牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、基地内の病
院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、10分〜3時間かけて、手足
の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が助手や見張りをした。
米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。遺体
は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。
牧野さんの部下だった80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われて
いたかは)仲間に聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。
解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも空襲さ
れるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが治療を担当しなけれ
ばならないから」と解剖の理由を説明したという。
45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで医務隊も大半
が死亡し、軍医は自決したという。
牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことをした。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実
を伝える責任がある」と話している。