1 :
名無し三等兵:
悪いのは全部真面目にやらなかった部下
2 :
名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:36:54 ID:FduHZs5w
3 :
名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:36:56 ID:???
削除依頼よろしくね。
4 :
名無し三等兵:2006/05/30(火) 23:36:56 ID:???
阻止
5 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 00:36:53 ID:???
ああ、牟田口さんのお孫さんで?
6 :
お万が飴売り:2006/05/31(水) 01:03:05 ID:IJnhPpSf
妾と一緒に風呂に入るのが、楽しみだったとか?糖尿病で頭が可笑しかったと思うのですが?
7 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 01:40:12 ID:???
>>2 その状態でも普通に元に戻して喰ったことが何回か有る・・・・w
8 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 01:50:22 ID:???
9 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 01:58:17 ID:???
お決まりレスだが、
無駄口叩くな、牟田口叩け
>>1よ、牟田口の犠牲になった英霊のご遺族に懺悔しろ、そしてお詫び行脚で
英霊の御霊に頭を下げて廻れ!
10 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 02:44:22 ID:???
キルレシオは悪くない
アニヲタはやっぱり奇策を用いた奇跡的な
大勝利しか認めないのだろう
11 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 02:56:47 ID:???
12 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 07:44:11 ID:???
効率的にビルマ方面軍の戦力を弱体化させた手腕は評価されてもよい。
13 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 10:15:03 ID:???
あえて評価するなら
作戦失敗の責任を感じ自決を考えたが、責任放棄に等しい独断専行をせず
ちゃんと部下に相談する組織人としての気配りですかね。
あと、亡くなった部下を弔いつつ市井の焼肉屋として生涯を終えた慎ましやかさ。
14 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 10:42:50 ID:???
焼肉屋だったのかw
15 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 10:52:37 ID:/FnD1fud
小林よしのり「インド論」
仏教伝来から幕末遣欧使節のインド訪問までの前近代での日本とインドの関わり。
東条首相とチャンドラ・ボースの間の友情。
名将牟田口将軍の奮戦。
パール判事と日本の関係。
象を通じた両国の友好。
今夏刊行予定
16 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 10:56:09 ID:???
焼肉屋できたってことは、退却行の兵士の姿をみたことなかったんだね。
17 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 11:00:23 ID:???
店の名前は「ジンギスカン」(ホント)
ちゃんと過去を忘れないようにしている。
18 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 11:02:03 ID:???
>1
高木俊朗氏のインパール物を10回読んで、回線切って市ね。
19 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 11:43:06 ID:???
おまえら自虐史観に毒されてる、牟田口閣下は崇高なインド独立という理想の為に闘った名将だぞ(棒読み
20 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 11:57:41 ID:???
日本軍が退却していった街道の両側には、飢餓や病気で倒れた兵士たちの
屍が延々と続いていたという。
英印軍は、伝染病を恐れてその屍にガソリンをかけて焼却しながら
追撃したという…。
そんなんで、よく焼肉屋をはじめられたと思うよ。
21 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 12:13:04 ID:???
同じ飢餓戦場を作った安達二十三とは評価が違うんだよな
まあ牟田口は安全な後方で指揮したり責任を取らなかったのが大きいな
22 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 12:35:54 ID:???
そこまで悲惨だったらいっそ吹っ切れてるんだろう
23 :
片倉衷:2006/05/31(水) 12:44:35 ID:???
またクソスレか……。
24 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 12:53:48 ID:nSzY+gpO
牟田口は戦後、ちょっと反省している、みたいな言動を残していた。
ところが英軍の将軍(名前忘れた)から手紙で「もう少しで日本軍はインパールに攻め込むことができたのに残念だったね」みたいな「社交辞令」をもらった途端……
大喜びで「俺は間違ってはいなかった1111111」と関係各方面に言い回った
ヴ ァ カ
25 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 13:02:08 ID:???
インパールの将兵の慰霊祭?で「俺は悪くない、悪いのは師団長三人だ!」
と言ったとか
26 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 13:02:43 ID:???
英軍は日本軍の司令官と前線兵士の絆が強いことに感動して
交戦中にも拘わらず現地スパイを通じて司令官の日常を日本軍兵士に
教えてあげた。
戦争という地獄の中で芽生えたヒューマニズムの一場面である。
27 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 13:10:53 ID:w7SOxv53
>>26 現場の兵士はアホ司令官と呪っていた戦記物で…
28 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 13:31:32 ID:???
>>25 自分の葬式の時まで、息子に「悪いのは師団長の3人」という内容のビラを
参列者に配らせたんだと…。死んでまでヴァ..(ry
29 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 13:42:02 ID:???
確証はないんだけど、この人、外の女にも子供生ませてるみたいなんだよな。
何かで読んだんだが、
飲み屋で作家と編集者(だったかな?)が飲みながら打ち合わせしてて、
牟田口の話をしばらく続けてたら、たまたま側の席にいた男が
「私、牟田口の子供です」みたいに話しかけられたことがあったそうな。
話を聞くとどうも外で作った子供らしく、苦労したとか何とか。
30 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:11:24 ID:???
私、牟田悌三の子供です
31 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:32:37 ID:???
ケンちゃん乙
32 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:40:38 ID:???
>30-31 古杉!
33 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:45:33 ID:4MsjuBHP
牟田口閣下のお好きなものは、一に勲章、二に女、三に新聞ジャーナリストって
位に山っ気の多い男で、参謀でも副官でも従兵でも私的制裁の嵐を降らせて
よく殺されなかったものだ
34 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:48:12 ID:9TH4SyDi
この人戦犯の裁判にかけられたの?
うちのじいちゃんは、
この作戦のおかげでタイからシンガポールまで歩かされBC戦犯逃れする為に
ひげはやしたり、収容所から脱走したり、おかげで6年近く帰ってこられなかった。
私にインドの友達が出来て、そのお父さんがチャンドラボースの独立運動に参加してたといった時
本当にうれしそうにしてた・・あそこで挟み撃ちにするはずだったと・・
35 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 14:52:36 ID:???
牟田口閣下の従卒だったか参謀は、何人か自殺してるね。
36 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 18:24:48 ID:5BZOV7tM
この人、陸大じゃ首席だっけ?
37 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 18:35:50 ID:???
自決するとわざわざ部下(止めるの前提)の前で言ったって本当?
38 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 18:36:33 ID:OlQCiYGh
自殺する気力ありゃ叩き切るついでに撤退命令、私物で出しとけ。歴史に名が残るぞな。
39 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 18:59:25 ID:???
牟田口閣下は日本兵が現地人女性に暴行を加えないように
恥を忍んで内地から芸者やら慰安婦を呼び、日本兵はどう振舞うべきか
自ら実践して見せたんだよ。
40 :
お万が飴売り:2006/05/31(水) 19:50:59 ID:Dq4u+oXK
佐賀の恥!
41 :
お万が飴売り:2006/05/31(水) 19:53:05 ID:Dq4u+oXK
銀行マンによくいるタイプ!教養がない、社内営業一点張り、ゴマすり、卑怯、喚きチラシ、人格障害。
42 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 19:54:35 ID:???
♪牟田口廉也も佐賀〜公表するなよ〜
43 :
お万が飴売り:2006/05/31(水) 19:59:44 ID:Dq4u+oXK
ちょび髭チンポのような顔からは、せこいコンプレックスしかない。将来、この方の悪名高き牟田口という苗字がなくなることを念じましょう。そして、牟田口の遺伝子が消滅してしまい、子孫が絶えることを祈願しましょう。
44 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 20:25:11 ID:???
関係ない家族への誹謗はイクナイ
45 :
お万が飴売り:2006/05/31(水) 20:36:52 ID:Dq4u+oXK
確かに、関係ない家族へは誹謗ですね。でも、息子さんは「私の父はひどい人です」と言っていた。でもちょび髭チンポがどれほどの人を苦しめたか?私には想像はできません。あなたには想像もできないでしょう。
46 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 20:45:35 ID:???
>>34 英軍側に利敵好意を働いた人物を戦犯にする道理は無いだろ、アメリカの供与兵器よりも牟田口閣下は英軍の力になったんじゃないかな?
47 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 21:33:46 ID:???
>>46 あの作戦さえなければ俺の祖父は生きてたかもしれないのにお前は・・・
48 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 21:33:47 ID:4gkzv51V
盧溝橋のときの行動はあまり知られていないようだが、
何かいい資料はありますか
49 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 21:38:06 ID:???
>>47 まあどっちにしたって遅かれ早かれビルマ方面軍は英軍にやられてただろうから
結果はあまり変わらないんじゃないかな・・・
50 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 21:41:05 ID:???
陸軍内の評価ってどんな感じなの?
51 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 21:58:22 ID:???
奴は盧溝橋での日本の戦争の発端をつけたのだから
自分が、この戦争の終結もつけたいと。ほざいたいたと言う。
自分を偉大に見立て過ぎ。
そしてインパール作戦かよ?愚将の極み、断罪する人物だぜ!!
52 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 22:02:02 ID:???
>>37 腹を切ろうと思うがどうかと側近に尋ねたら
「部下としてはお止めすべきなのは当然だけど、
てめえに少しでも罪悪感がのこってんなら切れ、ぼけ」
みたいなこと言われてショボーンだったらしい
53 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 22:12:59 ID:???
「人に死ぬことを相談して死んだ人物はおりません、相談するのは止めて欲しいからです、私は部下としてお止めしなければならない立場ですので、腹を切るおつもりでしたら相談しないで頂きたい」
確かこんなニュアンスだな。
54 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 22:41:49 ID:???
_
//.|
//./|
//./| |
//./ /|. |
//./|/::/| | _______________
□/ / // | |. |
| |/.;;;;//. | ||. | じゃあ、>>牟田口は死刑という事で・・・。
| | ;;;;;;// | ||| |_
| |.;;;// | |.|| ∧ ∧ |/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| |//.. | | ||. ( ・∀・)
| |/. | |. || ( ) ワイワイ ガヤガヤ
______.| |___//| ||__ / | | |__
| | // |. ̄∠/(__(__) /.| ∧_∧ ∧_∧ ∧ ∧.
..∧_∧ (| |⌒/. ∧ ∧⊃イヤァァァ. //| (´-`;)(@・ )(;´∀)(
( ・∀・).(⌒| |//(;´Д`) ←>>牟田口 / | ∧∧ ∧ ∧ ∧_∧. ∧∧
( )  ̄| |/ (⊃ / ⊂.⊃. // | (∀・ )( ´,_ゝ)( )(´∀`
| | |. | | / └─┘ // /. ∧_∧ ∧ ∧ ∧ ∧. ∧_∧
(__)_) | | / // / <_` )(´・ω)(д゚` )(
| |/ // /. ∧_∧ ∧ ∧ ∧_∧. ∧_∧ ∧
~~ // / ( )( ゚∀゚)(` )( )(゚д
. // / ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
. // / (д- )( )( ´,_ゝ)(TдT)(∀` )
55 :
名無し三等兵:2006/05/31(水) 22:55:52 ID:???
てかもう死んでる
56 :
名無し三等兵 :2006/05/31(水) 23:05:28 ID:???
>>34 師団長の一人が命令不服従なので、軍法会議にかけられるから、
その軍法会議の場で牟田口を糾弾しようとした。
もちろん、そんな事されたら困るので、師団長は軍法会議にかけられずにすみましたとさ。
めでたし、めでたし。
57 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:15:46 ID:xLGP4spc
第三十一師団長佐藤幸徳と思います。
師団長独断撤退の人。
この人は戦後『大本営、南方軍、ビルマ方面軍、第十五軍という馬鹿の四乗が…』
と言った人。
撤退してきた時も
『牟田口を出せえ!!!』
と言っている。
彼はコヒマ攻略の勇将。牟田口など殺しても飽きたら無かっただろう。
58 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:26:20 ID:???
59 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 02:28:31 ID:???
60 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 03:35:29 ID:???
>>55 ビルマで行方不明になっただけだよ
僕たちの牟田口はまだきっと生きてるよ
61 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 03:48:57 ID:???
牟田口、英国に白星をプレゼントした売国奴。
こんな作戦やらなければ、英国には負けてないぞと戦後胸を張って言えた物を…
62 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:00:08 ID:???
生意気にこいつの墓は青山墓地にあるんだよな、中国の輪切り人体標本とかタイの死体博物館でホルマリン漬けくらいがこいつには相応だよ。
今でも白骨街道に将兵の遺骸が晒されてるつーのに
63 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:22:18 ID:???
64 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:23:22 ID:???
65 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:27:04 ID:???
66 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:33:44 ID:???
67 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:36:10 ID:???
「戦死者310万人」の意味
「国体護持」へ大惨禍と屍の山
野垂れ死んだ兵
十五年戦争は、日帝の中国・アジア侵略戦争であり、米英帝国主義との帝国主義間戦争であった。
それは、中国を始めとするアジア人民を二千万人以上も大虐殺した戦争であった。そして日本労働者人民は、
スターリン主義の裏切りによって、自国政府の戦争に向かっての攻撃を阻止できなかったために、戦争に動員され、
最前線で銃口を中国・アジア人民に向けさせられ、虐殺と略奪の実行者となり、筆舌に尽くしがたい惨害を与えた。
米英帝国主義との戦争でも、本来階級的きょうだいであるべき労働者同士が殺し合いをさせられた。
その結果、政府の公式発表でも日本軍兵士二百四十万人が戦場で死んだ。最近出た『餓死(うえじに)した英霊たち』
(藤原彰著、青木書店刊)によると、日本軍の死者のうち六割の百四十万人が飢餓と栄養失調、病気で倒れたということである。
例えば、ガダルカナル島での餓死者は一万五千人、東ニューギニアでは十一万五千人、中部太平洋で十二万人余、
インパール作戦を含むビルマ戦線で十四万五千人、フィリピンで四十万人という兵士が飢えに苦しんで野垂れ死にした。
なぜそのようなことになったか。その要因として、日本の軍隊は補給・兵たんを軽視した作戦を繰り返したことがあげられている。
中国侵略戦争では「糧は敵による」、すなわち中国人民から略奪することで補給をまかなった。それができないところでは、
たちまちに食料不足が生じた。本質的には、他民族を虐殺し略奪する帝国主義軍隊は、自国の兵士の生命も人権も軽視し、
消耗品のようにしか扱わなかった。
小泉首相は、「国のために命をささげた人をたたえることのどこが悪いのか」と開き直って靖国神社公式参拝を強行しようとしている。
だが、戦死者の実態を見よ。国=天皇の名において戦場に送られ、殺され、あるいは餓死させられた人びとを美化し、
「英霊」にすることは、戦争の責任を覆い隠すものであり、恥知らずなことである。日本の軍隊がどれほど人間の命を粗末に扱っていたかを知らなければならない。
68 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:36:43 ID:???
沖縄・広島・長崎
侵略した先の戦場での最後がそのようなものであったという一方で、日本の現実はどうだったのか。
一九四五年四〜六月の沖縄戦、そして、八月六日の広島、九日の長崎への原爆投下が、帝国主義戦争
―どちらの側からも侵略的で強盗的な―の悲惨さを日本人民に突きつけ、二度と再び戦争を繰り返してはならない
という教訓を与えている。また、四五年三月十日の東京大空襲を始め、全国各地での米軍機による空襲で
「銃後」の日本人は大惨害をこうむった。
沖縄戦は、敗色濃い日本帝国主義が「本土決戦」の時間を引き伸ばすために、沖縄を防波堤にし、
捨て石にした、乱暴極まりない作戦であった。
四五年二月、近衛文麿が天皇に上奏文を出し、「(国体護持はそれほど心配ないが)憂うべきは敗戦に伴って起こる
共産革命」と言って講和を提言したのに対し、天皇ヒロヒトが「もう一度戦果を挙げてからでないと、話はなかなか難しい」と言って、
戦争の継続を表明した。天皇の言う戦果とは、敗戦は明白だが、沖縄戦でできるだけ米軍に傷を与えるという意思表示であった。
こうして沖縄戦が強行されたのである。
この沖縄戦の中に、日帝にとっての沖縄とは何か、帝国主義軍隊とは何かが凝縮して示されている。日本と沖縄の関係を
根本的に変革するという時、まずこの沖縄戦の歴史をしっかり踏まえることが必要である。
沖縄戦で米帝は、本土攻撃の橋頭保を築くという戦略的な位置付けをしていたと同時に、戦後のアジア支配にとっての重要性も
考慮に入れて最大級の軍隊の投入を行った。つまり、戦後の沖縄の米軍による軍事分離支配とアジア侵略基地化は、
沖縄戦突入から始まっていたのである。
69 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:37:18 ID:???
広島、長崎の原爆は、沖縄の失陥という事態にもかかわらず、また七月のポツダム宣言にもかかわらず、日本帝国主義が降伏せず、
なおも時間稼ぎを続けようとしたことと、米帝が日帝を軍事的に粉砕するためだけでなく、対ソ対決による戦後世界支配の覇権をかけて
人類史上の暴挙に出たことが重なった一大戦争犯罪であり、恐るべき犠牲が強いられたのである。
広島・長崎の原爆は、一瞬にして十数万の人命を奪っただけでなく、その後も今にいたるまで原爆症で多くの人民を苦しめ続けてきている。
沖縄戦、広島・長崎原爆は、それほど大きな痛手をもたらしている。
四四年七月のサイパン島失陥で日帝の敗勢が確定的になった。そこまで壊滅的に敗北を重ねながら、まだ日本軍は降伏しなかった。
それから敗戦まで約一年、日本人の死者三百十万人の過半はこの一年間に集中している。そこからも、「国体」を守るために
天皇とその政府がいたずらに民衆の屍(しかばね)の山を築いてきたことが分かる。
日本の労働者人民は、このおびただしい犠牲を、自らが加担し、かつ積極的に担った帝国主義侵略戦争の結果として、
アジア人民への血債にかけてとらえ返さなければならない。
学徒動員と特攻
また、この第二部では、学徒出陣と特攻隊について総括する。戦争末期に、追い詰められた日本軍が徴兵猶予を停止して、
学生を戦場に送り、また、体当たりの特攻隊を次々に投入した。それは、日帝の戦争の非人間性の極致であって、
「国に命をささげた」美しい物語などではない。
最後に「中国残留孤児」問題は、デッチあげ・偽「満州国」に入植させられた日本人が、ソ連軍の参戦の前に
関東軍が撤退したために、筆舌に尽くせぬ苦難を強いられたことによって起こった問題である。沖縄戦と「満州」での関東軍撤退は、
帝国主義軍隊は非戦闘員である民衆を守らないことを露骨に表す二つの特徴的な事柄である。
70 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:39:40 ID:???
〈問い〉 日本軍の戦死者の6割が餓死だったというのは本当ですか?
〈答え〉 アジア太平洋戦争において戦没した日本軍人・軍属の総数は約230万人にのぼります。その過半数は、
戦闘行動による戦死ではなく、食糧が補給されないために起きた飢餓地獄の中での野垂れ死でした。この事実は、
歴史学者である故・藤原彰氏が『餓死(うえじに)した英霊たち』(青木書店・01年)で実証的に明らかにしました。
自らも中隊長として中国大陸を転戦した経歴を持つ藤原氏は、大量餓死をもたらした日本軍の体質を明らかにし、
この無残な死に対して直接の責任を負う日本の軍事指導者を告発するために、この本を書いたといいます。
近代初期の日本の戦争研究のなかに餓死の研究はなく、死因別統計もありませんでした。このため、藤原氏は、
南方関係の資料や兵士の手記などを丹念に調査し、地域別に戦死者中の餓死者数を割り出しました。
餓死の一字をとって「餓島」と呼ばれていたガダルカナル島では、死者2万人のうち1万5千人が餓死。
東ニューギニアでは9割、インパール作戦では8割、日本軍が最も多い50万の死者を出したフィリピンでは40万人、
中国本土では半数が餓死でした。日本軍の戦闘地域を平均すると実に6割以上140万人が飢え死にか、
栄養失調が原因の病死でした。日本軍がインパールから後退する道は「靖国街道」「白骨街道」と呼ばれました。
多数の将兵が、飢えと病気にさいなまれ、やせ衰えて無念の涙をのみ、密林の中で死んでいった原因は、
補給無視の作戦計画、兵たん軽視の作戦指導、作戦参謀の独善横暴などにありました。
このほかにも、戦争指導者の無謀な作戦の結果、連合軍の攻撃による輸送船の沈没で陸軍だけでも約20万人が「おぼれ死んだ」のです。
71 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:40:13 ID:???
こうした犠牲者と、無謀な戦争を遂行した戦争指導者―A級戦犯は明確に区別すべきです。
藤原氏は生前本紙のインタビュー(01年8月11日付)に「前途有望な青年が、自分の本意でなく召集されて、
やせ衰え野垂れ死にしてしまった。その悔しさを、戦争に行った者として伝えたかった」「兵士を餓死に追いやった軍部や
“奥の院”の連中が、戦犯にならず、戦後日本社会の中心に座ってきた。靖国問題は、戦争を肯定するか
否定するかの問題なのです」と語っています。
72 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:42:16 ID:???
〈問い〉 9月24日付本欄の「日本軍の戦死の6割が餓死」に ついて。中国では「半数が餓死」とありますが、中国に限ってみれば
戦闘での戦死傷が多かったのでは?
〈答え〉 太平洋の孤島や南方の密林とは違って、多くの人々が住む中国では、餓死者などはなかったと思われやすいのですが、
敗戦前2年間の中国戦場では病死者は戦死者を上回っていました。このことは、歴史学者の故藤原彰氏が『餓死(うえじに)した英霊たち』
(青木書店・01年)のなかで、1994年に刊行された長尾五一軍医中佐の遺著『戦争と栄養』などをもとに裏付けています。
中国戦線で最後の作戦となった第20軍のシ江作戦(※)の場合、45年4月〜6月の3カ月間の死者は戦死695人、戦傷死322人、
戦病死2184人、合計3201人にのぼり、「第20軍の統帥発動以来終戦までの各種比率は…戦死、戦傷、戦病死おおむね4対5対91」
(第20軍軍医部の戦死・戦病死者別一覧表の注)とされています。
藤原氏は、こうした資料から、戦傷死が意外に多いことに注目し、「負傷した後に包帯所や、野戦病院で死亡する者が多かったことは、
患者の給養がきわめて悪かったことと無関係ではない。これも広く餓死の分類に入る。圧倒的に多い戦病死の詳細な内訳は不明である。
しかし病気の大部分が長期間の不十分な給養で、栄養失調状態にあって病気にたいする抵抗力を失っていたため、戦病死に至った」と書き、
中国戦線での45万の戦没者の過半数が戦病死、それも給養不足に基づく栄養失調や、それが原因での体力の消耗による「広い意昧での餓死」
であったと結論しています。
73 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 04:42:48 ID:0xF0kMH5
日本軍が、補給らしい補給もなしに、現地調達する方針は、明治以来、一貫していました。日清戦争が開始された1894年(明治27年)、
朝鮮出兵軍からの補給困難の訴えにたいして参謀本部は次のように訓令しています。
「…古昔、兵家の格言に因糧於敵(糧〈かて〉を敵に因〈よ〉る)の一句あり。爾来〈じらい〉内外の用兵にこれを奉じて
原則となすゆえんのものはこの理由に外ならず。…糧食すらなお且つ敵地に所弁すべし、いわんやこれを運搬する人夫においてをや…」
〔同6月29日、参謀総長・熾仁親王から混成旅団長・大島義昌あての訓令 中塚明著『歴史の偽造をただす』(高文研)から引用〕
「因糧於敵」、これが侵略軍として日本軍の行為の根本にあったのです。
(※)シ江作戦の「シ」は、くさかんむりに止の字
74 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 05:39:14 ID:???
これ何?
75 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 05:42:37 ID:???
ブサヨクだかホロン部だかしらんがいい加減にしろ。
プロパガンダは余所でやれ。
76 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 06:02:34 ID:???
コピペだかなんだか知らんがおむね正しいことかいてある
77 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 06:34:57 ID:???
労働者とか人民とかアカっぽいけど、確かに概ね正しい。
その上で「だからどうした?」という話だが。
みんなが帝国主義だったんだから仕方ねえな
78 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 07:37:26 ID:3b7OJb7l
いや、戦病死については、ちょっと強引な話だな。
なんだかんだ言っても旧軍は負傷兵を収容してなんとか野戦病院へ
送り込もうとしている。で、野戦病院に収容直後に死亡しても戦病死
扱い。(収容直後に死亡した場合、部隊長が病院に収容しなかった
ことにしてくれ、と頼まなければいけなかったらしい。本当かどうか
しらんが、戦病死と戦死では恩給が違うそうな。)
また、末期は戦場で死亡するよりも拠点で空襲を受けて戦傷を受ける
ことが多かった。ということで、怪我をした地点そのものに野戦病院が
あるわけで、収容率も高い。
つまり、戦病死扱いになるものでも実質的に戦死したものが多く、いわんや
戦病死のほとんど全てを餓死扱いするのは間違い。(現地調達と徴収の
違いも良く分かってないようだし。)
あと、支給品だけでカロリー計算しても無駄。普通に蛇とか蛙とか、
南方なら自生してるジャックフルーツ(波羅蜜)とか椰子とかの収穫も
してる。
詳細はビルマ軍医戦記でも読め。素人っぽい書き方なんで、同じことが
繰り返し出てきたりするが、野戦病院の外科がどんな状態なのか、
よくわかるぞ。(ちなみに、著者の伝聞情報ながら前線にツジーンらしい
人がやってきて、無茶いってる場面もある(w )
79 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 07:44:01 ID:???
>>78 横レスだが、破傷風による戦死が大戦を通してもっとも大きかった。
米軍はその辺を対処済み
ま、これはむっちーの責任ではないが、詳しくは日本軍の小失敗の研究をみれ。
80 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 07:54:17 ID:3b7OJb7l
81 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 08:09:16 ID:???
>>80 かこうとおもったが、やっぱり揚げ足とるんだね。
82 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 08:11:21 ID:???
とりあえず、うちのジジイのかたきです。バアちゃんはよく呪詛してました。
83 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 08:58:19 ID:???
にくむのは英兵だろう。
上司うらんでどうする。
84 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 09:17:18 ID:???
85 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 09:30:26 ID:???
>>83 その英軍に協力?して将兵を殺した指揮官ですけど?
86 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 09:56:45 ID:???
指揮官に愚痴ばかりたれる前に敵兵の1人もころせや。
兵は考える前にうごけ。
87 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:01:08 ID:???
88 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:01:36 ID:???
>>86 それをいうならきちんと考えてない牟田口はいったいどうなのよ?
現場は餓死者が出るまでやってから撤退したんだ十分やった
いってる事おかしいよお前
89 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:02:55 ID:???
兵を餓死させる指揮官に何もいうことはないやろ
90 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:08:13 ID:???
>>87 現地調達は皇軍の基本 糧食ぐらい自分で確保しろ
91 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:19:39 ID:???
