1 :
榎本武揚:
榎本武揚ですが、薩長にかつ方法を教えてください。
2 :
誤爆しちまったぃ:2005/12/23(金) 19:58:16 ID:h4e39Zzh
3 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:02:22 ID:???
とりあえず洋装ちょんまげ男をなんとかしないとな
4 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:11:07 ID:???
賭場伏見の戦いでは、やはり慶喜に戦う気が
なかったのが敗因なのであろうか。
5 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:17:16 ID:???
戊辰戦争の会津攻防戦で、会津藩家老・佐川官兵衛が組織した会津農兵隊は、会津若松落城の後も投降を拒み、南会津地方の峠を根城に山岳ゲリラ戦を展開して、官軍将兵を大量に殺傷した。
・・・この当時、農兵隊に促成指導された、竹槍や根切り鋤(先端が槍のように長く鋭い)、山刀等を使用した武器術や、基礎的な組打ち術などが、平成の今なお、〇〇村の農兵術と呼ばれ、南会津某村において、古老たちがひっそりと技を伝えているという・・・。
6 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:37:43 ID:h4e39Zzh
>>4 現場を歩いて回ったが
防御側の戦術的ミスかと・・・
7 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:42:47 ID:???
詳しく
8 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:44:33 ID:???
>>5 戊辰戦争では武家達の戦争であって、農民の出る幕では無いと思うんだが
少なくとも会津藩の場合
9 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:51:15 ID:FxozqtdZ
>>1 阿蘭陀に亡命しろ、釜次郎。
この戦争での評価
立見尚文>>>>>>山縣有朋
立見は、日露戦争で第八師団長として、沙河、黒溝台で帝国陸軍の窮地を救うことになる。
10 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 20:52:18 ID:h4e39Zzh
>>7 いや、まだ詳細な資料集めの途中なのだが
当時は宇治川以南は小椋池と湿地帯で、大規模な攻撃展開ができる地勢ではない。
攻撃側の侵攻経路は小椋池東岸の奈良街道ルートと、山崎〜淀ルートに限定される。
対して防御側は伏見城跡〜御香宮の丘陵地を主防衛線とする。
これはいいとして
せっかく敵の侵攻経路が限定されているのに、GOPをはじめとした警戒組織や渡河部隊に対する機動防御の形跡がみあたらない。
わざわざ湿地帯を通過後に宇治川を渡らせて、主陣地の御香宮にとりついた時点で防御戦闘開始っておかしくないか?
11 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:02:16 ID:???
>>10 普通に太平の世の後なので、戦闘に関するノウハウが失われていたんでしょ
江戸期の軍学ってのもなんか変な方向に進んでいるし
空想の合戦、講談師のノンフィクションから一気に近代射撃戦に移る展開の早さが
戊辰戦争の魅力
12 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:16:53 ID:???
>>10 なるほど・・・単純に渡川点でも防衛せず、完全に
渡らせてしまうというのも編な話かもしれませんな。
13 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 21:50:20 ID:h4e39Zzh
ただ、敗戦後に淀ルートで京都を脱出し、淀城で一戦交えている事から
防衛側は山崎〜淀ルートを主攻と想定していた可能性もある。
奈良街道から御香宮を攻め上がるのは、非合理的だし
小椋池湿地帯をアルデンヌの森、伏見城から御香宮までの河岸段丘をマジノ線のごとく過信していたのかも知れない。
だとすれば、御香宮に緊急展開し渡河部隊に対し一撃なりとも与えて主力の京都脱出を計った行動は理解できる。
14 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:08:34 ID:???
まだまだ幕府・薩長両軍とも戦術が未熟だったってことかな。
そういう状況だったから、防御にまわって攻め寄せる幕軍を物陰から
撃ちまくった薩長側が勝てた、と。ようやく幕軍が陣地を陥落させても
肝心の指揮官が戦死していて、逆襲に対抗できなかたった。
15 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:14:04 ID:???
自分が慶喜だったら、どうするかな?
挑発に乗らずに、もっと部隊(特に歩兵隊)が大阪に集結するのを待つか。
それまでは京都を封鎖しつつ、艦隊で萩・山口を砲撃し、小部隊を山陽道から
西進させて、あたかも長州本土を狙っているように見せる。
いざ、主力を出撃させるときは偵察部隊を派出することを忘れない。
あとはフランスからの援助を出来るだけ絶やさない。補給に関わるからね。
16 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:14:16 ID:???
戦術どころか、装備も元亀天正で
甲冑を着ていると、銃弾が甲冑を巻き込んで傷を大きくしてしまうことが
戦場でわかって、四境戦争後は甲冑を装備しなくなったとか。
京都で猛威を振るった新撰組が、射撃戦に対応できずに惨敗ってのは
ここの人なら当然知っているだろう。
17 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:26:19 ID:h4e39Zzh
>>16 > 京都で猛威を振るった新撰組が、射撃戦に対応できずに惨敗ってのは
> ここの人なら当然知っているだろう。
市街地での白兵戦に持ち込もうとしたり、路傍に応急陣地を構築したり
それなりに現場部隊レベルでそれなりに対応しようとした形跡はあるぞ
18 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:28:51 ID:???
つーか、大津から山科〜東山超えて直接京都攻撃できないものかの。
19 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 22:33:08 ID:h4e39Zzh
>>18 R1無しの東山越えだったら大岩街道?
だったら結局、鳥羽伏見が決戦場になるんじゃね?
20 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 23:10:32 ID:???
艦隊を大阪に回していれば幕府軍は勝てた
21 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 23:52:35 ID:???
小栗上野介の作戦をやれば勝ってた
後に大村益次郎曰く「官軍は命拾いをした」
22 :
名無し三等兵:2005/12/23(金) 23:55:14 ID:???
薩長の田舎侍を官軍って言うな!
あの時点では単なる僭称だろ
23 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 00:47:15 ID:???
幕府側にはされなりに優秀な人材がいたのに
大局ではボロ負けだったのはなんでだろうな。
24 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 00:49:27 ID:???
25 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 01:35:32 ID:???
結局、それだよな
26 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 03:04:14 ID:???
つうか慶喜がヘタレでよかった、もしマジメに戦争してたら
列強の介入でもっとマズイ方向になったかもよ。
27 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 08:12:59 ID:7+e1cgDH
ストロング砲が強力だったからねー
28 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 13:04:26 ID:???
慶喜はでも、徹底的に政治的手法で回避しよう
としてた感じで、ヘタレなのかどうかどうも
判断できんのよな・・・まぁ軍事的才能はそれ
ほどなさそうではあるが。
29 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 13:58:53 ID:???
箱館戦争はええで
30 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 14:28:21 ID:???
31 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 17:01:33 ID:???
>>24 ということは慶喜がもっと強硬で、天皇の勅命が何だろうと知ったことか、
勝敗を決めるのは力なのだ、というスタンスをとっていれば勝てた?
32 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 17:06:08 ID:???
平安時代以降、相変わらずショボイ貴族・皇族どもに敬意を払って、
ついでに彼らを倒してしまおうとしなかった日本の実力者たちは驚きに値する。
敵対一族を磔とかしてる奴もいるのに、結局その領域にまでは踏み込めなかった。
33 :
名無し三等兵:2005/12/24(土) 17:17:48 ID:???
>>31 その可能性はある。軍事力そのものは、特に鳥羽・伏見の頃は拮抗していたし。
初期の頃は日和見だった藩が、幕府方についていれば、薩長を圧倒していたかも知れない。
34 :
名無し三等兵:2005/12/25(日) 00:25:32 ID:???
>>32 天皇を倒す気になれば倒せた勢力は徳川幕府
くらいで、それ以外の勢力は下手にそんな事
すれば、敵対勢力に大義名文を与えて自分が
潰される事になるからな・・・。
結局日本の戦にはどんになショボイ理由であれ
大義名分が必要とされるので。
35 :
名無し三等兵:2005/12/25(日) 10:10:14 ID:???
慶喜は勤皇色濃い水戸の出身だからな
朝敵になってまで戦おうとは思ってなかったんだろうな
36 :
名無し三等兵:2005/12/25(日) 16:52:10 ID:1yZj43xa
>>31 鳥羽・伏見の戦闘には勝てた可能性はある
しかし、そんなことすればよくて戊辰戦争などとは比べものにならない泥沼の内戦に発展して戦国化。
最悪、外国勢力の介入を招いて日本国滅亡の可能性も・・・
慶喜の意図が「穏便に幕府を閉じて、徳川家は存続させる」にあったのなら、抗戦派を遅滞戦闘ですり潰して京都を離脱〜後に江戸で停戦ってのは悪くない結末では?
37 :
名無し三等兵:2005/12/25(日) 21:31:13 ID:???
徳川も、天皇の臣下なり!
ストーンウォール号らっけ?
米国は局外中立とかれ、ろっちにも譲らなかった軍艦
当初は幕府に売る予定らったんらっけ?
榎本側が購入しても江差れ座礁してたかも・・・
39 :
名無し三等兵:2005/12/26(月) 17:20:51 ID:???
鳥羽伏見の戦いの時は、既に大政奉還は行われていて、
政局では徳川が薩長に勝っており、戦いも序盤のうちは
宮廷も日和見的で、官軍VS賊軍でなく、単なる大名同士
の争いに近い形式だったので、徳川方将兵の士気の高さ
に乗じて本気で戦えば、反徳川勢力を百姓一揆の延長
レベルまで抑えることが出来たかもな。
その未来がいいものかは不明だが。
40 :
名無し三等兵:2005/12/26(月) 17:23:47 ID:???
あー文末が舌足らずすぎ、鳥羽伏見でうまく勝利すれば
逆に徳川方が官軍になって、反徳川勢力を黙らせることも
できかたも・・・ということ。
41 :
?:2005/12/26(月) 22:36:59 ID:???
gea
42 :
名無し三等兵:2005/12/26(月) 22:46:30 ID:???
43 :
名無し三等兵:2005/12/27(火) 19:52:34 ID:vb1UdRsZ
今日はガトリングガンでるのか?
44 :
名無し三等兵:2005/12/27(火) 19:58:14 ID:???
鳥羽伏見の戦いは、普通に戦っておれば、
徳川側の圧勝だったはずだが。
徳川側の行動を見てると、
そもそも徳川側の上層部はガチで戦闘に突入するとは
思ってなかった節が見えるのだが。
普通に使者を京に入れようとしていたくらいだから。
45 :
名無し三等兵:2005/12/27(火) 21:37:48 ID:???
衣装がムチムチでイヤンだな
考証が甘い
46 :
名無し三等兵:2005/12/27(火) 21:59:03 ID:???
なんの話かと思ったら特番やってたのか
47 :
名無し三等兵:2005/12/28(水) 00:42:13 ID:???
ガトリンクでたね。
でも、すげーダイジェスト展開でツマンネ
48 :
名無し三等兵:2005/12/28(水) 23:49:32 ID:???
慶喜が途中でやる気を起こして、箱根要撃案が通ったらどうなってた?
49 :
名無し三等兵:2006/01/01(日) 20:55:51 ID:???
新年age
50 :
名無し三等兵:2006/01/01(日) 21:21:46 ID:???
薩摩が寝返る前に長州は潰しておくべきだった。
というか徳川は関ヶ原のあと毛利を改易しておくべきだった。
51 :
名無し三等兵:2006/01/01(日) 21:25:00 ID:???
>>50 毛利は関ヶ原のあと領地の大半を没収されて、防長2国だろ?
52 :
名無し三等兵:2006/01/01(日) 21:55:30 ID:???
中途半端に生かして恨みを買うくらいなら憂いは断つべきだった。
西軍に突っ込んだのが遅かったから認めないとか因縁つけて。
薩摩も同じ。東軍に大損害与えた罪で取り潰すべし。
全然日本の為にならなそうだけど。
ああああ
54 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 00:29:55 ID:???
そんな関ヶ原の時代に幕末どあなるかまで予測は
できないし、毛利も島津も十分に弱体化させて、
そのうえ参勤交代で国力を削ぐ仕組みを作ったん
だから(あの段階では)十分な措置だったろ?
隙あらば取潰しにしたうけど、そのご隙を見せな
なかったというのもあるし。
55 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 09:37:05 ID:???
つうか毛利家の幕府に対する怨念は代々続くからな
毛利家の新年の挨拶は「今年の倒幕は如何なさいますか?」
だからな
56 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 11:00:45 ID:???
幕末の最後の年は「そうせい!」だったのだろうか。
1月3日(火) 21:00〜22:30 NHK総合 Gコード(939203)
2006年正月時代劇・新選組!!土方歳三最期の一日◇2004年に放送した大河ドラマ「新選組!」の続編。
近藤勇の遺志を継ぎ、新政府軍との壮絶な戦いの中で生涯を閉じた土方歳三の最期を描く。 三谷幸喜・作、吉川邦夫演出。
1869年5月、数時間後に迫った新政府軍の総攻撃を前にした箱館五稜郭には、緊張が走っていた。
歳三(山本耕史)は、共に戦いたいという島田(照英)ら新選組同志の訴えを退け、彼らに街の警備を命じる。
そして世話役の市村(池松壮亮)を、故郷の多摩へ送り出す。やがて新政府軍の総攻撃が開始された。
敵の本陣を目指していた歳三は、信じられない光景を目にする。
58 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 13:36:17 ID:???
>>57 真帆は婦女子みたいな新選組ハァハァなの?
59 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 20:17:30 ID:???
土方もあの若さで死ぬなんて惜しかったな。おまけに男前だし。
生きていれば明治の軍神になれたかもしれん。
意地だけで函館まで戦い抜いたくらいだからありえないけど。
61 :
名無し三等兵:2006/01/03(火) 10:32:53 ID:???
じゃもっと語れよ
62 :
小笠原長行:2006/01/03(火) 19:13:22 ID:???
>48
第二次長州征伐に慶喜様が幕府歩兵隊を率いて御出陣なされ、海軍や
熊本藩や小倉藩と協力し下関を割譲させるなどのことをなされたら
良かったのですぞ。
63 :
名無し三等兵:2006/01/03(火) 21:29:24 ID:???
あと長州征伐で肝心なのは領民と敵対しないことだな。
焼き討ち・刈田狼藉などもってのほか。攻めるなら幕府直轄部隊オンリーで。
諸藩(会津・桑名以外)は囮か陣地防衛にしか使ってはいけない。
基本的に彼らの兵站はそれぞれの藩持ちだからね。略奪が起こるのは必然。
65 :
名無し三等兵:2006/01/03(火) 22:39:37 ID:ZJIudnQv
新撰組見たから、上げときます。
マジおもろかった。
しかし、官軍の歩兵、接近戦にゃ弱いだろ。
と思ったら、幕府軍の指揮官、サーベル持ってたね。
双方の詳しい軍装が見たいな。
66 :
名無し三等兵:2006/01/03(火) 23:11:47 ID:???
イソノ宣伝乙
67 :
名無し三等兵:2006/01/04(水) 07:32:29 ID:???
>62
洋式化された紀州藩兵も回すように主力を小倉口で固める。
>63
規律維持のために新選組を呼ぶのも良いですな。
>>38 正確に言うと、戊辰戦争勃発以前に幕府が40万ドルで購入しており、30万ドルを先払い。
残り10万ドルは、艦が到着してから払う事になっていたが、日本に到着した頃には各国が
局外中立宣言していたので、幕府が引き取る事は出来なかったんだべさ。
でも筋から言えば、戦争前、既に購入済みだったんだから、幕府側に渡すのが当然だったんだけど、
薩長側に肩入れする英公使パークスの、なまら強引な主張
「大政奉還で、幕府の財産は全てミカドのモノになったから、ストーンウォール号もミカドのモノだ」
という素敵なジャイアニズムに他の国が振り回され(何たって、当時「世界最強国」だし)、
結局アメリカは、どちら側にも引き渡さない、という事で「ひとまず逃げを打った」わけだ。
もしも当初の契約通り幕府側に渡っていたら、榎本艦隊の一員に加わったかもね。
ただ回航時期から見て、開陽が江戸に帰り、旧幕府艦隊が榎本の下に集結したあとに
加わる事になるだろうから、乗員とか錬度とかの問題も有るし、開陽の代わりの旗艦になる可能性は無いかな・・・
(・・・・・江差沖で座礁するかも・・・・・・)
ただ、そうなると、新政府側は、いよいよもって海軍力劣勢になるんでないかい。
ストーンウォール、開陽の二大艦を揃えた榎本艦隊と、ストーンウォールが加わらない場合の新政府艦隊では、
ぜんぜん勝負にならないっしょや。
つーか、そうなったら、新政府側は、ストーンウォール並みの軍艦を2隻新たに調達する必要が出てくるわけで
ストーンウォール1隻手に入れるのにも苦労したのに、同クラスを2隻も、どこから買うんだべか・・・
・・・・・・蝦夷地(榎本軍)討伐は、5年くらい先になったりして・・・・・
日テレが紅白の裏番組れ幕末長編ドラマを続けていたことがあったのれす
五稜郭、白虎隊、田春坂 あと1個くらい有ったっけ?
この中れ五稜郭は見たのれす
>>70 >あと1個
田村正和&田村高廣の「勝海舟」
榎本とか土方は、直接登場はしないが、セリフの中で触れられていた。
ちなみに、徳川慶喜役は津川雅彦、
西郷隆盛役が石立鉄男だった。
>白虎隊
そういや、ウチの先祖は、この当時、会津付近に居たそうだが・・・
72 :
名無し三等兵:2006/01/05(木) 20:23:07 ID:???
NHKの土方の戦術でとりあえず勝てる可能性あるの?
というか二死又のアルティストや
ストーンウェーるのガとリング砲がない土方物語なんて・・・・
73 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 23:57:21 ID:???
74 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 01:43:36 ID:???
>>72 敵の司令部を叩いたり、後方を攪乱するっていうのはそれなりに有効な戦術だが、
いくら何でも1個小隊程度の人数でそれをやるのは無謀だとおもう。
つか、両軍の布陣に関しては、必ずしも史実通りじゃないみたいだし。
>>73 以蔵はポイズン反町が適役なのれす
なんらっけ?ダウソタウソの浜ちゃんが竜馬れ主人公のドラマ
76 :
名無し三等兵:2006/01/09(月) 00:24:18 ID:???
田春坂ってもう20年近く前だね・・・
77 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:39:38 ID:???
赤報隊のこともたまには思い出してageてください
78 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:53:47 ID:???
79 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:56:44 ID:S007XcxC
俺の地元は激戦地
80 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:59:41 ID:???
やっぱ『幕末純情伝』だろ?
81 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 22:09:02 ID:???
牧瀬里穂は、ろーみてもAカップなのれす
83 :
研究助手:2006/01/12(木) 00:38:56 ID:???
幕末純情伝は後半のグダグダしか覚えてない。
84 :
( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2006/01/12(木) 14:44:07 ID:ZBt/xb4O BE:27804522-
>>77 相楽総三
官軍につけば年貢が無くなるのれすね?
れも、それは嘘らったのれすね?
85 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 15:30:12 ID:???
兵隊が命のやり取りしてる最中にお菓子なんか食うなよ
あと福沢諭吉に迷惑かけるなよ。
サカヲタ的に 薩長に勝つ方法としては
華麗なるサイドチェンジやヒールキックれつなぎ相手を翻弄したパスワークれ薩摩を撃沈したのれす
鹿児島実業の応援団の中の人にはチームカラーの赤い法被に”○十”マークが背中にあったのれす
Jリーグれゴール裏集団が掲げるゲーフラや振り回すビッグフラッグにダンダラ模様を見かけるのれす
新選組がした京都や、隊旗の赤にちなんで浦和なろれ見かけるのれす
ちなみに新潟には「毘」のフラッグを見かけるのれす
今年はJ1れ新潟vs甲府の川中島ダービーがあるのれす(数年前まれはJ2れ実現済み)
87 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:17:48 ID:???
慶喜がやる気になって、甲府・箱根で西軍を足止めしてる間に幕府艦隊が
伝習隊をのせて大坂上陸、伝習隊が天皇を奪取って作戦って無理かねぇ?
88 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 09:51:27 ID:???
甲府・箱根あたりで巻き返すと、かなり
泥沼の内戦になりそうだな・・・・。
89 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 13:59:37 ID:???
甲府・箱根で一大決起となると後の戊辰戦争は無くなるよね
この時点で幕府側は崩壊し、敗軍が江戸城に篭城し江戸は火の海だね
止めるなら、鳥羽伏見の直後だよ
それなら何とか国を割ってでも幕府は残ると思う
90 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 21:39:12 ID:???
>>87 つーか、そもそも慶喜は京都を離れるなよ。
京都に粘着に居座ってればよかったんだから。
91 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:43:28 ID:???
幕府側がほんとに勝っちゃったら朝鮮の二の舞だろ。
レベルは全然違うだろうけど。
92 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 09:51:09 ID:???
>>91 幕府側も近代化を推し進めているし、
結局同じことだろ。
ただ、薩長閥が会津閥、旗本閥などに近代国家の政府高官が
なるだけだろ。
93 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 10:00:17 ID:???
