大塚氏の主張を信用するなら、荒巻氏がテストした頃の疾風はハ45特だった
ので、性能は満足できるものではなかったが、正規のハ45を積み、ブースト
制限も解除された疾風は速度・加速・上昇も明らかに向上し、米軍も一目置いた
戦闘機となった ということになる。もちろんエンジンが好調で、整備・燃料
とも良好な条件が揃っている部隊なら・・・ と言うのが最近出版された
学研「幻の航空決戦兵器」での大塚氏の記述。
他に荒巻氏が疾風をテストしたころは昭和18年後半だから推力式単排気管に
改造前だった。推力式単排気管に改造して速度が最高で15キロ向上したことは
碇さんも述べている。
フォッケたん影が薄いよ〜ガス欠ですか?
飛んでいるのは日・米機ばかりだよ。
>>952 誉って戦局が進むに連れてだんだん品質が悪くなってくような
事を書いてる本とかサイトがいまだに多いけど実際は量産が
進んでからのほうがブースト制限が解除されたり馬力も
性能表に近い値が出てたみたいだね。
逆に高稼働とか言われてる五式戦の金星が生産工場の
被爆や燃料噴射装置の調整の難しさなんかで、さほど稼働率が
よく無い部隊があったりもするし。(発動機だけでなく機体と
発動機のマッチングや機体側(電気系統?)のせいとかもありそうだけど)
まあ終戦近くになると誉に限らず日本の工業製品全体の品質が
怪しくなってたようにも見えるので再び性能低下してた可能性も
あるけど。整備も誰にでも楽に扱えるシロモノではないようだし。
956 :
名無し三等兵:2006/12/06(水) 12:44:48 ID:Cbo8PQOL
昔ハセガワのドラ1/72のデカールで
JG54の胴帯が(赤・黄・赤)になってたけど
あまりに大間違いすぎる。
もしかしてどこかの部隊で使われてたカラーとか。
>956 JG2の黄/白/黄の帯の写真を濃い目に読み違えて、
70年代になんかの本で(Profileだったか?)赤/黄/赤の
イラストを載せたのが元ネタ。
30年前のことだから防空部隊の識別帯についてあまり判って
なかったんだろう。
規定を勘違いして白赤白または白緑白の帯を入れたA-8とか、
KG(J)の黒赤チェッカーや青白チェッカーのMe262、Bf109とか、
比較的最近になって判明した変則的なのもいろいろある。
ああ ホッケ食いたい!
959 :
名無し三等兵:2006/12/06(水) 19:42:52 ID:Cbo8PQOL
960 :
名無し三等兵:2006/12/06(水) 20:15:04 ID:Cbo8PQOL
959
「赤・黄・赤」
ホントにあったらかっこいいんだけど
残念。
JG301があるからいいか。
せっかくなのでRVTネタ。Fw190DにR4Mを搭載した機体があったことが、
エクスペルテンデカールの写真で初めて確認されたわけだが、そのとき
写真では暗色の帯を巻いてるように写ってて、赤帯と解釈してた。
そのあと、R4Mを搭載した機体の所属はJG26とJG301じゃね?黄/赤帯が
フィルムの特性で1色に見えただけでは?という説が有力になった。
ところが、オリジナルの写真を見る機会があったんだが、よくよく見ると、
「帯なぞない」。尾部の延長部付近が、影の具合で帯があるように
見えてただけだった。
白黒写真からの判断は、専門家でも間違うときはあるもんだと思ったよ。
ホッケよたよた高空まで上昇
一段二速加給器の二本木も一緒
ホッケ墜落中
二本木炎上中
966 :
名無し三等兵:2006/12/07(木) 21:02:01 ID:NZ8GKYsA
>>961 なーるほど。
確かに延長部はその部分だけ長円柱テーパー無しだもんね。
影でなくてもトーンが変わるかも。
いらねーだろ。
969 :
名無し三等兵:2006/12/08(金) 13:01:58 ID:4PW08g1s
書き込めば
どれよりも高く上昇する
「Fw190-CH2」キボン
概述か・・?
