長文論説/妄想自主規制スレ19 8

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375名無し ◆WWrr18ow8M
最初に、板違いかも知れない話題を展開することをご容赦願います。
NGは「名無し◆WWrr18ow8M」です。

問題は
・元は征服王朝か
・元は今の中華人民共和国の祖となるか
・ぶっちゃけ元寇の恨みはどこにぶつけるのか
ですね。

「征服王朝」という語はヴィットフォーゲルが馮家昇との著「遼史」において初めて用いたものですね。
その定義は
「北方系異民族が自らの社会体制を維持したまま中国に建てた王朝」
というものです。
当てはまるのは遼・金・元・清ですね。
五胡十六国や華北五王朝は国家掌握が半平和的だったため、特に「浸透王朝」と呼ぶ場合もあります。
その統治体制はいささか特殊ではあるものの、中国帝国の系譜に属することには変わりません。
中国帝国の定義は
「秦朝の成立から清朝の滅亡まで」
ですから。
なお、「傀儡政権」というのは
「外部の国家や政権に統治されたり、その強い支配・統制に置かれている政権」
であるため、元は都を北京とし、実質支配機構が国内にあるため不適切です。
376名無し ◆WWrr18ow8M :2006/06/30(金) 13:40:11 ID:???
そして中国帝国の系譜たる清朝の後継はどこか、という問題ですが、これは複雑です。

1912年、第一次辛亥革命期に孫文ら中華民国政府が清朝と締結した、俗に言う「退位協定」では
T:大清皇帝(宣統帝・溥儀)は退位後も皇帝の尊号を廃止せず、
  中華民国は外国君主に対する礼を以てこれを待遇する
V:大清皇帝は暫時、紫禁城内に居住し、後日、頤和園に移住する
W:皇帝の宗廟・陵は永遠に奉祀し、中華民国はこれを慎重に保護する
Z:大清皇帝の私有財産は中華民国が特別に保護する

となっていました。
これは「放伐」ではなく「禅譲」、宣統帝が帝位を新政府に譲ったという意味です。
しかし1914年、袁世凱は大総統令で一方的に溥儀を

永久に皇帝の尊号を廃除し、中華民国の一国民として法律上一切の権利を同等に享有する

とし、さらに紫禁城の財宝を強奪し、清朝歴代諸帝の陵を盗掘して内戦の資金としました。
これは明らかに先述の退位協定を破棄するものです。
これにより中華民国の清朝の後継者としての存在には疑問符が付きました。
ただし力ずくとはいえ溥儀が従い、諸外国が異議を唱えなかったため、
結果としてこの大総統令は有効であり、中華民国は清の後継である、と考えることもできます。

その後袁世凱の死後中華民国は混乱し、列強が国家を代表すると認める勢力は存在しませんでした。
戦後、南京国民政府が国際連合に「中国」代表として加盟し、
安全保障理事会における常任理事国の地位を獲得しますが、
1949年、共産党軍の攻撃により政府を台湾に移転します。
そして1971年、国連総会にて「中国」の代表権を喪失、国連から脱退しました。
377名無し ◆WWrr18ow8M :2006/06/30(金) 13:40:56 ID:???
中華民国も中華人民共和国も、自らが「中国」(=中華帝国)の後継者である、と主張しています。
中華民国の主張は
「国民政府が台湾のみ統治するのは内戦中の一時的処置であり、全中国は俺のもの」
中華人民共和国の主張は
「中華民国は1949年に崩壊し、俺達はその後継者。現台湾は反逆者」
というものです。

しかし国連が中華民国を「中国」と認めておらず、先進国でも認める国が少ない上に
与党の民主進歩党が独立運動を支持している以上、中華人民共和国に分があると見るべきでしょう。
もしくは1914年の時点で清朝の後継は消滅した、と考えるかです。

というわけで、強いて恨みをぶつけるなら中華人民共和国だとおもいますが、いかがでしょうか?

個人的には恨みなどの感情論は捨て、アメリカと協力することで利益を得ている以上
アメリカと協調しながら中国を抑えるのが日本の国益だと思いますがね。

長文失礼しました。
板違いとお怒りかもしれませんが、世界史板ではレスに関係ない議論を招くときがあり、
こちらに誘導したかったのです。