1 :
名無し三等兵 :
2006/07/24(月) 15:19:15 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 15:25:17 ID:G16C0g2M
一等自営業阻止
3 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 18:25:39 ID:???
┏=================================┓ || ___ || || ヽ=☆=/ || || ∩( ・ω・)∩ || || ─┬=====┬─┬─┬ .|| || ヽ┴-----┴ 、/_ / .|| || ==||:|: :|: 「r-┴──o || || ____________ |:|:__ :|: ||--┬┘ ̄ .|| || |ミ/// / ~~|ミ|丘百~((==___ || ||└┼-┴─┴───┴──┐~~'''''-ゝ-┤.|| || ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三) || || ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ || ┗===========___================┛ ヽ=☆=/ ∩( ・ω・)∩ チハタンばんじゃーい!! ___ ヽ┌ニニニ┐ ___ ___ ___ばんじゃーい! ヽ====/ ヽ====/ ヽ====/ ヽ====/ ヽ====/ ∩(__)∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩__ばんじゃーい! ヽヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩___ ヽヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ヽ ヽ====/ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ∩( )∩ ばんじゃーい! ばんじゃーい! ばんじゃーい! ばんじゃーい! ばんじゃーい!
4 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 18:33:28 ID:???
<WW2太平洋戦線、装甲戦闘車両同士の戦闘その1> マレー攻略戦 (1941年〜42年) ・(12月9日)94式装×12?vsキャリア×20 →94式×3炎上、キャリア損害不明 ・(12月10日)97式中×20vsキャリア×20 →キャリア多数炎上 ・(1月7日)97式中・95式軽×15vsキャリア×若干 →キャリア撃破 フィリピン攻略戦 (1941年) ・(12月12日)89式中・94式装×若干vsM3軽×15 →M3敗走 ・(12月末)95式軽(戦車7連隊)vsM3軽×20弱? →95式×7撃破、M3ほとんど放棄 蘭印攻略戦(1942年) ・(ジャワ3月2日)95式軽×10vsヘリントン軽×7、カーデンロイド1936×15 →損害無、12撃破 ビルマ攻略戦 (1942年) ・(3月5日)95式軽×4vsM3軽×10強 →95式全滅? ・以後の戦闘により、日本軍戦車中隊ほぼ全滅。
5 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 18:42:18 ID:???
<その2> ガダルカナル攻防戦(1942年) ・(10月22日)97式中×10vs75mm自走砲 →97式全滅(含、歩兵による損害) ギルバート/マーシャル防衛戦(1943年〜1944年) ・(タラワ11月20日)海軍95式×2vsM4×2 →95式全滅、M4×1撃破 ・(クェゼリン2月1日)94式/97式装vsM4 →守備隊戦車全滅 ニューギニア防衛戦(1944年) ・(ビアク5月30日)95式×8vsM4×3 →95式×7撃破、M4損害軽微 ・(サルミ7月3日)95式×2vsLVT×2 →LVT×1撃破 マリアナ防衛戦(1944年) ・(6月15日サイパン)97式中×10強vsLVT・駆逐艦 →97式×3以外全滅(多く歩兵による) ・(6月15日サイパン)擱坐95式×1vsLVT・歩兵 →95式破壊、LVT数両を撃破 ・(6月16日サイパン)97式中・95式・特2内火艇×30vsM4・75mm自走砲 →日本1以外全滅(多く歩兵に) ・(7月下旬グアム)95式×5vsM4 →日本側全滅 ・(8月8日(10日?)グアム)97式中・95式×10vsM4 →日本側全滅 ペリリュー防衛戦(1944年) ・(9月15日)95式×16vsM4中×8 →95式全滅、M4×1かく座
6 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 18:55:33 ID:???
<その3> インパール戦(1944年) ・(3月中旬)97式改ほかvsM3中?軽? →不明 ・(6月7日)95式軽×3vsM3中?軽?×若干 →95式全滅 ・(6月12日)97式改×3vsM3中?軽?×若干 →97式全滅、M3×1撃破(支援野砲の戦果) ・(7月7日)97式改(埋土)vsM4中×12 →97式×2喪失、M4前進阻止 ・ほか、鹵獲M3軽が、M3中を撃破した事例あり。 フィリピン防衛戦(1944〜1945年) ・(レイテ12月22日)95式vsM4 →95式×2以上喪失 ・(ルソン1月10日)94式?装×10弱vsM4 →日本軍敗北 ・(ルソン1月17日)重見支隊約30両vsM4×20 →97式・95式各8前後喪失、M4×2撃破 ・(ルソン1月下旬)重見支隊残存7両vsM4×20以上 →日本側ほぼ全滅 ・(ルソン1月29日)97式改×8vsM4 →97式×5喪失、M4若干撃破? ・(ルソン2月初)97式改×30vsM4×50 →日本側全滅、M4数両を撃破(体当たり含む) ・以後、戦車第2師団の残存部隊が交戦。4月、2両を体当たり攻撃に投じたのを最後に、ほぼ戦車全滅。 ・(ルソン6月)89式×11?vsM4 →日本側全滅 沖縄防衛戦(1945年) ・(5月4日)97式改・95式・94式装vsM4 →不明。(主に歩兵により日本戦車はほぼ全滅)
7 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 19:06:07 ID:???
>>4 追加
フィリピン
・(12月12日)95式×3(及び速射砲)vsM3軽×10強 →日本側損害不明、M3×5撃破
(なお、米側に正面装甲貫通の例はなし。)
>>5 追加
マリアナ
・(サイパン6月下旬)97式中・95式×計7vsM4・M3自走砲 →97式中×3破壊。
・(サイパン6月下旬)日本戦車×5vsM5軽×若干 →日本側全滅。
・(テニアン7月下旬)95式軽×若干vsM3自走砲 →日本側全滅。
8 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 19:23:44 ID:???
〜試製駆逐戦車「ホル」 ゝ──-、--、 __ /五式47粍対戦車砲の異名も持つ、 _____□/ く |:「r┴────o γ--∞ヾ∠日本初の駆逐戦車。 ____/≡≡ 28 ± |:||-┬┘~ ̄ ̄ /回´_ゝ`) |対戦車砲に高機動性を持たせた理念は、 .ミ二二)=__──────┐--ゝ--┐ ( Y ). !|独逸のヘッツァーに通じる物があったが ((◎)~~O~~O~~((◎)))三)---)三) .| | | | …残念ながら実用化された頃には47mm ゝ(◎)(◎)(◎)(◎)ノ三ノ---ノ三ノ (__)_),,|速射砲は完全に力不足になってしまった。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 砲は、一式戦車砲とは別の、一式戦車砲IIなる呼称で、通常の戦車砲とは別物のよう。 劣化型か、速射砲並かは不明。 ヘッツアーというよりは、セモベンテっぽい。
9 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 19:33:48 ID:???
〜三式軽戦車「ケリ」〜 コンナノニノセヤガッテ ウワァァァン! ____ /ハ号の派生型で、57mm砲搭載。四式との違いはハ号の /-∞ヾ | 砲塔にそのまま57mm砲を載せようとした事! でも設計的に ヽ(`Д´)ノ < 無理が有りすぎて常人では砲塔が操作できなかったらしい…。 ======  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ┌┴─┴ゝ ==)|: |:|「───o ________/ :| _ |:||-┬┘ ̄ ____/≡≡ / ̄ ̄~/|丘|((==__ .ミ二二)=__ └──┘-─┐--ゝ-┤ ((◎)~~O~~O~~((◎)))三)---)三) ゝ(◎)(◎)(◎)(◎)ノ三ノ---ノ三ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
10 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 19:44:30 ID:???
95式の砲塔に入ったことあるけど37mmでもヤバイくらい狭かった
11 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 20:49:54 ID:???
砲塔が狭いといえば、98式軽戦車は、砲塔が円錐形だから狭かったという話があるけれど。
12 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 21:07:47 ID:???
帝国陸軍は木型審査はしなかったのかね?
13 :
名無し三等兵 :2006/07/24(月) 22:31:36 ID:???
「特三号戦車が千輌と江田島平八が十人いれば 日本はアメリカに勝てた」と言ったのはマッカーサーだっけ?
14 :
名無し三等兵 :2006/07/25(火) 00:52:25 ID:???
うんそうだったね。(ホジホジ)
15 :
名無し三等兵 :2006/07/25(火) 23:59:35 ID:???
前スレ埋まったのであげ
16 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 00:53:55 ID:???
17 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 01:57:23 ID:???
有名なタイのツアーでは?
18 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 17:10:16 ID:???
>>16 グァムのバンザイ岬に日本軍の各種の砲に混じって95式が放置されてる。
レンタカーで島一周したけど海岸に放置されてるチハもあった。
行くんなら最終日がいい。あんなの見たらとてもビーチではしゃげないから
19 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 19:23:15 ID:???
バターン攻略戦の前に、もう少しまともな戦車があったら、 米軍戦車隊が反撃に出てきても、一気に蹴散らして、追撃できたのではないか?
20 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 19:47:05 ID:???
燃料は?
21 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 21:51:29 ID:???
>>18 おめえさんの言ってるのはサイパン島のラストコマンドポストだろ。
南雲らが自決したところだよ。
そこには95式と短20サンチ砲、高射砲なんかが転がってるな。
ガラパン近辺の浜には97式が数台転がってるほか、水際トーチカもある。
メモリアルパークという名のロータリーには47ミリ速射砲が数門ある。
日本軍がイスレイと呼んでた現国際空港近辺には、旧軍の耐弾式の建物が
観光局として現役だ。
22 :
名無し三等兵 :2006/07/26(水) 22:00:48 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2006/07/27(木) 07:08:28 ID:???
つーかボロボロすぎ
24 :
名無し三等兵 :2006/07/27(木) 09:08:20 ID:???
25 :
名無し三等兵 :2006/07/28(金) 04:34:38 ID:pBXdMAYU
一式砲戦車ageeeeeeeee!!!  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ .____ γ--∞ヾ ./了゜Д゜)つ ( ./ ̄百|百|: ̄:| . | ◎ | |:「二二二二二二二(O _________/____| .|:|-┬──┘ |ミ//←ロ-D/~ ~~:|:ミ|丘百~二|____. .└┼-┴─┴───┴──┐--~(O'--┤ ((◎)~~~O~~~~~O~~(◎))三)──)三) .ゝ(◎)(◎)(◎)(◎) (◎)ノ三ノ──ノ三ノ
26 :
名無し三等兵 :2006/07/28(金) 23:55:20 ID:???
日本軍は戦車よりも 穴+92式歩兵砲のほうが攻撃力、防御力ともに上の希ガス。
27 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 08:26:18 ID:???
>>26 九七式曲射歩兵砲のほうが更にマシだと思う。
28 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 12:02:18 ID:???
連隊砲を94式山砲にする(こっち方が安い)。 連隊あたりの装備数を8門にする。 タ弾を十分に配備する。 これが一番有効な対戦車戦闘能力向上作だと思う。
29 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 13:32:58 ID:???
定数だけ上げても画餅に終わるだけだ
30 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 20:44:37 ID:???
>>28 定数を増すと砲弾の必要量も上がるワケだな。その運搬用の人馬をどう確保す
るかも考えたかい?
それに件の提案は対戦車戦闘能力向上と言うより、それは対戦車防御能力向上案だな。
31 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 21:25:05 ID:???
日本軍も歩兵師団を少なくして戦車に力を入れれば良かったのに 兵隊を養うよりも戦車を作った方が安上がりだろ。
32 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 21:25:24 ID:???
>>30 砲弾消費量は増えない。
任意の規模の敵を殲滅するのに必要な弾数は
砲の数ではなく敵の数に縛られるんだから。
それと歩兵部隊の対戦車戦闘は
戦術面では防御戦になるのは当たり前。
33 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 21:59:05 ID:???
>>31 歩兵は徴兵の2年で交代するから、コストは安い。
戦車兵は専門教育受けて2年以上にならないと
使い物にならないとされてるので人員コストは歩兵よりずっとかかる。
それに戦車は20万円するけど、野砲は2万円なのだ。
34 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 23:25:58 ID:???
チハって零戦2機分だったかな。高いよなーM4も4号も大体戦闘機と同じ値段なのに。 ケヌと試製駆逐戦車相当の車両揃えてあとの予算を他へ回しても良かったかもな
35 :
名無し三等兵 :2006/07/29(土) 23:55:58 ID:FqFaDzBz
一式砲戦車って何で量産されなかったの? 発射速度が低くても47mm砲装備の戦車を量産するよりも 戦力的価値は高かったと思うのですが。
36 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 00:42:46 ID:???
>>34 大量生産設備もないしそれに伴う技術もない。それに材料にかかる経費も考えたらチハが20万円
というのは妥当。
37 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 01:50:11 ID:???
>>36 技術的な問題が多い初めての国産戦車なのに昭和12年度(1937)の価格で八九式は8万みたいですけど。
で九七式はいきなり20万ですか・・・戦闘機どころか一式陸攻と同じ値段ですね。やっちゃったかな陸軍と三菱w
38 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 02:26:34 ID:???
>>37 昭和16年12月の兵器臨時価格表(甲)によると
九五式軽戦車(武装なし)87,190円
九七式中戦車(武装なし)165,400円
九七式軽装甲車(武装なし)59,600円
九四式三七粍戦車砲5,060円、九七式車載重機2,025円
九五式五糎七戦車砲4,700円、試製四七粍戦車砲6,530円
九四式四号無線機5,420円
よって、軽戦車は10万円、中戦車は18万円、軽装甲車6〜7万円
八九式はもう取得されてないのでこの時期の価格は不明だが
同表によると野戦自動車廠用予備品で八九甲が265,800円、八九乙が19,1800円
ちなみに同様の予備品が95軽だと12,7400円だから
中戦車の価格は八九でも九七でも大して変わらないかもしれん。
39 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 02:52:28 ID:???
>>35 一式砲戦車は元々一式7糎半自走砲という砲兵の装備として開発されたもので
当初は47mm砲搭載戦車と比較して生産するものじゃなかったのだ。
そして後から戦車兵にもこの車両が回されることになったんだが
戦車部隊の「砲戦車」は火力のでかい戦車であって自走砲じゃないので
全周防御の無いホニはその点不便で三式砲戦車ホニ3へと改良する必要があった。
だけど戦車に野砲を使わせてもらえるならチヌ作れるわけで
ホニ1やホニ3を生産する必要も無くなっちゃったわけ。
開発直後に砲兵が自走砲として大量生産する可能性はゼロではなかったけど
砲兵的には野砲のホニ1より十榴搭載のホニ2のほうが本命だったのも痛かったな。
40 :
35 :2006/07/30(日) 03:32:21 ID:???
レスありがとうございます。 全集防御でなくとも戦車としての価値が皆無な一式中戦車よりは火力に勝り 生産ラインもある程度整っているはずの一式砲戦車が量産されなかったわけは セクショナリズムと用兵側が全周防御にこだわったせいなののですね。
41 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 07:00:20 ID:???
>>40 いやセクショナリズムが無かったら
三式砲戦車か三式戦車が、一式砲戦車と同時期に出てくる。
この場合一式砲戦車の量産なんか当然あるわけが無い。
全周防御を要求するのは、それが「砲戦車」だからであって、これも当たり前の事。
ホニは戦車としての価値でいうなら、一式中戦車よりも失格なんだよ。
42 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 07:10:32 ID:???
も一つ言うとね。砲戦車は中戦車を支援する戦車で 両者は生産対立する存在ではなくセットで使う存在なの。 だから一式戦車の代わりにホニを作るというのはナンセンス。
43 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 08:20:25 ID:???
>>34 ティーガー一輌がBf109三機分の値段とか聞いたことがあるが。
四号はティーガーの三分の一の値段なのか?
確かにそれくらいのような気もするね。
44 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 09:09:37 ID:???
4号戦車 103,462RM ティーガーI 250,800RM 官給品の武装・エンジン・変速機・無線装備を除いた値段だから それらをひっくるめると3倍ぐらいかな。今は戦闘機は戦車の10倍 ですから当時の戦闘機って安いですね。
45 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 13:42:48 ID:???
チタンだのカーボンファイバーだので機体作って、これでもかって程電子装備積んで、でかいエンジンまで積む そんな戦闘機が安い訳も無い。戦車も進化したけど、戦闘機の進化に比べれば可愛いもんだし
46 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 13:43:28 ID:???
戦車の値段が高いのは砲と材料費だろ。 フォッケウルフとタイガーなら、 タイガーの重量はフォッケウルフ10機分はあるし。
47 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 13:50:26 ID:???
Me109や零戦はせいぜい3t。それがF-22Aじゃ27.2tにまでなってる。 素材も炭素繊維、チタン合金等金のかかる物ばかり。くわえて専用に開発された電子機器 の数々。 戦車はWW2の頃と重量的には変わらんしね。
48 :
名無し三等兵 :2006/07/30(日) 19:59:54 ID:???
砲戦車の装甲って、自走砲にしてはかなり厚めだけれど、どういう考えから決まったんだろ?
49 :
名無し三等兵 :2006/07/31(月) 02:52:05 ID:???
>>48 砲戦車は自走砲じゃなくて戦車なんだってば。
50 :
名無し三等兵 :2006/07/31(月) 10:34:47 ID:???
あ、一式砲戦車の話限定でね。 前面装甲は新型戦車並みなのに、全集防御にしない設計と言うのは、何考えたんだろうと。 ただのミス?
51 :
名無し三等兵 :2006/07/31(月) 10:45:29 ID:???
自走砲だから
52 :
名無し三等兵 :2006/07/31(月) 21:15:47 ID:???
>>50 原型はホニ2と同じでもっと装甲薄くて側面の装甲範囲も狭かった。
ドイツの突撃砲の活躍を見て直射支援にもいけると途中で考えて
装甲を多少広げて厚くしたが
戦車みたいに前に出て近接戦する気ではなかったのな。
陣地と正面から射撃しあうぐらいを想定したものだったわけ。
53 :
名無し三等兵 :2006/08/01(火) 01:01:44 ID:???
>>49 そりゃ単に「自走砲」にすると砲兵に奪われるからだろ。自衛隊が軍隊なのと一緒で言葉のマジック
54 :
名無し三等兵 :2006/08/01(火) 04:48:44 ID:???
