「まあ、そんな訳だが、やはり異界の軍がどれだけできるのか不安に思っている者がいることも事実でな…。
小隊で来たのは知っているが、事情を汲んで一仕事頼まれてもらえんかな」
久口は頷いて答えた。
「こちらとしても実戦の資料、経験を少しでも集めておかないとあとで困りますから。喜んでお引き受けしましょう」
再び久口と王はがっちりと握手した。
深い森の谷間、細い小川のほとりに住まう魔法の竜。それを退治を命じられた久口ら先遣隊は部隊と助力は
できないが助言はできる、とついてきたフワンの近衛魔道師隊数名に先導されて森が開け川のせせらぎが
かすかに聞こえてくる場所を進んでいた。
話によると森の近くに住む住民が最近現れたファイアドラゴンに相次いで襲われ、死亡した者もいるという。
本来ドラゴンは知性が高く、滅多に人など襲ったりはしないはずなので皆、当惑していたのだが、そのままに
しておくわけにもいかず討伐隊を出そうとしたところに、運悪くと言うべきか、彼らの部隊が到着してしまったのだった。
「大きくて、堅く、とにかく強いです。空も飛べます。私はドラゴンと戦ったことはありませんが、腕利きの魔道師
が何人もかかってようやく倒せるような強大な生き物だと聞いております。数百人の軍隊がたった一頭の
ドラゴンに全滅させられたという話も…」
魔道師の一人が簡潔にドラゴンの特徴を述べた。先程までは未知の乗り物トラックの挙動にいちいち、
おっかなびっくりという感じだったが、乗り心地にようやく慣れたようで
彼は敵の特徴を話し始めた。
「普通の剣では歯が立ちませんねぇ、斬馬刀なら何とか…まあ剣を使う距離まで近付けないんで、難しいんですが。
ただ皆さんの使う武器は剣じゃないみたいですね」
「金属の弾を当てるんですよ」
隊員の一人が小銃を目の前に突き出して見せた。
「弾を当てる…?弾弓のようなものですかね。矢も強力な弩でないと刺さらないくらい堅いんですよ」
「ま、論より証拠。やるだけやってみましょうか」
ファイアドラゴンは空を飛び火を吹き、火炎系の魔法も使いこなすということだった。下手をすると山火事に
なるかもしれない、注意するようにとも念を押された。魔道師隊もある意味消火のために同行しているような
ものだ。
道幅が徐々に狭くなり、ついにトラックが通れるほどの広さもなくなった。ここからは徒歩で川のほとりまで
行かなければならない。
「もう近いです。魔力がビンビンに伝わってきます…」
隊列の後ろに隠れた魔道師の一人が呟いた。
「わかるのか?動いてるのかどうか教えてくれ」
久口はドラゴンの魔力におびえている魔道師に聞いた。
「あまり近づきたくないんですが…」
「舞台が森林だからいいんだ。巨体のドラゴンは木の密集地帯に入ってこれないだろう。休んでいるようなら
奇襲する」
音を出さないように、そろそろと小川へ近づく。やがて隊員の一人が目標を発見した。
「ドラゴン発見」
体表が緑色のアニメや漫画から出てきたようなグロテスクな怪獣が、川の横で身を横たえていた。腹が
緩やかに動いているので、おそらく寝ているのだろう。背には巨大な翼が生え、体は象よりも一、二回りも大きい
ように見えた。これではさすがに矢が刺さってもとげみたいなものだろう。魔道師が恐れるのも無理はないと思われた。
久口は一旦部隊を止めて、静かに無線で言った。
「散開して一斉射撃する。各自木の陰に隠れて合図を待て。携SAM班は空の見通しのいい場所で待機。
決して相手の射程に入らないように、距離を保って撃つんだ」
彼は随伴してきた魔道師たちに安全な所で待機しているように言った。
「魔法のない異界で磨かれた戦闘の姿を見るといい」
言い残すと、彼も配置に付いた。数十メートル離れた位置から小銃の狙いを定める。的が大きいのではずす