>>90 しなかったとでも思ってんかてめえはよ、食えるものは何でも食ったんだよカス
大の男が餓死するんだ、何でそれが分からん。あぁ脳がないのか
92 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:22:27 ID:???
皇国の藩塀として異国の土になること自体は本望だろう。
上官の指示違反は命令無視。
すなわち天皇陛下に弓を引くことと心得よ。
93 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:23:25 ID:???
94 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:25:03 ID:???
敵と戦う前に 死ぬ兵なんて 役に立たないよね。
何の為に戦場にきたのかね。
95 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:25:58 ID:???
じゃあ、上に黙って勝手に戦争始めた牟田口は天皇陛下に弓引いたんだな、死ね
考えろ、てめえのない脳みそを振り絞って考えろ
何で独断で撤退した師団長が裁判にかけられなかった?考えろ
96 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:27:19 ID:???
>>92 陛下の裁可なしに牟田口は師団長を解任しましたが?
これは陛下に弓を引く行為ですが?
97 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:29:19 ID:???
>>95 戦争末期でそれどころじゃなかったからだろ。
98 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:33:00 ID:???
天皇陛下に弓を引いた牟田口は有罪
99 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 10:33:43 ID:???
陛下のご裁可を仰ぐべきところ、前線の軍規をたださねば
総崩れともなりかねず、やむをえず断をくだしました。
これについては、宮城にむかい腹掻ききってお詫びといたしたい。
で、わが輩は腹を切ろうと思うが......どう思う?
死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死んジマエー
>>101 それよくいわれるけど、後世の作り話ときいた。
レス止まった所を見るとやっぱり脳内か、、、
>>53って、従軍記者だった丸山静雄の書いたもののなかで
紹介されてた稀ガス。違ってたらゴメソ。
>>90 おまえ、現地調達を「強盗する」ぐらいにしか捉えてないだろ。原則として
対価は必ず払ったぞ。現金の場合もあれば軍票の場合もあったし、
現物交換の場合もあったけど。結果的に軍票が紙切れになったとは言え、
無理やり徴収した例の方が稀だ。つーか、無理やり徴収するような状況
になったら、大問題。
牟田口はインパール撤退時期には自軍その状態に追い込んだわけだよ。
ただ、撤退時の調達でも組織が生きている時は軍票で払ってたらしい
けどな。しかし、それは部隊長の節度であって、牟田口の指揮による
結果じゃねーぞ。
>>103 誰というか、2ちゃんのレスだよ。
>>101より詳細な逸話とやらがのっていたが、
別の人のレスでそれは創作と打ち消されていた。
なんなら、初心者スレできいみてはどうかね?
牟田口氏の言動に対し諫止しなかったかどうかききたまえ。
あるいは一一次史料を提出せよ。
>>106 日中戦争スレ (イナゾウ大佐主催スレ)で、その辺の交渉がされていて、
大陸での現地調達は商取引が原則との解釈はされてない。
前スレでこまかく考証されていたはずだが、イナゾウ大佐に聞いてみてはどうかね
>>107 そのテの話には「一次史料」はない罠。「一次史料」というのは「陣中日誌」
とか「戦闘詳報」。あとは閣下自身か、参謀の日記類。
それらにしても、いくつかの傍証とてらしあわされて論ずるべきもの。
しかしまあ、この場合は「あの閣下ならそんな下心(止めてヨ)をもって
言う罠」と納得されてしまう時点で負け。
>>109 傍証の史料とやらを提示せよ。
いずれにせよ 必要以上に牟田口さんをおとしめる意図が感じられる。
それと結局「証拠」はないと君はいっているわけだね。
だからさ、「傍証」というのは「芸者帯同」「撤退路視察名目のトンズラ」とか
のことなわけよ。「そんなことしてるようなら、自決なんてするわけない罠」と
思われてもしかたないでしょ。「
>>53…という逸話まである」というふうに
したら納得する?それでも閣下を侮辱するから駄目かな?w
>>111 それは「行動」。
あんたが主張しているのは、むっちーが自決すると発言。 部下や周囲がとめなかった。
その経緯とやらは何をソースにしたのか、それは本人の発言だと裏付けがあるのかって
きいてるの。
113 :
111:2006/06/01(木) 12:01:57 ID:???
>>112 ごめん、
>>53も
>>103も俺じゃないんだけど。w
それと「傍証」といったら、書類などの「資料」だけをさすんじゃなく、
「行動」「証言」「物証」などを含めて指すんだけど。
おいらも
>>53の話は初耳だったんで、とりあげるとしたら「…という逸話
まである」としたほうが、より正確かなと思って書いたんだけど。
これで気がすんだ?w
>>113 誰であろうとそんな事は関係ない。
資料をだせるのか出せないのかと聞いているんだ。
115 :
111:2006/06/01(木) 12:17:52 ID:???
ヤレヤレ、閣下の霊が乗り移った人に粘着されちゃったよ。
>>115 出せない癖に必要以上に貶める理由にはならないな。
資料だせないのなら、電波とみなす。 以上。
今日6/1は電波の日だから仕方ないか
交戦国と大東亜連盟参加国では、
進駐している軍の対応(対価支払or略奪)は違うわな。
中国戦の場合、主に中国人と戦い、物資を奪ったわけだが、
ビルマ戦は、蒋軍、イギリス(ビルマ)軍と戦い、
その軍(国)が保有する物資/建物は奪った。
しかし、現地人であるビルマ人からの略奪は少ないはず。
(あるorないとの確証ないのでスマヌ)。
>>118 反日史家として有名な林博史だが、日本軍の現地調達の実態にはそれなりに詳しい。
ビルマ関連でも徴発あいついだと言及してる。
表面化していないのは中国や他の東南アジア諸国とちがってビルマ人の反英感情が
それ以上につよかったため。
>>119 物資をうばったんでなく、徴発。 それもかなり限度を超したものであるとの結論が
でていたぞ。日中戦争のスレで質問するか過去ログでも読め。
インパル攻略したとして意味はあったの?
援蒋ルートの遮断。
インド独立への足掛かり。など意味はあった。
到達&達成できるか?と
維持できるのか?を考慮に入れなければ、
作戦としては当たり前の作戦。
「到達&達成できるか?と 維持できるのか?を考慮に入れな」かった
のは、ドイツの伍長閣下と一緒ということか…
>>121 農家にとって命の次に大事な牛さんをジンギスカン作戦のために
大量に徴発した上に無駄に殺してしまった将軍がいたなそういえば。
>125 史料をだせ!w
>124
考慮に入れなかったっつーよりも、
某閣下は、それらを理由にして
一度インパール作戦に反対して没にしたわけよ。
でも、司令官になったら、何故か発動。
>123
「考慮に入れなければ」というけど、入れなかったら、それはもう
「作戦」とはいえないんジャマイカ。兵棋演習くらいはしたんだろ?
ていうか、足りない分は「皇軍の敢闘精神」でカバー?
>128
兵棋演習か会議かどうか詳細は分からないが、
一度検討されて、没案になっている。
辻スレでは、擁護(活躍もした等)のレスがあったが、
何故、ここでは擁護レスが一つもないのか?
中国戦線での話もキボンヌ。
じんぎすかん作戦の要点は牛だけじゃなくて
となりに歩いてる兵士も食料とすることでつよ
インパールでは徴発は少なかったはず。実際、兵士に対して軍票を
渡して、食料等を自前で調達せよ、ってのが軍の方針。
大規模徴発が行なわれたという記録のソースを出せよ、ホロン部。
ホロン部とかいている時点でお里がしれるよ。巣に帰れ
開き直るなっつーの。
軍票は大半が換金されず、作戦に使った牛もビルマ全土からあつめてきたもの。
それも金銭のうらうちがない「軍票」
現代ならヘリボーンで何て事ない作戦なんだが、昔の兵隊さんは大変だ。
138 :
名無し三等兵:2006/06/01(木) 19:01:56 ID:0xF0kMH5
英軍はムッチーをどう評価したの?
>>139 ただで白星をプレゼントしてくれて感謝しています
「運動中は水を飲んではならない」は日本軍の体質を表している。
142 :
お万が飴売り:2006/06/02(金) 00:21:20 ID:QRbfhCA6
牟田口のちんぽ顔は、間抜けで助平だ!
近年、特定の個人に対する、耳を覆いたくなるような誹謗が飛び交っている。
限られた戦力、物資、時間、状況の中で如何に決心したか。
それは現場にいなかった人間には決して永遠に分かりえないことがらである
閣下は武運つたなく、良い結果をだすことができなかった。
だが、よく考えてほしい。
結果が、在らぬ誹謗中傷の根源になっている面もあるのではないだろうか。
失敗の責任を閣下一人になすりつけ、
責任を回避する破廉恥漢はあなたの周りに存在しないと言えるだろうか。
トップは常に孤独なものだ。
「敗北は悲劇だが個人を中傷しても何の解決もならない。」
このことを我々は常に考え、
明日に向けて歩む必要があるのではないだろうか?
作戦を許可した牟田口の上司もアホ、悪いのは牟田口個人じゃない!
という擁護が俺には限界です。
何万等もの牛を全部現地調達だもんな
>>143 そりは違う、誰が悪かったのか、誰に責任があるのかは明確にする必要がある
>>143 「失敗の本質―日本軍の組織論的研究」(中公文庫)を読んでごらん。
閣下のことだけをとりあげてる内容ではないが、「閣下は武運つたなく、
良い結果をだすことができなかった」わけじゃないことが、よくわかるから。
てゆーか失敗の本質も読まないで
インパール作戦を語ろうなんて不届き者がいるのか
>>141 日射病か脱水症の原因になるだけで何の意味もない決まりですな
でも、各地の学校の運動部ではほんの十何年前まで残っていたもようで
>>143 ああそうだよ、パーシバル閣下がすべて悪いのじゃなよね、閣下がマレーもう少しでまともな防御戦をやって、
自転車に乗って部隊の先頭に立って突撃してくる牟田口っていう司令官をぶっ殺しておかなかったから
インパール作戦なんて極めて愚かな戦いが行われたというのは、誹謗中傷だよね。
とりあえず墓には屁ぶっかけてくるわ。
>>151 一緒に塩分を摂らないで水分だけ補給すると血液中の塩分濃度が薄まり熱中症になる、昔から肉体労働者が塩辛い味を好むというのはそのため。
工事現場で熱中症で死ぬのは土方よりガードマンの方が多い、肉体的には土方の方がハードだろうけど彼らは学生だったりフリーターだったりするから予備知識が無い為に死に至る。
まぁポカリ飲んでりゃ間違いない
「牟田口司令官は、 死んだ兵隊たちに誠にすまなかったと、頭を下げたことは死ぬまで一度もなかった」 (古田中陸軍大尉)
「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、
一応形式的にも止めないわけには参りません。
司令官としての責任を真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。
心置きなく腹を切って下さい」
(第十五軍藤原参謀、切腹するつもりだがと相談されての返答)
「撃つに弾なく今や豪雨と泥濘の中に傷病と飢餓の為に戦闘力を失うに至れり。
第一線部隊をして、此れに立ち至らしめたるものは実に軍と牟田口の無能の為なり」(第十五師団山内正文師団長)
帝国陸軍が産んだ伝説的な将帥であり、その存在そのものが陸軍の人事、教育、組織の欠点を具現している人物。
それが牟田口です。近代戦への理解も無く、組織運営もろくにできず、しかし学業優秀でエリートコースに乗り、
どういう巡り合わせか国家の命運を分ける場面に出くわしては最悪の手を打つ。
どうやっても弁護のしようがありません。
戦後も、自分には責任は無いと自己弁護に徹していたと言いますから、どこか壊れていた人なのかも知れません。
そんな彼には、部下としてインパールで苦闘し責任を押し付けられて師団長を解任された佐藤幸徳少将の言葉が相応しいでしょう。
「牟田口は鬼畜だ」と。
「我々が前線で死に物狂いの時にあの馬鹿は、メイミョウの避暑地で料亭を置きかつ芸者を呼んで作戦会議
挙句にもっと前線で指揮を執るべきと言っても聞く耳もたず。
ビルマ方面軍の川辺中将からの再三の督促でもやっと、イラワジ河を渡りシュウエボで留まる始末。
これで前線の指揮が低く、無能者ばかりで言うことを聞かないとはよく言ったものである。」
(第33師団長 柳田元三中将)
牟田口司令官が佐藤師団長解任後、司令部将校を集めた時の訓辞
「佐藤師団長は軍命に背きコヒマ戦線を放棄した。
「食料弾薬がないから戦争はできんと、これが皇軍か。
皇軍は弾が無ければ銃剣が有るじゃないか、銃剣がなくば腕でいき、腕がなくば足で蹴り、
足もだめなら、口で噛みつき大和魂があることをわすれちゃいかん。日本は神州である。不滅である。」
これが司令部に芸者を呼んで、毎日宴会をやってた男のセリフかと・・・
160 :
名無し三等兵:2006/06/03(土) 13:24:38 ID:atYJObO1
すげえな、本当に漫画や小説で出てくる典型的な馬鹿司令官のレベルだよな
佐藤師団は前線逃亡して部下9000名を救ったが、
独断だったため包囲を形成していた他師団が総崩れに…、
162 :
花谷正:2006/06/03(土) 14:10:14 ID:???
クソスレ延び放題だなw
自発的撤退を前に佐藤幸徳師団長が
第15軍司令部に送った電文(打電後無線連絡を断つ)
「第十五軍司令部ノ戦術能力ハ士官候補生以下デアル」
佐藤師団長は攻勢防御以外になんか妙案でもあったんだろうか。
165 :
名無し三等兵:2006/06/03(土) 19:30:09 ID:nU0+/y6Y
極寒のロシアで戦ったドイツ軍に比べれば
ジャングルなど食料だらけ
と牟田口は考えてそう
>>165 そんな考察があったというより
まっ、俺が行くわけじゃねーし、俺は棋士でおめーらは将棋の駒。
腹減った?俺は腹減ってねーし。
知ったこっちゃねーな。
駒が死んだっつってもどーでもいーんだよ、俺は死なねーんだから。
ってとこじゃね?
再販された「補給戦」を読んでからインパール作戦を振り返ると、
その補給に対する無策ぶりがよく分かるよ。
二等兵が急遽司令官に御輿に祭り上げられたってならわかるが
その道で30年近いキャリアを積んできたスペシャリストとはとても思えないよな。
30年間ひたすら指揮官として生きてきて、このお粗末さは何?
牟田口って、兵の命は羽毛のごとしとか言ってた香具師だっけ?
インパールの直前たしか補給専門の参謀長を解任してるよね?
NHKの放送以外で何か資料ってあります?
あと、ジンギスカン作戦の時、「食べられる野草」の研究もしたって、
言ってましたけどその資料って配布されたんでしょうか?
(一時資料として残ってれば非常に貴重。配布すらされてなければ
責任回避の言い逃れ。辻ーんですら、「これさえみれば」を配布して
デフォな内容だけど情報を発信しようとしてたから)
しかし、むっちーも師団長の経験があるから、佐藤中将の言い分も理解
できたはず。中止の機会は何度もあったのになんで中止できなかったん
だろ。
171 :
名無し三等兵:2006/06/03(土) 21:57:16 ID:RVUG6oOn
つうか牟田口のアレ過ぎるおかげでなぜか佐藤が良将のように言われているが
どんな理由であれ独断撤退はまずいだろ
他師団の将兵こそ良い面の皮だ
172 :
名無し三等兵:2006/06/03(土) 21:57:35 ID:JowpX9Xy
牟田口が以前戦った中国戦線は付近の集落から略奪すれば食料はなんとかなったし、
風土病もそれほどではなかったからなんとかなった
でもジャングルの中では略奪しようがないし、マラリアや赤痢の恐怖もある
今までになく過酷な戦場で牟田口の能力を越えてしまったのだ
>171
独断撤退をしたせいで他も一斉に崩れたからね。
たしか、遅滞戦を行うため(捨て駒)インパール南方の街道へ派遣された人の
手記をどっかでよんだなぁ。
>>170はん
補給専門ではなく、
「あんな構想でアッサム州までいけると思っているとは笑止の沙汰」
と言った小畑参謀長が解任されている。
175 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 15:06:11 ID:75YOtknt
「牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の
人だった。物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を
一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばなら
ない。十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、決断、実行に
より、帝国陸軍の名を歴史に残した。よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、あえて食糧・弾薬を少なめに携行
させたのだった。このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに
他ならない。印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう
言っている。「彼(牟田口司令官)は約束を守った。亜細亜の開放に
貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、東洋のカエサルと呼んでも過言
ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受ける
ことになった。しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった
のである。」
扶○社刊 『父が子に教える大東亜戦争』から
176 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 15:27:40 ID:1W3or5e2
薮をつついて蛇を出してしまったようなもので、
比較的安定していたビルマ戦線をかえって崩壊させてしまった罪は重い
もし守勢のままだったら、ここまでの悪評にはならなかっただろう
でも中国戦線では活躍した高名心ありまくりの牟田口では守りなんて考えられれなかったろう
>>175 ほんとにそんなこと書いているなら、執筆者はキ.(ry
>>175 コピペ乙
けど牟田口のインパールの時の指揮がキチガイじみてるのは解るが
花谷正もとんでもない指揮官だと思う。
けど多数の部下を自殺に追い込んでるのに、そんなに叩かれないのは何故?
「父が子に教える大東亜戦争」って本をググッても出てこない・・・
2chでのコピペしか見かけないんだけど、どんな内容の本なの?
それとチャンドラ・ボースって終戦直後に飛行機事故で死んでるらしいけど
「アジアの開放に貢献した」とかいうの何時言ったんだ?
180 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 16:46:15 ID:2dhTLsM/
インド人やビルマ人は結構日本人や日本軍に好意的なのは事実。
でも牟田口司令官についてはどう考えても問題。牟田口に限らず指令官や参謀将校
はどうもアホな話が多い。スレ違いだがニューギニアの飢餓戦で戦って
戻った兵士が書いた本を読んだ元参謀が「南の島ならバナナ パイナップルが
あるだろう」と言ったらしい。その死んだ人の肉を食べたのを見た生き残り兵士
達が「あのバカ」と随分うらんだらしい。
181 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 18:12:18 ID:o/CFzuTi
あんな無謀な作戦とおったてた牟田口はゴミだ。
評価の術がないほど奇抜で愚かな男。それが牟田口だ。
兵士の命をなんだと思ってる
牟田口はカンビュセス2世の真似をしたかったんじゃないか?
悪い部分だけだが。
183 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 18:32:58 ID:o/CFzuTi
さすが猿真似のクソジャップだぜ・・・
>>178 高木俊朗の戦死で花谷正はほとんど基地外のように描かれているな。
55師団はアキャブで英軍の円筒陣地にやられたんだな。部下はたいへんだったろう。
片倉衷なんかももうちょっと昇進していたら後世に大悪名を残しただろう。
誰か花谷正をwikipediaに登録してくれー。書きたいんだけど、詳しくは
知らないんだよね。wikiの書き方もよくわからんし・・・。
>>179 「父が子に教える太平洋戦争」というのはあったような気がする
187 :
名無し三等兵:2006/06/04(日) 22:32:03 ID:1W3or5e2
あの超難関である陸大を出ているだけに、エリートなのは間違いない
でも暗記ものの勉強が出来ることと、創造性が試される指揮能力とは全くの別物だからねぇ
牟田口は日中戦争の発端を作ったり、マレーで躊躇せず進軍してみたり
ただ進むことしか考えてなかった人でしょう
それにしても戦後の彼か行なった見苦しいまでの弁解は余りにも卑屈で
どこまでもダメな奴でしかないな
今村大将の清貧さとは全く対象的だね
牟田口さんの葬式の時に配ったという弁解の手記は、
自費出版で少数しか刷られてない上受け取らなかった人もいるようなので
ほとんど幻の書で見たことがある人間自体が希。
>>176 安定どころか、英印軍が反攻に出てきた時点でビルマ防衛は破綻する。
守るべき戦線が広すぎてビルマ内での防衛は不可能、というのがビルマ方面軍の見解。
牟田口=無駄口
wikiの牟田口の頁に「シンガポール攻略戦で名を馳せた」とあったけど具体的には
どんな軍功があったの?
フィリピンで餓死したのだけで60万人もいるから、
ほんの3万人餓死させただけの牟田口はとても有能な将軍。
チャンドラ・ボースという御仁はなかなかカリスマに富んだ人らしく
単純馬鹿の牟田口は、すっかり男惚れして、インパール作戦に邁進していったそうだ。
いうならば、チャンドラ・ボースは歴史的愚行を教唆した「共犯者」
インド独立の英雄かもしれないが、日本人があれほど死んでも「屁の河童ぶり」は
まさに牟田口といいコンビ、飛行機事故でくたばったのもまさに天罰だなw
それ、東條だから。
>>192 これこれ、いくら映画「シベリア超特急」があれだったからといって
山下奉文に八つ当たりしてはいかんよ
チャンドラ・ボースは何も知らない下層のインド人にはイギリスと戦ったつって単純に英雄視する
向きもあるけど、少しは歴史を知ってるインド人の中にはナチに見捨てられたら中国侵略中の
日本と組んでガンジーやネルーが非難するやり方でインド軍と同士討ちしたってんで最悪な人物
扱いだよ。実際インド国民軍がベンガル占領しても(ありえないけど)所詮日本の傀儡政権だし
またイギリスの次は日本と戦う羽目になるのは当然のことだから。インド国民軍もほとんど
悲惨な日本の収容所からの脱走目的で参加した人がほとんどだったから士気が最低だった。
ボースはインド人にとってもろくでなしの悪漢。さすがは牟田口と一緒に進撃しただけのことはある。
ソ連、ドイツ、日本、再度ソ連(未遂)
パトロンの乗り換えには忙しい人だったよな>スバス・チャンドラ・ボース
まあそれだけ母国独立になりふり構わなかったとも言えるが
ビルマのアウンサンのように、連合国とのダブルゲームやる抜け目無さ(ほめ言葉よ)は
さすがになかったのか
>>196 そんなこたーない。俺、インド人の大学教授(欧州某国)と親しくさせて
もらったけど、むしろガンジーの方が評判がわるい。実際、親族を
ムスリムに殺されたって人も多いのに、単純に仲良くしましょうじゃー
理想論に過ぎると批判も出るわさ。
んで、ボースは一応、使えるものは使おうとした現実派という側面も
あるから、理想論的なガンジー・ネルーよりも現実的対応をした
政治家、という評価もある。
>>196 >インド国民軍も〜士気が最低だった
これってどうなの?文献に出てくるインド国民兵って、士気は高くも
無いけど低くもないって感じだけど。実際、現地日本兵の多くは、
なんか「外人」さんが一緒に戦ってるなぁ〜、って物珍しさが先に
たっているみたいで、蔑視していたって雰囲気もなさそうだし?
>>198 評判の悪い理想論ってそりゃインドの対英協力じゃなくてガンジーがひとつのインドにこだわった点のことだろ?
状況からみたら今次大戦が終結したらインドが独立することをイギリスが認めないわけにいかないのは
別にガンジーの言によらずとも誰の目にも明らかだった。ボースはただ単に先と現下の状況が
読めずに過去の事例ばかり見て軍事蜂起しか頭になかったのがアホな話で、実際に彼のしたように闘争で
独立を勝ち取った東南アジア諸国なんて軒並み共産化するか軍事政権が樹立して植民地時代より悲惨な
ことになってるじゃん。現実派っていってもファシズムや共産主義の国と協力してあとでどんな問題引き起こすか
想像できない程度の現実派だろ。
>>200 随分とガンジーを高く評価してるようだが、贔屓の引き倒しだよ、そりゃ。
インドの独立が誰の目にも明らか??んなわけねーだろ。パレスチナが
どーなった?今のインドがどーなった?
あと、インドが独立後にどんな政体を取ってたのかも知らんのか?
非同盟中立外交と言えば聞こえがいいが、実質的にはソ連寄りに
ならざるを得ない状態だっただろうが。
寧ろ、イギリス主導で独立をさせられた場合、分割分断されてしまい、
結局はインドの発展が阻害される危険性を重視したってことだろ。<ボース
つーか、
>>200の書き込みを見ている限りじゃ、
>ボースはインド人にとってもろくでなしの悪漢。
という部分は、インド人から聞いたとかの話じゃなくて、単なる推測なのか?
仮にインド人からの伝聞だとしても、
出身地域/宗教/カーストで多種多様な意見があるだろうから、
1インド人の意見でしかないなぁ。
どーでも良いけど、多様性云々と言い出して、それは個人の意見でしょ?
って言う人は何を言いたいんだ?
じゃー、何かのコンサートに行って、大勢の入場者の一人に「何の
コンサートなの?」と聞いたらサザンだった、という状況のとき、「多用な
年代の入場者がいる中、一人の答えがサザンだったからと言って、
このコンサートがサザンのコンサートとは限らない。一人の意見でしか
ないからなぁ。」って言うのか?
>>201 どこからガンジーを過大評価してるふうに風に読み取れるんだ?
インドがイギリスの対独戦に基本的に協力したのは別にガンジーの
一存で決まったわけじゃないだろ。
戦間期のインドの反英独立闘争の激化とイギリス製品のボイコット、
さらにインドの対英債権の保有ともう経済的にイギリスがインドを統治する
メリットなんか全くないじゃん。
インドの独立が決定的になったのは42年のクリップス使節団の派遣時だが
あっさりイギリスがインドの独立を認めたのはそういうことがわかりきっていたからに
ほかならないだろ。戦争が終わった時点でのインドの外貨保有高知ってるか?
イギリスがこの乗り気でない元植民地に支払った金によってインドは世界で
2番目の外貨保有国になったんだぞ?中国を侵略しベンガルを爆撃してインド人の
国民感情を悪化させた日本と協力したボースが全くの無駄死にだったと思う
インド人が中にはいるのは当然だろ。独立直後のインド国民軍の裁判の時のような
熱狂がすべての意見を代弁しているなんて何で言えんだか。
戦後のソ連への接近は戦後の経済統制的な自給自足体制の当然の帰結だろうが。
それにしても世界最大の民主主義国を自称できるだけあって悲惨なことになった
ベトナムやカンボジア、ビルマやインドネシアにくらべればはるかにマシだと思うが。
ボースが分割して独立することを恐れていたって、それまんまガンジーと同じじゃんか。
君が勝手に考えたのか?
>203
そうゆう例話は意味がないぞ。
大体、実際にサザンかどうか分からないしね。
サザンが沢田研二の前座をやっていた時代に、同じ質問をしてごらん?
