙劣であった第15軍に師団長の作戦指導にも触れた。
>結果から見れば至短時日ではあったが、勝算が見えたときもあったことは事実であった。
>戦はやってみなければわからぬし、最後の5分前までわからないと、古来言われている。
>完全に勝算を見出せない、防衛作戦に比し、勝ち目をインパールに託した、
>積極作戦を可とする。
>>417 勝算って・・・ドアホやな、後先考えずに決戦して、たとえまぐれで勝ったとしても
戦力を消耗し尽くして回復不能、英印軍が体勢を立て直して反撃してきたら、どうやって支える?
支えられるものかよ、あっという間に戦線崩壊、タイ国境まで敗走だろうな
まさに「馬鹿な働き者は銃殺せよ」だなw
日本軍がインパール作戦で敗北した後も英軍は侵攻をあせらず
日本側も健闘し、英軍がマンダレーを占領したのは1945年3月20日だった。
以後、日本軍はラングーンに向けて退却するが
果たしてインパール作戦であれほどの兵員を消耗せずにすんでいたら…
A:同方面担当の第33師団長の錯覚で、攻略したはずのトイトムの要点を再占領された。
これ無くばインド第17師団を追撃してビシェンプールに入れ、作戦全般が変わっていたはず。
牟田口中将談
日露の乃木とどっちが無能かなぁ?
>>421 乃木は軍事的にはちょっとアレだったが、人間的魅力はあったよなぁ。
それに比べてムッチーは・・・
インパ−ル作戦で補給を担当した第15軍主計少佐の手記を読んでいるが。
兵站と参謀はこぞって作戦に反対したが牟田口司令官は強硬で、兵站担当の少将が
左遷されて作戦が決まった。牟田口司令官は軍需品は敵物資によればよいという考え方
で補給担当者は前線で物資を収集せよとの命令で主力は第一線部隊に随伴した。
>>421 乃木は無能というより凡人。だから参謀に言いなりになった。
でムッチーは諌言する参謀長をクビにしたw
古来、糧は敵による、ってのは普通にあった。
戦略的要地が食料が集積してある大都市や
大都市に隣接する穀倉地帯があったから。
で、アラカン山系はそんなものがなかったw
司馬遼太郎の古い歴史観に縛られてるな〜
アイタタタ
目も当てられない愚将だな
>>421 乃木も牟田口も大勢の部下を死なせたことには変わりがないが
乃木には弁解の余地も同情の余地もある、乃木は貧乏くじを引かされた。
それに乃木の人格や日露戦争後の生き方をみると、
批判はしても、牟田口ごときと同列に愚将だと罵倒する気にはならない。
オマエは甘い奴だ、ダブルスタンダードだといわれてもだ。
>>425 それはナポレオンの時代でも、すでに困難になりつつありました。
乃木将軍と無駄口を同列にかたるな。
糧は敵による、ってのはあくまでも緊急時のイレギュラーな補給手段
中国の北方遊牧民たちがその戦術を最大限に活用して歴代王朝を攻めた時でさえも
国力差を自らのアドバンテージである機動力で補う一環での
それ以外の選択肢が乏しいが故の戦術だった。
まともに考えると機動力に劣る側が機動力に勝る相手に対しそれを選択するのは
インパールといいバルジの戦いといい、どうかしてるよな。
クリスマスにはインパールへ一番乗りだ!
♪SAGA 佐賀! SAGA 佐賀!
牟田口も佐賀 公表すんな
>>425 輸送インフラも、資財の備蓄も無い人跡稀な蛮境で作戦せざるお得ないっていう、
太平洋戦争全般に渡る問題だわな。
「自己完結した遠征軍」を整備するか、17年度中に戦争自体を手仕舞いするか、の二択。
>>431 伍長の下ならSS将官として出世したかもな、ムッチー。
>>420 「部分戦闘」での勝利の可能性を、作戦全体の勝利の可能性に短絡している。
将官の発言とも思えない。バカな少佐の部類か?
なぜかって? 第17インド師団を追尾してインパール近傍に進出したとして、
それ以降、増加する英印軍を相手に、何を食い、何を撃って戦うのか?
延びきった進出線の尖端で、進むも退くもならぬまま、全軍大崩壊。
>>434 ムッチーによく似たSS将官はいたよ。ヒム....(ry
牟田口司令官は我々の前で次の様に言った。大東亜戦争の起こりは自分が天津の連隊長
の時である。従ってこの戦争を終わらせるのは自分に課せられた宿命である。いまや日本
は北も南も殆ど失敗に終わっている。これを挽回するには先ず、インパ−ルを占領、インド
に侵攻して英国を駆逐する以外に勝算は無い。(ノアの戦いという本で第15軍の主計将校
23名の合同執筆によるものである。監修第15軍主計少佐飯森徳秀)より。
インド占領が最終目的。インパ−ルはその入り口でしか無い。しかし日本からの補給は
見込めない。今持っている僅かの武器弾薬でインド占領を成功させるには、敵の物資を
奪う以外に手段は無いのだ。
わずかな武器弾薬しかないのに敵の物資を奪うのは無理なのだ。
大体、奇襲作戦なのに普通に行軍するより遅く目立つ(牛を連れてるせい)って
時点でなあ……
M中将のお膝元である調布市に住んでいるけど
昔からジンギスカンやっている店なんて無いなぁ。
ブームで最近オープンした店は二軒あるくらいだな。
あとは駅前にある古い○屋ビルの屋上にあるビアカーデンで
夏場やっているくらいかな。
やっぱり都市伝説っぽいなぁw
ムッチーが哀れなのは例えインドに攻め込んでもイギリスは抗戦を続けることが決まっているという事実w
>>437 ・三個師団でインド征服???
・国家規模の大調略も無し、呼応する「大規模な内国勢力」の準備も無し。
これではインドの内部崩壊は無理
つまりむっちーのその演説は「ひとりよがりな妄想語り」。
>>440 いやいやジンギスカンという名前の中華屋
3万人を飢えさせておきながら、食い物屋をはじめるという、その精神がワカンネ。
ていうか、自分には全く責任がないと心底から思っていたんだね。
>>440 「牟田口経営のジンギスカンハウス」の出典もはっきりしてないからな。
大方ネット上によくあるデマだろ。
>>445 その可能性は高いな。
だからといって擁護も再評価も出来んが・・・
>>442 > 呼応する「大規模な内国勢力」
「インド国民軍(INA)」「自由インド仮政府」「ボース」
おまいな、インド国内にイギリスは何個師団持っていると思っているんだ?
飢えてヨタヨタ歩いて来た、ろくに弾もない三個ばっかしでつついても、それに呼応して
インドに革命が起こるわけなかろうが。
だからよしりん系酷使様は軍板で馬鹿にされるんだね。
まだ「牟田口インド独立の父」説を夢見ているのか?
