1 :
名無し三等兵:
基本的に三国志・戦国板での話題だが
軍事板で陣形、戦術、戦略について語ってみないか?
2 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:19:18 ID:???
2なら柏原芳恵とセックスできる。
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そして俺様の遺伝子で柏原芳恵が孕んでくれる!
3 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:19:42 ID:???
ちょい良スレの悪寒
4 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:21:33 ID:???
確かに柏原芳恵を語るのは良い。
5 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:23:20 ID:???
「西軍が勝つ!」
6 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:27:40 ID:WR7WwBsB
語りつくされてるだろ
7 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:28:21 ID:???
>>1 今も昔もこの手に詳しい椰子は軍板にいないんだよね・・・・・・
まぁ頑張れ
8 :
す〜さん:2005/12/10(土) 12:30:22 ID:???
なんか日本史板やないか〜
9 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:41:15 ID:???
軍事史なら日本史板より世界史板のそれ系のスレを読んだ方がいいよ。
10 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 12:47:29 ID:???
11 :
10:2005/12/10(土) 12:54:14 ID:???
吉川や小早川を弱体な同盟軍とみなすと
スターリングラードの枢軸国同盟軍の配置が近いのかな。
12 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 13:08:28 ID:???
>>10 こうして見ると面白ね。西軍の構想としては、隘路口で東軍の主力を拘束。
翼側と後背を小早川と吉川が突いて半包囲下において殲滅するというものだろう
けど、戦前から小早川と吉川は両方とも家康の魔の手が伸びてたんだよなあw
スレッジとハンマーのうちハンマーが敵方に寝返るというのがまた。
ふと思ったけど、小早川が松尾山に部署されなかったらどうなんだろうね。
逆に言うと、何で三成は毛利系の部隊にこの作戦構想の最重要部分を担わせ
たんだろうか?松尾山に布陣したのが宇喜田勢とかだったら東軍終わってたな。
13 :
10:2005/12/10(土) 13:37:11 ID:???
小早川が入ったのが前日の9月14日ですね。
別冊歴史読本
戦況図解関ヶ原大決戦 p76
「三成は、小早川秀秋の老臣平岡勝頼の約束をとりつけたあと、
山中村に布陣していた大谷吉継を訪ね、最終的に合戦の手はずを
決め」
とあります。
松尾山には豊臣秀頼か毛利輝元が入る予定であったが二人とも出陣
しないので小早川秀秋となったという説なんか聞きますね。
結局のところ毛利勢が頼りなので、それ相応の位置に陣取ってもらわないと
いけなかったのか。
毛利家の軍事を掌っている吉川家の要望で動いたのか。
14 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 13:55:49 ID:???
> 松尾山には豊臣秀頼か毛利輝元が入る予定であったが二人とも出陣
>しないので小早川秀秋となったという説なんか聞きますね。
へー興味深いですね。やっぱりここは最重要の部署ということですよね。西軍総大将か豊臣家の
棟梁が布陣するはずだったというのは。毛利輝元は大坂城に引きこもって動かないし
毛利系に対して三成が疑念を抱かなかったということはないんだろうけど、石田の
ような小身代と大毛利とでは政治力が違ったということですかね。
胡散臭い連中は前線で無理やりにでも東軍と戦闘させるように強要する方がいいん
だろうけど。小早川と吉川の位置に宇喜田か大谷が居れば戦闘の流れも変わったでしょうな。
15 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 20:39:17 ID:???
松尾山城に入っていた大垣城主の伊藤を小早川が無理矢理城を奪い取って陣取った説の方が有力だろ
16 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 21:01:17 ID:iZlQabDz
>平岡勝頼
これは平岡頼勝じゃないのかね。
>15
その説、江戸幕府の大老が寛政年間に編んだ本がベースなんだけどねえ。
江戸中期の幕府側の記録を鵜呑みにするのもどうかと思うよ。
17 :
名無し三等兵:2005/12/10(土) 21:11:18 ID:???
家康の手紙の数と三成の不人気
18 :
名無し二等兵 :2005/12/10(土) 23:35:25 ID:???
>>17 正直、俺も三成に味方したいとは思わない(w
19 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 00:00:27 ID:???
三成は他人を信用しすぎなんだよな
そのくせ顔に出るタイプだから
信用は長続きしない
家康は疑り深い割りにタヌキ
信用していない人間にも餌は撒く
20 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 01:01:39 ID:???
しっかし吉川広家は馬鹿だな。
寝返った挙句に結局主家を中国の覇者から
ただの地方大名に貶めてしまって。
それどころか危うく断絶させられそうになったんだから。
小賢しい事せず全軍を挙げて東軍の後背を突いてたら
東軍壊滅の勲功第一は間違いなく毛利家のものになって
戦後の論功行賞で毛利家の地位は不動のものになってただろうに。
しかも三成が運営する豊臣政権じゃその毛利家を
目障りだからと討つのもほぼ不可能だったろうしな。
21 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 01:04:06 ID:GliDoNU7
ちょwwかなり良スレ化してるじゃねーかwww
22 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 01:10:40 ID:???
こう図と時間で追うと島津の逃げっぷりスゴス
23 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 06:34:05 ID:eRfGzHQi
>>10 戦国鉄砲隊オモシロスw
弓を鉄砲で相殺出来るww
24 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 06:43:43 ID:???
大谷吉継の自刃の様を関ケ原ランドで見たときに、彼のファンになった。
25 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 10:19:40 ID:???
島津は関ヶ原前に騒動あって、金なかったし、西軍なんて武器・弾薬・兵糧は特定の将以外はセルフだしな・・・
26 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 11:23:03 ID:???
秀頼がせめて10年早く生まれてりゃ
無理やりでも関が原までつれてきて
総大将に出来たかもしれんのにね〜。
そうなりゃ西軍につく武将かなり増えたでしょ。
27 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 11:40:04 ID:???
大谷吉継は秀吉から100万の兵を率いさせてみたい、
と言わしめるほど寵愛されてた名将。
5万石じゃなくて50万石くらい所領があれば・・・
というかハンセン病に患わなければ
五奉行にもなれただろうから
三成のサポートをもっと上手く出来ただろうに。
28 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 15:36:20 ID:???
なにこの良スレ
というか住民がレベル高いな
29 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 20:33:47 ID:???
>20
おかげで明治維新。
おかげで昭和20年の国難。
30 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 20:58:57 ID:???
>>29 どっちにしろ維新はあったと思うけど。
徳川にしろ豊臣にしろ統治方式、特に外交政策はほとんど同じだから。
1867年の時点で社会に大差ないんじゃないかな。
農民の子弟でも字が読めるような社会になってて
維新を成し遂げるだけの人材が揃ってると思う。
31 :
名無し二等兵 :2005/12/11(日) 23:35:09 ID:???
>>20 でもその当時は内府が律儀者と思われていて(実は違ったが)
三成は権柄ずくでやなやつだった・・・
吉川が判断を誤ったのもしかたなかろう・・・
32 :
名無し三等兵:2005/12/11(日) 23:46:55 ID:???
>>31 それは徳川幕府の歴史史観でしょ。
そんな狭量で横柄な屑野郎が島左近や大谷吉継が
命捨ててまで尽くすわけないし。
まぁ、内府殿の方が遥かに器量が上だったのは当然だけど。
何しろ自分の主君たる秀吉と互角だったんだから
どだい三成が対抗するのは無理な話だったんだろうけどね。
それでも、毛利輝元がもう少ししっかりしてるか前田利家がもう少し長生きしてくれるか
前田利長が親父の1/10でもいいから覇気と忠義があればな。
戦場に限定したなら勝てた話だけに勿体無いとしか言いようがない。
33 :
名無し二等兵 :2005/12/11(日) 23:59:47 ID:???
>>32 >狭量で横柄な屑野郎
誰にでもって訳ではないでしょ(w
好きな人間には誰だって目をかける。
家康がすごいのは使える人間に目をかけるってとこかな(w
讒言の三成(どこまで本当の讒言かはわからないし、告げ口された人にとっては正当な報告も讒言にみえるし)
そのとき讒言された者を助けた家康という構図があるし(w
前田利家は見抜いていたけど、息子にそこまで要求するのは酷だね。覇気だけでどうにかなるものでもないし。
>戦場に限定したなら勝てた
と言われているが関が原以外でも圧倒的に徳川方多い。
34 :
名無し三等兵:2005/12/12(月) 00:08:26 ID:???
>>33 まぁ三成が包容力のある人間だとはとても思えないけど、
ちょっと自分に正直すぎた感じはするな。
大谷吉継と立場が逆ならな〜。
あと、関が原以外じゃ徳川方多いと言っても
要所要所の大大名はほぼ豊臣方だし
そもそも東軍についてはいても加藤や福島みたいに
徳川幕府を作りたいと思って東軍についてたわけじゃないのもいるし。
関が原で家康が負けて討ち死に、そうでなくても敗走してれば
西軍側につくものが続出するんじゃないの。
35 :
名無し二等兵 :2005/12/12(月) 00:21:06 ID:???
>>34 >大谷吉継
彼こそ大人物。謀議の折、三成に説教しているが、三成はそのとうりにはしなかったね。
>関が原で家康が負けて討ち死に、そうでなくても敗走してれば
>西軍側につくものが続出するんじゃないの。
そうとばかりは言えないと思う。
家康は子供が多かった(養子含む)のであちこちの有力大名(真田家にまで)
婿、嫁を出しまくった。関が原敗走だけって訳にはいかない。
三成とは有力な縁故関係もないし、ということは寝返っても保証が無い。
書状でもあれば別だが三成書状をあんまり出してないみたいだし
(隠した者もいるだろうが、三成自身に所領の決定権がない)
36 :
名無し三等兵:2005/12/12(月) 00:34:25 ID:???
>>35 >三成自身に所領の決定権がない
そうなんだよね。
そもそも名目上は三成は総大将ですらないし。
毛利にしろ前田にしろ、秀頼の後見人として
大阪城に居座って睨みきかせてりゃ堂々と天下に号令できたものを・・・。
家康さえ倒せば後は秀頼に自分の孫なりなんなりを
嫁がせる事だって可能だったろうに。
みすみす絶好の機会を逃してるよ。
あと徳川家は、結城秀康を懐柔できなかったものかね。
そうすれば例えば関が原で決着つかなかったとしても
家康は帰る場所なくなっただろうに。
37 :
名無し二等兵 :2005/12/12(月) 00:42:26 ID:???
>>36 >みすみす絶好の機会を逃してるよ。
この辺は時代というか運命というか、家康の戦歴や振る舞いと
毛利輝元と前田利長の未熟さがどうにもならないものを感じる。
>結城秀康を懐柔
結城秀康は秀頼贔屓だったからね。
大坂の陣の前の言動は気になる。
でも実父は撃てないと思う。
38 :
名無し三等兵:2005/12/12(月) 08:48:37 ID:???
三成はツンデレ
39 :
名無し三等兵:2005/12/12(月) 23:57:36 ID:???
蒲生氏郷が生きていればな〜。
・・・豊臣家にとっての毒になったかもしれないけど
あんなのと上杉家が関東囲んでたらうかうかと兵を
あげるわけにもいかなかっただろうに。
江戸の真横には佐竹もいるし。
後小早川隆景とかももう少し長生きしてくれたら・・・。
てか西軍はこんなんばっかりw
鳴くまで待つ相手には勝てないな〜。
40 :
名無し二等兵 :2005/12/12(月) 23:59:52 ID:???
>>39 そうだね。家康は良く耐えた。頑張った(w
そして長生きだった(w
41 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 01:03:39 ID:ZXpxznc2
ちょっと軍事板からずれてないか?
陣形とか、ここに部隊を配置すべきだったとかを考察するスレだと思うのだが
ちょっと自己中なレスでスマソ。気悪くさせるつもりはない。
42 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 01:05:34 ID:???
>>41 ををスマンかった。ちょっとヒマだったんでね。
ぶっちゃけ三成はあんな中途半端なところでなく自分の居城まで下がっていればよかった(w
43 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 01:08:43 ID:???
この時代に精通してる軍事通ってなんかかっけぇよな
44 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 01:41:33 ID:???
三成が合戦下手という噂も東軍有利に繋がったとも聞いたことがある。
実際は数で勝る東軍相手に一度は家康のところまで後一歩ってところまで詰め寄ったとか…
資料が手元に無くて自信ないけど、そんな内容の本を読んで三成がちょっと好きになったよ。
それまで三成って虎の衣をかる狐ってイメージだったけどね。
45 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 02:03:35 ID:???
>>44 いや、戦略政略ともに及ばず、戦闘でもイマイチなのが事実で・・・
政略面で毛利を担つぐことができたのが唯一の(w
46 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 02:06:49 ID:???
例えばの話だが関が原で三成は戦う必要があったのだろうか?真田や上杉
には悪いが10万の兵を率いたまま大阪に東軍を誘導しながら引けば大阪方
も家康を逆賊認定して戦わざるを得ないだろう。そうすれば福島や加藤は動
けないし、小早川も裏切れなかったと思うのだがどうだろう。
47 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 02:09:37 ID:???
>>46 自分の居城佐和山に篭ればそう簡単には落ちないだろうしね。
ただ刈田されるのが嫌だったのだろう。
48 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 03:02:10 ID:???
小早川秀秋も三成レポートの犠牲者?だからね
朝鮮出兵時に総大将自ら、先陣をきり敵兵16名を討ち取るが
三成は「将の資質に欠ける」と報告(総大将が突撃するとは何事か)
秀秋は秀吉に総大将を解任されあわや改易される所を家康が助けている。
49 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 09:50:58 ID:???
>>46 大坂に東西両軍の大軍を引き入れるのは豊臣家が認めないだろう。
豊臣家の立場はあくまで臣下間の私戦なんだから。
何故に関が原か?というのは面白い視点だね。西軍の戦略レベルでの構想
というのは、上杉討伐に向かった徳川の背後で三成が挙兵することで、奥州
と上方で壮大な挟撃体制を構築するというものだよね。ところが、上杉は最上
と伊達にてこずって関東に兵を入れることも出来ない。
西軍は真田が徳川勢の主力部隊を拘束してたわけで、これが東軍と合流する前に決戦
を強要したいところじゃないのかな。真田勢は小勢に過ぎないわけで、そうなると時間との
戦いでもある。西軍にしてみれば幸い木曽路が荒れていて秀忠軍は結局関が原に間に
合わなかったね。東軍が合流する前に各個撃破する。そのタイミングとして関が原は悪くない
と思うが。西軍の戦術レベルでの布陣も完璧に近かったわけだし。
50 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 10:04:33 ID:???
>>47 個人的に篭城策というのは厳しいと思う。理由は上述の通り、徳川方の主力
部隊が東軍に合流する前に決戦を強要して各個撃破するための時間的、空間的な
問題。
防御は有効な戦術的な手段ではあるけど、敵野戦軍を殲滅するためにはどこかで
決戦を強要しなければならない。攻勢転移、機動打撃の伴わない防御ではその目的を
達せられない。篭城で敵を拘束しても、最終的には別働隊をもって打撃するか、攻勢転移
しなければならないわけで。
であれば、敵が分散してるタイミングで野戦を挑むというのは合理的な判断だと思う
けど、どうだろうか?
51 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 11:14:24 ID:???
>>48 >三成レポートの犠牲者
うまい言葉だね。俺も使ってしまおう(w
>>49 三成が美濃、尾張を攻略する前に東軍が戻ってきた時点で三成の戦略は破綻していた。
本来の戦略では大坂、伊勢路の毛利軍と合流後に戦いたかった訳で・・・
>>50 言葉が足りなかったみたい。
篭城するのはあくまで石田勢だけで、宇喜多、大谷、小西らは
大津城攻略後の立花らと合流し、
大津〜佐和山間の狭い地積での戦闘を目的とする。
そのための時間を稼ぐための篭城なのです。
52 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:27:00 ID:???
石田が篭城しても意味なくない?
たぶんしないだろうし
挟撃もそうだが家康から見れば
それをできないようにしてからの野戦
石田篭城なら別のタイミングを引きずりだすだろう
53 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:41:55 ID:???
>>51 > 本来の戦略では大坂、伊勢路の毛利軍と合流後に戦いたかった訳で・・・
なるほど。こうなると分散と集中、時間と空間のリスクをどこで取るかという
問題ですね。そして三成は彼我の戦力、地積を勘案して関が原を戦場として
選択した。別の可能性の追求として、
> 大津〜佐和山間の狭い地積での戦闘を目的とする
この作戦があると。ただ時間が経過すると東軍の集中する可能性も高まりますが。
西軍というか、三成が速戦に動いた背景としては一般的にどういう理由があるん
でしょうか。
三成レポートで脛に傷のある三成は時間をかけることで家康に西軍を切り崩される
のを恐れたとかw
54 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:45:49 ID:???
14日東軍評定
「佐和山を抜き、その勢いで大阪城を」はどうだろうか?
55 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:57:28 ID:???
岐阜〜大垣を防衛ライン
伊勢方面侵攻軍が背後を突く
56 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 11:58:27 ID:???
>>52 佐和山城を失うと三成の近江への支配力が弱まってしまう。さすがにそれはマズイ。
57 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:58:30 ID:???
岐阜城は誰?
58 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 11:59:31 ID:???