>>92 それは違うな、幕府のは表面的な近代化に過ぎない。
94 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:20:26 ID:8qZnWKMH
>>93 それなら、薩長も。
基本的にはどちらも同じ。
どちらにせよ、土佐閥がいるからな。
95 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:21:38 ID:???
96 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:24:47 ID:???
97 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:25:49 ID:???
鸚鵡返しとは芸の無いこと。
98 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:31:08 ID:???
99 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 22:36:04 ID:???
んじゃあ是非根拠を開陳してくれ。
大村益次郎とに二死又の芸術家の戦いを見たかったな
幕府による大政奉還以後の近代化のプラス面としては、列侯会議の開催により、
議会の発足へとつなげられる可能性がある。また幕府がフランスと友好関係を
結んでいたため、共和主義的憲法が採択されるかもしれない。近代化に関しても、
明治政府が旧幕府官吏を大量に雇っており、近代化のプロセスに送れは出ないと思われる。
反対に、マイナス面としては旗本、奉行といった旧勢力が依然として力を持ってしまうこと。
また憲法・政体に関しても、当初は薩長明治政府も英仏のそれを参考にしており、
必ずしも民主主義にすんなり移行できるか分からない。さらに今でこそ中央集権は
時代遅れとされるが、近代化時には必須項目。藩の力の強い幕府体制でどこまでできるか…
近代化の主役を旧幕府が握ろうか薩長が握ろうが双方にプラスマイナス両面あり。
将軍とかが参画してたら邪魔じゃねー?
>>101 仏は今でも昔から集権的な法整備されているよ。
共和国だから、そのような印象を受けるだろうけど。
しかし、どちらにせよ。
独の国家を模範とすると思うがな。
大体、幕府が勝利しても結局朝廷の権威が必要だし。
武装商店で装備を揃えようぜ。
AKらいふるが100艇もあれば函館だけで政府を添付y句できる
>>105 南北戦争で、だが、Harry turtledove "Guns of the South" でとっくに既出じゃ。
幕府側か勝っていた場合、薩長のよわうな中央集権では
なく、幕藩体制を元にした連邦制のような形式になって
いったのであろうか?
しかしその場合、中央となる宮中にも徳川にも強力な
牽引力がないから、結果的にまとまりがつかなくなり
そうな気もするな、宮中や徳川に力があればイギリス
みたいな連合国家みたいな形式にできるかもしれんが。
>>108 結局のところ、同じような憲法になるよ。
徳川は初期には、代表として牽引役となるだろうが、
最終的には平民でも可な状態になるだろう。
幕末には、旗本には農民など庶民出身のものが多くなっていたらしいし。
>>109 旗本ってお目見えできる身分だが…
少しは増えたかもしれんが、多くなっていたというソース希望。
>>110 内実は、つー事では? 旗本・御家人株の売買はかなり一般化してたし。
勝海舟も榎本武揚も金を払って侍になった家の子。
それって結局いくら能力が高くても、まず侍になるための金がなきゃ駄目って事にならね?
剣術や学問を修めるだけでも金とヒマは必要だな。
家督を譲られるためだけでも、試験を受けねば駄目だったはず。
117 :
( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2006/01/25(水) 14:54:07 ID:/3/2Egsi BE:333648768-
兄さんが鍋太郎れ
次男は釜次郎なのれす
3男は? 姉妹は?
118 :
民兵:2006/01/25(水) 15:08:53 ID:c/ginbKO
末期の旗本は柔弱な者が多かった長州戦争で戦わされそうになったとき
20代でも大勢の旗本が隠居届けを出している。
だから戦力は佐幕の会津、桑名などの陸兵、そして圧倒的有利な軍艦
>>118 あと洋式化してる幕府陸軍(菜っ葉隊等)も戦力だべ。
装備は武装商店で。
紀伊藩も洋式軍隊持ってたみたいだね。
会津藩でさえ、蛤門の変の時にすでに洋式に変更されている。
新撰組でも池田屋事件の前にすでに洋式調練が開始されている。
>>122 鳥羽伏見での会津は林権助を筆頭としてまだまだ未改革だよ。
新撰組で調練が開始されたと言っても鳥羽伏見ではねぇ…
結局江藤しんぺーがらみで鍋島のオッちゃんをたらしこめなかった
編成の洋式化と武装のそれはまた違う話じゃね?
>>123 鳥羽伏見では新撰組は洋装でミニエー銃での洋式装備だったはずだが。
>>126 またどこでそんな与太話を仕入れたんだ?
>>127 まずはググって調べよ。
新撰組の洋式装備は有名な話だ。
何の意味も無かったがな。
>>128 だから鳥羽伏見の段階でか?と聞いている。
んなに言うんならソース示して欲しい。
でも一番頑張ったのは、旧式装備の見廻組。先頭の幕府歩兵隊が落とした銃を拾って射撃もした。
それと強力に統率が取れてなおかつ、数もある程度そろってれば戦国装備でも
薩長洋式軍を粉砕できる。まだ機関銃もなければ、野砲の数もそろってない。
それこそ、夜陰に乗じて散開接近すれば圧勝。
>>131 要は出せないと、そういうわけか。
つまらん。
>>132の方法を実践するために保守系の旗本・御家人からなる旧世代軍を投入する。
数は4万ほど投入。補給は現地調達を原則とする。また彼らの後退・脱走を
禁じるために、幕府歩兵隊・見廻組を背後に配置。後退者は射殺。
新撰組が洋式になったのは江戸にもどってからだろ(w
136 :
名無し三等兵:2006/01/29(日) 11:39:33 ID:TwwSMVdM
会津厨に新撰組オタか、困ったもんだ。
日本史板の厨スレの洋装になってきたな
138 :
名無し三等兵:2006/01/29(日) 14:24:42 ID:Lv8YNE/z
>>134 をいをい、見廻組は北チョンの政治将校じゃねえって(w
>>135 君は日本史板の厨ですか?w
ここまでレベルが低いとはw
140 :
119:2006/01/29(日) 17:00:10 ID:???
>>139 ちょっと興味あるんで鳥羽伏見時点での洋式化のソースか文献名を教えてくれ。
つまり与太話ってことだな。
143 :
119:2006/01/29(日) 17:27:27 ID:???
>>141 一応
>>131の時にぐぐってみたんだが、甲府前後の洋式化云々は見つかるんだが
鳥羽伏見時点のは見つからんのだよ。釣りなら諦めるがw
要するに1週間かけないと出てこないような与太話ってコトか。
俗説にもならない説を主張してるんだな。
普通、新説を述べるときは依拠してる史料を示すよなぁ。
148 :
145:2006/01/29(日) 19:19:09 ID:3fQCgM16
145は俺、自演とは違うよ。
ID出すから。
149 :
名無し三等兵:2006/01/29(日) 19:21:56 ID:TwwSMVdM
151 :
145:2006/01/29(日) 19:26:50 ID:3fQCgM16
152 :
名無し三等兵:2006/01/29(日) 19:29:12 ID:TwwSMVdM
>>150 まぁ何でもいいけど。
で、鳥羽伏見に於いての新撰組の洋装とミニエー銃装備を示す史料は?
イソノが熊谷の農家で聞いたって
>>154 下げろというなら下げるよ。
それで、どこからそんな話を聞いたんですか?
156 :
145:2006/01/29(日) 19:42:23 ID:???
>>154 その与太話って脳内か漫画がソースなのか?w
158 :
145:2006/01/29(日) 19:47:04 ID:???
>>157 調べろって言っても出てこないレベルの根拠だから聞かれてるんだろ?
日本語わかる、ボク?
>>157 内容の無いレスしかないよ。
余程ひどい新撰組オタでも
>>126みたいなことは言わないな。
新撰組顛末記にも書いてないな。
当事者の永倉新八ですら知らないことを知ってるのは不思議だからさ。
是非、出典を伺いたいね。
>>159 >当事者の永倉新八ですら知らないことを
お前は論外。
永倉新八を持ち出すとは。
そろそろ鳥羽伏見洋式新撰組の勝利宣言がありそう・・・
164 :
145:2006/01/29(日) 19:51:41 ID:???
>>161 悪いけど同じ事しか書けないんじゃ根拠を出せないと判断せざるを得んよ。
>>164 自分で何度も長期間調べよ。
それくらいは。
>>165 一般的な説なら大抵の本に載ってるし
そうでないなら余程の稀稿本だろうな。
何という史料にあったのか題名くらい覚えてるだろ?
>>166 っで、何でも人任せにするの?
一般的な説をも知らないで。
極めて一般的な説なのに。
>>167 ほほう、鳥羽伏見の新撰組は洋装でミニエー銃を装備して戦った、が
極めて一般的な説なのか。
それは寡聞にして知らなかったな、不勉強ですまんね。
後学の為に典拠を教えてください。
とりあえずあれだ・・・
極めて一般的な説ってのは一週間くらい
粘って調べないとわからない事になんだねw
一番いけないのは大河とかのドラマだろ。
いつまで経っても、旧幕府軍は戦国装備で薩長軍に無謀に突撃して負けました、だからな。
まぁ、そんな状態でも死に物狂いで突撃すればズールー軍みたいに勝てるわけだが。
ズールー軍はシャカ・ズールーの改革の影響で戦術的には英軍を上回った面もある。
持っている武器は劣っていたが、英軍は相手を嘗め過ぎていた。
戦車もってるイタリア軍が槍に負けた事例もあるしな。
何で大河ドラマとかは鳥羽・伏見をちゃんと描こうとしないの?
そんな旧態依然としてるから、クレしんに追い抜かれるんだと思うが。
鳥羽伏見にかばらず「皆さんおなじみの展開」は
絶対にかえません、逆にいかにおなじみの路線を
強調するかが重要です。
新撰組が伏見で洋式装備で戦ったというソースは無いんだな(w
たしかに
>>175の言うとおりで、土方大活躍の「その後の新撰組!!」
を見たら萎えた。クレしんにも追いつけないのかよ。
制作費を考えろヴォケどもが。まじめに戊辰戦争ものやったら、時間&金&投入人員が
ラスト・サムライの倍はかかるぞ。あと、撮影地も日本国内じゃムリ。
180 :
名無し三等兵:2006/01/30(月) 00:44:38 ID:1eSKi8Al
俺も鳥羽伏見の戦いは、
言われてるほど一方的な展開では無かったって説は聞いた事あるけど、
新撰組が洋式軍装で戦ったってのは初耳だな。
秩父事件ならいい感じで作れるんだが。戊辰を真面目にやるのは難しいか。
むしろくれしんのスタッフで燃えよ剣つくってほしい
つうか海軍もっと出せよ。
184 :
名無し三等兵:2006/01/30(月) 05:02:58 ID:KQxvSBcI
幕府軍が勝ってたら歴史の教科書が今よりはおもしろかったはず
新撰組が鳥羽伏見で旧式装備で戦っていたという
説を言い張っている奴始めてみたよ。
どうやら洋式と旧式の区別がつかない奴がいるようだな(w
幕軍歩兵大隊とそれ以外の旗本じゃ、全然軍装も違うしのう。
従属する親藩・譜代は戦国からの戦装束も珍しくなかった訳で。
久々に来てみたら・・いたたたた〜な展開れすね
>>185 では、洋式軍装でミニエー銃使用の根拠を示してください。
190 :
名無し三等兵:2006/01/30(月) 20:54:48 ID:1eSKi8Al
言い張るも何も普通そう思われてるような。
いたたな展開だな。
洋式装備が正しいか間違いかはともかく「普通は」
新撰組は刀で切り込みみたいに思われてるよ。
市中見回りと違うんだぞ
慶応元年に新撰組に小銃隊と大筒隊が設立されてるのは事実。
ただし、大筒は鳥羽伏見戦前に喪失してるし、ライフルはゲベール銃が支給された後は
更新の記録がないらしいので、鳥羽伏見戦時もゲベール銃使用と思われ。
そもそも新撰組の全隊士に行き渡るほどの数は支給されてないし(じゃなければ、
わざわざ小銃隊を編成から独立させる意味がない)、鳥羽伏見戦時も切り込みメインだったのは
どう考えても明らか。
とはいえ、当時すでに幕軍歩兵・会津・桑名は悪くてもゲベールやヤーゲル、
装備のよい部隊はシャスポー・ミニエーに切り替わってるし、幕軍砲兵は4斤山砲も
携行してたのに、初撃の奇襲を除外しても弱兵ぶりが際立つなぁ。
京都時代の新撰組ってゲリラ戦用の機動部隊みたいなもんだろう。
戦線の防御みたいな戦いには一番向かない気が。
警察なんだもの。機動隊だよね。
>>194 細かくて悪いけどゲベール銃は滑腔銃だから「ライフル」とは言わないんじゃないか。
保守
200 :
名無し三等兵:2006/02/08(水) 19:24:51 ID:dsq3r5RR
ヘリコプター搭載型イージス護衛艦「なち」が1868年の箱館にタイムスリップ。
土方歳三率いる新撰組精鋭隊士らを搭乗させ1隻で宮古湾の政府軍艦隊を強襲。
空と海からの奇襲作戦により、甲鉄艦奪取に成功。
他は大半を撃沈。
に萌え。
>>200 幕末自衛隊(正確にはちょっと違うが)か。
艦長!CICを奪われました。土方が勝手に砲撃してます!
おまけにツルハシを振り回しています!!
幕府は実際にマトモな改革が出来なかった。
改革に向けた競争では幕府よりも遥かに不利な条件からのスタートだった筈の薩長に出し抜かれた時点で、
幕府による改革なんて夢物語に期待する意味は無い。
改革とは、改革できないウドの大木が、改革に長けた新興勢力に政権を明け渡す事だ。
205 :
名無し三等兵:2006/03/03(金) 03:00:13 ID:Fq/A+wBW
でももし幕府側が勝ったら大日本帝国ではなくて
日本共和国とかになってたんじゃないか?
ちょっと弱そうな感じだがW
>>205 なんだかんだ言って天皇は残りそうな気がするので、共和国にはならなそう。
徳川慶喜を議長に列侯会議と下士中心の議会の二院制で擬似立憲制になるんかな。
軍制は仏式の陸軍に英米風の海軍って感じで士官を武士階級・卒を民衆からの徴兵ってトコか。
なんかムガール帝国の末路みたいになりそう
藩王切り崩しで国内ぐだぐだ。内乱に付け込み何時の間にか
天皇家からイギリス王に乗っ取られ、内親王は英士官の性奴隷…
幕府側が勝ち、海軍に幕府艦隊風の軍艦名が残ってたら萌えるんだが。
「日本海海戦 連合艦隊旗艦 甲鉄」とか
「ミッドウェー4空母 富士山丸・順動丸・ 回天丸・翔鶴丸」とか
「男たちの開陽丸 KAIYOUMARU」とか。
日テレの「奇兵隊」というドラマで坂本竜馬が
富士山丸を撃破(画像的にはどうみても轟沈)してたな。
ホントなの?
やたらと「慶喜主導の近代化は成功しない」とのたまう連中がいるが、
薩長土による史実の維新・近代化だって奇跡みたいなもんだろうが。
>>205 その日本共和国が日清戦争でボロ負けするSFならあるぞ。
まぁ、そうなるだけの準備工事やられてるんだけど。
>>211 慶喜にはその奇跡を起こす器も力量も無いってことだ。
215 :
名無し三等兵:2006/03/04(土) 11:36:53 ID:6HOLmhUI
うちに伝わる言い伝えで、
関が原の戦いで使用した大砲を使用したら暴発したって伝わってるんですが
そんな事ってあるんですか?さすがに無茶だと思うんですけど。
相手は水戸藩兵です。
>>215 本当だよ。
一発撃っただけでブッ壊れた。
でも幕末じゃないじゃん。
慶喜の力量はナカナカのもんだよ
>216
まあ、確かに。
(長州と連動した反乱だったらしいけど長州が京都で負けたから無駄に
終わったし)
幕末で隣接藩同士が戦争になった所ってあります?
確か、盛岡、新発田なんか層だった気瓦斯。
>>218 久保田(秋田)藩もそうだろ?
まぁ、久保田の場合は奥羽越列藩同盟に攻め込まれたんだが。
>219
そうなの?つーか奥羽側にそんな余力があったんだ?結構意外。
勝敗はどうだったの?
久保田藩が同盟離脱、薩長の参謀の指揮下、庄内藩を攻めて敗退
同盟軍(庄内・盛岡・仙台)が、久保田藩領の三分の一を占領
新政府軍が、海上機動により、佐賀藩兵主体の増援を投入・反撃
>221
ありがd。
大半の弱小藩は、戦争をしたくなかった気が。
維新後って、久保田、新発田って扱いはどうだったんだろ?
漏れのご先祖の藩主(土浦藩)は公爵?に任命されてるが、
明治4年に自殺してる。譜代でありながら、御三家の一つ
と戦ったり、新政府側についた事を気に病んでいたらしい。
(最後の様子は伝わっていない。切腹ではないらしいけど)
>>223 佐竹の殿さんは確か公爵じゃなかったかな?
秋田市街は略丸焼けになった筈。
弱小の藩にとっては、近隣の大藩の動向に従わなければ事実上
もたないからなぁ。千葉みたいに天領と小藩しかなければまた別
なんだろうけど。
>>215 司馬遼の「おお、大砲」の元になった話の当事者ですか?
>225
違うと思うよ。今度読んでみますね。
土浦藩の暴発事件は、
1 水戸藩(天狗党派)が攻めてきた
2 嫌々、迎撃にでて大砲発射
3 暴発させて土浦を火の海に
4 やむなく?大手門まで下がって篭城
5 帰ってくれないので食料を引き渡して帰ってもらう。
という、顛末です。ただ、大砲が暴発したぐらいで城下が火の海
になるのかな?と。真偽を確かめようとしたけど、士族会?は
昭和30年ぐらいを最後に開催されず。郷土資料館でも詳細がわからずに
逆に、他の子孫/文物の行方を聞かれる始末なんです。又、藩士の墓の
大半も無縁仏として草が茂るか、空いたところは、区画整理され市民墓
地になりつつあります。(旧藩士達の墓石は、基礎工事?のコンクリート
の中に流し込まれている、と聞きました。)
>(旧藩士達の墓石は、基礎工事?のコンクリート
> の中に流し込まれている、と聞きました。)
いくらなんでもそりゃひでぇな。
彰義隊ってさ、勝つ方法ないかな?
>>228 上野に籠らず江戸市中でテロ活動に徹するとか。
>229
無理でしょ?時流が読めずに立てこもってる馬鹿の集まりだからさ・・。
というか、何をもって彰義隊の「勝利」とすればいいのだろうか。
誰か松平春嶽の豹変について知ってる人いない?
いやだってさ、幕政改革の中枢にいて、かつては慶喜擁立派ですらあったのに、
突然新政府側に取り込まれちゃったんだから。
同じく親藩であるはずの尾張藩の動向も気になるけど。
>>231 江戸の焦土化を避けるという勝−西郷会談の結果を阻止することじゃねえの?
だとすれば、
>>229のように、江戸市中でテロしまくり、上野に立て篭もらず、あちこちで放火しつつ戦い続けるしかない。
>233
奇襲で西郷の首取れないかな?
もしくは、どうにか?頑張って奥州から援軍を呼ぶとか?
235 :
名無し三等兵:2006/03/16(木) 18:27:54 ID:GlG9mT99
どうあがいても勝てんだろうな
戦わずに地下に潜伏>新聞雑誌学校等を作る>只管政府の悪口雑言を並べ立てる>弾圧されそうになったら近隣諸国(やっぱ上海?)に亡命、外患を誘致して政府を転覆>傀儡政府
でどーよ?
征討軍が東北に進発した後で江戸で蜂起、一部は京都で帝の確保。
薩長の征討軍の東北進発後の江戸と京都の治安維持能力や
軍の駐屯状態がわからんので思いつきで。
238 :
236:2006/03/17(金) 00:39:30 ID:???
あっ……237も読んで気が付いた。
どうみてもサクラ大戦でした。本当に(ry
保守
240 :
名無し三等兵:2006/04/05(水) 21:28:25 ID:ssVH090O
保守とネタふり
幕末のフランス軍事顧問団教官のブリュネ、ホルタン、マルラン、カズヌーヴ、ブッフィエが
榎本軍に同行したのは有名な話だが、実は主犯格のブリュネを除いて全員が
明治政府に再雇用されている。
戊辰、箱館戦争で政府は藩兵ではない直属の軍隊の必要性を痛感していたが
兵学寮に教員がおらず、フランスからの新たな軍事顧問団も到着まで間があり
まだサイゴンに残留していた、ホルタン、マルラン、ブッフィエを雇おうとなった。
「叛徒の一味」を教官に迎えることに政府の一部から反対の声があがったが、
「彼ら下士官は上官ブリュネの命に従ったまで。」、「伝習は歩、砲のみで他には
なにもやらせない。」など兵部省が説得して明治三年12月16日に雇い入れられた。
第二次顧問団が到着してからも3人は引き続き教官を務め、カズヌーヴも
追加要員として招かれ、途中マルラン、カズヌーヴの病死があったが
明治八年の満期終了の際に陸軍卿から感謝状を授けられている。
241 :
名無し三等兵:2006/04/05(水) 21:33:18 ID:3NlkWoR0
ボインボイン
>>240 ブリュネが「フランスに行くならナポレオン三世は土方を
師団長として遇するだろう」みたいに評したんだっけ?
