>>689 戦前の日本の鉄鋼が輸出に占める割合はわずかに5%程度ですよ?
それも売り先中国がほとんどですよ?
どうやって経済牽引すんですか?
691 :
だつお :2006/12/23(土) 19:26:27 ID:mn5+w4Q8
打通太郎は皇軍太郎ではなく、単なる成果主義者という人もいる。 だが確固たる成果もなしに、ただ理念や主義主張を怒号しても、 それは単なる空想ということにしかならない。 中国国民党のチンピラゴロツキが反共を怒号しても、またアメリカ依存 でしかやっていけない弱体なイギリスが「鉄のカーテン演説」をぶって みたところで、それがどうしたということになる。 悪いのはソ連ではない、問題はソ連を脅威とせざるを得ない己の弱さだ。 むろん満州戦で敗北した関東軍にも当てはまるが、ソ連参戦を頼り にしていたアメリカにだって当てはまる。共産主義なら北朝鮮だって まだ健在だが、軍事的な脅威とは言えないだろう。
692 :
だつお :2006/12/23(土) 19:39:07 ID:mn5+w4Q8
混合経済・修正資本主義>>>>共産主義>>>>>>>>>>>>> >>>>>>>>>>>>>>>>>>中国国民党チンピラゴロツキ ルーズベルト政権はニューディール政策を経て大恐慌を克服し、 アメリカを世界的大国の地位にのしあげた。これはニューディール政策 の結果としての戦争勝利であって、その逆ではない。戦争景気ならば イギリスや中華民国にだって当てはまるからだ。 累進課税や相続税などの反自由主義的規制も、時と場合によっては必要。 社会主義や資産再配分政策も、時にはおりまぜていく柔軟性も求められる。 もちろんただそれだけで豊かで平等な社会が実現するというわけではない。 労働党時代のイギリスなどはしょせん二番煎じでしかなかった。
693 :
だつお :2006/12/23(土) 20:18:31 ID:mn5+w4Q8
あと打通反対・マリアナ決戦論者というのも、おれさまには理解不能だな。 マリアナは工業レベルからして惨敗必至だから大陸打通あるのみという おれさまの持論は少しも覆せないはずだ。 もしもマリアナ沖海戦という、最新テクノロジーの攻防において、 連合艦隊が米軍と互角以上の戦績を収めたとしたら、当時の日本と アメリカの技術水準や基礎工業力は互角だったということになるぞ。 アメリカに4年遅れで原爆を開発した世界第二の工業大国・ソ連でさえも、 航空戦や艦隊戦でアメリカとガチンコ勝負なんてことは絶対しなかった。 ベルリン封鎖事件やキューバ危機におけるソ連の外交政策をみればわかる。
輸出を増やすんだろうね。戦争がなければ。
,ィィr-- ..__、j ル! { `ヽ, ∧ N { l ` ,、 i _|\/ ∨ ∨ ゝヽ _,,ィjjハ、 | \ `ニr‐tミ-rr‐tュ<≧rヘ > 頑張って日本も鉄から粗鉄を作るんだよ!!! {___,リ ヽ二´ノ }ソ ∠ '、 `,-_-ュ u /| ∠ ヽ`┴ ' //l\ |/\∧ / --─‐ァ'| `ニ--‐'´ / |`ー ..__ `´ く__レ1;';';';>、 / __ | ,=、 ___ 「 ∧ 7;';';'| ヽ/ _,|‐、|」 |L..! {L..l )) | |::.V;';';';'| /.:.|トl`´.! l _,,,l | _,,| , -, ! |:.:.:l;;';';';'|/.:.:.:||=|=; | | | | .l / 〃 )) l |:.:.:.:l;';';'/.:.:.:.:| ! ヽ \!‐=:l/ `:lj 7 | |:.:.:.:.l;'/.:.:.:.:.:.! ヽ:::\:: ::::| ::l /
間違った。鉄鉱石から銑鉄だったw
製鉄所を作ろう。 > 日本における最初の近代高炉は、釜石市の大橋高炉である。安政4年(1857年)11月26日火入れ、12月1日初出銑に成功する。 > この日はのちに鉄の記念日に制定された。 これが日本の近代製鉄の始まりである。 ウィンキ
戦前の日本の銑鉄生産高は英領インドよりちょっと多い程度だからな。 しかも日本のじゃ質が悪くて鉄鋼にできないし。 かくして屑鉄をアメリカから輸入しなければならなかったけど 経済制裁の品目に上がって産業アボーン
国産鉄鉱石は質量とも限られているのは誰もが知ってることだし 海外から原料輸入して大々的に製鋼事業を立ち上げるべきだな。 ま、史実通りだが。
700 :
だつお :2006/12/26(火) 19:45:34 ID:TyjZRWJK
>By 1944, the average per capita caloric intake had declined to
>approximately 1,900 calories. By the summer of 1945 it was about
>1,680 calories per capita.
