>>301では、インドシナ戦争を一つ「ドラえもん、のび太とディエンビエンフーの戦い」
1945年 日本のアジア・太平洋戦争の敗戦により、ベトナムでは独立への
期待が高まった。この動きに、ホー・チ・ミン率いるベトナム独立同盟(ヴェトミン)
は素早く呼応し政権を奪取。共産主義による独立を画策する
_____
____ /___ ヽ=@
/ − 、 −、\ |−、ヽ| ヽ
/ , -| ・|・ |- ヽ |・ |─| | ←ヴォー・グエン・ザップ
/ / `− ●- ′ | c −′ ||) / ∩_ 「帝国主義者は駆逐された。
| | 二二 | 二二. | └─フ \∧/、┘ ) 世界は植民地解放へ動く
| | |\ -─ | ─___) `─-,──| _/ ̄/ だろう」
_ ! | !  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ / /_ /^ ̄ ̄ ヽ /
( __)\ヽ \(二二二)//(__) / / | ̄
\ ━━━━6━━ / ⊂ \/| |
| /___ヽ |/ (/,/ !-───-|
| | ヽ__ノ ノ |. /_____丿
| ` ─── ′ | / / | |
↑ホー・チ・ミン
「ヨーロッパ人は馬鹿だな。2回も自分たちの
首を絞める戦争をするなんて」
しかし、フランスはホー・チ・ミンのベトナム民主共和国を承認せず、フランスの傀儡
であるコーチシナ共和国を1946年に成立させる
____ /
/ / ⌒ヽ⌒ヽ\ / 「な、なんだって!」
/ , -| (((|))) |-、ヽ _
/ / ` ー ●ー′ ヽ , -──- 、
/ / 二 | 二 ⌒ヽ /___ \
| | /⌒\─ | ─ __.ノ | ⌒ヽ\| ヽ
| ! /  ̄ ̄ ̄ ̄ / / |+ |─| ヽ
. | | | (⌒ヽ⌒) / / _c 、_ ノつiヽ |
ヽ ヽ、______/ / )) (_U U_ ゙ | |) /
(( >━━━━O━━ く  ̄ ̄ ヽー´\ ヘ /
/ / ____ ヽ ヽ ⊂| # l
◯ | ヽ ノ | |◯ ヽ二二_ / ̄ ̄ヽ
| ` ー /⌒ヽ─′ヽ /^rヽ //  ̄ ̄`ヽ
ヽ、 | |___ ノ ( ( l ノ、 /⌒ヽ \
 ̄ ̄ ` ー ′ ヽ、/ \/ l l
12月にはフランス軍が北ベトナムに侵攻。近代的な装備を有するフランス軍に、北ベトナム
は押され続ける
,−、 ( ) __
\_ ___ /⌒―、ヾ 「ゲ、ゲリラ戦しか
/ \/# / # Σ| 〉 ○| ミ へ、 手はない!」
 ̄ | |# / #.人_〉_'±ミ/ ┌―OO
――└ ξ_ヾ /
もっとも、このゲリラ戦こそが彼らべトコンのお家芸なのだ
_____
/ / \|/ ヽ \
/ /| 0|∠ |ヽ ヽ、 「フランスの若い兵士は故郷への
. | |\ `−○-´ /| | 手紙でこう書くことになるだろう!
| /| |\ 三|三/| | | ママ、ベトナムでは死が常に横に
| | |_|__|\_|/| |__| | _ ある、と!」
| | | | | ̄ | ̄| ̄| / / (___ ノ
__ ヽヽ\_/ ̄\___// / /
(___)−===(T)== / 丿丿
ヽ__ / ヽ | /
案の定、フランス軍は疲弊する。また、兵士の士気は本国の厭戦気分により
非常に低かった
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ─── _____
/ /
/ ___ >
/ / /  ̄─____ \
/⌒ヽ/ / |// l ̄ ̄ ̄
| l _ /_ ノ 「折角、対独戦で生き残れた
ヽ_ l ─/─ / のに、こんな戦争で死にたく
| =` ー Oー く_ ない!」
ヽ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ /
/ ヽ、 ______ /
/ \/\/ヽ
| | l |
フランスはベトナム人民の支持を得ようと、1949年6月にコーチシナ共和国に代わり、
南部に旧阮朝のバオ・ダイを国家主席とするベトナム国を成立させるが…
___,,,,,__
〃/ / / \ ヽ 「もう、王様なんていらねぇよ!」
≪|__| ( ・ ∠ |
(d u ⊂⊃ |) _,,,,,___
__| : : : : : : ヽ.,,∠,,,--(__)-ヽ、
,,-\ヽ└<>-'丿=| // - 、-ヽi 「所詮、フランスの傀儡
/ \ ̄ ̄/ ̄.i.. |__| | ・|・ || でねぇか!」
|/(⌒ヽ/⌒)____|.. (d ` - o-´ !