55 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 02:41:42 ID:???
>>6 追加・訂正
ビルマ防衛戦(1945年)
・(4月19日ピンマナ村)日本軍戦車1が英軍M4と交戦し、撃破される。
沖縄防衛戦(1945年)
・(5月4日)97式改・95式×10弱vsM4×十数両 →日本側敗退。
・(5月16日)埋土97式改・95式×6vsM4×若干 →日本側瞬時に全滅。
<戦車第二七連隊>
戦車27連隊は、沖縄に配備されたほぼ唯一の機甲戦力でした。
(ほかに、24Dの捜索24連隊に94式軽装甲車有)
撃兵団として有名な戦車2師団の師団捜索隊を昭和18年に改編した部隊です。
編成は、連隊本部(97式改×3、95式×1)以下、
第一中隊(軽戦車)、第二中隊(中戦車)、第三中隊(中戦車?)、第四中隊(戦車無く重機のみ)
の4個戦車中隊に加え、
機動歩兵中隊(120名、47mm速射×2)、砲兵中隊(75mm機動×4)などを含む、
ミニ機甲師団型の諸兵科連合部隊でした。
砲兵中隊は別にあるので、第四中隊は、本来は中戦車を装備させたかったのでしょうか。
56 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 03:50:30 ID:???
このうち、第三中隊は宮古島に分遣されたため、 本島の戦闘に参加したのは、残りの97式改×14、95式×13程度と思われます。 米軍上陸時には、中城湾に面した与那原地区に展開しており、 艦砲射撃を避けるため、丘陵背後の洞窟に分散退避しています。 この際、米軍掃海艇に発見されますが、日本軍魚雷艇が撃沈して救援したそうです。 その後、4月後半の空襲により、第二中隊の第三小隊は全滅。 おそらく、ほかにも若干の損害を受けているものと思います。 5月上旬の総攻撃に参加するため、5月3日夜半、連隊主力は北へ行動を開始します。 第24師団に協力すべく首里北方の石嶺方面に展開しますが、 連隊本部と第二中隊は、移動中に艦砲射撃を受け、本部の中戦車(通信車)を破壊されます。 また道路破壊と残骸により、第二中隊主力は、落伍してしまいました。 攻撃発起までに終結したのは、第一中隊の95式×9、本部・第二中隊の97式改×2、95式×1 兵力不足の本部と第二中隊は下車戦闘を選びます。(ほかに、機動歩兵と整備班などの歩兵戦力) 4日午前3時、連隊は攻撃を開始。前田高地南方から建設途上の滑走路方面へ突入します。 奇襲成功したものの、5時頃からM4戦車十数両を含む反撃を受け、軽戦車は大損害を受けます。 この際、煙幕を利用して襲撃をかけたとの説がありますが、 第二中隊の将校の戦記に拠れば、退却時に使用したようです。 攻撃発起時には、まだ暗かったというので、退却時が真相と思います。 同日夜、追いついた第二中隊主力の97式改×6を基幹に夜襲しますが、 再びM4戦車を含む反撃を受け、残存は石嶺陣地まで退却しました。 攻撃主力の第24師団や守備隊の第62師団とは、全く連携できませんでした。
57 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 04:28:47 ID:???
以後、石嶺付近に陣地を構え、第24師団22連隊などと共に防衛戦を展開します。
残存戦車6両(おそらく軽戦車主体の混成)は、
石嶺前方の130高地後背でダックインしての戦闘になります。
機動野砲はまだ健在で、かなり健闘したようです。ほか歩兵中隊1が配属。
5月15日、石嶺に米軍が侵攻しますが、撃退。
5月16日、再び米軍の攻撃を受け、残存戦車は、M4との交戦で全滅しました。
米軍は、日本戦車は容易に破壊したが、37mm砲装備でそもそも脅威ではなかった、と評しています。
連隊は、特設大隊1を配属されて抵抗を続け、月末まで固守した後、首里方面へ撤退しました。(以下略)
なお、もう一つの機甲戦力、捜索24連隊も、同時期に攻撃に出ています。
有名な94式軽装甲車の残骸写真は、この部隊が総攻撃時に失ったものと思います。
おそらく、この5月の戦闘で全戦力を失っていました。
>>6 補足
レイテ島で12月に交戦している軽戦車部隊は、おそらく独立7中隊11両の残存兵力です。
10月の米軍上陸時の反撃で6両を撃破された後、12月13日にも6両?で反撃に出ています。
このときにもまだ全滅せず離脱したようなので、最後の残りが全滅したのが
>>6 の戦闘でしょう。
58 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 16:11:30 ID:???
>>55 補足
母体となった戦車第二師団捜索隊の編成は、
軽戦車中隊2、砲戦車中隊1、機動歩兵中隊1だったといいます。
ただ、このうちの砲戦車中隊は、中戦車で代用されていたのでしょう。
戦車連隊改編後は、戦車中隊1、砲兵中隊、工兵小隊が増設された計算になります。
この辺から考えると、第三中隊は、中戦車中隊ではなく軽戦車装備の可能性のほうが高いか?
宮古島という配備先から見ても、軽戦車のほうが向いてるかも。
ただ、中隊ナンバーの振り方として、やや変則的になるような気もします。
中戦車中隊への改編を理想としていたけれど、結局軽戦車装備のままというあたりか?
59 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 17:46:01 ID:???
<フィリピン防衛戦の独立機甲系部隊> 在レイテ ・独立戦車第七中隊(河野大尉):95式軽戦車×11(残余は友軍機雷に触雷海没) ・伊東陸戦隊の戦車隊:特2式内火艇×4(定数10?) 在ルソン ・独立戦車第八中隊(松本中尉):89式?×11? ・独立戦車第九中隊(中嶋中尉):89式?×11 ・岩下戦車隊?(岩下大尉):97式改×8 ・独立自走砲中隊(須見大尉):4式15cm自走砲ホロ×2(ほか海没。旧称、第一自走砲中隊) (・独立自走砲大隊:レイテ展開を目指しルソンへ輸送中海没。ホニ1、2装備) ただ、岩下戦車隊が独立8中隊であるとする資料もあり、調査中。 岩下大尉は途中戦死しているので、後任指揮官が松本中尉か? ほか、レイテには戦車2師団の分遣隊が増援。
60 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 20:44:44 ID:???
ドイツから戦車砲を輸入するという計画はなかったのか?
61 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 20:56:56 ID:???
重くて人力牽引できないのばっかりじゃん。
62 :
名無し三等兵 :2006/08/03(木) 23:18:45 ID:???
ドイツも砲不足で苦労してるしな
63 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 03:12:18 ID:???
日本にZis-2、57mm砲とバレンタイン戦車があればなあ・・・Zis−2はともかくバレンタインは 日本でも作れそうだ。 あとは砲戦車として三式戦車を配備してタ弾でM4を撃破・・・ 厨妄想スマソ。
64 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 03:47:20 ID:???
九〇式野砲と一式機動砲を大量生産できれば戦車対策は充分じゃね。 あと弾薬。
65 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 03:51:58 ID:???
90式重いし、対戦車能力は徹甲弾だとたいしたことないしなあ。 軽い野砲にタ弾組み合わせたほうがよさげな気が。
66 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 04:07:25 ID:???
67 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 05:21:52 ID:???
>>63 57mmの砲架に76.2mm載せたソ連と75mmの砲架に57mm載せた日本は対照的だな。
6ポンド砲 1939
ZIS-2 1941
試製57mm 1942
これがそのまま技術の遅れ。
68 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 06:36:41 ID:???
技術でなく、単なる認識の違いだな。
69 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 08:07:28 ID:???
ただ試製57mmが1540kg、Zis-2が1150kgだから威力の違いも考えると、技術の劣勢はいなめないな。
>>66 単純に貫通力だと90式の徹甲弾でタ弾の貫通力にならぶのは500m前後だぞ。
70 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 09:43:56 ID:???
試製57mmの1540kgは機動砲型の全重量。 zis-2の機動砲型は1800kg。
71 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 09:51:11 ID:???
どーでもいいよ実戦に出せなかった失敗作なんて
72 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 09:54:30 ID:???
と、調べてみた。 >zis-2の機動砲型は1800kg。 リンバー込みの重量じゃねえか。むちゃくちゃな比較すんなよ低脳
73 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 09:56:17 ID:???
リンバーの重量は?
74 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:01:11 ID:???
75 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:07:50 ID:???
試製機動57mm砲の1540kgも放列砲車重量なんだが。
76 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:18:02 ID:???
リンバーの有無は? 砲弾の運搬形式は砲の重量とは直接関係しません。別問題。
77 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 10:24:03 ID:???
>放列砲車重量というのは戦闘準備を完了していて弾薬を装填していない状態での、その砲の重量です。
78 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 11:21:41 ID:???
というわけで、試製57mmの1540kgとZis-2の1150kgは同じ条件での比較だったわけだ。 日本製、重すぎ。
79 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 11:26:27 ID:???
試製機動57mm砲の放列砲車重量は1080kgだぞ。 国立公文書館のWEBで見られる陸軍の一次資料に書いてある。
80 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 11:29:03 ID:???
>>66 タ弾の場合貫徹威力が安定しないのに加えて
威力に余裕がないと内部に破壊効果を及ぼせないのだ。
抜けちゃったらOKの徹甲弾とは同列には比較できない。
81 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 12:18:54 ID:???
>>79 レファレンスコードないし検索キーよろしく
82 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 13:41:17 ID:???
>>79 レファレンスコード:A03032114800
試製機動57粍砲説明書
第一陸軍技術研究所
83 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 15:32:44 ID:???
70kgの差か、じゃあ次は砲弾の威力と開発時期、実戦に投入された時期と戦果の比較だな。
84 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 15:41:54 ID:???
試製57mm戦車砲 砲身 口径 :57mm 全長 :2.768m 高低射界 :-14〜+20度 方向射界 :360度(砲塔) 重量 :600 kg 弾量 :約2.7 kg 初速 :810m/s
85 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 15:54:11 ID:???
そもそも試作のみで戦果なんかあるわけない。 よってソ連軍の主力対戦車砲の座にあったzis-2の勝ち。
86 :
名無し三等兵 :2006/08/04(金) 20:32:45 ID:???
頭悪w
87 :
名無し三等兵 :2006/08/05(土) 11:01:06 ID:???
最近、試製四式重迫撃砲にはまってしまった俺は変だろうか…? なんか弾道弾発射できそうなあのスタイルがいい。
88 :
名無し三等兵 :2006/08/05(土) 15:58:08 ID:???
だが噴進砲のほうがコンパクトで大威力なのも泣ける。
89 :
名無し三等兵 :2006/08/05(土) 17:07:01 ID:???
その代わり命中精度やなんかは火砲とは比べ物にならない程悪い
90 :
名無し三等兵 :2006/08/06(日) 00:09:20 ID:???
24糎噴進砲、最大射距離2900mで射距離公算躱避約40m 40糎噴進砲、最大射距離3700mで射距離公算躱避約47m 14年式重迫撃砲(274mm)、最大射程(2400m)付近で射距離の1/60(40m) 試製4式の公算躱避は判らんが 図体からして14年式から大きな進歩はないだろう。 意外と迫撃砲の精度は悪いんだよね。
91 :
名無し三等兵 :2006/08/06(日) 00:13:44 ID:???
フィリピンでホロ車で戦った装填手の爺様の話によると 38式15榴で距離800〜1200の距離を直射で命中するとM4を一撃で正面から撃破できたそうだぞ。 乗員が蜘蛛の子をちらすように脱出してやがて炎上して一晩中爆発を繰り返したそうだ。 全部で8両を撃破したけど、うち1両は一撃で大爆発。
92 :
名無し三等兵 :2006/08/06(日) 08:21:28 ID:???
占守島に40cm噴進砲があったらしい。
93 :
名無し三等兵 :2006/08/06(日) 17:42:35 ID:aQ0+kZQX
94 :
名無し三等兵 :2006/08/07(月) 16:55:42 ID:???
新砲塔チハって、実際どのくらい配備が進んだの? ガダルカナルにも行ったという話を見つけたけれど。 サイパンでは、1両だけだっけ?
95 :
名無し三等兵 :2006/08/07(月) 20:20:49 ID:???
>>91 鷲見中隊か。2輌の内1輌は重機の掃射で爆破炎上してるから残りの斉藤曹長車の生き残りだな
96 :
名無し三等兵 :2006/08/07(月) 20:24:04 ID:???
凄い威力だな。15cmタ弾かね。
97 :
名無し三等兵 :2006/08/08(火) 05:07:28 ID:???
>>4 追加
マレー攻略戦
・(2月10日シンガポール)チハ1中隊vsキャリア×多数 →キャリア×15以上撃破
蘭印攻略戦
・(ジャワ3月1日)97式装×3vs装甲車×若干 →装甲車×1撃破
ビルマ
・(4月28日)95式軽(戦車1連隊)vsM3軽 →M3×4炎上、1擱坐、日本側損害不明
当初、日本側3がM3を発見、待ち伏せ奇襲。
開放ハッチを榴弾狙撃の後、至近側方から3両で徹甲弾21発を打ち込み、装甲を裂けさせ炎上。
その後、敵後続と、日本側1中隊が交戦。1両をキャタピラ破壊により擱坐させる。
日本側に続々増援到着のため、英軍後退。連隊主力で迂回奇襲し、3両を破壊。
>>7 訂正・追加
フィリピン攻略戦
・(12月12日)は(12月22日)の誤り。
95式×3(及び速射砲)vsM3軽×15 →95式×1撃破、M3×5撃破(正面貫通無、体当たり等)
・(12月30日)89式vsM3軽 →日本戦車では歯が立たず。増援歩兵等で撃攘。
98 :
名無し三等兵 :2006/08/08(火) 05:41:01 ID:???
>>6 補足・追加
フィリピン防衛戦
・(ルソン1月17日)詳細。
日本側は、街道脇に擬装待ち伏せし、距離10m以下の至近距離で射撃開始。
先頭2両を炎上させるが、うち先頭車は炎上しつつも逃走。2号車も反撃し、日本側1両を撃破。
後続M4の攻撃で、日本側は被害多数。夜までで、重見支隊損害34両。
後続M4に対する射撃は、ことごとくすべって効果なし。
・(ルソン2月1〜6日)戦車第6連隊の戦闘。
1日、敵戦車により3両を喪失。配属火砲もほぼ全滅。
2月2日、連隊長戦死。
2月3日に、土手を越えようとしたM4を待ち伏せ、2両撃破。但し反撃で2両喪失。
2月4日、戦車戦で損害多数。6日までに、戦車の半数20両ほどを喪失。
インパール戦(1944年)
・(3月18日)鹵獲M3軽×3vsM3中若干 →M3軽×1損傷、M3中×1炎上
200mで待ち伏せも効果なし。50mでハッチ狙撃で破壊。
ビルマ防衛戦(1945年)
・(メークテーラ3月)97式改×2vsM4×多数 →M4×8炎上を報じ、損害無し。
村落で待ち伏せ、M4が陣地攻撃のため変針し、400mで側面を見せたところを射撃。
99 :
名無し三等兵 :2006/08/08(火) 16:13:29 ID:???
>開放ハッチを榴弾狙撃の後、至近側方から3両で徹甲弾21発を打ち込み、装甲を裂けさせ炎上。 なんかスチュアートがKV並だな
日本戦車界を震撼させたM3ショックだもんな
インパール戦初期は、英軍のM3中戦車が、日本側戦車としばしば交戦しているようです。
3月20日にも、敵1小隊と日本側1中隊程度が交戦して、95式軽戦車3両が炎上させられています。
ただ、この際も、日本側の「切り札」M3軽戦車が迂回に成功して、1両を炎上させ敗走させます。
インパール戦後のビルマ方面では、再建された戦車14連隊約20両が戦いました。
>>98 の戦闘は、3月7日で戦果は2両撃破とも言うようです。
4月10日〜11日の戦闘で残存部隊7両が、英軍戦車と交戦して、全滅したと言います。
このほか、師団捜索隊の戦車・装甲車も戦闘しているようですが、結果はおそらく・・・。
>>99 この戦闘は、スチュアート対策に考案された方針の、理想的実践例と思われます。
・数的優位をもって戦う。
・一部で敵を拘束しつつ、主力で迂回攻撃。
・敵1両に対し、小隊で集中射撃。
・側面に弾丸を集中させ、装甲を破裂させる。
3号とKVの戦闘と同じだ・・・ 2号の20mmより威力のないあのへっぽこ37mmを一人で操作しながらよくやったな。
けーぶいってすごいんだね。
すごいよ、なんたってそうこうのいちばんうすいぶぶんで30mmもあるからね
M3は北アフリカじゃ遮蔽物のない砂漠+3号4号の砲火の中を 射程に食い込むために無謀とも言える突撃繰り返してたのに
体当たりで田んぼに落としたんだよな〜
ちなみに、体当たりと言うと、日本戦車が米軍戦車に特攻というイメージだが、 逆のパターンもあるようで。 タラワで日本戦車が、米軍戦車に体当たりで撃破されてる。 タラワ守備の陸戦隊所属95式軽戦車2両が、上陸した米軍M4戦車2両と交戦。 先制攻撃に成功した95式の砲弾が、M4のうち1両の砲塔基部を直撃して、射撃不能に追い込んだ ……までは良かったが、そのまま体当たり食らって、95式も砲身が破損。 結局、残りもう1両のM4の砲撃で、日本側は全滅してしまった。 最後はやられたとはいえ、あのハ号でよくここまで。
なんか、九五式軽がM4に体当たりすると、相手は無傷でこっちがバラバラになりそうだし、 体当たりされると、体当たりというより「踏みつぶされる」感じになる希ガス。
わが軍の94式軽装甲車が、米軍のM4を踏み潰している写真があったはずだが。
それおんぶされてるのでは?
軽自動車と中型トラックぐらいに差がありそうだなw
または小学一年生と相撲取りくらいに差がありそう
なんか、下から騎乗位で攻められてる感じ。ハァハァ
いや、これに萌えるやつは、かなり重症のロリだろ。 もはや、この体格差は痛々しくて起たん
>>118 あまりに下手くそな英語に萎えたわけだが?
