1 :
名無し三等兵 :
2006/03/32(土) 21:27:00 ID:jt6jGrbn 以前のスレからのコピペ 昭和14年(1939年)夏、ハルハ川を挟んで激突した日ソ両軍。 日本は第23師団を中心に18000人もの死傷者(日本側発表)を出す損害を受け、 陸軍が南進論へと方針転換するきっかけとなりました。 その一方で、最近になって旧ソ連時代の秘密資料が発見・公開されており、 戦闘の実態は引き分けに近かったのではないかとする説も出されています。 有名な割に、まだまだ不明点が多いこの戦いについて語りましょう。
2 :
名無し三等兵 :2006/03/32(土) 21:27:41 ID:???
阻止
3 :
名無し三等兵 :2006/03/32(土) 21:30:43 ID:???
ロシアはいつも卑怯
4 :
名無し三等兵 :2006/03/32(土) 22:04:24 ID:???
日本はいつもバカ正面突撃
5 :
名無し三等兵 :2006/03/32(土) 22:46:13 ID:???
猪突猛進の低脳ソ連軍
6 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 04:44:24 ID:???
ちょっかいを出した日本軍・・・現地軍のさらに出先のアホ スターリン肝いりで国家レベルでこれに応じたソ連 結果、日本に対ソ恐怖症を植え付けられた 現地での損害の多少は問題にならない 戦略的意味でソ連の完全勝利 戦訓を生かすならばソ連との友好を深めるきっかけにすべきでした 内政厨の陸軍だからやらんかったけど
7 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 06:54:05 ID:Fzau7lwX
今さらだが、兵力・装備の逐次投入という出し惜しみ体質が最もよくあらわれた 戦闘って 言われているような・・・。 おそまきながら陸軍の強硬派が、重砲2個連隊、速射砲22個中隊、戦車182両等に 加えて、(当時の陸軍では比較的)優良装備の第5、14師団まで投入して報復しようと 計画したが、結局停戦となった。
8 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 07:40:09 ID:???
97戦の美しさだけはガチ スリムなフォルムと固定脚がたまらん
9 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 11:59:26 ID:I5ieYOoM
西では独ソが不可侵条約を結び、東では一足早く日ソ開戦
10 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 12:05:53 ID:KqIPV8Sz
>>7 そこまでやったら極東ソ連軍に勝てるか?
・・・無理だろうなあ。
11 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 12:38:44 ID:???
父親が昔、職場で聞いた話。 工場長がノモンハン事件時、輜重兵としてトラックの運転手だった。 戦場後方へ物資を運ぶのだが、問題は帰り。 ひたすら戦死体を運ぶ。延々と膨大な量を運ぶ。 酷い戦闘になっていると実感したそうな・・・
12 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 17:33:19 ID:???
大岡昇平氏の「俘虜記」にノモンハンを経験した27歳の 幹部候補生上がりの中隊長がでてくる。 無口で陰気で30歳より下にみえず言動に常に一種のあきらめが 垣間見えて戦闘では死に急ぐように常に先頭に出て戦い自らを 遮蔽しなかったと。 ノモンハンのことは一言も話さなかったが大岡氏はその体から (ノモンハンの)僚友の死臭を嗅ぐように思ったとも。 その中隊長はよっぽどの凄惨な体験をしたんだろうなあ。
13 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 19:20:49 ID:???
1945年で27歳だとノモンハンの時は20歳か。
14 :
名無し三等兵 :2006/04/02(日) 23:32:33 ID:???
ありえなくはない
15 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 02:15:56 ID:???
Когда бы монумент велели мне Воздвигнуть всем погибшим здесь, в пустыне, Я б на гранитной тесаной стене Поставил танк с глазницами пустыми; На постамент взобравшись высоко, Пусть как свидетель подтвердит по праву: Да, нам далась победа нелегко. Да, враг был храбр. Тем больше наша слава.
16 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 02:25:37 ID:???
>>15 の訳
この荒野に果てし者達の
いしぶみを立てよと命あらば
荒く削りし花崗岩の台に
眼窩に瞳無き戦車をば据えん
其れ台上に高く聳え
証人然と語らしめん
我が辛勝も然り 敵が武勇も然り
さればこそ我が誉れ愈々高し。
К・シーモノフ「戦車」(1939:ノモンハン戦を題材にした詩)より。
17 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 03:10:15 ID:???
ロスケは勝ったと思ってるのか。 本当に低脳だな。
18 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 07:33:54 ID:???
19 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 17:17:45 ID:???
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20 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 18:27:44 ID:???
ハモンハモン事件?
21 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 18:43:20 ID:???
>>17 戦争の勝敗の何たるかも知らない馬鹿が軍板に書き込むな。
22 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 23:29:20 ID:???
日曜のNHKで聖戦美術展ねたをやってたんだが ノモンハンに従軍した画家に当時の様子を回想して描いてもらったところ 戦車に群がったはいいが現実には飛び乗れるわけも無く、機銃でなぎ倒され あたり一面死体だらけの中を兵士が逃げ惑っているという有様だったらすい。 藤田嗣治「哈爾哈河畔之戦闘」のような ハッチこじ開けて中の人を銃剣攻撃なんてのはファンタジー
23 :
名無し三等兵 :2006/04/03(月) 23:34:12 ID:???
確か荻州立兵が、藤田嗣治に頼んで、 私家版でそういう「哈爾哈河畔之戦闘」の真相 みたいな絵を書いてもらった ってアレか。
24 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 00:35:42 ID:???
戦うこともできず、退却もできず、投降はさらさらできず 惨いはな
25 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 00:51:21 ID:???
渡部昇一が「ノモンハンではソ連軍の損害の方が日本軍より大きかった。 よって史実は日本軍の勝ち」みたいなこと言ってたけど、 10持ってるやつが3失うのと1しか持ってないやつが0.7失うのでは 重みが違うだろ。 戦争はキルレシオを競うゲームやスポーツではありません。 そんなこと言ったら独ソ戦はドイツの圧syry
26 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 01:05:35 ID:???
アフリカ戦線でも、戦死者数ならイギリス軍>ドイツ軍です。 が、ドイツの勝ちとする馬鹿はいないですね。
27 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 02:00:22 ID:???
蒙古側主張の国境線で確定しちゃったんだから、日本の負けでしょ。
28 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 02:07:52 ID:???
師団が壊滅するまでやるってのも、どこの戦国時代かと。 つーか、普通の合理的判断では、弱い方戦力が劣る方が挑発したり 事変の拡大を狙ったりしねーと思う。なに考えてたんだ?
29 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 02:17:33 ID:???
戦略的勝敗はともかく戦闘は互角だったという論がちょと前は良く語られたが 戦術的にもソ連軍はこっちの陣地を蹂躙可能な場合でも、限定紛争を意識してか あちらが主張する国境線で追撃を停止したり、条件付きの戦闘をしてるから 戦闘でも負けてるよね 日本にとって戦略的なメリットとしては 「モンゴルと満州国の争いなので、満州国が認めるならその国境線で良い」 という日本の主張がソ連にも認められ=満州国を承認という流れになったあたりかな
30 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 02:21:21 ID:???
不毛緩衝地争奪戦にしては被害が大きい。
31 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 12:49:16 ID:???
32 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 14:12:08 ID:???
要するに、自分の意思をどれだけ押し付けられたか、ってことだね。 ロスケの方が押し付け成功じゃない?
33 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 17:30:53 ID:???
>>30 それは日本側にも言えること
ましてや対ソ戦研究の第一人者を集めた23師団が壊滅したんじゃ
割に合わんよ。
34 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 18:23:49 ID:???
ノモンハン事件 ↓ ドイツ、ポーランドを侵略、ソ連と山分け ↓ ソ連、フィンランドを侵略 と、事件が連続している。 ノモンハンでソ連が敗退していれば、日本に与しやすしと侮られたことだろうが、逆になった。 一方ヨーロッパでは、冬戦争の失態でドイツに与しやすしと思わせてしまい、 独ソ戦を惹起させた。
35 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 18:42:04 ID:???
損害データの確認 ノモンハンについて ソ連がグラスノスチで明らかにしてデータでは ソ連軍新鋭機甲軍団 日本歩兵師団 兵員戦死傷 約25000人 (日本軍 約19000人) 戦車両損失 約300/600参加 (日本軍 約30/100) 航空機損失 約400/550参加 (日本軍 約160/300) で23師団が壊滅して戦闘継続不能に陥った。
36 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 18:55:00 ID:???
第7師団(だったか)の残余と2個国境守備隊が残ってたかな? あと2個師団が移動中だったかと。 ソ連が停止してなきゃあっさり突破されてたぞ。
37 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 22:40:16 ID:jHWo41q4
反戦サヨ(っぽい)映画だけど、「戦争と人間」の完結編で『俺たちは負けたのか』 『負けたじゃないか 奴らが本気ならハルピンまで進撃したに違いない・・・』 と言ったシーンが印象的だった。 やっぱ補給力が違いすぎるって感じだろうか・・・。
38 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 23:25:12 ID:???
なぜスターリンは戦争を拡大しなかったのだろうね。
39 :
名無し三等兵 :2006/04/04(火) 23:28:49 ID:???
大打撃を受けたのと当時ドイツ帝国の動向が気になった。 こんなところかと
40 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 00:18:02 ID:???
>>38 スターリンの関心は常にヨーロッパが優先、アジアは二の次
41 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 00:28:45 ID:???
>38 ドイツとの間でのポーランド分割が決まっていたから、遅れを取らないため に、損害覚悟の力押しで早期にかたをつけさせたわけだし、わざわざ極東で戦 争拡大なんてしないでしょう。
42 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 01:17:22 ID:???
スターリン同士はニ正面作戦が異常なほどお嫌い
43 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 02:17:09 ID:???
要はいずれドイツと戦うのは予想していた為背後を突かれないように 痛い目をみせて戦意喪失させるのが目的で、 国境突破して侵攻しても米英他の国から反発買うし 日本も窮鼠猫を咬むで必死になってくると味方の損害も増える だけだと考えていたから。 事実以降日本の対ソ戦略は消極的になり 盟友ドイツの対ソ参戦要求も無視し続けた。
44 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 03:12:47 ID:???
●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル ●韓国政府がスポンサーで韓国人諜報部員・工作員が一般日本人になり偽装活動してる2チャンネル
45 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 06:50:29 ID:???
>>43 そう考えるとノモンハンはソ連にとっては安くついた戦いだなあ
46 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 21:33:45 ID:???
だから戦略的にはソ連の大勝利なのですよ ヘタレ関東軍めが!バカ丸出しじゃねえか
47 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 21:37:30 ID:???
だったら上げるなカス。
48 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 22:06:51 ID:???
釣り失敗ってやつだな
49 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 22:48:22 ID:???
47 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/05(水) 21:37:30 ID:??? だったら上げるなカス。 48 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/05(水) 22:06:51 ID:??? 釣り失敗ってやつだな
50 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 22:58:57 ID:NOTDMVkS
インパール作戦でもそうだが責任の取らせかたがヒドい。
51 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 23:05:07 ID:???
首謀者は丸で他人事の風体で 最前線の下級士官にだけ全責任を押し付けて、知らん振り 旧陸軍では現場だけが大苦労、お偉方は逃げまくり 女々しいのう
52 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 23:26:38 ID:???
ノモンハンの場合、師団参謀2名戦死、連隊長5名戦死、連隊長2名自決 連隊長1名帰還後自決と上級指揮官も随分死んでる。 23師団の小松崎中将も病死だけど自殺同然と言うが… ちょっと異常だな。
53 :
名無し三等兵 :2006/04/05(水) 23:59:28 ID:???
打通の好きな日本軍 シベリア打通をなんでしなかったの?
54 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 00:26:14 ID:???
釣り失敗ってやつだな
55 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 00:26:55 ID:???
T-34やKV-1に蹂躙されるチハタソ・・・・ それはそれで萌え。 ん?年代が違うって? 萌えの前には些細な問題ですよw
56 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 00:36:09 ID:???
ノモンハンならBTでしょ。 BTを蹂躙する強いチハたんに萌えなきゃ
57 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 00:38:18 ID:???
主力は89式戦車じゃないの? あと東捜索隊(だっけ?忘れた)は95式軽戦車とか?
58 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 00:51:35 ID:???
>>30 国境紛争なんてそんなモン
中ソはダマンスキー島事件(川の中州の奪い合い)で戦争したし
印パは戦死者より高山病での犠牲が多いヒマラヤの国境でにらみ合ってる。
59 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 06:21:09 ID:???
チハは2両投入されてます。まぁピアノ線に絡まって糸冬でしたが。隊長車として使われたらしいです。
60 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 21:34:44 ID:4hUCm4oL
ブリキ細工のおもちゃ。
61 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 21:41:26 ID:xR/dTp2r
57ミリでも18.4口径だからBT戦車をぶち抜くのは無理だったのでは? 95式の方の37ミリ砲の方がまだ有用だったような
62 :
名無し三等兵 :2006/04/06(木) 21:42:10 ID:???
きたおうじきんやの映画でt-34/85が何百台も突撃してた。
63 :
名無し三等兵 :2006/04/08(土) 23:05:57 ID:H6n0o0MI
>>59 チハは4両だよ
>>61 兵器には素人の戦史家らがよくそう書いてるが、
97式の57mmは徹甲弾の最大貫徹力30mm弱位、89式の57mmでも貫徹力20mm弱位ある
BT-5の装甲は傾斜しているがたったの13mm、T26も15mmしかないから
実際は近距離(300m位か?)なら一応撃破できた
ちなみに95式の37mmは30mm位、速射砲は45mm位の貫徹力があるから
95軽は中距離・速射砲なら遠距離でも撃破可能
まあただっぴろい草原で不利だったのは確かだけど、戦車兵の技量でカバーして
なんとか戦えたってところ 実際戦車隊も敵戦車を撃破してるしね
少なくとも撃破不可能だった対米戦よりはよっぽどマシ
64 :
名無し三等兵 :2006/04/09(日) 17:27:00 ID:???
真の問題は戦車の性能じゃなくて補給力、戦力集中能力。 ノモンハンはソ連軍の策源地から700キロも離れてるから 十分な兵站線を維持できまいと考えた服部&辻コンビが主導した時点で負けてる。
65 :
名無し三等兵 :2006/04/10(月) 21:31:08 ID:Ah1yzRtM
その辺が日本の参謀連の無能なところ 自軍の能力を基準にして勝手に相手の力を過小評価して兵力の逐次投入・・・ これで何度も失敗してる 陛下の赤子を無駄死にさせた馬鹿共は万死に値するな
66 :
名無し三等兵 :2006/04/10(月) 21:31:46 ID:???
兵站の差はモロ砲兵火力の差に繋がるからな。
67 :
名無し三等兵 :2006/04/10(月) 21:36:26 ID:???
ロスケがマジ反撃してくるなんて想定外だったのだ 想定外ゆえにこの失態は無かったことにしゅる
68 :
名無し三等兵 :2006/04/10(月) 21:49:05 ID:YDL1FWHZ
映画「戦争と人間」の中でも、満州伍代財閥の親分が辻政信に向かって 「それだけの兵力を投入するのなら、これはもう国境紛争ではなく、戦略 単位の局地戦だ。それならなぜ正面に精鋭の第7師団を投入しないんだ。 ソ連の増援部隊が来るまでに精鋭部隊で一気にたたきつぶした方が得策だと 思うんだがね」 それに対して辻が「戦争は我々軍人にまかせていただきたい・・」と苦し紛れ に言い返してた。 ま第7師団を正面に据えての決戦をしたとしても、あの日ソの補給力の差を見れば 結果は大同小異または全く同じだった とは思うけど・・・。
69 :
名無し三等兵 :2006/04/11(火) 21:07:32 ID:???
ノモンハンの捕虜がソ連領内に生存していて シベリア抑留の人に目撃証言があるが。
70 :
名無し三等兵 :2006/04/11(火) 22:25:21 ID:???
71 :
名無し三等兵 :2006/04/11(火) 23:15:10 ID:???
捕虜となった者は 停戦後も送還されるのを嫌がったようですね 虜囚の恥とやらは誰が強調しだしたんですか?
72 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 00:38:57 ID:WqVA3gio
>>71 それは間違い。捕虜になるのは恥といわれるようになったのは太平洋戦争の
ガナルカナル以後。
ノモンハン事件の頃は捕虜になるのは恥ではなかった。ただ、日中戦争で、
捕虜になってもシナは平気で殺すと言われてたので、同じ死ぬなら戦死の方
がマシという意識が強かった。
ノモンハンでは兵士たちは全力で戦い、そして捕虜となった。少なくとも、
日本に帰ってくるまでは捕虜となったことに悔いはあったが恥とは思わなか
った。しかし上層部は自らの失策を隠すために、責任を現場の兵士に押し付
けた。彼らの行為を恥として、下士官以上は自決を強要させた。
73 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 00:53:04 ID:j/2uzJrn
バトルで負けたのはともかくそんな責任の取らせ方するのが一番醜い。
74 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 00:53:25 ID:???
>>69 >>70 >>71 1000人近くが自発的に残留を希望したいう説もあるようですね。
シベリア抑留時には既にソビエト社会に溶け込んで
ソ連市民として結婚や子供が出来てたり定職についていた
人もかなりいたようです。
全力で戦ってやむを得ず捕虜になった人達なのに辛い話だな。
>>72 対米対英戦のように捕虜になるなら即自決するほど徹底はしていなかったようですが
ノモンハンの時点でも捕虜になることは恥と考える将兵が多かったからこそ
送還組と残留組に分かれたんじゃないんですかね?
戦陣訓は16年始めだけどそれ以前の日本軍将兵の捕虜に対する意識は
どうだったんだろう?シベリア出兵時の捕虜にも残った人がいるといわれてるし。
75 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 01:02:03 ID:???
局地戦は 負けたと思った方が負け。
76 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 01:29:40 ID:???
まあ徴用の兵隊も軍人ですから、捕虜になるのが名誉でないことは事実でしょう だから、盧溝橋の時に行方不明になってた方も、捕虜になったのを隠してるんじゃないか? みたいな憶測が生まれるわけで・・・
77 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 05:01:13 ID:???
>>72 ガダルカナル以降に出現した認識が
一気に皇軍内に浸透したと言いたいわけ?
そんな、つい最近できたような新しい認識を、全軍の殆どの兵士が即座に受け入れて
急に玉砕覚悟の徹底抗戦をするようになった、なんて不自然すぎ。
捕虜になるのを恥とする思想は、日本軍が創設された早い時期から育まれた
伝統と考えるほうが自然。
78 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 05:33:38 ID:???
79 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 06:57:10 ID:???
日露戦争でも負傷した日本兵捕虜が、ロシアの軍医の治療をこばんで死んでいったようだし 日本に捕虜になること嫌う風潮があったのは間違いないと思うが。
80 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 10:18:50 ID:???
ノモンハンの日本人捕虜でソ連に残留した人については ソ連邦崩壊後のロシアの公式発表では49人とされてる。 この件のシンポジウムがあったときに日本側から 「それって少なくね?」という疑問が出たのだが その後スターリンに粛清された人も少なからずいたとか。 まだ資料自体がすべて公開されてないのかな?
81 :
72 :2006/04/12(水) 12:25:28 ID:WqVA3gio
>>74 送還組と残留組に分かれた最大の理由は捕虜になった将兵の家族にも死亡通知
を軍が送った(家の家長にのみ、実は捕虜になったと報告した)。後日、捕虜
となった将兵が送還されるのが決まったとき、日本からの使者が捕虜になった
将兵に『君たちは既に死亡したと家族には通達している』と伝えたため。
それを聞いて、祖国に帰る気力を失った将兵が残留した。
82 :
72 :2006/04/12(水) 13:14:38 ID:WqVA3gio
>>77 最前線の将兵が職業軍人中心の太平洋戦争初期はそんな風潮は無かった。
玉砕覚悟で戦うぞ!と意気込みはあるが、実際に玉砕するまで戦うことは
稀であった。
しかし、ガナルカナル戦以降、最前線の将兵が職業軍人中心から徴兵され
た兵中心になるにつれ変わっていく。
徴兵された将兵がいかに弱くて使えないかは日露戦争末期で経験済であり、
その教訓として、玉砕は美徳で捕虜は恥と将兵に徹底させただけでなく、
国民にもその風潮を広めていった。
徴兵された人の中でもシナ事変経験者の出戻り組よりも太平洋戦争が初め
ての徴兵された人ほどその風潮(意識)が高かったのはいうまでもない。
そして、致命的だったのが学徒動員。
これで徴兵された大学生のほとんどが士官として前線に送られた。
結果、一気に皇軍内に玉砕は美徳、捕虜は恥という風潮が浸透した。
83 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 18:16:33 ID:???
お前の発言にはなんの根拠もない
84 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 19:32:19 ID:???
妄想を状況に当てはめてそれらしく言ってるだけとも言う。
85 :
72 :2006/04/12(水) 21:23:15 ID:WqVA3gio
ノモンハンに関する資料を集める努力をせずに、根拠が無いだの妄想と言って 気が済むなら別に良いけどね。 ソ連崩壊によってソ連側からの情報が出るまで日本軍よりソ連軍のほうが損害 が多かったという説は(日本の資料やモンゴル自治区に残るハルハ河戦争関連 資料で既に戦死研究において信頼ある説であったにもかかわらず)根拠が無い だの妄想といってた連中と変わらない。 まあ、しっかり勉強してくれ。
86 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 21:41:24 ID:???
根拠が無いと言われないように ソースきぼんぬ
87 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 21:48:46 ID:???
「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」の戦陣訓が1941年1月でしょ?
だからこのころには一定の下地があったと思う。
あと
>>82 学徒出陣で士官になれたのは一部ではないかい?
88 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 22:24:46 ID:27AdSC7U
>> 26 確かに、ドイツ軍のアフリカでの損害は捕虜を入れても、16000人に 留まったというから、イタリア戦線での150000人の10分の1強だ。 英軍の損害は分からないが英連邦軍までいれれば、30000人近い戦死・ 不明・捕虜を出している。
89 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 23:01:51 ID:???
>82 せめて、「職業軍人」とか「徴兵」とかの意味くらい調べてから書いてくれ。 つーか、日本陸軍の主体は、昔から徴兵だったはずだがね。士官の事を言いた いのかとも思ったが、そう解釈しても意味が通じないし。
90 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 23:18:47 ID:???
日中戦争のころに中国軍の捕虜となった将校がかえってきたあとに自決したという 事件があったっての本にかいてあった
91 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 00:54:22 ID:???
>>80 クックス「ノモンハン」によれば
「正確な数は」「公式資料が欠けて」いることから
「永久にわからないであろう」と断った上で
1000人以上と推測している。
92 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 04:03:04 ID:???
>89 多分、現役兵と戦時動員で召集された兵のことを言いたいんじゃナイカ・・ ・・やっぱ全然意味通じないや。個々の情報はちゃんと調べてるっぽいのに どう間違えばこんなトンデモな作文になるんだ。 徴兵制近代軍を否定するような内容になっちまってるぞw
93 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 11:28:21 ID:???
捕虜が恥かどうかは、従事した兵士達の回顧録(戦記本)が一番の判断材料になると思う。 だが、実際にはいろいろな見解がある。 系統的に把握できるのは、 退役軍人などで構成される郷土会みたいなものの影響をうけた地域出身者は、 自分が捕虜になったら家族も生きていけないと思っている(村八分)。 出身地域に退役軍人の影響のない、または都会出身者(の一部)、 将校(の一部)、主計などの兵站関係者(の一部)は 捕虜になることに抵抗のないものもいる。 だだ、人口比率的に前者のような田舎出身者が多いので、 全体的には『辱めを受けず』ってのが多いのでは? (戦記などの文を書くのはエリートである後者が多いので、後者が多いようにも見えてしまうのだが)
94 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 12:32:26 ID:???
>>93 > 捕虜が恥かどうかは、従事した兵士達の回顧録(戦記本)が一番の判断材料になると思う。
そう思う。自分の祖父の回想録に、
「ジャワでのオーストラリア兵捕虜は捕虜を恥辱と考える日本軍とは違い堂々としている。」
みたいなことがわざわざ書いてあるから、ジャワ攻略の時点で捕虜は恥という風潮は充分あったと思う。
ちなみに、じっちゃんは幹候上がりの下級将校で田舎出身者。
その後、ガ島、ビルマと転戦してる。
95 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 13:05:44 ID:ymkvR0S+
ガ島、ビルマって… それって広島・長崎で二重被爆して生き残るようなもんでしょう。 とんでもなく強靭だったのか、とんでもなく幸運だったのか… そういう方もいらっしゃるんですね。
96 :
名無し二等兵 :2006/04/13(木) 14:16:44 ID:PR/HVeAs
>島、ビルマ 第二師団か・・・
97 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 14:56:52 ID:???
生き残る人はとことん生き残ったりするよね
98 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 15:48:25 ID:???
>>95 出征から終戦まで生き抜いたのは、部隊のなかでも確か数パーセントだったと思う。
ガ島総攻撃時に、米軍のあの砲撃受けて無傷だったのは
勇者も臆病者もなく、ただ運が良かったとのこと。
少し前まで無かった亀岡高夫のWikiが編集されてるけど
個人の人生を極限までつきつめた感じがするなあ。
99 :
鬼瓦 :2006/04/13(木) 15:48:32 ID:ywRmZf4z
無論運もあるが生き残るのは機転がきいて頭が良い人間である場合も多い
100取ったどー!!
運を生かせるかどうか、ってことかもね。
辻様の天才的作戦を現地の部隊が実行しないから負けた。
103 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 16:34:50 ID:UDeiNlhF
山本七平の本に捕虜になるのを恥とあおったのは日本の新聞だとあった。 題は確か「捕虜・空閑少佐を自決させたもの」だったと思う。
105 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 16:52:43 ID:6QPCzUO7
戦時中は軍部がマスゴミを取り込んでいたからなぁ、都合のいい情報操作は当たり前の時代だったらしい
106 :
名無し三等兵 :2006/04/13(木) 17:16:50 ID:UDeiNlhF
>>105 山本七平は逆のことを書いてた。
新聞が記事で世の中をあおって世論を過激にした。軍部はそれにひきずられたと。
捕虜は恥という考えも新聞が言い出したことだと書いてあった。
107 :
94 :2006/04/13(木) 17:18:14 ID:???
>>102 子供のころに、回想録での辻政信・長勇参謀の記述を読んだときは
戦慄する思いでしたよ。
で、捕虜は恥の考えに関して戦陣訓の話が出てくるけど
ここの人は知ってるように、当時の軍人の話題には、ほとんど出てきませんよね。
軍人勅諭の話は散々出てきますけど。
>>68 一応関東軍は23師団と7師団を交代させるという案はあったんだけど
23師団の小松原師団長の立場を尊重するということでっ無しになったとされてる。
だが小松原の立場からしたら「藻前らヘタレなんで交代な」と言われたら憤慨するのは当然。
本気で交代させたいなら適当に折り合いがつく理由をでっちあげるか強権使えばよい。
古くからの常設師団の連隊将校団は関東軍の言うことを聞きたがらない傾向があり
また中央との独自パイプも強いので辻〜んのコントロールに従わない可能性が強かった。
八月攻勢への無茶無謀な反撃(辻〜んの発案)に最後まで反対した須見大佐は
7師の26連隊で、彼はこの作戦中7師の師団長と書簡で連絡取り合って間接的に指示を受けていたりする。
他の作戦でもそうだけど常設師団は上位組織の意向に結構噛み付くので(そして大抵間違ってない)
それを辻〜んが嫌ったという側面を考えると興味深い。
ハルヒ戦争に見えた。
涼宮
ハルハ河西岸で辻と小松原師団長が乗った自動車がBT戦車に追われて、 野砲部隊が戦車撃破して間一髪で助かったそうだが ここで2人とも戦死したらどうなったろうな
辻は氏んでおけばよかったね
>>103 一方的な見方だなー、マスコミが助長したのは間違いないと思うけど軍部も同じ立場でしょう、
マスコミは非難したけど軍部は捕虜を厚遇していたっていうなら話はかわるけど。
マスコミは所詮世の中の雰囲気に付和雷同しているだけで、世論をリード出来るほどの影響力はなかったと思いますが。
〇〇が悪いって言い切るのは簡単だけど、そう世の中は単純じゃないですよね。
114 :
72 :2006/04/14(金) 01:03:49 ID:t04+HEqj
>>87 >「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」の戦陣訓が1941年1月でしょ?
だからこのころには一定の下地があったと思う。
その通りです。この以降に軍に徴兵されたり軍に志願した人がこの思想に影響されました。
この思想に影響された将兵が日本軍の主力、つまり多数派になったのがガナルカナル戦以降
というわけです。
>>89 >>92 もしかして徴兵制の軍隊とは士官以下の兵士は全員徴兵された兵で構成されていると思われ
ているのですか?
徴兵制度とは職業軍人、つまり志願して軍に入隊した人では足りない部分を一般国民に補完
してもらう制度ですよ。当然、士官以下の兵士の大部分は職業軍人です。
特に、長期の訓練を必要としている落下傘部隊や戦車部隊、砲兵部隊は原則職業軍人のみで
構成されます。
しっかり勉強してください。
115 :
名無し三等兵 :2006/04/14(金) 01:25:40 ID:t04+HEqj
>>106 私もそう聞いた。
マスコミが煽って国民が戦争だ!という風潮になって、抑えられなくなり開戦を決めたって。
116 :
72 :2006/04/14(金) 01:27:17 ID:t04+HEqj
すみません。115の名前に72を入れ忘れました。 失礼。
>>94 お前のお爺様すげえな。
その回想録って多分私家本みたいなもんだと思うが
差し支えない範囲で発表できる部分ってないかな?