牟田口がインドから叙勲されたっつーならともかく、まるっきり相手にされてないだろ。
大東亞厨はてめぇ一人で歩いてインパール攻略してこい。
だが現実にインドは独立しているし、その独立運動の発端も日本軍と
共同で戦った「インド国民軍(INA)」に対する戦後の英国の不当裁判。
450 :
名無し三等兵:2006/12/23(土) 11:03:34 ID:vCZgM403
で大暴動と反乱が発生。収まらなくてインド放棄じゃねぇの。
インド独立は国民会議派が現実路線で支持をコツコツと集めていった結果。
袂を分かった国民軍の裁判すら利用するしたたかさである。
>>450 イギリス人には大暴動に見えても構わないじゃない。独立できたんだから。
行ったところでインド人が必ず歓迎してくれる訳じゃあるまいし。
他の占領地域を見るまでもなく貧乏な日本軍よりイギリスに付く可能性のが高いだろう。
ま、その前にツッコんだところで壊滅しただろうけど
F 機 関
当初は参謀本部や中野学校から派遣されたわずか10人程度からなる小規模なものであったが、開戦後、F機関はインド独立連盟と協力して工作活動を行い、
シンガポール陥落に伴い多数の帰順したインド兵捕虜をもってインド国民軍(INA)の編制に当たった。
F機関の目的は、日本軍の戦闘を有利に進めることと同時にインド独立軍を建設しインドの独立を勝ち取ることでもあった。
やがてビルマ攻略によって発展的に解消し、インド独立支援の活動は岩畔機関に引き継がれた。
資料/専門軍事用語・兵語の解説
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo11.html
岩畔豪雄って当時にあって相当、有能な人だったとは思うんだけど
同時にえらいクセモノって感じも受けるな。
器用貧乏とは言わないけれども、あんまり色々係わり過ぎてるような…
牟田口の代わりにインパール作戦の代案を聞かせてくれ。
ビルマ方面では攻勢に出ず、ビルマ側で英軍の攻勢を待つ。
兵站が泰緬鉄道一本なのでラングーンからあまり離れた所での戦闘は厳しいかな。
史実でのインパール戦開始前のアキャブ戦やチンジット戦のようにアラカン山系を越えて
来た英軍を捕捉、包囲できても撃滅に至れないのをみると兵力の蓄積が優先だと思う。
連合軍の攻勢はインパール戦がないとビルマ北部からなんだろうけど史実より
倍の師団数で当れるから2ヶ月程度で崩壊しないと思う。
三度の食事は用意する。
敵の食糧、武器弾薬をあてにして戦をしない。
「補給」と百回言ってから作戦をたてる。
芸者と料亭を運ぶ輸送力は全て補給に投入する。
勝手に一人で逃げ出さない。
とりあえず牛に頼るのは諦める。
海路でカルカッタを占領
『師団の重要品』って名目で参謀の私物を優先的に輸送するのを控える。
作戦中も5時に帰って芸者遊びに「出撃」しない
なんか幼稚園の注意事項みたいだなw
牟田口中将が、インパ−ル戦後の転任挨拶で、こんなことを我々の前で演説した。
インパ−ル作戦は敵の損害は20数万人、ビルマ侵攻の機先を制し、その野望を覆したこと
は本作戦の成功を意味する。清明荘の送別宴では将軍の接待婦(同行した女性)が春雨を
舞った。
清明荘の芸者は全員に参謀が付いており、手を出すと前線に飛ばされた。
なんだかもう、いやんなっちゃうな。
良くそれで牟田口&茶坊主参謀が呪殺されなかったもんだ。
英軍が迫り、ラング−ンから撤退する時は、司令部の高級将校達は篤志看護婦と称する
怪しい女性達とそれ以外の女性達のみを引き連れ、第1便の船で出発してしまった。
我々下級将校や他の部隊への命令や通告も出さずに。私は後で彼らの荷物を取りに戻った
暁部隊の船に運良く乗船出来たが、多くの兵隊が取り残されて、命令を待っていた。
「私はただ私の顔色によって察してもらいたかったのである」
↑
俺的にはこれに尽きる。
敗軍の将の言い訳としては古今東西最悪じゃないか?
それまでは、ラング−ンを死守すると戦闘準備をしていたが、急に司令部の高級将校達が
いなくなって、本当に困った。在ビルマ日本軍の総司令部である。その後ラング−ンに残った
兵隊は極く一部のみが助かった。方面軍幕僚達の意気地なさには本当に情けなかった。
まぁ司令部の逃げ足の速さはフィリピン戦でも似たようなモンだったからなぁ・・・
硫黄島と違ってこんなの映画化できねーよ・・・orz
硫黄島とは同じ日本軍でも違いすぎる
つうか関東軍・南方軍で映画に出来るようなもんなんてorz
いっそ、無駄死には承知でもビルマ方面軍司令部がバンザイアタックでもしてくれたほうが清々しいよな。
死守命令を受けた宮崎の部隊が防戦しながらラングーンに着いてみたら、司令部は書類が散乱してるだけの
すっかりもぬけの殻で、(よりによって死守命令の御本尊が)既に逃走したあとだったなんてあたりは
もう、硫黄島とはまた違った、涙無しでは見られない映画にできそうだ。
情けなくて。
作戦発起後3ヶ月が経過し、携行20日分の食糧だけで以後の補給は殆どなされなかった。
私(飯森少佐)は第一線に対する補給はインパ−ルを占領したとしても今後100日間は望
めない状況である。軍は速やかに補給可能な地点まで後退し以後の攻勢を準備すべしと。
参謀と2人で牟田口中将に電案を提出した。馬鹿もん、退却のことはなかじゃ、と怒鳴ら
れた。腹を決めていたので、その電案を中将の前で破り敬礼をして回れ右で引きあげた。
ジンギスカン作戦は牛を使ったから失敗したのだ。現地人を使えばこんなことにry
>>472 戦争の悲惨さと醜さを伝えるには、最高だと思うよ。
ビルマ方面軍司令官は本当に逃げてるからなあ。
チャンドラ・ボースや傀儡政府の高官どころか日本人大使まで見捨てて部下だけで
飛行機でタイまで。
同じ逃げた富永は病気で逃亡後、病死してるからまだしもな…
世界見渡してもこんな情け無い中将って居るのか・・・・
パーシバル中将
鳥肌実中将
パーシバルはまだなあ
開戦前に増援を要求して断られてるからなあ
戦後はサーの称号もらえなかったし、元捕虜の援助運動したり赤十字の幹部
やったりでまだマシな気がする。
元部下達には終生蔑まれたようだけど甘受してたようだし。
ちょっと待て。
富永は仮病で逃げたあとバレて満州送りになり、病死どころかシベリア抑留されてなお、元気でお帰りだぞ。
牟田口も富永も、
出来れば忘れたいが忘れちゃいけない将官だよな。
>>474 よう、人喰いオヤジ、人間を食料にするつもりかw
・・・といのは冗談だが、トラックどころか牛馬も使わず、
人力輸送でことたりれば誰も苦労せんわい
>>482 だが、ちょっと待ってほしい。
牛がいない分、むしろマシな結果ではないかと(ry
牛に食わせるエサはイランが
現地人に食わせるメシが(ry
>>484 いや、作戦に使用した牛というのは現地人から徴発した水牛なわけで。
すでに史実の時点で間接的に現地人の飯の種を…。
事前に食いだめしといた方が、マシだったな
>>447 全部「日本占領地内勢力」じゃんww
インパールに呼応した内国での大規模蜂起なり工作なりを
実行できる現地側組織も無い、企画すら無い。
あったのは、ただ単に「やってくれるかな〜」の、根拠の無い風頼みなんだから。
>>484 そうなっちゃうね。現地人の集団が飢餓状態に・・・・ こっちに向かって武装蜂起が起きそう。
人口的にも、現地の村落から人夫を根こそぎ動員ってことになりそうだし。
488 :
名無し三等兵:2006/12/25(月) 10:24:56 ID:3OvEaaPC
>>440 墓場.用水路.竹の生えた雑木林.真っ直ぐな道.廃屋.の近く…
>>487 まあそれでも、インド人は慰霊碑なり記念碑なりを建ててくれるだけまし
それが生きながら蛆に喰われ、餓死していった将兵の慰めになるかはしらんがね
少なくともこのスレの酷使様やカレー厨には慰めになっているw
主演 渡辺謙 映画化決定
>>490 バカモノッ!! 牟田口は原田芳雄しかあるまいっ!
悪役もきっちりこなせる緒形拳
いや作戦に苦悩し部下を叱咤激励思いやる善玉として描いて西田敏行もいいな
どーやったら善玉として描けるんだよ!「偉大な将軍様」として描きたい
なら、北の国の人に頼め。
苦悩する牟田口中将
当時は閣下も偉大で優れた人物だったから閣下と呼ばれる立場になれたんだよ。
お前はアレか、大河ドラマの信長公をみてTVに向かって虐殺者とかいうのか?言わないだろ?
12時間ドラマ「インパールの蒼き狼」製作決定。
漏れは牟田口役に石橋蓮司を推薦
アブノーマルな性格の悪役やらせたら、この人の右に出る俳優はいないw
捻りが足りない。
石橋蓮司を善玉牟田口にして、大人の純愛をする小粋な芸者に片桐はいり。
愚鈍で小ずるいが妙に運のいい悪役宮崎に役所広司。
戦後、英雄牟田口を貶める工作をするGHQの情報士官にフローラン・ダバディー。
で、密林を彷徨う餓死寸前の兵士役は温井サンと。
神道、陰陽術の秘奥を極めた牟田口閣下は復活したヤマタノオロチから地球を救うためやむなく司令部を離れた。
話がでかくなってるwwww
誰の経歴と間違えたんだろう俺orz。
インパールからの手紙
男達のインパール
飢餓のサムライ
メシ!メシ!メシ!
