【ハルハ河戦争】 ノモンハン事件

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925名無し三等兵:2006/06/21(水) 00:13:56 ID:???
でも、日本軍は、いつもその防衛側になって、戦車多数撃破を報じているのでは?
まだ、ソ連側も本格攻勢をかけて来る時期じゃないし。
日本側も、完全に補給が途絶えた状況には達して無い。

どちらにしろキルレシオでも、戦車vs戦車に関しては劣勢に見える。
926913:2006/06/21(水) 00:57:27 ID:???
>>916
う〜ん。そう言われると装甲車である可能性が0とは言えないな。俺はBT戦車と判断しているが・・・
>>915
「BT戦車は92式重機でも有効だった」という日本兵の証言もありますからね。
>>917
本当だ。BT戦車の砲塔後部と思っていた部分は、裏表紙を見ると別の車両の別の部分のようだ。
>>919
P36に
「今日でも小口径銃の貫通弾跡のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、」という文章がある。
この文章とP8の写真から、軽機や小銃ですらBT戦車を蜂の巣にしていた!と判断したんだが・・・う〜ん
927名無し三等兵:2006/06/21(水) 01:11:54 ID:???
小口径火器といえば、たしか、日本軍も対戦車ライフル持ち込んでませんでした?
20mm口径の九七式自動砲とやら。あれはどうだったんだろ。

>BA-3/BA-6中装甲車
>ノモンハン事件で実戦参加している。
>しかし、特に日本軍との戦いでは、8mm程度の装甲厚では、
>野砲や歩兵砲が発射する榴弾はもちろんのこと、
>重機関銃が発射する7.7mm徹甲弾にも貫徹されるなど防御力の弱さが露呈され、
>また、野外機動において戦車よりも劣る機動力も、運用上の弱点として指摘された。
ttp://combat1.cool.ne.jp/BA-6.htm
装甲厚3〜8mmではねえ。装輪車両の限界ですな。
偵察車を正面攻撃用に使えると思ったのが間違い。
928名無し三等兵:2006/06/21(水) 01:26:56 ID:???
>>923
95軽がBT食えるといっても側面か近距離が望まれるわけで
実質役立たずの中戦車が囮になって敵火を誘引してくれれば
火力のある軽戦車を有利な地点にもぐりこませられるけど
これができないと、総合性能で有利で数もあるソ連軍に押されるだけだよ。
日本側が稜線使って遠距離からへっぴり腰で交戦してたら
運悪く被弾した日本戦車は高確率で撃破され
ソ連戦車は運悪く被弾し、更に運悪く側面とかに食らった奴だけが食われるという戦いになる。
929名無し三等兵:2006/06/21(水) 03:54:28 ID:???
>>928
下手に稜線使うよりも、行進・停止を繰り返して接近砲戦やったほうが有利
その点、第三連隊は、実力をよく理解していたから、肉薄攻撃をして
敵戦車・装甲車67両撃破の大戦果を挙げる健闘を見せたわけだ
やはり日本戦車兵の技量は素晴らしかった!!
930名無し三等兵:2006/06/21(水) 13:17:35 ID:???
>>926
「小口径銃の貫通弾跡のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、」の内
戦車として紹介されている写真が砲兵トラクター(調べた、スターリネッツS-65)
だけだとなあ。
残る「装甲車」が8Pの写真の穴だらけの砲塔じゃあないのだろうか。
いずれにせよ写真量が少なすぎる。検証の母体にするには不適切だろう。
931名無し三等兵:2006/06/21(水) 13:25:23 ID:???
おっと、8Pの写真も「戦車」だった。
932名無し三等兵:2006/06/21(水) 14:00:38 ID:???
>>920
>再建状況
6月17日付で、捜索第23連隊(注:書類上そうなってる。)の補充要員として、
騎兵第20連隊などから、兵員120名を抽出するよう指示が出ています。
で、そのうち、半数程度は、「軽戦車中隊」要員に使える者という指定がありますね。

事変直後の9月28日付で、戦車第4連隊から、95式軽戦車5両の移籍指示もでてます。

第23捜索隊の初期編成は、装甲車中隊1、乗馬中隊1、乗車中隊2のようです。
第二次事変の時の編成は知らないのですが、「ノモンハンの夏」を見ると、2個中隊のようです。
この辺りから想像すると、再建は間に合わずに乗車2中隊ないし乗馬・乗車各1中隊のみ。
これにあるいは装甲車中隊の残存がくっつく程度なんじゃないでしょうか。
フイ高地の兵力>>921を見ると、捜索隊759人とありますが、
上記2中隊に、配属2中隊を合わせると、ちょうど計算が合うような気がします。