ある意味、真の軍神と呼ばせていただきたい。
118 :
名無し三等兵 :2006/04/14(金) 04:02:58 ID:iels+w5v
>>113 これは山本七平少尉の部隊長だった少候上がりの少佐(山本少尉も信服している)が
新聞を批判して言ったという文脈です。
「世論に惑わず政治に関わらず」と任務一筋だった軍人さんほど当時の新聞に批判的
で、捕虜は恥というのも当時の新聞の売らんかなの煽りだったという内容です。
この本は浅見一男や本多勝一の百人斬り記事を批判するもので、戦前も戦後も新聞記事
はうそと記者個人の趣味によるプロパガンダばかりという趣旨です。
上記は別として捕虜が恥という意識はもともと日本にあったと感じます。
欧米によくある捕虜収容所から脱走して原隊に迎えられた英雄というのは、日本で
聞いたことがありません。
通州事件とかを大々的に取り上げて世論を沸騰させたことは南京大虐殺の遠因ともされるね。
120 :
名無し三等兵 :2006/04/14(金) 11:44:10 ID:g7faDLCP
>>119 南京では市民の巻き添えはあったかもしれんが組織的な虐殺やってないぞ。
捕虜が暴動起こしてやむなく逃げたとの記録はのこっとるが。
>120 119の言いたいことは、 通州事件で世論を沸騰 ↓ 対中戦泥沼 ↓ 南進 ↓ 禁油 ↓ 開戦 ↓ (南京大虐殺のデマ発生) ↓ いろいろあって敗戦 ↓ さらに時は流れて ↓ 中国発展&国内左翼の台頭 ↓ 南京大虐殺論の浸透 って遠因じゃないか?
戦陣訓も知らない馬鹿がいるスレはここですか?
>122 ここじゃないよ。他のスレを探してみてね。
戦陣訓の制定をマスコミがどう報道したかは興味あるな。
あまり取り上げていないはず。(一面記事では。) 日中戦争・軍事にからむ国内・外交動向がほとんどだったと曖昧な記憶。
126 :
名無し三等兵 :2006/04/14(金) 17:57:37 ID:iels+w5v
>>122 当時の兵隊さんもほとんど知らないって。
> 当の陸軍兵士によると「実際の陸軍の教育現場で戦陣訓が使われたのを見たことがない。」
>
> 実際、終戦後何十年も経って帰国した小野田寛郎氏も、ろくに覚えてなく別に気にしてなかったと言ってる
大事なのは戦陣訓ではなく軍人勅諭のほうですよ。 こちらは歌にもなってる。 戦陣訓なんて一部の政治家や官僚が作った、どーでもいい寝言だけど 軍人勅諭は天皇陛下自ら陸海軍に下賜したものですからね。
>>126 >彼がもし生き永らえて内地に帰還したらどういう扱いを受けたことか。峻厳な軍法会議でどういう判決が下されただろうか。
>銃殺刑は免れたにしても「軍人の名誉」を重んじて自決が強要されたであろう。
って書いてありますが。
マスコミのせいで軍の対応が変わったわけじゃないでしょ、これ。
>>126 そのページの内容を見ると、自決に失敗した将校を批判し、自決に成功した将校を賞賛してるね。
こういう精神構造が、捕虜となった日本兵を死に追いやると気づかないのかな〜
131 :
路傍の転石 :2006/04/15(土) 00:33:32 ID:l9sPIxtv
全スレを見落としたので既出かも知れませんが、某所に書いたネタを こちらでも書かせて頂きます。 中央公論2006年3月号に掲載された福井雄三 氏が寄稿した記事 「東京裁判の延長上にあった“司馬史観”」にノモンハン事件は日本側が 勝っていた、今まで日本が負けたと唱えていた人達は東京裁判史観に毒さ れていたと載っています。これだなら旧ソ連側の史料が発表されて以来、 華やかになっているノモンハン日本勝ち説の一つですが、日本軍の銃剣 突撃に恐れをなしたソ連軍は、自国で銃剣突撃を採用したのでドイツに 勝った。ソ連機を50機以上撃墜したエースが居たと書いています。 もしこれらが事実なら従来の研究は全て間違いで、大本営発表が事実 になります。偉い先生が寄稿した記事なので信用している人達も多い様 ですが実際はどうなのでしょう。
ソ連といえばタンクデサント、ソ連の人命軽視は日本軍の比じゃないよ タンクデサントに比べれば銃剣突撃なんて人命を尊重した人道的な戦法だw
まあ銃剣突撃より餓死者のほうが多いしな。
ノモンハン事件は日本の勝ちだろ。 日本の強さに驚いたソ連は、ノモンハン以降 終戦まで満州の国境を侵す事を諦めた。 明らかに日本の戦術的・戦略的勝利。
そんな餌に熊
ソ連の人命軽視は戦争よりも反動分子のレッテルを貼って秘密警察で大量粛清って体質によく現れている。 しその犠牲者数はナチのホロコーストより多く、毛沢東、ポルポト、金日成も同じことやってるし。
>>131 福井雄三はさんざんガイシュツ。
ネタはネタスレで。
>>136 だからといって、ナチが人命尊重だったわけじゃないがな。
>>114 >徴兵制度とは職業軍人、つまり志願して軍に入隊した人では足りない部分を一般国民に補完
してもらう制度ですよ。当然、士官以下の兵士の大部分は職業軍人です。
( ゚д゚)ポカーン
>ソ連機を50機以上撃墜したエースが居たと書いています んじゃ、ビットマンがいたからWW2はドイツの勝ちな。
141 :
だつお :2006/04/15(土) 06:22:46 ID:iMLzv202
>中央公論2006年3月号に掲載された福井雄三 氏が寄稿した記事 >「東京裁判の延長上にあった“司馬史観”」にノモンハン事件は日本側が >勝っていた、今まで日本が負けたと唱えていた人達は東京裁判史観に毒さ >れていたと載っています。 皇軍や皇軍兵器が殊更技術的に欧米諸国に遅れていたことを強調 したがる中国人が多いからな。優秀なドイツ民族が劣等なスラブ人 を最終解決することには拍手喝采しても、劣等な皇軍が優秀な 中国人に連戦連勝するのは侵略だ虐殺だといって怒りだす。 皇軍兵器を欧米最新技術(支那事変ではドイツ陸戦兵器、大陸打通作戦 ではアメリカ陸軍航空部隊)と比較すれば僅かな見劣りはあったものの、 それは断じて中国人という動物を人間に対抗させられるほどではなかった。
>>131 日本軍の戦闘能力がロシア軍を上回ってたのは、みんな知ってるって。
しょ、職業軍人の二等兵・・・・、自衛隊じゃあるまいし。
144 :
名無し三等兵 :2006/04/15(土) 09:29:19 ID:l9sPIxtv
>>140 ハルトマンやバルクホンがいたからWWIIはドイツの勝ち
>>142 >日本軍の戦闘能力がロシア軍を上回ってたのは、みんな知ってるって。
勝ってないでしょ・・・。指揮官の能力とか物量・兵器の性能からいえば。
あっちは味方の被害は問題外で相、手圧倒しちゃえば勝ちだし、極東の貧乏国家とはベースが違うって。
何にせよ後始末の段階で関東軍の上層部が 二度とこういうマネが出来ないように刷新して 後々まで鈴をつけられたのが幸いでした。 それしか死者を悼む言葉が見つからん・・・
>>131 >日本軍の銃剣突撃に恐れをなしたソ連軍は、
>自国で銃剣突撃を採用したので
逆。19世紀以来伝統的にロシア-ソ連は銃剣突撃重視。
逆に日本軍がその影響を受けて日露戦以降、
それまでの射撃戦重視
(軍歌「日本陸軍」に「一斉射撃の銃音に」の一節があるのはこの為)
から銃剣突撃重視に歩兵戦術をシフトした。
徴兵制度… 戦時における軍の拡大を見越して、平時から動員可能な兵力を訓練、戦力を蓄積する制度。 もしくは労働適正年齢層の多数が引き抜かれることを前提とした補完機能のある国家体制。 変かな?
動員する時間がある事と動員した兵力を突っ込める戦線がある事と その兵隊が対応できる戦術で戦えることが前提だけどな。
150 :
94 :2006/04/15(土) 17:57:01 ID:???
>>117 私家本です。
でも亀井宏『ガダルカナル戦記』にある程度は掲載されているから
全くの未発表というわけではありません。
亀井氏に回想録を提供したことに対して
亀井さんからはがきが来てて、お礼が述べられていたのを読んで
作家もこういうことをきちんとするんだなあ(当たり前か)
と感心したことがありました。
>>147 ソ連は、ノモンハンの頃は銃剣突撃じゃなくて、手榴弾戦を近接戦闘の中心にしてただろう。
>>151-153 19世紀から1940年に至るまでのロシア-ソ連軍の
教範に占める銃剣術の記述の割合とか見れば自ずと解るが?
まぁ煽りに過ぎない
>>151-152 は放置するとして
唯一マトモに反論している
>>153 に再反論すると
>ソ連は、ノモンハンの頃は銃剣突撃じゃなくて、
>手榴弾戦を近接戦闘の中心にしてただろう。
それは塹壕-陣地防御の場合であって、
攻撃の場合は機関銃・小銃による制圧射撃後の銃剣突撃が中心。
ちなみにノモンハンの戦訓が生かされたと思われる1943年の歩兵教範と
1940年の教範を比べ、銃剣術の項が増えているかというと
そんなことは無い。
という訳で
>>131 引用の福井説は誤り。
軍歌の一説を根拠にしちゃう凄い人
156 :
名無し三等兵 :2006/04/16(日) 01:13:21 ID:dcCuz1Et
■「大高豊治陣中日記」■ 第23師団歩兵第26連隊所属 7月5日 戦争とはこれか、惨烈の極みだ。 目、鼻、耳、手足のないのが続々と来た。 苦しむ声を聞くと、胸がつまる。 7月7日 もう1回でよい。家に帰りたい。家に帰って父母に逢いたい。心残りだ。 すべては夢に過ぎぬ。僕の人生が二十五年の長い夢に過ぎなくなってしまふのだ。 憶へば平凡だった。生き甲斐のある人生だったらうか。 戦友は皆、夢を見て死んだんだ。 7月11日 死んでなるものか、これまで折角の親の苦心を、水の泡にしてはならぬのだ。 生きて必ず帰る。俺は帰ってきっと成功して、親を安心させて見せる。 それまで必ず神様よ、生かしてください。 7月20日 愈愈明日は総攻撃だ。取っておいた間食は、皆食ってしまふ。 果たして生き残るだらうか、負傷くらいですむだらうか、神様に祈りたい、無事であって欲しい事を。 7月25日 写真も見たくない。只眠いのだ。砲はどんどん撃って来る。 もう思ひ残すことはない。これが僕の二十五年の終局なのだ。 然しこれが約束の寿命なんでせう、すべてをあきらめて。 昭和十四年七月二十五日 ノモンハンにて同日戦死
記述の割合の多さ=重視している証拠 とは一概に言えないのでは。
>>154 攻撃の場合でも、前進して手榴弾投げ込んで下がるを繰り返すって話無かった?
そもそもサムライのいた日本とそうでないロシヤで どっちが銃剣突撃が得意だったかわかりそうなもんだ
そもそもサムライなんて人口の何%しかいなかったのだから どっちが銃剣突撃が得意だったかわかりそうなもんだ
ロシアにだって騎士はいたわけで。
銃剣突撃ならパイク兵の伝統でもできそう。 夜間切り込みだと剣道が活きそうだが。
163 :
名無し三等兵 :2006/04/16(日) 13:47:43 ID:eAqoFW+F
ロシヤなんかほとんどの人口が農奴じゃんか 決死の切り込みなんかできる精神文化じゃないぞ
クリミヤ戦争からずっーーとロシア歩兵の根性は西欧から賞賛され続けていたのだが。
何て賞賛されてたの? 敵に回すと弱いから便利だってかw クリミヤ戦争って確かロシヤの負けだったはずだが
何か頭の悪い酷使が一匹混じってるようで。 こういう辻や荻州レベルの人間が赤軍を見くびった結果 日本軍は兵力の逐次投入やらかして負けたんだろうな。
しかも自分から吹っかけといてナw
>>163 我が日本も人口のほとんどが百姓でした。
もっともこの場合百姓=農民ということではなかったようで、
もうちょっと1次、2次産業に従事していたみたい。
>>168 おいおい百姓が「1次産業」に従事するのは当たり前だ
それを言うなら「第二次・第三次産業」じゃないのか?
>>165 それを言うならやはり負けた日本の歩兵の根性も賞賛されてただろ。
ただしお前さんと同様の評価を
「日本兵の根性」に対しやる外国人もいる。
例えばクックス「ノモンハン」の下巻P.369には
次のような外国人の印象が紹介されている。
・日本軍による「肉弾」戦術は「日本人の愚かさの象徴」だ
(連合軍の古参兵)
・決然として日本軍に当たるなら、いつでもそのバンザイ突撃を阻止し
槓桿式の小銃でさえ、なぎ倒す事が出来る。
ましてや半自動か自動式の小銃なら、そうした攻撃を大虐殺に
変えてしまう事もできたろう
(ビルマ戦線に従軍した英軍のA・J・バーカー中佐)
・ガダルカナル島のマタニカウで日本軍は「遠距離から、
火力の優位もなしに…先の考えのないバンザイ突撃」を敢行することで
「劇的な戦術が好き」な事を示したが、その結果米軍に「火網をしいて
全滅させる機会を、無料で」与えてしまった。
(アメリカ第一海兵師団)
そろそろ国士様がファびょります! ここにはチョソとちゃんころとブサヨしかいないとかいうレス↓
最終的にジューコフによって日本軍が殲滅された原因は 日ソの認識の相違にあるのでは? ソ連側「ハルハ河戦争」、日本側「ノモンハン事件」 ちょっかいを出したのは日本側だが ソ連は戦争として対処した、日本は多々ある小競り合いとして ウヤムヤの内に立ち消えになることを願っていたんじゃねえ? 対峙している時、ジューコフは陣地構築工事を始めた 日本軍に工事の音が聞こえるようにスピーカーで音を流した で、日本軍は安心したんじゃねえ?ソ連軍は陣地に篭もる、攻勢には出ない、と ジューコフ好みの策略だろうけど、敵の意図を見抜けない関東軍って 素人衆じゃねえの? 迷った場合は、進め!が皇軍スローガンがろうから工事が始まったなら その完成前に攻めなくっちゃ、若しくは退かなくちゃ 工事をしながら攻勢準備のソ連、ソ連の攻勢はないと安心する日本軍 こんな図式で最終的な決着が付いたんでねえ?
>>171 ・ガダルカナル島のマタニカウで日本軍は「遠距離から、
火力の優位もなしに…先の考えのないバンザイ突撃」を敢行することで
「劇的な戦術が好き」な事を示したが、その結果米軍に「火網をしいて
全滅させる機会を、無料で」与えてしまった。
(アメリカ第一海兵師団)
違うよ。
船が沈んで重砲支援が得られなかったから苦肉の策として夜襲攻撃をしかけたんだよ。
日本側の攻撃なんだから日本側の資料も少しは読めよ。
わかってねぇなっつーか文脈が読めてねぇな。
>>171 はそれを外国人がどう評価したかって話だろ。
ここは国士サマが良く釣れるインターネッツでつね。
>>170 同じような戦術を採用して同じような評価を受けた日ソ両軍にあって
いったい何が最終的な勝敗の分かれ目となったのであろうか、と
考えると鬱になってくるな。
みんなビンボが悪いんや。お母ちゃんお腹すいたよぅ。
>>175 つまり、外人が間違った認識をしていてもそれをそのまま受け入れろと?
間違った認識で間違った結論を出していることもわからないのか?
文も読めない奴だな。
>>178 前後のレス読んでから物書けや
お前さんの感傷に基づく枝葉末節論なんぞ誰も望んじゃいない。
苦肉の策だろうが結果的には愚策だった訳だろう。
国士様は自分の口汚い発言には寛容だが 他人の口汚い発言にはとっても敏感。
それが国士サマクオリティー
つかそもそも。 他人からの批判は 用語の使い方や文体に関わらず 全て「口汚く」感じてしまうのが 国士様クオリティ。
184 :
183 :2006/04/17(月) 00:52:58 ID:???
てか「奴」を「キミ」に言い換えれば 「口汚」なくは無いなどとでも思ってるんかね彼は。
少なくともマシだわな。 国語辞典で「奴」と「君」でも調べてから発言しろよ。
つまり自分自身が「口汚い」発言を行なってた事を認める訳ですね?w よくもまぁ手前の事棚に上げて人の事が言えたもんだw
>>186 国士サマ頭ワルス…
他人のレスの文脈だけじゃなく、
自分の昔書いたレスすら読めなかったのか?w
福井センセイを鵜呑みにして暴れる国士様の人気に嫉妬。
頭が悪いのか性格がひん曲がっているのか。 キミ、結局何がしたいわけ? 反論もしていない(正確にはできない、だな)し。
軍事板書籍・書評スレ6 にいる粘着厨と同一人物がいるな。 そんな池沼はスルーするのが吉。
>>191 は一人で頑張る国士様なのか
国士様をからかって遊んでる、その他大勢の内の一人なのか。
まあ、誰に対してのレスか、も不明確な発言をしてる点から
国士様が顔を真っ赤にして書き込んでる、と見るのが妥当か。
いや、どっかの誰かの言葉を借りれば 「間違った認識で間違った結論」出す奴なんてのは 反論以前に認識の誤りを正す方が先だからさ。 で、繰り返しになるが前提となる前後のレスのやり取りや文脈を読まず いきなりレスの枝葉末節に 見当違いの突っ込み入れる近視眼ぶりが論われてるんですが何か? 性格はともかく頭の悪い(少なくとも視野が狭い)国士サマにも これで何故自分が嘲られてるか位は解ったかな? 解らないなら恥の上塗りで傷広げる前に 2〜3週間ほどROMる事をお勧めする。
なんだバカ
>>194 が恥の上塗りか?
枝葉末節なんて誤魔化す前に訂正しておけよ。
間違ったこと書いてることは事実なんだからな。
間違ってないというなら資料持ってきて反論しろよ。
おや「口汚い」レスですことw 訂正も何も元々それ書いたの「アメリカ第一海兵師団」だし それを「ノモンハン」に引用したのはアルヴィン・D・クックスだし。 まぁ国士サマにとっちゃ悔しくてしょうがないんだろうけど 彼らがこう評価したっつー事実までは変わらんしなぁ。 で、「訂正」? そうさなまずアメリカ第一海兵師団に訂正要求出して その上でクックス及び「ノモンハン」版元の朝日新聞社にでも削除要求でも出せばw
頭の悪いお前にはわかり易くいってやる。
>>170 >「劇的な戦術が好き」な事を示したが、
ガ島戦で日本軍が↑だったと明確に示されてある資料を出せよ。日本側の記述でな。
例として挙げる時に
その例に不適切な表現が含まれていたら訂正してやるのは別におかしくないだろ。
誤った表現をそのまま引用してはその記述の信憑性すら失うことになぜ気づかない。
>>197 で、自分自身の前提認識が間違ってる事もいい加減認めたら?
>>198 あ、キミはそうやって
「自分は何も知らない。(そのくせ人の正論に噛み付くとw)
文句をいうなら引用元に言ってください。」
と逃げるわけねw
普通、引用するならその正誤を確かめるのは常識だよねぇ。
で、その常識すら行なわない人間は叩かれて然るべきなんだけど。
>自分自身の前提認識が間違ってる事 だから具体的にいえよ。誤魔化さないでさ。
>>199 何で「外国人の評価」を紹介するのに
「日本側の記述」がいちいち必要な訳?(ポカーン
>>170 のレスの内容は「外国人の評価」の紹介であって
「評価の対象となった事実」ではないと思うんだが?
キミほんと視野狭いね。
書かれた文章は読めても、その文脈が読めないんじゃぁね。
キミみたいなヒト(*”人”ではない)の事を
「実質的識字力がない」って言うんだよ。
>>201 問題の
>>170 を見てみよう。
>それを言うならやはり負けた日本の歩兵の根性も賞賛されてただろ。
>ただしお前さんと同様の”評価”を
>「日本兵の根性」に対しやる外国人もいる。
>
>例えばクックス「ノモンハン」の下巻P.369には
>次のような外国人の”印象”が紹介されている
”評価””印象”
お前さん、他人のこういう物まで単一の見解以外は認めないのかい?
それこそ旧ソ連初め共産国家にありがちな「官製史観」紛いじゃんw
てゆうか国士サマが必死こいて唯一無謬のものとする
>>174 って
要は「日本側の事情」に過ぎないじゃない。
つまりは片面の真理に過ぎないわけ。
一方
>>170 は同じ出来事に対する「米軍側の印象」を引用している。
これも片面の真理には違いないが、
>>170 は「外国人の印象」について語ることを予め断っている。
従って
>>170 が文脈上「米軍側の印象」述べるのは当然だが
それについてスレ本題でもないのに、「日本側の事情」を語るだけでなく
「米軍側の事情」まで「間違い」と強引に決め付ける偏狭さが
「枝葉末節」と叩かれてる訳だが。
まぁ皆そう叩くな。 愛国の至誠に燃える国士サマが 敬愛してやまない無敵皇軍に対する否定的な言辞に ついカッと来て義憤に我を忘れてしまったんだろ。 国士サマもここいらで頭を冷やせ。
あーそうね。
俺があまりに
>>170 のレスの部分しか見えてなかったね(馬鹿)。
俺の勘違いです。駄レスばかり書いて申し訳なかった。
ちょうどガ島戦を調べてたんで早とちりしてしまったわ。
一木大佐や辻中佐ですら夜間の万歳突撃が無謀だと現地で判断していたにも係わらず、
日本軍=無謀な夜襲 という考えに凝り固まっている人間を相手していたら
視野狭窄に自身が陥ってしまったな。本当にスマンかった。
解れば宜しい。
まあ、でも今回の国士様は 「クックスはサヨ。信頼に値しない」と言い出さないだけ 以前出てきた同類君より少しはマシなのかな。 単に読んでなかっただけ、という可能性もあるが。
>>177 勝敗の差異
日本・多少なりとも人命尊重300万人が死んだ所で降伏
ソ連・兵士の損失全く気にしない2000万人死んでも勝てばOK
日本の最大の敗因・昭和天皇が国民思いの慈悲深い君主だったからw
一応断わっておくと私は
>>165 ではないよ。
むしろ、国士様からは嫌われる側の人間だ。
改竄していたり、都合の良い抜き出しをしていると訂正するからね。
蛇足だがロシア兵(ソ連兵)の強さにはこんなジョークもあるね
ソ連の将軍とドイツの将軍とフランスの将軍が会合して、どの軍隊が一番勇敢かという話になった。
そこで、それぞれの部隊に崖から飛び降りるように命令を下すことにした。
フランスの部隊は将軍に命令されると、泣いて命乞いを始めた。
ドイツの部隊は命令される、「なんでそのような命令をするのか、納得のいく説明をしてほしい」といって将軍に食って掛かった。
ソ連の部隊は命令されると、「ダー(はい)」と答えて飛び降りていった。
ここではソ連兵であるが
たしかヴィルヘルムとツァーリのやり取りでも同じようなジョークがあったは
日本軍なら将軍が自ら部隊の先頭に立って飛び降りそうだ・・・
>>209 正直
>>198 で「版元=朝日新聞社」って出した時点で
「アカピーはサヨ」って煽りがくることを予想したがな。
>>211 >改竄していたり、都合の良い抜き出しをしていると訂正するからね。
随分鼻息が荒いが
せいぜいまた斜め読みした結果早とちりして恥の上塗りしなさんな。
>>211 続きを考えてみた。
中国の部隊は命令されると、一斉に逃げ出した。
アメリカの部隊は、ロープを使って降りた。
イギリスの部隊は、とりあえずお茶の時間にして将軍の気が変わるのを待った。
日本の部隊は、体に手榴弾を巻きつけて飛び降りた。(善意バージョン)
日本の部隊は、周りにいた一般住民を突き落とした。(悪意バージョン)
いや、日本軍は誰も飛び降りない みんな既に餓死していたから。
217 :
名無し三等兵 :2006/04/17(月) 08:16:32 ID:sr7H1H9x
>>212 日本軍は将軍が「あとで小官も必ず行く」と部隊が全員飛び降りてから
将軍と高級幕僚が飛行機で台湾に逃げ出すのでないかい。
日本兵なら切腹かな。
>>211 日露戦争勃発前の事件。あるロシア人将校が、あるロシア兵を拳銃で射殺した。
殺害理由は、客として訪れた外人将校用の馬が足りなかったので、その兵士の
乗っていた馬を使うため。一人殺せば馬が一頭余るから。
それを知った日本陸軍は喜んだらしい。兵士をゴミのように扱う軍隊では士気も最低だろうと。
(正解でした〜)
>>145 個々の戦闘力は日本側の方が上だが、ソ連軍の物量が問題というわけだな。
いや、兵士を「一銭五厘の使い捨て」として扱う軍隊では士気も最低だろうと・・
まあ、一銭五厘で集めはしたが、 訓練された兵隊に一銭五厘の価値しかないとは流石に思ってはいなかった
味方の大虐殺をやるロシヤ軍やシナ軍とは正反対だな そもそもロシヤ軍のは、後ろから共産党の処刑部隊が機関銃を突き付けてるから 突撃してるんであって、決して兵の優秀さで勝ってるわけではない 兵が優秀でなくてもいいから、指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない
>指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない 辻〜んや牟田りんはジューコフ以下だとおもふ
>>224 「以下」だとジューコフレベルに含まれる可能性があるという事になってしまうので
「未満」のほうがいいと思われ
>兵が優秀でなくてもいいから、指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない 兵が優秀でなく指揮官の質や作戦、理論にも見るべきものがなければ 普通は負けると思うが? 機関銃突きつけられた恐怖心だけで戦争に勝てるなら 督戦隊は全世界に普及させるべきだな。
>>226 >指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない
その通りだから大戦勃発後、ソ連軍は連戦連敗だったわけだな。
ただしジューコフは有能さを惜しんだ周囲が極東に「左遷」して、スターリン粛正を免れたらしい。
>その通りだから大戦勃発後、ソ連軍は連戦連敗だったわけだな。 独軍側の奇襲の利と兵力運用の巧みさの問題だと思うが? 大体、 >指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない なら、おまけに >兵が優秀でなくて なら、尚の事そんなソ連軍にすら負けた日本軍って何?
>>219 ノモンハン事変当時もそうだったらしい。> 兵はゴミ
「破壊された装甲車を見ると、外蒙兵が足首を鎖で縛られて逃げられない状態だった」
「ソ連軍は戦車に外から錠をしtげ逃げられないようにしていた」「督戦隊」
「交換で帰国したソ連捕虜は処刑」「捕虜となったロシア兵の家族も処罰」(スターリンの指示)など
対ドイツ戦でも・・・ 「ドイツの捕虜になったソ連人五五〇万人は帰国と共に (略)その後、ほとんどが消された」 『スターリン』ニコライ・トルストイ著
なら、尚の事そんなソ連軍にすら負けた日本軍って何?
日本陸軍の場合 ソ連側との捕虜交換にて。 「諸氏は万事尽きて敵の手に落ちた者、軍人としてはまことに同情に堪えない。上司におかれては 特に諸氏を『帰還傷病兵』待遇を以て今後取り扱うから、決して軽挙妄動をしてはならない。 もう心配はいらない。今夜から枕を高々と安心してゆっくり寝てくれ。 長い間さぞかし辛かったことだろう。御苦労だった」 出迎えた第六軍参謀長 藤本少将 「みんな涙で聞きました。」 「ノモンハン会報10号」 虎田八郎氏
そういやノモンハン戦で捕虜になった日本将校って 自決を強要されたよな。 兵隊は兵隊で長期隔離の上、復員しても地元で村八分。 まぁ収容所に送ったり銃殺するのと 生きながらにして延々地獄味あわせるのとと どっちがマシかとか言う以前に 日本も捕虜になった自軍兵士の扱いじゃ 余りソ連の事をいえないと思うが?
