北朝鮮もジュネーブ条約を教えているのかな。韓国に潜入した工作員は捕まるよりも自決を
選ぶから、旧日本軍同様、降伏よりも自決しろと教育してるのかも。
不審船事件でも、以前韓国で海中で漂流している北朝鮮軍人を救助しようとして手りゅう弾
で自爆されたので、救助に入ることが出来なかった。
>>952 ×:降伏よりも自決しろ
○:捕まりそうなら自決しろ
最初から、降伏は選択肢に入ってないだろ。
>>952 スパイとかゲリラは正規の戦闘員じゃないからジュネーブ条約の範囲外だぞ。
>>942 ただでさえ火薬の総量が足りていないのに、そんなもの開発した所で生産できるのか?
>>956 足りないからこそ、有効に使うべき。
布団爆弾に火薬使うよりマシ。
また、鉄はもっと足りないわけで。
958 :
名無し三等兵:2007/06/14(木) 16:08:37 ID:4PCq+y1J
>>929 > 最近ソ連側の資料もわかってきているから
それって↓のこと?
> ノモンハン事変に於ける戦車戦で、ソ連戦車66両・装甲車数十台を破壊した。
> 日本軍の戦車の全損害29両は、対戦車砲などによる損失で戦車同士の砲戦で損失は無し
>
>「ノモンハン事件の真相と戦果」−ソ連軍撃破の記録− 小田洋太郎・田端元
959 :
名無し三等兵:2007/06/14(木) 17:50:59 ID:4Wez2DiP
>>952 朝鮮に自決の文化なんか有ったのかな?
旧日本軍人に指導されたのか?
自決の文化って何だよw
武士道みたいな名誉の為の自殺なら中華文化圏じゃ珍しいもんじゃねぇよ。
士大夫階級が名誉を人命よりも重んじるなんてのは初歩中の初歩の話。
そもそも武士道の大元は中国思想だしそんなの当たり前だ。
>>946 支那「事変」で戦争では無いから、ジュネーブ条約「準用」するということを言ってたので、
ジュネーブ条約の存在は、少なくとも上層部の頭にはあるな。
まあ同じ理屈で、ノモンハン「事件」だから、直接には適用しないと言い出すかもしれないな。
ノモンハン事変の話しに戻せよ。
>>958 その数字は、日本側の記録からの集計かと。
ソ連側資料でちゃんと裏を取っているなら、そんなに大きくならない。
>>958 その本、資料の1つとして使用するにはいいけど、クロスチェックしないといけないですよ。
別な箇所でソ連戦車総撃破数も出ていますが、投入数すら上回っているので。
そもそもソ連軍の場合対戦車砲も戦車も装甲車も同じ砲を装備しているので、それらが協同で戦闘した場合やられた側がどれにやられたか正確に突き止めることは殆ど不可能です。
>>965 「殆ど不可能」もいいが、それなら戦車戦で喪失した日本の戦車は無いという通説を覆すには至らないわけだ。
通説は、日本戦車はソ連戦車に一方的に撃破されていた、だろう。
もちろん、実際にはそんなことはなかったんだろうが。
>>967 無い資料を要求されても困るわけだが、文句はクックスにでも。
ノモンハン事件だと友軍を見捨てて敵前逃亡した日本軍戦車部隊
に対しての憎悪がひたすら噴出していたな
ソ連戦車の主砲は精度不良で、特に移動中の目標を撃破することは殆ど無理。更にソ連戦車自身が
移動中に射撃すると全く当たらない状況だった。
日本側から見ればBTが発砲すると、発砲炎や煙で、かえって目標になってくれて好都合だったとか。
>>969 クックス本に戦車戦で喪失した日本戦車は無いって記述があるの?
>>970 まあ仕方ない。
>>330 と言う事情もあった。それにソ連側は後退を偽装して、8月攻勢を隠していた
と言う状況も有ったし、日本側はそれでノモンハン事変が終息して平和が回復すると思ってしまっていた。
平和回復を願う日本政府側の思い、そこを突かれた。関東軍は東京の甘い見解に怒っていたけど、
遠い日本からじゃ厳しい対ソ情勢が理解できなかったんだろう。
ノモンハン事件の真相と戦果って本、類似スレも含めて、何度も皇軍大勝利派が引用してるな。
金をドブに捨てるだけのような気もするが、目を通した方がいいのかねえ?