http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/image/hpaa198001/fb1.1.1.1.gif 昭和21年度の国民1人当たり供給カロリーは1,448カロリー
http://www.ne.jp/asahi/gakudosokai/s.y/sub17.shokuji.htm 1945.7.11以降の11歳以上の疎開学童に対する供給カロリーは 1,227/日
http://www.kanbou.maff.go.jp/www/anpo/4-1.htm 昭和20年代等の供給熱量(kcal/人・日)
昭和23年 24年 25年 26年 27年 28年 29年 30年
1,852 1,927 1,945 1,858 1,995 1,933 1,951 2,217
食料供給という点で戦前のピーク時に追いついたのはやはり昭和30年代から。
先日、戦前の紙屑コレクション写真集(包装紙やポスター等を集めたもの)を購入。 読後感として、日本帝国のピークは大正末期(1923年左右)と直感した。 印刷の質や意匠、文章の細やかさと現代性、消費を煽る華やかさ、現在にあっても違和感のない親近感を感じた。 一言で言って、戦前につきものの貧乏感がまるで感じられない。 ターニングポイントは、関東大震災だけではあるまいが、大正15年。 そして昭和11年以降になると、日本帝国は以前と違う国だと言わざるを得なくなる。 だつおは昭和維新というが、昭和も深まるにつれて、あらゆる点で広告の質は落ち、 中途半端な国家社会主義と軍国主義を折衷させた、レイシズムと困窮溢れる哀れな紙屑に転落していく。 官僚統制で自動車の生産台数を多少増やしたところで、日本人は退化したのではあるまいか。 大正の日本経済は脆弱であったかもしれないが、 仮に高度経済成長が30年早くこの時点で起きても驚くに値しないし、もしやその可能性もあったのではないか。 一方の昭和初期では、成功したとてソ連の劣化コピー程度しか想像できない。 戦前の日本経済と一口には言えないと改めて感じた。
702 :
だつお :2006/12/27(水) 08:45:00 ID:YShvKYlA
しかし工業生産データからすれば、大きくのびたの は専ら戦時統制経済に入ってから。あと大正期は米騒動や朝鮮三一運動など、 1945年夏でもなかった内乱が起こってる。
つーかお前いい加減改名しろ。 打通一族の義務を果たす気ないだろう?
それは言えるな。打通族は陸軍バカ一代系電波でなければならないのだ。
だつおのは脳内あぼ〜んで一切読んでなかったんだが 電波でないまともなこと書いてるのがいるのか? まともなこと書くなら名無しで書けよ。 でないと読まないから。
このあぼ〜ん何書いたの?