>以前の疾風スレにもあったけど、疾風は機体あるいは戦隊によって相当性能に
>バラツキがあった ってことでしょう。(今さらながら)
車雑誌の暴露記事読めw
ダイナモで10台ばかし新車を実測すると-30%〜+10%程度のバラツキがあたりまえ。
電子制御のインジェクションでも実態はこんな有り様。
スペックオタはぴったり2000馬力出るもんだと根拠のない思い込み前提なんだよな。
これは釣りなの?
972 :
名無し三等兵:2006/12/09(土) 10:41:24 ID:OnT7UVUE
ずっと疑問に思ってたことなんだけど
どうして用兵は「Fw190C」に
やたら非常識な高高度性能を要求したの?
「V16」あたりは非武装ではあれどかなりハイレベルな数字を出してるから
これに必要な艤装を施しても
多分「ドーラ」くらいのスペックになってたと思う。
にもかかわらず用兵側はさらに要求をエスカレートさせて
結果失敗作となってしまったが。
あるいは何か実用化が困難な事象があったのかな。
空冷より若干の高高度性能を改善しがあってあのスペックなら
量産していれば確実に戦力になってたんじゃないかと思える。
まぁ個人的には
エンジン下の冷却器吸入口レイアウトはスマートじゃないから
結果「ドーラ」の登場となってそれはそれでいいんだけど。
C型については用兵側がむちゃな高高度性能を要求したというよりは、
DB603はMe309に供給する予定だったという開発時の生産上の都合が
大きかったと思われる。Me309が没になったと思ったら今度はMe410に
供給されることになってしまったという。
そういう事情をきちんと説明する代わりに、フォッケウルフ社に対して
「いやぁ、おたくの会社にDB603を回すには、(Me309の予定性能を凌ぐ)
もっと高性能を出してくれないとねぇ」みたいな言い方をしたんじゃないか。
V18以降の原型機に排気タービンを積んだのは、C型の原型機という位置づけ
じゃなくて、B29対策を想定したより一層の高高度戦闘機の原型として
機材を流用しただけ。
メッサーシュミット社の主力製品がJumo004Bを積むMe262になったため、
DBの生産能力が余剰になり、やっとフォッケウルフ社にDB603を積む
Ta152Cを量産するようお許しが出たと。
あと、Fw190Cの量産型では、オイルクーラーは原型機の機首下面から、
Ta152Cと同じくラジエーターと一体型に変更される予定だった。
DB搭載の高々度戦闘機のCとJumo搭載のDがある程度平行して開発されてたって事だと思う
V13(DB搭載)の完成が1942年初め、V17(jumo搭載、Dの原形)の初飛行が1942年3月ラスイし。
だがどのみちC型は失敗作、と。
初期にはC型、D型という形式名自体が確定してなくて、
「Fw190CにJumo213を搭載せよ」てな通達が空軍省から出たりした。
V17も当初は「Fw190 mit Jumo213」という名称のエンジンテストベッドで、
Fw190Dの原型機扱いになったのは機銃を搭載したり尾部を延長して
V17/U1に改造されてから。
V18以降の原型機は、搭載エンジンの方針が一貫してなかったあおりで、
製造中に搭載エンジンをDB603からJumo213に変更したり、V17がひどい共振を
起こしたのでJumo213からDB603につみ直したり、やっぱDB603は駄目と
空軍省に言われて製造中止になったり、排気タービンを積んで
高高度戦闘機2の原型機に作り直したり、やっぱJumo213を積むことにして
Ta152Aの原型にされたり。
並行開発するならすると、早めに決めていれば良かったのに、1942年から
1943年にかけて、空軍省の方針が二転三転してフォッケウルフ社の開発
リソースが分散されて、結果的に1944年にFw190DとTa152Hが登場するまで
ずれ込んでしまった。
フォッケ研究者のディトマー・ヘルマンは、DB603をフォッケに供給する
方針を早期に決めてれば、本土空襲が本格化する1943年には、
(B-17/24対抗には十分な性能の)Fw190Cが実戦化できてたのに、と述べてる。
Me262に騙されそうになるが、大戦序盤以降の独空軍の開発計画はグダグダだな。
まあウーデッドが自殺したあとの、空軍省を部隊にした勢力争いがね…
ヘス時代に官僚組織にコネを確立したメッサーシュミット博士、
メッサーシュミットのせいで友人が死んで以来の怨念に凝り固まったミルヒ、
空軍は俺のものというゲーリングetc.etc.