ブリュネもお国の大事の時期に本国におらなんだのになにげに出世はしとるね。
age
そーいや、前から不思議だったんだけど、なんで長岡ってあんなに中途半端
になったんだろ?ガトリング砲そろえて、中立宣言をして生き残りを図って
たのにさ?中途半端だったから奥羽との連携がとれなかったのかな?
最初から奥羽側と連携を取っていれば違ったかな?
>>245 局外中立を図ろうとしたのに、交渉に来た官軍の代表がアホだったから
そもそも長岡藩の主張する局外中立論自体が官軍にしたら到底受け入れられない話(中立藩が増えて戦争が長引けば外国の介入を招くおそれがある)。
敵か味方かわからんくせに、軍備だけは強力な藩が交通の要衝に居座ってたら誰だって警戒するしな・・・
ベルギーもそうだけど、通路に当たる国が「中立」なんて言っても通用しないもんです。
長岡は、
@領地が荒れるのが嫌だった
Aできれば勝ち馬に乗りたかった
のかな?
最初から新政府側に付く、って選択はなかったのかな?
>>249 長岡の局外中立論をリードした執政家老、河井のパーソナリティによるでしょう。
まあ、ほとんど司馬遼の『峠』がソースになってしまうけれど、
非常な実務家であると同時に、大変な夢想家だったようで。
局外中立→戦乱の膠着化した際の調停役→スイスのような小領邦的中立国へ
みたいな構想も描いていたようで。
一之瀬要人と佐川官兵衛が率いる会津軍が、長岡軍を装って長岡領から新政府軍に攻撃したのも原因の一つじゃないか?
まあ、結局、ここまで書いてあることが全部当たってるわけだろう。
中立は所詮は不可能。
・アホな若造の交渉役
・越後から東北・会津への通路上に当たり、官軍としては領内を通行の要あり。
・中立を固守する保障がない。
・長岡を参戦させるための会津の策謀
これらが全部絡まって、長岡の中立論を吹っ飛ばした。
ま、岩村の馬鹿たれがもっと物がわかってればね。
中立を受け入れるふりでもしながら、もっとスムースに長岡領に侵入・占拠できてたかもしれない。
ガチにやるならやるで、河井を拘束していればよかった。
中立跳ねつけておいて、無為無策でいるもんだから、
山県に朝食の膳を蹴返されることにもなる罠w
>>253 世良は仙台藩にやっかいごとを持ち込んだあげく、品行が悪かったからね(w
軍人としては優秀ですがね。
世良を評して「戦は上手いが基地外のような香具師」と評したのは西郷だったか?
仙台側が世良の出自が足軽と聞いてまともに扱おうとせず、怒って高圧的になった世良が“奥羽会皆敵と見て”との書簡を送ったおかげで斬首にまでした(武士社会の認識では上士による手打ちであって犯罪ですらない)訳だが...
世良の悪行と言っても多分に誇張された部分が多いと思われる。
257 :
名無し三等兵:2006/05/07(日) 18:33:10 ID:eUnSlhs+
幕軍・・・幕府、紀州、尾張、桑名、彦根、会津、仙台、盛岡、米沢、庄内、
維新軍・・・薩摩、長州、土佐、肥前、秋田、矢島、水戸、越前、
中立・・・加賀、熊本、安芸、
258 :
名無し三等兵:2006/05/07(日) 18:34:11 ID:eUnSlhs+
誰か上の相関図完成させてくれ。三百藩全部は分からん。
途中寝返り組の彦根が抜けてるw
桑名も佐幕派と討幕派に分裂してて、殿様が鳥羽伏見から戻ったら行き場所無くなってたしな。
定敬はヨシノブに連れて行かれたんでは
262 :
名無し三等兵:2006/05/08(月) 18:30:28 ID:l02dY0Op
奥羽、北越戦争の時期では圧倒的に薩長側有利なので。
鳥羽伏見戦前後で見てみると
幕府側・・・幕府、桑名、会津、大垣、高松、伊予松山 、浜田、加賀、紀州、
薩長側・・・薩摩、長州、安芸、(土佐)(熊本)
中立・・・尾張、越前、彦根 、肥前、水戸、池田 その他多数
鳥羽伏見開戦時点において大藩での確信犯は上記3藩で多数は日和見
しかし親藩、譜代で中立というのは薩長寄りと言っても良いかも。
この状況なので、鳥羽伏見の緒戦で幕軍が臨戦態勢で臨み有利になっていれば
その後の展開は大きく変わった。
263 :
名無し三等兵:2006/05/08(月) 18:42:41 ID:pkfW9w3R
>>262 鳥羽伏見戦は普通に戦ってれば幕府側が勝っていたのだが、
政争で負けてしまったのが原因だな。
まず上層部は戦端が開かれるとは思ってなかったというふしが。
陣形のことや縦列で無防備無警戒のまま京都市中へ入ろうとしたりしたことなどを見ると。
264 :
名無し三等兵:2006/05/08(月) 18:53:25 ID:l02dY0Op
>>263 これを言ったら終わりだが、将帥がなっていないに尽きるね。
中下級指揮官は即製教育でどうにかなる面もあるが、連隊長以上となるとそうはいかんもんな。
またそれ以外で気がつくのは、指揮官が狙い打ちされている、薩長側の戦法もあるだろうが、ある
意味近代的な徴寡兵主体の幕府歩兵では、旗本出の指揮官が目立ちやすかったのでは?
>>249 初めから政府側に付いたら付いたで同盟軍から攻撃を受けるんだけどな。
会津の飛び地があって佐川官兵衛がいたんだよな>長岡
遅レスな上、話を魅し返すようで悪いんだけど
鳥羽・伏見の時点での新撰組の装備は旧式だよ。
鳥羽・伏見の戦いで、新撰組は銃の力を思い知ったようで、
それ以降、詳しくは調べなきゃちょっと分からないけど
銃やガトリングを少なからず取り寄せたそうだ。
五稜郭の城攻めの時は確実にガトリングや銃は使用してた。
× 魅し返す
○ 蒸し返す
長岡藩のガトリング銃でさえ実戦使用は疑われてるのに
流浪集団と成った新撰組が使用してたと?
信じ難い話だなー。
ガトリング砲なんか買うより、元込め小銃の方が遥かに切迫して必要だったろ。
鳥羽伏見以前は小銃若干と会津藩下暢の旧式大砲
甲陽鎮撫隊の時に幕府から小銃(おそらくミニエー)と大砲が支給されている。
完全銃隊編成。
>>267 池田屋事件以前にすでに
新撰組は洋式訓練がおこなわれてる。
鳥羽・伏見の時点ではミニエー銃装備が基本。
「五稜郭」の演出に影響されてるスレはここですか?
てか釣られる方もバカ。釣りは反応を求めてるだけ。
274 :
267:2006/05/11(木) 01:21:00 ID:???
>銃やガトリングを少なからず取り寄せたそうだ。
>五稜郭の城攻めの時は確実にガトリングや銃は使用してた。
ガトリングじゃなくて大砲でした。ごめんなさい。
あとの意見に対しては自分もまだ勉強中なので反論できないです。
新撰組(つっても土方残党だが)とガトリングの接点は甲鉄装備のガトリングに遭遇したくらいか?
>>275 おそらく。
あのさ天然理心流ってなんで他流試合が苦手だったんだっけ?
芋流派で弱かったからってだけじゃないよな
>>276 うろ覚えだが天然理心流って多数対1とかを重視してたって記憶があるんだが。
その前提なら他流試合が弱いのも頷けるんだが。
>>277 ありがとう。
>多数対1
ってことは、天然理心流の特徴が新撰組によくでてるということになるな…
>>269 長岡藩のガトリング砲は、撃たれた方の官軍側に記録が残ってる。
新撰組の武田観柳斎が脱走したのも、隊内で仏蘭西流の洋式調練が主流になった事と関連があるらしいので、鳥羽伏見以前から銃隊編成の志向はあったのだろう。
当初は市中見回りで接近戦用の剣で出世した新撰組だったが、幕府軍事力の一角を占めるに至っては野戦も考慮しなければならないので銃隊構成が必須となるのは戦国以来の常識でもあった。
尚、甲陽鎮撫隊の時に勝海舟から何を渡されたのか不明だが、最新式なら後装ボルト式(針打)シャスポー銃だった可能性もある。
267のおかげで盛り上がってきたな
>>280 馬鹿か?武田観柳斎も洋学にも知識があり、
仏蘭西流洋式軍学も心得ていたはずだが。
それにそれだと
>>271にもあるような事実と矛盾する。
それなら池田屋騒動以前に隊内で重用されていないはずだから。
まあまあ落ち着いて。
反論する時に馬鹿って言わないといけないわけじゃないんだから。
馬鹿に馬鹿というなといっても事実だし。
傍観者から見ると、
相手を罵倒・挑発する方が質が低くみえてしまうな。
(論の正しさとかに関わらずね。)
>286
傍観者でしかないので、そう思ってくれて問題ない。
言ってろそばからWをつけるのか。はぁ。
親元の会津藩が洋式編成に切り替わっていないのだから、鳥羽伏見時点で新撰組
が洋式銃隊というのには無理があるだろ。
しかも見回り組もそうだが、浪士対象の治安維持に銃隊は不要では。
元々の鳥羽伏見戦で幕府側旧式装備だったというのは会津桑名や新撰組がもと。
日頃の洋式訓練と治安維持のための装備とは別。
会津藩でさえ、禁門の変事にはゲベール、ヤーゲル装備である。
すでに会津藩ではオランダ式の調練が開始されている。
一部調練を開始したとか一部洋式銃装備したのと、基幹編成が洋式銃隊編成に切り替わった
というのは別の話。
会津藩として洋式編成に切り替えたのは会津に帰還後。
元々鉄砲隊はどこの藩でも存在してたからねw
おいおい、
>>122からとおんなじ流れになってるぞ。
>>290 まだ分っておらんな。
会津藩は禁門の変より前にオランダ流の軍学を正式採用している。
一部の部隊が装備が間に合わず完備されてないのと、
正式採用され基幹編成が洋式銃隊編成に切り替わったのと違う。
ペリー来航以前より、高嶋流軍学など
諸藩で洋式軍学が採用されはじめていたからねw
>>292 いい加減にしろw
会津藩 長沼流でググりな!
鳥羽はともかく伏見方面の市街地乱戦では幕府の徴寡兵主体の歩兵より、薩摩のような
武士主体の洋式軍の方が役立ったろうな。
幕府歩兵は有る意味近代的すぎたw
295 :
名無し三等兵:2006/05/11(木) 20:07:07 ID:sPt+JgXZ
鳥羽伏見の戦いはやりようによっては勝てたと思うけど。兵力考えると。
関が原もそうだが政権が倒れそうなときは日本では軍事の常識覆すことが…
>>282 馬鹿か? 武田は西洋軍学については無知だった。
市中見回り任務が多かった時期はそれでも良かったが、野戦では完全に時代遅れ。
なにしろ洋書が読めないんだから仕方ないw
新選ネタは日本史板みたいに荒れるねえ・・
>>297 馬鹿か?武田観柳斎は蘭語、仏語は扱える。
洋書はお手の物だった。
それくらいは知っておけ。
武田観柳斎とフランス語や西洋軍学で検索かけても否定のは引っかかるんだが
肯定気味にかかるのがNHKの大河ドラマ「新選組!」ってのは…。
ここでソースを求めても、以前のような返しが待ってるような気がするw
>検索かけても
ネットだけでしか調べようとしない厨房が増えたなw
洋書が読める読めないの問題じゃないだろ。
そういう感覚だから蘭学者が軍人になったりしているw
今でも英語が出来るから外交に強い政治家だとかバカなこという輩がいるw
>>304 知恵を絞っての反論がそれかw
レベルが低いなw
軍学者には違いない。
306 :
名無し三等兵:2006/05/13(土) 00:00:02 ID:dQSC6kdq
>>304 むしろ“英語もわからないのに外交利権にだけ強い政治家”がいるんだよねw
307 :
名無し三等兵:2006/05/15(月) 21:51:36 ID:TMmH7gYh
敗北の原因は
偽の天皇の錦の旗が原因
勝てば官軍なのでどんな卑怯な事もした。
軍学者は学者だよな。
>>307 そうそう、農民に畳を背負わせて突っ込ませたり、
敵陣に攻め込んで五間梯子の旗を捨てて行ったり。
正にやりたい放題ですな!
310 :
名無し三等兵:2006/05/16(火) 03:19:08 ID:E68sQoKk
幕府が負け薩長政権になって
中国、韓国、などのアジアに残虐行為を繰り返した。
殺人、レイプはもちろん金や財産、土地を奪い取った。
勝てば官軍は戦争の本分だ
312 :
名無し三等兵:2006/05/16(火) 18:33:11 ID:E68sQoKk
だからアジア諸国への罪の償いは薩摩、長州にやらせればいい。
全てやつらのせいで日本全体が悪く見られてる。
313 :
名無しの三等兵:2006/05/16(火) 18:44:11 ID:ERy8+vsE
でも大きい罪を犯したのは
北陸、東北出身が多いけどな
314 :
名無し三等兵:2006/05/16(火) 19:45:02 ID:dP3Lq0Og
>>264 第二次征長戦争の時点でも基本は仏式の戦列なものだから、散兵戦術を
徹底した長州兵に次々と狙撃されるわ(おまけにこの頃の幕府歩兵は白服!)
指揮官が相次いで戦死するわで指揮系統が滅茶苦茶になっている。
ただ、これは日本だけじゃなくて世界的な傾向なんだな。
昔の映画で“えぇじゃないか”という映画で、河原者を幕府陸軍の新兵集めが拉致して行くシーンがあったのだが、陸軍歩兵の格好が1920年頃の外人部隊みたいで無茶苦茶違和感があった。
どっかで幕府陸軍の軍装って見れる?
>>316 日除け付きケピと言うと伝習隊かな。
フランスの援助を受けている為か、思い切りフランス式だよ。
それ以外の幕府歩兵は韮山頭巾に筒袖・タッツケか義経袴の兵が多い。
実際に仏式軍装したのはごく一部(シャスポー同様、ナポレオン3世からの贈呈品)
シャスポー同様、発注し日本にも到着していたようだが、600万ドル借款が成立せづ
代金払えず引き渡されていない。
>>320 シャスポー銃くらい国産している。
幕府が独自に輸入してるのもある。
>>321 国産シャスポーが幕末に存在したとは初耳。ソースは?
戊辰戦争の最大のハイライトは北越戦争でしょ。
朝日岳の攻防戦では、官軍の軍監駒井清五郎が戦死した位だからね。
>>323 しかし、あの辺になると流石に大局をひっくり返すのは難しいものがあるからなぁ。
江戸に帰った慶喜がリーダーシップを取り、部隊を再編成し、箱根要撃戦略を行い、
甲府盆地で遊撃戦を展開、薩長軍の足を鈍らせ時間を稼ぎ、東海道で敵を撃破した
主力軍を甲府へ回し、決戦、というのが正統政府軍(あえて旧幕府とはしない)側の
最後の勝利への戦略ではなかろうか。それ以降で勝てというのは無理がある。
325 :
名無し三等兵:2006/05/20(土) 21:42:13 ID:dUiUtQ35
>>324 それを言っちゃ、鳥羽伏見の時点で普通に戦っておれば、
幕府軍側の圧勝で終わってたはずだが。
(そもそも大坂城に引篭る理由が分らん、最初から二条城で踏ん張っておれば良かったものを。)
鳥羽伏見で勝てても
「いまの幕府では、西洋に勝てない」by慶喜
じゃね?
遅きに失した。いろんな人達が「幕府軍」の近代化を提唱したが幕府自体がそれを危険思想として弾圧した・・・
慶喜自体が尊王思想の高い水戸藩出身で母親が朝廷出身だから、天皇や朝廷に対して
親近感があったんだろうな。
官軍の総大将が慶喜の従兄弟の有栖川の宮だったし。
つか東北諸藩の命運には守旧派哀れとしか見れないんだが、函館の蝦夷共和国はどうよ?
薩長対幕府の単純な勝ち負けじゃないよ。
鳥羽伏見時点で徳川は大政奉還しているし、新しい挙国一致政権樹立が当時の大勢だったが
薩長が倒幕、徳川排除に固執していた。
幕府側が有利に展開していれば、旧幕府も含めた新体制に向かっただろう。
>>330 当時岩倉具視も松平春嶽や徳川慶勝や山内容堂の親幕派の説得により
新政権に慶喜を迎え入れる意向があったのだが、江戸での薩摩の挑発に幕臣が
暴発してしまって、鳥羽伏見の戦いが生じて、ご破算というわけで・・・
維新後、最後は徳川家を排除しての政権樹立を後悔していたけどね。
よくよく考えてみれば、本気で倒幕を目指していたのは、薩長の2藩のみだったんだよねえ。
土佐藩なんかは、下っ端の郷士等は武力倒幕派だったけど、上層部は親幕派だったから、鳥羽
伏見戦では、本格的参戦してなかったし、西国諸藩も日和見状態だったしね。
若し幕府側が徹底交戦で勝利していたら、朝廷も含めて西国諸藩も幕府側に靡いていただろうね。
>>329 「蝦夷共和国」などというものは存在しませんw
「事実上の政権」云々は、現地に居た英仏軍艦艦長の独断であり
英仏(及び米)本国は何ら関知も承認もしていないわけでw
だいたい、榎本一派が「独立宣言」したわけじゃないだろw
↑wikiからの受け売り乙w
>>332 ループするが、鳥羽伏見の緒戦の状況次第で流れは大きく変わった。
戊辰戦争のIFで、もっとも容易く変化が期待できるのはここかな。
江戸で迎え撃つ作戦は実行したとしても、長期的には幕府側にとって厳しいし
よくても長期的な内戦状態。
分かりやすく言えば、慶喜(水戸出身の母親が朝廷出身=尊王思想高い)が将軍だったのが、薩長側
にとって大きかったということ。
他の奴が将軍だったら、錦の御旗(大久保と岩倉が作った偽旗だけど・・)が立っても、撤退せずに
徹底交戦していたと思う。
有る意味、慶喜が維新の最功労者なのかも。
“慶喜が維新の最功労者”
言えてるw 父親の理想を体現したとも言えるがね...
薩長の西郷や大久保や桂あたりは、幕府が錦の御旗を無視して徹底交戦していたらそうするつもりだったのだろうか?
時間が過つと榎本率いる幕府海軍艦隊や関東から援軍が来るだろうし・・・
徳川家で慶喜よりも政治的才覚があって、
かつ、徹底抗戦しそうなのっていったら誰
だろ?
>>339 他の将軍候補としては、家茂が指名した田安家の当主か、尾張公が挙げられていたそうな。
但し田安さんは馬鹿殿との下馬評有り、尾張公は政治的才覚はあっても下手すると慶喜以上の腰砕け……。
どこかに幕府を支えてくれる良い将軍と閣僚と将軍と兵士と国民は居ませんか!?(総入れ替え)
錦旗が立ったのって薩長勝利の大勢が決まってからじゃなかったっけ?
>>338 >時間が過つと榎本率いる幕府海軍艦隊や関東から援軍が来るだろうし・
つーか、真面目に戦えば、現場の幕府の兵力で
簡単に京都を制圧できている。
そもそも幕府が戦端を開く意思等無かった。
主力部隊は陸海とも在阪。
江戸在府は歩兵2個連隊、伝習1大
主力軍艦は回天ぐらい。
在阪
歩兵5個連隊、伝習1大
開陽、冨士山他
たまには五稜郭の戦いも思い出してください
五稜郭は開陽沈没の時点で実質終わってるからね。
大阪のヨタ者集めて連隊作る位なら
会津と新撰組にまるごと装備渡したほうがマシなのでわと。
幕府にはミニエー銃余っていたから、少なくとも会津桑名ぐらいには渡し、訓練しとけば
ね。
しかし物金以前に、軍制改革はよほどの危機感が無いと難しかったろう。
鳥羽伏見の時点ですでに会津や新撰組などはミニエー銃装備だったからな。
シャスポー銃を装備させればよい。
また出たw
↑また出たw
↓
一瞬スレタイが ボ イ ン 戦 争 に見えた。
保守
こういうバカが出てきてから沈みっぱなし!
348 :名無し三等兵 :2006/05/23(火) 20:59:29 ID:???