707 :
だつお :2006/12/27(水) 18:20:42 ID:QhGLmHwa
○国務大臣(岸信介君) 私はこの戦時中のことを、また戦争に日本が突入
した前後におきまして、御指摘のように、産業行政上重要な地位にもおりま
したし、また開戦の当時の閣僚でもあったわけです。一番私自身が反省して、
今日もなお私の遺憾なことと考えますのは、今日から考えてみるというと、
あらゆる国民の悲惨、国の困った事情というのは、戦争ということに日本
が入っていったということであると思います。そのときの私は閣僚の一人で
あって、身をもって私自身がこの戦争に日本が入っていくということをと
めることができなかったこと自体が、一番私の大きな責任であろうと思います。
さらに当時のことを反省してみまして、要するに戦時統制経済というものの
指導の中心におりまして、これがわが国の産業及び社会各方面に非常な犠牲
を与えたということでありますが、これは私は戦争当時の事情を考えてみ
まして、やはり戦争時代になるというと、この統制ということ、経済その
ものが自由経済から違った、国の非常に強い権力のもとにいろいろの
自由が制限されるということは、これは各国ともそういう程度とかあるい
は様式は違いますけれども、そういう傾向になる。戦争そのものを私ども
はいかなる場合においても防がなければならない、日本が将来戦争に巻き
込まれることのないように処していくということを、私ども根本の政治の
要諦として考えなければならない。それには民主政治を徹底し、完成する
のであるというのが、私の考えでありますから、私は平時における経済の
原則としては自由経済主義を堅持するものであります。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/026/0514/02603120514008a.html 第026回国会 予算委員会 第8号
昭和三十二年三月十二日(水曜日)
708 :
だつお :2006/12/27(水) 23:37:10 ID:/gKXXxpQ
>人絹、織物類が輸出されて日本製品を身につけたロシア人がモスクワの >メインストリートを闊歩する姿がみられたという。このいわば奢侈品は >モスクワ政府が仕入れ値段よりはるかに高価な価格で市民に販売すること >によって国庫収入を増やすことを目的としたものであった。 社会主義で産業国営にしたからといって何も市民が皆平等に生活物資 を享受できるというわけではないということだな。共産主義で皆平等 なんてカルト教団のご託宣みたいなもの。 社会主義をやるにしてもやはり「民にできることは民に」で民業を維持 しつつ国や自治体が税金で医療や教育という形で還元するしかない。 やはり国営公営方式はごく特殊な場合のみの特殊法人ということか。
709 :
だつお :2006/12/28(木) 00:02:37 ID:GDMT8AJ9
国家社会主義で統制経済にしても市民が平等に生活物資を享受できるわけ ではないにせよ、やはり軍事力拡充などの特殊効果は認めざるを得ない。 また実力もないくせに主義主張や理念ばかりを強調してもムダなこと。 例えば現在の日本であれば北朝鮮などチンピラカルト教団と嘲笑できるが (チンピラカルト教団であっても拉致問題などは起こるわけだが)、 戦前日本の工業水準で共産主義ソ連やナチスドイツに対してそういう ことができるわけではない。いやアメリカでさえも対日参戦欲しさの ためにソ連にはあらゆる貢物を捧げている。 中国国民党に至っては、わずか2万程度の共産趣味者同好会を相手に、 国を丸ごと失っているのだから、共産主義にも劣るチンピラゴロツキ。
710 :
だつお :2006/12/28(木) 00:14:18 ID:GDMT8AJ9
重要なの一にも二にも「実績」であって、主義主張や理念ではないのだ。 いくら共産主義の害悪を訴えてみても、共産主義を撃退できるだけの 実力が伴わなければ、共産主義にも劣るチンピラゴロツキでしかない。 これはまさしく中国国民党のことであるが、他には共産主義の野蛮人に 国を分割されたドイツ、満州で壊滅させられた皇軍、それに共産主義の ソ連に対日参戦欲しさのために貢物を捧げたアメリカにもそれはある。
だつおは打通一族の義務を果たせ! さもなくば改名しろ!
