そのハッソー・フォン・マントイフェルはなかったわ

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1名無し三等兵

2名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:10:38 ID:rhQFMBQh
阻止阻止
3名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:13:51 ID:???
あそこにガイル・フォン・シュヴァッペンブルクがいる
4名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:20:09 ID:???
                      _
                     ,∠二7/`>、
                   /::::;.ニ rヘ::`ヽ_二 ヽ
                  /´::/イヘ!::::|::::::|ヽ:::::ヽ1
                 '::/  !|  ヽ:::::::::i:::::|::::ゝ{
                 !'|i=ミ |!  _\:::|::::i彡7 》
                 Yi`ゞ'  ´ィ_r;yヽ!:::|彡7ハ
                  |! ノ    ´  Y::!/´|::i:::|
                  ハ  _       |:::|:::「!::|:::i
                  |::ヘ `'`    /i|:::iYY|:::!:::| >>1
                  i::i::::> -r< /1::::|' !::::|::::!  このような糞スレを勃てていると
                  '/::/:::::::} // |::::! /:::::ハ:::|  神罰が下りますよ?
                 /::::/:::::::::i/ /'  !:::| '::::/、:!:::i
                /:::::/::::: イ /   r'|:::i:::::::! \:|
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   /\     /イイ7::::// /   ,   !  |::! .|::::::!    {
   ( ,,人)    _ / /:::/::{  {   i   | ノイ |:::::i     |
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   f|  |>、_⊥ァ< ̄ヽ::i:::!  ヽ i   | | i  |::::i     !
 ( r 1. ど_      ヽ  |:::!ヽ  V   i  Y'  |::::!     |
  〉、ヽ--く>、     ト, !::i |  /   |.     iM!     |
  ヽ二二づ N>ー-- リ ! レ' 〉ニニy   '     |《 |
5名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:23:06 ID:???
・・・リアクションに困るのぅ
6名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:41:44 ID:???
ハッソーと言えばカリウス少尉の愛犬の名前じゃないか
7名無し三等兵:2006/08/20(日) 12:13:45 ID:???
ハッソ・フォン・マントイフェルは「ラインの守り」(バルジ作戦)
で有名だが、戦後に政治家となって、ドイツ連邦軍(Bundeswehr)の
名称を提唱したことでも有名。
8名無し三等兵:2006/08/20(日) 16:23:07 ID:???
                    ,ヘ
                  /ヽ/  \-‐- 、
                /  i      ̄\ `ヽ
               /  /ヾ|ヽ  、   ヽ、ヽ
              i'    |⌒´i.l  ハ  j  ヽ、`、
              /  i ト、!  ノ!| /-}レ'}/l  / `、
             ノ   ハ|-ヽ /レ' ,.==-y! i-、 i
          ((__〃l  {丶,,=;、   '´{!''::i} l lノ  l
              { i  ー' {!;;'j    ` ̄ノi i'   ト、
             /l ト、 `'"´ ヽ_,.    / ╋   l ヽ
           /  ヾ! ヽ、ヽ、_ ヽノ //iノ    !l  l  >>1 糞スレ立てんな、蛆虫、氏ね。
   ,-、   _,.-‐ニ二ニヽー--、 \ヽ `i ´ニ==ニ!    /!l  l
  {   /-‐''"_, '"フ/ } ハ\ヽ、ヽiー'/` ̄ ̄´ヽ、/ ノl  /
   >'/´  ///〃 /レ',-‐-ヽヽく<〃 ______,,. >ー‐‐-、
 / _,{_((/////-、   ,ニ_ヾ,| 》 '"    /     ヽ、
〃 /⌒ヾ///ノ,,r、_   {!ヽ{/___∠__,,.-‐'"  i   // ヽ,
|l {⌒ヽ/ / //〃ヽ    'ー''{ヾ/        }    ..........:::ヽ
ヾ レ⌒く//〃ハ _lト;::''::i},    ` ノ l|...:::::::::.....    l   ....::::::::::::::::ノ
 /   <、__/__ト、`ー`=´    ' イ::..ノ!:::::::::::::::::::::..... ヽ..::::::::.::::::::::/
 l   ハ三三}ニン  ー-r-‐'::::l:r;ニ三ヽ-、::::::::::::::: /ヽニニニニニi'
 l   / {ニミン  [ ̄ヽ、{〉   | j l/ //二ヽ-、 ,イ  ├‐‐‐┤
 ヽ  | /三ノ  /-‐-、ヾl|《ハ  ! `〈/〈//∠`|./i |    l     !
  `ー- `ラ  /    ヽl∧/ l  l ヽ l_/ r'_j L.,ヾニン l     !
        j_     /ヽ|  l  l ヽ   i  } `ヽ_,-┴‐-  i
9名無し三等兵:2006/08/20(日) 17:50:43 ID:???
マントイフェルの戦車師団はアルデンヌで米軍を蹴散らした
10名無し三等兵:2006/08/20(日) 20:30:09 ID:???
このスレにはハッソ・フォン・マントイフェルを知ってる香具師がいないと思われ
11名無し三等兵:2006/08/20(日) 23:44:47 ID:dY9biFAU
>9
 うん?彼は第5装甲軍の司令官だろ。それとも麾下の第2装甲、パンツァー
レーア、第116装甲”猟犬”の各師団の事か。
12名無し三等兵:2006/08/20(日) 23:46:04 ID:???
もちろんそうよ。
13名無し三等兵:2006/08/21(月) 08:22:39 ID:ow/CxNlZ
かわいい、おチビさん。
戦後も政治家としてアイゼンハワーと戦った。
(ちゃうちゃう)
14名無し三等兵:2006/08/21(月) 12:11:20 ID:???
個人的にはこの夏の糞スレ大賞をあげたい。

完全に後の続かない一発ネタでなおかつ軍事板にふさわしい。

つかマントフェイルの話で1000レス埋るかヴォケ
15名無し三等兵:2006/08/21(月) 12:40:25 ID:ow/CxNlZ
埋めてやるから、なんかくれ!
16名無し三等兵:2006/08/21(月) 13:30:54 ID:Z77WebAl
ゼップと変えて第六戦車軍を指揮させたかった。
アントワープに行けたかも・・
17名無し三等兵:2006/08/21(月) 13:33:51 ID:???
>>1は責任持ってネタ投下しまくれ。
18名無し三等兵:2006/08/21(月) 13:48:31 ID:???

              -ー=-‐ 、__
          , r '"        ヽ,
          l             ' ,
         /   三ニ=ー-'`=ニiiiiiiiiiiil
        /  ニ'"       `ヾiiiiiiii|
        /  ニ'           'liiiiii|
       ,l   |,r=-;.,_   _,、-=-、|iiiiil
       l  .il .,rェェ、_" :;"ェェ j  |iiiiiil
       | . i| ,,     :;   ,,  iiiiiiil
       ,|   il,    , :: ,    liiiiiill
       l   iil,    ` '      ,|iiiiiiii|
      /     l、  ー- -,ー   イiiiiiiiiill
      /      iゝ、  ̄  /|iiiiiiiiiiiil
     /      i| `ー- ' " ,liiiiiiiiiiii|

    クソスレータ・テルナー[Qtosleata Telnault]
         (1946〜1992 イタリア)
19名無し三等兵:2006/08/21(月) 14:27:38 ID:ow/CxNlZ
政党FDPに入党し、1953年から1957年まで連邦議員だった。
20名無し三等兵:2006/08/21(月) 15:20:52 ID:???
>>7>>19
それは知らなかったんで聞きたいんだが、
代々の軍人貴族というからある程度人脈もあったんだろうが、
戦後会社でもやって議員さんになれる程度に当てたのか?
年金だけじゃ議員さんにはなれないだろ。
FDPって調べてみたらお金持ち向け政党らしいし。
21名無し三等兵:2006/08/21(月) 16:04:03 ID:???
>>20
その発想 フォン・マントイフェルにはなかったわ
22名無し三等兵:2006/08/21(月) 16:20:09 ID:ow/CxNlZ
職業安定所に通い、貿易部門の部長職を得た。
23名無し三等兵:2006/08/21(月) 17:17:48 ID:???
>>21
>>1が思いついた、くだらない駄洒落に付き合うな。
24名無し三等兵:2006/08/21(月) 19:11:37 ID:???
もちろんそうよ。
25名無し三等兵:2006/08/21(月) 22:58:41 ID:???
「八ソー」
「フォン!マンずトイツッてる」
26名無し三等兵:2006/08/22(火) 08:20:39 ID:Y0L8DEWk
1897年1月14日にポツダムで近衛将校の息子として誕生
27名無し三等兵:2006/08/22(火) 08:22:19 ID:???
変なスレageるな
28名無し三等兵:2006/08/22(火) 08:24:11 ID:???
ローゼン閣下映像来てるね。
ttp://ktkr.vip2ch.com/upload.cgi?mode=dl&file=2988
pass:aso
29名無し三等兵:2006/08/22(火) 12:58:07 ID:???
1はこのネタどうしても誰かに伝えたかったんだろうね
30名無し三等兵:2006/08/22(火) 20:49:19 ID:Y0L8DEWk
機種として活躍。
金色ドイツ騎手バッジ(1931)
金色ドイツ帝国スポーツバッジ(1939)
を有する。
31訂正:2006/08/22(火) 20:50:01 ID:Y0L8DEWk
機種→騎手
32名無し三等兵:2006/08/23(水) 18:24:34 ID:W4Hl3H/Y
ツィーティン軽騎兵に入隊、第1次世界大戦は東部戦線と西部戦線双方で戦った。
33名無し三等兵:2006/08/23(水) 19:59:28 ID:???
もちろんそうよ。
34名無し三等兵:2006/08/23(水) 20:40:30 ID:tUuP9bbr
ハッソー・フォン・マントイフェル

=魔人族の憎悪者

ひでー名前w
35名無し三等兵:2006/08/23(水) 23:30:44 ID:YLjjQX5Z
歴代プロイセン王に仕えた名門だっけ?
36名無し三等兵:2006/08/23(水) 23:44:51 ID:???
もちろんそうよ。
37名無し三等兵:2006/08/24(木) 08:19:50 ID:kS7V8uFP
第2装甲師団第2オートバイ狙撃兵大隊で勤務したこともあるが
第3オートバイ狙撃兵大隊長になったこともあるらしい。
38名無し三等兵:2006/08/24(木) 23:24:49 ID:???
ドチビ
39名無し三等兵:2006/08/25(金) 08:17:24 ID:QPaexfXZ
第7装甲師団第7狙撃兵連隊第2大隊長に1941年5月になるんだが
それまで戦場には出ず、クランプニッツの装甲兵科学校で教官をしていた。
40名無し三等兵:2006/08/26(土) 08:29:23 ID:MX6whIDQ
第7装甲師団第6狙撃兵連隊長となったフォン・マントイフェルは、
第41装甲軍団長モーデル大将の命令を無視して逃走するソビエト軍を追撃して、
軍法会議にかけられた。
1942年のことである。
41名無し三等兵:2006/08/26(土) 13:38:41 ID:uLSDd7zN
「あんたに言われたくないわさ」
と伊勢言葉で毒づくハッソ。
42名無し三等兵:2006/08/27(日) 09:04:58 ID:+G4RDExL
モーデル大将は1942年1月16日に第9軍司令官に昇進するんだが
(前任者シュトラウスはモスクワ攻略失敗で解任)
軍法会議が軍中央のお友達によってうやむやにされた後も
しばらくしつこくマントイフェルを罰しようと粘着していた。
第7装甲師団は5月に南フランスに引き上げ、
マントイフェルも東部戦線を離れるんだがモーデルの怒りは収まらなかった。
失敗したからではなく、自分の命令を聞かなかったから罰したい。
こんな上司、結構いるよね。
43名無し三等兵:2006/08/27(日) 13:06:44 ID:???
もちろんそうよ。
44名無し三等兵:2006/08/27(日) 13:29:56 ID:???
>>42
そんな発想はフォン・マントイフェルにはなかった・・・
45名無し三等兵:2006/08/28(月) 08:36:49 ID:4PAvAdmk
フランスで休養中のマントイフェル
10月にはさらに1ランク指揮する部隊が上がって
第7装甲師団第7狙撃兵旅団となる。(第6狙撃兵連隊の上級司令部)
しかしこれがいかんかった。
1942年11月アメリカ軍が北アフリカに上陸すると
寄せ集めの部隊を指揮するために派遣されたのだ。
イタリア第10狙撃兵連隊
降下猟兵大佐(空軍)ヴァレンティンの指揮するわけのわからん連隊
チュニス大隊2個から出来た連隊
ヴィチヒ少佐の降下猟兵工兵大隊
と砲兵数個中隊
でチュニジア沿岸を守ることになったのじゃ。
46名無し三等兵:2006/08/29(火) 08:25:20 ID:qhIWXlYG
彼が北アフリカで指揮した部隊は「マントイフェル師団」と呼ばれることになる。
戦闘経験が無い弱敵だったが、味方も寄せ集めなので
さすがのマントイフェルも
攻撃したり進撃したりすることは出来なんだ。
(2月のシェラト岬への奇襲上陸作戦ぐらいでしょ?)
マントイフェルはチュニジア(北アフリカ)降伏直前に
運良く「負傷して」本国送還
辛くも捕虜になることを免れた。
47名無し三等兵:2006/08/29(火) 13:58:05 ID:fKOE8XvK
でも寄せ集めのマントィフェル師団で連合軍のチュニジアへの進撃を食い止めたんだから、誉めてやらにゃー。戦後は右翼系の政党の党首になったんだよね。男爵様は…
48名無し三等兵:2006/08/29(火) 15:03:48 ID:nen7JqTd
ある意味、すごいネタだ。
軍板大賞にノミネート。
49名無し三等兵:2006/08/29(火) 16:59:31 ID:???
もちろんんそうよ。
50あっ、あっ、ちょ:2006/08/29(火) 17:32:21 ID:???
モーデル
51名無し三等兵:2006/08/30(水) 08:38:23 ID:WOz6k/M2
マントイフェルが第7装甲師団長になったのは
クルスク戦後の1943年8月だった。
前任者は独ソ戦開戦以来のハンス・フライヘア・フォン・フンク中将だった。
師団長退任と同時に柏葉騎士十字章をもらっだんだが
フォン・フンク帝国男爵、栄光の第7装甲師団長の割には昇進遅い。
前任者がロンメルで、彼と比べるのは何なんだが。
戦前に陥れられ陸軍総司令官の座を追われた
フライヘア・フォン・フリッチュ上級大将の参謀だったといっても
マンシュタインもそうだし。
って出世頭と比べ過ぎか?




52名無し三等兵:2006/08/30(水) 10:49:12 ID:???
マントイフェル家って
フリードリヒ大王の時代からプロイセン軍の将校だったっけ?
53名無し三等兵:2006/08/30(水) 10:57:46 ID:???
ジョン・トーランドの「バルジ大作戦」では、アルデンヌ攻勢のとき第5装甲軍
をマントイフェルが指揮していたのだが、上官のモーデルとはあまり通じ合うものが
なかったとか書いてたな。筆者の主観が入ってるのかもしれんが、
「なぜならモーデルの父親は小学校の教師であり、自分とは出自が違ったからである」
54訂正51:2006/08/30(水) 17:54:23 ID:WOz6k/M2
帝国男爵(ライヒスフライヘア)じゃなく
ただの男爵(フライヘア)でした。
えらいすんません
55名無し三等兵:2006/08/31(木) 08:27:25 ID:M4kwu9UQ
フリードリヒ大王の時代のプロイセン軍の将軍
ハインリッヒ・フォン・マントイフェル中将(1696〜1778)
についてはしばらく後で書いてみたい。

いや、別に、どなたかが書かれても一向に困らんが。


56名無し三等兵:2006/08/31(木) 23:52:55 ID:???
モチロンそうよ。
57名無し三等兵:2006/09/01(金) 00:17:19 ID:DpB/Jh+s
>>55
「しばらく後」、そんなこと仰らずに早くお書き下さい。
58名無し三等兵:2006/09/01(金) 00:35:53 ID:???
>>1に禿同
59名無し三等兵:2006/09/01(金) 08:23:01 ID:OFpNwxj7
1943年8月に第7装甲師団長になってもいいことはなかった。
クルスク戦(ツィタデル作戦)の中止後、イニシアチブはソビエト軍に移っており
反撃してもその進撃を止めることは出来なかった。
9月には第25戦車連隊第1大隊がパンター戦車(A型)を取りに本国に帰るといったきり
11ヶ月も戻らなかった。
南方軍集団総司令官マンシュタイン元帥は、ドニエプル川に沿って防衛する
ドニエプル陣地への撤退を要請し、撤退を極度に嫌がるヒットラーに認めさせた。
でもドニエプル陣地なんぞ存在しなかったし、11月にはとんでもないことが起こる。
60名無し三等兵:2006/09/02(土) 14:45:00 ID:kQ1EW0b/
11月、ソビエト軍はウクライナの首都キエフを奪回するためその北で密かに(笑)
ドニエプル川を渡河した。
歩兵師団30個、戦車旅団24個、自動車化旅団10個を終結させ、
キエフを後方(西側)から襲った。
マンシュタインの主張したドニエプル陣地の完全なる崩壊。
ソビエト軍はさらに南下してファストフの町を目指した。
その時、第7装甲師団はキエフの西で休養中だった。

11月6日、
第2SS装甲捜索大隊第1中隊のアルフレート・ジークリンクSS曹長は、
偵察班の4輪装甲偵察車3両でファストフを偵察し、
無線報告せよとの命令を受けた。

ファストフにはフォン・マントイフェル少将が来ていた。
ソビエト軍は来ていなかった。

ジークリンクは陸軍の第7装甲師団長フォン・マントイフェルに言われて
1両の装甲偵察車をファストフに残した。

フォン・マントイフェルは、
ジークリンク達の装甲偵察車2両に最前線(北)への偵察を行なわせた。
(おいおい、君の部下じゃないだろう)
61名無し三等兵:2006/09/02(土) 14:47:11 ID:kQ1EW0b/
5日間、ジークリンク達は敵戦線に浸透し、情報を集めた。

ソビエト軍戦車隊が集結した村に行き当たったとき、
村は湿原に囲まれて迂回不可能だった。
ジークリンクは2両の4輪装甲偵察車で村を突破した。
ソビエト軍はとっさの出来事に反応する間も無かった。
またソビエト軍の行軍縦列に行き当たったとき、何食わぬ顔で追い越した。
ソビエト兵は捕獲したドイツ軍車輌と思い発砲してこなかった。
かつてのプロイセン軽騎兵を思わせる大胆な行動を、
SS装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」師団長ヴァルター・クリューガーSS中将は
感心し、ねぎらい、ジークリンクSS曹長に騎士十字章を授与することにした。

62名無し三等兵:2006/09/02(土) 20:17:02 ID:???
日本語でマントイフェルの伝記ってないのかなあ
63名無し三等兵:2006/09/02(土) 20:37:48 ID:???
>>62
ありませぬ
64名無し三等兵:2006/09/02(土) 23:19:28 ID:???
背が低くて痩せている人ですよね。
騎手と同じで騎兵もちび助が向いているんでしょうか。
>>61のネタ元は伝記の『Panzer Baron』ですか?昔の戦マガに紹介がありました。
普仏戦争の時にもプロイセンの要職に先祖が就いていましたが、
続柄はなにだったのでしょうか。
65名無し三等兵:2006/09/02(土) 23:39:34 ID:kQ1EW0b/
61のネタ元は「DIVISION DAS REICH」です。
只今、「ジトミルの英雄」ハッソー・フォン・マントイフェル少将と
7年戦争時、第17「歩兵」連隊長だった
ゲルト・ハインリッヒ・フォン・マントイフェル少将で手いっぱいなところです。
普仏戦争時につてはどなたかにお願いしたい。いえ、ホントのところ。
66名無し三等兵:2006/09/03(日) 08:59:46 ID:ziDaDmJH
ファストフには、キエフから避難してきた鉄道車両が集結していたが、
11月6日にジークリンクが来た後、ソビエト軍がまるごと占領。
フランスから来た第25装甲師団が奪回を図るが待ち伏せに遭って失敗。

でも
さらにその南のべラヤ・ツェルコフに司令部を置いた第48装甲軍団の下、
第7装甲師団
第1装甲師団
SS装甲擲弾兵師団「LSSAH」
SS装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」
第25装甲師団などが集められる。

第7装甲師団長フォン・マントイフェルは
部下の第25戦車連隊長アダーベルト・シュルツ大佐と共に反撃作戦で大活躍。

SSティーガーエースのヴィットマンがスコアを伸ばしたのもこの戦いだったりする。


67名無し三等兵:2006/09/03(日) 13:21:08 ID:OzkPcGXX
フォン・メレンティンについて語るスレがあると聞いて飛んできました
68名無し三等兵:2006/09/03(日) 16:37:49 ID:ziDaDmJH
気の済むまで語ってください。
69名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:40:15 ID:LdAiIR7x
バルジの戦いではマントイフェルはパイパー、パットンと並ぶ主役級だよね
70名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:42:23 ID:???
>>69
パイパーよりはマントイフェル
71名無し三等兵:2006/09/03(日) 22:05:29 ID:???
フォン・マントイフェルの伝記が読めるのはここだけですか?
次回も大変期待してます。
72名無し三等兵:2006/09/03(日) 23:09:15 ID:RACHZ0w/
>>69
 モーンケを忘れないで。
73名無し三等兵:2006/09/04(月) 00:29:00 ID:???
もちろんそうよ。
74名無し三等兵:2006/09/04(月) 08:36:58 ID:2GwNHaBW
第48装甲軍団(軍団長ヘルマン・バルク大将、参謀長フォン・メレンティン大佐)
は11月15日に攻撃開始。
主力は
イタリアから来たばかりのSS装甲擲弾兵師団「LSSAH」と
ギリシャから来たばかりの第1装甲師団だった。
1個戦車大隊を欠く第7装甲師団はその左翼(西側)。
ファストフを経てキエフと、「北上」すればいいのに
第4装甲軍の命令で西のジトミルに向かった。

しかし
抜け駆け、突出、向こう見ずな
軽騎兵出身の
フォン・マントイフェルは、11月18日にジトミルを奇襲で再占領した。
このとき、シュルツ大佐は戦車5両、マントイフェル少将は100人程度の装甲擲弾兵大隊だけを連れていた。
師団史には「ジトミルの英雄」と書かれることになるがこの称号あまりメジャーじゃないよね。
75名無し三等兵:2006/09/04(月) 13:28:19 ID:Ywb53YMY
ゴルタプ・グンビネンと並ぶ
輝ける撤退反撃、ジトミール。
76名無し三等兵:2006/09/04(月) 18:44:13 ID:Ywb53YMY
ホト大将の躊躇がなかったら
キエフも奪回できたかも・・
77名無し三等兵:2006/09/04(月) 19:15:32 ID:???
もちろんそうよ。
78名無し三等兵:2006/09/04(月) 19:17:55 ID:???
>>76
ホトって、女性のアレのことか?
79名無し三等兵:2006/09/04(月) 21:20:37 ID:???
>>74
毎度楽しみにしてます。
この軍団えらい豪華な人選だなぁ。
80名無し三等兵:2006/09/05(火) 01:13:32 ID:???
フレッター・恥垢将軍
81名無し三等兵:2006/09/05(火) 08:30:09 ID:zPheiEmw
ジトミルを取ると次はキエフ。
南東方向へと一直線に進撃することになる。
マントイフェルは11月23日に柏葉騎士十字章をもらうことになるんだが
やっぱりジトミル奪取を称してというのが主たる理由らしい。
1941年にモスクワ北でボルガ川を東岸に渡り騎士十字章を貰って以来長かった。
北アフリカで苦労しても「アフリカ軍団」?のアームバンドしかもらえなかったし。

ところでジトミルってそんな重要な都市か
というと
第4装甲軍の集積所があったからというのが一番おおきい。
だから放置は出来ない。
正攻法で攻めると補給品丸ごとソビエト軍部隊を包囲することになる。
マントイフェルの奇襲奪取が非常によかった。

戦車連隊長シュルツはシュルツェン付き3号戦車(J型改造指揮戦車?)
にヴィンターケッテを履いた4号戦車G型(シュルツェンなし)
マントイフェルはSdkfz251C型
いずれも冬季白色塗装の写真が残っている。
82名無し三等兵:2006/09/05(火) 08:33:16 ID:zPheiEmw
ああ
南東方向じゃなく北東方向でした。
83名無し三等兵:2006/09/05(火) 12:12:28 ID:???
餅論争よ
84名無し三等兵:2006/09/06(水) 06:03:45 ID:0NUZhHZ5
英語版ウィキに背の低い有名人一覧に載っています。

157cmしかなかったんだよな、この人。
参照List of famous short men
ttp://en.wikipedia.org/wiki/List_of_famous_short_men

わが国の陛下が複数名出ているのはご愛嬌w
85名無し三等兵:2006/09/06(水) 08:38:16 ID:MAjDkzO4
キエフに向かおうとした第48装甲軍団。
しかしその途上ブルシロフにソビエト軍の大部隊が集結しているのに気が付く。
第5、第6、第7親衛戦車軍と第9機械化軍団、第8、第10戦車軍団と
共に第1親衛騎兵軍団がいた。
ソビエト軍の1個軍団はドイツ軍の1個師団に相当するんだが、
それでも凄い兵力。

マントイフェルが北から包囲し、新着の第19装甲師団は東から包囲する。

11月20日、 第1SS戦車連隊本部に敵の砲弾が命中し、シェーンベルガーSS中佐が戦死する。
パイパーSS少佐が後任戦車連隊長となった。

24日までには包囲せん滅が終る。
そしてここでなぜか雪解け、装甲部隊は行動の自由を奪われる。
そして26日、マントイフェルに伝達されたのは
「グロスドイッチュラント」装甲擲弾兵師団長への異動命令だった!
86名無し三等兵:2006/09/07(木) 08:22:22 ID:BkvqHMir
「グロスドイッチュラント」装甲擲弾兵師団は、この時既に
戦車連隊が
パンター大隊(第1大隊)
4号戦車大隊(第2大隊)
ティーガー大隊(第3大隊)
とドイツ軍中最強を誇っており、
4号戦車大隊(第2大隊)1個しかない第7装甲師団よりもちろん強力
しかも2個の装甲投擲弾兵連隊も各々3個大隊と、各々2個大隊の装甲師団より
協力だった。
しかし、マントイフェルの返事は「ちょっと待ってください」
異動を延期する回答だった。(1944年1月26日まで)
士官のほとんどと下士官の半分を知っている第7装甲師団に愛着もあったんだろうが
ここでの戦い、面白いところなのに!というのが本音でした。

87名無し三等兵:2006/09/07(木) 10:31:28 ID:???
がんばれよ
楽しみにしてるんだから
88名無し三等兵:2006/09/07(木) 17:55:45 ID:???
戦いが面白いのか…。
なんだか念仏の鉄みたいだw
89名無し三等兵:2006/09/07(木) 19:16:07 ID:q7kFB7ic
上杉謙信みたい。
あるいはハッソも女要らずか?
90名無し三等兵:2006/09/07(木) 19:20:25 ID:???
>>89
オマエ ハッソ・フォン・マントイフェルを知らないだろ、な、な?
91名無し三等兵:2006/09/08(金) 08:27:32 ID:Z7mrwiO+
フォン・マントイフェルに「戦いが面白いのか」と聞けば
きっと
戦場で国家に尽くすのはマントイフェル家の義務とか
模範解答が聞けるに違いない。
SS装甲擲弾兵師団「LSSAH」のティーガーエース、ヴィットマン
もまだスコアが50両に達していなくてそれどころじゃない。
しかし、1942年11月
チュニジアで第90軍団司令官に任命されたとき
あまりの絶望的な状況に
「子供の頃死んでしまえば良かったと思いますよ」と言った
第24装甲軍団長ヴァルター・ネーリング大将
の戦線がソ連軍に突破されると
第48装甲軍団とマントイフェルの第7装甲師団も
キエフをあきらめて撤退を強いられることになった。


92名無し三等兵:2006/09/08(金) 08:51:39 ID:???
続き早くしろよ。仕事がのろいとかよく言われるだろ?
93名無し三等兵:2006/09/08(金) 10:42:30 ID:Nr7nXvd7
>>92
静かにしていて。
94名無し三等兵:2006/09/08(金) 17:03:21 ID:???
外野の野次は気にすんな。
今後も是非よろしくお願いします
95名無し三等兵:2006/09/09(土) 09:20:41 ID:6wuH9N8/
そう言えばこの間の戦いについて
第48装甲軍団参謀長フォン・メレンティン大佐は
フォン・マントイフェル少将と第7装甲師団をべた誉め。
11月24日までに第48装甲軍団はブルシロフの敵を掃討し、
「多数の捕虜の他に、戦車153両、火砲70門、対戦車砲250門を得たのである」
とあるが、ドイツ軍でいうと1個装甲師団プラス対戦車砲程度なんだが。
その第48装甲軍団の中で「第7装甲師団は完全にその任務を果たし」と満点。
このリスペクトは、まだ続く。

ウクライナの寒気が一旦緩むと、そこは泥の海、いくら第48装甲軍団が強力でも
すべての作戦はストップ。
武装親衛隊では第2SS戦車連隊長フォン・ライツェンシュタインSS中佐が部下の管理不行き届きを
譴責され、ピストル自殺をするなんて事件が起こったり、はしている。
20日の第1SS戦車連隊長の戦死もあわせると、この時、武装親衛隊には何が起こっていたのか・・・?

攻勢再開は12月6日となる。
ジトミル北から第7装甲師団は北東への進撃を再開し、7日にはアダールベルト・シュルツ大佐の戦車連隊が
ソビエト軍と戦車戦を行い勝利する。
この時にはティーガーを持つ第509重戦車大隊が指揮下に入っているのでかなり楽だったはずだが
パンツァーシュルツは12月14日付でダイアモンド剣付柏葉騎士十字章を得ることに。
(この時撃破したのは60両とか150両とかそういう数字)
フォン・マントイフェルが自分の柏葉騎士十字章を貰うとき、シュルツには高位のダイアモンド剣付柏葉騎士十字章を申請したと言うが
師団史では12月7日の功績に対するものと書いてある。
授与のため総統本営に来いとの通達にシュルツは
「ここが忙しいので行けない」と答えたそうで、部下は上司(上官の悪いところ)に似るもの・・・
96名無し三等兵:2006/09/10(日) 12:35:16 ID:???
すご・・・どんだけ軍オタなんだか
97名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:08:35 ID:CXLznNZr
12月9日にはマリンという町の南についた。
道なき道を60キロ(地図に載ってないだけ)
川を2本越えて(小川だけど、橋を架け)
最初の2日間だけで戦いながら40キロくらい進んでるから結構凄い。
16日にはイルシャ川という東西に伸びる小川を渡河してマリンに。
第509重戦車大隊のティーゲルは川を渡れなかったので
フォン・マントイフェルの第7装甲師団だけでマリンをとったことになる。

ボクシングで例えると得意の左腕(第48装甲軍団)でアッパー、
第7装甲師団は左の親指
主力の第1装甲師団とLSSAHは、左の人差し指と中指といったところか・・
(こちらに背中を向けている状態)
この頃(12月7、8日)、パイパーの第1SS戦車連隊は南の幹線道路を使っていたのにもかかわらず
燃料切れを起こして立ち往生したりしている。(一年後に同じことやりますね、この人は)
ところが振り上げた左手で握ったメレニの町に
ソビエト軍の戦車3個軍団、狙撃兵4個軍団がいることが分かって
第48装甲軍団自身が驚く。
もはや包囲せん滅する余力は無かった。
利き腕1本しか使えないというのが問題だった。

12月24日、ガードに使っていた右腕である
ネーリング大将の第24装甲軍団が、ブルシロフでソビエト軍に突破を許し
全ては水の泡。

28日までにはジトミルから更に南下して、ベルディエチェフの町まで後退するんだが
この間、100キロ以上の行程がある。
進撃も速いが、逃げ足はさらに速いというフォン・マントイフェルの第7装甲師団だった。
98名無し三等兵:2006/09/11(月) 01:52:51 ID:???
「将軍、ハッチを...」

その時に指揮戦車にソ連迫撃砲弾が炸裂!
シュルツは頭に負傷して倒れた。

「将軍!」「軍医を早く!急げ!」

...以上、韋駄天シュルツの最期でした。
99名無し三等兵:2006/09/12(火) 08:21:34 ID:z0LHUwlO
ところで、背が低いと言えば
第4装甲軍司令官ヘルマン・ホト将軍もそう。
フォン・マントイフェルが騎兵出身なら
ホト将軍は歩兵出身、
騎兵ならウマに乗ればそれほどハンディではないだろうが
歩兵の場合、行軍時、歩幅の稼げないので苦しかったのでは。

ところでホトは、大将と記載されていることもあるが
実際は独ソ戦開戦時から上級大将である。
第4装甲軍司令官がホト上級大将からラウス上級大将に交替したのは
11月16日のはずなのだが、
ホトは10月から総統司令部予備とか
ラウスが11月1日から第4装甲軍司令官とか書いてあったり
結構、文献によって違う。
100名無し三等兵:2006/09/12(火) 11:07:30 ID:2XvGspOY
ホトか?ホートか?
101名無し三等兵:2006/09/12(火) 18:31:22 ID:???
ホート上級大将って昔はマンシュタインの上司だったんだよな。
頭も切れる上にやけに背の高い部下で
やりにくかったんじゃないだろうか。
102名無し三等兵:2006/09/12(火) 20:32:11 ID:???
それでも豪放な性格で部下たちから「親父」と呼ばれていたんだから
さほど表に出さなかっただろうなぁ
103名無し三等兵:2006/09/13(水) 18:28:14 ID:i0gHXWsP
「親父」と呼ばれる司令官もいれば
「おじさん」と呼ばれる司令官もいる。
SS装甲擲弾兵師団「ダス・ライヒ」師団長ヴァルター・クリューガーSS中将は
クリューガーおじさん(オーム・クリューガー)と呼ばれたんだが
これは、1941年(春?)に公開された同名の映画「クリューガーおじさん」
に由来する。
イギリス嫌いのビア樽おじさんが暴れまくる映画で、けっこうヒットしたらしい。

ところで、その頃第48装甲軍団には、もう一人、クリューガーおじさんがいた。
陸軍の第1装甲師団長も、ヴァルター・クリューガー中将、同姓同名の別人。

別段話題にもならないのは
師団長が同姓同名でも別に支障がなかったからだろうが、
元騎兵のフォン・マントイフェルを尊敬する第48装甲軍団参謀長フォン・メレンティン大佐も
フリードリヒ大王の血縁、由緒ある家柄の騎兵将校だったのだ。


104名無し三等兵:2006/09/13(水) 19:27:17 ID:???
野球選手みたいに登録名で区別してたりして。
あるいはセカンドネームがあればそれで区別してたとか。
105名無し三等兵:2006/09/14(木) 19:08:11 ID:XtvyFCbR
12月末には再び
進出してくるソビエト軍に痛撃を与えるんだが
(31日、48装甲軍団戦区で戦車67両撃破とか)
結局、ジトミル周辺地区も失い
第48装甲軍団と共に西へと後退する。

1944年初め
パンツァーシュルツは勲章貰うついでに
休暇を楽しむ。
フォン・マントイフェルが後継師団長に、シュルツ大佐を指名したという。
後継師団長の指名なんか出来たのか?
後継者を指名した師団長は他にもいたのか、ちょっと疑問である。
しかし、ついこのあいだまで中佐だったシュルツ
(11月18日まで中佐だった)
が師団長になるには
マントイフェルが推さないと無理だろう。

そして、フォン・マントイフェルが第7装甲師団に別れを告げ
装甲擲弾兵師団「グロスドイッチュラント」に向かった1月26日
の2日後、第7装甲師団を悲劇が襲う。
106名無し三等兵:2006/09/14(木) 19:55:12 ID:???
文をチラシの裏に一度まとめてから一気に書けよ。
仕事鈍いのは親譲りなのかしらんがさ。
107名無し三等兵:2006/09/14(木) 20:31:24 ID:???
>>106
Nur die, die sich beschweren, sind bequem und enviable.
108名無し三等兵:2006/09/14(木) 20:58:04 ID:???
>>106
金払ってるわけでもないのに図々しいな。
嫌なら読まなきゃいいだろ。
109名無し三等兵:2006/09/14(木) 21:17:14 ID:???
そんな話になるならんじゃオナニーサイトでやれよ
110名無し三等兵:2006/09/14(木) 21:22:17 ID:???
能書きはいいからさっさと書けよ。
111名無し三等兵:2006/09/14(木) 21:29:25 ID:???
112名無し三等兵:2006/09/14(木) 23:31:21 ID:???
パンツァーシュルツの帰還はドイツ週間ニュースで見れるな。
パンター戦車の木製模型貰ったり、母親と一緒にケーキを食べているシーンがある。

だが、何週間後には同じ週間ニュースでパンツァーシュルツの葬儀の映像が流されるとは
だれも思わなかったであろう。
113名無し三等兵:2006/09/15(金) 11:56:20 ID:9URmjL01
>>110
何様?
死ねばいいのに。
114名無し三等兵:2006/09/15(金) 19:23:38 ID:g9hQlW5Y
シュルツのニュルンベルクへの帰郷は少々物悲しい。
市庁舎で贈られるのはパンターA型の模型なんだが
シュルツの連隊には、まだ配備されていない。
「模型よりも本物をくれ」と言いたくなるような。

そして既に二方が書かれているように
1月28日のシュルツ少将の戦死。

第25戦車連隊のたたきあげパンツァーシュルツ。
マントイフェルが第7装甲師団に配属される前のフランス戦で既に騎士十字章授与
モスクワ戦ではフォン・マントイフェル騎士十字章授与と同時の1941年12月31日に
柏葉騎士十字章。
マントイフェルが北アフリカ関連で師団を留守にしている間に3月、ハリコフ、7月、クルスク
戦う。
シュルツ戦死後には、第4装甲師団からマウス大佐が第7装甲師団長として来る。
115名無し三等兵:2006/09/15(金) 21:10:45 ID:???
これって何を元に書いてるの? 
116名無し三等兵:2006/09/15(金) 21:38:54 ID:g9hQlW5Y
基本的には今まで出てきた師団の師団史
第1装甲師団史とか
第8装甲師団史とか
第19装甲師団史とか
22.25.27装甲師団史とか
DieGespenserDivision(幽霊師団=第7装甲師団)とか
LeibStandarte(第1SS装甲師団史)とか
DIVISIONダスライヒとか
フォン・メレンティンの回想録とか
降下猟兵写真集1935−1945とか
パウル・カレルの「砂漠のキツネ」とか
ナチスドイツの映像戦略(大日本絵画)とか
TIGERとか
TIGERS IN COMBAT
重戦車大隊記録集2とか
いろいろ
117名無し三等兵:2006/09/15(金) 22:10:50 ID:???
>>113
なぜか反応するおまえが死ねばいいよwww
118名無し:2006/09/16(土) 01:30:41 ID:zwM42bDP
童たちがけんかをしている。
早くとめなければ!
119名無し三等兵:2006/09/16(土) 02:01:41 ID:???
Dr.カルル.マウスもまた名師団長なんだが。
120名無し三等兵:2006/09/16(土) 07:33:19 ID:???
物知らず故に読んでて楽しい。
海も英文探せば資料あるんだろうなぁorz
121名無し三等兵:2006/09/16(土) 12:01:05 ID:???
>>116 サンクス どこれもこれも高そうな本だ
122名無し三等兵:2006/09/16(土) 21:00:42 ID:???
>>121
パウルカレルの本なんかは図書館の軍事のコーナーに大概あるな
123名無し三等兵:2006/09/17(日) 20:56:08 ID:q1WxqVQe
第7装甲師団は1944年1月11日、ジトミル西方の鉄道拠点シェペトフカに後退していた。
戦線はなく、拠点(陣地)が周囲に配置されているだけだった。
夜にソビエト軍が浸透してきて、最前線で下士官を含む数名が捕まってしまう。
二人の兵士が別の陣地から見ていたが、警報を出さなかったので、反撃が行えなかった。
翌日、フォン・マントイフェルは事件を知った。
戦友を見捨てた兵士は軍法会議にかけられ、死刑となった。
銃殺刑は1月13日に執行された。
 
この件に関し 戦後、1959年8月の審議で、フォン・マントイフェルは1年半の有罪判決を下された。
師団の士気を保つためという理由で銃殺刑にしたことが問題とされた。
マントイフェルは1960年7月に服役、2ヶ月後に出所した。

124名無し三等兵:2006/09/18(月) 20:00:16 ID:z9tIrs2J
1月27日、マントイフェルは装甲擲弾兵師団「グロスドイッチュラント」師団長となる。
所在はシェペトフカから南東に200キロ程度行ったキロウォグラード周辺。
1月中旬、ソビエト軍の突破を第3装甲師団と共に防いでいた。

北のコルスン・チェルカッシー地区で、再びソビエト軍が攻撃を開始したので
第26戦車連隊第1大隊のパンターなど、GD戦車連隊が
臨時に派遣されて対戦車戦闘を行っているところ。

グロスドイッチュラントのGD戦車連隊第1大隊は
この頃フランスで編成中。
第26戦車連隊第1大隊とは本来、第26装甲師団の戦車大隊である。
このような戦車大隊の貸し借りのようなものは、パンター大隊で良く行われ、11月まで腐れ縁は続く。
が、さっそく第1大隊長グレースゲン少佐が28日に瀕死の重傷を負う。
この地区はT34/76だけでなく、SU122やスターリン戦車がうごめく、もっとも危険な戦場であった。
125名無し三等兵:2006/09/18(月) 23:24:08 ID:???
警報を出さなかったので、反撃が行えなかった。

↑これがどういうことなのかわからんのだが
126名無し三等兵:2006/09/18(月) 23:39:53 ID:z9tIrs2J
自分達だけでは、捕虜になった戦友を奪還できなかったとか
通報するべきだったのに、見て見ぬふりをしたとか
そういう意味だけど
127名無し三等兵:2006/09/19(火) 02:13:33 ID:???
歩哨としての任務を守っていなかったから
128名無し三等兵:2006/09/19(火) 02:17:53 ID:???
たぶん、歩哨としての任務を守っていなかったからでしょう。
ロシアの厳寒の時期にはあまりの寒さに立哨が建物に篭るなどの規則違反が
多く出て、そのために懲罰部隊送りになった者も少なくない。
129名無し三等兵:2006/09/19(火) 17:27:01 ID:???
130125:2006/09/19(火) 21:31:03 ID:???
なーるサンクス

あと129は最後に超びびるから注意w
131名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:13:43 ID:tPDByeDg
第26戦車連隊第1大隊が、グロスドイッチュラントの下に来たのは
1月16日のこと、76両のパンターを持っていた。

1月25日から2月8日まで有名なコルスン包囲戦、脱出作戦と救出作戦が行われるが
幸いにもGD戦車連隊は救出する方(の側面を支える任務)であった。
第11装甲師団の指揮下で戦闘を行う。

2月5日からは、ベーレント戦闘団を、遠く北方軍集団のナルヴァ地区に送るなど
この時期、派遣が多い。
この戦闘団は、元グロスドイッチュラント戦車連隊長グラフ・シュトラハヴィッツ大佐の指揮下に入り、
第502重戦車大隊のオットー・カリウスらと行動するはずなのだが・・・
(調べきれませんでした)

グロスドイッチュラント師団本隊の戦線は
2月7日から3月9日までは、キロウォグラード南西でほとんど動いていない。
132名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:29:38 ID:???
>>129
何の動画?
133名無し三等兵:2006/09/20(水) 23:27:44 ID:???
マリオの超ハイスピードプレイの動画 最後に超悪質なドッキリがある
134名無し三等兵:2006/09/21(木) 20:52:34 ID:60MHJMsf
3月、
装甲擲敵弾兵師団グロスドイッチュラントはソビエト軍の包囲を逃れるため
西へと退却し、ルーマニアへと逃げ込む。

マントイフェルの指揮が悪かったわけではない。北の戦線(第4装甲軍)が
ソビエト軍に突破されたので仕方の無いことだった。

4月26日、ソビエト軍の大攻勢が再び始まる。
カルパチア山脈のふもと、タルグル・フルーモスにおいて、
ソビエト軍戦車部隊と大戦車戦を行う。

この戦車戦は、パンター、ティーガーが距離3000メートルでT34/76を撃破するという
第2次世界大戦でも(では)珍しいアウトレンジの大戦車戦。
マントイフェル達の持つ双眼鏡も、通常より胴の長いものとなっているのはアウトレンジ仕様か?