御説の軽戦車の写真と言うのを確認してみないとはっきりしませんけど。
933名無し三等兵:2006/06/21(水) 15:10:32 ID:dKRWorpY
>初期編成
第一次前半の東支隊の乗車部隊は、歩兵連隊からの配属部隊
歩兵中隊2+師団自動車隊

初期時点では、おそらく固有の乗車歩兵は無い
934名無し三等兵:2006/06/21(水) 16:03:58 ID:dKRWorpY
日本側戦車の損害については、
第三連隊の89式乙について、21/28両大破というもっと酷い数字もある。
うち全損7で、残りは、長期間かけたのもあるが復旧。(学研「陸軍機甲部隊」)
ただ、総数28両は、第3連隊の定数26両(予備車含む)を超えてしまう。
あるいは応急修理されたものを総数に入れて、のべ計算してるのか?
(第四連隊の装備は、89式甲だから、混同は無い。)

それと、在満州の騎兵部隊がかなり動員されている模様。
第七師団の騎兵第七連隊や、騎兵第三旅団の一部が出ているという話。
騎兵第七は、壊滅的損害という情報もあるが?
これは、部隊としての出動か、それとも第二三師団捜索隊の再建に当てられたのか?

ちなみに、よく第七師団については、
早くから投入され90%の損害の歩兵第二六連隊の話ばかりが出てくるが、
後から投入の歩兵第二八連隊も、70%以上の損害という数字もある。
935名無し三等兵:2006/06/21(水) 16:53:12 ID:???
>>934
つ「予備車」
936名無し三等兵:2006/06/21(水) 17:07:00 ID:???
日本:戦死7720、不明1021、負傷8664、戦病2363、合計19768+戦車団・満軍・第一次事件
ソ連:戦死6831、不明1143、負傷15251、戦病701、合計23926+蒙軍566

死傷者で比べるとソ連が多くても、戦死者で比べると差が無い。
後方機能が崩壊すると悲惨やな。戦病者の数も嫌だ。
937名無し三等兵:2006/06/21(水) 17:12:05 ID:???
>>935
>定数26両(予備車含む)
連隊本部2+中隊10×2+連隊予備4=26
あるいは、軍備蓄から補充されたのかもしれんし、わからんけど。
938名無し三等兵:2006/06/21(水) 17:19:45 ID:???
>>934
歩28は、一木支隊
歩26は、アッツ
精鋭も大変やね。

歩28の軍旗は、
ノモンハンでは速射砲中隊全部使って死守したけど、
結局ガダルカナルで失くしてしまった。
939名無し三等兵:2006/06/21(水) 20:29:05 ID:???
>>927
>自動砲
「小松原日記」に少し出てくる。
『我方の速射砲及自動砲破壊せられ、工兵及歩兵の肉薄攻撃に依り之に対抗す。』(原文カナ)
ということで、少なくとも使用はしているようだ。
940913:2006/06/22(木) 00:12:17 ID:???
>>930
確認しました。足回り等から見て、スターリネッツ系統のトラクターで間違いなさそうです。
P8は傾斜装甲を採用する以前の、旧型45mm砲搭載砲塔のようですね。
941名無し三等兵:2006/06/22(木) 01:21:27 ID:???
>>934
まあ戦車とか戦艦の場合は撃破されても修理してまた使えるケースが多いので、
戦ってるうちに損害数が配備総数を超えてしまうことすらままあるわけで。
942名無し三等兵:2006/06/22(木) 02:11:49 ID:???
>>932
写真なら、ググルと1枚出てくるよ。キャプションでは井置捜索連隊になってる。
幸い(失礼)、井置氏は事変中だけの活躍だから、キャプションが正しければノモンハンになる。
92式重装甲車の方は、砲塔機銃が、防弾付きの97式機銃に換装されてるように見えるね。
最大装甲6mmでは完全に棺おけだ。
943名無し三等兵:2006/06/22(木) 12:02:11 ID:???
>936
戦病の数が三倍以上というのが異様に感じるのだが内訳が気になる。
脚気や栄養失調が大半を占めていそうな悪寒
944名無し三等兵:2006/06/22(木) 15:59:15 ID:???
あとは、脱水症状による熱中症とかもあるかもしれんな。
ノモンハンの戦記を読むと、とにかく飲料水が無いという話が出てくる。
地図で見ると、結構たくさん湖沼があるのだけれど、ほとんどが塩湖らしい。
そういう中で、ハルハ川ってのは、貴重な清水ではあった。
放牧する上では、領内にあった方が良い。
945名無し三等兵:2006/06/22(木) 17:51:55 ID:???
日本側の最終的な投入兵力って、はっきりしないの?

