あなたのおじい様の戦争体験を教えて その12

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952名無し三等兵:2006/10/16(月) 13:45:04 ID:8kHeZYti
>>950
負け戦中の負け戦という話もあるし、ジューコフ元帥にもっとも困難な戦闘といわせた場所でもある。
本当は結構善戦したんだと信じたいねぇ
953名無し三等兵:2006/10/16(月) 17:48:25 ID:???
>950
「ハルハ河に水汲み」というフレーズで凍ってしまう俺
本当に命がけだったんだな。
954名無し三等兵:2006/10/16(月) 19:03:32 ID:???
秋田県にあった、
迫撃砲部隊について知ってる人いますか??
祖父が所属しておりました。
955島の人:2006/10/16(月) 20:06:52 ID:???
職場に来ている警備員さんから聞いた話
話は長いので箇条書きで気味にします
昭和19年16歳で海軍に志願
相之浦の第二海兵団で訓練を受ける
同じ隊に同郷(沖縄)の人が三人いた
(個人名なので本人をHさん その他をIさんとNさんとしておく)
隊は右舷組 左舷組と分けられその中で分隊で分けられてた
沖縄出身なので馬鹿にされた 特にNさんは気が弱く、なにかしらやられてたそうだ
ある日 このHさんらを小馬鹿する鹿児島出身の大柄な男(Hさんは小柄)がいた
Hさんは空手をやっており若かったから流石にキレてその男を殴り倒した
すると騒ぎで教官(鹿児島出身)が飛んできた、殴られると思ったら事情を聞くと
大柄な男を殴ってHさんはお咎めなし、後で聞くと教官が戦地にいた時
同じく沖縄出身の空手をやる人が隊にいて演舞等をしていたらしく沖縄出身者が好きな人だったそうだ
956名無し三等兵:2006/10/16(月) 20:18:14 ID:???
>>922

>レイテで散り散りになって以来60年ぶりなんだと。
そ、それマジですか。
同じ中隊の人が生き残ってたなんて奇跡ですよ。
そりゃ号泣だわ。

レイテ島投入兵力と戦没者(昭和43年厚生省発表)
投入兵力 84.006
戦没者 79.261
死亡率 94.4%
この他に輸送途上の海没者を厚生省は9.000名と見積もっている

大岡昇平『レイテ戦記』に、お爺さんの名前が登場してるかもしれませんよ。
957島の人:2006/10/16(月) 20:22:47 ID:???
続き

やっぱりケツバットはきつかったそうだ
ある日、空腹でHさんは蜜柑を盗んで喰ったのがバレて叩かれた
風呂に入る時、褌を取ろうとするとケツの皮が捲れて褌にくっついてたそうだ
よく言われたのは「貴様らはハガキ一枚で代わりがくる」
整備に回され整備の勉強と訓練で半年ほど相之浦にいたそうだ
ある日Nさんがいなくなり隊で探したら水タンクの脇で首を吊ってたそうだ
その後、Hさんは鹿屋 Iさんは大湊に勤務になったそうだ(戦後再会)
鹿屋に移動中、沖縄から九州に疎開してきていた一団と遭遇した
駅で疎開の一団を出迎えにきていた女性達(国防婦人会?)が沢山着物を持ってる
後で聞くと沖縄人は腰蓑しか着てないと思われてたそうだ
鹿屋に着任すると天山の整備兵になった
天山は始動させる際に後部に3、4人乗ってないと機体が前に倒れてプロペラが地面叩いたそうだ
958島の人:2006/10/16(月) 20:32:43 ID:???
続き
事故とかはあったらしく整備兵がプロペラでズタズタにされたりした
終戦時は玉音放送は聞かず停戦の通達だけ聞いたそうだ

いろいろ大変だっただろうが本人は明るく楽しそうに話してた
蛇足だが終戦後に沖縄に帰ると自分より年下が「俺は特攻隊帰りだ!」(もちろん徴兵はされてない)
とほらを吹いていたみんなをひびらせていた
「お前はいってないだろ」とみんなの前で言ったのでそれ以来ほらを吹かなくなった

本人はいまだに体を鍛えており元気一杯(二番目の奥さんに18の子までいるw)で働いている

長々と書いてすまん
終わり
959名無し三等兵:2006/10/16(月) 21:03:26 ID:???
>>955
サンクス。
貴重な話をご披露いただき、ありがとうございましたとHさんにお伝えください。
特に、沖縄出身のかたの軍隊生活の体験談は珍しく、興味深かった。
960名無し三等兵:2006/10/16(月) 21:06:54 ID:HsTRMSYd
950です。感想ありがとう。