牟田口中将最後の12日間
誰か映画作って牟田口の鬼畜ぶりと日本軍兵士の非業の死を伝えてくれ・・・
504 :
名無し三等兵:2006/12/25(月) 22:34:09 ID:3OvEaaPC
牟田口は無理かもしれんが佐藤師団長の【佐藤きび畑の歌】なら…
目が牟田口より逝ってる花谷を演じきれたら神。
泰緬エクスプレスシリーズだな。
507 :
酷使:2006/12/26(火) 19:26:40 ID:???
既に個人になった者を、嘲弄するとは・・・
軍オタは、死者に対する礼儀に欠けるな
>>507 だって、あまりにひどすぎるんだもの
この男のせいで亡くなった方々も多いし
なんでも個人の責任にすればいいってものでも無いニダ
510 :
名無し三等兵:2006/12/26(火) 20:59:59 ID:jWU2W1aC
個人の責任にしない→ビルマ派遣軍指令部が腐ってた→主に高級将校の希望的観測と見栄のため→名声と勲章が欲しかった→牟田口
ジンギスカーーーーン
指揮官の命令は絶対なものだから、兵士は命を捨てても従わざるを
得ないだろ。それが軍隊の基本。
だから、その命令があまりにもデタラメだったら、その結果に対して
指揮官は責任をとらないといけない。そうしないと兵士は二度と従わ
ない罠。
.....ただ、自ら責任をとる指揮官ってすくないような稀ガス。
けっきょく上級ほど責任から逃れて、中・下級ほど責任とらされる
のも軍隊。
>>512 中・下級指揮官ってのは現場で仕事をするから責任をとらされる。
上級に言わせると「計画は万全だが実施部隊が悪い」とw
実際は計画に欠陥があるのが大半。
現在の日本の会社もほとんどこのまんまw
ムッチーみたいな社長の多いこと多いことw
牟田口の場合、部下三人とも命令に従わなかったわけだが。
帝国陸軍史上の珍事件が連発ってやつね。
師団長の命令無視と天皇の親補職である師団長の無断解任
どれもコレも全部牟田口のせい
指揮官には「独断」もあるけど、無断解任はマズイなw
518 :
名無し三等兵:2006/12/27(水) 18:48:54 ID:JbItcnqW
武田信玄は輸送に騎馬を使った。牛じゃなくて騎馬だったら
変わらないか
519 :
名無し三等兵:2006/12/27(水) 18:56:31 ID:e4WrCtLT
宮崎繁三郎はネ申
520 :
名無し三等兵:2006/12/27(水) 19:32:14 ID:q+mK9cf/
子息の繁樹先生は小柄だけどいざという時の声がでかい。
戦後、声の大きい宮崎繁三郎らのせいで悪役にされた牟田口閣下。
>>519 最後の言葉が「参謀!部隊を掌握したか?」だからなぁw
>>519 戦後は金物屋やってたんだっけ?軍関係には戻らなかったんだな
>>523 吉田茂は大の陸軍嫌いだったので、「陸軍の伝統」を徹底的に排除するため
警察予備隊、後の陸上自衛隊には佐官以上の旧陸軍士官は入隊させなかった
だから、軍関係に戻れっこない
>>521 戦後は言論の自由が保障されたので、旧悪がばれたにすぎない
ムッチーはもともと根っからの悪役、善玉と思っているのは酷使様だけw
526 :
名無し三等兵:2006/12/30(土) 00:36:00 ID:sFIXXM8q
日本版地獄の黙示録に「ビルマの小東條」としてちゃっかりむっちーが登場している件
まあ日本再軍備で主導を取った旧内務省系の官僚が揃って旧軍嫌いだったり
服部卓四郎一派が余計なことをしたり、マッカーサーから直でお前の居場所は
無いと言われたり。
>>519 サンジャックで作戦地境越えてゴタゴタ起こしたり、けっこうロンメル類型って印象。
戦争が巧い。戦意に溢れてる。部下の掌握力が高い。戦功にガツガツしてる。組織内協調性は低い。
バイタリティが飛び抜けて高いタイプ。
手元に本が無いので確かめられないのだが、牟田口の葬儀で配布されたというパンフレットについては
高木俊朗の「インパール」第2版か「抗命」だったかの後書きで表紙の写真が掲載されていたな。
高木自身も最初パンフレットの存在を聞いたときにはデマだと思ったらしいが、
何件もパンフレットの存在を主張する人間が現れたんで信じるようになったとか。
530 :
名無し三等兵:2007/01/01(月) 20:06:52 ID:6ZpT8Sfz
>>524 恨みから来る行動だが、ある種正しい選択だったな
牟田口はともかく、服部卓四郎あたりは排除しないと何するかわからんし…
国会図書館だっけ、牟田口の証言を録音したのって。
盧溝橋の証言を頼んだら、インパールの証言を延々としてたらしいけど
公開されるのが待ち遠しい。
吐き気をもよおしそうで聞きたくない気分もあるが
牟田口って海軍で云うと誰かな?
南雲、栗田あたりか…
海軍に比較になるような人間は居ない
栗田・南雲も流石に牟田口レベルには程遠い
海軍には福留大先生がいますよ。
戦術家としての失敗なら、第二艦隊のラバウル進出や、ろ号作戦やら。
人間性の問題では、海軍乙事件関係や、戦後の海軍再建関係、戦史編纂。
生還パイロットに自爆を命じたエピソードの背後にいたのも、この人とか。
山本56はどうだ?
クソ上司じゃね?
>>536 却下、56はギャンブル好きで占い好きだが、あいにくと神懸りじゃない
神がかりなら、黒島亀人
>>534 福留は、陸軍で言えば服部先生が近いと思う。
むっちーは神がかりというより神だのみ。
「戦闘機の防弾装置不備云々・・・攻撃精神有れば斯様な泣き言は出無いはずだ」
by源田
ムッチー司令官+源田参謀という組み合わせで、どっかの
方面軍を指揮させてみたかったニャー。
543 :
名無し三等兵:2007/01/04(木) 13:43:53 ID:z9F6IJty
そりゃむり。
だってムッチーは敵のガソリン当てにして航空作戦を立案しちゃうからw
トラトラトラじゃ「源田は最高です」とか、やたら褒めてたけど源田本人からの圧力か何か…
>>543 航空部隊は牛に零戦を曵かせて前進する?
あ、三菱の工場から各務原まではホントに牛でひいてたんだっけ?
>>544 「源田は最高です」というセリフはあながち、誇張でもウソでもないかも、日本海軍限定ならば
つまり大バカの中にバカがいれば、そのバカが最高ということw
>>545 牛で曳かせるのはまあ兎も角、飛行場までの輸送を整備して効率を上げようとしたら
「道路を整備したら敵の目標になるから整備するな!!!」
と言った海軍の担当官ってどないよ。
548 :
名無し三等兵:2007/01/04(木) 18:18:25 ID:/3Qd0t31
源田は台湾沖で米機動艦隊を全滅させた大勝利をおさめたんだぞ。
ムッチーとは格が違う。
>548
やったぁー撃沈!また空母撃沈!と大喜びしてたやつですね。
幻の大戦果=台湾沖航空戦
そうそう、ここで「牟田口が名将だった」と結論づけちゃうのと同等に無意味な「戦果」だなありゃ。
石原莞爾は中国と戦争しなければ、戦争には負けなかったと言っている。東南アジアと
満州、朝鮮だけを確保して防衛に徹すれば。誰が中国との戦争の引き金を引いたのだ。
>>551 そもそも中国と戦争しなければ、英米との戦争もおこらん。
石原莞爾は満州事変ご責任をとって辞任すれば歴史は変わったかもしれんが・・・
中国なんかに手をだしたばっかりに
コテンパンに負ける破目になった
>>551 引き金を引いたのは石原自身さ。
後知恵ではあるが、日本が満州に手ぇ突っ込む機会は、
辛亥革命時(1911)か軍閥乱戦時(1920年代中期まで)に、
列強と協同で分割しちゃうしかなかった。
全員泳ぎが達者で、登山経験が豊かで、断食の達人ならば作戦は成功したはずである。
要は訓練不足が敗北の原因であり、ひいては精神力が足りなかったのである。
>>556 藻前の場合は知能が足らんな、と釣られてやる
ありがたいと思え
558 :
名無し三等兵:2007/01/07(日) 11:20:06 ID:ZCMNzD/F
たるんどる!