712 :
だつお :2006/12/28(木) 17:54:43 ID:VoopEKVE
>あと大正期は米騒動や朝鮮三一運動など、
1919年3月1日朝鮮で発生した独立運動です。3月から4月にかけ
朝鮮全土に吹き荒れました。その前年第一次世界大戦の講和会議が
ヴェルサイユで開かれ、アメリカ大統領・ウィルソンは民族自決を
主張しました。それに啓発された朝鮮人留学生は、1919年2月8日
東京で決起大会を開き、「2.8独立宣言」を発表しました。
この動きは朝鮮にも伝わり、各地で密かに計画が進められました。
折から前皇帝高宗の国葬が3月3日ソウルで開かれる事になりました。
この高宗の死が日本の毒殺とのデマが流れたため、一層反日の気分が
拡がりました。3月1日この国葬に集まった大勢の民衆の前で独立宣言書
が読み上げられ、一斉にデモ行進に移りました。独立万歳を叫びながら
デモ行進をしたことから、万歳事件とも呼ばれています。
http://www.jiyuu-shikan.org/faq/chousen/3.1.html シベリア出兵を見越した地主、米穀商の思惑買いから米価が騰貴し、
人々の生活を圧迫した。そうした中、大正7(1918)年7月に米騒動
が富山県で勃発し、瞬く間に富山湾沿岸一帯に広まった。さらに、
8月に入り、こうした事態が新聞で全国的に報道されると、騒動は
急速に全国に波及した。当時、寺内内閣の逓信大臣だった田健治郎の
日記には8月12日に神戸市で「米暴動」が起き、鈴木商店、神戸新聞社
などが焼き打ちされたこと、そうした事態の急迫を受け、寺内首相と
田が対策を協議したことなどが記されている。
http://www.ndl.go.jp/modern/cha3/description06.html
713 :
だつお :2006/12/28(木) 17:58:58 ID:VoopEKVE
>日本の統治は世界一残酷どころか、世界一穏和な統治だったと感じます。
朴正煕大統領は若き日に、大陸打通作戦に参加し中国チンピラゴロツキ
どもを徹底的に殺戮して、陸軍中尉にまで昇格した皇軍兵士だった。
大陸打通作戦の闘魂こそが、「漢江の奇跡」をもたらしたのだ。
1942(昭和17)年 満州・新京軍官学校首席卒業
「高木正雄」少尉として日本の陸軍士官学校に派遣留学
1944(昭和19)年 日本陸軍士官学校を卒業(卒業成績3番)
関東軍に編入
1945(昭和20)年8月 北京郊外の駐屯地で終戦を迎える
http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/human/ha/pakuchonhi.html <「遥かなる俊翼」(渡辺洋二 文春文庫)の「教え、かつ戦った訓練部隊」>
ところで、整備の特幹一期の中に、やがて新聞のトップに載る“変わりダネ”
がいた。あだ名は「人力車」、朝鮮生まれの金本元一(本名・金載圭)上等兵は、
一九七九年十月二十六日、KCIA部長の立場で朴正煕・韓国大統領を射殺する。
複座改造機
相模飛行場に同居の飛行第二十二戦隊は八月二十一日に華中に向けて出勤し、
<以下略>
714 :
だつお :2006/12/29(金) 20:04:26 ID:99g4VkvF
中川は言う。もっとも集産主義的なマルクス主義者であったとされる
レーニンでさえ、「コマンディング・ハイツ(管制高地)」という概念を
しめしつつ、市場へのあゆみよりをした。逆に、ハイエクが「自由主義
の追悼文」とまで嘆いた、自由主義者たちの集まりであるはずの「自由
文化会議」のセッションでは、「資本主義か社会主義かという従来型の
二分法の空虚さが論じられ、混合経済が参加者の多くによって認められた」
という事態がおきた。
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/shijou-syakaisyugi.html 中川智香子「市場社会主義を考える」
参考】第一次世界大戦での主な国の犠牲者数
国 名 兵 員 (単位 人)
死 亡 負 傷
アメリカ 126,000 234,000
イギリス 908,000 2,090,000
フランス 1,363,000 4,266,000
ロシア 1,700,000 4,950,000
イタリア 650,000 947,000
ド イ ツ 1,774,000 4,216,000
オーストリア 1,200,000 3,620,000
日 本 300 907
(アメリカ陸軍省調べなど)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/nvcc/TR7.HTM 第二次世界大戦等の戦争犠牲者数
716 :
だつお :2006/12/30(土) 14:47:59 ID:Pb/KF+kg