佐和山で持久し東軍を拘束しつつ伊勢方面、大坂方面から別働隊が包囲、打撃
を狙うというのも魅力的なプランに思えます。一方で兵力を分散させるリスクも
ありますね。家康が各個撃破を狙って動いたりしたら萌え死ぬかもしれませんw
59 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:04:40 ID:???
三成はエリートで潔癖過ぎたな、家康は何度も辛酸を舐めたので人をよく見てたと思う。
ついでに一つ
三成の拠城佐和山城が東軍によって落城した際
東軍の兵は秀吉の寵児三成の拠城ということで
名宝や珍品を求めて城をくまなく探したが
城は質素なものでなにもなかったそうな。
60 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:05:41 ID:???
東軍が佐和山に食らいつかなきゃどうなる?
61 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:10:32 ID:???
三成「見せしめに人質を5、6人殺せ」
家康「味方になれないなら中立でいろ」
62 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 12:13:13 ID:???
>>60 佐和山を左翼の軸とし多賀あたりまで宇喜多、立花、大谷、小西らで陣を敷く。
63 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:13:29 ID:???
三成の防衛ラインの大津城で京極さんが籠城してるのもかなり痛い。
64 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 12:14:40 ID:???
>>61 この辺がヤツのうまいところなんだなぁ。
中立のほとんどがただじゃすまなかったが(w
65 :
名無し二等兵 :2005/12/13(火) 12:15:32 ID:???
66 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:19:00 ID:???
家康が何言っても加藤や福島は三成めがけて突撃していきそうだがw
67 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 12:19:47 ID:???
なにげに来年の大河は関ヶ原大名山内一豊だから結構タイムリーなスレだな。
68 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 13:21:41 ID:???
遅れてはならじと一豊に同意
東海道筋の城を兵糧ともども家康に進上するにあたる
福島正則の清洲城には秀吉からあずかった軍用米30万石が備蓄されていた
福島は躊躇なくその30万石を献上
対する西軍は・・・
69 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 13:25:56 ID:???
東軍、赤坂で止まってるがな
攻めんの?
70 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 13:52:39 ID:???
一豊は真っ先に兵糧と人質を差し出し家康に二心ないのを証明した。
これがきっかけで東軍(特に豊臣恩顧の大名)は家康に忠誠を誓った
一豊のアクションは福島以上に東軍各将に影響を与えてるな。
家康が関ヶ原で早期に前線に出られたのも背
後の一豊が桃配山の毛利を抑えたのが大きい。
71 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 13:58:40 ID:???
一豊が一番の罪人だってことか
72 :
10:2005/12/13(火) 15:32:58 ID:???
福島が一番影響与えたと思うけど。
豊臣から何十万石かの兵量の取り扱いの許可を得て尾張の居城に
溜め込んでいたから。
急いで尾張に行ったのもそれらを取られないようにするため。
それに東軍の武将たちは主力がみんな東海道や甲信越に居城があったから
兵糧とか宿泊という観点からは一豊に依存してない。
豊臣から与えられていた数十万石の兵糧を提供した福島に比べると
やはり一豊は少し落ちる。
>>10 ここを見てもらえれば解ると思うけど
関ヶ原では抑えたのは一豊ではなく池田輝政だよ。
後で姫路宰相と呼ばれた。
大河ドラマでは70氏言うような活躍するかもしれないが。(多分そうなる)
73 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 16:13:02 ID:???
一豊は東海道衆の一人に過ぎないからな
毛利の抑えも位置数から言っても浅野池田が主役
ま、他の諸侯と比べれば大活躍した感は低いが一応来年主役だからな
74 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 17:14:27 ID:???
司馬遼太郎の原作だっけ?原作ではどうなんだろう。
75 :
名無し三等兵:2005/12/13(火) 23:01:49 ID:???
いっそ足利尊氏みたいに
九州まで退けばよかったんだYO
76 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 00:03:16 ID:???
>>74 原作では関が原本戦の扱いは殆んど無いよ。
西が挙兵すれば直ちに駈け戻り、秀忠も待たずに決戦を挑むアタリ戦場での動きは徳川方が何枚も上。
西軍は会議ばかりに時間をかけて結局グダグダのまま本番突入のイベント会社みたいだ。
戦場では見敵必戦の精神が正しいのかも、
77 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 00:12:53 ID:???
>>76 無茶言うなよ。
三成が150万石くらいの石高もってて
5大老の1人なら会議ばかりに時間かけて
グダグダなんてしなかっただろ。
78 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 00:42:40 ID:???
オレが当時10万石くらいの大名でいたらなぁ…
79 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 02:18:48 ID:???
やっぱり秀頼に出馬願ってもらうしかあるまい。
三成は大将より参謀だと思う(兵站担当なら一流)
仮に西軍が勝っても政権担当能力は疑問が残る。
クロカン(黒田如水)あたりが第2次関ヶ原を起こす悪寒・・・
80 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 04:58:09 ID:???
徳永寿昌が大須城を攻略してしまっているのは三成側にとっては痛いところだね。
これで、揖斐川を使った水運が閉ざされてしまっている。
この大須城ってのは濃尾伊勢の国境で伊勢−大垣を結ぶ連絡線の中間だったりする。
その上で、関が原に小早川なんて潜在的な敵性勢力に居座られ、しかも東軍主力が
進出したら西軍首脳が戦略的に包囲された形になってしまう。これでは後詰決戦は
望めない。
三成が大垣での持久策を諦めざる得なかった要因の一つになるんじゃなかろうか?
81 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 16:26:45 ID:3VfXPKfw
あげ
82 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 17:44:52 ID:???
10を見てるが、
島津はとんでもないことをしたんだなあ、と再び思う
83 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 20:36:47 ID:???
他の西軍部隊が退却してくなか島津は突撃してくからなw
84 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 22:03:39 ID:???
失敗してたらどう評価されただろう?
85 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 22:32:59 ID:???
失敗したら単に全滅した部隊の一つとして
扱われて誰も気にしないだろ。
86 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 22:56:02 ID:???
>84
もの凄い忠義者って感じじゃね?
島津は、14日も結構怖い位置にいると思う。
87 :
名無し二等兵 :2005/12/14(水) 22:58:40 ID:???
軍事的には島津隊は壊滅と判定される(w
88 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 23:16:25 ID:???
下手したら愚将扱いか?
89 :
名無し三等兵:2005/12/14(水) 23:36:46 ID:???
全滅するにしても壮絶な戦いしたのは
間違いないだろうから大谷隊と並び称されるんじゃね。
90 :
名無し二等兵 :2005/12/14(水) 23:49:00 ID:???
>>88 正直そのとうり(w
>>89 大谷隊とはやったことが全く異なるねぇ(w
大谷隊は側面からの奇襲攻撃を全力で受け止めて戦線崩壊を阻止しようとして、壊滅した。
意義が違う。
91 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 00:16:50 ID:9vmcS/1h
明治にメッケル少佐は関ヶ原の陣形を見て即座に「西軍の勝ち!」と
言ったそうだが、陸軍の参謀将校から会戦の経緯を説明した後
「なるほどそれは政略の問題で軍事的には勝つ」と付け加えたらしい。
この辺のエピソードは他にありませんか?メッケルと参謀達は演習旅行で
関ヶ原とか通ったのかな?
92 :
名無し二等兵 :2005/12/15(木) 00:20:23 ID:???
>>91 どの本だか忘れちゃったけど、メッケル少佐の「西軍の勝ち!」発言について、
メッケル少佐ほどの人がそんな軽率な「結論」は出さないだろうという記述があった。
93 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 01:22:13 ID:???
メッケルのエピソードを見っけるのは大変だろ
94 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 01:28:48 ID:???
>>92 多分その逸話が人工に膾炙したのは司馬遼太郎の影響だと思うんだけど、出典は
何だろうね。メッケル関係の書籍をそれこそ司馬並みに渉猟しないと見つからんような。
95 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 01:35:34 ID:rEUAlN8g
96 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 01:39:49 ID:???
>>93 すまん95が指摘するまで気付かなかったw
97 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 01:59:33 ID:???
>>92 軽率って、単にあの戦場の配置だけ見て
「どちらが勝つと思いますか?」と聞かれて「西軍」
って答えても軽率でもなんでもないだろ。
98 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 04:02:28 ID:???
布陣図を見れば見るほど西軍の勝ちは動かなくなるもんな。
裏切りがなけりゃ東軍は包囲殲滅されたんじゃないか?
99 :
名無し三等兵:2005/12/15(木) 07:00:34 ID:???
西軍の指揮・命令系統が一本化した近代軍だとそういう結果になっただろう
けど、東軍の大名家が負けたら潰される事確実な連中ばかりなのに対して、西軍
は三成の同僚だったり、とりあえず三成が豊臣家を背負ってるから従ってる連中
ばかり。だから家康として敵が包囲殲滅を狙ってると言うよりやる気の無い奴は
山に篭って動かないと遊兵と考えたのではないだろうか?だから三成・宇喜田など
を倒せば勝てると考えて布陣したと思う。
100げとー
ま、布陣だけ見てもあの時代の背景はわからんからな
「裏切りがなけりゃ勝ち」でも
東軍、家康にしてみれば
裏切り、もしくは動かないという状態でこそのあの布陣だったわけで
まさしく政略時点での失敗が
不完全な作戦に繋がる例だね
もっともそのはるか前に大敗に繋がる要素が多々あるわけだが
三成に政略はとても無理だろう。
軍事官僚としてなら東条の代わりは十分務まると思うが
豊臣グループ本社の社長室長
2代目社長のために取られたシェアを回復しようと自ら新ブランド立ち上げ
対するは老舗の徳川グループ
先代からの得意先はいい返事を返してくれ包囲網も完成
いざ全面対決の時!
104 :
名無し三等兵:2005/12/17(土) 14:18:09 ID:PDtHJdd1
age
105 :
名無し三等兵:2005/12/17(土) 14:32:07 ID:m9JnkNiS
>>103 昔、堺屋太一がそんな小説書いてなかったか?
多分ジャスコがモデルだと思うが。
そういや岡田パパはいかにも家康風だったな。
おしんのスーパーたのくらがジャスコに・・・・。
石田三成はともかく長束、暗黒寺とかは死に物狂いで
戦うしかないはずなのになんで傍観してたんだろうね?
心理がきになる。
福島って結局豊臣を売ったとみていいのかね?
光成憎しというのは、世間的に流した大義名分ってことで
1600年まではまだ豊臣政権下での争いみたいな感じだから売った積もりはないんじゃないかな
比較的やる気のあった立花や超曾壁、鍋島を選考して大垣に置いていればなぁ
>>107 元々文官だからね。戦働きできる人達じゃないし、部下もついてかない。
兵力も少ない。戦場までついていくだけでも立派なもん。
>111
勝つた時の為だろうな。
戦場にいなけりゃ分け前も貰えないし・・。
安国寺を暗黒寺って書くと、なんかの邪神教みたいだな。
岐阜が落ちた時点で電光石火で大阪に退却すればよかったんだよ。
大阪で輝元VS家康の直接対峙の状況で持久戦やれば秀頼を擁立できる西に有利なはず
尾張・美濃・近江・伊勢の兵糧を大阪に集めて家康を挑発しながら大阪に
退けば東軍は勝手に自壊した気がする。家康も主力は上田に捕まってて自前
の兵力は少ないんだよな。一度士気が落ちたら東軍にも弱味はいくらでも
あったと思う。
大阪に篭城するのはいいアイデアだけど、問題は秀頼の取り巻き連中がそれを許した
かだよね〜。秀頼の取り巻き連中は、どちらが勝ってもいいように振舞おうと考えていた
だろうから。
ってか、戦勝から最大限の成果を引き出した家康の政略は、戦前のそれ以上にスゴイ
かもしんない。鎌倉幕府の執権や内管領みたいに、豊臣家の機関化・名目化で終わり
、徳川家による安定政権の樹立には結びつかなかった可能性もあるわけだし。
淀が大阪決戦なんて許すはずなかんべ。
結局は、秀頼一味の読みが甘かったんだわな。
家中の内紛っていう名目を利用されて、天下人から65万石の並大名に転落
しちゃってる豊臣家ハゲワロス
だって淀殿が全部取り仕切ってたからね。
古今東西側室が権力握って良かった試しがない。
秀吉は弟は先に死ぬし無二の親友の前田利家も
秀吉よりは若いのに後を追うように死んでしまうし。
どっちかでいいから家康と同じだけ生きてたら
良かったんだけどね〜。
もしくはねねが子供生んでれば・・・
秀吉が実子に拘らず後継者を競わせて指名するようなシステムを
晩年に引いていたらこんなことにはならなかったんだろうけど。
秀次、秀秋、秀康、秀家を重要ポストに据えて5年くらいかけて結果を鑑みて判断する。
幾らなんでも秀康はないだろ。
でも秀康が実子なら何の問題もなく
政権維持できただろうな。
その中じゃ一番有能そうだしね。
秀吉からも好かれてたし、能力も申し分ないし、
一族の誰かを嫁にして跡継ぎにさせりゃ良かったんだよ。
秀頼の事も自分の家族みたいに案じてたし
自分が関白になったとしても秀頼に関白の地位譲っただろうに。
もし秀頼が生まれなかったとしても秀吉の後継者として
一番秀吉の信条を受け継いでるし相応しかったと思う。
家康の石高をあのまま許した次点でアウトだろ、奥州平定が済んだ時点で因縁付けて
力を削がなきゃ、豊臣政権に安泰の二文字は無いだろ。
作り上げた対抗馬の前田家とはダンチの差だしなぁ。
小牧・長久手の戦いで勝ってたらな。
あれで家康を力攻めするのは得策じゃないと判断したんだろ。
実際あの時点ではそれで正解だったんだけど。
朝鮮出兵のときに徳川にも5万くらい兵を出させて疲労させとけば
秀頼が生まれなければな・・・
秀頼てほんまに太閤殿下の子かいな。
実子かどうかは別にして豊臣政権維持したければ、三成の暴走を止めるべき
だったな。家康が寿命で死ねば豊臣政権維持の目もあったかも。
>>119 北政所を抱きこんだ家康はうまかったな。
家康って自分が凡庸なのを知ってる。
だから先人のいい所を真似して悪い所を徹底してやらない。
権力闘争に尾張閥と近江閥、性質と側室の争いが加わればどのみち豊臣政権は誰かに倒されて太郎ね。
132 :
名無し三等兵:2005/12/27(火) 20:55:22 ID:vb1UdRsZ
>>128 荻野式だと秀頼受胎日にはぎりぎり大阪にはいる(当時は朝鮮出兵で名護屋着陣中)。
ただ秀吉自身が嫌っていた貧弱な体に醜分な顔が秀頼には見られなかった
133 :
携帯厨でつ:2005/12/27(火) 21:03:45 ID:qBRGhxkJ
岐阜城が落とされた時点で西軍の負けは、ほぼ決定的だったと思ふ。
あと、三成の人徳の無さかな?
加藤、福島、黒田、藤堂、池田、細川、浅野…等、秀吉恩顧の大名は、三成が豊臣家を我が物顔にするのが我慢ならんかったみたいだしね。
そこに漬け込んだ家康の作戦勝ちかな?
歴史学的には、生物学的に秀頼が秀吉の子であるか否かは
たいした問題にならないとか聞いた。
>>133 大垣中心に展開するなら石田・大谷勢だけでも岐阜まで進出して篭城。
宇喜田秀家、毛利秀元あと元康は合流して岐阜周辺の東軍を駆逐ってのは駄目かな?
漏れ考えたんだけど、小早川裏切りの時点で、敗北確実なんだから、
東山道から佐和山城まで、遅滞を繰り返しつつ撤収できなかったんだろうか?
もう数時間粘れば、夜になり、おのずと追撃も終了。
そのまま残兵を収容しつつ佐和山城で、大垣包囲部隊と合流。
できれば長宗我部や毛利西軍派と合流すれば、
もう一戦くらいはできたはず。
戦場心理として総崩れの状態だからね、
統制の取れた撤退は無理
その通り、家康と三成では役者が違う
小賢しい茶坊主が敵う相手では無い
戦国の世では人心掌握が立身出世の鍵
その最たる秀吉に師事された懐刀がこれでは
三成もあの世で太閤に顔向け出来ないだろう。
関が原から撤収した時点で石田、宇喜田、大谷、小西はもう軍の体をなしていなかったから、、
大津の毛利、立花と合流できてればどこかでもう一戦できていたかも
140 :
携帯厨でつ:2005/12/28(水) 21:23:03 ID:6zPc/dh8
>>135 私が三成本人か、総参謀的な立場だったら
岐阜落城前に石田、大谷勢が籠城して、宇喜多、小西…等は大垣近辺で待機、
毛利勢は伊勢を掃討しつつ背後から清洲に迫る。
当時、犬山城は誰の所領だったんだろ?(汗)
まぁ…西軍が犬山、小牧も押さえていれば、東軍は戦力を分散させるか、各個撃破してくか、どちらかの戦法しか無いはずだから
城攻めに手間取ってる間に背後から襲い掛かって少しは西軍に勝ち目もあったはず。
戦況が西軍有利に動いてたら小早川も裏切らなかった可能性もあったかな?