無敵皇軍!!
鬼畜牟田口
何と心強い仇名だろう>英軍将兵
561 :
名無し三等兵:2007/01/07(日) 19:59:00 ID:0V1vsWZd
>>560 馬鹿な敵大将の存在は味方の有能な将軍よりも心強いよなぁ(´・ω・`)
> 英印軍は中国軍より弱い。果敢な包囲、迂回を行えば必ず退却する。
> 補給を重視し、補給についてとやかく心配することは誤りである。
>
> マレー作戦の体験に微しても、果敢な急進こそ戦勝の捷路である。
> 諸官は何ら危懼することなく、ただ目標に向かって突進すればよい
昭和18年12月22日〜26日 メイミョーにて第15軍は兵役演習を行う。
その際の牟田口廉也中将の訓辞
「補給戦かく戦えり」
まあ、草を食べろ、山は青々として食料の宝庫だ、と言ったようなアフォだからなあ。
>>562 >果敢な包囲、迂回を行えば必ず退却する。
ディマプールまでいってれば英印軍は退却しただろうね。
>果敢な急進こそ戦勝の捷路である。
第31師団の宮崎部隊がサンジャックで道草せず、
第33師団が統制前進してなければね。
結局は補給、補給、といらぬ心配ばかりして牟田口中将の透徹した戦術思想の通りに
部下が動かなかったから失敗しただけのこと。
牟田口ご本人の降臨かい。
お空に空砲三発撃ってみたが、英軍はさっぱり降伏する様子が無いぞ。
「ディマプールまで…」ってさ、相手がマジで自発的に投降する類の連中じゃなかったら、そうならんだろ?
敵が本格的に戦備を整え、制空権も奪われてる状況下で、見通し甘過ぎなんだよ。
ディマプール正面の英33軍団は2個師団+3個旅団。
戦車を伴い、一個師団は英本国軍。
既にディマプール街道を埋めて進出中で、コヒマ占領時点で、コヒマを火制する地点に展開してる。
つまり、コヒマ以遠に関してはどの道見込みが無い。
ビシェンプール正面は、4/3時点で第5インド師団、第7インド師団が概ね進出済。
元から第4軍団隷下の第23インド師団主力も展開済。
その第37旅団はトンザン戦で、戦車を伴う反撃で33師団笹原連隊を痛撃している。
そもそも、トンザン発3/26からでは、素の行軍としても一週間でビシェンプールに着くこと自体が困難。
(トンザン戦で第17インド師団撃破に拘れば、非常に巧く行っても更に数日拘束、
実の所我が方の一個連隊に大損害・以後使用不能って方がありそうな状況だ)
例え超人的な速度で突進できたとしても、英印軍の戦略機動性の高さに先を越される定めだったわけだ。
1942年時の英軍が余りにも弱かったから
それで目算を誤ったんだろうか。
それよりも2007年現在で、
>>564のように「戦術思想さえあれば補給などたいした問題ではない」
と思い込んでるヤシがいまだに生息しているのが驚異
さっそく絶滅危惧種としてユネスコのレッドデータブックに登録せねばならんなw
>>565 サンジャックで宮崎少将が潰した時間は5日間。
それがなければ4月1日にはコヒマは完全占領できたろう。
その時点でディマプールにいたのはインド第5師団の第161旅団のみ。
第11軍集団司令官ギファード大将(第33軍団と第4軍団司令官の親玉)は
史実の戦況でさえカルカッタまでの総退却を考えていた。
>>568 宮崎部隊はサンジャックを占領しないと補給物資が底をつくよw
>>568 >カルカッタまでの総退却を考えていた
オプションを検討することを、「考えると実行しちゃう」に短絡しちゃうのは何かね。言霊信仰って奴?
サンジャックと後方連絡線の問題は
>>569の通り。
どうせサンジャックなんて占領しようがしまいが後方補給なんて
ほとんど無かったんだから後方連絡線も糞もない
この作戦で後方連絡線を心配するのは主導性を自ら放棄するようなもの
>>571 ウクルルとサンジャックでかなり分捕ったらしい。宮崎部隊だけw
>>573 しかし、背負える以外は動かせなかった。
輸送にも人手が要る。
人口希薄な地域なんで、軍隊が自分で輜重の人数を投入しなきゃ米袋一つ動かん。
それがいないのがインパール状況。
まとめると牟田口閣下が取った策はやむをえない事だった。
>>574 人手がいなけりゃ空輸を使えばいいじゃない(マリー
>>578 「英軍はそうしてた。」 なんつーか、冗談にならんな。
牟田口ばかり攻撃されてるが柳田も相当糞だろ
>>580 軍人的にはそう。
但し、やっぱり牟田口は糞だが。
>>571 ゲリラ連隊の潜入破壊活動じゃないんだからw
後方無視してひたすら挺進しても、後方連絡線切断→撃つタマにも困ってる小銃部隊、じゃ
結局衝力が弱過ぎなんだな。出張った尖端で潰滅。
つまり、撤退寸前のコヒマの惨境が、別の土地でより早期に現出するわけだ。
このあたりは、日本陸軍の通弊「攻撃時に悌団編成を取らない・取れない」の例。
電撃戦モデルなら、目標途中の敵の抵抗拠点は後続の第二悌団が担当するんだが、
日本軍は「第一線」の後ろには、まともなのは誰もいないからね。
第一線の部隊が丹念に潰すか、脅威して追い払うかしかない。
第15師団は別の、距離の離れた担当目標がある上に、実質一個連隊欠の軽装部隊だし。
サンジャック(所在は第20インド師団)を解決する能力となると不安が拭えない。
>>582 旧軍崇拝者の酷使様は、「なーに銃剣突撃の夜襲でどうにかなる」と言い出すから
こわいw
日本が戦時中に生産した砲弾が7200万発。膨大な数量である。
しかしインパ−ルに到着した砲弾は。米国は同時期440億発を生産している。
>>582 山地戦で悌団編成なんて無意味だよ。
横に広く全力展開したほうがいい。
>>583 酷使様でなくても、「日本の兵隊さんは強いから何とかなる」と思っていたが、あまり何とかならなかった現役将官も実在する
からなあ。ノモンハンの小松原師団長のことなんだが。
まぁ、当時の日本陸軍は「世界で最も完成された第一次大戦型の軍隊」ですから
中国で国民党や地方軍閥相手に戦うには強かったんだよ、中国では……
しかしインパールの支作戦で花谷は米軍装備の中国軍にコテンパンにやられている。
>>587 小松原中将は、あれでも陸軍きってのソ連通・・・だったはずなんだがな。
まぁこのスレをまとめると上から下まで皆精一杯がんばったってことだね。
>>590 戦死した参謀長の大内大佐ともどもね。
>>589 しょうがないよ。花谷が得意なのは一対一での日本兵殺しだから。中国兵殺すのだって荷が重いw
593 :
名無し三等兵:2007/01/13(土) 23:49:28 ID:vhAIb3a9
49 名前: 片倉衷 投稿日: 02/12/05 07:44 ID:???