正直、テケを撃てる奴の気が知れない。
サイパンの戦車戦が有名ですが、グアムの方も太平洋レベルでは激しい戦車戦になっています。 在グアム日本戦車部隊(中22、軽19)*総数39という資料も有。 ・戦車第9連隊第1中隊(軽戦車17)、第2中隊(中戦車12) ・第29師団戦車隊(中戦車10、軽戦車2) 1944年7月20日、米軍上陸。 7月22日夜、戦9連隊1中隊が歩38連隊の夜襲に参加するが、M4等との交戦で5両を失う。 昼にも、転進中に、M4から1800ヤード超の長距離射撃を受け1両喪失。 7月23日昼、機動防御を試みた日本戦車5両が、M4と交戦し全滅。このほか空襲で3両喪失。 7月25日昼、日本軍総攻撃。戦9連隊1中隊は、戦車等との交戦により7両を失う。 7月28日、持久戦移行命令。師団長戦死。 7月31日昼、軽戦車2両が反撃に出て、バズーカで破壊される。
8月2日、日本戦車1両が戦線を突破し、飛行場地区に突入。車長は拳銃まで使って戦闘。 スタックした車体を放棄して撤退。車体はM4により処分。 このほか、別地点で1両がM4と交戦し、破壊される。 8月6日、歩兵若干の支援を受けた97式中戦車2両が、二度にわたり海兵隊を夜襲。 1度目は午前2時ころ、随伴歩兵は弾幕で阻止されたものの、戦車は突入に成功。 敵陣内を蹂躙した後、M4と鉢合わせするが振り切り、ジープ1台を撃破しつつ脱出。 2度目は午前6時30分頃、戦車単独で斥候部隊を蹴散らし、M4部隊の追撃も振り切る。 ただ、この後、迫撃砲の弾幕射撃に制圧されて、2両とも放棄に追い込まれてしまう。 この戦闘での米軍の損害は、80人近く。 同じ6日には、1両の日本戦車が歩兵と共に小道を封鎖して、米軍の1個中隊をしばし阻止。 撃破されるまでにM4に3発の命中弾を与える。おそらくダッグインしていたか? 8月8日早朝、中戦車3両は、中隊規模の歩兵を随伴して、出撃。 しかし、いつもの如く随伴歩兵は粉砕され、小銃てき弾と重機で、2両喪失。 8月9日夜にも、中戦車3両以上が出撃し、随伴歩兵を失いつつも、米軍を後退させる。 雨天のためバズーカなどが使用不能だった。米軍は、対戦車戦用にM4の展開を急がせる。 8月10日朝、総攻撃を開始した米軍に対し、戦車隊は最後の反撃。 しかし米軍のM4戦車隊との交戦の末、最後の稼働戦力である中戦車2両が破壊される。 その後、7両以上の日本戦車が鹵獲され、戦車戦終了。 8月11日、第31軍司令官自決。グアム島での主要戦闘終結。
戦車第9連隊の第1中隊は、前進配備だったため、お決まりの水際反撃でほぼ全滅しています。 これに対し、残りの第2中隊及び師団戦車隊は、7月25日の総攻撃に参加するはずが、 道に迷って集合できず、結果として、持久戦の重要部分を担うことができます。 持久戦移行後は、北部の山岳地帯へ転進して、主に夜間行動をとることになります。 北部は道路が狭く、米軍の重火器が行動困難だったのに対し、 小型な日本戦車は、比較的行動が自由だったようです。 M4をうまく振り切ったりしているのは、そのおかげもあるでしょう。 日本戦車は、痕跡を残さぬよう配慮していたようで、米軍は神出鬼没ぶりに悩まされています。 なお、第29師団には、グアムの師団戦車隊のほかに、歩兵第18連隊戦車隊があります。 歩兵連隊の戦車隊というのは、非常に珍しい編成形式と思われます。 兵力は95式軽戦車9両で、連隊主力とは離れてテニアンに配属され、敢え無く全滅しています。
hujou
125 :
名無し三等兵 :2006/08/16(水) 18:12:45 ID:qhio24hM
>>123 まあ本来日本陸軍の正規編成の歩兵師団は、他国の歩兵師団と比べても
砲兵にしろ、そんなに引けを取らないからね。
問題は、弾がない。。急増師団の編成はしょぼい。。
そもそも現地へ送り込む輸送手段が駄目。。
1937年日中戦争勃発で急いで砲弾を大量生産したがその年に生産できたのは 砲1門あたり1400発に過ぎなかった。
小銃弾の年間生産数6億発ってホント?
>>125 >正規編成の歩兵師団
これって、時々聞く話なんだが、具体的にどの師団なの?
連隊レベルの代わりに、大隊レベルで砲兵中隊と速射砲中隊を持ってる編成とか聞くけれど。
知る限り優良編成の3単位師団で、
歩兵連隊(歩兵大隊*3、連隊砲中隊、速射砲中隊)*3
砲兵連隊(砲兵大隊(野砲中隊*2、重砲中隊*1)*3)
捜索連隊(装甲中隊*2、乗車中隊*2)
師団戦車隊(中隊規模)
75mm野砲*24、105mm榴弾砲*12、山砲・歩兵砲・大隊砲*30、速射砲*14
軽戦車*9〜15、軽装甲車*16
独1940年型歩兵師団(3単位)だと、 105mm野砲*36、150mm榴弾砲*12、歩兵砲・重迫撃砲*68、対戦車砲*75 軽装甲車*3 仏1940年型歩兵師団(3単位) 75mm野砲*36、155mm榴弾砲*24、重迫撃砲*47、対戦車砲*62 米1942年型歩兵師団(3単位) 105mm榴弾砲*36、155mm榴弾砲*12、重迫撃砲*117、対戦車砲*72 装甲車*16 伊1940年型本国歩兵師団(2単位) 75mm野砲・榴弾砲*24、105mm野砲*12、歩兵砲・重迫撃砲*38、対戦車砲*8 伊1940年型北アフリカ師団(自動車化・2単位) 75mm野砲*24、105mm野砲*12、歩兵砲・重迫撃砲*20、対戦車砲*8 装甲車*46 おおむね、イタリアの2単位師団に近いレベルでは? 上では省略しましたが、イタリア歩兵は、45mm迫撃砲を100門以上持ってますし。
>>127 嘘。東京造兵廠だけで約10億発/年だ。
>>128-129 重迫撃砲て81mmのことか?
米軍の作成したマニュアルベースの「日本陸軍便覧」によると
標準師団
野砲36門、連隊砲12門、大隊砲18門、速射砲22門、装甲車7台
強化師団
野砲12門、軽榴24門、15榴12門、連隊砲24門、大隊砲36門
速射砲40門、自動砲72門
軽戦車20両、中戦車48両、装甲車13両
強化(一部変更型)師団
野砲24門、軽榴12門、連隊砲12門、大隊砲36門、速射砲18門、自動砲78門
昭和14年の第一師団の例(3単位、恐らく日本で最高充実させた実例)
連隊砲24門、大隊砲36門、速射砲38門、自動砲74門
野砲12門、軽榴12門、15榴12門、軽装甲車12両(他予備3両)
他配属部隊
戦車連隊(中戦車70、軽戦車22)
独立山砲連隊(山砲36門)
独立野戦重砲大隊x2(15榴12、10加8)
高射砲大隊(野戦高射砲12)
迫撃大隊(軽迫36)
日本の3単位師団の別バージョン発見。 日1941年型歩兵師団(3単位) 75mm野砲*36、105mm榴弾砲*16、連隊砲など*30、速射砲*38 軽戦車*17、装甲車*16 日1941年型歩兵師団(4単位) 75mm野砲*48、105mm榴弾砲*16、連隊砲など*40、速射砲*54 装甲車*16 英1940年型歩兵師団(3単位) 18ポンド(84mm)野砲*48、4.5インチ(114mm)野砲*24、重迫撃砲*18、対戦車砲*75 豆戦車*28、ブレンキャリア等*105 ソ1941年型歩兵師団(3単位) 76mm野砲*16、122mm野砲*24、152mm野砲*16、歩兵砲類*84、対戦車砲・重高射砲*66 戦車*16、装甲車*13
>強化師団 > 野砲12門、軽榴24門、15榴12門、連隊砲24門、大隊砲36門 > 速射砲40門、自動砲72門 > 軽戦車20両、中戦車48両、装甲車13両 常時編制で連隊規模以上の戦車部隊を持つのは戦車師団だけのはず なんか妙だ
>>132 その標準師団どういう編成意識してるんだろう。
速射砲の数が不思議だ。連隊直属の4*3だと12門にしかならない。
装甲車の数からして、縮小編成の師団捜索隊だろうから、乗車中隊1として、それあての速射砲1門。
あとは歩兵大隊宛に1門ずつで9門か?それとも師団速射砲隊でもあるのか?
第一師団凄いね。その配属部隊、通常だったら軍レベルじゃないかと思える。
昭和14年と言うと、ノモンハンの年か。
>>134 フィリピンでの戦闘で、尖兵師団ごとに戦車連隊が配属されてますから、
それを誤解したんじゃないでしょうか。
あと、戦時の特殊な編成ですが、
上掲
>>123 の第29師団は、師団戦車隊+歩兵18連隊戦車隊を編成に含んでいます。
2個中隊規模ですから、最小の戦車連隊(戦車15連隊とか)と同等といえば同等ですね。
詳細は、資料によって多少差がありますけれど、中戦車10+軽戦車11という数字があります。
おそらく歩兵師団の編成内戦車としては最大級でしょう。
ニューギニアの第36師団も、2個中隊編成の師団戦車隊ですね。
ビアクとサルミに1個中隊ずつ展開しています。指揮官も少佐があてられています。
島嶼戦で、連隊中核の支隊編成をとらざるをえない場合に備えた編成でしょうか。
その通り 第36師団は戦時中島嶼防衛用の海洋編制師団に改編してる
ああ、あとは、戦車師団以外の戦車部隊といえば、海上機動旅団もありますね。 各大隊に戦車中隊をおさめた事例があったはず。 ただし、実際には分散配備されてるうえ、移動途中に海没するから、中隊以下でしょうけれど。
九七式軽装甲車の後継車体はどんなものになってたんだろう
妙な部隊と言うと、あとはサイパンの第52師団戦車隊残留部隊とか。 トラック島へ輸送する途中、サイパンに集積したきりになっていた機材があり、 サイパン戦のときに、第9連隊などの残存兵が、予備車両として使用したようです。 軽戦車10両程度。 第33師団捜索隊も、ビルマ侵攻作戦の際に、英軍戦車を鹵獲して使用しているようです。 イラワジ東岸の砂漠地帯で、非常に活躍したとか。 そのほか、ビルマでの戦闘例としては、1945年4月14日マンダレー南方というのがありました。 英軍のM3中戦車に、97式中戦車と94式軽装甲車各々1両が破壊されたといいます。 同方面唯一の戦車部隊である第14連隊は、すでに4月11日の戦闘で全滅していること、 及び、軽装甲車が混じっていることを考えると、どこかの師団捜索隊の所属と考えるのが素直でしょう。
>>140 一式37ミリ戦車砲搭載の豆戦車じゃね?
上記
>>141 の最後の事例では、英軍側は意図的に榴弾を使用したようです。
徹甲弾と違い、一撃で日本戦車を破壊できたとのことorz
軽装甲車はまだしもチハまでもかいorz
妙な戦車部隊といえば、海軍陸戦隊 第五航空艦隊付き戦車隊とか 詳細はしらね
ルフトヴァッフェの第1降下装甲師団<HG>や第2降下装甲擲弾兵師団<HG>よりマシ
海軍陸戦隊は持っててもおかしくないでしょう
航空艦隊戦車隊という名前が厨っぽくて変
149 :
名無し三等兵 :2006/08/17(木) 00:52:29 ID:A4vnbpys
日本陸軍の師団編成も奥が深いな。 日華事変あたりの常設師団は、同時期の列強と比較しても 決して劣っては無いと思うが。 そっから、一気に差をつけられたが。。
150 :
名無し三等兵 :2006/08/17(木) 01:01:58 ID:A4vnbpys
錨マークのチハ萌え。
>>131 これのことね。
>322 第一総軍 2001/08/18(土) 23:28
>簡単な日本軍師団編制その11 第二次兵備決戦師団
〜以下、若干省略・整理して引用〜
歩兵連隊*3
大隊(各4個中隊、機関銃中隊、迫撃砲中隊)*3、歩兵砲中隊、作業中隊、通信中隊、乗馬小隊
野砲兵連隊(10糎榴弾砲12門、75粍野砲24門) 又は山砲兵連隊(75粍山砲24門)
迫撃連隊(12糎迫撃砲36門)
師団速射砲隊(47粍速射砲12門)、師団機関砲隊(2連20粍対空機関砲9基)
師団工兵隊(3個中隊+対戦車中隊)、師団通信隊、師団輜重隊
〜引用ここまで〜
第201師団などの機動師団、すなわち本土決戦時の反撃用兵団です。
迫撃砲連隊を含めると、砲兵連隊が2個あり、速射砲が師団直轄に変わってますね。
ほかに、大隊砲が小隊から中隊に増強されたことと、高射部隊が加わった点でも異なります。
師団の機甲・捜索系部隊は消滅していますね。軽装甲車の実力を考えると適切な判断か。
ただ、対戦車火力は相変わらず貧弱なのが玉に瑕です。速射砲は増えていません。
工兵の対戦車中隊というのは、ようするに肉薄特攻部隊でしょう。
一応、同じ形でまとめてみると、 日1945年型歩兵師団B(3単位、打撃用・野砲型) 75mm野砲*24、100mm榴弾砲*12、山砲*12、重迫撃砲*84、速射砲*12 なお、野砲は38式改、榴弾砲は91式、「重」迫撃砲としたのは81mmの97式曲射砲。 おまけ。同じく第一総軍氏の情報による、第一次兵備沿岸師団(拘束用兵団)の編成。 日1945年型歩兵師団A(4単位、防御用・野砲型) 75mm野砲*8、100mm榴弾砲*4、山砲*8、歩兵砲・重迫撃砲*120、速射砲*24 4単位編成なのは、拘束連隊*3に反撃用連隊*1の編成ゆえ。ほかに砲兵隊か噴進砲隊*1 歩兵砲として数えたうち一部は57mm戦車砲、つまりチハたんの忘れ形見混じりです。 速射砲は、半数が37mmです。編成上は、もはや普通の歩兵砲扱いのようですが、一応速射砲に。 第三次兵備沿岸師団、ようは竹槍部隊か 日1945年型歩兵師団C(3単位、防御用) 200mmロケット*36、速射砲*27 上の定数を満たした部隊は、どれほどあったものか? 速射砲はすべて37mmです。 第三次兵備機動師団、同じく根こそぎ動員組。 日1945年型歩兵師団D(3単位、打撃用) 山砲*18、重迫撃砲・歩兵砲*54 山砲は全て連隊歩兵砲中隊の装備。師団砲兵は迫撃砲隊(120mm) まともな対戦車火力なし。山砲か、あとは連隊の作業中隊(工兵兼用の特攻班)によります。
あまりに珍しいので、中国軍の師団編成の一例。 中1937年型歩兵師団(4単位、野砲型) 75mm野砲*36、150mm榴弾砲*4、重迫撃砲・歩兵砲*50 ドイツ指導下での近代化バージョン。 1937年型というのは、たぶん正確ではないが、上海戦頃の精鋭部隊と言う意味で勝手に。 3個連(大隊)編成の団(連隊)*2からなる旅(旅団)*2中核。砲兵連隊、騎兵連隊など。 あまりに戦車と関係が無いのもなんなので、末期の日本戦車部隊など。 内地:戦車師団*2、戦車旅団*7、戦車連隊*7(うち1は占守) (師団は第1と第4、うち第1は2単位である。第4は3単位。上記、機動師団と呼応することを予定。) 満州:戦車旅団*2、戦車連隊*1(朝鮮) 支那:師団*1、連隊*2(うち1は台湾) その他:連隊*4(ラバウル、アンダマン、チモール、大鳥・南鳥) 壊滅状態:師団*1(フィリピン)、連隊*1(ビルマ) (以上合計で43個連隊、硫黄島の26連隊と沖縄の27連隊、サイパンの9連隊も入れると46個連隊) ただし、このほかの機甲系部隊として、第49独立戦車大隊(在マレー)、独立戦車中隊、 自走砲大隊(ホロ車部隊)、挺身戦車隊(空挺)、海軍陸戦隊の戦車隊。 それに南方各地の師団・旅団が持つ戦車隊ないし捜索連隊など存在。 (例:在インドシナ独混70旅団戦車隊、在ポナペ独混52旅団戦車隊(2個中隊)、在ビルマ捜索56連隊)
>>153 中国軍の武器は鹵獲品が日本で準制式になってるのがあるんだな。
切れちゃった。すまん。 7糎7野砲 放列砲車重量1,330kg 弾重7.67kg、初速510m/s 方向射界±3、仰角-6〜+44 射程9,200m 十四年式十糎榴弾砲()内は日本の10.5糎弾使う場合 放列砲車重量1,360kg 弾重13.54kg(15.76)、初速330m(320) 方向射界±3、仰角-8〜+44 射程7,500m(7,800) 77mmは三八野砲の元になった奴かな。 中国の15榴はクルップかランイメタルの新型だったと思う。
156 :
名無し三等兵 :2006/08/17(木) 22:07:35 ID:A4vnbpys
なんかいつの間にか、師団編成を語るスレになったな。 まあ最近、その種のスレがなくなっていたしな。
スレ違いはこれで仕舞いと
スレ違い失礼しました。 太平洋戦争期に、「戦車大隊」という編成単位が復活していたというのを知りませんでした。 どういった経緯で出てきたんでしょうか? 内容は、おそらく補助兵科を欠いた、純粋戦車部隊なのだと思うのですが。 この点、独立戦車連隊は、戦車の数量としては大差なくても、 歩兵や工兵、高射部隊(機関砲隊)、作業兵(歩兵兼用の戦闘工兵?)なんかを含む気がします。 末期には、戦車大隊は戦車連隊へと改編される途中だったようです。 例えば、上記の戦車49大隊は、一部資料では戦車49連隊と表記されてますし、 内地にあった戦車連隊のうち、少佐が連隊長をつとめるいくつかは、大隊からの改編部隊のようです。 内地にあっても、戦車大隊のまま終戦を迎えた部隊も、あるようですが。
アニメ「さよなら対馬丸」の日本軍戦車が、強そうだった。
>>159 でも所詮チハ改でしょ
アニメ効果でチニかチヌにした可能性もあるが
97式軽装甲車だってな、M5に勝ったことがあるんだぞ!