それぞれの思惑に空軍の役人たちが振り回されたり派閥の離合集散が
繰り返されたのは想像に難くない。
(文書に明記される種類のことじゃないので事実関係が把握しにくいが)
伍長殿とデブがいなけりゃもうちょっとマシな戦いをしたような気もするが、それでは戦争そのものが起きなかったお缶
つまり、日本海軍の戦闘機計画並の泥沼が
全ての開発において行われたと了解してよろしいのでしょうか?
981 :
名無し三等兵:2006/12/11(月) 21:53:01 ID:UHnbe6bu
972
そっか
「DB603」の取り合いの結果だったか。
ありがとうございます。
982 :
ストレガー:2006/12/11(月) 23:23:40 ID:???
クルト=ヴァンデマー・タンク
1931年にフォッケ・ウルフ社へ移る。それまでに手掛けた飛行機の設計手腕が認められ、
1943年には母校から名誉工学博士号が贈られ、ブルンスヴィック工科大学の教授に選任される。
教授としての講義は年数回しか行わなかった。よって1943年以降は称号がDipl.-lng.工学士
から、Prof.Dr.-lng.e.h.名誉工学博士・教授となる。
983 :
ストレガー:2006/12/11(月) 23:27:53 ID:???
Fw190Aの開発当初から高空性能不足を認識していたタンク部長は、
1941年から翌年にかけてA型より高空性能の改善を見込んだ発展型を3種類計画した。
Fw190BはABMW801Dを搭載し高高度でエンジン出カを増大させるGM1出カ増強装置を併用し、
与圧式コクピツトを備える。
Fw190CはエンジンをDB603に換装し、Fw190DはJumo213に換装するというものであり、
C型とD型にはコクピットが非与圧式と与圧式の両型式が計画されていた。
しかしタンク部長はさしあたってはFw190Aでも十分戦えると見ており、
B,C,D各型に関しては具体的な計画性能が立案されるまでには至ってなかった。
しかし、空中戦の舞台が次第により高空へと移って行く趨勢にあるため、
A型より高空性能の優れたタイプがいずれは必要になるであろうとの見通しから、
1941年夏以降、Fw190ORa-1に始まりRa-8までの発展型の研究を進めていった。
984 :
ストレガー:2006/12/11(月) 23:47:58 ID:???
1941年夏以降、Fw190Ra-1に始まりRa-8までの発展型の研究を進めていった。
フォッケウルフ社ではFw190Bのため、1942年初めに量産先行型から
BMW801C-1を搭載したFw190A-0の1機(製造番号0035、機体識別記号SK+JR)にGM1を追加し、
コクピットを与圧式に改造したFw190V12を製作した。
1943年1月からは、エンジンをBMW801D-2に換装した以外はV12とほぽ同じ仕様で、
いずれもA-0から改造したFw190B-0の原型4機を製作した。
製造番号O046、機体識別記号TI+IK、同0047 TI+IL、同0048 TI-IM、同0049 TI+IN
このうち製造番号0046だけは翼面積18.3uの
Fw190Aより2u大きい糞幅12.3m、翼面積20・3uの大型翼を装着しており、Fwl90V46と
改称された。しかしGM1追加による重量増加に比べて、高空でのエンジン出カ増加が
不十分なため期待外れのテスト結果に終わり、1943年5月にFw190Bの計画は放棄された。
>>983 >より高空に
あのーソ連機に対抗しなくていいの?
>>985 1943年から米第8空軍と英爆撃機集団のドイツ本土爆撃が本格化する。
高高度対応を優先させる必要があったということでないのかね。
>>985 液冷型に着手したのはバルバロッサの前だから、
性能を想定するときに英米機相手の中高度〜高高度を重視したのは当然。
独ソ線が始まってしばらくは、低空性能でソ連機>ドイツ機だとしても
中の人の平均的な技量が
ソ連軍パイロット<<<越えられない壁<<<ドイツ軍パイロット
だったから問題なかったんだろう。
「低空でアゴなしYakと戦うな」と言われたYak-3が本格的に配備される
ようになったのは44年夏以降。もう多少の性能差は問題じゃない。
西部戦線では重爆に対処しなくちゃいけないから、Bf109にしろFw190にせよ
「高高度性能はいらないから低空性能重視」なんてタイプは
要求されなかったし作られなかった。
988 :
名無し三等兵:2006/12/12(火) 16:38:55 ID:fit0qeMH
Ta-152−Hのロール特性
空冷フォッケと比べたら
どれくらい差が出るものかな?