この時、ソビエト軍の重戦車スターリン2と初対戦。
スターリン2は、かつては、2月のコルスン・チェルカッシー戦が初陣とされてきたが
ここより北のタルノポル、4月6日の第503重戦車大隊とが初対戦。
135名無し三等兵:2006/09/21(木) 23:03:29 ID:???
ティーガーでも500mまで接近してやっとスターリン戦車を撃破。
136名無し三等兵:2006/09/21(木) 23:18:47 ID:???
IS-2ったら122mmを装備したモンスターじゃないか 
137名無し三等兵:2006/09/22(金) 04:41:28 ID:???
戦車戦でアウトレンジってのはあんま起こらないの?
むしろやらずぶったくりを目指してアウトレンジで撃ってると思った。
138名無し三等兵:2006/09/22(金) 07:08:13 ID:6fGcHAYa
まず
ドイツ軍でアウトレンジ出来る砲ってパンターの7.5センチ砲や
8.8センチ砲じゃない?
えっ、
デッカーマックスの10.5センチ砲や
シュトゥラーエミールの12.8センチカノン砲があるって?
139名無し三等兵:2006/09/22(金) 07:17:18 ID:???
>>138
照準器の完成度の優位で、4号の75mmや3号の50mmでもアウトレンジできる。
140名無し三等兵:2006/09/22(金) 12:29:30 ID:???
照準器の完成度の優位で〜

これ聞いたことあるわ どういう風な照準器だったのか知らんけど・・・
141名無し三等兵:2006/09/23(土) 20:26:23 ID:d7spERe/
ソビエト軍は北から南下してルーマニアの油田プロエスチを目指した。
バグダノフの第2戦車軍
戦車は400両、プルート河、モルダウ河の間を幅10キロに広がって進撃してくる。

フォン・マントイフェル中将の装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントの正面だった。
右(東)の戦線は、同じ第57装甲軍団の第24装甲師団。
距離3000メートルで射撃を開始する。
ソビエト軍のT34/76は反撃することも出来ず、撃破される。

その中に、1個連隊のスターリン戦車がいた。その数は20両ほどである。

ゴミーレ少佐率いる第3(ティーガー)大隊の稼動数は20両。
スターリン戦車と2000メートルから1800メートルで撃ち合う。
が、車体正面120ミリ砲塔正面160ミリのソビエト軍重戦車には効果が無い。
戦車連隊長ラングカイト大佐の命令で
ベルンハルト・クレムツ大尉がティーガーで側面に回り込み、3両のスターリン戦車を撃破した。
142名無し三等兵:2006/09/24(日) 15:52:18 ID:TbL4qp9e
閣下のGD・アフリカのダブルカフタイトルには萌えますえわ。
143名無し三等兵:2006/09/24(日) 20:09:42 ID:lFElShbF
>>142
グロスドイチュラント、アフリカカフだけでなく、柏葉剣付騎士鉄十字章、
歴史上に幾度も登場する華麗なる家系、爵位あり。

身長が158cmであることを除けば、非の打ち所がない…
あこがれるわ

結婚してください。
144名無し三等兵:2006/09/24(日) 21:28:33 ID:/d+18Z/q
身長が185pくらいあれば最強だったのにな
フリードリヒの巨人軍団に入れるし
145名無し三等兵:2006/09/24(日) 22:43:21 ID:???
>>140
ドイツのツアイス社製照準器は表面のコーティングのおかげで雪面でも乱反射しなかった。
ソ連製の照準器はレンズの品質も悪く1000m以上の距離では使い物にならなかった。
146名無し三等兵:2006/09/24(日) 22:54:37 ID:???
イケイケの性格は非にはならんのか。
147名無し三等兵:2006/09/25(月) 02:52:15 ID:eWhfW7wa
>>145
乗ってた戦車が損傷して乗員脱出を余儀なくされても、
可能であれば取り外して持ち出すことになってたんだっけ?照準器。
148名無し三等兵:2006/09/25(月) 12:35:47 ID:gRBOmVqY
149名無し三等兵:2006/09/25(月) 13:41:49 ID:???
REVIってノルデン照準器みたいな機密機械だったのかね?
150名無し三等兵:2006/09/25(月) 20:19:16 ID:???
>>147
俺が聞いた話では、戦車を放棄する時には破壊するように命令されていたって話だが
151147:2006/09/25(月) 22:53:05 ID:EurKm4+d
>>150
どちらにしてもかなりの貴重品だったことに変わりはないよね。
簡単に放棄してもいけないし、敵に捕獲されてもいけない。
152名無し三等兵:2006/09/25(月) 23:08:01 ID:???
もちろんそうよ。
153名無し三等兵:2006/09/26(火) 08:25:55 ID:???
>>150
また知ったかか
154名無し三等兵:2006/09/26(火) 10:49:54 ID:???
晴時々ルーデル
155名無し三等兵:2006/09/26(火) 22:04:45 ID:T2uIDVU8
>>144
 ポツダム・ギガンテンって、ピョートル大帝からの贈り物のロシア人が
多いんじゃねー。
156名無し三等兵:2006/09/27(水) 19:17:05 ID:FGoU1xeS
(1944年)4月26日から29日までに
撃破した敵戦車の数は150両(第57装甲軍団全体の戦果)

5月2日、グラーフ・ロットキルヒ・ウント・トラッハ少佐の第26戦車連隊第1(パンター)大隊に
新たにゲルハルト・フィッシャー大尉の第23戦車連隊第2大隊を加えて
フォン・マントイフェルの装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントは反撃に出た。
パンター2個大隊にティーガ1個大隊、4号戦車1個大隊、突撃砲1個旅団。

装甲ハーフトラックSdkfz251に乗って、フォン・マントイフェル中将も戦場を駆け回る。
カール・ローレンツ大佐の装甲擲弾兵連隊は、第1大隊が装甲ハーフトラック。
その他の大隊は、フォン・ヴィタースハイム少佐の4号戦車に乗って後に続く。

この時の映像が>>148氏のアップしたもの。500番台から800番台までの番号が振られているのは
第23戦車連隊第2大隊のパンター。

5月8日、ドイツ国防軍は
「敵の損失は戦車386両、火砲92門、航空機100機。
フォン・マントイフェル中将の装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントの働きが特筆に価する。
GD戦車連隊は56両を撃破、戦車連隊長ラングカイト大佐は
ケーニッヒ・ミハエル・デル・タップファー章(ミハエル国王敢闘章)を授与された」
と発表した。

バグダノフ中将率いるソビエト第2戦車軍(6個しかないソビエト戦車軍の一つ)は
残存戦車20両となって、戦線を離脱した。
指揮下の
第3戦車軍団は、イギリス製バレンタイン戦車を持っていたという記録もあるが、当然失われた。
第16戦車軍団は、ヤッシーに布陣していた第24装甲師団によって壊滅的な打撃を受けている。

157148:2006/09/27(水) 20:14:03 ID:???
158名無し三等兵:2006/09/28(木) 19:39:13 ID:FExiTQJC
タルグル・フルーモス戦の開始時
カール・ローレンツ大佐の装甲擲弾兵連隊の第1大隊、
大隊長はオットー・エルンスト・レ−マー少佐であった。
(1944年)5月1日付けで総統護衛大隊長に異動。

そして運命の7月20日、
彼は、上官からベルリン官庁街の占拠を命じられる。
そこで会った宣伝相ゲッベルス。差し出した電話の相手は・・・

「レ−マー少佐、聞こえるか?私の声がわかるか?」
159名無し三等兵:2006/09/29(金) 20:40:25 ID:y6Dc8Wdk
セメン・イリッチ・バグダノフ(ボグダノフ)中将

1894年8月29日生まれの49歳
一兵士から身を起こし
帝政ロシアではセメノフスキ近衛連隊に配属された
背の高い、ハンサムな将校。

1930年代の粛正の嵐を生き残る。
独ソ開戦時、第30戦車師団長
グデーリアン上級大将の第2装甲集団と戦う。
1942年5月、第12戦車軍団長
11月第6機械化軍団長
スターリングラード西で第57装甲軍団と戦う。
1943年3月、第9戦車軍団長
8月、第2戦車軍司令官
タルグル・フルーモスの戦いではフォン・マントイフェルに
完膚なきまでにたたかれるが

寛容な独裁者、スターリンの下で、1945年1月、第2戦車軍を率いる。
フォン・マントイフェル大将と、ふたたび戦うことになるとは・・・

そう、1945年4月、ベルリン前面で。
160名無し三等兵:2006/09/30(土) 12:53:42 ID:???
スターリンがそういう寛容さを見せるのは珍しくないか?
161名無し三等兵:2006/09/30(土) 15:22:18 ID:???
負けたら即更迭はむしろ伍長の得意技じゃねえか?
まあスターリンはバルバロッサの緒戦の負けで司令官射殺とかしてるけど。
162名無し三等兵:2006/10/01(日) 12:04:09 ID:h/N9Ua5r
スターリンは
1937年からの粛正で、堪能するほど首切りしたからねえ。
3月にも、第4戦車軍司令官の首すげ替えたばかりだし。
ところで、昨日夜見たNHKBS1「アフガン侵攻はなぜ起こったか」
アフガン担当KGB局員の名前が
(レオーニード・)ボグダーノフなのには笑った。

え、何か関係あるかって?それは専門家に・・・
163名無し三等兵:2006/10/02(月) 19:44:51 ID:ZnjubgQ7
タルグルフルーモス戦は、反撃まで行ったが
戦線はあまり前進しなかった。
装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントを含む第57装甲軍団は
第4ルーマニア軍戦区にあった。
ルーマニア軍将兵に追撃など、
もはや無理だったからである。

グロスドイッチュラントは5月7日から休養で、戦車の新規受け入れやら
再編成やらを行った。

しかし、6月22日、今度は白ロシア(ウクライナの北)でドイツ軍が崩壊、
フォン・マントイフェル中将のグロスドイッチュラントは、
中央軍集団の穴を埋めるため、北へ鉄道輸送されることになった。

最初に到着したのが、フランスにいたGD戦車連隊第1(パンター)大隊。
第500SS降下猟兵大隊を、タンクデサント(乗車歩兵)にして
戦うことになる。
164名無し三等兵:2006/10/03(火) 20:16:03 ID:2V0E+3lJ
フォン・マントイフェルの
GD・アフリカのダブルカフタイトル
アフリカの方は3種類あって
1941年7月18日
1943年1月15日
1943年11月
で、マントイフェルのは3番目の1943年11月の
アフリカ戦線消滅から6ヶ月後の物
で、いい?

165名無し三等兵:2006/10/04(水) 21:02:23 ID:LbTVFo2I
独ソ開戦3周年の1944年6月22日、
ソビエト軍は、白ロシア(ベラルーシ)を奪回するため
ドイツ中央軍集団を攻撃し、西へと向かった。
白ロシアの首都ミンスクは7月3日に陥落。
その西60キロのヴィルナは7月7日に囲まれた。

ヴァルター・モーデル元帥が、中央軍集団司令官となって
ドイツ軍は必死に防戦する。

南からの攻撃は、急遽投入されたマウス少将の第7装甲師団が防いだ。
ヴィルナには降下猟兵工兵連隊第1大隊。
そして、第16降下猟兵連隊がパラシュート降下によって投入された。

しかし、降下猟兵が降りたのはロトミストロフの第5親衛戦車軍の真上だった・・・
166名無し三等兵:2006/10/05(木) 21:57:52 ID:v/GRzWDv
1944年7月、ヴィルナ(リトアニア)をめぐる戦いは続く。
メッツ士官候補生学校から呼ばれたのは
テオドール・トルスドルフ中佐。
1個連隊程度の戦闘団で、西からヴィルナの救援に向かう。
しかし、すぐに戦闘力を失う。
その時、第3装甲軍司令官、ゲオルグ・ハンス・ラインハルト上級大将は
「待て。2個師団を送る」
やってきたのは第6装甲師団と
ペッセル少佐率いる
グロスドイッチュラント戦車連隊第1大隊だけだった。
ジークフリート・ミリウスSS大尉の
第500SS降下猟兵大隊の降下猟兵を乗せて・・
SS降下猟兵は精鋭部隊ではなかった。
5月、チトー捕獲作戦に失敗して
文字どおりの懲罰部隊となっていたのである。

激しい戦闘を行い、ヴィルナの友軍を救出。
西のカウナスに引いた。

8月、フォン・マントイフェル中将の
装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントが
この地区にやってくる。
167名無し三等兵:2006/10/06(金) 06:15:29 ID:???
>テオドール・トルスドルフ中佐
バンドオブブラザーズの最終話で演説してた人やね
168名無し三等兵:2006/10/06(金) 12:13:58 ID:???
最後の階級はわからんけど将軍じゃなかったかその人。
1年ほどで二つ以上も階級上がったのかよ!
169名無し三等兵:2006/10/06(金) 12:27:41 ID:+Vixwn8q
最後は中将で軍団長だよ。
出世指向の軍人の鑑だのう。
170名無し三等兵:2006/10/06(金) 13:15:06 ID:???
ハッソさんは最後装甲兵大将だったっけ?
なんかいつまでたっても大将のままの様な。
もっと出世してもよさそうなもんだが。
171名無し三等兵:2006/10/06(金) 14:59:35 ID:???
ハッソさん自身が、常に最前線の指揮官でいたかったのではないか。
大将までなればその上は、本人に出世欲があるかどうかで決まるんじゃないか
172名無し三等兵:2006/10/06(金) 16:17:31 ID:???
>>168
ドイツ兵から狂人トルスドルフとまで呼ばれた猛将
101空挺師団とはバストーニュで対決しているね
173名無し三等兵:2006/10/07(土) 19:46:19 ID:???
テオドール・トルスドルフ
弱冠34歳の東プロイセン出身の農家のヒトなんだが
意外に人気ありますなあ
ヴィルナ救出作戦の功績で
大佐に昇進
剣付き柏葉騎士十字章受章

多くの敵を倒すのも出世の王道なんだが
困っている味方を救出するのも、また別の道・・
174名無し三等兵:2006/10/08(日) 19:01:16 ID:???
装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントが
列車から降りたのはグンビネン。
東プロイセン国境近くの町である。

すぐに装甲軽擲弾兵連隊とティーガー大隊が東に向かう。
国境を越え、8月3日に占領されたヴィルコヴィシュケンの町を
攻撃する。
8月6日、ここでもスターリン2戦車が現れる。
ソビエト軍の白ロシア奪回作戦(バグラチオン作戦)に使用された
スターリン2重戦車連隊はたったの4個。
そのうちの1個は、7月22日に北方軍集団戦区のデュナブルグで
オットーカリウスが撃滅したはずだったのだが・・・

単なる偶然か、不期遭遇戦か?
ソビエト軍の重点形成が見事だったということ。
第11中隊第1小隊のティーガー4両全てが瞬く間にやられる。
その後、第11親衛軍所属の第2親衛戦車軍団と戦車戦になるが
これには勝つ。
戦果は、戦車もしくは自走襲撃砲69両、火砲61門だった。

そして「ドッペルコップフ」作戦が始まる。
175名無し三等兵:2006/10/08(日) 22:55:31 ID:???
ティーガーとスターリン戦車の戦い・・・・・想像を絶するものだ
176名無し三等兵:2006/10/09(月) 22:18:43 ID:K9Ty3Zgu
ティーガー1とスターリン2の戦いともなれば
もはや軽騎兵の奇襲攻撃なんてものじゃなく
槍を持った重装騎兵、ランツェン・ライター(Lanzenreiter)
の死闘というところ。
ティーガの39型徹鋼弾が10.2キロなのに、スターリンのBRー471徹鋼弾が25キロもあるのは
88ミリと122ミリの口径比の3乗が約2.6倍だから。

ドイツ軍の反撃作戦「ドッペルコップフ(鹿の枝角)」
もうひとり騎兵が登場する。
ヒヤシンス・グラフ・シュトラハヴィッツ少将。
177名無し三等兵:2006/10/10(火) 21:04:28 ID:pkikliaw
ドイツ軍の反撃作戦「ドッペルコップフ」
主力はフォン・ザウケン大将の第39装甲軍団と第40装甲軍団(クノーーベルスドルフ)

装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントは、マウス中将の第7装甲師団、第14装甲師団
とともに第40装甲軍団に所属する。

任務は、分断されたラトビアの北方軍集団と連絡を取ること

中央軍集団司令官モーデル元帥は、解任されたクルーゲ元帥の後任となるため
ノルマンディ戦線に異動。

苦手な上官がいなくなる。
フォン・マントイフェルにとって、ラッキーだったかも
178名無し三等兵:2006/10/11(水) 21:52:15 ID:???
1944年8月19日
ヒヤシンス・グラフ・シュトラハヴィッツ少将率いる
装甲師団シュトラハヴィッツ(SS装甲旅団グロスと第101装甲旅団等からなる)が
重巡洋艦プリンツ・オイゲンの艦砲射撃の下
リガ西のトゥクム(ツクムス)を攻撃。
ソビエト軍は西から来ると思っていたが、南から占領。
かつてのフォン・マントイフェルを思わせる奇襲攻撃だった。

フォン・マントイフェルは、第40装甲軍団の一員として
第14装甲師団と共に南のシャウレンを攻撃。
ソビエト第5親衛戦車軍と戦う。
179名無し三等兵:2006/10/11(水) 22:37:03 ID:???
ヒヤシンス?


って名前なのか?
変なの。
180名無し三等兵:2006/10/12(木) 12:26:54 ID:6Ku6mlyc
ヒヤシンスを何語でもいいから辞書で引いてご覧
まずは人名だよ。

シュトラハヴィッツ家の跡取りは代々ヒヤシンスなんだね
これが。
181名無し三等兵:2006/10/13(金) 22:01:11 ID:M67qdZ9y
シャウレン攻撃時の第40装甲軍団の戦車保有数(8月16日)

装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラント
パンター41両、4号戦車7両、ティーガー29両、突撃砲20両

第14装甲師団
4号戦車11両、突撃砲11両

第7装甲師団
パンター24両、突撃砲5両

計148両は1個装甲師団の定数にも満たない、大丈夫か?
フォン・マントイフェル。いや、フォン・クノーベルスドルフ。
182名無し三等兵:2006/10/14(土) 20:14:16 ID:???
第40装甲軍団戦区では戦線は南北に伸びている。
フォン・マントイフェル中将の装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントが
攻撃を開始し、東に進むと、第1バルト方面軍司令官バグラミヤン将軍は
すぐに予備の第1戦車軍団を出してきた。
ソビエト軍戦車軍団の戦車定数は198両。
このあたり、
ソビエト軍の方面軍、軍レベルの上級司令部、参謀部が
機敏に対応できるようになって手強くなってしまった。

それでも、シャウレンから5キロのところまで迫った。

19日には、第510重戦車大隊が第7装甲師団のサポートに入る。
20日には、第14装甲師団のパンター大隊が60両の新品を持って
参加してくる。
この頃になるとドイツのパンター戦車も月産300台を越えて
面白いように増援がやってくる。
しかし、

19日から20日にかけて
トゥクムをグラフ・シュトラハヴィッツ少将が奇襲攻撃で奪取したことにより
グロスドイッチュラントは第39装甲軍団にまわされ、
より北で戦闘することになった。
グラフ・シュトラハヴィッツの側面サポートである。

中止とはいえ、シャウレン奪取は失敗ということに・・・
183名無し三等兵:2006/10/15(日) 21:34:45 ID:???
第39装甲軍団長
ディートリッヒ・フォン・ザウケン大将
1892年5月16日生まれ
チュートン騎士団にも所属した東プロイセンの旧家出身

第1次世界大戦は第3擲弾兵連隊の歩兵将校
ヴェルダンの激戦でも生き残る。

大戦後は騎兵将校に転科する。
独ソ戦以降、第4装甲師団の狙撃兵旅団長、師団長を長らく務める。

フォン・マントイフェルが第7装甲師団の人なら
フォン・ザウケンは第4装甲師団の人であった。
184名無し三等兵:2006/10/16(月) 21:56:30 ID:???
1942年はデミヤンスクの第2軍団
1943年はスタリングラードの第6軍
1944年はバルト3国の北方軍集団
年々、包囲されるドイツ軍の規模がどんどん大きくなるが

8月21日、トゥクムから東に進撃した装甲師団グラフ・シュトラハヴィッツと
リガから西に出撃した第81歩兵師団によって
中央軍集団と北方軍集団が連結
一旦は戦線が回復した。

第39装甲軍団の第4、第5、第12装甲師団と
装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントもその南で攻撃に出る。
だが、ここでは、ソビエト軍第19戦車軍団が行く手を阻んで、進撃は頓挫。

9月1日、フォン・マントイフェル中将は新たな司令官職に任ぜられる。
第5装甲軍司令官。
師団長から、軍団長をスキップして、一足飛びの軍司令官任命だった。
185名無し三等兵:2006/10/16(月) 22:08:26 ID:???
第5装甲軍司令官になったけど
まだ大将じゃないのか。
186名無し三等兵:2006/10/16(月) 22:29:49 ID:???
まあ、落ち着け
第5装甲軍司令官と装甲兵大将は同時。

でも第5装甲司令官がまず先でそれに伴う昇進(の筈)。

読んでる人いるんだな。

187名無し三等兵:2006/10/17(火) 20:38:01 ID:???
9月1日、
装甲擲弾兵師団グロスドイッチュラントに別れを告げる。
師団で一番背が低いフォン・マントイフェルは・・・
いや、実は一人だけマントイフェルより低い兵士がいたそうである。

第5装甲軍に赴任したのは9月11日、
西部戦線、
アルザス・ロレーヌ地区そしてザール地区で、アメリカ軍と戦闘中であった。
相手は第3軍司令官ジョージ・S・パットン。
188名無し三等兵:2006/10/17(火) 21:38:58 ID:???
>>186
楽しみにしてる香具師がここにいる。
無理しないでガンガレ
189名無し三等兵:2006/10/17(火) 22:41:15 ID:???
はっそうさんより背が低いなんて
将校なら知らんが兵隊として役に立つのか?
通信科とかかな。
190名無し三等兵:2006/10/18(水) 18:35:55 ID:4aswbd4q
装甲擲弾兵だから(移動は車両)、問題なのは
腕力とかそんなとこでしょう。
しかし、グロスドイッチュラントは選抜された歩兵が多いのに
どういう理由で選抜されたのかチョット謎。
191名無し三等兵:2006/10/18(水) 21:11:52 ID:???
192名無し三等兵:2006/10/19(木) 19:06:46 ID:???
伍長は背が低いのがコンプレックスだったと言うが
(そこまで気にするほど低いとも思えんが)
ハッソーさんを身辺にはべらせて劣等感を埋め合わせたりは
しなかったのだろうか。
193名無し三等兵:2006/10/20(金) 20:02:56 ID:???
第5装甲軍司令官ハッソー・フォン・マントイフェル大将、1897年1月14日生まれ

第47装甲軍団長ハインリッヒ・フライへア・フォン・リュトヴィッツ大将、1896年12月6日生まれ
第58装甲軍団長ヴァルター・クリューガー大将、1892年3月23日生まれ

部下が二人とも年上というのは何とも・・・

第47装甲軍団長でも良かったんじゃないのかフォン・マントイフェル?
(ノルマンディのとき)元第7装甲師団長ハンス・フライヘア・フォン・フンク大将fが軍団長だったわけだし。
194名無し三等兵:2006/10/21(土) 20:58:45 ID:???
1944年9月4日、パットン第3軍がモーゼル川を越えての進撃を開始する。
対するはドイツ第1軍。激戦が繰り広げられる。

9月15日、メッツ南のナンシーが、アメリカ第12軍団の攻撃によって陥落。
さらに東へと進撃してくる。
ドイツ軍にとっての危機的状況が拡大していく。
パットン中将は、機甲戦の何たるかを良く理解している強敵だった。

9月18日、フォン・マントイフェル大将の第5装甲軍に反撃命令が下る。

第47装甲軍団
第21装甲師団
第112装甲旅団
第58装甲軍団
第15装甲擲弾兵師団
第111装甲旅団
第113装甲旅団
195:2006/10/22(日) 00:05:29 ID:???
なんでまだあるの
196名無し三等兵:2006/10/22(日) 00:28:50 ID:???
1000になるまで埋めてるんだよ
197名無し三等兵:2006/10/23(月) 22:35:35 ID:???
1944年9月18日、
進撃してくるアメリカ軍第4機甲師団に
第15装甲擲弾兵師団と第111装甲旅団が
南から攻撃を加える。
リュネヴィルの町を奪回。

19日、
鉄道移動してきたばかりの第113装甲旅団が
東から攻撃を加える。
第130戦車連隊第1大隊の
パンター戦車対第4機甲師団A戦闘団のシャーマン戦車はパンターの圧勝だった。
しかし
アメリカ軍戦闘爆撃機によりパンター戦車大隊は壊滅、
攻撃は頓挫する。

G軍集団司令官ブラスゴヴィッツ上級大将は攻撃続行を命じる。
敵の圧倒的な制空権下の無謀な攻撃。
マントイフェルは反対するのだが・・・

198名無し三等兵:2006/10/23(月) 22:36:44 ID:???
21日には、G軍集団司令官はヘルマン・バルク大将が指揮することになる。
バルク大将も攻撃を命じてきた。

>>157に、第5装甲軍司令官フォン・マントイフェル大将と打ち合わせる
柏葉騎士十字章を付けた
第111装甲旅団長ハインリッヒ・ブロンザート・フォン・シェレンドルフ少将
が出てくる。
マントイフェルは、旅団の指揮下にある第16戦車連隊第1(パンター)大隊の
将校二人とも打ち合わせる。

増援の第11装甲師団が、南からやってきて自走砲(フンメル)が支援する。
9月22日、朝もやの中
第111装甲旅団は前進するが、既にアメリカ軍が待ち受けていた。
まずは、アメリカ軍砲兵の猛砲撃を受け足止めを食らう。
空が晴れ渡ると
アメリカ軍戦闘爆撃機の攻撃。

旅団には3.7センチ砲搭載の対空戦車「メーベルヴァーゲン」
2センチ砲搭載対空戦車「ヴィルヴェルヴィント」もあったが
アメリカ空軍の前には無力だった。
50両の戦車が失われ、
第111装甲旅団長ブロンザート・フォン・シェレンドルフ少将も、戦死する。
199名無し三等兵:2006/10/23(月) 22:37:18 ID:???
空から攻撃されたらさしものパンターも手も足もでないわな
200TFR ◆ItgMVQehA6 :2006/10/24(火) 12:56:27 ID:???
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     ミ ':,   ;.,,;.,.         ;.,..,;.,.  ',
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 ミ  `"ミ  ミoOOo ミ       ミoOOoミ ミ
 ミ  ,.,.,...':,_ ミ ○ ;ミ   ';   ;ミ ○ ;ミ_:''´
       ヾ ミ,.,;.,.;,., 丶,.,,,:"丶,,,,:" ミ,.,;.;,.丶
201名無し三等兵:2006/10/24(火) 19:15:53 ID:???
某ゲームのヴィルベルヴィントは異様に強いんだけどなあ。
やっぱこんなもんか。
202名無し三等兵:2006/10/24(火) 21:42:29 ID:???
第111装甲旅団には
「メーベルヴァーゲン」が4両
「ヴィルヴェルヴィント」が4両
あったんだけどね。 残念。
203名無し三等兵:2006/10/25(水) 20:44:12 ID:???
ヒットラー直々の命令によるドイツ軍の攻撃は続く。
9月24日
北から、アメリカ軍に対し、
第1軍の第559国民擲弾兵師団と
第106装甲旅団が攻撃をかける。
最初の攻撃は成功する。
が、
アメリカ空軍第9航空軍第405戦闘群の
P−47サンダーボルト戦闘戦闘爆撃機の
ロケット砲攻撃を受ける。
攻撃は中止。

9月25日、
ヒットラーの命令で、マントイフェルの第5装甲軍も攻撃に出る。
第11装甲師団には、既にパンター十数両しかなかったが
第58装甲軍団の戦車50両を、集中しての奇襲攻撃。
成功する。
9月27日以降、クリューガー大将の第58装甲軍団は、有利に戦闘を進め、
アメリカ第4機甲師団を西へと後退させる。

しかし、9月29日アメリカ軍戦闘爆撃機がやってきて・・・

そう、9月25日以来、雨が降っていたのである。
雨が止んだとき、マントイフェルの攻勢は潰えた。
204名無し三等兵:2006/10/26(木) 20:31:18 ID:???
G軍集団司令官ヘルマン・バルク大将、1893年12月7日生まれ
第5装甲軍司令官ハッソー・フォン・マントイフェル大将、1897年1月14日生まれ
第58装甲軍団長ヴァルター・クリューガー大将、1892年3月23日生まれ

クリューガーおじさんは、上官が2人とも年下という、ちょっと複雑な上下関係。
1943年11月の東部戦線で第1装甲師団長だったとき、
既にバルクは第48装甲軍団長で上官だったとはいえ.

クリューガー自身も決して昇進が遅いわけでもないのに・・・・

10月、
フォン・マントイフェルの第5装甲軍司令部
クリューガーの第58装甲軍団司令部
リュトヴィッツの第47装甲軍団司令部は
G軍集団から転出し、次なる大作戦の準備にかかる。
205名無し三等兵:2006/10/27(金) 00:30:13 ID:N/8p6gJC
常識なのかもしれないけど、今日たまたまドイツ語辞典を眺めていたら、
Teufelって、悪魔の意味なんだな。
Manteuffelのteuffelと関連あるの?
206名無し三等兵:2006/10/27(金) 01:54:08 ID:???
ジンギスカンの歌にはTeufelという単語が頻出するぞ。

・ジンギスカン
・めざせモスクワ
・ハッチ大作戦
・哀愁のピストレーロ
・アルプスのドゥーデルモーザー
・Corrida(日本未発表曲)

はっきり確認できてるのでこんだけの曲で使われてる。
つかそんなしょっちゅう使う単語なのかこれ
207名無し三等兵:2006/10/27(金) 18:20:18 ID:???
フォン・マントイフェルのことを
「PanzerTeufel」(戦車の怪物)
という渾名付けてる人もいるようだけどね。
メジャーかマイナーかは分からん。
208名無し三等兵:2006/10/28(土) 20:03:56 ID:???
このころのニュース映像で
パンターのコマンダーズキューポラに傘さして乗っている人がいるが
アメリカ軍戦闘爆撃機のため、日中は雨が降っていないと
移動不可能ということをあらわしているのか??

そして第113装甲旅団と共に戦闘を行い、損害を受けた
第130戦車連隊第1大隊(本来は装甲教導師団所属)

9月12日に既にアメリカ軍戦闘爆撃機の洗礼を受けた
第112装甲旅団の指揮下にあった
第29戦車連隊第1大隊(本来は第12装甲師団所属)

赤外線暗視装置付きパンターの交付を受けることになる。

ということは
第111装甲旅団の指揮下にあった
第16戦車連隊第1大隊は
原隊の第116装甲師団に戻ったとき
赤外線暗視装置付きパンターの交付を受けて
アルデンヌ作戦に参加しても
おかしく無いのだが・・・
209名無し三等兵:2006/10/29(日) 23:24:10 ID:???
第5装甲軍指揮下の第47装甲軍団。
本来は第2装甲師団と装甲教導師団で
編成される。
ノルマンディで人員装備のほとんどを失った
装甲教導師団は9月、10月の再編成後
11月に南の第19軍に派遣されて戦う。

この2個師団の特徴の一つは、
ノルマンディー戦時、装甲偵察大隊の重装甲偵察車中隊が
25両の
5センチ戦車砲搭載、重八輪装甲偵察車「プーマ」を装備していたこと。
他の師団には、プーマ25両装備の重装甲偵察車中隊はない。
もちろんノルマンディ戦時にかなり失われ
本部中隊に編成がえとなり、
第2装甲師団で装備するプーマは3両だけだった。


第5装甲軍は、B軍集団の指揮下に入る。
B軍集団司令官は、あのヴァルター・モーデル元帥だった。

マントイフェルはB軍集団司令部を訪れて言った。
「元帥閣下、私の忠誠心を信じなさい」

過去のことは忘れて?
モーデルは、フォン・マントイフェルと握手した。
210名無し三等兵:2006/10/30(月) 00:31:23 ID:???
あの車レアだったんだなぁ。知らなんだ。
211名無し三等兵:2006/10/31(火) 18:19:21 ID:???
ドイツ軍では、1両製造とか2両製造とか
レア物車両の配備が多いから、
101両も製造されたプーマなんて、レッキとした量産型と呼んでもいいかもしれないけど

(ノルマンディ戦前に)25両ずつ配備された第2装甲師団、装甲教導師団は特別として
第7装甲師団(東部戦線で8月に一緒だった)や第111装甲旅団(ロートリンゲンで9月に一緒だった)にも
13両とか、3両とか配備されていたらしいから

「プーマはよく見かけた」
と思っていたかものフォン・マントイフェルも
事実を知ったら
「あの車レアだったんだなぁ。知らなんだ」
とか言うかも。


212名無し三等兵:2006/11/01(水) 21:13:01 ID:???
第5装甲軍指揮下の第58装甲軍団。
第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団で
編成される。

第116装甲師団は、それまで北のアーヘンで戦っていて
そのときの
パンター大隊は(本来第24装甲師団の)第24戦車連隊第1大隊だった。

第560国民擲弾兵師団は、数あわせの部隊のようで
師団長は入院中、師団も移動中で半分しか集まっていなかったとか・・

だ、大丈夫か?フォン・マントイフェル?
213名無し三等兵:2006/11/01(水) 22:49:58 ID:???
 ついに猟犬師団さんの登場でつか
214名無し三等兵:2006/11/02(木) 20:37:11 ID:???
第116装甲師団といえば
元は第16歩兵師団。
1940年のフランス戦後、第16装甲師団が出来るときに
第64、第79歩兵連隊を渡して第64、第79狙撃兵連隊とした。

自身も2個(自動車化)歩兵連隊を持つ自動車化歩兵師団となり、
ロシア侵攻では、主に南方軍集団戦区で活躍、1942年から
師団マークが「疾走している犬」のマークになったことにより
猟犬師団と呼ばれる。

装甲師団になったのは、1944年。
戦車部隊(第116戦車大隊→第16戦車連隊第1大隊、と第1予備戦車大隊)は
姉妹師団である第16装甲師団の第2戦車連隊も含めて
第1装甲師団の戦車部隊関連からの人員であった。

第16戦車連隊長ヨハネス・バイエル大佐
第1大隊長ゲルハルト・テッベ少佐
第2大隊長リューダー少佐

彼らは高名な将校なのか?

だ、大丈夫か?フォン・マントイフェル?
215名無し三等兵:2006/11/02(木) 22:23:25 ID:???
 まぁアストラハンに行った頃の猟犬はんとは違うかもしれないけれど、おいらは
ラングを持っている(228駆逐戦車大隊)この師団が愛おしい。
216名無し三等兵:2006/11/03(金) 04:59:02 ID:???
落ちるのが恐いので、AGE
217名無し三等兵:2006/11/03(金) 18:48:37 ID:GoIliAJf
訂正
第16戦車連隊
第2大隊長はグラフ・アウグスト・フォン・ブリュール中佐でした。
218名無し三等兵:2006/11/04(土) 22:10:22 ID:rjl55eyw
第5装甲軍の第3の軍団は第66歩兵軍団。
第18国民擲弾兵師団と第62国民擲弾兵師団
からなる。

第62国民擲弾兵師団が新たに来たことにより
第26国民擲弾兵師団全部が第47装甲軍団の指揮下に置かれる。

これにより
フォン・マントイフェルの第5装甲軍は、北から

第66歩兵軍団(ヴァルター・ルフト砲兵大将)
第18国民擲弾兵師団
第62国民擲弾兵師団

第58装甲軍団(ヴァルター・クリューガー装甲兵大将)
第560国民擲弾兵師団
第116装甲師団

第47装甲軍団(ハインリッヒ・フライヘア・フォン・リュトヴッツ装甲兵大将)
第2装甲師団
装甲教導師団
第26国民擲弾兵師団

の3個装甲師団、4個歩兵(擲弾兵)師団からなることになる。
なにか、大攻勢の攻撃軍としては少ない気もするが
ゼップ・ディートリッヒSS上級大将の第6装甲軍の方は、強力な筈。
予備はタップリ、B軍集団司令官モーデル元帥の手元に・・・

219一水戦:2006/11/05(日) 12:42:52 ID:???
 板違いスマソ。
 バルジゲームのウェーブオブテラーをやってみるとよくわかるけど、ほんとに
兵力足りないのよ。史実どおり2ndPDを突っ走らせてみても、後方啓開すべき
擲弾兵師団が少なく、最強の第3降下猟兵師団を北戦区から引き抜いてみても、
補給がつながらなくなってウルト川を渡るなんていうのは、夢のまた夢。
 マインラート・フォン・ライヒェルトはどんな魔法を使って、フォア・ノートルダム
迄行ったのやら・・・?
220名無し三等兵:2006/11/06(月) 02:37:36 ID:wFxq1+gg
>>214
スレ違いだが東京西南部にもそんな師団が移動につかうようなバスが走ってた。
いまじゃ観光バスだけだが。
221名無し三等兵:2006/11/06(月) 03:33:49 ID:ATCGtpqw
222名無し三等兵:2006/11/06(月) 03:35:20 ID:ATCGtpqw
222
223名無し三等兵:2006/11/07(火) 02:57:16 ID:3T1835yN
凄い良スレだわ ここ
マントイフェルの連載が終わったら次はラングカイトキボンヌ
224名無し三等兵:2006/11/08(水) 20:09:49 ID:QoHFUzPf
フォン・マントイフェルの第5装甲軍
装甲軍の名にもかかわらず、4個擲弾兵師団を持つが
第18、第26、第62国民擲弾兵師団には
それぞれ1個中隊14両の駆逐戦車ヘッツアーが編成の中にあった。
(第560にも配備されたとの資料もあるが疑問あり)
それに加えて、軍直轄の第741駆逐戦車大隊が配備。
定数は45両。

フォン・マントイフェルは、もしかすると8月に、東部戦線で
第9歩兵軍団に配備された第731駆逐戦車大隊のヘッツァーを見ていたかもしれないが
初めての運用になる筈。
カタログスペックでは時速42キロ出るこの車両も、実際にはそれほどスピードが出ず、
擲弾兵(歩兵)師団配備でしか使えない代物だった。

225名無し三等兵:2006/11/08(水) 20:35:35 ID:???
ヘッツァーでアントワープまで行けというのか伍長は。
226名無し三等兵:2006/11/08(水) 23:08:07 ID:???
ヘッツァーじゃあ側面狙わないと敵戦車撃破できないじゃないか
227名無し三等兵:2006/11/08(水) 23:35:58 ID:???
いや
相手がシャーマンだから
距離800メートルくらいで正面撃破出来る筈だよ。
228名無し三等兵:2006/11/09(木) 07:23:56 ID:???
防衛戦闘オンリーなら結構活躍できると思うが、進撃は不可能
229名無し三等兵:2006/11/10(金) 13:10:32 ID:???
っていうかヘッツァーの話題出したら某研が来ちゃうような気がする。
このスレにとっていい事なのか悪いことなのかは知らんがw
230名無し三等兵:2006/11/11(土) 12:37:51 ID:???
>防衛戦闘オンリーなら結構活躍できると思うが、進撃は不可能

攻撃する擲弾兵(歩兵)の支援には、第244突撃砲旅団が配備されているしね。

突撃砲旅団の装備定数は45両、
第244突撃砲旅団の保有数は14両だったらしいが・・。

思い起こせば4年前、アルデンヌの森を突破したとき、
ドイツ全軍で突撃砲保有数はA型(短砲身)30両のみ。

今回は、さらに第243突撃砲旅団、
ヤクトティーガー装備の第653重戦車駆逐大隊
も約束されているから、たぶん・・・
231名無し三等兵:2006/11/12(日) 01:30:18 ID:???
実はヘッツアーは攻撃に使われるとその視界の悪さから対戦車砲やバズーガにバカスカやられてしまっている。
姿勢が低いのは攻撃ではデメリット以外の何者ではない。

232名無し三等兵:2006/11/13(月) 18:46:34 ID:???
このころになると
米英連合軍の対戦車砲も口径
6ポンド=57ミリ
とかじゃなくて
3インチ=76ミリとか17ポンドとか
90ミリなんてものもあるからね。
バズーカ持ったアメリカ軍歩兵もいるから
味方の擲弾兵にしっかり側面守ってもらわなくては
233名無し三等兵:2006/11/14(火) 13:02:04 ID:???
今も昔も戦車は味方の援護がなけりゃすぐやられるわ
234名無し三等兵:2006/11/15(水) 19:57:34 ID:Q0QaHQwh
アルデンヌの森から北に100キロも行かないところに
ドイツの町アーヘンがある。
10月、アメリカ第1軍が攻略にかかり
対するドイツ軍は第81歩兵軍団(の第246国民擲弾兵師団)だった。

米軍のアーヘン攻撃とドイツ軍の奪還作戦、
アーヘンがアメリカ軍の手に落ちたのは10月21日、
この時の第81歩兵軍団の上級司令部は第7軍だった。

10月25日、フォン・マントイフェルの第5装甲軍司令部が南からやってきて
第81歩兵軍団と第12SS歩兵軍団の指揮を引き継ぐ。

舞台はアーヘンの南、ヒュルトゲンの森、
フォン・マントイフェルは、11月には戦区をフォン・ツァンゲンの第15軍に指揮を
引き継ぐが
アメリカ第28歩兵師団は手痛い損害を受け
南の第8軍団戦区に配置転換となる。

師団マークは「血のバケツ」
休養と再編成を行う為のアルデンヌ戦線。何も起こらない筈だった。




235名無し三等兵:2006/11/16(木) 20:35:44 ID:ZrSyuxOl
フォン・マントイフェルの第5装甲軍の北は
第6装甲軍の担当戦区で
司令官はヨーゼフ・ディートリッヒSS上級大将。
第5装甲軍司令部をフォン・マントイフェルに譲って
新設の第6装甲軍司令官となる。

但し、彼は下士官上がりのSS将官だったので
参謀長のフリッツ・クレーマーSS少将に
負担がかかることになる。
元第13装甲師団参謀長クレーマー。
陸軍から武装SSへの
転籍者は決して珍しくはない。
236名無し三等兵:2006/11/16(木) 20:41:55 ID:???
近眼で地図が見えないふりして
地図の上に乗っかって他の人の仕事の邪魔しつつ
地図が読めないのを誤魔化したという
あのゼップ親父の参謀ですか。
237名無し三等兵:2006/11/16(木) 21:01:13 ID:???
国防軍から武装SSに転籍することなんてできたの?
238名無し三等兵:2006/11/16(木) 21:47:45 ID:???
けっこうあったそうだぞ。
元陸軍の武装SS突撃砲エースとかもいる。
SSの方が出世が早かったそうだし、
軍はなんつっても家柄のことがあったりするし。
239名無し三等兵:2006/11/16(木) 23:01:49 ID:???
>>237
結構お誘いがあったらしい。
回想の第三帝国にそんな話がある。
240名無し三等兵:2006/11/16(木) 23:14:16 ID:???
陸軍予備役大尉カール・ハインツ・シュルツ・シュトリークの場合は、
第3SS装甲軍団で突撃砲の訓練教官をしていたんだが
突撃砲大隊「ノルトラント」大隊長レンシュSS少佐が戦死したんで
指揮をとった。
いわば、なしくずし、というか、気がついたら転籍していた不幸なケースかも
しれん。
241237:2006/11/16(木) 23:40:31 ID:???
なーる サンクス
242名無し三等兵:2006/11/17(金) 20:54:00 ID:???
ゼップ・ディートリッヒの第6装甲軍も
フォン・マントイフェルの第5装甲軍と同様
3個軍団からなるのだが、もちろん、こちらの方が豪華

第67歩兵軍団(ヒッツフェルト中将)
第272国民擲弾兵師団
第326国民擲弾兵師団

第1SS装甲軍団(プリースSS中将)
第277国民擲弾兵師団
第12国民擲弾兵師団
第3降下猟兵師団
第12SS装甲師団「ヒットラー・ユーゲント」
第1SS装甲師団「LSSAH」

第2SS装甲軍団(ビットリッヒSS大将)
第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」
第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」

北に配置された第67歩兵軍団は
第6装甲軍の右翼(北翼)を進むだけだが

第1SS装甲軍団は2個装甲師団と3個歩兵師団(相当)
からなる大型の軍団。
すなわち、最初に突撃砲に支援された歩兵が戦線に穴をうがち
その穴から絶えず新手の部隊を繰り出して・・・

いや、まさか?
モ、モーデル戦法?
243名無し三等兵:2006/11/18(土) 20:36:50 ID:???
ヴァルター・モーデル

1891年1月24日生まれ。
第1次世界大戦にも従軍し、フォン・ヒンデンブルクの参謀本部の参謀であった。
第2次世界大戦
ポーランド戦で第4歩兵軍団参謀長
1940年西方戦役で第16軍参謀長

ソビエト侵攻では
第3装甲師団長を経て
第41装甲軍団長のとき、
第7装甲師団第6狙撃兵連隊長フォン・マントイフェルと衝突する。

その後、第9軍司令官として
1943年のクルスク攻勢では北部からの攻勢主力軍を率いた。
第41装甲軍団、第46装甲軍団、第47装甲軍団、第23歩兵軍団の
9個歩兵師団と装甲1個師団がまず攻撃する。
5個装甲師団と1個装甲擲弾兵師団は予備となり、
戦機を見て投入される。
結果は・・・

これは成功体験、成功例なのか?
244名無し三等兵:2006/11/19(日) 01:02:27 ID:???
モーデルって軍のなかではヒトラー好きの方だったよな。
ロンメルみたいに伍長に贔屓されて成り上がったのとも
違うみたいだがなんでだろ。
245名無し三等兵:2006/11/19(日) 02:58:42 ID:???
>>243
>これは成功体験、成功例なのか?

「装甲部隊が初期突破で早期に消耗したりしたら、後の突進衝力が続かない」とか、
その場になったら虎の子の投入を躊躇っちゃうのは、モーデルだけの問題ではなく、
人間の性って気が。

モーデルはディートリヒに戦術を指定していたのだろうか?
246名無し三等兵:2006/11/19(日) 09:04:38 ID:???
戦後のインタビューにて

間接アプローチまんせー「ラインの守り作戦について。総統に意見したそうですが」
マ「最初はもっと現実的な目標になるように文句を言った(アーヘン周辺の敵軍を痛めつける目的)」
マ「だがヒステリーを起こすので諦めた。そこで戦術的な話題に切り替えた」

マ「攻撃開始時間を繰り上げるよう意見具申した(当初の計画では日没まで時間が不足するから)」
マ「繰り上げると夜になるが、サーチライトを雲に当てる計画で切り抜けた、大成功!」
あくまでも本人の申告なので話半分に…ロスケのあの人はサーチライト利用で大失敗。

マ「次に戦車は後出しにするように意見具申した(戦策の適用範囲は不明)」
どちらにせよ初日は道路渋滞が惨く、最初から戦車を積極利用しようと思っても難しい。

間接アプローチまんせー「最強の戦車は何処の何?」
マ「すたーりん戦車である、でかい砲・硬さ・低姿勢、羨ましいね」
師団長以上の身分ならばこの意見はアリだと思う。戦車兵の意見ならばまた別になるはず。

著者は巻末では結構キツイ事を書いてあった気がする。
シュ(省略)デル、ブル(省略)リット、以下ほとんどの将軍さん達→「銀行の頭取」
著者が感銘を受けたのは当スレの主人公や逸話を基にしたモーデル、あとはバルクなど一部。
その主人公にしても「どうもねぇ、スラブに対する露骨な偏見が…」とあった。
これはジトミール戦でロシア軍の補給線を切断しようと試みた所での会話についてらしい。

実家にあった本は処分済なので記憶で書き込んだ。
247名無し三等兵:2006/11/19(日) 09:56:06 ID:???
第1次世界大戦時、既に
モーデルは参謀本部の秀才タイプ
ロンメルはリーダーシップに秀でた天才タイプ
だよね。
でも双方とも代々の軍人の家系ではないということもあるかも知れん。
ヒットラーに好かれてた要因の一つは
248名無し三等兵:2006/11/19(日) 10:12:08 ID:???
>>247
自分が旗を揚げたときに、将兵の先頭を行く優れた人材を天が用意してくれた!
と拡大解釈しちゃったのかな
249名無し三等兵:2006/11/19(日) 11:53:06 ID:???
>>246
>だがヒステリーを起こすので諦めた。
ワロタ。
読んだことないがリデルさんの本か?
250名無し三等兵:2006/11/19(日) 14:07:12 ID:???
モーデルはどちらかと言えば守備で評価された人で攻撃に関してはあんまり芳しくない。
ロンメルは電撃戦の英雄で攻撃で評価された人。
251名無し三等兵:2006/11/19(日) 19:40:30 ID:???
 モーデルのクルスク戦は失敗でしょう。
 「装甲兵力を温存」といえば聞こえはいいが、第一波の歩兵部隊が苦戦
している間に、赤軍の予備部隊が駆けつけて守りを固めてしまった。
 そして、突破攻撃が挫折しては装甲師団の逐次投入を繰り返す結果に。
 南方軍集団のように一気に戦車を投入していれば、もう少し進撃できたかな?