>>160 チニはチハより小さいぞ。3人乗りだ品。
95式ハ号の拡大版だから→チニ車
163 :
だつお :2006/08/18(金) 20:37:52 ID:PpfV9Yfm
それにしても皇軍ファンなら「大陸打通作戦」は外せないと思うわけだが、 なぜに取り上げている著作が少ない?
市場が小さいから。だつおくらいだろ?一号作戦に興味があるのなんて。
165 :
名無し三等兵 :2006/08/18(金) 23:07:43 ID:oDmjLXlQ
打通が無視されるのは、戦略的にまったく戦争に寄与してないから 結局、第2戦線でしかないし終戦時は中国軍の反撃にあって後退中 かえって戦局を悪化させた、やぶへびでしかなかった作戦ですよ
夏休みとはいえ最近のだつおの劣化っぷりはいかがなものか
>戦略的にまったく戦争に寄与してないから 空母3隻失って敵艦の1隻も沈められなかった、戦略的にまったく戦争 に寄与してないマリアナ海戦についてはどうでつか?
マリアナ:勝てば戦略的に意義があった戦い。本土防衛のためさけられない戦い。 打通:勝っても戦略的意義なし。やらなくていい戦い。 そんなに人外のごろつきを片付けたかったなら、戦力無駄遣いしないで毒ガスまけばよかったのに。 殺虫剤だと思って。 回答は、自分のスレで願う。去れ。 海軍といえば、レイテ増援におくられた特二式内火艇は、どういう状況だったんでしょうか? 元伊東陸戦隊の人の話としては、レイテへ向かう途中、ルソン沿岸で被爆、 一緒に積んだトラックが邪魔で、輸送艦からおろせずに全滅という話を見る一方、 レイテで撮影されたという特二式内火艇の写真もあったような。
>>168 ルソン北岸で米第38機動部隊機に撃破されたのは二等輸送艦135・136号に乗せた内火艇だと思います。
それを受けて再度特二式内火艇4輌を陸戦隊と共に二等輸送艦140・159号でレイテの南西オルモック港に
増援として輸送。しかし港が既に米第77師団に占領されていたため夜間敵前上陸となり、159号の2輌は
陸戦隊と共に上陸したものの140号の2輌は上陸できたか不明(海没とされてるがオルモック海岸で撃破されてる
写真はそれかも)。第26師団と連絡を取り2号ハイウェイまで進出しようとしたが阻まれ、さらにレンシア飛行場で
友軍と合流しようとしたが失敗。2週間後に西のパロンポンの街に追い詰められ1輌は泥濘地にはまり放棄、
もう1輌は交戦中に擱座。
余談ですが独立戦車第7中隊は呼応したのか内火艇の上陸2日後に最後の95式6輌をもって2号ハイウェイ で反撃に出ましたが全滅しました
171 :
だつお :2006/08/20(日) 01:36:05 ID:oMBTUVzG
>打通:勝っても戦略的意義なし。やらなくていい戦い。 中国人というチンピラゴロツキが増えすぎると地球環境が汚染されるから、 97式中国チンピラゴロツキ害虫駆除マシーンを発動させる必要があった。 それとも地球上がチンピラゴロツキだらけになってもいいのか?
あの装甲車なんだっけ? 陛下、儀仗隊?が使うレアなやつ
>>171 お前、本当に劣化したなw
前はもうちょっと皇軍の戦術とか語っていたじゃないか
174 :
名無し三等兵 :2006/08/20(日) 02:22:28 ID:E6C9RDAs
肛軍AFV(アナル ファック ビデオ)を語るスレ
>>168 でも昆明とか蘭州とかからB-29が来るし。
176 :
名無し三等兵 :2006/08/20(日) 20:29:53 ID:EXp8mETB
サイパンが陥落した時点て中国側からの爆撃は無意味になってしまった だいたい九州くらいしか爆撃できなかったし補給の面からもサイパンからの方がよかった
>>169 なるほど。2回あったんですね。以下「レイテ戦記」より。
2号ハイウェイ=2号国道(西岸オルモック〜東岸タクロバン)
12月11日、オルモック陥落。
12月12日未明、第9次「多号」B(駆逐艦「夕月」「桐」、輸送艦「159」「140」)、オルモック湾進入。
護衛艦は、オルモック南方を艦砲射撃。その後、同じく護送任務の米DD「コーラン」と軽戦。
輸送艦は、地上砲火を受ける。「159」揚陸完了。「140」は4割。但し、「159」の別働小発は、沈没。
帰路空襲により「夕月」「159」沈没。「桐」大破。ほかに「140」は地上砲火で小破。
揚陸陸戦隊:兵員300/400、戦車2以上/4、噴進砲若干/21
(以下、略)
>>171 だったら、毒ガス撒けよ。
貴重な戦車使うな。
AFVについてまともに語れないなら、去れよ。
貴重なスレ容量を使うな。
劣化だつおにからむ厨 ほんと日本戦車は地獄だぜウェーハッハッハッハ
179 :
名無し三等兵 :2006/08/20(日) 20:45:05 ID:EXp8mETB
日本の場合最後の五式戦車まで殆ど形が変わらないんだよなぁ まぁ完全新規設計できるような予算もなかっただろうけど 生産数も一車種最大3000両にも満たない… このあたりが国力の限界なんだよなぁ 我が軍にも戦車はある!という精神安定の役割しかないなぁ
180 :
だつお :2006/08/20(日) 21:15:32 ID:oMBTUVzG
>貴重な戦車使うな。 ならば中国のチンピラゴロツキ相手に大陸を打通すること以外に、 97式中戦車チハができる仕事ってあるのか? 97式中戦車チハは中国チンピラゴロツキ専門の殺戮マシーン だと思っていたのだが、他の用途もあったのか?
181 :
名無し三等兵 :2006/08/20(日) 21:27:52 ID:EXp8mETB
大戦中たった2両の95式軽戦車でオーストラリア軍を翻弄したことがある
その話kwsk
183 :
だつお :2006/08/20(日) 23:41:37 ID:oMBTUVzG
そもそも中国人は人でなしであって、同じ人間として見てはいけない。 それは皇軍に虐殺されるために湧いてきた、殺戮実験動物であったのだ。 97式中戦車チハの快進撃で虐殺されるなんて、人間と呼ぶに値しない。 そもそも97式中戦車チハは戦車ではなくて害虫駆除マシーンだった。 大陸打通作戦で南北縦貫3000キロを疾走して中国人という害虫を 駆除することを除けば、チハがどんな働きをしたと言えるのか。
おいおまえら 戦前の日本の工業力で、 生産性が高く、 メンテナンスが少なくて済んで、 しかもそれなりに敵戦車と戦えそうな戦車、 が活躍する火葬戦記というのを、 考えて、 暇な青春をつぶしてみないか?
英のバレンタイン歩兵戦車を 鹵獲してコピーするという案がすでに出ている
<レイテ戦末期の日本軍戦車>
12月11日(オルモック陥落。)
(方面軍が「決号」作戦を決定。在ルソン10Dの連隊戦闘団をカリガラ逆上陸させる作戦。
投入部隊には、戦車4両、自走砲2両が配属される予定だった。後、戦局悪化により中止。)
同日夜〜翌日未明、伊東陸戦隊の特二式内火艇が上陸。
>>169 、
>>177 12月13日、第35軍、オルモック奪回発令。軽戦車が1Dの野砲中隊(十榴×2)を牽引し、リモンより南下。
独立戦車7中隊残存が夜襲。
>>170 12月18日、2号国道を前進した米軍、旧軍司令部フアトンを占領。軽戦車3両、トラック14両を破壊。
12月19日、(迂回行動した米軍が、35軍司令部を撃破。軍司令官は、隷下兵団の自主後退容認。)
12月20日、1Dに、オルモック方面に派遣されていた軽戦車5両(戦6連1中隊:田中中尉)が帰還。
12月21日、1Dなど撤退開始。軽戦車2両(「安倍大尉」指揮)は、連絡任務を負うが、地雷で喪失。
12月22日、レイテ北部で、米軍戦車により95式軽戦車(所属不明)2両以上が撃破される。
12月24日、西岸パロンボンに米軍舟艇機動。守備の伊東陸戦隊250人などの「抵抗は皆無」
12月28日、(西岸サン・イシドロに米軍舟艇機動。最後の補給拠点消滅。)
1月初、1Dの装備に車載機銃4が含まれている。
1月上、戦車2D派遣部隊の残余、1Dと共にセブ転進命令。(「地号」作戦)
1月上、戦車10連隊1中隊(内田大尉)の残存17名、渡海を試みる。2月末、少尉指揮の7名ネグロス着。
(上記1Dと一緒の正規転進ではなく、独自行動と推測される。)
>>181 陸戦隊の話でしたっけ?
だとしたら、落ちが付いたような・・・
ドイツ駆逐戦車 ヘッツァー
>>184 3式砲戦車だろうな、やっぱ
あれならなんとかM4とやりあえるだろうし
後はちゃっちゃと1式中戦車を繰り上げて登場させれば太平洋戦線では十分かね
つーか制空権奪えば手持ちで問題なし
>>191 太平洋正面なら、その辺が妥当な線でしょうね。
ホル系の軽対戦車自走砲もあれば、地域によっては陣地転換が容易でありがたいけど。
問題は、陸軍の主敵、対ソ連戦で。
まともな地上攻撃機がないからやはり戦車はある程度強化しないな
まさかソニアで十分とでもいうつもりか 当の日本陸軍でも旧式認定してたあの
なんだただの無知かw
>>192 悪天候や戦線が混在した場合はどうすんの?
それに制空権なんてどちらか一方が握り続けるとは限らず、
入れ替わったり、どちらも制空権を確保できなかったりなんて
日常茶飯事ですが、そういう場合はどうするの?
>>197 わざわざ九八軽爆出してんだから釣りだろ
ほんとに知らないならただの馬鹿だが
>>198 不確定要素で勝てるなら、制空権なんて奪う意味はないな。
>>198 バルジの戦い。
>>201 "制空権を奪えば良い"、これ自体が不確定要素を含んでるんだがw
それに航空攻撃だけで地上軍を撃滅するのはよほどの戦力差と幸運がないと無理だしね。
In combat, one U.S. M4A3 medium tank was hit six times with armor-piercing, high-explosive rounds from this gun, at an angle of impact of approximately 30 degrees. Five complete penetrations and one partial penetration resulted. The range, according to members of the U.S. tank crew, was approximately 150 to 200 yards.
>>196 もともとソニアは九八式軽爆撃機に与えられた名前だよ。
てゆうか九九式襲撃機のつもりなら陸軍から旧式認定ってソースは?
大戦後期の話でもしてんのか?
>>203 お前の脳内では戦闘機だけで地上軍を追いかけて戦争してんのか?
>>206 そうじゃないから、敵兵力に対抗可能なAFVが必要なんじゃないのか?
>>295 太平洋戦争前から改良型や後継機の開発がスタートしてますが
両方ともこけたけど
>>208 後継機を開発してんのが旧式なら皆旧式だなw
>>207 例えばアメリカ軍は反撃に出た戦車を狩るのは航空機と砲兵、
それでも突破されたら駆逐戦車の仕事だが?
>>212 出来たときから戦車部隊は機動兵力として先鋒を務めるのが任務だよ。
アメリカですらM4装備部隊にアニマルシリーズを正面から撃破可能の
砲弾の生産が間に合わないから、駆逐戦車部隊にだけ優先してまわしてる。
そもそも日本に戦車は必要ない
>>213 が、実際のところM4も幾多の被害を出しながらアニマルシリーズと戦ったわけで、
駆逐戦車に任せる、というような都合の良い運用は机上の空論に過ぎないわけです。
それにその駆逐戦車は敵兵力に対抗可能なAFVに属するのではないでしょうか。
>>216 それでドイツは勝ったのか?
一部にそういう例があったら全部がそなのかよ。
一人で都合のいい妄想でもしてろ。
>>216 実際の戦況は無視か?
その任務に相当する日本の砲戦車無視か?
都合のいい妄想はどっちもかわらないな 日本がアメリカ相手に恒久的制空権得られる力なんて無いしw
http://www.michigan.gov/dmva/0,1607,7-126-2360_3003_3012-8023--,00.html によると、12月15日に、リモン峠主戦場後方のオルモックからの街道上で、
一人のアメリカ兵が、バズーカで、攻撃してきた日本の軽戦車5両を破壊したとある。
所属は第32師団126連隊とあり、これは11月末から街道の封鎖のため進出してきた部隊である。
おそらく、第一師団の補給物資を積んだ95式軽戦車で、
封鎖線を突破しての強行輸送を試みたのだと思われる。
2両目の戦車兵が、日の丸鉢巻をつけて抜刀して飛び出してきた等と言うあたり、
少々怪しいとも思えるが、残念ながら、その他の状況的にはありうるものだろう。
大岡「レイテ戦記」にも、同連隊の前に、同様の任務についていた第24師団の1個大隊が、
輸送任務中の95式軽戦車をバズーカ攻撃する描写が出てくる。
でも、1人で5台って嘘だろ。嘘だといってよ。
僕の妄想したものが沸いて出てくると思ってる阿呆に何言っても無駄無駄
ソ連の満州侵攻をなんとか食い止めることができる皇軍戦車希望 「虎頭要塞+日本軍AFVの活躍」みたいな火葬戦記…希望
ブッタ切りスマソ 中戦車と砲戦車の関係はドイツにおけるV号とW号短砲身型の関係と同じって本当?
>>223 九七式改/一式中戦車と二式砲戦車の組み合わせの時だけに言える話じゃないの
>>219 また話を変えて妄想勝利宣言かよ
ろくに戦車運用も知らないくせにどうしようもない屑だな
ぼくはなんでもしってる しらないのことはそんざいしない という阿呆に何言っても無駄
夏だな
何を今更
>>216 敵主力戦車より強い自主力戦車を、敵主力戦車より多数備えないと
「敵主力戦車に自主力戦車で対抗」という理屈は使えないのだ。
理由は単純で、敵主力戦車群が何処にどう集中されてくるか判らないから
何処に来られても対応できるようするには、敵より多数備えないといけない。
当然これは凄く難しいので、広い範囲に撃てる砲兵や航空機と
敵戦車出現に応じて急行できる高機動力の対戦車車両が対戦車戦の主体で
歩兵や戦車の武装は対戦車に関しては自衛用になるのさ。
もちろんこうした切り札が来る前にドイツ戦車は姿を隠してしまうけど
それはそれでドイツ戦車を「撃退」したことになるから問題じゃない。
では、その高機動力の対戦車車両の話をしよう。
>>220 米第32師団は1942年ニューギニアのブナの激闘で名をあげてるベテランだからありがちではある。
随伴歩兵はいなかったかもしくは撃ち倒されたか・・・
輸送任務なので、最初からいなかったのかも。 米軍も、道路封鎖といっても、路上にバリケードを組むわけではなく、 道路沿いの高地に展開して阻止射撃というパターンだったようですから、 戦車なら、適当に牽制射撃しつつ全速で突破という選択肢もありうるかと。
>>181 ラビ飛行場の戦いかな?海軍陸戦隊のエリート、特別陸戦隊の装備はいいよなー。戦車持ってるし
分隊長はベルグマン装備だし。あと工兵がいればぬかるみにはまった95式を助けられたかもしれん。
ヨーロッパ戦線では、一人でバズーカ撃ってタイガー戦車7台をやっつけたアメリカ兵がいるらしい。
>>203 それは欧州戦線だろ。
太平洋戦線の島嶼戦の場合、航空優勢を確保できれば海上優勢が確保できる。
海上優勢が取れれば、補給がなく孤立した一個一個の島の地上軍は、容易に包囲撃滅される。
238 :
名無し三等兵 :2006/08/21(月) 17:50:26 ID:RwId0Ct0
>>235 数少ない、日本側だけが戦車を持っていた例だよね。
オーストラリア陣地を蹂躙したらしいな。ざまミロだな!
戦車小隊が付属していたんだよね。
対米開戦後はさっさと戦車の量産止めて航空機につぎ込むべきだった?
何でそう極論に走るかね
戦車がなきゃ占守島はやられてたぞ。
また戦車11連隊か
243 :
名無し三等兵 :2006/08/21(月) 19:04:59 ID:piYc+7So
実際に日本は国力の大半を船舶と飛行機につぎ込んでいます 生産数と開発した種類だけでも戦車を凌駕しています 当時から分かっていた話です
>>237 じゃあ、陸軍は全面削減して、航空機だけにすればよかった。
で、対ソ戦は?