「既知外扱い、、それは厳禁」
∧_∧ ∧∞∧
( ・∀・) ( *・∀・)
⊂ つ⊂ つ
.人 Y 人 Y
し'(_) し'(_)
「背伸びしいしいリードしたがる〜♪」
∧_∧ ∧∞∧
(・∀・ ) (・∀・* )
⊂、 つ⊂、 つ
Y 人 Y 人
(_)'J (_)'J
「だーけど憎めない、、あの子」
∧_∧ ∧∞∧
( ・∀・ ) ( ・∀・ )
( つ⊂ ) ( つ⊂ )
ヽ ( ノ ヽ ( ノ
(_)し' (_)し'
「牟田口!」
∧_∧ ∧∞∧
∩ ・∀・)∩∩ ・∀・)∩
〉 _ノ 〉 _ノ
ノ ノ ノ ノ ノ ノ
し´(_) し´
594 :
名無し三等兵:2007/01/14(日) 00:15:37 ID:lF/RC7xr
いや、憎めるよ、「牟田口」。
牟田口が天寿をまっとう出来たのは、菊、弓、龍の将兵
のお陰。(祭、安は置いといて)
>>1 英軍だけは、いわゆる「名将」として高い評価を与えてくれると思うんだ。
だから鬼畜米、だけにしてやってくれ。
>>595 ジョンブル氏「牟田口は名将じゃったよ。」
息子「でもおとうさん、勝ったんでしょ?」
ジョンブル氏「そうだとも! ケチョンケチョンにしてやった!! つまりだな、ワシが最高なのだよワハハww」
597 :
名無し三等兵:2007/01/14(日) 08:58:12 ID:Wf6Lj+fm
インパールの対支戦は負けて当然じゃまいか? あの範囲をたった一個師団で守るのは絶対不可能だと思うが。
>>584 WW1の列強レベルに達して無いね。
まあ、WW2の日本は、航空機と船舶生産に集中してたけど。
>第一次大戦の全期間を通じての消費砲弾数は、ドイツ5億8000万発、イタリー4億7000万発、フランス3億4000万発、イギリス3億発と記録されている。
>>595 イギリス人のほめ言葉をまともに受け取ると馬鹿を見る。
あいつら、「コイツを誉めとけば、馬鹿が増えて次も同じ失敗を繰り返すぞw」くらいの事は考えてる。
>>599 すると戦後に戦犯として処刑され、戦後も連合国側から悪宣伝されている「戦犯」の方々は
敵にとって相当優秀で手強かったのかも。
世が世なら安兵団で出征したかも知れないんだが、
なんで、一部戦記で匿名にされるほど評判が悪いのかね?
撤退戦を支援したはずなんだけど・・・
>>601 まあ額面通り弱かったってのもある。インパール戦当時としては新鋭装備の
部隊だったし。にも関わらずあっさり負け続け、持参した米がなくなると
弓に泣きつく始末。挙げ句、撤退戦の時は、衰弱した日本兵を襲って糧食
奪ったり、死体から肉を切り取って売り捌いたりしたらしいから、そりゃ
評判が良いわけはないだろな。
395:名無し三等兵 :2007/01/14(日) 01:55:47 ID:??? [sage]
>>393 インパールだけを落とせばいいなら、
英軍の空輸を妨害できる程度の空軍力を持てばいい。
すると、史実でも陸路ではインパールは孤立しているのだから、
普通に陥落することになる。
とすると、ニューギニアにいった陸軍航空主力がいれば、
大空輸が可能なほどの絶対的な制空権は、
英軍といえどもさすがに保持できないことになるから、
理論的には、インパールだけは陥落する。
さらに日本軍が補給線をのばして、
後がどんな酷いことになるかは別として。
400:名無し三等兵 :2007/01/14(日) 10:40:59 ID:??? [sage]
英軍の空輸を妨害したらチャーチル給与が無くなって史実より犠牲が増えそうだ。
402:名無し三等兵 :2007/01/14(日) 10:58:27 ID:??? [sage]
敵中に食を求める→制空権イラネ
だったのか。一応筋は通ってる。さすが牟田口さん。
おまいらも牟田口閣下の深慮遠謀に震えおののけ。
震えおののいたというか、塩ラーメン吹いたw
>>603 やはりもののけに取り付かれていたんだなと確信した
>>604 反省だけなら猿でも出来る
後悔だけなら3歳のガキでも出来る
ただし、バカは死ななきゃ治らない、藻前のことだ
>>604
608 :
名無し三等兵:2007/01/16(火) 00:15:25 ID:YNMTbLT0
スレタイどおりに行くんだったらさ、マレー戦での18師団長時代の話もしてやろうぜ。
ここでもT参謀の影がちらつくがw
>>602 サンクス
さすがは我等が安兵団!
屋台を出していたとは聞いたが、そんなものを売っていたのか。
610 :
名無し三等兵:2007/01/16(火) 17:15:23 ID:g4vvgKTx
こんな悲惨な戦いでも英軍に5万人も死傷させたのはすごいよな
ホントに日本兵は一流だわ
というよりインド兵が三流だっただけかな
たしかに忠勇な日本兵達には脱帽
でも士官たちは位が上がるほどオロ蕪・・・
今の陸自の幹部達は、こうなって欲しくないものだ
前は日陰の存在で、過剰なくらいに世間の目をビクビク気にしていたから、あからさまな馬鹿はできなかったけれど
防衛省に昇格したりしてるし、へたに自信過剰になると・・・ほら、いつの間にやらあなたの後ろに牟田口が。(笑)
カンボジアで現地人に子供生ませてやり逃げした隊員もいるし、そろそろ・・・
613 :
名無し三等兵:2007/01/16(火) 20:38:19 ID:WjAaB9gL
コヒマを取った佐藤師団長、陸軍史上例のない「抗命」
インパールを映画化して貰いたいなぁ。
脚色一切なしで淡々と描いていくヤツで。
もう戦争の悲惨さなんて言葉が安っぽく思えるものになるだろうし
日本軍がどれだけ激闘を演じたのか皆理解するだろうし
酷使様も遁走するだろう。
ラストは牟田口閣下の自ら立案した作戦で死んでいった将兵達に
心を痛ませ、号泣する感動的なシーンで終わる。
・・・モチロン、清明荘内の接待婦の上で腰を振りながらw
いや、ラストは報道陣の前で牟田口が
「アレをやらんかったらビルマを取られていたわい、ガッハッハ!」
と呵呵大笑し牟田口以外、全員ずっこけておしまい。
世界三大中将について教えてください。
なんでもかんでも、失敗の責任を声の小さい一個人に押し付けるのは日本人の醜い部分ニダ
>>612 カンボジア厨乙!
テメーは世界史板の強姦スレにすっこんでろ、クズ
「牟田口もどき」が増殖しているのは韓国陸軍だろうがw
と、キムチに釣られてみました
>>614 それでは、ハリウッドのメーキャップアーティストを雇って
生きながら全身に蛆が涌いて、蛆をボトボトと落としながら
それでもなんとかジャングルの中を撤退しようとして
飢えてバタバタと死んでいく兵士達を再現してもらいましょう
ラストは後方で芸者達とドンチャン騒ぎしている牟田口閣下の呵呵大笑で・・・
と、思ったが社民党のミズポちゃんや清美ねーちゃん、はては隣国の大酋長や将軍様から
「推奨」をもらいそうなのでやめました
>>617 はい、手鏡、自分のことを良く見てごらん
・・・なに、「世界最強最良民族の好男子が映ってるニダ」だって
やっぱり半島のヤツラに日本人の繊細な思いやりは通じんのか・・・
621 :
名無し三等兵:2007/01/17(水) 11:53:57 ID:Wg1Thr/j
さてここでクエスチョン!ムッちゃん以外で悪い奴はだあれ?佐藤 山内 柳田田中 宮崎 花谷 各参謀林 森 東京 他
>>614 何も知らずに観た人に「あの司令官が無能すぎてリアリティがない」とか言われそう。
624 :
名無し三等兵:2007/01/17(水) 15:29:51 ID:Wg1Thr/j
俺は仕事で、あっちからもこっちからも文句いわれ、四面楚歌におちいった時よく思う。「ボースのきもちがよくわかる。」と。
> ラストは後方で芸者達とドンチャン騒ぎしている牟田口閣下の呵呵大笑で・・・
だからリアルに作れと・・・・
626 :
名無し三等兵:2007/01/17(水) 16:57:21 ID:Qmzc2RJl
どうでもいいけど、生き証人が残っているうちに
考えてくれよな
仮に映画を作るとしたら、日本軍を支援するために参戦し後のインド独立のきっかけを
作ったインド軍の扱いは、どうするのかな?
