島秀雄の栄光 第五話 大東亜欠陥機D51
さて日本初のレンコン動輪にして日本の蒸気機関車の代名詞にして標準設計を取り入れたと
橋本克彦に絶賛され
ttp://www.timebooktown.jp/Service/bookinfo.asp?cont_id=CBJPPL1B0091600X 一時代を画し日本の鉄道技術を高らかに世界に示した一大傑作機たるD51です。
この機関車はD50と同程度の機関車が必要になったので、D50の近代化ということで
設計・製作されました。そしてこの機関車こそ秀雄ちゃんの設計者としての
最高の栄誉に包まれているのです!!!!
しかして実態はどうであったかというと、まず師匠朝倉希一はD50について「缶が過大!」と
批難してたっつーのに缶から何から主要な項目はD50の丸パクり、動輪のレンコン化は
UPの機関車の写真みて思いついたのでやってみた程度、尻が重くなりがちな蒸機では
前を重くしなければならないのに重量配分を設計ミス、ナメクジ設計がそれを後押し。
機関車を大きく見せるために運転室を小さく作って労働環境改悪、何が具体的に
変わったかと言えば缶の圧力とそれに伴ったシリンダ径縮小、あとはスーパーヒータの
設置見直し程度です。
またD50後期型から全国鉄機が引きずる欠陥として動輪のサスペンション構造があり、
これも改善されませんでした。これを弁護する人の理由にマトモなものなし。
またD50の缶の設計をパクッたのはC53でもやってたりします。朝倉は恥知らず。
こんなアホ機関車を、それも缶の設計を満鉄の進言があったにも関わらず、
設計変更して生産続行という措置も取らずに放置して1000余両を製作しました。
さすがにナメクジは設計変更しましたが、一部機関車は戦時対応である前部の
コンクリート死重乗せを戦後も続行してたくらいに重量配分失敗の影響はあり、
また蒸機に普遍的にある振動問題についてマトモな対応設計があったわけでもなく、
結果非効率かつ能力が低く使うのに職人芸が必要なアホ機関車として乗務員を痛めつづけたのでした。
第五話 完