事はないだろう。
「撃てぇっ!!」
合図とともに乾いた銃声が連続して森の中にこだまする。ボツッボツッとドラゴンの体に無数の小さな穴があく。
「よし、銃弾は通るな!」
ドラゴンは森が震え上がるほどの咆哮をあげ、森林に炎を放った。数本の木と雑草があっという間に焼き尽くされる。
しかし隊の位置ははるかに遠い。射撃は続く。
ドラゴンも敵が茂みに潜んで撃ってきていることに気付いたようだった。炎で木を消し飛ばしながら林のなかに
踏み込んできた。同時に魔法で作った大量の火球を木の隙間に通して反撃を開始した。
「低い体勢を保ったまま、射撃を続けろ!根比べだ!」
あちらこちらに火が燃え移ったが、射撃は続いた。ドラゴンの巨体が次第に血の赤で染まってくる。血が焦げる
匂いがあたりに充満し始めた。しかし小銃程度の豆鉄砲では特段、きいたような様子は見られなかった。
皮を切ったようなものなのだろう。
数十メートルほどドラゴンが陸地に入り込んだところで、携SAM班から連絡が入った。
「見通しが良くなってきました。狙いますか?」
「まだ木がある。飛ぶまで待て。逃げるか上から火をばら撒くかするために、いつか飛ぶはずだ。はずすなよ」
ドラゴンが進むにつれて部隊もじりじりと後退しながら応戦し、持久戦の様相を呈してきた。戦況が変わったのは、
魔道師たちがおろおろしながら周囲に散った火を冷気系の魔法で消し始めたときだった。ドラゴンがその魔力の
動きを察知したのだ。
不意にばさりと大きな翼をはためかせ、高く飛び上がった。そのまま森の深くへ入り込み魔道師たちに火球の
狙いをつけようとした。その時、
「携SAM発射!」
ドラゴンの背後から高速で飛んでくる物体。ドラゴンも気付いたらしく、尾で払おうとした。が、矢とは違う。
弾き飛ばしたはずのミサイルはそのまま尾部で炸裂し、続いて2発目が胴部で炸裂する。大量の肉片を
飛び散らして、ドラゴンは樹木をなぎ倒し地上へ落ちた。
落下したドラゴンにはもはや反撃する力は残っていなかった。下半身の大部分ははじけ飛び、内蔵がところどころ
はみ出して湯気を立てていた。苦しそうにうめいているが、次第に息も弱くなり、やがて絶命するのだろう。
もげた後ろ足を見て、魔道師たちが叫んだ。
「これは狂戦士の輪!何故こんなものがドラゴンに…これの影響で理性を無くし見境なく住民を襲っていたのか…」
ドラゴンの脚に呪文と魔法の文様が施された金属製の輪が付けられていた。これを付けた者は理性を一切
なくし、周りの生き物を殺し続けるという忌まわしい魔法具だ。
うめいていたドラゴンが人の言葉をしゃべり始めた。
「……人間をたくさん殺してしまったな…すまなかった…掃討されるのは当然だ…」
彼はだるそうに首を動かし、見たことのない格好をした兵士達を見回した。
「しかし全力で戦った私をただの一兵も失うことなく倒すとは、それにこの、見たこともない武器…何者だ君らは」
翻訳の指輪を持つ久口が言った。
「異界の日本という国の軍だ」
「異界…時折こちらに迷い人が来るな。噂に聞いたことがある…自らの世界を滅ぼす力を持つ軍のある国が
割拠している世界と…強くて当然か…」
言い終わると彼はそのまま目を閉じた。それきり二度と動くことはなかった。
帰りのトラックの中では、魔道師たちが火傷を負った隊員に治癒魔法を施しつつ、来る時とはうって変わって
元気に質問を投げかけてきた。
「素晴らしい強さ、感服いたしました!それにしてもファイアドラゴンには火は効かないはずなのに、あの爆発
する飛び道具は一体どうやって?」
「熱で焼いてる訳じゃないからなぁ…まあ帰ってから詳しく…」
「やはりフワン殿の考えは正しかった!あのザコ護国卿に国防を任せておいてはいつ国が滅亡するか、
わかったものではありませんからな!」