将校は責任者だからな〜今でも東条英機を非難してるヤシも居ることだし。
ところでソ連軍と日本軍の戦力の格差だが、日本側の「(戦争)不拡大方針」と言うモノがあった。 事変の大規模戦争への発展を望まず、できるだけ平和理に収束させたいと言う日本側の意図。 それをスパイ活動でソ連側にリークした人物が居る。共産主義者である尾崎秀美で、彼はスパイ・ゾルゲを 通じてソ連側に日本政府の意図を通報した。 日本側に全面戦争に訴えでる意図もなく、投入戦力に制限が有ることを事を知ったソ連は、逆に大兵力を ノモンハンに集結させ総攻撃を仕掛けてきた。 ノモンハンに派遣された小兵力の日本軍は、当然の結果として戦線を支えきれずソ連軍に大損害を 与えたものの後退する結果となった。 情報・諜報戦の重要性と共に、尾崎秀美を熱狂的な共産者に変貌させた共産イデオロギーと宣伝戦の威力。
・最初は、捕虜に対しては寛大な措置がとられることになり、 処罰を恐れて心配する捕虜達は入院後、落ち着きを取り戻した。 だが、中央当局が下した判決は結局その反対であった。 特別施設が吉林に作られ、そこで厳重な取調べを行う事になった。 この新京陸軍病院新站分院では、患者は患者として治療すべきはずなのに 医療関係者は一人残らず厳選した将校と兵に代えられた。 軍医の不満をよそに、憲兵が衛生兵に化けて尋問をしたりした。 (クックス「ノモンハン」p268。 なお参考文献として陸自「大東亜戦争陸軍衛生戦史」) ・吉林に収容されていた捕虜についての詳細を、公守嶺に駐屯していた ある憲兵がその有利な立場を利用して再現している。 (略)新站分院は憲兵が警備していたが、分院の中央にある大部屋には 四十〜五十人の兵が収容され、二,三人の将校には個室が与えられていた。 階級章をつけているものは一人も無く、 名札の白布を着けているだけだった。 特に罪状が思いと思われる捕虜に対しては 留置場のような小部屋が七部屋、急場しのぎに用意されていた。 これら悲惨な在監者たちは、半ば死んだも同然の状態で、 治療も殆ど受けていないようだった。 (略) 大部屋に入れられた患者達は、健康状態には問題が無いように見えたが、 今後の自分の運命に不安を抱いていた。 憲兵二人が二十四時間態勢で警戒にあたり、 ちょっとした私語をささやくのも禁止していた。 (同p271-271)
>>235 にも拘らず中央の意向を無視し暴発した挙句
コテンパンにやられた関東軍の現地指揮官や参謀って
>指揮官の質や作戦、理論にみるべきものなどない
ソ連軍に比べ下の下だな。
>>237 >にも拘らず中央の意向を無視し暴発した挙句
自衛の為の戦闘は暴走ではないが? 今の自衛隊でも行う当然の行為。
最近は崩壊後に公開された旧ソ連の資料の解析も進んでる > 3)スターリンの狙い > ・ソ連が国境侵犯軍事行動を起こした(具体的にはスターリン主義者、チョイバノレサンに命じて)のは外蒙支配維持のための死活をかけた国家的な理由からであった。 > > 4)関東軍(特に辻政信)の好戦的・侵略的な方針が、小紛争を拡大した・などという五味川純平・半藤一利ほかの論は、 > スターリンの潮笑を誘う天下の愚論であろう。「侵さず侵されず」が侵路的方針だと言う彼らの主張は、世界に通用しない痴呆的な妄言である。 > 戦死傷者: > > 日本軍 17,405名 > ソ連軍 25,655名 > (ソ連側損害数は「ロシアの記憶」モスクワ軍事出版杜1998より) > > ・ソ連側の損害は25,655を更に大きく上回っていたと推測できる情報(ソ連側の発言を含め)多数あり > ・五味川は、日本軍の損害は書くがソ連軍の損害はほとんど書かない。(たまに触れるときは、 > 「こういう敵損失を累積すると、敵は十倍の兵力を持っていても足りなかったことに一一」など否定的に書く > > 圧倒的に優秀なソ連軍に日本軍がメタメタにやられたかのような印象を与える書き方である。数も多く圧倒的に > 優秀なソ連軍が、ではなぜ日本軍の1.5倍もの損害を出したのか、何も説明できない。 > 要するに局部を強調する「ウソ」の一種が五味川小説であるということである。
> 航空機: > > ソ連機1,673機撃墜爆砕(うち高射砲で180機、戦車で26機、歩兵3機撃墜) > 日本側損害;未帰還機77機、大破102機、計172機 > > *「出動回数50回、延べ300機を越えたが、出動中の全損害は3機で敵戦闘機による撃墜は皆無であった。」 > (野々垣四郎飛行61戦隊付大尉、ノモンハン・ハルハ河戦争国際シンポにて) > 戦車装甲車:' > > ソ連側800両以上、目本側29両(内修理不能13両) > ・目本軍の89式戦車の装甲17ミリはソ連軍の戦車砲で簡単に破壊されたが、89式戦車の57ミリ単身砲では > ソ連戦車の装甲を破壊できなかった(五味川P.83): > 実際は、戦車同士の戦いで、日本軍戦車の被害0、に対して、戦果66。ウソを平気で書く五味川。 > > ・千米以内に入れば日本の速射砲は百発百中だつた(軍曹前田義夫)
> 勝敗: > > ・3倍の兵力を動員した反撃態勢を整えていたにもかかわらず、突如として反撃作戦が禁止されたため、敵のハルハ河右岸占領を許してしまった。 > (戦争目的に照らせば負けとなる) > > ・しかし、ノモンハンの日本軍の強さがスターリン、ソ連軍にいかに強烈な印象を与えたかは、ソ連が対日参戦に異常な慎重さを以て臨んだ > (3倍の60個師団案では出動せず4倍の80個師団を動員して初めて攻撃)のを見れぱよく分かる。 > > ・ジューコフがミシガン大学のハケット教授や新聞記者と会談したときに「元帥の軍暦の中でどこの戦いが一番苦戦でしたか」と > 聞かれ即座に「ノモンハンの戦い」と答えたとのことである。
> 1)ノモンハン事件をたいして価値のない土地を争って多大の血を流した愚かな戦と見るのは、大間違い。
> なぜソ連が、あれほどの戦力を大動員して投入してきたかを考えて初めて正解がでる。
>
> 地域としても、ソ連軍180万が3方向から満州に侵入して来たときの中心はザバイカル方面軍であり、その発進本拠は
> ハルハ河左岸に置かれていたことをみても戦略的にも重要な地域だったことが分かる。
>
> 2)ノモンハン戦ソ連勝利(表面的には)は、中国の反日勢力に強力な精神的支援を与え、日支事変を長引かせることに貢献した。
> また社会主義の優越性(:日本軍の愚劣さ)の証明として当時からそして現在に至るも有効活用されてきた。五味川はその犠牲者?宣伝マン?
茂木弘道
ttp://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu71.htm
本来なら放置すべき単なる国境付近の散発的戦闘にも拘らず 5月15日、自国主張の国境線(ハルハ河)すら越境し、 蒙古側国境警備隊哨所への航空攻撃を行なったのは日本側。 ましてや「自衛戦闘」で1個連隊もいきなり出した日には どう好意的に評価してもせいぜい「挑発に乗った」レベル。
>本来なら放置すべき単なる国境付近の散発的戦闘 国境付近の「戦闘」を放置してイイのか? 重大事と思うが。今なら尖閣や竹島付近でナニか置きそうだが放置しるって?
>>244 まぁ「放置」は流石に言葉のあやだ
「極力相手を刺激しない」に変えとこう。
いずれにせよ「不拡大方針」「侵さず侵されず」といいながら
自ら拡大を招いたのは
>>243 で述べたとおり日本側。
ソ連よわっ
>>246 明らかに「紛争を拡大」しているのはソ連側だが。その証拠に大兵力を集めて大規模戦闘に発展させている。
>>247 アホな奴
自分等が勝てなかった相手を幾ら罵った所で、
そんな連中にすら負けた自分等を貶めるだけって事に何故気づかない?
お前等のやってる事は、
かつての宗主国日本を口汚く罵る半島人と変わらん。
>>15 >>16 にあるように、勝者でありながら
日本軍の勇戦敢闘を称えたソ連側の度量を少しは見習え。
>>248 時系列的に先に拡大のきっかけを作ったのは日本側。
>>249 >かつての宗主国日本を口汚く罵る半島人と
ソ連は日本の宗主国じゃないが、、、馬鹿?
>日本軍の勇戦敢闘を称えたソ連側
ウソウソ。ソ連崩壊まで都合の悪い資料を捏造し、隠蔽し、尊大なまでに
自国と共産主義の優越性を宣伝してたのがソ連・共産党
>>250 敵の侵略に対し、日本側が一人でも兵を派遣したら、「先に拡大のきっかけを作ったのは日本側」と喧伝する手合いだな。
ミニ、ゲッペルスもどき。
>>251 宗主国じゃなくても負けたじゃん。
つーか普通の読解力じゃそうは読めないと思うが
お前、国語とか現代文の成績悪かっただろ。
>>252 別に俺は、「ノモンハンは日本側の侵略」等という気は無い。
しかし、係争地における国境付近での散発的戦闘では
原則現地守備隊以上の兵力展開を行なうなどの
相手側を刺激する行動はとらないのが鉄則である。
にも拘らず1個連隊からなる東支隊を投入したり、
日本側主張の国境線すら越境し爆撃を行なったのは、
現地部隊の暴走としかいえない。
何故、大抵の国で国境警備隊が正規軍と別枠で置かれ、
現在韓国が不法にも竹島に駐留させてるのが警察官か解るか?
そういう国境警備上の原則を無視し、
無謀無策にも大規模な正規軍を先に送り込んだ時点で
日本側は愚かにもソ蒙側の挑発に乗ったとしか評価できんね。
まぁ国士サマ方はだ、 贔屓の引き倒しと負け惜しみに必死になる前に 相応の国際常識を身に着けてくれや。
警察を1個連隊規模おくれば問題なかったと ・ ・ ・ 馬鹿でごめんね
いやホント馬鹿だわ
それが国士サマクオリティーw
ソ連が戦闘機と車両の配備数すらをも上回る損害を被っている事について というか日本軍は存在しないはずの戦車や戦闘機を数多く撃破している不思議軍隊
>>258 それはソ連軍の撃墜報告にも全く同じことがいえる。
まさかソ連側だけは正確とでも?
>>239 その「戦死傷者」というあたりにトリックがある。
その数字は戦死だけではなく「傷」の字が入っているとおり負傷者までも計上した数なのだ
内訳は、ソ連は負傷者の数がやたらと多いだけで、何と死者の数は日本のほうが多い
さらにソ連は負傷者の数が死者の二倍から三倍ほどもあるのに、日本側は死者と負傷者の数が
ほぼ同じ程度、つまり日本軍は負傷者でもなかなか前線から下げられなかったということを示している。
>>258 なるほど
>>245 の謎は解けたなw
>>259 別に俺は
>>258 じゃないが、そういう訳でもあるまいよ。
大体このスレでも
>>25 が喝破して久しいが
そもそも戦争はキルレシオで勝ち負け決まるわけではないからねぇ。
まぁ
「数を恃む弱兵ソ蒙軍に善戦虚しく惜敗した悲劇の精鋭日本軍」っつー
糞の役にも立たない愛国オナニーに浸りたい向きには
キルレシオやその元になる損害の値って物凄く重要なんだろうけど。
>>259 だからといって
>>240 みたいな言説をのさばらせておいてはいかんだろ
それの数字は全部日本軍の報告だな
>>260 投入した兵力が桁違いでなので交戦地域一帯をソ連側が占領。
だからソ連側は負傷者を後方に送れただけなんですけど?
こんなの常識でしょ。何的外れなこといってんの?
つか、過去のノモンハンスレでも何度となく指摘されていることばかりなのだがな。 ・戦争の勝敗は死傷者の多寡ではない ・双方の出している「戦果」の数字は信用できない ・「損害」の数字ですら、粉飾が含まれている可能性がある
日本軍の戦車の損害がやたらと低い理由も、戦うたびに全滅しかけるくせに 高価な兵器だから、初期の段階で戦闘から外されたのが一番大きい
日本軍の戦車はすぐ回収して修理できたからだよ?
>>264 誇張や粉飾の類の一切を廃したとしても日本が勝利したとは、
絶対に言えないというのも散々指摘されてましたね。
>>266 すぐ回収して修理できたから戦闘に参加させなかったのか?
なんか意味不明なんだけど
>>265 確かに6/29ハルハ側に向け進撃開始
同30日ハンダガヤに到着後戦闘開始
7/7転進じゃぁなぁ。
>>266 当時の戦車第4連隊長玉田大佐等の回想によれば
ピアノ線に引っかかり行動不能になった所を
撃破される車両が多かったようだが?
ところで重機材や戦車回収車の類が皆無に等しい日本軍で
撃破された戦車をどうやって回収したのかね?
まさか敵弾下大勢の歩兵が人力牽引?
煽りじゃなくて非常に興味深い話題なので
ぜひともソース付で説明してくれたまえ。
確かに。
>>263 によれば「交戦地帯全域をソ連側が占領」してたのに
その中どうやって攪座した戦車を回収できたんだ?
>>239-242 長々と引用乙…と書こうとして最後でコケた。
茂木弘道かあ。
以前の皇軍太郎といい、今回の国士様といい
自分の頭で考える習慣のない連中は
芸にキレもコクもない民族派wの引用で
楽しいんだろうか、と疑問がわいてくるなあ。
>265 というか、そもそも投入された戦車が80両くらいしかないんだから、どう間違えても それ以上の損害は出ようがない、というだけのことでしょう。 損失数が少ないと威張るより、それだけの数しか投入できなかったことを嘆くべき 数字の筈なんですけどね。
>>273 その引用サイト損害数のソースにはなっても
回収には一言も触れてないようだが?
いずれにせよ
>>263 とは矛盾してるな。
>>274 それもあるが実際に日本軍の戦車は初期の戦闘にしか参加してない
戦わないなら損害が少ないのは当たり前
上層部が戦車を前線から下げたのもこの調子で戦わせるとあっという間に
全車両をすり潰す事になると判断したからだろ
まぁ約4ヶ月に及ぶ戦いの内
僅か1週間(
>>269 参照)しか出てないからなぁ>日本軍の戦車
>>275 回収の話はネット上には見当たらないが
戦史叢書 関東軍1 対ソ戦備 ノモンハン事件
に整備の話としてあったので自分で調べなさい。
参考文献挙げてもらって調べられないとかぬかすなよ。
投入された兵力が桁違いなのだから上層部の判断も強ち間違いではないですね。
航空戦では旧式の複葉機までかり出して
太平洋戦争で空中勤務者(戦闘機)が緒戦から不足していましたから。
>>274 日本とソ連の損害率を比べることもできないのか君は?
日蘇の国力差から全てがソ連優勢なのは当たり前なんだよ。
>>278 >投入された兵力が桁違いなのだから
>上層部の判断も強ち間違いではないですね。
>日蘇の国力差から全てがソ連優勢なのは当たり前なんだよ。
にも関わらずソ蒙が全力を出さないとの自分勝手な思い込みの元
軽率にも挑発に乗った当時の日本軍上層部は愚かだって事じゃん。
50レス近く費やし漸く元々の話題に戻ったなw
>日本とソ連の損害率を比べることもできないのか君は?
>>25 や
>>261 や
>>264 や
>>267 で散々言われてるが
比べても意味無いじゃんそんなの
パーフェクトゲームだろうが薄氷だろうが負けは負け。
「確かに負けたけどこんなに頑張ったんだ」なんて
オナニーしても何の意味も無いの
ましてや「あいつ等は実は弱かった」なんて負け犬の遠吠えやるなんざ
却って自らの弱さをよりみっともなく触れ回るような物。
>>279 でも明らかに日本軍より長い期間居るよな。
大体四ヶ月=約120日の内の1週間=7日って何?
戦争の全期間の僅か6%しか戦場に出ない戦車部隊?
それって独立機甲兵力としても歩兵支援兵力としても
対戦車兵力としても話にならんな。
それともそれも
「日蘇の国力差から全てがソ連優勢なのは当たり前」って事にするか?
なら国力差が違う相手に(ry
>>282 キミみたいに当時の現状を碌に知らずに
後知恵の話しかできない人とは話が平行線のようだな。
血の滲むような辛苦に耐えて国産戦車を開発した話なども知らないんだろうね。
戦記本の一つも読んだことがなさそうだ。
>>283 ソ連、ロシアの方が国力で上回るのは日露戦争以前からの変わらぬ事実
それにこっちからけんか吹っかけて、国力差のせいで負けましたって
アフォですか?
日本は血の滲むような辛苦に耐えて国産戦車を開発した 一方ソ連はアメリカからクリスティー戦車を輸入してコピーしたw
>キミみたいに当時の現状を碌に知らずに
>後知恵の話しかできない人とは話が平行線のようだな。
「当時の現状」に思いを致し、「先人の苦労を偲び」、
その結果当時の日本の欠点に眼をつぶり、
代わりにこれでもかとソ連をこき下ろせ と?
随分と非生産的な歴史検証だな?まるで半島人だ。
>血の滲むような辛苦に耐えて
>国産戦車を開発した話なども知らないんだろうね。
で、結局そういう情緒論で流すか。
その結果その国産戦車が兵器として役立たずで、
幾多の将兵が実際に血を流し辛苦を味わった事実は知らんぷりか。
情緒論で歴史を語りたいのなら極東板ででもやりたまえ。
それとも
>>281 で紹介されてる所にでも行けば?
イージスとやらからすれば百万の援軍を得たようなもんだろ?w
>>283 当時の現状って?
僅か七日間で全体の三割に及ぶ戦車が撃破されて、回収できたのはその六割程度
この調子で戦えばあっという間にすべての戦車を失うのは目に見えてるから
戦わせない事にしたんだろ、つまりはノモンハン勝利説によく見られる日本の戦車の優秀さなんてのは
幻想に過ぎない。
>>283 >戦記本の一つも読んだことがなさそうだ。
キミは戦記本を「文学」として読み、情緒的に歴史を語るようだが
あいにく俺は戦記本を「記録」として読み、論理的に語るつもりだ。
なるほど「平行線」だな。
>>286 >後知恵の話しかできない人とは話が平行線のようだな。
ここは「後知恵」を語る板ですが何か?
「歴史」を語りたいなら日本史or世界史板へ。
「歴史」への「政治的心情」を吐露したいのなら
極東板辺りへお引取り願います。
>国力差のせいで負けました
ああ、厳然たる事実だな。
誰も当時の陸軍、関東軍に問題がない、などとはいわないよ。
事件への対応や作戦指導の拙劣さは勿論、
戦略的敗北であることは明らかなのだから。
ただあまりに否定的でソ連崩壊後の資料を持ち出して
寡兵ながら戦果を挙げたという史実すら
「で?負けは負けじゃん」では
当時前線で敢闘して死んでいった将兵が浮かばれないだろ。
上の
>>280 のようなふざけたレスは
戦い、生き残った兵の
「ああ、みんな死んでしまったなぁ」
という述懐などを知った上での発言なのか?
じゃぁキミはこのスレで何がやりたいの?
戦没者の鎮魂でもしたいなら靖国なり近場の護国神社なり
忠魂碑なりでやっとくれ。
まぁ俺も個人的心情としては戦没者はいたたまれんとは思うよ。
だからこそ次は負けない為にも
欠点は欠点としてみるべきじゃないのか?
それがあの戦いに限らず、戦没者への真の追悼だと思う。
ただし味方の戦没者への惻隠の情に流された結果
敵方の評価を誤ることがあってはならないと思う。
「russia」を「ロシヤ」と標記する奴の一連のレスとか
>>220 >>227 >>229-230 >>239-242 >>247 >>251 あたりみてると
かなりそういう情緒的なソ連蔑視が見受けられるんだが?
で、他の板は知らんが、
この板じゃそういう情緒論で他国を侮蔑する奴は蛇蝎の如く嫌われる。
>>286-289 是非、戦争に参加された方の前でそのような発言をしてほしい。
ただこのような匿名のネットで偉そうに高みから発言するのでは
キミがただの内弁慶のようにしか見えないからね。
私は実際に戦争を体験された方によくお会いして話を伺うから
そんな侮蔑ととれる発言は口が裂けてもできない。
戦争を体験していない人間だからね。
なんだ結局酷使さまの浪花節かよ。 >是非、戦争に参加された方の前でそのような発言をしてほしい。 虎の威を借る狐 か。
おいおい、双方話がかみ合ってないから・・・ これ以上は接点の範囲で会話するか、雑談にでも逝ってやってくれ
パウル・カレルねぇ。 あれも最早「唯一絶対」の史料じゃないからな。
とりあえず国士様が 泣き落としに出るしかない所まで追い詰められた事は良く分かった。
>>297 >記録として客観的にみて上で
>>280 の言葉は冷静な発言といえるだろうか?
冷酷ではあるが事実。
>戦争に参加された方の前でそのような発言をしてほしい。 ならオマイはアメリカ、ロシア、中国で戦争に参加された方の 前でそのような発言してみろよwww
その3,4人の中に分かりやすい荒らしが一匹いるな。
>>298 とか
>>301 とか
レスに国士様とかwみたいな低俗な書き込みがあるからすぐ分かる。
日本軍の実力を過少評価したがる御仁が多くていらっしゃるw 論破されたら涙目で「酷使様」とレッテル張りですか 日本軍の戦車は29両しか撃破されてません。ロシヤは800両でした。どっちが多いですか? 半藤はロシヤの戦車に日本軍が「刃が立たない」といいました。 では撃破されたロシヤ戦車は誰にやられたのですか? 勝ったはずのジューコフが左遷されたのはなぜですか? 勝ったはずのロシヤが満州国を承認したのはなぜですか? 全部答えろよこのドブネズミ 五味川や半藤みたいな共産党シンパをソースにするんじゃねえぞww
どうした?馬鹿ども 反論もできんのか? 負けたなら負けを認めろよな。ロシヤ軍みたいに負けたのに勝った勝ったとかいうなよwww ちゃんとここで負けを認めるんだぞ。日教組のWGIP班。 日本と日本兵を貶める蛆虫どもに300スレも提供しちまって鬱だ
306 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 04:22:45 ID:B/8qfcb8
豚ども。ここ見てるんだろ? ROMってないで謝れよ、日本軍人達に。 1日だけ待ってやるからここできtんと謝罪しろ!
まあ、ドブネズミとか言うな 戦車投入数総数が500両程度、ソ連の被害は装甲車両全部で300両程度ではなかったかと思うが? (今資料探せなくて両方が戦車の数で無くて申し訳ない) 対して日本は70両程度の投入で、お説の29両の損害という所、 他に東捜索隊が軽装甲車10両程度(だったかな?)全滅 まあ、日本はソ連側が対策車両を出す前には歩兵の近接攻撃(火炎瓶)で 「さながら日本海海戦の如し」という具合にやっつけてる 半藤もそんなことを言ってなかったかな?いやあれは友達の秦の方だったかも知れない まあ、ディーゼル、金網付きの対策車が出てきても94式速射砲なんかで 充分対応可能だったし、野砲、連隊砲なんかでも撃破していたはずだ だから歩兵や支援火力、陣地防御火力を中心にした対戦車戦闘は大変健闘している 一方で、日本の戦車がマトモに役に立ったということも無いし半数がヤラレてる 最初にちょっと使って、役に立たないからもう使わなかったというのが実態に近いと思うよ ソ連が満州国を(事実上)承認したのは、交渉に当たった東郷の手柄だな 日ソ双方の面子の問題にならないように満州国とモンゴルの揉め事にすり替えたんで、 向うさんも乗り気になったわけだ もっとも、ソ連の方は主張する国境線が確認され、当初の戦争目的を達成してる 日本側は予防戦争をやって、一撃により極東におけるソ連の行動を封じようとしたわけだから その目的は達成されてない 何度も既出だが、戦争とは被害の多寡で勝敗が決まるものでは無いと思うぞ
308 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 04:40:41 ID:B/8qfcb8
日本兵と ロシヤみたいにパクリでなく一からオリジナルで国産戦車を発明した先人への 謝罪マダー?(チンチン
309 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 04:42:19 ID:B/8qfcb8
>>307 半藤トンムマンセー、まで読んだ
もうええわ。厨房には期待せん。飽きたから寝る
日本側は敵歩兵の布陣が終わる前に戦車を突っ込ませようと画策し ソ連はこれに戦車や装甲車で迎撃したわけで、日ソ共に理に適った使い方。 双方の戦車を交換して当たったら、BT装備の日本軍が有利だったろうから 機動侵攻用のBTの利点というか、対戦車戦闘に向かない八九式の不利が判る。 逆にソ連軍攻勢では八九やチハで攻め寄せてたら被害は少なく戦果は大きかったろう。 肉攻に強いディーゼルと大口径砲の威力を求めた歩兵支援用戦車の利点だな。 結局日ソとも満点には程遠い戦車だったということじゃないかと。
歩兵支援用大口径砲と自称したければ 1930年代末でも少なくとも7.5cm以上ないと駄目だよ。 ディーゼルの優位性を過大評価している椰子が多いが 戦闘行動中の戦車の機関室はその熱で蒸発した燃料が充満していて 発火性という点ではガソリンも軽油も大差ないんだよ。 それと対戦車戦闘を肉攻に依存している段階ですでに終わっている事をいい加減自覚しなさいな。
ふぁ〜あ よく寝た。 ところでお前等寝ないのか?特に国士サマ。 生憎俺はこれから仕事でねぇ。 夜中と平日昼間だけは元気な「ロシヤ」嫌いとせいぜい毒づいてろw
313 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 09:32:24 ID:I3gjjkww
>>5 >戦訓を生かすならばソ連との友好を深めるきっかけにすべきでした
現代にも通ずるロスケの節操の無さからいえば、友好を深めても、終戦間近の
宣戦布告はやられてような悪寒がします
ところで今知ったんだが、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」を作った司令官は、ソ連軍満州進入と同時に
邦人民間人を見捨てて、自分の家族だけを連れて司令部を離れて、のちにソ連の捕虜になったと聞きました
なんて名前ですかね? こいつの名前さらして、ネット上は朝鮮人並みの扱いでいいんじゃないすか。
>>311 肉攻に依存はしてないけど。
速射砲あるし。
自作自演が多すぎるな、このスレw バレバレ過ぎて読んでて痛くなるからやめろよ。
「国士様」とか書いてる奴な。「国士サマ」、「酷使様」とか書き方を変えて さも別人のように装ってる所がチンケでgood。
全然流れ読まずにちょっと質問したいんだが、 最近出てた独ソ戦車戦シリーズのノモンハン戦車戦ってどう? ソ連の損害を微妙に無視してるんじゃ・・・みたいな話を前に ちょっと聞いて迷ってるんだけど、このスレ住人的にはどんなもんなんだろ。
315 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/19(水) 10:49:57 ID:??? 自作自演が多すぎるな、このスレw バレバレ過ぎて読んでて痛くなるからやめろよ。 316 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2006/04/19(水) 10:52:54 ID:??? 「国士様」とか書いてる奴な。「国士サマ」、「酷使様」とか書き方を変えて さも別人のように装ってる所がチンケでgood。 ID出してみろよw
すげー、常駐してるよ
320 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 17:30:50 ID:zJcM6tHn
なにが面白いんだろうな と晒しあげ
とりあえず「国士」とかで検索かけてこのスレに来たんじゃねぇかw ノモンハンの話を全くしない荒らしがいるからな。
>>304 ソ連じゃ負けても左遷で済むが、日本じゃ勝っても指揮官は切腹なんだよな。
キビシーw
要するにソ連軍の計画的な大規模侵略に対し、日本軍が国土防衛のために戦ったと。 紛争拡大を避けた日本側は遠慮がちに小兵力を出したが、当然ながら衆寡目せずの結果となった。 戦闘で特徴的なのは、個々の戦闘力は日本側の方が圧倒的に上でソ連軍は大損害を被ったこと。 しかし戦後、日本軍は一方的に敗退し、ソ連軍はほとんど被害を受けなかったと捏造された宣伝が行われた。 少なくとも、こうした捏造・間違いは訂正しましょう。
ええと 上から下まで全部「捏造・間違い」ってことでイインダヨね
> 一.昭和一四年に起こったノモンハン事件といえば日本軍がソ連の進んだ機械化部隊のために大敗した戦として、
> 日本陸軍の愚劣さを象徴する事例にされてきた。
> 五味川純平の虚構に満ちたベストセラー小説が、いつの間にか常識化してしまい、教科書にまで
> 「ソ連は空軍・機械化部隊をくり出し、日本軍に死傷者二万人の壊滅的打撃を与えた」(日本書籍・高校日本史)と書かれているほどである。
>
> 二.これらは、基本的にソ連発表による「ソ連の損害九二八四名、日本軍の損害五万二千?五万五千」という情報をベースにしたものである。
> ところがソ連崩壊とともにこれはとんでもないウソであることが当のロシアから出てきた公文書によって明らかとなったのである。
>
> 三.ソ連の進んだ機械化部隊などというのも大ウソである。戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では全く問題にならなかった。
> また日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
> これに対して、日本戦車の損害は二九台である。航空戦でも、ソ連のイ15、16(布ばり機もあった)は日本の九七式戦闘機に対して
> 全く太刀打ちできず、一六七三機の損害を出している。これに対して日本側の損害は一〇分の一の一七九機である。
>
> (日本軍の苦戦は事実だが、少数の戦力ゆえ、当たり前)
>
>
ttp://www.asyura.com/biz0310/idletalk5/msg/137.html こうしたソ連による歴史捏造は正すべきだな
>>326 >日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
この大戦果は「戦車と装甲車」の合計だから間違えないように。
>>240 > 戦車装甲車 ソ連側800両以上、(撃破)
>日本軍が国土防衛のために戦ったと。 日本側の建前ですら「満州国」という 友好的ながら一応外国の領土だった国の領土争いが「国土防衛」?
>>328 つまり(満州国の)「国土防衛」です。当時は日本軍が担当してました。
関係ないが、今の日本はアメリカ軍が防衛してる (日本は憲法で軍隊を永久に放棄すると明記している)
スレ違いだが 憲法が放棄しているのは交戦権と戦力じゃないのか?
日本国憲法 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
>>332 満州国軍を検索するとウィンキの記事が出てくるから、それ読めば?
日満条約には内面指導権というやつがあってな、あとは調べてくれ
>>326 行進間射撃のできる戦車など当時の世界中どこ探しても存在しない。
休戦協定の結果ではソ連モンゴルの従来から主張していた国境線に ほぼ確定されたわけだから係争は先方の勝ちだろ 日本軍優勢の内に戦闘が終わったのならこんな結果にはならなんだろうに 日本兵の武勇は賞賛に値しようが、負け戦なんだよ たとえ十倍、二十倍の損害を与えていても敵がその損害を容認できる範囲 であれば戦果は仇花なんだよ
>>335 ソ連には無くとも、日本には有った。
> 1356 戦車砲の水平面内での動かし方について質問します。
>
> 旋回砲塔を持っている戦車で砲塔に対して砲を微妙に動かせる戦車砲を持ったものというと、日本の37ミリ、57ミリ、47ミリの各戦車砲くらいです。
> これは行進間射撃を重視していたためで、砲塔の旋回ハンドルとは別に肩当を使って微調整ができる仕組になっています。
>
>
ttp://www.warbirds.jp/ansqn/ansq03.cgi
>>338 あのね、それは砲手の技倆に頼っているだけであってね。
同じ腕前の砲手がいれば、ソ連戦車でも似たようなことはできるんだよ。
それから、日本戦車の肩当て式システムは、傾斜地にさしかかると砲手が砲身に振り回されたり、
あまり大口径の砲を装備できなかったりするデメリットがあることも覚えておいて。
って、これも以前のスレで書いた覚えがあるな。
ジューコフめベルリンで散々な目に遭いながら 一番苦戦がノモンハンとか馬鹿かよ
ジューコフがノモンハンは苦戦したと言っているのは、 日本軍が手強かったこと以上に、思うように補給が受けられなかったことが大きいのではないか?
モンゴル軍とか言う事聞かない、士気の低い部隊がたくさんいたからってのもあるかも
ベルリンは損害が多かっただけで勝ちは決まりだったからな。
>>340 結局、当時の日本戦車は行進間射撃ができたんだよな?
まあ、当時の戦車兵もそう証言しているしな。
>>345 出来たしそういう訓練もしていたようだな
但し、戦車砲というか戦車そのものの用途が歩兵の火力支援なわけだから
敵の歩兵を塹壕に貼り付けておくような精度の射撃が出来ると考えた方がいいんじゃない
双方が動いている状態で敵戦車を狙って当てに行くとかイメージすると違うような
>>347 ほんとだちょっと読んだけど面白そう d
ゆっくり読んでみる
肩当て式の照準システムは、3式中戦車からは廃止されているんだが、 これを元に、3式は97式より劣っていると主張するんだろうか?
350 :
ツッコミ1 :2006/04/20(木) 11:06:37 ID:???
>347 そのサイト面白いが・・・S/N比は低い。 >この当時の日本軍戦車隊の練度は、例えば射撃能力では、 >九七式中戦車の弾速が遅く弾道が山なりの九七式57o戦車砲を使った行進間射撃 >(移動後に急停止して射撃する。つまり移動と速射を繰り返す実戦的な射撃)で、 >射距離500mの距離における半数必中界 >(射撃した砲弾の半数が必ずその範囲に入る範囲:軍隊において火砲の命中率を算定する基本データのひとつとなる)が >1m以下(戦車が目標なら命中率は最低でも50%以上)、完全な停止射撃では0.5m以下(戦車が目標なら命中率はほぼ100%、 >バイザーブロック等が狙撃できる!)と極めて高いレベルにありました。 戦車戦での交戦距離500mは零距離射撃と同意義でこの程度の精度はあって当たり前。 それを”高いレベル”なんてマンセーにも程がある。
351 :
ツッコミ2 :2006/04/20(木) 11:15:04 ID:???