 スレ違いで失礼。
252名無し三等兵:2006/11/20(月) 01:12:53 ID:???
SS第6装甲軍の方は国民擲弾兵師団の攻撃力に関して過大に評価しすぎ。
また、戦線に穴を開けるには米軍砲兵の防御砲火が強力過ぎた。

もちろん、戦果を拡大する上での装甲兵力の温存が頭にあったと思うが
地形的に運用に不利な点もあったかも。
253名無し三等兵:2006/11/21(火) 19:47:05 ID:???
兵を第1陣に使って突破、装甲部隊を予備にするか
装甲部隊を最初から戦線突破に使用するかという事例は
第2次世界大戦史上、結構存在して

1940年6月(5月ではない)の
クライスト装甲集団とグデーリアン装甲集団

1943年7月のクルスク
モーデル第9軍とホト第4装甲軍

1944年12月のアルデンヌ
ディートリッヒ第6装甲軍とマントイフェル第5装甲軍

そして
1945年4月のベルリン
ジューコフ第1白ロシア方面軍とコーネフ第1ウクライナ方面軍


前者が失敗、後者が成功ということで
奇麗に結果が出たと思ってたんだが・・・・
254名無し三等兵:2006/11/21(火) 19:48:42 ID:???
兵を第1陣

歩兵を第1陣
255名無し三等兵:2006/11/22(水) 03:53:27 ID:???
>>253
結局歩兵攻撃だと、尖兵の突破力が鈍いんだよね。
初動の突破力も速度も遅い。攻撃は急襲的でないと成功しない。
256名無し三等兵:2006/11/23(木) 00:09:32 ID:???
ベルリン戦のジューコフの場合、
第1親衛戦車軍の投入のタイミングも問題で、
歩兵中心の統合兵科軍がゼーロウ高地の突破を成しえない内に戦車軍が投入されて、
戦区の整理や交通管制に大混乱が生じたということも失敗の一因。
257名無し三等兵:2006/11/23(木) 20:58:36 ID:???
>>255
確かに、すばやく突破しないと突出した部隊が逆に包囲されるからなぁ
258名無し三等兵:2006/11/23(木) 22:45:16 ID:???
歩兵部隊中心だと突破に手間取っている間に予備兵力を投入されて終わり。
装甲部隊だと敵の防御の薄い部分を易々と突破できる。
バルジでのバルクマンの敵中突破の逸話もそんな話じゃなかったっけ?
259名無し三等兵:2006/11/24(金) 20:15:21 ID:???
アメリカ軍の歩兵師団は
かなりのトラックを有していたというし
独立戦車大隊、駆逐戦車大隊がついていると立派な機械化師団。

第9機甲師団も持つ
バストーニュの第8軍団司令部
を急襲するには
ドイツ装甲師団の突進が必須だった。
260名無し三等兵:2006/11/25(土) 19:45:59 ID:???
バストーニュに司令部を置いた
アメリカ軍第8軍団、指揮下に
第2歩兵師団
第106歩兵師団
第28歩兵師団
第4歩兵師団
第9機甲師団
の5個師団を持つから
実質、4個擲弾兵師団しか持たないブランデンベルガー大将のドイツ第7軍より強力。

ドイツ第7軍
かつてはドルマン上級大将の指揮下、
ノルマンディで米英軍を迎えうったのに・・・

ブランデンベルガー大将は、1941年から1943年7月まで第8装甲師団を率いていた。
(でも、砲兵出身)
攻撃軍らしいのは彼の前歴だけではないだろうか。

(アメリカ第2歩兵師団は
12月20日から第5軍団指揮下と書いてある資料があるので
一応それに準拠)
261名無し三等兵:2006/11/26(日) 19:39:12 ID:???
ブランデンベルガーの第7軍にも
装甲(快速)部隊用の進撃ルートが
一本用意されていたが
攻勢開始時、使用する必要が無かったので
(装甲部隊は配備されなかったので)
フォン・マントイフェル第5装甲軍の
装甲教導師団が代わりに使用することになった。

そこまでして予備を後置する必要があったのか?
ヴァルター・モーデル?
262名無し三等兵:2006/11/27(月) 07:11:10 ID:???
落ちそうなのであげとく。
263名無し三等兵:2006/11/27(月) 13:13:02 ID:???
ゲームの話でスマンが、過去のウォーゲームを見ていると、
やはりモーデルの予備後置の多さには疑問を呈さざるを得ない。

確かに第6SS装甲軍の正面の森林は深い。
どのくらい深いかというと、装甲部隊や機械化歩兵部隊は、
道路を使用する以外は進入禁止、という具合で、それが何十ヘクスと連なる。
攻撃に躓きを北し始めると、サンヴィットを陥落させるまで、
延々と遊兵を出し続ける結果となりやすい。

一転、第5装甲軍の戦区の正面はそういう深い森の密度は、
ずーっと低く、それこそ散見という程度のものが多い。

あるゲームのドイツ側の必勝法は、増援でやってくる装甲師団
(すなわち予備として後置されていた装甲部隊)をすべて、
第5装甲軍が開けた突破口に注ぎ込み、ちゃっちゃっとバストゥーニュを占領。
南方および東方へ、目一杯戦線を拡大してやることだった。

しかし、これをやると、リエージュ辺りでミューズ川を渡河し、
アントワープ目指し、北西マップ端の突破を指向すべしという、
史実とあまりにかけ離れた展開になってしまうわけだが……。

だが、史実で第5装甲軍の戦区に最初からもう3個師団程度に相当する
装甲部隊を配置し、攻撃参加した3個軍のど真ん中を大突破。
そして、北西を指向していたら…。
264名無し三等兵:2006/11/28(火) 19:59:39 ID:???
装甲教導師団長
フリッツ・バイエルライン中将

1899年1月14日生まれ。
第1次世界大戦時は、第2猟兵大隊の士官候補生。
第2次世界大戦は、第10装甲師団作戦参謀。
第19(自動車化)軍団作戦参謀を経て
アフリカ軍団参謀長、ドイツ・イタリア装甲軍参謀長、アフリカ軍集団参謀長など歴任。
1943年8月1日から
第3装甲師団長としてウクライナの南方軍集団戦区で戦う。

1944年初頭のキロウォグラード付近で
グロスドイッチュラント師団長になったばかりのフォン・マントイフェルと
会っているのかと思いきや

2月4日から装甲教導師団長だから
微妙なところ。ひょっとすると擦れ違いなのかも。
北アフリカでも微妙なところ。

この2人、誕生日が一緒だ。年は2歳違うけど。

知らなかった。
265名無し三等兵:2006/11/29(水) 08:39:43 ID:???
>>263
補給が届きません旦那。
266名無し三等兵:2006/11/29(水) 23:59:04 ID:???
バイエルライン将軍はロンメルのことどう思ってたんだろ。
上のもんが書類事務とか数字とか超適当だと
下のもんはえれえ苦労するからなあ…。
267名無し三等兵:2006/11/30(木) 09:27:30 ID:???
バイエルライン氏も猟兵出身か。
268名無し三等兵:2006/11/30(木) 18:38:10 ID:???
バイエルラインはロンメルの参謀長だったからね。
実務はその下の作戦参謀やら補給参謀やら情報参謀。
それよりも、ロンメルは
参謀長は司令官と同行して前線に出なければならない
という勝手なルールを作ってて
司令官が留守の間は、司令部にいて留守番すべき
参謀長を辟易させていたらしい。

しかし、ロンメルの指揮官率先のリーダーシップを
北アフリカで、ノルマンディで
いやというほど見せ付けられていたバイエルライン
アルデンヌではどのような勇猛果敢な師団長ぶりを見せたのか?
269名無し三等兵:2006/12/01(金) 09:57:45 ID:q5sCo0A+
エーベルバッハ、シュヴェッぺンベルク、バイエルライン。
どうもこのあたりがごっちゃになる未熟者な私。
270名無し三等兵:2006/12/01(金) 22:32:02 ID:???
バイエルラインは
第19軍団長がグデーリアンだったし
北アフリカではロンメルが司令官だったし
フォン・マントイフェルが軍司令官だったのはどう影響するかは知らないけれど


有名な司令官の近くにいたおかげか、戦史には名前が良く出るのでは?
(装甲教導師団長として、ノルマンディーのサンローでは爆撃で酷い目にあうのも有名か)
写真を拝見する限り、優秀な参謀将校というよりは
げじ眉の猟師のおじさんと言った感じがするんだが・・・
271名無し三等兵:2006/12/02(土) 21:15:59 ID:???
装甲教導師団は装甲教導連隊を基幹として作られた。

装甲教導連隊は
最初は、戦車教導大隊と対戦車教導大隊の2個大隊だった。
歩兵教導連隊デベーリッツから1個大隊が来て、
第1 (戦車)大隊、第2(狙撃兵)大隊、第3(戦車駆逐)大隊の3個大隊になる。
戦争勃発で
第1戦車大隊は、第3装甲師団に所属した後、
第9装甲師団第33戦車連隊第1大隊になる。
また新たに第1大隊が作られた。

第2大隊と第3大隊は、第900(自動車化)教導旅団に組み入れられて、
東部戦線は中央軍集団戦区に投入され、ホト上級大将の第3装甲集団の指揮下で戦闘に従事する。
272名無し三等兵:2006/12/02(土) 21:16:55 ID:???
1943年12月に第137歩兵師団から師団司令部が作られるなどして、師団ができる。
2個装甲擲弾兵連隊に属する計4個装甲擲弾兵大隊全てに装甲兵員輸送車が配備され
師団全体で装甲兵員輸送車計674両を保有していた。

戦車連隊に配備された第316無線誘導中隊は、
450キロの爆薬を搭載するBW無線誘導車(Sdkfz301)が主装備だった。
ケーニッヒスティーガー最初の5両(ポルシェ砲塔、車輌番号28001〜28005)、中古のティーガーTを3両も配備されていた。

戦車駆逐大隊は、1個ヤクトティーガー中隊、1個ヤクトパンター中隊を装備する筈だったが実際には行なわれなかった。

1944年3月に、ハンガリーのブタペストに移動する。ハンガリー軍事占領作戦マルガレーテに参加した。
5月にフランスに戻ったが、第130戦車連隊第1大隊は指揮下を離れる(8月には第113装甲旅団の指揮下に入った)
師団は、その代わりに第3装甲師団の第6戦車連隊第1大隊を配備される。
 
6月からはノルマンディで、イギリス軍と交戦した。
第316無線操縦中隊のケーニッヒスティーガーは、故障により戦闘すること無く全車失われている。
ヴィットマンSS大尉で有名なヴィレル・ボカージュ戦では、第130戦車連隊第2大隊の4号戦車が反撃に出ている。
その後、アメリカ軍戦区に移動。
6月27日、第2SS装甲師団のヴァイディンガー戦闘団と、ヤクトパンター装備の第654重戦車駆逐大隊第2中隊を指揮下に置いた。
7月10日には師団はアメリカ軍に対する反撃作戦を行なった。だが、第901装甲擲弾兵連隊第1大隊長フィリップス大尉は捕虜となる。

7月25日、フランスのサン・ローで、4発爆撃機1500機、ライトニング戦闘爆撃機300機の攻撃を受け、
500人の死傷者を出し、敵の突破も許してしまう。

10月は再編成を行い、ロートリンゲン(ロレーヌ)地方で戦闘を行なう。
12月のアルデンヌ攻勢作戦では
第130戦車連隊第1大隊の代わりに第559重戦車駆逐大隊(ヤクトパンター)を配備されていた。
第243突撃砲大隊もまた指揮下にあった。
273名無し三等兵:2006/12/02(土) 23:53:27 ID:???
バイエルラインといえば4号戦車フェチで有名だから
キングタイガーは拗ねちゃったのに違いない。
274名無し三等兵:2006/12/03(日) 04:46:26 ID:???
>>271
本当は、教官部隊が常時前線になんて、後々支障を来たすんだけど。
WW2ドイツはそういうの多いね。
275名無し三等兵:2006/12/03(日) 13:15:42 ID:???
ポーランド戦、第3装甲師団に付けられたとき
3号戦車と4号戦車を主力とする本来の(理想的な)戦車大隊で
戦訓を得る為の実験的要素もあったみたいだけど
どんどん、ぐだぐだになって
戦線の穴埋めとかに使用されるようになるね。
1943年初頭のスターリングラード付近とか。
276名無し三等兵:2006/12/04(月) 18:53:23 ID:???
そういえば、ティーガー大隊として
第501SS重戦車大隊と第506重戦車大隊が
参加するんだが
両方とも最初は配置が第6装甲軍だ。

バイエルラインはどうか知らんが、
マントイフェルも、あまりティーガーが好きではないのか?
東部戦線では結構世話になったんだが。
277名無し三等兵:2006/12/05(火) 18:31:56 ID:???
重駆逐戦車のヤクトティーガー

第653重戦車駆逐大隊の第1中隊に
配備されていた。16両とも9両ともいわれている。
この第653重戦車駆逐大隊というのは
クルスク戦のおりにはフェルディナンド(エレファント)重駆逐戦車を配備されていた。

第5装甲軍に配属された筈だが、鉄道をおりた所は第6装甲軍後方。
結局アルデンヌ攻勢に投入されることがなかった。
どちらにせよ、シャーマン戦車相手にヤクトティーガーは不要だっだ。

使用されなかったことを聞いたヒットラーは、非常に不愉快・不機嫌だったという。

278名無し三等兵:2006/12/05(火) 18:44:56 ID:???
>>277
だっだw
279名無し三等兵:2006/12/05(火) 19:43:53 ID:???
おお、こりゃすまん。

だった。
280名無し三等兵:2006/12/06(水) 01:14:34 ID:???
森林地帯な上に地形も良くない。
遠距離砲戦出来なきゃヤクトティーガーも用無し。
攻撃戦に投入されてもバズーガや対戦車砲の餌食。
281名無し三等兵:2006/12/06(水) 07:32:28 ID:???
>>280
攻撃に投入どころか
轍にはまって自爆処理だろうなぁ・・・
282名無し三等兵:2006/12/06(水) 19:26:21 ID:???
突っこみどころはわざとだよな?
283名無し三等兵:2006/12/07(木) 18:48:13 ID:???
ヤクトティーガーも
ヒットラーが期待して投入した新型兵器なんだが
機動力を、なによりも必要とするアルデンヌでは
ただの足手纏いでしかない。

終戦までには2個大隊
第653重戦車駆逐大隊と第512重戦車駆逐大隊に配備され
両大隊とも
開けた土地をやってくるシャーマン戦車群を
丘の上から一方的に撃つという理想のシーンもあったらしいが・・・
284名無し三等兵:2006/12/07(木) 22:40:48 ID:???
ネタスレかと思って見たら、まともなスレで驚いた
285名無し三等兵:2006/12/08(金) 20:55:41 ID:???
フォン・マントイフェル、
12月に
ヒットラーとの会談があったのは
12月2日
12月11日
いずれも、上官である
西方軍総司令官フォン・ルントシュテット元帥
B軍集団司令官モーデル元帥
達が同席している。
12月2日ベルリンでの会議で
モーデルは自分の意見を主張したが
ヒットラーの決心を変えられなかった。
会議後、
第5装甲軍司令官フォン・マントイフェル大将が
ヒットラーと直接面談したという。
11月22日に喉の手術をして、しばらく声が出なかった
ヒットラーのヒステリーが爆発したのはこの時か???

286名無し三等兵:2006/12/09(土) 22:35:32 ID:???
12月2日にマントイフェルは、燃料が5ユニットあるべきところ
1.5ユニットしかないことをヒットラーに直訴している。

1ユニットあたりの燃料で100キロ進める。
5ユニットで500キロ。

第5装甲軍が、指定された進撃路を理想的に進むと
アントワープまで、ちょうど500キロの道のり。

1.5ユニットでは第5装甲軍全体が(最大)150キロしか進めないから
更なる燃料の追送、または一部部隊に重点的に給油することが
必要。

もし本当にアントワープまで行くつもりなら・・・
287名無し三等兵:2006/12/09(土) 23:30:03 ID:???
自分であげんなよ
288名無し三等兵:2006/12/09(土) 23:50:15 ID:???
つまりインパール並みの無謀な作戦だったと(ry
289名無し三等兵:2006/12/10(日) 00:00:27 ID:???
マース川まで行けたら神に感謝するんだな、
とか言ってたのはルントシュテット元帥だっただろうか。
290名無し三等兵:2006/12/10(日) 00:23:19 ID:???
燃料集積所を奪い取るという意味でのグライフ作戦がキチンと行われていれば、
パイパー戦闘団はどこまでいけただらうか。
291名無し三等兵:2006/12/10(日) 01:21:41 ID:???
やっぱり前の時みたいに敵地のガソリンスタンドで補給するつもりだったのか?

>>284
ハッソーの人(仮)が頑張ったからな。
292名無し三等兵:2006/12/10(日) 09:56:00 ID:???
>>291
「前の時」は、ガソリンスタンドもあったけど、燃料兵站計画も
ちゃんとしたものが組まれてる(『電撃戦という幻』)
293286:2006/12/10(日) 19:53:57 ID:???
すまん、大ポカをしてしまった。

アントワープまで、ちょうど500キロの道のり。

アントワープまで、ちょうど250キロの道のり。
294名無し三等兵:2006/12/10(日) 20:33:56 ID:???
どちらにしろ大幅に足りないからおk
295名無し三等兵:2006/12/11(月) 11:56:26 ID:???
「前の時」は、他の史料ではグデーリアンの進撃にしばしばストップをかけ、
悪者のように描かれるクライスト。しかし、彼も自分の装甲集団の存在意義は
ちゃんと理解しており、兵站計画を担当したクライスト装甲集団参謀長、
クルト・ツァイツラーにかなり頑張らせた。ガソリンスタンドでの給油や
自動車部品の略奪もけっして小さくない効果があったが、
持てるかぎりの燃料をジェリカンで前線部隊自らが運び、
ツァイツラーの後送計画もキチンと機能したから、「前の時」の鮮やかな電撃戦は成功したといえる。

因みにツァイツラーがハルダーの後を継いで参謀総長に抜擢されたのは、
この時の兵站計画の成功をヒトラーが記憶に留めていたため。
296名無し三等兵:2006/12/12(火) 18:14:19 ID:???
12月2日の会議で
フォン・マントイフェルは
例の「サーチライトで雲を照らして人工の月を作り出す」
マル秘テク
を披露するんだが
ヒットラー「どうしてその夜、雲があると分かるんだ?」
マントイフェル「総統が悪天候日を開始日にするとおっしゃったではありませんか」
とかいう漫才みたいな問答があったそうである。
297名無し三等兵:2006/12/13(水) 18:43:40 ID:???
12月10日
ヒットラーはベルリンを発ち
西のアドラーホルスト(鷲の巣)に入った。
12月11日、12日と司令官、参謀長を集めて演説

フォン・マントイフェルは11日の部であった。
第12SS装甲師団長フーゴ・クラースSS大佐が、師団の準備が不足していることを述べ始めると
上官のゼップ・ディートリッヒSS上級大将はスネを蹴って発言を止めさせようとした。

第5装甲軍の司令官達は、おとなしく聞いていたに違いない。
33歳の若造、クラースSS大佐と違って、みんな大人だったから・・・
298名無し三等兵:2006/12/13(水) 19:39:14 ID:???
もうあきらめの境地だったんじゃないのか?
あるいは7/24事件の事があって
軍としては伍長に逆らいにくいふいんきだったとか。
299名無し三等兵:2006/12/13(水) 20:35:20 ID:???
>>297
いや、一部の軍人はまだまだ、ヒトラーとのドツキ漫才を楽しんでいたはずだ。

代表的なのは、グデーリアン参謀総長(事務取り扱い)。
総統大本営での会議では黙っていることも多かったらしいが、
この時期であれば、やれクールラントの北方軍集団を撤退させろだの、
第6SS装甲軍は西方での反撃ではなく、
来たるべきウィスラ川戦線の赤軍の攻勢に対する予備兵力に用いるべきだの、
事あるごとに伍長殿にネジ込んでいたはずだ。

元々、暗殺事件で参謀総長の代行役としてヒトラーに選ばれたのは、
暗殺グループに多かった旧参謀本部グループとの距離があったからだが、
どうやら第2装甲集団司令官当時にモスクワ進撃やらモスクワ前面からの後退を巡って、
ドツキ漫才の良い相方になっていたことはすっかり忘れていたのかもしれん。

参謀総長事務取り扱いに就任したことによって、もともと高血圧を病んでいたグデーリアンは、
その病状を急速に悪化させていくことになる。
300299:2006/12/13(水) 20:36:43 ID:???
スンマソ、上は>>298へのレスですた
301名無し三等兵:2006/12/13(水) 20:50:45 ID:???
ロンメルはリウマチで肝臓が悪かったし
マンシュタインは白内障だし
みんな病気もちだな。
大丈夫なのかドイツの将軍。
302名無し三等兵:2006/12/13(水) 21:21:34 ID:???
心配するな
マンシュタインは元帥のまま現役引退だが、
ロンメルはあの世だ。
303名無し三等兵:2006/12/13(水) 21:27:39 ID:???
やっぱり怒ってばっかりだと心臓に悪いんだな・・・
グデさん可哀相
304名無し三等兵:2006/12/14(木) 20:21:24 ID:???
12月11日のヒットラーの演説は
2時間に及んだのだが
第5装甲軍の司令官達がおとなしかったのは
フォン・マントイフェルによれば
「少なくとも出席者の90パーセントの者が感銘を受けた」
からだそうで、残り10パーセントの中にクラースSS大佐。
ヒットラーは
フリードリッヒ大王の7年戦争の故事を引き合いに出したから
先祖の戦績のあるフォン・マントイフェルが感銘を受けたのは確かのようだが・・

ヒットラーのアドラーホルストは
フォン・ルントシュテットの西方軍司令部から
行きは30分かかったが、帰りは3分、
これまたびっくりである。
(行きは欺瞞の為、回り道をしていた)

305名無し三等兵:2006/12/15(金) 20:53:25 ID:???
12月15日
B軍集団司令官ヴァルター・モーデル元帥は
まだ、作戦の延期を
上官の西方軍司令官フォン・ルントシュテット元帥に直訴していた。
ルントシュテット元帥の方は、敵に気付かれないうちに始めてしまえと
もう腹を括り、
第5装甲軍司令官フォン・マントイフェルは・・・

運命の日、それは12月16日であった。
2日目にミューズ川を越え、
7日目にアントワープに達する大作戦。
306名無し三等兵:2006/12/15(金) 21:31:01 ID:???
因みに、前の時は、グデーリアンが
「3日でミューズ川へ(到達し)、4日でミューズ川を(渡河する)」
というスローガンを掲げ、そのまんまの通りになった。

>2日目にミューズ川を越え、

それよりも全然短いぞ。
前の時のベルギー軍やフランス軍より、米軍の方がずっと機敏だぞ。
大丈夫なのか、伍長閣下。
307名無し三等兵:2006/12/15(金) 22:21:02 ID:???
いや
実際には
2日目まで
7日目まで
と言った訳だから
予定より早くても、余は困らんぞ
初日にミューズ川を渡河してもな。

アドルフ・ヒットラー
308名無し三等兵:2006/12/16(土) 21:23:36 ID:???
12月16日
午前11時30分に、ヒットラーが起床すると
既にアルデンヌ攻勢は始っていた。

第5装甲軍戦区では
各擲弾兵連隊が、それぞれ攻撃中隊を特別に編成して
突破を図った。

北翼の第66歩兵軍団では
第18国民擲弾兵師団が
第244突撃砲旅団(1個中隊)の支援下
突出したアメリカ第106歩兵師団の
2個歩兵連隊を包囲しようと攻撃、
突撃砲はバズーカで撃退される。
南の
第62国民擲弾兵師団では
「自転車」に乗った擲弾兵が
戦線を突破した。

中央の第56装甲軍団と
南翼の第47装甲軍団は
アメリカ軍第28歩兵師団を攻撃。
特に
中央に位置する第110歩兵連隊を集中攻撃。
中央突破を目指す。
米第28歩兵師団長、第707戦車大隊を救援に送る。

309名無し三等兵:2006/12/16(土) 21:24:37 ID:???
アメリカ軍の反応も早かった。
アルデンヌのドイツ軍攻勢に対し
元帥になったばかりのアイゼンハワーが
北の第7機甲師団(アメリカ第9軍)
南の第10機甲師団(アメリカ第3軍)
による救援命令を発したのであった。
310名無し三等兵:2006/12/16(土) 22:29:08 ID:???
>>309
もうこの頃になると米兵も新米の腰抜けじゃあなく
生き延び方、寄せ方引き方を知った古強者も多くなった頃だから
一筋縄じゃあいかないよな
311名無し三等兵:2006/12/17(日) 05:10:00 ID:???
じゃあ、みんな!クリスマスはアントワープで!
312名無し三等兵:2006/12/17(日) 09:43:35 ID:???
たった2個師団とはいえ
即日、救援を決めたアイク
流石です。とヨイショ
313名無し三等兵:2006/12/17(日) 12:12:41 ID:???
アルデンヌのバストーニュは東西南北に通じる道路の起点でもあるから
地図が新しいのしかないので何ともいえないんだが南北にそれぞれ1本、東西にそれぞれ2本の幹線道路がある
もっとも日本の東名・名神やアウトーバーンみたいなやつじゃあない、いわゆる県道くらいの広さくらいしかない。
だが機甲師団や自動車化部隊の展開・補給を縦横に可能にするだけの機能はある。
314名無し三等兵:2006/12/17(日) 20:51:33 ID:???
12月17日
第66歩兵軍団
第18国民擲弾兵師団は、敵の2個連隊(米第106歩兵師団)が針ねずみの陣を張って
動かなくなったので、包囲に成功。2個連隊は第7機甲師団(B戦闘団)の救援を待っていたのであった。
第62国民擲弾兵師団は、米第9機甲師団B戦闘団と交戦、
B戦闘団が第106歩兵師団長の命令によりサン・ヴィットに退却したので前進を果たす。

第58装甲軍団
第116装甲師団
ウール川渡河に予定していた橋は、戦車の重量に耐えられないことが今更ながら分かったので
南に転じる。
ステファン大尉の第116装甲偵察大隊は、米第707戦車大隊の一部(M5軽戦車?)と交戦撃破。
それでも
師団長フォン・ヴァルデンブルク少将によれば満足できる成果と共に終えられたという。

第47装甲軍団
フォン・ラウヘルト大佐の第2装甲師団は、第110歩兵連隊、第707戦車大隊と交戦し、
シャーマン戦車(M4A3?)、M5軽戦車を撃破。
激戦でアメリカ軍の拠点を一つ一つ奪いながらの前進、
米第110歩兵連隊本部のあったクレルヴォーを落す。
装甲教導師団は、第26国民擲弾兵師団や第2装甲師団の確保した道を通って前進。

マントイフェルは順調な滑り出しに満足したというが
バストーニュ、サン・ヴィットには達していない。
第66歩兵軍団にはやはり1個装甲師団が加えられるべきだったのでは・・・
この夜、第18国民擲弾兵師団司令部に来た
マントイフェルは、外でモーデル元帥に偶然会って会話をしたという。
この戦いに悲観的なモーデルと・・・
315名無し三等兵:2006/12/18(月) 04:35:05 ID:???
>>309
ブラッドリーからこの命令を伝えられて、第3軍のパットンは、
「俺の攻撃を邪魔するか!」と、大いに怒った。
だが、クリスマスまでにザールを攻め落とす分、たくさんのドイツ兵を殺せるように
天候が持つようお祈りの文句を書き直させた。
316名無し三等兵:2006/12/18(月) 20:21:19 ID:???
12月18日
第66歩兵軍団
ディートリッヒSS上級大将の第6装甲軍が、サン・ヴィットに北から圧力をかけている間
第66歩兵軍団の2個師団は、道路渋滞を解消できないままだった。

第58装甲軍団
第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団は
周囲の地区を掃討しながら集結。前進準備を整える。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、米第9機甲師団R戦闘団と交戦。
4号戦車対シャーマンは、4号戦車の勝ち。
ローズ隊ハーパー隊の2隊を撃破。
バイエルライン中将の装甲教導師団は、3本選択可能の道のうち、中央の道を取ったが
唯一間違いの小道に入り込む。

アメリカ軍の増援は、行動が早かった。
サン・ヴィットには米第7機甲師団が前夜に到着していた。
バストーニュには米第10機甲師団B戦闘団と
第101空挺師団が入ってしまう。

攻撃3日目、いまだミューズ川に達していないことを知った
西方軍司令官
フォン・ルントシュテット元帥は、
目的が達成できないことを悟ったという・・・
317名無し三等兵:2006/12/19(火) 21:24:27 ID:???
12月19日
第66歩兵軍団
米第106歩兵師団の2個連隊が、予想外に早く降伏。
レ−マー大佐の総統護衛旅団と
(グロスドイッチュラントの総統護衛大隊を拡張)
第6装甲軍の第9SS装甲師団が前進を始めた為
道路の渋滞は酷くなる。

第58装甲軍団
第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団は
サン・ヴィットの南を通過し、バストーニュの北を通って前進。
(ウファーリズ通過)
第116装甲師団が一番前進している師団となる。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、バストーニュとサン・ヴィットの間を北西へと攻撃前進。
装甲教導師団は、バストーニュ東外縁を防御していた第101空挺師団第501連隊第1大隊と衝突、
前進したパンターの一両はバズーカに撃破される。
バイエルラインも砲弾の破片で負傷するが、
北東の
米第10機甲師団B戦闘団の一隊、第9機甲師団R戦闘団の残余には
第130戦車駆逐大隊の4号戦車L/70が丘の上から射撃をするなどして、
シャーマン23両と200両近くのアメリカ軍車両を討ち取る。
第26国民擲弾兵師団も参加。

フォン・マントイフェルの関心は、いまさらながらサン・ヴィットであった。
上官のモーデル元帥、部下の第66歩兵軍団長ルフト砲兵大将と
会議・打ち合わせを行う。

連合軍側ではモントゴメリー元帥とブラッドレー中将の間の担当戦域が調整され、
パットン第3軍の第3軍団が3個師団を持って北上を開始したというのに・・・・
318名無し三等兵:2006/12/20(水) 20:23:49 ID:???
12月20日
第66歩兵軍団
渋滞が続いてサン・ヴィットを攻撃できず。
アメリカ軍の激しい防御射撃も展開を妨げる。

第58装甲軍団第116装甲師団と
第47装甲軍団第2装甲師団は、
バストーニュ北西のラ・ロシュを落す。
第116装甲師団は第560国民擲弾兵師団と共に
アメリカ第7機甲師団の燃料集積地(サムレー)も取り、
危険なほど深刻だった燃料不足が一気に解消。

装甲教導師団は、第26国民擲弾兵師団と共に北と東からバストーニュ攻撃にかかる。
フォン・ハウザー大佐の第901(装甲擲弾兵連隊)戦闘団から
第6中隊の4号戦車1個小隊(といっても5両じゃなく4両)が前進するが
米第10機甲師団B戦闘団オハラ隊のシャーマンに撃破される。
319名無し三等兵:2006/12/21(木) 21:42:32 ID:???
12月21日
第66歩兵軍団
総統護衛旅団は渋滞の中。
2個擲弾兵師団の使用可能部隊だけでサン・ヴィットを強襲。

第58装甲軍団
第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団は、さらに北西に前進。
米第3機甲師団R戦闘団が北から接近。
軍団長クリューガー大将の思い込み命令により、
渡河可能な仮設橋(ウルート川の)を渡らなかった
第116装甲師団は、時間を無駄にしたという。オットン着、アメリカ軍と交戦。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、燃料待ちで停止。
装甲教導師団は、第902戦闘団(パンター2個中隊含)で、真東からバストーニュを攻撃するが失敗。
フォン・ハウザー大佐の第901戦闘団はその南。
フォン・ファロイス戦闘団(装甲捜索大隊+第243突撃砲旅団+α)と
と第902戦闘団の
2個戦闘団は
第26国民擲弾兵師団第26捜索(偵察)大隊と共に
バストーニュを南から回り込み、西へと抜けていくことになる。
この日、バストーニュの包囲が完成。
米第101空挺師団代理師団長マッコーリフ准将(本来は砲兵連隊長相当)は、
「これで思う存分戦える」と、スパルタのレオニダス王のようなことを言ったという。
320名無し三等兵:2006/12/21(木) 21:43:03 ID:???
装甲教導師団の戦闘団の進撃が消極的だったので
怒り心頭、フォン・マントイフェルが
先頭戦車に搭乗して、指揮官率先ならぬ司令官率先した。
フォン・ファロイス戦闘団の先頭戦車っていうのは、
まさか、プーマ8輪重装甲偵察車だったのか???
ハッソーは、さらに
フォン・リュトヴィッツ大将の第47装甲軍団司令部で
第7軍司令官ブランデンベルガー砲兵大将と会談。
(バストーニュは)「今日取れなくても明日取れる」と断言。
都市奪取を、明日に先延ばしにするのがドイツ軍の悪いところ。
ジトミルを思い出せ。フォン・マントイフェル!
321名無し三等兵:2006/12/22(金) 21:50:38 ID:???
12月22日
第66歩兵軍団 は、第6装甲軍に配置がえになる。
総統護衛旅団は、
総統護衛戦車中隊と
グロスドイッチュラント戦車連隊第2大隊(3個中隊)の
4号戦車24両と、4号戦車/70(A)(アルケット社製)43両を持って
真東からサン・ヴィットを攻撃。アメリカ軍守備隊は後退を始める。
米第7機甲師団A戦闘団のシャーマンとの撃ち合いは、もちろんドイツ軍の勝ち。

第58装甲軍団
第116装甲師団と第560国民擲弾兵師団は、
オットン付近で、米第3機甲師団R戦闘団と交戦。
北への進出ではなく西へと戦線を伸ばして行く。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、ラ・ロシュ付近で戦闘。
装甲教導師団は、
バストーニュ包囲部隊は第26国民擲弾兵師団と
フォン・ハウザー大佐の第901戦闘団だけとなる。
フォン・ファロイス戦闘団
と第902戦闘団の
2個戦闘団は
バストーニュの西へ、抜けていく。
軍団長フォン・リュトヴィッツ大将は、第26国民擲弾兵師団長ココット少将と相談のうえ
バストーニュへ降伏勧告文書を届けることにする。
午前11時、2人の軍使が届けた文書を見て
米第101空挺師団代理師団長マッコーリフ准将は、
「ナッツ(ばかめ)!」

この一連の顛末を知ったフォン・マントイフェルは超激怒。
マントイフェルには、敵が降伏するとは思えなかったから。
322名無し三等兵:2006/12/23(土) 11:12:25 ID:???
ちょっとそれるけど失礼、リュドウィッツ大将って
あのカップ一揆のリュドウィッツの血縁の人か何かで?
323名無し三等兵:2006/12/23(土) 12:17:24 ID:???
ハインリッヒ・フライヘア・フォン・リュトヴィッツ装甲兵大将って
騎兵な人なんだが
カップの一揆の旅団って騎兵関係なんだっけな???
324名無し三等兵:2006/12/23(土) 12:25:34 ID:???
>>323
いや、旅団は義勇軍のしかも海軍系旅団が中心だったりするんだけど
カップ一揆のもうひとりの首謀者がリュトヴィッツ将軍という人だったんで
あれ、ひょっとして一門か?息子だったら反省してねぇだろ国防軍、
と思った訳で。
325名無し三等兵:2006/12/23(土) 12:38:17 ID:???
あー、あったあった。
男爵ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ(1859-1942)
だ、そうで。兵科までは分からないけど古い軍人の家系で
当時国防軍の最古参の将軍だそうな。
文献は『権力のネメシス』
326名無し三等兵:2006/12/23(土) 16:24:01 ID:???
ヴァルター・フォン・リュトヴィッツ
第1次世界大戦時は、第5軍(第4軍?)参謀長として
プール・ル・メリトを受章。

一揆の際はベルリン軍管区の司令官かな?

こりゃ近いかな?調査継続中。シュレージェン(シレジア)生まれなら
もっと近くなるんだが・・・



327名無し三等兵:2006/12/23(土) 20:13:25 ID:???
12月23日
第58装甲軍団
第116装甲師団は、新手の米第84歩兵師団を相手にしなければならなくなる。
レ−マー大佐の総統護衛旅団が、指揮下に入るため西へと進撃。

第47装甲軍団
第2装甲師団の攻撃は、停滞。
軍団長フォン・リュトヴィッツ大将が督戦。
装甲教導師団は、西進中。
マントイフェルは
第26国民擲弾兵師団長ココット少将と会談。
バストーニュ全周からの攻撃を開始。

バストーニュ砲兵隊の弾薬が尽きようとしたとき、
晴れた空を二百機の輸送機が現れて、弾薬を投下。

昼食時、アドラーホルストでは
秘書のクリスタ・シュレーダーが
晴れた空を見あげて
「総統、戦争は負けですね。そうでしょう?」

こ、この女・・・・

328名無し三等兵:2006/12/23(土) 20:44:27 ID:???
>>326
こっちも一揆のちょっと前までは第1軍団司令官としか分からない。
(危ないんで解任された様子)生まれは記述なし。
叛乱に使われた二個旅団は元ゴルツ将軍麾下のバルチック旅団と
エアハルト大佐の海軍旅団らしい。
別のものを調べてて引っかかったらでいいですよ。

>>327
うわ、ツワモノだ。
ただこう言っても大丈夫な雰囲気だったと考えると
女に甘かったのかもなぁ。
329名無し三等兵:2006/12/23(土) 23:19:15 ID:???
映画でも女にはめちゃくちゃ甘かったな。
でも女の言う事で意見変わるほど柔軟じゃなさそうだしな伍長は。
330名無し三等兵:2006/12/24(日) 19:57:48 ID:???
12月24日
第58装甲軍団
第116装甲師団、第560国民擲弾兵師団は、オットン付近で交戦中。
総統護衛旅団は、東から進撃中。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、ミューズ川まであと8キロのセルの町で燃料切れの停止。
装甲教導師団は、南東から進撃中。

フォン・マントイフェル大将は、バストーニュの西に第5装甲軍司令部を移す。
(サン・ユベール、次にラ・ロシュ)
国防軍総司令部参謀長ヨードル上級大将と電話で連絡をとったマントイフェルは、
ミューズ川東岸地域の掃討には自信があった。
増援次第でミューズ川を越えられると主張。
331名無し三等兵:2006/12/25(月) 04:45:06 ID:???
>>327
「晴れたら一巻の終わり」なアルデンヌ。まあ文脈は別だろうけど。
332名無し三等兵:2006/12/25(月) 18:32:26 ID:???
第6SS装甲軍正面のサン・ヴィットは結局、23日まで連合軍が保持して、
クリスマス時点で、もはや北部戦線からの大突破の目はなくなってたよな。
マントイフェルの情勢判断は第2装甲師団がセルまで突破した状況を活かして、
ミューズ川東岸の連合軍を一掃できるというものだったが……

もうすぐ、パットン第3軍が本格攻勢に移る寸前。
北部の英米軍の戦線も十分に整理がなされていた。
ロシアから高気圧もやってきて晴天を運んでくる。
さらに、そのロシアの地では西側連合国の意を汲んだスターリンが、
1月攻勢を1週間前倒しに発起するため、準備を急がせ……。
その攻勢を受けとめる要となるべく編成されたヴァイクセル軍集団の司令官は、
あろうことかハインリッヒ・ヒムラーが12月2日に任命されている。

OKHの長たるグデさん、ラインの守りの早期中止と、緊張高まる東部戦線への戦力の手当て、
さらにヒムラーを他の人間に交代させろとの件で、さらに血圧を高めていってる。
333名無し三等兵:2006/12/25(月) 19:09:39 ID:???
同じ軍事素人でも
ゼップ親父はまあまあ将兵から受け容れられてたのに
ヒムラーの評判は散々だな。
334名無し三等兵:2006/12/25(月) 20:27:09 ID:???
>>333
この後の戦闘の敗北からヒムラーは一切の戦闘の指揮の権限を剥奪されたんだっけか?
335名無し三等兵:2006/12/25(月) 20:28:54 ID:???
>>333
ゼップ親父の場合は、ずっと最前線渡り歩いてきとるだろ。
1940年の西方戦役ではLAH(当時、旅団)の旅団長だったはずだろ。
でそのまま東部戦線で師団昇格したLAHの師団長じゃなかったっけ。
そんでノルマンディーの時、ハウサーが第7軍司令官に持ち上がって、
第1SS装甲軍団長にスライド昇格したと記憶してるんだが。
ちょっと記憶違いはあるかもしれんが、旅団長から軍団長あたりまでは、
あの「突撃隊長」的な性格でも、何とかこなせそうだし、こなしてきたと思えるからな。

明らかに野戦軍以上の規模の組織の長としては問題が多々あると思うが、
戦場経験ではヒムラーとはものが違うと思うぞ。
336名無し三等兵:2006/12/25(月) 20:34:53 ID:???
>>334
いや、確か3月まで、ずっとヴァイクセル軍集団司令官。
オーデル川に赤軍が取りつき、兵站の建て直しと側面の整理、
さらなる兵力の結集を図るために停止した3月になって、
グデーリアンの遠回しの辞職勧告を受ける形で、
ハインリーチと軍集団司令官を交代した。

確か、伸び切ったソ連軍戦線の側面を突いた「冬至作戦」も、
ヒムラーの指揮で行われたんじゃなかったかな。
特段に赤軍戦線には脅威を与えなかったが(反攻作戦だったと赤軍が気が付かなかったという説もある)、
一応、側面を整理しておこうかという切っ掛けくらいにはなった作戦だけど。
337名無し三等兵:2006/12/25(月) 21:56:40 ID:???
12月25日
第58装甲軍団
第116装甲師団、一歩も動けず、戦況は悪くなる。
総統護衛旅団が、第116装甲師団の右翼(東側)に到着。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、英第29機甲旅団と米82機甲偵察大隊(第2機甲師団)に叩かれる。
航空攻撃で重8輪装甲車を失い、第2装甲捜索大隊は壊滅。
米独第2装甲師団装甲偵察大隊同士の戦いは、ドイツ軍の負け。
増援に入る第9装甲師団が救援する筈だったが燃料不足で遅延。
装甲教導師団は、第2装甲師団の南を進んでいたが、
北上して第2装甲師団の右翼(東側)に入る。
西への突破は断念ということ。

バストーニュ包囲部隊は、
第15装甲擲弾兵師団の第115装甲擲弾兵連隊(マウケ大佐)が到着、攻撃に移る。
攻撃地点はバストーニュの北西、第502パラシュート歩兵連隊と第327グライダー歩兵連隊の
境界線。
第115戦車大隊(4号戦車1個中隊、3号突撃砲2個中隊)は、戦線突破には成功するが
米第705戦車駆逐大隊(M18?)などに叩かれて敗退。

ラ・ロシュの第5装甲軍司令部でマントイフェルは、
アメリカ軍が場所を間違えて空輸投下した救援物資のKレーションを夕食に取る。
国防軍総司令部参謀長ヨードル上級大将と電話で連絡をとったマントイフェルは、
朝まで希望を捨てていなかったアントワープへの進撃断念を伝える。
ミューズ川東岸の敵を掃討する為、北上を主張。
338名無し三等兵:2006/12/26(火) 12:51:35 ID:ewr3PsEk
上ライン方面軍だっけ?
ヒムラーが指揮して総統に評価された部隊。
339名無し三等兵:2006/12/26(火) 15:11:28 ID:???
>>338
何だ、その上ライン方面軍ってのは?
この当時、軍集団の上の方面軍レベルの統制組織は西方総軍だけのはずだぞ。
東部戦線は各軍集団をOKHが直轄。
その他の戦線はOKWが直轄し、いわゆる西部戦線だけ軍集団の上に
西方総軍をおいていたはず。

で、ヒムラーが軍を国防軍を含む軍事組織を指揮したのは、
後にも先にもヴァイクセル(ヴィスラまたはウィスラまたはビスワ)軍集団だけのはずだ。

SSの高官が軍集団レベルを指揮してる例は、確か、この当時、
西部戦線の最北部を統括していたH軍集団の司令官にハウサーが持ち上がっていたくらいではないかと。
340名無し三等兵:2006/12/26(火) 15:49:52 ID:???
コルマール周辺の第19軍を指揮下に入れた
上ライン(オーバーライン)軍集団のことでしょう????
341名無し三等兵:2006/12/26(火) 18:05:25 ID:???
>>340
ドイツ西方方面軍(フォン・ルントシュテット)の隷下にあった軍集団は、
ライン川以北のオランダを正面にするH軍集団(ハウサー)。
ライン河口以南からアルデンヌまでを正面とするB軍集団(モーデル)
アルデンヌより南部からスイス国境までを正面とするG軍集団(フォン・ブラスコヴィッツ)
地名を使った軍集団名は西方では使われていない。
第19軍はG軍集団の隷下にあり、南仏コルマールを中心にライン川西岸へ突出して布陣していた。
G軍集団の管轄はまさに「上ライン地方」なんで、通称として呼ばれていた可能性はあるかもしれないけどね。
ヒムラーの短い軍歴は>>336の通りで、G軍集団、上ライン地方の作戦の指揮を執ったことは1度もない。
342名無し三等兵:2006/12/26(火) 18:22:22 ID:???
ttp://www02.so-net.ne.jp/~muraji/gunji/laskan.htm
第1章 SS長官は“冬至”がお好き [第106戦車旅団]

 ナチスドイツにおいて、SS長官として恐怖の権力を握ったハインリヒ・ヒムラー。
 彼は内政及び治安維持関係の専門家であり、決して軍事専門家では無いのですが、1944年12月にマルチン・ボルマンの差し金とかがあって、何故かオーバーライン軍集団司令官になってしまいます。
 そのオーバーライン軍集団の兵力は、紙の上では11個師団、2個戦車旅団、1個重戦車駆逐大隊ですが、その大部分がコルマール包囲陣で包囲されており、実質的な兵力は第405歩兵師団と第553国民擲弾兵師団の2個師団にすぎません。
 そんな状況を知ってか知らずか、やけに楽観的な見通しで攻勢作戦[ゾネンヴェンデ(冬至)]を押し進めるヒムラー。
343名無し三等兵:2006/12/26(火) 18:34:16 ID:???
いつの間にかヒムラースレに
344名無し三等兵:2006/12/26(火) 18:58:36 ID:???
ここでやるとマントイフェルのこと書いてるやつに迷惑だ。
初質で白黒つけるか、派生へ逝け。
345マントイフェルのこと書いてるやつ:2006/12/26(火) 19:19:56 ID:???
いや
おれはかまわん
というか。すでに論戦参加してるし
346名無し三等兵:2006/12/26(火) 19:23:13 ID:ewr3PsEk
338
ごめんなさい。私のせいです。
ご迷惑おかけしました。

確かネタ元はデーヴィット・アーヴィングの本だったと思います。
347名無し三等兵:2006/12/26(火) 20:58:33 ID:???
>>342には間違いがあると思うぞ。
細かい日付やボルマンの差し金かははともかくとして、
44年12月にヒムラーが司令官に任命されたのはヴァイクセル軍集団だ。
これは「[詳解]独ソ戦全史」とか手に入りやすい東部戦線の通史本や
その他ベルリン攻防戦を扱った書籍の類いでも確認できることだ。

コルマールはライン川上流沿いのフランス側の都市で、
周辺に布陣していた独第19軍の部隊が2月だったか、3月に包囲されてはいる。
しかし、ゾンネンヴェンデ(冬至)作戦は東部戦線で行われた作戦で、
オーデル川に取りついた赤軍の側面を突こうとする作戦だった。
これもまた比較的手に入りやすい書籍で確認できる。

あいにくと自分は「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」を持っていないから、
何とも言いがたいものがあるけど、そのサイトの文章を書いた奴が、
時系列や地理関係など、混乱して書いてるんではないかと思うんだが。
348名無し三等兵:2006/12/26(火) 21:02:44 ID:???
12月26日
第58装甲軍団
第116装甲師団、第16戦車連隊長バイエル大佐は、包囲からの脱出を行う。
総統護衛旅団は、バストーニュへと転用され、南東へ。

第47装甲軍団
第2装甲師団は、英タイフーン戦闘爆撃機に叩かれる。
マントイフェルはモーデルに第2装甲師団の撤退許可を取り付ける。
第9装甲師団はその東で戦闘参加。
装甲教導師団は、第2装甲師団の南で戦闘。

バストーニュ包囲部隊は、
第26国民擲弾兵師団が、ヘッツアー10両を持って自暴自棄の攻撃。
成功せず。
南の第7軍第5降下猟兵師団戦線に続いて
第26国民擲弾兵師団第39擲弾兵連隊の戦線も
南から救援に来たパットン第3軍、
米第4機甲師団R戦闘団、第37戦車大隊と第53装甲歩兵大隊に突破される。
シャーマン「サンダーボルトIV」に乗る第37戦車大隊長、
その名はクレイトン・エイブラムス中佐。

国防軍総司令部参謀長ヨードル上級大将は、
アントワープへの進撃断念を伝える。
ヒットラーは一歩たりとも引くなと命令。
349名無し三等兵:2006/12/26(火) 21:05:58 ID:???
自分ちの戦車に愛称つけるのはありそうだが
他の兵器の愛称つけちゃって怒られないのか?
紛らわしいから不許可、とか言われそうだが。
350名無し三等兵:2006/12/27(水) 04:15:43 ID:???
>>349
戦車は空飛ばないし。
351名無し三等兵:2006/12/27(水) 10:01:27 ID:ffV//Mt0
>>347
蒸し返しすまそ

上ライン云々でそれなりの評価があったことで
ヒトラーがグーデリアンの反対を押し切って
ヴァイクゼル軍集団司令に就けた

ボルマンもヒムラーに味噌つけようとして
ヒトラーに口ぞえした

とあったような・・
352名無し三等兵:2006/12/27(水) 13:17:33 ID:???
なんでそんなに詳しいんだ?
353名無し三等兵:2006/12/27(水) 18:48:45 ID:???
12月27日
ヒトラーは
アルデンヌ地方でのB軍集団の作戦目的を
バストーニュ攻略と南面戦線の強化に変更する。

さらに、新たな作戦「ノルトヴィント(北風)」
の発動を下令した。

参加する軍集団は
G軍集団(ヨハネス・プラスコヴィッツ上級大将)
オーバーライン軍集団(ハインリッヒ・ヒムラーSS国家長官。参謀長、ヴェルナー・オステンドルフSS少将)

作戦開始は12月31日。
354名無し三等兵:2006/12/27(水) 19:41:24 ID:ffV//Mt0
>>353
それが真相でしたか。
355名無し三等兵:2006/12/29(金) 12:19:30 ID:nYXaHn83
12月28日
バストーニュ攻略は
フォン・リュトヴィッツ大将の第47装甲軍団と
新着のカール・デッカー大将の第39装甲軍団
が担当することになる。
まとめて、リュトヴィッツ兵団(Armee‐gruppe Luttwitz)と呼ばれる。

第1SS装甲師団「LSSAH」、第167国民擲弾兵師団も指揮下に入る。

いまさらという気もしないでもないが
強化されるフォン・マントイフェルの第5装甲軍だった。


356名無し三等兵:2006/12/29(金) 12:58:15 ID:ymzzJvPr
>>355
お、まんてーふぇるにつながった。
まさに「西部の奇跡」だ。
357名無し三等兵:2006/12/29(金) 20:42:41 ID:nYXaHn83
12月29日
第2装甲師団と第9装甲師団は、
所属が第47装甲軍団から第58装甲軍団に

第5装甲軍司令官フォン・マントイフェル大将は
南への通路・補給路が空いてしまったバストーニュの再包囲と
それに続く占領を命じた。
攻撃開始は12月30日。

しかし、アメリカ軍も
パットン第3軍の
第12軍団と第3軍団による
攻撃計画を立てていた。
いまだ三方向で包囲状態にあると言ってもいいバストーニュ。
更に北のウーファーリズへ攻撃をかけられるのか?