鳥羽伏見の時点ですでに会津や新撰組などはミニエー銃装備だったからな。
シャスポー銃を装備させればよい。
356 :
サンダース軍曹:2006/06/10(土) 19:39:33 ID:mB3p4FXV
会津市民登場(`・д・´)シャキーン
幕軍・・・幕府、紀州、尾張、桑名、彦根、会津、仙台、盛岡、米沢、庄内、
維新軍・・・薩摩、長州、土佐、肥前、秋田、矢島、水戸、越前、
中立・・・加賀、熊本、安芸、
やる気なし・・・関東圏の小藩(館山除く)
>>357 関東の佐幕派に、請西藩が入っていないのが納得いかん。
>>357 鳥羽伏見時点なら(訂正)
幕軍より 加賀
薩長より 安芸
中立 肥前、尾張、彦根、(土佐)、水戸、越前
東海道の旗本諸藩はどうしたん?
家康は正に西から攻めてくる侵略軍に対抗するため、東海道に
信頼できる家来たちを配置したわけだが?
秀吉:家康に備えるために子飼の過信を東海に配置!
→関ヶ原で軒並みに寝返り
家康:東海道に信頼できる家来たちを配置!
→役立たず
伝統的に(ry
保守
>>362 つまり、子飼や譜代を過信してはいけないと言う事か。
小栗みたいな優秀なのがいても、慶喜があれじゃーね。
慶喜は結果として流血を最小限に抑えるのに成功したから、それなりに評価すべきじゃない?
367 :
名無し三等兵:2006/07/02(日) 00:00:57 ID:+VwlBF9K
降伏した指揮官は偉いのかw
>>367 確かに、私も容保公は城を枕に討ち死にして天下に忠義を示すべきだったとは思うけど、そのいい方はちょっと酷いですよ。
会津のように全藩挙げて徹底抗戦だった場合、指揮官が戦死したら配下の兵達が散会してゲリラ化してしまう恐れが強い。
ゲリラ化は政府軍にとって最悪のケースだし、ゲリラ狩りで領民も多大な被害を受ける。
こうした場合、指揮官が全残存兵力を以って投降するのが双方にとって有益な選択となる。
会津が領民の迷惑考えていたとは思えんのだが…藩札の乱発でハイパーインフレ起こしたんで福島にいられなくなった連中だぞ?
同じ列藩同盟でも、吾も吾もと農商の義勇兵が(また)出た庄内とはえらい違いだ。
会津は将軍家への忠誠だけを考えて領民を省みなかったという事かな...
にしても幕藩体制下では、あまり領民を苦しめると国替えや召し上げになるから、一揆が起きるほどには状況を悪化させる訳にも行かなかったのではないかな?
元々の出自が地元の有力者から成り上がった大名じゃなくて、幕府の中央から落下傘でやってきた大名というのもあるだろうけど。
意識的には一国の主じゃなく、幕府に任命された行政官的な感覚だったのかな。
まあ、伝統的大名でも国替えもあるし、国替えなくても無茶な政治をやることもあるようだけど。
幕府の存亡に関わる緊急時だから、資金源である領民を絞り抜いても仕方ないという意識はあったやもしれん。
戊辰戦争中の東北諸藩で領民が新政府軍側に呼応して藩兵を攻撃した例ってあったのかな?
蝦夷共和国ではあったみたいだけどね。
>>373 攻撃まであったかどうかは知らないが、会津の領民が官軍諸隊に、
土地の者しか知らない間道を教えたり、藩兵の動きを密告したりはよくあったらしい。
>>373 仙台藩では駒ヶ嶺の戦いのとき領民がみな逃げてしまい。自領であるにもかかわらず、
食料の現地調達ができない状態になったみだいです。
そしてやはり領民の一部は間道の案内をしたそうです。脅かされたのかもしれませんが。
しかし、藩兵を攻撃はしていないですね。
函館共和国は巻き返しを図ることが可能であった、
そのほうほ
遊びに来なイカ
△
・・
□
川
函館観光関係の方の名刺に書かれていたのれす
おおとり けいすけ
ここれ語る場合は漫才師れは無いのれす
るろうに剣心
>>370 藩札乱発によるインフレについては、否定的研究もあるそうな。
>>381 藩札インフレは山川捨松の子孫の発言です、一応。
383 :
名無し三等兵:2006/08/21(月) 11:12:04 ID:DNAesX2+
愛しき〜友はいずこに〜
この身は〜露と消えても〜
忘れはーせぬ 熱き思い
誠のー名に集いし 遠い日よ
あの旗に託した 夢をー
384 :
左乃介:2006/08/21(月) 11:32:45 ID:???
おまいらっ!赤報隊の相楽隊長の名誉を回復してくれ!
相楽隊長はともかく、部下に加わったチンピラ連中が悪杉w
部下の統率が取れなかった以上、偽官軍と呼ばれても仕方ない。
この点、粛清で規律を保った土方歳三の方が武装集団の統率者として上出来。
>>385 恐らく、不逞浪士より身内の方を多く殺してるからねw
青山霊園立山墓地の目立たない場所に相楽の墓があるのれす
388 :
名無し三等兵:2006/08/25(金) 22:44:18 ID:DeJuQXBD
>>373 函館戦争だとありましたよ新政府系のレジスタンス部隊。
町民が中心の。ただし、どっちかというとスパイ部隊だな。
>>366 「(犠牲を最小限に抑えて終結に向かうから)狙撃手は平和主義者」って理論だな。
そう、狙撃手は最良の兵士/爆撃機乗りは最悪w
慶喜は政治テロリストな側面が強いが...
>>371 ・幕末以前の藩政改革の立ち後れで藩の貯蓄も現金収入もほとんど無い
・飢饉で藩内の領民がボロボロ
・藩士の京都駐留のための出費が莫大
・戊辰戦争の主力軍としての度重なる出兵
これだけ原因が重なればそりゃ無茶苦茶な政治をやるわな
耐えかねた領民がまだマシな米沢藩あたりに逃げていたらしいし。
大日本帝国@1944じゃね?w
上層部が無謀な戦争にのめりこみ、国民/領民に負担を強いたあげく外力によって壊滅、というあまりにも日本的展開...
>>392 それは日本に限った事じゃない気がするが…。
s/戦争/政治/g すると更にありがちな事象に・・・
人見勝太郎 後に茨城県令(知事)になるのれす
学研の「図説 幕末戊辰西南戦争」は
歴群から編集したものだが、なかなかいい。
落ちそう・・・
千葉真一を迎えて会津藩公行列か
ここのスレ住人は日本史板に移動しちったの?
賭場や女郎宿に税金かけて軍事費に廻すのれすよ
ボイン戦争か
404 :
名無し三等兵:2006/09/29(金) 19:41:51 ID:M184XOWi
おいは薩摩隼人でごわーす。と会津若松で顰蹙をかったのは儂の甥っ子だ。因みに奴は栃木県人。ε=┏(; ̄▽ ̄)┛
405 :
名無し三等兵:2006/09/29(金) 19:56:18 ID:C3Gv/47W
大声で「会津征伐だ!」って騒ぐ観光客もいたなぁ
406 :
名無しさん:2006/10/04(水) 11:01:29 ID:V+k7URL4
ボインボインボインいえぇ〜〜ーーーーーーーーーーーーーーいいいいいい
>366
だね。徹底抗戦していたら泥沼化→列強の介入をまねき北海道民と対馬島民はロシア語、
それ以外は仏蘭西語か英語を喋っている似非日本になっているかもしれん。
日テレの「奇兵隊」で、富士山丸がどうみても轟沈しているシーンは笑ってしまった。
>>365 それなら小栗も高山寺で決起した高杉晋作みたいに
徴募兵だけでも募って敗北覚悟で乾坤一擲の勝負を進軍してくる政府軍にふっかければ良かったんだ。
まぁ小栗にそれだけの度胸があればの話だがな。度胸があればね。
そんな事しなくても、箱根迎撃戦を仕掛ければ新政府軍の主力は壊滅していただろう。
>>410 そのことは大村にしてみれば事前に想定済み。
箱根迎撃を想定して、戦歴を積んだ薩長土の主力部隊は別働隊として中山道を進行。
東海道本隊はあくまでカモフラージュ。
その上東海道進軍中の政府軍を海軍力で叩くと言っても、特定場所以外は射程範囲外に逸れる可能性が大。
更に天候等に左右されて、また海が荒れれば元も子もない。
仮に砲撃できたとしても、所持弾数撃てば終わり。大した手傷を与えられるとは到底考えられません。
実戦を経験してこなかった小栗だからこそ考えそうな絵空事です。
「幕府歩兵隊」かなり面白かった。
まぁこのスレの住人にはいわずもがなだとおもうけどねw
>>416 あれはこのスレでは基本文献だろうw
大山柏の戊辰役戦史は欲しいけど高い……
693まで沈下・・・ 星亮一は
>>418 「仙台戊辰戦争史」は読んだ。仙台藩の体たらくは酷かった・・・
世良修造を叩っ斬るのれす!
>>418 星亮一も悪くはないんだが、たまに電波的な新政権叩きが入るのが……
423 :
名無し三等兵:2006/11/06(月) 09:31:45 ID:Wmk06hD/
仙台藩はドン五里
>>411 薩長の本拠地を海路で衝くのが、小栗の策の本義。
箱根での防衛戦は重要ではない。
↑KWSK
426 :
名無し三等兵:2006/11/10(金) 08:49:11 ID:eM8Nd5Rq
土方を最高司令官にしてれば、勝てた
>409
三河以来の「幕臣」としての限界だとオモワレ。
慶喜が恭順している状況では、「逆臣」と呼ばれる事を覚悟するだけの「度胸」を必要とする事になるとオモワレ。
>>427 幕府に恩顧のない兵隊と恩顧の薄い士官からなる歩兵隊が脱走して戦闘を続けたのは面白い。
↑ヒント: 意地
>>429 『幕府歩兵隊』によれば飯の種だから、というはなしだた
年末ドラマ白虎隊
白虎隊かぁ・・・
ぶっちゃけて言うと自分の領内で路に迷うなよ。
432
何も言う必要はないだろう。藻前はバカだ
悲劇的な自刃シーンばかりに演出が偏って、考証が疎かにならないか心配だ。
白虎隊はじめ戊辰戦争中の会津諸隊は仏式教練を受けた洋式軍だった。
>>427 そこなんだよ。
あそこまで追いつめられたら逆臣覚悟の気概が必要なんだよ。若しくは
「某、これより出奔致しまする!尚私がこれよりすることは上様には何の関係も無きこと!それでは御免!!」
と言って戦いを望む気概すら無かったんだろうな。
小栗は平時においては優秀な官吏であることに変わりはないが、
こういう非常時には対応出来ない(反幕の人材と比較して)そこまでの人材だったということかもしれん。
しかし新政府軍はなんで小栗を切ったかねぇ・・・
有為の人材だったろうに
勝との関係が全てを決したんジャマイカ?
>436
埋蔵金
しかし、奥羽列藩同盟なんて烏合の衆といった状況を呈していたのに対し、
何で西軍方は統制が取れてたのかねぇ?
西軍/官軍は単体でも強力な薩摩/長州/土佐/佐賀という軍事ブロックが、藩命に従って共同行動していたからだろう。
対して奥羽越列藩同盟は仙台藩による実質上の指導下にあり、後は仙台藩の動揺がそのまま同盟を瓦解させてしまった。
また、おぼろげながら幕藩体制に替わる国民国家の姿が、長州征伐以降の諸隊混沌の中から見え初めていた、というのも西軍の共同行動の裏には大きい要素として作用していた。
(この点で大村益次郎の貢献は偉大といえる)
中心軸となるイデオロギーが尊王思想しかなかったために、国民国家は主張する市民の集合体ではなく、公家と天皇親政とそれを守護する国民軍いう形態に換骨奪胎されてしまったが、その根本的欠陥が露呈するまでは、そこそこ機能した。
(下手に機能した故の悲劇ともいえたが...)
>435
それは江戸期の武士道=倫理的には死に匹敵する行為かと。
サラリーマン処世の葉隠的な武士道からすればそうだろうが、戦国期の武士なら己の意地と金銭にかけて戦い続けただろうな。
武士の多くは太平の眠りから完全に目覚める前に地位を失ってしまった。
戦力としては頼りにならないサラリーマン武士に代わって軍事力を構成したのは、下士や郷士と呼ばれた半農の武士や本当の百姓/町人だった。
この事は新政府軍の母体となった西南雄藩にも幕府陸軍にも共通しており、これに国民軍的な性格を持たせる要因となり、四民平等という新しい理念を具現化させる力となった。
>>436 小栗が斬首されたのは突発的事故みたいなもんじゃないか?
>>443 小栗の能力を恐れていたんだよ。
当時は幕府陸軍や海軍が健在だし、北越や東北の親幕諸藩がありこれを戦略的に
糾合していれば、歴史以上の戦争になっていた。
指揮官には向かないが、そういう絵を描く能力は有ったでしょ、小栗には。
結果は各個に戦い自滅していった。
>絵を描く能力
もし歴史以上の戦争になっていたら、後世の人は
軍指揮官としての大村の対立軸に小栗を持ってきそうだ。
まあ、あり得んこっちゃない。
同盟系の名を成した指揮官のほとんどは、戦争勃発後になってようやくと、
高い将才を発揮したわけだからな。しかも、その場、その場で。
立見しかり、河井しかり、土方しかり。
小栗は位置的に、戦争の全体のプランニングを任されてもおかしくはない。
プランニングしたのなら、ついでに運営してみせろということになってもおかしくはないな。
>>435 小栗は徹底抗戦論者だよ。抗戦に際して小栗の「全てお任せ下さい」の
言葉に慶喜が全て任せると答え、翌日小栗抜きで恭順決定したのは有名な話。
で、小栗は故郷に篭もるくだりとなる。
448 :
名無し三等兵:2006/11/28(火) 01:04:56 ID:1V6JpDSG
てか俺が中学の頃にジャンプに連載されてた花咲か天使テンテン君の作者小栗かずまた氏は上野介の子孫だと最近知った。
それ俺も初耳だ
幕府軍は将帥と参謀の区別がついてないよな。
将帥は西洋兵学の知識よりも、胆力、大局観、人望が必要。
参謀は知識、知略に優れた人物。
封建制度も残り、将帥には身分も必要だしね。
小栗や大鳥は参謀向き。
竹中はどちらも駄目。
451 :
448:2006/11/28(火) 21:39:15 ID:JqeChwGH
>>450 そして督戦に最も向いているのが鳥居だw
454 :
名無し三等兵:2006/11/28(火) 22:34:59 ID:otjgneHJ
しかし幕府側に将帥たりえる人材いたのかな?
>450 基本として、幕軍のお手本は仏軍だぞ。ライン専制は当然だろう。
同盟軍の初期プログラム
【白河戦略】仙台・会津
・日光から南下して周辺諸藩と手を結び、江戸へ進撃。
・宇都宮を奪回し、利根川を境に防備を固める。房総にも進出。
【庄内戦略】米沢・庄内
・駐留中の薩長軍の動向を注視。
【北越戦略】米沢・庄内・長岡
・甲信越に繰り出し、機を見て関東を攻め取る。
・加賀、紀伊との連合を実現し、京都の挟撃。
>>450 『幕府歩兵隊』読む限りでは大鳥は割と指揮官に向いてると思うがどうよ。
二本松少年隊のこともたまには思い出して下さい
>>458 勘違い白虎隊より、よっぽど悲劇だぜ>二本松少年隊
ドイツ映画の「橋」って見た事ある?
二本松少年隊ってあの感じに近いね。
>>457 指揮官はやれるが将には向かないってところだろう。
将帥と部隊指揮官は別だからね。
連隊長レベルにはそれなりに居た(足りないが)
実務的現場指揮官は教育で養成できるが、将帥は即製できない。
だから参謀制度が必要であった。
464 :
名無し三等兵:2006/12/02(土) 20:51:03 ID:eR4VzAh+
仙台藩が世良を暗殺し指揮が乱れてる処に攻め込めば勝てた
俺が司令官になってればなぁ…榎本に富士を絶対引き渡すな、と厳命したり、
ストーンウォール確保したり、現代戦術読本片手に大村の鼻を明かしてやりたい。
忍者使って大村本人暗殺もありだな。まぁ、その前に諸藩全部隊に政治将校と督戦隊配置だな。
榎本の初回の脱走翻意、結果的に戦機逃しや小栗の隠遁も主家に対する忠誠からく
るもの。
薩長側にも同様の問題があり、結果的にそういう束縛が少ない下級武士や新参者が
活躍している。
戊辰戦争当時、旧幕海軍は東洋一と言われていた。
それが、十数年後には明治海軍は清朝の北洋艦隊より劣勢であったというのはどういうこと?
十数年で清に追い越されたってこと?
>>467 ドイツから36cm砲搭載艦エンチンとテイエンを中国が「購入」したから。
劣勢ということはないんじゃない?現に圧勝してるし。ただ定遠に匹敵する軍艦が
なかっただけで。逆にいえば定遠をもってしても日本艦隊に歯が立たないほど清艦隊は
弱体化していたともいえる。
470 :
名無し三等兵:2006/12/03(日) 04:19:47 ID:YP31NbUz
まだ沈まずや定遠は〜♪
黄海海戦は日本の圧勝ではない。
定遠・鎮遠沈められなかったし、制海権を得られるのは威海衛を攻略した後
軍艦の変革期だし
たしか、明治19年の長崎事件(上陸した清国水兵と日本の巡査の喧嘩)を起こした清国艦隊の寄航時には、定遠/鎮遠(甲鉄戦艦)、済遠(甲鉄巡洋艦)、威遠(練習砲艦)という東洋最強の艦隊で日本を威圧するのが目的だった。
これに対抗できる海軍力は当時の日本にはなく、日本側は外交努力だけで事態を収拾した。
この時に李鴻章が日本を一撃すると放言したらしい。
474 :
名無し三等兵:2006/12/03(日) 09:00:13 ID:65BiSN/S
>>469 圧勝じゃなく苦戦している。
黄海海戦でも死傷者の数では、日本軍の方が上。
戦略目標が日本が達成しているので、
日本の勝利だけど。
>>467 当時はアジア諸国どこにも近代軍が無かった。
その中で、徳川幕府が一歩先んじていた程度。
日本は幕藩体制によって微妙に各地方の自立性が維持されていたのと、徳川幕府に反逆するであろう勢力までが温存されていたため、他のアジア諸国にはなかった近代軍の育成が競合しつつ行われた。
結果として徳川幕府は内戦よりも自壊を選択したが、慶喜がフランス人の口車に乗っていれば全面内戦で越南の二の舞になりかねなかった。
>>476 有る程度軍備が近代化された日本を植民地化する事は、仏単独では不可能。
近代装備が欠如した1860年代前半なら可能だろうが。
結果論としても、仏は1970年に普仏戦争に敗北するしね。
薩長に近代化プランが特に有った訳ではなく、単なる体制破壊と権力奪取。
慶喜を初めとした幕府改革派のプランは、薩長以上。
封建制兵制から脱した強力な洋式兵制軍による全国統一。
478 :
名無し三等兵:2006/12/03(日) 19:15:27 ID:+oNbBFs7
結局のところ、日清戦争前後の産業革命のあたりまでは中国の方が経済力が大きいから、
洋務運動で本気を出したら、日本の海軍力などすぐに追い越されてしまったってことか。
艦艇数だけなら1:2くらいだな(日:清)
もっとも清国内が上手くいってなくて、近代化&再建の途中で
日清戦争に突入してるけど。
>>480 史実って、維新以降に作られた薩長史観だろ。
長州征伐や鳥羽伏見にしても、旧態依然とした戦国時代並みの幕軍が洋式装備
の薩長軍に敗れたというのが定説になってるしね。
むしろ装備、兵力の面で上回ってなお敗れるほど幕府は弱体化していたという史実をもっと伝えてゆかなくてはならない。
この頃の日本人、行進できなかったって本当?
>>481 最近は鳥羽伏見で新撰組は洋式装備で戦ったとか
幕府軍全体が先進的であったかのような主張をする奴もいるけどな。
486 :
名無し三等兵:2006/12/04(月) 21:53:17 ID:VMIYU6wJ
去年、北越戦争で長岡藩が本陣を置いた寺に行ってきたら中越地震でボロボロになってたな、
正月に鳥羽伏見に行く。
当然当時とは変わってるだろうが、伏見の地理的状況を見たくなった。
伏見は配兵時点で勝負が決まってしまったようにも思える。
ちゃんと砲兵を集中運用できてれば…
つーか勝ったほうの薩長側でさえ、大砲は2〜4門程度での分散運用が多かったらしいな。
行軍体制のまま戦闘に突入した挙げ句、指揮官バタバタ死んだしな。
幕軍砲兵の活躍の話は皆無。
量的には日本随一だろうが、なぜか話題にも上らない。
砲兵隊は直参のみで構成していたから。
・徴寡兵主体の歩兵との連携がうまく行かなかったのか。
・直参はとことん使い物にならなかったのか。
当時の状況からすれば、分離せずに直協火力として歩兵隊に付属させた方が良かった
のでは。
492 :
名無し三等兵:2006/12/05(火) 21:12:35 ID:2Q+fD50i
樟葉台場には、アームストリング砲でも配備されていたのかな?