群集の多くはジュリーのコンサートと答えるよ。
レス番間違いスマヌ。
206は204宛ね。
あー。随分とトーンが変わってきたな。
>国民感情を悪化させた日本と協力したボースが全くの無駄死にだったと思う
>インド人が中にはいるのは当然だろ。独立直後のインド国民軍の裁判の時のような
>熱狂がすべての意見を代弁しているなんて何で言えんだか。
ってことは少なくとも、
>ボースはインド人にとってもろくでなしの悪漢。
ではないわけだ。
>>206 前座は前座だろ。つーか、ビートルズのコンサートでドリフターズが
前座で歌ってる時に、このコンサートはドリフのコンサートだと答える
アホがいるのか?ドリフのボーカル・仲本が歌っている真っ最中でも
客はビートルズのコンサートに来ているとしか絶対に言わんと思うが。
あと、何ところで何で、インドの国民感情に「中国を侵略し」が影響を与えるんだよ?
>>209 ガンジーが有名な日本への手紙でそう言ってるじゃん
>>210 はぁ?あれって「インドの国民感情」にかかってるのか?日本への
戒めだろ、あれ。
>>209 他国侵略中の国が何でいい印象もたれんだよ?
へ?じゃぁ、ハワイ侵略中のアメリカは?インド侵略後のイギリスは?
バルト併合のソ連は?フランスは?イタリアは?
同じアジアの国で、日本だけ飛びぬけてるけど、だからと言って
調子に乗っちゃうのはダメだよ、今の日本がやってることが他の
欧米諸国とどう違うのか、良く考えて下さい。心配してます。
って意味だろ、あれ。インドは日本嫌いだも〜ん、って宣言文じゃないぞ。
コンサートうんぬんは置いといて、
1人の意見が国民を代表できるの場合は非常に限られる。
一部の意見を例に上げて、それがまるで総意かのような論は、
例え正論を裏づける内容であっても、信憑性を無くしてしまうよ。
>>214 俺は総論を述べようとしたんじゃなくて、反例を出したわけだが?
216 :
210:2006/06/05(月) 17:11:03 ID:???
間違えた。ガンジーじゃなくてボース本人が言ってた。
ボースの声明より
>中国との紛争が勃発したことによって、確かに日本に対する
>インド人の感情は少し悪くなった。
>しかし、大東亜戦争が始まり、事態は根本的に変化した。
>>213 知能障害?
>>216 >インド人の感情は少し悪くなった。
>しかし、大東亜戦争が始まり、事態は根本的に変化した。
・・・・。この文章を持ち出して何が言いたいんだ?
ついでに知能障害をおこしておくか。
少なくとも俺の知人のインド人はボースが好きだったし、ガンジーが
嫌いだった。そして彼は知識階級の人間だった。
だから、
>>196に書かれている「最悪な人物扱い」というのが支配的な
見解ではないと断言する。
日本主導の独立を好意的にとらえてるぐらいだから
「少しは歴史を知っている」インド人じゃないんじゃないの?w
218みたな書き方だと分かりやすいね。
話しがゴチャついたみたいだから、オレはレスを控えます。
ここは何のスレだ?
ボースじゃなくて牟田口を褒め称えろボケども
正直、もうネタがないのでは?
ここは粘着だらけだな。おまえら議論のルールも知らない厨房か。
自分につごうのいい資料を引っぱり出して、「俺様の解釈がサイコー」とか
延々といってんじゃねーよ。
所詮は匿名掲示板での「限られた議論」なんだから、自己規制して他の住人に
迷惑かけないようにしろや。
>>222 いっそのこと「山下大将とシベリア超特急を称えるスレ」にしない
ボースが最悪ならなんで今のインドの国会で肖像画がかかってるんだ?
勘違いした下位カーストどもに人気があるからだろ。
韓国で安重根が英雄であるように旧植民地国ではそういう英雄もどきを
祭り上げなきゃ国民の気がすまない
カーストカーストで全てを解決するカースト狂信者
肝心なことを忘れているぞ。
いったいインド人が何億人いると思っている!!
みなさん忘れてませんか。
官邸の風呂の中で外からインパ―ル作戦の実施を聞かれて
『補給は大丈夫か?』
と聞いた方を。
大丈夫などという、ほとんど意味のない、何の保証もない日本語を当てにした人を。
ビルマで英印軍が攻勢に出れば支えきれんし。攻撃は最大の防御とも言うから
インパール作戦の意義は否定できんよな。補給その他の準備不足を正当化する気にはなれんが。
ビルマ防御戦に成算がないことはFA?
攻撃よりマシだろ
結局ビルマを失うことになるとしても
栗林中将ならビルマで遅滞防御戦を繰り返して
英印軍を苦しめたかもね
ただし、国土が焦土と化すビルマはフィリピン並みの反日国家になったろうけど
いずれにしてもあの愚将には絶対出来ないことだな
昭和二十二年七月一日(火)
日本人は何もわからぬオッチョコチョイだから、
すっかりもう占領軍になついてしまって要するにうまい具合に飼われているのだ。
此の頃の新聞のあらゆる記事に出ている占領軍とくに米軍に対するエゲツナイ様な
オベッカ使いのざまは何だ。
新聞社の社長殿を追放する前に記者連中を全部追放して
もっと実質的な土台から建直しをせねばならぬと思う。
今時大きな事をぬかすのを自由と考えて勝手気ままに
ほざいているのは真の勇者でも何でもない。
今沈黙を守っている人々に真の国士がおるのだ。
大日本帝国陸軍軍医少尉●水口安敏命
昭和二十四年二月十二日に処刑。享年三十四。
佐藤幸徳はどうなってんの?
>>234 何と言うか、そこまで昭和天皇を愚弄しなくてもよかろう。
ずいぶん前の書き込みですが
>>15 名将牟田口将軍の奮戦。
ネタ??
マジ??
>>234 コピペにマジレスだが
巣鴨でつるされたヤシの遺言持ち出して牟田口をこき下ろすのを
「戦後民主主義だ」と批判したいのだろw
死者に頼って、自分の言葉で話せないとは、生きてて恥ずかしくないかい
お前も死ね屑
↑これは恥ずかしいな
なんで小林?
牟田口中将じゃない!
牟田口先生と呼べ!
>>242 なるほど、牟田口大先生だ
牟田口大先生ほどの「反面教師」は他におるまい
>>241 特攻隊員などの遺書持ち出すのは、コヴァの十八番
過去の戦争について批判するのは許さない
これはこれでマズいだろ
牟田口先生は、戦中の宅間守だ!
さすがに憎悪剥き出しはこまるが
批判的に検証することは絶対必要だと思うよ
>>234のように御涙頂戴の感情に訴えて
批判を封じようとする卑怯者がいるからねぇ
でも、御涙頂戴は単純馬鹿向けだから
このスレ住民もずいぶんとみくびられたもんだw
牟田口を敗軍の将だから批判してるんじゃなくて、その無責任さを
批判してるっつーことがわからんのかね?敗軍の将だからっつーことで、
批判されてる人はいないはずだが。
マリアナの小沢を非難する声は少数のボンクラだけだろうが。で、小沢を
批判するヤツはこのセリフに答えてから批判しろ。
「じゃぁ、どうすれば良かったんだね?」
小沢中将を批判しろだって?そいつはムズイな
「軍人は皆殺人鬼!」がモットーの社民党員でもなきゃ無理だねw
>>248 あの無謀な囮作戦を見事成功させた手腕には何もいえない。
でもボロ負け
旧式戦艦囮にして日本部隊を釘付けにした緒戦のイギリス東洋艦隊のほうが立派
>>251 「じゃぁ、どうすれば良かったんだね?」
ただのノータリン反論厨かw
>>235 インパール作戦後、あの迫力で「全てを白日の下に晒してやる!」凄んだので
軍法会議は開かれず佐藤師団長は「ご乱心」とされて予備役に編入されちゃいました。
(どっちが乱心じゃい!これだから陸軍は・・・)
戦後、自伝を書いてます、これを読むとやはり只者ではないのが解るそうです。
戦後も多くの部下から「命があったのは、佐藤師団長のおかげ」と慕われていたそうです。
上官にするとこれ程頼りがいのある人はそういないでしょう。
255 :
名無し三等兵:2006/06/07(水) 17:09:45 ID:fVWfj3vv
>>254 しゃべられるとまずいことだらけだからなw
戦後しゃべってるけど…
大本営、南方総軍をののしってる
佐藤師団長が執筆なさった本って入手可能ですか?
ビルマ戦を詳しく知りたいので、お薦めな本があったら紹介してください。
>>233 南機関が軍事教練した本流のナショナリストたちをもっと重んじ、
傀儡政権ではなく、完全自治権を与えた政府を樹立し、
ビルマ国軍を同等の同盟軍と認めていれば、それでも、ビルマ人は、
日本軍とともに戦ってくれたかもしれない。
その結果として国土は焦土と化し、アウンサン以下の本流のナショナリスト立ちは、すべてパージ。
恐らくビルマの英連邦からの独立は、相当に遅れることになるだろうが。
牟田口って確か、インパールの後、陸軍予備士官学校の校長になったんでしょ?
まあ、これ自体は左遷人事って言うけど、
正直、左遷で将来の軍を担う人たちを育てる教育機関の長ってのはどうよ?
すぐ滅亡するから問題なし
牟田口は戦後の身の処し方が嫌だな。せめて栗田みたいに沈黙していればまだしも。死んだ部下への哀悼の思いとかないのかと思う。
>>248 レーダーとVT信管を備えた米機動部隊にはいかんとも
しがたかったからね。
装甲空母の大鳳が最後方っていう艦隊運用はいかがなもの?大和すら前に出たのに。
本当に充分な装甲ならね
>>233 遅滞防御は牟田口指揮下でもやってる。
だいたい、栗林中将の奮闘は火力に耐えうるだけの硫黄島要塞化に(未完成ながらも)成功したからでビルマでは無理。
野戦陣地を築いても戦線が広すぎるため迂回されれば終わりだし、
そもそも砲力と機甲戦力と航空戦力で上回る英軍は日本軍の陣地を簡単に突破できる。
>>261 学校はその程度でいいと考えてたんじゃないのかな。
>>261 予備士官学校って、フツーの大学生を、半年か1年かで「陸軍士官」の作り変えるところでしょ
当然、神懸りに近いというか洗脳というかトンデモ精神教育が必須のはず
まさに牟田口大先生には天職じゃん (けっして褒めているのではない、念のため)
案外マレー戦の直後に「校長先生」になってたら、後世の評価が正反対になってたかもよw
イ保守
>>269 なにか勘違いしてないか?
予備士官学校は主として甲幹つまり下士官の出来のいいのを将校にするところだぞ。
一部は学徒もいるがそれだけじゃない。
>>271 陸士卒の士官ですら陸大を出ていないとエリート組のパシリ扱いだったのに、まして叩き上げの士官の価値を当時の陸軍上層部がどれだけ理解してたかは疑問だな。
「指揮官のなかには、第60連隊の連隊長・松村弘のように戦後いっさいの
職につかず、千鳥ケ淵の無名戦士の墓標を守り続けた者もいる。
・・・
その反面、戦後も「閣下」と呼ぶよう強制し、自らの作戦がいかに正し
かったかをあちこちで説き続けた高級指揮官がいる。」
(『昭和陸軍の研究 保阪 正康』)
戦後いっさい職につかないってのもどうかと思うが…
保坂さんは感情が入りまくるからなぁ
実は、ビルマ防衛は辻ーんの作戦が正解だったんだと思う。
(辻ーんの作戦は、兵力があれば成果が期待できたのでは?)
アラカン山脈→イラワジ川の第一防衛線
イラワジ川→メイミョウ/ピンマナの第2防衛線
ここからが分かれ道
*センウイを中心に怒江までの防衛陣地(援蒋ルートの遮断)
→余力があれば雲南へ進撃し自活戦
(辻の本来のアイデア。出典は忘れてしまったが、ビルマ方面軍所属の将校の回想だった思う)
*メイミョウ/ラングーンの第3防衛線→シャン高原/タイ国境の第4防衛線(ココで辻ーん負傷しリタイア)
(史実ではイラワジ河会戦が企画されてる。また鉄道も(寸断されているが)2本走っている)
この作戦をむっちーが当初から企画していれば違ったのでは?
確かに兵力があれば成功したかも知れないが、そんな兵力などどこにもない。
>>267 いや、それでもラングーンの要塞化を少しでもやっていれば、多少は
違ったんじゃないか?英軍は、ほとんど何も考えずにラングーンに
突進してきたんだし。
(そのおかげで、退却時に包囲された部隊が少なかったはず。)
>>277 史実ではイラワジ突破された時点でアウンサン率いるINAが叛乱起こしてるが。
>278
ああ、で辻ーんを襲撃してる。
寝返りビルマ軍の記録/資料って残ってないのかな?(追跡ができない)
IFで考えていくと、
*当初の牟田口の手元にあったのは3個師団(この時点で援軍の予定なし)
*インパール作戦失敗を受けてガ島生き残りの追加投入
(編成表どっかにいったから、正確な増援数がわからん)
@ 史実→攻勢防御
A 仮想→インパール作戦なし。援蒋ルート遮蔽を目的にした遅延作戦。
Aは可能かな?(むっちー、辻ーんの夢のダブル作戦指導で。両者ともシンガポール
で面識がある旨が推測される)
その場合、英軍もインパール作戦で受けた損害がないので、
ビルマ北部と南部でニ正面の防御作戦となる。
曾おじさんが作戦に反対して更迭され、奉天に飛ばされた。
>280
2面作戦はちときついな。
ビルマ北部→陸路
ビルマ南部→海路
だとすると、英軍の反抗は、あるとすれば昭和20年前半??
国民党軍は、雲南から流入してるから、ビルマ方面軍VS国民党軍。
になるかな?
第28軍>ビルマ南部の防衛。海岸づたいの反撃に備えた。隷下に2個師団。(第2師
団は15軍へ移籍)
末期に司令部ごとペグー山中で遭難。ほぼ壊滅し安全圏のシッタン河右岸へ
後退。居場所が無いので33軍へ間借りをしていたら辻ーんの督戦を受ける
ハメになった悲劇の部隊。(辻-んの記述に後退してきた28軍司令部との宴
会/センウイへの強行補給の記述あり)
>281
市況版にいた香具師かな?
小畑少将?
285 :
名無し三等兵:2006/06/14(水) 23:56:32 ID:QZdYi9bv
第二次世界大戦当時の米軍や英軍なら牟田口のような失敗したら、
どんな責任をとらされるの?
287 :
少佐:2006/06/15(木) 01:27:25 ID:HF/xaZ3P
せめてバズーカがあれば牟田口の評価は180度変わってた可能性は
あるのではないか?
それは無いな。
だって食い物が無いから同じことだし
>>285 はん
とりあえず、マーケットガーデン作戦をやらかしたモンゴメリーは何の
処分も食らっていないような。
モントゴメリーはワタシが誅しました。
>>289 まあ、確かに英第1空挺師団とポーランド第1空挺旅団は壊滅的な打撃を食ったが、
英第30軍団が殲滅されたわけじゃないからなぁ。
一応、アルンヘムの南岸までは到達してるし。
一時的に後方は遮断されたが回復して、ライン川の本格渡河の時までは確保したわけだし。
牟田口の戦禍よりゃ、ずっとマシだろ。
牟田口の攻勢とそっくりなのはドイツのアルデンヌだろ。
アルデンヌでは燃料以外の補給はそれなりにあった。
むしろそっくりなのは、東部戦線のゼーロウ高地の防衛戦だと思うけど。
国民突撃隊員にはパンツァーファウスト1コだけとか。いっぽう相手の
赤軍の火砲は攻撃正面1kmに250門とか、信じられんレベル。
それでどうやって戦えと…ナム
自分の国を守るっていう使命のために戦えるゼーロウと
聞いたことも無い土地のジャングルでの戦いじゃ
士気も違うだろうな
無駄口、自己弁護が彼のライフワークだったんだな
陸厨からすれば虫唾が走る糞だろう、非武人・反大和魂・卑劣の権化
陸厨よお、彼の墓所を破壊しないのか?
296 :
少佐:2006/06/17(土) 00:06:28 ID:kUR2rSAr
戦車と聞いても日本のチハ戦車くらいしかイメージできず、
「それだったら歩兵のライフルや手榴弾でもなんとかなるだろう」
とか考えたんじゃないか?
>>295 まあ、話半分で聞いておくほうがいいかもしれないが、遺族は墓石へのいたずらを恐れて
牟田口を先祖代々の墓に入れず専用の墓を作ってそこに葬ったらしいぞ
幸いな事にいたずらをするやつはまだ出てないらしい
まぁ軍人としては無知無能だけど
人間的には良い奴だったよ
牟田口先生は日本陸軍の宅間守だ。
日本陸軍 脳糞古川元帥
>人間的には良い奴だったよ
死んだ奴はどんな奴でもいい奴さ
>>296 少佐ドノ、作戦要務令ぐらい読んでください。
>牟田口先生は日本陸軍の宅間守だ。
宅間殿は己の死刑を望んだが、牟田公は事あるごとに自己弁護の冊子を配布しまくり
死の間際でも自己弁護を繰り返していたそうではないか
宅間以下の愚人
釣れたw
釣り針が美味しそうでした
実際、美味しかったw
306 :
ほめごろし:2006/06/18(日) 10:14:27 ID:???
>まぁ軍人としては無知無能だけど
>人間的には良い奴だったよ
むっちーは、雨の日に捨てられた子猫を拾ってくるぐらい部下想いだったお (´ー`)y−~~~
雨の日に捨てられた子猫ひろう前に、雨のなかに捨てられて肉も溶け、
白骨になっていった部下を助けろや!
個人的な功名に徹して邁進したことが
この人の嫌われる所以なんだから。
>>308 それで勝ってれば、まだ石原閣下並の評価をされたかも知れんけどね。
310 :
弘慶子:2006/06/20(火) 23:39:14 ID:Q6ijEYcX
インパ−ル作戦に参加し、戦後は、仕事をせず、駐車場の管理をして、ひたすら能面を打っていた薬剤師を知ってる。
第一線では惨戦惨敗がくり返されたが、メイミョーでは戦場とかけ離れた日課がつづいた。
第15軍司令部の勤務は、夕方5時の定時に終わった。そのあと、幹部将校は酒と女との遊び
にふけった。その、同じ時刻に、第一線では夜襲死闘をつづけていた。
牟田口軍司令官は豪壮な洋館を官邸にしていた。その庭に小道があり…(略)…その小道を
くだると、晴明荘という料亭に通じていた。牟田口軍司令官は夜ごと、ゆかたを着て晴明荘に
かよった。
晴明荘について、報道班員としてきていた、朝日新聞社の成田利一記者は、次のように書いた。
《メイミョーというところは、マンダレ−を小田原にたとえると、ちょうど箱根の強羅か仙石原
あたりに相当する。…(略)…
こんな住み良い土地に、軍司令官はじめ全幕僚達は、広々とした別荘を一軒ずつ私邸として
構え…(略)…ていた。
司令部から我が家に帰り、長靴を脱いで、座ぶとんにドッカと大あぐらをかけ一風呂
浴びると夜は宴会、高級車で料亭へ横づけだ。ここの料亭も御多分にもれず大阪付近の遊廓から
はるばるやって来た慰安婦たちの一行である。
牟田口軍司令官から晴明荘という名前を頂戴して、大きな別荘をもらい、そこをたくさんの
小座敷に作りあげて、将校専門に酒色のサービスをいたのである。》
********(『憤死』 高木俊朗 著 より)********
著者の高木氏も、従軍記者としてインパール作戦に参加している。
それは牟田口にとっては勝利を確信した余裕からくる遊びだったのかな?
高木俊朗が見たわけじゃなくて朝日新聞の成田利一が見たのを戦後に書いたものでしょ。
高木俊朗は前線で飢餓地獄にはまりつつあった罠。
315 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 08:48:20 ID:Ay5/UPGy
死に物狂いで働いているときに上司が遊んでたら怒るのは人間のエゴとして当然。
そっか、歩兵三個師団と女郎一個師団で攻撃すれば勝てたんだ
司令官は、後ろで芸者遊びしていても良い。
そういうので、いいががりをつけるのがバカな日本のマスコミ。
勝ってもあとでけちをつけただろうな。
>>315 南雲のそういうのに敏感な感覚に、ミッドウェーの敗戦をまねいた。
仕事さえチャントしてれば(職責を果たしていれば)女好きも許されるけど。
むっちーは、女好きのバカ司令官だからな。
でも、むっちーは、流れ星をみて願い事をする程、ロマンチストだお。
>南雲のそういうのに敏感な感覚に、ミッドウェーの敗戦をまねいた。
えーと、将としてむっちーと比較して、だよね?
解説ヨロ。
>317
>司令官は、後ろで芸者遊びしていても良い。
>そういうので、いいががりをつけるのがバカな日本のマスコミ。
無知な自虐派を気取るのがかっこいいと、勘違いしているみたいだね。
部下に犠牲を要求する人間が後ろで芸者遊び、というような行動は、日
本に限らずどこでも批判されるさ。その辺の戦争映画やら小説の類でも、
「将兵の苦闘を後目に、日々遊興にふける上官」なんてのは、水戸黄門
の悪代官並に陳腐な表現だが、逆に言えば、それだけどこででも嫌われ
る上司像だということ。(どこかの薬中デブ元帥とか…)
まあ、こいつの脳内将兵は安っぽい戦争ゲームの駒と同じく、感情も
なにも持たない存在なんだろうけど、実際は違う。特に、自分たちがろ
くな補給も受けられない状態に有るのに、責任者が遊んでいるという状
態でモラールが保てるはずがないんだけどね。
>>319 南雲ちんは、水雷屋さんだから
インド洋でノタノタしているとき何もできなかった、
インドで怖い目にあったのに、魚雷屋さんに花をもたせようと配慮して、兵装転換とかをしてしまいやられてしまった。
部下の努力、配慮なんぞどうでもいい、ようは勝てばいいと思っていた山口君はなかなかやられなかった。
身近な例だと
選手の自主性なんぞどうでもいい、パーツに過ぎないと思っていたトルシエ。
自主性とか選手に思いやったジーコ。
どちらが、成果を得、選手を傷つけただろうか。
前回終わったあと批判されたまは、トルシエと中田コだけだったが、今回はどうであろうか。
イソパーノレ作戦
ちょっと烏合作戦・・・・・・ウ号作戦の流れを再考してみたんだが
無駄口の評価としてはダメぽでFAだと思うし、
佐藤師団長の決断も妥当だと思うんだけど
「祭」の柳田師団長の作戦中止意見と同時の前進停止は妥当なのか?
どーも、その後を見ても「烈」や「弓」に比べて「祭」って足引っ張りっぷりが際立ってるような希ガス
>魚雷屋さんに花をもたせようと配慮して、兵装転換とかをしてしまい
>やられてしまった。
>部下の努力、配慮なんぞどうでもいい、ようは勝てばいいと思っていた
>山口君はなかなかやられなかった。
南雲が魚雷屋に配慮して換装を決断した?
山口が部下の努力、配慮なんぞどうでもいいと思っていた?
聞いたこともない話なんだが、どこに書いてあった話でしょうか。
ぜひ資料をご教示願いたいです。
>321
部下に華をもたせて(部下を思いやって)判断を誤るのと(上記のMD論)、
司令官として無能で享楽にふけっていたのは話がかみあってないよん♪
(補給、兵站は思いやりではなく当然の仕事。享楽に饗する時間があるなら
作戦指導を万全に、ということ。前線が飢えてるなら尚更)
別に、南雲/むっちーにかかわわらず駒は駒としてみていたでしょ?
サッカーの話は、勝利を得る為の方法論。
むっちーは「駒」以前に作戦開始2週間経過後に兵站に対しての責任を放棄した。
サッカーを引き合いに出す「方法論」という話ではないのでは?
>323
京阪の師団だから(RY(そういえば祭師団の戦記って見たことないなぁ)
柳田中将は他2師団への配慮を欠いていたと思う。一報いれてたのかな?
326 :
324:2006/06/24(土) 08:26:10 ID:???
>325
同じこと洩れも書いた。(長文になるから消したけど)
新しい証言をもってる/関係者の子孫なら驚愕の新事実かもね。
ビックリ理論でないことを祈る。
>324
レス番間違えた。。
漏れは、むっちーをまともな司令官だと強弁するヤシの正気を疑うな
なんぼ贅沢しても部下に冷酷でも非常識なまでに自己顕示欲が強くても
同時に、真剣に彼我の戦力の状況判断して兵站の維持管理を徹底して
航空支援を限界まで要請して参謀の意見に真摯に耳を傾けて
部下の不安を取り除いて万が一の場合に備えて予備戦力を用意するとか
普通に指揮官の仕事が出来ていれば攻勢が失敗してもさほど言われなかっただろうに…
秀才といわれていた奴が一年二年遊び呆けて何年かぶりにテストを受けたら零点
なのに問題が悪かった、俺は悪くないと言い出したら…と思わなくも
>>328 司令官がだめという例は数多くある。
しかし、インパールは部下の何割かも駄目だったと言う例だからな。
そして、そのだめな部下が司令官を批判している。
逆に相手はムッチーの作戦を評価している。
>>323 他の師団は、独断撤退されたらかなわんぞ。
スリーバックの宮本だけがこける様なもので、柳沢のシュートミスより悲惨だぞ。
牟田口のあまりの物凄さの影に隠れてるが、同じビルマにいた
花谷正は牟田口以上のDQN。
つーか、運良くインパール作戦そのものに参加してなかっただけで
やった悪行は牟田口以上だと思うんだが。
>>330 部下は悪くないだろーが。そもそもの作戦立案が異常な以上、
その状況下での部下の任務は自分の責任が及ぶ範囲で自軍兵力を
温存することだ。
はいはい、と無謀な上司の司令を聞いていれば免罪されるわけじゃ
ねーぞ。
>逆に相手はムッチーの作戦を評価している。
ここ詳しく。
インパール到達時に英軍側の予備戦力がなく
「あのまま州都まで攻め込まれたらまずかった」
といわれた話?
(これは評価ではない。出典は忘れてしまったがたしか終戦後の話)
>332
禿同。でも祭師団が抜けてしまった為に第2師団がインパール南方で
遅滞戦闘をおこなうハメになったのも忘れずにね。
(出典は光人社の回想録もの。作者は北九州出身の「高野」だったと思う。
たしか重機関銃小隊所属)
色々、「丸」やら回想物やらもっていたんだが貴重な物以外処分しちまってるからな。。
(記憶の範囲でしか出典がわからん)
単なる駒とみるかどうかってのは、軍の士気や統帥に直接影響する話だからね。
ましてや、誰かさんのように、「無敵の駒」を勝手に妄想していたんじゃ、話に
ならんわな。
それはともかく、
牟田口式の、「飢えることも病むことも死ぬこともなく、山岳地帯も川も徒歩で
神速で踏破し、敵兵も戦車も大砲も素手でなぎ倒す」なんていう、文字通りの
「神兵」を前提にできるなら、その辺の子供に「中将」の肩章を付けさせてても
勝てるだろうけどね。
実際、食料も医薬品も弾薬も重火器もほとんどない状態、予備だの交代だのが
いない状態で、航空機や戦車も含む敵と戦って勝てというのは、↑を前提にし
ていたとしか考えられない。
>334
ただ、マレー半島/シンガポールで成功してるからな。
むっちーがインパール方面の敵情に関してどのような見通しを持っていたのか?