広島の野砲第五連隊から、関東軍野砲第13連隊へ。
部隊では炊事、厩舎の担当。まあ雑用か。

水汲みにハルハ河にいった。大きな水ために溜めるのだが
なかなか一杯にならん。。夜、敵の攻撃の少ない時にいく。
ようやく溜まったら爆撃受ける。おけがこわれる。
底の水をようやくかき集めて、飯盒を炊く事に。

すると部下が「軍曹、今日は肉メシですかっ。」と喜んでいる。
「はて。。」と思ってよく見ると、爆撃で、死んだ部下の肉片が
水桶の中一杯に。。。

その残りの水を馬にやろうとしても、馬は飲もうとしない。。
「馬のほうが人間より賢い。。。」

その馬も、逃げる時、手綱を解いてホロンバイルにはなしてやった。
広島からつれていった大好きな馬で、悲しかった。。。

「戦争はいかん。平和がいい。」

もっともっと話はあるよ。なんかすごい話だよね。。。
ビデオとって良かった。。。
961島の人:2006/10/16(月) 22:35:43 ID:???
読み直したら忘れてた話もあったので追加するわ

相之浦にいた時は月一で酒保があり、煙草(誉)と酒(正宗ともう一銘柄)羊羹が配給された
Hさんは煙草はやらなかったので吸う人に挙げてた
羊羹は本当にうまかったそうだ、酒は班長に持っていった
女を覚えたのもその頃で遊廓に隊で古参の人が若いのを連れていった
ただ初体験は年増の婆さんだったのはご愛嬌
陸さんとはやっぱり仲が悪いらしく盛り場で何度かいざこざがあったらしい
鹿屋の頃 ひどいシラミで兵舎の側で上着を脱いだらシラミがポトポト落ちた
上着は振ってシラミを落としてると
そこにいきなり空襲でグラマンが機銃掃射をしてきた
慌てて半裸で逃げて助かった

>>759
わかりました

「天山?艦攻のですか?稼働率はどうでしたか?」とか「ケツバット?精神注入棒ですか?」
とちょっと厨みたいに聞いた俺に丁寧に答えてくれた

またなんか聞いたら投下します
962島の人:2006/10/16(月) 22:52:47 ID:???
>>961>>959にです
酔ってるんで前後不覚で文もめちゃくちゃですまない
963名無し三等兵:2006/10/17(火) 00:54:27 ID:???
>>962
貴公の投稿が十分このスレに貢献していることは衆目の一致するとこである。
大変に御苦労である。ぜひ、続けられたし。
964名無し三等兵:2006/10/17(火) 22:27:24 ID:???
>>960
反戦団体の口上よりもずっと重みがあるよな・・・・
965名無し三等兵:2006/10/19(木) 12:28:02 ID:???
第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた
元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに
現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を
始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の
生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に
行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。

牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ
航空基地で負傷兵の治療などに当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の
牧野さんら三十数人がいた。

牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、
基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、
10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が
助手や見張りをした。

米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。
遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。牧野さんの部下だった
80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に
聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。

解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも
空襲されるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが
治療を担当しなければならないから」と解剖の理由を説明したという。

45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで
医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことを
した。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061019k0000m040119000c.html
966名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:13:21 ID:AW+FJLQU
ナトマから父島攻撃に飛びたったが撃墜されて死んだ。コルセアにはよく泣かされたよ。すぐパンクするし左に傾くからね。あそこの鉄屑はジャップの輸送船だよ。「(初対面の老人に)よぅ〇〇60年ぶりだな。お前も老けたなぁ」…以上がアメリカ人のガキの発言。
967名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:22:37 ID:???
>>966
それ何てイタコの口寄せ?
968名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:23:19 ID:???
>>966
アンビリーバボー乙
969名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:25:01 ID:???
>>966
http://en.wikipedia.org/wiki/USS_Natoma_Bay_(CVE-62)