後装式アームストロング野戦砲は当時肥前藩しか保有しておらず、鳥羽伏見の時点
では肥前藩は参戦していないので、それはないでしょう。
>>483 では、樟葉台場に配備されていた砲はどんな砲?
フランス製なのかな?
樟葉台場は大阪湾から侵入する外国船向けなので、国内製ではないかと。
野戦用施条砲は国内製造が捗っていないが、台場設置の大型砲は相当数製造され
ている。
>>448 小栗って一族郎党撫で切りにされたと記憶してたが、生き残り居たんだ。
>>496 養子は一緒に殺されたが、正妻が生んだ娘がいたはず。
薩長討つべし
>>495 淀川を軍艦が溯れるかよw
無理があるぞ。
それに高土塁は、八幡の方向にもあったようだし。
500げっつ
>>499 【「樟葉砲台(台場)跡」の説明文】
(1995年、枚方市教育委員会作成)
元治元(1864)年、徳川幕府は大阪湾から京都に侵入する外国船に備えて、
淀川左岸のここ楠葉と右岸の高浜(島本町)に砲台(台場)を築き、翌年には
楠葉関門を設けた。
>>501 大砲で立ち向かわなければならない艦船ってどんなやつだよw
淀川は水深は深いのか?
喫水線の浅い船で重装備できるのか?
ヒント: 砲艦
小型汽船とボムケッチの組み合わせは中国でかなりの戦果を挙げているんだが
問題は小型汽船でも淀川をどこまで遡れるかだなあ。
>>503 中国大陸の河川なら、
砲艦も奥地へ溯れるが、
淀川では不可能だな。
多頭立ての馬匹輸送技術が無いのが、大砲の機動を制限していたという話も
馬の訓練がなってないと、どうしようもないわけですが
船舶による海上輸送+人力引きが手一杯かなと
日本において多頭立て馬車が登場するのって、明治も中ごろになったからだっかと
牛は良くわからんけど、牛を2連で鋤を引かせるってあったような
>>508 山砲隊のうち2隊を騎砲兵にする予定だったが、結果は使い物になっていない。
騎兵にしてもようやく物になったのは日露戦争だしな。
菜葉隊について?
新撰組等によく登場する菜葉隊は横浜警備の部隊という事ですが
神奈川奉行所配下の部隊は仏式伝習開始頃に解散し歩兵隊のに吸収されたとの
記載が「幕府歩兵隊」に有りますが、であれば歩兵○○連隊になるのかな。
また仏式伝習が横浜警備隊の所在であった大田陣屋で開始されているのは間違い
ないので、上記記載も信憑性が高いと思われます。
保守
弓矢をもっと効率良く使えなかったのか?
514 :
名無し三等兵:2006/12/11(月) 00:35:18 ID:2CFqvw0o
>513
効率ってなんだよw
火縄銃(=ほぼげべーる銃)に駆逐されかかってた武器を、「ゲベール銃じゃ話にならん、筋入(ライフル)でなければ」ってみんなが必死こいてミニエかき集めてる時期にどう使うんだとw
宇都宮に集結していた旧幕軍には弓矢&火縄銃装備の兵も多かったようだ。
ゲベールすら買えない貧乏藩も多かったのだよ。
>>515 幕側じゃないが、太政官札偽造して、明治になってから取り潰し
って藩もあるもんな。
映画みたいに弓矢はあたらんだろ。
ただし、この時期は銃隊でも最終的には白兵戦なので刀は必要。
>>517 戊辰や西南戦争でもそうだが、精強な武士に銃と剣持たせるのが良いね。
日本陸軍が銃剣使うようになったのっていつから?
陸軍というか、幕末に入ってきた洋式銃(騎兵銃除く)にはゲベール銃でも着剣できる。
歩兵操典にも英式仏式蘭式問わず記載されているから、洋式訓練受けていれば幕末時点で
使ってるよ。
日本で最初に銃剣を装備したのは、高島秋帆の洋式調練を導入した佐賀藩兵。
時代としては1835年頃であり、阿片戦争に先立つ7年前であり、アジアで最初の洋式軍が佐賀において誕生していた。
(その後の蛮社の獄で一時停滞するが...)
実際に銃剣を使わされた佐賀藩兵の多くは、銃隊も帯刀していたため銃剣には好意的な感覚を抱いていなかったそうな。
>>514 いや、例えば別働隊が物陰に隠れて一気に上空に放てば矢の雨が敵陣に降り注ぐじゃない。
闇雲に刀剣で突っ込むんなら使い捨て同然で使うのもありかなと。
ま、いずれにせよソースはブレイブハートだがw
524 :
名無し三等兵:2006/12/12(火) 04:32:31 ID:T8OPKIMs
ブリュネ
弓の訓練より、鉄砲の訓練の方が時間が少なくてすむという事実が
調達というか製作も決して容易ではない
それより野戦築城 塹壕を掘ろう
こっちは錬度に依存しない
士族出身の兵士には無理だろうけど
>>523 日仏合作でほんとにブリュネをモデルにした映画作らないかな。
むしろスネルを(ry
しかし、船橋戦争で壊滅した幕軍三千は惜しいのぅ。
女装で脱走w
ゲヴェールで思い出したが、後加工で旋条を切ったゲヴェールや種子島(管打改造)なんかはなかったのだろうか?
今でも種子島の村田式改造品は良く見かけるんだが...
>>527 徳川義軍だろ。2,000強じゃなかったか?
>>529 ミニエーの弾作るのも厳しいというのが当時の工作精度だと考えると
施条切るのは厳しいんでないかい
>530
2,000〜3,000まで幅があるみたい。
どの段階で数えたかに拠るんだろうが。
“ミニエーの弾作るのも厳しい”状況だったのか?
鉛の加工よりコルクの入手が国内では難しかったかもしれんが。
旋条彫るのは大して難しい技術じゃない。
火縄銃に尾栓の螺子を切る雄タップが作れるレベルの加工技術で充分彫れる。
>>522 ブレイブでも言ってただろ“矢は経費がかかる。安価なアイルランド兵を使おう”ってw
価格と錬度を考えると 弓矢>>>銃>>>>>>>>歩兵の肉弾突撃 となる。
(しかも効果はこの逆だ)
なので、人間がいっぱい使える所では、後ろに機銃を持たせた督戦隊を置いて、銃剣か手榴弾持たせて大挙突撃、という発想に陥りやすい。
>>534 そこまで覚えてなかったw
ま、前提として戦国期の遺物として大量に残ってるんであれば
ということであって新規に作るのなら必要ないよな。
>>534 ブレイブストーリーにそんなセリフあったっけ宮部みゆきも思いきったことを、
と一瞬思った俺が来ました
537 :
名無し三等兵:2006/12/13(水) 15:30:36 ID:gZawS5KC
>>532 戦国期もそうだが、江戸時代の兵数の数え方に色々あり、小物や荷駄人足までカウント
する方が当時は一般的、近代兵制になってからは戦闘員と非戦闘員は分けるようになった。
幕末は過渡期で表現が混在している。
旗本8万騎なんてのは間違いというより嘘、騎馬武者どころか小物、人足まで軍役総数を
含んだ数字、騎馬武者に限れば2万強程度、足軽までいれて6万弱。
>>532 徳川義軍は木更津到着後に諸藩から兵員募ってたしな。
江戸脱出直後は1,800なんて記録もある。
>>535 記憶力悪いぞw
極悪イングランド王との決戦にスコットランド諸侯の応援を受けて臨んだシーン。
序盤で矢を雨のごとくスコットランド陣に降り注がせながら、その多くが盾で防がれてしまったのを見て、
イングランド王は矢を惜しみアイルランド歩兵(といってもケルト土民)を差し向ける。
しかし同じケルトの血を引くスコッチとアイリッシュは事前共謀して、アイリッシュはスコッチ側に寝返る。
今度は虎の子の騎馬部隊をイングランド王は差し向けるが、今度は買収されていたスコットランド諸侯が撤退。
孤立無援の中 スコッチは破れ、ギブソンは囚われの身に...
漏れ的にはハッピーエンドの“パトリオット”の方が好きだったな。
息子(兄)の仇を討つべく親子で英兵を襲うシーンや、返り血を浴びながらトマホークで英兵を倒す父親の暴力性を 初めて見せられた息子達が恐怖と崇敬の入り混じった眼で見つめるシーンが、いかにもアメリカンな雰囲気で良かった。
先込め短筒の再装填が異常に早いのは ご愛嬌だったが...
「八万騎」って、キリのいい数字を選んだだけだからなあ
旗本八万騎。いい響きだな。
本来なら700万石の徳川幕府が正規兵として士分8万人ぐらい居て当然。
ばらつきが有るが大名は1万石あたり100から150名が当たり前、総動員ならその倍。
郷士制をとる薩摩や土佐はさらに多くなる。
幕府は旗本、御家人で22,000人、これに旗本の家来がプラスされるが、常時雇っている
のは2万もいないだろう。
理論家はちと敬遠するかも知れないが、験かつぎで
「八幡」と語呂合わせに使ったとも考えられないか?
ちなみに八幡神は国家鎮護、厄除け等。
南無八幡大菩薩w
倭寇の船は旗印に八幡様を記していたので、中国で“八幡船(ぱぱんちゅあん)”と言う。
>>545 薩長史観とML的階級史観に染まりきった輩!
会津の恨史観はもう結構だよ。
>>547 会津の問題ではない。
江戸(東京)、東日本の問題。
上野公園にある占領軍司令官の像を撤去しろ。
江戸城も徳川家に変換し、天皇は京に帰ればいい。
また香ばしいのがきたな
550 :
名無し三等兵:2006/12/17(日) 20:36:37 ID:LxCB7z4C
>>548 馬鹿者、将軍職は足利家に返還しろ。
喜連川か平島公方家に。
551 :
名無し三等兵:2006/12/17(日) 23:39:25 ID:zZg9mvZz
やめれ!大名行列の通過時、橋の下にいてユスリ、タカリをする様な阿漕な奴に宮城はやれん
ていうか喜連川って正嫡が途絶えただろ、昭和になってから。
553 :
名無し三等兵:2006/12/18(月) 19:01:25 ID:DmyfghO8
大名家なんて養子だらけでしょう。松平春嶽しかり伊達宗城、山内容堂もそうでしょう?200年もたてば男系は途絶えると鹿島茂先生もおっしゃっているぞちぇすとー!
天皇制なんて不要。
権威王制は無責任体質を招くだけ。
王制は征服王で、象徴であっても国の力(Force)の源泉を象徴すべきもの。
確かに今や国民の統合の象徴は金。
金さえちらつかせれば天皇や宗教がなくても国民はまとまる。
スレ違い。
>>552 徳川将軍家も正嫡が数回途絶えているからな。
分家から継いでいる。
三国志戦国で語ってろよ。ここ軍板だど
国軍の出発点になる重要な戦争だぞ。ここで語らずにどうする。
糧秣の確保はともかく、野戦炊飯ってどうやってたん?
地域住民に労働供出させてたんだろうか
勝っても統治に支障をきたしそうだが
仏式軍なら外征時の補給についても幕軍では組織化されていたと思われるが、糧秣自体は やはり交戦現地の近辺各藩による負担だったのだろう。
幕末の国内戦争は 結局 武士階級どうしの戦いでもあり、長州でさえ諸隊に参加したのは 郷士など農民ながら武士階級に近い人々や 余裕のある商工業者の子弟だった。
地域住民の多数を占める農民にとっては 頭の上の戦いであり、どちらが勝っても迷惑w
大村生きてたら西南戦争とか激烈になってた気がする。
>>562 庄内藩を忘れんでくれ。農工商こぞって義勇兵を編成したぞ。
270年に及ぶ徹底的な低税率政策を維持するためだがな。平時の心がけはこういうところで役に立つ。
↑庄内藩にしても参加したのは武士以上に富裕な豪農達であって、いわば藩に楯突く可能性の無い人々だけだった。
当時の兵は自弁が原則であり、よほど経済的に余裕が無ければ参加できなかった。
また、中央集権の新政府という青写真すらなかった時期に、反抗する恐れのある農民に兵器を扱わせるような藩は皆無に近く、追い詰められて変成した長州だけが諸隊の武装を許可し、これが日本史を書き換える事になった。
一方の幕府もテキスト直輸入で設立した洋式陸軍で同じ事を試みている。
幕府が中央集権政体に変わるだけの余力があれば、日本史はまた変わっていただろう。
>>564 というか、各地の士族の反乱と数と規模が拡大してた気がする。
海江田プロデュース。
テレビ朝日開局○周年記念 北の零年 明治維新、四国から蝦夷地開拓なのれす
岩倉具視や薩長に騙された、俺らは会津と同じ、北の地に流された〜と愚痴っているのれす
池澤夏樹の「静かな大地」の映画化だとばっかり思ってたんだが、違うのか?
>>569 公式では原作は無いことになってる>北の零年
庄内の北斗七星を逆さにした破軍星旗いいね。
白虎隊に期待しても大丈夫?
ダメと言われても観てしまいそうだ
まぁ当時の武家の倅なんのてはジャニタレみたいなのばっかりジャマイカ?
“北の零年”、五稜郭投降拒否組のトヨエツが持ってたのはフリントロック(たぶん弥勒製)...
せめて聞きたやミニエ銃 in 白虎隊w
俺は伝習隊の主力シャスポー銃に萌える。
>>576 シャスポー使ってたの伝習隊の一部だけだし、
それすらも弾薬不足ですぐ使用停止に追い込まれてるだろ。
シャスポーの見せ場は宇都宮の千挺一斉射撃のみか
大鳥圭介が江戸脱走のときに十分な弾薬を持ち出していれば……
フランスは幕府にシャスポー二千挺寄付だっけか?
最初に寄付されたのが1866挺、その後の購入分と合わせて、3000挺前後が輸入されたらしい。
北海道は江差の開陽丸記念館にサルベージした銃やらも展示されてる
多種多様でどうやっても補給できそうにない
大鳥は包囲作戦ばっかだよな。
南北戦争での両軍も多種多様のライフル/カービンで武装していたよ。
開陽から引き揚げられた一部の後装式(S&W/スナイドル/シャスポー/ガトリングw)を除けば、弾頭は同一口径で共用可能なミニエ式かゲベール式だから弾薬の補給はそれほどの難事ではなかった模様。
男の子だったら一度はガトリングに心奪われただろ?
↑うちの嫁は英樹の演じた継之助で知り、萌えたそうなw
時代劇五稜郭に、渡哲也が甲鉄艦上でガトリング使う描写があるんだが、
ちょんまげないので西部警察に見えてしょうがないのだこれがw
厳密に言うと当時の土方はもうちょん髷はなかったが、長髪だったので
西部警察に見えるのは同意w
でも新撰組時代の渡は髷はあったw
慶應4年の今日(1868/01/27) 政府軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で衝突、戊辰戦争はじまったのれす
そして薩長に錦旗が下賜された。
>>590 いや、錦旗は下賜されたんじゃなくて勝手に作ったものだから。
錦の御旗にビビル 腰抜け侍どもテラワロス
明日、テロ朝21時より 白虎隊
ラストサムライとか凄いな・・・
日本スタッフが口を出したからまともなのかと思ったら、
サムライは弓矢だけで戦うのかよ('A`)
あれはなにもかも判った上で二時間枠に収めるようにカット&ペーストしてるからいいんだよ。
勝元からして西郷と江藤の合成、大村は山縣と大村益次郎の合成。戦法は史実でも神風連とかいるし。
映画板ならまだしも、軍板の住人なら政府軍がミニエーをいきなりボルトアクションで更新して、
史実で主力のエンフィールド・シュナイダーを華麗にスルーしたあたりで省略の度合いを判ってやれ。
>>595 史実の神風連の乱などを参考にしてるから
監督は日本留学経験もある歴史オタクだから、判った上でやってるんでそ
あの内容だけじゃそうは、とても見た方には解らないと思う。
「剣と弓矢で戦う〜」何てセリフもあるし。
少なくとも米人には解らないと思う。
>>598 逆に、日本の歴史に詳しくない米人観客向けに作ったからああいうストーリーなんでしょ
全く何も知らなければ、「Oh!サムライ、コウヤッテタタカイマスカ!」で素直に納得する
今夜は白虎隊だのう
602 :
名無し三等兵:2007/01/06(土) 11:34:32 ID:QkFj2Oyi
今夜やる白虎隊は軍板的にはどうだろうか。
ダメ、ゼッタイ。
604 :
名無し三等兵:2007/01/06(土) 22:50:55 ID:/XMjeBSb
幕府軍って洋式銃もってるだろ
>>601 所詮朝日だわ・・・
なんつーか
会津藩美化しまくってる
おっぱいシーンはそこそこあったが
会津が時代に翻弄されて追い込まれていく様の描写が不十分だな。
歴史的背景がナレーションだけでは感情移入できん。
なんか後編見る気なくした
608 :
名無し三等兵:2007/01/07(日) 00:44:23 ID:ZCMNzD/F
薩摩は悪くないのですか!
戊辰戦争って逝ってもぴんとこない。
名前がイメージしにくい
尾栓とかベントバイスとか再現されてるw
最後は切腹マニア大喜び設定か?
ツマンネと思いつつ今夜も見たのれす
614 :
名無し三等兵:2007/01/08(月) 14:42:05 ID:u7QqdKQo
っで、一昨日と昨夜の「白虎隊」は軍事板住人としては
如何な評価でしょうか?
とりあえず、少年兵(゚听)イラネ
>>614 軍事的には基本的な事実の誤認が目立ちます、はい。
>574
全員バク宙ができるアクロバティックな大隊が幕府にあればなぁ
>>616 それを箇条書きにして具体的に列挙してくれ。
白虎隊の二手に別れて行動するという設定は
一つの仮説にすぎないものだったっけ?
二番隊以外の白虎隊士、華麗にスルーされまくりでカワイソス
今だったら、忠臣蔵なんて報復テロリストだなw
後装と前装の違いは描写されてたな。
622 :
名無し三等兵:2007/01/09(火) 14:24:48 ID:crEWAj6u
軍事的には基本的な事実の誤認って?
倒幕派が新型銃で、佐幕派は旧式銃と刀槍って描写がイヤン
(実際は両軍とも様々な装備が混在)
鳥羽伏見って、幕府側は行軍隊形のまま、半ば不意打ちされたんじゃ
薩長の士官の被り物が旗印と合ってないし、あれ被りだしたのは江戸開城後のはず
虎の子伝習隊は何してたんだ!
626 :
名無し三等兵:2007/01/09(火) 18:50:53 ID:6JUbUoU2
幕府もあれだな。大阪でそのへんの日傭集めて兵隊にするなら装備まるごと会津、桑名に 渡して立見に指揮させたらどうなるか見物だのに。つーか山科から迂回して東海道に出て御所包囲るとかの知恵なかったのかよ。
会津兵はなぁ。
戊辰戦争になっても、匍匐全身や命令一下の
統一行動は足軽の振る舞いだからイヤだ!
って言って折角訓練を付けに来てくれた教官を
暗殺しようとするくらいだからなぁ。鳥羽伏見の
段階で洋式装備を渡しても活かせるかどうか。
白虎隊、考証面では比較的高評価かな? 脚本は最悪とうちの嫁が罵倒しとったが...
会津: 基本的にミニエ装備 先込めの装填や雷管装着といったシーンもあり
女性砲術指南がスペンサーを撃ってたり、白虎隊の兄ちゃんが素早い再装填でスナイドルを撃ってるシーンあり
ありゃ鹵獲品か? 一応 城が包囲されて後のシーンではあったが
官軍との白兵戦では抜刀しての撃剣 これは史実とは違うだろう? 時代劇のお約束だが...
官軍: こちらもミニエ装備 白兵戦では銃剣突撃 されど斬られ役大運動会の光景w
おそらく肥前アームストロング砲が後装再装填の仔細まで正確に再現された最初の例
連続発射速度の差も分かり易く表現していた
長岡藩: お約束のガトリング砲登場 発火プロップが正確で、回転しながら発火しているだけではなかった
総論: 小道具であれだけのミニエを揃えたのは見事!(撃鉄上げないで撃っちゃってる役者さんもいたけどね)
アームストロング砲については絶賛! 出来れば主人公が巡査になるとか、明治まで話をつないでほしかった
>>629 伝習第二大隊は江戸で訓練中。
第一大隊は、劣勢の中、それなりによく戦っているようで、当時の記録にも善戦が伝えられとります。
伏見奉行所の戦闘で、、高地に陣取った薩摩軍の砲兵に苦しめられながらも、
伝習隊は手持ちの小銃だけで頑強に抵抗し、薩長はなかなか奉行所への突入を果たせなかったとか。
鳥羽伏見の敗戦のあと、敗残兵の中で、きちんと部隊行動をとって整然と後退していたのは、
伝習隊だけだったとか。
>アームストロング砲については絶賛!
ちゃんとベントバイスを差し込んでから、尾栓を締めていたねw
そしてランヤード&プライマーを突っ込んでファイアーw
>>623 熊毛の事か?