ここなんだと思う。
マレー半島とインパールの違いは、英軍側の補給路がつながっているかどうか?
だと思う。当時のむっちーにしたら、難易度はシンガポール>インパール課も試練。
そりゃ、マレーではただの師団長だったんだからw
>335
少なくとも、自分が師団長で「師団と共に進出しなくてはならない立場」に
あったときには、反対していますね。それも、「補給困難」という理由で。
後で「弱気を反省した」と称していますけども、「軍司令官なら、『大所
高所からの指揮』ですむから」だったんじゃないかと邪推してしまいますね。
338 :
323:2006/06/26(月) 20:53:01 ID:???
>333
重機関銃で高野なら58連隊(佐藤師団長んとこの烈ですな)の手記が有名だけどそっちかな?
第2師団だったら東北方面出身のはずだし(将校なら別だけど)
>330
「祭」自身も末期ビルマ戦線で途中配属の敦賀連隊を掌握せずに司令部撤退してる件もあるし。
やっぱり京都師団だから(ry。
どーも、「弓」とか「烈」の手記を見てるとウ号の序盤戦失敗の裏に「祭」が見え隠れしてるんだよねぇ。
もちろん、序盤の失敗後の無駄口くんの補給放棄については弁解の余地はないけど、
鵯越(よーするに奇襲が全て)という最初の発想通りに「祭」の速やかな前進があったらアッサムはともかくとしてインパールは落ちた可能性はあると思う。
もっとも、少なくともコヒマを抑えた「烈」はアッサム方面からの増援英軍にボコボコにされたろうし、突入した「祭」もズタボロで建前のビルマ戦線の新しい防衛線どころの騒ぎじゃなくなるだろうけど。
ってやっぱりだめか・・・。
「今更クラウゼヴィッツか」といわれそうな気もするが…
「戦争論」第五部第十二章 行軍続論(中公文庫版)より
「われわれは本章において、行軍が戦闘力に及ぼす殲滅的悪影響を考察して
おかねばならない。この影響はその力が極めて大きいので、元来戦闘にも劣
らない特別な要因と見なされるべき筋合いのものである。」
(略)
「(略)彼らによると圧迫的奇襲、迅速な運動、休むことをしらない活動力
のためにはいかなる犠牲をもかえりみるべきではなく、それはあたかも豊か
な鉱山のごときものであって、怠慢な将軍だけがそれを利用せずに打ち捨て
ておくかのごとくであるという。
(略)彼らは掘り出された産物だけを見て、それを採掘するのにどれだけの
労働がかけられたかを全然問いはしないのだ。」(以下略)
なんというか、どこかで見たような話ですね…。
戦後、マリアナ沖海戦でのアウトレンジ戦法を非難された小沢治三郎中将は
「では、どうすればよかったというのだ?」と答え、相手は沈黙したという。
牟田口についても同様の視点は必要だと思う。あのインパール作戦以外の、
どんな作戦なら良かったのか?
341 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 23:10:19 ID:PnM8L63+
以前父の会社にいた運転手の方がインパール作戦に従軍していて例の宮崎
将軍の部隊だったらしい。その人曰く「宮崎閣下の部隊だから自分は
生きて帰れた。他の部隊だったらどうなったか分からない。行くところ
行くところ全部腐った日本兵の死体ばかりだった。牟田口の阿呆のせいだ
牟田口のせいで死んだんだ。」と激昂して涙ぐんだそうだ。
牟田口ほどの愚将も中々居ないよな。
作戦はそれほどまずくないかもよ
問題は思惑通り行かないときの対処法
そして戦後の往生際の悪さ
戦闘の悲惨さはガ島でも酷いから
>>340 つ「攻めて来たら迎撃」
それでさえ、制空権が敵にあった(=空輸できた)こと、ジャングル
地帯で防御線を構築しにかったことを考えれば、勝てたかどうか。
むっちーは補給の至難さを判っていながら、上級司令部を強引に
説きつけて、自称「ジンギスカン作戦」を始めさせたんだから、
否応なしに米軍を「迎撃」せざるをえない立場だった小沢中将とは
比較にならないと思う。
中央からどんな「圧力」があったにしても、むっちーはあの結果を
十分予測できたはずだし、尽力すれば止めることもできる立場だった。
小沢中将と違い、弁護すべき点は皆無に近いと思われます。
むっちー語録
「ビルマにあって、周囲の山々はこれだけ青々としている。日本人は
もともと草食動物なのである。これだけ青い山を周囲に抱えながら、
食料に困るなどというのは、ありえないことだ」
……ありえねえorz
ビルマ撤退を上申するなんて牟田口でなくても無理だとおもうが
>牟田口についても同様の視点は必要だと思う。あのインパール作戦以外の、
どんな作戦なら良かったのか?
あほ!寝とく方がよかったのだ、つまらない行動をするよりか、何もしない方がましだったのだ
マリアナの件との比較は不適当、小沢は勝算ありとして実行したのだ
牟田口のインパールの件は旧案蒸し返しとは言え自他共に認めたミッション・インンポシブルだろ
盧溝橋で頓死していれば、彼にとっては最大にのご奉公だったろうに
無謀作戦を強行するなら陣頭指揮をしなくちゃだめだよ
万、万が一成功していたら彼は英雄として名を残せたよ
失敗していても、三個師団を陣頭指揮してバンザイ・アタックを敢行した猛将として名を残せたよ
現実には卑劣軍人の筆頭だろ
作戦前に牟田口の案に賛成した人は一人もいないのかね?
小沢も陣頭指揮とはいいながら
旗艦大鳳は機動部隊3群のうちの最後方に属したんだけど
349 :
344:2006/06/28(水) 07:55:02 ID:???
>>345 そりゃそうだが、別に「撤退」せずとも「防御」でいいんだし。
>>347 大本営あたりは「黙認」に近かったみたい
戦後になって服部大佐にむっちーがその時の真意を聞いたところ、
「冗談ではない。自分はあの作戦には反対だった」としれっと
言われたそうで。
多分、大本営的には実行したいがリスクが高すぎる作戦なので、
見栄っ張りの単純馬鹿を中央が影からうまく操縦して、責任は全て単純馬鹿と
前線指揮官におっかぶせた、というあたりが真相かと思います。
>>348 そうなのか。でも、文字通りの最前線まで出て行くようでは
それはそれで高級指揮官としてダメなように思われます。
敵情の判りやすい「前線」に出て指揮しろよ、という話であって、
「最前線」に行けという話じゃない。
「敵の攻撃が届く可能性」でいえば、むっちーと小沢中将では
全く確率が違うんじゃないかな。そもそも作戦中に芸者遊びしてる
時点で……orz
>>347 反対した上級の軍参謀は、異動させられてるね。
そういう意味では大本営も、「黙認」から「うまくいけば儲け。
失敗しても南方の大勢に影響は少ない」とかわっていったんだろう。
>>343 ガ島の生き残りが「烈」に集められてたらしいね。たまたまだろうけど。
で、撤退時にその兵士らが「ここはひどい。ガ島もひどかったが、歩か
なくてよかっただけここよりはマシだったな。」といってたらしいね。
ガ島→インパールと転戦して、なおかつ生き残った人は、当時を
もう絶対に思い出したくないだろうな。
>文字通りの最前線まで出て行くようでは
>それはそれで高級指揮官としてダメなように思われます。
機動部隊の指揮官だから小沢中将が指揮官先頭を実行していないことには
批判もあるんだけどね。軽空母の3航戦が最前列で装甲空母の大鳳が最後尾ではねえ。
あと、レイテでの栗田中将も指揮官先頭は一応実行してるし。戦果はしょぼいが(w
>>347 大本営もビルマ方面軍も、反対意見はあったが結局は同意している。
でないと作戦実施すらされん。
>>349 日本軍の少ない戦力を広く薄くばら撒いて、その上で防御すべしってか?
>>353 ツーかさ、結局は日本の国力・戦力ではどうやってもm..(ry
そもそもあの時点では、もはやビルマを維持するのは無理。
だから犠牲をださないように、「何もしない」が一番。
それか、せめて戦力を集中して、防御陣地構築→遅滞防御に徹する。
だけど、「何のために、なにを防御?」という話になる罠。
近代戦では攻撃より防御のほうが本質的に有利であるということはもはや常識。
防ぐことすらできない敵に対して攻撃かけたって100%負けることは確実だ。
勝てる見込みが全く無いなら終戦まで防御に徹して人死にを極力抑えたほうがいいだろ。
敵陣地に友軍の死体を輸出することに何の意味がある?
ちなみにインド国民軍の裁判があろうと無かろうと47年にインドは独立するから。
インパール作戦で死んだ兵士は完全に犬死
ガンジーはインド国民軍の解放を独立運動のプロパに利用したんだが。
>それか、せめて戦力を集中して、防御陣地構築→遅滞防御に徹する。
それなら史実でもやってんじゃん。アラカンとかで。
第15軍の小畑参謀長が反対し、第18師団の田中師団長が反対し、薄井主任参謀が補給に責任が持て
ないと言い、南方軍の稲田総参謀副長が作戦の再考を求め、大本営参謀の竹田宮中佐は成算がない
と報告し、真田作戦課長が無茶苦茶だと評した。
なのに河辺ビルマ方面軍司令官の「牟田口がそこまで言うのなら」という人情論と杉山参謀総長の
「(南方総軍司令官の)寺内さんのたっての希望だから」というこれまた人情論で作戦の実施が決まっ
たあたり、なんというべきか…。
>>358 そうじゃなくて、「『インパール作戦』をなしにして、んじゃどうしてたら
よかったの?」という話の流れです。
インパール占領が失敗したってかまわない。
そもそもインパールという土地自体には大して価値がない。
英軍のインパール方面からの攻勢を遅らせることができればよい。
リデルハートはインパール作戦によって英軍の侵攻を予定よりも遅らせる結果になったとか
意外と高く評価をしてるんだが、日本が自殺的な攻撃に出なかった場合は逆にもっとビルマで
粘ることができたんじゃないのか?この作戦によって一方的な損害を出したのは日本のほうだろ。
英軍も、大損害を受けた日本軍を追撃できないほどには損害を受けていたという事では。
インパールは負けじゃなかった
という説がそのうちでるのかねノモンハンみたいに・・・
包囲したこと自体がありえないわけだが。
インパールは補給が危ないのを覚悟で実施されたが、
ではどの辺りで防御するなら大丈夫だろうか。
制空権がない歩兵師団に包囲されるとは、英軍は居眠りでもしてたのか。
日本側の人的損害は5万以上で、英軍が1万7千以下か。
イギリス側は期待のチンディット部隊が散々な目にあってウィンゲイトも事故で
死んじまったけど、インパールにはまだ12万ほどいただろ。
これで追撃してればビルマ解放できたんじゃないのか。
43年以前じゃあるまいにこの頃補給が足りなかったなんてことはないだろ。
北アフリカのモンティじゃないけど英軍って余りに慎重すぎなんじゃないのか?
それともやる気がないのか・・・
ビルマの戦場をヨーロッパかどこかの基準で捉えすぎだな。
英軍が追撃を途中でやめたのはモンスーンが到来したからだろ。
それに密林では地点防御効果って比較的少なくなるんじゃないのか。
同様に航空攻撃も効果が減殺されて物量の優位が減少する。
つまり英軍が日本軍相手に比較的てこずったのは、アメリカが
ベトナム戦争でてこずった理由と同じってことだ。
>>367 日本軍の補給線がもたないのを見越して(かつ、ウィンゲート旅団に
日本軍の補給線を圧迫させた上で)、「意図的に」拠点防御戦術を
取っていた。制空権あるので、補給は空から。
居眠りどころか、巧妙な戦術。インパール作戦のことも事前に
察知されていた。空撮で不自然な牛の大群が映ってたり、ジャングル内に
これまでなかった道が開かれていた、とかで。
インパールにはそれこそインドに殴りこむための通路としての価値しかない。
もちろん、インパール作戦にすら補給物資が不足で、予備兵力はほとんど皆無で
援軍を得られる見込みもゼロのビルマ方面軍にとって、インド侵入なんて夢のまた夢。
ということはインパール作戦はやはり攻勢防御と見るべきか(哀れなるはボースとインド国民軍)。
まあ、インパール作戦が奇跡的に大成功すれば、英軍の補給物資を奪っての攻撃も夢想できないこともないけれど。
>>370 罠にはめたのは英軍だと。
その割には、日本軍を撃退した後のインパール方面からの進撃が遅々としているようだが。
北部から侵入した英軍部隊とは連携が取れてないし。
>>372 チンドウィン川までの英軍の追撃がのろかったのは雨季が到来したからだろ。
それと北部から進入したのは中国軍では?w
なんか
>>364の予言の通り・・・w
誰も負けじゃなかったなんて言ってないじゃん。
>>373 >それと北部から進入したのは中国軍では?w
そういやそうだった。
すると英印軍の全力はインパールに揃ってたわけか。
雨季とはいえもうちょっと頑張れば、ビルマから日本軍を完全駆逐できたかもしれないのに。
モンスーンの到来した密林をなめすぎじゃないのか。
そこら中に散乱してる日本兵の死体の処理もしないとえらいことになるし。
英軍の稚拙な戦術に助けられた一面もある。
攻防ともに密集しすぎ。
英軍はいつも人的損害を最小限にしようとして行動するからな
ワニに食われたのはどこだったかな。
>>378 密集すると砲火による損害が増えますよ。
>>373 英軍にとっても通過困難な地域ではあるのよ。
>インパール盆地→アラカン山地→チンドウィン、つかビルマ北部全域
無理して押し通っても追撃の尖兵は細くなる。
じり押しで充分じゃん。
雨季の追激戦は英軍でもミリ
>>367 まぁ、そこをつかれると当時の英軍参謀も辛い罠。
で、照れ隠しにムッチーを褒めちゃったと。
わざと包囲させて罠にはめたという事らしい。
おまいら、admin-boxの運用思想すら知らないのかよ・・・
密集しすぎて大損害くらったのも事実だがな。
>>370 日本軍に攻めさせて攻勢限界線で叩くという基本方針は、英軍の思惑通り。
しかし、日本軍の攻勢規模と進撃速度は英軍の予想を超えていた。
で、英軍はコヒマ・インパールでちょっぴりヤバイ状態になってしまった。
もっとも、英軍が後一押しに見えたから、ムッチーも深入りしちゃったのかね。
箸にも棒にもかからん序盤で撃退されてれば、早期に作戦中止できたかもしれん。
まぁ英軍といっても、たしかインド兵が多いんだよね。指揮をとるのは
英人だけど。
日本側に対戦車兵器があれば、コヒマ・インパール間はもちこたえて
持久戦にもちこめたかもね。
でもやっぱり補給がないから、ジリ貧か。
持久戦に持ち込まれたらジリ貧どころか負け確定じゃん。
制空権もないのに。
>>390 そも防御なら、わざわざあそこまで日本軍が出向く必要ないんだよね。
本ッッッ当に勝算があると思ってたんだろうか。>無駄口
もしそうだとしたら救い難い、いや、哀れむべき小人だな。
糧食3週間分を与えたのだから、インパールは3週間以内に攻略できるのだ
この牟田口に脳内に「不可能」の文字はない
しかし、3週間分のエサは多すぎたようだ、弁当の重さに足を取られ進軍が遅れてしまった
後知恵ではあるが昼飯一食だけを持たせておけば、作戦開始日の昼ごろには
全軍がインパールに到達していただろうに
この牟田口の部下思いの温情が仇となったようだ
釣られないクマー
396 :
だつお:2006/07/01(土) 14:44:24 ID:cc10kOFO
397 :
名無し三等兵:2006/07/01(土) 16:03:59 ID:xA2lGpGS
人情論で作戦実行が決まったことへの批判はあるが
真珠湾攻撃における山本−永野の関係でもそういう
ことはあったよな。問題なのは失敗時の引き際だ。
>397
「皇国無双 スペサルエディソン3」
つ 巨象やチハタンも登場するでよ!
董卓=むっちー
大陸時代やシンガポール攻略の際のむっちーって話題にならないよね?
>400
つ【盧溝橋事件】
>401
そこだけじゃん(;つД`)
もっとこう、心の底から魂を揺さぶられるようなDQNぶりを(ry
辻んなんてサンダカン病院で虐殺事件とか起こしてるからな。
緒戦のムッチーは大したことない。
辻はしてはいけないことをしまくった。
牟田口はしなければならないことをしなかった。
同じいけない軍人でもタイプがぜんぜんちがう。
>>403 緒戦のムッチーは、銀輪部隊の先頭に立って自転車で猪突猛進しとりますた
これはこれで「近代戦」ではかなり「大した事」ではないかと
もちろん、褒めているのではないよ、「匹夫の勇」なんだよね
>399
董卓はもっと賢い。
407 :
狙撃兵:2006/07/10(月) 00:37:31 ID:D1vxlxex
牟田口は厚顔無恥な顔相です。戦争と仕事には弱いタイプと思います。
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
409 :
名無し三等兵:2006/07/10(月) 22:04:15 ID:zm8ss9wy
>>408 誰のこと???想像もつかん。そもそも愛知県にもんじゃ焼き屋??
お好み焼き屋と銘打ってる店は数あれど、もんじゃ焼き屋と銘打ってる
店ってのは見たことないなー。(漏れは名古屋市民)
>409
コピベだよ。元ネタはJリーガーのはず。
411 :
イランジン:2006/07/16(日) 17:41:38 ID:AqG2OXMD
i .: : :.l : :|i :!,. ;t 十l: l.l: l |:L_ .i`i: : l /
l : : : :l::: :l: :i l:! __!, l:l l:! ll,._` l.|:!:. l /
l : : : :l : l::l ,.r‐t-!、 tl rt-!、 l:l::i.. l /
| .: : :;,,l : :l:! / iー' l l' l l.!i::l:: l ,.、
l : : :i,ヘl:: :l:l ` ヒ,__,ノ ヒノ. 'il:: l:: l /,,,,,,\
l :: :: ヽ,i:: :l゙ "" ___ ' "i : !:;,! ,.. -ー'' ll;;;;;;;;;;;;゙i゙i
! : : : : : l ::l !`' Y /:r'´ /::/ l ヽ;;;;;;;;;;;l l 牟田口のムダ口で兵が死に!!!
| : : : : ,: l:::lゝ.,, ヽ、 ' ,, イ:!i l;;;;l p | l;;;;;;;;;;;l l
l : : : : i: :ヽl : : :`T'' r:;‐''::´i: : l! .l;;;;l .leer. .l ,/;;;;;;;;;;;l l
l :: :l : :l: : : : :,.K´` t, λi:;!: : ::li゙‐.!;=!r ...,,,__ ll;;;;;;;;;;;//
l :l :l: : l:: : :i :!. `'' t ` ''´ lヽ;!: !' /つヘ~t \ '''''/
l :l :l,:: l: : :l,l ::', .i (…) .l ヾ、 iλニ l `´
ヽl`! ;:ハ: ;:l:::i: :l .l. '" l ヽ,,..〉i⊂ニ ! \
゛ ,ソヽ! ;;i l l '´ |;;;;;l,r' \
!.l .l l ,,ィ`ー' \
412 :
名無し三等兵:2006/07/16(日) 18:39:38 ID:o6Tu8qiE
このひと佐賀出身だよな〜
佐賀の何処から?
牟田口のムダ口で兵が無駄死に!!!
414 :
名無し三等兵:2006/07/16(日) 23:52:00 ID:Xats7jLe
>>412 佐賀郡川副町。
地元では全然知られてないというか、居なかったことにしたいみたい・・・・
確か、戦後は地元に戻ったことは無かったらしい。
この人のおかげで、佐賀では太平洋戦争中の旧軍人の顕彰は不可能だ・・・・
ちなみに坂井三郎特務中尉は、隣の西与賀町の出身。
415 :
名無し三等兵:2006/07/17(月) 00:31:32 ID:zB9Ui1tg
>>414 >地元では全然知られてないというか、居なかったことにしたいみたい・・・・
サンクス!
有田の元帥古賀峰一とえらい違いだね。
勇将の下に弱卒なしというじゃねえか
近衛をうんこ認定させたぐらい勇将ぶりは評価したいねオレクラスの人間は
417 :
イランジン:2006/07/18(火) 07:35:27 ID:iYLV1uCT
>>416 キミ クラスの人間だったら痴れてるよ。
進軍が思うようにいかなかった原因の一つに「円筒陣地」「航空立体要塞」がある。
インパール作戦が行われる以前にこれの準備作戦で
第55師団によるアキャブ作戦というものがあった。
この作戦で、日本軍は「円筒陣地」の原型と対峙し
これを破れずインド第5・第7師団に敗退した。
更に、イワラジ河上流で行われた連合軍の
C47輸送機61機とグライダー122機によるグライダー降下作戦による
素早い陣地・滑走路建築が行われた。
これらはインパールで対峙するであろう「円筒陣地」「航空立体要塞」を
予感させて、3師団長だけでなく
第五飛行師団の田中登中将なども反対する意見具申を行った。
が、自称「俺は戦争で負けた事がないんだ」
の無駄口氏には通らなかったようだ。
名前を間違えた。田副登中将でした。
まあ反対だけなら誰だって出来るよね。
むだぐち やめろ wwwww
>>420 積極攻勢論には反対できないのが日本軍なわけだが。
ビシェンプールなんか放っといてコヒマに兵力を集中し続けていたら?
ちなみにビシェンプールって「ヴィシュヌの町」なんだけど、現地人の元来の音韻体系に
「ヴィ」はなかったので「ビ」になった(日本人と同じ)。
ニントウコンなんか、軍事的にはさらに無価値だろう。
ちなみにニントウコンって、大きくない村なのに地名の意味は「王族の地」らしいね。
東京で「王子」や「八王子」が名前の割りに大したところではないのと同様のことかな?
第三十三師団をコヒマに回したところで
イギリスの第17・20師団が北上するだけだし
相手の航空輸送の前には、コヒマで補給路を遮断したとしても
戦局は好転しないかと。
>>423 コヒマ行きの道路は山越えの小径。一個師団の補給も支えられなかった。
そこに二個師団集中しても、二倍の速度で飢えるだけ。
中砲も戦車も当然持って行けないし。
>>425 そもそも補給はなかったし…。中砲も戦車ももってないし…。
兵力集中して、コヒマの英軍倉庫を奪取して…ア、閣下と同じこと考えちゃったよ。
手元に引きずり込んで遅滞防御しようぜ。
佐藤や柳田も似たような意見だったらしいし。
>>426 33師には野戦重砲兵と戦車の各連隊配属。
南ルートは道路が比較的良かったから持っていけた。
>>427 英軍が積極的に突出してこなければ「早めに手仕舞い」になるだけだけど、
史 実 よ り は ず っ と 良 い っ て 気 が 。
>英軍が積極的に突出してこなければ「早めに手仕舞い」になるだけだけど、
>
> 史 実 よ り は ず っ と 良 い っ て 気 が 。
英軍の意図がつかめない当時では結果論。
>>429 アキャブ作戦の失敗と、英のイワラジ作戦で
相手の意図は明白。
>>427 そうだね。機動力をもった戦略予備兵力と、航空戦力と、すぐれた軍司令部とが
あれば…あれば…。
>>430 アキャブ作戦の失敗で英軍の意図が分かるの?
あとイワラジ作戦って? 会戦の方じゃないよな。
コヒマにわざわざ二個師団も集中しなくても、最初牟田口中将が主張してたように
作戦開始が実際より三週間早ければ、英軍は対応できずコヒマは31師団だけで簡単に占領できたろう。
さらにはディマプールを窺うことも充分可能だったかもしれない。
牟田口には愚将と言い切れない何かがある
んじゃないかな。多分。なんとなく。
愚将であったなら、ビルマの山奥にまで料亭をもってくるという発想はできない。
酒、肴、芸者と、軍司令部専用の補給活動は万全!....ただ者ではないっ!
牟田口中将が熱望した攻勢開始日2月20日の時点では
第31、第33の2個師団が既に攻勢準備を完了していた。
攻勢開始日を3月15日まで遅らせたのは第15師団の進出遅延を待ったため。
第15師団は当初戦略予備として作戦準備を充実させてから第33師団後続の
第二線兵団として運用すればよい。そうすれば縦深突破力や作戦の柔軟性も増す。
第15師団の進出を待たずに2月20日攻勢を開始して史実通りの進撃速度なら
遅くとも3月中旬までにはコヒマ占領、となる。
史実でコヒマとインパールに空輸転用されたインド第5、第7師団は
この時点ではまだアラカンにおり、第55師団の牽制作戦によって拘束されている。
>>436 不意を突かれてパニックに陥り、しかも反撃する戦力を集められずに
主導権を失ってインドまで総退却したかもしれない。
>不意を突かれてパニックに陥り、しかも反撃する戦力を集められずに
>主導権を失ってインドまで総退却したかもしれない。
それこそがこの作戦の要諦、「鵯越作戦」ともよんだ奇襲効果であるっ。
ビルマ日本軍の作戦は、敵軍の初動を先制攻撃で粉砕して短期間で撤退させるってのが多い。
これ昭和18年までなら大体成功してる。
昭和19年以降といえど、空輸と円筒陣地戦法が加わったとはいえ
消極的で鈍重なイギリス軍の素質が劇的に変わったとはいいがたい。
>>437 インパール・コヒマ方面に対する第二次アキャブ作戦の牽制効果が出てくるな。
敵の兵力や物資、空中補給作戦に使用される輸送機も二分される。
そうなるとインパール・アラカン両方面の戦勢も少し変ってくるかもな。
旧軍並のアホが多いスレだな
つまり牟田口は日本人ならではの闇にして病みの体現者なんだよ
>>440 日本軍をインパールに引き込んで叩く、という英第4軍団の作戦計画が決定されたのが昭和19年2月末日。
新作戦構想がまだ固まっておらず、部隊に正式に下達され、作戦準備が開始される以前の
言わばエアポケットと言える時点で予期せぬ日本軍の攻勢を受ければ、英軍に生じる混乱は計り知れない。
また新事態に対する対応の遅れを生じ、英軍の作戦行動は完全に後手に回ることとなる。
結局史実どおりになってしまうのか…
取り敢えず、「2月に二個師団で攻撃開始」で走らせてみようか。
・インパールは1.5〜1個師。コヒマは1〜0.5個師。
・補給機関の欠如は変わらない
う〜ん、何か今度は兵力過少の方で、日本軍の攻撃衝力が続かないんじゃね?