中山道を上ってくる秀忠の軍勢を押さえる為に、苗木、岩村等も確保出来たら、なおのこと◎
で、後詰めに立花勢も駆けつけて来る訳だから、少なくとも、持久戦には持ち込めたんじゃ無いかな?
あくまで、妄想ですが…
現在の視点から見れば三成はいつも後手に回っているように見える。
しかし当時の三成の立場に立って──状況を微分すると、その時々では妥当な判断をしている。
三成が生き延びたらのifについては、最近出た「続関ケ原」が面白そう。
>>137 せめて三成だけでも佐和山に待避して、もう一戦挑んでほしかった。
時間が長引けば長引くほど、上杉がウヒョーな事をやりそうだし。
>>140 犬山は岐阜と同時に東軍に抜かれています。
その時点では西軍は石田、島津、小西くらいしか集まってないはず。
一番中途半端な時に中途半端な場所で決断を迫られた三成哀れ…
ただ信長や秀吉が三成と同じ立場なら違ったコとしてるよなー、
三成はただの番頭、むしろただの秘書クラスなのに
支配人クラスの家康や秀吉、信長と比較してやんなよ・・・
>>142 三成の兵力を考えてやってください。
三成があの時佐和山城まで撤退できてたとしても
死ぬのが二日伸びるだけです。
宇喜田、小西、上杉もだけど、大老として指導力発揮できるような
年寄りがいなかったのがね。
利家が健在なら三成と武断派の抗争も一喝されて終わりだったんだろうけど。
佐和山城は三成の兄が篭って一応篭城戦してるよ。
ただ根こそぎ連れてった手勢が壊滅してるからあっさり落ちた。
時間かけると秀忠の軍勢が家康に合流しちまうな。
西も続々と合流できる。時間かけるのはどっちに有利か?
決戦が伸びれば伸びるほど三成は当然親友たる大谷吉継と
相談する時間が増えるだろうから西軍有利になるんじゃないの?
関が原の時点だと周到に準備してた家康の書状作戦にやられたけど
時間があれば大谷吉継もじっくりと対抗策打てるし。
秀忠の合流で兵力的に東軍の方がますます有利になるとは言え
西軍側の外交工作を立て直すチャンスがあるのは大きいと思う。
特に毛利輝元を戦場に出すか、願わくば秀頼の出陣が成功すれば
西軍の勝ちは揺るぎないものになるし。
逆に東軍は関が原の時点で万全な状態にもっていってるから
その後幾ら伸びても外交的に得るものがない。
149 :
名無し三等兵:2005/12/29(木) 17:35:38 ID:xEgcApJQ
濃尾平野付近で睨み合いの膠着状態が続けば、日和見の前田の動きも重要に成って来ますね。
関東では佐竹が江戸を突くか、秀康の背後に回って上杉と挟撃の可能性も出てくるかな?
九州に至っては黒田、加藤以外は殆ど西軍寄りだし、
長引けば家康不利な状況は作れたはず。
東軍内部では田中、山内、堀尾辺りが裏切る可能性も…
伸びれば伸びる程、薩摩が遠国だから帰ると言い出したり、小早川
が北政所に止められたとか抜かして離脱する可能性が高い。毛利が動
かないで小早川が逃げると吉川も逃げる。そうやって櫛が抜けるように
戦力が減ってくのを三成は怖れたのではないだろうか。
151 :
名無し三等兵:2005/12/29(木) 17:59:56 ID:xEgcApJQ
>>150 確かに、その可能性もありますね。
戦を行う大義名分が余りにも脆弱でしたし…
東軍の秀吉恩顧の大名の大半は三成憎しでまとまってたのに比べて、西軍は…orz
事前に大谷吉継と綿密な計画立ててたらね・・・
三成が吉継に話持ちかけたときは既に
決戦前提で上杉はもう動いてたし。
あの時点で決戦回避は既に兵が動いてる以上
無理だったんじゃないの?
じゃないと上杉や真田、佐竹が見殺しだよ。
小西なんかも国を空けてきてたし。
>>148 大谷吉継と話し合う時間は取れるが、動員数が劇的に増える訳では無い。
真田に秀忠率いる主力の一部が拘束されている状態が無くなれば、
当然動員数で決定的に不利になる、と言うリスクが大きくなる。
それに、家康が決断すれば動く東軍と較べて、決断に時間が掛かる
西軍の体質(それは部隊の構成などに由来する)が変化する訳では
ない。
154 :
名無し三等兵:2005/12/29(木) 18:10:41 ID:xEgcApJQ
三成に勝ち目が無いのを分かっていたから、
義継自身も初めは家康側に付く予定だったんだよね。
で、三成に説得されて、博打に打って出たのかな?
三成と義継は親友だし、経歴的にも秀吉子飼い同士の文官派で家康
や福島・加藤等との関係も薄い。裏切るとしても家康派ではなく重病
による中立辺りが妥当ではないだろうか。
156 :
名無し三等兵:2005/12/29(木) 18:33:03 ID:xEgcApJQ
義継×
吉継○
逝ってきます…orz
>>155 当初、上杉征伐の為に重病をおして小山に向かっていたんだが。
で、途中大垣だか、佐和山だかに寄ったときに、三成に口説かれた
訳だが。
それも当初は「三成には人望がないから無理」と切って捨てている。
>>157 まさか本気と思わなかったからね。
でも考えてみたらどうも本気だという事に気づいたんで
三成1人を殺すわけには行かないと出陣したんでしょ。
三成が最初から上杉や佐竹、小西、宇喜多と一緒に
大谷吉継も入れて対家康構想してたらね。。。
最初は大反対しても結局は三成と身命共にする以上
構想練ってくれただろうに。
小早川の裏切りを見抜いて寡兵で奮戦したり
そもそも三成が家康には適わない事を見抜いてたり
秀吉から100万の兵を預けたいといわれたのは伊達じゃないから
いっそはじめっから大谷吉継がブレーンになって決戦をもくろんでたら
あんな一方的な書状作戦にやられはしなかっただろうに。
ところで上杉が徳川の追撃をしていたらどうよ?
>>158 その辺が三成の限界だし、人を判断する能力について疑問を抱かざる
を得ない部分だ罠<吉継の扱い
吉継がブレーンだったら、そもそも関が原を起こさせたか、と言うのが
漏れの考える疑問だな。三成よりもリアリスト成分の高い吉継ならば、
秀頼の『若さ』と言う部分を最大限に活用するような「戦略」を以って
あたる希ガス<対家康
吉継の能力については異論はない。あれほど少数の部隊でありながら、
小早川の裏切りが出ても直ぐに戦線を崩さずに支え続けた、と言う事実
を見ても、大きな部隊を指揮させたら見事なものだったろう、と言う事は
言えると思う。
>>159 留守番の幽鬼秀康に足止め食ってる間に、伊達・最上・堀に攻撃されて終わり。
佐竹が合流するか別経路で江戸に進むかしてれば…
伊達に100万石オファーして味方もしくは中立に引き込んでいれば、、
>161
政宗こそ機を見るに敏なり
三成風情の釣り餌位で動く御仁では無い
家康とのカリスマの差を埋めるには三成では如何とも
蒲生氏郷が生きてればまた別の対立軸が東日本に生まれたろうけど、
実際は上杉以外は皆東軍だからなー
上杉家が秀吉に恭順した経緯は何だっけ?
鬼義重とっとと死んで息子だけなら
上杉ももう少し自由に兵を動かせたんだけどね〜。
でもやっぱ蒲生氏郷が早死にしたのが痛すぎる・・・
蒲生氏郷が生きてても単純に味方になるような人間じゃないけど
いるだけで伊達と最上を封じ込められるから
そうすれば上杉は直接関東狙えたし、そうなれば佐竹も
西軍として兵動かしてたかもしれないのに。
会津には上杉じゃなくて小西か宇喜多をもっていっておけば良かったのに。
そして何より大谷吉継の参加が遅すぎたのが致命的だったな〜。
ハンセン病患ってなければ、もっと表に出て、彼なら
加藤、福島らと三成の仲も取り成せたかもしれないのに。
福島正則と仲がいい結城秀康あたりと組めば
秀吉恩顧の家臣団の争いも防げたかもしれないのにな。
>>166 上杉景勝が秀吉に臣従したのは
柴田が滅んだ後だよ。
168 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 00:36:18 ID:Hhi77VAS
氏郷が生きていたなら、上杉の会津転封も無くて、また違った展開に成っていた可能性もあるね。
けど、氏郷は三成側には付かない気がする…
>>168 氏郷がいきていたら三成風情がどうこうするような事態にはならなかったと思う。
170 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 00:57:56 ID:Hhi77VAS
>>169 氏郷が生きていたら、どうゆう局面に成っていたかな?
伊達は氏郷と、なか悪かったから家康側だと思うけど、最上は本当は伊達憎しだし…
徳川、伊達連合VS豊臣勢って構図だったのかな?
それでも藤堂、黒田、加藤等は徳川に付いたかも?
>>170 戦自体起こらなかった可能性が高い。
家康が氏郷を毒殺したとまで言われているからね8w
氏郷が生きていたら奥州は三すくみ状態になって
動くに動けないからその隙を利用して
佐竹と上杉が関東を伺える状況になると思う。
そうなれば家康はほとんど兵を動かせないけど
史実では秀忠に率いさせた分を残して
関が原を起す事は可能だったんじゃない?
173 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:12:27 ID:Hhi77VAS
>>171 毒殺疑惑は秀吉がやらせたと思ってた。伊勢から会津に追っ払ったりして、秀吉に取っては氏郷は要注意人物だったからね。
氏郷が生きていたら家康は天下を狙わなかったのかな?
正宗は秀吉が死んだのを好機と見て色々と画策しそう。
>>172 いや、軍事的じゃなく政治的に家康が台頭する機会が無いんじゃないかと思うんですよ。
>>173 そういう説もあるけど、わざわざ秀吉が氏郷を奥州のキーストーンに置いたのは左遷ではないと思いますよ。
正宗の娘、五十八姫の嫁ぎ先は誰でしょうか?(w
175 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:20:17 ID:Hhi77VAS
>>172 とりあえず、関ヶ原の発端は上杉征伐が大義名分だから、どうだろ?
まぁ、徳川VS反徳川の戦は遅かれ早かれドコかでは起こったとは思うけど
176 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:26:40 ID:Hhi77VAS
いろは姫の嫁ぎ先は家康の息子ですね。
伊達の押さえに会津転封は分かるけど、必ずしも氏郷は秀吉従順では無かったと思う。
>>176 本人も天下狙いたいみたいな事言ってたけど
あの才能あればこそ、関が原で家康を勝たせたら
今後絶対に自分が逆転できる可能性がないのも見抜いたと思う。
そんな事になるよりは家康潰して東国の覇権握る可能性もある
西軍についたと思うけど。
あと関が原では、立花宗茂を関が原までつれてきてたらな。
意味のない城攻めなんかに使ってしまって・・・
長宗我部盛親やら島津義弘みたいな異常な猛将が
まともに機能しなかったのも西軍には痛かったな。
>>176 そう。家康は書状作戦だけでなく婚姻戦略も巧みだった。
>氏郷は秀吉従順では無かった
秀吉もその辺はうまくて、自己判断能力のあるやつは家康派の牽制として使い。
従順なやつは身近に置いて直接使う。
>>177 >島津義弘みたいな異常な猛将がまともに機能しなかった
彼を怒らせたのは誰でしょう?(w
180 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:41:42 ID:Hhi77VAS
>>177 正宗?氏郷?
氏郷のifは、さておき
島津と長宗我部は本当は徳川側に付きたかったらしいね。
島津は伏見籠城を拒否されて面子潰されて、仕方なく西軍に…
立花は律儀だから秀吉に取り上げてもらった恩を感じて西軍参加ですね。
堀直政は何故東軍に味方したのか。
まあ戦況には影響が無さそうだけど。
ただその後の堀家を考えると損だったな。
183 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:48:30 ID:Hhi77VAS
>>179 三成ごときでは歴戦の猛将は、扱い切れないですね。
特に三成では…
>>183 友人の大谷にも言われたよね「島津殿と毛利殿を立てて・・・」と。
三成は「分かったと」答えたのに(w
185 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 01:53:25 ID:Hhi77VAS
>>181 旧上杉領で、なおかつ上杉の転封先の会津と隣接してたからじゃないかな?
上杉は、あわよくば越後奪還も視野に入れてたみたいだから。
186 :
名無し三等兵:2005/12/30(金) 02:00:14 ID:Hhi77VAS
>>184 虎の意を着る狐?
日本語あってる?(汗)
秀吉の生きていた時の五奉行で権勢を誇ってた頃そのままじゃねぇ〜
>>186 まぁそういうことでしょうね。
三成は武勇の人ではないのだから裏方に徹していれば案外歴史的には評価されたかも(w
堀は単に上杉と仲が悪かっただけの話でしょう。
越後転封の際に、上杉が兵糧を根こそぎ徴収してしまっていて、堀家は大いに困ったって話があるし。
越後は結構重要な土地だから、戦況には随分関わってくる。
もし堀が西軍についたら箕輪の井伊勢や、館林の榊原勢を拠点防衛に貼り付けなきゃならなくなって
野戦兵力の減少を招くことになる。徳川三傑の内、決戦に完全動員できるのは大多喜の本多勢だけなんて
事態はさすがに不味いでしょう。それに越中の前田が本当に身動きできなくなるし、信濃上田の真田に
後詰が来る可能性もある。第一次上田合戦で後詰に徹底的にやられてますからね。
まあ、徳川が天下取って良かった良かった。
蒲生・堀は2代目が… 揃って氏郷・秀政クラスなら面白かったのに、、
しかし氏郷暗殺は三成が犯人説、正宗説もありアチコチに容疑者がいるw
前から思ってたんだが秀康の養子先が結城家ってのがそもそも間違いだったのでは?
秀秋を結城に放出して秀康を小早川に出してればまた展開変わったなぁ
>>186 [虎の威を借る狐]
昔々、てぃーがーという鉄の馬車に乗った、そりゃあ見目麗しい南蛮人のお侍さんがおってな…
いや、本人たちはへったくそな日本語でチガウ、チガウといっとったんじゃが、
あの身のこなしといい、礼儀正しさといい、あの男達、ただ者じゃあなかろう。
七十年剣術をやりつづけて来たこのワシが言うんじゃから間違いない。
そう…あれはよく晴れた昼下がりのことじゃった。
いつものように村長との情事を終え、午後の稽古に備え素振りで体を暖めていると、
急に空が厚い雲に覆われてな。
そりゃあたまげたよ?
ワシの金玉も少し前まで村長のデカブツを納めとった尻穴も縮こまりそうじゃった。
なにせピカっと雷がなったかと思うと目の前には鉄の塊が現れとったんじゃからな。
そのあと、ワシらは協議の末、鉄の塊を調べてみることにした。
恐怖を抱かなかったといえば嘘になる。
じゃが、好奇心が勝ったんじゃな。
鉄の塊に近付くと、かたっぱしから農具を使い使って叩いたり、ひっかいたりしてみた。
するとあのはっちとかいう場所だけ音が微妙に違ってのう。
そこで鉄のクワを使って無理矢理こじあけたんじゃ。
そしたらなんと、中には気を失った絶世の美男子達が倒れておるではないか。
南蛮人なのがいささか気に食わんが、ひとまず女房どもが来る前に味見せにゃ
いかんということで服を脱がせた。
なかなかいいからだでな、それを見たまわりのもの達ももう躊躇わんかった。
一人挿入前に気が付いた奴がおったがもう遅い。
数人がかりで押さえ付けたワシらはその引き締まったケツに変わるがわる注ぎ込んだ。
歓迎会じゃから全員に注ぎこみ、注ぎこまれねばならんので骨が折れたわい。
次の日、あのあと色々あって従順になった戦車兵どもを尋問したところ、
なちとか言うわけのわからん団体に所属しておるとか言い出しおってな。
ひとまず調教し直さねばならんということでワシは大根を手に取り(省略されワッフルワッフル)
>>189 秀康の気性の激しさを秀吉も嫌ったからでそ。<結城家養子
小早川に養子にだすのは、「家格」の問題もあるし
(毛利宗家位じゃないと、やっぱり難しかろうよ)。
>>191 秀吉は秀康を嫌ってなんかないでしょ。
むしろ実子のように可愛がって
寵愛を受けてたじゃん。
それに結城家を継がせたのはむしろ
家康を牽制させたかったんじゃないの?
秀吉が存命だったなら豊臣家の忠臣の一つに
なってただろうな。
関が原に秀忠連れて行って秀康は残したのも
1万超える大軍を秀康に渡して関が原に
連れて行くのが怖かったんじゃないの。
>>192 本当に「寵愛」してたら、家格だけは古くても五万石ぽっちしかない
家(しかも京都から考えたら唐天竺並みの距離の有る結城)に養子
に出すかよ。
別に結城家に限らず、家格がある家なら京都の近くにだって沢山ある
んだぜ(一旦絶家していて、その家に再興という建前で入れると言う手
もある)。
結城家は10万石だぞ。
畿内でそれ以上の広大な土地を
どうやって与えるんだよ。
秀頼が継ぐべき土地が大幅に減るじゃねーか。
だいたい、秀吉の為に身命として頑張ってきた
子飼いの加藤清正や福島正信ですら25万石弱なのに
元はといえばただの人質、しかも端から実父には嫌われてて
実家の跡目を取る事も不可能どころか人質としての価値も不確かな
秀康を大名にしてあげてるだけでも異例の厚遇だろ。
他に同じような境遇だった秀宗や秀家も秀吉を敬愛してたし
秀吉が長生きしてれば3人とも要所を守る譜代の一つになってただろうよ。
ところで秀吉は今の世なら保父に向いてたかもな。
秀吉は秀康のことを疎んでいたわけじゃないだろうけど扱いは難しかったろうね。
自分の血の繋がった秀次、秀秋より明らかに優秀で家康の血をついでる。
秀家みたいに帰れる家もない。
秀次失脚時まで手元にのこして羽柴性を名のらせて伊勢で30万石クラスの大名として
独立させてれば近畿圏の抑えで注目されたかも。
>>195 それは九鬼嘉隆にどけって事?