あれは別に明確な色分けがあったと言う訳では無いのだが。
あと、幕府軍でも着用している。
>>624 今回のドラマでは予算の都合でカットされたんだそうな。
(プロップまで出来ていたヤーゲル銃も同様・・・涙)
>>626 洋式装備になれてない田舎の兵隊よりも都会の兵隊のほうが
戦力になったと思うぞ。関が原前後ならともかく強兵だからと言って
近代戦闘に対応できると限らないのは新撰組が正に体現してる
>>628 > 女性砲術指南がスペンサーを撃ってたり
新島襄夫人のことか?
どうでもいいんだが、会津藩を描くなら北越で今も伝わる略奪・強姦の蛮行描いてくれんもんか。
あれが長岡藩が会津と共同作戦取りたがらなかった最大の理由だし、
米沢の単独降伏の一因にもなってる結構重要なファクターだと思うんだけど。
>>637 天狗党とかといっしょで一部の連中の蛮行じゃなかったのか?
はっきり知らないのであれだけど
>>638 県史とか見ても、越後帰還を願っていた米沢軍が善政を敷いて住民に歓迎されたのに対し、
会津軍は全般的に素行が悪く、各地で住民と衝突(武力衝突含む)を起こしてる。
このため会津と米沢の関係は極端に悪化し、結果的に新潟攻防戦時の色部長門の戦死を招いた。
足並み乱れちゃ勝てないわな。
642 :
名無し三等兵:2007/01/10(水) 18:37:27 ID:GMRY64Rp
TVで戊辰戦争扱った作品でいいのがない。よくて「飛ぶが如く」
>>642 バンド・オブ・ブラザーズみたいな戊辰戦争やんねーかな。
アームストロング砲が照準を合わせた!散開!散れ!散れえ!
会津側は四斤山砲を撃ってたな。
リベット付きの砲弾を砲口から装填してた。
新政府側がアームストロングばかりなのは
ちょっと違う気がしたけど。
>>643 当時の戦術を忠実に再現するのなら、むしろ「グローリー」か「ゲティスバーグ」だな。
戦列歩兵の一斉行進と突撃が良い。
>>644 母成峠の戦闘なら、佐賀藩の砲兵部隊が投入されたんでしょ。
鳥羽伏見のは明らかに予算不足という感じだったけどw
戦線当たりの密度はそんな高くないからね<鳥羽伏見
戦列歩兵とい密度じゃない
散兵遊撃戦術は庄内藩もやってたか
>>626 立見は陪臣だから自藩以外の幕府軍を指揮させるには
譜代大名級の幕臣として取り立ててないと無理。
>647 大山格じゃないが、そういう壁をぶち壊さないと「日本」は守れん、て訳だな。
旧幕唯一の陸軍大将?
関ヶ原みたいに真っ二つに割れたらもっと知名度上がったのにな。
戊辰戦争っつってもポカンとする奴多い。
652 :
名無し三等兵:2007/01/11(木) 08:53:32 ID:1cE7HfBv
三国無双や戦国無双があるんだから京都や戊辰戦争を舞台に幕末無双もほしい。
>652
数の暴力がものをいうからダメ
幕末純情伝
どうせ関東でグリペンが飛ぶとかの厨設定になるからそれでもいいや
むしろ関西に殲10が配備されるとかそっちになる悪寒
東日本 旧幕府勢力 → フランス領化
東日本 旧倒幕勢力 → イギリス領化
↓
アメリカ・ロシア・イギリス・フランスの勢力争いの中、
ほかの東アジアと同様の植民地としてぐだくだな
まま第一次・第二次大戦を経過。
↓
イギリス・フランスが植民地から撤退
↓
ベトナム・フィリピン・韓国と同様、米軍が駐留する
発展途上国に
↓
ベトナム戦争で好景気・高度経済成長
↓
99年ごろ、バブル時代に!!
↓
現在、失われた10年の真っ最中
いやイワンという凶悪集団を忘れているぞ
函館あたりを租借されそう
というか、普仏戦争を忘れてないか>フランス植民地化
662 :
名無し三等兵:2007/01/11(木) 23:00:43 ID:VR5tZ+R5
>>661 1871年パリ攻防戦に会津抜刀隊出現!とかw
“花神”のDVDを見てて思ったんだが、新政府軍の将校って みんな洋装でネクタイまでしてたん?
なんかすっごい違和感なんだけど、伝習隊もピケ帽だったって 過去レスにあったしね。
土方がフランス陸軍で師団長をやってますw
>>665 幕末と似た状況で、本当に植民地にされたのが朝鮮。
ロシアが3000丁のヴェルダン小銃を寄贈していた(結局役に立たずw)
のには苦笑を禁じえなかった。
>>662 絵入りロンドンニュースでも分かる様に、幕府側将校も大体同じ格好。
665 :
名無し三等兵:2007/01/12(金) 19:26:07 ID:SK+PgXCk
よく大河ドラマで鳥羽伏見で熊毛被っているけど間違いでは?
確かに、江戸城入城後じゃないと おかしい
室町時代からあるけどね>熊毛
熊毛に陣羽織はナチの制服ぐらい萌える。
669 :
名無し三等兵:2007/01/13(土) 09:18:07 ID:ILYThLOd
あの獅子舞みたいな熊毛?には何の意味があったの?
昔、武田哲矢が祖母の話で、夜中に熊毛を被った鬼が来て“薩摩んもん匿っとったら承知せんぞ!”と言って帰った、というのを聞かされたんだそうな。
西南戦争の薩軍残党狩りの兵だったのではないか、と言っていたが...
ドラマでの「白虎隊」で、
隊長が隊士に「気をつけ!」「直れ!」とかの意味で
使っていた号令は何て言っていたの?
>>665>>669 指揮官用の被り物だが、レプリカが大半で実物は極一部。
官軍側では、実際には色々な帽子を被ってるんだよ。
(スロウチハット・船乗り帽・南北戦争時の軍帽など)
あと、散々既出だが幕府側でも着用。
>>670 オランダ語じゃなかったか?
>>
>>671 仏軍式じゃなく、蘭軍式軍学での調練だったの?
>>670 気を付け!=あたんしおん(英語ならアテンション)
休めは聞き取れなかった。
674 :
名無し三等兵:2007/01/13(土) 22:46:13 ID:ILYThLOd
“あたんしおん”なら仏語ジャマイカ?
>>674 たぶんフランス語だろうけど、オランダ語がわからんからなぁw
幕府のフランス顧問団が会津に来ていたから、フランス語。
677 :
名無し三等兵:2007/01/14(日) 12:23:00 ID:4sMg0poi
仏蘭西軍顧問団は会津まで来てないよ。 彼らは江戸から脱走後、直接 函館に行っている。
とはいえ、会津藩も幕府にならって仏式軍制を採用しているから、号令は仏式だったと思われる。
長州でも、ほぼ同じような調練をやってるが、あれは大村益次郎が変換してくれた日本語だった。
こっちは新生 日本陸軍に引き継がれ、現代まで継承される事になる。
なんでも、大村益次郎の発案で戊辰戦争後に創建された当初の東京招魂社(後の靖国神社)でも、拝謁じゃなくて仏式の礼拝をやってたそうな。
大村が暗殺されて以降、適当な変換が出来ずに仏語のままだったようだが、公家衆が神式にしてしまった。
そんな つぎはぎ神社に“心の問題”と言われてもね〜w
>>673-675 俺はどうしても「イマラチオ!」としか聞こえなかった。
だが、それは俺だけじゃ無い筈だ!
他にももっといる筈だ!
680 :
名無し三等兵:2007/01/14(日) 20:44:20 ID:ElBu7wFC
いまらちお ・・・今拉致於?
せんせー!! イマラチオって なんですかー?
684 :
名無し三等兵:2007/01/15(月) 10:43:11 ID:rly/5UwH
山本八重という女性は凄いな。
七連発のスペンサー銃を抱え走る姿を想像すると面白い。
イマラチオ
×イマラチオ
○イラマチオ
確かにドラマ「白虎隊」で、
「アタンシオン!」が「イラマチオ!」に聞こえる。
>>684 騎兵銃だけあって、かなり軽いんだよ。
(片手撃ちも簡単に出来る程)
689 :
名無し三等兵:2007/01/16(火) 20:55:50 ID:gpUXp+SW
イラマチオ!っていう号令?
>>684 武器屋のブログにドラマで使ったスペンサーが掲載されてるよ
皆さんは、指揮官に
「アタンシオン!」or「イラマチオ!」
どちらで号令されたい?
>>664 ググっても出てこん。ヴェルダン小銃の性能を教えてくれ。
695 :
名無し三等兵:2007/01/18(木) 20:58:37 ID:s3cc2cDq
>>694 本当にそれでいいのか?
冷静に考えるんだ。君に号令をかけるのは誰だ?
もちろん上官だ。侍上がりのガチムチ兄貴だ。
その兄貴が、君にイラマチオを命令するんだぞ?
>>696 黒木メイサが上官だったら?どうするんだ、お前は?
700 :
名無し三等兵:2007/01/19(金) 21:13:47 ID:YVAJmdat
700get!
>>692 >>696 「イラマチオ!」と上官に号令かけられる方が、
ピリッとして引き締まって気をつけているのが実感できるようになるな。
黒木メイサが上官だったら、特にすげえよ。
なんでこんな話になってるんだ?
他に話題無いから。
あと、軍板は余りこの時代に詳しい人が居ないってのもある。
いや、知識が無くても盛り上がるのは色々なスレを見るに可能だと思うんだが・・・。
なんかこう、どこに思い入れをもっていいのか分かりにくいっていう問題もあるように思う。
けど結構伸びたな。
今日は何の日
明治02(1869/03/02) 薩摩・長州・土佐・肥前の4藩主が版籍奉還を上表。
銃身長いのに拳銃並みの弾速だったら、そりゃ射程も伸びないよなー。
50mで胴だと和弓の熟練者なら余裕で当てるぞ
しかも、発射速度は圧倒的に上
いくら連射が効いても胴が抜けないんじゃ意味がないだろう。
しかも熟練するまでの時間と投資を考えたら...
下級武士捕まえて強引に武道の稽古をやらせても続かないんだぜ。
威力だけなら和弓のが上だろ>当時の銃器
でも筒先まっすぐ向けたらある程度の命中率が期待できるのが、鉄砲の強みだよな。
しかしその程度の殺傷率でも、北越戦争だけで約三千人死ねるんだよな。
>>715 >威力だけなら和弓のが上だろ>当時の銃器
んな訳ない。
和弓に」距離50メートルで一ミリの鉄板二枚重ねを貫通する威力があるかね。
16間から竹束6本を貫通する威力も。
戊辰期の銃は威力より射程距離だろ。
白河攻防戦は火縄・ゲベール主体の同盟軍約2〜3000に対し、
政府軍はミニェー・スナイドル装備の約7〜800で快勝。
しかし戊辰戦争の米沢軍の各級指揮官ってある種そうそうたる顔ぶれだな。
色部、安田、本庄、甘粕、中条……戦国時代からタイムスリップしたような
719 :
名無し三等兵:2007/01/23(火) 03:35:03 ID:NcXixbjw
米沢藩はまだしも仙台藩は弱すぎ
仙台は特殊で、藩軍そのものがすでに領軍の連合軍隊。
まとまるものもまとまらん。
ドン五里はそれ以前の問題のような気がする>仙台軍は混成軍
ってか世良修三は偉大
弱小二藩(仙台、米沢)恐るに足らず>本当w
世良の提案した、奥州攻略は一旦白河に退いて東山道軍と合流して兵を増強し、
羽州は増援により海路強襲って戦略は誰でも思いつきそうなんだが気のせいか?
>>722 米沢は北越で主力を喪失してるから、本土戦では抵抗できなかった面があるけどな。
仙台は額兵隊ぐらいだもんなぁ。
そういや、盛岡藩って秋田への佐賀藩来援後も奮闘してるけど、
装備ってどんなもんだったんかね。
>>724 盛岡と秋田は二大新政府に借金を押し付けた藩です
そこから判断しても洋式銃装備じゃないかな
二大新政府ってなんだw
揚げ足取りすまん、スルーしてくれ
明治政府vs輪王子宮政府の二極対立ktkr
盛岡と秋田ってたしか藩の借金を中央政府に肩代わりさせたワースト1、2位で
確か全体の60%くらいじゃなかったっけ
>>725 初期の秋田は火縄銃。庄内藩にボコられて藩の2/3占領された所で洋式銃買った。相当ぼられたんじゃないかな?
>>721 仙台藩は実戦経験が皆無なので仕方がないよw
732 :
名無し三等兵:2007/01/24(水) 00:18:59 ID:b/P6KCmJ
世良修三を斬らなければ
秋田藩は装備以前にやる気が無い
支城のほとんどは無血開城だし、市街戦もなし
秋田城近くまで攻められて、しょうがなく反撃
茂木筑後の部隊は、城を落とされた後に遊軍化して積極的に逆撃仕掛けたりしてたような
>>730 せっかく買ってもフリントロックだったら笑えるw
736 :
名無し三等兵:2007/01/25(木) 23:19:19 ID:rZyTl2yd
フリントロックは黒煙が凄いんでしょ
>>736 煙が凄いかどうかは、黒色火薬か無煙火薬かの差
黒色火薬使ってれば雷管銃でも黒煙が凄いことになる
雄物川渡河作戦の現地には行ったことあるけど、これ渡るの大変だなぁ
水量あるのに流れも速いし、自然堤防はあるし(今はちゃんと堤防になってるが)
逆にいえば船舶さえかき集められれば、渡河地点は自由に選択可能
県南内陸から攻めこんだ新庄藩との連携を上手くやれなかったのが敗因か<庄内藩
上流側には船が余っていたみたいだし
ちなみに久保田藩は新政府軍が増援に来るまで粘るため、徹底した防御戦術をとった。
事実、増援到着後に行われた岩城川を挟んだ防衛戦(ここを抜かれると久保田城付近まで有効な防御地域が無い)では圧倒的なアウトレンジ射撃で撃破している
つーか久保田藩に入った九条総督って、直轄軍いなかったんだっけ?
大垣藩兵か松代藩兵あたりが付いてそうなもんだけど。
741 :
名無し三等兵:2007/01/28(日) 21:41:26 ID:9KyR+Q6e
仙台藩はなんで九条総督を手放したかよくわからない。
>>741 藩主の伊達慶邦がコロリとだまされた。ボンボンなので人が好いのだw
玉虫は反対したが、但木が強行に押し切ったんだよ。
壬生技師伝、テレ東れ放映中なのれす
745 :
名無し三等兵:2007/02/02(金) 03:24:15 ID:u4q6aW/H
昨日、壬生義士伝やってたけどどう?
戊辰戦争が本格化する前の作品です><
隠し剣鬼の爪の前と後ろで幕末ドラマは質が変わったからね
仙台藩がスペインにガレオン船を20隻発注してりゃ江戸攻めも出来た
たそがれ清兵衛はよかったな。
サバゲーしてきた。包囲作戦いいな。
地方史をちょっとあさってきたけど、秋田も神宮寺のあたりでは抜刀突撃かましてるんだな
師範代討ち死にとか、地元で有名だった二刀流のやつが討ち死にしてたりグダグダではあるけど
秋田側も大筒もってて、それなりの戦果があったようだが小銃装備率が絶望的に低く、結果的に抜刀突撃だった模様
仙台藩の規律の悪さと庄内、新庄の規律の良さが書かれてて興味深い
大雄、大森町史のあたりで拾った話
耳取戦史(大正15年)っつう原本があるらしい
あくまでも、地元民聞き取りで真偽の判定無しのままの記録・・・国会図書館に行かないとだめか?
庄内は相当長い間洋式訓練の実績があるからね。
会津みたいに武士の面目として 地 に 伏 せ る 事 は 出 来 な い なんてアフォな事も一切言わないし。
うちの曾々じいさん(鍋島藩士)あたりが苦労した訳だ。
753 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 17:44:39 ID:pFMW5ecM
庄内藩は本間家の資金投資も大きいと思う。
仙台藩はフレンドリーファイヤやらかしたり、炊き出しの配分で揉めて負傷者が出たっつう話も
かなりグダグダだった模様
>炊き出しの配分で揉めて
ちょwww
名著「幕府歩兵隊」にも出てくることですし、天狗党騒乱辺りも語ってよい?
オランダ式歩兵が、動きがすばしっこくてわりと強敵だったとか。
>>479 清国は、清仏戦争で福建艦隊が全滅してますしね。
>>510 社会の資料集に出てくる、幕府洋式騎兵の演習スケッチって、出所はどこなんですかね。
戦力化はできなかったけど、派手だから、絵になるってんで選ばれたのかしら。
>>519-521 金がなかったのか、不要と感じたのか、銃剣は外して購入したケースもあるようです。
ちょっと気になったんだけど戊辰で腕のいい銃手って村田経芳以外にいる?
二本松の人はどっちかっていうと大砲の人っぽいし
山本覚馬之の妹、山本八重とかは?
ちょっとフィクションの影響が強いか。
759 :
名無し三等兵:2007/02/10(土) 20:37:58 ID:85kobDJn
銃剣と槍ってどっちが使いやすかったんだろうね
名前が知られるマークスマンは確かに村田以外には思いつかん…
というか戊辰の場合、腕以前の問題として、どんな銃に当たるかの方が大事という実も蓋もない事実がw
ゲベールとエンフィールドとシャスポー、まる百年の時空断裂だぞ。10月1日では遅すぎるっての。
そういや、「J」での東郷さんの新連載が桐野だね。
今なら書道家で食っていける腕前ってあーた。相当斬新な桐野になる予感。
761 :
名無し三等兵:2007/02/10(土) 21:59:31 ID:EHmEwnBo
長岡藩のガトリングの実戦での効果は実際にはどのくらいだったの?
西南戦争じゃ薩軍の狙撃は職人芸だったみたいだけど。
近衛少将が先頭に立って狙撃w
>>761 新政府軍は密集突撃はしなかったからあまり効果がなかった・・・
764 :
名無し三等兵:2007/02/11(日) 23:04:52 ID:L+YFl5DD
官軍の笛と太鼓の曲って何て曲名ですか?トンヤレとは別の曲です。
>>764 の追記です。壬生義士伝の官軍の登場するシーンで流れてました。
ヤッパンマルスと思うよ幕府が作った日本最初の行進曲
山国隊の影響で新政府の曲と勘違いされてるけど山国隊の記録で
旧幕府の旗本から教わったと記されている
あれ、官軍マーチっていうんじゃないのか。
>>768 そうか。とある地方出版の本でちと目にしたもんで。
別に他意はない。
>>758 ちょっとグぐって見たけど砲術家としてのレベル結構高いみたいです。
破天荒な人生を送ってますね
>>760 言われてみれば旧幕軍の砲熕兵器の悲惨さは泣けてきますね。
有名な砲術家なら結構いますが小銃手はやはり少ないですか
会津本なのでどこまで本当か分からないが、山本が京都在籍時に購入した
スペンサー銃15000挺を、紀州が分捕って西軍が使ったそうだ。
なわけない。スナイドル銃だったorz
776 :
名無し三等兵:2007/02/15(木) 21:18:13 ID:uc3u9egD
一万五千て多すぎるような?
ラッキーセブン
>>776 古式銃は故障が多いからパーツ取り分もあるのだ。
>>773 後に京都の薩摩藩邸に大学創設しているよな。
780 :
758:2007/02/15(木) 23:09:20 ID:???
うーん、「小銃手」としての実力を問われたので、敢えて妹の方を出して見たのですが。
お兄さんは眼病病みなので、学者としては兎も角指揮官や狙撃手としては能力が低いのではないかと。
没収されてたんじゃない?
>>781 薩長とか建白書を読んだ岩倉が、覚馬を高く買っていたから。
逆に何事もマッチョな会津では、盲目の砲術研究家は余り重用されなかった。
お陰で、足軽の鉄砲を火縄銃からゲベールに切り替えようと意見するだけでも一苦労……。
>>783 でも、禁門の変のときは会津藩もゲベール・ヤーゲル主体の編成なんだよな。
マッチョな会津ワロタ
禁門は長槍隊が戦果を挙げたようだ
余計頑なになる罠
第二次長州征伐に参戦してないのが大きいわ>会津軍
長州、薩摩が藩ぐるみで近代戦(薩英戦争、馬関戦争、第二次長征)をやってるのに対して、
蛤御門でも鳥羽伏見でも会津軍でまともな戦争やってるのって二千だけだしな。
山本覚馬は鳥羽伏見の戦いの後、捕らえられ幽閉されていた相国寺二本松の薩
摩藩邸内で、新政府のとるべき施策に関する建白書を口述筆記で完成させ、薩
摩藩主に提出した。会津の山本が薩摩にこうした建議をなすについては「汝の
敵を愛せよ」とのキリスト教的世界観に通じる考え方があった為ではないかと
言われる(実際、後に洗礼を受け信徒となっている)。そうした行動は薩摩藩
(=新政府)に好印象を与えた。程なく幽閉を解かれた山本は京都府の顧問に
迎えられたのである。その際、薩摩藩邸の土地まで彼に譲与された。余程の好
印象を与えたのであろう。その土地がやがて新島襄との同志社創立の場所とな
っていくのである。
山本は会津では孤立気味だったという。開明派とか開国派とかいわれる。
小松帯刀や西郷隆盛とは話も合っただろう。
790 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 18:35:13 ID:ul76rVZe
会津は28万石もあるのに支藩がない
平藩について
794 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 21:36:56 ID:JiIPyJ6H
ほかに預かり米五万石というのがあったはず。
>>794 調べたらその通りでした、更に、京都守護職を引き受けたときに正式の加増も受けているのね。
>>790 飛び地も直轄統治になるのか? 実質支藩みたいなもんだろうが。
>>797 飛び地であっても直轄は直轄なはずだが?