437案は攻撃正面狭めてないまんま史実を2個師で、だし。
補給にしても、雨季だから滞ったワケじゃなく、「絶対的な輸送力の欠如」なわけで、
攻勢の尖端で飢えちゃう事には変わらない。
15師を順次投入するにしても、相手も増強するわけだし。
まぁ、早目に手仕舞して遂次撤退となったら、後衛に予備がある分心強いかな。
>>440 攻め潰す事が「不可能に」なったわけ。劇的変化よ?
やばくなったから後退して…それでどうする?
史実では雨季のおかげで英軍の追撃は鈍かったけど、
急いで逃げたら万全の航空支援の元ですばやく追撃されるんでは。
遭遇戦は時系列的な彼我の戦力投入競争だが
実戦力精々1コ連隊程度の脆弱な15師団投入のために
一ヶ月近い時間を無駄にするよりかは
先制奇襲効果を追及したほうが良かったような気はする
そもそも、マンダレー〜ミッチナ間の鉄道の安全が担保されていない状況で
この作戦が成立する要素はあったのだろうか?
レド油田が落ちたらインパールどころでは無いと思うが。
攻勢をとろうと思う方が間違いってことだね
>>450 レド行路?
インパールとディマプールが落ちたら、連合軍もミートキーナどころでなかろう。
ポエニ戦争らいくに、互いの根拠地を攻めあう展開で、どっちが根負けするか。。。
まあ、航空輸送力の無い日本軍が先か。
インパールの本で撤退中に補給物資が戦線後方の山道沿いにごろごろ転がっているのを見た
という記述があったんだが、実際どうなの?輸送能力の欠如だけで、物資はあったてこと?
確か宮崎繁三郎の伝記だったと思う。
部隊が崩壊して装備を放り出して壊走したってこと。
あるいは運んでいた牛を食ってしまったのでモノが置き去りになったか。
生き残った人の手記にも、「敗走中にみつけた小屋のなかに、食糧や新品の
衣服があって、そのおかげて生き延びれた」とか読んだことあるよ。
補給品はもちろんゼロではなかったし、輸送手段の問題や輸送部隊が進出を
嫌がったとか、いろんなことがあったんだろう。
そりゃまあ、絶対的に物資がなかったなら、
インパール作戦しなくても飢えてたという話になっちゃうわな。
泰緬鉄道の完成で、ラングーンまでの補給状況は改善してたのかな?
>>457のリンク読んで、虎の恐さ(強さ)を知ったよ。
大人の人間くわえたまま、2m近くジャンプできるって凄い筋力だよなァ。
もし俺も小銃を携行してたら、虎恐るるに足りずと油断するな・・・
「苛政は虎よりも猛なり」の故事に出てくる虎もさもありなんと思った。
裕仁がさっさと止めさせないからだよ。
一番の戦争責任者はこいつ。
なにがA級戦犯が合祀されてるから靖国参拝しないだ。
おまえならA+++++級だろが。
自分の戦争責任を自覚して天皇制を廃止するとかメモに残しとけ。
>>459 自分の退位は視野には入っていた。
あの中曽根も若いころに国会質問で退位に触れた事がある。
近衛も主張していたが、退位すれば戦争責任については
随分とスッキリしたかも知れないが
掲示板で論ずるのは難しいな。
>>459 他所の国の象徴を勝手に呼び捨てにすな。そもそも裕仁なる存在は
今はおらん。昭和天皇だ。
462 :
名無し三等兵:2006/08/15(火) 14:41:17 ID:/wGtFJEH
ジンギスカン作戦と称してインパールの街道を重い武器や大砲を牽引された挙句、
ジンギスカン料理にされた馬さんやロバさんたちがかわいそうです。
使われたのは、主に水牛ですとマジレス。
常々思うのだけど、
インパールにしろ、ガ島にしろ、ルソンにしろ、
「戦闘能力を喪失せるときは虜囚もやむなき」と大本営が一言言ってくれれば、
大勢助かったし、
米軍は、捕虜の飯の世話をする分負担になったのに。
ただ当の英軍はインパールの日本軍を「世界最精鋭の軍隊」と絶賛してる。
あの厳しい状況の中で最後まで規律を維持し続けていた。驚異的・・・と。
戦後イギリス軍将校の報告では実は危機的状況だったらしく、日本軍は、もう一息だった。
「アノ佐藤某が皇軍にあるまじき無断撤退さえしなければ・・・・ヤツを軍法会議にかけなかったのは
極めて遺憾である」牟田口談
参考記事
月刊 「軍事研究」 2001年〜 日本の戦史 ”牟田口中将とディマプール”
んなわけねーだろ
>「アノ佐藤某が皇軍にあるまじき無断撤退さえしなければ・・・・ヤツを軍法会議にかけなかったのは
極めて遺憾である」牟田口談
>牟田口談
>牟田口談
>牟田口談
まあ俺も佐藤師団長を軍法会議にかけるのには賛成だな。
責任の所在がいろいろと明らかになったろうに。
旧ソ連側の資料が公開されてから明らかになった「ノモンハン事変は本当は勝っていた」と同じく
イギリス側の資料や報告とも照らし合わせて評価しないと客観的に見れないんじゃないかな?
アフォな軍部の一部は、インパールを通り越して、
中東まで占領するつもりだったのか・・・?(;´Д`)
佐藤中将自身が軍法会議の開催を望んでたんだけどね…
>466
>「アノ佐藤某が皇軍にあるまじき無断撤退さえしなければ・・・・ヤツを軍法会議にかけなかったのは
極めて遺憾である」牟田口談
佐藤の独断撤退が作戦に悪影響を及ぼしたとしても、時期的に見て、
失敗をさらにひどくしただけで、成功するはずのものを失敗にしたわけじゃなかろ。
牟田口は作戦前の記者会見で
ここをこうすればデリーまでいけるわい、わっはっはっはw
みたいな事を吹いてドン引きされてたとか…
>>473 それが英側将校の報告では、実は英軍の方が負ける寸前だったと。危機的状況だったのだが
日本軍が逃げ出してくれて助かった〜
成功する寸前だったのに失敗した原因は・・・「佐藤のせい」(牟田口中将談)
↑ 出典 月刊 「軍事研究」 2001年4月号 日本の戦史 ”牟田口中将とディマプール”
>>475 それ、戦後になって司令官同士が対談したときに、英軍側がリップ
サービスでいったのを真に受けただけの話だろ。んで、牟田口は
調子に乗って、俺は間違ってなかった!論を大展開。
そんな話をしたり顔で軍板で開陳するとは、あーた、初心者だろ?
>>477 え? 全然違う話。イギリスで出版されている書籍と、その著者である英軍将校との書簡のやり取り。
>>478 >え? 全然違う話。
もしかしたら違う話かも知れんが,すでに高木俊朗『抗命』にも
>>477のような逸話が出ている.
「イギリスで出版されている書籍」の執筆準備中に交わされた「その著者である英軍将校との書簡のやり取り」であることも同一.
ま,御本人が存命中に防衛庁まで吹聴して回ったらしいが・・・・
>佐藤のせい
しかしながら,第三十一師団(烈)に明確な「抗命」の事実があったかどうかは微妙らしい.
佐藤師団長の回想録によれば,そのつど烈の不服従を第十五軍が事後承認していたらしい.
また,第十五師団(祭)の山内師団長の戦中日記にも,「烈ノ折レザルコト軍ガ折レル、正直ナルハ損。」とある.
>>479 × 烈ノ折レザルコト軍ガ折レル
○ 烈ノ従ザルコト軍ガ折レル
>>479 そっちの話とは同じだろうけど、>477の対談で無いのは確か。でも高木俊朗氏は牟田口嫌いだし
彼の文学作品にも一定のベクトルが掛かってるらしいし。
暗号が意味のなさない軍隊など、アリの軍隊だ。
>>475 英軍が一時的にでも危機的状況に陥ったのは確かだろう。
むこうから見たインパール作戦はこんな感じじゃないの?
2月
「山脈を越えて攻勢? わざわざ死ににくるとはごくろうなこった。HAHAHA。
待ち伏せれば手間が省けるぜ」
3月
「何、三個師団全て投入?予備兵力なしかよ!?日本軍指揮官は正気か?」
4月
「・・・ていうか、進撃早すぎるんですけど。ホントに徒歩の軍隊か?
1個旅団撃破、インパール、コヒマ陥落寸前。
アキャブに陽動された部隊が間に合わないじゃん。
このままディマプールに突進されたらやばいかも・・・」
5月
「やれやれ。とっくに補給切れなのにしつこいな。
白兵戦はグルカ兵並に強力だし・・・早く撤退しろよ。
国民党に向ける輸送機も空中補給に投入してるんだぞ。
(その頃、大陸打通作戦により、国民党軍崩壊中)」
ファミリー劇場でインパール作戦の映画やってら。
『五人の突撃隊』
出演:本郷功次郎、川口浩、藤巻潤、川崎敬三、大辻伺郎、山村聡、
大坂志郎、友田輝、安部徹、藤山浩二、石黒達也、田宮二郎
内容:本郷功次郎をはじめとする当時の大映が誇った5大青春スター共演による、
壮絶で感動的な異色の戦争映画。第2次世界大戦末期のビルマ戦線を舞台に、
戦場に取り残された若き将兵たちの姿をダイナミックなタッチで描いた。監督は、
「嵐を呼ぶ男」など石原裕次郎主演映画を多数演出し、切れ味鋭いアクションが
定評の井上梅次。(61年)
「攻勢初期の、英軍前線部隊の戦術的窮迫」と「作戦全体の成功の可能性」は、
当然分けて考えられるべきだな。
486 :
名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:05:45 ID:O5a037fs
軍ヲタの軍人としての適正は最低ランク
ということを身をもって証明してくれている御仁がおりますな
牟田口厨は軍ヲタ中でも特に・・・・w
487 :
名無し三等兵:2006/08/17(木) 21:38:26 ID:nF6JH77G
戦闘での局地的な後退と戦略としての戦争の違いが分からんのか
インパールは遥か先だし飢餓と病気でどうにもならなかったのだよ
真のA級戦犯はここにいる
>470
>旧ソ連側の資料が公開されてから明らかになった「ノモンハン事変は本当は勝っていた」と同じく
釣りなのか下手な冗談なのか…。
>>488 20レス近く放置されてた事実を考えろってw
>>490 だーかーらー。軍板初心者は半年ROMしろ。
戦術的な損害の多寡の問題じゃないんよ、「勝利」ってのは。
スレ終了してるからって好き勝手なこと言うのはどうかと思うぞ。
ノモンハンで取り合った領土は大体半々だったから、日ソ痛み分け。
対手のイギリス軍はインパール作戦を立案した牟田口中将を高く評価しているのだが。
>>494 そりゃまあ、予想外に苦しめられたし、
英軍にとっては、日本軍将兵の運命なぞ知ったことではないし。
とはいえ、英軍のその高評価の大部分は、
非常識なまでに健闘した日本軍将兵に帰せられるべきだと思うが。
イギリス軍人もアメリカ軍人も、自分たちが戦った相手が「バカ」じゃまずいだろう。
どんな無能な日本の将軍だって、とりあえず褒めて、それを打ち破った自分たちは優れていたんだ。という手法。
歴史を作ってきた彼らの常套手段といえる日本から見ればリップサービスなのだが、真に受ける旧軍人はイタすぎます。
要するに牟田口はイタいと。
さらに牟田口厨はもっとイタいと。
>>493 利益的には不毛。互いに得たものはなきに等しい。
結局、得したのはジューコフとチョイバルサンだけか・・・
チャンドラボーズは日本がポーズだけじゃないと納得したろう。
でも損害が多すぎるるorz
「かかる精強な軍隊が地球上に現れることは二度とないだろう」
英軍将校 マウントバッテンによる日本軍評
世界最精鋭の精強な関東軍が・・・補給さえ有れば
補給があったら次は良い兵器が欲しくなるぞ
同等の兵器があったら英軍瞬殺
道が先だ。
「日本軍はどの点においても2流の軍隊であった。中略
実際、日本軍はイタリア軍のさらに下のどこかに位置していて、
全くもって2流としか言いようがなかった。」
英軍将校 スリムによる日本軍評
世界最低の弱小な関東軍が・・・補給さえないのが三流の証拠
そう言えば現地人の長老が「日本の兵隊は本当に強かった・・・」と回想してくれてたとか
(ある旅行者の体験談)
>>507 その手の発話者がテキトーに述べる回想やリップサービスの類が実際の強さなんかと
何の関係もないってのが分からんのかね。
英軍で一番日本軍との戦闘経験が豊富だった将軍はスリムだろうが、演説で
>>506の
ように日本兵はイタ公以下だと言っている一方で、戦後書かれた著書の中では逆に日本兵を
賞賛していてウヨがよくこの文章を引用したりもしている。じゃあなんで両者で逆のことを
言うのかっていえば、そりゃ前者は味方に対して戦意高揚の目的のため、後者は勝者として
敵を最大限褒めることでさらに勝利を意義あるものにする目的があるからだろ。
誰かの言葉の引用なんて探せばいくらでも自分好みなセリフを見つけることが可能。
バカウヨはよくこの方法で失笑ものの結論をミスリードする。
まあ事実は日本軍は近代戦とは縁のない最低軍隊だがな。
>>508 最精鋭には違いないが、惨敗してるんだから最強ではないだろ。
>>509 日本軍を美化するつもりはないし、事実として惨敗の連続なんだから、強かったというつもりもない。
・・・しかし、日本軍の記録を見ると、それだけではない恐ろしさがある。
大体、日本海軍+イタリア陸軍10個師団の組み合わせで太平洋戦争始めてたら、
マレーもビルマもジャワも落とせず、開戦半年でゲームセットだ。
>>511 なーるほど。その例えはすげー納得できる。イタリア軍がフランス軍に
なっても、イギリス軍になってもダメだろうな。
>>511 そうか?わからんぞ
マレーで日本軍は航空戦力が1000機近く、戦車を一方的に装備していたからな。
守る植民地軍はF2Aが60機とライフルだけ持った訓練不足のインド兵が大半。
対戦車兵器といえば第一次大戦のときの2ポンド砲。
北アフリカなんかの比じゃない。いくらイタリア兵といえども爆撃しまくった後で
インド兵を戦車で追い回すことぐらいできるんじゃないのか
514 :
名無し三等兵:2006/08/25(金) 21:43:09 ID:+Lpk0sCn
生き残った兵が強い兵
死んだ兵は弱い兵
日本軍が英軍より強かったとはさすがに思わないが>509のようなあまりに
極端な結論も厨房丸出しだなw
日本軍とゆーか日本人の凄いところは、戦争には向いていない国民性なのに帝国主義の列強に仲間入りしたところ。
戦争に向いてないというより単に何百年か平和が続いただけ。
室町〜戦国と何百年か世情不安定が続いた時期は戦争技術もかなり発達している。
日本軍にはパスタがない。それは致命的なことでした。
コメがあるだろ、リゾットで我慢汁!
520 :
名無し三等兵:2006/08/26(土) 13:07:43 ID:qBpObC08
世界は竹槍でB29を落とそうとする精神性に恐怖した。
世界は弓矢でマスケット銃に挑もうとする土人を思い起こした。
牟田口さんとロンメル元帥は最高の司令官。
牟田口たたくな!
10万人全員が投降したら英軍としてはめちゃくちゃ困っただろうな
「回れ進め!」の号令を掛けるだけなんじゃないか!?
「食糧の買い付けに来ますた」とか言いながら
軍票出したらよかったんじゃ?
>>520 素人め。竹やりは落下してきた搭乗員との戦闘用だ。
528 :
名無し三等兵:2006/08/27(日) 16:31:35 ID:es7Ng9IB
>>60 ビルマで行方不明になったのは 辻政信陸軍大佐だよ。
>>529 はぁ?丸腰?逃げ場?おまいさん、マジで軍板初心者か?
>>530 ビルマじゃねー。カンボジアだ。
泥沼である支那戦線の友軍である支那派遣軍を助けるため
インド独立を支援するための誇り高き作戦だったな
将兵があそこまでがんばれた理由はこれだ
て消防の僕はおもうよ
534 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 00:25:32 ID:L8fhAY6H
牟田口と富永
535 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 01:22:29 ID:Zg5xRXzA
536 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 01:59:17 ID:/gvtD+Bp BE:135885694-2BP(353)
>>1 てめー俺のじいちゃん馬鹿にすんのか
打ち殺しに行くぞ
じいちゃん。インパール戦に参加したのか?
牛なんぞ少しくらいはそれでも食えたのか?
538 :
初心者:2006/08/28(月) 02:29:10 ID:lbcN7LId
しっかし本当にこんな人いたんですかって感じがする。
餓死するほどの負け戦に、祝詞で対抗するとは。
宮下あきらの漫画のキャラみたい。
>>499 ソ連側は防衛に成功したから、まあ勝ちでは?
仕掛けたのは日本な訳で。
>>532 実戦ではねえ、人が大勢死ぬの、ゲームと違って生き返る呪文なんてないの
というわけでクソガキはオナニーでもしてろ
と、消防をかたる消防並みのアレの持ち主に釣られてみるテストw
>>540 あ?んなことわかってるわハゲ
前頭葉に障害あるんじゃねゆとり
カミーユ「みんな、みんな死んだんだぞ!」
ヤザン「お前もその仲間にしよてやるってんだよ」
日本人は最後の一兵まで戦って死ぬのだ
人類史上最精鋭の関東軍兵士達だったのに・・・・
>>509 >最低軍隊だがな
凄く安易に最低と言う言葉が使われている。世間知らずっぽい。
>>546 プギャーーー
皇軍は最高ですか?w
お前こそ少しはよその軍隊のことも知れよwwww
最低以外には最高しかないってのが実に痛い。
牟田口が後世配っていた言い訳本って読んでみたいな。
当時の軍隊のレベルをそう大きくは外れてない。上か下かは場合によるが。
なるほど。
インパール作戦は当時の標準的な作戦をそう大きくは外れていなかったというわけか。
なるほど牟田口の再評価も必要だ
英軍の損害が日本軍の戦闘による損害と余り変わらないと聞いたが
それが本当なら補給無しでよく頑張ったな
軍隊のエピソードには想像を絶するくらい悲惨なものも多い。
何を持って最低と呼ぶのか、その比較対象と判定基準を明示する必要がある。
ここで言う「よその軍隊」とは具体的にどことどことどこの軍隊なのか全て列挙せよ。
そして比較する要素・項目は何であり、それぞれどのような評価ウエイトを置くのかも
検討しなければならない。
その総合評価点が史上最低であれば日本軍は最低の軍隊と認めることができる。
なんかこのスレ牟田口の亡霊が居ついてんですが
近代以降に戦死者の大半が餓死者って愉快な軍隊あったっけ?
>>555よ
言っとくが病死なんて入れんなよ
>>554 予想の斜め上を逝くのが英軍クオリティ。
夜襲連発で兵力すり潰したりな。
>夜襲連発で兵力すり潰したり
どっかで聞いた話だなw
インド兵が夜襲連発できたとかそんな珍妙な話じゃなくて、もっと
大々的になんとかの一つ覚えみたいに反復してて大層バカにされてた某軍が
>>553 インパール作戦を実施しなかった場合、日本に勝利の見込みがあったのか?
軍隊の役目は戦争に勝つことであり、インパール作戦を実施したことによって日本の勝利
が失われたのであれば、これは大変な失態だ。
現実はビルマ方面の連合軍は増強される一方であり、日本軍はこの方面でも潰されるのを待つだけだった。
では、戦争に勝つ義務を負った日本軍は、この局面をどう打開するつもりだったのか?
当然ながら「もう勝ち目はありません。手の施しようが有りません」という返事をする権利はない。
子供の泣き言じゃないんだから。世間は厳しいのです。
博打に身をゆだねる人間にも世間は厳しいぞ。
まあ、当時の日本は借金がでかすぎてもう博打以外何もすることなくなってたが。
>>557 たった一要素で評価するの?全く公正では無いな。
物事は総合評価しなければ最低かどうかはわからない。
>「かかる精強な軍隊が地球上に現れることは二度とないだろう」
>英軍将校 マウントバッテンによる日本軍評
英軍 VS 日本兵
> (英軍の迫撃砲の集中射撃を受けて)物量砲撃の手本を見せられた様なものである。たったの十一人しか居ない、
> この大平原の中の小さな台地に対して、よくもこれだけの弾丸を撃つもんだと感心したり、あきれたりであった。
>
> (略)
>
> 前進してくる敵の歩兵は、前方五百メートルくらいの所で、右に二組、左に二組と横隊に散開した。
>
> (略)
>
> 敵は一個中隊か − 約三百名と思われた。
> 「十一対三百の肉弾戦だっ、相手にとって不足はない!!」鈴木少佐は軍刀を抜いて大いに張り切った。
>
> (略)
>
> そのうちに、右と左の半数ずつが、交互に、援護射撃もせずに、まるで演習のように走っては伏せ、伏せては走り
> 前方約三百メートルから二百メートル、そして百メートルまで近づくと、その戦でピタリと止まって全員が伏せた。
>
> 敵兵のライフル銃の先に付けた短剣が、日光の反射で、きらきらと輝くのがよく見えた。やがて敵軍は、一呼吸する
> 間もなく、指揮官らしいものが右手を大きく振った。(突撃開始)
> 敵の先頭が、五十メートルくらいまで接近したとき、「撃て、撃て、撃ちまくれッ」鈴木少佐の怒声に、間髪入れず、
> 擲弾筒一、軽機一。自動小銃、手榴弾の類が、全力を挙げて日本軍陣地から吐き出された。(略)
>
> 四十メートル、三十メートルまで接近した敵兵は、(略)悲鳴を上げて将棋倒しにひっくり返った。とみるまに、敵軍は
> 大混乱に陥った。
>
> 土煙上げて炸裂する日本軍の擲弾筒と手榴弾は、日本製の火薬の凄まじさを見事に発揮した。そして、二丁の敵の
> 捕獲兵器の自動小銃もまた、気持ちのいいほど物凄い威力を見せた。
>
> (略)
>
> (英軍兵士の声は)もはや、突撃の喊声では無く、さながら悲鳴の如く、まさに阿鼻叫喚の敵兵達は、進むにすめず、
> 退がるにさがれず、大混乱のうちに泡を食っている。その姿がそっくり手に取るように見えた。
「最悪の戦場に奇跡はなかった」高崎伝 光人社NF文庫
まあ日本じゃ兵の命なんてゴミみたいなもんだったんだ。
バルジの戦いでドイツ軍は燃料の切れた戦車を大量に遺棄したが、
戦後の評価は「ヒトラーの賭け」程度で指揮官がことさら非難されることはなかっただろう。
日本兵の死体の大量遺棄も似たようなことだと牟田口は言いたかったんだよ。
「インパール作戦失敗に関する私の責任は弁明の余地もなく、また弁明しようとは思わない。」(佐藤はゆるせんが・・・)牟田口中将談
月刊 軍事研究 2001年5月号 P153
当時の日本軍の人命軽視は今の尺度から見ればまったく許し難いことだが
当時の日本の国力からして比較的にもっとも豊富にあった資源が「人間」なのだから
仕方のない面はある。軍部はそれを最大限活用したに過ぎないという見方も可能だろう
米国と比べて国力は10分の1だが人口は半分程度あった
こういう言い方は誤解を招くし将兵の敢闘ぶりを否定してるわけではないが
戦死3万という戦域は他戦域に比べかなり少ないのにかなり認知度が高いように思う。
これはなんでだろうか?
マニラ、支那、ニューギニアなどに比べて
>>571 日本帝国は1億人(本国で8000万弱)
アメリカは1940年で1億3200万人。
半分以上あるよ。
それらの地域における戦いは戦略的に回避できない防御戦
戦わずにはいられない地域だったのに
インパールの場合、いまさらなタイミングで時期的にも不利な季節での攻勢
それも推進者が東条‐牟田口コンビっていう
逆の意味で役者が揃い過ぎてるからじゃない。
>>572 俺も知らないが、何かの理由があって宣伝されたんだろうね。
俺はインパール作戦を行ったから日本軍は最低だ、とは思わない。
しかしインパール作戦は、結果的に言えば、しない方が良かったと思う。
連合軍はビルマ方面での反撃は考えていなかったから。
にらみ合いをしていればそのまま終戦を迎えた可能性が高い。
また牟田口を再評価すべきとも思わない。
が、あのままズルズル攻め込まれ続けるだけの展開で、
日本の勝利が見えてくるかというと、そうではないと思う。
マニラ・ニューギニアは補給を軽視したんじゃなくて、しようとして阻まれた。
インパールは補給計画が脳内妄想そのものだった。これで責任論を
問わない方がどうかしとる。
神風特攻が10中10死の統率の外道と言われてるのを、最大規模に
拡大した旧軍悪弊の象徴だからだろ。
戦時中から既に悪評を買っていたという意味では牟田口は稀有な軍人。
>神風特攻が10中10死の統率の外道と言われてるのを、最大規模に
>拡大した旧軍悪弊の象徴だからだろ。
責任を問われるのは当然だろ。ズサンなプランで行動して大損害を出したんだから。
でもそんなことより重要なのは、どうやったら日本が戦争に勝てるのか、だろ。
インパール作戦に替わる奇策でもあったのか?しかも人命尊重で?
どうしたら勝てるかとかバカじゃないの
軍隊には戦争に負けて良いという選択肢は存在しない。
軍隊には戦争に負けて良いという選択肢は存在しない、としても
ソ芬戦争におけるフィンランドや
日本側が想定した本土決戦時のように
全般的に劣勢な側が防御を固め、敵に看過し得ないほどの打撃を与えて
自軍側に有利な状況を作るという戦術は選択肢の内では
そういう方針ならそれでいいだろ。
ただ、時間がたつほど日本が不利になる状況だし、本土決戦はインパールの100倍くらい犠牲が出そう。
となると、冒険的な速攻をかけて起死回生を狙いたくなる。
それと国内政治の都合として、攻撃精神を金科玉条にしている陸軍、対米英強硬派だった陸軍、
この戦争を始めた責任のある陸軍としては、何か積極的な手を打たざるを得まい。
国内の批判をかわすために。
国内の批判をかわすために、異郷の地で兵士達に万単位で死んでもらうのかよ。
救いがたい話だな。
「陸軍は無能・無力である」という批判を受けながらも何の打開策も示せない状況が素晴らしいとでもいうのか。
この作戦で日本軍がボロボロになったおかげでアウンサンが叛乱を起こす気になった。
牟田口こそはビルマ独立の父である。
牟田口のインドやビルマでの評価ってどうなの?
感謝されてるなんて事はないよね?