麗々しく讃えたら欧米諸国から非難されたりして・・・
>>617 「ムッチーの声が小さい」とは、ここに書き込んでいる人間の誰しもが思い至らないことなんだが。
声が小さかったら、河辺を動かし寺内を動かし東條を動かすことなぞできはしまい。
>>627 「イギリス人は、そんな特亜三国ほど尻の穴は小さくないでしょう?」と言ってプライドに訴えれば大人気ない行動はしないでしょう。
ただし、気の利いた嫌味の一つくらいは言われるかもしれませんが。それがイギリス人というものですw
インド人は、それなりに喜んでくれるでしょう。インド国民軍従軍者を裁判にかけるかどうかという話がインド独立運動を激化
させた要素の一つですし、今では愛国心の表し方の相違に過ぎないと位置づけられていると思います。
少なくとも、中国が汪兆銘政権関係者に持っているような感情ではないはずです。
>>627 欧州白人連中の面の皮の厚さは、エレファント重駆逐戦車をも上回るから
鼻で笑っておしまいだよ
>>622 確かに日本軍といえばバンザイアタックと特攻のイメージなのに
部下をほったらかして、女といっしょに戦地から無断撤退ってのは
ありえないよな・・・
それを処罰できない日本軍ってのもなぁ。
しかし牟田口関係の話を見てると、戦前も現代の日本も変わらないなぁと思うよ。
現代の日本人がひ弱になったってのは嘘だな。
撤退って言うか、牟田口の場合前線にすら行ってない。
非難されても、芸者と共に進出したのは途中まで。
逃げたのは本土までだったけど。
> 芸者
何処まで本当だったのか判らないんだけど
633 :
名無し三等兵:2007/01/17(水) 22:41:04 ID:G0zRRf15
牟田口・・「地獄少女」的に言うと、
何だか責め苛まれていそうだな、
あの世で兵士や兵士の家族に。
まあ、当然といえば当然の結果だろうが・・。
マジっぽくてワロタ
>>630 戦前の日本人にもああいうひ弱なのがいたって思えば自己肯定できて安心するよね
734 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/09/18(月) 15:38:05 ID:???
> 牟田口→部下の撤退許さず自分だけ「北方撤退路の視察」と言って逃げ帰る
> チンドウィン河畔まで苦しい退却を続けて来た諸部隊は、軍司令官が既に同河畔を去り、
> 遠く後方に撤退したことを知って、軍司令官に対する不信を深めた。
戦史叢書「イラワジ会戦」
> (河辺方面軍司令官も)牟田口中将が更にシュエジンからも後退したことを知り、軍の退却指導の錯乱と見て概嘆した。
735 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/09/18(月) 15:38:34 ID:6JQTri7k
しかし真相は
> (逃げたなどとは)心外至極のことである。 あの時軍司令官たる私がチンドウィン河畔をにとどまって
> 諸隊の退却を指導することの重要さは私も十分承知していた。
>
> しかし、それよりチンドウィン河以東ジビュー山系間の補給体系を速やかに確立することの方が
> より重要だと信じたればこその行動であった。
>
> インパール作戦失敗に関する私の責任は弁明の余地もなく、また弁明しようとは思わない。
> しかし、私のシュエボ先行を卑怯者呼ばわりされては黙っていられない。
>
> 牟田口中将談
>
> 月刊 軍事研究 2001年5月号 P153
つまり牟田口閣下の真意を諸部隊と方面軍司令官が理解できなかったのが問題ということだな。
やはり閣下だけが正しかったのだ。
酷使様乙
まあ作戦に対する批判はともかく、芸者〜とか、牟田口逃げた〜とか、ばかりだと
批判の信憑性が失われるよ。デマと見なされて。
> インパール作戦失敗に関する私の責任は弁明の余地もなく、また弁明しようとは思わない。
いちおう、自分の失敗を認めていたんだな。
>>637 それはね、「真相」では無く、「言い訳」。
攻撃時には、前線への補給整備を考慮しなかった人間が、
撤退段階になったら突然補給路整備の重要性に目覚め、「自ら後方の現場に出張る」???
大体、補給路の整備というのは、幕僚を派出してやっとく問題じゃん。
軍司令官がのこのこ行った所で意味ナシ。
軍隊的には↓が常識。
>軍司令官たる私がチンドウィン河畔をにとどまって
>諸隊の退却を指導することの重要さは私も十分承知していた。
要は、嫌な、危険な事から逃げ出しただけ。
下手に前線に顔出したら出したで敗兵に撃たれ兼ねないがw
>>633 もし牟田口が今も生きてたとしたら
飢餓やマラリアで死んだ兵士の遺族から地獄通信にアクセスが殺到しただろうなw
1人のターゲットに対して依頼者が多すぎて
閻魔あいたんも誰に藁人形を渡せばいいのか途方に暮れただろう
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::::::::::::::::::::::::あ な た の 恨み、晴らします。:::::::::::::::::::::::::
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:::::::::::::::::::::::::|牟田口廉也 |::::::::::::::::::::::::::::
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: ::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::| 送信 |:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::
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>>627 安心汁!!
ハリウッド資本で英印軍の北アフリカ戦線での敢闘をたたえた映画を創るだろうから
無問題。
> 英植民地ビルマのウ・ソー首相は欧州に戦火が拡大するさなかの1941年10月、ロンドンにチャーチルを訪ねた。
>
> ビルマの独立を約束してくれるならビルや人兵士を欧州に送ってドイツ軍と戦わせます、と。
>
> しかしチャーチルは彼に会いもしなかった。その理由を後にこう語っている。
>
> 「植民地の有色人種に必要なのは鞭だけだ」と。
> C・ソーンの 「米英にとっての太平洋戦争」(草思社刊) にはチャーチルの言葉として、(大西洋)憲章にある人々とは
> 「私も米大統領も念東にあったのはナチスに占領された東欧国家の主権や国民のこと」で、黄色い人々は入っていなかった。
>>647 はいはい、だからむっちーはアジア解放の英雄なんだといいたいのだろ、酷使様
無駄な努力ご苦労様w
インパール戦に参加したインド国民軍の兵士も見捨てて逃げ出してるし<むっちー
>>647 続き
> ウ・ソーは肩を落としてパンナムの「チャイナ・クリッパー」で帰国の遠に就いたが、フライトはハワイで打ち切られた。
>
> なぜなら真珠湾はその日の朝、破壊され‥その先の海は戦争状態に入っていたからだ。 日本軍の戦果を目の当りにしたウ・ソーは逆回りで
>
> 大西洋を渡り、ポルトガルの首都リスボンにつく。 そこで彼は日本大使館のドアを叩いた。
>
> 応対した千葉公使が42年1月1日付けで日本に送った暗号電文が飯倉の外務省公館に残されている。
>
> 要約すると「12月31日に、ビルマ首相が極秘に訪れて…ビルマに満州国と同じ地位を与えて欲しい。そうすれば日本と
>
> 協力して英国を駆逐する。日本が必要な資源は悉く提供する」。ちなみにビルマにはエナンジョンという大油田がある。
> (ウ・ソーは)1月12日に英領パレスチナのテイベリアス空港に着いたところを(対日協力を察知した)英情報部に逮捕される。
> チャーチルから知らせを受けたルーズベルトは「私はビルマ人が嫌いです。どうか一味を一人残らず捕まえて処刑して下さい」
> (「米英にとっての太平洋戦争」)と