長州の実高150万ってのはほんとなのかね。
800 :
名無し三等兵:2007/03/05(月) 19:31:51 ID:iLEU/kgI
800げえっと
>>763 とりあえず音がしてれば、多少とも精神的効果があったんだろうけど、
カタログどおりの連射も難しかったろうね。
>>801 しかも銃座が剥き出しだから、
敵もひとしきり「精神的効果」を受けた後には猛反撃を仕掛けて来そうな気が。
河井サンはちゃんと陣地に設営して使ったのか、
それとも晋仏戦争のフランス軍みたいに砲兵隊に配置して宝の持ち腐れにしちゃったのか。
>>802 たからの持ち腐れだな。
ガトリング砲が発砲されたという記述(何だったかは忘れたが)は、
確か、官軍が信濃川を奇襲渡河して来た最初の長岡城の落城時。
市街の攻防戦で河井チャン自ら発砲したらしい。
『峠』にもそのくだりは書いてあるが、ちょっと信ぴょう性は疑わしいだろ。
ともあれ、ガトリング砲の実戦での発砲はあとにも先にもそれ1度。
あとは乱軍の中で失われたんじゃないのかな。
その後の北越戦争の記録には登場してきていない。
ガトリングの購入金で銃大量に買っといた方が良かったんジャマイカ。
>>804 多分、長岡藩は十分すぎるくらいの銃を装備してたはずだ。
むしろ、普通の「砲」をもっと揃えた方がよかったろうな。
開陽丸の圧倒的戦力
>>807 圧倒的戦力を見栄で出撃させ、嵐で沈めてりゃ世話無い罠。
つーか、幕府海軍は嵐で船沈め過ぎですw
幕府の伝習生は砲術や戦術ばかりやって、
航海術は「水夫のやる事」と言って真面目にやらないとぼやいていたのはカッティンディーケだっけ?
カッティンディーケの報告は事実誤認の眉唾多いからなあ。
開陽が座礁しなければ甲鉄との対戦が実現していた訳だが、甲鉄なら分厚い装甲板のおかげで、開陽の遠距離からのクルップ砲連続射撃にも致命傷にはならないだろう。
しかし、備砲がでかすぎて撃てる弾数に限りがあるので、開陽を追尾して接近して砲撃し、衝角で止めざるを得ない。
そうなると開陽は甲鉄の進路と平行に進み続ければ、捕捉され被弾する事はなくなる。
結局、甲鉄の石炭が尽きるか、帆走を選択して甲板員達を走らせたあたりで、数が多くて脚の早い蝦夷軍の小型艦艇に一撃離脱をかけられて戦闘継続不能。
下手すりゃ鹵獲されるので、自沈して乗員は蝦夷軍に救助される... という結果だったんじゃないかな?
少なくとも、新政府軍には蝦夷軍相手に海戦で勝てるという見込みは持てなかっただろうから、外交交渉に自動移行したんじゃないかな。
港を抑えられて終わり
>>811 揚陸手段の限られていた当時では、大型艦が津軽海峡を越えられなければ蝦夷軍不敗だろう?
ロシアとでも裏取引して沿海州から攻撃してもらうか?
少しでも介入する余地を見せれば、確実に北海道はロシアに占領されるというのは、明治維新当時のデフォ認識。
新政府も蝦夷共和国もその辺はわきまえてる。
日ノ本最強幕府海軍!!
>>812 開陽とその他の艦だけじゃ官軍の上陸阻止までは出来ないよ。
守る範囲が艦艇の数に対して広い、おまけに夜間上陸でもされたら防げない。
当然、官軍側にしたって甲鉄等で上陸援護するしな。
つーか蝦夷共和国って。
>>814 上陸できたとしてもその後やってきた開陽に揚陸艦&補給艦&護衛艦(甲鉄含む)が沈められるので侵攻は無理。
下手したら補給途絶で全滅しかねんですよ。
制海権は開陽がある以上、旧幕府側に部がある訳ですし。
2年も放置してれば蝦夷共和国は餓死して終わり
蝦夷には田んぼがないんだよ
炭水化物をどう確保するのかご教授願いたい
榎本たちの考えは無宗地であった蝦夷の開拓権を旧幕臣に与えるようにすること
一戦も交えることなく条件降伏するのが狙い
徹底抗戦は出来ないことは彼らが知っているし伝習隊や衝鋒隊など旧幕府歩兵は
給与が途絶したら逃げるか叛乱起こします。傭兵なんだからw
>>815 まず、官軍側は自由に上陸地点を選択できるし、数地点に分散しての上陸も可能。
榎本軍にはそれに対応するだけの戦力が無い。
また、甲鉄は開陽を拘束するだけで充分であり、撃沈の必要性は無い。
(そもそも、開陽だけで日本唯一の装甲艦を含む艦隊を全滅させられるという根拠が謎だが)
甲鉄が居る限り、開陽は上陸作戦妨害に専念できない。
撃沈されずとも損傷を受けることは確実であり、その間は行動不能になる上に修理の当ても無い。
補給に関しては、まともな兵站も軍資金も無い榎本軍のほうが脆弱。
上のほうでも書かれてるが下手したら給与不払いで反乱の可能性すらある。
占領政策の失敗により、人心は完全に離反しており、内通者どころかゲリラまで出没する始末。
陸軍の動き、艦隊の動静まで筒抜けになることは明らか(上陸作戦に影響大)。
↑蝦夷軍側の継戦能力が脆弱なのは事実だが、新政府軍には大規模な揚陸作戦を展開できるだけの海軍も艦艇は存在せず。
敢えて強攻策で犠牲を出すよりは、蝦夷共和国との外交交渉で自治を認めた方が得策。
開陽が失われたおかげで、ドサクサ紛れで揚陸作戦が実行出来たために戦闘による決着が付いたに過ぎない。
いくらなんでも奥州鎮圧したあとで自治は認めないだろ。
>>818 >敢えて強攻策で犠牲を出すよりは、蝦夷共和国との外交交渉で自治を認めた方が得策。
それは榎本軍側の勝手な都合というものだ。
占領地の支配すらまともに出来ず、権威や大義名分があるわけでもない反乱勢力と交渉なぞせんよ。
新政府が犠牲を厭わないことは西南の役を見れば分かるだろうに。
開陽、開陽と言うが逆に言えば開陽一隻が頼りということ。
前にも述べたが官軍側は甲鉄で開陽を拘束するだけでよい。
南北戦争で北軍のモニターが南軍のヴァージニアを抑えたようにね。
更に、榎本軍側にどのくらいの石炭があったのか?も問題だ。
補助機関とはいえ自由な進退を可能にする蒸気機関が使えなくなるのは著しいマイナス。
↑そう、その頼みの綱の開陽が失われて蝦夷軍は敗北した。
しかし、甲鉄一隻では主体的には開陽を抑えられない上に、海戦では甲鉄が不利。
この事は新政府軍も良く理解していたので、開陽が健在な状態では史実通りに甲鉄を北上させたかどうかは怪しい。
しかも海軍の錬度という点でも蝦夷軍側に一日の長があり、新政府側主力の薩長が主体的に海戦に挑んで勝利しだ経験も無い。
このような状況では、蝦夷共和国の主張に新政府が譲歩せざるを得ないのが、戦時の常識的流れと言えるだろう。
>しかし、甲鉄一隻では主体的には開陽を抑えられない上に、海戦では甲鉄が不利。
根拠は何かな
主体的、主体的と言っても実質で言えば旧幕府軍が勝利した海戦は阿波沖海戦しかないが。
錬度に関しても同上。
重ねて言うが譲歩など有り得ない。
>>821 なんで甲鉄が新政府に引き渡されたか知ってるか?
お金払ったからじゃないぞ
局外中立が解除になって内戦終結が宣言されたからだぜ
開陽が邪魔ならば米国や英国から余剰のフリゲートを買えばよい
>>822 “旧幕府軍が勝利した海戦は阿波沖海戦しかない”
そう、しかも新政府軍には強力な艦隊行動を取る技術を有する海軍が存在しなかった。
唯一肩入れしてくれていた英国に参戦を依頼するにしても、島原の乱の際に徳川幕府がオランダ船に艦砲射撃を頼んだのとは訳が違う旧幕府艦隊との海戦。
戦後に英国に牛耳られて第二の清国に甘んじる事を承知なら良いが...
甲鉄は日本海軍で東艦と改名された後も備砲に問題の多い艦と広く認識されていたが、米国から日本に転売された時点でスクラップのような状態だった事も認識すべきだろう。
主砲のアームストロング砲は、陸戦での活躍(佐賀藩兵砲隊)と対照的に、艦載砲としては尾詮破裂に悩まされ、薩英戦争での英軍苦戦の原因のひとつとなった事は御存知の通り。
これは、陸砲に比べて10倍以上の腔圧がかかる艦載砲にはアームストロング式の尾詮閉塞構造が材質強度(同砲の大部分は鋳鋼を機械加工したもの)的に耐えられず破裂する事故が相次いだため。
この点、開陽の積んでいたクルップ砲はこうした事故と無縁で、開陽建造中の薩英戦争におけるアームストロング砲の欠陥露呈の報は、いち早くオランダにも伝わったと考えられる。
825 :
名無し三等兵:2007/03/17(土) 14:46:30 ID:NcQFdPDh
<続き>
南北戦争で産まれた装甲艦は近代戦艦と異なり旋回砲塔を有しておらず、自由発射角は艦首前方60度程度しかなく、敵側面から接近して外輪を破壊して足を止めてから衝角で敵艦の側面に突っ込むという、WW2期の突撃砲のような運用しかできなかった。
また、甲鉄の装甲板も小火器銃弾や 前装砲で放つ乗員殺傷用の木弾や霞弾を防ぐには充分な厚さだったが、所詮は鋳鋼製の板をボルト止め(しかも固定されている母材は木材)しただけの代物。
クルップ砲やアームストロング砲(砲身内で爆発しなければ、だが...)から打ち出される近代炸薬(ピクリン酸ベースなので、爆圧はWW1期の榴弾や張作霖を吹き飛ばした黄色爆薬と同じ)の詰まった榴弾の前では、
M4の75mm砲を喰らったチハの如くボルトが千切れて装甲板が飛び散って浸水/沈没してしまう程度の艦だった。
宮古湾沖海戦では奪取にこだわって失敗したが、横付けした回天甲板の上からピクリン酸を詰めた樽を落としてでも落として焙烙で甲板を焼いて点火させていれば浸水で行動不能/沈没させられていただろう。
あんな艦を無理やり北上させた新政府軍の“蛮勇”と、開陽の喪失という幸運によって新政府軍は蝦夷地を奪回できたに過ぎない。
〜すれば〜していただろう論か
長文の割にはなんだかなー
>>823 “局外中立”も“内戦終結”も、良い加減極まりない当時の列強公使間の取り決めに過ぎず、主に英国のパークス公使が個人的な関与の度合いを強めていた薩摩/長州が作った新政府と、
フランス本国の前面支援を受けていた旧幕府の国際的位置付けは紙一重の差でしかなかった。
しかも、プロイセンの冒険商人や“沈黙のプレーヤー”ながら極東最大の軍事的存在であるロシアといった連中も、虎視眈々と内戦への介入の機会を伺っていた背景も認識すべきだろう。
そんな状況下で、英仏の板挟みに合いながら、さっさと甲鉄の残金を受け取って南北戦争から復興途上の本国に送りたい米国(自分達が開国させてから結果として内戦にまで至ったのに、なんと無責任なのかw)と、
そのカネがなくていったんは米国へ返品しようとさえしていた新政府(旧幕軍に甲鉄が渡らなければそれでよかった)、 という情けない状況下では、岩倉や大久保の口から
>>823のような御大尽な発言は飛び出して来ない。
つまり、開陽が健在なら新政府軍は甲鉄を北進させて貴重な海軍力の一部を損耗させる賭け(航海中に失われる可能性も大きかった)には出られず、内戦の帰趨を伺っていた列強に背後を衝かれる危惧を忘れる事もできなかった。
特に薩長肥には英国の動向に対して慎重にならざるを得ない過去の実体験があった事も忘れるべきではないだろう。
age
うーむ、開陽はそんなにも素晴らしかったのか。
そんな船を
「陸軍ばかりが活躍して海軍が不満を持っている。
ここは一つ海軍にも活躍の場所を与えて花を持たせよう」
なんて言って無理に江刺に出撃させ、沈めてしまった榎本は大戦犯ですなぁ。
↑開陽は1864年当時の日本にしては、最良の買物のひとつだった。
戦力としては開陽一隻で欧米の艦隊に伍すべくもないが、幕府の海軍創立計画はオランダという唯一の友好国が存在したおかげで、成功すればそれなりに充実したものになっていただろう。
榎本のミスで開陽を失った事は、蝦夷軍にとって取り返しのつかない失敗だった。
その意味で榎本には指揮官としての限界が顕著だが、まぁ良くやった方じゃないかな?
宮古湾での回天奇策は戦術目標の順番付けに失敗した例のひとつ。
成功の可能性が低い奪取が不能なら即座に破壊、と明確に順番を付けていれば、新政府軍の北海道上陸はもっと遅くなり、外交交渉に軸足を移させる時間稼ぎが可能だった。
開陽は外惑星連合でのサラマンダーくらいの戦力価値があった。
アームストロング砲=後装砲と思ってるバカ発見w
アームストロング社の大砲はそのほとんどが鉄製前装砲
後装アームストロング砲がどこの陸戦で活躍したって?
まさか上野?会津?w
833 :
名無し三等兵:2007/03/17(土) 23:11:11 ID:NcQFdPDh
↑マジでヴァカな香具師ハケーンw
まーだ外交交渉が可能とか言ってるのか。
去年、北海道は江差の開陽記念館行ってきたが、漂流=錨走=座礁コンボの原因は舵不調みたいだな
江戸前で一度ぶっ壊していて、修理が不完全だった説が有力
まあ、専門知識がなければ完全に修理できないものだ
性能劣化には目をつぶって、応急舵を恒久化するとか(それも北行中に修理してる模様)
甲鉄には発射速度と速力で勝ってるから、沈めなくても戦闘力を奪えそう(錬度さえ良ければ)
近接したら臼砲という手もある
甲鉄は基本的に沿岸用モニター艦なのに、日本まで回航できたことがビックリだが
上甲板低くて、すぐに青波被るよな
>甲鉄には発射速度と速力で勝ってるから、沈めなくても戦闘力を奪えそう(錬度さえ良ければ)
>近接したら臼砲という手もある
開陽と甲鉄ってそんなに速力に違いあったっけ?
開陽が10ノット、甲鉄が9ノット、
阿波沖海戦で開陽に負けた薩摩の春日が16ノットとか言う話を聞いたんだけど、
これくらいの差なら一方的に開陽が勝つまでは行かないような。
装甲で劣ってるのに相手を一方的に無力化できるとの根拠が分からん
甲鉄が装甲されていると言っても、ピクリン酸入りの榴弾に勝てるような代物ではない。
その上、河川/沿岸用砲艦でしかない甲鉄は、甲陽に比べると武装が貧弱すぎる。
開陽のクルップ砲を集中打されたら一瞬で破壊されただろうね。
装甲を貫通されなくても、衝撃で中の人が・・・・
南北戦争のときも、装甲は貫通されなかったのに中の人が脳挫傷死っつうのがあります
装甲抜いたり沈没まで行かなくても、戦闘能力喪失させればそれでよし
回天は10発以上食らっても航行できて戦闘力維持できたから、手数の差で開陽有利かと
秋田 大雄村村史 ちびっとひろってきた(気になる人は国会図書館なりにGo)
元ソースは「耳取合戦記」 田根森郷土史談会 昭和3年発行とのこと
8月11日大雄村で会敵
久保田側
介川敬之進 隊 300名 法螺と陣太鼓による指揮
大砲1門 鉄砲は丸弾(おそらく火縄)を足軽が装備(※足軽比率からみて良くても80挺くらいかと)
服装も統一されず 陣羽織+袴だったり
同盟側
松平隊長(個人名無し) 元折れ七連発の舶来銃を装備(※形式ワカンネ)
銃装備はゲベール 帯刀なしもあり
軍装はズボンまでは統一 上は陣羽織もあり
軍医同行 ラッパによる指揮
開戦は秋田側の砲撃による
同盟側は堰を利用した散兵戦術 散兵線は最大380mと推定
秋田側は抜刀突撃するも阻止されるが、同盟側の後退により中世城郭跡で白兵戦にもちこむ
秋田側大砲を各坐放棄 鹵獲ようとした同盟側は夕闇の中でFriendiy Fireで鹵獲できず
秋田側が大砲を川に沈めて隠す
一連の戦闘で、同盟側は家屋放火20軒
その後、同盟側は酒蔵を占拠してちょっと揉めるが占領
撤収時、兵糧炊き出しで揉める
秋田から出たボロボロのスナイドルが買えたぞ。
ひどい状態だが、戊辰の役の忘れ物かなw
分かった、ピクリン酸は引っ込めよう。
だが、開陽には艦首のハートマークから放たれるトクガワ砲があるのを忘れるなよ。
あれが照射されれば甲鉄など一瞬で溶解してしまうのだ。
蝦夷共和国は土方のお陰で腐女子ではあるが女子には困らんから
20年後には大量の兵士がw
>>836 幕府海軍も結局は練度が足らなかったということか。幕府海軍は格好良く言われる割には
長州でも負けてるし、品川沖でも取り逃がすし戦歴は決して良くないな。
東北での陸戦でも、新政府側は続々と増援を送ってきているのに、旧幕府側は
最前線の部隊がずっと手持ちの兵力(+雀の涙ほどの増援)だけで頑張ってる印象が
あるし、何というか力を十分に発揮できずに終わってしまったというのは悲しいな。
>>846 仏式伝習隊は明治2年に箱館に向けてちゃんと出撃してるぞw
逆賊榎本を討伐しになw
>>847 kwsk
新政府についた伝習隊も有ったとは知らなかった……。
>>848 知らないの?
大隊規模で投降して官軍側について戦ってるよ。
平岡芋作と三番町大隊の愉快な仲間達w
江戸で投降してから実戦には参加していないようだが?
大隊って用語作り出したの誰なんだろ。
元岡舎圭人
だいたいやねー
一段落ついたみたいだから、話題を変えて良いかな?既出だったらごめん
長岡藩がかりに河井の反新政府的中立政策を退けて、新政府に恭順した場合、
お城下も焼かれず犠牲者も出さずと言うお家安泰の結果を迎えられただろうか?
また、長岡の地理的条件や展開する会津軍や脱走した旧幕軍などの圧力、
長岡を取り巻く政治的環境などを考えると、
新政府に恭順すると言う意思決定は自然なことだったのだろうか?
新潟が欲しい列藩軍に集中攻撃、または外圧で恭順派が粛清されるなどの危険は?
昔から考えているが、長岡は結局どうすれば良かったのか良く分からないんだよ。
既に、官軍の先鋒…軍監の岩村が率いる部隊が小千谷に布陣している時点で、
会津をはじめとする列藩同盟軍は長岡周辺で蠢動している。
だから、この時点で恭順の意を示しても、もう遅い。
政府側についても、北から東からやって来る同盟軍部隊との戦闘で、藩領域内で戦闘になった可能性はある。
ただ史実のような市街戦は避けられた可能性も否定はできないけどね。
中立を声高に叫びつつ、官軍が高田まで進出してきた時点で、火急に恭順の意を官軍に伝え、
官軍部隊を領内に引き入れた上で、守備を固め、やっぱり官軍に味方しますと、公式に表明する・・・
これならば、確実に市街が戦場と化すのは避けられるだろう。
長岡藩が転べば、途中で裏切った新発田藩も最初から官軍に転ぶ可能性が高い。
新発田藩が転べば、新発田藩に命じて新潟を接収・占拠させることもできるだろし、
そちらの阻止に列藩同盟が本腰を入れるならば、今度は長岡への圧力が減る。
ある種のクーデタが必要になるだろうが、藩侯は河井に全権委任していたから、
河井個人と周辺の数人を蟄居謹慎に追い込むなり、斬るなり…
処理さえできれば、藩侯も隠居で、恭順に藩論を統一することは難しくない。
お家も安泰だろう。
北越戦争が新潟の接収と長岡周辺からの同盟軍の駆逐で済むわけだから。
会津攻めの先鋒は岩村が要求した通りに長岡藩になる。
新式兵器を持って入る割に、河井という指揮者を失い、弱兵ぶりをさらすことになるだろうけどね。
問題は・・・。人がいないよ、河井を処理できる人間が。クーデタをやる人間が思い浮かばない。
だから、河井が局外中立、ダメなら同盟参加という路線を突っ走れたんだろうけどね。
後は河井が岩村に捕縛されるという外的要因が発動しないと、
長岡が恭順派になる要素がオレなんかには見当たらないんだけどね。
856 :
854:2007/04/04(水) 01:31:55 ID:???