>>238 あえなくスタックして、全部鹵獲されたけどなorz
>>239 事実、そうしてる。
作戦第一段階後の重点方針に機甲の充実という項目が合ったが、
18年度の軍需動員計画で「航空整備を最優先とし、あわせて海運資材、
防空関係兵器資材の急速大量整備に努るものとし」と機甲の文字が姿を消し
17年度の軍備補充計画では年1550輌だったものが、18年度には730輌に縮小、
さらに軍需動員計画が18年夏に変更され、「航空兵器、海運資材は既定計画を
確保す・・・供給源は専ら地上兵器関係において負担するものとし、その整備
圧縮の順位は1戦車 2地上弾薬・・・装甲兵車、軽戦車、中戦車の整備は
極力抑制す」となり18年度の新規整備主要兵器としてあげられていた
実際の生産数は一式中戦車は15輌、一式砲戦車は0輌がという状態になり、
18年11月には第一機甲軍が解体され、19年度の軍需動員計画の予定になると
軽戦車0、中戦車0、水陸両用戦車0、砲戦車0、チト車5、チリ車5、ホリ車5、
装甲兵車400(18年度に生産中のものが19年度に完成するから19年に
0輌という意味じゃない)となり、実質的に18年度夏の段階で戦車生産は
航空機生産のために、打ち切られている。
>>220 きっと、ダイクンってファミリーネームだったとか、アルテイシアって妹がいる奴だったんだよ
>>244 対ソ戦での戦車部隊はといえば、かつては決戦機動兵団と謳われていたものの、
昭和19年の関東軍への大本営の通達で「やむ得なくなっても南満州・北朝鮮に
わたる山岳地帯を確保して自給す」とあり、国境撃滅も放棄された対ソ作戦方針になり
「連京(大連-新京)線、京図(新京-図們)線以南の要域を確保・・・
(敵主攻の西方方面に対しては)航空攻撃と遊撃戦でもって対処する」とある。
精鋭が引き抜かれていなくなったのは承知のとおりで、満州の対ソ戦の陣容は
戦車第二師団の残置者の臨編部隊を昇格させた独立戦車第一旅団、
四平戦車学校と独立戦車第一旅団からの転属者を基幹に
在満招集者で編成した独立戦車第九旅団のニ個旅団車両合計200輌。
直線距離で500kmにも及ぶ主攻方面になる西方草原地帯に対する防御には、
寄せ集めの戦車旅団で弱体化してるうえに配置されたのは独立戦車第一旅団のみ。
文言にも出ないし、主兵力には到底なりえない戦力なので期待もされていない
状態とみていいはず。東方方面に至っては山岳地帯ゆえに機甲戦自体が
もともと重要視されていない。一応は独立戦車第九旅団が配置されてる。
それで実際の日ソ戦の状況を見てみると、
西方方面に配置されたのは独立戦車第一旅団は公主嶺から新京へと
配置が変えられ外線から内線へと移されている状態。
比較的ソ連国境近くにあった勃利の独立戦車第九旅団は警戒待機のままで
東方方面にあった為か、戦える状態になかったのか戦闘準備の命令もなく停戦。
機甲兵力の主戦場である草原は第一機動旅団のようなゲリラ部隊が地上戦を担当。
そして作戦計画でやはり航空部隊が並んで攻撃の矛になっている。
防衛は機甲兵力を封殺できる山岳地形とそれに寄った陣地戦や歩兵運動戦。
対ソ戦が注力されていた時期ならともかく、対米英蘭戦による戦況の変化により、
すでに今次大戦での整備は諦められ、防衛主体に転換した対ソ戦での戦車は
作戦上必要性は極めて低い位置にあった戦力だし、実際にそうだった。
いや、だから、史実はそう。 戦車自体の生産打ち切りされた昭和19年の兵備を言われても・・・。 戦車部隊に限らず関東軍の兵力がごっそり引き出されてしまったあとですから。 では、もし対米戦なかりせばと言う話。 お詳しいようだから、ついでにうかがいたいのですが、 支那方面軍の戦車第3師団は、終戦時の任務としては、どういったものが考えられていたんでしょうか? 比較的北部の配備になっているので、上海あたりに米軍が上がってきたときの、反撃兵力?
>>248 自己レス
戦車3師団主力の所在は北京ですね。
一部が万里の長城沿いの張家口に配備。
結構内陸ですから、対ソ戦メインの配備と考えてよさそうです。
張家口の2個中隊は、対ソ開戦時に、殿軍として行動したようですが、
ソ蒙軍の中国方面への侵入はあまり無かったため、戦闘無し。
>>245 それは知ってる
俺が言いたいのは昭和16年、即ち開戦後すぐに打ち切りってことだ
>>250 意味ワカンネ
陸軍の計画知ってるというくせに機甲戦備を開戦時に捨てろ
なんて時期が全然あってねえじゃん
的はずれな妄想で恥をかき 誤魔化すために僕の考えた火葬戦記だから正しい と言い出して余計に恥の上塗り
旧軍のAPCって何両生産されたの?
256 :
名無し三等兵 :2006/08/23(水) 03:11:22 ID:hxz47tqW
257 :
名無し三等兵 :2006/08/23(水) 03:21:39 ID:hxz47tqW
軽駆逐戦車ヘッツァー 重量 15.75 t 装甲 前面最大60mm、側面20mm 主砲 7.5cm48口径戦車砲 PaK39 L/48 エンジン Maybach Hl 203 P 30 160 馬力 ------ 個々に攻撃支援するには向かない。 敵戦車を待ち伏せ小隊単位で互いの死角を補い合い、 単一の敵に集中砲火を浴びせ確実に仕留めていく「パックフロント」戦術 こそが正しい本車の戦法であり、機動防御に本領を発揮した。 ------- 日本軍の陣地と合わせて◎
258 :
名無し三等兵 :2006/08/23(水) 03:38:24 ID:b5+aGyNX
日本のチハタンもチヌタンも、軽駆逐せんしゃタン
それ機動防御じゃないじゃん
ヘッツァーは敷居が高いのでここはセモベンテでひとつ
>>261 ホロじゃダメなのか?
上の方でバレンタインの話があったが、
95式重戦車改というのはどうだろうか?
副砲外して、90式野砲を載せる。
技術的には開戦に間に合いそうなんだけど…
高額、鈍足、貧弱 間に合ったところで役にたたんだろう。あとクレーン
セモベンテ M40,M41,M42 75/18 重 量:14.4t 武 装:75mm 75/18戦車榴弾砲×1(44発)、ブレダ モデル30又は38 6.5mm機銃×1 装 甲:前面50mm、側面25mm、上面9mm 寸 法:全長4920mm×全幅2220mm×高さ1800mm 最低地上高410mm
266 :
名無し三等兵 :2006/08/23(水) 22:56:17 ID:YjYMO2xr
戦地まで分解して運んでクレーンで砲とうを載せる予定だった 因みに日本でも95式軽戦車の車体に45ミリ砲を載せた小型駆逐戦車を計画はしていた 砲戦車といい、ドイツの情報を参考にしていたことは間違いない 更にティーガーTまで輸入するつもりだったのだから驚く
輸入…また潜水艦で? (涙)
268 :
名無し三等兵 :2006/08/23(水) 23:14:07 ID:YjYMO2xr
既にドイツ側でティーガーTを1両用意してくれたものの… 輸送手段がなく断念した 隠れた秘話ですな、
太平洋戦域じゃあヘッツァー持ち込んでも速射砲より暴露面積が大きいだけで 使えそうなのってフィリピン防衛戦ぐらいだろ。 主戦場は島嶼のような地形傷害が多く、狭い戦域がほとんどなわけで。 駆逐戦車が牽引砲よりも優れる最大の利点が陣地転換の迅速さだけど ヨーロッパのような地形じゃないから、全然生かせないどころか速射砲に劣る。 島嶼に配備された日本戦車部隊は水際防御や反撃時の攻勢部隊なわけで 駆逐戦車じゃ話にならんし。
タイガーIの話って秘話だったのか…
>勢子 対ソ戦なら、かなり役に立つだろうけど、太平洋の小島じゃねえ。 対米戦がない状況なら、考慮の余地はあろうか。 日本戦車の問題点は、機動反撃時の対歩兵の打たれ弱さであろう。 対戦車火力の不足は、鬼の居ぬところを狙えばカバーできても、 歩兵の携行火力程度であっさりやられすぎる気がする。
>>270 モンゴルの日本兵がロシア兵になって捕虜からティーガー戦車兵になり、今カレーショップやってるのは秘話
大戦中、W号戦車が日本にあったって本当?
英国製のビッカースMk.IVでよければ、鹵獲されて、警備任務や傀儡軍への供与に使われていたはず。 たしか、チャンドラ・ボースの自由インド軍向けに供与されたのがあった。 内地にも戦利品として送られて、「IV号戦車」として一般公開された。 日本軍の軽装甲車に相当する、砲塔つき2人豆戦車ね。 ビルマの第7近衛騎兵連隊なんかが持っていたのが、鹵獲されてる。
>>266 砲戦車も自走対戦車砲も日本が独自に発展させてるよ。
砲戦車に該当する車輌はドイツになかったし、自走対戦車砲も
日本はドイツが計画に着手した頃にすでに生産を行っている。
砲戦車にあたるのって、IV号戦車とは違うの?
自走対戦車砲って、どれ?
ちなみにドイツは1941年に戦車改造の対戦車自走砲を投入しているが。
>>277 原乙未生中将が戦後の著書でそうはいってるけど、III号戦車に随伴して
火力支援をする点で日本風に呼ぶと砲戦車と述べたにすぎない。
IV号戦車を範にしたとか、IV号戦車の影響を受けたなど一言も言っていない。
西方電撃戦以来、ドイツの戦車開発行政や運用に大きな影響を受けるまで
各国の状況を参考にしつつも独自に試行錯誤を続けている。
初期のIV号戦車のような単なる戦車随伴型の非装甲目標や掩蓋壕に対する
火力を提供する車輌ではなく、砲戦車は研究開発時期の昭和12年から
対戦車戦闘も合わせて行うことを前提にしていた。
諸元を設定するにあたり戦車学校側から明確に山砲は適さない、
初速に優れた貫徹力があり、動体目標への命中精度の高い
75ミリ級の野砲を搭載するようにと提出されており、同じ75ミリ砲を積み、
同じ戦車随伴火力支援車輌であっても、その研究開発時期にあった
初期のIV号戦車とではコンセプトが違う。
戦鳥のBUN氏が四号戦車をモデルにしてると言ってる。
>>278 45ミリ砲を載せた小型駆逐戦車はヘッツァーのぱくりだし試作だけ
生産なんかしてないよ
>>280 だから四号戦車を真似て作って対戦車能力もつけただけだろ。
形が似てないから違うなんて馬鹿じゃねーの。
「砲戦車」でくくらず何式が対象なのか書いてないからもめる。
>>278 速射砲搭載軽装甲車ソト
全装軌式で車輌自体の固定装備は重機のみ。
固有の砲は搭載しないが、速射砲を車体上面に固定する。
昭和13年に試作車輌完成、昭和14年に生産。
デルタの本だと結局量産はされなかったようだ、と書いてある>ソト
>>285 戦鳥で論破された厨房が脳内妄想をまきちらしてるだけw
>>287 日本の戦車に日立製作所亀有工場で昭和14年4月に1輌、5月2輌、6月に1輌を生産し
陸軍に納入とある。
>>286 ハァ?それのどこが駆逐戦車なんだよwwww
装甲車とてめーでいってるじゃねえかカス!
ただの輸送車じゃねえか
脳内妄想はいいからさっさと消えろよ
>>289 どうせくだらない戦記ものとかろくに資料もない頃にかかれた
一次資料も見ないで適当に書いた俗説だろ。
最新の研究ぐらい嫁よ池沼。
4両って試作車にとどまってるじゃないか。 そんなんだったら34年ごろ、再軍備の準備でハーフトラックで 37mmとか75mm装備の対戦車自走砲作ってるぞ。
>>292 試作車輌は昭和13年8月に2輌を軍に引き渡して試験を受けている。
4両が6両に増えたところで調達を中止してるのは明白、要するに実験どまりか失敗作だ。
>>293 もう論破されてんだからさっさと消えろよカス
戦鳥を追い出されたからって2ちゃんにくるなよ
>>294 ソト車の生産がすぐに終わったのは丁度日本陸軍が威力不足と判定した
37ミリクラスの速射砲しか搭載できないから。
その後昭和15年に後の二式砲戦車の原計画の一つになる
長砲身57ミリ砲搭載の駆逐戦車の研究開発が開始されている。
要するに失敗作だろ、威力が不足して戦力にならなかったんだから。 既に実験作を作っていたドイツより早いとは言えんよ。
実験作のドイツも大差ないだろ? 日本がドイツに先んじていたのがそんなに妬ましいか。
いや、大差無いと言うなら時期が早かったのはドイツですよ?大丈夫?
で、実用品ができたのは、それぞれ何時なの? ソ連やイギリス、フランスなんかはどうなの?
だから同じ装甲車に乗せているんだからドイツが世界初の自走対戦車砲を作ってんだよ 三流後進国のゴミカスのような試作以下で自慢すんな
>>292 34年ごろにあったドイツの75mm対戦車砲ってどういうの?
詳細はシラネ。一品物かもね。
>>303 ちょっと珍しいから資料なんで読んでみたいから
どれを読めばいいか教えて。
ENCYCLOPEDIA OF GERMAN TANKS OF WORLD WAR TWO 大日本絵画の日本語版とか。
>>305 大日本絵画のジャーマンタンクスか。
面倒じゃなかったらページ数教えてもらえると有難いんだけど。
両大杉w
>>306 書き込んでる間に資料提供ありがと。
Sd.Kfz.251で作った試作品もこんな無茶なのだったなw
そんくらい調べろよぅw P187
皇軍が鹵獲したソ連戦車って何がありますか?
>>311 陸軍三等国はソ連が侵攻して民間人を見捨てて逃げたようなヘタレだし
ノモンハンで文字通り全滅のボロ負けしてんだから鹵獲なんて無理だろ
BT-5/7/7Mの快速戦車シリーズは、ノモンハンあたりで多少鹵獲しているでしょう。 ほかに、水陸両用戦車や装輪装甲車もあわせて20両程度はあるはず。 それと、支那戦線で、中国軍から鹵獲したものもありそうです。
中国建国の立役者英国製6t戦車をお忘れなく。
もう「皇軍戦車」はいいや。 15t以下の戦車なんかいらねえw 帝国陸軍は パンツアーファーストと バズーカの大量生産で是非頑張ってもらいたい!!! (それも無理?) (…結局、「竹槍+爆雷&自爆」?)
歩兵携帯対戦車兵器があればなんつっても陸軍が大いに期待したタテ器が 被害が多すぎて使い物にならないと陸軍が実質的に諦めているわけで。 戦車がなくなったら、対戦車戦闘に必要な機材を持ち込む必要が無くなり 余計に米軍は強化されるだけ。
タテ器は、当たっても効果が無かったから、やめたんじゃないの?
>>319 戦訓報告に効果云々以前に、発射のために大きく身を出すんで、戦車の機銃や
随伴歩兵の攻撃を受けて、被害が続出して使用するには難があると
何度も報告があがってきて、やがて運用そのものを諦めている。
某雑誌にT-26をT-34としてるのがあってひっくり返りそうになった。
>>306 一発撃っただけでひっくり返りそう。
海軍の12cmを載せたチハみたい.
323 :
コンパクトすぎ :2006/08/30(水) 06:24:50 ID:M6aEHJ4L
60式自走無反動砲 昭和35年(1960年)に国産初の装軌式装甲戦闘車輛として制式化された。 全長 4.3m 全幅 2.23m 全高 1.38m…◎ 重量 8t…◎ 乗員数 3名 装甲・武装 装甲 主武装 60式26口径106mm無反動砲×2 副武装 60式12.7mmスポッティング・ライフル 機動力 速度 55km/h エンジン SA4D105 4サイクル水冷ターボチャージド・ディーゼル 150ps / 2800rpm 懸架・駆動 行動距離 140km
60式自走無反動砲 装甲:6〜14mm 死
>>324 正面は30mmあった筈だぞ。
つまりチハより厚い。
対物ライフルで抜ける点は変わらん
328 :
名無し三等兵 :2006/08/30(水) 23:51:11 ID:Hz4WJP8a
>>325 微妙な厚さだな。何に備えていたのだろうか?
ソ連の重機関銃
330 :
名無し三等兵 :2006/09/01(金) 07:32:42 ID:uX2u6kqG
待ち伏せ兵器だからな。
ウィキペディアの記述を見る限りだと 試製100d戦車は機械的に動く事は一応できてたみたいだな。 あまりに重過ぎて大抵の地面に嵌って沈み込む点がアレだっただけで
自重が重過ぎてサスペンションが自壊したそうな
どっちが正しいNO
>>328 事前制圧砲火の榴弾片
どうせ曳火射撃で即死だろうが
前面だけ厚いんだから、対MGが素直かも
<在ルソン島> 戦車第二師団(戦十一連隊、師団捜索隊欠) 海没:戦十連隊の2個中隊ほか 分派:戦六・十連隊の各1個中隊(レイテ:独立一・二中隊に改称?) 実数:戦車約150両、一式75mm自走砲4門、装甲作業機10両強、装甲兵車・軽装甲車10両前後 独立戦車第八中隊(別名:岩下戦車隊) 実数:戦車8両以上 独立戦車第九中隊(中嶋戦車隊。戦車二師団から現地編成の津守戦車中隊の後身?) 実数:89式中戦車11両? 独立自走砲中隊 海没:1両 実数:4式自走砲2両 (独立自走砲大隊…海没全損により解体) 第103師団砲兵隊の臨時自走砲小隊 実数:M3/75mm自走砲1両(鹵獲品) 第十六・十九・二十三捜索連隊の装甲車中隊 実数:軽装甲車約30両(計4個中隊) ほか、独立混成旅団などで少数の軽装甲車を保有するもの有り?
<レイテ島> 戦車第二師団分遣隊(独立戦車第一・二中隊?) 実数:軽戦車20両 独立戦車第七中隊 実数:軽戦車11両 (戦車中隊?:海没。独立戦七中隊の第二挺団?) 捜索第一連隊の装甲車中隊 実数:94式軽装甲車8両? (第二十六師団捜索隊の装甲車中隊:海没) 海軍陸戦隊(伊東戦車隊) 海没:8〜10両? 実数:特2式内火艇4〜10両 <ミンダナオ島> 捜索第三十連隊の装甲車中隊 実数:軽装甲車16両? <合計> 在フィリピンAFV総数:290両前後? ただ、再生89式中戦車がどの程度いたのかとか、不明。300両ちょいまでは増えるか?
ルソン島の配備装甲兵車は一式装甲兵車だと思うけど、ひょっとしたら1式半装軌装甲兵車も配備されていたかもしれない。 証拠はまったく無くて、撃兵団にいた親戚からの伝聞だけど、戦中、一式装甲兵車を操縦していたが、部隊には1式半装軌装甲兵車も あって、操縦したことがあると聞いた。 正式な型式で答えたわけでなくて、写真集を見せたら、戦中に乗っていたのはこれと指差したのが両車だったから。 単に1式とは言っていた。 試しにひっかけで、独、米軍の写真も見せたが、こちらは違うと言っていた。 編成表には登場しない軽装甲車も相当数保有していたみたいで、戦車を亡くした戦車隊にとられたと言ってた。 これも単に97式と言っていた。
第103師団の砲兵隊が持っているM3自走砲は、山本七平氏の小隊にあったものです。
103師団は、現地警備の独立混成旅団を改編した、治安師団級の部隊ですが、
比島守備隊の中では古株のため、上物の鹵獲品を確保できたのかと思います。
>>338 大変興味深いお話をありがとうございます。
撃兵団なのに「戦車隊」という言い方をするということは、機動歩兵連隊の所属だった方でしょうか?