攻撃開始日は12月30日。
358名無し三等兵:2006/12/30(土) 21:33:08 ID:fWhfP3Sz
12月30日
第47装甲軍団の
第3装甲擲弾兵師団(第6装甲軍より新着)、
総統護衛旅団、
はバストーニュ西から南東へと攻撃。

レ−マー大佐の総統護衛旅団は
米第11機甲師団B戦闘団と激突。
シャーマン戦車7両を討ち取ったのは
やはり4号戦車/70(A)と思われる。

第39装甲軍団の
第1SS装甲師団「LSSAH」と
第167国民擲弾兵師団は
バストーニュ東から南西へと攻撃を開始。
米第35歩兵師団を叩く。
パイパー戦闘団に加わらなかった第501SS重戦車大隊の半分を
病気の大隊長フォン・ヴェスターハーゲンSS中佐の代わりに指揮を執ったのは
6月ヴィットマンSS大尉と共にヴィレル・ボカージュで戦ったロルフ・メビウスSS大尉だった。
ヴィレル・ラ・ボンノー(ボンノー村)でアメリカ軍と戦車戦を行うが
アメリカ軍砲兵に叩かれて後退。
バストーニュ再包囲作戦は失敗に終った。

359名無し三等兵:2006/12/30(土) 21:42:51 ID:???
相変わらず、アメの砲兵は強いよなぁ
360名無し三等兵:2006/12/30(土) 21:57:38 ID:???
もちろんそうよ。
361名無し三等兵:2006/12/30(土) 23:31:08 ID:???
アメリカ軍はボンノー村だけで6000発の砲弾を降らせたらしい。
ドイツ軍も結構砲兵を集中させて
第1SS装甲砲兵連隊のパンター観測戦車なんかも前進させたが
物量ではアメリカ軍の勝ち。
362名無し三等兵:2006/12/31(日) 19:01:54 ID:???
12月31日
第5装甲軍司令官フォン・マントイフェル大将は、
バストーニュ付近での第47装甲軍団長フォン・リュトヴィッツ大将の失敗に失望し
併せ持っていた第39装甲軍団の指揮権を取り上げる。
363名無し三等兵:2007/01/01(月) 17:47:13 ID:25y19vbj
このスレ、史実の日付と現在の日付を一致させてたんだな…

今更ながらに気付いた…

364名無し三等兵:2007/01/01(月) 18:25:42 ID:???
1945年1月1日
のイベントと言えば
零時5分からの総統の演説

ドイツ空軍機1035機による
「ボーデンプラッテ」作戦だった。

米第3軍司令官パットン将軍が
ここ数日のP-47戦闘爆撃機による地上軍攻撃、同士討ちの被害に抗議したため
この日は出撃を見合わせていて、米英空軍の損害は大きくなった。

ドイツ空軍の攻撃と被害を聞いて、パットンは後悔したという。

365名無し三等兵:2007/01/01(月) 23:54:57 ID:???
やっぱ同士討ちってあったんだ
366名無し三等兵:2007/01/02(火) 00:06:57 ID:WkU2G+4G
そりゃいっぱい有る。
何の為の防空識別帯かと…

特にボーデンプラッテの際のドイツ高射砲部隊によるドイツ航空機の損害は酷かった。
ボーデンプラッテのおかげでドイツ空軍は最終的に崩壊した様なもんだよ。
367名無し三等兵:2007/01/02(火) 00:13:35 ID:???
空軍版春の目覚めだな
368名無し三等兵:2007/01/02(火) 01:12:33 ID:???
春の目覚めは何の戦果も無かったが
ボーデンプラッテはそれなりに損害与えてるからなあ。

もっとも一週間くらいで回復されちゃったけど。
369名無し三等兵:2007/01/02(火) 12:56:48 ID:???
ボーデンプラッテ作戦って? ググっても詳しいサイトなかった
370名無し三等兵:2007/01/02(火) 18:42:01 ID:???
ドイツ空軍が行った航空作戦

第6戦闘航空団
第26戦闘航空団
第1戦闘航空団
第27戦闘航空団

第3戦闘航空団
第77戦闘航空団
第4襲撃航空団

第2戦闘航空団
第11戦闘航空団
第4戦闘航空団
第53戦闘航空団

などが
ブリュッセルやメッツの飛行場を襲撃した。
371369:2007/01/02(火) 19:49:44 ID:???
グラッツェ
372名無し三等兵:2007/01/03(水) 21:47:48 ID:???
1月3日
南部の米パットン第3軍の攻撃に続き
北部でも、米ホッジス第1軍と英第30軍団による
連合軍の反撃がはじまる。

マントイフェルの第5装甲軍は、第1SS装甲軍団を指揮下に入れ
第9SS装甲師団「ホーエンシュタウフェン」
第12SS装甲師団「ヒットラー・ユーゲント」
第340国民擲弾兵師団による
北からのバストーニュ全力攻撃を計画していたが
集結が遅れた。
第9SS戦車連隊第2戦車大隊(4号戦車)が3隊に別れ
第19SS装甲擲弾兵連隊の支援を受け、
バストーニュ北方の第502パラシュート歩兵連隊を攻撃した。
その西で第15装甲擲弾兵師団第104装甲擲弾兵連隊も攻撃に参加し
アメリカ軍戦線を後退させることに成功。
東では第12SS装甲師団第26SS装甲擲弾兵連隊が攻撃に参加。
373名無し三等兵:2007/01/04(木) 20:16:41 ID:???
1月4日
B軍集団司令官モーデル元帥の命による
バストーニュ地域での攻撃が続く。
主導権を失わない為に・・・
374名無し三等兵:2007/01/04(木) 23:13:25 ID:???
いいんだ…モーデル…もういいんだ…
375名無し三等兵:2007/01/05(金) 20:31:04 ID:???
1月5日
バストーニュ戦区から第9SS装甲師団が、引き抜かれる。
北方の第6装甲軍戦区の危機(米第1軍)に対応する為だった。
バストーニュ北東の第12SS装甲師団は攻撃続行、
米第6機甲師団の撤退により、市の中心3、4キロのところまで迫る。
この前後、第340国民擲弾兵師団がこの地域に到着する。
師団長は、テオドール・トルスドルフ大佐。
376名無し三等兵:2007/01/06(土) 14:43:44 ID:???
>>375
狂人トルスドルフやね。
377名無し三等兵:2007/01/06(土) 17:53:26 ID:???
トルスドルフって結構人気あるから
もうちょっと早く参加してるのかと思いきや。
今ごろやってきて・・・
撤退戦専門家やね。テオったら
378名無し三等兵:2007/01/06(土) 19:10:29 ID:???
良かったらトルスドルフ氏解説希望
379名無し三等兵:2007/01/06(土) 20:12:54 ID:???
テオドール・トルスドルフ

1934年に東プロイセンのインスターブルクの第1歩兵連隊に志願入隊。
1936年6月1日に少尉任官。
ポーランド戦では第1歩兵連隊第14対戦車砲中隊長。
1939年9月2日、猛烈な銃火の下、敵の陣地に這って近寄り3・7センチ対戦車砲で射撃した(第2級鉄十字章)。
ポーランド騎兵師団がドイツ軍陣地を夜襲すると、突破を阻止した(第1級鉄十字章)。
フランス戦ではベルギーで戦い、フランダース包囲陣に行き、パリを経由した。
1941年6月22日の独ソ開戦、バルト三国を進撃(第1歩兵師団)。大隊長が負傷したときは大隊の指揮をとった。
1941年12月4日に騎士十字章受章。
1942年6月にヴォルコウ包囲陣を壊滅させるのに際立った働きを収め、金色ドイツ十字章を得た。
1943年7月第3次ラドガ湖戦でソビエト軍に大損害を与えた。1943年9月15日、柏葉騎士十字章。
1943年末、第1歩兵師団はヴィニッツア・オデッサ地区に移動。第22歩兵連隊をイフランド大佐戦死により指揮を引き継ぐ。負傷して病院で中佐に昇進した。
傷が癒えると、メッツ士官候補生学校で戦術教官となった。
1944年6月22日、ソビエト軍が中央軍集団に対して大規模攻勢を開始。ソビエト軍は東プロイセン国境に近づく。
第3装甲軍司令官ラインハルト上級大将は、
>>166

9月初めに、第340国民擲弾兵師団を編成。11月中旬に、アメリカ軍の進撃を阻止するためアーヘン地区に移動した。
12月に師団は前線から引き抜かれて、アルデンヌ攻勢を準備。
380名無し三等兵:2007/01/06(土) 23:14:27 ID:???
>>379
ありがとう。
この過程で「イカレてる」と思われた訳か。
381名無し三等兵:2007/01/07(日) 01:14:45 ID:???
ちょっと待て。



あと4ヶ月で二つも昇進するのか?
てか36年に少尉だから
9年で7つも昇進?
382アイク:2007/01/07(日) 10:47:24 ID:???
3年3ヶ月で中佐から元帥になった人間を忘れるな!
383名無し三等兵:2007/01/07(日) 18:16:39 ID:kP6vG9AB
良スレ上げ
384名無し三等兵:2007/01/08(月) 19:48:37 ID:???
1月8日
ヒットラーは、第6装甲軍と第5装甲軍の撤収を下令。

アルデンヌ戦線突出部からの撤退が始る。
385名無し三等兵:2007/01/09(火) 20:48:25 ID:???
1月9日
第47装甲軍団の
第2装甲師団と第9装甲師団は撤退し、
バストーニュの西、サン・ユベールに至る。
昼間は米英連合軍の戦闘爆撃機がいるので
夜間の撤退行動だった。
386名無し三等兵:2007/01/10(水) 18:53:27 ID:???
第2装甲師団と第9装甲師団は
両方ともウィーンの第17軍管区出身。
第47装甲軍団はハノーヴァー第11軍管区で編成されているが、
第47装甲軍団に両装甲師団が所属して戦うのは最初ではなかった。

最初は1943年7月のクルスク。
387名無し三等兵:2007/01/11(木) 20:05:41 ID:???
11日から12日にかけての夜に
サン・ユベールは連合軍の手に落ちる。

ここに来た
イギリス第6空挺師団とアメリカ第87歩兵師団により
イギリス第21軍集団とアメリカ第12軍集団戦線が連結した。
388名無し三等兵:2007/01/12(金) 20:06:25 ID:???
1月12日
東部戦線でソビエト軍の攻勢が始る。
アルデンヌ作戦に脅威を感じた
チャーチルの要請により
予定日を繰り上げてのスターリンの作戦発動だった。

ソビエト軍はソビエト領を既に(ほとんど)奪回しており
領土を越えての更なる攻勢には
大義名分が必要だったが
「ポーランドの解放」に「西側連合軍の要請」
が加わる。

レンドリースの(戦後)踏み倒しの口実にもなる
ソビエト軍攻勢の繰り上げ。

アルデンヌ地区からの部隊の撤収をヒットラー直々の命で加速させることになる。
フォン・マントイフェルの第5装甲軍も撤退の速度を速める。
389名無し三等兵:2007/01/13(土) 06:39:57 ID:5U9NoPkV
>>387
ドイツ軍で、アルデンヌ突出部のポケット地帯に包囲捕捉された部隊って、どのくらいになるのかな。
390名無し三等兵:2007/01/13(土) 19:11:24 ID:???
一番有名なのは
第6装甲軍のパイパーカンプグルッペ(第1SS戦車連隊+)。
将兵800人程度が車両を捨てて歩いて帰った。

第5装甲軍ではバイエル戦闘団(第16戦車連隊+)とか
第2装甲捜索大隊が包囲壊滅。

規模が大きいのはバストーニュ南東で1月12日に
米第6機甲師団なんかに包囲された第5降下猟兵師団(第7軍)かもしれない。
その他の部隊もあわせて1万5千人??が包囲されたことになってるけど。

1月13日、北の米ホッジス第1軍が大規模攻勢を開始し、
南のパットン第3軍とウーファーリズで連絡する為、南に向かった。
アルデンヌ突出部のポケット地帯ができるのはこれから。
391名無し三等兵:2007/01/14(日) 12:47:11 ID:???
パイパー部隊の虐殺事件は書かないの?
392名無し三等兵:2007/01/14(日) 13:25:03 ID:???
うむ
スレ違いになるからね。
393名無し三等兵:2007/01/14(日) 13:42:58 ID:???
それに1レス消費しても終わらんだろうよ。
戦後の調査委員会でも紛糾しちゃってるぐらいだし
394名無し三等兵:2007/01/15(月) 03:29:05 ID:???
>>390
どうも。幕引きは何とか纏めているわけですね。
突破の尖端に大部隊を推進出来なかった事が逆に幸いか。
395名無し三等兵:2007/01/15(月) 18:55:45 ID:???
このころのドイツ軍は
撤退なれしてるから、米英連合軍の進撃よりも
すばやく撤退できたそうな。

慎重派の第21軍集団司令官モントゴメリー元帥の作戦に加え
スターリンの1月攻勢が、ドイツ軍に後退するチャンスを与えてしまった。

いつもは一歩も退くなと命令するヒットラー本人も
ソビエト軍の大攻勢を受けて、
1月15日、
アドラーホルストからベルリンに列車で帰還。
396名無し三等兵:2007/01/15(月) 19:26:34 ID:???
きっと戦車のギアも前進1速後退5速くらいになってたのに違いない。
397名無し三等兵:2007/01/16(火) 20:45:38 ID:???
1月16日
北からの米第1軍の第2機甲師団と
南からの米第3軍の第11機甲師団が
バストーニュ北のウファーリズで連絡。
ドイツ軍2万人がその西で包囲されたと言うが、

バストーニュより西にいた歩兵師団(国民擲弾兵師団)は
第26と第560(だけ)だから、かなり壊滅的な打撃を受けてはいても
師団丸ごと全滅というまではいかない。
第116装甲師団の一部部隊が包囲されたと言うなら
数百人の規模の筈・・
398名無し三等兵:2007/01/17(水) 19:00:15 ID:???
ウファーリズで南北のアメリカ軍が連結すると
次はサンヴィットが戦闘の焦点になるが
ここは第6装甲軍第13歩兵軍団の担当だった。
攻撃側の
アメリカ第75歩兵師団は、午前9時に攻撃開始
午後5時にその日の攻撃終了という定時間
を遵守した為、なかなか前進しなかった。
ドイツ側の
第18国民擲弾兵師団長に
「一週間は早く(サン・ヴィットが)取れた筈」
と酷評されることになる。

第5装甲軍でも、撤退は整然と行われた為
たとえば装甲教導師団の指揮下にあった
第559戦車駆逐大隊は
作戦開始時、18両のヤクトパンターを持っていて
バストーニュを越えて、かなり西で戦闘したにもかかわらず
放棄された車両は1両?で、他は回収された模様。
399名無し三等兵:2007/01/18(木) 23:20:33 ID:SbNs2zv9
東部戦線では1月16日に
ソビエト軍に戦線突破を許した責任をとらされて
A軍集団司令官ヨーゼフ・ハルペ上級大将
第9軍司令官(スミロ)フライヘア・フォン・リュトヴィッツ大将
が解任される。
ハルペは、後にマントイフェルの後任で第5装甲軍司令官となる。
400名無し三等兵:2007/01/19(金) 19:37:38 ID:???
最早いかに不時着するか。みたいな戦況やなぁ
401名無し三等兵:2007/01/20(土) 19:35:18 ID:???
1月20日
ディートリヒSS上級大将の第6装甲軍は
第1SS装甲軍団、第2SS装甲軍団の4個SS装甲師団とともに
アルデンヌ戦線、西部戦線より戦線後方への移動命令を受ける。

フォン・マントイフェルの第5装甲軍が戦線を引き継ぐが、
その第5装甲軍は
第7軍がアメリカ軍の攻撃で危機に陥ったので
装甲教導師団と第2装甲師団を
ハインリッヒ・フライヘア・フォン・リュトヴィッツ大将の
第47装甲軍団の指揮下に入れて引き抜かれることになる。
402名無し三等兵:2007/01/21(日) 20:15:10 ID:???
第5装甲軍は
第13歩兵軍団
第66歩兵軍団
第58装甲軍団。
で編成。
第116装甲師団も戦線後方に下げられて
残る装甲師団は第9装甲師団だけ。
選択肢はもはや撤退のみ。
403名無し三等兵:2007/01/21(日) 23:43:08 ID:???
「歩兵軍」だなぁ、もう。
404名無し三等兵:2007/01/22(月) 21:56:15 ID:???
1月22日
西部戦線後方に下げられていたディートリッヒの第6装甲軍が
東部戦線に移動することになる。
行き先は、ソビエト第4戦車軍の強襲を受け始めた
シュレージェン(シレジア)の首都ブレスラウ(ベルリン南東)
ではなく
ハンガリーだった
405名無し三等兵:2007/01/22(月) 23:26:29 ID:???
目覚めちゃう準備?
406名無し三等兵:2007/01/23(火) 10:46:58 ID:???
んだなあ。
この頃には、第4SS装甲軍団や第3装甲軍団をを中核とする
救出作戦もむなしく、包囲されたブタペスト守備隊は壊滅しちゃってるっけ。
407名無し三等兵:2007/01/23(火) 10:56:24 ID:PvQphlxk
どうして第6装甲軍って言うんですか?
408名無し三等兵:2007/01/23(火) 11:22:39 ID:???
>>407
簡単なことで、6番目にできた装甲軍だから。
独ソ開戦時に攻勢の先鋒役となる第1から第4までの装甲集団が設立された。
(この場合の集団というのは、後送補給機関などを隣接する他の軍に
 依存するために、軍より一段下の臨時的な組織と見られた)

これが1941年末から42年の初頭に補給組織などを完備した装甲軍に格上げされ、東部戦線の最前線にあった。
(43年中に第2装甲軍の司令部はバルカン半島方面へ移動するが)

で1944年秋に、西部戦線で第5装甲軍が設立。
さらにラインの守り作戦が開始されるに当たり、SS装甲師団を中核とする
第6装甲軍もしくは第6SS装甲軍が設立された。
409名無し三等兵:2007/01/23(火) 17:56:24 ID:???
>>407
戦車が6台しかないからです
410名無し三等兵:2007/01/23(火) 18:57:02 ID:???
>>407
みんな6月生まれ
411名無し三等兵:2007/01/24(水) 01:56:31 ID:???
>>409
ヴィーンに入場した時、ゼップがシーラッハに語っているよな。
412名無し三等兵:2007/01/24(水) 19:20:58 ID:???
そのころはSS装甲軍どころか
アスファルト兵士とか言われて馬鹿にされてた時代では。
413名無し三等兵:2007/01/24(水) 23:01:12 ID:???
>>412
>アスファルト兵士
これはどういった意味合になるんでしょ?
414名無し三等兵:2007/01/25(木) 02:53:30 ID:bxOMGFYk
>>413
アスファルト道路の上をてくてく歩くしか能がなかったから。つまり実戦にはつかえねーつー事。
415名無し三等兵:2007/01/25(木) 06:09:39 ID:Q+4++Znw
>>408
すいません。語ってもらったのに…
軽い気持ちだったんですm(__)m
>>409
その答えを待ってました…
              すみません。
416名無し三等兵:2007/01/25(木) 21:19:55 ID:???
>>414
ありがとうございます。
417名無し三等兵:2007/01/26(金) 18:56:45 ID:???
1月26日
東部戦線では
東プロイセンで、許可なく退却を行ったとして
北方軍集団司令官ハンス・ゲオルグ・ラインハルト上級大将が
第4軍司令官ホスバッハ大将とともに解任される。
ラインハルトは前年7月、8月にグロスドイッチュラント師団長だった
フォン・マントイフェルの
グンビネン、シャウレンでの反撃の際の上級指揮官だった。(中央軍集団司令官)

ラインハルトの行動に対し、激昂するヒットラーに
グデーリアン上級大将が両者の忠誠心を保証したため
解任以上の厳罰(軍法会議)は下されなかったという・・・
418名無し三等兵:2007/01/27(土) 16:13:06 ID:???
>>415
気にするな、408はネタにマジレス(ry)ってこったw
419名無し三等兵:2007/01/28(日) 19:55:23 ID:???
ソビエト軍がポーランド南部にあるアウシュビッツを占領(解放)したのが
1月27日。
ベルリンを目指すチュイコフ将軍のソビエト第8親衛軍が
ポーランドからドイツ国境を超えたのは1月28日。

戦いの焦点は西部戦線から東部戦線に移っていた。
第5装甲軍が所属するB軍集団の南、G軍集団の
ノルトヴィント作戦は連合軍部隊の撤退を誘っていたが、
東部戦線への兵力転用をするため中止された。
420名無し三等兵:2007/01/29(月) 13:41:02 ID:kqgiX/nV
>>417
ホスバッハ干すな。
前年鬼畜ガリツキを東プロイセンから追い出した功績あるのに。
ちなみにこの方、「ホスバッハ覚書」とおんなじ人かな?
421名無し三等兵:2007/01/29(月) 23:45:18 ID:???
>>420
いかにも。
ヒトラーの副官だった事もあるのにね。
終戦から1947年まで捕虜収容所で過ごし1980年に没。
422名無し三等兵:2007/01/30(火) 11:35:36 ID:ZcamFv1c
>>421
丁寧にさんくすです。
やっぱそうでしたか。
この方は気骨なイメージありますね。
423名無し三等兵:2007/01/30(火) 11:44:53 ID:ZcamFv1c
そうそう
カリーニングラードって
いつのまにか
ケーニヒスベルグに戻ってましたね。

地図帳なんて
20年くらいまともに見てなかったからビックリ。

プロツラウあたりも・・
あれはポーランドだから無理か。
424名無し三等兵:2007/01/31(水) 19:45:11 ID:???
1月31日
進撃するソビエト軍は、凍結したオーデル川を超え
ベルリン東80キロに橋頭堡を築く。(チュイコフ第8親衛軍とベルサリン第5突撃軍)

その日、そのとき、気温が上昇した。
積雪は解け、ソビエト軍の前進の障害に。
渡河機材なしで川を歩いて渡ることもできなくなった。

西部戦線は、ジークフリート線に沿った防衛を命じられたまま。
425名無し三等兵:2007/02/01(木) 12:09:04 ID:W3UB0P+6
>>424
とうとうきたか。
426名無し三等兵:2007/02/01(木) 14:26:30 ID:W3UB0P+6
その頃の
クールラントの状況
UPなら嬉。まだショルナーかな?
427名無し三等兵:2007/02/01(木) 18:57:15 ID:???
らめぇ!らめぇ!めざめひゃうう!めらめひゃうのぉぉお”おお””!

春に目覚めちゃいそうです
428名無し三等兵:2007/02/02(金) 20:55:41 ID:???
この頃(正確には1月末)
A軍集団司令官ハルペと北方軍集団司令官ラインハルトが
解任されたことにより、新司令官が任命されたが

シェルナーがクールラント軍集団司令官から中央軍集団司令官となったので
ク−ルラント軍集団司令官としてフィーティングホフがイタリアからやってくる。

クールラント軍集団
シェルナー→ハインリッヒ・ゴットフリート・フィーティングホフ

北方軍集団
ラインハルト→ロタール・レンデゥリク

中央軍集団(元A軍集団)
ハルペ→フェルディナント・シェルナー

西部戦線でも

H軍集団司令官
クルト・シュトゥデント→ヨハネス・ブラスコヴィッツ

G軍集団司令官
ヨハネス・ブラスコヴィッツ→パウル・ハウサー

に変わっており、軍集団司令官、大人事異動の時だった。


429名無し三等兵:2007/02/03(土) 10:32:34 ID:fcfLEmuO
どうも。
「クルト・シュトゥデント」は空軍降下部隊の生え抜きでしたね。
いにしえのリペック基地以来の。
430名無し三等兵:2007/02/03(土) 18:12:25 ID:???
ブラスコヴィッツは何で再登用されたんだろうかとちょっと疑問に思った。
あと、調べてみたらこの人変死してるのね。
431名無し三等兵:2007/02/04(日) 17:32:58 ID:???
ブラスコヴィッツが1944年9月下旬に
G軍集団司令官をヒットラーに解任された時は
部隊指揮の方法が批判され、臆病、攻撃精神が欠如していると
非難された。
パットン将軍の米第3軍の側面に,攻撃を加えることが期待されていたんだ。

その後、後任のバルク将軍も結局は米軍を撃退することに失敗し、
党幹部のボルマンなどの計略・讒言にかかって12月24日、
アルデンヌ作戦開始後、ノルトヴィント作戦前に更迭。

それで再びブラスコヴィッツがG軍集団司令官に再任されるわけだが
ヒットラーも自身が解任した理由に正当性がないと思ったから
というか無理な要求だったと悟ったんじゃなかろか.

1945年1月にA軍集団司令官を解任されたヨーゼフ・ハルペは
3月に第5装甲軍司令官として復活する。そう、マントイフェルの後任として・・・
432名無し三等兵:2007/02/04(日) 20:31:40 ID:???
>ブラスコヴィッツ
ポーランドでの戦争犯罪容疑でニュルンベルグ裁判で審理中に窓から飛び降り自殺。
元SSの連中が口封じに謀殺したとの噂も絶えないとの事。
433名無し三等兵:2007/02/04(日) 21:53:58 ID:???
>>431
ありがとう。
ポーランドの件でヒトラー脳内で「信用できない将軍」カテゴリーに
入ったと思しき人が、復帰できてしくじって戻るのは
どういう訳か、と思ったので。
バルクは飛ばしちゃいけないと素人の私でも思います。

>>432
なるほど。というか、死ぬ理由が無いよなぁ。
434名無し三等兵:2007/02/05(月) 20:12:07 ID:???
ブラスコヴィッツの1944年9月のG軍集団司令官解任は
第5装甲軍司令官マントイフェルの
シャトーサリン付近での反撃失敗が
原因とも言える。

部下の失敗の責任は上司がとる物とはいえ
軍集団司令官職に復帰できてよかった。(のか?)

2月3日、南部の第19軍戦区で
コルマールが陥落する。
このときの第19軍の上級司令官は
G軍集団司令官パウル・ハウサーSS上級大将。
435名無し三等兵:2007/02/06(火) 20:57:16 ID:???
2月6日
北の第1降下猟兵軍戦区に装甲教導師団が派遣される。
ライヒスヴァルト地区に対する
ホロックス中将のイギリス第30軍団が攻勢を開始する兆候があったから。
装甲教導師団長は2月5日付で
バイエルライン中将からホルスト・ニーマク大佐に交替。
ニーマク大佐は装甲擲弾兵師団グロス・ドイッチュラントの軽擲弾兵連隊長だった。
436名無し三等兵:2007/02/07(水) 20:26:19 ID:???
フリッツ・バイエルラインは第53(歩兵)軍団長に。
この軍団司令部をもってバイエルライン軍団と呼ばれることになるが
ここらの人事考課がわからないところ。
「1個師団だけでアングロ・アメリカ軍を海に叩き落せるであろう」
と言われた装甲教導師団を率いていたわけだが
ノルマンディでもアルデンヌでも戦果は??
参謀将校というだけで、グデーリアンの部下だったというだけで
出世していくのか?バイエルライン。
437名無し三等兵:2007/02/08(木) 11:11:09 ID:I2NNIIGY
>>436
アフリカで頑張った実績とかあるのかな・・

と、てきとーに言ってはみたが
なーんにも知らない。
438名無し三等兵:2007/02/08(木) 20:07:11 ID:???
ロンメルのお守りをして
タフな忍耐力を培われたに違いない、
と参謀本部から思われてたとか。
439名無し三等兵:2007/02/08(木) 23:05:43 ID:???
オイオイ、東部戦線のキロヴォグラード戦での奮戦を忘れてないか?
第3装甲師団の師団長で。
440名無し三等兵:2007/02/09(金) 05:18:16 ID:???
雑誌で記事書いてる人かな、昨日雑誌見てたら同じ表現が有ったが。
戦車教導師団やって欲しいな。彼らは来ただと、戦車第2大隊長の王子が
戦死したのは9日と思ってたが違ってたし…
441名無し三等兵:2007/02/09(金) 12:38:08 ID:???
戦車第2大隊長の王子が
戦死したのは6月11日じゃないの?
442名無し三等兵:2007/02/09(金) 18:46:49 ID:???
師団史だとそうみたい。カレルの本だと
8日の夜イモ喰う軍曹の回想→1400命令受信し移動、戦闘、王子戦死、
後退→9日夕の話だから思い込んだよ。
443名無し三等兵:2007/02/10(土) 21:02:20 ID:???
西部戦線では攻勢が始まっていた。
モントゴメリー元帥の第21軍集団の北翼、カナダ第1軍(クリーラー)が
2月8日に攻撃を開始する(ヴェリタブル作戦)。
先鋒はホロックス中将のイギリス第30軍団、
対するはH軍集団(ブラスコヴィッツ)第1降下猟兵軍(シュレム空軍大将)の
第7降下猟兵師団。
だが、大雨と
ドイツ軍が上流のダムを決壊させたことにより
ローエル川が氾濫し、進撃が遅れた。

第21軍集団南翼のシンプソン米第9軍も
2月10日
「グレネード作戦」を開始するはずだったが、
洪水状態の川を渡ることができず、作戦延期となった。

モントゴメリー元帥の緒戦のつまづき。
同時期、イギリス軍の攻勢を優先するため進撃を禁じられていた
第12軍集団(ブラッドレー)の第3軍司令官パットン中将は
それを聞いて・・・
444名無し三等兵:2007/02/10(土) 21:17:34 ID:???
モンティはブラッドリーや特にパットンと仲悪かったというが
それにしては談笑してる写真もあったりするな。
445名無し三等兵:2007/02/10(土) 21:25:31 ID:???
>>444

顔で笑って心の中は
446名無し三等兵:2007/02/10(土) 21:29:46 ID:???
そうりゃ
アイゼンハワーとマントイフェルが
一緒に微笑んでる写真があるぐらいだから・・・
ってそれは戦後の話だが。
447名無し三等兵:2007/02/10(土) 22:47:55 ID:???
>>444
彼は笑いながらも、後でよくよく考えてみると
とんでもなく失礼なことを、さらっと言いそうな気がする。
448名無し三等兵:2007/02/10(土) 23:06:33 ID:???
>>447
言いまくってたじゃんパットン先生。戦後ジューコフ将軍が自国の戦車を指して
「親愛なるパットン閣下、この戦車は砲弾をとんでもない遠くまで飛ばせるんですよ」
それに対してパットン先生
「ほうそりゃたいしたもんですな、ですが私の部下がおたくの戦車に500メーター以上で
発砲なんかしやがったら臆病の罪で軍法会議にかけてやりますぜ」
449名無し三等兵:2007/02/10(土) 23:20:40 ID:???
>>448
いやさ、モンティの方だったんだが面白い話を聞けたからいい。
450名無し三等兵:2007/02/11(日) 00:42:07 ID:???
映画なんかでのソ連に対する失礼な言動の数々も
やっぱ本当だったんだろうか。
451名無し三等兵:2007/02/12(月) 17:47:50 ID:???
>>450
あれでも言い方変えてやんわりとオブラート包んでるほう
452名無し三等兵:2007/02/12(月) 20:27:49 ID:???
ではハートマンが将軍になったみたいだったのか!
453名無し三等兵:2007/02/12(月) 21:54:29 ID:???
シシリア以来の不仲
454名無し三等兵:2007/02/13(火) 11:28:03 ID:???
戦略大作戦のパットン様・・・かわいいです。
455名無し三等兵:2007/02/13(火) 12:26:45 ID:???
マントイフェルが第3装甲軍の司令官に移るのは、3月に入ってからだっけ?

そういや、『ヒトラー最後の戦闘』で、コーネリアス・ライアンは、
「グデーリアン、ロンメルに続く機甲戦術の大家」と持ち上げていたな。
この評価って妥当なのだろうか。
456名無し三等兵:2007/02/13(火) 12:38:41 ID:???
>>452
敵に対しては兵士達への演説で、
「ナチの豚野郎どもをぶっ飛ばせ」的な辛辣なアジテーションをやっている。
ただ、殴打事件以外、部下の将兵達にハートマンぽい激を飛ばしたり、
理不尽な罵倒を飛ばしたりってのは、実は思ったほどに聞こえてこなかったりする。
将兵からの人気が高いのはその辺に原因があったりして。
457名無し三等兵:2007/02/13(火) 16:12:01 ID:???
モンティのほうが軍規に寛容だというのに
458名無し三等兵:2007/02/13(火) 21:57:47 ID:???
>>457
モンチィは寛容すぎて作戦も大味。だから勝つときは劇的に、負けるときも劇的に負ける
459名無し三等兵:2007/02/14(水) 01:33:15 ID:???
モンティは伝言ゲームを嫌い、自分の耳目に代わる若い将校たちを
あちこちに派遣したそうだ。 その辺がかなりの変わり者のカナリア爺。
460名無し三等兵:2007/02/14(水) 10:46:02 ID:???
モンティも英国紳士らしく言う事にかなりトゲがあると聞いた。
461名無し三等兵:2007/02/14(水) 12:33:52 ID:???
このころだとシンプソンの第9軍はモンティの第12軍集団に配属されてんだっけ?
第9軍の帰属先とモンティが「地上軍総司令官」の設置および自らの司令官就任を運動していたことで、
西側連合軍の首脳部つーか、イギリスとアメリカ間で、相当に対立の溝が深まってきてるのがこの頃だろうな。
特に、モンティは第12軍集団を攻勢の重点とするべきという意見を常日ごろ隠しもせず、
アイクの重点を形成しない戦略方針に批判的だった。
もちろん、第9軍も第12軍集団に配属し続けることを望んでいた。

しかも、モンティが「バルジの戦い」における英軍の救援まで、
米軍がすっかり打ちのめされ、何もできなかったかのように
報道陣に語ったものだからさあ大変。

第21軍集団司令官ブラッドレーはアイクに「モンティが地上軍総司令官になるなら辞める」と言い、
パットンも「キミ(ブラッドレー)が辞めるのならば、私も辞めよう」と言い出す。
ブラッドレーはアフリカからシシリー島での戦いで、パットンの部下であり、
今は立場が逆転したが、お互いの関係はかなり親密。

この二人の発言も受けて、アイクも一連のモンティの言動に不快感を伝える書簡を送る。

結局、モンティはアイクに「あなたは私のことを100%信頼してよい」と、
地上軍総司令官の設置・就任の断念を匂わせ、以後、身を慎む旨の返書をし、
ライン川を突破して(からだっけ?)、
第9軍はブラッドレーの第21軍集団に戻されることになった。
462名無し三等兵:2007/02/15(木) 20:13:13 ID:???
難航していたイギリス第30軍団の進撃も
12月14日にはエメリッヒ(ドイツ北部)で
ドイツ国内のライン川西岸に到達。

一方ドイツ軍は東部戦線、オーデル川東岸で
攻撃に出ようとしていた。
フェリックス・シュタイナーSS大将率いる
第11SS装甲軍の「ゾネンヴェンデ(冬至)」作戦。
ヴィッスラ軍集団司令官ヒムラーが
オーバーライン軍集団司令官の時に行った作戦と
同一名称。
成功は約束されているのか?
463訂正:2007/02/15(木) 20:13:56 ID:???
12月14日じゃなく2月14日ね。
464名無し三等兵:2007/02/15(木) 20:36:37 ID:???
シュタイナーもナチ党幹部からすりゃ超生意気な奴だったと思うが、
よくクビがつながってたよな。
ぶっちゃけロンメルとかクルーゲの方がまだおとなしいくらいじゃないのか?
465名無し三等兵:2007/02/15(木) 20:52:47 ID:???
ノルマンディ戦の頃、ヒムラーの呼び出し食らったのに
無視して
その後も第2SS装甲軍団長に居座りつづけた
ビットリッヒなんてのもいるからね。
466名無し三等兵:2007/02/16(金) 20:30:55 ID:???
シュタイナーの攻撃は
第3SS装甲軍団が主力となり
第11SS装甲擲弾兵師団「ノルトラント」は
アルンスヴァルデで既に包囲されていた
第503SS重戦車大隊(一部)などのドイツ軍部隊と民間人の救出に成功する。

西部戦線では
イギリス第30軍団がようやくドイツ軍戦線を突破。
カナダ第2軍団はドイツ第47装甲軍団と交戦状態に入る。
467名無し三等兵:2007/02/17(土) 22:05:55 ID:???
シュタイナーの第11SS装甲軍の攻勢も
ソビエト第2親衛戦車軍が
スターリン2戦車を大量投入してきたことによって潰えた。

第2親衛戦車軍司令官・・・
その名はセメン・イリッチ・バグダノフ

その夜、陸軍参謀総長グデーリアン上級大将がヒムラーにつけた陸軍総司令部作戦参謀。
ヴェンク大将が自らの居眠り運転で重傷を負ったことにより
作戦は進展しないことになった。
468名無し三等兵:2007/02/17(土) 22:45:29 ID:???
>>159の人か。ここまで来たかと思うと感慨深い。
しかし、ヴェンクはお茶目さんだなw

469名無し三等兵:2007/02/17(土) 23:55:59 ID:???
どっかで聞いたが
ヴェンクは最期もやっぱり交通事故だったのでは…。
470名無し三等兵:2007/02/18(日) 11:26:38 ID:???
調べてみたが確かに事故ってるなorz
ttp://www.geocities.com/~orion47/WEHRMACHT/HEER/General2/WENCK_WALTHER.html
471名無し三等兵:2007/02/18(日) 11:45:35 ID:???
ありゃ
この時点ではヴェンク中将だね。
調べて書いたつもりだったんだが
すまん。
472名無し三等兵:2007/02/19(月) 17:11:47 ID:???