>>987 簡単に言えば本土防空が最重要だったからね。
Bf109G-6で東部戦線は十分だったようなきもしたり。
メッサーはともかく、ホッケは低空で使えなければク...
いや、だから爆撃機に転用したんだね。
992 :
ストレガー:2006/12/12(火) 21:40:14 ID:???
109は他に使いでが無いからな、万能のフォッケだからこその任務、
993 :
ストレガー:2006/12/12(火) 21:52:14 ID:???
1942年9月に、比較的小規模の改造で高空性能を向上させることを目的とした
1種高高度戦闘機と称す試作機を3機製作した。
Fw190A-3を改造し、製造番号528 機体識別記号DJ+AB、同530 DJ+AD、同 531DJ+AE
翼付根以外の武装とパイロット防護の防弾板を撤去軽量化しカウリング側面に
過給機用空気取入口を突き出したもので、改造後はFw190A-3/U7と改称された。
カウリング側面に空気取入口を突き出すことでラム圧により充填効率が増し、とくに高度8000m
以上でエンジン出力が増大し上昇性能が幾らか向上したため、同様の空気取入口を装着した
Fw190A-4が少数製作され、西部戦線のJG2とJG26に配備された。
994 :
ストレガー:2006/12/12(火) 21:59:12 ID:???
Fw190Cのため、1942年初めからDB603Aを搭載した試作機を何機か製作した。
製造番号0036 機体識別記号SK+JSのA-0から改造されたFw190V13はDB603Aを搭載した最初の機体で、
VDMの金属製3枚プロペラの直後に円形ラジエターを装備し、機首下面オイルクーラーを突き出した。
これに続いて製造番号O037 機体識別記号CF+OVと同0038 CF+OWの2機のA-0がDB603Aを搭載し
コクピットが与圧式に改造され、それぞれFw190V15、V16と改称された。
995 :
ストレガー:2006/12/12(火) 22:00:41 ID:???
またV13が1942年7月30目に不時着して失われたためV15、V16と同じ仕様で
V18製造番号0040 機体識別記号CF+OYが製作された。
これらはエンジンテストを目的とする試作機だったので、非与圧式コクピットを装備する
Fw190C-1のためにFw190V19、V21の3機が、与圧式コクピットを装備するFw190C-2には
Fw190V25、V26、V27の3機がそれぞれ原型として製作される予定であった。
Bf109Eで対地攻撃をやってたZG1や、
Bf109Fで艦船攻撃をやってた10(Jabo)/JG2のパイロットがお怒りです。
使えるものは何でも使う、それが戦争。
「最善の兵器は間に合わない。次善でも遅すぎる」
ってのはイギリス人の言葉だっけ。
997 :
ストレガー:2006/12/12(火) 22:05:59 ID:???
DB603より約3年も遅れて1941年から開発が始まったJumo213を搭載するFw190Dの
基礎データを得る目的で、フォッケウルフ社は製造番号0039、機体識別記号CF+OXのA-Oに
Jumo213Aの最初期の物を試作機を搭載し、機首に円形ラジエーターを装備し、
垂直尾翼面積の増積等の改造を施したFw190V17を完成させた。
V17は1942年9月26日に初飛行し、DB603を搭載したV13〜V18より優れた性能を示したため、
Fw190Dのほうが有望ということで1942年u月17日にFw190Cの計画は放棄された。
このためV19以降の試作機はC-1、C-2の原型としては製作されなかった。
V17は、まだこの時点ではFw190Dの原型とみなされていなかった。
998 :
ストレガー:2006/12/12(火) 22:07:27 ID:???
埋め
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ストレガー:2006/12/12(火) 22:08:34 ID:???
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