というか武藤少尉の戦果かな。
970名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:26:42 ID:???
今週の土日に硫黄島の特集がヒストリーチャンネルであるので慌てて契約した。
971名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:04:12 ID:QtwOWhJh
昭和50年代で、中学生だったけど 産休で先生が臨時に来たのが二度
一度はジイサンで、大学生で学徒動員されて応召されたけど 
低学歴の軍曹あたりにブン殴れて、ヒドイ目にあったらしいけど
終戦決まって、その野郎も殺そうかと仲間と相談して、ホントに銃殺しようと考えたとか
殺し代わりに、ボコボコの半殺しのリンチのお礼参りはよくあったらしい
あと一人は戦後海外青年海外協力隊で現地入り、ニューギニアで学校の先生やったらしいけど
戦時中の日本語教育があったので、現地人とは日本語で話してたので英語はヘタだった
あちらに行くと日本と違って「ニューギニア時間」みたいなのがあって、セカセカしてない現地人
戦時中の話すると、現地人からは、日本人に感謝の言葉ばかりで
米軍は戦後「核実験」も何度も南方の海でやってるから、米軍はコワイと云ってたらしい
青年海外協力隊あたりで現地に行くと、日本の悪口云うような現地人はいないらしい
結構米軍の悪口が多いらしい 南方ではむしろ親日家が多いらしい
972名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:28:31 ID:KWkeIpGP
俺の父方のじいさんは、身長がたりなくて兵隊にはいかなかったが、軍を批判して特高に捕まったと聞いた、母方のじいさんはボルネオへ行ったとか、詳しくはしらんが家には錆びた鉄兜とおそらく出征時の写真があった
973名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:53:29 ID:jltP735i
身長で徴兵落ちるんだ。俺も落ちそうww 日露戦争の記録写真の日本兵って顔はこわいのに体が小学生みたいだよね(筋肉すごいけど)。
974名無し三等兵:2006/10/22(日) 19:14:22 ID:???
父方の爺さまは海軍航空隊だった
終戦の年、フィリピンのクラーク基地で戦死したと公報がきたそうな
もちろん遺骨なんか返ってこない
軍服姿のモノクロ写真でしか知らん……
975名無し三等兵:2006/10/22(日) 19:33:37 ID:PtQstIqi
うちの爺様は陸軍で沖縄戦に参加したと言っていた
アメリカ軍がきた時真っ先に白旗を掲げ降伏したらしい
ということは非国民になるのかな、でも名誉の戦死を遂げると
靖国神社の御英霊になっていた訳で、そうすると俺は生まれていない・・・・
なんか複雑
976名無し三等兵:2006/10/22(日) 20:23:49 ID:???
>>975
当時の基準でいくとそうだろうけど、今の基準で考えれば賢明だね
977名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:07:48 ID:???
陸軍に騎兵部隊ってありました??
軍服着て、軍刀下げて馬に乗ってる祖父の写真があるんです
ちなみに祖父は中国大陸で戦死してます
978名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:43:55 ID:???
>>977
騎兵は兵科の一つ。
だけど馬に乗ってるからって騎兵とは限らないよ。
979名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:45:14 ID:???
輜重だって将校は騎馬本分だからな
980名無し三等兵:2006/10/23(月) 01:10:41 ID:???
大隊長から乗馬が許されるとか、そんなのもあったよね。
981名無し三等兵:2006/10/24(火) 09:16:07 ID:???
数年前、床屋で隣同士になった爺さんの話。
戦時中、核物質の研究を軍でやっていたそうな。
とある実験で、ある物質を耳かきほど大きな浴場に入れたら
インキンまみれの兵士が、どんどん治ったそうな。
982名無し三等兵:2006/10/24(火) 10:58:25 ID:???
ラドン温泉
983名無し三等兵:2006/10/24(火) 13:02:53 ID:???
漏れ試してみる!
984名無し三等兵:2006/10/24(火) 13:09:29 ID:???
放射線治療の発明でノーベル賞
985u:2006/10/24(火) 14:11:36 ID:z/LmakDf
>>977
乗馬本分はみな軍刀吊って乗馬。
乗馬本分とは参謀、副官、歩兵の佐官以上、騎兵、砲兵の士官准士官馭兵、
工兵の士官准士官、輜重兵(ただし輸卒を除く)、憲兵、軍医、獣医など乗馬が職務上必要とされる兵科兵種。
なので、おじいさんは騎兵とは限らないです。
986名無し三等兵:2006/10/24(火) 19:16:47 ID:pJ4CXw2u
消防のころ学校に戦争体験を語りに来てくれた近所のおもしろいおじいさんが亡くなりました。悲惨な話を小学生が怖がらないように精一杯明るく話してくれた姿は忘れられません。合掌。
987名無し三等兵:2006/10/25(水) 07:41:02 ID:7Dan7R1G
>>985
乗馬は陸式のお家芸みたいな?金メダル取るくらいだし
988名無し三等兵:2006/10/25(水) 19:48:47 ID:AtYoMTwp
うちの母方のいとこの爺様が職業軍人で最後の乗ってた艦が金剛だったと教えてくれました。
航海科勤務で艦を沈められてからは陸戦隊に配属になったそうで。
南雲忠一の下についてた時期が長かったみたいで
南雲さんにはよくタバコをもらったよとか、
すごく部下想いの人だったよって話を聞くと
遠くない時代の話なんだなあって考えさせられます。
989名無し三等兵:2006/10/26(木) 09:28:10 ID:qN7IVXpf
ある海自隊員(新郎)の結婚式での話
新郎の親父とお爺様も代々、海でした
お爺様が孫に対しての挨拶の中で、自分の過去も踏まえて、最近の自衛隊の複雑な情勢も絡めて話をしていたそうな
海自幹部や関係者が、その結婚式に多数集まっていてお爺様の話が終わった後に、一人の海自隊員が「お爺様は昔、どの艦な乗っていたのですか?」との質問にお爺様はボソッと「戦艦大和」ですと答えた
その瞬間、海自幹部や隊員達一同は全員起立して最敬礼をし、お爺様も見事な敬礼を交したそうな
他の出席者(特に女性)は何が起きたのか分からずキョトンとしていたとの事。
結婚式場関係者より
990u:2006/10/26(木) 11:19:57 ID:hbIg4CZU
>>987
自動車の無い時代は、移動手段としては馬が一番速かったのですね。
陸大には乗馬の練習課目があって、馬に乗ったことの無い歩き兵科の学生が絞られていたとか。
確かに歩兵の大尉までは背嚢背負って歩きだものね。
991名無し三等兵:2006/10/26(木) 11:50:55 ID:???
父方、母方ともに海軍。
ともに水兵。