゙|\, ̄ ./ ̄ .ノ ヽ、 3 ノ , つ
.|  ̄  ̄ | /゙\ ̄/ヽ /⊃)
思うように支持の得られないフランスと引き換え、北ベトナムは1950年以降中国や
ソ連の援助を受けて勢い付く
, ─── 、
ゝ/ ________\
/ | / ─ 、 ─ 、l 「隣国、中国は同じ社会主義国に
/ | / l l なった!これほど、心強いこと
| |─| (・|< | (⌒ヽ はない!」
Y⌒` ヽ_ ノっ_ ノ 三 )
ヽ_ 、____つ l (、_ ノ
\ \−、-、_/ノ _ _
/` ー | l |‐ ´ l l//)、
/´ \/ `ー´ \ l ) ヽ´ノ
| ヽ |/\/ __ /
├─┤ | 、 /
ゲリラ戦に手を焼くフランスは1953年11月、ハノイ北西の山岳地帯にあるディエンビエンフー
盆地を占領、ここに外人部隊など約1万6千人を投入して要塞化した
__, - 、
. /, ─── 、)
// / ヽi ←クリスティアン・ド・ラ・クロワ・ド・カストリ
|_| ┃ ┃ | 「さぁ、べトコンをぶち殺すぞ!」
( ⊂⊃ ヽ
>、 \__ノ ノ .nm
/ \─── ´ヽ、 /)- |
/ \--/ |  ̄|_丿
| / | ||
それに対し、ヴォー・グエン・ザップは密かにディエンビエンフーを見下ろす高地に大砲を配置
___
ゝ/____\
| | / − 、−、| 「連中、高地や外郭陣地を軽視して
|__|─| ^|^ | るぞ!しめしめ…」
( `− o− !
__∩ ヽ、 \ ̄/ノ ∩__
∈ | ̄ ̄ ▽▽ ̄ ̄| ∋
 ̄ ̄ ̄| | ̄ ̄ ̄
__ |___ |
─── i |
-、___>─┬ く´ヽ
/ | / |─|_
| __/ ̄ ̄ (__ )
大雑把な当時の部隊配置を以下の通り。東側は山地である
| /
| □ | □
| □ /
|■ /
| ■ /
| / 北
■ | / ↑
| /
■ ■\ ■
■ |
\ /
■ □
|
|
|
|
|
|
|
■
| □
|
道
□ 北ベトナム師団 ■フランス軍陣地
北ベトナム軍は高地に5個師団を配置し、陣地へ砲撃を開始した
___
/ | /____ ヽ
/ | // l−、 − 、ヽ| ヽ
|/ / | ・|・ |- |__ ノ ____
┏┓┏┓┏┓ . \─ 、 /___ (〉ーc ー ´ //⌒ ⌒ヽ `\
┃┃┗┛┗┛ \\ ̄ヽヽ / ヽ <__ / |/・|・\|- 、 ヽ
┃┗━┓ \\\ \ヽ. l l \./ `,ー─ // -● ー ′ \ ヽ
┃┏━┛ \ | l\\\ ヽ ノ ノ. ヽ、 _ / l/ヽl 二 | 二 ヽ l
┗┛ / ヽ ヽ、 ____ // | `\ | | | ─ | ─ | |
┏┓  ̄ ̄| ヽー── ´ l _ヽ|ー─_ヽ /´ ̄ ̄`\ l !
┏┛┗━┓ |/ \ / //  ̄ \( _ )ヽ / /
┗┓┏┓┃ /\ / / / /⌒ヽ ヽ\ `━━,-、━━━━く
┃┃┃┃ / / |  ̄ ̄ ̄ / / /ヽ | |/l l l. / ヽフ \ _ヽ
┗┛┗┛ l l | l | |二(()二| | | l ┌─‐─┐ l ( __)
┏┓ l l ヽ | l l/ | |ヽ l | ヽヽ、`ー‐─ ´ .ノ l
┗┛ ┏┓ ヽ ヽ \ ヽヽ ヽ、_.ノ ノ >、  ̄ ̄ ̄ /
┏━━┛┃ ヽ、ヽ、 ヽ、 ヽ、ヽ / ヽ、  ̄ ̄(  ̄ ̄ ̄ )
┗━━━┛  ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄  ̄ ̄
こうして、56日間の激闘が始まった。フランスは序盤で滑走路を破壊されてしまう
当初、北ベトナムは猛烈な砲撃により、ディエンビエンフーは陥落できると考えていた。しかし
(_(_(_, ヽ
, ─── 、 (⊃_ ノヽ
┃ ┃┃ /WWW \ \ l l 「フランスのフニュチン野郎と
┣━ | | l \ll/ ヽ/^ヽノ | 一緒にするなよ!」
┃ | | (| (。) ∠ ノ !