>つまり、上記のように射撃の有効性等を考慮した両軍の各種条件を含めて推測すると >基本的な交戦距離が500m程度に落ち着くのです。 日本陸軍戦車部隊指揮官は実戦経験よりBT戦車は1000mで50%の命中精度 一方、日本軍戦車は500mでも50%に過ぎないと考えている。 余程ソ連軍が稚拙でない限りソ連軍戦車部隊の基本交戦距離は1000m前後であろう。 何を言ってんだか・・・
352 :
ツッコミ3 :2006/04/20(木) 11:26:49 ID:???
>張鼓峰事件やノモンハン事変でのソ連軍歩兵の損害は、実際には日本軍の数倍に達することが判明した。 これはFAQでも取り上げているように日本軍にとって最も有利な数字とソ連軍にとっても最も厳しい数値の単純比較に過ぎない。 ちなみに当時の日本政府内での極秘会合では日本軍の戦死者は3万以上とされ、 米国政府の推定値もほぼ同様で、普通に戦死者の比較では日本軍の方が多いと言ったところ。 >しかもソ連戦車には、射撃命中率の問題だけでなく、 >人間工学の無視と練度の低さにより初弾発射速度も含めた主砲発射速度が極めて遅い大問題があります。 > カタログデータでは、6〜8発/分程度とされていますが、 >実質的な発射速度はその半分か1/3の2〜3発/分程度であることが多いのに加え、 >初弾発射速度の遅さに付いては定評があり、独ソ戦初期に装甲の薄いBT系列やT26戦車が、 >初弾発射速度と発射速度が共に速いドイツ軍戦車に先手を取られて、 >満足な射撃を行う前に次々と撃破される事態が多数記録されています。 ソ連戦車が発射速度でドイツに劣ったのは単純に人手の問題。 ドイツ戦車は専属の装填手がいたがソ連戦車にはいなかったという差である。 初弾発射速度は視察能力差である。 いずれにせよ日本戦車とソ連戦車は大差ない。
353 :
ツッコミ3 :2006/04/20(木) 11:44:28 ID:???
>○ソ連軍の得た戦訓 >1.発動機は、榴弾や火炎瓶での火災を発しないディーゼルとする。 >2.装甲は、前面だけでなく全方向に必要最低限は満遍なく厚くし、装甲強化のために被弾傾斜を考慮する。 >3.戦車は対戦車戦闘の主役としても重要な兵器であることが判明し、戦術的ドクトリンの変更が行われた。 >4.歩兵の携帯する対戦車火器の配備数を増加させる。 > スペイン内戦、ノモンハン事変、フィンランド冬戦争の中で、 >ソ連と対戦する敵側が満足な戦車を保有していたのは、日本軍だけであることから、 >対戦車戦闘での戦訓の多くは、対日本軍戦車との戦闘で得た物ではないかと考えられます。 何からツッコめば良いのやら・・・ 1は対陣地戦闘による戦訓でフィンランドでもシコタマやられたもんだ 2での傾斜装甲のくだりは技術的なもので同時期の各国で傾斜装甲の有効性は気付いていた話。 側面装甲の強化は普通は対陣地戦による戦訓だろ。フィンランドだけでなくスペインでも対戦車火器でヤラれたんだし。 3はスペイン内戦でBTはファシスト戦車部隊を撃破敗走させている。ノモンハンだけじゃねーよ。 4は対戦車銃の大量配備を意味するが、戦車の威力を重視すれば当然この考えに行き着く。 総括すればノモンハンの影響が全く無いとは言い切れないが、 それ以外の実戦経験や戦車重視思想の影響の方が比重が重く 夜郎自大にも程があるだろうというのが正直な感想だ。
スペインでT26が使用されたのは知ってたが BTも使われてたのかな?
前から気になってたんだが 陸空ともに、 ソ連は前半での損害が多く 日本は後半に損害が多かった んじゃないのか。
んーまあ、ソ連軍の対戦車戦術の変化はあるんだけどね。
つまりは敵戦車部隊が攻撃してきた場合
それは機動力を生かして、防御側の弱点部に向かってくるだろうという想定。
対戦車砲とか障害物とかで阻止しきれずに突入される危険があると。
で、この場合に予備兵力で迎撃させるわけだが
その兵力として戦車を使うのが良いのではないかというのが、当時のソ連軍が考えた戦術。
ttp://www.warbirds.jp/sudo/red_army/c2_5.htm 1936年発布だから、まあノモンハンのはこれに基づいた対処で成功。
ちなみに43年まで変わってないので、ノモンハンから何かを学んだということは無い。
空でやられたのも、ほとんどがI15でI16はあまりやられてないらしい
千メートルで命中率50パーセントてのは被害妄想だと思うんだが・・ あと側面装甲強化は機動戦の戦訓じゃないかな? 単純な陣地なら正面戦闘だし 隠蔽された火点からの側面への射撃は、戦術や錬度の問題だし。 そういうのは装甲じゃなくて視察能力を向上させたほうが・・と思う。 確かに、上記のサイトは日本に甘いとは思うけど。 とても提示されたデータからしても日本戦車、若干有利とは思えない。 ・・全部、主観的意見でした。失礼しました。
そういえばI16が空対空ロケットを使っていたとする記事を読んだことがあるのだが、詳細知っている人いる? RS82なんかは、対地用だとばかり思っていたのだが。
361 :
名無し三等兵 :2006/04/20(木) 22:59:14 ID:+ISB2h6X
ノモンハン日本勝ち説を主張するサイトを見たけれど 日本側の死傷者が18,000、ソ連側の死傷者が25,000 だから日本の勝ちと言っても、10倍の兵力を相手に して相手の損害が多いから勝ったと言われても 説得力が無い。
へぼ囲碁やへぼ将棋の論争ですな 相手の駒を沢山取ればかち! 何を考えているのか、はたまた何も考えてないのか
>>360 >I16が空対空ロケットを使っていた〜
対地用ロケット弾を積んでたのを、何かの勢いで撃ったら当たった、
が真相に近いかも。
日本側の記述では見かけないので、そう大々的には使ってない様子。
I16が両翼に積んでた20ミリ機銃って、99式2号銃やホ5並の高初速で連射速度や 弾頭重量はこの二つよりも優れてて、作動の確実さや整備性はイスパノスイザよりも良かったんだってな というか防弾板ナッシングの97戦がこんなの食らったら粉々になってたんじゃないの?
そいつにとっては独ソ戦はドイツの圧勝だな。
>>359 側防機能は撃たれるまでわからんもんですよ。
歩兵でも撃たれて初めて気付くことが多い。
対戦車砲は戦車にとって最大の敵。
え?独ソ戦はドイツの勝ちでしょ? 当初の戦争目的も何も無くなって、国民総レイプ&収容所計画されても キルレートで勝ったんだし! 首都占領されても敵多く殺せば勝ちだぞw ドイツ負けたとか言ってるのはブサヨとユダ公。
ツマンネ
>>240 > *「出動回数50回、延べ300機を越えたが、出動中の全損害は3機で敵戦闘機による撃墜は皆無であった。」
> (野々垣四郎飛行61戦隊付大尉、ノモンハン・ハルハ河戦争国際シンポにて)
重爆隊が出撃するときは、戦闘機の護衛がつくんで、損害はそんなもんだろ。
航空機の損害は偵察機や戦闘機に集中してっからねぇ……
>>349 まあノモンハン事変の話だから、3式は関係ないな。
>>361 そうしたサイトの主旨は、数的には劣勢だったから領土を奪われてしまい戦争としては
勝ったとは言えないが「精強な日本軍の個々の戦闘力はソ連軍に対し勝っていた」となる。
だから「弱い兵器しか持たない劣弱な日本軍が、近代兵器を持つ精強なソ連軍に一方的に惨敗した!?」
などと言う捏造史観は改めよ!! ・・・と
兵力的に劣勢にもかかわらず、相手に自らを上回る損害を与えた日本軍… ん、そういえば硫黄島の戦いもそうだな。 両軍で戦死・戦傷者の割合が逆転している点も同じだ。
>>372 硫黄島の死傷者比較ってアメリカ人は絶対納得できないと思うぞ
死者と負傷者の割合が本当に極端すぎる
負傷しても後送できないんだから仕方ないわな
最初の3日間は、軍医すら軍医として働くことのできない状況だったしな。 守備隊も海兵隊もお務め乙でした。ナムナム。
てか、比べるなら戦死者どうしを比べるべきだろ。
軍事的には「死傷者」で評価すべきだが。
どこが? 軍事という手段が戦争目的に劣後する以上 いかに優れていようが目的を達しえぬ手段を語った所で何の意味も無い。
まぁキルレシオ厨に軍事の何たるかを語るだけ無駄。 連中は手前の右翼的歴史観を語るための「ダシ」として以上に 軍事知識を知る気など無い。
>対戦車砲は戦車にとって最大の敵。 ドアノッカーがどうかしましたか?
>>371 少なくとも、軍板内では
お前の言う「捏造史観」なるものを
見た記憶がないんだが。
まさか
「損害の多寡で勝敗語るな」とか
「領土的に損したから皇軍の負け」とか
そういう、事実に即した論評を
「捏造史観」と呼んでるんじゃないだろうな?
いや
>>371 は件のサイトの主旨が、未だに一方的ヤラレ史観ののヤツに対する警鐘だと言いたいだけだろう
勿論軍板ではそんな評価は少ないわけだが・・・
確かにわが軍は非常に勇敢に健闘したし、優勢な敵と戦い相手に大きな損害を与えた事は事実だね
でも、戦略的な勝ち負けの話はもちろん
実際に従軍した人が無茶苦茶にやられたってトーンでこの戦いを語っていることや
ソ連の実力に泣く子も黙る関東軍が震え上がってしまったという点もまた事実であって
代表的負け戦の一つとして認識されている事自体はそれ程間違ってないと思う
>>376 比べるなら「死傷者」で比べるべき。
まさか、とは思うが負傷してもすぐ治るから。
とか言わないよね?
なぜ殺さずに負傷させる地雷が存在するかを知らない?
まぁ三八銃の口径もあえて殺さない事を目的に小口径にしたわけだが
>>384 そうなの?
当たれば戦闘力が奪えるって意味では同じだから、携行弾数が稼げるサイズ
あるいは、弾頭重量に対して装薬量が相対的に大きくなって初速や射程を
重視した結果かと思ってたよ
「あえて殺さない事を目的に」というより
「無理に殺す必要なし」ってことなんだな、結局。
>>376 には一生理解できないだろうが。
そもそも。
陛下からお預かりした大切な
菊の御紋付き三八式によって
せっかく負傷させた敵兵であるにも拘らず
数の内に入れる必要なし、とは
皇国臣民の風上にもおけぬ言い草。
皇軍太郎、もしくは国士様の称号を剥奪する。
三十年式制定前に7mm、6.5mm、6mmで試験を行った結果、 6.5mmが一番優れていた。この時点ですでに6.5の威力不足が 指摘されているが 三十年式 当時の倫理観(残酷な殺傷は人道に非ず、みたいな)により6.5mm 三八式 主として携行弾数増加の必要上6.5mm 日露戦後、いろいろあって7.7に決定したが、 やっぱりいろいろあって三八式は6.5
388 :
名無し三等兵 :2006/04/22(土) 11:26:53 ID:r801WM5m
>379 >まぁキルレシオ厨に軍事の何たるかを語るだけ無駄。 そもそもキルレシオでも日本軍が惨敗してたことを条件に ノモンハンは語られてきたはず。 それが今更嘘でしたなんてことになるから君の言う廚とやら がわいて出るんだよ。 一般人的な感覚で言えばキルレシオでしか軍事なんぞわかる 訳がない。 しかもソ連が嘘ついてたことを考慮すれば今までの語られ方を 大幅に見直す必要はある。 この辺をしっかりフォローするだけの説得力のある説明も しないで専門家ぶるような真似は止めてもらいたいね。
389 :
名無し三等兵 :2006/04/22(土) 11:34:38 ID:+xFW2PDO
何この辻や牟田口がいっぱいいるスレは?
元は日本軍ボロ負け説だからな それを前提に日本軍は戦訓を生かせないとか散々罵ってきた。 ソ連の崩壊で新資料が出てきて結構善戦した事が判明した、 それにホッカムリして無かった事にしてる連中は キルレシオ厨以上に痛いワナWww
>>389 辻や牟田口もソ連に生まれてれば名将だったかもナWww
辻、無駄口ともに粛清されていたでしょう
>日本軍は戦訓を生かせないとか 生かした結果は日本軍はソ連軍に勝てっこ無い、対ソ戦は回避という戦略に変わった。
>>390 どっちかっつうと、戦訓を生かしたくとも金がなかった、というのが軍事板でよく見る
まとめだったような気がする。
そもそも善戦だったという認識は当時の陸軍にはなかったように思うんだが。
そりゃ自軍は師団全滅、相手は増援がまだまだ続き 国境を埋め尽くしていたんだから勝ったと思う方がどうかしてるかと。
>生かした結果は日本軍はソ連軍に勝てっこ無い、対ソ戦は回避という戦略に変わった。 よって、手ごろな火遊び相手として国民党軍と仲良く喧嘩を続けたわけね
>>394 まぁソヴィエト側の損害は不明だし、一個師団半潰れたら気落ちもする罠。
辻ーんは「戦は負けと思った方が負け」だと空元気を振りまいてたらしいけど。
辻ーんも本当は負けたと思ってるけどなw
ここで停戦では一万英霊に申し訳がたたん 皇国陸軍は全力を挙げてソ連に挑むぞ、との方針を打ち出さなかったのは な〜ぜ?
400 :
名無し三等兵 :2006/04/23(日) 01:32:31 ID:obKtDAbA
輸送力がね〜 ソ連みたいに地続きなら良かったね
>>399 その方針打ち出せば
英霊があと二桁ほど増えるから。
中国相手の八万英霊に申し訳が立たない、は決め台詞になったのにね
403 :
名無し三等兵 :2006/04/23(日) 06:44:07 ID:??? BE:45295834-
おちんちんおいしい
>>399 もしも日本軍が大兵力を集中して本格的総攻撃を実施してたら、ソ連軍は大損害を受けて
その後の対独戦にも影響が出ていただろう。
世界史が変わるな・・・
>>380 > 対戦車砲
この日、戦車・装甲車数百台が日本軍へ向かって突進してきた。
(戦車百八十六台、装甲自動車二百六十六台)シースキン著『ハルハ河』
速射砲の活躍
> 速射砲と連隊砲は必中距鮭の四〇〇メートル以内にひきつけて身をのりだして猛射した。
> 車体を貫徹するとかならず戦車は炎上した。岡本部隊の連隊旗手川添武彦元中尉は語る。
> 「こっちの速射砲と連隊砲と野砲の改良三八で狙い撃った。よく当りましたな。これは勝ったという感じでした」
> 酒井部隊の戦闘詳報の抜粋。
> 「七時、敵は戦車十数台、砲数門をもつて射撃し...八時ごろ、敵戦車十一・二台攻撃
> し来る。...十時ごろ四十七台の敵戦車われを攻撃...十三時ごろには重砲射撃を開始
> し、約百台の戦車逆襲し来れるも...大部を欄坐炎上せしめ、その黒煙幾十条となりて
> 天に沖し、あたかも日本海大海戦の絵巻物の如し」
戦車部隊の活躍
> 二十六聯隊長 須見新一郎大佐
>
> 「広漠たる贖野では遥か地平線上に現出したときから敵戦車は之を望見し得る。二千、
> 千五百、千、射撃しない、唯敵重砲の思ふがまゝに撃たれつ放しだ。八百米に接近する
> のを待って(戦車砲分隊は)第一発を放った。実によく辛抱したものだ。その代り第一
> 発から必中を期してゐる。...射撃開始は遅かったが一度射撃開始するや実によく命中
> した。敵の戦車はつぎつぎと欄坐炎上する。」
>
> ノモンハンの夏 P228
>>405 この日、一日だけでソ連軍の装甲車両200台を撃破したと言われる
>404 トラックぜんぜん足りねえ
>>407 ソ連軍の大兵力を極東に縛り付け、大損害を与えるだけで相当歴史が変わるだろうな〜
ノモンハンの個々の戦闘とは別に、領土紛争としては日ソどちらの勝利か? > 「係争地域はソ連軍が大部分を占領しています」とありますが、秦郁彦教授の説明とはまったく違います。 > 『二十世紀日本の戦争』という本で、「日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう」と書いておられます。 > 『昭和史の謎を追う』に図示されている範囲でも、相当な広さです。 > > 『二十世紀日本の戦争』秦郁彦 > 「一般にノモンハン事件は日本軍の惨敗だったと言われるが、ペレストロイカ以後に旧ソ連側から出た新資料によれば、 > 実態は引き分けに近かったようです」(p.122) > > ウィンキの「ノート」から > ボイル湖からハロンアルシャン西南方に至る総延長110キロの国境線のうち、激戦の焦点と > なったハルハ・ホルステン河流域付近の境界は、かねてからソ連側が主張していた線、すなわち > ハルハ河東方15〜20キロに決まった。 > > その代わりハンダガヤ〜ハロンアルシャン地区では日満側の要求が、ソ連側主張よりハルハ河より > に線引きされた。モンゴルが今なお500平方キロを失ったと称するのはこの地域 > > 「昭和史の謎を追う」上 P248 秦郁彦 どうも日ソ痛み分け位らしい・・・
国境紛争なんて大抵そんなもんだワナ
>>406 だとすると、この一日でソ連軍装甲車両の半数近くを撃破したことになるな。
これだけの大戦果を得ながら左岸攻撃を断念して撤退を決意する理由が見えない。
日本軍なら当然戦果拡張のため引き続き万難を排して攻撃前進続行、
という思考に至ってもいいはずだが。
>>411 「ノモンハンの夏」P231 によると、激戦後、ハラ高地付近に陣地を構築し、次の対戦車戦闘の準備を
していたとか。戦闘休止、この日は一休み。
戦場には夥しい敵戦車と装甲車両の残骸が黒煙を上げて燃え続けていた。この日、出撃してきた
ソ連軍戦車186両、装甲自動車260両の半数近くが炎上
左岸攻撃隊を指揮した第23師団歩兵団長の小林恒一少将は撤退命令に不満を感じていたらしい。
>>409 その本で秦先生が言ってるのは、むしろ戦闘の方での話に近くなかったか?
雑誌記事を集めた本だから後で読んでみるけど
領土、国境紛争としてはソ連の勝ちでしょ、概ね向うの主張する国境線で停戦合意したんだから
> 領土、国境紛争としては 半々だったらしい。「昭和史の謎を追う」に日ソ双方合意の国境線の 書かれてる地図も出てる。 戦場の北部がソ連側の主張に沿って決められ、南部は日本側の主張通り。
P.232に図があり、P.248〜249に国境線の詳しい説明などが書いてあるね。 歴史的、習慣的な境界線にほぼ一致とも書いてある。 そのためにソ連・外蒙軍二万五千、日本軍二万もの死傷者か…
> もし、一平方マイルの荒れ地を隣の国に奪われたらどうするか? 果して奪われた国は戦争を始めるのかどうか? > 戦争を始めれば、何千何万の人命を捨てなければいけない。或は、莫大な国費を使わなければいけない。 > 場合によっては国家の存立も脅かされるかも知れない。そういうような犠牲を払ってまで、一平方マイルの為に戦うかどうか? > もしこの場合、奪われたままで手をこまねいておるならば、それは国家が自らに対して、死刑判決に署名するのと同じである。 > 一平方マイルの荒れ地を失ったままにしておくならば、やがて他の領土も奪われてゆき、そうして最後には、全ての領土を奪われて、 > 国家の存立を失う事になるであろう。国民は一平方マイルの荒れ地の為では無くて、国の名誉と存立の為に、戦わなければならないのだ。 > 『権利の為の闘争』 ルドルフ・イエーリング
>404 >もしも日本軍が大兵力を集中して本格的総攻撃を実施してたら、ソ連軍は大損害を受けて 八月攻勢でのソ連軍のように、有利な地形で、重砲や戦車等の強力な 支援があってすら、陣地を構築しつつあった軍への攻勢は多大な犠牲を 出しかねない(特に力攻めでは)、というのがノモンハンの一つの教訓 だと思うが。 日本軍の攻勢は、不利な地形で、重砲も戦車の支援も望めない状態で、 極端な言い方では「歩兵の頭数だけ」でやろうとしたのに近い状態。 まともな戦果が得られると期待する方が、お目出たいと思うがね。
重砲始め重火器を多数集結して一挙にソ連軍に反撃しようとした矢先の 停戦命令だから随分ガッカリしたらしい。残念。
>420 >重砲始め重火器を多数集結して それまでに、どれだけの砲兵戦力が投入されたか考えてみれば、「反撃」の為に 用意できた程度の砲兵が何ほどの役に立ったか、想像できそうなものですがね。 切り札のつもりで内地から投入した野戦重砲兵第三旅団も含む、当時としては相 当の戦力を投入しての砲兵戦に勝利できず、重砲兵部隊も壊滅したわけですが。 正直、日本軍を称揚しようとして却って侮辱する結果になっているとすら思える んですがね。当時の陸軍にしても、故無くノモンハンの結果に衝撃を受けた訳では ない。重砲、戦車、飛行機等々を投入してなお敗北したからこそ、(生かしきれな かったにせよ)戦訓を集めようとしたわけですが。
ソ連軍の鼻くそ>>>>超えられない壁>>>>日本軍の重火器多数
このスレには程度の極めて低い荒らしがいるな。
>>422 がそれ。
まあ、日本軍の場合、兵力の小出しが問題だったのは確か。これを失敗の主要原因として異論ないだろう。
日本の「不拡大方針」とは言え、僅か一個師団しか送らなかったことは失敗。
大兵力を送り込んでいたら、ソ連側の損害は
>>326 とは桁の違うモノになっていただろう
>>425 兵力自乗の法則と言うモノがあって、ケチって小兵力しか出さないと損害が多く、
逆に始めから大兵力を集中すると意外と損害が少なかったりする。
こっちが倍だせば、ソ連も・・・
まあ、日本が半分しか出さなければ、ソ連も・・・ ・・・って訳には行かない。 兵力をケチるとかえって大損害を被る事くらい、軍事板にいて知らんはずが無いだろう
>>428 それは戦術的には正しいと思うんだけど、
本格的にやって国境紛争の枠を超えてしまったりしていれば
恐ろしいことになっていたと思うので、一概に非難する気にもなれん罠。
戦争ってのは本当に難しいわ。
しかしそれでこの事件が長引き、 ソ連はさらに兵力を投入という自体が予期できないわけでもないだろう 蛇足で先に言っておくと後知恵を使ってはダメね。
じゃあ、結局どうするべきだったと思うの? 戦争をするのかしないのか国境線画定の問題も含めて ソ連との関係をどうするのか。 戦略目的が不明確なら勝利条件も決まらない。
>>432 戦略目的は明確だよ。国境紛争はしない。
国境線は不確定のままで構わんというのが三宅坂の判断。
これに従わないで国境紛争を勝手に起こしたのが関東軍。
>>433 >国境紛争はしない。 国境線は不確定のままで構わんというのが三宅坂の
それで済むなら尖閣・竹島問題は無い罠。いつの時代も霞ヶ関の官僚・お公家様方は
空虚な言葉・お題目だけ並べれば、それで済むと思ってる。
最前線・現場の苦労なんか知りもしない。
だからって現場が暴走したらますますダメだろ・・・。 なんかこういう話してると泣けるな・・・。あまりにもアホらしすぎて。
ハルハ川の両岸周辺を遊牧民はいったり来たりして遊牧生活をしているわけでして 国境を明確にする実際的意味は薄い 領海や経済水域に関係する島嶼と同じにされては困る
関東軍の威力偵察を口実に 叩こうとしたソビエトの意図が存在していた場合にどうするべきだったかが 問題だと思う。関東軍が戦争するつもりがあんまり無かったんじゃないの? むしろ。
軍および政府系の集団による越境は両国ともやってるんだが 日本側が黙認してたのに対して、ソ連は討伐しちゃったから 関東軍としては愉快じゃない気分ではあったろうが・・・。
つまり、ソビエト側の意図をまるで掴めずにソビエト側の希望通りに行動し、 するつもりも無かった戦争で、貴重な戦力を磨り潰した間抜けな関東軍・・・ と言いたい訳ですか。
>>439 結局、ソビエトが叩くという意図を持っていたと言うこと
まで読み切って、その意図がわかれば、
防衛に徹して攻勢にでないでおいて、
戦力を温存できたというのが最善手のような気がする。
軍事戦略的には。
つまり意図を読めなかったところが敗北の原因というか
敗北そのものか。
ソビエト側も自分たち主張の国境線より先に出るツモリはなかったわけで 三宅坂のいう国境線なんてどうでもよいという考えとは妥協できたとは思う。 日本側(関東軍)はソ連主張国境線を知らなかったという話もあり これがソ連側の意図の判断に致命的な影響を齎してた可能性もある。
>>441 関東軍(日本側)はソビエトが兵站を大規模に
おこなっていることについての情報を得ていなかったか
間違って判断していたかなんだろうけど。
不思議なのはノモンハンの敗戦後にもソビエトの意図を
きちんと性格のとらえることが結局、1945年の敗戦まで
できなかったということ。
これほど戦略的視点に欠けた軍隊であり日本政府なら
そりゃ戦争には勝てない。
>>442 1945年のソ連参戦の大分前に、日ソ中立条約の更新を拒否されてるので
ソ連がいずれ連合国側で参戦するのは判ってたのでは?
沖縄や本土決戦の戦力整備で手一杯で、くるのは判ってても満州の戦力までは手が回らなかったんでしょ。
>>443 日ソ中立条約更新拒否じゃなく、ノモンハン事件の
ソビエト側戦略的意図の推察に対する失敗が
その後の、南進選択の理由の一つでもあるわけだし。
ただ、客観的に考えた場合、ドイツとソビエトと帝国日本と
どこがいちばんまともかはかなり怪しいからなあ。
とくに中国に攻め込んじゃってからは、世界の民衆に対する宣伝戦で、
社会主義の幻想詐欺の残存していたソビエトと
対峙して勝つのは難しいでしょうね。
アメリカとの対立も不可避だったか。
>>441 >日本側(関東軍)はソ連主張国境線を知らなかったという話もあり
おいおい。何のための関東軍だよ。
>>445 ソ連側は黙って地図を書き換えてたから、知らなくて当然というか当たり前というか・・・
(ソ連の古い地図は日本側の主張通りハルハ河沿いを国境としてた)
>>436 > ハルハ川の両岸周辺を遊牧民はいったり来たりして遊牧生活をしているわけでして
事件の発端は遊牧民・民間人の行き来ではなく外蒙兵の侵入。(ハルハ廟事件)。民間人の行き来は元々黙認してた。
「一九三五年一月八日、ポイル湖北東部にハルハ河が注ぐ地形の入り組んだ河口部で、十数名の外蒙兵が満州国領内に侵入した」
対応と結果
「そこで満州国軍の興安警備軍は一月十四日、偵察のため巡察隊を急派した。現地の話し合いで問題を収めようとした努力は
失敗に終わり、二十四日に至って、ハルハ廟付近で数十名の外蒙兵と日本人の指揮する十一名の満州国軍部隊の間に衝突が
起こった。その結果、日本人の中尉と満州人の兵一名が死亡し、六名が負傷した。」
事件が拡大へ
「関東軍はただちにハイラルに駐屯していた蓮沼蕃中将指揮の騎兵集団に対して部隊を派遣して紛争地域を確保するよう命じた。
外蒙兵は重ねての撤退要求を無視しており、ウランバートル政府は、満州国の方にこそ侵略的な不法行為があったと非難したからである。」
「ノモンハン」クックス 朝日文庫 P42
ただしこの方面ではノモンハン事変以前からたびたび事件が起きていて、国境線が明確にならない限り いずれ衝突は避けられなかったらしい。 「関東軍は一九三三年初頭以降、溝州国西部地域にごく微弱な兵力を駐屯させていた。国境周辺では実際のところ外蒙古人が 境界をほとんど無視して往来していた」 「一九三四年になると、満州国軍の哨所に対する外蒙軍の圧力とか、満州国の主張する国境内部から住民が誘拐される事件など の報告が新京に頻々と届くようになった。そして一九三五年初頭には、ついに発砲事件が起きた。 それは、このときから一九三九年四月にかけて、日本側に記録された百八回にのぽる同種事件の第一号となるものだった。 「ノモンハン」クックス 朝日文庫 P42
>>448 そこら辺の本は読んでますけど、
形式的な正当性の問題は、戦略的勝利を勝ち取るための
ノモンハンの分析にはあまり意味がないわけで。
関東軍が日中戦争、ノモンハン戦争で対ソ、対中戦略を謝ったのが、
結局日本の孤立を招いたのだから、どうするべきだったかという
話が核心だとおもう。
> 今さらだが、兵力・装備の逐次投入という出し惜しみ体質が最もよくあらわれた 戦闘って 言われているような・・・。 代案無き批判は無意味だし、失敗を繰り返さないために、これを教訓として対策を考えて見よう。 ・当時の日本の方針「事変不拡大」 ノモンハンでは、当初モンゴル相手の小競り合いと考え、また「事件不拡大」の方針により 小兵力で追い返す考えだった。言うまでも無く、これが失敗の元。 考えられる対策 1.当初から対ソビエト連邦相手の全面戦争として、大兵力を投入し大戦争へと発展させる。 2.反撃せず退却し土地を明け渡す。 3.話し合いで解決しようと試みる。 4.その他。
5.大兵力を集中投入し、初期の戦略目標を達成したらそこでやめる。 こういう普通の芸当が絶対に無理な陸軍だったから選択肢にすら上がらない罠w
>>451 それだとソ連軍も大反撃してくるから、日本側が「やめる」と言ってもダメだろう。
都合良くは行かない。 結局 1.と同じだな。
>450-451 結局、史実の選択しか選択肢が一番マシなことになるyo もし、ノモンハン事件で下士官・大隊長クラスでなく、 将官・参謀が腹を切ったとしよう。 そしたら、後世の俺達はノモンハンを失敗とするだろうか? (多分、安達中将みたく彼等を立派だと思い、よく将兵よくがんばったと思うのでは?) オレは単純な人間なので、上記のようにすぐ思ってしまうのだが、 もしそうなら、ノモンハンの教訓とか言う問題は、 『ただの個人的な理想の軍隊』と『史実の軍隊・後世の価値観』とのギャップを 追求しているだけの問題になるよ。
>>453 ノモンハンの戦訓って、端的に言っちゃえば、
「勝ち目のない相手にむやみに手を出すのはやめましょう」
ってことだろ。
そんなもの腹を切ったくらいで済む話じゃない。
>>450 事変不拡大なら、地形上不利な低地に塹壕を掘る戦法をとらず、
離れた高地に陣取り、ソ連が進出してきたら叩くのを繰り返して
疲弊させ、撤退したら奪還するとかがよかったのでは。
ソビエトタイプの縦深陣地を構築するのが
あのての戦場ではやはり常道なんじゃないの?