確か、機動歩兵二連隊の装備品には、軽装甲車が定数6両程度あったような気がします。
優良装備部隊ということを考えると、97式軽装甲車でしょう。
ハーフトラックの装甲兵車も十分考えられる話と思います。
本来の計画はともかく、APCは、少しでも余計に戦車部隊につけたいでしょうから、
ハーフトラック型も、手に入る限り持って来ていたかも。
工兵が装甲作業機を相当数持ち込んでいたり(最後には戦車より多かったとか)、
精一杯の装甲化がされてたようですから。
89式中戦車の使用状況は、さてどんなものだったか。 鉄の棺おけなのはたしかですが。 もともと戦車第七連隊の機材で、開戦時の同連隊は4個中隊編成。 おそらく3個中隊が89式甲(ガソリン)を装備していたと思います。 比島へ全部置いていったとすると、30両以上ですが、稼働状態にできたのは、どの程度か。 それから、燃料系が違うことの影響はあったのかも、少し気になります。 戦車第二師団の場合、ディーゼル油はそこそこあったが、一般ガソリンは不足気味だったとか。 装備部隊ですが、戦車第十連隊の第五中隊(砲戦車中隊)が、 海没後の再建時に、89式中戦車を一部装備していたのは、間違いないようです。 同中隊はバギオ地区に展開し、20年4月に対戦車特攻をかける部隊です。 ほかに、後半戦でバギオに後退した戦車第二師団の残存将兵が、 再生89式で1個中隊程度を再編した、という情報を見たことがあります。
また、独立戦車第九中隊の装備を、89式中戦車11両とするサイトがあります。 同部隊は、第103師団に配属されたという点、及び19年10月編成という点からすると、 戦車第二師団の各連隊から抽出して編成された、「津守戦車中隊」と同じ部隊と思われます。 ただ気になるのは、編成時の隊長は津守少佐(戦車第十連隊の指揮班将校のようです。)なのに、 実際のルソン戦の独立九中隊は、中嶋中尉という隊長になっている点が異なることです。 単に交代しただけと考えるのが素直でしょうけれど。 で、独立第九中隊編成時に戦車をどうしたかですが、 もうひとつの現地編成部隊である独立第八中隊が、97式/47mmを8両以上もらっていること、 第十連隊の実数(15両×3個中隊+指揮班・予備=50弱のはずが41両)などからすると、 89式以外の新型戦車も、多少は分けてもらえたのではないでしょうか。 もっとも、母体の撃兵団でも89式を使う状況なのを考えると…… なお、同部隊は、バギオ地区に展開していて、遅くまで生き延びたものの、 20年6月に、米軍戦車部隊と戦闘になり、全滅しています。
342 :
338 :2006/09/07(木) 18:20:35 ID:???
>339 戦車第二師団の師団輜重隊です。 自分は戦車模型世代なので、必死に聞いたけど、親戚は別に戦車マニアではなかったので 詳しいスペックとか型式はとんと覚えていないようで残念でした。 ただ、装軌型よりも半装軌型のほうが乗り心地は良かったとか、案外、小回りが利いたとかそんな程度。。 97式は愛着があったようで、M4よりも速度が早いから、中戦車や高射砲と組んで囮役になり、曲がり角等を 利用して待ち伏せたとか聞きました。 昔は結構、眉唾で聞いていたのですが、親戚が言っていた、高射砲は水平射撃をしたら壊れるとか、 刺突爆雷を持たされて肉迫攻撃したとかいう話が、長じて読んだ戦記や模型雑誌などで似たような記述があったので ああ、本当だったんだなと思いました。 ちなみに、撃には捕獲M4が最低1台あったそうです。 親戚を含めた20人くらいで肉迫攻撃して捕獲したのち、戦車兵が受領に来て乗っていったとのことなので。
輜重隊ということは、物資牽引用ですかね
比島はアメリカが残していった兵器工廠があったし、鹵獲兵器が持ち出せずに相当数あったから 現地で改修した怪しいものが多かったからなあ。
>>342 戦車第二師団の生き残りとは凄い。撃友会ももう生きてる人が少なくなってきたみたいだね。
会報とか読んでみたいなあ。
346 :
338 :2006/09/08(金) 17:22:06 ID:???
親戚ももう亡くなってしまったので、新たに話を聞くこともできないのですが、軽装甲車での米歩兵と戦闘や、 M4との戦車戦、サラクサク峠での戦闘、布団爆雷での対戦車戦の話、斬込隊(出撃前、初めて恩賜の 煙草を頂いた)としての出撃、白兵戦の話など、子供の頃は興奮して聞きました。 確か、装甲兵車は包囲された友軍に強行補給?で乗って行ったと聞いたように思う。 もっと聞いておけばよかったなと今でも思います。 よく練度について模型雑誌や軍事雑誌でも言われる日本戦車兵の標準が、他国の熟練レベルというのは 本当だったようで、こちらの射撃は文字通り百発百中だったけど、37ミリじゃ全然効かなかったということと、 米側の射撃は下手であんまりあたらないけど、当たったらオシマイということはよく話していましたね。
347 :
だつお :2006/09/08(金) 23:31:42 ID:IDk+bNKO
つか、皇軍の97式中戦車チハは中国のチンピラゴロツキ専門の 殺戮マシーンとして天命を受けたのであって、戦車戦用とはいえない。 中国のチンピラゴロツキ害虫を効率よく大量に殺戮するための機械を、 パンターやM4やT34と比較すること自体がまったくおかしい。 97式中戦車チハは、世界最優秀中国チンピラゴロツキ害虫駆除機だった。 そうだろう、なあ、そうだろう、なあ。
単にそれしかなかっただけ。
VXガスみたいなのがあればね…。中和剤もあるし。
>>336 捜索第十連隊の装甲車中隊もルソンに入っているようです。
おそらく1個中隊のみ。
別スレで、装甲車は持っていないという指摘を受けていましたが、
山本七平氏の著書に、偵察用軽量戦車(注:おそらく軽装甲車)を持っていたという話が出ていました。
上陸後の移動途中で、対戦車壕に落ち込んで、1両を失ったというエピソードが。
ハードの話ばっかりだけどさ、人間とかソフトのほうはどうだったの? 戦車戦理論とか有名人物とか。
戦前の日本戦車界の有名人といえば原乙未生氏くらいだけど、この人はハード の設計携わった人だからなぁ。 ソフトの方はというと・・・戦前の日本戦車理論の程度を示す話がある。 皇族軍人の閑院宮春仁氏が1936年、陸軍大学校研究部員に転出した際、「機動 兵団の運用」という研究課題を与えられた。 氏はこの課題に取り組むため、参謀本部主務者や石原莞爾大佐にも聞いてみた が、誰も機甲問題に熱意も案も無く途方に暮れたという。 その閑院宮春仁氏も「北支方面軍に転出したお陰でやっかいな問題をまとめず にすんでホッとした」と思ったそうな。
世界的に見ると、戦前から戦車を含む諸兵連合兵団を作る傾向があったけど、 日本の場合、ノモンハン事変の少し前くらいに、1個旅団くらいつくったきりだよね? あとは、大戦後半になって戦車師団を3個作った(第四師団は歩砲兵が無い)くらいで、 建制のものが少ない。 臨時に支隊編成をとる前提なんだろうけれど、 普段から一緒でなかったというのは、歩戦協同が苦手だった一因ではあると思う。 さすがに最末期になると、連隊規模でも工兵兼用の作業中隊を持った部隊が多くなる。
それ以外のAFVを含む混成部隊というと、 歩兵師団の捜索連隊(大きいもので、装甲車2個中隊、自動車化歩兵2個中隊)のみに近い。 師団戦車隊を持ってるのはあっても、極少数だし、実質は配属部隊。 あとは海上機動旅団くらいか。 戦車の有名人と言うと、 敵前で下車して戦死した西住戦車長とか、硫黄島のバロン西26連隊長、 撃兵団で指揮官先頭やった重見旅団長、占守島の池田11連隊長、 南方侵攻で活躍した人ならスリム夜襲の島田少佐とか、ジットラ突破佐伯捜索5連隊長、 物書きならノモンハンで手記を残してる玉田4連隊長、あとは作家の福田先生くらいかなあw このうち、重見旅団長は、日中戦争中から時々名前が出てくる。
占守島攻防戦の本を読んでたら、かの戦車第十一連隊の池田大佐は、 日本陸軍戦車部隊の草分けともいえる存在で、日本における戦車戦の理論を構築した人物だと書かれてた。 具体的な内容は書いてなかったが。
池田大佐は、昭和の陸軍人を罵りまくった司馬でさえ認める名指揮官。
やや地味なところだけど、戦車14連隊長の上田信夫中佐。 南方作戦当時から連隊長で、マレー方面で近衛師団に配属。 ビルマ方面に送られて、インパール作戦中に交代。 (高木「全滅」に拠れば、ムチャな軍命令による心的重圧から精神錯乱を起こしたとか。) で、この人の偉いのは、規律をかいくぐって戦車の現地改良に取り組んだこと。 故障M3の装甲板を流用して、チハ改に増加装甲つけたり。 廃トラックを改造して物資輸送用の牽引トレーラーを作ったりもしてる。 増加装甲は、検閲の際に外せるようボルト止めにするという苦肉の策。
>>358 陛下から下賜された兵器を云々と言われるけどそうでもないよ。
現地鹵獲品は方面軍の預かりになるから、フィリピンなんかでは相当融通を利かせている。
M3砲戦車を非常に気に入った日本軍がこれを模して、M3ハーフトラックに野砲を搭載したり。
これは資材と工作機械が豊富にあったからで、条件が揃えば色々と現地改修が行われている。
国民党軍の豊富な車輌を手に入れやすかった支那派遣軍ではガントラックやガンボートが
多数活動していたし、戦車の改造例としては対戦車砲との戦闘がメインになった戦車部隊が
自動砲に換装したりしている。
>>360 M3とか押収兵器ばかりでしょう。
正規装備の改造例は、やはり少ないんですよ。
補給途絶した地域を除くと、末期以外ほとんど聞かないですね。
ただ一番下の自動砲の例は面白いですね。
支那事変中37mm狙撃砲に換装された89式中戦車の事例は知っていますが、
自動砲は始めて聞きました。
自動砲自体がそれほど多く出回った兵器ではないですし、
対戦車砲制圧ということを考えると、榴弾威力の大きい戦車砲の方が有利だと思うのですが。
>>361 戦車でも現地で工夫してやってるけど?
特に対米英戦が始まってから創意工夫を奨励していて、南方軍の部隊なんかが
無線のアースの改良なんかで表彰されたりしてるし。
単に日本軍車輌部隊が人気が無かったり記録が散逸して、あまり知られてないからでしょ。
鹵獲トラックを改造したのも、日本製トラックだとサスがへたって使い物にならないからしなw
>>362 不思議と、電子機器も改造が許される傾向が強いんですよ。
専門技術のためうるさい方々には理解しがたく、見た目にも目立たないので許されたのでしょうか。
でも一番欲しかったであろう増加装甲については、戦車14連隊のケースと、
末期になって、仏印方面の部隊で実施されているくらいしか、確認されていません。
チハの中に、一部砲塔装甲が厚いものが見られますが、
これは、チヘの砲塔を流用して生産されたもので、現地改造ではありません。
その他、車体自体を改造した事例があれば、知りたいのですが。
ロープを張ってタンクデサントとか、竹ざおをさして旗を立てるなんてレベルではなくてです。
>>360 >M3砲戦車を非常に気に入った日本軍がこれを模して、M3ハーフトラックに野砲を搭載したり。
フィリピンでの捕獲M3ハーフトラックベースの自走砲って正規装備の
75ミリ野砲搭載の駆逐戦車型だけかと思ってたんだが、日本軍で
通常の兵員輸送車型に砲を搭載したのもあったってことですか?
ウホッ知らなかった、その手のでっち上げ兵器好きなんで
写真が載ってる本とか、せめてどんな砲を載っけて何両くらい
作られたか教えていただけませんでしょうか?わくわく
自動砲の事例って、どの資料で見られるんでしょうか?
トラックに山砲搭載用のキットを付けた自走砲なら、フィリピン方面で使ったみたいですけど。 一式装甲兵車に47mm積んだのって、どこで作ったんでしょうか。
>>367 日本語読めないのがしつこいな
頭大丈夫か?
どうやら脳内ソースらしい
グデーリアンの著作やドイツ電撃戦はよく知られてて、研究も熱心だったらしい。
>>353 >戦前の日本戦車理論の程度を示す話がある。
ホントかよ? >370と矛盾してるぞ ソースを示せ(脳内以外で)
>>365 M3砲車を模して自作している話ならルソン戦記に出てくるエピソードじゃね
>>371 >>370 の話のほうが、ディテールがはっきりしない分、普通は怪しいと感じそうなものだが。
まあ、ドイツ好きの陸軍のことですから、読んでいた人がいても不思議ではないけど。
ってことで
>>370 よ、ソース示せ。
>>372 ルソン戦記って誰のでしょう?
河合武郎「若き野戦重砲指揮官〜」というのでしょうか。
戦前の戦車先進国のイギリスの戦車操典の翻訳ぐらいやってるしなー アホかこいつ
参謀本部は歩兵支援火力や前線突破火力としての戦車運用を 望んでいたわけで、戦車の運用を知らないんじゃなくて、 機動兵団の運用方針に否定的だったというだけのことでしょ。 歩兵支援火力としての運用という概念が東方電撃戦以前は誰も 否定できる要因が無いから、どこの国でも起きていた対立なわけで。 それにトラックよりも遅い八九式で機動兵団の作戦をたてろなんて 参謀本部が無茶言うなよと返答するのは当然だしで。 当時の陸軍もそれが問題なのを理解していたけど、1935年当時は ソ連やフランスの影響を受けた機動戦車を開発中だし。 1934年に独混第1旅団を編成して実地研究を行うなど、 軍の機械化自体にはむしろ旺盛だったと評されるぐらいで。 どっちにしろ北満での作戦には機械化の推進は必須という点で 誰も否定はしていないし。 閑院宮は自慢をしないだけで、その後フランスに留学するなどして 当時の欧州情勢に対して研究をおろそかにしていないから。 まあ機械化兵団のフランス兵学派の首魁酒井中将が事実上更迭され、 運用構想が潰され、あげくに東方電撃戦でフランスが大敗北したのには 困惑しまくっただろうけど。
>>373 陸軍はドイツやイギリスの研究をしていなかったというソースは何?
まさかソースは司馬遼太郎w
はて。戦前の日本はむしろ戦車大国の一角だったような。 開戦後のドイツとかソビエトの進化が異常過ぎるだけで。 とりあえず、そんなサイトを引き合いに出されてもなぁ……他のスレでもその恣意的な内容で散々に 叩かれてなかったか?
日本の戦車は戦術から何から駄目だっていう評判ばかり聞くんで、 調べだしたらむしろ貧弱な機材で戦果をあげている事例がボロボロ出てきたりしてワケが分からん。
381 :
373 :2006/09/17(日) 17:40:44 ID:???
機材も戦術もいまいちだが、技量と士気だけはぴかいちってことでしょう。
戦術面に関して聞いたことがあるのは、
佐伯捜索5連隊長が、開戦前の研究段階から、
街道周辺の防衛線に対し、装甲車両を前衛にした尖貫攻撃を主張していた、という話がありますけど。
浸透戦術の機械化バージョンなのか、電撃的な交通網確保なのか?
ところで、戦車に自動砲を積んだ話の出所が知りたいのですが。
興味深いと思うのです。狙撃砲ならよく聞く話ですが。
>>377 知らん。わしゃ、初めからそんなことはいうとらんからな。
ただ、一方の一行書き込みはソース無しに信頼して、
もう一方の具体的な話はソースを求める姿勢に、疑問を感じただけだすよ。
>>379 面白いデータもあるところですけど、精査が必要なサイトですね。そこは。
でも、戦車大国というのは、言い過ぎのような気がしますよ。まあ、列強並みのレベルでは?
