931 :
925:2007/01/24(水) 22:20:01 ID:???
>>929 しかし、程なく終戦となる。
司令:「なんだかなー。あ、お前らまだ居たんか?戦争終わりだからあの白菊に乗って故郷に帰れや。」
俺の爺さんではないが、中学時代の数学教師が海軍の航空兵で、流星改に乗ってたと話してくれた。
先生の兄上は流星改で特攻出撃したらしいが、台湾に不時着、戦死した。
戦後、「この辺に落ちたらしい」という地点に行って、亡き兄上の慰霊をしたという話も聞いた
各地の慰霊祭に顔出してるらしく、日曜、勉強を見てもらおうかな、と思って訪ねてみると居なかったり…ということが良くあった
プラモ作りが趣味で、勉強教えてもらいに(遊びに)行ったとき、自信作だって言って紫電改出してきてたな。
ただ、ケースの中に米軍機が一機も居らず、旧海軍機のみ整列してるのを見て、ああこの人は生粋の軍人だったんだなと感じた
まだご存命のはずだから今度会えたときゆっくり話を聞いてみたいと思う。
933 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 19:29:23 ID:49Z9Kv5C
俺のじいさん。陸軍法務官ってので結構階級が上の方だったんだけど、まだ生きてる。95歳。
戦争の話は時々するよ。印象に残ってるのはスマトラ島でワニやウミガメを食べてうまかった!という話。
ただその後あさ袋がなんとかって言い出して。人間が一人すっぽり入るくらいのって俺らを
脅かすように言って笑ったけど、すぐにすごい悲しそうな顔になった。
結構思い出したんだろう。死んだ部下をあさ袋に入れたのかもしれない。
テレビでビルマの映像が現れたとき、ふとじいさんが、
ビルマやインドネシアなんかまで攻めこんでほんとに馬鹿な事をしたもんだと、ボソッと言ったな。
戦線拡大を批判してた。たぶん牟田口なんか大嫌いだろう。
何も語らないけど。
戦後だが
じいちゃんは戦死…と伝えられ、ばあちゃん大泣き→そして墓を立てた。しかしひょっこり帰ってきた。
戦死認定っていい加減なもんなんだろうか?
壊滅、壊乱が茶飯事の南方だとなぁ
戦死した時、夢とか何らかの虫の知らせがあって、ああ、今死んだな、とわかったという遺族も多いな。
夢は年中見てるけど、
たまたま死んだときに見た分だけ憶えてるんだよ。
939 :
名無し三等兵:2007/01/26(金) 19:52:58 ID:2PCbM/3D
age
凄い遅レスもいいところだが、
>>42の話、うちの爺さんそっくりだ…
俺がいるって言いたくなるぐらい
>>42と
>>940の祖父が同じ釜の飯を食った仲間であることは、
まだ、誰も知る由もなかった。
うちの爺ちゃんは松茂の近くで宿屋をやっていたので、
よく兵隊(航空隊)さんを泊めてたらしい。
もっとも爺ちゃんは戦争のことは一言も話さなかったので、
伯父さんの話であるが、松茂からは白菊特攻隊が出撃しているので
特攻隊の人間も泊めたのかもしれない。
玄関で見送りするとき、爺ちゃんが『ウチの客は一見さんばっかりじゃ』と
ボヤくの聞いて、複雑な気持ちになったといってた。
終戦後、宿屋を廃業しタバコとお茶と相撲だけを楽しみに95で亡くなった。
爺ちゃんはお年玉を貰いに来た俺の顔を見るたびに
『アホになれ、ワシより賢い奴は皆先に逝った。アホが長生きのコツじゃ』と
『この世のことは、この世で必ず解決する』といつも言っていた。
>>940 たんに42と940が従兄弟同士とか、兄弟とかなだけじゃね?
>>943 というか、
志願、南方の楽な戦線、青いバナナ・・・
あまり多くは無いけど良くある方の話でしょ
南方で比較的楽で食い物の心配も無く復員も早いで・・
台湾か海南島、タイ位しかないぞ。
ベトナムやマレー、インドネシアは降伏した後が悲惨だし。
>>945 祖父はまさに海南島帰り。
牛を煮込んだのを食べたとか、ぜんざいパーティーを隊でしたとかそんな話ばっか(ではないけど)
比較的平和だったみたいですね。
13人兄弟の3番目ですが、戦争で誰一人欠ける事無く13人ともに終戦を迎えました。
一方で激烈な戦いをされた方もおられるかと思うと複雑な思いです。
947 :
940:2007/01/28(日) 20:00:04 ID:???
早死にってところが無ければああ似てるなって思っただけかもしれない。
自分が生まれた時既に故人だったからなあ…
直接話が出来るっていいことだぞ。
948 :
881:2007/01/29(月) 01:55:20 ID:???
>883
戦後に従軍時代の話をされない方ほど死線をくぐって来られたのだと思います、
「話しても伝えられない」との思いもあrのではないでしょうか。
祖父がシベリア時代のことをはなしてくれたのは亡くなる数年前、私が成人に
なってしばらくしてからでした、話してくれなかったことのほうが多かったと
思います、日本人捕虜同士のいさかいも多くあったのではないでしょうか。
多分収容所での人間同士の醜いことも見てきたと思います、そのせいか嘘や
他人への裏切りは許せないという人でした。
なお、祖父の兄も満州で土木技師をしていたようでトランシットを覗いている
写真が一枚だけ残っています、祖父よりも少し早く召集されてソ満国境に
配備されたようで終戦直前のソ連侵攻時に戦死したようです、もちろん戦死の
正確な場所や日時は不明のままです。
>>942 『ウチの客は一見さんばっかりじゃ』
.・゚.(ノд`).゚.・
おまいも爺さんに負けずに長生きしろよ。
うちのダンナの祖父は特攻隊だったらしい。
特攻に行っている途中で終戦になったという話だがこういうことはありえるのか?