>>454 だが
>>447-448 見たいに、少数の蒙古兵が侵入してきただけで日本軍は逃げ出すのか?
ノモンハン事変も始めは少数の蒙古兵の侵入だったんだが・・・
>>450 今の竹島と同じで、三宅坂は「小兵力の越境はスルーしろ」だったの。
だから応戦に移った段階で拙いわけ。
次に関東軍の立てた方針は、このソ連側の越境を理由に
予防処置として、越境し返して出撃拠点を潰そうというものだったわけだ
今の竹島でいうなら、F-15Kが上空を飛んだことを理由に
韓国空軍基地を爆撃するというようなもの。無茶苦茶なのが判るだろ。
>>457 軍事的に見れば、敵の拠点を叩くのは常識だよな
>>458 圧倒的兵力差があり勝てるならね。
>>457 三宅坂に同意。
偵察活動や威力偵察活動とおなじで
交戦を意図していないなら放置するべきだとおもう。
でも、もしソビエトが挑発を意図し
日本が攻撃を仕掛けてくるのを意図していた場合、
威力偵察から小規模攻撃へと移行していくだろう。
ノモンハンはその可能性があったと思う。
その場合どうする?
>>457 竹島でも同じだけど、韓国が拿捕とかしてきている場合で、
小規模な攻撃を受けてるわけ。
無効が挑発満々な場合にどうするべきか。
関東軍は当時、懲らしめるとかそういう感情的な
言葉で作戦行動を説明してたりしてとてもじゃないが
まともな戦略的視点があったとは思えない。
同規模で抑制された攻撃をすること、拡大させないこと、
拡大しても支えられる縦深陣地をあらかじめ築いておくことが
無効の出方に対しての最善ではないだろうか。
>>459 関東軍の懸念は、三宅坂の言うまま大人しくしてたら
なし崩しに実効支配を進められてしまうというのが一つ。
もう一つは、この実効支配領域の拡大はどこまで行くか判らないという懸念。
前者に対しては三宅坂は、そんな場所如何でもよいという態度で
後者に関しては外交ルートで向こうの意図等を把握してからだというもの。
また日本側の越境に対して、ソ連側が警戒感を強めていたという側面もあった。
お互いの主張する国境線がそもそも異なってたので
双方共に自分たちは越境してないと思ってるので話はこじれる。
>>461 だとすると、外交ルートなどを使って、
国境線の主張のすりあわせをすることが
第一なんじゃないの?
でもやはりソビエトが日本に一撃を加える意図が
あった場合、口実担ってるにすぎないわけだから、
その場合の最善の戦術的選択はなんだったのか
疑問なわけだが。
ソビエト型縦深陣地って関東軍には無理なものだったのかな。
>>462 ソ連は打ち破れるだけの兵力を用意してから襲ってくるだけだろう。
西岸がソ連軍にとって聖域になってしまえば
西岸とその後方の飛行場から幾らでも砲爆撃を送れるので、結局駄目なんだよ。
あとは双方の本気度と戦力蓄積をどの程度と見積もるかという話になる。
>>463 >西岸がソ連軍にとって聖域になってしまえば
砲爆撃の能力では砲撃ではおとっても
爆撃能力では当時互角ぐらいだったんだから
西岸を爆撃し続けるのがむしろ常套手段のきがするんだけど。
ソビエト側の戦略的意志がはっきりと推察できた場合、
日本は戦力温存策を採ることがいちばんよかったのでは。
>>464 西岸の向こうにある飛行場からの爆撃なんでな・・・。
で、これを阻止すべく飛行場を爆撃したら天皇までお怒り。
>>465 ノモンハンの戦端が開かれてから
飛行場の爆撃をするなとはさすがに言わないでしょ。
言うよ。 戦線不拡大ってのはそうゆうこと。
>>466 実際に爆撃して大問題になって中止させられたんだってば。
するとソ連空軍機に一方的に爆撃され放題だな。日本軍
>462 ノモンハンに陣地作ったら、 それ以外のところに来るだけじゃ? ノモンハンは戦略拠点じゃないのだから。
>>468 ソ連軍は空爆し、日本軍は反撃しなかったのか?
結局のところ、不拡大なら不拡大でいいけど
縦深陣地をかまえるとかして
疲弊させることをせず、肉弾でやりつづけたのが
間違いじゃないの?
>>470 国境紛争が口実なんだからノモンハン以外はこないでしょ
>>472 事変勃発前まで国境線の互いの食い違いを、日ソ双方が認識してなかったらしい。結果として衝突。
>>471 時系列を整理しよう
5/11 蒙古兵越境
5/13 日23師団出撃
5/15 蒙古軍西岸に撤退
5/15 23師団も兵を引く
5/20 ソ連57軍団東岸陣地形成
5/28 日23師(山県支隊、東捜索隊)、ソ57軍団に攻撃
5/29 側背から退路遮断を狙った東捜索隊粉砕
5/30 ソ57軍団西岸に後退
5/31 山県支隊撤収
5/31 第57軍団東岸に再進出、橋頭堡構築
6/03 ジューコフ57軍団長に就任
以降ソ連軍空襲と日本軍迎撃の大空戦が頻発
6/23 日第2飛行集団タムスク空襲
大本営激怒
6/30 23師、安岡支隊による逆渡河を含む攻撃開始
7/10 戦線こう着状態に
7/23 砲兵団投入による攻撃再開>すぐに頓挫
8/20 ソ連軍大攻勢
8/末 ソ連蒙古主張国境線で停止
まあ、こういう流れなので、日本としては縦深陣地を構築するタイミングが難しい。 東岸より奥に縦深陣地を形成できても、何しろ正面兵力と兵站差があるので 迂回と浸透を仕掛けられて、包囲されちゃうだけなんだな。 これは大兵力と一ヶ月の時間を持ってたソ連軍ですら 23師団に渡河からの側背遮断を仕掛けられて一時的に危なかったことからも判るだろう。 また観測機や観測気球を出せない日本に対して ソ連領内の高地から観測できるんだから砲兵戦は話にならない。 火力のアテがつかないのに縦深陣地なんか作っても戦いにならないよね。 そして、砲弾をノモンハンまで送り込む手段も寒いが このノモンハンで関東軍の弾薬備蓄が半分になってしまったという備蓄の寒さもある。 つまりは日本軍は一撃でケリつけないとあとが続かないので陣地の押し合いは出来ないんだよ。
>>475 その兵站の少なさは国力なのか?
それとも辺境だからなのか。
どっちなんだろう。
477 :
名無し二等兵 :2006/04/26(水) 14:15:46 ID:KHSC6yj0
>>476 辺境だからだね(w
物資は運ばなければならない。馬にしろトラックにしろそれに見合った補給路を整備しつづけなければならず、
敵の航空攻撃からの防護もしなければならない・・・・
初期にケリつけたくても敵の補給は無尽蔵で殲滅は難しく 長期戦になれば確実に負けるという戦いだったのね。 南進せずにドイツの要請通り対ソ参戦したらどうなってたのかね?
米ソ両超大国に備えるのは厳しい・・・ > (「中央公論」 昭和12年3月号に)「日本の国防計画は世界に珍しい国防計画である。 > > 陸軍は世界大陸軍国のソ連邦を、海軍は世界最大の海軍国たるアメリカを」仮想敵として > > 立てられていて、こんな不可能な両面作戦を「大和魂と神風に依存」してやるという、 > > 「こんな国防計画なんて有るもんじゃない」と、堂々と批判した論評が出ています。 > 「大日本帝国の民主主義―嘘ばかり教えられてきた!」 坂野 潤治 (著), 田原 総一朗 (著) P116
伏せ字だらけの言論誌でも民主主義なら、 北京支配の中共も立派な民主国家かもな。 ガス抜きって要素が大きいそうだし>戦前日本の反軍的言説、 現代中国における共産党批判言説など しかし架橋装備が1つしかなかったのに渡河作戦とは・・・・・ これも北進・南進のどちらを優先するか戦略的意志の決着を怠った帰結だろうか。
>>481 >架橋装備が1つしかなかったのに渡河作戦とは・・・・・
関東軍も本来なら支那派遣軍から融通してもらうなり、
中央へ要請するなりすればもっと沢山手に入ったんだろうが、
ハルハ河渡河=越境攻撃だから。
前もって要請すればダメだし喰らうの判ってたから
関東軍自前の装備だけでやろうとしたんだろ。
もっとまともな架橋装備があれば、史実とはかなり違った展開になったかもしれないが。
>>478 ということは結局、ソ連が侵攻する意志があれば
負けるのは確実だったってことか。
なら、最初から縦深陣地をとって、侵攻に備えることも
不可能だったのかな。
>>483 そりゃマジノ線をあの辺境に作れといってるようなもんだ
>>478 何しろ独ソでモスクワ攻防戦やってるときでも
関東軍よりシベリア軍管区のほうがずっと兵力多いので、どうにもならん。
>>480 米ソ両超大国に備えるのは難しいのは事実だけど、
当時、他の手段あったのかといわれるとなあ。
やっぱり、おとなしくして国力増大が最善手だろうけど、
国防計画は両方に備えるしかないだろ。
>>488 まともな思考なら二正面作戦は極力避ける。どっちかに付くしかない。
三国同盟なんて戦略的には全く無意味だったというしかない。
>>489 なるほどなあ
そういわれりゃそうだな
なんでアメリカと対立しなければならなかったのか
意味不明だな。
世界がロスケ・日本・アメリカの3カ国しかないなら、 絶対にアメリカと対立することはなかった。 そこに交戦中の中国/英国/蘭印/同盟となったドイツなどの国があり、 ドイツのまわりにも多数の国があり・・・。 そう考えていくと、必然的に対立してしまうんだよなぁ。
必然的というのはどうかと思うけどなあ・・・。
というか中国に進出した時点で既に日米対立の芽はある罠。 事実日露戦争後満州利権にはアメリカ資本が目をつけ 1907年には国務長官ノックスが、 ポーツマス条約の結果日本が得た満州鉄道の中立案を主張し、 朝鮮及び満州に既得権を有する日本と 外蒙古に同じく権益を有するロシアはこれに対抗し 1908年に第二次日露協商を結んでいる。 日本の対米開戦の直接の原因になったハル・ノートの主要要求に 中国大陸からの撤退があったのも同様の理由によるだろう。 まぁ最終的に頼みの国民党政府が中国共産党に足元すくわれ その中共が、 国民党が南京追われるまで蒋介石寄りだったソ連に擦り寄る事までは さしものアメリカも想定外だったようだがw
>>493 ポーツマス条約の立て役者のアメリカに
権益の共同開発とソビエトの牽制を考えるか、
それとも、ロシアとの関係を強化し、アメリカに対峙するか
どっちにしても二正面作戦は無かったと言うことでしょう。
日露協商の流れでソビエトと対立しない方向でいけるのかどうかは
あやしいし。遠交近攻からいえばアメリカと結んで
アメリカ資本で満州開拓を前進させるのが
結局良かったんじゃないかなあ。
でも、日本の暴発がなければアジアの解放は遅れていたし、
なんか、日本は植民地解放の人身御供に成ったようなものだとは思うが。
495 :
名無し二等兵 :2006/04/29(土) 03:47:34 ID:FAlfwZpK
南満州鉄道を建設する資金が日本にはなかった。 日本はアメリカの鉄道王ハリマンと共同経営しようと セオドア・ルーズベルト大統領に相談したが、 「日本が単独でやるべきだ」(金なら貸す)と言ったとか。 そのアメリカに弓を引くとは(w
そんな話は国際政治板で語れよ。軍人は政治に関与せず
>>495 それまじ?
満州の権益をアメリカが狙ってからこじれたんじゃないの?
>>496 残念ながら満州は軍人が政治をしてる国だから
そこを語らざるを得ないし、だいたい、クラウゼウィッツをもちだすまでもなく、
軍事と政治は分けられない。
>>495 市場としての満州に、日本が定めた関税がかかることに不満を表明してたのね
日本の会社が輸出する場合は優遇処置があったから
この保護規定の撤廃ていうか米国資本にも優遇処置を認めろって主張があって
俺らにも一枚かませろというのが米国の言い分。
途中で英国も乗せろと言い出してきてたのだ。
ところが当時の満州の購買力は貧弱だったこともあって、この話は結局消えてしまう。
そして満州を窓口に実はソ連が大陸の石油市場に低価格で卸しを始めるのだ。
これに一枚噛んでいたのが日本資本だったりするので話は厄介。
満州市場を席巻したソ連原油は次に中国に進出するわけで
低価格を武器にしたソ連原油+日本資本の攻勢によって
米英石油メジャーは市場を奪われ、日本資本排斥運動を裏で支援しつつ
米政府に対するロビー活動を行うというのが日華事変前。
ところがソ連と日本の提携は長く続かず
日本に中間搾取されるぐらいなら自前で売ったほうが儲かるということで
元々潜在的に仲悪いし共存難しかった面もあって仲違いが始まってしまった。
以上が5〜10年ぐらいで一気に進んじゃってわやくちゃになってたのだ。
まあ、だから満州事変直後に ソ連ではなく米英石油メジャーと組めば 大陸利権で米英と衝突することは避けられただろう。 ただ短期的にはソ連との提携は立ち上がったばかりの 満州国の安全保障も兼ねてたので判断難しい。 ていうか、当然米英と組むことを主張する派閥もあったんだけど 松方一派に押し切られてしまったという感じ。
>>499 なるほどなあ。
そこまで判断が難しかったのか。
でも、当たり前だけど当時の国力でも
アメリカが第一位であったし、そもそも、
アメリカは日露戦争の仲裁国家として
日本にある種の利益を期待する流れが
あったのは当然ではないかと思うんだけど。
なぜ、そのての配慮が当時の日本になかったのかが
よくわからない。人種差別的な扱いが
アメリカであったのが原因なんだろうか。
>>501 ソ連との提携を推進した松方氏は川崎重工のオーナーで
元々は大陸の鉄道敷設事業と列車の売り込みという利権を狙ってた。
こうしたあたりに米国資本が直接参入すると利益が薄くなるどころか
資本力と技術力の差から美味しいところ全部持っていかれる懸念があったわけ。
だから外交的には米国にも市場を開放すべきだけど
財界的には産業保護が望ましかったし
まだ不況が続いてたので内政的にも強力な米国資本との競争は望ましくないんだな。
>>502 でも、米国資本とはいってもメジャーとなら
そもそも石油は輸入しかなかったんだから
ソ連のかわりにつきあえたのでは。
それから、ソビエト原油がそんなに大陸を
席巻してたなら石油不足で
戦争に入らざるを得なかったという
太平洋戦争突入の理由が不明になるわけだけど。
ソ連から石油を買うことはなぜできなかったんだろう。
>>503 ソ連は日ソの契約を途中で勝手に打ち切ってしまったんだ。
樺太油田の採掘権とか黒海油田からの輸送とかをね。
この為急速に日本はメジャーに擦り寄らざるを得なくなったのだ。
そしてその足元を見て米国が色々と難癖つけてきたと。
ソ連が日ソの石油事業をいきなり見直しだした理由は定かでは無いんだけど 国内重工業の盛り上がりと欧州市場でも成功しつつあったソ連石油は 日本との契約が安すぎたのではないかという面がある(だからこそ大陸市場も荒らせたわけだが) この為契約形態を含む見直しの主張と、実力行使(油田の操業停止)を行ってる。 また大陸市場に関しては共産党系組織に対する 武器提供の一環として使いたいという側面もあったので ソ連としては日本と手を切るほうが良いという考えもあったのかしれない。 ここらは軍閥にも日本軍にも石油を売ったメジャーよりよっぽど正直かもしれん。
>>504 なるほど。もうこうなると静的な利害関係では割り切れず、
因果関係をみたいなのを見当しないわからないですね。
結局、日米開戦の原因がそこら辺のボタンの掛け違いから
始まってるのか。
>>494 >日本は植民地解放の人身御供
このくらいの解釈が妥当でしょうな。
日本が欧米に搾取されていたアジアを開放したなんていう論調は、どう考えても恥ずかしい。
人身御供という表現も誤解を招くだろう。 一部を除いては日本支配を前提としたアジアVS西欧、 の構想しかなかったんだから。 しかも支配者としてもあんまりできがよくなかった。
>>508 アジア解放の混じった帝国支配だな。
しかも、あまりできが良くなかった。
植民地経営としてはビギナーもビギナーだったのに、下手に大東亜共栄圏とかアジアの解放とかぶちあげちゃったから、一層やりにくくなっちゃって… 東南アジアの幾つかの国が、自発的に日本を解放者として感謝してくれるのは好いけど、日本人自らが、日本はアジア諸国を欧米から解放した、なんて言い出すのは、はっきり言って恰好悪すぎる。
511 :
名無し三等兵 :2006/04/29(土) 20:59:50 ID:DeyvMKoo
,. -、 _.,,/-....._ヽ ,.-=7..:.:.:.:,:lー、::ヽ...、 〃 /:::/:/lj`_ `;:::l`、.、 // ク:l(::フ l:.::j l::::l l i 23師団の上級指揮官のpかわりに ,' ;' ゝl −`l =L):! .! l つじーんが自決すればよかったのにっ! 禁止っ! i l (\..|_」、-,'ニ、 l .! ,! l _,/_ゝ. \/ .} l l . l ,! (/ _,>、 ´ヽ / l l l l ゝ-l} /l 丶ノ-' {. l l l l (´lj/|、ヽ|| _j l l
>>510 まあ帝国主義支配秩序に振動をおこして、壊したくらいの
存在ですね。あとは自立的に独立するのが当たり前だし。
独立なんだから。
半可通のオタク共が中途半端な知識でひねりだした机上の空論を 好き勝手こねくりまわして遊んでるだけのオナニースレだな。 醜い。
そんな事言い出したら軍板自体が(ry
515 :
名無し三等兵 :2006/04/30(日) 03:28:37 ID:EzBzFdZA
半可通のオタク共が中途半端な知識でひねりだした机上の空論を 好き勝手こねくりまわして遊んでるだけのオナニー板だな。 醜い。
>>513 そうだねえ。でもまったく通じてない議論が世の中に
広く流通してるよりはいいよ。物事は漸進するのがふつう。
より半可通じゃない知識で論駁してみな。
できないなら3年ROMってな。
だいたい>488 辺りからスレタイとズレた事を論じだしてるし。まあ「大戦略」を語りたいのだろうが
大戦略が語りたいわけじゃなく なんであの時期に関東軍とソ連の極東軍が事を構えるようになったのか それを整理してるんだろうよ
まあ日露戦争後に米国と協調ってのも
>>495 が書いてるとおりなら、できないのは当然。
米国から金を借りて、建設する米国企業に支払うと
金利も取るわけで、米国だけが儲かるという話。
これに日本が乗れなかったのも当然のことだろう。
>>519 まあ建設費とかについてはそうだとしても、
石油メジャーとつきあうのはよかったんじゃないの?
ソ連にぶれたからまずかったんだろうとおもう。
最初からメジャーから買ってれば。
後知恵の最たるもの。 海運の発達してない当時、 何隻も無い、たかだか1万トン前後のタンカーで太平洋越えて輸入するより 大陸で地続きのソ連から買った方がはるかに得だったんだよ。
アホか、海運の方が遙かに効率が良く得だよ。
まあとりあえずオイルメジャーはじめ、米資本を満州から追い出す方向で 動いちゃったからな その後鮎川義介なんかが結構積極的に米資本導入を真剣に検討して 関東軍や陸軍中央も同意してたんだけど、オファーの内容が身勝手だった こともあり、先方は態度を硬化させて乗ってこなかったという経緯がある スレ違いになるが、この話は日米関係が拗れていく過程の出来事として もう少し研究されていいことだと思うんだが、あまり知られていないみたいだね
>>523 当時のアメリカが通商支配型の政策による植民地型帝国支配からの脱却をはかりつつ
あったのに対して、日本が若い帝国主義国家として、
満州の土地の支配にこだわったのが軋轢の激化の原因だと思うんだけど。
アメリカ的な支配様式は日本にはまだ難しかったのかな。
石橋 湛山なんかはそういうこといったと思うけど。
>>523 戦前の日本政府は軍部だけでなく、文民の政府も含めて
中国の民族的な力量を軽視したりしてたから、そこら辺が
他国から見て身勝手な形で出ても全然おかしくないとおもう。
その反動で極度に領土防衛について消極的な
今の日本もどっちもおかしい。権利は他我の平等の
基準を一応当てはめて考えるくらいの習慣は持たないとなあ。
竹島とか尖閣とかは引きすぎだし。
>満州の土地の支配にこだわったのが軋轢の激化の原因だと思うんだけど。
参考 元外交官 岡崎久彦 「百年の遺産-日本近代外交史(40)」
> 最も効果があったのは、排日侮日運動です。利権回収といっても、条約上の権利はなく、実力で取り返そうとしても、
> かえって日本の武力にやられてしまいます。そこで日本に武力行使の口実を与えないギリギリの範囲で、
> 在留邦人、とくに女性、学童に、唾(つば)を吐く、石を投げる、殴る、小売を拒否する等のいじめで、満州にいたたまれないようにする方策です。
>
> 重光によれば、これを国民党指導の下に国策遂行の手段として行いました。
>
> 幣原の信念は、全ての国が既存の条約、法律を守り、その変更は話し合いによることです。当時の
> 米国公使マクマリーによれば、日本はワシントン会議の条文と、その精神を最も忠実に守った国であり、
> ワシントン体制を守れるかどうかは、実際には中国の自制と、それをはっきりと中国に要求すべきだった
> 米、英、とくに米国の態度にかかっていました。
>
> しかし、排日侮日という形で、日本の権益が損(そこ)なわれるのは、幣原の平和外交をもってしても
> どうしようもありません。東京裁判では、日本が自衛のために戦ったと主張したのも、この歴史的背景があったからです。
>
>
http://www.okazaki-inst.jp/hyakuisan40.html
>>524 アメは土地は要らなくて、日本は土地が欲しいだけなら
双方は両立できたんだ。
日本が欲しがったのは防衛用の捨て地である土地と同時に
潜在的市場たりうる人口を養う場だったわけで
市場を米国に金借りて作って、米国に無償で開放しろというのは
間接的に満州を米国の植民地市場にするという意味だ。
>>525 身勝手で言うなら米国が一番身勝手だろう?
国連自分で作っておきながら参加しないでその上口だけ挟み
いうこと聞かないと軍閥に献金して排日運動を支援だもん。
今とやってること何にも変わらん。
当時の日本は、良くも悪くもピュアだったから
欧米列強がそこまで身勝手だとは理解し切れなかっただけ。
>528 そうだな。夢見た列強の仲間入りをした途端に、 今まで、日本を面倒みてくれた(日本を利用した)列強に ライバル視されてしまったんだもなぁ。
スレ違いに過ぎるぞ。大戦略は、もうイイから
>>528 まあわかるけど、それが帝国主義時代の現実じゃね。
アメリカが土地じゃなくて通商政策による支配を
仕様としてたのを対抗できないって理由で
土地にこだわったのは、当時の日本の発展段階としては
整合的でも、アメリカの民族自決という大義名分の元での
世界市場支配に対しては脆弱だったろう。
そこをどう突破するか、あるいは、棲み分けていくか。
今も同じ問題を抱えてると思うけど。
うっとうしい「大戦略厨」だな。 語りたければ国際政治板に行けよ。 現場・実戦の場を論じるのが本分のはず。そんな理屈を並べていたら ノモンハンで苦しむ兵士が助かるのか?
>>532 満州国成立前からソ連との対決は避けられない運命だったわけだ。
この対決を先送りにするべく
日ソの協商とか国境紛争事なかれ主義とかで
時間を稼ごうとしたのが参謀本部の指導方針だったと。
これに同意できずに暴走しちゃったのが関東軍でありノモンハンだったと。
現場・実戦の場を論じたって助かりゃしねぇよ。 戦死者の弔いがしたきゃ一人で靖国でも行ってろ。 「英霊カワイソス」だけでスレ進めたいなら極東板にでもスレ立てろ。
で、以上を理解して進めると 昭和14年初夏から晩夏に於ける23師団および第6軍で最良の手はというと 最初から動かなかったら良かったと、それだけのこと。
>>533 ソビエトとやるのを先延ばしにするのにアメリカが使えたのではないかという話なんだけど。
でもこれって、戦後世界構造とほぼ同じだよな。
>>535 同意。大戦略がないから戦っちゃった。
動かないのも戦争の手段なわけで。
土地の明け渡しか・・・日本軍が弱いと見たソ連軍・中共が、どこまで前進し増長するかだな
増長は、こんな感じかな? > エストニアは他のバルト三国の国々と同様に 独ソ不可侵条約の秘密付属協定の犠牲に なって、1940年6月に ソ連に侵略された。 > スタリンの命令に応じて、1941年に 膨大な粛清運動が始まり、数万人のエストニア人は大量流刑と大量処刑の犠牲者になった
>>539 フィンランドもソ連軍の侵略にさらされて大変だったらしいが・・・
>>539 それと全然違うのは、ノモンハンがほぼ無人だったこと
縦深陣地引いてソビエトに対抗するとともに
紛争地域への侵攻という挑発を一時的に許容するのもできたのでは。
>>541 日本側が引けば引いただけ、衝突するまで攻め込んで来るんじゃ?
当時の欧州情勢から見て ソ連に日本とガチンコかまし二正面作戦やらかす覚悟があったかは疑問。 ただし放置しようにもシベリアやら張鼓峰やらで 何度も攻め込まれているので 威力偵察の上一発ガツンと叩き戦意を奪っといた上で 欧州の守りにより力を入れるというのがモスクワの選択では。
モスクワのスターリンの頭の中までは判らないわけだが・・・
>>543 その意図を見抜いていた場合にはどうするべきかってはなし
結局放置して陣地に篭って千日手 ってなるでしょどうしても。 てかそれが妥当。
>>545 有り得ないだろう。後知恵。有り得るのは「様々な可能性」だけ。
それに備えることしかできないし、こっちの行動如何で相手の行動も変わってくる
逆に言えば、
>>541 やましてや満州侵攻なんてありえない。
>>546 言われるまでもなく当時の日本兵はスコップで穴掘って・・・でもソ連軍の大攻勢を支えきれなかった。
何年も前から「この日にソ連軍が攻勢仕掛けてくる」って判ってるならともかく、現実には急造陣地しか
有り得ない。
だからと言って大兵力を投入すれば、
>>450 の 1. に。
>>549 問題はどの段階で防御陣地構築を始めるか、と言う事だと思う。
蒙古兵が散発的に越境してきた位の時点ならある程度は可能では。
やはりタムスク空襲と東支隊派遣は
結果としてソ蒙側に挑発の口実を与えた。
もし本気で国境線を確保するなら結果としてそれが一番の上策では? 事実後に同様の条件を持つ中ソ国境には両国によって陣地帯が築かれた。
>>546 同意
>>547 あと知恵といってもあんな川沿いの低地で
向こう岸の高地からの照準にさらされる陣取りよりは
ましだと思う
>>551 結果としてはそれが一番安くついたはず。
実際、ノモンハンで正面戦をしてしまってるが。
相手側の兵力が大きいんだったら縦深陣地による防御戦が
最上策でしょ。
555 :
名無し三等兵 :2006/05/02(火) 00:33:40 ID:Z+1WECLD
555
ソビエトは関東軍の上層部の質からして 挑発に乗ってくることを読んでたんではないだろうか 陣地構築なんてやらずに戦っていためつけるのが 対中国戦のパターンだったし
大粛清の嵐が吹き荒れるソ連で?
まぁそうだろうな。 で、そこをガツンとカマして出鼻をくじいとけば 当分欧州に専念とまでは行かないまでもより力を割ける と。 そこいらへんの冷徹な読みが、同じ大陸陸軍国家でも、 解っていながら結局二正面作戦の愚を繰り返すクラウツと 明暗を分けたんだろうよ。
>>557 粛清の嵐は吹き荒れててもそれ以前の帝政ロシアとは
比べものにならないくらいの合理的行動様式が
できてたのはまちがいないから。
物事は比較の問題だし、日本の関東軍の相手を馬鹿にしか
できない頭脳よりは読めてたのだとおもう。
>>558 ソ連は当時からして人口が2億くらい?
日本は動員可能な一級市民が1億いない。
ドイツも1億いない。
二正面作戦しても戦えたのにそれを避ける作戦を
ノモンハンでおこなってる。
初戦の電撃戦での敗北をさしおいても大局的なよみで
ほぼ勝ててるなあ。
二億もいねーよ。 適当なこというな。
>>561 何億だっけ?
1億8千万くらいはいたのでは。
ソビエト崩壊時に2億5千万くらいだろ。
>>562 ソビエト崩壊時2億9千万。
ほぼ3億。
双方の策源地と展開可能正面の延長を考えた場合 縦深陣地なんか作りようが無いと思うのは私だけですか、そうですか
>>565 ソビエトロシアも中国もその後してるわけだし
できないとはいえないのでは
最初に東捜索隊を出した時点でソ連軍は一個軍団出してるんだもん 陣地掘ってる最中に蹂躙されて終わりだよなあ。
>>567 アグレッシブにやる必要ないわけで。
ただ偵察活動に失敗してるのがなあ。
フランス見習ってミニマジノ線作るより、ドイツ見習って機動力のある機甲師団作って 何時でも攻勢かけられるようにした方が合理的では?
>>526 ちょっと遅レスだけど
>日本はワシントン会議の条文と、その精神を最も忠実に守った国
って何をもとにそういう感想持ったんだろう?