実際無力だった訳だが、まあ今更自分達は無力だなんて言えないよな。
結果は判っていてもやらないと今まで言ってきたことがみんな嘘になっちゃうからな。
インパール批判なんてつまんないんだよな。芸がないつーか、誰でもできるつーか。
おまえら口開けてネタ待ってるけど便所の下の魚かよ?て言いたいよね。
捕虜に物資を運搬させる
↓
食糧が尽きたら殺して食べる
というジンギスカン作戦キボンヌ
1.早くに戦線を縮小して遅滞防御に徹する
2.援蒋ラインの寸断を作戦目的とする
3.動かずビルマ防衛に徹する
結果から見ればこの3つが代替案だった、という感じか。
作戦立案が昭和18年末だとすると、その時点での陸軍に
上記3案のいずれかの選択を求めるのは難しかったかもしれない。
ビルマ方面軍はまだ戦力を残していた。
せいぜい現場の軍司令官の判断による1.くらいだろう。
何らかの形で攻勢をかけなければ、という思いは
まだ全軍に共通していたはずで、
博打的に出たことにも、割引の余地は認めてあげなくてはと思うのだが。
実は英軍は攻勢を仕掛ける直前だった。しかし牟田口のインパール作戦で出鼻を挫かれている。
陸戦における攻撃側三倍則を踏まえると
結局、劣勢ながらも機甲部隊を含む三個師団をもって防御を固めつつ、
他のもっと戦力を必要とする戦場に適宜に兵力を転出したほうが
兵力の犠牲も損傷も抑えられて良かったんじゃない。
逆にインパール作戦が成功していても
太平洋方面で負け続ければ海上輸送路を絶たれて戦略的意義はゼロなんだし。
>>594 その太平洋方面で陸軍が海軍にしてやれることは、もはやなかった感じだよね。
兵器の戦いでケリがつきつつあったから。
ビルマ方面軍も人だけが余っていた状態だったとも思える。
結果的にはそうだろうね。
陸軍は支那を屈服させることが最重要課題だったわけで日ソ中立も仏印もビルマもルートを遮断してきた。
だが空輸されたからインパール作戦発動しなきゃならんかった。
ビルマで専守防衛てのは戦略的に意味あったのだろうか?なにも解決しないように思う。
ビルマは日本の約2倍の広さだからな。
それを精々10個師団程度で専守防御するとなると防衛線は至る所スカスカになる。
かといって戦線を縮小しようにもビルマ方面軍の戦略的存在意義は
ビルマの北の果てにある援蒋ルートの遮断にあり、またビルマ国土をあまりに放棄しすぎると
ビルマ民心が離反する恐れがあり統治上も作戦上も悪影響を与えるため限界がある。
今なら
>>589の言ってることが判るような気がする。
一般的に評価されないとされる作戦に意義を見出すのって結構面白いな。
ビルマを失うとマレー半島からタイにつながる物資輸送ルートが脅かされる。
潜水艦の影響を受けない陸上ルートは日本の生命線。
大陸打通作戦の意味が無くなりかねない。
>>575 解任された3人の師団長が黙っていなかった。戦中戦後にかけて大々的に
アンチ牟田口のキャンペーンを張った。
規模としては大きくないインパール作戦が世間に広く知られることになった。
>>602 そうですか。無理も無いですね。報復の手段がそれしかないですし。
>>601 というか、そうなると同盟国タイが守れない。
政治的にはこっちの方が重要だろ。
インパールは、大東亜会議でインド人の独立運動家にせっつかれたからやらなきゃしょうがねえんだよ。
東條さん乙
どういう仕組みで日本兵の死体を大量に輸出するだけでインドが独立できるんですか?
死体を輸出したわけではない。死体は現地で作った。
インド独立義勇軍と一緒にインド突入
する予定だった
チャンドラ・ボースは東條が応援していた。
インド国民軍の兵士の士気は最低で
脱走が相次ぎいつのまにか消滅した。
ボースの独りよがりは笑いもの
所詮植民地兵だし。
>>602 三人の師団長が黙ってなかったつっても、佐藤幸徳以外はまともに発言できた人はいない。
15師団長の山内正文は昭和19年8月に病死してるし、
33師団長の柳田元三は終戦後すぐにシベリア抑留されて
日本へ帰れないまま現地で病死。
むしろ世間的なアンチ牟田口キャンペーンといったら、ほとんどのネタ元は
高木俊郎の煽情的なインパール戦記小説が出所だろう。
>>613 扇情的ったって、参加した兵士たちにとっては真実だろう。
>>572 一番わかりやすいからでしょ。
戦後的価値観から見て牟田口を始めとして花谷など非常にわかりやすい悪者が
容易に見つけられるし、佐藤とか柳田みたいに擁護しやすい人物も見つけやすい。
要は大東亜戦争において内輪で責任追及したり勧善懲悪やるなら
インパールというネタは一般人にはとても簡単でわかりやすい。
>>613 はて、悲惨だったのはインパールだけではないが。
食料がそれなりにあったビルマと違って、南洋諸島は地獄そのもの。
日本は島国なんだけど日本陸軍は島嶼防衛戦の経験が少なかったよね。
海軍がしっかりしていれば経験する必要が無いもんね。
陸伝いで逃げられるし食料もあったビルマはむしろ楽な戦場では。
>>619 そこで飢餓を起すような計画を立案したから、司令部が非難されてるんじゃ?
ビルマが地獄だったのは事実だけど、玉砕した島々の方が過酷だと思う。
こんなことを書いても無意味だが。
>>620 あったけど輸送できなかった。
航空攻撃で阻止されたり輸送部隊が物資を放棄して逃げ出したり。
てか、インパール作戦はまともに実行しようと思ったら10倍の物資が必要だったとか…
そんなんどこにもない。
本土から南方軍からも送られてこない。
玉砕は当時の日本軍の価値観の中で
おかれた状況から必然的に発生したもので
此方から攻撃に出て食糧・弾薬不足に陥ったのでは
カンビュセスの籤の教訓から何も学ばなかった
愚劣と評されて仕方ないんじゃ。
陸相 東條英機 (A級戦犯 刑死)
南方総軍 寺内寿一 (シンガポールで獄死)
ビルマ方面軍 河辺正三 (昭和40年病没)
15軍司令官 ムッチー (中華料理店 ジンギスカン経営)
一応上まで通して組織で作戦にゴーサイン出してるんだから、現場責任者だけ叩いてもな。
叩きがいのあるキャラとしては元帥クラスだとは思うがな。
>>613 >>615 のいう高木俊郎の小説が時の勢いを持ってしまった説に賛成だな。
この人の陸軍叩きは一貫していて、戦後の風潮にはよく合っていたのだと思う。
手軽に陸軍叩くならインパール・ノモンハン・ガダルカナルの三点セット。
そして個人攻撃の標的は牟田口と辻がお決まりのパターン。
これら関連がいちばん書籍数が多いから認知度も当然高くなる。
辻とかなると脚色されすぎて、世間一般的にはもう悪魔か化け物みたいな
イメージになってるような。
>>625 愚劣なのは認める。
でも日本とビルマ方面軍を守るためにはどうすれば良かったのか。
高木氏のシリーズ(?)第一作の『インパール』では,ウ号作戦終了後,214連隊のチェドウィン河東方の防御戦の方がインパール侵攻よりはるかに困難であったと明記してあるが・・・・
やはり「負け戦ぶり」そのものがインパール作戦への評価ではないと思われるが・・・・
>>627 ナポレオンのモスクワ遠征並に定番ネタって訳だな。
>>628 日本とビルマ方面軍のほかにも、援蒋ルート遮断とか兵士の士気とかインド国民軍のこととか
色々考えなきゃならんとは思うが、その二つを守りたいだけなら防御戦も1つの手かと。
ビルマ北部の険しい地形を有効利用できれば、寡兵でも防御は出来たかもしれない。
戦争終結には何の役にも立たないがな。
>>628 単純に戦力を増強して防御に徹するしかない。
もっとも、日本軍の限られたリソースからすると、他の戦線を犠牲にしなければ、
ビルマ戦線への戦力増強なんてことは不可能だけど。
>>630 実際にがんばってるじゃん、18師団と56師団が。
ただし、ビルマ北部は史実でも実施されてるとおりに、
18年後半以降、インド方面から米中軍が、中国方面からは雲南遠征軍が挟撃してくる。
さらに北西部のインパール方面、西部のアキャブ方面からも連合軍は攻勢かけてくるし、
中部には繰り返し英空挺部隊が降下して後方撹乱を行ってくる。
結局、初手からビルマ南部にでも引き篭もらない限り、史実と同じく、
一箇所戦線が崩壊すると、他戦線もつられ崩壊する事になるから、
他戦線も防御出来ている状況でのみ、ビルマ北部の維持は可能なんだけど、
それが出来るかというと…儚い望みだわな。
あれだけ陸兵餓死させた海軍はなんか責任とったのかと。
牟田口はまだマシなほう。
ビルマに増援を送ると海に沈みそう。
前線を下げると防御密度は高まるけど、これじゃあ敗戦の日まで陸軍はただの肉の壁。
もともと陸軍が始めた戦争なのに、どうやって終わらせるつもりなのか?
タコ殴りにされて、頭を抱えてうずくまることしかできんのか。
ご自慢の攻撃精神はどこへ行った?威勢がいいのは口先だけか?
とか言われそう。
ガダルカナルやニューギニアでは、海岸まで物資を運んでも、
内陸部に届けられなかったことがあるらしい。
これは陸軍の不手際。
兵力劣勢の内線作戦で専守防御する、などというのは自殺行為だ。
もう匙を投げて御自由に粉砕してください、とでも言わんばかりの愚挙。
敵の行動に翻弄されて薄く延びた各戦線は分断包囲され、後は餓死を待つだけ。
フーコンでも雲南でも全般的には遅滞防御だったが、
各時各所で果敢な攻撃・反撃を実施しており、その時は敵に恐怖心・警戒心を与えて
爾後の敵の攻勢を消極的にすることができており、
それによってあれだけの持久期間を稼ぐことができた。
戦局打開を狙って無謀な攻撃・反撃を実施。
↓
失敗して兵力激減・劣勢での防御作戦を強いられる。
↓
翻弄されて薄く延びた各戦線で分断・包囲・突破される。
↓
戦局打開を狙って…(ry
↓
以下兵力が磨り減るまで消耗のスパイラルが続き、最後は玉と砕けると。
ある意味典型的なパターン。
>>635 >各時各所で果敢な攻撃・反撃を実施しており、その時は敵に恐怖心・警戒心を与えて
>爾後の敵の攻勢を消極的にすることができており
モンスーンが来ただけじゃん
地図は真っ白、敵の兵力を捏造し少なく報告。海軍が責任を持つからと無理矢理陸軍を引っ張り広げた戦域じゃん。
ガキの使いじゃねえんだからよ。海軍のやつは餓死してないとか聞くとヘドがでる。
しっかし軍関係者も驚いただろうね。
インド・オーストラリア・ハワイまで戦場になるとはね。
そんな状況を想定し始めたのは開戦の何年前なんだろう?
現場の人間は多分、直前まで知らなかったんだろうなあ。
満州で活躍した部隊がミッドウェーに送られると思ったら、変更になって
ガダルカナルへ送られて、現地のことなんか知らなかったんだろうなあ。
>ガキの使いじゃねえんだからよ。
米軍相手に、楽勝、必勝の見込み、と大見得を切って大本営に報告しているのは、
現地を視察し現状を理解したはずの派遣参謀だったという罠。
>>636 要するに、元々不可能な任務を与えられたと言うことやね。
でも、そんなことは戦争に限らんわな。
会社でも不可能な任務を与えられることはある。
最初から不可能だとわかっていれば逃げようもあるが、
大体は十分に検討する時間も情報もない。
「ちょっと危ないけど、できるかもしれないな」と思って引き受けると、
やってる最中に最初から不可能だったとわかってくる。
今も昔もインド人はあてにならない、ということかな
インド人からしたら英国と日本がやりあって
その間隙を突いて独立
となるはずがこんなもんか… ちゅうところじゃないの。
それはガンジー派だろ。
ボースみたいにひたすらアクティブに行動したのもいるし。
>>643 むしろ、日本人はあてにならないってのがインド人の教訓。
わざわざインパールまで付き合ったのに。
援蒋ラインのためで別にインドのことなんてどうでもいいし
まあ、インドの国民的英雄を利用して恥を掻かせたあげく、不用になったら謀殺した訳だが。
平和国家日本なんていうのも実は世界を欺く罠だったりしてな。日本人も相当の陰謀家だよ。
>>650 なーに中国やアメリカに比べりゃまだまだ甘ちゃんだよ
両国とも自称「平和国家」で、世界平和のため貢献してるといって何ら恥じるところがないよ
まあ、どっかの分断国家みたく直球勝負しか出来ず、村八分になるよりはましだけど
あの直球勝負は無駄口に通じるものがあるなw
> どっかの分断国家
日本(本土 満州 南北朝鮮 台湾 サイパン他南方の島々)、ドイツ(東ドイツ 西ドイツ)・・・・
>>653 こんなとこで燻ってないで「オーマイニュース」にいきなよ
あそこなら反日大歓迎だぜ
土門周平は佐藤幸徳のこともあまり評価していないようだな。
657 :
名無し三等兵:2006/09/06(水) 07:14:46 ID:bSh70T5g
今村さん名将かね?牟田口の方が名将に思うが…
あのグライダーのウィンゲート旅団さえいなきゃ作戦やってないんだろうな。
>>658 今村大将は米英軍と大規模な戦闘をしとらんので何とでもいえるが・・・
今村大将なら、部下の能力を最大限発揮させたのじゃないのかな
たぶん作戦もかなり防御に重きを置いた物を立てただろうと想像するけど
三師団長も抗命どころか自ら戦死することを厭わず戦ったかもね
こうなると英軍の戦死者はケタが違ったかも
まあ信者がここまで言い切ると「アレな仮想戦記」になっちまうけどw
あといわずもがなだけど、人としての器が違い杉
なるほど。たしかに徳ってものは大事かもしれん。
心が洗わたよサンクス
今村さんといえば、水木センセとのやり取りが忘れられないw
牟田口閣下は皇軍の英雄である。
ブサヨはそれが分からないのであろう。
佐藤こそ恥ずべき敵前逃亡で万死に値すべし。
663 :
名無し三等兵:2006/09/07(木) 07:15:57 ID:TGcnbKNJ
中共の見え透いた策略に乗せられた無能。嘘を嘘と見にく・・・
ジンギスカンハウスって調布にあるの?
そんな店に客は入ったのだろうか。
何が出てくるかwktkかもw
ギャグかと思ったらマジなんだよなジンギスカンや
ジンギスカンなのに水牛の肉じゃねぇか!
なんて怒られてたりしてねw
これ以上に勇ましい将軍て日本陸軍にいるの?
669 :
名無し三等兵:2006/09/09(土) 14:05:23 ID:9q1kaBKH
牟田悌三将軍。
辻が将軍になれば勇ましいと思うよ。
作戦計画は全て記念日に合わせてあって、敵もやりやすいことこの上ないな。
この作戦も結局東条が認めてるから実行されたわけで
間接的ながらも同じ日本人を死地に追いやった東条が英霊だの受難者だの言われて
靖国に祭られているのはやはり疑問ではないか?
ならば246万人の英霊一人一人に対して貢献度評価を行うべきだ。
共通の基準の下に、英霊として相応しいかどうかを判定すべし。
それが公正で公平な態度だと思う。
そこまで出来ないのであれば、みんな一律に英霊と認めればいい。
俺はそう思う。
戦時の死没者でもなんでもない
自殺しそこない(狂言か?)東條憲兵伍長に靖国に祭られる意味が分からない
少なくともガダルカナルの土になった
俺の爺ちゃんの戦友たちと一緒に祭って欲しくない。
海軍に言おうぜ
東條たち御一行様、現世の論争をよそに、靖国で英霊に吊し上げ食って
泣きながら「頼むから別にしてくれ〜ぃ」と将兵に袋叩きにされながらボヤいているかもしれん。
一緒なら逃げられないし、孫娘は死んでも分祠反対だから、こりゃ厄介だw
>>659 今村大将は器の大きさが、
そしてムッチーはその小ささがキャラの魅力を輝かせている
>>659 軍政家としての才能と指揮官としての才能は別物だろう。
今村の指揮官能力は未知数としか言いようがない。
それで評価が落ちるわけでもないしな。
今村大将とムッチーのポジションが入れ替わっていたら、ビルマ方面の
戦況そのものは大した違いを出せなかったと思う(どっちにしろ負けは
負け)だったろうが、インドネシア独立に際して日本軍人の協力者数が
減少し、歴史的には意外と大きな変化があったような気がする・・・
今村大将は人徳ある軍政家だった。
視野と教養が狭い軍人は、すぐに住民感情を無視して物資の調達や労役の強要を
押し付けようとするが、民心を失ったら結果的に日本軍への戦争協力の効率を
落としてしまうことを今村大将はよくわかっていたんでしょうね。
そして牟田口はオーストラリアまで歩いて行って、
南太平洋をあっというまに失陥、終戦が一年ばかり早まる作戦ですか?
>>681 ムッチーだと輸送船に機銃と迫撃砲を搭載しただけで、「対空対潜は万全」とぬかして
護衛もなしというより、海軍に護衛など一切頼まずに部下をオーストラリアへ送り出してしまいます
あまりのムッチーの常識はずれの作戦に豪側はいったん上陸を許してしまいますが
結局補給が続かずに上陸部隊は全滅・・・
おまけにムッチーが上陸部隊に、住民を盾にするような極悪非道な作戦を押し付けたため
オーストラリアは韓国並みの「反日国家」となってしまいますた
それでも戦後死ぬまで、ムッチーはオーストラリア奇襲上陸作戦は成功だったと主張し続けます
あははは・・・書いててさすがにこれはないと思いますたが、でもひょっとすると・・・・なのがムッチーの魅力w
豪胆な将軍だな。この人ならまぐれで戦争に勝てるかもしれん。
豪胆といっても
せめて山下奉文の72分の一でもデリカシーがあったらねぇ…
山下は結果的にはおいしい所を持っていった、という感じだよね。
マレー戦は軍人として絵に描いた様なかっこいい勝ち方で終わった。
今村の蘭印と違って、イギリス軍が適度に抵抗してくれたのが大きかった。
山下のすぐ下で働いたムッチーには、マレー戦での山下のイケイケイメージが
抜きがたく頭に残っていたことだろう。仲もよかったらしいし。
元祖ジンギスカン男として、鯨にボートを引かせてオーストラリアまで行ってもらいたい
687 :
名無し三等兵:2006/09/11(月) 03:05:06 ID:E3NP1ygZ
だれかこの人を活躍させる仮想戦記作家はいないのか!
いないだろうな。きっと。
>>685 イギリス軍の7.7mm弾が日本の95式軽戦車をぎりぎり貫通できない偶然。
日本製の戦車が先進国軍を相手に大活躍できた唯一の実戦がマレー戦。
「山下だって、手柄を立てて出世したんだ。俺にだって!」
「やめろ、ムッチー!」
7.7mm機銃は世界的にポピュラーな兵器だから、それに対抗できるというのは
必ずしも偶然だけではないと思うけど。
「山下中将、助けてください!」
「ムッチー、残念だが95式に大気圏突入する能力はない。
だがお前の死は無駄ではない。英軍も道連れになるのだ」
>>687 これがあるんだな・・・・
「人道的見地」から外国居留民達を守るため戦って、日本軍将兵にかなりの犠牲者を出したため
陸軍を退役させられたあと、どっかの国の客将をやってる話とか
北満で優勢なソ連軍を「陣頭指揮」で打ち破ったりとか
まあ、だから仮想戦記が「出版会の廃棄物処理場」(byラスカルにしお女史)といわれるのも、もっともと思われ
シャレが効いてて面白いと思うんだがな〜
自意識過剰と神懸りがないムッチーなんて、ムッチーじゃありまへん(キッパリ)
北満で活躍する話なんか、過去を「反省した」とかで「部下思いのいい人」になっちゃてんのよ
やっぱムッチーは「部下の命を屁とも思わない」ヒールじゃないとw
部下の命はともかく、作戦が失敗するとガッカリするだろ。
インパールで一発当てて大将になるつもりだったんじゃね?
軍司令官として中将を束ねるところまで来たから、出世にリーチかかってたし。
んで、そのためには兵が死のうが生きようが…
牟田口をここまで出世させた帝国陸軍万歳\(^o^)/
インパール作戦なんてまともな軍人には任せられないだろ。
>>695 なんか安っぽい学園ドラマに出てくる
校長の座を狙う厭味な教頭みたいだな(笑えねー
699 :
名無し三等兵:2006/09/11(月) 18:57:09 ID:miwjKmSc
英国から勲章貰うとかならありだろ
700 :
名無し三等兵:2006/09/11(月) 20:43:46 ID:Y5xiXVYh
しかし感心するのは、九死に一生を得た将兵の中から戦後も
無駄口暗殺隊が結成されなかったことだ。奴が畳の上で死ぬの
だけは許せない、などと憤慨する人は多くても、誰一人直接鉄槌を
下さなかったのは何と言うか.....昔の日本人はよくよく徳が高い人が
多かったのか、それほどまでにどんなオバカだろうと上官には服従、
が身に染み着いていたのか......
終戦後にジンギスカン屋を開いたって本当?
佐藤は刺し違えるつもりだったらしいが。
佐藤さん真っ先に帰っちゃったじゃない。
佐藤師団長も自意識過剰なところはムッチーにまったく引けをとらない
なんせ「英雄」と自称して何ら恥じること無しの「大物」だもんねw
結局、少し頭が冷えたら英雄たる自分が、ムッチーのような「小人物」をぶち殺して
犯罪者になることは「日本の損失である」と言い繕っておしまい
>>700 戦場においては「上官殺し」は珍しいことでもないそうだ
でも実際表ざたになるのは氷山の一角とか・・・
そのわりには除隊してから復讐したという話はたしかに多くはないねぇ
やっぱり戦場よりもばれる確率が高いからかな
現在の日本人じゃ後先考えずキレルヤシが多杉だから、
もし徴兵制なんかにしたら幹部やるのは文字通り「命懸け」かもwww
んじゃ上官のうちに先手を打って部下を殺さないとな。
佐藤師団長は軍法会議で洗いざらいぶちまけて牟田口を糾弾する覚悟だったらしいな。
まあ心身喪失のメンヘルにそんなことできるわけありませんでしたがw
つまり神軍平等兵奥崎最強ということで桶?
710 :
名無し三等兵:2006/09/12(火) 13:52:03 ID:MmLWazck
せめてジンギスカン屋に火でもつけてくりゃよかったのに
復員したほとんどの元軍人は戦後の生活再建のための仕事に忙しかったから
過去の恨みとかにいちいち粘着してるような暇人なんていなかったんだろ
>>691 俺が知ってるのと同じかな?改心して邦人脱出に尽力する話。
「芸者エクスプレス」とかでてたやつ。
まぁ、このシリーズ自体は俺的には好きだったんだが。
>>711 当時は過去を振り返るより、未来に向けた希望があった時代だしな。
冷戦構造で政治的な不安感はあったけど、庶民の生活は今のように
行き詰まり感はなかった。
だから、牟田口なんかのために明るい未来を犠牲にするなんて
考えられない。
なんで、明るい未来を考えずに過去に拘泥する人や国を遭遇すると、
よっぽどの暗い過去なんだろうなぁ、と無意識に畏敬の念を持って
しまって、思考停止状態になってしまったわけだ。
その実は単なる粘着や言いがかりだったんじゃ?と気がついたのは
世相が変わった最近というのも無理はない。
しかし、牟田口ってそんなにおかしいかなあ。
現代的な価値観からすれば確かにイカレてるし、当時としても嫌われる方ではあっ
たろうけど、そんなに極端に変ではなかったんじゃないかねえ。
また、軍人ということでなければああいうタイプの人は今でもよくいるしなあ。
現代の小むっちーの場合、戦争じゃないから人死にがいっぱい出ないというだけの
ことじゃないのかなあ。
>>714 まあ、粘着というよりユスリタカリだな、あれは。
李氏王朝の末期から見ていくと、あれは国家的当たり屋だったんじゃないかとさえ
思えるな。
最近の軍板はチョソ的メンタリティの香具師が多いな。
牟田口への粘着ぶりとか見てると異常。
別に自分が牟田口から直接的な被害受けたわけでもないのに
執拗に叩きまくれるその神経が理解できん。
この糞ウヨはポルポトが日本人でも同じようなこと言いそうだな
共産主義者のポルポトは左翼だから。同じ日本人でも左翼は嫌いでしょ?
ソ軍なんかにいたら牟田口はジューコフ超えてたねきっと
>>716 オマエモナー
コリアから直接的被害受けたわけでもねえのに、コリアに粘着しているネトウヨに言われたくねえ
大体オマエラを差別して蔑視しているのは日本人の女だろうにw
>>720 その通り。大賛成だ。
だから、中国人や朝鮮人の大多数が直接日本人から危害を加えられたわけでもないのに
反日的態度を示していることが許せない。
>>719 ムチャな作戦を立てスターリンに提案しようとするムッチー
そのムチャな作戦をあっさり認めてしまう、もっとムチャクチャなスターリン
ムッチーと心中するのはごめんだと、必死に止めようとする政治局員のフルシチョフ
>>721 おや、オマエラを差別しまくってる女共についてはスルーか
さすがネトウヨは勇猛果敢だな、直接被害をくらいそうな相手には手も足も出ないのだなwww
あーあ、軍板住民が最も似合わないセリフいいやがったよ
これもすべて、ムッチーと栗田が悪い
>>722 ムッチーのムチャな作戦を嗅ぎつけ、もっとムチャクチャな作戦で対抗しようとするヒトラー
かくして東部戦線は大混乱に
その東部戦線はモンティパイソンの映画か?
「俺が行けーと言って鉄砲3発打ったら敵は退却することに
なってるんだから気にするな」
>>722 スターリンなめんな。
失敗したらムッチーの命は無い。遺族には銃殺で使用した弾代の請求書が。
>>727 突然意気投合して抱き合って乱痴気騒ぎに雪崩れ込む独ソ両軍、とか?
そして、無人の荒野にひとり佇むマンシュタイン…
叩かれても自説を曲げないことがここまでキャラを引き立てたんだけど、
実際、軍人が謝ってもしょうがなくね?
栗田との違いは栗田のがおとなしかっただけに見えるよ。
栗田→旗艦を撃沈されるも艦隊を率いて最前線で戦った
牟田口→メイミョウで高見の見物(芸者付き)、部下の補給要請は無視
栗田→連合艦隊の作戦
牟田口→自分で無茶な計画をごり押し
栗田→戦果不十分、艦隊をまとめて撤退
牟田口→部下の撤退許さず自分だけ「北方撤退路の視察」と言って逃げ帰る
栗田→艦隊はボロボロで帰ってきた
牟田口→三個師団自滅
栗田→餓死者ゼロ
牟田口→餓死者三万
栗田→戦後も一切弁解せず、小沢に看取られて死ぬ
牟田口→聞かれなくても弁解、葬式でも弁解のビラ撒く
…えぇっと、どのへんが同じなんで?
