陸海軍技術研究所

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1見習い技術士官
陸海軍技術研究所を開設しました。旧軍の技術的なものを語りましょう。
この技術の遺産は戦後の日本の復興の原動力となったもので造船や民生科学機器に
形を変え日本は世界に誇る工業立国となったのです。
例えばソニーの天才エンジニア井深大、盛田昭雄や磁気テープの戸沢「ゼロ戦の改造を手がけた」
創世記のメンバーは皆旧海軍の技術仕官だったのです。
日本ビクターには海軍のレーダーをの指導的な役割を果たした高柳健次郎「少将待遇技師」
日本電気にはエレクトロニクスのリーダー大内淳等、 戦後の日本のエレクトロ開発の源流は海軍の電波開発と深い関わりがあったのです。
2名無し三等兵:2006/07/22(土) 05:25:30 ID:???
ニダ
3見習い技術士官:2006/07/22(土) 05:33:34 ID:???
ひところ外貨稼ぎのリーダーだった造船業界ですが
昭和三十五年、石川島播磨重工業が開発した経済船がありました。
これは旧海軍の軍艦作りにブロック工法と早期艤装技術を取り入れ活かしたものだったのです。

昭和三十九年に開通した東海道新幹線も海軍航空機技術グループの卓越した力をふるに活用したと言う。
身近なものにカメラがあります。ドイツのライカ、コンタックスをしのぐ35ミリカメラ、ニコン、キャノンは
軍艦の測距儀作りでやしなった高度な工学技術が生んだものでした。
電子クオーツで代表される腕時計も大砲の信管技術が役立っている。
その他自動車やバイクのエンジンは航空機用エンジン、あるいはロボットに象徴される自動制御技術は艦砲の
射撃盤装置技術の延長である。  
4名無し三等兵:2006/07/22(土) 06:35:51 ID:GLUZ1DiO
糞スレ乙。>>1は氏ね
5名無し三等兵:2006/07/24(月) 04:56:09 ID:???
このあたりはメーカーとしても黒歴史に近いんで
あんまりはっきりは書かんね
ただ戦時中はメーカーの商売の得意先として軍があったわけで、
急成長したのは民主化によるところも大きいから戦時中の
体制のままだったら劣化コピーの範囲を超えなかったかも
6名無し三等兵:2006/07/26(水) 23:31:35 ID:???
戦時中には日本はマグネトロン分野では世界をリードしていたし
赤外線技術で艦艇は交信し磁気による潜水艦探知は画期的でしたね。

確かに陸海軍の大砲、機銃は海外コピーが多いな、しかもボホースのコピーはできず
試製で終わってしまったね。これは優れた工作機械が国内で製造できなかったからだね。



7名無し三等兵:2006/07/26(水) 23:34:44 ID:???
頭で考えられても猿の不器用な手じゃ実用に耐えうるものを作れないからなwww
自身の砲撃の衝撃で吹っ飛ぶ真空管とかもうねwww
8イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2006/07/26(水) 23:36:27 ID:rSSoH12+
>>このあたりはメーカーとしても黒歴史に近いんで
>>あんまりはっきりは書かんね

商社も同様ですね。他にも「●版印刷」などは支那の法幣偽造工作に
多大な功績があった訳ですが、やはり黒歴史です。
9名無し三等兵:2006/07/27(木) 08:09:14 ID:Jtf1lDvZ
講談社文庫の『海軍技術研究所』が詳しいやね

・技術力はあったのに上層部の頭が古くて日の目をみないレーダー
・コンセントすら接触不良、ケーブルは紙巻き絶縁など基礎工業力の難
・戦後電子立国を支えた人材の輩出

マルケ開発者が井深大だったのは初めて知った。
10名無し三等兵
>>7 武蔵と大和の電探とか主砲射撃盤かなや?