軍縮条約で決まっている艦船の総排水量枠とか結構ごまかしているけど、
アメリカ公使はその辺気付かずに評価してたってことなのかな?
そもそもワシントン体制の話で何で中国が出てくるんだろう?
>569 日中戦争をただちに中止しその戦費を当てないと無理っす。
>>572 攻勢的な軍事作戦より陣地構築して防御的な軍事作戦の方が妥当だったのではないか
という話なので、できる範囲でやるってことでは。
>>569 その案は実際にノモンハン後にはちょっとやられてるみたいだけど
ノモンハンには間に合わないでしょ。
>>573 費用対効果を考えるなら防戦一方よりも、先手を取って攻勢に出た方が有利では?
>ノモンハンには間に合わないでしょ。
史実に沿って考えれば間に合わないのは、どちらの方法も同じだし。
ノモンハン云々より支那戦線をなんとかしないとなぁ。
>>574 どうかなあ。
あの対岸の砲の照準にさらされる場所での蛸壺作戦は
果たして攻勢といえるのか。
ソ連の陣地の構造を知っていてなおあれやるとはおもえないし。
>>576 まあそんなことで、後半は夜襲かけまくりみたいになるわけだよね
>>576 そりゃそうだろう。相手が砲兵陣地を敷くまでボケッとしてるから・・・
前もって充分な戦力を集め、攻撃準備を整え、チャンスを待つ。
蒙古兵の侵入事件が起きたら、それを口実に先手を取って敵の領土に侵攻し
ソ連・蒙古軍が手薄な内に、高地などの重要地点を占領してしまえば良い。
誰が全面戦争しろ、と
兵力を小出しにすれば、史実通り
>>580 ああ、待っていても戦力差は開く一方だから、やられる前にやっちゃうわけですね。
同じ考えでアメさんに喧嘩売ったらどうなったか学習した?
>>581 同意。やっぱり縦深陣地で、持久戦に持ち込むしかないよな。
ダメダメ。急造陣地作ってもソ連軍の物量で潰されるって。
>>405 この日(7月3日)の戦闘で「日本側の記録で見れば、敵戦車百数十台を撃破した計算になる。」「ノモンハンの夏」半藤一利著 P230
ソ連側の記録では
> 7月3日にハルハ河西岸の戦闘に参加したソ連軍戦車133両のうち77両、装甲車59両のうち37両、
> 蒙古軍の装甲車8両 (計122両の喪失)
> (第11戦車旅団は)散開して勇敢に進んだ。日本軍の砲撃で大きな損害を出した。
> だが繰り返して言うが、我々にその覚悟はできていた。
>
> 旅団は人員の半分を戦死者、負傷者として失った。戦車も半数か、それ以上を失った。
> 攻撃を支援していたソ連軍とモンゴル軍の装甲車部隊は、もっと大きな損害を出した。
> 戦車は私の目の前で燃えた。
> ある戦区では36両の戦車が散開したが、そのうち24両は瞬く間に燃え上がっていた。
>
> ジューコフ将軍談
「ノモンハン戦車戦」 マクシム・コロミーエツ著
>>582 んだから、どこに陣地を掘るかなんだよ。
1:ソ連側主張の線より満州側
2:日本側主張の線より満州側
3:日本側主張の線よりソ連側
1はソ連としては大歓迎で、別に何もしないだろう。
2はソ連から見たら侵略だから大軍勢が穴掘ってる最中にやってくる
3は当然いうまでもない。
>>586 1からはじめて2の側にのばしつつ、
国境線交渉をするというのが妥当じゃないの?
国境そばに軍隊が集まった段階で、相手国は警戒態勢に入るよ。
>>588 交戦するよりにらみ合いが普通じゃねえの?
>>589 国境沿いに敵の軍隊が集結し、しかも大規模な陣地構築を始めたら直ちに臨戦態勢だな。
問題は、どの「国境」に集結するかだ
>>586 >>587 の言う通りにしたら、1の段階でソ連軍も集結してくるだろう。
言うまでもなく「ソ連側主張の線」に
どこの世界に、国境線付近に大部隊が展開して築城はじめてんのに、 「まだ相手側領土内だから」って、自分だけのんびりしている軍隊があるんだよ
関東軍だって、重要な国境には要塞や陣地を築いているわけで ノモンハンはそこまでする必要性を考えてなかっただけじゃないの。 マジノ線みたいに国境全体を要塞地帯にするつもりも必要性もないし。
ノモンハンから進入しても重要拠点には遠いからなぁ・・・。
595 :
名無し三等兵 :2006/05/05(金) 23:15:42 ID:hVMeFX85
辻は強硬派? 日本軍の水準としては優良装備の第5師団(車輌化師団で、90式 野砲16門装備)まで投入を非公式に通達したらしいが
これを「事件」で片付けたのが最大の禍根
598 :
名無し三等兵 :2006/05/06(土) 01:03:28 ID:YcmGDyS+
ウチのじじい 関東軍、ノモンハン行ってた。 語ると長いよ。。。
600 :
名無し三等兵 :2006/05/07(日) 11:04:36 ID:4MfXKSHb
日本は国境線を守るという経験に乏しいから ノモンハンも中国もある意味失敗してる希ガス
国境線を守るためには、断固とした態度で望むべき。侵入した敵が少数だからと言って「事件不拡大方針」を取って 小規模紛争に止めようなどと言う軟弱な態度ではイカン!! 陸軍と航空隊の大軍を送り込んで、侵入した敵はもとより後方の敵本陣もろとも一挙に撃滅し 我が軍の武威を示し、二度と侵略しようなどと言う気を起こさせないように徹底的に叩くべし!!
603 :
名無し三等兵 :2006/05/07(日) 21:00:37 ID:UN+h+/6v
まあ、いつの時代になっても、 プラグマティズムと無縁な奴が多いことが、 よく分かった。
>>602 そもそもソ連の国境線と日本の国境線が違ってると言うことを
知らない時点で問題がある。
>>603 ノモンハンでは、ソ連はプラグマティズムが勝ち、
日本はプラグマティズムが負けた。
日露戦争は逆かと。
>>606 ソ連は叩いておいて西ヨーロッパ戦線に集中しようとし、
局地的に合理的な範囲を超えて事件を拡大した。
日本はそれを読み切れず、戦力を分散的に投入した。
それなら、日本はどうすればよかったのか。
ソ連の意図を正確に読んでいてそれに自信があった場合。
ソ連の意図に確信が無かった場合。
それぞれについて、答えよ。
という問題になおしてみる。
>>607 >日本はどうすればよかったのか
を、どの時点での行動指針として
想定しているのか明確にせよ。
解答例:
辻〜ん解任汁。
いやむしろ、満州国建国が。
なんの。シベリア撤兵がイカン。
日露戦争の継続を望む。
ほら、ワケわかんなくなってきた。
>>608 第一次ノモンハン事件(1939年5月11日-5月31日)の時点において、
日本本国政府の視点から考える。
なお日本政府の統率力の限界は考慮しなくてよい。
>>609 ソ連の意図を正確に理解していた場合は静観。
確信ない場合は兵力の接触が避けられる範囲に
同等程度の兵力を配置して外交折衝に挑む。
>>610 >ソ連の意図を正確に理解していた場合は静観。
国境線を譲るの?
>確信ない場合は兵力の接触が避けられる範囲に
同等程度の兵力を配置して外交折衝に挑む。
具体的にどこに兵力を配置するの?
ソ連の意図を正確に理解しつつ、それに正面から対応してたら・・・ 関東軍が壊滅してるだろw
23師団将校団 カムイ・サエサ・正助・ナナ(カムイの姉)・一太郎(正助とナナの子) ・弥助・オナカ(カムイの母)・小六・オミネ(小六の娘)・山丈・苔丸 ・スダレ(苔丸の偽名)・権・アケミ・武助(アケミの父)・ダンズリ(正助の父) ・吉兵衛・シブタレ・花巻村庄屋・藤十郎(花巻村庄屋の長男) ・竹間沢村庄屋・五郎・仁助・タブテ・スズメ・ツムジ・コダマ ・日置藩主・三角重太夫(日置藩城代家老)・草加勘兵衛(日置藩次席家老、竜之進の父) ・草加竜之進・草加十兵衛(草加一門)・笹一角・笹兵庫(一角の弟 )・馬場平八郎・水無月右近・横目(非人頭、サエサの父)・キギス・青木鉄心(円明流鉄人道場主) ・仁太夫(江戸の勧進頭、タブテの偽名)・小頭(謎の雲水、公儀隠密の小頭)・大頭・ 風(シナド)のトエラ・赤目・搦の手風・橘軍太夫(日置藩目付)・橘一馬(軍太夫の息子) ・橘玄蕃・伝次(野鍛冶)・百舌兵衛(鷹匠)・日置の一(日置一帯の山の者の頭) ・蔵屋・七兵衛(後に夢屋七兵衛)・日の市(赤目の変装)・キク・湊屋・露木鉄山 ・アテナ(露木鉄山の娘)・クシロ・鏡隼人(カムイの変装)・鈴鹿(サエサの変装) ・松林蝙也斎・松林剣風・左卜伝 ・宝監物(日置藩江戸家老)・錦丹波
面白いと思ってるのかな・・・
>>584 戦訓
> BA-20とFAIの装甲は13.2mmの大口径機関銃による徹甲銃弾が容易に貫通する。
>
> BT-5ならびにBT-7の装甲は大口径機関銃によっても撃破されない。日本の37mm砲は
> いかなる我が戦車の装甲も無理なく撃破貫通する。
「ノモンハン戦車戦」 マクシム・コロミーエツ著
>>6 ソビエトは二正面作戦を避けるために積極的に
ノモンハン事件を作り出した。
日本は二正面作戦を侵す愚を、まったく考えず、
日中戦争から太平洋戦争へと拡大していった。
そりゃ勝てないよ。
>>616 二正面作戦を避けるため、侵略してきたソ連に対し全力で反撃・侵攻作戦を展開すべし
>616 大平洋がなくても、日中戦争には勝てない。 しかし、それが分かったのは、日中戦争になってしばらくしてからのことである。 >日本は二正面作戦を侵す愚を、まったく考えず 考えないというか、日中戦争で軍備が整ったからこそ、太平洋戦争に挑めた。
>>617 日中戦争が継続してるのだから、対ソ戦だって二正面作戦ではあるまいか。
まあ、どっちかに絞ってもどうせ勝てないんだけどさ。
>>618 日中戦争に勝てないというのはそもそも、
相手政府を交渉の相手から外すなどという
訳のわからないことしたからだろ。
>>620 支那にはマトモな政府など存在しない、
という当時の日本の考えは強ち間違いではないんだが。
>>621 勝利条件を自分で消してどうするってはなし。
勝利という形をとれたら撤退できるじゃん。
>>622 勝利条件:敵民族殲滅
軍ヲタ初心者並のメンタリティ。
>>623 >勝利条件:敵民族殲滅
まじでこう思ってたのか。
そう思いたくないんだけど、
狂ってたのかな。
いくらなんでもそりゃネタだろう
それは多分ネタだと思うが、 一体どうやって勝つつもりだったんだろうか。
力押しに叩き潰せば支持基盤の弱い蒋介石は自滅するにちがいない。 その後、割拠した軍閥のどこかを支援して傀儡政権にすればいい。 こんなとこだろ。 問題は日本の侵攻が逆に敵の結束を固めてしまったこと。 また、仮に目論見が成功しても待ってるのはベトナムの泥沼化。
局地戦にいくら勝てても、相手を降伏させることができない中国戦。 泥沼になるのは誰も想像できなかった。歴史の必然性だな。
>>628 >泥沼になるのは誰も想像できなかった
なわけない。そもそも、勝利条件を想定せず、始めてる時点で、どうかしてる。
勝利条件(戦略目標)は想定していたが、 それが講話に結びつかなかった。
>>629 ノモンハン事変も支那事変も基本的に「防衛戦争」なんだから、
「勝利条件を想定せず始める」のは当たり前というか何と言うか〜
某国が北海道を占領しに来たら「勝利条件を想定」してる暇なんか無く、自衛隊が行動起こすだろ?
>>631 ノモンハンはともかく支那事変はなぁ。
他国の領土で「防衛戦争」か。
おめでてーな。
つか。
>某国が北海道を占領しに来たら
当然、「勝利条件を想定」しますが何か?
それともあれか?
「勝利条件を想定」しなくていいから
敵国の首都陥落まで聖戦の遂行だー、と
叫ぶ右翼の中の人ですか?
>>629 =
>>632 「首都陥落により講和のテーブルに蒋介石政府を引きずり出して停戦」
というのが勝利条件の設定なんですが?
独ソ戦の戦略目標、モスクワ占領みたいなものか。
ま、首都陥落が講和に通じると考えるのは古今東西の戦史を鑑みても常識だわな。
634 :
632 :2006/05/13(土) 02:18:31 ID:???
>>633 俺は
>>628 じゃないぞ。
で、「敵国の首都陥落まで聖戦の遂行だー」は
>某国が北海道を占領しに来たら
に対してのレスなんだが読み取れてない?
どちらのお国からいらっしゃったんですかあ?
国士様なら、まず、正しい日本語の読解力から
養いましょうねえー。
635 :
632 :2006/05/13(土) 02:19:27 ID:???
>>629 =
>>632 ではなかったのか。
それは失礼した。
>>631 の認識自体が間違っているな。
・支那事変は落としどころを常に考えていた
・北海道侵攻を想定するプランが自衛隊にはあるので「勝利条件」も当然ある。
で、その頭の悪そうなレスは何?
もうね、結論なんざ出尽くしているんだし、 おちんちんびろーんで良いじゃないか。
日本帝国もソビエト連邦も満州国も滅び、 中華民国も国土は台湾のみとなり政治体制も変わった。 夏草や兵度もが夢の後
>>631 支那事変を防衛戦争というなら侵略戦争は無くなるわな。
イラクとよく似てる気もするが。
>>636 落としどころを考えていても、落とせなかったらだめじゃん。
>>638 あほか。
ろこう橋事件を演出したと言われる中共が生き残ってるじゃねえか。
あと日本もだが。
>>641 ここはノモンハン事件スレですけど
>あと日本もだが。
アメリカ様の属国になった日本帝国の残骸がなw
>>642 アメリカ様の属国は元大英帝国も同じだから気にするなw
>>632 >当然、「勝利条件を想定」しますが何か?
どうせ「敵を領土外に追い出せばイイ」程度の単純な「想定」だろ? 気楽でイイねぇ
日本の勝利条件:モスクワ攻略w
>>645 では、きみが推奨する日本の「ノモンハン事変解決法」を述べよ。
>>647 まあ、後知恵で言えば、起こってからじゃもう遅い。
とりあえず、辻〜ん更迭と関特演の見直しからだろうな。
辻〜んは更迭じゃなく銃殺しないと後の憂いが
>>648 アホ、ノモンハン事変を起こしたのはソ連軍。日本は自衛しただけ。
竹島・尖閣問題と一緒だよ。問題起こしてるのは相手の方。
>>650 ノモンハンと竹島・尖閣を同列に置いてる点から見て
アホがどっちか、は明白だと思われるわけだが。
なんにせよ具体的な解決策を示せなきゃ
何やろうと戦力的にはもともと勝ち目がない。 だから軍事的にはボロ負けするのがデフォ。 あそこで近代戦では使い物にならない陸軍を作っちゃったのが はっきりするわけで、あとはその教訓をどう生かすかの問題なんだな。 実際は現場の下っ端に責任取らせてなかったことにして、 けっきょくズルズル同じ失態を何度も繰り返したわけだが。
>>653 空陸連携ができたら防衛くらいは何とかなったんじゃないのか?
>>653 分かりやすく言えば、つまり、一人のソ連兵が国境を越えて侵入してきたら、日本軍は領土を明け渡して急いで撤退しろと?
国境を越えてきたソ連兵一人につき30Kg爆弾一個投下すればよい。
>656 するとソ連軍も空軍と戦車出して反撃してくる > ノモンハン事変へ
>>655 全然わかってないなw
戦って負けるまでは別にいいのだ。
問題はどの程度の損害で手を引くか、負けた後の総括をどうするか、だ。
>>658 つまり犠牲は少なくても多くてもいけない。「ほどほどの損害」で適当に引けと?
>>660 まあ軍事なんてモノは即物的に思考すべきシロモノ。抽象的な空理空論並べても仕方ないからな。
軍事はその通りだが、外交(講話/講話にための布石)は違う。 軍事だけでは語れない難しいところだなあ。
>>663 おまえのオツムでは政治が解からないだけだろw
大戦略厨うざい
>663 ここは軍板、しかし政治を抜きには語りきれない。 難しいよね。軍を語るのは。
緊急電文!! ノモンハン地区に敵の兵士が侵入してきました。隊長、どうしますか?
おまいは現場指揮官の判断に全部をゆだねるのか。
その隊長は、もっと上の軍上層部に連絡し指示を仰ぐ。将軍、どうしますか?
>>669 『兵は拙速を尊ぶ・・』“孫子” つまり、判断が遅いヤツは軍人に向かないって。「厨」に聞いても無駄。
天下国家を得意気に語る「大戦略厨」は、いざ具体的な事になると話が止まるからな〜
電話や無線がある時代なら、本国の指示を仰ぐべき
関東軍司令部は、もっと上の政府中央に連絡し指示を仰ぐ。大臣、どうしますか?
んで、その関東軍の危機管理マニュアルに 越境を口実に大兵力で逆侵攻したると書いてあったというオチ 勿論参謀本部には内緒。
>>672 陸軍大臣には作戦行動に口を出す権限はないぞ。
>>674 例え話だからどうだって良いだろ。それより彼方だったら、どう命令する?
まともな政治家なら鉄砲撃って追い払えとは言わん罠
それで何と言う?
前線の部隊にか? いつでも出動できる用意はさせておいて、 手出しはするなって言うに決まってるだろ。 んで外光交渉。
なるほど「竹島」状態になりそうですな。
満州は日本の領土じゃないし
外交のカードとして軍事作戦を発動するのも有りだが、 それは軍人が勝手に決断してよいものではない。
で、結局無為無策か・・・
どうせ負けるんだから、その方がいいだろ
結局、ノモンハンは自衛戦争だよ君が言いたいのは 「ソ連軍が悪いんだもん。日本軍は悪くないもん」って事だろ? 確かに日本軍は悪くない。弱くて馬鹿だっただけだ。
>>684 >弱くて馬鹿だっただけ
それは、指揮官の腕が「悪くて」頭が「悪かった」と。
なんだ、結局悪いんじゃネーカ。
悪くはない! ただ、両方とも少しばかり・・・足りなかっただけだ。
一番足りないのは国力だ。 オレって頭いいな。ウフ。
しかし愚痴言いながらボケーとして事が過ぎ去るのを待ってても、自然に解決する事なんか有り得ないのが「軍事」ってヤツ
まあ領土紛争としては五分五分だったが、何もしなきゃ土地を全部取られてるな。
またお前か。 五分五分とか言ってる時点で痛すぎる
過去ログ見ると「日本軍は悪くないよ。日本軍は負けてないよ」君は、 1ヶ月前から同じ事を繰り返し書いてるだけだな ありがちな池沼の典型と見た
さあ? 今の流れは「当時の状況でどうするか?」だが
それも答えが出てるだろ 政府の指示でやったならOK 関東軍が勝手に始めたからNG
そんな手続き論聞いてないだろ。 単に「どうするか?」だよ
ハァ?手続き論?むしろ本質だが 誰がこの戦争を終わらせたんだ? 関東軍の参謀か? 本当に馬鹿だねぇ
煽りには乗れないね〜 単に”どうするか”と聞いてるだけだし、「大戦略」は得意でしょ?
4月17日辺りの書き込みから、まるで同じ事だなw
辻正信がビルマの山奥から書き込んでるのかな?
>>693 いや、俺の記憶だけでも
少なくとも一年以上にわたって湧いて出てる。
つか、この手のスレが立つたびに
皇軍太郎とか国士様とか
事実を事実と認められない池沼が
何度論破されても次から次へ、と。
秦教授の資料とか色々新しく出てるからな
権威の弱いウヨクンなのでありました
中国様が言えば嘘でも証拠が無くても信じるサヨク様の権威主義にはかないませんw
国粋主義以外は全部左翼だと思っているウヨクンなのでありました
中国派、ソ連派、北朝鮮派、サヨクにも色々あるなw
軍事=即物的に思考すべきなんて言ってる奴の脳では仕方ないか
精神力もちゃんと考慮しないとね
>>707 自分が左翼と思ってるウヨクン乙
それ中国右翼ソ連右翼
712 :
名無し三等兵 :2006/05/20(土) 21:31:28 ID:9d5ZughV
ファビョってきたな
「どうするか?」って聞いただけなのに・・・ファビョるなんて
で、そんな事聞いてなんか意味あるの?
ソ連軍は陣地を作るのがうまい。 固定概念にとらわれず、敵を誘い込んで殲滅するために敵に合わせて上手に作っている。 反面、不思議なのは 戦車部隊単独で歩兵陣地に突入させたり、ナポレオン時代みたく隊列組んで敵に進撃するなど、お粗末な攻撃手法。 こんな奴らが、数年後に関東軍を瞬破し、満州を蹂躙したとは。
>>716 マニュアルの問題なんだよ。
陣地要綱は凄く丁寧なんだけど、攻撃は結構アバウト。
陣地構築は士官が時間をかけてチェックして回れるから
一定レベルの質が保証できるのに対して
戦闘、とくに攻撃時は状況が流動的になるから、指揮官が全部をコントロールできない。
下手に難しい組み合わせするよりは単純にして
それで足りない部分は兵力と火力で補うことでシステムを単純化してるのだ。
>>714 こっちが引けば引いただけソ連側は侵攻してくると思うが。
どこまで引くのかな?
ソ連や中国だってアメリカやイギリスの援助がなければ、ドイツ、日本に 屈しただろう。 外交でポイントを稼げば戦場でのチョンボは帳消しになる。 逆に外交でのチョンボは戦場のポイントを帳消しにする。 ノモンハンだって外交でソ連を丸め込めれば日本の勝ちになった。
>>719 ソ連側としては「日本が攻め込んでこないようにする」
ってのが、
コレまでさんざ語られてきたこの事件のソ連側戦争目的な訳じゃん?
別にヨーロッパ方面でドイツが何しでかすかわからない状態で
不用意に満州の一部を切り取るような目的はないと思われ。
まぁどうしてもノモンハン事件
=「日本の防衛戦争」ってことに定義したい向きには
何が何でもソ連側に侵略の意図アリってしたいんだろうけどさ。
>>719 そういうと思った。
ソ連が侵攻してくるというソースは?
陣取り合戦のレベルでしか戦争を理解できないんだろうな
724 :
名無し三等兵 :2006/05/21(日) 22:00:05 ID:Ti+XVoMq
しかし、ロシアもひやっとしただろね。 また、日露戦争の二の舞かよって。
>>722 連中は絶対にやるだろ、だって共産主義政権だから
>>725 結局お前の脳内アカ恐怖症がソースかwww
勝てると思ったら戦争を仕掛けるのがスターリン。 ポーランドにフィンランド、バルト三国、イランにも兵を進める 狂犬スタ公に舐められたら御終いなのよ。
>>725 悪い事は言わん。
極東板に帰れ。
この板は5年ばかしROMってろ。
ノモンハンで手ひどく叩かれ関特演で拱手傍観していた関東軍のように。
>>728 共産主義者必死だなw
そんなに侵略の意図があるといわれるのが都合が悪いのか
そこまでして否定するという事は真実だったんだろうな、お前らの行動が真実だったってことを物語ってるよww
>>727 ただし絶対に二正面作戦はしないのがソ連。
伍長閣下のヨタ話に国全体が付き合わされた結果
ポーランド攻めチェコ攻めオーストリー分捕りノルウェーに暴れこんだ挙句
ベネルクス三国にフランス落として
調子付いてイギリスに手を出したまでは良かったが
手詰まりになってヤケ起してソ連に攻め込んだドイツとは違う。
>>729 国士サマ必死だねぇ。
>>721 で説明してやったとおり、
あの時期に大兵力で満州切り取るメリット自体がないんだよ。
ま、それでも無理やり「防衛戦争」ってことにして
現地の無為無策な暴走の言い逃れがしたいってコトは
お前、親戚に当時の関東軍参謀でもいるのか?w
国士様はソ連がコワイコワイwww
大体「‘30年代ソ連満州武力併合説」を唱える御仁は 張作霖爆殺以後息子の張学良及び満州軍閥と国府の関係 さらに国府と中共、 ソ連共産党の関係を理解した上で書いてるのだろうか? 当時の東アジアとソ連の国際関係は、 国士サマの貧弱な脳味噌が生み出した妄想で割り切れる程 単純ではないのだよ。
陰謀論と浪花節でしか戦史を語れない方は 相応の板にお引き取りください。 この板の先住民は貴方方のように情緒豊かでは有りません。 ただし客観的な事実と冷静な視点に立って 議論を行うのを旨としています。
>>733 マジでそういう煽りはやめろ
っといっても書き込んだ国士の奴も多少非はあるが
たまたま妄想が逞しくなってしまっただけだろう
くだらないことでスレの空気汚すなよ
だからいつまでたってもこのスレは坊やばっかりなんだよ
>>735 言いたいことはわからんでもないが、最後の一行で説得力台無しにしちゃいかんでしょ。
縦読みかよw やられたw
>>727 そういえばそうだなあ。ノモンハンで事実上、
ほぼ互角だったのが戦争終結直前まで
侵攻されなかった理由かもな。
しかし、だとすると、ソ連はよく満州を中国に渡したね。
共産党政権じゃなかったらああならなかったのか。
それともソ連の本体はあくまでヨーロッパだから
満州は防衛として必要と成らなかったのか。
>741 だからソ連は二正面はやらないんだって もし日米開戦以前にソ連が満州に攻め込んでくれていたら どんな展開になってただろうなと想像したら面白いんだけどね
>>742 そのシナリオは日本が北進したらなるであろうシナリオだが
カスピ海油田をドイツが押さえてドイツからもらうとかになるのか?
>>742 すると日本が引かず徹底抗戦していたらソ連側の方が折れるな。
ソ連は二正面をやらないんだから、欧州情勢が怪しくなりそうになったら対日和平へ動く
徹底抗戦してボロ負けして戦闘能力ほぼゼロの状態になって、 そこで敵が停止してくれたから終わった局地戦なのに。
>>745 とんでもない、日本軍は増援を送って全力で反撃する寸前の停戦。
747 :
名無し三等兵 :2006/05/22(月) 21:18:24 ID:BMEeJMPk
>>745 ,746
見方が二つに分かれるような・・・。
前の方のレスでも書いたけど、強硬派はホンキで反転攻勢しようとして、高射砲2個
連隊、重砲2個連隊、速射砲22個中隊(計88門)、戦車182両を投入、さらに
当時の陸軍としては優良装備の第5師団(機動90式野砲16門装備)や第14師団まで
投入することを非公式で通達してきた・・・。
でも結局は補給力かな???
>741,746 死傷者数をもって「互角」と考えるのは、途方もない誤りでしょう。 さんざん既出のとおり、向こうはポーランド分割等々に間に合わせるためも あって、にわか造りとは言え陣地にこもろうとしている日本軍を、力攻めし ている。攻者の死傷者数が多いのは、日本の善戦や攻撃の拙劣さもあるけど、 「防御は攻撃よりも強力な戦闘形式である」という面が大でしょう。 で、計画していた「反撃」は、飛行機も戦車も重砲も、質量共に不十分な状 態で、極論すれば歩兵の頭数だけで、防御に回ったソ連軍を攻撃しようとい うもの。うまく行くとは、到底考えられないね。
749 :
名無し三等兵 :2006/05/22(月) 22:50:47 ID:xb+Mc5Qg
>748 >さんざん既出のとおり、向こうはポーランド分割 >等々に間に合わせるためも あって、にわか造りと >は言え陣地にこもろうとしている日本軍を、力攻めし >ている。 そういうのも含めて(あちらの国内事情を!)戦争を継続 できないなら(しないなら)、それを『互角』と言っても 差し支えはないと思うが…? だいたい勝利や善戦をアピールすることも重要だしな。 イランイラク戦争なんかどちらも勝利をアピールしてるよw
>>748 でも、ノモンハンで戦力を消耗してたら
対米戦も日中戦の拡大もできなかったかもしれないね。
やったほうがよかったかも。
いちおうノモンハンは戦争目的も正当性も
ソ連にたいして劣らないし。
>>748 それ逆だよ。日本軍の死傷者の大部分は、事変終盤のソ連軍大攻勢によるもの。
多くの日本兵は陣地に籠もったまま戦死していった。
「兵力自乗の法則」の証明みたいなモノ
逆に終盤の優勢な戦力で総攻撃した時の、ソ連軍の死傷者は最小限で住んでいる。
ソ連側の死傷者の大部分は初期から中盤にかけての日本軍との交戦時のもの。
>>741 >>748 ソ連の意図はよくわからんのですよ。
スターリン時代の史料がほとんど失われてしまっている。
だから議論は推測の域を出ないわけで、いろいろな見方ができる。
ソ連が大装甲兵力を投入して歩兵主体の日本軍を圧倒するはずだったのに、
あまりに犠牲が大きかったノモンハンを見て、
スターリンは日本への警戒を強めて日ソ中立条約の締結にむかった。
さらに、スターリンは日本が弱体化する太平洋戦争終盤まで、
あえて中立を守ったという見方もできます。
この見方に立つと、ノモンハンは日本の戦略的勝利ということになります。
日ソ中立条約は双方にとってラッキーであったけど、 最終的に得をしたのはソ連。 日本が得をするためには、太平洋戦線か中国戦線、どちらかに ソ連より先に勝利しなければならなかった。
>>752 そうかもしれないですね。
>>753 日本は中国戦線を拡大しないだけで勝利だと思います。
日本の敗北は自ら増長して招いたものだと思います。
はっきり言って私は日本民族のにひとりとして
過去の日本も愛していますが、中国人をバカにしきった
当時の為政者も軍隊も救いがたいバカで負けて当然だと思ってます。
だが支那事変を終わりにしたかったのは日本軍も同じなんだ。 「支那事変が解決すれば原則として一部を除いて前面撤兵には異存が無かったのであります。 我が国の国防力の回復のためにもその必要がありました。」 ただし条件が 1,2,3 1.支那事変の終結、和平の成立。(これは当たり前) 2.平和的に撤兵する為の治安の確立。(日本軍が撤退するのだから、その後の治安維持は中国当局の責任) 3.防共協定。(中国が共産勢力に飲み込まれてしまったら一大事。蒋介石と協力して中国共産党勢力拡大阻止) 東条英機内閣総理大臣談 支那事変が終結しさえすれば・・・
日本がやめたくてたまらなかったのは事実だが、 あの時点で日本が望む条件での和平成立などありえない。 開戦前の時点まで戻る、という条件ですら虫がよすぎるだろ。
>あの時点で日本が望む条件での和平成立などありえない。 とすると和平を拒否する蒋介石が悪いわけだな
日本の望む条件が、蒋介石には受け入れることができないものだった。 どっちが悪いとかいうことではない。
先に攻撃してきたのは中国側なんだが、それにしても蒋介石は、どんな条件を望んで居るんだ?