幾らなんでも無理でしょ。
でも羽柴姓で畿内に居続けたら関が原の時点で
西軍についてたかもしれないな。
総大将は無理としても、羽柴秀康として檄文出せば
嫌われ者の三成なんかよりよほど説得力あるし
ほとんど日和見だった毛利なんかもまともに戦ったかも。
もしくは、利家死んだ後後任の大老に任じて
大阪城で秀頼の後見役にしておけば良かったんだよ。
>196
実父には弓引けんだろ、お家騒動や家康との間に確執が有った訳で無し。
>>197 家康が生きている限り本家の跡取りにはなれないんだから
お家騒動とは言わなくても確執がないなんてとても言えないでしょ。
憎まれて捨てられた父親と愛情もって育ててくれた育ての父親
どっちの方がいいかの問題。
それは余りにも秀康の心中を察していない、と思うぞ
秀康が徳川家の家督を相続出来なかったのは結果論でそ?
秀康は実父と養父の板挟みになっていたと思われ。
>>199 秀康を養子に出しておいて
秀忠に自分と同じ幼名を与えてる時点で
家督を相続させる気なんてなかったと思うけど。
>200
それが結果論だって事、家康自身人質だった事考えればなぁ
当初家康だっては秀吉の養子になるとは思ってなかってだろうし。
秀康からするとそれだけに実父に認められたいとの思いはあるだろうし
仮に東西手切れの場合は苦悩するだろう。
羽柴性と豊臣政権下での地位の確立で徳川家との決別が出来れば
西に付くかもしれないし、それは家康へのダメージにもなる。
>>201 信康が強く言わないと秀康は庶子扱いにもならなかったんじゃ?
家康は認知するき無かったみたいだけど…
>>202 んだ、確かに家康は秀康は愛してなかったな。
最初の対面の時も、秀康が声を掛けた瞬間に、ぷいとそっぽ向いて
歩き出そうとした、とあるしな。
少なくとも家康としては『厄介払い』として秀康を養子に出した、と言う
感は拭えない。
諸君!あけおめ!
205 :
研究助手:2006/01/01(日) 10:30:15 ID:???
秀康は誕生から母親は築山殿に折檻されて石川数正(だったかな?)が城外で産ませてるからな。
207 :
研究助手:2006/01/01(日) 11:19:53 ID:???
ロシア人の我慢強さはモンゴル支配にの影響と言われてるが家康の我慢強さは築山殿に拠るとこが大きいね。
秀康は最初から徳川相続のチャンスなかったんだな、、
だがそんな秀康を三成が何の策略もかけずに同陣できただろうか?
少なからずイザコザ起こして余計こじれてそうな気が・・・
秀康に期待するならどーにかして黒田如水か伊達正宗を味方にしたほうが確実
黒田はともかく伊達は無理。
上杉と二者択一。
それよりも毛利が本気になるだけで勝ってるよ。
如水だべ、博打好きだし。
真田はルーレットに赤、黒張る香具師(オッズはフィフティー・フィフティーで無いがw)
黒田如水はドサクサにまぎれて九州を占領しようとしてたしなー
如水、何処まで本気だったのかな?
島津義弘の柳川来援がちょっと早かったら九州はドロドロの戦乱だったかも、
しかし、鍋島も上手くやったよなー
関ケ原本戦に鍋島勢がいれば…
関ケ原本戦はなんかショボイね。
毛利不参戦、徳川主力欠、前田、上杉、島津、伊達も参加してないし。
>215
秀忠率いる主力は、吉川英二に言わせれば一敗地に塗れてもの保険
毛利のボンクラは死んで詫びるべきだ カラ弁当なんて姑息な事しやがって
>>215 西軍の事実上の総大将が三成じゃね〜。
輝元が大阪城から出陣するような状況だったら
家康も秀忠の到着まっただろうし
そもそもその場合吉川広家が寝返らない状況だろうから
そうなったら関が原自体起こってないかも。
>215
島津は参加してるんじゃ
219 :
名無し三等兵:2006/01/02(月) 04:58:11 ID:rU3G5ltI
前田は北陸で頑張ってるぞ。もしかして信長の野望みたくオールスター揃い踏みの大会戦を見たかったのかな?
西軍=石田、宇喜多、大谷
東軍=上記以外。
よく善戦したんじゃない>西軍
俺が三成だったらそもそも挙兵しませんよ、ええ。
というか加藤・福島を露骨に排除しようとも考えませんって。
恨みをかって、襲撃される以外にも毒殺されるとか思わなかったのかねぇ。
とはいえ、武断派と悶着を起こさず、つましく豊臣に仕えていても淀殿の
嫌がらせを受け続けた挙句、大阪の陣でアボンされそうだな、結局。
>>220 局地的に言えば大善戦、ただ戦略の負けっぷりがすごすぎた。
子沢山の家康と子供に恵まれなかった秀吉、この差だろうな
政治体制も外様の影響力が強すぎる五大老、五奉行制も失策だな
譜代のみで政り事を取り仕切るべきだった。
>>218 島津は、最後の突撃までは傍観してたのと、参加兵力が1500人じゃいないのと同じかと。
せめて5000人くらいいれば・・・。
>>224 あれ?島津の兵力って1500もあったっけ?
大阪留守居周辺しか集められなくて300程度だったと思うけど
(それだから三成が島津を軽く見た要因の一つの筈だけど)。
>>223 その譜代に裏切られて親戚に寝返られて戦局決まったんだが。また子供同士
親戚同士で潰しあって国が滅んだ例もことかかない。秀吉の失敗は豊臣を脅かす
大名を恒常的に消耗させて、なおかつ豊臣の勢力を向上させる手段を考えなかった
事。武器狩りと太閤検地すれば豊臣安泰と考えた所に誤りがあった。その点、
徳川は参勤交代とか神社仏閣の修理やら遣らせて確実に大名家の財政を悪化させて
る。家康は秀吉の失敗を良く学んでる。
>>224 ・義弘は当主ではなく、当主の義久は最初から豊臣政権には距離を置いていた。
・朝鮮出兵、庄内の乱と戦続きで島津の内情は火の車。
こんな条件下で島津が5000も動員できるわけがない。
義弘なんか、生き残ったこと自体が奇跡だと思うが。
刀狩りと太閤検地は戦国事大を収束させ安定した社会を気づくために
不可欠な行為だけど政権延命の意図も含でたかな?
秀吉の自分の死後にどんな政権構想を持ってたのか良くわかりにくい。
五大老、三中老、五奉行の制度は一時的なものにしか見えない。
>>227 集まった兵も動員したものではなく、有志の兵だからな。
231 :
225:2006/01/02(月) 20:27:42 ID:???
>>227 >>230 そうだよなぁ。しかも島津の領国経営から考えるなら、5000ってのは
かなり思い切った動員を掛けてる事になるし。
>>229 家康がうまかったのは先人の失敗(主君亡き後の家)からよく学ぶところだ。
徳川家を滅ぼすことを前提に考えれば…
島津に「上方で1カ国と黄金1000枚」の好条件を提示してれば薩摩兵2万も誘致出来たかもしれない。
手弁当で出征して来るのが1000人近くいるんだから、、
>>233 無理無理。
義久−家久(忠恒)ラインは反豊臣色が強く、
義弘と共に親豊臣ラインを担った重臣の伊集院幸侃を惨殺し、
庄内の乱を引き起こしてまで押しつけられた豊臣体制下での領国経営を否定したほど。
三成が約束した手形では釣られないし、
疲弊しきった島津が二万も動員して上方で運用するのは絵空事。
島津に関しては良質の史料が残っていて、かなり領国経営についての研究が進んでる。
235 :
225:2006/01/02(月) 23:26:49 ID:???
>>233 あと、かき集めた部隊は当初伏見城に入城する予定だった、
と言うのも見逃せない。
これは推測でしかないが、維新斎(義弘)は自分の命と引き換えに
島津の安定を買う気で、当初はいたのかも知れない。
236 :
225:2006/01/02(月) 23:28:56 ID:???
>>235 維新→×
惟新→〇
だった………。
吊ってきまふ…。
むしろ、関が原のIFを楽しみたいなら、三成が挙兵せずに家康が背後に不安を
抱えたまま、満を持して待ち構える上杉・佐竹連合軍と戦端を開き、
一方で黒田如水が加藤清正と連合して九州平定に乗り出す。前田も段々と反徳川色に…
石田三成と大谷吉継は表面上は徳川に恭順しつつ、これらの動乱を裏から支援する。
黒田長政は対上杉戦の真っ最中に突如、戦場離脱。
…なんて方がずっと面白いと思うよ。最終的に西軍は前田利長か黒田如水に率いてもらう。
黒田如水は天下を乗っ取っちまいぞうだな
>>237 黒田と加藤が組むって時点で齟齬が出てるけど・・・
関が原がない状況で、黒田や鍋島が勝手に
立花に攻め込みなんてしたら秀頼様の治世を騒がした。
って激怒しそうなんだけど。
しかも立花宗茂が九州にいるのに攻め込んでも
強烈なしっぺ返し喰らう可能性がかなり高いし。
あと佐竹に関しては義重に死んでもらわないと難しいかも。
義宣だけなら放っておいても親友三成の為に家康攻めるだろうけど。
>>238 黒田に好き勝手やらしても
九州すら平定できないと思うよ。
鍋島、立花、島津、加藤と稀代の用兵巧者が揃ってる。
しかも毛利だって黙って見てるわけがないし
うかうかしてたら長宗我部なんかも出てくるだろうし。
三成が勝つには?
前田利家が長生きしてる。
三成は挙兵しない。
上杉、佐竹と連携がとれる。
追加よろ
正月から「利家とまつ」を全編放送を見ながら
しまった。そういえば、三成挙兵がなければ立花宗茂が上方へ向かうこともなかったんだorz
となると、これらの勢力が「打倒家康」を最終目標として、壮大な
秘密ネットワークをつくるぐらいしかシナリオが成りたたないじゃないかよー。
ま、結論からいえば史実を動かすことは、それだけ不可能ということだな。
徳川家康に対抗できるのは前田利家だけ。
>>241 奥州だったら、それ以外に
伊達、最上の無力化
関東では真田一党(信之含めて)の無力化
東海では豊臣与力大名の完全な豊臣政権への帰属強化
なんかも考えないと。全部三成の手には余る課題だと思うが
(三成が無能、と言う意味ではなくて、三成にとって「唐天竺」なみ
に遠い処まで配慮が届くか、と言う問題)。
>243
だから、できねーって言ったべ?
徳川と前田では国力4:1だろ
関ヶ原開戦前で徳川にガチンコ勝負で対抗出来るのは
豊臣家本家のみ、秀頼を引っ張り出してくるしかねーべ?
戦の経験無くとも、秀頼君出馬と成れば裏切りはできめーし
正則や清正も弓引けんだろ。
前田利家なら秀頼を担ぐことができただろう。
三成は淀殿を説き伏せられまい。
太閤の死後、三成が家康に媚び売れば三成嫌いな奴ら逆で固まるんじゃね
>>245 それはそうだが、その秀頼出馬が出来ないからこそあれこれ手を打っての謀略戦があるわけで、、
前田利長・利常があの時点で芳春院人質拒否していたら加賀で徳川軍と対峙?
関が原の1年前だけどこの時点で三成の根回しがある程度済んでたら…
>>248 加賀で対峙する場合の侵攻経路を考えたら、やっぱり
同じ結論しか出ない希ガス。
却って近江が侵攻経路になるだけ、三成には不利かも。
>>247 それが一番家康にダメージでかそうだなw
というか、三成は豊臣家の為に命張れるんなら
最初っから死んでおけばよかったのに。
暗殺事件の時に殺されたらただのバカで終わるけど
その後でにも、自分が豊臣家家臣の内紛の原因となってる事が
太閤様に顔向けできない、とか遺書残して切腹でもすりゃ
武断派も納得しただろうに。
三成の親友連中が黙ってないかもしれないけど
三成友人連合は間違っても家康にはつかないからこれで万事OK
>248
まぁ、淀があれでは秀頼出馬の目は無いが。俗に北の政所は
秀吉他界以降、大権を家康委ねる口振りだが実際はどうだろう?
天下は回り物、とすんなり諦めていただろうか?
生母の権勢を抑える努力を秀吉が怠った報いか。
まぁ、淀の出自が只者じゃねーからなぁ、因果は巡る
前田利長死去待って時節到来だからなぁ、家康
本当にしぶとい、じー様だぜ
252 :
241:2006/01/03(火) 01:35:56 ID:???
>>250 武断派が三成邸を襲撃した時に助けたのが家康なんだよなあ
家康の元に逃げた三成もだがそれを庇護した家康は器量が違う。
あ、佐々成政が南アルプス越え(さらさら越え)してる
>>252 だってあの時点で三成が死んだら家康の目論見潰えるし。
それを知ってるからこそ三成も家康の所に逃げ込んだんでしょ。
でもそこまで見抜いておきながら、
西軍の総大将を用意できずに嫌われ者の自分が
前面に出ざるをえなかったのが三成の限界なんだろうな。
秀吉みたいなカリスマ指導者の補佐なら完璧にこなせたんだろうけど。
信長の破滅、秀吉の台頭を予告したが時勢は読めなかった安国寺や
兄弟を分けた真田、最期の天下取りに動いた黒田・・・
関ヶ原はドラマがあるな〜そういえばt豚Sチャンネルで関ヶ原やるな。
根本的な要因は天下統一後の豊臣政権の失政にあるのだが、それは除く。
このスレの範囲外だろうからな。
戦略としてみれば、西軍は外線作戦による東軍(家康)の殲滅
東軍(家康)は内線作戦による反対勢力の各個撃破
まず、上杉征伐の時点で西軍が決起しなければ、
家康の主導権下で大老が押さえ込まれて家康の覇権に一歩近づくので、
あの時点で決起したのは悪くない。
問題は、西軍の部隊を各地に散らしてしまい、主目的である家康に対して当てられる
戦力が少なくなってしまったこと。
上杉、佐竹との綿密な連携に失敗して結果的に各個に処理されてしまったこと。
大阪城に本営、東軍側拠点に押さえの戦力を入れて
残りの西軍主力の全力を挙げて東海道、中山道から江戸へ進撃するべきだった。
もっとも、指揮権の統一ができていなければ無理な話だが。
秀吉との縁を重視した上で、宇喜多辺りを指揮官にかついだうえで、
誰かを調整役に引っ張れればよかったんだが。人材不足だな。
東軍についた、藤堂、黒田クラスの根回し役が居ないというのは痛い。
>>255 うん、根回し役というか増田、長束、前田(玄以)の5奉行仲間が謀略力低すぎ。
暗黒寺は毛利内だけだし、大谷は序盤からは参加してない。
この辺は三成は胡坐かいてたね。
決起すれば当然のように親徳川以外はこっちの味方になるだろう、とでも思ってたのか?
>>254 TBSって、あの司馬遼太郎原作の奴の再放送?
黒田如水の出番を完全にカットしたから原作とラスト変えたり、大岡越前が石田三成やってた奴ね。
>>256 前田玄以は実は謀略能力は高いぞ。
裏で内府に通じて本領安堵だw
問題は謀略能力が高い奴ほど独自に動いたり両天秤かけたり東軍についてることだな。
鍋島直茂とか、蜂須賀家政もそうか。
力が拮抗してる場合、情報収集能力が高い奴ほどどっちについて良いかわから
ず右往左往しちゃうんだろうな。
>>257 三成の能力では、鍋島直茂みたいなリアリズムの塊のような人間
を陣営に引き寄せる事は難しかったろうね。
鍋島直茂を誘致するとしたら、直茂を納得させ得るようなリアリズム
の塊の条件を出さなくてはならないだろうけど、三成にそれを要求す
るのは、三成に関が原の戦場で島左近さながらの槍働きをしろ、と
言っているのに等しい希ガス。
鍋島直茂に関して言えば、最初から東軍につくつもりだった節も有るし。
>>256 謀略能力だったら前田勢を機能しなくした、大谷がいる。
ん、何やったんだっけ?>大谷
>>261 攻め込むふりして釘付けにした。
てか刑部卿にもっと早くから相談しておけっての。
秀吉の嫡子がもっと早く生まれていたらどうなっていたろう?
あるいは西軍決起が遅れまさに上杉と徳川が衝突した瞬間に知らせが届いていたら?
