1 :
オルグ3世:
終戦直後の日本共産党の軍事闘争路線を考察し語り継ぐスレです。
昭和24年1月、総選挙で日本共産党は298万票を獲得、35議席を確保するという大躍進を遂げた。
昭和25年1月、日本共産党はコミンフォルム(国際共産党情報局)に平和革命路線を批判されて
大混乱に陥り党内は分裂したが、結局、批判を受け入れて武力革命路線に転じる。
昭和25年5月3日、GHQは「日本共産党は侵略の手先である」と非難を声明、
続いて6月6日、日共中央委員24名の追放を指令した。しかし、日共の幹部達は逸早く地下に潜行して
海上の秘密路線を作り中国に脱出した。
昭和25年6月25日、北朝鮮軍の侵攻で朝鮮戦争が勃発、共産軍が破竹の勢いで米韓軍を釜山橋頭堡に
追い詰めた時期、日本共産党員は本気で革命近しと信じ「もう直ぐ、中国解放軍が日本解放の為朝鮮海峡を
渡ってくる」「北海道にソ連軍の降下部隊が降りてくる」といった話が呟かれていた。
昭和26年10月、日本共産党は「日本の解放と民主的変革を和の手段によって達成し得ると
考えるのは間違いである」との「51年綱領」を採択、軍事闘争路線に基づく各組織を着々と整備してゆく。
まず党中央に「中央軍事委員会」が設けられ、関東、北海道、東北、中部、西日本、九州の6ブロックに、
それぞれ地方軍事委員会が置かれた。その直接軍事行動の中心は「中核自衛隊」である。
更に、ゲリラ戦の根拠地設定の任務を指令された「山村工作隊」「農村工作隊」が組織されて奥多摩や
富士山麓等の山岳地帯、或いは農村に展開していった。直、中核自衛隊は昭和27初め頃、約8千名といわれた。
昭和27年5月、血のメーデー事件では参加約50万人、混入していた数千人の中核自衛隊員に煽動されて
警官隊と凄惨な乱闘となり、死傷者は約1千人に昇った。
2 :
オルグ3世:2006/01/31(火) 04:57:46 ID:1HNsPSr9
訂正
「日本の解放と民主的変革を”平和”の手段によって達成し得ると
考えるのは間違いである」
3 :
名無し三等兵:2006/01/31(火) 05:59:26 ID:/q4wLYbf
3なら自営業閣下とセックス出来る
4 :
誘導:2006/01/31(火) 10:19:09 ID:???
5 :
名無し三等兵:2006/01/31(火) 15:15:58 ID:1HNsPSr9
ちなみに、
1996年9月、韓国北東部に北朝鮮の潜水艦が侵入し、
北朝鮮の特殊部隊員ら26人が韓国に上陸。
これに対して韓国軍は50日にわたり
約6万人を投入して包囲したが、
特殊部隊員らの反撃によって16人が殺された。
2004年、防衛庁陸上幕僚監部が想定した、
北朝鮮の特殊工作員による大規模テロでは、
日本への侵入勢力を最大2500人と見積もり、
「国土防衛」に陸上自衛隊だけで約23万人が必要と試算した。
6 :
名無し三等兵:2006/01/31(火) 19:39:00 ID:???
内ゲバで自滅
7 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 00:37:44 ID:YO229m6R
hage
8 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:21:12 ID:???
昭和26年10月の第5回全国協議会において、「日本の解放と民主的変革を、
平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」とする「51年綱領」と、
「われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない」とする「軍事方針」を
決定した。そして、この方針に基づいて、20年代後半に、全国的に騒擾事件や
警察に対する襲撃事件等の暴力的破壊活動を繰り広げた。
「血のメーデー事件」をはじめ、白鳥警部射殺事件、吹田騒擾事件、大須騒擾事件、
蒲田事件、曙村山林地主襲撃事件などが当時の大事件として知られている。
この他にも数々の警察署襲撃、拳銃強奪、交番爆破、放火、リンチ事件などが実行された。
9 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:22:07 ID:???
武装闘争路線の理論的支柱である51年綱領は、日本は「高度の資本主義国」であるが
「植民地」であり「近代的労働者1千万人以上」を擁しているが、人口の四割が農民」
である「農業国」でもあるという完全に矛盾したものであった。
さらに、その路線の上にコミンフォルムに与えられた「農村が都市を包囲する」という
毛沢東路線と、ロシア革命型の「都市労働者の武装蜂起」を結合させるという
折衷革命方式が取られた。当然この武装闘争は完全に失敗し、主な指導者は中国に亡命した。
10 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:23:19 ID:???