473名無し三等兵:2007/02/19(月) 18:22:51 ID:???
ヴェンクは実はスペランカーで
最初の事故で残機が1機減って
最期の事故のときは残機がなかったんだよ。
474名無し三等兵:2007/02/20(火) 00:19:21 ID:???
>>471
これだけ短期間で昇進してる時期ならそういうこともありますよ。
475名無し三等兵:2007/02/20(火) 08:29:16 ID:???
トルスドルフも交通事故だったよな。
ただし彼の場合、
二年後死亡だが。
476名無し三等兵:2007/02/21(水) 12:13:58 ID:???
連合軍も枢軸も結構な偉い人が
飛行機事故で死んでたりするよな。
477名無し三等兵:2007/02/22(木) 20:17:53 ID:???
去る2月18日は
フォン・マントイフェルがダイアモンド剣付柏葉騎士十字章を受章した日。
アルデンヌ戦の功績に対してだが

かつての部下、故アダールベルト・シュルツ少将は
すでに1943年12月にジトミル奪取の功によって得ている。

ダイアモンドと名がついているくらいだから
柏の葉にダイアモンドが埋め込まれているが
この頃になると天然ダイヤではなく、人工ダイヤになっている(筈)。
結局失敗に終わったアルデンヌ戦の功績ではそれもしかたなしか・・・
478名無し三等兵:2007/02/22(木) 21:08:43 ID:???
知ったか乙。その頃は、人工ダイヤは無い。
479名無し三等兵:2007/02/22(木) 22:00:30 ID:???
ダイヤモンドは後で支給されると勲記に書いてあるはず。
480477:2007/02/22(木) 22:05:55 ID:???
どうもそうみたいやね。
人工ダイヤじゃなく「イミテーションのダイヤ」が正解みたい。
受章者は天然物とイミテーション物の2セットを送られて
日常はイミテーションの方を着用したとする資料もある。
481名無し三等兵:2007/02/22(木) 22:15:48 ID:???
ダイヤモンド剣付柏葉騎士十字章は受賞者数も少ないんだし
普段はニセダイヤつけてた奴も特定できるかも。
もしかしたら普段から本物のダイヤつけてた奴もいるのでは。
482名無し三等兵:2007/02/23(金) 21:03:43 ID:???
2月23日
シンプソン第9軍による「グレネード」作戦発動。
この時、モントゴメリーの第21軍集団に所属する軍と
それに対応するドイツ軍は
北から
第1カナダ軍←ーーー→第1降下猟兵軍
第2イギリス軍
第9アメリカ軍←ーー→第5装甲軍
(第1アメリカ軍←ーー→第15軍) 

となっている。(第1アメリカ軍は第12軍集団)
アルデンヌ作戦時と第5装甲軍と第15軍の配置が変更されているが
B軍集団司令官モ−デル元帥の「危険な地点にもっとも有能な将軍を配置する」
という方針で編成替えが行われた。
483名無し三等兵:2007/02/24(土) 20:14:35 ID:???
第9アメリカ軍の編成(師団未満の部隊省略)
北から
第16軍団
第79歩兵師団
第8機甲師団
第35歩兵師団

第13軍団
第84歩兵師団
第5機甲師団
第102歩兵師団

第19軍団
第30歩兵師団
第2機甲師団
第29歩兵師団

1個軍団が1個機甲師団と2個歩兵師団で編成される(標準的な)のが
アメリカ軍の面白い?とこ。
歩兵師団も戦車大隊か、戦車駆逐車を持つ戦車駆逐大隊は持っている。

第1軍から借り物の第7軍団(コリンズ)も含め、
ローエル川に20以上の橋をかけて渡河に成功する。
484名無し三等兵:2007/02/25(日) 21:07:08 ID:???
アメリカ第19軍団には
あと、第83歩兵師団が加わる。

2月24日付で北の第一降下猟兵軍に派遣されていた
装甲教導師団は第12SS歩兵軍団の指揮下に入る。

この時点では第1降下猟兵軍の南の
第12SS歩兵軍団、第81歩兵軍団、第58装甲軍団は
まだグスタフ・フォン・ツァンゲンの第15軍の指揮下。

シンプソンの第9軍は、橋頭堡から出撃して北東に旋回し、
ドイツ軍の包囲を目指す。
ケルン西の平原はM4シャーマンをはじめ、M10、M36
戦車駆逐車であふれた。
485名無し三等兵:2007/02/26(月) 00:18:23 ID:???
M10って現地改造で屋根つけたりしたそうだが
そんなことせんでも最初から普通に屋根つけりゃいいのに。
どうせ大して重量なんて変わらん気がするが。
486名無し三等兵:2007/02/26(月) 18:30:13 ID:???
地中海戦域、ノルマンディ戦線で戦っていた頃と違って
オープントップにしていると砲弾の破片が入ってくる
あるいは、入ってくるおそれが出てきたからねえ。
487名無し三等兵:2007/02/27(火) 05:52:18 ID:???
敵の斥候に手榴弾投げ込まれても全滅しちゃうかもだぜ?
488名無し三等兵:2007/02/27(火) 18:42:56 ID:???
屋根がないって?
やーねー
489名無し三等兵:2007/02/27(火) 21:22:48 ID:???
    /\___/ヽ   ヽ
   /    ::::::::::::::::\ つ
  . |  ,,-‐‐   ‐‐-、 .:::| わ
  |  、_(o)_,:  _(o)_, :::|ぁぁ
.   |    ::<      .::|あぁ
   \  /( [三] )ヽ ::/ああ
   /`ー‐--‐‐―´\ぁあ
490名無し三等兵:2007/02/28(水) 21:02:25 ID:???
2月28日
メンヘン・グランドバッハの装甲教導師団は
南西から迫るアメリカ第5機甲師団に対して反撃する。
フォン・ハウザー大佐の装甲戦闘団が
第901装甲擲弾兵連隊、戦車1個中隊(12両)、戦車駆逐1個中隊(10両)
でアメリカ軍戦車15両を撃破する。
だが、この戦域だけで4個機甲師団、戦車1000両を投入した
アメリカ軍には、どれほどの効果があったか疑わしい。

バイエルライン軍団(Korps-gruppe)には,第11装甲師団も所属していたが
東のライン川へと圧迫されることになる。
491名無し三等兵:2007/02/28(水) 21:56:09 ID:???
もう、この頃になったら戦車を動かすだけで精一杯な連中だらけだったのかなぁ
492名無し三等兵:2007/03/01(木) 20:03:09 ID:???
3月1日
装甲教導師団がメンヘングランドバッハから退いたため、
アメリカ第19軍団の第29歩兵師団が占領。

いまやアメリカ軍の関心は、ライン川にかかる橋の確保にあった。
第19軍団の第83歩兵師団はドイツ軍の旗を掲げた特別部隊を
ライン川に向けて送り込む。

第5装甲軍、第15軍という軍レベル司令部(だけ)の配置転換で
ドイツ軍のライン川防衛体制に隙ができていた。
アメリカ第83歩兵師団の向かったデュッセルドルフ地区ではなく、
かつての第5装甲軍戦区、今は第15軍戦区となったレマーゲンで・・・・
493名無し三等兵:2007/03/01(木) 21:49:28 ID:???
映画のレマゲン鉄橋の冒頭でチャーフィーかなんかが
走りながらボンボン撃ってたが
当時の米軍は走りながら撃ってたのか?
494名無し三等兵:2007/03/01(木) 21:52:57 ID:???
映画だからだろ
495名無し三等兵:2007/03/02(金) 15:32:19 ID:???
以前ディスカバリーchでバルジの戦いを再現してたけど、
マントイフェルがバストーニュのマッコリーフに降伏勧告を出したら、
逆に”Nuts(クソ食らえ)”と返されて、
コケにされたマントイフェルが怒り狂ってた。
496名無し三等兵:2007/03/02(金) 16:23:31 ID:???
マコーリフ本人は、そんな事言ってない、と言ってたが
497名無し三等兵:2007/03/03(土) 00:09:41 ID:???
>>491
この頃は精一杯な連中が動かす戦車も無い。
498名無し三等兵:2007/03/03(土) 12:45:57 ID:???
499名無し三等兵:2007/03/03(土) 22:53:53 ID:???
shitと言われた方がより屈辱的だったんじゃね>マントイフェル

第5機甲軍に対し、一個空挺師団で守り切ったのはスゴイな>マコリーフ
500名無し三等兵:2007/03/04(日) 02:25:13 ID:???
何故一個空挺師団で第5戦車軍と戦えたかって?

そりゃ第5戦車軍の5は戦車5両の5だからさ!
501名無し三等兵:2007/03/04(日) 02:49:15 ID:???
決め手は砲兵力ジャマイカ
502名無し三等兵:2007/03/04(日) 07:46:31 ID:???
>>499
すごいにはすごいんだが、ドイツ軍も前進しないと戦争に負けちゃうから
全力を発揮するっていうことはなかったんじゃないか?
503名無し三等兵:2007/03/04(日) 22:38:41 ID:???
バストーニュは全方位から一斉に攻めれば陥落したな
504名無し三等兵:2007/03/04(日) 22:43:19 ID:???
>>502
地図を見ればわかると思うが
ただの田舎町ではあるものの
東西南北に道路がある。
機動部隊や補給部隊には欠かせない拠点だよ
505名無し三等兵:2007/03/05(月) 01:32:28 ID:???
いや攻撃三日目にして、第47機甲軍団のリュトヴィッツが、
バストーニュを素通りしないで一気に攻略すべきと進言したが、
マントイフェルは主目標のミューズ川を重視して拒否。
(しかし結局マントイフェルはバストーニュを占拠しなかったことを後悔)
506名無し三等兵:2007/03/05(月) 03:29:12 ID:???
>>505
かえすがえすも重砲が無いのが痛かった。
自走砲なんか持ってこなかったから、都市攻略に手間取る
ことは判っていた。 40年次の電撃戦と違って急降下爆撃機など
航空兵力があてにならなかったから尚のこと。
507名無し三等兵:2007/03/05(月) 18:52:32 ID:???
>>506
航空攻撃できる空の状態だったら米の爆撃機がやってくるよ・・・
しかし、重砲を持ってこなかったのは確かに痛い。
とにかく急いで前進確保しなきゃならんから陣地の準備に時間が
かかり、弾も沢山運べない重砲を持っていかないのには理解できるのだが・・・
508名無し三等兵:2007/03/06(火) 10:28:00 ID:???
かたやこの頃の米軍はVT信管付きの砲弾持ってたし、
包囲内の101空挺師団でさえ、105mm榴弾砲一個大隊持ってたからな

ノルマンディのときも上陸した連合軍に対し、
第12SS機甲師団がろくに準備砲撃もなしに狂信的に突撃してきたと、
カナダ軍が酷評してた。
509名無し三等兵:2007/03/06(火) 10:37:20 ID:???
>>508
しかし、そのカナダの公刊戦史も、連合軍の勝利は戦術的な優位によるものではないと認めていたり(ソースは「彼らは来た」)
510名無し三等兵:2007/03/06(火) 14:10:52 ID:???
101空挺のマッコリフ准将も、包囲される前から
一発も長距離からの砲弾が降ってなかったのを
知ってたと思う。 重砲なんか持ってないのに
「降伏しませんか?」なんて片腹痛いと。
511名無し三等兵:2007/03/06(火) 18:59:17 ID:???
重砲で陣地ごとふっ飛ばさなかったから敵は前進し浸透するのが目的だと
感づいたのかもな。そして晴れるまで持ちこたえ、敵の補給路を圧迫することに徹すれば
勝ちは無いが、負けることも無いと踏んでいたんだろう
512名無し三等兵:2007/03/07(水) 05:32:55 ID:???
末期のドイツ軍は歩兵師団の攻撃力の不足が問題。
後のブタペスト救援時も戦車部隊は突破に成功するが、後続の歩兵部隊が
包囲した都市の掃討にてこずり、作戦自体が失敗している。

まあ、この頃のドイツ歩兵は錬度不足でかってのソ連軍の様に一列に
並んで突撃してくるしか能が無いから、豊富な火力の前には歯がたたんわな。


513名無し三等兵:2007/03/07(水) 10:23:57 ID:???
>>512
まあ、ブタペスト救援作戦の場合は、最初に救援部隊が突破を試みたのが、割と峻険な地形のところだった。
それで失敗して、攻勢軸を南部の平原地帯にシフトするまで
時間を浪費したという不幸もあるな。

質的な問題もさることながら量的な不足も何とも。
東部戦線のスタート時、歩兵師団は歩兵大隊9個を抱えてるが通常だったのが、
44年以降は6個大隊が普通になり、それさえも定員に達しない状態。
西部戦線はまだ師団数が多かったからましだったが、
東部では通常5kmとされていた歩兵師団の担当正面が10数kmまで広がっており、
数量的な劣弱も覆い隠せなくなっている。
514名無し三等兵:2007/03/07(水) 12:13:40 ID:???
でもバルジ戦時の兵力はドイツ軍25万、戦車・自走砲1000両なのに対し、
米軍は8万で戦車・自走砲も400両。

あと米第8軍団の第28、106師団は到着したばかりで実戦経験なし。
第9機甲師団も10月末に初めて戦闘に参加し、
第4師団はヒュルトゲンの森で大損害を被ったばかりで、
米軍は未熟な兵や傷病兵ばっかで、質・量ともにドイツ軍がかなり優ってたのでは
515名無し三等兵:2007/03/07(水) 19:49:50 ID:???
>>514
多分、その方程式は「ドイツの装甲師団と比較したら」という限定を付けないと。
訓練の行き届いた補充兵は装甲師団に優先され、
さらに装備もSS、そして国防軍の装甲師団という順で充足されていっていたはず。

歩兵師団の方は、
大損害→未熟兵で不十分な補充&装備面も劣弱→質量ともに劣るのでまた大損害→……
の悪循環に陥っていたと思われ、兵員の頭数は揃ったとしても、
師団あたりでみたら、バルジの戦い当初の米軍とどっこいどっこいの兵の質で、
火力的にはずっと劣るという実態だったと思うぞ。
516名無し三等兵:2007/03/07(水) 20:49:30 ID:7v4kAbjY
フランクフルト(アン・デア・オーデル)はどうなった?
517名無し三等兵:2007/03/07(水) 21:00:20 ID:???
>>515
ヤークトティーガー乗ってた奴も敵が多いと見るや
いきなりUターンして後部装甲打ち抜かれて撃破された事例もあるくらい
質が落ちていたようだ
518名無し三等兵:2007/03/07(水) 21:29:07 ID:???
サンヴィットではキングタイガーが、米M8装甲車に後ろに回り込まれ、
37mm砲で撃破されるなんて例もあるし、
トータルの死傷者数でも、米軍7万7千に対し、12万と、ドイツ軍の方が多い。

一番優良装備のはずのSS機甲軍が、最も進撃が鈍ってたのは皮肉だなw
519名無し三等兵:2007/03/07(水) 22:42:14 ID:???
みんなそれはゼップ”肉挽き”ディートリッヒの阿呆のせい。
520名無し三等兵:2007/03/07(水) 23:36:58 ID:???
>>518 それはM8でキングタイガーに立ち向かうヤンキー魂を褒めるべきだな
普通は一目散に逃げる
521名無し三等兵:2007/03/08(木) 12:53:55 ID:???
バルジ戦の映画や劇画では大暴れしたイメージが強いけど、
実際戦記とか読むとこれと言った武勇伝がなく、地味なんだよね>キングタイガー

JPパリュの「アルデンヌ1944」によると、パイパー戦闘団の先頭は4号戦車で、
その後にパンテル、装甲兵車が続き、王虎は工兵、砲兵より後の最後尾で、
パイパーによれば、この作戦の鍵はスピードなので進撃のジャマにならないよう、
後ろからついといで程度のものだったらしい。
522名無し三等兵:2007/03/08(木) 14:27:15 ID:???
そりゃあんな重い戦車は攻勢には向かないだろ 
523名無し三等兵:2007/03/08(木) 16:48:00 ID:???
おまけに深い轍ができて他の戦車なら消したり、雪が隠してくれるんだが
どうにも深く掘りすぎてバレバレなんだよな。ヤーボほいほい
524名無し三等兵:2007/03/08(木) 19:00:25 ID:???
だがゼップはカリスマはあったし
グデーリアンやルントシュテットの戦略を理解できる程度の
知能はあったようだから、
良い参謀とかつけりゃ結構いいとこいけたんじゃね?
525名無し三等兵:2007/03/08(木) 21:09:45 ID:???
グテーリアンよりグーデリアンのほうが聞こえがいいよね
526名無し三等兵:2007/03/08(木) 21:23:58 ID:???
>>524
参謀としてクレーマーは付いてたけどな。
フォン・デル・ハイトが、グライフ作戦をやると思ってたとか・・・。
スコルツェニーと間違えられた誇り高き大学教授はプンスカした。
527名無し三等兵:2007/03/09(金) 20:49:39 ID:???
3月3日、
ドイツ軍に偽装した戦車で
第83歩兵師団(第736戦車大隊、第643戦車駆逐大隊のM18)の特別部隊が
対岸にデュッセルドルフを望む村に達すると・・・
突然、爆発が起き、付近にかかる4つの橋は次々に爆煙の中、
川の中に崩れ落ちた。
アメリカ版、奪取作戦の失敗。

デュッセルドルフ北の「アドルフヒットラー」橋
第2機甲師団の攻撃も失敗。橋は爆破された。

だが、3月7日にホッジス第1軍の第9機甲師団B戦闘団は
レマーゲン鉄橋の奪取に成功した。
アルデンヌ、サン・ヴィットの復讐?
ツァンゲンのドイツ第15軍戦区で。
528名無し三等兵:2007/03/09(金) 20:50:31 ID:???
フォン・マントイフェルは、ベルリンのヒットラーの元に出頭する。
「将軍たちはみんなうそつきだ!」と突然叫び始めるヒットラーに
「フォン・マントイフェルがいつ嘘をつきましたか?」
と瞬間湯沸し器のハッソーも食ってかかる。
マントイフェルの剣幕に、
ヒットラーは、たじろぎ、謝罪する。

カイテル元帥に自制するよう注意を受けていたのだが
マントイフェル大将は、やってしまった。


3月8日
第3装甲軍司令官ラウス上級大将が解任される。
戦況説明がくどくど言いわけがましかったと総統の不興を買ったのだ。
「あの男はどこの出身だ。ベルリンか?東部か?」とヒットラー。
「総統と同じ、オーストリア出身です」はグデーリアン。
1943年11月のジトミル付近の反撃で第4装甲軍司令官。
それからフーベ大将亡き後の第1装甲軍司令官を経て
1944年8月には第3装甲軍司令官として
ドゥッペルコプフ作戦(バルト3国のシャウレン・トゥクム)を指揮するなど
マントイフェルとは因縁浅からぬ仲であったが・・・

第3装甲軍の新司令官。
フォン・マントイフェルは、再び東部戦線へ。
529名無し三等兵:2007/03/09(金) 22:04:28 ID:???
自重しないハッソーとカウンター食らう伍長にワロタ。
向こうの人のしかも軍人貴族にウソツキだって言っちゃいけないよな。
530名無し三等兵:2007/03/10(土) 02:55:20 ID:???
>>529
嘘をつかせるような剣幕を見せると、人は真実を言わなくなるのだ。
531名無し三等兵:2007/03/10(土) 11:43:04 ID:???
米第83師団はドイツ語を喋る兵士にドイツ軍の制服着させ、
逆グライフ作戦やっとるな

第9機甲師団はバルジでドイツ軍に2度も"全滅した"と公式発表され、
以来兵士自ら、「幻師団」と呼ぶようになったとか
(映画「レマゲン鉄橋」のハートマン中尉のモデルは、
橋を見つけたB戦闘団27機甲歩兵大隊A中隊長ティンマーマン少尉か)
532名無し三等兵:2007/03/11(日) 17:12:52 ID:???
キレっぷりではヘープナーも負けてないと思うが
ヘープナーは速攻でクビになったのにハッソさんは何故?
533名無し三等兵:2007/03/11(日) 17:56:11 ID:???
ヘープナーは、戦前から反ヒットラーの急先鋒で
ベックとともにチェコ併合の時は
クーデターの中心人物になる筈の人物だからな。

ヒットラーでも理由なく解任、退役させることはできないが
モスクワ攻略失敗とか理由さえ見つかれば
切って捨てられるのは当然といった立場。

アドルフと、じゃれながら仲良くけんかする
マントイフェルやグデーリアンの失敗とはわけが違う。
534名無し三等兵:2007/03/11(日) 18:31:37 ID:???
そういう経歴見ちゃうとむしろよく生かされたなと思う次第
535名無し三等兵:2007/03/11(日) 19:00:15 ID:???
さすがに最後はやられちゃったけどな。
ドイツではシュタウフェンベルクは超人気だが
ヘープナーとかベックとかもやっぱ人気なのかな。
536名無し三等兵:2007/03/11(日) 19:09:16 ID:???
ヘープナーはヒトラーによる突然の解任を不服として
陸軍に対して裁判を起して勝訴したかで
予備役ながらも元帥の給与と待遇は得てたはず。
537名無し三等兵:2007/03/11(日) 19:28:24 ID:???
ヘープナーは解任時、元帥じゃないぞ
538名無し三等兵:2007/03/11(日) 20:26:23 ID:???
>>533
あんときやっとけばよかったのにな。
不確実な一個大隊でなくて、確実な一個師団で
しかも機甲師団だったんだから。
539名無し三等兵:2007/03/12(月) 10:44:56 ID:???
>>536
>>537
ヘープナーは解任時、上級大将。
しかも、解任と同時に軍籍をはく奪されてる。
裁判で勝訴してという話は、初めて聞くが、だとしたら、
名誉回復とはく奪された軍籍を回復し、予備役待遇に戻れたということになるのかな?
540名無し三等兵:2007/03/12(月) 11:30:48 ID:???
因みに、ヘープナーの軍歴については以下を参照。
ttp://www.geocities.com/~orion47/WEHRMACHT/HEER/Generaloberst/HOEPNER_ERICH.html

Careerのしまいの方に、
「臆病と不服従」のかどで軍務を解かれる。
制服や勲章を着用する権利やすべての年金を受け取る権利を失う。
モスクワ西方の4個師団を後退させたせいである。

とあり、その直後に、

ヒトラーの爆弾による暗殺の陰謀に参加したために逮捕。
彼は国内における戦争の際に最高司令官となるはずだった。

とある。
積極的にヒトラー暗殺に彼は参加していたから、度胸はあったんだろうな。
ただ、角川文庫の『軍の反乱』という記録的なフィクション小説に、
民族法廷の場面も詳細に記されているが、そこでのヘープナーの陳述は、
今一つキレに欠く。たまたまそういう情勢に居合わせたために、
そうなってしまったみたいな感じで無罪を勝ち取りにかかったのか、
どうも潔くないという印象になってるな。
積極的な参画者には場を得たとばかりにヒトラー弾劾を徹底的にやってのけた人々もいるだけに、特にね。
541名無し三等兵:2007/03/12(月) 21:51:19 ID:???
>>540
あれ、最高司令官ヴィッツレーベンだった様な憶えが。
542名無し三等兵:2007/03/12(月) 23:14:51 ID:???
>>541
多分、
ベック(国家元首=大統領)>ヴィッツレーベン(最高司令官)>ヘープナー(国内戦最高司令官)

という命令系統になると思われ。
540で貼られたリンク先のヘープナーの地位は
Commander-in-Chief of the Home Theatre of War
とあるから…上手い訳を思い付かないが、ホーム・シアター・オブ・ウォーを
国内戦=ドイツ国内でのヒトラー派と戦争と解せるんではないかと。
543名無し三等兵:2007/03/13(火) 00:13:40 ID:???
>>542
Thx
そういうことか。
対露戦の方でマンシュタイン起用はあったかもしれないな。
544名無し三等兵:2007/03/14(水) 20:00:37 ID:???
レマーゲン鉄橋をアメリカ第1軍に奪取され
ヒットラーの不興を買った西方軍総司令官ルントシュテット元帥は
3月10日に解任された。
後任はケッセルリンク元帥。
ハウサーのG軍集団も包囲を避けるため、後退を準備していた。

フォン・マントイフェルが
東部戦線の第3装甲軍司令部に着任したのが
3月14日。
ケッセルリンクは西方軍司令部で
「諸君、小官は新しいV3号兵器である」
と自己紹介したが
マントイフェルの第3装甲軍司令部着任の挨拶、いや命令は

「これ以上一歩も引くな」
545名無し三等兵:2007/03/14(水) 20:06:11 ID:???
「後退してどっか穴倉に隠れればアメリカとソビエトが勝手に戦争しはじめるぜ。」
546名無し三等兵:2007/03/14(水) 22:29:06 ID:???
かつてモーデルも戦況打開のプレゼントは俺、とか
とんでもない着任の挨拶した事があったが
それを意識したんだろうか。
547名無し三等兵:2007/03/15(木) 01:05:26 ID:???
なんでBOBで敗退した元航空艦隊司令官が、ルントシュテットの後釜やねん
(これならクライストやボック復帰させた方がマシじゃ?)
548名無し三等兵:2007/03/15(木) 01:13:17 ID:???
>>545
アルプス山中に引き込んでゲリラ戦で抵抗する計画はあったはず。
というか、死んだ振りをして・・・
549名無し三等兵:2007/03/15(木) 10:44:51 ID:???
>>547
イタリアで見事な後退戦を指揮したから
550名無し三等兵:2007/03/15(木) 10:56:13 ID:???
>>547
ケッセルリンクとか、リヒトフォーヘンは、
陸軍に入隊して、その後、WW1中に陸軍航空隊ができて、
そこへ転属し、WW1後に空軍の設立に伴って移籍した。
だから、陸軍士官として、陸戦の基本的な教育も受けていれば、
陸軍士官として戦闘や業務をこなした経験もある。
551名無し三等兵:2007/03/15(木) 11:02:54 ID:???
>>548
アルプス要塞が用意されているという憶測(実際、用意されてたんだっけ?)は、
後々、アイクに決定的な誤断を強いることになる。
対独戦の最終段階、ベルリンを占領するのは誰かという調整に際して、
スターリンがベルリンは最早、重要な政治的目標ではないと言明
(とんでもない、大うそだが)。
アルプス要塞が用意されているという憶測がそこに重なり、
アイクは自分たちがベルリンを占領する必要性はなく、
むしろ、ベルリンとアルプス要塞の連絡ルートを早急に遮断した方がよい、と判断する。
もちろん、エルベ川の線で停止させられたモンティや英国政府筋(特にチャーチル)は猛反対だったが。
552名無し三等兵:2007/03/15(木) 19:13:10 ID:???
BOBのときはデブの威光の前に
さすがのアルベルトも
本当に笑ってやり過ごす以外になかったのでは
553名無し三等兵:2007/03/15(木) 21:08:06 ID:???
BOBのときはもう一人のデブ(シュペレル)と対立して、
残りの英戦闘機数を低く見積もってロンドン爆撃に変変更させたり、
北阿では航空援護が不十分とロンメルから非難されるはで、
空将としては今イチパッとせんな>ケッセリンク

アルプスにはナチの金塊が隠されてるとか噂もあったな
アルプスに行かずにわしゃベルリンに残ると言ったヒトラーに対し、
カイテルやヨードルがブチ切れてたけど、シュペーアは、
総統はアルプスのバンガローで死ぬより、ベルリンの官邸で戦死する方が
はるかに英雄らしい、と逆に誉めてたな
554名無し三等兵:2007/03/15(木) 21:11:03 ID:???
空軍含め軍全体が東部戦線で忙しいのに
勝手に戦線拡大して補給が足らんだの航空支援が足らんだの
さすがにロンメルはわがままでは。
555名無し三等兵:2007/03/15(木) 21:37:33 ID:???
>>553
シュペーアはこれ以上の空爆を受ければ
敗戦後に復活することは出来なくなると思って
ベルリン在留に賛成したんじゃないかなぁ
556名無し三等兵:2007/03/16(金) 06:34:30 ID:???
>>555
あと、シュペーアは毒ガスを使ってヒトラー暗殺をたくらんでもいたな。
だから、ベルリンに留まることを賛成したのかも。
まあ、彼による暗殺は戦後、連合軍に抑留されてから明らかになったことで、
ニュルンベルク裁判の量刑を軽くしてもらうためのウソの可能性もあると思うが・・・。
557名無し三等兵:2007/03/16(金) 14:22:50 ID:???
敗戦間近アルプス要塞(実際は存在しない)にシェルナーが指揮を取るとか言って、
部下を見捨てて東部戦線からアルプスに来たのは、
実は徳川埋蔵金ならぬ、ナチの金塊目当てだったと戦後元参謀長にチクられてたような・・
558名無し三等兵:2007/03/17(土) 15:30:47 ID:3tRWO4+E
>>557
 まあシェルナーの場合は、第1次大戦でロンメルが貰うべき鉄十字勲章を
貰っても、シレッとして返さないばかりか堂々と受勲者と名乗っていた人だから・・・。
そのぐらいはあっても驚かない。
559名無し三等兵:2007/03/17(土) 16:43:16 ID:???
なんでスレが伸びてんのか疑問できてみれば、

…まったくおまいらときたら。
560名無し三等兵:2007/03/17(土) 17:27:15 ID:???
>>558
シェルナーもロンメルもWW1の同じ戦いで仲良くブルーマックス貰ってまんがな
561名無し三等兵:2007/03/17(土) 19:25:05 ID:???
>>556
いずれにしても、シュペーアは
負けたんだからもう次のこと始めないといかんよな的な
事を考えていたんだと思う。彼はアーティストだから切り替え
が早いのかも
562名無し三等兵:2007/03/17(土) 22:34:54 ID:???
建築家は物を壊すことが仕事なのではない。

                    − 俺 −
563名無し三等兵:2007/03/18(日) 09:41:53 ID:???
>>562
その言葉、伍長閣下殿に聞かせて差し上げろ
564名無し三等兵:2007/03/19(月) 19:39:40 ID:???
第3装甲軍。
前任者ラウス上級大将の下で
東プロイセンのケーニッヒスベルク(北のザムラント)から
バルト海経由で脱出、
西プロイセンの第11SS装甲軍戦区を引き継ぐ。
第3SS装甲軍団
第10歩兵軍団
フォン・テッタウ・グループが指揮下にあった。

2月中旬、ソビエト軍のバルト海沿岸へ突破、北上作戦で
東のドイツ第2軍との連絡を断たれる。
バルト海沿岸の都市コルベルグが包囲され、守備隊が海路脱出したのが
3月18日。

3月19日、フォン・マントイフェルは
ヒットラーに
夜にすべてをオーデル川西岸に移すか
それとも翌日にすべてを失うか
選択?を迫る。

「さもなければすべては失われる」
ヒットラーの、もっとも嫌いな将軍たちの慣用句だったが
オーデル東岸の部隊の後退を認めた。
565訂正:2007/03/19(月) 19:43:03 ID:???
コルベルグ→コルベルク
566名無し三等兵:2007/03/20(火) 20:24:21 ID:???
第3装甲軍の上級司令部はヴィッスラ軍集団。
司令官はSS国家長官ハインリッヒ・ヒムラー。
戦闘経験がほとんど皆無であるのに、金色白兵戦章を持つ。

ドイツ陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアン上級大将は
ゲープハルト博士(終戦時ドイツ赤十字総裁)の診療所で病気療養と称して
引きこもっているヒムラーを解任したがっていた。

グデーリアンは、ヒムラー本人の了解を得た後、
ヒットラーに、過労のヒムラーの解任を提案する。

3月20日、
中央軍集団戦区
ゴットハルト・ハインリキ上級大将の
第1装甲軍司令部に電報が送られた。
567名無し三等兵:2007/03/21(水) 14:31:49 ID:PLUn1e2S
いつも思うんだが「上級大将」って階級格好良いよな。
568名無し三等兵:2007/03/21(水) 16:06:04 ID:???
終身名誉職な元帥にしたくない意向がミエミエ
569名無し三等兵:2007/03/21(水) 17:55:48 ID:???
大元帥(笑)
570名無し三等兵:2007/03/21(水) 21:41:58 ID:???
>>569
護国卿とかの称号が嬉しい。
571名無し三等兵:2007/03/22(木) 19:39:25 ID:???
3月22日
ヴィッスラ軍集団の新司令官ハインリキ上級大将は、
ベルリン南、ツォッセンの陸軍総司令部にいるグデーリアン上級大将に会いに行く。

指揮下にはフォン・マントイフェル大将の第3装甲軍と
ブッセ大将の第9軍。

ハインツ・ライネファルトSS大将兼警察大将の守る
オーデル河畔のキュストリン要塞は、
オーデル川西岸に進出したソビエト軍に南北から包囲され、
この22日、孤立した。
572名無し三等兵:2007/03/22(木) 20:04:14 ID:???
>>571
このハインリキとグデーリアンとの面会以後のベルリン戦の
流れを把握するのは、コーネリアス・ライアンの「ヒトラー最後の戦闘」が
やっぱりわかりよい読み物でしょうかねえ。
ただまあ、我らがフォン・マントイフェルはほとんど登場しないのが
同書の残念と言えば、残念なところですが・・・。
573名無し三等兵:2007/03/22(木) 22:27:03 ID:???
コーネリアス・ライアンは、ハインリキに
直接インタビューしたんでしょうね。
かなり詳細に好意的に書いてあるとこ見ると
574名無し三等兵:2007/03/23(金) 00:01:08 ID:???
グデーリアンは後にリデルハートにやたら持ち上げられているが、この頃は避難民が寒さと飢えでバタバタ倒れている中、
陸軍総司令部でやけっぱちの様に毎日続く饗宴のホストで忙しい。
575名無し三等兵:2007/03/23(金) 00:19:48 ID:???
お互い持ちつ持たれつの関係だったからね>リデルハートとドイツの将軍達

>573
ライアンは「遥かなる橋」でもビットリッヒとかドイツ軍側をインタビューしてたね
降下した英空挺部隊を、自分を誘拐しに来たと慌ててたモーデルが可笑った
576名無し三等兵:2007/03/23(金) 19:30:23 ID:???
「私の葉巻を忘れるなよ!」と言う名言もあるw
577名無し三等兵:2007/03/23(金) 20:31:40 ID:???
>>575
ライアンが「ヒトラー最後の戦闘」で何よりもよいのは、
ジューコフやコーネフにもインタビューしたことだと思う。
まあ、いろいろと枠ははめられてるんだろうが、
赤軍の上層部の雰囲気みたいなものが判るのがいい。
特に、軍事面ではスターリンが二人を競わせながら、けっこうと自由にやらせてるのに対し、
ヒトラーが狂気めいた言説を連発しつつ、硬直化した戦争指導しかできなくなっている、
その対比の描き方がいい。
578名無し三等兵:2007/03/24(土) 19:47:37 ID:???
ブッセ大将の第9軍戦区では
包囲されたキュストリン要塞を救援するため、
カール・デッカー大将の第39装甲軍団が
第20装甲擲弾兵師団と第25装甲擲弾兵師団を主力にして
攻撃。
第502SS重戦車大隊も参加するが、ソビエト軍は既にパックフロント
を構築していた。ケーニッヒスティガーの前進も不可能。
撃退したソビエト第8親衛軍司令官はワシリー・I・チュイコフ「スターリングラードから来た男」

北の第3装甲軍戦区(フォン・マントイフェル)では
対峙するソビエト軍第2白ロシア方面軍(ロコソフスキー)が
東へと主力を向けていたため
オーデル川西岸への後退を成功させる。
579名無し三等兵:2007/03/24(土) 20:52:34 ID:???
ケーニヒスティーガーでさえ喰い止めるソ連のパックフロントって・・
580名無し三等兵:2007/03/24(土) 21:26:05 ID:???
581名無し三等兵:2007/03/24(土) 21:44:30 ID:???
>>579
ティーガーに対して対応しなきゃならん対戦車砲が多すぎるし
何より航空支援が絶望的に不足してる
582名無し三等兵:2007/03/24(土) 22:09:26 ID:???
ティーガーIIの正面装甲なら、76.2mm対戦車砲Zis-3はおろか、
85mm高射砲のタングステン弾芯でも貫通出来ないはずなのに、
撃破されてしまうのは何故?
583名無し三等兵:2007/03/24(土) 23:25:27 ID:???
ソビエト軍の対戦車砲兵の錬度が上がって
側面装甲を狙って撃破できるようになった。
23日、実際に3両ほど撃破されている。
584名無し三等兵:2007/03/25(日) 00:10:38 ID:???
1月14・15日のナレフ河戦線では第507重戦車大隊のティーガーIが、
第2白ロシア方面軍の戦車66両撃破して味方の損失無しという、
パーフェクトゲームを演じてるけど、相手が姿の見えない対戦車砲だと
そう上手くはイカンのかも
585名無し三等兵:2007/03/25(日) 07:41:27 ID:???
上手くいかんと言うか、相手の位置がわからないのに対応できる兵器システムってそうそう無いしな。
586名無し三等兵:2007/03/25(日) 07:56:39 ID:???
カリウスも戦車砲だけは厄介だったっていってる。
見えないものに対応するってのはやっぱり至難だよな
587名無し三等兵:2007/03/25(日) 17:15:13 ID:???
そもそもそういうのを何とかするために
歩兵の人が必要なんじゃないんだろうか。
588名無し三等兵:2007/03/25(日) 18:47:01 ID:???
支援歩兵は連合軍の圧倒的な砲兵弾幕の前に分離されてしまうのが常でございます
589名無し三等兵:2007/03/25(日) 18:50:32 ID:???
どうでもいいがソ連の人は
戦車に人載せて運ぶくらいなら
初めから戦車の車台使った兵員輸送車作ればどうだったんだろう。
T34なんかアホほど作ってるんだし
余裕がないわけでもなかったと思うが。
590名無し三等兵:2007/03/25(日) 20:28:43 ID:???
>>589
かの国では人命はタダより安いですから
591名無し三等兵:2007/03/25(日) 23:41:25 ID:???
ソ連の歩兵を戦車に乗せるという考えは、トハチェフスキーのドクトリンから
(戦車を中心として、歩兵や工兵はあくまでそれを支援する存在。
大砲は自走化して、随伴歩兵は高速移動時のみ車載させるというもの)

あとマントイフェルによると、Sdkfz251は装甲板が薄いので、
敵砲火が激しいと戦線近くまで接近させることができなかったので、
今後のAPCはもっと装甲を頑丈にすべきだと、戦後リデルハートに語ったそうな
592名無し三等兵:2007/03/26(月) 11:21:25 ID:???
>>578
第2ウクライナ正面軍のロコソフスキーは、その前は、第1ウクライナ正面軍の司令官だったな。
バグラチオン作戦で、ワルシャワ前面に迫る攻勢の指揮をとったのが彼だった。

ところが、彼は1944年末から始まる冬季攻勢(バルジの戦いを受けて、予定を早めて行われた)の直前に、
第1ウクライナ正面軍司令官の座を追われ、第2ウクライナ正面軍司令官に異動させられた。

それまでのジューコフは、最高司令部代理として、大規模な作戦地区に随時に派遣される、
総司令兼調整役であり、バグラチオン作戦でもその任にあった。
第1ウクライナ正面軍司令官は事実上の降等にあたるのだが、
敢えて、独ソ最終戦にあたり、スターリンはジューコフを正面軍司令官に据えた。
この人事には、第1ウクライナ正面軍司令官コーネフとの競争意識を煽りつつ、
独ソ戦における功績第一級のこの2人に、ベルリン占領の栄誉を分かち与えようというスターリンの配慮・・・
というだけでなく、スターリン自身がこの2正面軍の作戦調整を行うことによって、
軍事上の名声も得ようという政治的な意図も働いていた。

この人事の煽りを受け、ベルリン攻略担当を外れたロコソフスキー・・・
粛正の煽りで強制収容所に収監され、現場復帰した途端に独ソ戦開始。
ウクライナの機械化軍団長を振りだしに、スターリングラード戦までに正面軍司令官に成り上がるほどの、
巨大な戦功をあげることによってスターリンへの忠誠を示してきたはずの、この男。
経済的に重要地域でもある北ドイツの攻略を担当するとは言え、
副次的な戦線に回されたことをどう思いながら、指揮を執っていたのだろうか。
593名無し三等兵:2007/03/26(月) 22:41:55 ID:???
ポーランド人だしな
594名無し三等兵:2007/03/27(火) 09:58:53 ID:???
マンシュタインも養子に出される前のレヴィンスキ家の系譜を辿ればポーランドという件
595名無し三等兵:2007/03/28(水) 21:19:50 ID:???
3月26日、ヴァイクセル軍集団で司令官会議が持たれる。

3月27日、第9軍戦区でキュストリン救援攻撃を再開する。
戦力は
第20装甲擲弾兵師団
第25装甲擲弾兵師団
総統護衛師団
装甲師団「ミュンヘベルク」
だが、3キロ進んだだけで失敗。

3月28日、第9軍司令官ブッセ大将を責めるヒットラーに
陸軍参謀総長ハインツ・グデーリアン上級大将は
キレて叫ぶ。
「ブッセ将軍は悪くない!」

グデーリアンは参謀総長解任、休養を命じられる。


596名無し三等兵:2007/03/28(水) 23:05:28 ID:???
伍長「あの間抜けはどこの出身だ!」
グデ「閣下と同じオーストリアです」

ってな超激しい突っこみのときでさえ処分されなかったのに…。
何故だ。
597名無し三等兵:2007/03/29(木) 04:04:02 ID:???
>>596
つか、ブッセの擁護から、際限のない売り言葉に買い言葉の応酬になったんだよ。
「ブッセは悪くない。兵力も弾薬も少ねーんだよ」
「何でお前はブッセに弾薬をやらなかっただYO!?」
「やれる弾薬なんてないわけですが何か?」
「だいたい、部隊にやる気がねーんだろ」
「戦死者の数を見ろ、部隊の自己犠牲の精神が足りねーとは言わせねーぞ」
「お前らが余にウソの情報を教えるからいかんのだ」
「いったい、いつウソを教えたつーんだよ? 冬季攻勢の時だって正しく敵兵力を事前に算出したじゃねーか」
「あの計算をやったゲーレンは基地外だ」
「ちょっと待てやゴルァ。今だってクールラントに1個軍集団がボーッとしてんだぞ。あんたこそ何考えてんだ」
………とまあ、記憶している限りではこんな感じ。
598名無し三等兵:2007/03/29(木) 20:14:35 ID:???
ヒットラーは既に3月23日の総統会議で
グデーリアンの解任について
ブルグドルフと
あれこれ策をめぐらしてるから

28日の口論自体は
解任の原因ではなく、口実。
599名無し三等兵:2007/03/29(木) 20:21:17 ID:???
グデは上長と喧嘩する才能にはあふれてたが
丸めこむ才能は皆無だった様だな。
600名無し三等兵:2007/03/30(金) 17:10:45 ID:???
おべっか使いのヨードルの才能を5%でも
持ち合わせていたら。
601名無し三等兵:2007/03/30(金) 19:52:26 ID:???
いやここは
ロンメルから軽蔑され
ルントシュテットから罵倒され
国防軍全軍から馬鹿にされた
お追従カイテルの爪の垢でも煎じて飲めば
602名無し三等兵:2007/03/30(金) 20:39:01 ID:???
グデーリアン解任に関する、コーネリアス・ライアンの評・・・
「最高司令部における理性的判断の名残りは消えた」
603名無し三等兵:2007/03/30(金) 21:40:46 ID:???
>>600
確か、ヨードルはヒトラーと決定的に衝突したことがある。
カレルの「バルバロッサ作戦」にも出てたと思うが。
青作戦がどこもかしこも行き詰まりだした時に、
カフカス方面を担当しているA軍集団にヨードルが派遣されて、状況を調査。
本来ならば、司令官であるリスト元帥を解任する理由探しで派遣されていたはずが、
ヨードルは伍長閣下への報告の席で、A軍集団の苦境を招いたのはリストの判断ミスではないと弁護する。
総統命令を引用しつつ、リストはまったくその通りにしていると。
まあ、つまりはリストの苦境は伍長閣下自身に、あんたのせいだと言ってしまっているわけだな。

ヨードルのこの弁護はかなり強い調子で、リストが失敗している理由に
総統命令まで引用されるに及び、伍長閣下は、
「嘘だ! 余はそんなことを命じた覚えはないぞ!」
とまるで駄々っ子のような叫びを残して、司令部を飛びだしてしまったほど。

いや、もしかすると幼児化させるほどまで伍長閣下を追い込んだ経験があるのは、
もしかするとヨードルが初めて、つかヨードルだけかもしれないw
604名無し三等兵:2007/03/31(土) 16:04:54 ID:???
おべっか使いはLakaitelと呼ばれたカイテル元帥の方だったはず。
ヨードルはどちらかと言えば優柔不断で官僚的。
605名無し三等兵:2007/03/31(土) 17:18:54 ID:???
ザイエスマン・カイテルのやった大仕事はドイツ降伏調印書にサインしたことだけ
606名無し三等兵:2007/03/31(土) 20:06:40 ID:???
そして全陸軍を代表して、D.D.アイゼンハワーに無視されること。
607名無し三等兵:2007/03/31(土) 20:18:40 ID:???
モンティはドイツの将軍達よくお茶飲んだのに
アイクは随分冷淡だな。
まあモンティもカイテルを誘おうとは思わなかっただろうが。
608名無し三等兵:2007/03/31(土) 22:23:14 ID:???
そういえばカイテル対ハッソさんの
激しい口論があったとかないとか聞いてるが
どんな内用だったんだろう。
609名無し三等兵:2007/03/31(土) 22:33:30 ID:???
北ドイツでモンティとドイツ降伏代表団が話し合った際、
デーニッツの代理、フォン・フリーデブルク海軍上級大将が
ソ連軍地区の3個軍を英軍に降伏したいと言うと、モンティはすげなく断り、
提督がソ連軍は野蛮だから降伏すれば強制労働させられると訴えると、
「そんなことはあなた方がロシアに侵攻する前に考えとくべきだった。
自分としては考慮外であり、ソ連軍に降伏すべきだ」と、
英国人らしく冷淡につき離したという>モンティ
610名無し三等兵:2007/03/31(土) 23:27:44 ID:???
ヤルタ会談で決まった事なんで、モンティの裁量では決められん罠
611名無し三等兵:2007/03/31(土) 23:51:11 ID:???
OKWのチーフといってもヒトラーの出した作戦命令に副署するだけだからなぁ>カイテル

モンティはエルアラメインで捕虜になったトーマを昼食に呼んで、
"おぬしらの手の内など、こっちはとっくにお見通しだったのよん"と、
トーマが口をはさむ暇もなく、食事中ずっと喋り続けてたとか
612名無し三等兵:2007/03/31(土) 23:57:17 ID:???
トーマが閉口したのは
きっと食事があまりにまずかったからに違いない。
613名無し三等兵:2007/04/01(日) 00:11:42 ID:???
トーマって病気理由に後に捕虜交換でドイツに戻ってきているはず。
そのときV号兵器の秘密が英情報機関にバレるんだが。
614名無し三等兵:2007/04/02(月) 19:32:30 ID:???
ハンガリーにいたディートリッヒの第6SS装甲軍と
バルク大将の第6軍は
トルブーヒンの第3ウクライナ方面軍に突破されて
オーストリア国境へと後退していた。
国境には、武器を持たないで後退する武装親衛隊を射殺するために
SS国家長官ヒムラーが来ていたが、何の効果も無かった。
武装親衛隊も国防軍もオーストリア領内へと逃げ込み、
首都ウィーンが戦闘の焦点となりつつあった。
615名無し三等兵:2007/04/02(月) 19:43:07 ID:???
今更ひげ2号に何ができるんだろう。
ひげ1号のカフタイトル剥奪命令すら無視したゼップ相手に。
そういやゼップってヒムラーが大嫌いだったよな。
何で武装SSはこんなんばっかなんだろ。
616名無し三等兵:2007/04/02(月) 21:22:20 ID:???
>武器を持たないで後退する武装親衛隊

クルト・マイヤーがいてくれたらなぁ・・・
617名無し三等兵:2007/04/02(月) 23:31:20 ID:???
>>614
なんせ「だったらお前が前線に立て!」と一触即発になっちまったからなぁ・・・
618名無し三等兵:2007/04/03(火) 00:20:38 ID:???
ハンガリーで包囲壊滅すれすれを脱出してきたのだからね。
多くの重火器や機材も悪路で捨ててきている。トラックも患者輸送以外は
燃料不足で放棄。
武装親衛隊の行方不明者はバラトン湖の戦いの時点が一番多い。
619名無し三等兵:2007/04/04(水) 13:01:57 ID:???
今思えばラインの守りや春のめざめ作戦もやらない方が
予備兵力温存できたんじゃないか