はしゃぐ魔道師たちと苦笑いする隊員を乗せて車列は王都へと帰っていった。
北の大国ボレアリアの南方、国境を接するフォリシアという国は10年間、かの国と戦い続けていた。かの国と
の戦闘を優勢に進めていった結果、他の国も参戦し、ますます優勢に拍車がかかっていったのである。
10年の間に削り取っていった領地は相当な面積にのぼり、もはや相手の首都を陥落させるのも時間の問題か、
と住民や国、軍の幹部に至るまで戦勝の熱気に浮かされていた。
その首都ジェルークスの郊外。日もすっかり地平線に落ち、空が濃紺から黒へ変わろうとする頃、森林を
切り開いた高級住宅地の一つに国の英雄が今、帰宅するところだった。短く刈った坊主頭に彫りの深い
目鼻立ち、長身のカルダー・オベア上級将軍といえば、数々の戦功を打ち立て一兵卒から軍幹部まで
あっという間に成り上がった立身伝中の人物として知られていた。街でも彼の話が街角から尽きることはない。
その彼が戦の最中、一時の休暇をもらって大事な妻と息子のいる我が家へ帰ってきたのだった。
「ただいま」
かちゃりとドアを開けると恋しい声を聞きつけて彼の息子が駆け飛んできた。
「お父さん!今回もまたすごい活躍だったんでしょ!?話聞かせてよ!」
「お母さんを困らせてなかったか?お父さん、あまり家にいられないんだから、ちゃんということ聞かないと
駄目だぞ」
「わかってるよう」
ぐしゃぐしゃと子供の頭を撫でていると、廊下の影から妻が顔を出した。
「おかえりなさい。今回はいつまで居られるの?」
「三日だな。短くてすまん」
「いえ、大事な仕事ですから…怪我しないで帰ってきてくれればそれで…」
「本音を言えば怪我するような前線に行けなくなって寂しいんだがね」
彼がニヤリと笑って見せると、妻は呆れたようにため息をついた。
一家団欒の食事を取り、子供と遊んで一通り落ち着いた夜更け、オベア将軍は唐突に口を開いた。
「ハルカ、すこしまずいことが起きた」
暖炉に近い椅子でリンゴの皮をむいていた妻は訝しげに顔を向けた。
「ボレアリアが異界のニホンという国の軍を召還したと…どうやら君の国のようだ」
「日本が!?そんなまさか!」
彼女は勢いよく立ち上がり長い黒髪を振り乱して夫に詰め寄った。夫は優しく制して続けた。
「まだ確かな情報ではないが…斥候が異界の軍を確かに見たと。緑と黒のまだら模様の服に先に穴の開いた
鉄の棒を持っていた、馬もいないのに車が勝手に走っていた、と」
予備知識のある妻はそれが迷彩服、銃、自動車であることをすぐに理解した。ショックでテーブルに倒れ
かかった妻を慌てて彼は支えた。
「誤報ならいいが…いずれ戦闘が始まれば、このことはすぐ民衆にも知れるだろう。いきり立った民衆が何か
危害を加えないとも限らない。充分に気をつけてくれ」
「捨てたはずのあの国が…今頃になってこんな形で……」
彼は茫然自失の妻を椅子に座らせ、後ろから肩を抱いた。
「ハルカがこっちに迷い込んできたのはもう10年前か。もう帰らないと駄々をこねて結局俺んちに居座った
んだっけなぁ。あの頃は俺も階級低くて貧乏で…異界の妖精に取り憑かれたと言われたときは笑ったなぁ」
「……笑えませんっ」
小声でぼそりと呟いた妻に再びニヤリと笑みを浮かべると、子供にやるように髪を撫でて言った。
「俺は今更何も聞かないし、何も疑いやしない。ただ、もし異界の軍に負け始めたら他人はそうはいかないだろう。
うちにいてやれないのが心配でな…」
妻は夫の手を取って言った。
「こちらに骨を埋めると決めた時から覚悟はできてます。白い目で見られるのはもう慣れましたから…」
「本当に苦労をかける……」
いずれこの地も自衛隊が蹂躙することになるのだが、この時の二人はそんなことは知る由もなかった。