塚本誠氏「ある情報将校の記録」より 昭和十年十一月、日本の工作により華北に段汝耕を主班とする冀東政権 が樹立された。これは段汝耕という留日学生出身の、中国ではあまり高く 評価されていない男に、通州を中心とした停戦地域内に地方政権をたてさせ、 そこを通じて日本の商品を合法的に中国に「密輸出」しようとしたものである。 日本の商品は大連に陸上げされると、鉄道で満州を通ってこの政府の 「領土」にはいる。その時、その商品はごく安い税がかけられる。冀東政権 は中国のなかにある地方政権ということになっているから、ここで一度税を かけられた商品はそこから中国のどこに運ばれようと、中国では二度と税 はかけられない。いや中国があえてそれに税をかけようとすれば 日本から厳重な抗議が出ることを覚悟しなければならない。 だからこういう合法的密輸品が中国の市場に大手をふって汎濫すれば、 中国の商工業は破算するしかない。もし中国政府にそれを阻止する力 がないとすれば、中国はもはや国家の破算を待つばかりだ。これが中国 の愛国者を捉えた切迫した感情だった。 この感情で一番ゆさぶられたのは若い学生たちだった。 十年十二月、北京の学生が冀東政権に反対して起ちあがると、それに つづいて上海では学生が蒋政府に対して対日抗戦の請願デモを行った。 これは必然的ななりゆきである。この運動はたちまち全土に波及した。
717 :
だつお :2006/12/30(土) 14:50:30 ID:Pb/KF+kg
>だからこういう合法的密輸品が中国の市場に大手をふって汎濫すれば、 >中国の商工業は破算するしかない。 日本製の高品質性に、中国人がどれだけ号泣したか知ってるか? 皇軍の精強さに、中国人がどれだけ大量虐殺されたか知ってるか? それは中国人がドイツ製アメリカ製兵器で武装すれば対抗できる といったレベルではなかったのだぞ。 日本が日中戦争のことで中国人から恨まれるのは、97式中戦車チハ が優秀で中国人を虫けら同様に大量殺戮して無敵を誇った証であって、 日本製品の高品質性は胸を張って優越感に浸るべきことなのだ。 比類なき大規模な侵略戦争を発動したというのも、われらが四式戦闘機 疾風が大陸打通作戦の大空を飛び回ってエアカバーを完遂したおかげ。 大陸打通3000キロ。皇軍は常勝、皇軍は最強、皇軍は無敵。 日本鬼子はその優秀な近代科学兵器で広大なアジアを占領下に置き、 中国チンピラゴロツキ3500万を血祭りに、その爪痕を確固たるものにした。 チンピラゴロツキの中国人は湧いてきたら殺せばいい、死ねばいい、棄てればいい。 それは無間地獄で亡者が無限に湧いてきては鬼に虐殺されるのと同じ。 中国人は数が多すぎるから、片っ端から殺戮しておいたほうがいいのだ。 その方が97式中戦車チハの高品質性を世界に向かってアピールできるし、 なによりチンピラゴロツキの人口爆発は地球環境を汚染するから。 すごい、すごい、あまりに凄すぎる皇軍の大陸打通3000キロ大作戦!
本土決戦できなかったのは アメリカに日本人全員がびびったからだ
ソ連・赤化にビビったからだろう
720 :
だつお :2006/12/31(日) 16:22:23 ID:zRU39VFs
>だつおは昭和維新というが、昭和も深まるにつれて、あらゆる点で広告の質は落ち、 >中途半端な国家社会主義と軍国主義を折衷させた、 いくら自由主義を掲げても現実に貧困層を救えなければしょうがない。 当時は欧米先進国であっても経済状況は極めて脆弱かつ不安定で、 ヒトラーやムッソリーニやフランコなどが跳梁跋扈してた。 ドイツにしても大恐慌でハイパーインフレで紙幣が無価値になってる。 日本経済も例外ではなく、2・26事件が起こったのもそういう事情。 それは決して「共産主義者の扇動」というわけではない。北朝鮮の金正日 がピョンヤン放送で何を叫んでも動揺する日本人は居ないであろう。 むしろ敗戦にも関わらず政体維持された日本経済は比較的強固だった。 戦勝にも関わらず共産革命で轟沈した中国国民党政権と比較すれば。
721 :
だつお :2006/12/31(日) 16:31:19 ID:zRU39VFs
いくら小さい政府がよいからといって社会福祉を全くなくして しまったら、国や政府というのは何のために存在するのかという ことになる。よって昭和大恐慌を乗り切れないのであれば国家転覆 (中世戦国時代への逆戻り)もやむなしということになる。 社会福祉を行うにせよ、やはり稼ぐ力と収益力が必要になる。 それには封建地主制を解体して戦時統制経済にしてでも新たな 重工業を育てなければならない。 中国国民党は、張学良や宋美齢などの大財閥が栄えたわけだが、 それでいったいどんな産業が育ったのだとでも? 財 閥 栄 え て 国 滅 ぶ っ て い う ん だ よ !
