学園島戦争 開始17年目

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125名無し三等兵
機密資料によると梅津美治郎関東軍司令官は、1943年2月1日731部隊本部長に命令
を下して奉天連合軍捕虜収容所に部隊人員と設備を送って捕虜に対する防疫業務、特に細菌検査を重
点的に支援することを指示したことが明らかになった。

張研究員は「正常な捕虜収容所防疫業務だったら731部隊を派遣する必要がなかったし、また秘密裡に
命令を下す理由がない、という点で実際に731部隊の派遣は細菌実験が目的だった」と結論を下した。
特に遼寧省社会科学院が当時、奉天収容所に収監されたイギリス軍戦争捕虜ロバート少尉の証言を手
に入れて分析した結果、米軍328人を含む最小でも766人以上の連合軍兵でが予防接種を名目にした細
菌実験で死亡したことが明らかになった。

ロバート少尉は自分の日記で731部隊が戦争捕虜によく予防接種をした過程を詳しく描いて「1943年1
月30日から6月13日まで捕虜たちに発疹チフス、パラチフスA型、天然痘、赤痢などワクチン注射を相
次いで接種した後で、捕虜たちの死亡率が大きく高くなった」と記録した。ロバート少尉は「予防注
射をし後で1943年2月23日、戦争捕虜142人の死体を埋葬し、105日以内に186人が死亡したが、人々は
皆アメリカ人だった」「同年8月6日に208人が死亡したし11月21日にも230人が死んだ」と日記に書いた。