760 :
名無し三等兵 :2006/05/23(火) 18:51:55 ID:DBJk2YJt
>>755 だから始めなきゃ終わりにしなくてすむわけで。
懲罰的爆撃や攻撃で撤退してれば良かったんだよ。
>757 ソ連軍参戦前の時点で日本が望む条件での和平成立などありえない。 日本の望む条件が米国には受け入れることができないものだった。 つまり早期に対米戦を終結できなかったのは和平を拒否するルーズベルトが悪いわけだ。
>>757 蒋介石も苦しいのですよ。
日本に譲歩すれば共産党に内側から突き上げられるし、
かといって日本と戦えば消耗して戦後に共産党に負けてしまう。
防共駐兵だってしてもらったほうがいいのはわかっているけれど、
そうすると中国の国民的感情が許さない。
>>761 だから日中戦争やらなきゃいいだけ。
なんでたかが国境紛争を全面戦争にしたのかってはなし。
しかも、日本の維新などの社会改革はアジアの植民地化の阻止だったはず。
満州までがギリギリ正当化できる範囲で曲がりなりに
国民国家を作っていた中国に侵攻したら
そもそも明治維新や満州建国の国是とも整合性が無くなる。
あの時点で軍部や国民がきちんと内在的にその関東軍のたくらみを
阻止しうる理論的社会的力がなかったのがそもそもの敗因だろう。
764 :
名無し三等兵 :2006/05/23(火) 22:13:27 ID:yvAHgx7L
>だから日中戦争やらなきゃいいだけ。 そりゃ無理な話だ。 盧溝橋、通州…、あれだけ挑発されて戦わなきゃ その時点で軍は腰抜けだよ。 むしろやるならやるで徹底して叩きのめす姿勢が イマイチ足りなかった気がする。 重慶爆撃と東京大空襲の差なんかまさにそれだよ。 ちまちま爆弾を落として結局最後まで相手は健在だったしな。 対米戦と違ってシナ軍の反撃の力は限られてるんだから、 都市部の上から細菌でもばら撒くくらいの気合を入れて 戦うべきだったよ。 戦争犯罪?勝てば官軍だよ!
今度はどこを縦読みすんの?
>>762 政治的な点数稼ぎの為に反日を煽りまくった蒋介石の自業自得
>>764 がかなりイタイ発言だと思うのは私だけ?
通州事件ってアンタ…
中国側からすれば満州国建国こそが妥協できない挑発行為だろ。
770 :
764だが :2006/05/24(水) 01:10:59 ID:W0miMqXN
767よ、で、どの辺が痛いと思うの? 自国民がやられてやり返さないのは軍の 立場上まずいと言ってるだけだよ。 200人以上殺されてるんだから報復には 十分な理由だと思うが? アメリカ様を見なさい、アメリカ様を!w
ああ、真性の方でしたか。 殺された人間の職業と殺した人間の所属部隊を調べたほうが宜しいかと。
通州事件をやり返す相手って一体誰よ?
>>764 重慶はあの時点の日本の国力でできる事をすべてやってるし、
あれが日本の国力だろ。
挑発にたいしては同害報復するべきで
だいたい、中国大陸に日本が進出したのから100年もたってないんだから
軋轢があって当たり前。遠慮がちなお客さんしながら
満州をなんとか経営してればそれで合格点だろ。
政治経済状況をきちんと認識できる
そういうまともな判断力もなかったから敗北したんだっての。
負けて当然。
774 :
764だが :2006/05/24(水) 01:49:19 ID:W0miMqXN
>771 ああ、陰謀史観の方でしたか。 そういうのは別の板でやった方が宜しいかと。
775 :
名無し三等兵 :2006/05/24(水) 01:50:14 ID:hOlGqavm
痛過ぎる。 これが我が国の現状か・・・。
>>775 残念ながら、そのようだ。
この有様じゃ戦争したらまた負けるな。
まあ、中国人に甘い顔したらダメなのは今も昔も変わらんな
中国が歴史上最も弱かった時代ですら勝てないんだからどうしようもない
>>779 中国が強い時代なんかほとんど無いよ。歴史上、北方の遊牧民に侵略され放題なんだから。
>>779 勝つっていうのはコントロールできるプランをもっててはじめて
できるわけで。そもそも、日本が中国にたいしてそういうものが
無かったんだからかてんわな。
勝つとか負けるとか軍事力の問題じゃないし。
相手を従わせる能力だし。
勝つ方法は有ると言えば有るんだが。中国側の政府首脳が言ったらしいが、日本軍が 本当に住民を虐殺しまくれば良かった。そうなったら手も足も出なくなるところだったんだが甘い相手で助かった、とか。
自国民でも平気で大量殺戮する連中から見れば確かに甘いワナw
>>784 本当に○十万人ほど虐殺すると、他の連中がビビって大人しくなるから。
うーん、それはちょっと見通しが甘いと思うなあ
森鴎外も目撃したらしいが、ドイツ軍は支那人を従わせるのに、 赤ん坊を振り回して岩に叩き付けて・・・・それで支那人は大人しくなるとか。
それは反抗する手段がないからな。 日中戦時には米からどっさり兵器が援助されてくるわけで。
その兵器援助ルートを遮断すればいい。そのルートは仏印だから、そこに進駐して・・・
>>783 日本軍が本当に住民を虐殺しまくるというのは
それまでの日本のアジアの植民地化阻止という国是と
矛盾するわな。
白人ならできることが日本人にはできないだろうし、
当時の白人でもそういうことはそろそろやらなくなってきてたはず。
とにかく、徹底的にできる正当性がないなら報復程度で
辞めておくのがとうぜんで、南京まで行ったとかバカとしか言いようがない。
石油があるわけでもなし。
ノモンハンでソビエトに押されまくってもソビエトが適当なところで鉾を納めてるのを見てるのに、 中国にたいして日本が満州経営との整合的戦略をとれずに、南京まで行って 結局泥沼とかバカかと。
>763 >しかも、日本の維新などの社会改革はアジアの植民地化の阻止だったはず。 既に朝鮮を植民地にしていましたが何か?
日本の維新などの社会改革はアジアの植民地化の阻止だったはず。× 日本の維新などの社会改革は日本の植民地化の阻止だった。○ なんで当時の清国などを諸外国から守るのだ?
まだ大戦略厨が湧いてるし〜
つーか当時は資源供給地および消費市場として 植民地や勢力圏を囲い込んで域内で経済を回していくってのが 国家発展の一般的な方程式だったから。 で、何だかんだいって戦前の日本は基本的には農業国であったが 既に狭小な国土で国民を賄うには限界があり 既に明治中期から諸外国(アメリカ・ブラジル等)への 移民政策が始まっており、 朝鮮及び満州の確保、開拓も 単に国家安全保障上の緩衝地帯確保だけではなく、 こうした経済上の理由があったことを考慮すべきだと思う。
うむ
>>793 朝鮮は最初国民国家化を目指してたし清国も辛亥革命には
日本の支援があった。そういう問題とのねじれを
日中戦争は帯びている。
>>795 そりゃ重要度としてはそうだけど、アジアの植民地化阻止が
スローガンとしてあったのは事実。
>>797 日本の場合は日露戦争日清戦争に勝った結果の
植民地だし、あるいみ後付だけどね。日本が独立していったけっか
そうなった。
800 :
764だが :2006/05/24(水) 21:30:49 ID:4EiRdsGA
>776 >通州事件をやり返す相手って誰? ちょっと前のアメリカでは黒人が白人を殺害した場合、 そこいらの素行の悪い黒人をリンチしちゃうこともありますが?
801 :
名無し三等兵 :2006/05/24(水) 21:37:09 ID:4EiRdsGA
>791 >とにかく、徹底的にできる正当性がないなら報復程度で >辞めておくのがとうぜんで、南京まで行ったとかバカと >しか言いようがない。 開戦後半年もしないで首都を取られるくらい弱かった方も どうかと? 弱い奴と喧嘩して、ついつい気持ちよくて半殺しどころか 全殺しにしちゃったという失敗だねw
>>801 >弱い奴と喧嘩して、ついつい気持ちよくて半殺しどころか
>全殺しにしちゃったという失敗だねw
そのとおり。でも、判定者は世界なんだって事を
当時の日本政府は外務から軍事まで徹底して理解できてなかった。
ノモンハンの軍事的政治的なソビエトの勝利と
きれいな対象をなしてる。当時の政府の関係者の書いたものをみると
中国人をバカに仕切っていてその背後に成立しつつある
世界世論をまったく見ていない。
なんとか家の三姉妹の活躍を見るまでもなくそりゃ負けるわな。
>>800 お前バカすぎ。
KKKのマネが正しいとでも言いたいのか?
その論理展開、「恨」の一文字を
プラカードに掲げてデモってる
某特定アジア国民と変わらんぞ。
804 :
名無し三等兵 :2006/05/25(木) 01:09:09 ID:q8O2jdjJ
>>803 馬鹿ウヨに国境は無いよ。
日本は必然的敗北の末、幸いにもアメリカに占領されたばかりか、
社会をドラスティックに改革してくれたおかげで
国民の大半が選民思想から縁を切ることができた。
ドイツも同じようなものだな。
まあ核武装アレルギーは副作用だけどね。
中国なんて図体がでか過ぎて、どの国にも占領してもらえなかった。
実に気の毒な話だ。おかげで阿Qの集団のままじゃないか。
>>804 まあその通りなんだけど、他国の世話にならず
自分たちでやらないと、いかにアメリカでも奇跡的にまともな
部分があってもおかしい部分は山ほどある。
核だって2発も落とされてるし。
そろそろスレタイ読んだ方がいいと思う
807 :
名無し三等兵 :2006/05/25(木) 11:31:54 ID:1smJSfy9
つじーんの作戦目的はなんだったんだ?
モンゴルの教科書では「ハルハ戦争で何十キロも国境が後退した」 と書いてあるので満州国の勝利です。 などと言ってみる。
>>808 日本軍の主観から見れば明らかに敗北なのですが、
大装甲部隊を投入して、模範的な兵力集中を行い、
日本の旧式陸軍を一蹴するつもりだったソ連軍としても、
主観的には敗北だったかもしれませんね。
公平に見れば引き分けか
一蹴りされてるじゃないですか
>>811 あくまでソ連側の立場に立てば、
日本側を圧倒するほどの兵力を集中して、とりわけ装甲兵力を大規模に集めて、
虎の子の装甲部隊があれだけ消耗して、大損害を受けたのでは一蹴とはいえんでしょう。
むしろ、ソ連側が戦略的に敗北と自覚して、
日本に対して宥和政策を採った可能性も無視できないですよ。
まあ、ノモンハンは日本の勝利とはしゃぎまわるのには反対ですけど。
戦略的にはソ連の勝利だろ。 日本軍はソ連に戦争を仕掛けることを完全に放棄したんだからな。 これが大祖国戦争の時に大いに役に立った。
>>812 でも、独ソ戦とか冬戦争に比べるとそんなに大した損害でもないよなあ
ソビエトではよくある事って感じで
815 :
764だが :2006/05/25(木) 22:10:07 ID:XzEWYC6H
>803 >お前バカすぎ。 ジョークのわからん人は好かんのや…
出先と政府の意思疎通の悪さがあるからどうにもならん 戦争とは戦略目的達成したかどうかが問題 極端な話、敵より損害が少なくてもそれが満たせなきゃ負け
817 :
764だが :2006/05/25(木) 22:33:44 ID:XzEWYC6H
>814 >でも、独ソ戦とか冬戦争に比べるとそんなに大した損害でもないよなあ >ソビエトではよくある事って感じで 仮に従来の評価どうりノモンハンでソ連大勝利でも、 冬戦争はそれを完全に台無しにした感じ。 おまけにその後の独ソ戦は運が良ければ十分ドイツ にも勝機はあった。 そう考えると外交面ではともかく、軍事面では君らが 妄想してるほどソ連は評価できない。 要するにWW2の敗戦国と戦勝国の差はアメリカを味方に できたかどうかということが重大で、それに比べれば ほかの差は僅差と言っても良い程度… などと言うとムキになって反論するお方がいるんだろうなw
ノモンハン太郎
819 :
だつお :2006/05/25(木) 23:22:51 ID:Sw56g0jr
>要するにWW2の敗戦国と戦勝国の差はアメリカを味方に >できたかどうかということが重大で、 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍 そ の チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 悲 し い 米 軍
大陸打通3000キロされて、将兵2000万を犠牲にして なおチンピラゴロツキが戦えたのはアメリカからの援助のおかげだぞ!
>>815 まあ、お前の書き込みを時系列に沿って読んでいくと
今さら「ジョーク」と言っても、顔を真っ赤にした言い訳にしか思えないなあ。
百歩譲って「ジョーク」だったとしても、知能の低さが糊塗できるわけもなし。
頭の悪い奴が頭の悪いジョークを口走って恥をかいた、と。
赤いチ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ は強いチ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ
823 :
764だが :2006/05/26(金) 01:26:51 ID:kseagvLN
>821 >まあ、お前の書き込みを時系列に沿って読んでいくと >今さら「ジョーク」と言っても、顔を真っ赤にした言い訳にしか思えないなあ。 まあまあ、そういう頭の悪い奴をスルーできない君もいかがなものかとw
ウヨ厨きめえwwwこの粘着っぷりw
>>817 別にソ連を評価してるわけじゃなくて、あれじゃ日本勝ったとは言えないよな、って話では?
それと、後半の文章、よく読むと酷くないすか。
>「要するにWW2の敗戦国と戦勝国の差はアメリカを味方に
>できたかどうかということが重大で、それに比べれば
>ほかの差は僅差と言っても良い程度…
そのアメリカを敵国として戦争を始めた某国の立場は・・・。
ソ連は強かった それと4年にもわたって戦争したドイツもすごかった で、無敵皇軍は・・・w
ドイツやソ連よりも強いアメリカと3年8ヶ月も戦ったね。
828 :
821 :2006/05/26(金) 02:29:01 ID:???
>>823 え?このスレの趣旨をご存じない?
このスレは、皇軍太郎や国士様を
楽しくからかって遊ぶスレなんだがな。
>>828 >>1 を見てもそうは書いていないが。
弱小のスレと勘違いしていないか?
無敵皇軍はチンピラゴロツキと八年の長きにわたって死闘を繰り広げた
>>813 服部、辻ーん、田中新一を甘く見ています。
連中はノモンハンにもかかわらず、
対ソ戦をしかけようと努力しております。
結局、ノモンハンでは結構日本も頑張ったってことでOK? 高校ではボロ負けに負けたとしか習わなかったが。
露助もそれなり以上の損害出してたみたいだからねぇ・・・ っつか、あれだけ装備の差があってあの損害ってのもどうかと思うが。 独ソ戦前のソ連軍の戦車戦術が稚拙だったって証左なのかもなぁ。
頑張った≠勝った
まあ、「頑張っ」て相手に損害与えたからって その損害によって、相手の企図を挫折に導くなり 少なくとも、その企図の変更を強いてなければ 意味はないんだがな。 福井センセイを始めとする「日本は負けてないよ」派は そこらを見なかったことにするから。
負けてもいないし勝ってもいない、引き分けだな。
いや負けただろ
ノモンハン事変の結果だが 戦果 損害大 ソ連 > 日本 損害小 領土 紛争地域の北半分獲った ソ連 ≒ 紛争地域の南半分獲った 日本 ・・・引き分けか、やや日本軍有利くらい。
日本の一個師団壊滅とソ連の一個師団壊滅は重みが違うと何度言ったら・・・
>>839 そんな基準いつできたんだ? 急に作るなよ(w
>>840 まあ、過去スレから散々既出だから食傷気味なんだがな。
一見さんは半年ROMってからの書き込み推奨。
>>840 損害の数が多いのはソ連だが、
その損害が日本かソ連どっちの方が痛手だかわからんのか?
>>840 映画「ミッドウェイ」で、部下から珊瑚海海戦は引き分けですって報告受けたニミッツが、「空母の数は俺っちがもともと少ねぇんだから、引き分けじゃ割りに合わねぇんだよ」って怒ってたろう?
>>813 ソ連の勝利だろうが、その論理では日本の敗北とはいえない。
なにしろ、太平洋戦争で米英と戦い背中をさらすという愚行をした日本にむかって、
ソ連は最後の最後まで参戦してこないわけで。
>>835 実際、スターリンの企図がわからないからなんともいいようがない。
史料がないんだからどんな議論も推測にすぎないわけで。
ソ連は冬戦争にはまりこんで、ドイツと妥協して日本とも融和の道を探るわけだが、
こうしてみると、ノモンハンの位置づけも微妙で、
日ソ両国がおたがいに戦争を躊躇する理由づけになったといえる鴨。
本気で侵攻の意図あったのは実は日本だけだったという罠。 スターリンが欲しかったのは極東での安全保障だけで、 アジアの共産主義化なんかちっとも考えてなかった、 という資料なら腐るほどあるぞ。 ありもしない北方脅威論となえるのが昔から酷使様の悪い癖。
あんまり資料資料言うから、軍ヲタは一般人に敬遠されるのですよ。
資料がたくさんあっても、知能が増えたりはしませんからね。
そりゃ兵力で大差付けられてるとはいえ 国レベルじゃ片手間で及び腰に戦争やった連中にすら負けたなんて 「忠勇無双の皇軍」シンパとしては絶対受け入れがたいだろうからな
ああ
>>848 は
>>845 宛。
>>846 ここは資料の裏づけすらない妄想を語る板じゃないんですが何か?
「ボクの考えた本当は怖いソ連」話がしたけりゃ極東にでもお引取りを。
>>847 妄想を語る知能なら増えない方がよさそうですね。
勝共右翼死ね
ま、本当は隣の大国の軍事的脅威に対し、常に警戒し備えるのは当然なんだが 「スターリンは平和愛好者だし、共産主義・ソビエト連邦は平和国家だから、怖くなんか無い」と 思いこみたい無いなら別だけど
>>849 なに、資料厨があまりに不憫案なんで、助言を与えただけのことですよ。
>>851 スターリンはただの火事泥ですよ。レーニンの時から変わっていません。
>>845 クックスの「ノモンハン」を検討してみましたが、
日本側に侵攻の意図があったとは書いていないですね。
それから、よろしければスターリンの意図を表明した史料をご教示ください。
もとより、なんでもコミンテルンのせいにする陰謀史観は馬鹿馬鹿しいですが、
中国で共産党軍は日本と戦いつつあり、日本でも共産党が蠢動する状況で、
スターリンがアジアの共産主義化を考えなかったというのは無理があるような。
そのあたりを、あなたがお持ちの史料はどのように説明しているんでしょうか。
軍板で軍備の無用論を唱えるものはさすがにいないと思うが。 ただ、軍備を整えてしまうと、それが自己目的化して暴走してしまう、 という日本軍の本質がモロに出てるのが満州から中国戦線だったりする。 ノモンハンの敗北がなければ北進論もおさえきれなかったかもしれない。
>>845 追加。1993年くらいのソ連人研究者の論文を見ても、
太平洋戦争勃発当時のスターリンの企図はよくわからない、ということになっています。
>>855 しまった。853への追加と言うことです。スレ汚しスマソ
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こんなこと言ってるからネット右翼だって馬鹿にされんだな
ソ連軍は機甲部隊や航空部隊、歩兵に至るまで日本軍以上の損害を被った。 しかし敵野戦軍主力を壊滅し、増援があっても戦線の維持は不可能な状況に追い込み、 戦場におけるアドバンテージを確保する戦略的意図を達成したがゆえ、停戦を申し込み、 既に継戦意思を破砕されていた日本軍中央が渡りに船とばかり、応ずる結末をもたらす。
>859 つまりソ連軍は日本の胸倉掴んでを交渉のテーブルに着かせたという事。 それまでの過程で日本軍がソ連軍により多く何発殴った蹴ったか否かは些細な話に過ぎないという事でFA。
×継戦意思を破砕されていた日本軍中央 ○最初から不拡大だった日本軍中央 ここ以外は同意。
862 :
名無し三等兵 :2006/05/26(金) 18:41:46 ID:Z7ldKZox
>>861 最初から不拡大だった日本軍中央
なのにタムスク爆撃してしまう関東軍参謀…
>アジアの共産主義化なんかちっとも考えてなかった、
>という資料なら腐るほどあるぞ。
2 1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、
つぎのように回復される。
(イ) 樺太の南部及びこれに隣接するすべての島を、ソヴィエト連邦に返還する。
(ロ) 大連商港を国際化し、この港におけるソヴィエト連邦の
優先的利益を擁護し、また、ソヴィエト社会主義共和国連邦の海軍基地
としての旅順口の租借権を回復する。
(ハ) 東清鉄道及び大連に出口を提供する南満州鉄道は、中ソ合併
会社を設立して共同に運営する。但し、ソヴィエト連邦の優先的利益を保障
し、また、中華民国は、満州における完全な利益を保有するものとする。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yarutakyutei.htm ヤルタ協定 クリミヤ会議の議事に関する議定書中の日本国に関する協定
#ソ連参戦はルーズベルトの強い要望だったという一面もあるが・・・
×アジアの共産化を考えてなかった ○包囲されたソ連にアジアの共産化なんてしている暇は無かった
>1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、 いくらなんでもこの言い回しは、ソ連の極東政策の本質だろう。 ルーズベルトはソ連参戦欲しさにエサを与えただけのこと。
>アジアの共産主義化なんかちっとも考えてなかった、 >という資料なら腐るほどあるぞ。 児島襄「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い2」(文春文庫)P11〜14より 1935年の第七回コミンテルンは、各国に反ファシズム人民戦線の結成 を指示した。中国共産党もこの支持にしたがい、国共内戦を中止して 一致して抗日戦争に蹶起すべきだ、と国民党側に働きかけた。 <中略> ソ連首相スターリンは、十二月十四日、中国共産党指導部にたいして、 蒋介石逮捕は中国が必要とする抗日民族統一戦線結成に逆行する、 蒋介石だけが現在の中国を指導できる、蒋介石と協議して 平和解決に導くべきだ、との指示を打電した。 このスターリン電報は、中国共産党指導部を困惑させた。 『西安事変』は、張学良、楊虎城、中国共産党の結合による画策であり、 蒋介石を逮捕した以上は、この三者で国民党軍もふくめた抗日戦線 の結成と指導をおこなう決意であった。 スターリンの指示に従えば、蒋介石が「復活」するだけでなく、張学良、 楊虎城にたいする報復も予想され、結果は共産党側の分裂と敗北を招来しかねない。 だが、中国共産党指導部はスターリン指示に従うことにして、 代表として周恩来を西安に派遣した。 周恩来は、十二月十七日、西安に着き、そのご張学良、楊虎城の説得、 さらに南京から飛来した蒋介石夫人宋美齢、次いで蒋介石自身と会談した。 周恩来は蒋介石を全中国の指導者として認める、 共産党も従来の考えを捨てて協力する、という二点を軸にして 話し合いを成功させ、蒋介石は十二月二十六日、南京に帰還した。
868 :
名無し三等兵 :2006/05/27(土) 14:54:33 ID:6QYXX2Xd
こないだ戦中に出版されたノモハン戦の砲兵隊指揮官の著書を読んだんだが序盤から水不足とかで苦しんだことが冗談交じりに書かれてる。 補給能力の貧弱さを将校が冗談交じりに書いてもな〜・・・教訓が生かされないはずだわ・・・ まあ90式野砲でバカスカ露助の戦車を仕留めるシーンには萌えたがw
教訓を生かしたくても、国力もトラックも船も足りませんがナ。
870 :
名無し三等兵 :2006/05/27(土) 16:32:14 ID:6QYXX2Xd
[sage] >>869 それを言っちゃお終いですよw
E-mail(省略可): のところに半角小文字で sage と入力すると、この板ではIDが???になります。
868です。 871さんありがとうございます。なにぶん初カキコなのでSageの入力を間違えていました。 上記の本、古本屋で購入したのですが昭和17年発行「ロサ高地」というタイトルです。 撃破した敵戦車から女物の派手なドレスが出てきて日本兵が首を傾げる場面などもありなかなか面白かったです。
>撃破した敵戦車から女物の派手なドレスが出てきて ミヤザキハヤオ?
だつをは何処だ? だつをはどうした? だつをを出せ!!!!!!!!!!!!! チンピラゴロツキ露助を蹂躙せよ、打通せよ 満州里からモスクワまで打通せよ
? 「ロサ高地」? 「ノロ高地」じゃなくて?
ロサ高地訂正ノロ高地でした。すいません。 著者は陸軍大尉草葉榮と言う人です。 90式野砲装備の砲兵隊と言うのも実は推測です。 薄ボンヤリした写真と挿し絵から推測しただけで詳しい部隊編成や装備名は一切書かれてませんでした。 面白いのでもう一度読みなおします。
>>877 まあ、発行年度から考えると
ソビエト時代の出版物程度には
信頼のおけるシロモノなのかな。
>>865 >>1904年の日本国の背信的攻撃により侵害されたロシア国の旧権利は、
>いくらなんでもこの言い回しは、ソ連の極東政策の本質だろう。
>ルーズベルトはソ連参戦欲しさにエサを与えただけのこと。
文字通り国の存亡を欠け
2600万とも言われる死者出してドイツと死闘やったすぐ後に
また戦争やらせるにはそれくらいの餌は当然。
スターリンの側としては、ヤルタ協定を守り、
米英の同盟国としての義務を果たすためとはいえ
それ位の餌がなきゃ如何にソ連といえど
国民が動かないくらいの事は承知してただろう。
問題は'30年代の時点でそういう意図があったか否か。
「極東政策の本質」などと言い切るからには
さぞかし確固たる証拠があるのだろう。
是非開陳してくれたまえ。
>>866 まぁ他にも「コミンテルン派」とみなされた
王明や陳独秀、李立三が中共指導部内部でどういう運命を辿ったかとか
終戦後国共内戦で駐華ソ連大使が国府軍が
南京追われるまでともに行動したとか言う事実を考えれば、
中共とソ連共産党の関係は、後の中共成立後の一時期を除けば
中共の成立以来必ずしも良好ではなかった時期の方が
むしろ長い事が容易に解るもんだが。
意図が無かった、と 本当はやりたいけど無理なので、アホな野心は持たない は別。
>>882 いずれにせよ意図はない訳だ。
ちなみにその論法なら「八紘一宇」なんてのも後者に入るのかね
>>883 なんだ結局ここの酷使モドキは
ロシア系スレに粘着する嫌露厨と同じ精神構造の持ち主かw
ロシアの肩を持ちすぎなんじゃ。。 事実と異なる「千島は日本に侵略された」って言い方を 当然の餌、と評価は出来ねーぜ。 病気のルーズベルトがボケてただけじゃね?
>ロシアの肩を持ちすぎなんじゃ。。
別に。単なる手前のロシア嫌いが昂じた挙句、
ありもしない「ソ連の極東共産化の野望」やら
「極東政策の本質」やらでっち上げる酷使厨に虫唾が走ってるだけだが?
>事実と異なる「千島は日本に侵略された」
事実なんてのは主観でいくらでも変わる。
>>880 は単純な利害得失を述べただけだろ。
>病気のルーズベルトがボケてただけじゃね?
敵対国の事情なんてのは
戦後処理において戦勝国のそれ以上に考慮されないもんだ。
>ありもしない「ソ連の極東共産化の野望」やら ごく普通の事実だと思うが・・・ >事実なんてのは主観でいくらでも変わる。 コイツは洗脳済みって訳か・・・
>>887 >ごく普通の事実だと思うが
じゃ、あったってソースは?
さっきからさんざ否定されてるじゃん。
ナチ独が虎視眈々と睨み利かす欧州お留守にしてまで
極東に専念できるような能力も意思もないことや
>>866 や
>>881 が述べるように、極東方面の「手駒」となるはずの
中国共産党が使い物にならないどころか仲が悪い事とか例示されて。
で、苦し紛れに出すのが
>>3 とか
>>852 とか
>>865 みたいな
単なるスローガン的陰謀論の域を出ない妄想じゃぁな
>コイツは洗脳済みって訳か・・・
お前も洗脳済みのようだな。コヴァだか福井雄三だか
その種のトンデモウヨ三文文士に。
>>888 コミンテルンの指示で中国で人民戦線戦略が実行されたというのは(866)、
むしろ中国共産党に対するソ連の影響力を示したレスでは?
つまり、極東への共産主義浸透の戦術として、
ソ連がイニシャティブをとって、人民戦線戦略を実行したということでは?
そして、その戦略は実際に成功したわけで。
日本だって1920年代には、真珠湾を奇襲したりシンガポールや インドネシアを占領する計画なんて無かったぞ!
>>898 >>891 にあるように、
その後"コミンテルン派"が粛清されてる事実は無視で?