いくら弾があたっても、ドアノッカーでは仕方がない。
BTなんて37ミリでイチコロ
7月2日〜4日、戦車団の本格戦闘。2個連隊とも大打撃。
7月5日、関東軍司令部、戦車団の帰還指示。前線から離脱。
7月7日〜8日、歩兵総攻撃。
7月9日、戦車団の帰還命令。(第六軍の抗議で延期に)
7月19日〜25日、フイ高地方面で防衛戦闘に従事。モンゴル騎兵師団と激しく交戦。
7月25日、砲兵総攻撃(23日〜)終結。
7月26日、戦車団帰還。
最後の離脱のタイミングは別として、
第23師団の西岸総攻撃前に、関東軍でも戦車団撤退が決まっていたのは変。
損害が大きすぎて今後の整備に支障きたすから、離脱したという従来の説明で正しいんではないか。
>>977 BA-20とBA-6、FAI装甲車は、小銃・機銃の徹甲弾は防げるが、13.2mm機関砲には撃破される。
BT-5、BT-7、BA-10は、13.2mm機関砲にも耐えられる。
日本の37mm砲はいかなるわが戦車の装甲も無理なく貫通撃破する。
その徹甲焼夷弾は、中距離でわが戦車の装甲を貫通撃破している。
戦車損害の75〜80%が、対戦車砲によるものである。
燃料タンクの設計に問題があって、被弾すると炎上する車両多し。
もっとも、5発くらって大破しつつも自走して帰還したT-26の例もあり、
装輪装甲車でも、タイヤに直撃されながら、特殊タイヤなので普通に走り続けた強者もいる。
参考:コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」
>>966 装甲車部隊や戦車部隊が日本軍戦車部隊との戦いで撃破戦果を挙げているのはソ連側資料では書かれています。
そして日本側の損害記録でもその戦いで戦車が損害を受けた記録も確かにあるのですよ。
もちろんソ連の戦果記述中には誤認が含まれる可能性もありますし、協力他部隊の戦果が含まれてしまう可能性はあります。
しかし日本軍戦車がソ連戦車乃至装甲車から損害を受けていないというのは定説にはならないですね。
クックスは偉大ですが1つの説です。
ソ連側の資料は誤認だろう。良くある話。もちろん日本の戦車隊にも損害が出てるが
対戦車砲によるものとの資料は概出だし、反論も良いが相応の資料を提出してくれないと判らない。
>7月3日の朝、ハルハ河の東岸には第9装甲車旅団の装甲車のほかに
>第11戦車旅団第2大隊所属のルキン大尉率いるBT-5快速戦車8両が展開していた。
>1200時、ソ連戦車は進撃してきた関東軍戦車第3連隊とぶつかり合った。
>2時間の戦闘で日本軍は戦車5両が破壊され、ソ連軍はBT-5快速戦車3両が撃破された。
>1845時、(引用略)さらに2両の日本戦車を撃破し、(引用略)ハ号戦車を牽引して去った。
編集部注によると、鹵獲されたのは第四連隊が前夜に失った車両。
なので交戦した日本側部隊は、実際には第四連隊だと思われる。
日本側にも、進撃途中で戦車8両および歩兵若干と交戦して、これを撃退したという記録がある。
戦果・損害とも詳細を知らず。教えて。
>>983続き
ほかに、同日1130頃、第9装甲車旅団のほうでも、
偵察大隊の装甲車6両が、歩兵を伴わない「中戦車60両」を発見。
配属の76.2mm砲小隊で撃ったら、そのうち「40両」の追撃を受けて、
大隊主力のBA-10中隊(12両)がいる陣地へ逃走。
大隊も撤退を考えたけれど、政治将校の指揮の下、陣地で応戦し日本戦車9両を撃破したと言う。
興味深いことに、玉田連隊長の報告にも、
敵は装甲車を囮にして、追いかけると対戦車砲・戦車で待ち伏せしているという話がある。
稜線の向うに隠れて砲塔のみを出して射撃してくるので、舌を巻いたと。
あとで玉田連隊は、防衛戦闘の局面で、稜線射撃を取り入れて戦っている。
3日の戦闘での第四連隊の損害は、八九式中戦車1両、九五式軽戦車5両、九四式軽装甲車1両
ほかに2日の夜襲で1両失ったのは、前述。
7月4日にも、ソ連側に戦車戦の記録があり、日本戦車1両を撃破したが、
ソ連側3両が自走して集結可能レベルの損傷をしたとある。
たぶん、ソ連側が攻撃を仕掛けて、撃退されたのでしょう。
>>984 稜線射撃なんて、ほぼ100年前にウェリントンが使ってるが、
やはり受け身の地味な戦法だし、丘陵部を迂回されないことが
前提だよな。
988 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:04:53 ID:???