よく紹介されるのは、渡河作戦頃の第二三師団に、第七師団から1個連隊、第一戦車団だけど。
そのあとで、砲兵団がくると。
これで、敵より兵力が小さいから、負けても仕方ない的な説明がされる。

でも、実際には、第七師団の残りや、第二師団の一部(例の宮崎繁三郎連隊とか)、
独立歩兵大隊いくつかにその他関東軍直轄部隊、国境警備隊や満州軍部隊なんかが相当数いる感じ。
合計すると、5万くらい?
946名無し三等兵:2006/06/22(木) 20:03:29 ID:???
<7月3日のハルハ西岸戦におけるソ連軍車両損害/投入>
第十一戦車旅団+第七装甲車旅団+蒙軍騎兵「師団」(2000人以下)の一部
・戦車(BT-5):72/127両
・装甲車(不明):37/59両
・火炎放射戦車:5/10両
ほか、蒙軍装甲車8両損害。

ソースは>>273
完全破壊と修理可能損害の合計。正確なうちわけは不明。
ただ3日〜5日の戦車累計損害では、炎上:撃破=69両:69両=1:1なので、
戦車については、類推して完全破壊50%程度かと。

ソースでは、戦車十一旅団のみの損害のようにも思える書き方だが、
戦車旅団の編成を見ると、これほど多くの装甲車を持っているとは見えないので、
おそらく配属された第七装甲車旅団の損害を含むものと考える。
947名無し三等兵:2006/06/23(金) 18:13:24 ID:???
にしても良スレ
948名無し三等兵:2006/06/23(金) 22:44:43 ID:???
>>945
戦史叢書に載ってる、第六軍の軍医部が集計した有名なデータによると、
第2師団(一部)、第4師団(一部)、第7師団(平時全力)、第23師団(補充含め16000)
それに、第8国境守備隊と第6独立大隊、砲兵団、自動車部隊など。
合計兵力が58925、約6万になる。
よく出る死傷19768というのも、この調査の数字。

ただ、これは第六軍の指揮下に入った部隊だけの統計。
例えば戦車団は第六軍創設以前に後退しているから、統計外。
それから、時期も不明。前のページの兵器損耗のデータと同じとすれば、8月末日か?

ほかに、統計外と言うと、
第1師団・第8師団の一部、騎兵第3旅団、
独立部隊が戦車連隊1(詳細不明)、満州中から漁った速射砲中隊12、自動貨車1500など。
満州軍部隊が、たぶん5千〜1万くらい。
あと航空部隊も入って無い。
949名無し三等兵:2006/06/23(金) 22:54:12 ID:???
>>948訂正
第4師団・第2師団も、統計の数字は、たぶん平時全力ですね。失礼。
950名無し三等兵:2006/06/25(日) 15:42:14 ID:???
ノモハンにおける日本軍の食糧事情
良く見るのが乾パンと牛缶の組み合わせ、次に贅沢とされたのが麻袋に入れられ、手掴みで食べる飯と粉味噌から作った味噌汁
たま〜に補給品として餅やサイダーが届くこともあったようだがサイダーの瓶は火炎瓶作るのに流用すると言って兵隊が大切に持っていたものを取り上げたりすることもあったようだ。
満軍などは放牧民みたいな生活に慣れてる者も多いので食糧事情は良かったらしい。
951名無し三等兵:2006/06/25(日) 15:50:30 ID:???
ノモハンにおける日本軍の食糧事情
資料で良く見るのが乾パンと牛缶の組み合わせ、次に贅沢とされたのが麻袋に入れられ手掴みで食べる飯と粉味噌から作った味噌汁
補給品として餅やサイダーが届くこともあったようだが、サイダーの瓶は火炎瓶作るので兵隊が大切に持っていたものを取り上げたりすることもあったようだ。
満軍などは放牧民みたいな生活になれてる者も多いので食糧事情は日本軍より良かったようだ。
952名無し三等兵:2006/06/25(日) 15:51:40 ID:???
スマン、間違って送信してしまった。
953名無し三等兵:2006/06/25(日) 19:36:35 ID:???
面白い!

