>>930 いつの時代の戦争だよw
ついでに鳥羽街道見に行って来いwww
もしも小千谷の慈眼寺で、長岡藩の使者が官軍に
つかまったら?
>>933 あのなあ、慈眼寺に出向いたのは、使者どころか、
藩の執政家老で、長岡が同盟入りするやこの方面の軍事総督になった、
河井継之助、ご本人様だ。
河井が取っ捕まれば、長岡藩そのものが恭順するしかなかったろうし、
恭順しなかったとしても、北越戦争があそこまでの激戦になることはなかっただろう。
>>924 そんな兵力があるなら母成峠に回して下さい><
>>931 幕府海軍による箱根封鎖>官軍包囲殲滅作戦って定期的に出てくるけど、
論者はその時の大将を誰にする積りなんだろう。
>>931は小栗を挙げてるけど、小栗には大村みたいに軍学を学んだ経歴も
無いし、大村みたいに四境戦争で実戦指揮を執った経験も無いし、どうにも
総帥として君臨する姿が想像出来ないんだよなぁ。
矢張り此処は大鳥センセイに出張ってもらうしか。
>>936 論者もなにもその作戦を提案したのが小栗
だから指揮官はおのずともし慶喜に戦う意思があれば小栗がなってと思う
実戦経験のない人間がいきなり戦闘指揮官として軍を動かせるものなんかね?
陸軍・海軍奉行をやって、フランス軍事顧問とも
交遊もあるから腹が据わってるなら案外面白い。
ただ家格と官位・官職が総指揮を執るには足りんので、
名目上の総大将はいるかも。
>名目上の総大将はいるかも。
そこが正に幕府の滅びた原因かと。
長州藩にとってはそんなところは長州征伐で通り過ぎた場所だろうし、
やや後進的な軍制をとる薩摩藩でも、名目上の指揮官は鳥羽伏見の
戦いでの戦闘序列くらいでしか見掛けないし。
小栗が有能なら、その小栗が史記できなきゃ幕府の勝利は難しいん
じゃない? まぁ、漏れはそもそも教育を受けて居ない上に実戦も経験
してない小栗に全軍の統率が出来るかどうか懐疑的なんだけどね。
小栗が官僚として有能だったのは事実だが
将官として使い物になったかはまったくの謎だからね
相当に頭の良い人だし、合理的だから案外いけたんじゃないかとも思うが
あの我の強さが悪い方に作用するという可能性も捨てきれない
すべては後世の人々が夢想するしかないことだね
小栗について盛んに議論されてるみたいだけど、箱根要撃作戦って
確か榎本も一緒に主張してなかったか?まぁ、後世から見れば榎本も
軍人というより文官向きだけど、小栗よりはよっぽど指揮もできるだろうね。
東山道から来る部隊はどうするつもりだったんだろうか。
>>943 そういえば、東山道の官軍への対処法もすっぽり抜けてますね。
故意に考えないようにしてるのか?w
矢張り甲陽鎮撫隊を急かして、甲府城を抑えてもらうのかなぁ。
まー抑えても土佐の精鋭迅衝隊に勝てるかどうかは分からないけど。
>>941 きっと実務はフランス参謀に頼るんじゃないだろうか。
エジプト・トルコ戦争で、トルコ側にモルトケがいたみたいに。
長州戦争のときも、基本戦略はロッシュあたりの入れ知恵だったみたいだし。
>>938 好例として会津の西郷頼母という事例があります
>>944 主戦派が主導権を握ったら甲府城を基点に洋式陸軍を派遣して防衛行動取るんじゃね?
>>944 土佐藩に対しては佐幕派の山内容堂を復活させて…
薩摩藩は島津久光を…
はともかくとして幕末の政治情勢ってカオス杉。薩摩藩や土佐藩が藩主クラスが公武合体派なのに、
第二次長州戦争前後で、急速に長州に接近しちゃうし、徳川尾張藩や
慶喜のブレーンのはずの松平春嶽まで慶喜の下から去ってしまった。
今で言えば、対テロ戦争が長期化して終わりが見えない中、EUが突如イスラム側に味方するようなもの。
何で急に慶喜の周辺が分裂しだしたんだろう。
ヒント: 二心公
結局小栗云々いってるのはただのミーハーなんだよな。
ガチの佐幕派なら先ず小笠原長行のクーデター辺りから歴史を作り替えねば。
島津斉彬があと5〜10年長生きしてたら…
上洛で薩摩藩軍壊滅になっていたか、幕政改革で幕府存続か
やっぱり倒幕→新政府になったのか…
井伊直弼が大老になるようじゃダメだな。
斉彬が生きてたら西郷さ
遠慮しすぎて結局後手に回りそう
所詮殿様だしそんなに期待しても・・・・
保守 じすれは?