こうした武装闘争は、国民から非難されるところとなり、27年10月の衆院選では、
党候補は全員落選した。
昭和30年7月の第6回全国協議会(6全協)で、20年代後半に行った
武装闘争を「誤りのうちもっとも大きなものは極左冒険主義である」(=革命情勢が
ないのに武装蜂起した)などと自己批判した。
昭和33年7月の第7回党大会で、暴力革命唯一論の立場に立った「51年綱領」を
「一つの重要な歴史的な役割を果たした」と評価した上で廃止した。
11 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:24:30 ID:???
昭和36年7月、第8回党大会で「現在、日本を基本的に支配しているのは、アメリカ
帝国主義とそれに従属的に同盟している日本の独占資本である」とする現状規定や、
民主主義革命から引き続き社会主義革命に至るという「二段階革命」方式等を規定した
現綱領を採択した。また、革命が「平和的となるか非平和的となるかは
結局敵の出方による」とするいわゆる「敵の出方」論による暴力革命の方針が示された。
12 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 14:44:18 ID:???
日朝首脳会談の席上、金総書記は拉致疑惑について「一部の妄動主義者と
英雄主義者によるもので、私が承知してからは関連して責任ある人々は
処罰された。」と謝罪した。
極左冒険主義? 妄動主義? 英雄主義?
トカゲのシッポ切りのような、…
13 :
名無し三等兵:2006/02/01(水) 17:36:53 ID:???
球根栽培法と栄養なんとかだっけ。
…反動的戦争においては、革命的階級は、
ただ自国政府の敗北のみを望むことができる。
政府軍の敗北は、日本の君主制政府を弱体化し、
支配階級に対する内戦を容易ならしめるであろう。
中国の植民地的従属のための日本帝国主義の現在の戦争においては、
日本共産主義者の行動スローガンは、
「中国の完全独立のために闘え」でなければならない。
中国ないしソヴィエト連邦に対する帝国主義戦争という状態においては、
日本共産主義者は、敗北主義者たらねばならないだけでなく、
ソヴィエト連邦の勝利と中国人民の解放のために積極的に闘わねばならない。
★まだこんな事が生きているのかな…
15 :
名無し三等兵:2006/02/03(金) 17:50:40 ID:???
1950年6月25日 朝鮮戦争勃発
1950年8月10日 警察予備隊令公布
1950年9月15日 国連軍仁川上陸
日本共産党が軍事闘争路線を決定する51年綱領が
朝鮮戦争より前に決定されていれば、より深刻な事に
なっていたのかもしれない。
あるいはスターリン的には先に南朝鮮を落として
それから日本をという考えだったのであろうか。
16 :
名無し三等兵:2006/03/01(水) 12:11:53 ID:lwmSXyoW
今でも日教組は奴らの手先だ。小学校では四六時中政府の悪口と大東亜戦争を否定してあた。
おまけに、「どうせ、ちんちくりんな、日本人が頑張っても、体格がちがう外人には勝てないから、スポーツ等のくだらない事はやめて、勉強して、日本をかえろ」と複数の教師が繰り返し言っていた。
17 :
名無し三等兵:2006/03/02(木) 08:03:48 ID:???
そういえば、日本共産党の組織に「自衛隊」ってのがあったな。
勢力拡大してたら、SDみたくなってたりして。w
18 :
名無し三等兵:2006/03/02(木) 13:06:05 ID:???
中核自衛隊だな。
あの頃の日共は凄かった。
19 :
名無し三等兵:2006/03/05(日) 18:43:45 ID:mjD2cuTi
日教組教師を論破した。
→顔面鉄拳
しかし、その翌日学務主任をはじめとした体育教師数人の強襲小隊がその先生のおうちを訪問
私と両親への陳謝状が震えた字で帰ってまいりました。
うちの学校は日教組勢力弱かったからねぇ
20 :
名無し三等兵:2006/03/05(日) 19:27:47 ID:QUS4OCMP
病的夢想を掲げるコミュニストは社会の害悪です。
とっとと豊かな北へとお帰り下さい。
21 :
名無し三等兵:
日本共産党は、自分達以外の武力集団を認めてません。