英国が、むっちーを誉めるのは、他の将軍には、ぼろ負けしているから。
例 マレーの虎
こいつがいらんことをしなければ、15方面軍は終戦まで無傷だったかもしれん。
>>731 > 牟田口→部下の撤退許さず自分だけ「北方撤退路の視察」と言って逃げ帰る
> チンドウィン河畔まで苦しい退却を続けて来た諸部隊は、軍司令官が既に同河畔を去り、
> 遠く後方に撤退したことを知って、軍司令官に対する不信を深めた。
戦史叢書「イラワジ会戦」
> (河辺方面軍司令官も)牟田口中将が更にシュエジンからも後退したことを知り、軍の退却指導の錯乱と見て概嘆した。
735 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 15:38:34 ID:6JQTri7k
しかし真相は
> (逃げたなどとは)心外至極のことである。 あの時軍司令官たる私がチンドウィン河畔をにとどまって
> 諸隊の退却を指導することの重要さは私も十分承知していた。
>
> しかし、それよりチンドウィン河以東ジビュー山系間の補給体系を速やかに確立することの方が
> より重要だと信じたればこその行動であった。
>
> インパール作戦失敗に関する私の責任は弁明の余地もなく、また弁明しようとは思わない。
> しかし、私のシュエボ先行を卑怯者呼ばわりされては黙っていられない。
>
> 牟田口中将談
>
> 月刊 軍事研究 2001年5月号 P153
なるほど。そう弁解したわけね
まあ牟田口みたいなタイプの人間にとっては、
「失敗したのはいまさらしょうがないし・・・じゃ俺には他に仕事があるんで後はよろしく」
という切り替えが容易に可能なのだよな。
そこが一番オソロシイところで
本人(だけ)は真面目に頑張ったつもりになっていて
反省する理由すら分かっていないんだろうな。
こうなってはいけない見本というか、
自分がそうならないように気をつけないと…
司令官の任務は部下と共に苦しむ事ではない。
軍板住人とは思えないな。
部下を無意味に苦しませない司令官ならそれでいいのだが。
部下を苦しませないように、後方の補給線確立を一生懸命行っただけ。
補給線確立においてすらまっとうな指揮を行えずに醜態を晒した、の間違いだろ
補給の不備をさんざん警告されたにもかかわらず何ら手を打たず、
あげくに師団単位での戦線離脱を招いた司令官が有能であり、正しい姿であるなどとは
口が裂けても言えない
743 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 21:31:18 ID:GWwiE2Ux
インパール作戦の
ジンギスカン作戦が失敗したので、
戦後開いた店の名前を
「ジンギスカン」にしたでつか
744 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 21:42:54 ID:43jBhOSZ
>補給体系を速やかに確立することの方が
>より重要だと信じたればこその行動
補給体系もろくに整えずに始めた無謀な作戦で多くの兵士達を
あたら死地に追いやった司令官の言葉とは思えませんが?
745 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 21:55:51 ID:GWwiE2Ux
地理的距離を国内に置換えると
補給が不可能なことが解るよ
コヒマは金沢
軽井沢から2000メートル級の山越え金沢迄進攻
インパールは岐阜
山梨から北アルプスを越え岐阜へ進攻
小田原から南アルプスを越え岐阜へ進攻
イラワジ川の補給基地は宇都宮
メイミョウは仙台
牛一万頭も山越無理
746 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 22:02:00 ID:GWwiE2Ux
南方方面軍総司令
寺内寿一元帥閣下に
インパール作戦の入れ知恵されてないでつか
747 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 22:25:47 ID:v3vH+fJm
英軍の損害ってどんぐらいでたのかな?
牟田口って、山口六平太の有馬課長みたいな人だと思う
補給体制を整えたところで結局失敗する。
奇襲効果すらなく準備の整った連合軍相手では敗走するのみ。
750 :
名無し三等兵:2006/09/18(月) 23:14:24 ID:3mIQYrZW
アマは戦略を語りプロは兵站を語る。
牟田口の将としての能力云々は、この一言で十分なのでは?
>>750 しかし同時に、補給戦のクレベルトは、
兵站に縛られすぎて作戦指導が硬直化することを戒めているよ。
まあ西側連合軍の補給計画なんて贅沢のきわみなんだが。
752 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 00:40:09 ID:OKgu6VRx
もとより日本軍の作戦立案には兵站無視の傾向が強いが、
インパール作戦に関してはいくらなんでも兵站に縛られなすぎだろ。
>>747 マニプール公国ではそうでもない。
しかし空挺で侵入したビルマでは、重火器がないのでけっこう苦戦。
日本の3個師団がアラカン山脈を越えていなければ、ビルマに侵攻したか微妙。
754 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 01:18:25 ID:laKEOJtw
>>752 だな
町や村があり「糧は敵に依る」ことができた支那はともかく
ニューギニアもそうだがろくに土民もいない印緬国境の山岳地帯へ
補給も整えずに侵攻したら失敗は目に見えてる
まあ着眼はいいかもしれんが補給と制空権が前提だな
せめて制空権が互角なら包囲した英印軍を殲滅でき
インパールも落とせたろうが...
755 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 01:48:55 ID:3L81RH4e
756 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 07:10:52 ID:Q1WeceW2
ほとんど病人どす。あとインド軍は数に入れていません
>>754 ムッチー。逆切れして航空の協力はイランって言っちゃたしw
ビルマは航空戦に向いた開けた戦場と、整備された飛行場群があったが、
密林と地図の使えない海上があり、飛行場は整備未了のニューギニアに
新鋭機を束で送って、すべて失ったんじゃないか。
二大空襲で500機以上失ったんだから、ビルマに収束させれば1000機近く
有ったんじゃないか?
ビルマの日本軍の航空戦力は英軍の3〜4分の一程度
>>758 それは海軍も含めての話でないか。
ニューギニアの第四航空軍の稼動機は最大でも180機ですぐに全滅。
喪失の原因の大半は飛行場の整備不良のための自損事故だったらしい。
修理部品もなく機体は雨ざらしにされたまま。
出どころは兵頭二十八氏の著書。
あと共食い状態もあると思われ。
それは飛行機?
人間?
飛行機の話だよな流れからみてよ
>>745 > 諸君、佐藤師団長は軍命に背きコヒマ戦線を放棄した。 食う物がないから戦争は出来んと言って
> 勝手に退りよった。これが皇軍か。
> 皇軍は食う物が無くても戦いをしなければならない。
>
> 兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にはならぬ。
>
> 牟田口司令官の訓辞
相変わらず豪快な・・・
じゃ、後ろで酒地肉林してるオマイが一人で行ってこいって話だよなあ
司令官が兵士と同じ苦労してどうする?
大切なのは兵士が戦うための状況なりなんなりを整えることであって
それをやってくれれば芸者呼ぼうが宴会しようがどうでもよろしい。
整えてくださいよ牟田口さん。
>>750 プロの軍人たるもの、勝利のための努力を怠ってはならない。
例えそれがどんなに困難なものであったとしても。
兵站を語ったらもう日本に勝ち目が無いように見えたとしても、
そこで諦めたらプロとは言えない。
日本は戦争に勝つために国家予算の半分以上を軍事費に使った。
軍部独裁も許容した。国民は窮乏生活にも耐えた。全ては勝利の為。
軍人にプロとしての責任感があるのなら、飲まず食わずでも戦争に勝つべきだ。
生きたまま「負けちゃいましたw」などと言う権利はない。市ね、と思う。
>>772 プロ野球でいうなら残り試合20以上で最下位決定済みってところだな。
試合数が残っている以上やらなきゃならないのが真のプロ。
>>735 > 第十五軍司令官牟田口中将はチンドウィン河畔まで退がってくる諸隊を逐次掌握し、飢えかつ疲れ切った
> 将兵に対し、たとえ僅かながらも給養を取らせた後、引き続きチンドウィン河東岸に撤退させようと思った。
>
> しかし後述するように、急迫せる戦況はそれすら許されなかった。
> (略)
> すなわちチンドウィン河畔に向かって(英軍が)急追撃を行い、同河以西において日本軍を捕捉しようと
> 企図していることが明白になってきた。
>
> 月刊 軍事研究 2001年5月号 P158
空中補給を受けつつ追撃する英軍のため、日本軍は補給を受ける余裕も無しに更なる撤退を強いられた。
疲れ切った将兵に僅かな食料を与えようとした、牟田口中将の苦労の甲斐もなく。
775 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 21:31:45 ID:laKEOJtw
>>774 自分の無謀な作戦が惨敗して敗走する自軍に僅かばかりの食料を
与えようとしたからってそれが免罪符になるとでも?
なんか自分は馬鹿じゃないと言いつづける本当の馬鹿の典型のような言い訳だな。
777 :
名無し三等兵:2006/09/19(火) 21:59:43 ID:2xNVY+kJ
777
春秋戦国の呉起を見習えや。
いやだから、支給された撤退時の非常食が
インパール陥落祝賀のためにこさえた落雁だったりしてさぁ…
略奪で飢えをしのいだっていうし、ビルマの人々には嫌われて
かえって自滅するのが早くなってしまったんだろうな
アラカン山脈を越えて補給が出来るという考えは、どこから湧いてきたんだろうか。
これで3個師団が全滅 + とどめの安兵団投入(しないほうが、弓兵団の死者はすくなかったぽい)
こいつらが、空挺を待ち伏せすれば、ラングーンが落ちなかったかも。
途中まではかなり物質があったような話を聞いたが…
後方からの補給には期待せず、手持ちの食糧2週間分(三分の二定量で食い繋げば3週間分)が作戦期間。
チンドウィン河からインパールまでは各兵団の図上距離は約100〜200km。
山岳地帯の高低差を考えて実距離約2倍と見積もれば約200〜400km。
そこから一日の行軍距離を計算すれば14km〜28km、三分の二定量では10km〜19kmになる。
作戦要務令では一日の連日行軍行程は諸兵連合の大部隊では約24kmと定められている。
ちなみに過去のマレー作戦の実績値は作戦日数55日間で機動距離1100km(一日平均20km)。
机上計算なら大体辻褄は合う。
牟田口乙。
>>783 なるほど。戦闘をしないで行って帰ってくるだけなら餓死者無しも可能かな。
>山岳地帯の高低差を考えて実距離約2倍
このへんからしてすでに無謀
たしか、米軍がシコルスキーのヘリを「空飛ぶ救急車」として、実験的にせよ実戦に投入したのはビルマ戦線が最初だっけ?
最初ヘリを見た英軍将兵はその不細工さを嘲笑ったが、救命に大活躍すると激賞したとか
やはりムッチー率いる日本軍とは根本的に違うな
>山岳地帯の高低差を考えて実距離約2倍
行軍可能な道路があればナー
三〜四倍くらいな想定だと思ってたわ
柳田将軍は3倍で計算して怒られたんでは。
帰りに、モンスーンでイラワジ河が渡れなくなったのがイタイ。
3個師団がここで全滅していなければ、英軍がビルマに侵攻するルートはなかった。
>>790 その後にビルマ方面軍司令部は、前線部隊や日本大使館や在留邦人に何の連絡もなく
ひとりの参謀も残さずラングーンを脱出しちゃった。
牟田口中将だけでなく木村中将も再評価すべきである。
4/26の脱出のあと5/1に木村中将が大将に昇進したのもすごい。
792 :
名無し三等兵:2006/09/20(水) 21:15:21 ID:cG7x4sQW
年功序列
>>750 尼は語る。
海女も語る。
(;´Д`)ハァハァ
>>750 兵站は確かに大事だが、全部整うのをいちいち待っていたら
貴重な時間を失うのも確か。
いくら兵站が整ってないからといって、包囲運動している敵を放置していたらどうなるか。
そんな攻勢にでる暇があったら、防御を固めておけと…
>>797 雨期&アラカン山脈越えでヘロヘロになった英軍が日本の前に現れます
>>799 たぶんビルマには終戦まで来ない。
史実では、空挺が来たんだっけ。 第二の遠すぎた橋?
>>800 ちゃうちゃう。
少数民族なんかと共同して、ゲリラ戦。
もうさ、牟田口の妾で牟田口直卒部隊を作って、牟田口自ら突撃してくれよ、と。
>>798 防御を固めることによって最終的に戦争に勝つ見込みがあるなら防御すべきだ。
何の手立ても無く、無為無策のまま、漫然と滅びの時を待っているという意味なら能力だけでなく戦意を疑うよ。
陸軍の攻撃精神はどこに行ったんだ?
もう駄目だ、って諦めているのか?敢闘精神も無いのか?
精神主義に凝り固まっているくせに、何のことは無い、日本軍人こそ一番精神が貧弱なんだよ。
腰抜けが!戦って死ぬ度胸も無いのか?
米英の物量と科学兵器に負けるのではない。日本軍人に根性が無いから負けるんだ。
と俺は思う。
ボッキンキンの陸軍攻撃精神なら、万歳アタックなんかで散々発揮されてるわけだが。
攻撃しようが防御しようが何の見通しもないのは同じだが。
闘って日本男児の心意気を見せるとかいうのは策とか見通しとかいいませんよ?
作戦実行に反対しているなら最初から自ら潔く身を引くべきだろう。
それが計画段階では面と向かってろくに反対意見も述べず、
作戦が始まってから戦況不利になるとあれこれ不平不満を言い立てて
命令無視、逸脱行動を欲しいままにし、それによって部下の士気を低下させ
軍の命令系統を破壊し、自軍を自ら崩壊させた優柔不断、日和見主義、自己保身の態度も問題だ。
敗北主義者柳田の統制前進と、利己主義者佐藤の一個連隊温存による遊兵化と独断撤退、
視野狭窄な宮崎のサンジャックでの時間潰し等々。
軍司令官の責任を問うなら部下師団長指揮官の責任も問われてしかるべき。
>>805 軍人には「何の見通しもありません」などと言う権利は無い。
日本に勝利をもたらすための方策を編み出す義務がある。
心意気は見せなくていい。勝利の方策を見せてくれれば。
だから、アラカンとフーコンと雲南の三方から包囲されつつあるビルマ方面軍として
はどうすれば?
ウ号作戦とは第十五軍でアラカンで反撃を加えて敵の包囲の一角を崩し、可能ならばイ
ンドにまで戦線を進めて英印軍の反撃を可能な限り遅らせるという考え。
また、フーコン作戦や断作戦との関連という視点でも見ていかないと。
ただまあ、作戦構想そのものの是非はともかく、現実にそれを実行する手段がどれだけ
揃っているのかという面からすれば、もうビルマ防衛そのものが昭和19年には破綻し
ているわけで、大本営レベルでもうダメなんだよね、結局のところ。
しかし、依然としてビルマ方面軍に現実に厳然として与えられているビルマ防衛、シャム
国境絶対確保という任務に対して、ビルマ方面軍として、またその隷下の軍や師団として、
その破綻した状態から何をやれるのかという考え方もまた必要だろう。
>>805 帝国陸軍クオリティ乙。
大和魂の精神力で空中浮遊でも実現してくれ。
>>803 つまり、803がいいたいのは、徹底持久で時間を稼ぎ続けた栗林中将は無能で戦意が無いってことだな。
811 :
名無し三等兵:2006/09/21(木) 23:01:58 ID:EIGRLF8j
>803
藻前のようなヴァカのバンザイアタックの結果から最後に(もはや手遅れだったが)
導き出されたのが硫黄島やペリリューの方針。誰も死ぬのがこわかったんじゃない。
根性がなかったんじゃない。食糧も水も弾もない孤島では簡単に死ぬ方がよっぽど
楽だろうが、栗林中将や中川大佐らはあえて祖国と同胞のために地獄の持久策を
取ったのだ。藻前のような上っ面小僧に「精神が貧弱」などと言われる筋合はない!
もすこし勉強して出直してこい!!
まあまあ、極東板の愛国馬鹿が出張して来ていたんだろ。
>>803 かつてオマイの言ってることとそっくりな事を言った指揮官がいたな。
…その名を牟田口廉也という。
インパール作戦の後にそんな訓辞を垂れていたっけ。
「守っていたら負ける」で始めた戦争だったわけで。
そこは勘定に入れようジャマイカ
攻めたらもっと負ける。
攻撃側なのに「敵は逃げるはず」と守備側兵力より少ない兵力で突撃するのは
精神力基地外、帝国陸軍の悪い癖。
オマケに装備で劣り、制空権なし、補給なし、移動は徒歩、
万に一つも勝算がないじゃマイカ。
君の言うとおり、万歳突撃はもはや勝算などない戦術以下の状況でなされる。
軍人ってのは祖国を守るためには自らの命をも投げ出すものではないのか?
戦陣訓にも書いてあるだろ。命を惜しむな、名こそ惜しめって。
日本が戦争に負けるのに、軍人が生きているのはおかしい。
真面目に戦っていれば敗戦前に戦死するはずだ。
祖国を守るために命を投げ出しているはず。
死んでいない軍人は腰抜け以外の何者でもない。
守っていたって兵糧攻め・海上封鎖による資源の枯渇で日本は負けるじゃん。
その場合、せっかく作った武器弾薬は全く使用されずに終わる。
だって食い物と燃料が無いんだから。
いずれ来る完璧な敗北を待つのか、余力がある内に起死回生の一撃を狙うか。
あれも駄目これも駄目と、出来ない理由を並べ立てるだけなら素人でもできる。
限られた条件の中で小さな成果を積み重ねて大きな勝利につなげるのがプロ。
…で、部下だけインドまで歩かせて、自分は芸者囲って宴会。
これこそ(チンコを使った)敢闘精神である!
精神論を連呼してる暇人がいるな
物量と科学技術では勝ち目が無いんだからせめて精神力ぐらいはしっかりして欲しいよ。
脳味噌が牟田口レベルの精神論者ののたまうことは
およそ軍事的とは言い難いな。小学生程度の火葬厨?
824 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 08:40:37 ID:Mehki739
>803,817,822
同一の香具師かもしらんが.....
少なくともその時代の殆どの帝国軍人はキサマの百万倍くらいの
精神力は持っていたと思われ
軍隊は人間の集団だから士気によって維持される。
士気を高めて組織力を強化するために発する言葉を精神論と呼ぶ。
組織力の強化は戦闘力の強化に繋がる。
精神論は軍事的なものだし合理的なものだ。
精神力で戦争に勝てるという奴は、三万回餓死してから言え。
無敵皇軍と宣伝したのは陸軍自身だろ。昭和19年になってから「やっぱ嘘です」とは言えまい。
死んだら精神力は使えないよ。
ラングーン陥落の際の丸山大佐も忘れないでくれ。隷下の丸山連隊から引き離され
傷病兵と兵站関係の部隊で遅滞戦をおこなった悲劇の中間管理職だ。
ところで厨房が紛れ込んでないか??
モラールは要素であるが、むっちーは維持できなかった訳で。
>808
かつて、書き込んだことがあるが最初から断作戦、怒江作戦をするのが正解では?
あの時は「攻勢防御」か「遅滞防御」の択一だった訳で。
インパール作戦は政治的・戦略的な意味合いもあって実施された作戦だから、
断作戦や怒江作戦に置き換えることはできないと思うけど。
>>817 兵隊一人一人にだってコストはかかっている、
適切なコストを適切な結果が出せる機会に投入しないのは、
ただの税金の無駄遣い。
つーかねぇ、軍隊の運営だって会社の運営とたいして変わらんのですよ。
リスクが大きく、なおかつ成功の確率が低いプロジェクトに
ありったけのリソースつぎこむ管理職なんて糾弾されて当然だべ?
日本は明治以来富国強兵政策を取ってきた。
国民は臥薪嘗胆して軍備に投資してきた。
これは戦争に勝つためだ。
敗戦したら国民の投資がパーになってしまうではないか。
軍人など1000万人死んでもいい。
戦争に勝って貰わないと国民の努力が無駄になる。
>インパール作戦は政治的・戦略的な意味合い
援蒋ルートの遮断を長引かせる為に、インパールへ進撃
でしょ?
「あわよくばボースを担ぎ出してインドを混乱に」
なんて資料は、回想録ではみかけるが当時の資料ではありましたっけ?
>>832 うん、だから極端な話をすれば
戦死者分のコストに見合う結果を得ることが出来るのなら、
軍人は1000万人死んだっていいのよ。
>敗戦したら国民の投資がパーになってしまうではないか。
軍人を無駄に消耗するのも国民の投資の無駄遣いだとは思わないのかね?
だから軍事のみをそんなに特殊なものだと考えちゃダメだって
徴兵制では国民=兵士でありすなわち国民1000万人殺せと言ってる貴様は亡国論者。
>戦陣訓にも書いてあるだろ。命を惜しむな、名こそ惜しめって。
で、実際はどうだったのか?君のおじいさんに聞いてみなさい?
当然、父方/母方共に戦死されてますよね??
遺族会の話もききたいなぁwww
これこれ、バカウヨをいぢめてはいけないよ
有事の際は真っ先に特攻してもらうからwww
838 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 13:18:40 ID:Mehki739
バカウヨは騒ぐだけ
特攻なんてこんじゃうはなひ
839 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 13:33:45 ID:CSWoXtAf
匍匐前進も出来ないデブヲタなんて、戦場じゃ何の役にもたたん
ほほえみデブは教官でも撃ち殺してろ
840 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 13:52:40 ID:anGmAplK
>>839 まるでバカウヨに微笑みでぶばりの狙撃の才能があるかのような物言いですね!!!!!1
>>834 >国民の投資の無駄遣い
あれだよなー、豊田商事とかダイヤモンド詐欺みたいなもんだよな…
>>841 確かに。あの戦争は軍部の国民に対する詐欺行為みたいなもんだ。
一般国民はみんな軍部によって五族協和だの植民地解放だのの
美名のもとに騙され狩り立てられて、大本営の戦争マニアどもがやる
机上のウォーゲームの駒にされ生命財産地位を奪われた詐欺被害者。
>>831 この場合、すでに債務超過で破綻寸前の会社で考えるべき。
客観的・第三者的には、速やかに破産決定をうけるべきと言えるかもしれん。
しかし、そう言える当事者は稀。
あきらめない経営者ほど、一発逆転を最後まで狙って
高利の借入で成功率の低い投資をして、被害を拡大させるもの。
そしてそれは、経営者限りでは、合理的な判断だ。
早めに手を挙げても債権者が喜ぶだけだからね。
でもなあ、日清や日露ではこのビジネスモデルで高収益挙げたんだよ。
特に日清では大儲けしたし。まあ日露では事情があって、
時価総額世界一の為に一般株主への配当、今回はかんべんなって
総会で弁明したんだけど、一般株主の連中、日比谷あたりで騒ぎ出すわ、
アカヒはじめ全マスゴミで煽るわ・・・
生扉&ホリエモンに似てるなw
>>844 >特に日清では大儲けしたし。
儲けてないよ。
餓死で自滅なんて戦闘以前の問題。
軍人としては落第以下。
実際、見習い士官以下の作戦と評されたわけだし。
847 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 18:23:27 ID:BmckfuyZ
陸大卒の秀才が精神論振り回してあげくの果てにジンギスカンじゃ…
しかしアメリカ側は兵站や上陸作戦、南方ジャングルにおける衛生管理の重要性まで
ノウハウをどこで学んだんだろ。WWIの経験と応用かね
日露戦争の借金返済は第二次大戦後まで続いた。
全然儲かってない。
>>846 中央が要請どおりに物資を届けてくれない。
>>847 というか、単に、日本陸軍がソ連ばっかり見てて、
太平洋で米軍と戦う研究をサボっていたというだけでは?
米軍はオレンジ計画で想定してたから、普通に事前研究してたでしょ。
イギリスは長い植民地支配で現地の気候・風俗には習熟していたし。
いや、牟田口も福岡から料亭と芸者という「習熟した風俗」を持ち込んではいたけどww
>>850 陸軍はほとんど口出しも事前準備もせずに海軍だけだったらしいけどね>オレンジ
それでも当時は海兵隊が海軍のドクトリンの影響下におかれてたから、日本より遥かに条件はマシだったっぽい
ジャングル関連のノウハウはフィリピンで得たんでは?
日本海軍も対米要撃・漸減作戦は研究してたはずだが
>>853 熱帯装備の研究をして、フィリピンで実験。
ヨーロッパに行く兵団と太平洋の兵団では装備がちょっと違うのかな。
上着が半そでVS白のジャンバーとか。
856 :
名無し三等兵:2006/09/22(金) 22:41:08 ID:dWukIDv0
無駄口中将
857 :
名無し三等兵:2006/09/23(土) 02:04:53 ID:a2qSEBxr
中華料理「ジンギスカン」は繁盛したのかな?
>>810 よく考えると、栗林中将はすごいよな・・・。
徹底的に陣地を掘って迎え撃ったとはいえ、あの米海兵隊相手に戦闘して、
キルレートで上回ったって、戦史上、栗林中将1人だけではないだろうか?
過去に起こった米軍相手の島嶼防衛戦を研究して対応しただけじゃん。
どっかで見かけたな。日本陸軍の教官が開戦後に対米戦の講義をするんだけど、
何を話していいのかわからない、っていうの。全然研究してなかったとかで。
そりゃまあ日本海軍が健在なら陸軍の出番は無いもんね。明治以来の日本の常識だ。
使う予定の無い研究をするのなんて知的資源の無駄遣いだしな。
>>847 上陸作戦は戦争中に試行錯誤しながら学んだ。
兵站や衛生管理の重要性は軍事上の常識だからどこの軍隊でも知ってるでしょ。
日本陸軍は明治時代から大陸で戦闘するとき日本との海上交通線の維持に神経を尖らせていた。
衛生部隊の研究と拡充も積極的だった。医薬品の開発や健康管理についても研究した。
兵站と言うのはとにかくカネがかかる。衛生管理も。それでいて戦闘能力は無い。
少ない資本・資材で強大な敵と戦う時には最小限にするしかないな。
>>834 >軍人を無駄に消耗するのも国民の投資の無駄遣いだとは思わないのかね?
別に。軍人などに大した価値はないと思う。日本国民の命にも。
どうせ昭和20年になれば深刻な食料不足が起きる。
戦争が史実より長引けば国民の多くは餓死するだろう。
減った人間は戦争が終わればまた増えるから、まあ、いいだろ。
そもそも戦争とは主権範囲を増やす行為だろう?
日本国の領土・財産・資源などが増えればいいんだ。
もちろん軍隊や国民が無傷で残れば更に良い。
国民がいなくなって膨大な領土が残ったりしてw
>>863 その通り、最後に博打に勝てばいいからいくらでも借金できるのだ。正に合理的思考。
>>860 参謀本部に米国課ができたのが昭和18年だっけ?