┃┃ | | / (二) / ⌒ヽ | | /
━╋┓ /| l _ /\ \| l l く
\\ ┃┃ |\/ |/| (__/ \ ヽ ノ // \
\\ _| _└ ヽー`ー`─ ´ /´
☆ \ (ヽ \ |  ̄ ̄ ̄ / ⌒ヽ
/⌒ヽ ∠ \\/ヽ l  ̄ ̄| 二|
/ /\ |/ヽ/\ ヽ_ノ ヽ、_ ヽ_,_ノ
l_/\/\ /\/  ̄ \  ̄ ̄ ̄
ディエンビエンフー守備隊には、戦犯追及を免れるために外人部隊に入隊した元ドイツ
兵が多数おり、他に行き場のない彼らは押し並べて士気が高かった
____
ゝ ───- 、 / - 、− 、 \
/ _____ヽ / -| (・|・) |- 、 ヽ 「何?若い連中に
/ | ノ ─ 、− 、| / `-●− ′ \ ヽ 爆弾を抱かせて
! __|─| //|ヾ | i 二 __| 二 i i 突入させた?」
( U − o-U l _| ─ (__ ─ | !
| /⌒ヽ__U___)/) (__) (_ | /
ヽ、ヽ ___ /ノ(⊃ ) | ヽ / /
/^\/\ノ\/ ̄/ ヽ ` ━━6━━━━┥
彼らの活躍により、戦いは凄惨なものになっていく
しかし、包囲され飛行場を破壊されたディエンビエンフーは補給も絶たれ、
もはや要塞としての機能を喪失しつつあった
_ __ っ
/ ⊃vvv | っ
| C>。(:) 6)- 、 )) 「こんな湿地帯に陣地なんか
/~「(二つ ノノ^゙)ヽ 作るんじゃない!」
|.γ  ̄ ξ/\ノ |
ヽ| |/ / ./
/^^^ / _/ ノノ
/ /| ̄ |
, ―、 /  ̄ ヽ /__||___|
(__  ̄| ̄ ̄ ヽ/⌒)/(__(__|
 ̄ ̄ ̄ ̄/ _ /
( ̄| )
5月7日 外人部隊の抵抗もむなしく要塞は陥落する
____ | | | ||
. / / VVヽ | | | ||
| _| / (0 | | | ||
|( ⊂⊃ _______ ___
|/ /⌒─┘ | ___< /ヘ へ\ _
| ヽ⊇ | _| | 0| ̄ / (_)(丿 ヽ ((
/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ |( ゙ - o__ ( ^(* ⌒ ) ))
. | | | | |´ / ̄ ̄ ̄ ━┓ `i===i_´_ノノ
|ヽ/ヽ|__|/\| |二ヽ= (⊃二二||☆//(┌─ ′ノノ
| / ヽ | | |⌒|| \\ ||__//_|
. |─-l_l_l_l^'─┴∩|_|_|_|_∩ ノ| | |
\ _______|_| \uu_|_|_| // | | |ヽ
2万人強のフランス軍部隊のうち、少なくとも2,200人が戦死し、1万人以上が捕虜となる。また、
捕虜のほとんどは祖国に帰れなかったと言う
一方の北ベトナムも、これで全てが終わった訳ではなかった
_____ _____
/ \ / \
/ − 、−、 ヽ/_______ ヽ 「フランスが消えたら
/ -| /・|・ヽ|- |ノ−、 , ─ \ | | 今度はアメリカが…」
| /_ `− ●-′ /⌒)| |_|___/
. | | _ ̄ | 二 | ⊂ノ | └ | 6 |
| |  ̄ | ─ |_/-c`─) ) - ′
ヽ |  ̄ ̄ |_) | |'┬─(、( /
ヽ | /(⌒|\ | |`-`─- ´ノ^\
┝━/ /|~| |━l ヽ__|ヽ./\/ l |
. | / | | | |/ | | |
「また、追い出せばいいだろ?」
ディエンビエンフー陥落により1954年7月21日、北ベトナムに有利な和平が結ばれる。
しかし、1956年7月に自由選挙を行い統一を図る、と言う約束はアメリカの支援を受けた
南ベトナムにより反故とされ、ベトナムはさらなる混乱に陥るのである
この戦いのフランス軍の敗因は、無計画な築城と対ゲリラ戦では致命的な機動性のない
戦術に尽きる。のちにアメリカ軍はこれらの反省から、陣地構築の際は高地・外廓部分を
重視し、攻勢時は輸送ヘリによる機動的な攻撃を実施することになるのである
「ドラえもん、のび太とディエンビエンフーの戦い」Fin