>>866 にした所で、要は当時ソ連は、中共より国府を優先した一例じゃん
あんたの陰謀史観の開陳はいらんから、まともなソース出せや
まあナチを片づけたら極東に向かって来るというわけだな。ソ連軍
893 :
だつお :2006/05/31(水) 21:12:16 ID:Nguh+US9
ソ連抜きだとポツダム宣言も「黙殺」されてるからな。 エサというよりは献上品だが、それもソ連参戦は必須ゆえ当然。
ポーツマス条約を仲介して、ノーベル平和賞をもらってホルホルしてたのは 当のアメリカなので、ヤルタ会談でのソ連へ餌やりすぎは ルーズベルトがボケてたから、ってのが俺には一番説得力あるぜ。 それに、ソ連(ロシア)怖いってのは明治からずーっと日本の国策 だったので、ソ連の脅威とかいっても、むしろ普通。 「30年代のソ連は内政に忙しくて拡張主義どころじゃないよ」とだけ言えばいいのに 「酷使」とか煽るから荒れる。
その国策が間違ってたというかただの煽りだったわけで・・・
896 :
だつお :2006/06/01(木) 07:39:44 ID:8C8dxU0P
問 では五番目の質問です。中共(原文は赤化支那)に対し海と空とから閉鎖して
しまへといふ貴官の提案は、アメリカが太平洋において日本に対する勝利を収めた
際のそれと同じ戦略なのではありませんか。
答 その通りです。太平洋において我々は彼らを迂回しました。我々は包囲したの
です。日本は八千万に近い膨大な人口を抱へ、それが四つの島の中にひしめいて
ゐるのだといふことを理解していただかなくてはなりません。その半分が農業人口
で、あとの半分が工業生産に従事してゐました。
潜在的に、日本の擁する労働力は量的にも質的にも、私がこれまでに接したいづれ
にも劣らぬ優秀なものです。歴史上のどの地点においてか、日本の労働者は、人間は
怠けている時よりも、働き、生産してゐる時の方がより幸福なのだといふこと、
つまり労働の尊厳と呼んでもよいやうなものを発見してゐたのです。
これほど巨大な労働能力を持つてゐるといふことは、彼らには何か働くための材料
が必要だといふことを意味します。彼らは工場を建設し、労働力を有してゐました。
しかし彼らは手を加へるべき原料を得ることができませんでした。
日本は絹産業以外には、固有の産物はほとんど何も無いのです。彼らは綿が無い、
羊毛が無い、石油の産出が無い、錫(すず)が無い、ゴムが無い。その他実に多くの
原料が欠如してゐる。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在してゐたのです。
もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生
するであらうことを彼らは恐れてゐました。したがつて彼らが戦争に飛び込んでいつ
た動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだつたのです。
http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/m_shougen.htm 昭和26年5月3日にアメリカ合衆国議会上院の
軍事外交合同委員会で行われたマッカーサー証言
897 :
だつお :2006/06/01(木) 07:58:58 ID:8C8dxU0P
>ヤルタ会談でのソ連へ餌やりすぎは 太平洋戦争では本土へも支那へも上陸しないのに米軍死者は15万6千 と記録される。欧州戦では首都陥落までで25万2千人であったのに対し。 常勝無敗の支那派遣軍が百万人居て、そしてその倍の陸軍が本土に健在。 沖縄戦で参加した陸軍の正規師団は第7師団と第62師団の2つだけ。 ほか連隊や海軍関係含めても、米陸軍損害6万5千とそう大差ない。 しかも空襲で失われる重爆も損失率1.5%前後と、対ドイツ戦と変わらない。 >ルーズベルトがボケてたから、 ヤルタ会談にはルーズベルトだけでなくキングやマーシャルやリーヒら 他の米首脳も大勢参加しており、純粋に戦略的決断がされたともいえる。
>>894 >それに、ソ連(ロシア)怖いってのは明治からずーっと日本の国策
>だったので、ソ連の脅威とかいっても、むしろ普通。
>>895 じゃないけどさ、その国策自体が事実でもなんでもないじゃん。
それともお前さんの定義だと「国策」とさえすれば
あらゆる社会状況を現実などお構いなしに人為的に設定し
現実と乖離した状況認識を基に者を考えなきゃならないのかい?
まるで北の某国の「ウリナラは地上の楽園ニダ」ってのと変わらんじゃん
それこそ
>>887 いう所の「洗脳」じゃないのか?
>「酷使」とか煽るから荒れる。
やれ「肩を持ちすぎ」とか「洗脳済み」とかの煽りは無視か?
>>894 歴史上の出来事の解釈にあたり、
他の事件との相関関係や文献資料みたく客観的に導き出せる事より
”国策”とか言う政治的イデオロギーの方を基準として優先し、
おまけにそのイデオロギーが右方向に偏っている手合いの事を
2ちゃんでは一般的に”国士”と言いますが何か?
まだ煽るのかよ。
俺にはお前らが何を言い争ってるのかわからねーぜ。 ロシアにはアジア共産化の野心があったが、無謀だからやらなかったのか、 本当に何の野心も無かったのかを言い争ってるのか 単に、「酷使」とか「本質」とか「洗脳」とか「してくれたまえ」とか言う言葉に骨髄反射してるのか。
「骨髄反射」って何? 普通「脊髄反射」っていわない?
「骨髄反射」 脊髄までいかない、超加速度的反射のこと。 しかし、現実には起こりにくく、 2ch内でしか起きない生理現象だ。
>>903 ( ´ー`)y-~~ 脊髄の知覚からデータをとるわけですね?
骨髄の造血機能がないと死んじゃうよ。
人間は進化しているのだよ!
スレの流れを無視して悪いが 「ソ連はこれを機会にして、日本の北進論を封じ込めようとして 全力で当たり、ソ連強しの印象を日本に与え目的を達成した」 って感じの話はよく聞くのだけど、この予防戦争っぽい動機 って本当に在ったの?何か資料の裏づけがあるのかな。 「やべぇwww日本軍と衝突しちまったwwwwwテラマズスwwさっさとけりをつけないとやべぇ」 というかんじで、ソ連も行き当たりばったりなすごく単純な動機で戦った可能性とかもあったんじゃね? ふと疑問に思いました。
>>907 たいした流れでもないので無視してもいいだろう。
が
その質問はこのスレではなく、半藤一利氏の『ノモンハン夏』などなんらかの本を自身で読むべきだろう。
読んだ上で本には「こう書かれていたが〜」という質問なら有機的で望ましい。
あまり楽すると自分によくないよ。
何も受け売りを薦めなくても良かろうに。
そうか? 議論を進める上で、受け売り数字や受け売り論拠を上げるのは、 先任将校殿(スレの猛者住人)のいらぬ誤解も招かないし、 房も沸かなくなくなるし、いいことだと思うけどなぁ。
論拠の提示と受け売りは同一ではないのでは?
なぜ辻は山本五十六に「早くタマにあたってしねばいいのに」 と言われていたか
「ノモンハン事件の真相と戦果〜ソ連軍撃破の記録〜」小田洋太郎・田端元著 有朋書院 この本に載ってる小銃弾で穴だらけにされたBT戦車の写真をどう思う? 日本製小火器が敵戦車を蜂の巣にしていた!!という驚愕の事実が証明されたわけだ。
>>913 クックスみたいな基礎資料ならともかく
誰が持ってるかもわからんような本に掲載された
出所不明の画像の話題を持ち出されてもなあ。
せめて、スキャンしてうpくらいしろよ。
まあ、あくまでも想像でよければ
鹵獲品が試射の標的になって蜂の巣にされても
別に不思議なことでもなんでもないがな。
>>913 7.7mm鋼芯実包は200mで12mm、300mで10mmのニセコ鋼を抜くから
BTが13〜15mmで材質的に劣るそうだから
200mぐらいでブスブス抜けても不思議じゃない。
>>913 本見てみたがあまりに接写しすぎて確認できるのは砲塔前部の形状くらいだな。
もっと引いた写真載せてりゃ何も言えんのに。著者のマヌケ。
あの写真じゃ装甲車(BA-3とかBA-6とか)の可能性を捨てきれない。
ちなみに上の装甲車は砲塔形状は同じだが装甲厚は薄い。
(砲塔側面 BA-3で8mm、BA-6で10mm)
つーか酷い本だな。 裏表紙見て気付いたが巻頭カラーページ最後の「ソ連軍火炎放射戦車」 砲兵トラクターかなんかじゃないか。 装甲が薄くて信管が作動しなかったとか書いてあるけど装甲なんて元々あるかい。
著者名でググっても有意な情報は出てこないし 出版社名でわかったことは、自費出版メインの 零細出版社だ、ということくらいだな。 つーことで、信頼性は限りなく低い、と見てよかろう。
>>913 同書P2の記事によると小銃弾で撃ち抜いたのは装甲車らしい。
「ソ連装甲車(三五ミリ砲搭載、乗員4名)の走行は三〜四ミリ。小銃や機関銃弾がブスブス貫通しブリキ同然だった」
「第一次ノモンハン事件では外蒙兵運転手が足首を鎖で縛られ脱出できず焼死しているのが報告されている」
「ノモンハン事件の真相と戦果〜ソ連軍撃破の記録〜」小田洋太郎・田端元著 有朋書院
同書P8にはBT戦車の写真が載っているが、こっちには小銃弾で貫通したとは書いてない。単に写真だけ。
BTの装甲は最低六ミリだから重機関銃の徹甲弾射撃でないと撃ち抜けないだろう。小銃弾では無理。
<日本軍装甲車両> 第23師団捜索隊(東中佐(戦死)→井置中佐(自決)) ・装甲車隊(92式重装甲車×3〜5?) 第一戦車団(安岡中将) ・戦車第3連隊(吉丸大佐(戦死)→?) 97式中戦車×4、89式中戦車×26、軽装甲車×15 ・戦車第4連隊(玉田大佐) 89式中戦車×8、95式軽戦車×35、軽装甲車×4 以上でOK? 第一次事変で、師団捜索隊は壊滅してますけれど、その後の再建状況って、ご存知の方いますか? ノモンハンの捜索隊とされる写真に、95式軽戦車の北満型が写ってるのを見たのですが。
<戦闘経過> 5月13日 捜索隊の装甲車隊と乗馬中隊1が出動も空振り。 5月23日 捜索隊220人(装甲車1を含む?)出動。 5月29日 通信途絶し壊滅。東中佐、戦死。死傷139/220人。 6月下旬 23師団、戦車団ほか進出。 6月30日 戦車4連隊が、威力偵察隊(戦車×7、装甲車×3ほか)と交戦。 7月2日 戦車団夜襲。ハルハ東岸敵陣をかなり蹂躙。若干の被害。 7月3日 東岸高地を攻撃。吉丸大佐戦死。攻勢中止。 7月6日 戦車4連隊が、敵装甲部隊と交戦。 7月7日 東岸で攻勢。捜索隊、フイ高地を占領。 7月25日 戦車団に離脱命令。 8月24日 捜索隊、独断退却。残存269/759人 9月16日 井置中佐自決。
<7月2日夜襲> 若干の戦車戦。被害車両あるも、詳細不明。 <7月3日> 戦車3連隊は、敵高地攻撃に向かうも、鉄線に絡まり行動不能車発生。 敵対戦車砲および、戦車、装甲車と交戦。 ・損害:97式中×1、89式中×10、軽装甲車×6 ・戦果:戦車×32、装甲車×35(日本側公刊戦史による。) 戦車4連隊は、敵高地攻撃に向かう途中、敵装甲部隊(戦車・装甲車×8、歩兵若干)と交戦し撃攘。 陣地攻撃は不可能と見て、撤退。 ・損害:89式中×1、95式軽×6以下、軽装甲車×1 ・戦果:不明 (ただし、損害は前日のものと合わせて。) <7月6日> 戦車4連隊(歩・砲兵と共同し守備)を、ソ連装甲部隊が攻撃。 日本戦車は、ソ連軍をまねて、稜線に隠れて巧妙に戦闘し、撃退。 ・損害:89式中×6、95式軽×5 ・戦果:戦車×5(含む支援部隊の戦果)
以上、7月6日まで総計すると、 損害/投入兵力=37/95
97式中戦車:1/4、89式中戦車:17/34、95式軽戦車:11/35、重装甲車:1/3、軽装甲車:7/19
(うち、修理不能が戦車13、装甲車不明。)
これ以後もしばらく戦車団は多少戦闘に加入していると思われ、最終的な結果は調査中。
捜索隊の戦力についても不明。とりあえず、可能性のある数字。
戦果:戦車37、装甲車35、その他多数?
でも、戦車・装甲車に関しては、7月6日の結果を見ると、怪しいと思うがどうでしょう。
対戦車威力の大きい95式が多くて、巧妙に戦って、しかも歩砲兵の支援があってこれ。
乱戦になって指揮官戦死、大打撃を受けた3日よりも、6日のほうが正確そうだが。
とりあえず、数字は
>>240 とおおむね合致した。
たぶん、どちらも公刊戦史を資料にしてるから当たり前だが。
>>405 一応。須見部隊は、第7師団から配属の歩兵連隊。戦車部隊ではない。
日本側戦車部隊は、渡河していない。『戦車砲』は、おそらく対戦車砲の意。
>>923 状況次第じゃないか?
ソ連軍は勝てるだけの兵力差を用意してくるのが基本だから
日本軍が防衛側なら数と砲火で圧倒されて揉み潰されるだろう。
でも、日本軍は、いつもその防衛側になって、戦車多数撃破を報じているのでは? まだ、ソ連側も本格攻勢をかけて来る時期じゃないし。 日本側も、完全に補給が途絶えた状況には達して無い。 どちらにしろキルレシオでも、戦車vs戦車に関しては劣勢に見える。
926 :
913 :2006/06/21(水) 00:57:27 ID:???
>>916 う〜ん。そう言われると装甲車である可能性が0とは言えないな。俺はBT戦車と判断しているが・・・
>>915 「BT戦車は92式重機でも有効だった」という日本兵の証言もありますからね。
>>917 本当だ。BT戦車の砲塔後部と思っていた部分は、裏表紙を見ると別の車両の別の部分のようだ。
>>919 P36に
「今日でも小口径銃の貫通弾跡のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、」という文章がある。
この文章とP8の写真から、軽機や小銃ですらBT戦車を蜂の巣にしていた!と判断したんだが・・・う〜ん
小口径火器といえば、たしか、日本軍も対戦車ライフル持ち込んでませんでした?
20mm口径の九七式自動砲とやら。あれはどうだったんだろ。
>BA-3/BA-6中装甲車
>ノモンハン事件で実戦参加している。
>しかし、特に日本軍との戦いでは、8mm程度の装甲厚では、
>野砲や歩兵砲が発射する榴弾はもちろんのこと、
>重機関銃が発射する7.7mm徹甲弾にも貫徹されるなど防御力の弱さが露呈され、
>また、野外機動において戦車よりも劣る機動力も、運用上の弱点として指摘された。
ttp://combat1.cool.ne.jp/BA-6.htm 装甲厚3〜8mmではねえ。装輪車両の限界ですな。
偵察車を正面攻撃用に使えると思ったのが間違い。
>>923 95軽がBT食えるといっても側面か近距離が望まれるわけで
実質役立たずの中戦車が囮になって敵火を誘引してくれれば
火力のある軽戦車を有利な地点にもぐりこませられるけど
これができないと、総合性能で有利で数もあるソ連軍に押されるだけだよ。
日本側が稜線使って遠距離からへっぴり腰で交戦してたら
運悪く被弾した日本戦車は高確率で撃破され
ソ連戦車は運悪く被弾し、更に運悪く側面とかに食らった奴だけが食われるという戦いになる。
>>928 下手に稜線使うよりも、行進・停止を繰り返して接近砲戦やったほうが有利
その点、第三連隊は、実力をよく理解していたから、肉薄攻撃をして
敵戦車・装甲車67両撃破の大戦果を挙げる健闘を見せたわけだ
やはり日本戦車兵の技量は素晴らしかった!!
>>926 「小口径銃の貫通弾跡のあるソ連戦車や装甲車が放置されているが、」の内
戦車として紹介されている写真が砲兵トラクター(調べた、スターリネッツS-65)
だけだとなあ。
残る「装甲車」が8Pの写真の穴だらけの砲塔じゃあないのだろうか。
いずれにせよ写真量が少なすぎる。検証の母体にするには不適切だろう。
おっと、8Pの写真も「戦車」だった。
>>920 >再建状況
6月17日付で、捜索第23連隊(注:書類上そうなってる。)の補充要員として、
騎兵第20連隊などから、兵員120名を抽出するよう指示が出ています。
で、そのうち、半数程度は、「軽戦車中隊」要員に使える者という指定がありますね。
事変直後の9月28日付で、戦車第4連隊から、95式軽戦車5両の移籍指示もでてます。
第23捜索隊の初期編成は、装甲車中隊1、乗馬中隊1、乗車中隊2のようです。
第二次事変の時の編成は知らないのですが、「ノモンハンの夏」を見ると、2個中隊のようです。
この辺りから想像すると、再建は間に合わずに乗車2中隊ないし乗馬・乗車各1中隊のみ。
これにあるいは装甲車中隊の残存がくっつく程度なんじゃないでしょうか。
フイ高地の兵力
>>921 を見ると、捜索隊759人とありますが、
上記2中隊に、配属2中隊を合わせると、ちょうど計算が合うような気がします。
御説の軽戦車の写真と言うのを確認してみないとはっきりしませんけど。
933 :
名無し三等兵 :2006/06/21(水) 15:10:32 ID:dKRWorpY
>初期編成 第一次前半の東支隊の乗車部隊は、歩兵連隊からの配属部隊 歩兵中隊2+師団自動車隊 初期時点では、おそらく固有の乗車歩兵は無い
934 :
名無し三等兵 :2006/06/21(水) 16:03:58 ID:dKRWorpY
日本側戦車の損害については、 第三連隊の89式乙について、21/28両大破というもっと酷い数字もある。 うち全損7で、残りは、長期間かけたのもあるが復旧。(学研「陸軍機甲部隊」) ただ、総数28両は、第3連隊の定数26両(予備車含む)を超えてしまう。 あるいは応急修理されたものを総数に入れて、のべ計算してるのか? (第四連隊の装備は、89式甲だから、混同は無い。) それと、在満州の騎兵部隊がかなり動員されている模様。 第七師団の騎兵第七連隊や、騎兵第三旅団の一部が出ているという話。 騎兵第七は、壊滅的損害という情報もあるが? これは、部隊としての出動か、それとも第二三師団捜索隊の再建に当てられたのか? ちなみに、よく第七師団については、 早くから投入され90%の損害の歩兵第二六連隊の話ばかりが出てくるが、 後から投入の歩兵第二八連隊も、70%以上の損害という数字もある。
日本:戦死7720、不明1021、負傷8664、戦病2363、合計19768+戦車団・満軍・第一次事件 ソ連:戦死6831、不明1143、負傷15251、戦病701、合計23926+蒙軍566 死傷者で比べるとソ連が多くても、戦死者で比べると差が無い。 後方機能が崩壊すると悲惨やな。戦病者の数も嫌だ。
>>935 >定数26両(予備車含む)
連隊本部2+中隊10×2+連隊予備4=26
あるいは、軍備蓄から補充されたのかもしれんし、わからんけど。
>>934 歩28は、一木支隊
歩26は、アッツ
精鋭も大変やね。
歩28の軍旗は、
ノモンハンでは速射砲中隊全部使って死守したけど、
結局ガダルカナルで失くしてしまった。
>>927 >自動砲
「小松原日記」に少し出てくる。
『我方の速射砲及自動砲破壊せられ、工兵及歩兵の肉薄攻撃に依り之に対抗す。』(原文カナ)
ということで、少なくとも使用はしているようだ。
940 :
913 :2006/06/22(木) 00:12:17 ID:???
>>930 確認しました。足回り等から見て、スターリネッツ系統のトラクターで間違いなさそうです。
P8は傾斜装甲を採用する以前の、旧型45mm砲搭載砲塔のようですね。
>>934 まあ戦車とか戦艦の場合は撃破されても修理してまた使えるケースが多いので、
戦ってるうちに損害数が配備総数を超えてしまうことすらままあるわけで。
>>932 写真なら、ググルと1枚出てくるよ。キャプションでは井置捜索連隊になってる。
幸い(失礼)、井置氏は事変中だけの活躍だから、キャプションが正しければノモンハンになる。
92式重装甲車の方は、砲塔機銃が、防弾付きの97式機銃に換装されてるように見えるね。
最大装甲6mmでは完全に棺おけだ。
>936 戦病の数が三倍以上というのが異様に感じるのだが内訳が気になる。 脚気や栄養失調が大半を占めていそうな悪寒
あとは、脱水症状による熱中症とかもあるかもしれんな。 ノモンハンの戦記を読むと、とにかく飲料水が無いという話が出てくる。 地図で見ると、結構たくさん湖沼があるのだけれど、ほとんどが塩湖らしい。 そういう中で、ハルハ川ってのは、貴重な清水ではあった。 放牧する上では、領内にあった方が良い。
日本側の最終的な投入兵力って、はっきりしないの? よく紹介されるのは、渡河作戦頃の第二三師団に、第七師団から1個連隊、第一戦車団だけど。 そのあとで、砲兵団がくると。 これで、敵より兵力が小さいから、負けても仕方ない的な説明がされる。 でも、実際には、第七師団の残りや、第二師団の一部(例の宮崎繁三郎連隊とか)、 独立歩兵大隊いくつかにその他関東軍直轄部隊、国境警備隊や満州軍部隊なんかが相当数いる感じ。 合計すると、5万くらい?
<7月3日のハルハ西岸戦におけるソ連軍車両損害/投入>
第十一戦車旅団+第七装甲車旅団+蒙軍騎兵「師団」(2000人以下)の一部
・戦車(BT-5):72/127両
・装甲車(不明):37/59両
・火炎放射戦車:5/10両
ほか、蒙軍装甲車8両損害。
ソースは
>>273 完全破壊と修理可能損害の合計。正確なうちわけは不明。
ただ3日〜5日の戦車累計損害では、炎上:撃破=69両:69両=1:1なので、
戦車については、類推して完全破壊50%程度かと。
ソースでは、戦車十一旅団のみの損害のようにも思える書き方だが、
戦車旅団の編成を見ると、これほど多くの装甲車を持っているとは見えないので、
おそらく配属された第七装甲車旅団の損害を含むものと考える。
にしても良スレ
>>945 戦史叢書に載ってる、第六軍の軍医部が集計した有名なデータによると、
第2師団(一部)、第4師団(一部)、第7師団(平時全力)、第23師団(補充含め16000)
それに、第8国境守備隊と第6独立大隊、砲兵団、自動車部隊など。
合計兵力が58925、約6万になる。
よく出る死傷19768というのも、この調査の数字。
ただ、これは第六軍の指揮下に入った部隊だけの統計。
例えば戦車団は第六軍創設以前に後退しているから、統計外。
それから、時期も不明。前のページの兵器損耗のデータと同じとすれば、8月末日か?
ほかに、統計外と言うと、
第1師団・第8師団の一部、騎兵第3旅団、
独立部隊が戦車連隊1(詳細不明)、満州中から漁った速射砲中隊12、自動貨車1500など。
満州軍部隊が、たぶん5千〜1万くらい。
あと航空部隊も入って無い。
>>948 訂正
第4師団・第2師団も、統計の数字は、たぶん平時全力ですね。失礼。
ノモハンにおける日本軍の食糧事情 良く見るのが乾パンと牛缶の組み合わせ、次に贅沢とされたのが麻袋に入れられ、手掴みで食べる飯と粉味噌から作った味噌汁 たま〜に補給品として餅やサイダーが届くこともあったようだがサイダーの瓶は火炎瓶作るのに流用すると言って兵隊が大切に持っていたものを取り上げたりすることもあったようだ。 満軍などは放牧民みたいな生活に慣れてる者も多いので食糧事情は良かったらしい。
ノモハンにおける日本軍の食糧事情 資料で良く見るのが乾パンと牛缶の組み合わせ、次に贅沢とされたのが麻袋に入れられ手掴みで食べる飯と粉味噌から作った味噌汁 補給品として餅やサイダーが届くこともあったようだが、サイダーの瓶は火炎瓶作るので兵隊が大切に持っていたものを取り上げたりすることもあったようだ。 満軍などは放牧民みたいな生活になれてる者も多いので食糧事情は日本軍より良かったようだ。
スマン、間違って送信してしまった。
面白い! 副食が梅漬けばかりだ、と嘆いている戦記を読んだことがある。 後は、飯を炊くにも水がなく、 ようやく見つけた貴重な水場は、軍用馬の水場に使われてしまって、非常に困ったそうな。 地名で、「OO湖」とあるのは塩湖で、「OO水」とあるのは真水だそうです。 イタリア兵は砂漠でパスタを・・・。
ソ連戦車のエンジンルームに付けた金網って、プラモデルでも再現されてるのがあるけど、 あれはつまり、火炎瓶がトランポリンみたいに弾んでしまって効果が無かったってこと?
うん。 割れて中身が出ないと燃えないわけですが、 そして、それがエンジン周りじゃないと効果が無いわけですが、 金網つけられては、うまく行かないわけで。
あんなお粗末な金網付けただけで、ほとんどの本が「火炎瓶は無力化された」と、通り一遍に書くのはどうかと思うけどなあ。
ソ芬戦争でもモロトフカクテルは大活躍でつ。
T-26やT-28は良く燃えただろうな。
>>273 を見る限り、T-26なんかはほとんど投入されていないようなのです。
ほとんどがBT-5/7でして。
わずかな(といっても十数両以上)T-26などは、ほとんどが火炎放射型なので、
火炎瓶投げつける前から、火を噴いているといえば、火を噴いているw
燃やされるのは日本兵ですが・・・。
火炎瓶による肉薄攻撃の効果がなくなったのは、
初期の戦闘と違い、戦車に随伴歩兵が付いてきたことと、
ソ連側が賢くなって不用意に接近しなくなったことも影響しているようです。
7月3日の「日本海海戦」状態の時は、
日本軍の東岸攻勢にあせったジューコフが、
随伴歩兵もろくに無しで、装甲車両を小集団単位で逐次投入したせいで、大戦果になりました。
追記 まあ、その大戦果のときも、肉薄攻撃よりも、速射砲などの戦果が大きかったとは言いますが。
958は957に対してだよ。
こりゃ、失敬。
>>948 第六軍の集計データ、確認してきました。
計算に入っているのは、
・第23師団が、1万5千人。(10月27日の第23師団軍医部の統計よりも、800人ほど少ない。)
・第2師団、第4師団、第7師団が、各1万人程度。おそらく平時編成の全力。(4Dはほぼ無戦闘)
・第1師団の一部。太田支隊という名。約2千。
・「後藤支隊」これは、歩兵第一連隊と注があるが、同連隊は、第一師団の所属では?兵力不明。
・第8国境守備隊。ハイラルの要塞部隊。兵力4600人。
・独立守備隊損害300、兵力不明。
・関東軍自動車隊、兵力2800
・砲兵団、兵力2900
その他あわせ、参加兵力58925、死傷19768。
(兵力不明部隊は、総数に含まず。)
・別に、軍属死傷54人。
満州国軍の投入兵力って、どんなものなんでしょうね。 戦史叢書の記述からだと、 ・興安軍主力(騎兵「師」1ほか) ・奉天軍の一部 ・チチハル教導隊、高射砲隊 小松原日記からの引用によると、日本機の誤爆でかなりの損害を受けて、後退を検討している。 なるべく精鋭部隊ではあったものの中国・モンゴル系兵士は、もろかった模様。 日系兵士は、かなり頑強に抵抗したらしい。 シーシキン資料の記述に拠れば、 ・興安騎兵「師団」(騎兵第4,5,6「連隊」) ・騎兵第1,7「連隊」 ・「バルガ」騎兵第8「連隊」 バルガとは、モンゴル系部族のようです。 国境地帯のモンゴル系兵士から組織された興安警備軍(東西南北4つある。)のことと思われます。
訂正:バルガは、モンゴル系というより、満州系といったほうがいいかも。 ちなみに、戦史叢書の「奉天軍」という名称は、ノモンハン当時には正式にはありません。 第1〜5軍管区と興安警備軍(東西南北)という編成なので、 奉天軍というのは、軍管区のいずれか(旧、奉天省警備軍)の通称と思われます。 「興安師」というのも、おそらく、バルガ系の興安警備軍ではなく、 軍管区部隊のいずれか(旧、興安省警備軍にあたるもの)だと思うのですが。 興安警備軍は、各警備軍の兵力が1000人程度しかないので、 軍の枠内で「師団」を名乗らせるには、さすがに小さすぎる気がします。 かといって、軍のわくを越えて、「師団」編成するというのも、変ですから。 ロシア側の手記によると、バルガ兵が、かなりの数で投降というか寝返りをしたようです。
966 :
名無し三等兵 :2006/06/29(木) 21:38:33 ID:VUx5zBen
ソ軍側の言うバルガ兵とは満州国軍の総称では? 満軍全部が酷いように見られがちだけど 新編の興安師じゃ脱走・投降も多かったようだし 漢系の石蘭支隊では反乱があったからなんだろうね でもウルジン将軍の興安北警備軍あたりは軍歴も長く結構奮戦 してるみたいだし兵力不足の日本側では満軍の果たした役割も 無視できないのじゃないかと思うよ 満軍についてはとにかく資料が少ないけど「ノモンハン全戦史」が 結構詳しいかな
>興安北警備軍あたりは軍歴も長く結構奮戦 馬賊や共産ゲリラ狩りでかなり活躍しているみたいですね。 当初は、日本軍が常に同行していたのが、単独で大規模な掃討作戦ができるくらいになっていたとか。 ノモンハン事変の時では無いですけど、黒竜江での紛争のときに、 江上艦隊が出動しているみたいですね。
保守
969 :
名無し三等兵 :2006/07/11(火) 00:51:33 ID:SijBlcdB
ノモンハン航空戦のエピソード多少。 ・日本軍損害は、97戦:220(うち大破96)、その他:162(うち大破72)、戦闘機乗員の戦死傷76人 ・当時の陸軍機の月産量は、97戦:38、97重爆:25、97司偵:10 ・日本軍の後送患者約1万のうち、27%の3352人は、延べ767機の航空機によって輸送された。 ・満州航空の民間旅客機も数機が徴用されている。機種は「スーパー」「ユンケルス」など。 一部は、事件中に失われた。徴用機の多くは、患者救出に使用され、前述の成果の一翼を担う。 ・ソ連軍は、弾着観測用にオートジャイロを実戦投入していた。 一方、日本軍は、係留気球を使ったが、次々と「撃墜」された。
970 :
名無し三等兵 :2006/07/11(火) 01:21:01 ID:LWq4UG5s
ソ連のオートジャイロはエンジンの整備が行き届かなく稼働率に不安があった って聞いたけど・・・
オートジャイロ自体の限界だな。 ただ、その後、日本陸軍もカ号の整備に動いたので、気球よりはましかもしれない。
ノモンハンでの弾薬消費の過半数は九二式重機による7.7mm弾なんだよね。 日本陸軍は6.5mmのイメージがあるけど、実際には7.7mmの方が多く飛んでくるわけだ。
保守
エアロダンシングの親善大使みたいな顔しつつ、実際は軍ヲタ独自の狭い価値観を 新規参入者に押し付け、エアダン人口の増加を妨げ、商品価値を著しく貶めたクソバカ 元空士長 こいつはウィキペディアも荒らしまわり、無期限の書き込み禁止処分を受けた