>>263 前者はこのスレの管轄外。
後者は上杉が袋だたきにされた後、伊達や最上と合流した東軍が西上することになるだろうな。
北の政所との実子の場合は、徳川をバックに加藤、福島らの子飼いが
近江閥を駆逐する形で別の戦になるかもね。
家康にとって三成血気は織り込み済みの事項だから上杉との衝突は極力避けるでしょう。
伊達や最上が上杉に仕掛けた時も必死に止めてるし。
仮に上杉と前面衝突してた場合は制圧に半年はかかるだろうから、三成は岐阜以西を安定させる時間を得る。
伊達は東ニホンでの領土拡張以外は興味なさそうだから西上して西軍と戦うとは思えないし、
家康が引き返すのに史実より時間がかかる分西有利になるんじゃね。
>>265 >>263の想定では既に上杉との激突が既定の条件な訳だが。
その場合は、とりあえず各個撃破するしかないだろう。
制圧まではやらないんじゃないかと思う。
上杉主力を撃破後に速やかに西上すると思うね。
>>266 もともと上杉は持久戦狙いだから速やかに撃破は難しいだろう。
東軍主力が離脱時に中村、山之内といった消極的徳川派の手勢に被害がないこと。
伊達、最上が心変わりするほどの不利な状況と取られないこと。
まあ三成の読みは家康が東で足止めを食らうってのが第一条件だからそこをクリアーして初めて五分とも言える。
で、徳川は上杉を叩き潰せるか、という問題があるわけだが?
白河周辺には上杉・佐竹軍10万が満を持して待ち構えてるよ。
ぶっちゃけ三成引率軍よりも指揮統制がとれており、数も多い。
これで伊達か最上かせめてどちらかが西軍についてれば、背後の心配もないんだが。
関ヶ原戦後もしばらく対陣を続け、結局講和という形で両軍とも引いたぞ。
>>267 ん?上杉・佐竹軍主力が徳川軍を迎撃してる間に、直江兼続直轄部隊が
家康の首を取るプランじゃなかったっけ?
>>268 上杉を過大評価してるんじゃないか?
満を持して? 最上に別働隊割いて痛い目にあった上杉が?
佐竹もご隠居の反対で能動的な行動が取れなかったしな。
>>270 確かに、引き上げていく東軍を拘束することも尾撃することもできなかった
上杉と佐竹に過大な期待を寄せるのはどうかと……
>>268 上杉・佐竹軍10万ってどっから出た数字だよ?
そんな兵力持ってるなら、もっと上杉は最上攻略に兵割いてるべ
実働兵力は最大でも上杉3万、佐竹1万5千ってとこかな?
しかし関ヶ原の西軍よりは健闘しそうなイメージあるな>上杉
>>274 謙信時代の宿老がまだ少し残ってるからね。<上杉
俺様の宿便はまだまだたっぷりと(ry
堀がナカマになったら戦況はまた違ったろうけどね。
引越しのマナーって大切。
実際のとこ景勝兼続が内府相手にガチでどれくらいやれたもんだろう?謙信公ならともかく…
謙信で野戦なら上杉だけで東軍10万も撃破出来そうな気がする。
ゲームじゃあるまいし別に上杉は東軍を迎え撃って
撃破する必要なんてないじゃん。
家康をひきつけるのが役目なんだから。
三成が家康が上杉と交戦状態になるギリギリのところまで
待ってれば良かったんだけどな。
いっそギリギリじゃなくて交戦状態になってからでも良かったかも。
伊達と最上については最初から折込積みだったし
最初から迎え撃って勝つ為じゃなくて
負けない戦いをするつもりだったんじゃないの?
>>280 ゲームじゃあるまいし、ぎりぎりのところまでなんて待てないが。
どうやってリアルタイムで状況を知るんだ?
アフォか。
無線も電話もありませんが
当時の三成は大阪で既に上杉vs徳川でバトルが発生してると思ったからだろう。
まさか簡単に引き返してくるとはおもわなかっんだよ。
三成は岐阜が攻撃されるまでまだ東軍の動きをハッキリ掴んでなかった。
だからさ、きちんと間諜に情報収集させて
東軍の動向を把握してれば良かったのに。
家康は三成挙兵をすばやく察知して
即座に福島とかを即座に戻させてるのに。
だいたい上杉討伐に行く間に三成が挙兵するってのは
当初の計画通りとして、そこで家康の動向を把握しておかないと
逆に三成の方が勢力が結集する前に攻撃されるかもしれない。
って危険は考えなかったんだろうか。
尊敬する太閤殿下自身が天下とりの第一歩が中国大返しだったのに。
>>285 その辺が優秀でも文官の限界じゃないの?
徳川家康が東上した時点で作戦成功を確信したのかな。
さらに徳川の本体より早く福島、細川らが突出して戻って先端開くなんてのは正に予想の範囲外。
というか三成としては家康を拘束したかったんだろうが実際時間経過するとどれほど西軍に有利になるかな?
288 :
名無し三等兵:2006/01/05(木) 20:54:20 ID:8M3Mj73H
上杉軍は浪人を集めていたから兵力は石高で計算される、兵力より1万程度多い。
佐竹は、相馬も含むと2万5千ほどのなる。つまり7万の兵力があるわけだから、
かなり善戦できる筈。半年は負けないと思うので、三成もかなり後で挙兵すれば
よかった。
>>288 集めた浪人を譜代の家臣と同様の戦力として期待するのは甘すぎる。
佐竹も実際には動いてないしな。
>>285 家康が赤坂に着陣する三日前くらいの書状で敵軍は何かを待っているようだなんて
暢気なことを書いていた三成には荷が重かろうさ。
291 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2006/01/05(木) 21:03:03 ID:nVldkXhz
機甲師団による機動打撃がない戦いはつまんなーい♪
ホプリタイとヒッピコンによるスレッジハンマーがない戦いはつまんなーい♪
293 :
緑装薬4 ◆8R14yKD1/k :2006/01/05(木) 21:08:51 ID:nVldkXhz
西軍の戦車わあ〜?
ねえ、戦車わあ〜?
東軍のAHわぁ〜?
ねえ、AHわぁ〜?
三成が欲しいのは時間ではなく秀頼出馬という大義名分、錦の御旗
だろう。もし秀頼出馬が叶えば豊臣恩顧の武将が全部離れて孤立する
のは家康の方だった。時間が延びれば延びるほど上杉が苦境に追い込
まれて三成には良い事は無い。三成としては家康が関東に下ってる間
に大名妻子を人質にして大軍を集めて既成事実を作って淀殿に秀頼出馬
を要請してるけど大阪は動かなかった。淀殿は最後まで政治が判らん
奴だったな。
というか秀頼出陣で今の今まで家康配下で戦ってた連中が突然やーめたって寝返るって現実に有り得ることか?どうも信じられん…
一応は豊臣政権下の話だから、社長が専務を解雇すれば社員は専務に従わないはず、
そのまま反逆しちゃって社長解任しちゃうってこともままあるわな
別に全員が寝返る必要は無い、西軍11万に毛利の2万。豊臣独自で3万
は動員できるとして合計16万。これに福島や加藤等が中立に立つとして東軍
2万が抜けると関が原の戦力比は3対1になり勝負にならない。これとは別に
しても家康の大義名分が無くなるのは家康側としてはつらい。
>>289 動員兵力のうち、半分くらいは、小荷駄とか、砦駐留部隊とかなんだから、なんとかなるんじゃね?
というか毛利一族が真面目に戦うだけでもかなり違うんじゃ
毛利ははなっからヤル気ねーし。
郷土代表の宇喜多さんは真面目なだけが取り柄だった…
直家のようなろくでなしが一代で築いた宇喜田があそこまで律儀だったのが泣かせる。
>>302 お父さんくらい腹黒かったら、三成の為にも良かったんだけどね。
秀吉に育てられた奴はみんな真面目がウリになってしまって
3代目くらいならそういう家臣団で良かったんだろうけどな。
で、関が原はせめて長宗我部が参戦できてたらな〜。
まぁその為には毛利が動かないとダメなんで
毛利が動くって事は関が原で勝ってるはずなんだけど。
家康本体は背後がら空きだったしなぁ。
ところで西軍買ったら日本はどうなってたの?
>>305 標準語が大阪弁。
NHKアナウンサーが「七時のニュースでおま」
三成がさっさと頓死していれば案外豊家もまとまってた気がしないでもない
淀殿を忘れんでいてたもれ。
淀殿なぞ愚息の威力の前にメロメロじゃ!
309は大野治長
>309
大野さん乙
>>307 つーか、豊家の家臣団が分裂する要素がなくなる(w
けど家康の狙いは天下鳥だし、三成死んでても誰かを
スケープゴートにして内紛しかけてきたんじゃないかな、
解った!
家康を秀吉の養子にしよう♪これで万事解決すますた。
秀吉が足利義昭の養子になろうとして失敗してたが、今度は家康を養子にするとは大胆な手だ
家康に領地召し上げて変わりに半島与えるって言ったら切れて反逆しちゃったって小説なかったっけ?
時代考証メチャクチャ。第一家康は日本から一歩も出ていない。
火葬疝気なんだろう。
領地召し上げ→切れて反逆つーと、明智光秀なわけだが。
320 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 13:49:56 ID:uns59xtD
先ずは『ミツナリ』以外の奴を総大将にしたら勝てたかも
>>320 毛利か秀頼かな、しかしどちらもやる気無し
秀頼に自己判断求めるのは酷だろう。毛利か前田かだけど利家が死んでるから
実績でまとめられる人望がない。
利家も秀吉がむりむり大封与えて家康に対抗できる様な大名に育てただけで
将器としたら家康の方が何枚も上手だけどね。槍働きしかしてないし。
今日NHKで関が原の再放送やるな。
>>323 そりゃ一応、信長時代からのお殿様だからな
「仕え、与えられる」者と「率いて、与える」者の差
石高だけでは勝てないね
W加藤や福島もそうだね。結局槍働きだけの人だった。
むしろ1万石くらいの小大名に押さえてたほうが良かったのかも、
>>326 清正まで、槍働きだけというのはいかがなものか
武功揚げてるのに論功行賞で報いなかったら武家社会として成り立たないだろう
数千石あたりまでは個人の槍働きで論功行賞できるだろうけど
大名クラスには、個人レベルの褒美では出来ないな
武断派では加藤清正、黒田、細川、藤堂、とかは槍働き以外にも行政、教養で見るベキもある。
だが、加藤ヨシ明と福島正則はどーだか、、 片桐カツモトとかといい勝負だと思う。
>>330 福島正則は、築城とかにも手腕を発揮したんだけどねぇ。あの性格じゃねぇ。
狂犬だからなあ
一兵卒なら便利だが大大名になられるとちょっと…
加藤清正はどうしても福島正則とならぶ武力バカ
に見られがちなのがカヨイソス
>>331 築城の手腕ということでも清正が上。
名古屋城(だったかな)の普請では、見事な統率ぶりで家康が唸らせたほど。
自らの居城、熊本城は、西南戦争でも熊本鎮台が西郷軍の猛攻を持ちこたえるほど頑強に作られていた。
加藤清正や浅野長政は別に武力一辺倒じゃないし
武断派といっても文字通りの意味fr受け取れるんは福島正則くらいだろ。
特に加藤清正なんて領国の経営でも巧みな手腕発揮してるし、
伊達に家康から一目置かれてたわけじゃない。
だからこそ秀頼の後見役として家康との会見セッティングできたんだし。
やっぱ三成が死んでればと思わざるをえない。
加藤清正、そして五奉行筆頭の浅野長政が西軍についてたら
豊臣家臣団に対する影響力は全然違っただろうな。
三成の無謀な朝鮮はやはり畑違いだからできる行為。
戦場を疾駆してきたモノにとって信長の同盟者で秀吉も倒しえなかった家康に挑む人はいない。
>344
西郷軍てまぁ、そのあれだ。
機動隊と激突する全学連みたいなもんだよ。
そこまで酷くなか
>>337 スレ違いだが、そりゃ西郷軍に失礼だ。
山縣有朋は、配下の兵士に
「薩摩軍が斬りかかって来たら、どんな事をしても絶対におまえ等
では敵わない。
しかし、薩摩軍も人間である。弾が当たれば死ぬ。だからとにかく
弾を撃て。そうすれば生き残れる」
と命じたそうだが。
なんかそれはそれで士気が下がりそうな
武家の子弟なら下がったろうけど、相手は農民の子やからな。
清正クラスの将にとっては
豊臣家というより秀吉のためにってのがほとんどだからね
秀頼を支えるのも先代の跡継ぎだからが理由
秀頼は器量不足というより
秀吉無き時代に家康がいたのが不幸
秀吉時代に家康がいなくなれば江戸の秀忠のようになれたかもね
この場合秀康の動きが面白そうだが
家康は子供が多いから分割にしろとか言ってばらばらにされるんじゃないか。
孫の代には10万石位の中級大名がいっぱいできるから、それを各個撃破して
ウマーになる予感。
>>342 豊臣家の不幸は別に秀頼の器量でも家康でもなくて
単に後継者が幼すぎただけだろ。
幼くても強敵がいなければなんとかなるものさ
太平の世ならなおさら
さらに豊臣家の不幸
1 後継者不足
2 譜代の家臣団の層が薄い
3 豊臣本家の領土不足
徳川家のように三河時代からの譜代層がいっぱいいるわけじゃないからな
要は成り上がり者の限界かな
下克上で戦国時代中攻め続けて江戸時代安泰な大名は少なくない?
室町時代から生き残った大名の方がはるかに少ないんだが・・・。
生き残ったのは島津や相馬程度で後はかたちばかりの小大名にちょぼちょぼ。
豊臣政権期に有名→大大名→徳川幕府警戒→難癖付けて御取潰し。
のパターンが一貫してるからそう感じるかもな。そういう状況で最後まで
生き残った前田は立派。
織田家に仕えて最後まで生き残ったってのも
前田に山内家ぐらいかな
織田の軍団長は全部消滅しているね。
350 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 13:45:17 ID:RhJ6NRVE
351 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 14:05:41 ID:0M/Qjy2F
森とか堀とか池田とか浅野とかは?
TBSチャンネル
TBS創立三十周年記念番組「関ヶ原」
「第一夜夢のまた夢」4時〜
「第二夜さらば友よ」5時40〜
今日、再放送だ。
下克上で大名じゃなくてお仕着せ大名ばっかじゃん
どこの大名だってどっかでのし上がってるんだからしょうがないべ。
立花とか丹羽の波乱人生考えると戦国期の大名の立場なんていい加減
なもんだよ。
島津にしても正確には傍系だしな
>>348 伊達はよく生き残ったよな。取り潰されそうなこと何回もしでかしてるのに。
小山だっけか 反転攻勢はさすがじじぃだと思う。
三成が伏見で武辺どもに襲われた時に討ち取られていたら
結構おもしろかったのではないか?
じじいに表立って反抗するのは上杉ぐらいだろう。
じじいは上杉をまず征伐、前田に難癖をつけて征伐、
さらに宇喜多・毛利にも難癖をつけて征伐。最後は秀秋あたりに秀頼を殺させる。
もちろん秀秋は主殺しで取り潰し。加藤福島は史実どおりに消してしまう。
どっちにしてもかなり時間が掛かったと思う。
上の山で伏兵にあったのは失態であった。最上なんぞじゃ気合がはいらん。
>>358 それは単純すぎる考えだな
三成憎しで武断派が関ヶ原でああ動いたんだから
三成がいなきゃ逆関ヶ原状態になってるよ
361 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 22:18:24 ID:Lh3Hw/Lh
今度、火サスの時間で戦国自衛隊やるけど、内容的には「戦国自衛隊 関が原
湯けむり殺人紀行 女自衛官は見た」になりそう。
実際問題、現代の兵器を持ち込んでも「戦闘には勝てたが戦争に負けた」形に
なりそうだな。当時の武士の戦闘能力や武将の政略を考えると。
ここで、家康が本能寺の変時に、
刺客に襲われて死んでいたら、
歴史はどうなっていたの?
家康死んでたら、甲斐、信濃は手に入らず、駿河も北条に削り取られてて、
秀忠が秀吉に屈して何とか三遠駿78万石の大名として大人しくしてそう。
北条があっさり豊臣に恭順してれば徳川はせいぜい100万石どまり
北条家が120万石くらいで豊臣家に忠誠を誓っていたら
確かに徳川幕府は無かっただろうなあ
といっても、豊臣秀吉の天下統一は北条潰しというイベントで固まったわけだがら
スケープゴートは伊達政宗あたりに変更だろうか
>>366 北条が降服したら、伊達も降服せざるを得ないんでない?
北条の小田原篭城には伊達なんかの後詰を期待して、と
言う点が有ると思うが、北条が降服した環境では伊達の後詰
を何処に期待するのだろう。
>>366 その場合のスケープゴートは島津じゅない?
で九州全土をえさに徳川は九州へ
>368
あほかえ?
九州征伐終わってからの小田原征伐だろうがw
奥州に国替えしろと言われたら家康もさすがに切れそう
すでに影武者の家康に何ができる?何を発言できる?
>>370 陸奥・出羽・常陸合わせて何万石だろ?