722 :
だつお :2007/01/02(火) 21:17:52 ID:Jx4iCDG2
>官僚統制で自動車の生産台数を多少増やしたところで、
>日本人は退化したのではあるまいか。
日本経済の戦争への指向は1928年から始められ、満州と中国での
軍事行動の間に強調を増しながら継続された。1940年までに、全生産
は75%以上、重工業はほとんど500%上昇した。日本の総生産高の17%は、
同時期のアメリカのそれが2.6%だったのに対し、軍需産業の拡張と直接
の戦争目的のために充てられていた。この間の産業施設建設は、
(日本の状態の割に)巨大な割合とみなされた。航空機、アルミニウム、
工作機械、自動車、戦車産業はこの期間にほとんど何もない状態から建てられた。
http://www10.ocn.ne.jp/~kuushuu/ussbs14.html 直接的航空攻撃を受ける以前の日本の戦争経済 F
大日本帝国は満州事変後、社会主義者に乗っ取られ、五ヵ年計画のパクリを実行していた訳だ。 だがスターリンやヒトラーのような、強力な独裁者がいれば、戦時計画経済も成功の可能性があろうが、 大日本帝国のような中途半端な政治体制では、かえって現場の混乱を生むだけになる。 正解は戦後のように、資本家に自由な設備投資をさせ、生産能力の増強を図れば良かった。 そうすると資本家は、ソ連や満蒙を無視して、戦後のように北米や豪州を向くのだろうが、 アジア大好きの官僚はそれが嫌だったのだろう。 大日本帝国は欧米と異なり、潜在的な需要を常に下回る消費財しか生産できず、 戦時経済の運営にも大失敗という有様になったが、原因は官僚制とアジア的社会主義にある。
はいはい、コミンテルン陰謀論
戦時下で強行された統制経済は大失敗だったらしいが。
>>725 いくらなんでも、市場経済で兵器調達するわけにはいかんだろう。
>726 せめて材料費分だけでも納品価格に上乗せしてくれと工場の人が泣いていました。
sage
730 :
名無し三等兵 :2007/01/18(木) 00:59:16 ID:7/CCs+pd
大陸打通のような馬鹿作戦を企画するような官僚じゃ駄目だし、馬鹿作戦とわからないだつおじゃ駄目だな。
太平洋戦争は官僚の陰謀だったんだよ!! 敗戦→アメリカの支援→経済活性化→ウハウハ
何だっ(ry
733 :
だつお :2007/01/21(日) 12:28:41 ID:UGX8DA/J
>1940年までに、全生産は75%以上、重工業はほとんど500%上昇した。 簡単に考えれば、二月二十六日に例の事件が突然(?)勃発し、社会は之に刺激された結果、 相当思い切った諸般の改革を企てるようになった、というのが現在の社会事情のようである。 軍部の改革、所謂強力内閣の真の強力内閣への改革、内務省官吏の人物の改革、 貴衆両院夫々の改革、警視庁の改革、司法部の改革、至るところ改革でないものはない。 改革を口にしないものはこの月以来、一人前の人間ではなくなった。 ・・二・二六事件の主体、この主体は、・・最初は「蹶起部隊」という勇壮な名によって、 次には「行動隊」という頼もしい名によって、そして二十八日頃からやっと「反乱部隊」とか 「反軍」とかという「汚名」によって、呼ばれるようになった例の一団の軍人達であったのだが、 事件のこの主体がどういう目的意識を有っていたかというと、最初二十六日に所謂 蹶起部隊の行動原理を紹介した処によると、〔国体を擁護、開顕せんとす〕るということだったし、 又彼等自身の言動から想像しても所謂「革新」運動の心算であったことは疑えないようである。 でもし、そうだとすると、二・二六事件の結果世間が改革熱に浮かされ始めたという現象は、 如何にもそうありそうなことでありながら、併しどうも少し変な現象と云わねばならぬ。 とに角反乱部隊であり、反軍であり賊軍なのだ。 ところがこの人達の目的とする処が恰も伝染でもしたように、この世間に流行し始めたことは、 之容易ならぬ現象ではないのか。 「改革熱の流行」 戸坂潤 1936
↑ 日銀の長期国債買取オペによる 貨幣の供給量を増やした結果、デフレを退治することができた マクロレベルの経済安定の寄与によるものでないかい?