副食が梅漬けばかりだ、と嘆いている戦記を読んだことがある。
後は、飯を炊くにも水がなく、
ようやく見つけた貴重な水場は、軍用馬の水場に使われてしまって、非常に困ったそうな。
地名で、「OO湖」とあるのは塩湖で、「OO水」とあるのは真水だそうです。
イタリア兵は砂漠でパスタを・・・。
954名無し三等兵:2006/06/25(日) 20:50:23 ID:???
ソ連戦車のエンジンルームに付けた金網って、プラモデルでも再現されてるのがあるけど、
あれはつまり、火炎瓶がトランポリンみたいに弾んでしまって効果が無かったってこと?
955名無し三等兵:2006/06/25(日) 20:52:37 ID:???
うん。
割れて中身が出ないと燃えないわけですが、
そして、それがエンジン周りじゃないと効果が無いわけですが、
金網つけられては、うまく行かないわけで。
956名無し三等兵:2006/06/25(日) 23:14:26 ID:???
あんなお粗末な金網付けただけで、ほとんどの本が「火炎瓶は無力化された」と、通り一遍に書くのはどうかと思うけどなあ。
957名無し三等兵:2006/06/25(日) 23:34:55 ID:???
ソ芬戦争でもモロトフカクテルは大活躍でつ。
958名無し三等兵:2006/06/26(月) 01:28:25 ID:???
T-26やT-28は良く燃えただろうな。
959名無し三等兵:2006/06/26(月) 01:43:29 ID:???
>>273を見る限り、T-26なんかはほとんど投入されていないようなのです。
ほとんどがBT-5/7でして。
わずかな(といっても十数両以上)T-26などは、ほとんどが火炎放射型なので、
火炎瓶投げつける前から、火を噴いているといえば、火を噴いているw
燃やされるのは日本兵ですが・・・。

火炎瓶による肉薄攻撃の効果がなくなったのは、
初期の戦闘と違い、戦車に随伴歩兵が付いてきたことと、
ソ連側が賢くなって不用意に接近しなくなったことも影響しているようです。

7月3日の「日本海海戦」状態の時は、
日本軍の東岸攻勢にあせったジューコフが、
随伴歩兵もろくに無しで、装甲車両を小集団単位で逐次投入したせいで、大戦果になりました。
960名無し三等兵:2006/06/26(月) 01:47:39 ID:???
追記
まあ、その大戦果のときも、肉薄攻撃よりも、速射砲などの戦果が大きかったとは言いますが。
961名無し三等兵:2006/06/26(月) 02:22:36 ID:???
958は957に対してだよ。
962名無し三等兵:2006/06/26(月) 02:32:17 ID:???
こりゃ、失敬。
963名無し三等兵:2006/06/27(火) 23:16:35 ID:???
>>948
第六軍の集計データ、確認してきました。
計算に入っているのは、
・第23師団が、1万5千人。(10月27日の第23師団軍医部の統計よりも、800人ほど少ない。)
・第2師団、第4師団、第7師団が、各1万人程度。おそらく平時編成の全力。(4Dはほぼ無戦闘)
・第1師団の一部。太田支隊という名。約2千。
・「後藤支隊」これは、歩兵第一連隊と注があるが、同連隊は、第一師団の所属では?兵力不明。
・第8国境守備隊。ハイラルの要塞部隊。兵力4600人。
・独立守備隊損害300、兵力不明。
・関東軍自動車隊、兵力2800
・砲兵団、兵力2900
その他あわせ、参加兵力58925、死傷19768。
(兵力不明部隊は、総数に含まず。)
・別に、軍属死傷54人。
964名無し三等兵:2006/06/28(水) 22:37:36 ID:???
満州国軍の投入兵力って、どんなものなんでしょうね。

戦史叢書の記述からだと、
・興安軍主力(騎兵「師」1ほか)
・奉天軍の一部
・チチハル教導隊、高射砲隊
小松原日記からの引用によると、日本機の誤爆でかなりの損害を受けて、後退を検討している。
なるべく精鋭部隊ではあったものの中国・モンゴル系兵士は、もろかった模様。
日系兵士は、かなり頑強に抵抗したらしい。