200万石以上ありそうだが
越後も合わせて350万石ってところかな
近畿に本拠を置いて天下に号令をかける場合
東国に百万石以上の外様大名がいると政権が不安定になるな
東北はあの時代けっこう石高は低かったんじゃなかったっけ
広くても、人口が少なくって
伊達があの面積で60万石くらいだからねー、
耕作の北限もまだ低い。
それもあくまで広さであった実際の実りはもっとすくなくなる・・・
今のあきたこまちとか一目ぼれなどの寒さに強い品種があれば、石高は倍以上に跳ね上がるだろうけどね
元々稲は亜熱帯の作物なんだから、東北まで持ってくるなと
>377
仕方なかろう、石高(米の収穫量)がステイタスシンボルなのだから
それに米=貨幣価値なのだから
東北は農耕より首領最終生活してたほうが豊かな暮らしが出来たという話もあるね。
陸奥とかは江戸時代も4〜5年に1回の割合で飢饉に会ってる。
寒さに強い品種を持っていく火葬戦記を誰か書けい
きらら397の種籾50俵とともに農家の人20人が津軽に
タイムストリップ!!これにより石高を大幅に高め国力
をつけた津軽為信は、南部・安東を滅亡させ、いよいよ
東北の覇者となるべく、南に兵を進めるのであった・・
突如寒冷地で栽培できる品種が出来たとしても
人口は突然増えません。
人口は増えないが、動員戦力は増えるな
収穫量が増えればそれまで農作業に必要だった労働力も、戦力に動員できる。
また、経済力も増加するので、武器の購入もたやすくなり戦闘力も増加する。
豊かであるとなれば、周辺から素浪人みたいなのが集まってくるので、
新しい品種が領国に根付く数年の間に、町民がある程度増える可能性
もある、それら素浪人を足軽として動員すれば農民人口以外の動員力
も多少増えるかも。
30年くらいのスパンを見積もれば、東北から天下を取ることができるかも>タイムスリップきらら397
10年間で石高を3倍に増やした東北の覇権を巡って、200万石の伊達氏と150万石の津軽氏が一関で決戦!
すれ違いだ・・・・・・
>>383 人口が変わらないのに収穫量が増えたら、実働延べ人数が増えるから
農繁期には兵を動かせないよ。
畿内ならともかく、東北じゃもともと農繁期になんか戦しないんでは?
>>388 説明が足らんかったね。
農繁期の拘束時期が当然長くなるから、部隊が稼動できる
時間が減る、と言う事ね。(冬の動員は農繁期以上に無理だし)。
>389
耕作面積は変わらんのだから拘束時間もかわらんだろ?
俺は389じゃないけど、収穫量が増えるということは種籾に回せる
分も増えることになるので、耕作面積を年々増やしていける可能性
はある(まぁ個々の人間ができる範囲までになるだろうが)、それは別
として、収穫量が多い場合、脱穀とか後作業も増えるかもしれん、、
まぁそれは俺が農家経験者じゃないので妄想にすぎんが・・・。
まあきららでないにしても東北の一寒村でたまたま突然変異で誕生した耐寒品種がひょんなことから広まって…って展開は出来るかもね
きらら397を得て北海道全土を開拓殖民する蠣崎氏萌え
北海道が早くから栄えてると歴史より早くロシア人が来るかもよ。
>>394 むしろ、早い時期からロシアと紛争問題を抱えていた方が近代化が進んだかも。
ロシアと対峙すると言う事は、最新の軍備が必要なわけだから
幕府は軍備だけでも最新式のものに更新し続けただろう。
まあ、占領・植民地化されてしまうようでは最悪だが・・・
露西亜のシベリア制服の兵力が何百人とか
15世紀欧州最強のスペイン王フェリペの動員兵力が2万とかでは日本制圧は無理でしょう。
ほどほどの刺激となる程度の外圧って感じかな
15世紀〜16世紀ならヨーロッパなんて雑魚すぎるんですけど。
明・清が日本に攻め込んで来てたら凄まじい外圧になってただろうな。
確か平安期は今現代よりも温暖だったから、
当時の品種でも東北地方で稲作ができるので、
東北地方にも稲作の普及を促進したと。
それが蝦夷の衰退の一員にもなったのかな?
(こう見れば、昨今の地球温暖化って根拠のない出鱈目だよな)
>398
そんなことは無い。16世紀のヨーロッパなら強敵だとおもうぞ。
中国は外征能力が低いので問題なし
>>400 宗教戦略以外で16世紀のヨーロッパに
日本を征服できるだけの国って何処があるの?
ポルトガルの人口が1600年で200万人以下。
当時の欧州全体の人口が約4000万人?日本が2000万人、
まあ何処までを欧州にカウントしてたのか知らんが、鉄砲の保有数もほぼ同数。
スペイン王がフィリピンに続いて日本に出兵しようかと相談した宣教師に「無理w」とか返されたとか…
ポルトガルなんて衰退した理由は
まさにその人口の少なさのせいだからね〜。
まぁ欧州からはるばる日本まで派遣できる兵力は、
せいぜい数百人ってところたろうな。
琉球だけなら取れたかも
釣り野伏せで水際撃破ですよ
どっちにしろ数十年以内に攻めてくる
島津に対して維持できないと思うけど。
まさか数千人単位でただの移民じゃなくて
軍隊を置いておくわけにもいかないだろうし。
どっかの教授が最盛期の信長政権くらいの軍事力を持つ国が
ヨーロッパ近辺にあったなら、ヨーロッパを制圧してしまっただろうと言っていたが
大砲には劣るが、銃の装備率と性能が日本は段違いにいいらしい
ま、当時イギリス全土にあった鉄砲の数が2千丁程度だったそうだからな・・・
問題は国内戦争しかしていない、日本と、海外作戦豊富な欧州との戦略、作戦能力の差だとおもうんだけど。
太平洋戦争も軍事力、技術力以前に戦略で敗れ去ったことをお忘れなく
兵站という概念がひどく希薄だったしね
ただそれ以外は、信長軍団が上だと思うんだが、作戦能力も。
そう言って秀吉は失敗してるから欧州制圧はやっぱできないんだろうな
しかし、朝鮮出兵では別に兵站にはさしたる問題がなかった気が。
オスマントルコの大軍も結局撃破されてる。
最終的には勝てないが小規模の戦いは連戦連勝ではないか?
少なくとも信長以降で同時代他国よりそんなに兵站概念希薄かな?
>411
何言ってんの?朝鮮征伐の敗退の第一の要因が兵站の崩壊
糧秣も無く徴発した松の実を食べていた小西行長に謝れ
朝鮮出兵の兵站は良く計画されてたんじゃないの?
ただゲリラ戦や海路を妨害されたりってのは予想外。
味方の進軍が早すぎたと言う気もする。
限りなく完璧に近い兵站を実行できたのは古今東西考えてもアメリカ軍だけ(それすら完璧でない)。
そのアメリカ軍ですら、イラク戦争開始1週間で第3歩兵師団は早くも補給不足に悩まされた。
まぁアメリカも兵站は大したもんだけど
時代や文明化度を考えたら限りなく
完璧に近い兵站を実行してたのはローマ帝国だろ。
伊達に道路作りまくってたわけじゃないぜ。
日本だって信長、秀吉、家康は優に1万人以上の
兵力を軽々と動員して戦場でしっかり戦わす事が出来てたし
兵站面で悪くはないと思うぞ。
じゃあインカもだな
>>418 そうなのか?
インカってピサロと愉快な仲間達に
滅ぼされたヘボい国くらいしか認識がなかったorz
車輪すら発明できないし山ばっかりだし
兵站なんて整えて戦争するような認識あったなんて驚きだな。
インカは国内に舗装されたインカ道を使い、
各地に軍隊を派遣していたが、スペインは
逆にここを使ってやすやすとインカ支配地
を征服した。
すれ違いなのでsage
何百対何万でも戦いようでは勝てるんだなぁ
スペイン軍が信長を人質にして財宝を要求し奪った跡で信長を殺害。
更に天然痘とハシカとスペイン風邪と鳥インフルエンザと梅毒が一斉に
蔓延しても日本がインカみたいに滅ぼされるとは思えない。
ところで、脱線しまくったところで、島左近の活躍っぷりでも語ろうぜ
活躍と言っても、戦闘が始まってすぐに撃たれて負傷したんじゃなかったっけ
三成は運もないな。島左近の分の禄でもっと兵隊雇えただろうに。
黒田藩の侍が、よく関が原の島左近の夢を見てびっくりして起きた
っていうのはネタ?
>>424 いや、島左近はその禄でさらに自分の私兵を養いますから。
島、蒲生、舞だっけ?石田家の幹部は、
>>426 そっか。しかし大禄で召抱えた股肱の臣が速攻討ち死にって悲惨だよな。
429 :
名無し三等兵:2006/01/11(水) 21:49:05 ID:36FE1Hkj
昔、柘植センセの逆撃シリーズの関が原で島左近がたいした事ない人物に描かれて
いたのに衝撃を受けた。真田幸村も御同様でさすが柘植先生、目の付け所が違うと
感心したものだ w
「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」だっけ?
>>430 つーか、大谷吉継みたいなマブダチがいたことも忘れないでおくれ。
>>430 確かそれだな。
……しかし関ヶ原での三成を鑑みるに別の意味で当たっていそうだな。
大禄を食んだ挙げ句、速攻で重傷、戦闘不能の武者に、
要衝すぎて防御部隊が必要で、説によっては野戦に
引きずり出させられた要因ともされる本城。
別の意味でも使いこなせとらん=過ぎたるもの、か。
石田家家臣のうち、
元蒲生氏郷の遺臣は殆んどが討ち死にを選び、元豊臣秀次の家臣は殆んどが逃げ去ったとか
やはり恐るべきは家訓なのか
>>431 しかし吉継が親友になった有名な逸話が癩病絡みなのがなんとも。
病に罹らなければ他の連中と同格の二十万石級大名で、
寄騎抜きでも六千からの動員が期待できたろうに。
その代わりに史実程の友誼を三成との間に結んでいるか微妙という。
……てーか普通に家康につきそうだ。
>>434 いや、大谷吉継って病んでいなければ、どうなっていたか良くわからないですよ。
非常に可能性の選択肢の多い人物だと思います。
まず、吉継が秀吉に抜擢されたのは、一隊を率いる武将としてではなく、
太閤検地における行政家としての手腕によるものだったはずでして。
ライ病の病状が進行する以前は、奉行職の一角もしめていました。
健康ならば、浅野長政や三成と並んで、奉行職としてより重きを成していたでしょう。
となれば、三成とのパイプは日常を通じて太くなっていたかもしれない。
あるいは日常の職務を通じて衝突することが多くなっていたかもしれない。
一方、吉継は発病前は最初の朝鮮征伐行に従軍が内定していたはずでした。
ところが、病状が進行したために、朝鮮征伐から外れることになった。
朝鮮征伐に従軍していれば、清正ら武断派と接近。引いては家康になびいていたかもしれません。
ただ、小西行長は朝鮮半島における活動を通じて、清正らと対立し、三成についています。
行長と同じ道をたどっていたかもしれませんね。
病を得ていなければと仮定すると、非常に興味深い人物です。
IFを弄ぶには格好の人物だったりw
>>434 別にあの茶会の話がなくても
三成と吉継は元から親友同士だからな。
最後には三成についたと思うぞ。
あんまりにも仲が良すぎるかあら衆道って説もあるし。
三成ってなんだかんだ言っても素晴らしい家臣や
友人に恵まれて、20万石にも満たない石高で
100万石を軽く超える家康に対して
天下二分する戦いをしてるんだよな。
それに引き換え、前田や毛利の体たらくといったら・・・
>>435 秀吉が「100万の軍を率いさせてみたい」とか言ってなかったっけ?
まぁ秀吉は股肱の臣が少ないから過剰に評価するのが癖だけど
人物評は大好きだったから根拠のないことは言わないと思うけど。
>>437 もちろん、武将としての才能もあったから、秀吉の言にも繋がったし、
朝鮮征伐への従軍も内定していたと。
ある意味、吉継という人物は、オールマイティな能力を持っていたわけですよね。
人格的に非難されることもないようだし。
だから、想像の中でいろいろと活躍させてみたくなるw
そりゃただの無能ならあの時代にライ病患った人間を
初期の段階といえども部下として、ましてや寵臣の1人として扱わないでしょ。
秀吉は指が6本あったと言われてるけど、
自分もそういう障害をもってたから吉継にも理解があったんかもね。
西軍についたのはやはり秀吉の恩顧に報いたいってのもあったのかもな。
>>434 それこそ過ぎたるものだったんじゃないの?
家臣や友人に恵まれていてもそれを生かせなかったんだから。
いや、毅然とした外交をすることや、戦うばかりが戦略じゃない。
勝ち目が薄いと思ったら、批判が噴出するような譲歩をしてでも生き残るのも戦略。
批判の多い島津や毛利、上杉の首尾一貫としない姿勢も戦略だったのかもしれない。
生き残るのが目的なら彼らは見事にその目的を果たしたとすらいえる。
島津と上杉に批判なんてあるのか?
そもそも島津はまともに兵だせないからってんで
せめて義勇軍?出そう、ってくらい誠意は見せてるし
上杉は三成と共に関が原の舞台を用意した張本人の1人じゃん。
空弁当食ってたのは毛利だけだぞ。
>>442 島津は戦闘に参加しなかったことが、上杉は家康軍を追撃しなかったことが批判されているようだね。
両者とももっともな理由があった訳だけどね(w
あんま関係ないけど
>「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」
これの家康バージョン
「家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭と本多平八」
唐の頭とは、兜についてるフサフサだったと思う。
フサフサが過ぎたるものとは、よっぽど似合わなかったんだな。
>>441 上杉は最上を攻めたことを云っているのか?
しかし、中央での決着がわからない状態では明確に
徳川よりの最上をたたくのは正解ではないか?
伊達なんぞはちまちま動いているだけだし、会津には
景勝の本隊が残って、結城秀康や伊達に備えている
とも考えられるわけだし。
そんな状態であるから、別働隊を率いることの出来る
直江が遊撃として最上をたたこうとしたのでは?
庄内への接続と、(個人的推測だが)越後への
道程確保も兼ねて。正直、津川や米坂線は
兵を送る道としては不向きだと思うし。
第一最上が潰れた後なら越後に一隊を
派遣するのに後顧の憂いもない。
勿論戦国大名的思考だが。
446 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 00:35:11 ID:CuRxGJaQ
秀吉は、東海道に豊臣恩顧の将を配置して徳川に備えたが、完全に無意味だった。
感情的な意見だが、豊臣恩顧の東軍(武断派)って大嫌いだけど。
そう思わないか?
それに本気で家康が秀頼の為に戦うと思ってたならかなり馬鹿だな。吉川も家康が
毛利をそのまま存続させてくれるなんて、本気で思ってたな馬鹿としかいえない。
447 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 00:39:52 ID:viDLW19T
>>446 武将としての能力評価があまり高くない三成の言い分に乗って
負ければもっと馬鹿にされてるだろうな、喪前みたいな香具師にさ。
>443
すまん。自分の知識では島津は井伊・松平勢6000余りと
にらめっこ、或いは銃撃戦なんだ。
島津勢が1000から1500位のどの数字を見ても
兵力比を考えれば充分な仕事だと思うんだが。
銃撃戦なら立派な戦闘参加だろうし、にらめっこでも
4倍からの兵を引きつけていたのなら牽制効果は
充分だと思うんだがなぁ。
>>438 敦賀等の開発でも手腕を発揮してるからな
>>449 そうだよなー、島津とはいえ兵1500程度では何ほどのことも出来ない。
意地を通した退却戦だけで十分というかソレがやっと。
3000もいれば薩摩本能が蟠りを越えて突進させてたかも。
小西と兵力が逆だったら…
小西が一瞬で総崩れ。
453 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 02:11:56 ID:fV5W4ypb
まあ戦術とかより三成が文官だから
当時文官が戦の指揮を取るのは無かった事だし、馬鹿にされるだけだからな
つまり寝返り等も三成が文官で有るから
かなりでたらめなスレだな。
455 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 06:09:22 ID:80yhreeW
>>408 オスマントルコと衝突してかなり疲弊しそうな気もするが。
三成は家康に鯛の天ぷら大量に送っとけば戦わずして勝てた
457 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 07:22:30 ID:pNMMNJNO
天ぷら送らずとも、家康が死ぬまで佐和山でおとなしくしてれば良かったのに。
影武者も殺れ(ry
>>455 あーた、オスマントルコと事を構えるには…
ルート1)
インドシナ半島制圧→タイ、ビルマ制圧→インド制圧→中東へ
ルート2)
朝鮮半島制圧→明制圧→モンゴルの遊牧民支配地域制圧
→ロシア経由でバルカン/小アジアへもしくは中東へ
という壮大な火葬疝気の世界に突入することになるのですよ。
志茂ネタカゲキ筆「秀吉の艦隊」
スペインの無敵艦隊VS日本水軍
中東で敗れた欧州連合軍は無敵艦隊を送り込むことを
決定!!艦隊は喜望峰をまわり、まだ欧州軍の勢力下
にあるインドのゴアに到着した。
一方、この動きを既に察知していた秀吉は無敵艦隊の
フィリピン入りを阻止すべく、日本の数力を結集した
水軍をマラッカ沖に派遣!!