735 :
だつお :2007/01/27(土) 09:21:32 ID:FFWAeiHr
736 :
だつお :2007/01/27(土) 09:38:53 ID:FFWAeiHr
>あと上で1945年夏以降の日本人は飢餓などという表現もあるが、
[東北地方の惨状]
岩手県では農家七万七千戸(県人口の約四十パーセント)が生活
救済(支援、保護)を必要となりました。昭和九年(1934年)
十月十二日から十一月一日まで報道された東京朝日新聞の連続記事
「東北の凶作地を見る」によれば凶作の最激甚地、岩手県の九戸
(くのへ)郡や二戸(にのへ)郡の山村では、 稗(ひえ)、
粟(あわ)さえも尽きようとし、楢の実(ドングリ)が常食となり、
上閉伊(かみへいぐん)郡では七千五百戸のうち、六千戸が救済
を求め、附馬牛(つけまうし)村では農民が鶏のエサであるふすま
(小麦の皮)や稗(ひえ)のぬかを買い、練り物にして食べていた。
県下の十月現在の欠食児童は二万四千名を数え、十二月には
五万名を超えるものと予想された。
http://homepage3.nifty.com/yoshihito/niniroku.htm 二・二六事件
#二・二六事件のころの昭和大恐慌と比べれば、1945年なんて何でもない。
737 :
だつお :2007/02/02(金) 21:50:26 ID:4XG/a0G1
>二・二六事件の結果世間が改革熱に浮かされ始めた そりゃ文字通り「改革なくして成長なし」っていうんだろうな。 そもそも共産主義をいくら罵っても、ソ連の五カ年計画に対抗できる だけの工業基盤が備わってなければどうにもならん。財閥がいくら威張 っていても中国国民党などは共産主義にも劣るチンピラゴロツキと嘲笑 されるしかない。主義主張や理念でなくてどれだけ実績を挙げたか。
738 :
名無し三等兵 :2007/02/02(金) 23:21:41 ID:B5YoEmCt
統制経済は短期的には鉱工業、農業等各種生産を上げる。 2.26以降、軍部の発言力が高まって、統制経済的政策がスムースになった。 なんらかの革新があったのではない。 さて、統制経済は長きにわたると必ず破綻するのはソ連邦等の例をもって歴史的に証明されていると言っていい。 統制経済では、特定分野の生産数を上げるのは容易で、視野狭窄な者はその優越に惑わされる。 だが、社会の維持に必要な各種の生産の最適を統べて把握し統制することは不可能である。風が吹けば桶屋がもうかるではないが全ての社会活動は連動して切り離せないのだ。その全てを把握するのは不可能だ。 すると市場メカニズムによる価格決定とそれによる生産の調節に頼らざるをえない。 市場メカニズムを否定するなら、最期は破綻するしかないのである。
739 :
だつお :
2007/02/09(金) 07:25:21 ID:1UdA1n9L