シーシキン資料の記述に拠れば、
・興安騎兵「師団」(騎兵第4,5,6「連隊」)
・騎兵第1,7「連隊」
・「バルガ」騎兵第8「連隊」
バルガとは、モンゴル系部族のようです。
国境地帯のモンゴル系兵士から組織された興安警備軍(東西南北4つある。)のことと思われます。
965名無し三等兵:2006/06/28(水) 22:56:00 ID:???
訂正:バルガは、モンゴル系というより、満州系といったほうがいいかも。

ちなみに、戦史叢書の「奉天軍」という名称は、ノモンハン当時には正式にはありません。
第1〜5軍管区と興安警備軍(東西南北)という編成なので、
奉天軍というのは、軍管区のいずれか(旧、奉天省警備軍)の通称と思われます。

「興安師」というのも、おそらく、バルガ系の興安警備軍ではなく、
軍管区部隊のいずれか(旧、興安省警備軍にあたるもの)だと思うのですが。
興安警備軍は、各警備軍の兵力が1000人程度しかないので、
軍の枠内で「師団」を名乗らせるには、さすがに小さすぎる気がします。
かといって、軍のわくを越えて、「師団」編成するというのも、変ですから。

ロシア側の手記によると、バルガ兵が、かなりの数で投降というか寝返りをしたようです。
966名無し三等兵 :2006/06/29(木) 21:38:33 ID:VUx5zBen
ソ軍側の言うバルガ兵とは満州国軍の総称では?
満軍全部が酷いように見られがちだけど
新編の興安師じゃ脱走・投降も多かったようだし
漢系の石蘭支隊では反乱があったからなんだろうね
でもウルジン将軍の興安北警備軍あたりは軍歴も長く結構奮戦
してるみたいだし兵力不足の日本側では満軍の果たした役割も
無視できないのじゃないかと思うよ
満軍についてはとにかく資料が少ないけど「ノモンハン全戦史」が
結構詳しいかな
967名無し三等兵:2006/07/03(月) 19:09:49 ID:???
>興安北警備軍あたりは軍歴も長く結構奮戦
馬賊や共産ゲリラ狩りでかなり活躍しているみたいですね。
当初は、日本軍が常に同行していたのが、単独で大規模な掃討作戦ができるくらいになっていたとか。

ノモンハン事変の時では無いですけど、黒竜江での紛争のときに、
江上艦隊が出動しているみたいですね。
968名無し三等兵:2006/07/10(月) 15:36:19 ID:???
保守
969名無し三等兵:2006/07/11(火) 00:51:33 ID:SijBlcdB
ノモンハン航空戦のエピソード多少。

・日本軍損害は、97戦:220(うち大破96)、その他:162(うち大破72)、戦闘機乗員の戦死傷76人

・当時の陸軍機の月産量は、97戦:38、97重爆:25、97司偵:10

・日本軍の後送患者約1万のうち、27%の3352人は、延べ767機の航空機によって輸送された。

・満州航空の民間旅客機も数機が徴用されている。機種は「スーパー」「ユンケルス」など。
 一部は、事件中に失われた。徴用機の多くは、患者救出に使用され、前述の成果の一翼を担う。

・ソ連軍は、弾着観測用にオートジャイロを実戦投入していた。
 一方、日本軍は、係留気球を使ったが、次々と「撃墜」された。
970名無し三等兵:2006/07/11(火) 01:21:01 ID:LWq4UG5s
ソ連のオートジャイロはエンジンの整備が行き届かなく稼働率に不安があった
って聞いたけど・・・
971名無し三等兵:2006/07/11(火) 02:19:05 ID:???
オートジャイロ自体の限界だな。
ただ、その後、日本陸軍もカ号の整備に動いたので、気球よりはましかもしれない。
972名無し三等兵:2006/07/13(木) 23:24:28 ID:???
ノモンハンでの弾薬消費の過半数は九二式重機による7.7mm弾なんだよね。
日本陸軍は6.5mmのイメージがあるけど、実際には7.7mmの方が多く飛んでくるわけだ。
973名無し三等兵:2006/07/19(水) 20:39:19 ID:???
保守
974名無し三等兵
エアロダンシングの親善大使みたいな顔しつつ、実際は軍ヲタ独自の狭い価値観を
新規参入者に押し付け、エアダン人口の増加を妨げ、商品価値を著しく貶めたクソバカ 元空士長
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