米軍の戦闘もWWTのパンフレットが参考だったらしいからな
この辺は「大本営参謀の情報戦記」に詳しい
>>860 一下級将校の見た帝国陸軍(山本七平)に出てきますね。
>>862 金銭的に見ても日露戦争は明らかに赤字。
終局的に日本に破滅をもたらす大陸介入の始まりでもあり、
あんな戦争はしないほうがよかった。
しなくて済むならしねーよ
×しなくて済むならしねーよ
○損得勘定できるならしねーよ
戦争する・しないは政治マター→板違い
作戦する・しないは軍事マター→軍板むけ
まあ、スレ違いだな。
結局、むっちーの擁護もしてないし。
自分の信条を垂れ流しているだけ。(むっちーの資料や回想が一度も出てこない)
他板でスレ立てたら誘導して頂戴。
乙!
戦争をすりゃあもちろんカネが莫大にかかる
アメリカみたいに勝って自国の通貨が世界基準になれば
ナンボでもカネを刷って贅沢できるが(もちろん長期的には価値が下落するが)
それ以外は戦勝国のはずの欧州諸国だって悲惨なもんだ。
>>872 軍事は政治も経済も密接に関係するから板違いなどではない。
軍板FAQとかでも書いてあるぞ。
>>873 牟田口の資料といえば、牟田口自身が配ったという弁明の書は本当に実在するのだろうか。
戦も知らん若造どもが、勝手なことを言いよって!
柳田のような青瓢箪に、山之内のようなアメリカかぶれ、
佐藤のような不忠者は、帝国陸軍にはいらんのじゃ!
腹が空こうが、弾がなかろうが、吶喊せい!
それが帝国陸軍じゃ!
・・・他板から吸い寄せられるように、普段見ない軍板に来たのですが、
なぜか突然↑の言葉が心に浮かびました。(何のことかよく分かりません)
それでは。
>876
話はきくけどそういえば見たこと無いね?
あと、一つ思い出したんだが、15軍司令部の戦友会にはむっちーは来たことが
ないはずだよ。(死んだ爺さんはつじーんの話はしたがむっちーの話はしたことが無
い)実家に戦友会の写真が数枚残ってるんだが、騎兵がかぶるような見たこと羽根付
きの無い帽子をかぶっているのが数名、あとはおっさんの集団という印象で「陸軍
大将」というカッコの人はいなかった。最後の?写真は昭和50年の慰霊旅行の写
真、空港での集合写真と慰霊塔?前での集合写真)
騎兵がかぶるような見たこと羽根付
推敲ミスった。
>騎兵がかぶるような見たこと無い羽根付きの帽子
とんがり帽子ですたよん
>>869 こういうマヌケが多くて日本を嵌めたい國に利用されました。
でも、むっちーは盧溝橋事件では活躍したんだよね?
独断で発砲して事態を悪化させると言う大活躍をしましたね。
小規模な事件を支那事変に発展させてしまい、遂には大東亜戦争まで行ってしまった責任を
痛感して自分が何とかせねばと考え、そしてインパール作戦を実施したもの
上手く行けばインドの解放と英国の連合国脱落まで行けたはずナンだが・・・・
てことはインパ〜ルから、さらに大英帝国まで牛を連れて旅するつもりだったのか!!!
wwwwww
牟田口は火葬厨以下だな。
インド人って牛食わないんだよな
水牛を殺して食うというのはインド国民軍的にはおkだったのか?
そういやジンギスカン作戦ってインド人を侮辱しまくってるな。
歯でかむ薬きょうに牛脂が使われてるとかいった噂の比じゃないw
まーほとんどが収容所からの脱走目的で志願した奴らだから
食べる前に散り散りになったんだろうが。
>>886-887 国民軍が全員ヒンズー教徒でもないし、
牛と水牛は別扱いで食べてもOKらしい。
>>884 盧溝橋は「誰が撃ったか?」なんて、全然本題じゃ無いのにね。
事件をコントロール出来なくてイケイケで拡大しちゃったのがマズいわけで。
牟田口は、朝日毎日読売のだ〜〜〜い好きな、226事件の青年将校と同じ皇道派。
ま、結果責任に無責任なのは、朝日毎日読売バリだがね。
892 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 09:42:55 ID:KQqTeAYT
骸骨街道あげ
893 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:00:01 ID:PE+pcufm
河辺正三大将とその弟の虎四郎氏と瀬島龍三(生存)の情報を教えてください。
いずれも富山の名将だと思うのですが。瀬島氏は大本営中枢部の最後の人間だと
思われるが間違いない?
>>893 瀬島龍三は、ただの参謀で名将と言われるようなことをしてないが。
しかも当時は碌に何もしなかったくせに今頃になって旧軍批判をしているだけのような気がします。
896 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 00:01:17 ID:JsOVRFwn
>>891 純潔教育の山谷えり子が見たら卒倒するようなことが書いてあるな
226事件と言えば、ビルマ方面軍高級参謀の片倉衷中佐は青年将校たちに
軍を辞めろとか要求されてなかったか?
それなのになぜ皇道派の牟田口と一緒にインパール作戦推進しちゃったんだ
インド独立の父、牟田口閣下を評価すべきである。
反対するやつは全員特亜。
899 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 07:11:07 ID:ssiv1A0U
ぷ
900 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 07:13:49 ID:ssiv1A0U
900
>>898 先生、お顔にゴミがついていますから、とってあげますね・・・ベリベリベリ(変装が剥がれる音)
あっ、このエラの張った顔は!
現在人気沸騰中の佐賀県の誇る英雄じゃないですか!
はなわの方がマシ。
日本の軍事史には必ず絡むよね。佐賀県。
秀吉の名護屋城
鍋島カンソー
南部麒次郎
906 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 02:05:53 ID:rbhlBRff
牟田口家の消息を希望。
墓はどこにあるの?
907 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 02:50:42 ID:BjR9FfGt
東京の多摩霊園
住まいは調布市だったかなぁ
908 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 02:55:19 ID:BjR9FfGt
中華料理店
「ジンギスカン」
所在地キボン
墓はムッチ〜だけ、家の墓とは別で墓石には名前以外何もない
なにせ、餓死させた兵士の遺族に恨まれていたので。
910 :
名無し三等兵:2006/10/24(火) 23:00:14 ID:ynqLqp+j
牟田口も佐賀〜公表するな
いやいや、大牟田つながりで福岡出身だろうとか言う奴がいるからな。冗談じゃねー。
その辺ははっきりさせておなかいと。
なんか、わざわざウィキで「インパール作戦肯定論」とやらを一人で展開してる
いかれた奴がいるんだけど、これ、もしかして牟田口の亡霊?
(家族には見捨てられているので、遺族の仕業ということはないと思われ)
評価すべきは、牟田口一人で日本軍を全否定出来る点に尽きるだろうなあ。
牟田口以上の負け戦を展開している連中は日本軍にはたくさんいるが、
そいつらは無視か。
負け戦というか、牟田口のキャラだけでも後世の日本軍感に大きな影響を与えてしまってるからな。
栗林忠道。総兵力22000。戦死21,800、捕虜200。死傷率99パーセント以上。
これに比べたらインパール程度かわいいかわいい。
レイテ戦。日本軍投入兵力84,006。戦死79,261。
ちなみに米軍に与えた損害は戦死3,504名、戦傷11,991名。
>>917 閣下、その両名は攻勢に出たのではなく、迎撃を行っただけです。
それに、餓死者が少なからず出た点では共通点もありますが、
補給に対する司令官の発想・努力がまったく違います。「日本人は
草食動物・・・」云々と言っていたのは牟田口閣下だけですが。
作戦計画のズサンさに起因する損害の大きさという面では
やらなくてもいい攻勢にでて三個師団を死にかけの12000人まで減らし、
ビルマに寝返りされて失陥した牟田口閣下の功績を「インド独立の父」といわんばかりに
よいしょする酷使様は一度餓死してこいって感じだな。
自分は餓死などするつもりなどない。
そもそも戦う根性も度胸もないのが酷使様。
メイミョウで芸者遊びに耽っていた牟田口の同類だね。
彼らは宮崎繁三郎少将なんかどう評価するのかな?
尻尾巻いて逃げた腰抜け、卑怯者、反逆者ってところかな。
佐賀県酷いな
どうぞ腹をお切りください
うむ。しかしちょっと腹が痛くなってきたので治ってから切ろう。
下がってよいぞ。
>>917 栗林中将と牟田口では、将としても人としても格が違う
一緒にするとは、何たる侮辱
貴様には「氏ね」がふさわしいな、クズ
ウィキペディアの馬鹿酷使様は日本軍と名がつきゃ、
なんでも擁護すりゃいいと思ってる時点で程度が知れるな。
こんな奴ほど有事には尻尾まいて逃げるんだろ。
928 :
俄将軍:2006/10/28(土) 17:19:01 ID:???
大日本帝国が無条件降伏を受け入れた、敗戦後のフィリピン、ビルマを比較し
てみると、ということになると、興味深いということもあるのか、などと、
煽りたててみるのはお約束、ということになるのか、などと。
無条件降伏後の沖縄など、ということになると、何が問題、ということになる
のか、などと、適当に書き散らしてみたり。
>>920 牟田口の行動も攻勢防御なんだがな。
あと硫黄島では、数少ない水源を司令部が抑えてしまったため、
将兵は重金属混じりの水〈それも少量〉しか飲めず、
胃腸不良患者続出で戦う前にその多くが戦力を喪失していたとされているんだが。
いやはや栗林閣下も大した人格者だ。
>>921 米軍に重囲されている硫黄島からは絶対撤退できないし、
降伏という選択肢も我が日本軍にはないのでその場で死ぬしかない。
文字通り必死作戦になってしまっている。
その点では、かなりきわどいとは勝ち目があり撤退も可能なインパールの方がマシではないか。
もし硫黄島防衛戦とインパール作戦のどちらかを選べと言われたら、俺は間違いなく後者を選ぶ。
あなたは硫黄島に行きますか?
インパールから戻るってそっちの方が嫌なのは俺だけですか?
宮崎閣下の部下だったらインパール選びますけどね。
好んで激戦地を選ぶんだな君は。
宮崎閣下の部隊は、わずか600名程度でジャングルの中を長く苦しい後衛戦を行うのだが。
ビルマにはインパールから「敗走」できる日本軍勢力圏がある。
硫黄島にはそんなものはないから、俺はインパールのほうがいいです。
>>929 負け戦を押し付けられて指揮下の兵と運命を共にした人間と、
自ら無謀な作戦を立案して実行させておきながら自分は後方でぬくぬくしてた人間を一緒にされてもな。
>>931 それは、もう指揮官の評価でなくて、
作戦に参加するならどっちがいいになってるぞ。
934 :
イランジン:2006/10/28(土) 20:21:08 ID:cMQLVqFu
,.'´ ____ _,.◯_ \
/‐''"´.:.:.:.:.:.:`.:'.:ーニェニ-- ._ \
♪ /.:..:.:.:.:.:.:_.: -‐¬、.:.:.:.: _,.  ̄\
{.:.:.:.:> '",. -z 'T丁「`‐匕 ,,`ヽ、 }
`'<>'" |〆-‐弋|‐|∧ノ_\`ト、 ヽ、ノ
/ | | _,、____-  ̄ソ、i `Y ♪
_//| | ` ̄ ̄` z__ 〉 l| 牟田口の〜 ムダ口で兵が死に〜♪
 ̄7イ ヘ i | ,  ̄ソ .|i|
/ /!ヘ |l | , - 、 八l |i | 司令官に任命したのは天皇陛下〜♪
∨ リ ! |、リ !_ ノ /j | リ l |
|ノWl 、 ,. イ \! ソ
♪ _」__>ェ≦⊥、
┌「 ̄ ̄「卩 ̄ ̄У\_
_.. -┘_\.__, ┴、.__/ , - < ̄ ~ '' ーァ一-、 大元帥さまはマッカーサーに土下座して命乞い〜〜〜♪
,. ' ´ ` ‐テ‐=f´‐ '´ r─v / ̄ヽ、
,.´ / l {辷j/ , '⌒ヽ、
/{ /\_/| i:. 〉∠/ ,. - !`、
/ i .:.i/ 〉、 /l |.:,.<二<_/ ,.、 〉 \
/ 丶.:./ /\`´/|! ,.<ニニ三>`"´ /l、
ノ :.:.У /〉、 ¨ /!l ,.<ニニ三>'´〔 /| } \
ビルマに戻って来たら、エライ事になっとる訳だが…
牟田口閣下が硫黄島の守備隊司令官みたいな逃げ場や安全圏のない立場だったら
彼も腹くくって兵と運命を共にしたんでないかな。
いや芸者と…
一人で逃亡するでしょ富永みたいに
940 :
名無し三等兵:2006/10/28(土) 22:55:13 ID:NjSm3ELx
941 :
:2006/10/28(土) 23:03:01 ID:kxjmSWvh
ホント、帝国陸軍の将校どもときたら・・・
貧乏人が出世欲を満たせる数少ない場所が陸軍だったから
自己顕示欲満々で「学業優秀な馬鹿」が集まってしまったのかね。
>宮崎閣下の部下だったらインパール選びますけどね
そうか? 宮崎に関しての伝説を盲信し過ぎてないか?
宮崎は歩兵団長として58連隊を率い、インパールの緒戦である拠点を
攻めている時、祭の援軍を何度も断っている。そこは祭の作戦区域だから
祭が協力を申し出るのは当然。なのに宮崎は断り続けた。しまいには自分
から無線に出て「貴様は武士の情けを知らんのか。58(連隊)が全滅
したら勝手にしろ」とまで言っている。この時、58は連隊長が連隊旗を
奉じて玉砕覚悟で最後の斬り込みをかけようとしていたのに。
結局、英印軍が後方陣地へ自主的に引いたため全滅しないで済んだだけ。
その後、陣地に入った祭の部隊は、糧食がなくなり、食わずに戦っていた
58の将兵のために炊き出しをしたそうだ。
この苦戦を我慢せず、素直に応援を頼んでいたら英印軍を取り逃がさず、
しかも戦死者負傷者は間違いなく減っていたはずだ。この時戦死した兵に
宮崎は何と言うのだろう。
>>933 牟田口が立案し指揮したインパール作戦と、
栗林が立案し指揮した硫黄島防衛戦とを比較するのは当然では?
やらんでもいいのに強引にねじ込んでやった作戦と、やるしかなくてやった作戦を
同レベルで比較するのが当然?
>>939でFA
・前線の将兵のために増・・・
・前線の将兵のために補・・・
・そもそも指揮官の仕事は後方で・・・
>>945 どうせビルマ内での防衛などおぼつかないのだから
少しでも可能性のある内に攻勢に出るのは必ずしも間違いではないだろう。
まともな作戦ならたしかにそうだ
だからといって集団自殺同然の作戦をしなくてもいいわな。
951 :
俄将軍:2006/10/30(月) 04:42:45 ID:???
>>950 一億火の玉、ということになると、大和の沖縄特攻など、事例には、事
欠かないということになるのか、などと。
集団自殺同然ではなく、そのものということになるのか。
自殺的っていうのは硫黄島その他の作戦の方がふさわしいと思うんだが。
彼らにはどこからも補給物資がこないし逃げることもできない。
インパール作戦の兵站活動は難渋しているがないわけでないし、
建前はともかく後退も認められている。
>>952 ドイツ軍も、撤退途中で遅滞用に確地部隊を置き去りにしてる。
確地部隊は弾薬がつきるまで戦った後、ソ連軍に降伏。
ソ連軍の捕虜の扱いは言うまでもない。
また、米軍も、日米戦でグアムやフィリピンの喪失は想定の範囲。
だからといって事前に撤退したりはしない。それは敵を利するだけ。
結局、軍隊が、大の虫のために小の虫を犠牲にするのは当然かと。
>>952 ひたすら出血持久に徹して、自軍を上回る損害を与えた硫黄島と、
やらなくてもいい攻勢をやらかして、ほとんどの戦力を戦闘以外で失ったインパールとを比較するのもなぁ。。。
硫黄島じゃ、玉砕時の総攻撃ですら米軍に「非常によく計画された、きわめて効果的な攻撃だった」と評価されていたわけで。
>>953 「確地」? やな用語だね。
バグラチオンの時に、独軍前線の「要塞宣言された死守拠点」が「確地」だったが。
伍長の死守命令に縛り付けられて徒に包囲されて
その分の兵力が以後無力化されちゃいました、馬鹿じゃねって話ならよく聞くが。
米の植民地軍の話は良い例だけに惜しい。
15軍は戦争しに行ったんじゃなくて餓死しに行ったようなもんだし
まあ口が減ったおかげで、後方の司令部では毎日宴会が出来る様になった訳だが。
抗命が無ければ、英軍は撤退し勝っていたというのは本当か?
嘘に決まってるだろ
960 :
名無し三等兵:2006/10/31(火) 12:23:59 ID:rxTvdpEB
961 :
牟田口談:2006/10/31(火) 17:09:01 ID:???
>>959 真実である。勝算は充分にあった!!
ソース 「軍事研究」
防衛庁の発行したインパ−ル戦史によれば、最初の計画は無理のない作戦であったが、
牟田口司令官は3週間で勝てると確信し、撤退も補給も計画にない一か八かの作戦に
切り替えたとある。戦後、牟田口司令官は反省して3週間で勝てなかった場合のこと
を考えておくべきであったが、当時は失敗することなど全く考えていなかったと話して
いる。当時の陸軍の必勝の信念は失敗を口にも出来ない雰囲気であった。そして作戦
失敗と分かっても、参謀本部の勝てとの命令を実行したのである。なぜなら計画に撤退
も失敗も補給もなかったから、補給は敵の物資を奪えと。
3週間で雨季に入り、補給が困難になる。しかし現地に行軍するだけで携行した3週間分の
食糧は無くなる。補給路は険しい山地でそれでなくても困難なのに、弾薬も食糧も殆ど最初
に携行した分だけで最後まで戦った。3月15日作戦開始、7月2日撤退命令。
第15軍作戦参謀は戦後、インパ−ルが占領できない時のことは全く考えていなかった。
牟田口司令官は戦後、私が撤退命令を出せる権限を計画に入れておくべきであったと反省
軍から第31師団への補給は山砲弾が500発のみ。山砲弾以外は補給といえるものは
無かった。作戦発起時山砲弾各門150発(17門)プラス500発、これが全砲弾量。
従って突撃は銃剣突撃のみで、機関銃と戦車、大砲で固めた陣地に突撃した。
>>964 >作戦発起時山砲弾各門150発(17門)プラス500発、これが全砲弾量。
冗談だろ?餓鬼の小遣いじゃないんだから。
じょ、冗談だと言ってくれえ!
>>962 >撤退も補給も計画にない一か八かの作戦に
>切り替えたとある。戦後、牟田口司令官は反省して3週間で勝てなかった場合のこと
>を考えておくべきであったが、当時は失敗することなど全く考えていなかったと話して
>いる。
こいつ本当に陸大出のエリートか?
精神に異常をきたしていたとしか思えん
牟田口が精神に異常をきたしていたって?
そんなの盧溝橋の頃から(ry
南雲や栗田はギリギリ擁護(同情?)できるが牟田口は全くできん。
調べれば調べるほど、否定的な要素しか出てこない
盧溝橋でアタマ撃たれて死んでれば・・・
芸者を呼んで遊んでいたという話って、伝聞ばかりで実際に見たと証言している人いないんだよね。
司令部のあたりには数奇屋造りの料亭どころか、インドに攻め込むと聞いてついてきたという
女衒の掘っ立て小屋ぐらいしか見たこと無いと証言している人もいるし。
ところが従軍記者の記録によると…
牟田口といっしょに後方でのうのうとすごしていたヤシと、従軍記者の証言が食い違うなら
大半の者は、従軍記者のほうを信じだろうな・・・ただし、朝日は除くがw
wikiからの転載(一部省略)
戦後は東京都調布市で余生を送るが、インパール作戦失敗の責任を
問われると、牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始した。
部下の葬儀に際してインパール作戦で自身に責任がなかった旨を
強調する冊子を配布した話が伝わる。さらにラジオやテレビ、雑誌などで
機会さえあれば同様の強調を繰り返している。
1966年死亡。死の際にも、葬儀で息子に弁明のビラを配らせたという。
・・・何かもうここまで来ると逆にすがすがしさを覚える
人間が砲弾を背負って運ぶような山道の補給路に頼って、2個師団をより強力な敵に雨季で
撤退も出来なくなる時期に作戦を開始するのは、基本から間違っている。銃剣でどうすれば
多数の戦車を撃破し攻略できるのだ。
>>962 トンザン〜ビシェンプール〜インパール道に33D、パレル〜インパール道に15D、
31Dの4個大隊をコヒマに挺進させて英印軍後方を脅威、
残りの31D主力は予備として主攻後方に控置、だったっけ。
基本的に南方ルートからの「インパールの占拠」を目指す限定攻勢。
むっちーの脳内ではコヒマからディマプールに突進する方向が本筋だったらしいが。
補給? さああ??
後方にいた第18師団は敵空挺旅団に補給線を遮断され、6月22日には師団で小銃弾1日1
箱(1440発)に制限。この時インパ−ルでは銃剣だけで大本営の命令により突撃を繰り返し
ていた。撤退か防御に転換しなければならないのに。
ウィンゲート潰しと、アキャブのような防御戦に徹して、
予備戦力があれば、むしろ騰越・拉孟に送るべきだったな。
昭和19年3月1日作戦開始時の保有重火器及び弾薬
第15師団
重機関銃 12、大隊砲6,連隊砲3(210発/門),速射砲3(300発/門)、山砲10
第31師団
重機関銃 36、大隊砲18,連隊砲6(300発/門),速射砲6(300発/門)、山砲17
第33師団
重機関銃 36、大隊砲18、連隊砲6(150発/門),山砲9(800発/門)
兵の装備は甲装備、(小銃弾120発、手榴弾3発、糧食米12日分(7升2合)、調味料、缶
詰、携帯天幕、蚊帳、小円匙、なた携帯燃料)約40kgを担いで突進 険しい山道で大砲
の運搬が困難。 (通信兵は60kg)
敵には戦車1個師団規模があるが、それに対しては手持ちの戦車地雷だけだった。
>>972 >wikiからの転載(一部省略)
それはソースにならない。
6月30日調べの第33師団の損耗は、戦死傷約7000人、戦病約5000人、合計12000人。
師団総力の70%に達した。
我が方に砲兵や飛行機の協力のないのを察知した敵は、我が方に面する緩斜面に大砲
100門を展示会のように並べ、猛烈な砲撃を行った。師団長回想4月末。山砲残弾十数発。
百発百中の砲1門あれば百発一中の砲100門なぞ恐れるに足りない。
牟田口乙
何人無駄死にさせたら気が済むんだ
英軍の防備態勢。
第2英師団。第268旅団。第23旅団。戦車2個連隊。
第5インド師団。第7インド師団。第17インド師団。第20インド師団。第23インド師団。
蜂の巣陣地で鉄条網多数設置。戦車、大砲、機関銃で日本軍の銃剣突撃を阻止。
それでも酷使様の手にかかると
「牟田口はインド独立に尽力した東亜の解放者」
なわけで。なんつうか、酷使様は牟田口以下?
あ、ゴメ、ウィキペディアの「インパール作戦」のことね。
世界史上でも稀なほどの愚かさ
987 :
韋駄天はふと考えた:2006/11/04(土) 02:54:45 ID:pUtPLs63
>>1 悪いのは全部真面目にやらなかった部下 ×
悪いのは第一次世界大戦の時にやらなかった無能政府 ○
第一次世界大戦の時にドイツに宣戦布告をするのではなく、大英帝国に宣戦布告をする。
まず清国との間に同盟関係か不可侵条約を締結する。
上海に展開していたドイツ軍の助けを得て、日本海軍で護衛輸送した5個師団で香港攻略上陸作戦戦を展開して、香港の植民地を開放して清国に返還する。
これにより、清国との同盟協力関係が深まる。
次に、大英帝国と同盟関係にあったフランスに宣戦布告をして、香港から陸路は北ベトナムに侵攻、海路は南ベトナムに侵攻して、合計10個師団でもって
ベトナムを南北から制圧してフランス植民地から開放して、ベトナム国の独立を承認する。
この北ベトナムを10個師団の軍事拠点にして、清国国境からビルマ国境沿いの山脈の中に、大英帝国植民地の東インド攻略戦ルートを開拓して、
軍隊や物資を輸送する鉄道を敷設する。
さらに南ベトナムには10個師団の軍事拠点にして、海路と陸路に分かれて大英帝国植民地下のシンガポール攻略戦を開始する。
シンガポール攻略戦成功により、東南アジアの植民地を解放してそれぞれの独立国を承認する。
これにより、大日本帝国は東アジア全域の国々との同盟関係が達成されることになる。
そしてインドの大英帝国からの植民地解放をスローガンにして、陸路軍10個師団はインパールに侵攻、
海路軍10個師団はスリランカに侵攻して、現地のインド独立解放軍と協力して大英帝国軍を各地で打ち破る。
そしてインドを大英帝国の植民地から開放してインド独立を承認する。
その後は大日本帝国軍20個師団、清国軍10個師団、インド軍10個師団、ベトナム軍2個師団を正規軍として、
ヨーロッパ大遠征軍を結成して、陸路軍は同盟国のオスマントルコ領内のイスタンブールを経由して、同盟国のドイツ軍が
激戦を繰り広げている西ヨーロッパ最前線へ侵攻していく。
海路軍はオスマントルコ軍と協力して、大英帝国支配下のスエズ運河攻略戦を行い、スエズ運河を占領する。
大日本帝国海軍と海路軍は、スエズ運河から地中海へと艦隊を進出させて、南ヨーロッパ制圧作戦を展開する。
日露戦争の恩人
日本軍参加将兵約8万6千人。帰還時の兵力は僅か1万2千人。
990 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 06:06:22 ID:9/lzNfdL
硫黄島の600倍は生還しているのですなw
死者数は硫黄島の4倍以上だけどねw
993 :
992:2006/11/04(土) 07:59:34 ID:???
訂正 3倍以上だな。
貴様ら、馬鹿左翼の、宣伝に、乗せられ過ぎ、だぞ、いいか、
牟田口閣下は、暴虐、支那を、懲らしめるため、
支那事変、を、起された、名将だぞ、(棒読み
995 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 14:11:41 ID:VTuYlgbH
自決してよいか?
意見を述べよ!
996 :
名無し三等兵:2006/11/04(土) 14:38:50 ID:lNtO8s+x
>>995 死にたきゃ、ちゃっちゃとおっちね、クズ
死ぬ気が無い奴が、軽々しく死を語るな
と、無駄口の身代わりに、テメーをののしってやりますたw
無駄口は、日本陸軍最低の指揮官
まだこいつのほかに、最悪と最凶がいる
せめて酷使を自認するなら
「牟田口は連合国のスパイだった!」
ぐらいの電波が欲しい
衝撃的な航空力を一気に投入し、
神業的な作戦を繰り広げていたら、
後世に名を轟かせていただろう。
その名は、ブルー・インパール作戦!!
閣下!次スレは立てるべきでありましょうか?
ご決断を!!!
てことで1000get
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。