なるほどさんくす
ちょっと週末に検討してみる
西郷どんはゲルマン魂を持つ日本人
ゲルマン魂というより隼人魂だ罠。
800有余年の長きに渡って大和朝廷と拮抗して来た半独立状態から、ついに打って出るという亡君斉彬の意思を継ぎ、薩摩を日本のキーファクターにまで押し上げた功績は大きい。
もっとも、それを本当の意味で実現させたのは生涯の盟友たる大久保の力だったが、西郷本人は形を変えて復活した大和朝廷と対決する事で、これを軍事を通じて新しい国民国家へと脱皮させて自らは散った。
功罪なかばする人物ではあるが、その存在は稀有であり日本史上有数の英雄だったと言えるだろう。
859 :
854:2007/04/07(土) 23:02:44 ID:???
レスが遅れてごめん
なるほど新発田藩の寝返りを誘発して同盟軍兵力を分散させると言う展開も可能だね。
会津は白河の攻防で手間取っているから、列藩軍の崩壊は早いかも知れない。
自分は長岡と会津の交通・経済を通じた結びつきや、防御の難しさ、
長岡侯が老中や京都所司代を務めるなど幕閣の要衝にいたことなどから、
河井うんぬんとは関係なく長岡は旧幕軍に付くのがむしろ自然と考えていたんだ。
河井の中立は、例えば佐々木克以来「偽装中立」とする見方が巷間流布しているが、
自分は意外と
>>855の言っている「官軍引き入れ」のような選択肢も考えていたのでは、
と思っている。その目的が「停戦」だったのは甘いけど、これも本気でそう考えていたのかな…
860 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 16:37:21 ID:oKcSUhEu
薩摩人はクマソという野蛮人だからな。日本人ではない。
佐幕側が巻き返す最後のチャンスはやっぱ彰義隊の前かな?
奥羽列藩同盟あたりでも頑張れそうだが、あの体制じゃ戦略的敗北は避けられないしな。
奥羽列藩同盟と幕府軍海軍が連合で、日本海海戦かなぁ
久保田 佐竹への援軍を遮断して「勝利」を報じれば、北陸辺りは寝返りそうなところがいくつか
装備も指揮系統もまちまちの諸藩軍なんて当てにしちゃダメだ。
1万1千余名の幕府歩兵隊で正面から大村益次郎等の指揮する薩長軍を撃破してこそ。
あと小銃隊が充実してた紀州藩くらいか。佐倉藩も小規模ながら近代装備軍を持ってた。
庄内藩や長岡藩はどこまで幕府司令官の命令で動かせるか。
>>863 庄内藩も長岡藩もその辺は微妙っぽいね。
長岡に関しては局外中立を尊重して放っておくのが一番かも。
幕府歩兵隊には大村に匹敵する司令官は居ない、と思うな。
庄内藩も元々はやる気が無いからなぁ
幕府に命じられての江戸治安維持の末の薩摩藩邸焼き討ちだし
目の前の土地を確保して陣地構築の交通遮断でよかったような気もするけど、出来ないのが幕府の限界だったんだろうな
西郷どんの墓参り行った
西南戦争の時、西郷側に庄内藩の人がいるんだね。お墓があった。
降伏時に西郷が寛大な処置をしたからかな
戊辰戦争は長州がやり過ぎなんだよね
京都での怨みだかなんだか知らんが逆恨みに近い
戊辰戦争時、西郷の寛大な戦後処理に驚いた庄内藩士の中に、西郷に対する尊敬の念が生まれ、
西郷が鹿児島に帰って私学校を開いたあと、わざわざ庄内から鹿児島までやってくるものが後を絶たなかったとか。
ちなみに鹿児島市と鶴岡市は姉妹都市。
薩摩は幕府優勢のときは佐幕、長州が巻き返し始めると討幕派にとうまく立ち回ったおかげで大して死んでないからな。
でも、戦友や親兄弟や同士を失いまくった長州が仇討ちするのってそんなに不自然なことか?
尊皇攘夷を掲げるくせに孝明天皇を拉致しようとして阻止されたのは自業自得
「仇討」ちじゃなくて「報復」だからなぁ
やり方がえげつない
仇討ちと報復の違いってなんだぜ?
>>874 元会津藩士がグンジを斬殺>仇討ち、立派! 武士の鑑!!
長州が会津に降伏勧告>報復! 悪逆!! チョン公!
大体こんな感じです。
876 :
名無し三等兵:2007/04/18(水) 21:34:38 ID:MLTNqlsm
でも薩摩は西南の役で事実上の同士討ち(西郷VS大久保)してあぼーん。
今に至る。いまでも大久保は鹿児島人には人気がないようだ。
薩摩んは
赤心あるのみ
で官僚になろうとしたずうずうしい人間の集まりだからな。
江藤しんぺーも苦労しただろう
>>871 仇討ちするなら徳川家に、だろうがw
徳川家は恭順して許されてるだろw
>>871 正確には薩摩藩は公武合体実現の為、四侯会議の一員として幕府に協力していました。
しかし後に一橋慶喜が四侯会議を決裂させて幕府独裁を開始し、
更に長州の処遇を巡り会津と衝突。薩会同盟は会津の方から絶縁され、薩摩は孤立するに至ります。
ここで薩摩は長州と接近し、倒幕を念頭に置き始めるのです。
後の小御所会議といい、鳥羽伏見といい”掛け”です。
開戦前に西郷は敗北覚悟を将士に述べている程です。
上手く立ち回ったのなどとは所詮は結果論。
過程を見れば危ない橋を渡ってますよ。
国元の薩摩藩士からの西郷たちへの反発も強かったものね
会津も同じような現象があったんだけど
881 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 17:12:53 ID:7nvY6P0g
西郷は一度流刑にあってるもんな
882 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 17:28:23 ID:M6S9MacQ
坂本龍馬さんが暗殺されなければ日本はガラっと変わってたハズ。
ところで誰が暗殺犯だったの?
見回り組の佐々木只ノ助?
坂本龍馬にそこまでの力は無い。
竜馬は司馬補正がかかりすぎてて実情がわからん
幕末の一番の立役者は龍馬より勝海舟だろ。咸臨丸航海のときは別として、
大きなミスもせず、憎いくらいに情勢を正確に見越してる。
書籍でも西郷隆盛や徳川慶喜は評価が分かれるに勝海舟を叩くのはほとんどない。
886 :
名無し三等兵:2007/04/21(土) 19:51:47 ID:B25KSAmp
龍馬を竜馬って書く時点で史実と小説やマンガの区別がついていないね。
良馬って司馬の
架空の幕末キャラだとおもってたよ。
あんな都合のいい人間がいるわけがないだろ。
同名の人間がたまたまあの時代にいるだけ
ルーデルってたんなる戦場伝説だろ。
自伝で法螺吹いてるからって真に受けちゃだめだぜ
>>885 勝も日和見とか出世亡者とか自己顕示欲の塊とかいろいろ叩かれてるぞ?
>>882 一応明治になってから元見廻組の今井信郎が「私がやりました」って言ってるけどね。
ただ、自白の内容と現場の状況が一致しない点がいくつかあって、未だに真犯人は不明。
久坂玄瑞なんぞよりは使えそうな人材>龍馬
でも幕末終わったらヨーロッパかアメリカにずっと居つきそうだが
西郷だったら河井の意見を取り入れた?
榎本艦隊が新潟に開陽丸か回天を旗艦隊に何隻か派遣していれば
北越戦争時でも勝つチャンスはあった。
> 西郷だったら河井の意見を取り入れた?
北越鎮撫軍の任務は長岡と戦うことじゃなく新潟港の接収が目的
新潟港封鎖を目的に長岡に行ったのにその目的を達せずに講和するわけないだろ
勝は店じまいさせるのには最適だったが、建て直しなら小栗の方が有能のような。
連休中のレスは皆無か…
鶴岡行ってきた。破軍星旗でかいな。
899 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 04:16:27 ID:Sy27HJhp
庄内藩は近代化できたのに会津藩は
九百!!
横須賀警備 お台場警備 北方防備etc 幕府に無理させられすぎ 会津藩はお金ないプー!!
会津は藩政改革に失敗してたしなー
このスレ的に大村益次郎はどう評価する?
明治02(1869/06/27)年 新暦に直すと5月18日
函館五稜郭の榎本武揚が無条件降伏、戊辰戦争が終結。
906 :
名無し三等兵:2007/05/20(日) 17:37:36 ID:W6xzWieC
ちがう!!
会津は失敗などしておらん。
会津戦争の姿はりっぱであった!!
現代人よ、会津人をみならえ!!
大部分の現代の会津人も忘れ去ろうとしてるのに
見習うなら西郷頼母を見習うべきだな。
山形は新庄藩戸田氏の城(新庄城 最上公園)見てきた
堀は南半分以外は空堀になっとる
おそらく、南半分も今より水位あったんだろうけど狭いなぁ
対弓の堀で、鉄砲や抱え大筒で攻められたら即効で落ちそう(実際落ちたし)
総構はなんとなく町割として残ってるがわかりにくい
実際の対秋田攻略で、新庄経由で秋田内陸に最初に突入したのは庄内藩
新庄藩は政府軍出現にビビって勝手に退却 戦線に穴あけて崩壊させた
で、逆切れした庄内藩に制圧された
会津学入門 著:一牛雄司
二都物語 一部抜粋
悲惨な会津戦争とその後の受難のために、その後の会津人は、
ほとんど被害の歴史を伝えるのが精一杯で、郷土の歴史を誇りをもって
学ぶことができなかった。その中で会津戦争の意味さえ見失われていく。
後に述べるが、近年の市民の山口県萩市への迎合などは、歴史の負の
部分のみを繰り返し聞かされ、嫌気がさしていることの影響が大きい。
これなどある意味で明治新政府以来の占領政策の成果といえるが、
歴史家の責任も大きい。住民が歴史を嫌い、郷土への誇りを失っては、
がんばってここに定住しようと思う精神的基盤を奪われてしまう。
おそらくこれが若者の定住人口の社会減の一因であろう。
アド街 今夜は高幡不動 土方歳三
話題新撰組定食vs開運そば
撰組定食って何だろう… お寺で猪鍋を食べて坊さんの顰蹙を買うとか?
高幡不動の駅前にある定食屋のメニューだろ。
店主が大の新撰組ファンで店の内装から何からそれ一色。
いっぺん食いに行ったがフツーにうまかった。
新撰組ファンが池田屋ってのはツッコミどころなのかね…
日テレ ニッポン旅×旅ショー 函館ロマンチック紀行
五稜郭は?やるかな? トップは北島三郎〜 はーるばる来たぜ〜ハーコダテェェェェ
このスレ的に言うなら 箱館
五稜郭 キタ━( ´▽`)━( ´▽)━( ´)━( )━(` )━(▽` )━(´▽` )━( ´▽`)━!!!
二股のアルティスト
二股は一度見てみたい
あげ
保守
保守
保守
会津藩は偽銭つくりまくりだった。
宮城県の地図眺めてたんだが、北上川と名取川を突破されたら市街地火の海になって、青葉城しか残んないな。
仮に列藩同盟じゃなく官軍になってたら会津に白石突破されて袋だな
会津の戦力を過大評価してない?
少なくとも実戦の経験がある。仙台にはなにもない。
武器も金も経験も・・・
会津に庄内の真似なんて無理。
つーかただでさえ多過ぎる侵入路の防衛に失敗してるのに、この上北方もって…。
928 :
名無し三等兵:2007/06/27(水) 20:37:02 ID:nmZ4O6dV
爆末伝の馬並平九郎に任せろ
仮に会津とを阿武隈川と白石で遅滞させても盛岡とから来られたらどう?
海は幕海軍に石巻〜塩釜〜亘理を押さえられて仙台終了しないか?
まぁ白石に公儀府があるから白石で遅滞なんて無理だけどさ
鳥羽伏見での逆転はどうだろう?
慶喜が錦旗や官軍告知に何するものぞ、でもいいと思うけど、
その時点になると幕府歩兵2個連隊の指揮官がいずれも戦死してるのが痛い。
とりあえず指揮官は目立つ服装をやめさせて、歩兵は遮蔽物に隠れながら
じりじり前進させていけば死傷率も下がるか?
もし幕府が徹底抗戦をしかけ
その際の指揮官が小栗だったらどうなってたろうか
あの当時の幕府の海軍力は最強だったから
イカに戦いの天才の大村でも対処はむりだったろうしなぁ
>>930 いつの時代の戦争だよw
ついでに鳥羽街道見に行って来いwww
もしも小千谷の慈眼寺で、長岡藩の使者が官軍に
つかまったら?
>>933 あのなあ、慈眼寺に出向いたのは、使者どころか、
藩の執政家老で、長岡が同盟入りするやこの方面の軍事総督になった、
河井継之助、ご本人様だ。
河井が取っ捕まれば、長岡藩そのものが恭順するしかなかったろうし、
恭順しなかったとしても、北越戦争があそこまでの激戦になることはなかっただろう。
>>924 そんな兵力があるなら母成峠に回して下さい><
>>931 幕府海軍による箱根封鎖>官軍包囲殲滅作戦って定期的に出てくるけど、
論者はその時の大将を誰にする積りなんだろう。
>>931は小栗を挙げてるけど、小栗には大村みたいに軍学を学んだ経歴も
無いし、大村みたいに四境戦争で実戦指揮を執った経験も無いし、どうにも
総帥として君臨する姿が想像出来ないんだよなぁ。
矢張り此処は大鳥センセイに出張ってもらうしか。
>>936 論者もなにもその作戦を提案したのが小栗
だから指揮官はおのずともし慶喜に戦う意思があれば小栗がなってと思う
実戦経験のない人間がいきなり戦闘指揮官として軍を動かせるものなんかね?
陸軍・海軍奉行をやって、フランス軍事顧問とも
交遊もあるから腹が据わってるなら案外面白い。
ただ家格と官位・官職が総指揮を執るには足りんので、
名目上の総大将はいるかも。
>名目上の総大将はいるかも。
そこが正に幕府の滅びた原因かと。
長州藩にとってはそんなところは長州征伐で通り過ぎた場所だろうし、
やや後進的な軍制をとる薩摩藩でも、名目上の指揮官は鳥羽伏見の
戦いでの戦闘序列くらいでしか見掛けないし。
小栗が有能なら、その小栗が史記できなきゃ幕府の勝利は難しいん
じゃない? まぁ、漏れはそもそも教育を受けて居ない上に実戦も経験
してない小栗に全軍の統率が出来るかどうか懐疑的なんだけどね。
小栗が官僚として有能だったのは事実だが
将官として使い物になったかはまったくの謎だからね
相当に頭の良い人だし、合理的だから案外いけたんじゃないかとも思うが
あの我の強さが悪い方に作用するという可能性も捨てきれない
すべては後世の人々が夢想するしかないことだね
小栗について盛んに議論されてるみたいだけど、箱根要撃作戦って
確か榎本も一緒に主張してなかったか?まぁ、後世から見れば榎本も
軍人というより文官向きだけど、小栗よりはよっぽど指揮もできるだろうね。
東山道から来る部隊はどうするつもりだったんだろうか。
>>943 そういえば、東山道の官軍への対処法もすっぽり抜けてますね。
故意に考えないようにしてるのか?w
矢張り甲陽鎮撫隊を急かして、甲府城を抑えてもらうのかなぁ。
まー抑えても土佐の精鋭迅衝隊に勝てるかどうかは分からないけど。
>>941 きっと実務はフランス参謀に頼るんじゃないだろうか。
エジプト・トルコ戦争で、トルコ側にモルトケがいたみたいに。
長州戦争のときも、基本戦略はロッシュあたりの入れ知恵だったみたいだし。
>>938 好例として会津の西郷頼母という事例があります
>>944 主戦派が主導権を握ったら甲府城を基点に洋式陸軍を派遣して防衛行動取るんじゃね?
>>944 土佐藩に対しては佐幕派の山内容堂を復活させて…
薩摩藩は島津久光を…
はともかくとして幕末の政治情勢ってカオス杉。薩摩藩や土佐藩が藩主クラスが公武合体派なのに、
第二次長州戦争前後で、急速に長州に接近しちゃうし、徳川尾張藩や
慶喜のブレーンのはずの松平春嶽まで慶喜の下から去ってしまった。
今で言えば、対テロ戦争が長期化して終わりが見えない中、EUが突如イスラム側に味方するようなもの。
何で急に慶喜の周辺が分裂しだしたんだろう。
ヒント: 二心公
結局小栗云々いってるのはただのミーハーなんだよな。
ガチの佐幕派なら先ず小笠原長行のクーデター辺りから歴史を作り替えねば。
島津斉彬があと5〜10年長生きしてたら…
上洛で薩摩藩軍壊滅になっていたか、幕政改革で幕府存続か
やっぱり倒幕→新政府になったのか…
井伊直弼が大老になるようじゃダメだな。
斉彬が生きてたら西郷さ
遠慮しすぎて結局後手に回りそう
所詮殿様だしそんなに期待しても・・・・
保守 じすれは?
徳川慶喜が14代将軍になっていたら?
よくさあ、阿波沖海戦が日本最初の近代海戦とかいうけど、
まともな戦闘と言うと、長州艦隊が米艦隊に壊滅させられたのが最初じゃないのか?
保守
保守
保守age
つか、保守より次スレの方が必要なんじゃ
このペースで次スレ立てても、すぐに落ちるし。
それに、保守ばかりで書き込み続かないようなスレなら、無理して次スレ立てなくてもよい。
965 :
名無し三等兵:2007/08/01(水) 21:49:26 ID:HNNfGFwC
幕末の戦争総合スレ(ペリー来航より後から箱館戦争まで)でも、
過疎って落ちるかな?
>965 それなら幕末・明冶初期総合スレにして、大塩平八郎か高島秋帆あたりから秩父事件までまとめて扱った方がよくないか?
話がまとまったら立てるよ
西南戦争まれれしょ
>>966 幕末・明冶初期総合スレ(大塩平八郎から西南戦争まで)で良いと思う。
秩父事件は明治でも中期ぐらいだと思うし。西南戦争までが明治初期だと思う。
コンビニの廉価コミック 幕末〜〜〜 ぶんか社 400円
竜馬、西郷、伊藤、新選組のトンデモ考察
西南戦争が明治十年 秩父事件が明治十七年。どう評価するか意見が分かれるとこかもな。
(幕末維新動乱を戦後の反政府闘争に見立てて、西南戦争をあさま山荘とすると、秩父事件が成田闘争に相当すると思うんだ。質的変革を重視すべきか否か)
972 :
名無し三等兵:2007/08/05(日) 23:00:35 ID:tatkPMAY
血税一揆や打ち毀し、えた・ひにんに依る一揆なども話しておk?
秩父事件=成田闘争
成田闘争に失礼
僅か3日で終わった上に日本史になんら影響を与えていない
秩父事件を一大闘争とするなら彼らが目標とした一大事件「武州一揆」の方が
重大だと思うが?
秩父事件=あさま山荘
西南戦争=安保闘争
だろ
成田闘争も秩父事件もどっちもたいしたことねーよ
その両者から何が生まれたよ?
反対のための反対しか生まれてないだろうが
成田闘争も秩父事件 その両者から何が生まれたか?
そう、目立った成果は無く敗北に終わった闘争という意味からは、何も生まれなかったと言える。
しかし、闘争/事件として広く知られた結果、記憶としては消せなくなり、更に先の世代が別の形で再試行する。
その積み重ねが人類の辿って来た途、即ち歴史なのさw
最早、忘れ去られているがな
忘れる事は人間の偉大な才能のひとつだが、想い出す事もまた然り。
キミの孫あたりに「爺ちゃん、成田闘争ってな〜に」と聞かれる事もあるだろう。
そんな時に いい加減な事を答えちゃうと、お年玉でしか評価されない爺さんに認定されちまうぞw
成田闘争の評価か
地域の同意って大切だね、くらいしかないんじゃない?
開拓農家が怒ったのはよく分かるし政府の説明も足りなかった
だが、反対運動に学生運動の連中入れてしまってせいで
農家も政府も両方不幸になったよね
>>977 何でも可能性だけはあるな。
すごく低いけど。
いい加減な事を答えないで、調べる又は知らないと言うオプションもあると思うがねw
スレ違いの話題の方が盛り上がってるなぁw
次スレは要らないんじゃない?
981 :
名無し三等兵:
んじゃ、とっとこ釜次郎が埋め立て開始してあげるよw
うりゃ〜 ( ノ・ω・)ノ~┣・∵. 。