ディートリヒだが、ルンドシュテットやヨードルがバルジ戦後、
最精鋭の攻撃軍の指揮を経験と能力に乏しい、
SSの将軍に任せたのは失敗であった、述懐してる。
620名無し三等兵:2007/04/04(水) 13:43:40 ID:???
地形が装甲部隊の突破に向いてない攻撃正面を選んだのは反省しとらんのか
621名無し三等兵:2007/04/04(水) 14:50:44 ID:???
>>620
そこはそれ、前回(1940年)もアルデンヌだったわけだしw
まあ、1940年の仏軍と1944年の米英軍を同一視しちゃってるあたりで、
伍長閣下の責任でしょう、これは。
622名無し三等兵:2007/04/04(水) 22:30:27 ID:???
同僚のヴィトリシSS上級大将でさえ「彼は近代戦を何も知らん」と言ってるし、
士官学校も出てない上、ヒトラーの護衛隊長する前は
ガソリンスタンドの給油係だったからな>ゼップ

ルンドシュテットのようなフォン付の毛並みのいい連中からすれば、
そんなのがボヘミア伍長のご贔屓で昇進して装甲軍を指揮するなど、
我慢ならなかったのでは
623名無し三等兵:2007/04/04(水) 22:43:34 ID:???
伍長の贔屓とはいえ、必ずしも伍長のイエスマンではなかったけどな。
東部戦線時代は伍長に対してルントシュテットやグデーリアンを弁護してるし
西部戦線時代は「何があっても」B軍集団司令官のロンメルに従う、と宣言してたり。
まあルントシュテットは軍人としてのゼップは全然買ってなかったんだろうが
ニュルンベルクではゼップの裁判に弁護側証人として出廷してたりしたみたいだし
毛嫌いしてたというほどでもないのでは。
624名無し三等兵:2007/04/05(木) 00:28:34 ID:???
ゼップの非イエスマンぶりは1940年に早くも発揮されてたな。

最後の最後のダンケルクの停止。
グデーリアンの第19装甲軍団に配属されてたゼップ指揮下のLAH・・・
軍団はダンケルクを指呼の間に望める運河の線で足止めの英軍と対峙する形で停止したが、
ゼップは停止なんかできるかと渡河を命じ、前面の英軍を蹴散らして、橋頭堡を確保した。

もちろん、グデーリアンはこの行動を黙認し、上にも報告しなかったw
625名無し三等兵:2007/04/05(木) 19:58:38 ID:???
ゼップ・ディートリヒは連隊長としてはそんなに悪くなかったと思う。
師団長あたりとなると大分アレだが。
626名無し三等兵:2007/04/05(木) 20:09:19 ID:???
それロンメル。

というか連隊長ともなれば軍事の専門家として
戦術に通じてなきゃならんと思うが
ディートリッヒはそれがダメダメだったんでは。
一番向いてるのはヤクザの親分だったと思うぞ。
それか消防士とか。
627名無し三等兵:2007/04/05(木) 20:33:30 ID:???
ゼップは軍事能力言う前に先天的に地図が読め無い障害あり
628名無し三等兵:2007/04/06(金) 00:42:55 ID:???
ゼップは武装SSの将軍の中でも…







ハゲている方だ。
ビットリッヒが更にハゲなのは
有名な写真とのギャップがありすぎてショックだったが。
629名無し三等兵:2007/04/07(土) 18:53:31 ID:???
故郷オーストリアの首都ウィーンの危機。
ヒットラーは2個装甲部隊を救援に送ることにした。

第25装甲師団と総統擲弾兵師団を、
こともあろうにヴィッスラ軍集団から。
ハインリキ上級大将の抗議もむなしかった。

小うるさい陸軍参謀総長グデーリアンのいなくなった今、
東部戦線の指揮も思いのまま。
それが良いことだろうと、悪いことだろうと・・・

フォン・マントイフェルの第3装甲軍戦区では
状況が少し良くなった。

4月6日、
懐かしの第7装甲師団が、東プロイセンのゴーデンハーフェンから
海路、輸送船「マチアス・シュティネス」に乗って脱出に成功。
バルト海沿岸のシュヴィネミュンデに上陸した。

師団長カール・マウス中将は3月23日に片足を失う重傷を負って、
クリスタン大佐に替わってはいたが。
630訂正:2007/04/07(土) 18:56:52 ID:???
ゴーデンハーフェン→ゴーテンハーフェン
631訂正:2007/04/07(土) 19:00:39 ID:???
ヴィッスラ→ヴァイクセル
632名無し三等兵:2007/04/08(日) 11:37:13 ID:???
史実通りならこのスレもあと一ヵ月ってとこか
633名無し三等兵:2007/04/08(日) 17:27:58 ID:o3XTEszO
そんな寂しい事言わないでくれよ(;_;)
>>1は、ネタスレのつもりで立てたんだろうが、日付に合わせて書いてくれていた人のおかげで、
今では、軍板屈指の名スレなんだからさ…なんか祭りの終わりみたいで寂しいな(´・ω・`)
634名無し三等兵:2007/04/08(日) 21:12:17 ID:???
>>632
戦後も触れてくれることを楽しみにしている。
635名無し三等兵:2007/04/08(日) 22:20:16 ID:???
ヴァイクセル軍集団の中の人は
ハインリーチという呼び方もどっかで聞いたが
どっちなんだろう。
636名無し三等兵:2007/04/09(月) 15:13:38 ID:???
>>635
多分ね、ドイツ語の本からだとハインリキまたはハインリーキ、
英語の本からだとハインリーチとやられてるんじゃないかと。
637名無し三等兵:2007/04/09(月) 22:08:04 ID:???
638名無し三等兵:2007/04/09(月) 22:44:51 ID:???
>>637
そういよいよ・・・
しかも、善かれ悪しかれ、華々しい主戦線ではなく、微妙に北側面の
それなりに重要ではあるけれども副次的戦線の
第3装甲軍VS.第2白ロシア正面軍がここでのメインストーリー。
639名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:16:35 ID:???
4月11日
アメリカ第2機甲師団が、エルベ川河畔の町マクデブルクに到達。

その一方で、前日編成されたヴェンク大将の第12軍に
東部戦線、中央軍集団から第48装甲軍団が合流。
西へ向かい、
ルール地方で包囲されたモーデル元帥のB軍集団の救出を試みるはずであったが
その南、ハールツ山で包囲されているルフト大将の第11軍救援に目的を変更することになる。
640名無し三等兵:2007/04/11(水) 00:54:33 ID:???
ヴェンクって結構イケメンの方かも。
髪もふさふさしてるし。
641名無し三等兵:2007/04/11(水) 18:01:05 ID:???
44歳のイケメン大将ってかんじ?
642名無し三等兵:2007/04/11(水) 20:57:24 ID:???
当時のロンメル人気の要素の一つに
ロンメルはハンサムだった、とかいうのがあるそうだし(ハゲだけど)
ロンメルがハンサムで通るならヴェンクだって大丈夫だ。
643名無し三等兵:2007/04/11(水) 21:04:27 ID:???
しかもロンメルは当時リウマチにかかっていたというオヤジ臭さだが
ヴェンクは車で突っ走って事故っちゃうという
尾崎みたいな若さあふれる青年将軍だぜ。
644名無し三等兵:2007/04/11(水) 23:36:47 ID:???
ロンメルはWW1でブルーマックス貰っているぞ。
ヴェンクは生まれは悪くないが、スターリングラード戦後の寄せ集め部隊率いた
勲功で成り上がった新参者。
645名無し三等兵:2007/04/12(木) 18:46:58 ID:???
4月12日木曜日は、アメリカ第32代大統領F・D・ルーズベルトが病死した日。
ヒットラーはその知らせを受けて
「わかっていた、わかっていた」を繰り返したという。

7年戦争の最後の年、ロシア女帝エカテリーナが死亡し、
プロイセン王フリードリヒ二世(大王)が勝利したことを
連想、何かを期待したのだった。
第33代大統領トルーマンが、アメリカ軍を連合軍から離脱させるとは思えなかったが・・・

戦いはまだまだ続く。
フォン・マントイフェルは、第34代大統領とも渡り合うことになる。

646名無し三等兵:2007/04/12(木) 19:17:55 ID:???
ちっさいおっさんが政治家になってから
アメリカの大統領と何かをするのかと思ったら
34代はあの人か。
まあお互いに政治家になってからも
何かかかわりがあったのかも知れんけど。
647訂正:2007/04/13(金) 16:58:27 ID:???
エカテリーナ→エリザベータ
648名無し三等兵:2007/04/13(金) 17:58:56 ID:???
七年戦争でプロイセンを救った、ロシア皇帝ピョートル3世は、
前帝のエリザヴェータの甥に当たるが、ドイツ生まれ。
皇后となったエカテリーナ2世もドイツ生まれだったが、
彼女が非常にロシア語とロシア文化の取得に熱心だったのに対して、
ピョートル3世はドイツかぶれのまま(知的障害もあったとされる)。
フリードリヒ大王は彼にとってのヒーローだった。

で、いきなりプロイセンと講和。宮廷も国民も、これには大ブーイング。
何せ、オーストリア・ロシア連合軍は一時はベルリンを占領し、
プロイセンは疲弊の極にあった。勝ってる戦争を何でやめんの?というのは当然の感情だったろう。

このロシアの脱落に続いて、スウェーデンも和平に応じて脱落。
唯一プロイセンを支援していたイギリスとの植民地戦争に敗北したフランスも脱落。
オーストリアは単独での戦争継続が不可能となり、結局、プロイセンは戦争の原因となったシレージェンの防衛に成功し、
ついに列強入りを果たすことになる。

一方、ピョートル3世は、間もなくロシア正教の弾圧を開始。
彼はプロテスタントだったとは言え、国教とも言える宗教を弾圧するとは無茶苦茶。
今度はブーイングどころか、貴族や国民の怨嗟の的になる。
結局、プロイセンと講和した半年後の1962年7月、彼に疎んじられていた皇后と、
彼を怨嗟する貴族達が結託し、皇后の指揮の下で近衛兵が宮廷クーデタを起こす。
結局、彼は幽閉され、暗殺され、皇后エカテリーナが女帝エカテリーナ2世となってロシアの政局の混乱は収まった。

さすがにハリー・トルーマンはここまで無茶苦茶な男ではなかった。
649名無し三等兵:2007/04/13(金) 18:30:56 ID:???
エリザベータが死亡したのが1762年1月5日で
7年戦争は1763年2月15日までだから
7年戦争最後の年でもなかったね。
650名無し三等兵:2007/04/13(金) 18:38:52 ID:???
フリードリッヒ大王といえば
劇画ヒットラーでは
ゲッベルスが絵本みたいにフリードリッヒ大王の伝記を読んで
ヒトラーを寝かしつけるみたいな間抜けなシーンがあったな。
あれも本当なんだろうか。
651名無し三等兵:2007/04/13(金) 19:23:06 ID:???
>>649
まあ、事実上の最後の年だな<1762年。
ロシアもさすがにピョートル3世を排除しても、すぐに軍をプロイセンに差し向ける余裕がなかった。
5月にパートナーとも言うべきスウェーデンも講和しちゃってたしな。

そして、フランスとイギリスが手打ちをしたのが11月。
これによってプロイセンと戦争をやりたがる国はオーストリア1国になっちまった。
そのオーストリアも財政なんで戦費調達に喘いでいたし、トルコが背後で動いてたし。
結局、オーストリアも講和に動かざるを得ず、ここで事実上の完全停戦。
で、関係国全体での講和条約がなったのが63年の2月。

56年に戦争がスタートし、62年で事実上の完全停戦なんで、七年戦争というわけさ。
652名無し三等兵:2007/04/14(土) 01:05:54 ID:???
そこまで詳しいとは 恐れ入った
653名無し三等兵:2007/04/14(土) 03:30:59 ID:???
中世以降のヨーロッパの戦争だと、やたらと資料があるからな。
654名無し三等兵:2007/04/15(日) 23:01:37 ID:???
オーストリアの首都ウィーンの戦闘は4月14日で終わった。

ヒットラーの考えでは、次はチェコの首都プラハが戦闘の焦点。

15日、ベルリンの総統官邸に特別な訪問者が、

死の天使、エヴァ。


エヴァ・ブラウン。
655名無し三等兵:2007/04/15(日) 23:03:39 ID:???
死の天使といえばメンゲレ博士では。
エヴァ・ブラウンはそんなひどい言われようするほどでもないだろ。
656名無し三等兵:2007/04/16(月) 07:13:04 ID:???
ネタスレでは死の天使扱いで、ベルリンの形を変えちゃったり色々やってたなw
657名無し三等兵:2007/04/16(月) 07:24:29 ID:???
>「死の天使」
シュペアーの回想ではそう言われていたとも。
つーか、地下壕に非公然なヒトラーの愛人がやってきた時点で玉砕必至。

658名無し三等兵:2007/04/16(月) 08:51:15 ID:???
映画の最後の12日間とかでは
明るいキャラで好感持てる様な描かれ方だったけどなあ。
659名無し三等兵:2007/04/16(月) 17:43:10 ID:???
絶望的な戦況とは全く対照的に能天気な明るさでそう呼ばれてたんでは>エヴァ

ベルリン陥落時クレブスが総統と共に自殺したと言うと、
ソ連側は誰や?それ、と全く存在を知らんかったとか
660名無し三等兵:2007/04/16(月) 18:25:47 ID:???
>>659
グデーリアンが、ブッセの擁護でヒトラーと大口論となり解任の口実を与えてしまったのに対して、
グデーリアンの後をおって、OKHの参謀総長となったクレブスは、
ヒトラーのイエスマンに徹し、ハインリキの状況を少しもカバーしてくれなかった。
>>629の装甲部隊の引き抜きに関しても、ハインリキの抗議も通らず。
第9軍戦区南部にあるフランクフルト要塞からの兵力撤収も、
クレブスからは何の支持も得られず。

何よりそれより、グデーリアン時代からの懸案であるクールラントからの兵力撤収も遅々たるもの。
第3装甲軍戦区に第7装甲師団がやって来たのは奇跡にも近い出来事だ。
この時期にもっと迅速にクールラントから兵力が引き抜かれていれば、
マントイフェルの指揮下には普通の歩兵師団が中心とは言え、
一応は訓練を受け、実戦をくぐり抜けてきた予備兵力がそれなりの規模で存在することになったろう。

クレブス頑張れ、もっと頑張れ・・・といってもどうしようもないことだがw
661名無し三等兵:2007/04/16(月) 19:18:03 ID:???
クレブスってソ連駐在武官時代、スターリンから直々、
"貴君と我々はずっと友人だ!"と抱き締められたんじゃなかったっけ
(モーデルの元で参謀長を務めたこともあったけど、
どちらか言えばカイテルのような軍政畑が向いてたのでは>クレブス)

GD師団も早くメーメルから引き揚げるべきだったんでは・・
662名無し三等兵:2007/04/16(月) 19:32:48 ID:???
クレプスはロシア語が堪能だったはず。
663名無し三等兵:2007/04/16(月) 22:05:53 ID:???
4月16日午前4時

オーデル川戦線で、4万門のソビエト軍各種火砲が火を吹いた。
ソビエト軍ベルリン総攻撃の開始。

南から
コーネフ元帥の第1ウクライナ方面軍が、グレーザー大将の第4装甲軍(中央軍集団)に、
ジューコフ元帥の第1白ロシア方面軍が、ブッセ大将の第9軍に、
ロコソフスキー元帥の第2白ロシア方面軍が、フォン・マントイフェル大将の第3装甲軍に
攻撃を実施する。

筈だったが、
第2白ロシア方面軍は、フォン・ザウケン大将の東プロイセン軍掃討に失敗し、
担当戦区で、いまだ集結が終わっていなかった。

第9軍と第4装甲軍戦区での激戦と、ソビエト軍戦車部隊の突破。
第3装甲軍戦区だけは、平穏だった。
664名無し三等兵:2007/04/17(火) 16:11:16 ID:???
ソ連砲兵は準備砲撃に貨車2450輌で運んだ123万6000発の弾丸を消費したが、
ドイツ軍の抵抗は第1線、第2線を抜けると激しくなった。
特にゼーロー高地では味方のサーチライトで照らされた戦車や歩兵が泥沼にはまって
まるで射的の的の様に撃破され射すくめられていた。

チュイコフはゼーロー高地の抵抗拠点を粉砕するために、ただちに砲兵部隊の移動を
命令したが、痺れを切らしたジュ-コフがさらに2個機甲軍を投入したために、彼の砲兵
部隊の砲や牽引車は道路から追い出されてしまった。

4月17日、第1白ロシア方面軍は一日目の目標を何一つ達成していなかった。






665名無し三等兵:2007/04/17(火) 17:06:55 ID:???
>>664
>>253-259の議論がここに繋がったわけだなw
666名無し三等兵:2007/04/17(火) 20:54:35 ID:???
>準備砲撃に貨車2450輌で運んだ123万6000発の弾丸を消費したが、
セバストポリとか独ソ戦のこういう数字を見るたびに、
日本陸軍の基数ってなんだろうと思う。
667名無し三等兵:2007/04/17(火) 21:39:43 ID:???
>>666
あまり覚えていないが
75mm榴弾の日本の一年間の生産数は
独逸の1ヶ月か2ヶ月分の生産量でしかないってレスがあったな
668名無し三等兵:2007/04/17(火) 21:51:43 ID:???
>>667
アメリカなら1〜2週間分ですかw
それでもドイツの1日の砲弾生産量はWW1の生産量に遠く及ばない。
塹壕戦テラスゴス
669名無し三等兵:2007/04/17(火) 23:30:48 ID:???
確か1939年から40年は弾薬生産量が絶望的に低かったんだよな、ドイツは。
ポーランド戦で消尽した弾薬が補充できなくて、
冬の間に対仏戦役が始まったら、とても弾薬が足りないって言うことで
責任の重さに押しつぶされた軍の弾薬関係の担当官が自殺しちゃったんじゃなかったっけ。
結局、5月まで対仏戦役の開始が延び延びになったので、
何とか対仏戦を戦い抜けるほどの弾薬備蓄はできたけど。
いかにドイツが「第2次世界大戦」の準備ができていなかったかを物語るエピソードだな。
670名無し三等兵:2007/04/18(水) 00:03:16 ID:???
それ以前に火砲が足りなかったもんな。
当時の陸軍国のポーランドとフランスからの鹵獲品を充当して
やっとソ連侵攻用の準備が出来たようなもん。
671名無し三等兵:2007/04/18(水) 23:56:57 ID:???
4月9日時点 第3装甲軍には可動戦車が220両あったが
ティーガーはSS第503重戦車大隊の10輌しかなく、
パンターは戦車訓練部隊「オスト・ゼー」の2輌しかない。

あとは四号長砲身型が21輌、時代遅れの短砲身型が35輌。
残りは雑多な突撃砲。

国内の補充/訓練部隊の戦車をかき集めた結果がこれだが、
対するソ連方面軍は2000輌以上の戦車/突撃砲を持っている。

4月18日時点で大規模な突破は許してないが、この戦力で守りきれるか?
672名無し三等兵:2007/04/19(木) 19:00:57 ID:???
フォン・マントイフェルの第3装甲軍戦区から
第23SS義勇装甲擲弾兵師団「ネーデルラント」の戦闘団と
第11SS義勇装甲擲弾兵師団「ノルトラント」が引き抜かれ、
第9軍戦区のゼーロ高地に投入される。
しかし、4月19日午後6時。
ジューコフ第1白ロシア方面軍指揮下の
チュイコフ第8軍とカツコフの第1親衛戦車軍は、
ゼーロ高地を完全に掌握し、さらに西へと進み、
ミュンへベルク市を占領する。
バグダノフの第2親衛戦車軍はヴリーツェンを占領する。

ベルリンでは、この日からソビエト軍重砲の音が聞こえ始める。
ヒットラーは、
この日来たハンス・ウルリッヒ・ルーデル大佐に
全ジェット機部隊を率いて制空権を取り戻すよう指示するが
ルーデルに断られる。
673名無し三等兵:2007/04/20(金) 01:05:19 ID:???
ハインリーキは突破したソ連軍により第3装甲軍が包囲される危険を感じた。
至急、まだ攻撃を受けていない南翼を強化する様に命令を出す。

やっとその日、彼は夜遅くなってアルケット社から砲50門をせしめる事に成功した。
そして、22時15分にSSのシュタイナー将軍に電話を入れている。
「武器をもち武器をとれる男性全員を強権をもってSS第4警察師団に入れる必要がある。
エーベルスヴァルデ南東で突破した敵大兵力を封じこめねばならぬのだ。遅れればまずい
事になるぞ!」




674名無し三等兵:2007/04/20(金) 20:22:13 ID:???
4月20日は国家の祝日。
SS国家長官ヒムラー達がベルリンの総統官邸に駆けつけるが
ソビエト軍の攻撃は休みなく続く。

フォン・マントイフェル大将の第3装甲軍前面、
ロコソフスキーの第2白ロシア方面軍が、オーデル川渡河作戦を開始した。
シュテッティン南方で、北翼の第65軍が渡河に成功する。
その南、第70軍、第49軍は、激しい防御砲火で足留めを食らう。

第3装甲軍は機動防御部隊をひきぬかれ、かなり弱体化していたにもかかわらず
激しい抵抗を見せる。防衛ライン死守のため・・・

第3装甲軍の戦闘序列

第32軍団
第549国民擲弾兵師団
第281歩兵師団

オーデル軍団
第610保安師団
クロセック戦闘団

第46装甲軍団
第547国民擲弾兵師団
第1海軍師団
675名無し三等兵:2007/04/20(金) 21:26:13 ID:???
第46装甲軍団の編成が泣けるなあ。
予備は、事実上、第7装甲師団だけと見ていいのかな。

ロコソフスキーの方は、まだ他に第5親衛戦車軍と第2打撃軍を持ってるはずだよなあ。
つーことは、突破兵力は後置し、統合兵科軍で突破口をこじ開ける、
ジューコフのスタイルでロコソフスキーは攻撃を始めたつー感じやね。
676名無し三等兵:2007/04/20(金) 22:28:00 ID:???
打撃軍って機甲軍とは違うの?
677名無し三等兵:2007/04/21(土) 02:43:43 ID:???
他方面でのソ連軍の大攻勢は続く。
コーニェフの第1ウクライナ方面軍はコッドブスの南を突破し、
エルベ河トルガウへ向かって急速に前進する。

また勝利に酔ったポーランド第2軍とソ連第52軍はゲルリッツ方面へ向かう。
しかし、そこにはシェルナーの中央軍集団の虎の子の白い襟章の兵士達が
待ち構えていた。

678名無し三等兵:2007/04/21(土) 07:04:22 ID:???
>>676
打撃軍は、しばしば突撃軍とも訳されますが、1941年末からの冬季反攻時に登場してますね。
第1から第5まであったと思います。
当初は将校も兵も選抜されて編成され、給料、装備面でも配慮されました。
その後、功績のあった部隊に称号的に「親衛」の名を付けた師団、軍団、軍が登場するようになりますが、
これと同等のエリート部隊と考えてよいですね。

内容もそれなりに機動兵科を含みますが、編成は一定ではなかったかと。
戦車軍は戦車軍団+機械化軍団、もしくは機械化軍団×2に軍直属の支援部隊で編成されていました。
こちらは第1から第6まであり、ベルリン戦当時は第1から第5までが親衛の称号持ちになっていたかと。
679名無し三等兵:2007/04/21(土) 13:24:58 ID:???
お前ら よかったらウィキのベルリン攻防戦をもっとくわしく編集してくれ
680名無し三等兵:2007/04/21(土) 14:16:27 ID:???
>678
なるほろThnxす。
(親衛軍より地味だけどレニングラード戦線で活躍してますね>突撃軍)
681名無し三等兵:2007/04/21(土) 17:05:39 ID:???
>>680
そうですね。

第1突撃軍は、モスクワ侵攻作戦の反撃に参加。
スキー部隊を多く擁して、モスクワ北方の第3装甲軍戦区の突破作戦に貢献してます。
ただ、モスクワ攻防戦のあんまり大きな活躍は見られません(勉強不足かもしれないですが)

第3突撃軍、第4突撃軍は、モスクワ攻防戦時に第9軍戦区を襲い、
その背後を脅かしました。
第3突撃軍は42/43の冬季戦ではヴェルキエルーキの攻防戦で戦果を挙げ、
バグラチオン作戦時はヴィテスブスクの北側に位置。
その後、リガ方面へと向かってクールラントに包囲された独軍に面して戦争を終えます。

第4突撃軍は第1白ロシア正面軍に属し、ベルリン攻防戦でベルリン市街に突入しています。
そのまま戦後も第1から第4までの戦車軍とともにドイツ占領軍の一翼を担います。

第5突撃軍は第2次ハリコフ攻防戦に投入され、その後あんまり、派手な活躍はないですね。
ウクライナ方面で着実に前進し、この時はハンガリー方面にいたはず。

第2打撃軍は、最初に編成されたとき、レニングラードの解囲のために投入されました。
華々しく北方軍集団の戦線を突破し、包囲されたレニングラード市に迫るのですが・・・
ドイツ軍の反攻であえなく包囲、壊滅。司令官ウラソフ将軍は捕虜になり、
反スターリンの赤軍捕虜部隊を組織、指揮することになりました。

43年に再び第2打撃軍は編成され、43/44冬季戦では、
オラムニエンバウム橋頭堡から出撃し、北方軍集団の後退を追撃する役目を果たします(あまりはかばかしい戦果は得られていませんが)。
その後、バグラチオン作戦では第2バルト方面軍に属して、東プロイセン国境に迫ります。
そして、44/45冬季攻勢では第2白ロシア正面軍に移り、
当時の中央軍集団(このキャンペーン中に北方軍集団に改称)を
東プロイセンに孤立させる作戦に参加、大きな戦果を挙げています。
その後、ドイツ軍の冬至作戦後にポンメルン地方を掃討し、
オーデル川下流地域に到達、第3装甲軍と対峙しています。
682681:2007/04/21(土) 17:08:28 ID:???
いかん・・・打撃軍と突撃軍が混在してしまってるorz
どっちか一方に脳内変換して統一してくれ・・・
あと、ドイツ占領軍に第8親衛軍も追加(苦笑)
683名無し三等兵:2007/04/21(土) 17:39:13 ID:???
4月21日
西部戦線、ルール地方で包囲されたB軍集団司令官モーデル元帥は
拳銃で自決する。
「ドイツの元帥は捕虜になるものではない」と言って。

フォン・マントイフェル大将の第3装甲軍戦区では
前日、アウトバーン沿いに橋頭堡を築いたソビエト第65軍に対し、
北から第549国民擲弾兵師団を投入して反撃する。
オーデル軍団戦区はソビエト軍の橋頭堡が築かれ、拡大されていた。
南の第547国民擲弾兵師団戦区(シュヴェートの北)でも、ソビエト軍は渡河に成功する。


その背後では、フェリックス・シュタイナーSS大将が、シュタイナー軍支隊を編成し
第3SS装甲軍団を北から南下させて、ベルリンを攻撃解放する命令を受ける。
バグダノフのソビエト第2親衛戦車軍が西へと前進し、危機的状況は明らかだった。
だが、指揮下にあるのはハルツァーSS大佐の第4SS警察装甲擲弾兵師団のみ。
第7装甲師団とともにダンチヒから海路、ヘラ経由で脱出してきた部隊である。
第9軍第101歩兵軍団の第5猟兵師団、第25装甲擲弾兵師団とともに
反撃せよと言う無謀な命令。

ヴェンク大将の第12軍も、第48装甲軍団と第20歩兵軍団をもって
東のベルリンへと方向を変えた。
684名無し三等兵:2007/04/22(日) 19:39:26 ID:???
4月22日

第3装甲軍戦区では、ソビエト第65軍に続いて第70軍が渡河、
橋頭堡を拡大していたが
まだ連続した戦線は維持されていた。

後方(西方)シュタイナー軍支隊に、
第25装甲擲弾兵師団と第7装甲師団が所属することになった。

第7装甲師団は総員7867名、うち戦闘要員5306名
軽機関銃は200丁、重機関銃はたったの2丁。
迫撃砲27門、重歩兵砲2門、突撃砲3両、榴弾砲23門。
戦闘車両は、突撃砲以外皆無という
非機械化戦闘団と成り果てていたのだが。

そして、ベルリンから発せられる攻撃命令にもかかわらず、
シュタイナーは動かなかった。
685名無し三等兵:2007/04/22(日) 20:29:23 ID:???
ヒトラー最後の・・・でトラウドゥルが口にしていた
「シュタイナー師団が到着すれば事態は好転するって聞いたわ」っていうのはこれか
686名無し三等兵:2007/04/22(日) 21:19:47 ID:???
>>684
うわ、火力少ないな。
687名無し三等兵:2007/04/22(日) 23:20:59 ID:???
まるでピクニックだな
688名無し三等兵:2007/04/23(月) 02:07:17 ID:???
第7装甲師団といえば西方戦でロンメルが指揮した奴?
えらいことになってるな。
689名無し三等兵:2007/04/23(月) 16:45:54 ID:???
この頃各師団の定数割れは末期的で、
ザームラント軍の第5装甲師団が1200名、砲なし。
GD師団は420名、砲4門で突撃砲2輛、
各歩兵・国民擲弾兵師団が300〜600名程度。

ハンガリーの第6SS装甲軍も似たりよったり(4/7付)で、
LAHは1582名、ダスライヒの1498名はまだましな方で、
第6装甲師団の1235名、第3SSは1004名、HJにいたっては455名という有様。
(稼動戦車も装甲軍全体で45輛)

あと士気も大分低く、指揮官や将校が戦死すると、
苛酷なる手段を用いて、(督戦隊?)かろうじて維持させてたとか
690名無し三等兵:2007/04/23(月) 17:07:52 ID:???
しばしば、赤軍の量的弱体を指摘するときに、
兵員わずか2000名で前線にあった狙撃兵師団もあったなどというわけだけど・・・
これはもう絶望的状況。
691名無し三等兵:2007/04/23(月) 19:55:58 ID:???
4月23日

ベルリンでは、市街戦が始まるが、
その北東の第3装甲軍戦区では、
第2白ロシア方面軍は、オーデル川西岸の橋頭堡を拡張している段階。
第3装甲軍唯一の突撃砲部隊、第210突撃砲旅団が反撃。

ところで第281歩兵師団は、クールラントにいたころは第281保安師団と呼ばれていた部隊。
第547国民擲弾兵師団は、3個擲弾兵連隊であるべきところ2個擲弾兵連隊しか持たず、
その砲兵連隊も1個大隊しか持っていなかった。
それがフォン・マントイフェルの装甲軍の実状。

エルベ川付近にいた
ヴェンクの第12軍司令部に、カイテル元帥自ら乗りこみ、ベルリン救援作戦を開始させる。
692名無し三等兵:2007/04/23(月) 22:05:40 ID:???
ゲルリッツへ向かったポーランド第2軍のポーランド第1戦車軍団はコーダーズドルフで
側面から「白い襟章の兵士達」ヘルマンゲーリング降下戦車軍団の罠に嵌った。

至近距離から17輌のパンターにより20分で43台の戦車が撃破される。
不意を受けたポーランド第1戦車軍団は壊滅状態になって後退する。
ドイツ側はさらに12輌の捕獲戦車も得て自軍の戦列に加えた。

また、ナイセ川西岸のヴァイセンベルグ市は4月22日にブランデンブルク戦車擲弾兵師団の
反撃に会い奪回される。

さらにドレスデン北東で包囲されたバウツェン市は第20戦車師団とヘルマンゲーリング降下戦車軍団
により4月25日に解放され、ゲルリッツとバウツェンの間でコーニェフの第1ウクライナ方面軍は4月20日
から26日にかけて戦車355台、砲320門、戦死者7000名、捕虜800名の大損害を受けて
空襲で廃墟と化したドレスデンへの赤軍の突進は阻止され、ヤルタ会談でソ連占領地区と
されたのに関わらずドレスデンは終戦までドイツの領土として留まる事になる。

しかし、これがドイツ軍最後の勝利であった。
693名無し三等兵:2007/04/24(火) 00:24:11 ID:???
なんでポーランドが軍を持ってんの?
694名無し三等兵:2007/04/24(火) 02:07:41 ID:???
イギリスにも亡命ポーランド人の軍があった様に
ソ連側にもあったんでしょ。
映画の遠すぎた橋にジーン・ハックマンの
英軍指揮下のポーランド軍空挺将校が出てくるぞ。
695名無し三等兵:2007/04/24(火) 07:30:59 ID:???
ソ連軍が人手不足だったから。
ポーランド軍はスターリン戦車からなる
重戦車連隊も持ってたから
装備も良い。ソ連軍が人手不足だったから
696名無し三等兵:2007/04/24(火) 12:11:10 ID:???
イギリス軍指揮下の自由ポーランド軍は、第1機甲師団と第1空挺旅団が知られてるかな。
前者は英第2軍指揮下で、ベルリン戦当時はエルベ川に到達して停止していたはず。
ちょうど第3装甲軍の背後にあたるな。
第1空挺旅団はマーケットガーデン作戦に投入され、深刻なダメージを食らってる。

赤軍指揮下のポーランド軍はバグラチオン作戦終幕あたりに見られるようになる。
ポーランドから亡命した共産主義者、ポーランド領内に入ってからの徴集兵で構成されていたんじゃなかったかと。
ポーランド第1軍は第1白ロシア方面軍に、第2軍は第1ウクライナ方面軍に配属。
因みに、第1軍の方は、ワルシャワ蜂起の際、赤軍指揮下で唯一、ワルシャワ市街地ヘの救援を試みた軍でもある。
697名無し三等兵:2007/04/24(火) 12:45:30 ID:???
ロコソフスキーはポーランド人師団が築いた橋頭堡を増援しようとしなかったので、
のちに国内ポーランド人から不信がられたとか

英軍下のポーランド人部隊はイタリアで独降下師団と戦って、
モンテ・カッシノを陥してるし、ノルマンディでは一説によると、
ビットマンを屠ったのはポーランド機甲師団のシャーマンだと言われてる。
698名無し三等兵:2007/04/24(火) 13:16:24 ID:???
>>697
>ロコソフスキーはポーランド人師団が築いた橋頭堡を増援しようとしなかったので、
>のちに国内ポーランド人から不信がられたとか

何しろ、同志スターリンは、ロンドン寄りのワルシャワ蜂起をお気に召してなかったからな。
ポーランド人とドイツ人が食いあうなら、どうぞご勝手にと思っていた。
陸軍の支援は論外で差し止められ、イギリスが物資を空輸しようとしても、
赤軍領域内の飛行場使用も認めず。
ポーランド第1軍のワルシャワに向けての攻撃もロコソフスキーとジューコフの黙認の下で行われたような気も・・・

まあ元々ロコソフスキーはワルシャワ近郊に生まれ、同市がロシア領時代にロシア軍に入隊し、そのままロシア革命に参加。
(ただし、公式記録上はウェルキエルーキ生まれとされている)
さらに戦後、ソ連から派遣される形で、ポーランド国防相に就任することがその時点で判っていればな。
ロコソフスキーも独断でもっと積極的に何かをやったかもしれない・・・
699名無し三等兵:2007/04/24(火) 18:31:49 ID:???
一応ソ連軍もワルシャワに物資を空輸したんだが、
パラシュートを付けずに投下したので粉々になって使えなかったとかw

ロコソフスキーはスターリンからワルシャワに介入するなと厳命され、
ビスワ(ヴァイクセル)川東岸のドイツ軍を掃討して戦線を斉頭させると、
あとは対岸のワルシャワ占領をベルリングのポーランド軍に一任させた。
(ドイツ軍の抵抗が激しく、市内のポーランド国内軍と合流できず、
結局国内軍は降伏)

戦後、ポーランド国防相兼政治局員となったロコソフスキーは、
スターリンのお目付け役として国内に睨みをきかしたという。
(案の定、スターリンが死ぬと、親ソ派と対立して投獄されてた
民族派のゴムルカらが復権し、ロコソフスキー一派を追い出した)
700名無し三等兵:2007/04/24(火) 20:32:52 ID:???
4月24日
第2白ロシア方面軍司令官ロコソフスキー元帥は、
オーデル川西岸に虎の子の第1親衛戦車軍団を放った。

スターリン戦車47両、自走砲23両を含む親衛戦車軍団は
第3装甲軍の、第210突撃砲旅団、
第281歩兵師団のヘッツアー中隊、
装甲軍戦区にばら撒かれている高射砲(8.8センチ、10.5センチ)を
圧倒し、西へと向かう。
701693:2007/04/24(火) 21:28:19 ID:???
詳しい説明ありがとー(´ー`)
702名無し三等兵:2007/04/25(水) 00:14:23 ID:???
4月25日朝

ハインリーキはフォン・マントイフェルの司令部を訪問した。
前線を突破したロコソフスキー軍はすでにオーデルを超えて深さ25マイル
幅45マイルの楔を打ち込みつつあった。
また、南のジューコフの白ロシア方面軍の一部は北に向かって進撃しつつあり、
第2線のヴォータン陣地に戦闘しながら後退中の第3装甲軍は包囲される危険が出てきた。

ハインリーキはマントイフェルにヒトラーの後退不可の命令を伝える。
「この命令を守れるか?」

マントイフェルは答えた。
「ここを支えきれるのは恐らく今日一杯です」

そして、ハインリーキが夜に自分の司令部に戻った時に電話が鳴った。
「マントイフェルです」
「赤軍が第2線まで突破しました。ただちに後退の許可を認めてください」

ハインリーキは答えた。
「ただちに後退せよ。シュテッチン要塞も放棄してよろしい」

これはヒトラーの命令への反逆であった....
703名無し三等兵:2007/04/25(水) 14:51:27 ID:???
お互い見事なくらいに確信犯的でありながら、理性的・・・
阿吽の呼吸のやり取りだな。
704名無し三等兵:2007/04/25(水) 21:17:47 ID:???
カイテルと大喧嘩ってのはいつの話だろう。
705名無し三等兵:2007/04/25(水) 21:31:00 ID:???
>>696
自由ポーランド軍のマーケットガーデン作戦当時の
第1落下傘旅団司令官はスタニスラフ・ソサボフスキー少将
706名無し三等兵:2007/04/26(木) 01:43:46 ID:???
ポーランド軍は装備は悪くないのだが、戦前からの将校が少なくて錬度が低いのと
報復を恐れたドイツ兵が降伏したがらなかったからいつも大損害食っている。
707名無し三等兵:2007/04/26(木) 07:28:24 ID:???
>>706
下手すると対戦相手もポーランド人だったりする
708名無し三等兵:2007/04/26(木) 10:45:58 ID:???
>>704
カイテルとの大げんかは明後日かな?
28日にハインリキは軍集団の司令官を解任される。
709名無し三等兵:2007/04/26(木) 18:34:22 ID:???
この局面で後任なんているんだろうか…。
どきどき
710名無し三等兵:2007/04/26(木) 21:18:04 ID:???
後任は・・・・いや、ネタバレになると後の楽しみが無くなるから、
今書くのはよしておこう(笑)
711名無し三等兵:2007/04/26(木) 21:28:28 ID:???
>>705
『遥かなる橋』を読んだり、『遠すぎた橋』を観たりすると、
ソサボフスキーはモンティの司令部の楽観的な雰囲気に水を差す、
敗北の予言者の役をすっかり演じてしまっているよね。
多分、ワルシャワのポーランド国内軍の絶望的な状況も精神的に影響してたんじゃないかね。
10月3日に国内軍は降伏してるから、マーケットガーデン作戦の頃は、
日に日に追い詰められていってる状況だろ。
ソサボフスキーは楽観的なマーケットガーデン作戦に参加するよりも、
本当はワルシャワに降下したくてしょうがなかったんじゃないかな。
どうやっても不可能なことなんだけど。
712名無し三等兵:2007/04/27(金) 06:57:21 ID:???
>>711
>多分、ワルシャワのポーランド国内軍の絶望的な状況も精神的に影響してたんじゃないかね。

あ、なるほどなあ。何で、このオヤジはこの作戦に悲観的なんだろ?と思ってたけど、
こう考えれば納得できるな。
>>694の言ってるジーン・ハックマン演じるポーランド軍空挺将校は、
ソサボフスキーのこっちゃよね。なかなか渋い配役だったよなあ。
713名無し三等兵:2007/04/27(金) 07:14:46 ID:???
「足を組んでボーっと座っていて、皆退屈そうだった。この無謀な計画に反対したくても
そう言う事ができないのだ。この計画と同じく私にも人望が無いので、私の話を誰が聞き入れてくれたのだろうか?」
ソサボフスキーの回想。英書ブラッド・フォースから訳して抜き出したですぅ。

良スレにてスレチすまぬ。
714名無し三等兵:2007/04/27(金) 07:53:03 ID:???
>>713
多少の脱線はいいと思うぞ。
あまりに脱線が過ぎれば、他の人からチェックが入るだろうけど、
我々は、マントイフェルについて書いてくれてる人とともに、
>>14の挑発にチャレンジする者だ。
マントイフェルと周辺のヒストリカルな事項で1000まで埋め尽くしてやろうぜw
715名無し三等兵:2007/04/28(土) 18:53:02 ID:???
4月28日
午前2時半
フォン・マントイフェル大将の第3装甲軍が、後退を続けていることに気付いた
カイテル元帥は、ベルリン北ノイ・シュトレリッツで第3装甲軍司令官と合う約束をする。

ヴァイクセル軍集団司令官ハインリキ上級大将はそれを聞いて、自分も駆けつける。
何が議論されるかわかっていたから。

「ヴァイクセル軍集団は退却しかしない」
カイテル元帥は路上で2人の将軍を非難した。
「だいたい軍集団にしても各軍にしても司令部がなってないんだ。君達もほかの連中を見習って、脱走兵を1000人も銃殺するだけの厳しさを持ては、ヴァイクセル軍集団だって戦線を支えられるんだ」

「君達は歴史に対してこの責任をとらねばならぬ」とカイテル。

マントイフェルもかっとなって
「フォン・マントイフェル家は200年間プロイセンのために尽くしました。そしていつも、その行動には責任をとってきました。私ハッソ・フォン・マントイフェルは喜んで責任をとります」

退却していく空軍部隊を見てカイテルは叫ぶ。
「この連中を第3装甲軍司令部に連行して軍法会議にかけろ!」
カイテルは捨て台詞を残して去る。
「以後、国防軍総司令部の命令を厳重に守ってくれ」

716名無し三等兵:2007/04/28(土) 18:55:23 ID:???
その日の午後、第3装甲軍が依然、西への後退を続けているのを聞いたカイテルは
ハインリキ上級大将の解任をした。フォン・マントイフェルではなく。

ハインリキの後任に指名されたのがフォン・マントイフェル。
だが、マントイフェルは上級大将昇進と軍集団司令官就任辞退の電報を返した。
「命令はすべてマントイフェルが出す」
と言って。
もう第3装甲軍しか救う気が無かったということ。

ヴァイクセル軍集団の司令官職は
第21軍司令官フォン・ティッペルスキルヒ大将の兼任となる。
717名無し三等兵:2007/04/28(土) 23:26:03 ID:???
>>715-716
うーん、かっこいい貴族だな。
でもハインリキが貧乏籤か。
第3装甲軍の配下部隊やらどうなってるか知らないけど、
1000人って2割とか3割になるんじゃないだろうか。

どのあたりで戦ってるかよく分からなくなってきたので、
ぐぐってみた。あまり画像が良くないがどうぞ。
ttp://www.geocities.com/sonzabird/berlin1.jpg
718名無し三等兵:2007/04/29(日) 01:50:52 ID:???
このスレじゃあ、すっかりおなじみの、ドイツ軍将官のキャリアを乗せたサイトで
ハインリキのところをみるとこの交代劇には、まだ少しごたごたがあった模様。

http://www.geocities.com/~orion47/WEHRMACHT/HEER/Generaloberst/HEINRICI_GOTTHARD.html

ハインリキの長い長いキャリアの最後の方にヴァイクセル軍集団司令官の解任の項があり、
括弧書きされたイタリック文字でこう書いてある。
「無許可の後退を行い、カイテル個人により解任される。
 クルト・シュトゥデント上級大将が後任に指名されるが、
 彼は5月1日まで指揮を取ることができなかった。
 そこで、彼に代わって、軍司令官中で最先任のティッペルスキルヒ歩兵大将が指揮を執った」

Personally dismissed by Keitel・・・とあるので、恐らくこの解任劇は、
伍長閣下の裁可を待たずに行われたものだと考えられる。
まあ、伍長殿は自分の人生の終幕をどう降ろすかの決断を迫られていた時期だから、
一軍集団の司令官の去就に構っちゃいられないというところなのか?
ただ、実際のところ、東部戦線はOKWではなくOKHの所管なので、
実のところ、カイテルがハイリキを解任する権限もなさそうに思える。
総統の代理人ということで、一見、越権行為とも思える権限を執行したことになるのだろうか。

そして、ハインリキ解任
→マントイフェルを昇進、昇任させようとする→断られる
→シュトゥデントを後任に指名する→無理、すぐに行けない
→じゃ、ティッペルスキルヒに代行させよう・・・

人事がこの大切な時期に行ったり来たり。
シュトゥデントは第1降下猟兵軍の指揮官だから、
カナダ第1軍と対してオランダ北部に押し込まれてたのかな・・・
だとしたら、ベルリン方面に行くには確かに骨が折れる。
じゃあ、ティッペルスキルヒに有効な指揮が執れたのかと思ったのだが・・・
この時に第21軍ってどの方面にいたのだろう?
719名無し三等兵:2007/04/29(日) 18:14:34 ID:???
>>718
これしか分からんかった
ttp://www.lonesentry.com/gi_stories_booklets/82ndairborne/
ここの最後から3段落目でちょこっと書いてある。
エルベ川云々って書いてあるから近いのかも知れんけど
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Army_Group_Centre
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Army_Group_Vistula
でもここ見る限り中央軍集団所属でも
ヴァイクセル軍集団でもないんだよなぁ。
720名無し三等兵:2007/04/29(日) 19:03:01 ID:???
>>719
判ったよ。紹介してくれた第82空挺師団の記録にはこうある。

The German Twenty-first Army, with an estimated strength of 144,000, surrendered to the 82nd at Ludwigslust, about 25 miles east of the Elbe, May 3. Next day, 25 miles further east, patrol contact was made with Soviet troops.