>>983 面白いですね。各戦闘の損害は戦史叢書でも詳しく書いてあるところと無いところがありますから推定せざるを得ませんが。
概算すると
7/7までの5日間で第一戦車団の損害は中戦車29、軽戦車7。(グランドパワー誌01/03)装甲車については記述無し。
但し別の資料では戦車の損害は中戦車18、軽戦車11、軽装甲車7。(帝国陸軍機甲部隊)
7/2の夜襲時、戦車第三連隊は戦死21、戦車装甲車に損傷(戦史叢書)、或は損壊(グランドパワー誌)。但し数の記載無し。
同じく戦車第四連隊は負傷者10、軽戦車1破壊。(戦史叢書)
7/3日中の戦闘で戦車第三連隊は敵戦車、装甲車、速射砲等と交戦で戦死15、戦傷12、戦車13、装甲車5破壊。(戦史叢書)
別の情報によればこの時の損害は中戦車13、装甲車4破壊。(グランドパワー誌)
同日の戦車第四連隊は砲兵支援を受けた歩兵と戦車、装甲車7〜8輌(戦史叢書)或は7〜8輌の装甲車(グランドパワー誌)の攻撃を受け撃退。
損害は不明ですが、戦史叢書によれば敵陣が強固であるとして同連隊は主力を後退させます。
ソ連側の資料によれば同日、第11戦車旅団のBT-5戦車8輌と第9装甲自動車旅団の装甲車6+12輌(稜線射撃をした部隊)と76.2o砲小隊がそれぞれ7輌と9輌の日本戦車を撃破。
狙撃連隊の戦果を含めて計19輌を撃破。(ノモンハン戦車戦)
この資料は7/3の戦いにおいては戦車第三連隊と第四連隊の区別が不明瞭なのですが、多少誤認があるとしても日本側の損害と大きな違いは無いようです。
尚、BT-5は3輌を失い、装甲車旅団については損害なしとのことです。
狙撃連隊の損害は不明ですが、1大隊が後退したとのことですから相応の損害はあったのでしょう。
989 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:08:15 ID:???
7/4は両連隊とも戦力の回復と攻撃準備。(戦史叢書)
但し4日朝まで戦車第四連隊が攻撃していたとも。(グランドパワー誌)
同日、ソ連軍は攻撃してきた日本戦車1輌を撃破したもののBT3輌が自走可能な損傷を受けた(ノモンハン戦車戦)といいますから、これが第四連隊の戦車かもしれません。
7/5から戦車第四連隊はソ連軍の攻撃を受け6日8時頃までに戦死18、戦傷24、中戦車6、軽戦車5を損失。(グランドパワー誌)
7/7には関東軍から帰還を命じられます。
戦史叢書、グランドパワー誌で数的に明らかになっている各戦闘での累計は戦車25、装甲車4〜5。
5日間の総損害が中戦車18、軽戦車11、軽装甲車7。
戦闘車両の場合は撃破されても回収し修理される場合も少なくないので正確は期しえませんが、損害不明の7/2戦車第三連隊、7/3戦車第四連隊は合わせて総損害からの差し引き戦車4、装甲車3〜4は失っていると考えられます。
ノモンハン戦車戦を信じれば7/4の1輌が存在しますが、修理戦車が復帰していると仮定すればことはもう少し複雑になります。
ノモンハンの戦車戦に関してもだいぶ資料が出てきましたが、まだ不明瞭な部分が残りますね。
990 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:18:01 ID:???
>狙撃連隊の戦果を含めて計19輌を撃破。(ノモンハン戦車戦)
注 ノモンハン戦車戦のこの部分ですが、読みようによっては7+19輌とも読むことができますので同書をお持ちの方の見解をうかがえれば幸いです。
7月5日以降も、どういうわけだか戦車第四連隊には、歩兵が随伴してないんでしたっけね。
途中から応援に来たようですが。
単純に、戦線全体に歩兵不足なのか?
>>990 単純に読むと7+19だと思われます。
戦車の話と、装甲車の話はたぶん別ソースによるものです。
装甲車のほうは、まるまる引用。
狙撃兵連隊方面の戦果に、戦車隊の戦果が含まれてる可能性はありますが。
コロミーエツの本には、どういうわけだか6月30日の戦車戦が出てこないな。
ソ連側の威力偵察部隊らしい戦車・装甲車と軽戦したという話。
その続きの、牽引対戦車砲に日本側が1両食われた話は出て来るんだが。
ソ連側には、該当する記録が無いのか?
日本戦車の損失は例のピアノ線で足止めされて対戦車砲で仕留められた7月3日頃の損害の多いのが目立つな〜
994 :
名無し三等兵:2007/06/16(土) 23:25:48 ID:l9+ylHWh
>本当は勝っていたノモンハン
戦車の玉田連隊長も同じ事を言っているよ。ハルハ河を挟んでの土地の攻防戦に
関しては日ソ相撃ちで、戦果は日本側の方が遙かに大きいって。
本当は日本戦車隊がソ連戦車隊を圧倒してたのに、ソ連軍の捏造宣伝を鵜呑みにしてる馬○が大杉だってさ
友軍を見捨てて敵前逃亡した連中の証言など信用できない
>>996 そう言うちゃんとしたのじゃなくて、
>>48 みたいな左翼学者が書いたような
いい加減なのとかを玉田連隊長は批判してるんだろう。
んで、その玉田連隊長は、日本戦車隊がソ連戦車隊を圧倒してたのに逃げ出した理由を
なんて言ってるんですか?
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。