そして水軍には秀吉の秘策、ド級鉄鋼船が・・・
火葬だけど、日本の鉄甲船がどれだけ海外で通用するのかは気になる。
毛利・雑賀水軍は中小口径火器を大量に装備していて、意外とその火力は侮れない。
海を渡れるのかとか繋留しかできないなど問題点はあるけどね。
当時の欧州の軍艦ってどんな装備で、どんな戦い方がメインだったの?
>461
火葬処か、織田鉄甲船、毛利の焙烙火矢にやられてるよん
464 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:13:44 ID:OkRZQy44
>>462 ガレオンとかガレアスとか非装甲+大砲+手漕ぎみたいな船。
465 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:17:09 ID:OkRZQy44
いかに大安宅船といえど、ガレアスとガチでやるのは辛いかもしれん。
466 :
名無し三等兵:2006/01/12(木) 23:24:57 ID:+VwZ9H0n
>>349 織田家臣出身 前田、池田、細川、森、堀
秀吉家臣出身 黒田、浅野、山内
というふうに普通は分類される。
山内は信長のとき結局大名になれなかったし、早くから秀吉配下。
黒田も最初から秀吉配下。浅野はねねの実家として取り立てられた
んであって、織田家下では足軽組頭とかでとても家臣とはいえない。
池田は信長の乳母の子で、織田家臣。
鉄甲船は外洋で戦うのはきついんでないかい?
>>464 ガレオン船というか帆船を主戦力として持ってるのはイギリスだけだな。
オスマン・トルコもスペインもガレー船が主力だし。
最新鋭のガレオン船はレパント海戦で登場したばっかだから。
んで、対戦結果はどこの国相手にしてもボロ負けだと思う。
大西洋でイギリス海軍相手に戦ったら
機動力のあるイギリス軍の砲戦で滅多打ちにされると思うし、
逆に地中海で無敵艦隊やオスマン・トルコの艦隊と戦ったら、
ガレー船得意の衝角攻撃で無防備な喫水線に穴あけられて
鉄甲船なんてあっという間に沈没する。
だいたい、無敵艦隊とか数百名くらいのれる大型船が
100隻以上いるし相手にならないと思う。
469 :
466:2006/01/12(木) 23:34:33 ID:+VwZ9H0n
470 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:07:54 ID:Jkw74Y/T
471 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:18:55 ID:zu4SCCtt
まず、
>>466は
>>349-351へあてたものだってことで了解?
で、何が言いたいの?秀吉家臣という言葉が気に入らないなら、
秀吉譜代と言葉を変えても良いよ。
>>466は秀吉時代に与えられた官位による学術的分類。
>>466の織田グループは高く、秀吉グループは低い。
>>470じゃないけども
本能寺前の純粋な秀吉の家臣なんて
秀長とか七本槍ぐらいじゃない?
蜂須賀でさえ織田の直臣だろ?
473 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 00:59:51 ID:Jkw74Y/T
>>466 分類が違うつーか家臣と与力の違いを理解していない。
例えば黒田さんは播州の国人であり小野寺家の家老より二またで織田家家臣になる。
そしてたまたま中国方面の司令たる秀吉に織田家に与力として指揮下に編入される。
このころの織田家は方面ごとの軍団制をとっており、中国なら秀吉、北陸なら柴田とうの専属がいた。
そして織田家より組下与力として将兵を貸し与える軍制をとっており、状況に応じて与力は移動させられている。
与力とは家臣とは違い禄は例えば秀吉よりもらわずに織田家より貰い、指揮下に入るシステムである。
例え足軽組頭とはいえ織田の家臣であり秀吉の家臣ではない。
このころの秀吉の与力は蜂須賀や黒田や竹中なんかが有名である罠。
判りやすい例えで、明智の反乱時に細川や筒井なんかが同調しなかった理由は家臣ではなく与力だったから
言うことを聞かなかったのは有名ですな仮に家臣なら話が変わってくるからね。そしてこの時代は明確な家臣とは案外すくなく国人と言われている香具師らは臣下の礼は取っていても正式には家臣ではなく配下なだけであり
弱い香具師なら別に鞍替え当たり前の時代でした。
474 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:02:03 ID:Jkw74Y/T
家臣と明確になるのは国人が消える江戸期からだと思われ。
475 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:07:39 ID:Jkw74Y/T
473の足軽組頭の例えは浅野さんね。彼の父ちゃんは弓で信長の旗本だったはずノシ。
476 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:12:43 ID:H63DUbat
>>473 だから、
>>349-351を読んだ?そんな厳密な分類で話してないから。
便宜上、秀吉家臣として間違いない。これは格の問題。
譜代大名と外様大名みたいなもん。石高は関係ない。
477 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:21:49 ID:H63DUbat
秀吉が桃山時代に、家臣とみなしていたかどうか。
前田、池田、細川、森、堀 には、外様として比較的
遠慮した扱いをし、黒田、浅野、山内には家臣として
扱っていることによる分類。
与力とかそんなことはこの話題では無関係。
478 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:22:47 ID:YPd31Jxk
関西人、恥辱の歴史たる関が原の合戦を関西地区のみで再放送してんじゃねえよ
479 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:23:29 ID:H63DUbat
もし与力と家臣を混同してるなら、前田は柴田の家臣、細川は明智の
家臣といっているはずだが
>>466ではちゃんと織田の家臣としているよ。
「その時歴史が動いた」で三成やっとる
481 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 01:51:44 ID:Jkw74Y/T
黒田浅野を始めからの秀吉の家臣と言い切るじたいがおかしいのよね。
徳川親藩の松平が語るんじゃねえ。
483 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 02:24:15 ID:pAJHlGQC
484 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 02:29:52 ID:Jkw74Y/T
466
485 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 02:32:53 ID:pAJHlGQC
>>484 466にはそんなこと書いてないよ。
目医者か脳外科に行くことを薦める。
486 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 02:35:41 ID:OJEnoB7I
おまえら何つまらないこと言い合ってんだ。
別にムキになるほどのことでもあるまい。
しかし、こーしてみると秀吉が死に利家が死に氏郷が死に隆元が死に吉継も死にかけ。
ライバルより尽く長生きして挙げ句やっと見つけた一瞬の権力の空白をついて家康は天下人になったんだな…。
泣かぬなら泣くまで待とうとはよく言ったもんだ。
最強の戦略。長生き。
最後にレスしたやつが勝ち、みたいな
>>472 七本槍なんて軽輩じゃないか
たまには御子田・尾藤・戸田・木村・仙石・中村・一柳なんかの事も思い出して上げてください
たいした奴いないなー、、仙石とか、
中村、堀尾、山内、一柳は地味すぎる
>487
最後まで天下を取るっていう意志をすてなかったところがえらいよ。
上でだれか言っていたが、他の大大名は生き残る戦略しか考えていなかったのに、
家康は最後の最後で大博打。天下人にふさわしい
年寄りが若造と未亡人を虐め殺したみたいで印象悪いでつ
しかし若造と未亡人は何万という浪人集めたりして、カタギではないわけだがw
496 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 17:15:03 ID:6us4YE59
本屋で、一豊と秀吉 とか 一豊と信長 とか 一豊と家康 とかさー
あまりに格が違いすぎて無理やり感がすごい
自分が子孫だったら恥ずかしくて穴があったら入りたい
まあ掛川6万8千石でも出来すぎのキャラだから…
498 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 19:08:35 ID:hsGfYUmH
キャラが弱いから生き残れたと・・・・・・・
運だけでのし上がった希有なタイプだな
500 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 19:11:58 ID:hsGfYUmH
なにもしないから生き残っただろW
>>496 一豊と秀吉はまだわかるが
信長とか家康とは、会話もあったかって感じだな
502 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 20:30:37 ID:EyUcPpOK
昔は光成とか光秀が嫌いだったけど、最近は好きになってきた。
503 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 20:33:12 ID:PNMDl0Jd
俺は両方大好き。クール。あと勝手なイメージだけど
頭悪そうな武将(加藤清正、秀吉)と仲悪かった、てのがいいな。
秀吉や清正は頭悪いのか?
頭悪そうなのは福島じゃね?
加藤清正が頭悪かったら、築城の名人とは呼ばれないな
築城には綿密な計算と戦術眼が必要だし
506 :
503:2006/01/13(金) 20:53:03 ID:PNMDl0Jd
ごめんごめん。ただ武闘派なイメージがあったから。
清正は確かに築城すごいし、文盲ってのも嘘らしいしね。
クールな官僚肌とちょうど対比させやすかっただけだから。
507 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 20:55:48 ID:B2UvP/OV
毛利一族にもうすこし機会主義と博打の気があれば・・・・
つーか、戦場で日和見して一方の大将が戦わずに下るなんてすごい博打な気がする。
総大将が決戦場に出ないだけでもうね。
大小に関わらず連日こんな判断力見せ付けられたら、広家の思考も狂うわな。
毛利隆元が長生きしてればな・・・
>>509 当時の毛利家家中。
まともな対外思考能力を持つのが広家と暗黒寺だけだった様な気が
512 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:00:30 ID:dDVNHP3y
>>505 戦国時代の頭の良し悪しって政治感覚があるかどうかじゃない?
築城できるけど政治感覚がないのは、現代でいうところの勉強馬鹿に等しいよ。
513 :
(´Д`):2006/01/13(金) 22:13:23 ID:???
いつの時代でも、年長者から見れば「政治感覚」ばっかり気にする若者というのは
必ず裏切るから嫌い。
514 :
名無し三等兵:2006/01/13(金) 22:23:36 ID:dDVNHP3y
>>513 如水みたいに政治感覚に長けていても義理堅い奴いるじゃない。
俺、ああいうのに憧れる。
>>514 如水は怖いもんなしな雰囲気むんむんだな
如水が義理堅いってのは一寸違うだろw
徳川か豊臣どっちの旗下で大録を食めるか?博打打っただけの事
518 :
(´Д`):2006/01/13(金) 23:02:35 ID:???
>>514 秀吉没後の如水像というのは辿った運命の結果として見るべきであって、
最初から見習って成れる物とは違うとよ。
播州人から見れば、とんでもない薄情者に見えるかも知れんバイ。
如水が関が原の後、九州の戦乱をまとめ、家康の目を盗んで東上すればどーなったか?
島津、立花は抱きこむ心算だったろうけど、目論見どおり播州までたどり着けたか?
>>512 築城築城と言うが、加藤清正は行政手腕にも秀でてたんですが。
前任の佐々が無能すぎたり小西も下手だったのもあるけど
領国経営の巧みさは領民からえらく慕われてたし、
秀頼と家康の会見を用意立ててしっかり秀頼の後見として
家康に睨みきかせて、結局家康は加藤清正が死ぬまで(浅野長政もだけど)
豊臣家を滅ぼす事出来なかったし、
政治感覚がないって何処の世界の加藤清正だよ。
まあ、関が原の時点で豊臣家の行く末を予見してたかどうか、
徳川から見れば石田も加藤も各個撃破できたとも取れる。
豊臣恩為と思えば三成憎しで一時的に徳川片についた清正の政治感覚は?だと思うよ。
各種才能は認めるけどまさに政治感覚こそ欠如してたのでは?
大谷吉継と同じで、天下の趨勢は徳川家に向いてるのは
分かりきっていたから、雌雄を決する戦いなんかやらせて
主家をみすみす滅亡させるよりも、一大名としてでも
家系を残そうとしたんじゃないの。
いや、賢かったからこそ徳川に付いたのではないか?
藤堂高虎とかは極端だけど、真田でさえ飽くまで
義ではなく利のための奮戦でしょう。
小説「加藤清正」を読んだが面白い。清正は淀や大野ら牛耳る大阪を
見限り、なんとか婚姻で徳川と和睦を図り、豊臣家を存続さえる事が
出来れば良しと考えていたようだ。
もちろん朝鮮以来からの私念もあったろうけど。
江戸に大名屋敷をいち早くせっせと作らせている当たりも強か。
そのためには豊臣家に覇権を喪失したことを納得させるべきだったし、
ソレが出来ないならドコかで徳川家に挑むべきだった。
自分が生きてる間は豊臣家を守るけど、死んだ跡のフォローがゼロでは、
加藤家も結局は滅ぼされてるわけで政治感覚については誉められないと思うなー
>>524 疫病か暗殺か知らんが急死したのなら仕方あるまい。
まさかアズミに殺られたって事はないだろうけどw。
むしろ子供が愚息だったのが痛い。
それとあの馬鹿女(淀)に付ける薬は無いと思うぞ。
何か三成あんま評判よくないけど、結構好きだね。
正義を感じるよ。俺なら結果分ってても徳川には付きたくない。
もっとも加藤清正曰く「三成の野心によるもの」と断言してるのだが。
藤堂、黒田、細川は旨く立ち回ったけど加藤、福島、浅野は意地に殉じた気がする。
しかし三成ってそんなにいけ好かない奴だったのかな、
今で言うと菅直人みたいな自己中正論派?
前原みたいな微妙にずれてる派?小沢みたいな陰謀家か?
528 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 00:52:13 ID:heh1MQ++
529 :
(´Д`):2006/01/14(土) 01:01:12 ID:???
清正公は、最悪の場合、熊本で徳川と一戦やる積りだったバイ。
海外貿易という金の成る木があったけん、いかに徳川が江戸城や
姫路城の普請工事を押し付けても、涼しい顔してホイホイ請け負った上、
熊本城下や河川の整備工事までやりあげて見せた。
ただ、開戦可能条件は、やはり家康の寿命だろうね。
浅野長政は年齢的に仕方ない可能性はあるけど、
加藤清正も一緒に秀頼との会見の直後に病死ってのがな〜。
清正が存命のまま家康が先に死んでしまったら
秀忠だけで大阪城攻められたかどうか・・・
そもそも順調にいけば秀頼は関白についてた可能性高いし
秀忠vs秀頼なら風格だけなら秀頼の圧勝だからな〜。
三成が余計なことせずそれこそ家康風に鳴くまで待ってれば
豊臣の世になってた可能性はかなり高いと思うんだけど。
531 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:06:39 ID:2MaQPPML
三成は真面目で情が全くないというのが嫌われた原因かな?
「あいつは頑張ってるからちょっと誇張して報告するか」みたいな情がなく、
前線で戦ってる福島・加藤・黒田などは、手柄を減らされてると錯覚?したのだろう。
532 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:09:19 ID:2MaQPPML
>>530 確かにね。
皮肉なんだけど徳川幕府最大の功労者は石田三成なんだよなぁ(´・ω・`)正直言って。
浅野長政も加藤清正も、あと池田輝政も
あの会見後に揃って死ぬなんて幾ら何でも出来すぎてるし、
暗殺されたんじゃないかと思う。
534 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:20:48 ID:bhXTol/Q
535 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:25:56 ID:bhXTol/Q
加藤清正はオポチュニスト
関が原直前に、自分の妻を離婚してまで、家康の娘をもらってるし
黒田長政も妻(蜂須賀の娘)を離婚して家康そうだけどこの人は
オポチュニストとして有名だからいまさらいうまでもない
つ「戦国の世のならい」
豊臣文治派ではなく武断派と徳川の戦いが見たかった。
加藤清正、福島正則VS本多忠勝、井伊直正
538 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:32:56 ID:bhXTol/Q
×黒田長政も妻(蜂須賀の娘)を離婚して家康そうだけど
○黒田長政も妻(蜂須賀の娘)を離婚して家康の養女と結婚したけど
ちなみに加藤清正の妻も家康の実の娘ではなく、養女
福島も家康の養女と結婚してるし
池田も家康の娘と結婚するため妻と離婚してるし
細川は前田の娘と結婚している嫡男忠隆を廃嫡にして
徳川の養女を妻にもらった三男を嫡子に
浅野は大阪の陣で、まっさきに豊臣家に攻撃してるし
みんなオポチュニスト
秀吉縁戚の福島加藤は江戸初期に改易されているし
浅野は、家康三女の出もどり振姫38歳を高齢出産させて
死なせてめでたく男子を得なければ改易されてたといわれる
>>534 城の大事は縄張りなんだが
大工に戦術眼があるのか?
現場の工員と設計事務所の区別がつかない模様(w
540 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:41:04 ID:bhXTol/Q
>>539 大工が、設計事務所だよ。大工の出した設計案に口出しをするのが
加藤清正(普請奉行)の仕事。
戦術眼(つまりどういう守りにしたいとか秀頼の部屋を作りたいとか)
とかは清正の注文だろうけど、それは 設計 とはいわないんだよ。
区別がつかないのはどっちかな
清正は、関が原後に成長したといわれているな。
そういえば、浅野は分家筋が楽しいことをしてくれたな。
542 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:44:25 ID:bhXTol/Q
基本的に武士は設計について知らないんだよ
江戸時代も、江戸幕府が、大名に嫌がらせに専門家(大工)を一切
使うなといって、施工させたらひどいことになったことがよくあった
ちなみに大工は現場の作業員のことを指すだけではないよ
建設の専門家
>>541 国持ちになったの自体が遅かったし、その後すぐ朝鮮に逝ったからね。
確かに楽しいことをしてくれたな。徳川からすれば絶好の口実だったろう。
544 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 01:56:23 ID:rEcC0+7t
大工は城の設計パターンは知っている。
どういうつくりにすれば攻められないとか。
熊本城って秀頼の部屋以外に他の城と比べて特別すごいの?
姫路城のほうが名城といわれない?