「ドイツ第21軍(推定兵力14万4千人)がエルベ東方25マイルのLudwigslustで第82空挺師団に投降。5月3日だった。翌日、25マイルさらに東方で、パトロールがソ連兵と邂逅した」

んでね。>>717の地図見るとさ、第3装甲軍戦区のズーと西側の地図端近くに、
英第2軍の矢印が書いてある。で、そこの近くにLudwigslustって
読みにくいけど書いてあるんだわ。

そこで投降(この当時第82空挺は英第2軍に所属)ということは
西部戦線側の軍集団の所属。

ただしB軍集団の序列には入っていない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Army_Group_B
ということは、B軍集団の北に位置したH軍集団に所属していたんじゃないかな。
多分、第1降下猟兵軍ともどもね。
不幸にも英語のウィキでH軍集団の序列はまだ書かれていないんだけどさ。
721名無し三等兵:2007/04/29(日) 19:48:20 ID:???
ティッペルスキルヒの第21軍(司令部)は
4月28日に新設されるが
前身が第4軍司令部だから、バルト海経由で逃げてきた司令部
したがって北ドイツに配置。
722名無し三等兵:2007/04/30(月) 13:02:22 ID:???
従卒、シャンパンをもってこい!豚めが死んだぞ!
723名無し三等兵:2007/04/30(月) 13:32:52 ID:???
暗殺作戦の失敗を知らなかった人の台詞?
724名無し三等兵:2007/04/30(月) 13:42:56 ID:???
そうだね。でも、確か、この発言をした御仁は、暗殺計画に積極的に関与していなかった。
単なるヒトラー嫌いだったというだけなので、暗殺計画に関与した人々に振りかかった災厄からは逃れられた。

そうか・・・今日は命日か。
725名無し三等兵:2007/04/30(月) 22:23:20 ID:???
>>720
役に立って何より。
英語は分かる人に読んでもらうに限るw
726名無し三等兵:2007/05/01(火) 19:50:31 ID:???
5月1日
ヒットラーのいないドイツ。
ベルリン北部は、第3装甲軍が北、第21軍がその南の戦線を担当して
西へと後退。

ベルリン南部では、西へと後退する第9軍が救援の第12軍と合流。
727名無し三等兵:2007/05/01(火) 20:16:42 ID:???
ヒットラーのいない5月
728名無し三等兵:2007/05/02(水) 20:42:54 ID:???
5月2日
ドイツの新しい国家元首デーニッツ元帥は
ヴァイクセル軍集団の第3装甲軍、第21軍に対し
最寄のアメリカ軍に降伏するよう指示。

フォン・マントイフェル大将の第3装甲軍は、第8歩兵師団に降伏し、
フォン・ティッペルスキルヒ大将の第21軍は、第82空挺師団に降伏した。
729名無し三等兵:2007/05/03(木) 12:55:54 ID:???
ベルリン〜キュストリン間で豹29両と王虎28両がソ連戦車110両撃破して、
戦車戦最後の勝利を飾ったのはこの頃だっけか
730名無し三等兵:2007/05/03(木) 14:46:48 ID:z80ijjD9
いい加減上げろよw
731名無し三等兵:2007/05/03(木) 14:49:09 ID:???
>724
それ考えると、意外と寛容だな>ヒゲ伍長
732名無し三等兵:2007/05/03(木) 18:18:23 ID:???
>>729
もう少し前だよ。
733ZT069119.ppp.dion.ne.jp :2007/05/04(金) 06:42:04 ID:???
そうか
734名無し三等兵:2007/05/05(土) 18:42:33 ID:???
5月5日
ヴァイクセル軍集団の第12軍、第9軍と
G軍集団も降伏して
西部戦線の全ドイツ軍は、西側連合軍に降伏した。
残るは東部戦線。
735名無し三等兵:2007/05/05(土) 20:06:01 ID:???
そうか・・・シェルナー麾下の中央軍集団はまだ降伏していなかったんだっけ。
736名無し三等兵:2007/05/06(日) 11:14:00 ID:???
もちろんそうよ
737名無し三等兵:2007/05/06(日) 16:40:26 ID:???
降伏したらシベリア送り・・・みんな西へ行こうぜ!
738名無し三等兵:2007/05/07(月) 20:06:23 ID:???
5月7日
ヨードル上級大将が降伏文書に署名。
739名無し三等兵:2007/05/07(月) 20:21:09 ID:???
まだだ・・・まだ俺たちは終わってなんかいない!
ここには武器もある士気もある。ナチスの崇高な理想もここにある!


・・・そう言っていた奴らもいました
740名無し三等兵:2007/05/08(火) 01:39:23 ID:???
エルベのほとりで歌わん 広きロシアの心
  大いなる祖国の前に ファシストはかげもなし
世界にたぐいなき国 美わし明るき国
  われらの母なるロシア 子供らは育ち行く
741名無し三等兵:2007/05/08(火) 05:35:25 ID:QP4WWqBi
緊急浮上!
742名無し三等兵:2007/05/09(水) 20:14:02 ID:???
第2次欧州大戦は終了。
5月8日に
クールラント軍集団
東プロイセン軍
中央軍集団
南方軍集団の将兵が武器を置いた。
フォン・マントイフェルの第3装甲軍が武器を置いた5月3日から
5日後のことであった。
743名無し三等兵:2007/05/09(水) 22:21:19 ID:???
ソ連軍に降伏!?
744名無し三等兵:2007/05/10(木) 16:44:07 ID:UElLrTiw
忘れちゃこまるぜ
カール・ハンケ指揮下のブレスラウまだ健在なり。

「名誉ある死」を恐れる者には「死と不名誉」を!!
745名無し三等兵:2007/05/10(木) 16:48:17 ID:???
総統の要塞宣言にはまいる。
746名無し三等兵:2007/05/10(木) 21:48:38 ID:???
また負けてしまったことよりも、まだ生きているのかと思った。

                         ハインツ・ハーメル曹長
747名無し三等兵:2007/05/10(木) 22:08:48 ID:???
8日というとドイツ海軍が海軍の本分を果たしている頃か。
748名無し三等兵:2007/05/11(金) 21:14:05 ID:???
敗戦時にドイツ海軍がやる本分とは
自沈?
749名無し三等兵:2007/05/11(金) 21:41:52 ID:???
沈める艦残ってんの? プリンツ・オイゲンぐらいじゃね?
750名無し三等兵:2007/05/11(金) 23:59:47 ID:???
ちょっと前にデーニッツが登場しているのに
Uボートを忘れるとは何事か
751名無し三等兵:2007/05/12(土) 01:51:15 ID:???
提督!Uボートが沈みません!
752名無し三等兵:2007/05/12(土) 10:32:08 ID:???
>>748
兵及び避難民の本土輸送とその護衛を残った全船舶で実行。
終戦後に前回同様賠償に持っていかれた艦もあったが
馬鹿はやらなかった。

>>749
独航艦になるような大きいので航行可能なのは
オイゲンとニュルンベルク位だったと思うが、駆逐艦以下はそれなりに残ってる。
ボートも知らんけど結構残ってるんじゃないのか。
753四等兵:2007/05/13(日) 12:35:43 ID:hFhE1qDe
独21軍
4月28日の戦闘序列は、
第3SS装甲軍団(海軍第3歩兵師団、第7装甲師団、第25装甲擲弾兵師団)
第101軍団(第5猟兵師団、第606歩兵師団、第309”グロス・ベルリン”歩兵師団)

5月2日のそれは、
第3SS装甲軍団(海軍第3歩兵師団、SS第4装甲擲弾兵師団”警察”、空軍第1訓練師団)
第101軍団(第5猟兵師団、第606歩兵師団)
第27軍団(第547国民擲弾兵師団、第2降下猟兵訓練旅団、SS戦闘団”千一夜”、SS第23装甲擲弾兵師団”ネーデルランド”)
754名無し三等兵:2007/05/13(日) 22:52:16 ID:???
降伏後のハッソー議員の活躍を期待するぞ。
755名無し三等兵:2007/05/14(月) 18:56:42 ID:???
降伏時の
第3装甲軍兵力15万5千人、第21軍14万人。
ソビエト軍3個軍が1個ずつ持つ
戦車軍団に包囲もされず
西側にまで後退できたのは
ドイツ北部が沼沢地の多い地形だったからだけではなく
後退戦にたけた軍司令官に率いられたからか・・

4月30日の戦闘序列
第3装甲軍(フォン・マントイフェル大将)
第2軍管区
「デネケ」隊

第32歩兵軍団
「レベデュール」戦闘団
「ブリュール」戦闘団
「シュテッティン」戦闘団
第549国民擲弾兵師団

第46装甲軍団
第25装甲擲弾兵師団
第281歩兵師団
第7装甲師団
第27SS装甲擲弾兵師団
第28SS装甲擲弾兵師団
第33SS装甲擲弾兵師団
第1海軍歩兵師団



756名無し三等兵:2007/05/15(火) 19:19:40 ID:???
もし、フォン・マントイフェルが4月28日にヴァイクセル軍集団司令官を引き受けていたなら
もし、フォン・マントイフェルが第3装甲軍、第21軍、第12軍を持ってベルリン救援を成功させたなら
もし、フォン・マントイフェルがヒットラーも救出できたなら

元帥になる可能性もあっただろう。

義理の伯父、エヴァルト・フォン・クライストのように・・・
757名無し三等兵:2007/05/16(水) 01:53:41 ID:???
第9軍が第12軍に収容されたとき、当初20万人いたのが3万まで減ってたとか

ヒトラーが元帥にするというのは、捕虜になるな(→自決せよ)ということジャマイカ
758名無し三等兵:2007/05/17(木) 20:10:09 ID:???
B軍集団、G軍集団やイタリア戦線のドイツ軍部隊が西側連合軍に降伏する中で
東部戦線のヴァイクセル軍集団も、後退して西側に投降。

しかし、その南の中央軍集団は、チェコでプラハを中心に円形防御陣をはる。
占領地区をなるべく維持し、降伏後の立場を有利にしようとする
カイテル、ヨードルの思惑から。

「プラハを制するものは中部ヨーロッパを制す」
と言ったのは鉄血宰相ビスマルクだが・・

カイテル・ヨードルの提案をとり入れ、中央軍集団の将兵に西への脱出を指示しなかった
国家元首デーニッツは、後悔することになる。
759名無し三等兵:2007/05/17(木) 22:04:06 ID:???
パウルスのときは死ねという意味で元帥にした様だが
あん時は事情が特殊だったしなあ。
パウルスが降伏して、もう誰も元帥にしない!とか怒り狂ってたけど
でもそのあとも何人か元帥になってるよな。
760名無し三等兵:2007/05/18(金) 00:44:37 ID:???
戦争犯罪犯してないなら死ぬ必要はないでしょ
761名無し三等兵:2007/05/18(金) 08:39:23 ID:???
パウルスがいかに糞な野郎だったかは、2年ほどまえにNHKのBS1でやってた
ドイツの放送局のスターリングラードのドキュメンタリーでよくわかった。
762名無し三等兵:2007/05/18(金) 19:05:35 ID:???
ドイツのTV局ZDFの本だと
そこまで糞味噌でもなかった。
むしろデーニッツとかがボロクソ。
763名無し三等兵:2007/05/19(土) 19:39:26 ID:???
第2次欧州大戦終結時、西側とソビエトの境界線となったのが
エルベ川、さかのぼるとチェコに達する。

終戦は1945年、200年さかのぼると1745年。

「フォン・マントイフェル家は200年間プロイセンのために尽くしました」

200年前のフォン・マントイフェルとは?
764名無し三等兵:2007/05/19(土) 23:46:18 ID:???
マントイフェル家の歴史はこちら

http://de.wikipedia.org/wiki/Manteuffel
765名無し三等兵:2007/05/20(日) 00:14:06 ID:???
うあ、ドイツ語、嫁ねー
766名無し三等兵:2007/05/20(日) 00:18:46 ID:???
>>756
恐らく、マントイフェルがヴァイクセル軍集団の司令官を引き受けていたのならば、
到底不可能なベルリン救援を試みるのではなく、
第3装甲軍のみならず、史実以上に軍集団全体の後退と保全を図るのではないかなあと。
できる限りの兵士の命をまっとうさせるために。
もちろん、元帥になれようはずもないが、もはやなる必要もなかっただろうし。
767名無し三等兵:2007/05/20(日) 02:32:53 ID:???
騎士十字章くらいは貰ってんでしょ?>ハッソー
768名無し三等兵:2007/05/20(日) 14:18:48 ID:???
全軍で28人だったっけ?しかいない
ダイアモンド剣付柏葉騎士十字章を受章しておるぞ。
これより上はルーデルの黄金(以下ryと
丁稚どんの大鉄十字章しかない。
事実上の第三帝国最高の勲章だ。
769名無し三等兵:2007/05/20(日) 16:56:25 ID:???
ダイヤはロンメルやハルトマン、モーデルらも取ってるね。(27人?)
その下の剣付き柏葉も、マルセイユ、ヴィットマン、マンシュタイン、
ハウサー、ルントシュテット、ホト、クライスト、パウルスら、錚々たる面々。
さらに下の柏葉は、グデーリアン、ヨードル、デーニッツなどで、
当然モーデルのような上記全てを取ったダブリの場合もあり
(デーニッツの場合、ロイヤルオーク撃沈でプリーン艦長が騎士十字章なのに
比べ、部下の功績で横取り昇進したという声も・・)

丁稚どんの大十字はともかく、カイテルの騎士十字章は総統のお情けか
770名無し三等兵:2007/05/20(日) 18:36:30 ID:???
部下の功績を横取りするのは上官の特権だろw
771名無し三等兵:2007/05/20(日) 19:25:55 ID:???
戦車乗りとか撃墜王とかだけじゃなく
マンシュタインとかルントシュットみたいな軍集団の司令官ももらえる勲章って
なんか面白いよね
772名無し三等兵:2007/05/20(日) 19:31:59 ID:???
>>769
上位勲章の受章資格は
下位の勲章を受章してることだから
モーデルがダイヤ以下の騎士十字章を全て持ってるのは
当たり前のことなんじゃ。
773名無し三等兵:2007/05/21(月) 17:08:18 ID:???
>>772
そうでもない。
たとえば史実で二等兵が騎士十字章貰った際には、
二級、一級鉄十字章も同時受賞ですよ。
774名無し三等兵:2007/05/22(火) 06:42:22 ID:???
いやそれはそれで騎士十字章受章の
形式要件を満たしてるでしょ。
1級、2級の受章なしに
いきなり騎士十字章ってことはないのでは。
775名無し三等兵:2007/05/22(火) 10:59:32 ID:???
772、774のいうとおり
超大まかにいうと鉄十受賞者がさらに手柄を立てたら騎士十がもらえる。
ところが騎士十受賞者がさらに手柄をたてたりするもんだから柏葉付が制定された。
ところが柏葉騎士十受賞者がさらに手柄をたてたりするもんだから剣付柏葉が制定された。
ところが(以下略

戦艦ロイヤルオーク撃沈のプリーン艦長の場合、これは明らかに騎士十字に値する手柄だけど当時彼は鉄十字未受賞。で、凱旋寄港時デーニッツから1級鉄を授与。さらにベルリンに飛んでヒトラーから騎士十字章を授与された。さらにその後の活躍で栢葉騎手を
776名無し三等兵:2007/05/23(水) 19:20:28 ID:???
1745年といえば、第2次シュレージェン戦争の時、
ホーエンフリーデベルク(6月4日)
ゾア(9月30日)
ケッセルスドルフ(12月15日)
の戦いがあった年。

だが、フォン・マントイフェルが戦史に現れるのは
ロボジッツの戦い。

時は1756年、七年戦争の時であった。
777名無し三等兵:2007/05/24(木) 12:49:04 ID:???
ロボジッツの会戦か。昔ウォーゲームであったな。
GDWの120シリーズというコンパクトゲームで、
特段に難しいゲームじゃなかったが。
問題は、ヒストリカルなセットアップが、最後まで分からなかった。

この会戦、相当の濃霧の中で始まっており、
このゲームも特別ルールで、最初は全部コマを裏返し、
敵がどう配置しているか分からない。
丘の高い高度レベルにあるヘクスから段々と霧が晴れて、双方の陣容もしれていくわけだが。

友人と6回遊んで、3勝3敗。6回とも一度として同じ展開が無かった。
ヒストリカルな展開が分からなくても、好ゲームのひとつだったなw
778名無し三等兵:2007/05/24(木) 22:58:51 ID:???
フォン・マントイフェル家の栄光の歴史もさることながら
第三帝国降伏後のハッソー氏の活躍も是非。
779名無し三等兵:2007/05/25(金) 20:02:19 ID:???
プロイセン国王フリードリッヒ二世が
ベルリン(ブランデンブルク地方)南東にあるシュレージェン地方の領有をもくろんで
侵攻したのが1740年。
その時は、フランスが同盟国だった。

オーストリアのマリア・テレジアとの領地争いは続き、第2次シュレージェン戦争も起こる。

1756年、オーストリア、ロシア、フランスが同盟を結ぶことになる。
フリードリッヒ二世は、先手をうって南のザクセン侵攻後、チェコに侵入した。
エルベ川河畔のロボジッツに。
その第1陣、中央にいる第17歩兵連隊の連隊長こそ
ゲルト・ハインリッヒ・フォン・マントイフェル少将だった。
780名無し三等兵:2007/05/26(土) 17:23:24 ID:???
久しぶりに、実に久しぶりに良スレを見つけたよ。
俺も持ってる資料をあさってマイントフェルのことを書き込むぜ
781名無し三等兵:2007/05/27(日) 16:38:43 ID:???
ゲルト・ハンリッヒ・フォン・マントイフェルが第17歩兵連隊長になったのは7月20日。

プロイセン軍が、ザクセンのピルナでザクセン軍2万人を包囲。
ブラウン元帥のオーストリア軍は、ザクセン救援のため、33354の将兵を率いてチェコのコリンを出発。北上した。
フリードリッヒ2世のプロイセン軍は28000。
ロボジッツの町の北に9月30日到着。

1756年10月1日。
オーストリア軍は、エルベ川西のロボシュ山(東側)とホモルカ山(西側)の間で、防御体勢をとった

濃霧の中、プロイセン軍は南下を続けた。オーストリア軍右翼ロボシュ山麓のクロアチア部隊が、発砲した。
フリードリヒは、オーストリア軍の微弱な後衛部隊に遭遇したと思った。

霧が晴れ、プロイセン軍の中央にいたフォン・クライスト中将の部隊は、オーストリア軍の目前にいた。

右翼のプロイセン騎兵は2度、オーストリアの守備陣を強襲した。
午前11時、第2胸甲騎兵連隊、第10胸甲騎兵連隊「警察連隊」、第13胸甲騎兵連隊は、コルドバ胸騎兵連隊、オーストリア第1龍騎兵連隊と交戦。
成果は上げられなかった。

午後1時、オーストリア軍が反撃。フォン・マントイフェル少将の上官でもある、第27歩兵連隊長フォン・クライスト中将は、馬上で敵弾を受けて負傷する。
プロイセン軍は、5時間に及ぶ射撃戦で弾薬を使い果たしていた。
左翼のフォン・ベフェルン中将は、自身の第7歩兵連隊、第17歩兵連隊、第27歩兵連隊をもってオーストリア軍右翼に突撃をかけた。銃剣と棍棒をもって。
クロアチア部隊は潰走する。
フォン・ベフェルン中将の部隊は、炎上するロボジッツの町を通り越し、オーストリア軍を追撃した。
ブラウン元帥のオーストリア軍は、撤退した。

プロイセンは将校97人を含む2873人、
オーストリアは、将校123人を含む2863人の将兵を失った。
フォン・マントイフェルの第17歩兵連隊も甚大な損害をこうむっていた。
そしてフォン・マントイフェルの上官だったフランツ・ウルリッヒ・フォン・クライスト中将は、
3ヶ月後、この戦いの負傷がもとで死亡する。
782名無し三等兵:2007/05/28(月) 01:25:31 ID:???
あのクライストの祖先なのかなあ?
783名無し三等兵:2007/05/28(月) 19:54:39 ID:???
>>781
ブラウンって実在の人物だったんだ。
昔藤本ひとみの小説に出てきたんだが、てっきり架空だと思っていた。
784名無し三等兵:2007/05/29(火) 19:37:02 ID:???
フォン・クライスト家は、この頃すでに元帥まで出した
名門の一族。

オーストリア軍の救出も失敗し、ザクセンは10月16日降伏。
18000のザクセン軍はプロイセン軍に編入されることになる。
次はプラハだが、翌年を待たなければならない。
785名無し三等兵:2007/05/30(水) 00:48:40 ID:???
ザクセンに侵攻したということは当然ポーランドと敵対関係になるはずだが、
何故ポーランド軍は西進しなかったんだろうか
786名無し三等兵:2007/05/30(水) 16:11:33 ID:???
>>784
日本語のウィキでクライスト家のことを調べようと「クライスト」で検索したら、
劇作家のハリンリヒ・フォン・クライストしか項目がなかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88

あ、でもすげー。
>17世紀以来クライスト家は44人の将軍を輩出する名門であり、
だってよ。
生粋の軍人貴族なんだな。クライスト家は。
787名無し三等兵:2007/05/31(木) 20:13:29 ID:???
1757年5月6日
プラハに東から近づくプロイセン軍67000を
オーストリア軍61000が迎え撃つ。

フォン・マントイフェル少将は、ヴィンターフェルト中将の指揮下で右翼にあったが
ヴィンターフェルトの第1歩兵連隊が大損害をこうむったよりはマシだった。

左翼では、シュヴェーリン元帥が、自分の第24歩兵連隊を後退させるため、
弾丸の雨の中、先頭に立ったところで戦死。
1741年のモルヴィッツの戦いを負け戦から勝ち戦にした
老元帥の最後だった。享年72.

対するオーストリアのブラウン元帥も、重傷を負う。

激戦を制したのはプロイセン軍、オーストリア軍はプラハに退く。

プロイセン軍の損害14300。
オーストリア軍の損害13400。
788名無し三等兵:2007/05/31(木) 20:56:10 ID:???
age
789名無し三等兵:2007/06/01(金) 15:43:36 ID:???
この場合の損害は、戦死+行方不明+重傷かねえ。

67000で14300
61000で13400

中世の戦争が容易に決戦主義に傾かなかった理由がよく分かるよ。
790名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:38:46 ID:???
プロイセン軍がプラハを包囲すると
ダウン元帥のオーストリア軍43000が、プラハの東、コリンにやってくる。
1ヶ月、ダウン元帥は動かなかったが、兵力は増強されつつあった。

フリードリッヒは、プロイセン軍33000をもって
コリンのオーストリア軍を急襲。

ヴィンターフェルト中将の負傷により
フォン・マントイフェル少将は、フォン・マンシュタイン中将の指揮下に入っていた。
791名無し三等兵:2007/06/02(土) 19:40:49 ID:???
マンシュタインここでも才気を発揮するのかね
792名無し三等兵:2007/06/02(土) 22:45:26 ID:???
養子に入った先の先祖か。
ドイツ軍の将校ってやっぱり貴族多いな。
793名無し三等兵:2007/06/03(日) 01:01:09 ID:???
それが気に食わなくて
伍長はグデーリアンとかロンメルとかを
引き立てたんでは。
794名無し三等兵:2007/06/04(月) 08:15:25 ID:???
795名無し三等兵:2007/06/04(月) 10:28:17 ID:???
>>793
そればかりでもないような。

まだ名前出てきてないけど、伍長殿の意外なお気に入りだと思われる軍人に、
ゲルト・フォン・ルントシュテットがいる。
1940年代、プロ・・・いやドイツ軍最先任将校となるこの人物を伍長殿は非常に重用している。
南方軍集団の司令官を解任しても、すぐに西方軍集団の司令官に再任し、
そのまま横滑りで西方総軍司令官に。D-DAYのあと、一時解任するが、
クルーゲ→モーデルのあとにまた西方総軍司令官に再任し、
そのまま終戦まで引っ張った。

『電撃戦という幻』では、ダンケルクの停止の要因のひとつを、
ブラウヒッチュとハルダーが、「寵臣」であるルントシュテットの軍集団からボックの軍集団に
1個軍を引き抜いて渡したことをあげているほど。

まあ、総統の許可なく1個軍を移動させるという大きな編成替えをやろうとした両名に大激怒することで
西方戦役と同時進行中の「国防軍との戦い」を有利にしようとしたとも書かれているが・・・。

さらに翻ってみれば、ナチの最初のミュンヘンでの一揆の時にはルーデンドルフを担いでいるし、
大統領時代のヒンデンブルグは非常に大事にされている。

案外に伍長殿は、プロイセンの生粋の軍人貴族に憧れのようなものがあったのかもしれないぞ。
796名無し三等兵:2007/06/04(月) 15:46:19 ID:???
参謀本部は嫌いなんだよね?
フリーメーソンとか言ってなかったっけ
797名無し三等兵:2007/06/04(月) 18:27:31 ID:???
フリーメーソンだの、ジャゴバン党だの言いたい放題だな。
ゼークト時代も関係はよろしくなかったし、ベック時代になって亀裂は決定的。
ハルダーとの関係は言うに及ばず。

ヒトラーは参謀本部を戦争計画を捻りだす便利なマシーン扱いしたかったが、
当の参謀本部周辺は、ヒトラーの冒険主義的な拡張主義政策に同調しない連中が集まっていた。
特に、ヒトラーの政策が一度こければ、再度の世界大戦となり、
ドイツは必ず負けると忌憚なく警鐘を鳴らし続け、
さらにはチェコの危機の時には、クーデタの一歩手前まで行ってたからな。
ハルダーだって、西方戦役のスタート前はヒトラーの暗殺を本気で考えていた。
軍のアンチ・ヒトラーの巣窟に見えてしょうがないだろうな。

ハルダー以降も、ツァイツラーに至ってはハルダーほどの権威を持ちあわせていないお陰で、
しばしば無視されることもあり、総長としての役割の原則を巡り、何度か辞表を提出していたはず。

で、7月20日事件を契機にツァイツラーが逮捕され、
参謀本部とは縁遠かったグデーリアンを総長の事務取り扱いに付ける。
これで一安心。もう参謀本部に悩まされることはない…
装甲兵総監となっていたグデーリアンとは正面衝突することもなくなっていたし…。
だがまあ、ヒトラーはもう少し前を思い出すべきだった。
第2装甲集団司令官時に、2人でどんなドツキ漫才をやっていたかを。

こうして参謀本部は1945年までヒトラーを悩まし続けることになる。
798名無し三等兵:2007/06/04(月) 19:08:55 ID:???
まあグデリアンとは仲良く喧嘩できる間柄だから
そこは安心してたんだろ。
ベックとかハルダーはマジで何しでかすかわからんしな。
799名無し三等兵:2007/06/05(火) 18:38:17 ID:Lb0DWiyB
6月18日
フリードリッヒ2世の33000は東へと行軍し、
オーストリア軍の北で、縦隊から横隊へと隊形変換。

ダウン元帥の部隊は54000に増強されていた。
だが、ロボジッツの再現を期待して、攻撃にかかる。

中央部隊を率いるフォン・マンシュタインとトレスコウは、
ともにロシアで、アンナ女帝のロシア軍を鍛えた軍事顧問だった。

15時、
敢然と、丘の上にいるオーストリア軍に接近戦を挑んだが・・

16時には勝敗は決した。
ダウン元帥は待ち構えていたのである。プロイセン軍は、オーストリア軍を突き崩せなかった。

オーストリア軍の損害9000に対し
プロイセン軍の損害13768。
実に42パーセントの損害。プロイセン軍は壊走した。
800名無し三等兵:2007/06/05(火) 19:31:42 ID:???
フォン・マンシュタインと
トレスコウのコンビか…。
801名無し三等兵:2007/06/05(火) 20:31:18 ID:???
>>795
ヒンデンブルグとルーデンドルフの二人は
実際はどうあれ一応英雄だったからではないかな。
802名無し三等兵:2007/06/06(水) 19:16:49 ID:???
1757年6月18日午後6時。
プロイセン軍は北へと後退する。

敗北を悟ったフリードリッヒ2世は、夜
軽騎兵の護衛を伴い、西のプラハへ。

王に「我が勇敢なるトレスコウ」と呼ばれた
第32歩兵連隊長ヨアヒム・クリスチャン・フォン・トレスコウと
第17歩兵連隊長ゲルト・ハインリッヒ・フォン・マントイフェルも
退却する。

親衛大隊である第15歩兵連隊第1大隊はしんがりを務め、
オーストリア軍胸甲騎兵に包囲されつつ後退。

だが、オーストリア軍のハンガリー歩兵パンドゥールは、
プロイセンの将軍に追いつく。

負傷していたクリストフ・ヘルマン・フォン・マンシュタイン。
ハンガリー兵の降伏勧告に応じなかった将軍は
その場で殺された。
803名無し三等兵:2007/06/07(木) 20:34:21 ID:???
このクリストフ・ヘルマン・フォン・マンシュタインは、
約200年後のエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥と
残念ながら血縁関係ではない。同姓の、ただの他人。

プラハを囲んでいたプロイセン軍は、コリンの敗戦をうけ
直ちに退却、ベーメン(ボヘミア、現チェコ)からも撤収する。

ところで、フォン・マントイフェル家は
ザクセンにも存在する。駐プロイセン大使だったりする。

そして1757年8月30日、ベルリン北東の東プロイセン。
別のフォン・マントイフェルが・・・
804名無し三等兵:2007/06/07(木) 20:46:30 ID:???
エリッヒさんは養子だから
そりゃ血縁関係はなかろうと思うが
エリッヒさんの養子先のマンシュタイン家ではないということだな。
805名無し三等兵:2007/06/08(金) 20:44:09 ID:???
1757年8月30日
グロス・イェーガースドルフ

東プロイセンに侵入したロシア軍54800を
フォン・レーヴァルト元帥の東プロイセン軍団(第3軍団)24700が迎え撃つ。

第2陣の第11守備連隊(Garnison−Regiment)は、
フランツ・クリストフ・フォン・マントイフェル大佐が率いる。

ロシア軍の中央、第3師団には、なんとマントイフェル旅団。
しかも2個旅団。
イワン・マントイフェルとアンドレアス・マントイフェルが率いる。

レーヴァルト元帥は、自軍の劣勢をカバーするため、
ノルキッテナーの森を正面にして対峙し、
ロシア軍右翼を龍騎兵でけん制
ロシア軍左翼を歩兵主力で撃破しようとするが・・

多勢に無勢。
アンドレアス・マントイフェル旅団の猛攻で、
第11守備連隊も大損害を被る、
フランツ・クリストフ・フォン・マントイフェル大佐の上官、
グラフ・ドーナ中将も重傷を負い、プロイセンは敗れた。
プロイセン軍の損害4520
ロシア軍の損害5989
806名無し三等兵:2007/06/09(土) 19:35:44 ID:???
ハンス・カール・フォン・ヴィンターフェルト中将
第1歩兵連隊長

フリードリッヒ2世の最高副官、参謀総長相当の彼は
7年戦争の動員・行軍計画を練った。

プラハへの進軍の際は、シュヴェーリン元帥の第2軍団参謀長だった。
その時、フォン・マントイフェルの上官でもあった。

1757年9月7日、シュレージェン地方のゲーリッツ付近、
モイにおいてオーストリア軍に襲われ、戦死する。
オーストリア軍32000、プロイセン軍13000
反撃の際の出来事だった。

マントイフェルの上官は、次々と・・・
807名無し三等兵:2007/06/10(日) 15:52:44 ID:???
マントイフェルたくさん居るな。地方の名前なんだろうか。
しかし、将官で連隊長ってがはたくさんだな。
808名無し三等兵:2007/06/10(日) 19:26:56 ID:???
このころのプロイセンでは、
一度、連隊長になると昇進しても
そのままらしい。
プラハの戦いでは、そのためフォン・シュヴェーリン元帥(第24歩兵連隊)
フォン・ヴィンターフェルト中将(第1歩兵連隊)も死傷するわけなんだが・・・
彼らが死傷しなければ、コリンの惨敗もなかったかも。
809名無し三等兵:2007/06/10(日) 20:45:11 ID:???
>>808
連隊が最大単位だったりするのかしらん?
それで育った高級将官を無くしてるんだったらそれはどうかと思うけど。
810名無し三等兵:2007/06/10(日) 21:06:31 ID:???
このときは
フリードリッヒ2世が第1軍団
フォン・シュヴェーリンが第2軍団とか。
さらに上位の規模部隊を率いても
自分の連隊はそのままということらしい。
811名無し三等兵:2007/06/10(日) 21:32:35 ID:???
>>810
なるほど。ありがとう。
自分の連隊置いて帰れないだろうしなぁ。
812名無し三等兵:2007/06/11(月) 20:22:30 ID:???
1757年11月5日
ロスバッハの戦い

フランス軍30200と帝国軍10900を
プロイセン軍22000が迎え撃つ。

側面に回りこもうとする敵を
砲兵の支援下、
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フライヘア・フォン・ザイドリッツ・クルッツバッハ中将率いる
胸甲騎兵と龍騎兵が
突撃をかけ壊走させた。

プロイセン軍の損害548、に対し敵の損害10152
の完勝。

残念なことにフォン・マントイフェルは参加していない。
シュレージェン防衛のため、東の同地にとどまっていたから。
813名無し三等兵:2007/06/12(火) 20:19:00 ID:???
1757年11月22日
ブレスラウの戦い

オーストリア軍は83606に膨れ上がっていた。
対するヴェフェルン中将のプロイセン軍は28000。
オーデル川西岸、その支流に囲まれ西と南に面した陣地を防衛する。

ブラウンシュバイク公フォン・ヴェフェルンは、フリードリッヒ2世の義理の叔父で、
ロボジッツの戦いを、白兵戦で勝利に導いた勇将。

マントイフェルは、擲弾兵を率いて右翼(西側)に。
上官はフォン・クライスト少将。
フリードリヒ・ルードヴィヒ・フォン・クライスト

ブレスラウの戦いは、プロイセン軍が大損害を被り、夜中に陣地を放棄し後退して終わる。

そしてフォン・マントイフェルの上官フォン・クライストはこの日、
重傷を負い、死亡する。

プロイセン軍の損害6350
オーストリア軍5851.
814名無し三等兵:2007/06/13(水) 18:58:36 ID:???
11月24日
フォン・ベフェルン中将は、オーストリア軍に捉えられ、ウィーンに送られる。
そして翌11月25日、
ブレスラウ要塞の陥落。

そのころ、フリードリヒ2世は、ザクセンのライプツィッヒからシュレージェンに急行していた。
豊臣秀吉の中国大返しならぬザクセン大返し、
オーストリア軍を撃破するため。
815名無し三等兵:2007/06/14(木) 04:59:02 ID:uRIvIraU
↑いつもご苦労様です。
陰ながら応援しています。
816名無し三等兵:2007/06/14(木) 05:19:48 ID:7DsUWND3
>>742
>クールラント軍集団
>東プロイセン軍
違いが分からないんだが
フォン・ザウケンが指揮してたのどっち?
817名無し三等兵:2007/06/14(木) 07:44:46 ID:???
なんだこの良スレは・・・
818名無し三等兵:2007/06/14(木) 09:45:55 ID:???
>>816
クールラント軍集団
=ラトヴィア西方部のバルト海に突出したクールラント半島に所在。
バルバロッサ作戦からこの方、北方軍集団と呼ばれていた部隊だ。
当時、主戦線から切り離され、クールラント半島に孤立させられていた。

東プロイセン軍
=1944年末から1945年初頭の赤軍の冬季攻勢の際、
東プロイセンは本来、中央軍集団の第4軍と第3装甲軍が防衛していた。
このうち、第3装甲軍のほとんどは戦線を突破された後、西方へ後退。
第4軍と一部の西方へ下がれなかった第3装甲軍の麾下部隊が、包囲され、
東プロイセンの枢要部の防衛に当たった。
そして、北方軍集団をクールラント軍集団に改称した際に、
従来の中央軍集団は、北方軍集団に改称されるというややこしいことが行われた。
で、この新北方軍集団は、東プロイセンで孤立した
第4軍とごく少数の第3装甲軍の残余部隊を統制するのみとなったので、
「東プロイセン軍」という通称で表すことがある。
819815:2007/06/14(木) 09:53:59 ID:???
>>816
スマン、上の東プロイセン軍の構成部隊に、第2軍も付け加えてくれ。
で、ザウケンは第2軍の指揮官として、東プロイセン軍の中にいる。
820818:2007/06/14(木) 10:03:00 ID:???
>>819
慌てると何やるか、分からんなorz
上の名前欄は815ではない。818だ(苦笑)。
821名無し三等兵:2007/06/14(木) 21:01:24 ID:???
>>812
駄レスだが、何故か魚が家紋のザイドリッツ将軍は
ぐぐった絵を見ると革のノースリ−ブ着てるように見える。
822名無し三等兵:2007/06/15(金) 20:27:01 ID:???
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フライヘア・フォン・ザイドリッツ・クルッツバッハ中将

1721年2月3日生まれ
第8胸甲騎兵連隊で
ロボジッツ・プラハの戦いにも参加する。
コリンの戦いでは、砲40門を捕獲するなど奮戦し、
フリードリヒ2世から「プール・ル・メリト」勲章を授与される。
ロスバッハでは45個騎兵中隊を率いて、
数に勝るフランス、帝国連合軍を壊走させた。

その子孫のヴァルター・フォン・ザイドリッツ・クルッツバッハ砲兵大将は
第51歩兵軍団長としてデミヤンスク、スターリングラードの戦いに出てくる。
823名無し三等兵:2007/06/16(土) 17:57:21 ID:???
他の本見てても気になったが
「ザイドリッツ・クルツバッハ」で苗字なの?
824一水戦:2007/06/16(土) 21:33:42 ID:ctHCSOE4
 男爵フォン・ザイドリッツ=クルツバッハという表記が多いよね。
825名無し三等兵:2007/06/16(土) 21:47:43 ID:???
ところでアルディンヌ攻勢のとき、戦車集中原則をやぶって
戦車を分散配置して第5装甲軍の突破を成功させたマントイフェル大将の戦術眼は大したもんだ。
826名無し三等兵:2007/06/17(日) 18:33:39 ID:???
ドイツ語表記では
Friedrich Wilhelm Freiherr von Seydlitz-Kurzbach

グラフ・ツェッペリンの一人娘、
ヘラ・フォン・ブランデンシュタイン・ツェッペリンのように
名家の一人娘が嫁入りしてしまうと
2重姓になることが多い。
827名無し三等兵:2007/06/17(日) 19:03:57 ID:???
テストとかで大変そうだなザイドリッツクルツバッハさんは。
公務員だから書類にサインする機会も多かっただろう。
AD大戦略とかだと10文字くらいしか表示できないから
ザイドリッツ・Kとかいう名前になってたな。
828名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:01:37 ID:???
第2次世界大戦のマンシュタイン元帥も
本名は
フリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキ・ゲナント・フォン・マンシュタイン
だから
姓は
フォン・レヴィンスキ・ゲナント・フォン・マンシュタイン、だけど
答案用紙にはエーリッヒ・フォン・マンシュタインと書いたと思うぞ。たぶん
829名無し三等兵:2007/06/18(月) 20:17:52 ID:???
マンシュタイン元帥は養子先の苗字だけ書いときゃ
まあいいのかも知れんが
ザイドリッツクルツバッハさんとかブランデンシュタインツエッペリンさんとかだと
どっちかを省略すると
お前誰?って言われるかも知れんしなあ。
830名無し三等兵:2007/06/18(月) 23:53:06 ID:???
バッハを日本語にすると「小川」らしいから、
クルツバッハだと短小川?
831名無し三等兵:2007/06/19(火) 07:48:24 ID:???
ゲナントっで改名゙って意味?
レヴィンスキって姓はユダヤ系に多いらしいけど、
あのモニカ・ルインスキー(Lewinsky)とは繋がりはあるのかな
832名無し三等兵:2007/06/19(火) 10:19:57 ID:???
マンシュタインなんて、その特徴のある鼻からしてユダヤ疑惑バリバリなんだけどw

833名無し三等兵:2007/06/19(火) 14:32:06 ID:???
ブラックブックのプログラムには
なんちゃらシュタインってのはユダヤ系に多いと書いてあったぞ。
てかマンシュタインって実際ユダヤ嫌疑で極秘調査されてたよな。
834名無し三等兵:2007/06/19(火) 22:31:43 ID:???
Stein(=Stone)じたいは、特にユダヤ系由来の名前ってわけじゃないけど、
アインシュタインはユダヤ人だね。
835名無し三等兵:2007/06/19(火) 22:56:08 ID:???
マンシュタインの名前自体が養子に入ったときの名前で本名はレヴィンスキだよ。
836名無し三等兵:2007/06/19(火) 23:40:42 ID:???
そりゃ>>831にも書いてあるし。
しかし養子先のマンシュタイン家の方も実はユダヤ由来かも?
ってことでさ。
ちなみにブラックブックの主役のユダヤ人の苗字がシュタインってのは
シュタインがユダヤに多い、って事で決まったそうで、
プログラムによると、アインシュタイン以外にも

・レナード・バーンスタイン(音楽の指揮者)
・エイゼンシュタイン(昔の映画監督)

などが書いてあった。
あと、レマゲン鉄橋の音楽のエルマー・バーンスタイン(レナードと縁者ではない)もユダヤ系だな。
837名無し三等兵:2007/06/20(水) 01:01:50 ID:???
まあ、ユダヤ人があえてゲルマン系っぽい名前を名乗っていくうちに
広まっていったのが、ユダヤ人のなんとかシュタインかもしれんしな。

なんとかスキーは、スラブ系の名前だよね。
ナチス時代のことを考えるとドイツ帝国にスラブ系なんてとんでもないって
気がするが、そもそもは東プロイセン・・・っていうよりもベルリンあたりから
東はゲルマン辺境の地、スラブとのミクスチャーの地であるわけだし、
領地は戦争の度に獲ったり獲られたりだし、ゲルマン系>スラブ系という考え方も
絶対的ではなかっただろうから、優秀なスラブ系ドイツ貴族がいても別に
おかしくはないんだろうな。

838名無し三等兵:2007/06/20(水) 05:08:58 ID:???
>>828
旧姓はスラブ感(つかポーランド感)ありまくりなんだよね。
歴史的にはそれで何もおかしくないんだけど。

脳内フィクション「ドイツの純血」に殉じた伍長・・・・
839名無し三等兵:2007/06/20(水) 07:00:34 ID:???
渡辺昇一氏の本によると、プロイセンに併合されたポーランド没落貴族の子弟が
どっとプロイセン軍に入り込んで、18世紀末のプロイセン貴族の4、5分の1は
ポーランド系だったという記録もある。

当然スラブ姓でなくとも、母方がその場合もあるし、
ヒムラーのお気に入りとして、ユダヤ人狩りやワルシャワ蜂起鎮圧の指揮を取った、
エーリッヒ・フォン・デム・バッハ=ツェレウスキーSS大将なる人物もいる。
(そもそもドイツ人=純粋なアーリア人種の提唱者たる
ローゼンベルクは、バルト系ドイツ人という件)
840名無し三等兵:2007/06/20(水) 11:12:34 ID:???
名前に限らず、言語、身体的特徴、宗教、文化、慣習、歴史等々、
民族(エスニシティ)の分類はあまりに多岐、かつ複雑怪奇になってしまっているので、
一部の人類学などを除く社会科学(特に社会学や政治学)では、
エスニシティの分類の客観的アプローチはほとんど放棄されてしまっている。
今は、集団としての歴史的背景とアイデンティティ、ある程度の文化を共有し、
政治的に一つの民族であると主張する一定程度のグループを
エスニックグループと認める主観的アプローチが、エスニシティの分類の主流となっている。
841名無し三等兵:2007/06/21(木) 19:02:10 ID:???
かのヒンデンブルクも
パウル・ルードヴィッヒ・フォン・ベネッケンドルフ・ウント・フォン・ヒンデンブルク

18世紀末、フォン・ヒンデンブルク家の一人娘がフォン・ベネッケンドルフ家に嫁入りしたんだが
有名なのはというか、通称は
パウル・フォン・ヒンデンブルク。

ところで
ザクセンのフォン・マントイフェル家は、1749年死亡の当主には子供がいなかったのだが、
後継者はいて、存続。
842名無し三等兵:2007/06/22(金) 20:39:13 ID:???
1941年6月22日といえば、独ソ戦開戦の日。
当時、ハッソー・フォン・マントイフェルは
第7装甲師団第7狙撃兵連隊第2大隊長だったが、
第3装甲師団第3狙撃兵連隊長も
フォン・マントイフェル。

ギュンター・フォン・マントイフェル。
843名無し三等兵:2007/06/22(金) 21:18:00 ID:???
大隊長から最後は装甲兵大将か。
大隊長って事は少佐か中佐くらい?
なんかドイツ軍人って戦国時代みたいだな。
844名無し三等兵:2007/06/22(金) 22:02:14 ID:???
実務能力主義とも単に有能な司令官が死にすぎたとも・・・
845名無し三等兵:2007/06/22(金) 23:01:05 ID:???
>>844
伍長閣下の不興を蒙って罷免される高級指揮官もいる。

マントイフェルのかつての僚友シュタウフェンベルクのように、
反逆して処刑される高級指揮官もいる。
846名無し三等兵:2007/06/23(土) 17:10:43 ID:???
装甲部隊はちょっと負け戦になると師団長や連隊長クラスがバカスカ戦死したりするから。

マントイフェルの後任の「パンツァー」シュルツがいい例。
847名無し三等兵:2007/06/24(日) 02:15:57 ID:???
ラングカイトはスターリングラードから逃げてきたけど
848名無し三等兵:2007/06/25(月) 18:29:37 ID:???
ギュンター・フォン・マントイフェル

1891年10月4日、ザクセンに近いチューリンゲンのワイマールに生まれる。

第1次世界大戦は、第5近衛擲弾兵連隊の少尉として従軍。
戦後は、第4騎兵連隊を経て
1935年10月から1939年11月まで、第3装甲師団第3オートバイ狙撃兵大隊長。
このころ、(1935年10月)
ハッソー・フォン・マントイフェルは、第2装甲師団第2オートバイ狙撃兵大隊長