父方の祖父(存命)は大和に乗る予定だったのが、寸前で輸送艦に振られたらしく
残念がっていたが、配属された輸送艦はギンバエし放題で陸の兵隊がやせ細る中
丸々と肥えていたそうな。
しかし、そんな食い放題の日々は長く続かず、米軍の潜水艦に撃沈されれしまって
海に何日か漂ってたら偶然帝國海軍の駆逐艦に拾ってもらったそうな。

母方の祖父(故人)はアッツ島の守備隊で、山本五十六の棺の輸送の任を命ぜられたらしく
選ばれた何人かとともに南方に配置換えになった。
その数日後にアッツ島玉砕。
命拾?%key
992名無し三等兵:2006/10/26(木) 13:15:41 ID:qN7IVXpf
>>991
命拾いだわ
ホント偶然の連続で繋がってるんだな
少し話はズレるが、現代日本人に近眼が多いのは、戦争中に近眼で徴兵されず、生き残った人々の子孫だからと言われている
徴兵論って言われてるよ
993名無し三等兵:2006/10/26(木) 18:14:20 ID:qN7IVXpf
俺の爺さん、インドネシアでの事
増援に来てくれるはずだった陸戦隊の船が沖で撃沈されたと聴いて近くの海岸に行ったら死体だらけだったという
終戦間近、米軍の来襲に応戦して捕虜を捕まえたそうな
その後、米軍の反撃で捕虜となり、帰国
最近亡くなったよ
俺思ったんだが老人ホームに行ったら戦時中の話聴けるんじゃね?
994名無し三等兵:2006/10/26(木) 18:46:49 ID:???
>>992
眼鏡をかけていた祖父も甲種で徴兵されたのですが、
徴兵されない近眼とはどの程度なのですか?
995名無し三等兵:2006/10/26(木) 20:08:05 ID:???
おばあちゃまは、勤労動員で三菱重工で青図焼きを一年あまりさせられ、
花の女学生時代なのに、勉強できずじまいだった。

だが、その職場には軍人ぽくないハンサムな配属青年将校がいた。
おかげで、青春時代に熱くときめく思い出ができ、悔いはないと。
同窓の女学生は大半がそう思っているだろうとのこと。
996名無し三等兵:2006/10/26(木) 21:07:46 ID:???
>おばあちゃま
品がいいすな。
あの頃は男も女も学生は工場なんかに駆り出されて勉強なんか出来んかったと
うちの親が言っとります。
997名無し三等兵:2006/10/26(木) 22:43:06 ID:???
うちの叔父は海兵予科行ったら勉強漬けでびっくりした言うていたな。
中学は工場動員で勉強も何も無し。
海兵は英語で講義だかか驚いた上に精神棒も無かったてね。
998名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:07:01 ID:???
うちのじいちゃんは大正12年生まれでスマトラ島にいってた。
マンゴーや猿や豚を食べた話、トラックから落ちて腰を痛めた話を良く聞いた。
スマトラに行くまでの輸送船3隻のうち、周りを駆逐艦が走り回っていたが
他の2隻は潜水艦に沈められたそうだ。
因みにそれまでスマトラ島にいた部隊はビルマ戦線へ行ったらしい。
で、自分が高校生のとき、そのじいちゃんが実のじいちゃんでない事を聞かされた。
本当のじいちゃんは京城防空隊、除隊、再召集、広島に集結中に・・・
ばあちゃんはじいちゃんの弟と再婚したということだ。
田舎の農家にはよくある話らしい。
実家の近くの山の墓地をあるくと先が尖ったお墓がたくさんある。
横に回りこんで読むと、サイパン島で・・・、ルソン島で・・・などなど。
合掌。
999名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:12:56 ID:???
ナムナム
1000名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:22:33 ID:7kB7trJt
1000なら大東亜共栄圏復活
10011001
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