米伊よりは上だけど、ソ連は言うまでもなく英仏にも劣り、独チェコあたりにも下手すれば。
夜郎自大
結局の所、まともな海軍を必要としなかったからこそ独ソも好き放題戦車を開発できたワケで。 英国にしても独逸海軍があの体たらくだからこそだし。 それに比べてどうしてもカネの掛かる海軍が必要だった日本が、戦車ショボスって責められるのは 酷な面もある罠。 戦車なくてもなんとかなるけど、船と飛行機は無ければなんともならん。 日本陸軍も、限られた予算と条件の中で可能な限り善処してると思うがねぇ。
<日本> 1934年、独混1旅団(歩兵大隊2、戦車中隊5、野砲大隊1、工兵中隊1) 1937年、熱河作戦用に改編し、戦車中隊が4個(中1、軽1、装甲2)となり、通信隊など付属。 1938年、旅団解隊。機械化部隊不要との感情論による? 代わって第1戦車団(戦車中隊11)編成。純粋な戦車部隊。 このほか支那戦線では、戦車大隊基幹の支隊編成の事例あり。例:岩仲戦車隊 支那戦線での最大規模は、1939年南昌での石井集団(戦車中隊6、装甲中隊1、歩兵大隊1)か。 3単位師団に捜索隊(装甲中隊1、騎兵中隊1)編成。 1939年、ノモンハン事変。第1戦車団基幹の安岡支隊(戦車中隊6、歩兵大隊3、野砲大隊1ほか) 第23師団再建時に、捜索隊は捜索連隊(装甲中隊2、機動中隊2)に拡大。師団戦車隊編成。 <ドイツ> 1935年、3個戦車師団を創設。(戦車中隊16、歩兵大隊3、砲兵大隊2、偵察大隊、対戦車大隊ほか) 1938年、戦車師団を2個増設。軽師団(戦車中隊4、歩兵大隊4、砲兵大隊2、偵察大隊ほか)を4個創設。 <イギリス> 1939年、3個戦車師団を創設。(戦車中隊20前後、歩兵大隊2、砲兵大隊2ほか) <ソ連> 1930年、機械化旅団創設。ただし、大粛清により、トハチェフスキー死す。 <スペイン> 1920年代に、モロッコでの経験から装甲軍団を編成。戦車中心の混成部隊で、世界最先端。
>>383 英海軍は、なんだかんだ言って大きいぞ。
ドイツ海軍ばかりが相手でなし。世界中の植民地を守る必要がある。
どうみても海軍国だ。
その中で、ソ連に次いで機械化された陸軍を開戦時から持っていたのは、たいしたものだと思う。
落ち目とはいえ日の沈まない国・世界に冠たる大英帝国やね
タイクーデターは95式も走らせて欲しかった
>>387 幾らなんでも無理だろw
反乱軍組し易しとかいってタクシン派が無駄に抵抗しかねない
まあ、あのクーデターは儀式だからな。
390 :
名無し三等兵 :2006/09/24(日) 11:20:07 ID:3xP0w2EF
391 :
だつお :2006/09/24(日) 13:09:01 ID:WYJRVg+B
>戦車ショボスって責められるのは 97式中国チンピラゴロツキ害虫3500万アウシュビッツ デストロイヤー大量殺戮地獄大車輪チハでは不満か? 97式中国チンピラゴロツキ害虫駆除マシーン 97式中国チンピラゴロツキ大量殺戮機動走行マシーン 走るアウシュヴィッツ 地獄の大車輪チハ 阿鼻叫喚の地獄車 チンピラゴロツキ駆逐専門車チハ 大地を駆ける3000キロの雄叫び 死神の台車チハ 中国チンピラゴロツキ専用肉轢機チハ どれが一番ふさわしい?
英軍は知れば知るほど偉大なのがわかる。
日本の機械化部隊だと、教導戦車旅団がありますね。 昭和17年頃編成で、2個戦車連隊基幹。 後に戦車第8旅団として、実戦部隊になります。 南方に派遣された師団戦車隊は8個、各種旅団級部隊の戦車隊が7個、独立中隊が10個 少なくともこれだけはあったようです。詳細不明で、他の地域も入れると50を越えるとも言います。 日本軍は歩兵師団に戦車を持たないと批判されますが、中身はともかく存在したんですよ。
言ってて空しくならないか
悲しくはなりますね。
馬鹿でも知ってることを長々と自慢げに書くアホのオツムのほうが悲しい
>>396 独立戦車中隊って、どこにいたんだか教えてください。
ガダルカナルに1個、マリアナに1個、フィリピンに3個で、南方にあと5個
内地だと占守に1個、九州に1個は知ってる。
あと、ついでだから、大戦中に戦車大隊が復活した事情も。
>>398 加藤川元中佐によると独立戦車中隊は8個しか編成されてないはずだけどな。
加藤川じゃなえか加登川だな。
>>399 あの方の資料は、よくまとまっていますよね。
さて、知る限り少なくとも10個中隊はあります。
第1中隊(ガダルカナル)、第2中隊(占守)、第3、4中隊(マリアナ)、第5、6中隊(北海道)
第7中隊(レイテ)、第8、9中隊(ルソン)、第13中隊(九州)
10〜12は欠番なのか、再編消滅なのか?
資料によっては、戦車第2師団からレイテに派遣された2個中隊を、
それぞれ独立戦車第1、2中隊と表記していますが、これはただの誤りでしょうか。
>>398 中隊の要員、機材で代替するには連隊組織を構成するには限界があり、
戦闘序列の関係から中隊では配備できない要員・機材を手配するために、
新編戦車連隊の一部は過渡的な措置として独立戦車大隊を編成し都合をつけた、
という一般的な解説を否定できる材料でもでてきたんか?
403 :
396 :2006/09/26(火) 01:11:31 ID:???
>>402 いや、単純に、漏れが無知なだけ。
ありがと。どの辺の資料に載ってるの?
その辺の市販本だと、独立戦車大隊の存在自体が無視されてる気がするから。
>>403 自分は396じゃなくて、398の間違い。失礼。
>>123 歩兵連隊の戦車隊は、それほど珍しくない
海洋師団編成になった兵団では、逆上陸用の連隊に配備されてる
ついでに、スキ車だっけ?水陸両用車を含む舟艇部隊も配備
>>401 独立戦車第五、第六中隊は独立戦車第二中隊の中隊指揮本部要員の一部を転用
したものの、旧第二師団が駐屯していた勃利から手配する予定だった車輌および
補充人員の配属が困難になり編成未決。
このあたりは未編成としてカウントされていないんだと思う。
あと独立戦車第七中隊はビサヤ諸島の第百二師団の所属だけど、時期的に
ビサヤ諸島への配備は無理だろうし、行動が不明瞭なもののルソン島防衛に
投入されたと考えられている。
>>406 大岡「レイテ戦記」には、独立戦車第七中隊の戦闘行動が出てきますね。
威17658:河野勲大尉となってます。実数は軽戦車11両とされてます。
米軍側に捕虜となった整備兵の証言が元のようです。
『七月中旬ルソン島に進出した混成戦車部隊から派遣された軽戦車』
10月20日夜、ドラグ飛行場周辺で、米歩兵184連隊が交戦していると。
ここで母体とされてる「混成戦車部隊」とは、なんのことでしょうか?
あと、少々信頼性は低い資料かと思いますが、木俣「戦車戦入門」には、
レイテ向けの戦車部隊がもうひとつ後続であったものの、これは海没したような記述があります。
>>407 10月20日の戦闘というのが謎で、直轄の第百二師団でレイテに展開できたのは
輸送手段が少なく師団本部を含むセブ島からの第四十一連隊の3個歩兵大隊
レイテ揚陸が行われたのは10月26日からで、ピナ山に集結しておりドラグ地区に
いる形跡がなく、新規編成の師団司令部直轄部隊が輸送手段が無くマニラに
残留しているので、記録が残っていないものの、10月23日に序列に加わった
独立戦車第七中隊は第百二師団直轄部隊と共に待機という推測が妥当だと思うよ。
ペーパープランの部隊というのならともかく、いくら何でも戦闘を行っている
ドラグ地区の部隊をいもしない師団に編入するというのはおかしいし。
なるほど。
「レイテ戦記」の直接のソースは、「戦史叢書」のようです。
文庫版だと下巻の最後についてる、補遺の「挿図I」に独立戦車第七中隊が出てきます。
で、この挿図の出所が、戦史叢書の1944年10月8日の16師団配置図とされてます。
102師団配属というのは、確かなのでしょうか?
戦車7中隊は16師団配属で、102師団は師団戦車隊を持ってるとかいうことは?
あと、米側の記録らしいもの拾ったのでご存知かもしれませんが、貼っておきますね。
バズーカ怖えです。
>Unit: Company I, 184th Infantry
>Arrived on Leyte Island in the Philippines Oct 20, 1944.
>We killed 20 Japs as we came onto the Island.
>That night five tanks attacked. Me and Johnny Johnson were a bazooka team.
>We hit two of the tanks. They just kept going.
>At 3:00 that morning one was coming back and we knocked it out.
>The tanks had killed 5 men from our company.
>One of our men accidentally shot and killed one of our own men during the battle.
>I witnessed the whole incident.
(
ttp://carol_fus.tripod.com/army_hero_orey_l_caldwel.html )
皇軍戦車にバズーカはオーバーキルだよな。M2連射程度で許して欲しい。
>>409 独立戦車第7中隊は捷号作戦で報告に出された第14方面軍の戦闘序列に
第102師団の所属と記録されているから確実でしょ。
102師団配属が10月23日なんですよね。 レイテ増援にあたって、すでに現地展開の戦車7中隊を指揮下に入れたのではないでしょうか? 木俣「戦車戦入門」では、8月15日に河野中隊長が16師団に出頭とあります。 やや胡散臭いですが、牧野16師団長とのやり取りまであります。 同時期の牧野師団長の私物日誌が残っているようですから、それに記述があるのか、創作か。 加登川中佐も現地にいたのなら、もう少し書いてくれればいいのにw
>>412 独立戦車第七中隊は10月12日に第八、第九の各中隊と共に第十四方面軍直轄として
戦闘序列に加わったのが始まり。
さすがに8月の段階で存在していない部隊の中隊長が現れるというのも妙な話になる。
仮に河野大尉が第十六師団の指揮下にある機甲部隊の所属で、その部隊が転換した
とするとなると捜索第十六連隊になるだろうけど、これはレイテに移動していない。
なるほど方面軍の序列にすら入ってないとすると、可能性は零っぽいですね。 独立戦車第七中隊の通称号は、威17658で正確でしょうか? そうなら、編制時は形式上、南方総軍直轄ということか。
>>406 独立戦車第五、六中隊は、まともに編制されてるみたいですよ。
19年5月に第42師団に配属されて、19年8月までには南千島に渡ってます。
その後、第42師団の本土転用にもついてくるはずでしたが、
「大型船がなく重装備が運べない」という理由で、人員とも島へ置き去りのまま終戦みたいです。
すいません。戦史叢書見ただけです。 まだ一次資料で裏は取ってません。 それから、訂正として、南千島ではなく北千島南部ですね。 第42師団指揮下に入ったのは、大陸命1008で昭和19年5月11日、 展開先は第五中隊が得撫島、第六中隊が松輪島。 第五中隊に関して、6月中旬に現地着予定とされており、 19年8月の松輪島の部隊配置に「戦車」の記号が出てきます。 20年5月に42師団主力とともに、北海道へ転用されるはずも、配船がつかず。 終戦時所在地はそのままのようです。 師団長からの聞き取り調査にも、昭和19年夏の師団の状況として、 軽戦車中隊2個(各15両)を持たされた師団だったと記されています。 別の島なので海上機動旅団の戦車との混同ではないと思います。 海軍の戦車も、19年9月末には同島にはいないようです。
>>417 知る限りというかこれぐらいしかないけど独立混成第百二十九旅団の記録を漁ると
8月3日に第五方面軍宛に旅団編成完結に伴い提出された兵力表は
旅団本部 速射砲中隊、砲兵隊、通信隊、旅団作業隊、兵器勤務隊、野戦病院
第八百七〜八百九大隊
松輪島の独立混成第四十一連隊の兵力編成は見たことが無いからよくわからん。
ただし断片的に伝わっているものとして得撫島には隅倉秋寿大尉指揮、松輪島には
塚越善三郎大尉指揮の各捜索中隊が戦車第十一連隊から分遣され、両部隊と
独立戦車中隊の関係はいまいちわからないけど、戦車第十一連隊の生き残りの
話で両島は人員だけ派遣され保有車輌が無いので車輌保有部隊が訓練に
励んだのに比べ、陣地構築を補給逼迫の中で行っていたので、激務がたたって
シベリア抑留で多数の死者を出しほとんど生きて帰れなかったという話が出てくる。
ウルップ島は北千島でも南千島でもなく中千島と呼んだと思う あと戦車11連隊の転進時期を書いておくと、1944年2月 パラムシルにも分遣隊を置いてるみたい
そこはかとなく保守の必要を感じる
421 :
名無し三等兵 :2006/10/14(土) 00:43:18 ID:YJuZNBNb
あげ
サイパン逆上陸部隊の装備に、湿地戦車なんてのがでてきてるんですが、量産されてたの?
424 :
名無し三等兵 :2006/10/21(土) 02:26:11 ID:0FOuvya6
>>423 5年ほったらかしとは随分のんびりだなあ。
TOPページ見ると色々やってるみたいだから今後に期待だね。
425 :
だつお :2006/10/21(土) 05:08:29 ID:ENhXMiJm
>それに比べてどうしてもカネの掛かる海軍が必要だった日本が、 >戦車ショボスって責められるのは酷な面もある罠。 それでも日中戦争限定でなら97式中戦車チハだって地獄の大車輪 だとか走るアウシュビッツだとかいうくらい凄かったことは誰でも 認める歴史的事実なわけだろ。 中国はチンピラゴロツキが沢山湧いてきてウザイから、一度97式 中戦車チハを大陸打通3000キロを疾走させるべきだった。 チンピラゴロツキとはいえ3500万を殺戮した軍隊を弱いと嘲笑できるか?
今のだつおの文体からは幼稚な必死さしか伝わってこない。 正直見苦しいだけだ。
だつおは何代目が最強かなぁ
やっぱり初代だな。釣りとわかっているのにレスを返さずにはいられない不思議な力を持っていた
まだ打通太郎と名乗っていた時代だろうな。 以上スレと関係ない話。 以下、関係ある話。 海外掲示板で、パラオのコロール島に、 25mm機銃搭載の特二式内火艇の残骸が存在したという情報を見かけたのですが、 この車両って、確認されてるんでしょうか。 バベルダオブ島に標準型の残骸が5両あったともありましたが。
>>429 それ、誤読じゃね?
コロールに、特二式と機銃が並べておいてあるところならある。
ちなみに、特二式は、戦後に長砲身化されてるやつww
高初速砲は値段高いから積まないってのはギャグの領域だな。 あと重くすると列車に積めないから装甲も要らない的な主張に至っては失笑モノだ。 何で主力戦車が軽装甲車になるんだよw
日本語でおk
九七式軽装甲車は写真見ても搭乗スペースがどうなってるのか想像できない。 本当に人が乗るようにできてんのか?
>>433 ファインモールドのプラモ作ったことあるので答える。
砲塔の上部から中に入れるよ。機銃搭載車ならともかく37mm砲搭載車はかなりきつかったろうなぁ、と思った。
中はそこそこ。九四と違ってエンジン室と戦闘室が分けられているので評判は良かったらしい。
車長は椅子なしで、行軍中はエンジン室との隔壁にもたれかかっていたらしい。
アバディーンの日本戦車の出所って、はっきりしてるの? チハは硫黄島だった気がするけど。
>>429 コロール島に25mm搭載車はありますね。
砲塔とは別に、車体後部にむきだしの連装銃架が載っている代物。
記録映画で正体不明の重砲でもって「かつて鹵獲した敵戦車」を破壊するフィリピンの皇軍…。 スチュアートだったけど軽くひっくり返ってたな。
前もこの質問を見た気がする。
442 :
名無し三等兵 :2006/11/12(日) 19:05:37 ID:kHmpxrYi
あげ
九五式野戦力作車って、ベース車体は何なのだ? 戦後も民間で使ってたところがあるらしいけど、生産数20両以下だったよね。たしか。
大日本帝国の戦車は本体価格が異常杉。 アルミ使いまくりの零戦より高い理屈が聞きてぇ。チハ車は金箔でも貼ってんのか? 装甲云々よりコストダウンの意思0の調達価格がとにかく(以下ry
>>443 >●昭和10年制定。
>●九五式装甲軌道車の車体を基に開発された。
>●車体後部に3tクレーンを有する。
>>444 タイガー戦車よりメッサーの戦闘機のほうが安いんだぞ。
>>445 いや、それは違うと思う。
いわゆる「リキ」ってのは二種類いて、軌道車改造のも確かにおる。
でも、95式野戦とは明らかに別物。
旧軍のマイナー車両に互換性とかバリエーションとかの概念なんて考えない方がいい気がする。
>>447 チハ改造の戦車回収車のこと?
……と書きかけてから、絶対にありえないということに気付いた。俺馬鹿。
451 :
名無し三等兵 :2006/11/26(日) 11:47:35 ID:vL3RSg6i
あげ
452 :
名無し三等兵 :2006/11/26(日) 16:45:46 ID:dWLfEvPY
随分前、入院した病院で隣のベッドになったおじいちゃんから 日ソ開戦時の旧軍戦車の話を聞き、他スレでその話をしたら 「嘘つくな!日ソ戦時の満州に戦車部隊はいない!」 と言われた。検索してみると南方に引き揚げられなかった 少数の戦車部隊がいた様な記述をちらほら見かける。 実際のところ関東軍は当時どの程度の戦車を持ってたの?
>>452 軍板FAQにはこうある
【質問】
終戦間際の関東軍の状況は?
【回答】
24個師団,2個戦車旅団,1個旅団,9個独立混成旅団,1個国境守備隊−虎頭要塞の第15国境守備隊−等を基幹とする兵員約75万,火砲約1000門,戦車約200両,飛行機200機程度.(戦史 終戦時の対ソ戦1より)
となりますが実質的には実質8個師団程度の戦力とされています.
>>453 即レス感謝。
経験者より軍オタの言う事を信じる気はさらさら無いけど、
具体的な数字が出てきて安心した。
あのおじいちゃんに嘘をつかなければならない理由は無いしね。
満州の戦車部隊 独立戦車第一旅団…戦車第三四及び三五連隊 独立戦車第九旅団…戦車第五一及び五二連隊 ちなみに関東軍隷下には戦車第一四連隊も存在するがこれは朝鮮防衛用
おじいさんの仰ってることはある意味嘘ではないと思うよ。 戦車旅団は第三方面軍に集中配置されてて、開戦直後に新京〜奉天の 防衛線で待機中に終戦になってるから。 在満の戦車連隊は34、35、51、52。 いずれも19年以降に編制された戦車連隊で定数を満たしていない。 51、52に至っては戦車学校の残留者で編制されてる也。 捜索連隊の軽装甲車はあったと思うけど未見でも仕方がないと思われ。
>>455 大陸でソ連軍との機甲戦は発生したの?
どう考えてもまともに対抗できる状況じゃなさそうだけど。
定数も割っていただろうし、稼働率も相当怪しくなっていそう。
ソ連軍も二線級装備ではなくなっていただろうし。
興味が涌いたので自分でも色々調べてみようかと思う。
けど、大陸の旧軍戦車といえばノモンハンの話ばっかりで、
ソ連対日参戦後の資料を見かけない。何かお勧めの本はある?