>>650 はいはい、米英は鬼畜だからむっちーはアジア解放の英雄なんだといいたいのだろ、酷使様
無駄な努力ご苦労様w
ところで、ウ・ソーというよりア・ホーと改名したほうが良いな、あの首相とやらはwww
>>648 >>651 >「植民地の有色人種に必要なのは鞭だけだ」
>「米英は鬼畜だからむっちーはアジア解放の英雄なんだといいたいのだろ」
「鞭」と「むっちー」をかけているのですね?w
>>652 確かに最終兵器だw
敵側に放り込んどけば、勝手に人数引き連れてやって来て、勝手に餓えて死ぬ。
有色人種ホイホイ、むっちー。
いやほら、無敵皇軍はラマダンだから。
ムスリムの断食は日の出から日没までだが、皇軍の断食は24hだ
さすが我等の無敵皇軍w
>>646 >ハリウッド資本で英印軍の北アフリカ戦線での敢闘をたたえた映画を創るだろう
少なくとも、それは無理そうだな〜
佐藤師団長に焦点を当てれば映画を作れそうだが
餓死寸前の将兵を演じられる奴はいないのが難点だ。
>>657 なーに、20キロ減量を条件にして、落ち目の俳優達に声をかければけっこう釣れるさw
エキストラにはベトナム人かカンボジア人を雇えばいい、あいつら元からガリガリだから
あとはメーキャップとCGでどうにでもなる
>あいつら元からガリガリだから
仮にも大東亜共栄圏の一翼を担う方々に対してなんて言い草だ。
なにいってる、ガリガリだからこそ強いんだぞ
昔、日本兵もガリガリだから強かった、だからロシアに勝って、米英ともあれだけ戦えた
ベトナム人もガリガリだからアメリカに勝った
中国も北朝鮮もガリガリだからアメリカと引き分けた
ガリガリは褒め言葉だ、誤解するな
カンボジアはどうだって?・・・・・・・何事にも例外はあるさ
生まれて初めてガリガリ君で当たり棒を引いた二十歳の夏
>>659 まぁベトナムなんか、大戦末期は米の不作で百万単位の餓死者をだしたらしいがねぇ。
考えたら兵隊がガリガリになる(する)事自体がおかしい。
戦争中盤くらいまでは貧農出の若者にとっちゃ、軍の飯のほうが娑婆より豪勢だったし
何かと言われる石原莞爾は兵の食事の向上のためにホテルからシェフをスカウトした
ヒトラーは自身が兵隊だった第一次大戦の反省から、軍の食事に気を遣った
結果的には脚気の原因になったが日露戦争当時、陸軍は白米が喰えるのが海軍に対する優位だった
「仁将」今村均はラバウルで「現地自活」を行い、孤立した上でも飢えを防いだ
牟田口が愚将とされるのは、食い物の恨みという言葉の意味を知らなかったからに違いない。
飢餓で有名な場所はガダルカナル、ニューギニア、ビルマ。
これらに共通するのは要するに「遠い!」ってこと。
本土から遠ければ補給効率が悪化するのは当然の話。
>>664 60年後の我々なら、「当然の話」で突き放すのもしかたないことだろうが
当時の司令官たるものが「当然の話」として突き放したら・・・
これがむっちーくおりてぃ
最後まで自説を曲げなかったところがサイコー
結果が出てから「やっぱ僕が間違ってました。すみません」とか言われてもねぇ
669 :
名無し三等兵:2007/01/24(水) 04:45:29 ID:RPgHDGYV
むっちゃんむちむうんこたれて〜
wikiのソースは?
wikiの内容を否定したければ自分でソースさがせ、ソース厨
>>666 なるほど、兵に「戦って死ね」ではなく、「体中に蛆が涌きながら餓えて死ね」と命令するわけですか
稀代の名将になれますねw
ゲーム感覚で兵を論じる酷使様がいるから、世間から軍オタが基地外扱いされる
おかげで他の軍オタまでキモヲタ視されて肩身の狭い思いをさせられる
たまには自分の顔をじっくり鏡で見てみな、酷使様
>>673 微妙に違うぞ。
本人はゲーム感覚どころか大真面目だが、脳がゲーム脳なので、
考えた結果がゲーム感覚になってしまうのだ。
自分の脳がゲーム脳から脱せていないことに自覚症状皆無。
自覚症状は皆無な以上、いくら鏡見たって、ゼロに何かけたって
ゼロだからな。
おまいさんみたいなのがそうやって忠告したところで、理解する
こともできないだろうよ、国士様は。
むしろ、あっちの方こそ軍ヲタはこんな簡単なことも理解できない
のだとか思って、鼻でせせら笑ってるだろうさ。
救い難いのだが、そのくらい救い難い人物でなければ国士様などには
なれないし、国士様を続けていくこともできまい。
インパール作戦を行わなかった場合、
戦わずして虚しく斃れた兵と虚しく投棄された兵器が迎撃に使えた訳で。
ムッチーは仮想戦記作家だからね。
677 :
名無し三等兵:2007/01/24(水) 18:16:47 ID:RPgHDGYV
ウ号作戦が発動されなかったら? レド行路から印英軍が大陸に参戦。支那派遣軍ははさみ打ちで壊滅。ビルマじゃ、マンダレーやミッチナを英機甲部隊で、ラングーンからは英海兵隊上陸、やっぱあかんかったろな。只、陸兵は歩かんでよかったかもしれんが。
>667
×サイコー
○サイコ
>>679 圧倒的戦力に出会うまでもなく死ぬよりは無駄死にじゃないがな
「佐藤師団長の無断撤退が作戦失敗の全ての原因。武器弾薬食料は敵から奪えばいいのだ」
牟田口司令官
>武器弾薬食料は敵から奪えばいいのだ
山賊の親玉じゃないんだからさあ
だって山賊の親分程の頭しか持ち合わせておりませんもの
>>662 飢饉があったことは事実だが、二百万は創作、百万という数字もあやしい。
ベトナム人は貯蓄できる民族で、たやすく飢え死にしたりはしない。
しかも南部の米に頼っていたハノイ市民に死亡者が無く、
自給経済の農村部で餓死者が出たという話はうそ臭い。
ここまでは、某証券会社ミッションでベトナムへ行ったときの党幹部の話。
(通訳入り、私の解釈)
大体インパール作戦関係するのは英軍演出のベンガル飢饉だろ。
>>677 かえってビルマ失陥は早まっただろうね。
インパール戦への対処で半年は連合軍の反攻が遅くなったわけだし。
>>685 「攻め込まれたら最後、稀代の愚将むっちーがまともな防御戦を展開できるわけが無いから
何が何でも攻勢かける必要があった、それが歴史上稀に見る愚戦でも」ということかな
でも人間なら「やっちゃいけないこと」があるのだけどねぇ、たとえ国の命運をかけた戦いでもだ
もっとも、この「やっちゃいけないこと」を一顧だにせず無視出来なければ酷使様なんぞは務まらないがw
人間の中には一定の割合で、ある種の行動抑制ホルモン分泌を司る遺伝子を持ってない者がいるそうだ
「やっちゃいけないこと」を一顧だにせず無視出来る人間は、そういうヤシだろうな
つまり酷使様は常人とは生まれながらにして違うというわけだ、さすがだなw
>>685 攻撃は最大の防御というからな。
敵反攻の機先を制し、インパール・ディマプールに敵戦力を牽制することにより
レド方面への増援を阻止し、援蒋ルート打通を遅滞させたことは評価に値する。
690 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 03:29:44 ID:x/Kvg8Bv
ディマプール・ビシェンプール攻略は戦術では正道。只、三万の部下将兵が二本の足でってのがなあ。UH-1が100機でもあったらなあ。
まず補給をですね
やはり違う。英軍のチンドウィン川渡河を待ち、雨季に入ってからインパール東南方
の印緬国境で後方連絡線を遮断するのが正当。
インパールからの進撃は連合軍としても必ずしも良策でなく、補給上の難点を抱える。
それが英軍をしてインパールでの防御作戦を有利と判定した一因。
また英軍側はインパール東方に新たな前線飛行場の適地も無く、
航空躍進も困難であった。つまりインパールで日本軍が自壊しなければ、
遅遅とした進軍となり、19-20年乾季で史実のようなビルマ中南部への
進撃は無かったと思える。
ただビルマ戦線が余りに不活発だと、スラバヤ上陸が実現してたかも
というのが架空戦記の難しいところだ。
693 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 07:51:49 ID:S1SJsr/n
むっちーは無防備マンだったんだ!