ギュンターは、ハッソーとは違って背の高い恰幅のいい(太った)将校。
849名無し三等兵:2007/06/26(火) 17:07:07 ID:???
小柄なハッソーは馬術の名手だったらしいけど、
ギュンターの40半ばでオートバイ手習いはキツかろうに
850名無し三等兵:2007/06/26(火) 17:39:58 ID:???
ケッセルリンクもおっさんになってから
飛行機練習させられたんだし大丈夫さ!
851816:2007/06/27(水) 00:37:31 ID:ZPJ9+c/6
>>818 有り難う、スッキリしました。

資料によって東プロイセン編合軍とかザームラント軍とかまちまちで
分かりにくかったんで!
852名無し三等兵:2007/06/27(水) 13:30:35 ID:???
ハッソーは普仏戦争時に陣頭指揮を取り、数々の勝利をもたらしたフォン・マン
トイフェル将軍の子孫?
853名無し三等兵:2007/06/28(木) 19:12:40 ID:???
ハッソーの曽祖父、祖父、父も軍人だから
当然普仏戦争に従軍しているんだが
陣頭指揮を取り、数々の勝利をもたらしたなんて
しらなんだ
854名無し三等兵:2007/06/29(金) 18:49:33 ID:???
1939年のポーランド戦
9月11日、
ハインツ・グデーリアン大将の第19(自動車化)歩兵軍団司令部が
敵中に突出し、ポーランド軍に包囲されているとのうわさが広まった。
ガイル・フォン・シュヴェペンブルク中将の第3装甲師団から、
第3オートバイ狙撃兵大隊が救出に向かった。
大隊長は、ギュンター・フォン・マントイフェル中佐。

彼らがウィソキー・マゾフスキーの地に駆けつけると
道端にグデーリアン本人が立っていた。
ポーランド軍襲撃が、ただの噂だとわかり、
フォン・マントイフェル中佐の大隊は、もと来た道を引き返した。

ギュンターとハインツ、運命の出会いであった?
855名無し三等兵:2007/06/29(金) 19:29:05 ID:???
>>852
>>853
普仏戦争については、記述は少ないが、それなりに活躍した模様。
http://en.wikipedia.org/wiki/Edwin_Freiherr_von_Manteuffel
856名無し三等兵:2007/06/30(土) 14:13:04 ID:???
エドヴィン・フライヘア・フォン・マントイフェルは
プロイセンの将軍に間違いないみたいだけど
生まれがドレスデン(ザクセン)というのがちょっと気にかかる・・・
857名無し三等兵:2007/06/30(土) 16:02:11 ID:???
ドレスデン出身だとなにかダメな事でもあるのだろうか。
ドイツ詳しいわけじゃないから気になる。
858名無し三等兵:2007/06/30(土) 16:43:32 ID:???
>>856
まあ、サクソンとプロイセンの関係はかなり敵対したり、接近したりと忙しいもんだったからな。
七年戦争でも、当初サクソン公国は、プロイセンの敵対国だった。
初期の大王の連戦連勝状態に、戦争から事実上脱落してしまったけどな。
で、その後、サクソン公がポーランド王を兼務するようになるが、
大王の治世から始まったポーランド分割で、サクソンも敵対的にならざるを得なくなる。

まあ、その後はプロイセンの衛星国的な立場になってしまうんだが、
フランス革命転じてナポレオン戦争当時には、フランスの衛星国となって、プロイセンと再び敵対。
そして、ウィーン会議以降は、プロイセンの領邦国家としての位置づけになってしまう。

で、英語のウィキには、エドヴィンはマグデブルグの上級裁判所長官の息子として、ドレスデンに生まれる、とある。

こいつサクソン人じゃんというところなんだろうが、
ポーランド分割後の衛星国の時期に、雇われプロイセン人として、
エドヴィンの親父さんがサクソンに移り住んだということは考えられるな。
あの当時の人間には国民国家的な精神的な紐帯は小さなものだったしね。
ただ、ちょうどナポレオン戦争という激動の時代にサクソンで幼少期を過ごした影響はどんなもんだっただろうね。

当然、エドヴィンはドイツ・ナショナリズムの高まりの中で暮してきた。
そして、1827年には、従兄弟でプロイセンの政治家、オットー・フォン・マントイフェルに誘われて、
ベルリンでプロイセン軍に入隊とある。
しっかりとマントイフェル一門の根っ子はプロイセンにあるのさ。

で、ドイツ・ナショナリズムには二つの方向が生まれた。
プロイセン中心にドイツをまとめようという小ドイツ主義と、
オーストリア=ハンガリー二重帝国を中心とすべきという大ドイツ主義と。
サクソンはどちらかと言えば、小ドイツ主義に流れた。
プロイセン→サクソンの流れがあるエドヴィンとしては、
プロイセンに流れていくのが自然だったんだろうなと思うよ。
859名無し三等兵:2007/07/01(日) 21:29:35 ID:???
1940年5月
同じ第3装甲師団第3狙撃兵旅団の、第3狙撃兵連隊長昇任により
第3狙撃兵連隊長となったギュンター・フォン・マントイフェル中佐は
部隊とともにB軍集団第6軍第16(自動車化)歩兵軍団の下で
オランダへ。
第16(自動車化)歩兵軍団長は、ヘープナー大将。

6月
第3装甲師団は、第16(自動車化)歩兵軍団とともに、
クライスト装甲集団に所属し、フランスで戦う。

ハッソー・フォン・マントイフェルは
このとき、クランプニッツの装甲兵科学校にいた。
860名無し三等兵:2007/07/02(月) 00:34:30 ID:???
クランプニッツというと、どうしても
「従卒、シャンパンを持ってこい。豚めが死んだぞ」
の放言を1944年7月20日にやらかしながら何の罪にも問われなかった、
校長(名前忘れた)を思い出してしまうw
861名無し三等兵:2007/07/02(月) 01:04:13 ID:???
ハラルド・モムだったと思う(ウロ)
862名無し三等兵:2007/07/02(月) 01:12:55 ID:???
モムタンは降格ですよ。
863名無し三等兵:2007/07/02(月) 02:10:33 ID:???
危険度の低い奴だったからその程度で済んだんだろう。
グデとかもあんだけ盾突きながら重用されてるし。
クルーゲなんか上への受けは悪くなかったはずなのにエライことに。
864名無し三等兵:2007/07/02(月) 12:20:14 ID:???
>>863
クルーゲは実際のところ、ある程度、暗殺グループとの接触はあったようだしな。
暗殺グループとのある程度の接触を嗅ぎつけられ、
西方戦線で連合軍の押し込めに失敗し……まあこれだけでも自殺はしたくなるんだが。
グデさんが参謀総長になったのも一因かなと。

遺書の編集なしの全文が何かの本に出てたんだわ。
これ、思い当たる人がいたら、教えて欲しいんだけどさ。
『彼らが来た』なんかに出てるのは非常に抜粋でね。
ほんまもんの遺書全文には、ツァイツラー逮捕後の
新任の参謀総長(グデさん)への不信感がそこかしこに書かれてんだわ。
確執があったが故の不信というだけでなく、自分のことを罪に陥れようだの、
伍長閣下との間に入って邪魔をするだろうだの。
こうもグデさん不信を書き連ねるかつー感じで、これも自分のキャリア上の絶望感に繋がってたのかなと。
865864:2007/07/02(月) 12:27:21 ID:???
スマン、長文で続きだ(苦笑)

ただ、これは完全にクルーゲは周囲が見えなくなっているところがあるな。
グデさんが参謀総長になったところで、ОKHの参謀総長なんだから、
彼が西方方面の問題には関与できないんだよね。
グデさん自身、就任当初はバグラチオン作戦で絶望的に穴の開きまくった東部戦線の建て直しが急務のはずで。
兎も角、中央軍集団の司令官にもなったモーデルのところへ部隊をかき集めまくって送り込んでたところのはずでさ。
しかも、モーデルがクルーゲの後任で、引き抜かれちまうわけだから、
自分で前線に行きたいくらいだったろう。
いっくらにっくきクルーゲとは言え、どうこうしてるヒマなんかありゃしない。
866名無し三等兵:2007/07/02(月) 18:25:02 ID:???
決闘(未遂)事件は有名だが
ガチで仲悪かったんだな。
867名無し三等兵:2007/07/02(月) 21:05:26 ID:???
そもそもなんでここまで仲が悪くなったの?
868名無し三等兵:2007/07/02(月) 22:54:15 ID:???
>>867
いや、こればかりは、『バルバロッサ作戦』『焦土作戦』なんかを読んでくれとしか言い様がないな。
とにかく、気質も、軍事的な思考も異なる個性を一つの組織で使おうとするのは難しいとしか言う他はないような・・・。
特に、一方が直情径行型、一方が策士タイプの人間とあってはね。
一旦、こじれると修復不可能な人間関係って、確かにあるんだな、そのいい例証だなと。
869名無し三等兵:2007/07/03(火) 14:13:57 ID:???
クルーゲのことを「悪賢いハンス」と流布させたのはグデじないんかな
暗殺未遂事件でブルメントリットが総統司令部へ出頭した時、出迎えたグデが、
「西部であれだけヘマしながらよくノコノコと戻ってこれたな」と責め、
何でクルーゲに倣って自決しなかったのかと暗に示唆してきたという。
870名無し三等兵:2007/07/03(火) 18:46:46 ID:???
Wikipediaによれば「お利口ハンス」は
士官学校かなんかの頃についたあだ名らしいから
グデーリアンが流布させたってこともなかろう。
しかしグデーリアンはみんなと仲悪いな。
軍の保守本流だけじゃなく
ロンメルとも仲悪かったんじゃなかったか?
871名無し三等兵:2007/07/03(火) 21:24:14 ID:???
おそらくえげつなかったんじゃないかと思う。
872名無し三等兵:2007/07/03(火) 22:00:20 ID:???
よく考えないで喋ってたんじゃねえのかな
873名無し三等兵:2007/07/03(火) 23:13:40 ID:???
所属は違うがアーネスト・キングみたいなタイプだったのかもね
874名無し三等兵:2007/07/03(火) 23:21:31 ID:???
グデーリアンが東プロシア防衛にこだわった時も、ヒトラーから貰った広大な荘園があるからじゃ無いかと
他の将軍から陰口叩かれてたりしたが。
875名無し三等兵:2007/07/04(水) 08:38:27 ID:???
グデーリアンの土地は東プロイセンじゃないんだが。
876名無し三等兵:2007/07/04(水) 13:07:59 ID:???
多くの将兵にとっては郷里であり、プロシャ系の流れを組むドイツ軍からすれば、
どうしてもホームタウンを失いたくない心情が働くんだろな>東プロイセン

WWIでもロシアにプロイセンを侵攻されるや、あわてて西部から軍引き抜いて、
シュリーフェンプラン(改)が手落ちなっちゃったし・・
877名無し三等兵:2007/07/04(水) 13:17:45 ID:???
>>874
それ言ったのはヨードル将軍だよね。
878名無し三等兵:2007/07/05(木) 04:37:10 ID:???
>>877
ヨードルといえば、映画「史上最大の作戦」で 
「余と机上演習して敵う者がおらぬ」と豪語していたと記憶するのだが、真か?
879名無し三等兵:2007/07/05(木) 12:12:03 ID:???
>>878
マルクス将軍じゃねーの?
880名無し三等兵:2007/07/05(木) 18:46:31 ID:???
マルクスだろ。
ヨードルはルントシュテットからの電話に出て
「伍長はお休み中」と答えてた奴では。
どうでもいいけど俺の見たビデオだと
上級大将が全部元帥と翻訳されてたんだよな。
お陰でザルムートもヨードルも元帥に。
881816:2007/07/05(木) 20:54:26 ID:sQti5uGf
エーリヒ・マルクス大将やね。
演じたミュンヒはパットン大戦車軍団でヨードル演じてたね。
学者的容貌も相俟って渋い演技がいい感じ

882名無し三等兵:2007/07/05(木) 21:12:26 ID:???
>>877
ヨーデル将軍だろ レイホー
883名無し三等兵:2007/07/06(金) 20:13:14 ID:???
1941年は9月まで
ヴァルター・モーデル中将が第3装甲師団長。
上級司令部がガイル・フォン・シュヴェッペンブルク大将の第24(自動車化)歩兵軍団。
その上がグデーリアン上級大将の第2装甲集団で、作戦参謀がバイエルライン中佐だったりする。

フライヘア・フォン・フンク少将の第7装甲師団は
上級司令部がシュミット大将の第39(自動車化)歩兵軍団。
その上がホト上級大将の第3装甲集団。

第7装甲師団のハッソーより、第3装甲師団のギュンターのほうが
上司に恵まれていたと言うべきか。
884名無し三等兵:2007/07/07(土) 00:51:15 ID:???
>>881
あああ、だからイメージが混じったんだすね。
885名無し三等兵:2007/07/07(土) 04:41:06 ID:???
>ガイル・フォン・シュヴェッペンブルク大将
目立った格好で歩き回り、司令部も偽装してなかったから司令部ごと空襲であぼーんだったっけ?
886名無し三等兵:2007/07/08(日) 19:31:01 ID:???
レオ・フライヘア・ガイル・フォン・シュヴェッペンブルク

1886年生まれ。

ポーランド戦時、第3装甲師団長
フランス戦時から第24(自動車化)歩兵軍団長
前任者の機密漏洩事件により42年夏季攻勢から第40装甲軍団長。
新編成の第58装甲軍団長を経て、
西方装甲集団司令官となるが、ノルマンディ戦の初期に艦砲射撃で
司令部に被害を受ける。
1944年7月よりグデーリアンの後を継いで装甲兵総監。
経歴は結構派手と言うか、立派なのに
大戦中通して装甲兵大将のままだった。

文献では、フォン・ガイルと書かれる事が多いが、ニックネームのつもりなのか??
887訂正:2007/07/08(日) 19:32:24 ID:???
ポーランド戦は中将。
888名無し三等兵:2007/07/09(月) 14:32:33 ID:???
>>886
>前任者の機密漏洩事件
DAKに送られて戦死したシュトゥンメだっけ。
889名無し三等兵:2007/07/09(月) 19:35:18 ID:???
そう、シュトゥンメ。
ブラウ作戦時には
第24装甲軍団より第40装甲軍団のほうが重要だったということらしい。

890名無し三等兵:2007/07/09(月) 22:15:01 ID:???
光栄『ヨーロッパ戦線』では、名前データ長の問題で「シュヴェッペン」と略されていたシュヴェッペンブルク
かわいそう
891名無し三等兵:2007/07/09(月) 22:19:56 ID:???
1944年11月に戦車/突撃砲生産が最高潮を迎えているから、官僚としてそれなりに有能だったんじゃ無いの?
892名無し三等兵:2007/07/09(月) 22:41:14 ID:???
>>890
ズレからずれるが昔アルデンヌかどこかで
戦車部隊の増援を延々希望して通ったと思ったら
来たのが1号だか2号でハルダー氏ねと心から思ったことがある。
893名無し三等兵:2007/07/10(火) 04:05:11 ID:zV5q8Wrv
>>892
ハルダー氏ねw 参謀総長は変えられないからね
894名無し三等兵:2007/07/10(火) 05:25:02 ID:???
ハルダーは実際に強制収容所で死にかけてますがw
895名無し三等兵:2007/07/10(火) 19:22:02 ID:???
>>892
1940年のアルデンヌだったら、1号や2号、良くて35(t)や38(t)でなんの不思議もない。
短砲身の3号、4号が来たらそれは奇跡。
現実がそうだったんだから、受け入れろw
896名無し三等兵:2007/07/10(火) 20:29:01 ID:qQM+aUog
文脈からすると1944年の方だろ?w
それで、1号や2号が来た日にゃあーたwww
897名無し三等兵:2007/07/10(火) 20:44:25 ID:???
バルジ作戦の頃はハルダー氏は刑務所の中なんじゃないの?
ハルダー氏も無理して融通してくれたんだよ…
898名無し三等兵:2007/07/10(火) 20:56:40 ID:???
スレ違い続けてすまん。
マンシュタインの人遠慮なく続けて欲しい。
頃合見て大王の頃のも再開希望。

>>895
すまん。バルジの頃。何故アルデンヌで覚えてるんだろう。
5インチの頃だから怪しいが6面構成で5面だったと思う。
歩兵部隊は呼んでももう国民擲弾兵しか来なかったw

>>897
史実そうなんだがゲームシステム上>>893氏の言う通りなんだ。
なんかにやけた顔だったと思う。
899名無し三等兵:2007/07/10(火) 21:51:05 ID:???
マンシュタインの人って誰だよ。「マントイフェルの人」に訂正。
900名無し三等兵:2007/07/11(水) 01:45:30 ID:???
>>898
それだとバルジだね。

アルデンヌ→トブルク→クルスク→ノルマンディー→バルジ→フランクフルト・アン・デア・オーダー

だったはず。キャンペーンでオーデル防衛戦維持しても、結果的にエンディングは南に脱出という
あまりカタルシスのないものだった記憶がある。あのゲームのマントイフェルの顔、なんか怖かったなあ。
901名無し三等兵:2007/07/11(水) 02:09:41 ID:1nw5qoik
将軍でテイフーって人いた様なw ハーゲンダッツもいたなw
902名無し三等兵:2007/07/11(水) 02:14:33 ID:???
良スレなんでゲームの話はヤメレ
903名無し三等兵:2007/07/11(水) 21:42:19 ID:???
まぁまぁ、箸休めってことで
904名無し三等兵:2007/07/12(木) 06:37:23 ID:???
そろそろこのスレもオワリか
905名無し三等兵:2007/07/12(木) 18:44:37 ID:???
まだブンデスヴェーアが出てきてないのに
906名無し三等兵:2007/07/12(木) 21:34:19 ID:???
じ、次スレ候補

卍・・最近毎日がマンネルへイム元帥やわ・・卍
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1182921253/
907名無し三等兵:2007/07/13(金) 12:37:03 ID:???
VolksGranadierって屁垂だったんだねぇ。(しみじみ)
908名無し三等兵:2007/07/13(金) 21:33:14 ID:???
>>907
そうだな。

大王の親父さんの頃くらいまでは、擲弾兵ってのは、黒色火薬を詰めた擲弾を
ブン投げていた、ガチムチで命知らずの野郎どもの集まりだったんだろうな。

大王の頃あたりには、多分、擲弾が廃れ、擲弾兵=エリート歩兵。
このエリート歩兵での使い方なら、イギリスでもフランスでも長いこと残ってる。

擲弾そのものは、WW1で「手榴弾」として復活するが・・・。

ヒトラーが復活させた国民擲弾兵ってのは、人的資源の消耗を表す象徴語・・・・(しみじみ)
909名無し三等兵:2007/07/14(土) 14:42:44 ID:???
復古主義と言えば、SSの髑髏部隊もかの大王の髑髏槍騎兵隊から取ったんじゃ

国民擲弾兵師団の編成は、7.20事件の連座で処刑された、補充・予備司令官の
フロム上級元帥の後任となったヒムラーの強引な発案じゃなかったかな
(伝統の三単位編成を崩して(歩兵連隊を二個大隊に)、兵員を17,000名から
1万まで切り詰めたミニサイズ師団だから、より活躍しろというのがムリ>国擲師)
910名無し三等兵:2007/07/14(土) 17:53:31 ID:???
国民擲弾兵師団は東プロイセンの危機的状況から、7月末に40個の予備/訓練大隊を無理やり調達したのが始め。
その内の30個大隊は北方軍集団向け。
また、44年8月にはヒムラーは補充として毎月6万の兵員を補充していた予備軍から一気に45万の兵士を部隊編成し、
新たに25万の新兵を調達し兵営に送り込んだ。

戦線への国民擲弾兵師団の登場は44年8月〜の第32波(Welle)の500番台の新規師団からで、この後に既存の
歩兵師団もしくは擲弾兵師団も徐々に国民擲弾兵師団に編成替えされていく様になる。




911名無し三等兵:2007/07/14(土) 19:56:41 ID:???
第1国民山岳師団とか第78国民突撃師団とかw
912名無し三等兵:2007/07/15(日) 20:47:58 ID:???
1941年7月11日
ビヤリストク・ミンスクの包囲で、約30万人のソビエト軍を撃滅した
ドイツ中央軍集団は東に進む。
モーデル中将の第3装甲師団は、
第3狙撃兵連隊長ギュンター・フォン・マントイフェル大佐の下に
フォン・マントイフェル戦闘団を編成して、ドニエプル川河畔の町モギレフを強襲する事にした。
フォン・マントイフェルの指揮下には、ムンツェル中佐の第6戦車連隊第2大隊と共に
フランク少佐の第521戦車駆逐大隊もあった。
4号戦車車台10.5センチカノン砲搭載の自走砲2両を持つフランク少佐の大隊。

ドニエプル渡河後、北上してモギレフを東から包囲。
しかし、要塞化されたモギレフの街は抜けず、東へと方向を転じる。

一方、ハッソー・フォン・マントイフェル中佐の属する第7装甲師団は、
ヴィテブスクの町を抜いた後、7月15日にはスモレンスクの北へと進んでいた。
913名無し三等兵:2007/07/16(月) 11:14:30 ID:???
書くそばから、腰を折るようで申し訳ない。
前に出てた、グデとクルーゲとの対立ってこの辺からかもしれんな。

ミンスク包囲網の形成後、お定まりの組織内対立があったはずなんだわ。
つまり、停止して包囲を固めて包囲陣内を掃討するか、戦線に大空隙が生じたのを利用して、さらに東進するかの。
参謀本部筋は、南北に兵力を転用したい。2人(お利口ハンスを含む)の歩兵軍の司令官は掃討したいで、停止を望む。
軍集団司令部と2人の装甲集団司令官(グデ含む)は東進したい。

そして、軍集団は、ほぼ独断で、2人の装甲集団司令官を東進させてしまう。
で、臨時に東進する二つの装甲集団を統括する司令部を設けられたが、その司令官がクルーゲ。
クルーゲは包囲網を掃討する第4軍の指揮を執りつつ、二つの装甲集団を統制しなければならなかった。

ところが、この統制が上手く執れないんだ。

ホトはヴィデブスクを抜いた後、スモンレスクの町を北から包囲しようとする。
グデはドニエプル沿岸の町々を無視し、一散にモスクワへの戦略高地となるイェリニアの占領を目指す。

クルーゲはこの軍集団の2つの腕のブレーキをかけようとするんだが、両装甲集団の司令官とも、独断専行。
この2つの装甲集団が、好き勝手に動いた結果もあり、
この地区に兵力を集めた赤軍の反撃がかなり激しく行われる。

スモンレスクの包囲網が完成しなかったために、ホトの部隊は包囲されかかった内側からの部隊とロコソフスキーが組織化した外部からの攻撃に大きなダメージを食う。
一方、グデはイェリニアに突入させた部隊…第29自動車化歩兵師団だったと思ったが…が、
ティモシェンコが南東から投入した部隊によって半包囲を食い、叩きに叩きまくられる。
東はその間に、コーネフがガッチリと固めていく。
援護のために投入されるはずの東部戦線総予備の第2軍の歩兵部隊の展開も遅々として進まず・・・。
中央軍集団の先鋒は、危機的な状態に立たされ続けた。

多分、この間のグデとクルーゲのやり取りは激しく、そして、噛みあわないものだったんだろうなと予想がつく。
それが、冬季戦、引いてはその後にも尾を引く対立の下敷きになったんじゃないかな。
914名無し三等兵:2007/07/17(火) 20:09:47 ID:???
1941年7月16日
バルバロッサ作戦の第1作戦目標スモレンスクは、
第2装甲集団、第47(自動車化)歩兵軍団の
第29自動車化歩兵師団が市街戦で奪取した。

7月17日に
第2装甲集団司令官ハインツ・グデーリアン上級大将は
第3装甲集団司令官ヘルマン・ホト上級大将と共に
柏葉騎士十字章を受けることになる。

上官のクルーゲ元帥はまだ(当分)騎士十字章のままなのだが・・
915名無し三等兵:2007/07/18(水) 01:16:14 ID:???
騎士十字章も基準が良くわからんな。
なんかティーガー最高のスコアを上げた戦車長が騎士十字章貰ってないそうだし。
916名無し三等兵:2007/07/19(木) 02:18:34 ID:???
ロンドルフ見習士官だったっけか、第503重戦車大隊の
106両撃破した割には何一つ武勇伝も聞かないし、真偽も疑わしいと言われてるけど
917名無し三等兵:2007/07/19(木) 02:38:17 ID:???
騎士十字章は第三者の確認が無いと貰えないよ。
負け戦の脱出戦になるとスコアも確認できない。
918名無し三等兵:2007/07/19(木) 17:13:03 ID:???
>負け戦の脱出戦になるとスコアも確認できない
スコアが確認できなくても、戦友の脱出に貢献したとか何とか理由つけて
上級指揮官が推薦してくれるけど、この人は人望が無いんだろ
919名無し三等兵:2007/07/20(金) 18:58:26 ID:???
第2装甲集団司令官ハインツ・グデーリアン上級大将

独ソ戦3日目の1941年6月24日
2両のソビエト軍戦車が、第17装甲師団戦闘指揮所にいた
グデーリアンを襲う。
このソ連軍戦車は、第30戦車師団のもの。
第30戦車師団長はセメン・イリッチ・バグダノフ大佐。
彼が率いる戦車120両(T-26とT-38)保有の戦車師団は
戦車の低性能だけが理由でなく、無線機が戦車、各下級司令部にも装備されていなかったため
後退のさなか戦力を急激に失って行く。
そのとき対峙したドイツ軍部隊が、ヴァルター・モーデル中将の第3装甲師団。
バグダノフ大佐はその後、
上級司令部の第14機械化軍団を、軍団長オボーリン少将に代わって指揮した。
7月、彼は部隊と共に、戦場からいったん姿を消す。
920名無し三等兵:2007/07/21(土) 20:14:08 ID:???
第14機械化軍団は
第22戦車師団、第30戦車師団、第205自動車化師団から編成されていたが、
保有する戦車はT-26とT‐38(T−28?)だった。
45ミリ砲を持つT‐26と機銃しか持たないT−38なら、装甲も薄く
第3装甲師団(モーデル中将)の3号戦車(5センチ砲)と4号戦車(7.5センチ砲)
で十分だった。
第521戦車駆逐大隊の10.5センチカノン砲搭載自走砲
「ディッカーマックス」とその相棒が
いなくても。
921名無し三等兵:2007/07/22(日) 07:06:05 ID:???
何でこんな糞スレが物凄く勉強になるスレになってんだよ
922名無し三等兵:2007/07/22(日) 20:28:39 ID:???
こんなタイトルでは良スレになるはずがない。
それが偽装だったのだ。目で欺くのではなく人間の心を欺く。
これがカモフラージュ、引いては政略の極意といえるだろう
923名無し三等兵:2007/07/23(月) 05:45:04 ID:???
このスレでマントイフェルファンになったわ
924名無し三等兵:2007/07/23(月) 10:22:35 ID:???
ロレーヌではパットンにしてやられたけどな
925名無し三等兵:2007/07/23(月) 10:30:27 ID:???
アフリカ戦線、東部戦線、西部戦線をすべて制覇した将軍はめずらしいもんな
926名無し三等兵:2007/07/23(月) 22:39:28 ID:???
本当はいけないんだけどな・・・
そんな広範囲で同時に闘ったら負けるだろうそりゃあ
927名無し三等兵:2007/07/24(火) 20:22:05 ID:???
モーデル中将の第3装甲師団の戦車連隊はフォン・レヴィンスキ‐中佐の第6戦車連隊。
フランス戦まで所属していた第5戦車連隊は、アフリカで第5軽師団の部隊として戦う。

第6戦車連隊は、3個大隊編成。
その第3大隊はシュナイダー・コスタルスキー大尉の潜水戦車大隊。

潜水戦車連隊としては、第18装甲師団の第18戦車連隊が有名で、独ソ開戦初日にブーク川渡河を行っている。

第6戦車連隊第3大隊の方は、7月13日頃、第12中隊の戦車3両がドニエプル渡河をして
モギレフを東から攻撃する第3装甲師団の一翼を担った。
928訂正:2007/07/25(水) 22:44:57 ID:???
第6戦車連隊第12中隊の4号戦車潜水戦車仕様が
ドニエプル渡河をしたのは7月4日。
929名無し三等兵:2007/07/26(木) 12:06:48 ID:???
本来ならもっと詳しい人が書くのだろうが。待っているうちにスレが終わりそうなので。

 戦後1 収容所のマントイフェル

  第3装甲軍の降伏のため参謀長ミューラー−ヒルブラント少将をモンゴメリー元帥の司令部に送り、イギリスの戦争捕虜となった。
マシュー・B・リッジウェイ将軍のアメリカ空挺部隊の監視のもとエルベ川を渡り、ハーゲノウの飛行場に一時集結した。
 将軍自身は最初飛行場のバラックに留置されたが、2日後にはリューネブルク(ニーダーザクセン州)で空軍のミルヒ元帥と合流した。
その後、クレーフェルト(ノルトライン=ヴェストファーレン州)へ送られ、東西衝突に備えてロシアの機甲戦術について激しく尋問された。
 その後ロンドンの南の城に移り、フランツ・ハルダー上級大将や他の人々とドイツの現状や今次大戦について語り合った。
この間家族との連絡がとれなかったので、妻や子供たちの運命について不安にかられていた。11月に200人ほどの将軍たちがいた
北イングランドの収容所に送られた。収容所でのクリスマスはわびしいもので、イギリス人から贈られた「クリスマスプレゼント」というのが、
黒い靴用に茶色の靴ひもであった。
 1946年3月、ニュルンベルクで陸軍とナチスの関係を証言した。なぜドイツの将軍たちはヒトラーの命令に従ったのかという質問に、
ヒトラーその他のナチス幹部は完全に国家と軍隊を掌握しており、ヒトラーに反抗する機会は事実上無かったと、フォン・ルントシュテットと
フォン・マントイフェルが同様に答えた。
 ニュルンベルクで6週間証言した後、一旦イギリスへ戻されたが、2ヶ月後にはニュルンベルク近郊のラングワッサーにあるアメリカの
捕虜収容所に引き渡され、そのうちホリト上級大将に選抜された120人のドイツ人将軍はマールブルク(ヘッセン州のラーン川の岸辺)近郊の
アメリカ捕虜収容所に送られた。捕虜担当のポッター大佐がアルデンヌ攻勢についての報告書を求めたところ、フォン・マントイフェルは
機動戦に着目した250ページほどのレポートを書き上げた。
930名無し三等兵:2007/07/26(木) 12:09:11 ID:5TQmcfne
戦後2 いさましいちびの大将 政界へ行く

 1946年の釈放は最高のクリスマスプレゼントだった。すぐにケルンのオッペンハイム銀行で働き、ハンブルクの難民収容所に居た妻とも
合流した。1947年、ライン川沿岸のノイス<ノルトライン=ヴェストファーレン州、ライン・ノイス郡、デュッセルドルフの西>で製造業に就職し、
輸出部門の部長になった。
 その後ノイスの住民に慕われて町議会の議員に選出された。ドイツ分割占領の困難な時代、フォン・マントイフェルの軍政部への対応は、
将軍としての経験からも上々でノイスの町のよき指導者となった。。
 1953年、フォン・マントイフェルは連邦下院にFDP(ドイツ自由民主党)から出馬した。大戦での名声、町議会議員としての実績、
アデナウアー派であることから、対立候補は居なかった。下院議員としての彼は、国防委員会と外務委員会の委員となった。
 1955年、ドイツの再軍備にあたり、新生ドイツ軍に、連邦軍(Bundeswehr)の名を提案し、承認された。
 連邦議会議員としてアメリカに招待され、ゲティスバークのアイゼンハワーの農場で大統領と食事をとることがあった。
その2〜3日前、たまたまブラッドレー元帥とその副官とで昼食をとったことがあった。フォン・マントイフェルが手を洗いに席をたち、
戻ってみるとブラッドレーがにこにこしながら副官に話していた。「バルジの戦いでこんなに小さいやつがあんなにてこずらせやがったんだ」と。
 ノルトライン−ヴェストファーレン州で、FDPがCDU(キリスト教民主同盟)からSPD(ドイツ社会民主党)への連立を変更した際に、
1956年2月23日にいわゆるオイラーグループとFVP(ドイツ自由国民党)を結成し、議員団の副代表となった。
1957年3月14日にFVPはDP(ドイツ党)に合流した。

931名無し三等兵:2007/07/26(木) 12:12:27 ID:5TQmcfne
戦後3 悠々自適マントイフェル

 1957年、フォン・マントイフェルは下院を去り、1959年にノイスからバイエルンのディッシェン・アム・アマルセ<ミュンヘンの南西20kmほど>
の新居に移った。この閑静な眺望の良い地で、くつろいで家族に親しみ、多くの時間を執筆にあてることができた。
 1959年に1944年の軍法会議について殺人罪で告訴された。この軍法会議については>>123。マントイフェルは2年の刑を宣告されたが
2ヶ月後、テオドール・ホイス大統領の恩赦により釈放された。
 60年代には第2次大戦に関するテレビドキュメンタリー(ex.秘録第2次世界大戦)や映画の軍事アドバイザーとして活躍した。
また、モンゴメリー元帥や他の著名な「向こう側の」指揮官たちと懇談するためにフランス・イギリス・合衆国に招かれた。
1968年にはウェストポイントの合衆国士官学校で講義した。

 1978年9月24日にオーストリアでの旅行中、ライト・イム・アルプバッハタール<チロル地方の「ヨーロッパで一番花の美しい街」> で死去し、
ドイツで埋葬された。


横レス スマヌ
あ〜すっきりした。
932名無し三等兵:2007/07/26(木) 20:58:24 ID:???
>>929-931
気になってたんで、面白く読ませてもらった。乙。
銀行屋かじって営業にまわったってとこかな。
殿様商売にならなかったんだ。

>多くの時間を執筆にあてることができた。
邦訳とても希望。
933名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:00:04 ID:???
マントイフェルって小さかったの?
934名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:29:01 ID:9viy7IjF
↑お疲れ様でした。
このスレ、せっかく名スレなんだから、次スレ欲しいね…
935名無し三等兵:2007/07/26(木) 22:32:57 ID:???
>多くの時間を執筆にあてることができた。
軍人の文章は読みにくいから、多作なkurowskiあたりが
うまく脚色して読み物として纏めてくれているでしょ。
936名無し三等兵:2007/07/27(金) 01:33:28 ID:???
勉強なるわ
びっくりするのは
将官だったにもかかわらず
国政レベルの政治家にまでなったこと
一生をドイツそのものに忠誠を誓った気骨ある男
そんな感じかする
937名無し三等兵:2007/07/27(金) 01:41:26 ID:???
佐藤隊長もビックリ
938名無し三等兵:2007/07/27(金) 03:20:11 ID:???
小柄で勇猛な名将といえば信玄の重臣の山県昌景みたいな感じ。
939名無し三等兵:2007/07/27(金) 09:43:23 ID:???
モーデルもハインリーチもどちらかと言えば小柄だ。
940名無し三等兵:2007/07/27(金) 11:19:04 ID:???
確か、近代五種の選手だったとかそんな話を見た記憶が。
941名無し三等兵:2007/07/28(土) 01:52:35 ID:???
「秘録第二次世界大戦」で、フォン・マントイフェルがフランス侵攻作戦を振り返り
「グデーリアン」がどうしたこうしたと語るシーンがあった。

それを見ていて俺は思った。
「グーデリアンではなくてグデーリアンだったんだぁ!」

中学生の時以来の咽のつかえがとれた気がした。
ありがとうヒストリーチャンネル。ありがとうフォン・マントイフェル。
942名無し三等兵:2007/07/28(土) 21:23:55 ID:???
>>940
軍板で近代五種といえばパットンじゃね?

マントイフェルは騎手として>>30 だし。
943名無し三等兵:2007/07/28(土) 22:52:32 ID:???
グデーリアンよりグーデリアンの方がかっこいい
944名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 00:42:19 ID:???
喧嘩両成敗でグデリアン
945名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:04:11 ID:???
リデル=ハートを
戦略魔法少女リデル☆ハート
と遊べるように、

装甲魔法少女グー☆デリアン
と遊べる分、グーデリアンに軍配。
946名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:07:33 ID:???
このスレの主役であるハッソー・フォン・マントイフェルさんが、
実際にテレビカメラに向かってグデーリアンと言っていたんだぞ。
貴様らそれの事実を無視するのか・・・?




まあ、確かにグデーリアンだとグデングデンな感じだが。
947名無し三等兵:2007/07/30(月) 03:07:36 ID:???
日本人のウンコ発音ならどっちでも一緒
948名無し三等兵:2007/07/30(月) 03:54:46 ID:???
ドイツ語は英語ほど母音の発音が難しくないし、
そもそもアクセントの位置は発音と関係ないし。
949名無し三等兵:2007/08/03(金) 14:27:24 ID:???
age
950名無し三等兵:2007/08/03(金) 21:34:38 ID:???
>>946
ヒトラー最後の12日間でもブッセがグデーリアンって言ってたな
字幕じゃ省略されていたが
951名無し三等兵:2007/08/08(水) 14:58:49 ID:???
マントイフェルというと皮コートの人というイメージがあるねえ。
952名無し三等兵:2007/08/09(木) 09:09:56 ID:???
BS1でニュルンベルク裁判のドキュメンタリードラマ3部作やってるな。
昨日はシュペーア、今日はゲーリングだ。
953名無し三等兵:2007/08/12(日) 22:39:08 ID:???
この良スレも、ここに至って進撃を停止か。
954埋め:2007/08/19(日) 09:10:17 ID:???
埋め
955名無し三等兵:2007/08/22(水) 02:54:06 ID:???
さすがにネタ切れだなw
956名無し三等兵:2007/08/22(水) 03:37:13 ID:???
だな。
だけど、今終わっても満足感は一杯だ。
マントイフェルについて書き続けた人には及ばんけど、
自分も時には、人のためになるカキコもできたし。
957名無し三等兵:2007/08/26(日) 03:40:39 ID:bV1IGyZY
俺は>>818に感謝してる。

紛らわしい末期の東プロイセンの部隊について教えて呉れたんで!
958名無し三等兵:2007/08/27(月) 11:31:08 ID:???
>>957
北方軍集団→クールラント軍集団
中央軍集団→北方軍集団
の改称にはまだオマケが付く。
これだけでも、けっこうややこしい変更なのに。
新北方軍集団の南には、ウィスラ軍集団が創設。
しかも、使用言語によってヴァイクセル軍集団やらウィスワ軍集団やらの
バリエーションがあってややこしい。
さらにその南、北ウクライナ軍集団から分かれた臨時的な軍集団である
A軍集団が、中央軍集団に改称されている。

現場にいた人間達は把握できているのかもしれないが、
現在、史書をひも解く人間にとっては、この一連の改称劇は、非常に厄介だなw
959名無し三等兵:2007/08/27(月) 23:42:47 ID:???
最初ネタスレかと思って、400過ぎまで参加しなかったのが悔やまれるw

最後にバルジ戦におけるハッソーを擁護しとくと、
最初敵を過大評価して迅速にバストーニュを攻撃しなかった
バイエルラインにまず責めを負うべきで、
装甲軍司令官としてのマントイフェルの立場は、
目標のミューズ川橋梁無疵奪取を優先せねばならず、
抵抗拠点を迂回(そのままに)して敵陣奥深く突進するという、
電撃戦のセオリーからしても反してないんではないかと
960名無し三等兵:2007/08/28(火) 19:56:28 ID:???
>>958
ヴァイクセルがドイツ語でウィスワがポーランド語?
961名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:30:23 ID:7vYIqlX5
まとめサイト欲しくなるスレだな。
>>1は、ネタスレのつもりだったのだろうが、神の降臨により、
軍板屈指の名スレにw
962名無し三等兵:2007/09/10(月) 21:03:40 ID:???
後はマンネルヘイムスレの完成度によっては
まとめサイト作ってもいいかもなあ
963名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:25:34 ID:???
日露戦争から始めるのかよw
964名無し三等兵:2007/09/10(月) 23:35:27 ID:???
>>963
まあ、いいんじゃないのか。
このスレだって、フリードリヒ大王時代のマントイフェルに触れてるレスがあるんだしw
965名無し三等兵:2007/09/11(火) 00:00:06 ID:???
>>962
あそこは機能していたのか。ありがとう。
966名無し三等兵:2007/09/18(火) 16:12:57 ID:???
>>960
保守がわり。

ヴァイクセル=ドイツ語
ウィスワ=ポーランド語
ウィスラ=英語
967名無し三等兵:2007/09/20(木) 01:08:51 ID:HWkOjBkb
三日に分けて全部ROMった。いやあ凄いハッソーです、ありがとうございました。

つか日本軍指揮官版を見たい
968名無し三等兵:2007/09/20(木) 22:38:23 ID:???
日本そこまで大した人が居な(ry
969名無し三等兵:2007/09/20(木) 23:49:19 ID:???
い しか略してねーだろ
970名無し三等兵:2007/09/21(金) 22:41:33 ID:???
971名無し三等兵:2007/09/22(土) 10:13:06 ID:???
>>885
非常に間抜けな奴だな。なんでこんな奴が有名なんだろう?
名前が珍しいからか、間抜けな死に方したからかw
それにしてもこのスレほんとに名スレになったな。ハッソーと
モーデルが仲悪かったなんて初めて知ったw
972名無し三等兵:2007/09/23(日) 13:28:11 ID:n+OqJhiF
>>885
いや、戦後まで生きてた筈
973名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:53:20 ID:???
シュヴェッペンは、ポーランド戦時は、グデーリアン配下の師団長。
ドイツ初の自動車化軍団の軍団長はオズヴァルト・ロッツといい、
その参謀長がグデーリアンで、いくつかあった師団の師団長の1人が、
シュヴェッペンで、ロッツの跡目を継ぐのは誰かというので競争関係にあった。
当初はシュヴェッペンが少将で、グデーリアンは大佐。
ところがグデーリアンがヒトラーに抜擢される形で少将に。
そして、ポーランド戦に当たって、頭越しに軍団長に任命されることになった。

西方戦役の時も、シュヴェッペンはまだ第6装甲軍団長じゃなかったかな。
この時も、確か、上長のラインハルトは年下の抜擢人事だな。

パッとしない内に、西方装甲集団司令官になってるわけだが、
司令部が空襲を受けたり、挙げ句に改組で、人事的に中ぶらりん。
そうこうしているうちに7月20日。
グデーリアンが当初、兼務する形で参謀総長事務取り扱いになり、
その後、装甲兵総監に正式にシュヴェッペンが就任することになったかと。

こういう追い抜かれ人生の果て、大戦が終わり、
にも関わらず、リデル・ハートのインタビューで、グデーリアンについて
客観的なコメントを残していたりもする。
974名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:56:12 ID:???
上に訂正

×第6装甲軍団長 → ○第6装甲師団長
975名無し三等兵:2007/09/23(日) 21:15:56 ID:???
>>973
残念。西方戦役の時に、ガイル・フォン・シュヴェッペンブルグは、
中将で第24軍団の軍団長。
その後、第24軍団は装甲軍団に改組されて、独ソ戦開始時には、
第2装甲集団の隷下に置かれている。
シュヴェッペンブルグは、42年から、西方総軍で参謀から参謀長を経て、
44年から西方装甲集団司令官。
976名無し三等兵:2007/09/23(日) 21:18:47 ID:???
お前らキモオタはどっから情報仕入れてくんだよwwww













・・・・・・もっと教えてくださいm(__)m
977名無し三等兵:2007/09/23(日) 23:38:13 ID:???
ガイル・フォン・シュヴェッペンブルグは司令部が空襲された時に負傷しているはず。
司令部の将校が一遍に80名くらいあぼーん。
978名無し三等兵:2007/09/24(月) 11:54:17 ID:???
軍オタじゃない奴が軍板にいるんじゃねーよwww
軍板は筋金入りの軍オタが集う板なんだよwww
979名無し三等兵:2007/09/26(水) 13:29:47 ID:???
>>973
そのオズワルト・ルッツって人も途中からぷっつり消息不明になってしまうけど
ブロンベルグやフリッチュなんかと一緒に国防軍から追い出されたのかな?

シュヴェッペンは早くから機甲戦を学びながらものに出来ずに
どんどん後輩から出世レースで置いて行かれ、せめて格好だけはつけようと
身なりを派手にしたら空襲くらって司令部要員死なせた老害ってことでおk?
(まあシュヴェッペンがいたころの東部戦線は独軍が制空権握ってて
連合軍の空襲の恐ろしさを理解してなかったってのもあるかも知れないがw)
980名無し三等兵:2007/09/26(水) 15:58:24 ID:???
>>979
レン・デイトンの『電撃戦』にはブロンベルグ、フリッチュの両事件後に、
連座されるように古手の将軍が退役に追い込まれたのと一緒に、ルッツも軍を去ったように書かれている。
981名無し三等兵:2007/09/29(土) 02:08:58 ID:???
>>980
やっぱりルッツは軍辞めたのか・・・ありがとう
シュヴェッペンは出世遅かったみたいだが、反対に国防軍で出世が早かったのは
誰だろうか? リュトヴィッツかヴェンクかな?
982名無し三等兵:2007/09/29(土) 09:45:21 ID:???
1939年8月27日の時点では中佐だったのが
ほぼ1年ごとに昇進して
1945年5月4日には元帥になっちゃったシェルナーが最速かも。
983名無し三等兵:2007/09/29(土) 11:05:10 ID:???
>>982
しかしまた評価の微妙な将官を・・・w でもナチマンセーとはいえ確かに出世早いw
ただ最後に軍服脱いで逃げようとしたところをとっつかまって捕虜ってのは情けなさ過ぎる。
モーデルのような最後ならまた違った評価なんだろうが・・・死を選ぶのがいいのかという点
はともかく潔さがない。
984名無し三等兵:2007/09/29(土) 12:18:35 ID:???
>>983
たしかに軍服をピチっと着こなし敵兵に向かって
「君、将軍閣下と面会したい。とりなしてくれないか?」
とか言うくらいの事はしてほしいね
985名無し三等兵:2007/09/30(日) 18:18:29 ID:???
日本制覇しない内に海外遠征? リスナーの中に元フランス在住の人とかいれば
役に立つ情報とかもあるだろうが・・・ 自分も昔欧州に住んでたことあるけど仏じゃないから
役に立たんなw
986985
すまん誤爆