ソースにうぃきだすなよ池沼
上田信の「日本戦車隊戦史」にちょびっと出てたな。 イラスト風に1,2Pくらいだと思ったが(魔窟に埋もれて出てこない 末期の戦車連隊の編制(定数だけど)が載ってるから便利。 硫黄島の記述とかで微妙な所もあるがw
461 :
名無し三等兵 :2006/11/26(日) 18:15:56 ID:l72XXkKq
>大陸の旧軍戦車といえばノモンハンの話ばっかりで、 ソ連対日参戦後の資料を見かけない。 単に「大陸」だったら支那方面軍の戦車も入るからたくさん文献はあるだろ。 満洲の場合は関東軍が反撃に向けて温存していたから大規模な 投入はないはず。
終戦時の在満州戦車部隊としては、
>>458 の通りの2個旅団がいます。
独立戦車1旅団(戦車34、35連隊)、独立戦車9旅団(戦車51、52連隊)で、
いずれも直接交戦は無しとされています。
別に北支那方面に戦車3師団隷下の13、17連隊が展開しておりますね。
これも対ソ配備部隊で、終戦前後に、前線部隊・邦人の撤退掩護に出動しています。
張家口では、両連隊から派遣の各1個中隊で集成部隊を編成し、殿軍で交互に躍進機動。
但し、直接戦闘は経験せずに済んでいます。9月2日に八達嶺到着し、作戦終了。
ちなみに最前線に立っていたのは、独立混成2旅団で、掩護により撤退成功できました。
(土門「人物戦車隊物語」より。新装版が光人社で別名で出てるはず。関連記述は2ページのみ)
たしかソ連軍が接収した装甲車両は、600両とかいう話でしたね。
>>455 揚げ足取りみたいで申し訳ないけど、朝鮮軍にいたのは戦車12連隊ですね。
戦車14連隊はビルマに展開して壊滅してる部隊です。
>14連隊 インパール後に軽戦車の補充を受けて再建されて盤作戦でまた壊滅してんだよなorz
まとめレス御免。いろいろ有り難う。 満州における日本戦車部隊の対ソ戦状況に焦点を当てた資料は あんまり無さそうだね。折を見て調べていこうと思います。
>>465 引用の範囲内じゃねーか?
これでだめならパンツァー誌なんか出版停止だぜ。
気になるなら軍事板FAQに言ったほうがいいですよ。
>>466 引用における主従関係成り立ってるかな?
まるまる文章パクっておいて批評無しってのは駄目っぽいのでは。
>>467 ていうか、多事某論ってところが転載したのをさらに軍板FAQが転載してるんだな。
まあ、ひょっとしたら転載の許可取ってるのかもしれないけど。
>>468 軍板FAQの方が古いな
2005年以前にFAQから引用した覚えがあるが
どうでもいい。
94式戦車砲の貫通力は300mで45mmて聞いたんだけど、本当でつか?初速が倍でも、遥かに重い57mm砲の貫通力の方が高そうな感じがするんですが?
>>471 九四式のほうが多少貫通力は上だったと思うが
300mで45mmは無理じゃないのかね。
チハの57mmは18口径の短小砲だから。
>>473 57mm×18.4=1048.8mm
37×37=1369mm
320mmほど違う。
初速97式57mm→420m/秒
94式37mm→700m/秒
弾の重量がわかれば良いんだが、運動エネルギーでいえば、57mmの方が何倍も大きいはず。
貫徹力が低いのは多分徹甲弾の材質等の要因なんじゃないか?
>>474 国立公文書館に資料あるんだけどさ。
九〇式/九七式戦車砲は
徹甲弾で2.6kg、初速340m/s
九四式戦車砲は650gで初速560m/s
また当時の日本の徹甲弾の貫徹力が異常に低いのは
信管が過敏すぎて装甲表面で炸裂するからだと技術研究本部が書いてる。
>>475 既に国立公文書館で一次資料が見放題になった今となっては
その記述は間違いだらけで話にならないと思うのだが・・・。
徹甲弾が滑っちゃうらしいね
ん?90式57mm→97式57mmの時、改良で初速上がってるのでは? あと、信管云々は徹甲弾じゃなく破甲榴弾じゃないの?
「短」57mmにAPなんぞあったか?
>>476 改善されたあとも威力はさっぱりだな
マシそうなのは開発中の105ミリ砲だけで、
それ以外だとシャーマンやT34の正面を打ち抜くのは辛い
>>477 徹甲弾が滑るのはどこの国のも同じだよ。
T-34相手にドイツ軍も困ったじゃないか。
>>478 初速は上がってない。それも国立公文書館で読める。
九七式57mmは九〇式57mmと何も変わってない。
また信管に関しても技術本部でそう書いてる。
まさに破甲榴弾みたいな信管なんでと。
>>481 (C01001185800)九〇式5糎7戦車砲仮制式制定の件
(C01001641400)九七式5糎戦車砲仮制式制定の件
信管の話はどの資料に載っているの?
>>482 (A03032065000)第1回陸軍技術研究会、兵器分科講演記録(第1巻)
21枚目の
「三十七粍四十七粍級対戦車砲徹甲弾に対抗する
戦車防弾鋼板厚決定参考資料について」の前言。
ありがとうございます。 「九四式徹甲弾は名称は徹甲弾なるも 実際は如何なる土地にでも作用する如き大きな信管を有し、 相当の炸薬量を充填せる破甲榴弾にして、 之を鋼板貫通専用の徹甲弾とすれば貫通威力を増加し得るものなり」 九二式徹甲弾も同じようなものだったんでしょうな。
57mm砲の砲身長の話は、ちょっと前まであちこちで見かけたけど、 情報の出所はどのへんだったんだろう。 榴弾と「徹甲弾」の初速差の誤解とかあたりが原因?
>>481 >徹甲弾が滑るのはどこの国のも同じだよ。
>T-34相手にドイツ軍も困ったじゃないか。
う。そうなのか。
てっきり冶金技術が低いんでそういう弾丸になったと思ってたんだけど。
92式重装甲車に37mm戦車砲を積んだ例があるって聞いたんですけど、 実際に部隊配備されたんでしょうか?
>>486 実際、材質が悪いのは確かだが、基本的にトーチカや中国の城塞都市の城壁や土嚢の塊淵とバス為の砲弾だから
ちょっと食い込んだら後は確実に炸裂して爆発力で破壊狙うものだからねぇ。戦車の装甲相手させるのは酷な話
>>486 冶金技術の粋を集めた砲弾同士で比較したら
そりゃ日本の技術は欧米に勝るとはいえないが
日本陸軍の徹甲弾は日本の技術の限界にも達してない。
先に予算の限界に達してしまって、廉価な鋼材で作ってる。
そこらも
>>483 で紹介されてる文書に出ているよ。
結論 そもそも戦争なんて金持ちの道楽に手を出しちゃいけなかった。
嗚呼、海軍にさえ予算を突っ込んでいなかったら。
海洋国家が海軍力もってなきゃだめだろ 陸軍力なんて増強してる暇があったら飛行機作れ
米英と戦う気がないならドイツ並みの二流海軍でもいいじゃないか。
494 :
名無し三等兵 :2006/12/12(火) 22:57:02 ID:KYehsaoD
ま仮想敵国はずっとソ連だったから 共産圏に対する防波堤 って自負はあったようだから
>>485 国本氏は、仮制式後に新開発された弾丸が、
高初速だったのではないか、と言っている。
>>495 しかし同じ構造で同じ長さの砲身だから
新開発砲弾使っても両者の初速は同じになるぞ
装薬量が多かったり、砲弾が軽かったりすれば、初速は速くなるよ。
498 :
名無し三等兵 :2006/12/18(月) 07:05:09 ID:dYnVwbzS
ダミー砲身か、確かに虚しいな。
ドイツ軍戦車が採用してる長砲身の戦車砲と、 米英ソ戦車の大して長くもない戦車砲とでは、 威力で大して差がないのはないのはなぜ? 普通長砲身の方がいいものじゃないの?
>>501 長砲身は、装薬のエネルギーを効率よく砲弾の速度に乗せられる。
でも効率悪化に目を瞑って沢山の装薬を使っても砲弾の速度は稼げる。
どっちも一長一短だけど、戦車や対戦車砲で重たい砲身は嬉しくないから
必要な初速を稼げる範囲で短めにするというのが一般的。
どっちかというと究極性能というか
机上の高効率性能に拘りすぎてるのがドイツといえるかもね。
>>499 チハたんや89式が装備しているのはグレネードランチャーですから・・・
戦車砲なんかと比べちゃいけません
チハタンの砲はグレネードランチャーとしてみれば優秀だ。 これで世界に誇れる。
>>504 戦車にグレネードランチャー装備している時点でね・・・
火力支援戦車だと強弁すれば良いのかな?ならせめて47mmタイプも並行して配備してくんなまし
89式の時は37mmで良いから。そうすりゃノモンハンの惨劇ももう少しどうにかなったのでは・・・
>>501 ドイツの口径比はややサバ読んでるから数口径小さい。
米英は徹甲弾にタングステン使いまくり。
ドイツ様だったらその冶金技術を駆使して タングステンなしでも超協力な砲弾を作れる。
>>505 強弁しなくてもチハは歩兵支援用。
仕様書ぐらい見なよ。
でもこういうことからの歩兵支援用戦車になったらしいじゃん。
日本の戦車の後れは技術的な部分より人為的な部分が多かったようです
頭が硬いではなくて実際には戦が商売の軍人なのに「戦車を理解していなかった」ということのようです(-_-;)...
歩兵課出身の高級将校達は...
戦車が単独で戦うことを嫌い対戦車能力の高い長砲身の砲を付けるのを妨害しました。
つまり戦闘能力より自分の派閥に(歩兵課)戦車隊を留めておくために妨害したその結果、日本の戦車の性能を著しく下げました...
ttp://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02d.htm
>>509 チハの仕様策定時の議事録すら残ってるのに
今時何をほざいているんだか・・・。
戦車兵も歩兵も重装甲重火力の超戦車要求してる。
参謀本部が技術本部抱き込んでゴリオシしたんだよ。
それと1937年式の戦車が歩兵支援なのは普通だし 歩兵と共同戦闘を前提にしてない戦車なんて現代まで一台も無い。
でも最大装甲厚が25mmだし戦車砲は18口径57mmの短小砲。 そりゃ榴弾威力はあるかも知れないが、 殴り合ったらドイツの二号戦車にも負けるじゃん。
>>512 だから仕様書ぐらい見てくれ。
37mm砲に対し中距離で対抗するを目処とす。
要求には出来るだけ軽くする(陸揚げを考慮)というのもあったから、十分ではないが25mmならなんとか、という重量との兼ね合いで決まった。
ちなみに戦車学校からは、30mmは欲しいという要求は一応出ている。
チハは歩兵戦車なのに装甲が薄いと思っている人がいるみたいだが 迫撃砲の至近弾に耐えられる装甲厚がだいたい2cmぐらい。 そのことを頭に入れるとチハの装甲厚については納得できるだろう。 要するにPak陣地とのガチンコ勝負は考えていなかったのだ。
>>514 チハの25mm装甲は37mm速射砲に耐えられるって触れ込みだったけどねん
実際に相手にしたのが37mmクラスでは最優秀の一角である独逸製だったから大陸で酷い目に遭ったけど
平凡だろうPak35/36って
チハが採用されたのは予算が大幅に増えた為で、予算が増えなければ95式ハ号の拡大版の『チニ』が97式となって、一式→三式の流れが大幅に狂っていたろうし、『新砲塔チハ』みたいな事もできずにもっと悲惨な事になったろう事はいうまでもない。
チホタンを制式化すればいいじゃない
>>515 マレーでは英軍の2lb砲でも角度によっては弾いたりもしているらしい。夜間なので狙いが正確には取れなかったという条件も重なってるが。
>>514 重機関銃の射撃に耐えられないってのはどうなのよ
>>520 それはハ号のほう。
25mm浸炭を機関銃で抜くのは無理よ。
>>520 ハ号と混同してないか?
後、装甲じゃなくリベットの方の問題も考えられる。
>>521 徹甲弾使えば抜けるだろう
非力な7.92ミリでも近距離なら30ミリ抜けたし
訂正 25ミリだった
ちなみに 日本軍の基準では ★6mm厚→対7.7mm ★12〜13mm厚→対7.7mm徹甲弾 ★17mm厚→対37mm低初速榴弾(450m/S) ★20mm厚→対37mm(570m/S)に500m以上の距離 ★25mm厚→対37mm(700m/S)に500m以上の距離 参考までに ★65mm厚→対75mm(680m/S)徹甲弾に1000m以上の距離(おそらくシャーマンの主砲の事) ★95mm厚→対88mm(800m/S)徹甲弾に500m以上の距離
>>526 7.92mmPzB.39のスペックだが
>>527 そりゃあ対戦車ライフルだからな。
でも浸炭に歯が立つのかね。
単なるRHAじゃないから、小口径にはきついぞ。
M4の車載重機は12.7mmあるよ。
チハでも、30口径級重機で運悪く抜けたケースもあるようです。 おそらく正面装甲ではなく、側面などの薄いところ。 基本的には「軽戦車と違い」大丈夫というのが認識。 ただ同じ重機といっても、米軍のような50口径では、さすがに威力が段違い。 500mで20mm貫徹くらいの威力があったはずです。
>>530 なるほど、500mで20mmというのは、均質装甲に対しての値みたいですね。
チハの表面強化装甲なら50口径ぐらい弾けるかな?
Pakとガンチコ勝負しようと思ったら少なくとも正面装甲は 500mからのPakの一発目の直撃に確実に耐えられなければならない。 相手が94式37粍速射砲でもそのカタログ性能を信じるなら チハの正面は4cmは必要だ。 もっとも94式は独逸1号戦車の砲塔背面装甲を打ちぬけなかったのは内緒だw
>>535 なんでさ?
九四式三十七粍速射砲の九四式徹甲弾は
従来型装甲に対しての貫徹限界が
30mm:350m
25mm:800m
20mm:1000m
という数値なんだぞ。
浸炭25mmなら全然500mなら余裕じゃないか。
>>528 “常に”直角に命中するなら楽だろうけどね
>>535 94式37粍速射砲は対戦車砲ではないよ。
じゃあ何に使うってゆーんだ?
速射砲は欺瞞呼称だろうにw
94式速射砲は11年式平射歩兵砲の後継 たた単に対戦車戦闘にも活用されただけ
>536 日本製浸炭装甲はヒビが入るから均質じゃなきゃダメ
誹謗中傷スンナ 在日
>>540 歩兵支援に決まってるじゃん。
基本的には榴弾射撃するための砲なんだから。
九四式三十七ミリ砲 昭和八年に入り、機械化兵器の発達に伴って、これを撃滅する第一線兵器の必要を生じた。 わが国で初めての対戦車砲は三十七ミリ速射砲とすることが決まり云々 大砲入門P338より。
>>528 近距離で25ミリの威力は傾斜30度の装甲板に対するデータだから楽観できないよ
日独が敵として戦うことはないから無問題
>>546 だから対戦車砲としても使うよってことで、
対戦車砲として開発されたわけではないんだよ。
>>543 日本製に限らず、浸炭装甲は限界以上の衝撃には割れるが?パンターやW号の装甲が、76〜90mm級の弾で割れてる写真は幾らでもあるが見た事無いのか?
むしろ日本製はリベットが折れる、とかにしないと
>550 日本製浸炭装甲は自然にクラックが発生した。 タイに納入した95式軽戦車はこの自然クラックによってクレームがついた。 何にもしなくても微細なクラックが発生していると考えた方が無難。 この手の話は陸軍ヲタならみんな知っているレベル。知らない方が恥ずかしい。
基本的に日本製装甲は浸炭処理していなくても非常に硬度が高めに設定されている。 硬度と引っ張り強度はある程度の範囲で正の相関があるので 日本陸軍は引っ張り強度の上昇限界までブルネル硬度を高めた。その値は530. 当時の日本製装甲鋼材を成分から分類するなら現在のSNCM系鋼材となり そこまで硬くすると耐衝撃性は非常に低いものになる。 要するに非常に脆い素材を装甲鋼材として採用していた。 通常ならば熱処理で高硬度にした後、焼きなましをして内部応力の解放を行う。 (結果的に硬度は低下するが耐衝撃性は向上するので防弾性能はむしろ向上する) だが、陸軍は硬度低下を嫌いメーカーサイドの意見具申を握りつぶしていた。 それがメーカーの独断で変更したのは1943年以降でそれも一部のメーカーのみ。 以上の事は過去の旧軍戦車関連のスレで纏められた話だ。
>>552 ならば最初から「自然に」と付け加えるべき。知識の前に日本語を正しく使ってくれ。以上。
日本製以外の浸炭装甲は自然クラックは発生しないの?
>>555 程度問題でしょ
ただ、日本のは許容できない程のレベルだったってだけで
じゃ、タイに95式軽戦車を納入するっていう話はぶっ壊れたんだ。
>>555 有名なところはアイオワ級戦艦。
戦後の再就役でチェックしたら
アイオワとニュージャージはクラックとスだらけでボロボロ
しかも経年劣化ではなくて最初から不良品だったらしい。
また米軍の鹵獲戦車の試験では
4号戦車やティーガーの溶接部は剥離やクラックだらけで
薄板の装甲兵員輸送車はネジ穴等を中心に割れが多発。
結局どこでも同じ。
そしてイギリス人が紆余曲折を経てたどり着いた 「装甲とは厚みである」 という結論に。
確かにマチルダはやたらめったら装甲が厚かったけど、 それ以外の英国戦車はたいしたことないですやん。
チャーチルを忘れないで
WW2中が紆余曲折だよ。センチュリオンの砲塔とか調べるといい。
ソ連人戦車兵の手記を読むと英国製戦車の装甲は着弾しても 装甲内部が剥離せず破片で怪我しないから良いとかなんとか
「ソ連人戦車兵の手記」って、英語版を読むの? それとも原書。
納入価格が独占権を有する開発メーカーの口先三寸によって 決まる上に性能も大した事がないと言う二重苦。 イタリアもそうだが過当競争まっしぐらだった航空機業界に比べると戦車業界はショボい
そりゃせいぜい一両10億くらいだからね<戦車 装輪なんかは一時期、整備、教育も含めてディスカウントしてたけど
だから予算カットしちゃったんだ。
569 :
名無し三等兵 :
2007/01/04(木) 08:34:18 ID:BGm2yAQt あげ