>689
戦争論
位読め。
クラウゼは防御のための防御は否定していなかったか。
突撃馬鹿は、戦争論以前の問題、つまり端から論外
日本人は草食だから山の草でも食えばいい
>>689 牟田口閣下、何も化けて出てまで言い訳しなくても。
早く成仏してください。
あ、地獄行きだから、成仏したくないんですね。
>695
ではなく、
攻撃は・・
が、誤ってると言いたいのだが。
防御は攻撃よりも強力な戦闘形態である。
>>697 実際に雑草を食った。それでも(というか当然ながら)飢えている。
そこでジンギスカン作戦ですよ!
>>701 牛の背に、鉄鍋・たまねぎ・タレ・モヤシをのせて行軍するんでつか?
703 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 11:55:03 ID:WOJGwRdW
>>673 それは違う
世間様から見れば軍オタは戦争大好きな妄想厨
酷使様がいようといなかろうとキモイ
いくら説明したって理解はしてくれない
アニオタと同レベルの扱い
余程の高学歴なら別だけど
>>703 すばらしい!
自分で自分のことをキモイといえるようになれば
まさに真性キモヲタ
真性包茎じゃないよねw
>>699 それは一般化できない。
広大な戦線を兵力を分散して防御するのが正しいと思うかい?
706 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 19:20:42 ID:x/Kvg8Bv
↑まったく正論だが、海、陸の交通が途絶えた戦場では、あるもんでなんとかせんといかん。細く長くでも、やらなあかん。ナイナイずくしの日本兵、あなたが指揮間だったら?
>705
件の戦争論の一節だが?読んで無い?
知ってるが、クラウゼの論はナポレオニックの防御側圧倒的優位を前提にしている。
当然だが自動車、戦車、航空機などの機動力攻撃力は考慮していない。
また歩兵装備の発展も予想しているわけでもない。
>>706 敵の初動を遅延させるために攻撃される前に攻撃する。
十分な損害を与えれば今後の攻勢作戦そのものを頓挫させられるかもしれない。
>>689 遅レスだが、ウ号やらずに、
その分の兵力や補給をフーコンや北ビルマに回してた方が、
もっと、レド公路を遅滞させられたと思うぞ。
フーコンは平野ではないから、敵の大群や機械化兵力も十分展開できないし
兵力や補給がもっと多ければ、もっと長く抗戦できた労使
空挺で2ヶ月も18師団の補給が立たれることも、
ミートキーナを挺進攻撃されることも防げたと思う。
また、ケベック会談などで、攻勢は北ビルマ限定だったわけだから、
ウ号やってなくても、ビルマの平地地方への攻勢は史実より速くはなっていまい。
まあ、これは当時の日本軍は知らなかったわけだから、後知恵ではあるが
>>705 穴だらけの戦線を敵に迂回されたら「防御が攻撃より強力」なんて論自体が根底から無効化するからね。
つか、地形や兵站線の確保を無視してそう簡単に迂回なんてできるもんかえ?
ビルマを北アフリカと一緒にしてないか?
>>709 > 十分な損害を与えれば今後の攻勢作戦そのものを頓挫させられるかもしれない。
ただ、予想に反して「十分な損害を与えた」のが日本軍で、頓挫した作戦は「日本軍のビルマ防衛作戦」だったわけだw
>>712 空中補給は地形や地上兵站線の困難を緩和し、より大胆な迂回を可能にする
空中補給を過大評価してないかい
ゲーリングのホラじゃあるまいし
防御側で決まった位置に投下すればよかった円筒陣地すら
投下した物資が日本軍に渡っている訳だが
また攻勢側は移動するだけで大量の物資を消耗するわけで
空中補給はそれこそ気休めにしかならない可能性もある
ただし英だけにマーケットガーデンみたいな派手な空挺作戦を
展開されたら苦しいかもしれない
空中補給は成功した例がかなり少ないはず。
ドイツも一回ぐらいしか成功しなかったような。
ビルマでもウィンゲート兵団が空挺作戦やってるような。
チンデット作戦とかゆーたかな。
日本軍はこれの掃討に苦労したが、やった英軍はもっと苦労した。
この作戦では日英どっちも自分たちは失敗したと信じ込んでたとか。
やっぱり、牟田口は最悪だったね。
空中補給の場合、相手にまで補給してしまうもんなぁ。
インパールでの日本軍とか、ディエンヴェンフーのベトナム軍とか・・・
ということはビルマで防戦すれば、イギリス軍のおこぼれがもらえてウハウハだ!
ビルマと打ち込もうとしたとき、ついついブルマと打ち込んでしまったのは秘密です。
それでも餓死しちゃった日本軍って・・・
>717
アメがベルリンでやってたっけ
強者の戦術だよなぁ>空中補給
>>723 ちゃんと空港が整備されている都市への補給と、前線への物資投下をいっしょにするのは・・・
まるで長澤まさみと山田花子を女だというだけでいっしょにするようなもんだ
725 :
名無し三等兵:2007/01/27(土) 13:50:05 ID:dupVPgOR
俺の不人気も
佐藤幸徳(中将:第31師団長)の無断撤退のせいだ。
兵糧?そんなものは現地で調達したらよろし。
無敵皇軍が、戦況不利を理由に無断撤退など、断じてあってはならん。
佐藤?錯乱だろ。大日本帝国陸軍に「抗命」などあってはならんぞ。
前代未聞の珍事となる。
>>725 イマイチおもしろくないね、次はがんばりましょう
>724
尚更物量少ない側にはミリてことだわな
まさに「一将功ならずして万骨は枯る」だな
737 名前: 山師さん@トレード中 投稿日: 2007/01/28(日) 22:05:25 ID:QHlMOlXA
インパール作戦といえば、牟田口中将。
762 名前: /ノ、^ヮ゚ノ、,ヽ ◆ZB2X4CUGB6 [sage] 投稿日: 2007/01/28(日) 22:07:18 ID:P8R89Za5
>>737 俺は牟田口中将には責任はそれほどないと思う。
単なる現地軍の司令官だからね。
方面軍と総軍がなっていなかった。
アメリカの鳴り物入りのベルリン空輸だが、人口300万の都市をまかなえるだけの
量の食料と燃料を空から全部送り込むことは無理で、東側からの密輸が相当あったという話だ。
まあ、あれだ。コンニャク糊で風船作って空中ジンギスカン作戦で無敵皇軍も補給しろって話だ。
>>732 偏西風を考えたら
目的地と逆のほうに流されると思うんだけど?
ヒント
地球一周
>>710 「ジリ貧を恐れてドカ貧に」パターンですな。
いつも同じだ。
「虎穴にいらずんば虎児を得ず」
と、うそぶいて虎穴に入ったら、虎に喰われちゃいましたとさw
糧食すら十分に携行できない山越え作戦なのに、編成に戦車連隊が入っているなんて。
で、戦歴といえば牟田口の気が変わって攻勢重点変更になるたびに配属先が変わって山道を行ったり来たり。
しかも激しい空襲を受けて連隊長が発狂して更迭されたり。
インパール平野に出たら出たで沼地の中の一本道でまったく役に立たず、
最後は弓兵団撤退の盾に使われて壊滅。もうなんというか悲惨な部隊。
>>737 軽戦車連隊だから前線に投入した所で穿貫突破力なんて無いしね。
チハの現地改造増加装甲型(ムリヤリ+25mmのヤツ。耐2ポンド)を数揃えて、
ってんなら兎も角。
チハもチハ改も砲戦車も鹵獲M3も持ってましたが何か?
たとえ三式を持ってたって無理
なんせ相手はシャーマン「重戦車」だからw
シャーマン「重戦車」・・・妙に強そう
帝国陸軍最強戦車のM3を持ってしてもだめか。
M3は敵前で操縦を間違って河に落ちてしまいましたとさ。
M4にはいちおう待ち伏せして側背面攻撃で戦果を挙げているみたい。
インパール後に再建されてからの話だけど。
あと増加装甲を考案したのが上田中佐、ってどこかで読んだんだけど、
それってこの戦車第14連隊の連隊長と同一人物?
上司にしたい男NO1牟田口
744 :
名無し三等兵:2007/02/09(金) 07:56:43 ID:M3njzWgx
自分の上司じゃなくて「嫌いな香具師の上司」な
死ぬからなw
746 :
名無し三等兵:
「嫌いな香具師の上司」→牟田口
「自分の上司」→宮崎繁三郎
Inビルマ。
てな感じか。