徳川慶喜が14代将軍になっていたら?
よくさあ、阿波沖海戦が日本最初の近代海戦とかいうけど、
まともな戦闘と言うと、長州艦隊が米艦隊に壊滅させられたのが最初じゃないのか?
保守
保守
保守age
つか、保守より次スレの方が必要なんじゃ
このペースで次スレ立てても、すぐに落ちるし。
それに、保守ばかりで書き込み続かないようなスレなら、無理して次スレ立てなくてもよい。
965 :
名無し三等兵:2007/08/01(水) 21:49:26 ID:HNNfGFwC
幕末の戦争総合スレ(ペリー来航より後から箱館戦争まで)でも、
過疎って落ちるかな?
>965 それなら幕末・明冶初期総合スレにして、大塩平八郎か高島秋帆あたりから秩父事件までまとめて扱った方がよくないか?
話がまとまったら立てるよ
西南戦争まれれしょ
>>966 幕末・明冶初期総合スレ(大塩平八郎から西南戦争まで)で良いと思う。
秩父事件は明治でも中期ぐらいだと思うし。西南戦争までが明治初期だと思う。
コンビニの廉価コミック 幕末〜〜〜 ぶんか社 400円
竜馬、西郷、伊藤、新選組のトンデモ考察
西南戦争が明治十年 秩父事件が明治十七年。どう評価するか意見が分かれるとこかもな。
(幕末維新動乱を戦後の反政府闘争に見立てて、西南戦争をあさま山荘とすると、秩父事件が成田闘争に相当すると思うんだ。質的変革を重視すべきか否か)
972 :
名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:00:35 ID:tatkPMAY
血税一揆や打ち毀し、えた・ひにんに依る一揆なども話しておk?
秩父事件=成田闘争
成田闘争に失礼
僅か3日で終わった上に日本史になんら影響を与えていない
秩父事件を一大闘争とするなら彼らが目標とした一大事件「武州一揆」の方が
重大だと思うが?
秩父事件=あさま山荘
西南戦争=安保闘争
だろ
成田闘争も秩父事件もどっちもたいしたことねーよ
その両者から何が生まれたよ?
反対のための反対しか生まれてないだろうが
成田闘争も秩父事件 その両者から何が生まれたか?
そう、目立った成果は無く敗北に終わった闘争という意味からは、何も生まれなかったと言える。
しかし、闘争/事件として広く知られた結果、記憶としては消せなくなり、更に先の世代が別の形で再試行する。
その積み重ねが人類の辿って来た途、即ち歴史なのさw
最早、忘れ去られているがな
忘れる事は人間の偉大な才能のひとつだが、想い出す事もまた然り。
キミの孫あたりに「爺ちゃん、成田闘争ってな〜に」と聞かれる事もあるだろう。
そんな時に いい加減な事を答えちゃうと、お年玉でしか評価されない爺さんに認定されちまうぞw
成田闘争の評価か
地域の同意って大切だね、くらいしかないんじゃない?
開拓農家が怒ったのはよく分かるし政府の説明も足りなかった
だが、反対運動に学生運動の連中入れてしまってせいで
農家も政府も両方不幸になったよね
>>977 何でも可能性だけはあるな。
すごく低いけど。
いい加減な事を答えないで、調べる又は知らないと言うオプションもあると思うがねw
スレ違いの話題の方が盛り上がってるなぁw
次スレは要らないんじゃない?
981 :
名無し三等兵:
んじゃ、とっとこ釜次郎が埋め立て開始してあげるよw
うりゃ〜 ( ノ・ω・)ノ~┣・∵. 。