機密資料によると梅津美治郎関東軍司令官は、1943年2月1日731部隊本部長に命令
を下して奉天連合軍捕虜収容所に部隊人員と設備を送って捕虜に対する防疫業務、特に細菌検査を重
点的に支援することを指示したことが明らかになった。
張研究員は「正常な捕虜収容所防疫業務だったら731部隊を派遣する必要がなかったし、また秘密裡に
命令を下す理由がない、という点で実際に731部隊の派遣は細菌実験が目的だった」と結論を下した。
特に遼寧省社会科学院が当時、奉天収容所に収監されたイギリス軍戦争捕虜ロバート少尉の証言を手
に入れて分析した結果、米軍328人を含む最小でも766人以上の連合軍兵でが予防接種を名目にした細
菌実験で死亡したことが明らかになった。
ロバート少尉は自分の日記で731部隊が戦争捕虜によく予防接種をした過程を詳しく描いて「1943年1
月30日から6月13日まで捕虜たちに発疹チフス、パラチフスA型、天然痘、赤痢などワクチン注射を相
次いで接種した後で、捕虜たちの死亡率が大きく高くなった」と記録した。ロバート少尉は「予防注
射をし後で1943年2月23日、戦争捕虜142人の死体を埋葬し、105日以内に186人が死亡したが、人々は
皆アメリカ人だった」「同年8月6日に208人が死亡したし11月21日にも230人が死んだ」と日記に書いた。
また捕虜収容所で捕虜の死体を運搬を担当した米軍戦争捕虜ジェームズさんは「731部隊の兵たちが解
剖した死体を運び出し頭と腹部を引き離して入れ物に入れて番号を付ける解剖の全過程を目撃した」
と証言した。遼寧省社会科学院は、アメリカ戦争捕虜協会及び生存戦争捕虜を通じて731部隊が米軍戦
争捕虜を相手にネズミを利用したペスト感染実験をしたという証言も確保した。張研究員は731部隊に
よる米軍戦争捕虜の大量犠牲が今まで公開されない理由について「アメリカが終戦後、日本から細菌
実験の成果を渡される条件で日本の細菌実験専門家を保護した点から推してアメリカが国家の利益を
考慮してこのような事実を公開しなかったのだろう」と分析した。