本人は余り話したくないみたいで、ダンナが小学生のときに一度話してくれたみたい。
>>950 ありえます。
途中というのは基地で待機中に終戦になったのかも
しれませんね。
出撃準備中に聴いた重大放送が玉音放送だったらそうかもね。
そうか、ありえるんだね。
おじいちゃんどんな気持ちだったんだろう・・・。
宇垣長官、自分も連れて逝ってくださいっ〜!
>>954 大西瀧治郎:「宇垣の奴め、ずるいぞ・・・オレは一人で死んでやる」
東條英機「米軍が捕まえに来るまで大人しくしてよう」
そのころ知覧でわ
鈴木参謀「一機用意いたしました。鈴木もおともします」
菅原大将「宇垣が死ねことにきめたとしても、自分にとってはこれからの後始末が大事だ」
「死ぬばかりが責任を果たすことにならない。それよりは後の始末をするほうがよい」
959 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 03:29:44 ID:T0Cr8xoO
水戸光圀様も元特攻隊だったそうだ。
961 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 04:23:11 ID:q+DiQQ5G
962 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 11:27:34 ID:XiGZgX0Q
鶴田浩二、、、
西村晃さんでは。
お茶の千玄室先生とは戦友同士だったそう。
西村晃さんでしたか。あの世代の方々は苦労されてますね・・・
965 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 16:22:30 ID:QeMCc7IE
>>953 俺の友人の爺さんも特攻隊員だが今でも
「国を守るためなら死なんといけんのじゃあ!」と言ってますよ。
西村晃の親父さん、戦前の発明家で字を書くロボットみたいなの作ってなかったっけ?
で、西村晃が親父さんの役を映画でやってた気がする。
帝都大戦だったか?
968 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 17:06:03 ID:iAW/peis
969 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 18:38:28 ID:yBApLAAG
>962
営業用の特効隊だよん。あやつのは。世が世なら官等級詐称で憲兵隊行き。
正体はどうも大井航空基地の定員分隊の兵隊らしい。だれか軍歴照会してみんか?
照会したって本人、親族であることが証明できないと出さないよ。
971 :
名無し三等兵:2007/01/30(火) 23:15:25 ID:jRrQf2t3
>>9 44期って、戦後に有名なあの方とたぶん同期ですな・・・
西村晃氏、戦後復員するとき基地にあった飛行機を操縦して実家に帰ったんだっけ。
973 :
名無し三等兵:2007/01/31(水) 13:55:34 ID:APSzabca
俺の祖父は、戦時中に兵士として、
ガダルカナルに行ったが、そこで
リンゴを盗んで食べて上官にボコられて、
それに腹が立った祖父は、仮病を使って
マラリアのふりをして、帰国。
でも本当にマラリアになっていて治療。
その後、ガダルカナルは全滅。
命拾いしてくれたおかげで、今の俺がいる。
>>972 たしか、連絡/哨戒に使ってたお古の九七艦攻に乗って帰ったって聞いた
後席に奥様乗せて・・・。
976 :
名無し三等兵:2007/01/31(水) 23:30:17 ID:J2DXJ4l0
漏れの曾祖父は有川中将で、大陸を転戦後、沖縄戦で自決しました。64旅団という部隊を率いていたそうです。
977 :
名無し三等兵:2007/02/02(金) 20:39:15 ID:7vwGzmMA
学徒出陣の予備士官の祖父たちは、
終戦の翌日の夜、海軍豊橋飛行場のガンルームで
「厚木に続こう」「沖縄に突っ込もう」という話で
盛り上がっていたが、海兵出で上官のI中尉に厳しく止められたそうだ。
そしてI中尉は、「学徒出陣と聞こえはいいが、貴様ら学業をやりのこしてきたんだろ。
復学して学業に励み、社会の第一線で復興のために活躍しよう。」と言ったそうだ。
8月下旬、祖父は破壊処分される乗機の「銀河」に別れを告げながら、復員した。
>>977 矢矧の原艦長の話を彷彿とさせるお話ですな。
979 :
ルンルン:2007/02/03(土) 00:17:14 ID:???
>>977 >祖父は破壊処分される乗機の「銀河」に別れを告げながら、復員した
自宅の裏山に隠せば良かったのに。
戦争当時まだ学生だったじいちゃんの話。
出征の兵隊さんを町内で泊めたそうな、翌朝の朝飯のとき
「出発の時に梅干と鰹節を食べると運がつく」とい我が家の
ジンクスでそれを出した所その兵隊さんは梅干を種ごと飲み込んで
出征していったとのこと。
戦後しばらくしてその兵隊が無事復員して挨拶にきて言うことには、
「戦闘中に弾が胸に当たったけど胸ポケットに入れていた手帳で止まって
助かった、梅干のおかげです」・・・・うーん、出来すぎてるような気もするw
とはいえ、今でも我が家ではここ一番の朝には梅干と鰹節が出る。