>>544 今の姫路城は結構後になって作られた。
ま、世界遺産だけあって美しいけどな。
姫路も熊本も名城、要害という意味でも
547 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:04:13 ID:rEcC0+7t
>>545 熊本城完成 1607年
姫路城完成 1609年
ほぼ同時期に作られてるんだけど。
姫路城を作らせたのは池田輝政だったね。
設計したのは大工だけど。
ちなみに姫路城を設計した大工の棟梁が完成後に
わずかな設計ミスに気づいて、天守閣から飛び降り自殺した。
548 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:09:21 ID:rEcC0+7t
大名とかの注文者が口出しできるのは概観とか、大雑把な形とかそういう種類のこと。
そういう点では、姫路城のほうがはるかに優れている。
あの時代の城は曰くつきが多い。
抜け道の秘密を護る為に完成後大工を殺したり。
人柱とか‥
姫路城には神が住んでいる。
その神の名前はうんとかという女である。
景観に関しては姫路城。
熊本城は石垣が素晴らしい。
美しさなら松本城と島原城。
上でも出てる犬山城ってまだ個人のものだったんだよね。
>>535 なかなか面白い見方だな。
確かに、関が原では家康が勝つのを見越してただろうし
二条城での会見では逆に威風堂々とした威丈夫の秀頼と
当時としてはかなり高齢でよぼよぼじじぃの家康とでは
秀頼についた方がいい、と判断しても不思議じゃないし。
家康が死ねば秀頼の下、自分が大老として政権を
取り仕切る構想くらい練ってても罰はあたらないよな。
安土城と大阪城が焼けてしまったのがもったいない。
現存していれば日本の宝になっていたであろう。
555 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:25:58 ID:rEcC0+7t
>>553 清正がオポチュニストだという、決定的なことが司馬遼太郎の
「城塞」という小説にも書いてある。でもこれは小説部分じゃなく
司馬が史実の薀蓄を語る部分で。
関が原後、清正が福島正則に
「自分は早く死にたい。自分が生きている間は大阪側に味方
しないといけない義理があるから。でも自分の息子の代になれば
味方しなくてもいいから早く死にたい」
といっているのを池田輝政が聞いて孫の光政に話した。
孫の光政は「池田光政日記」という大量の日記記録を残したことで
有名な人だけど、それも日記に書いてあるらしい。
556 :
名無し三等兵:2006/01/14(土) 02:27:13 ID:rEcC0+7t
>>554 確かに安土城は再現CGみたけど、ものすごい工夫と斬新性があった。
ああいう建築が長持ちするかはともかくとして、燃やしてしまった
信長次男は最低だな。
安土や大阪のレベルになると、
屏風や襖絵、朱柱、天守閣、茶室。
どれを取っても素晴らしかっただろうな。
現価で作ろうと思ったら何億かかるかわかったもんじゃない。
>>554 もったいないっちゃやっぱり名古屋城だな
あの大城が60年前までそっくり残っていただけに惜しい
秀吉が作った大坂城は大阪の陣の時に壊されて新しく立て直された。
秀吉の時から比べるととても小さいらしいが仕方が無い。
今残ってる城って外堀とか埋まってるのが多い。
本当は大城郭だったのに本丸と壁だけが残ってるような。
小田原城も何かなぁ。
熊本城の三の丸再建計画は中止しないでほしいね
江戸城はがち。
>>562 姫路の堀と武道館のあたりの堀を比べると格の違いというのがわかるな。
坊ちゃんで、愛媛の人間が国を自慢したとき江戸は何万石だといったのもうなづける。
つ【直江状】
「たった三里しか離れていない京と伏見の間にさえ色々な風説が飛びかうのに、
上方とここ会津は非常に遠く、どんな間違った風説がたとうとも何ら不思議ではない。
また、誓紙を出せといわれるが、太閤に出した誓紙を一年もたたずに踏みにじり、
諸大名と婚姻を結んだのはどこの誰であろう。景勝には謀反心など全くない。
上方では茶の湯など、およそ武士の本分とはかけ離れたことにうつつを抜かして
おられるようだが、我が上杉家は田舎武士につき、いつでもお役に立てるよう武具をととのえ
人材を揃えることは、これこそ武家の本道と心得ている。道を整え河川を修復するのは
領民のため以外に何があろう。一国の領主として当然のことではないか。それとも上杉家が
家康公の今後の邪魔になるとでもお考えか? 前田家に仕置きをされたそうだが、
大層なご威光をお持ちなことだ。我々は心ない人々の告げ口にいちいち会津から上方へ行って
言い訳するほど暇ではない。このような理不尽なことでわれらを咎められるおつもりならば
そうされよ。いつでもお相手をいたそう。」
安土桃山時代、名城の壮麗さを見たければ、二条城、本願寺に逝くべし
本願寺自体は江戸時代だぞ
飛雲閣のことをいっているなら西本願寺だ
直江状ってホントかっこいいよな〜。
ある意味、こんな書状叩きつけて真っ向勝負も辞さない
覚悟を見せたからこそ上杉は改易されんかったのかもね。
島津もそうだけと、本気で抵抗しそうな所は残されて
手出しせずに日和見した毛利はあわやお家断絶。
上杉、毛利は同じくらい減法されてるし彫塑壁は取り潰し。
うまく立ち回ったのは島津くらい
豊臣に力削がれた彫塑壁は怖くないから取り潰し。
上杉島津毛利は完全に潰そうとするともう一度戦になるから封殺作戦。
相手が妥協できるギリギリの線で屈させる家康は上手い。
長疎壁はおバカの一言。
地元で徹底抗戦の姿勢を見せれば取り潰しはなかったろう。
下手に出て話し合おうとするから潰された。
鍋島は島津、立花の存在で助かったね。
吉川は… コイツはワカラン。毛利本家がひどい目にあうのは解かって太郎にね。
長祖我部は、内紛中だったな。
石田三成の領国が、大坂城の西だったら歴史は変わっていた。
あの時点で、大坂冬の陣で真田が提示した計画を実施していたらどうだったろうか。
572 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 03:29:56 ID:8qlbF5rH
>>570 > 吉川は… コイツはワカラン。毛利本家がひどい目にあうのは解かって太郎にね。
分ってなかったとしか思えないがな。
毛利120万石の威光が鈍らせたか。
それともあれか、何をしても家康には敵わないと見抜いていたか。
後者なら分る。
ならば関が原で最大の恩売るしか、生き残る術はないな。
>>571 > 大坂冬の陣で真田が提示した計画を実施していたらどうだったろうか。
大阪方大勝利
573 :
U8201 チャンデリュンススコ司令感:2006/01/15(日) 03:39:29 ID:2mRzRNKN
期間中2門で 城に 押し寄せる 軍勢を なんども 押し返した 一族の 次男某は だれだっけ
教えてください
574 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 03:51:27 ID:lrkEJTaJ
もし豊臣が関ヶ原の時点で降伏してたらどうだった?
575 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 04:13:33 ID:6rsipAoR
>>574 公家で存続か大阪を立ち退けば60万石程度で大名かもね。
関が原で降伏って、臣下が勝手に私闘したというのが豊臣家のスタンスじゃないの?
大坂夏の陣、冬の陣のことか?
>臣下が勝手に私闘したというのが豊臣家のスタンスじゃないの?
ノンキな淀君に乾杯!
578 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 08:10:22 ID:0eGrCBOz
毛利も島津もあとでゴソゴソやるなら、最初から徳川の味方すればよかったんだよ。
そこでうまく味方できず島津は政治力があるとか暗君なしとか、ないから。
579 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 11:58:59 ID:6rsipAoR
>>578 毛利はともかく島津は当初伏見城警護の為に上京するも鳥居に拒否されやむにやまれず西軍についた経緯がある。
家康の後を追おうにも周りは西軍にばかりで進めず、兵は少数で東軍につけばボコボコにされるのがせきのやま。
政治的判断はある意味正解だと思われるが…
580 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 12:53:25 ID:OIAVx+Be
前田、上杉と家康につぶされている状況では、毛利は立場的につらいだろ。
吉川広家は甘かった。
朝鮮に逝かなきゃ豊臣は安泰だった。
ちょっとくらいアホでもいいから
おねとの間に男子が生まれてりゃ安泰だろ。
>>582 実子でも秀秋級のアホならどーだったか、
徳川にしてみれば、毛利や島津が最初から味方でもなんかしら難癖つけて領土を削るしかないわな
仮に毛利が味方として120万石から更に加増なんてしたらヤバイ。どこかで潰さないと逝けなくなる。
そう考えると吉川の行動は江戸末期まで毛利を生きながらえさせた巧妙な策ともいえる。
100万石の前田家は無事に明治維新まで家系を保っていますが。
前田は関ヶ原の前に家康に降伏したから。
直江状を出した上杉とは正反対。
松どのの功績によるところが大きい。
前田は織田家出身の出来合い大名だからいつでも潰せるって感じ
今度の大河も随分マイナーなのを持ってきたね。
山内一豊とは。
どうせなら島津義弘とかにすればいいのに。
関ヶ原の退き口がクライマックス。
>>587 朝鮮侵攻に反対する義弘
苦悩しつつも、朝鮮・明軍相手に連戦連勝する義弘
同僚武将の耳狩りや、人買いを阻止する義弘
なぜか李舜臣と心を通い合わせる義弘
等々、香ばしい鬼島津が見られそうだな
以前の大河で秀吉やった時に朝鮮が完全スルーされてたのには笑った。
何かの圧力でもかかってんじゃねー。
>>584 ついでに、明治まで八丈島の宇喜多家に対する仕送りも。
宇喜多家は、江戸時代中島流しだった。
秀忠は家光はともかく、吉宗あたりの時代に、なぜ赦免をしなかったんだろう。
それとも、忘れていたのか。
めんどくさい問題が発生するのを防ぐ手段です。
>>585 いや、上杉とかじゃなくて毛利の事なんだが・・・
吉川の何処が巧妙な策なんだよ。
それじゃ公然と敵対しながら
明治まで生き残った上杉のがよっぽど巧妙じゃん。
>>593 上杉は巧妙ってンじゃなくて結果じゃん。
景勝&兼次は己が力を過信して賭けにでた。リスクは毛利より高かったろう。
広家は輝元の実力と毛利家の内情を鑑みて勝負を降りたんだよ。
お家大事ならこんな仕掛けもありだろう。
本来、広家の行為は切腹ものなのにスルーされたのは毛利のダメさを現している。
これじゃ徳川相手に戦などとても無理だしね。
一応、建前では上杉は「調子こいてました済みません!」型謝罪で国を保っていて、
「治部少と共謀してヌッコロす積もりでした」は伏せたので(当たり前だ)厳密には共謀の資料は世に出てない。
まあ、当時から皆な思っていたけど言わなかったんだろう。
596 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 23:41:01 ID:6rsipAoR
つか、山内一豊って内助のこうの馬しか話題がないわけで…
だから信長、秀吉なんかのキャスティングが馬面なんだろか?
597 :
名無し三等兵:2006/01/15(日) 23:52:27 ID:KqJLvvbh
山内一豊の参戦履歴で言えば、美濃攻からずっと下士官〜准士官or少尉、秀吉覇権への道で大尉・中隊長クラス、
掛川時代でようやく連隊長クラスなのか(引率兵力から大雑把に)。不覚とかいった評判や失敗も聞かないから、手堅
い古参将校程度の認識なのかね。
>>597 しかも、「千代殿」のおまけとして語られるのが山内一豊の宿命
の気が。
確かに愛妻家だったらしい、とは聞くけど。
あえて微妙な身分の者の立場から時代背景や人間模様を描くつもりなのかも。
でもNHKの演出で成功するかな。
いっそ広家も秀秋のように西軍を攻撃して、家康に忠義を見せるべきだったか。
原作通りならば、「相撲で誘引した土佐郷士をヌッ殺した」一豊が千代に罵られて終わる訳だが・・・。
原哲生の漫画『SAKON』みたく逃げて体裁良く終わらせる悪寒が。
秀吉や信長みたいな英雄になるな。
ひたすら上司の命令をよく聞く人間になれ。
っていう国からのメッセージだろ。
>>603 秀吉も元々はそこから始まったんだけど。
不況に負けるなのメッセージ→『秀吉』 一芸で売り出せ!?→『武蔵』
財政改革→「吉宗」 若さ?→『新撰組』『義経』
家族をテーマに→「葵・徳川三代」 女房・旦那はよく選べ→『利家とまつ』『功名が辻』
・・・なのか?
>>603 スタート地点は同じでも到達地点が全然違うだろ。
極端な上は目指すな、現状に満足しろって事なんだよ。
>>605 吉宗は、財政改革をしようとして大不況に陥れたらしいな。
>>598 そうなのか、なぜ仕送りを断らなかったんだろうか。
元祖ニート、宇喜田一族。
じゃあ加藤清正とか小西行長を大河でやると中国や朝鮮とドンパチか。
「戦国乱世、内助の功で支店長になった男が居た!」なんか( ´・ω・)ショボイね。
加藤清正とか、何故か朝鮮征伐はすっぽり抜けて
突然晩年になって秀頼を守護して徳川家に公然とじゃないけど
反抗した気骨ある武将として描かれるんじゃないの?
小西はなんだろうな。
友達と亡き主人に忠義を示す道義心篤い男、ってあたりか?
>>606 夢を見ないであくせくやりなよ。ずいぶんな話だぜ♪
612 :
名無し三等兵:2006/01/16(月) 00:16:56 ID:ax1rwuKP
もし、長宗我部が身内を殺さずに安泰だったら山内はどーなったか?
そうじゃなくても他の武将に比べて低石高だしね。
同じ司馬遼太郎ならば『夏草の賦』+『戦雲の夢』+『信九郎物語』で長宗我部とかにした方が、
何となく良かった気がする。
>>610 小西行長はやっぱ反戦とかそんな感じですかね。
>>610 小西ならキリシタン的苦悩する、国際派の話になる様な気がする(某国に遠慮しまくった内容になるだろうけど)
>>614 ホントに小西行長が主人公になったら
何故かキリスト教的人類愛が前面に出てきて
朝鮮征伐の話出てきて、何故か休戦に向けて
ひたむきに頑張った武将、とかいう感じになるかもw
そして太閤閣下の為に関が原で奮戦するも武運尽きて
五条河原で散るまでの人生が描かれるんだろうな〜。
コニシなら清正見たいよ。
朝鮮で虎刈りシーンとか放映中止になりそうだけど。
>>616 まぁそんな設定でもないと大河で朝鮮出兵はやらないだろうな。
そんなものよりも次の大河ドラマは
爆弾三勇士にしてくれ。
そりゃあ、『秀吉』の時は賤ヶ岳・小牧長久手でケチりまくった予算を
全部「朝鮮役」に突っ込む予定で、加藤清正・小西行長に舞台出身者抜擢
・・・だが、案の定の左巻き+某半島南北ミンジョク猛抗議で流れた・・
・らしい。当時赤坂の会館に詰めてた、同期に聞いた話だと。
>>620 そんな話があったんですか。
しかし秀吉で朝鮮出兵をやらないってのもある意味凄いね。
しかし関ヶ原・大坂の陣とアテにされた島津だが、
九州征伐、家久毒殺?、梅北一揆、歳久切腹、朝鮮の役、伊集院事件・・・
とこれだけこんな目に遭わされて「殿下の御恩」もへったくれも無い様な。
>>620・621
NHK内部の「良識派」の「自粛しろ」横槍も凄かったらしいよ。
結果が最終回迄の数話「母ちゃんは見た!」的家族ドラマになってたね。五右衛門もわけわかめ。
宇喜多秀家なら秀吉に恩があるだろうけど、毛利輝元は何なのって感じだな。
>>620 んなバカな。秀吉の腕の見せ所は播磨・美濃での大返しと賤ヶ岳後の堅実な戦いぶりじゃないか。
国内統一戦をケチりまくって、戦場に赴かずに名護屋城に籠っていた朝鮮征伐戦に
金をかけるなんてありえないよ。
>>619 「その時歴史が動いた」
こんばんは、松平です。
今夜の「その時」は、日本が第二次世界大戦へと突き進む過程で起こった
上海事変の陣地攻略戦で血路が開いた、昭和七年二月二十二日の午前五時、
久留米第24旅団の三名の工兵が自爆した、その時です。
まあ教科書では「楽市楽座」!「安土桃山文化」!「城郭建築」!ワンダホー!って書き方だが、
流通未成熟な地域からしたら「インフレ」「地場産業壊滅」「交際土木費用倍増」と悪夢みたいな
政権だよな。あまつさえ外征失敗では、農本主義者っぽくて無駄の嫌いそうな家康に期待するしか。
家康が嫌うのは「自分の無駄」であって、「諸侯の無駄」では無い事が後に証明されるが。
毛利、島津は豊臣家恩為って言われても「何で俺が!?」が本心だろうけど、
大阪の陣で唯一出兵しなかった島津は儀に暑いと言われるだけのことはあるな
>>624 毛利輝元には何もないな。
強いて言うなら滅ぼさなかった事を感謝しろ。って事くらいか。
ただ、小早川隆景を寵愛してたから
そのおかげで毛利家自体も豊臣の家臣団の中で
石高以上に重用されたってのはあるんじゃね。
>>623 なんでそこで「良識派」とか「自粛」なんて話になるのやら。
まあ秀吉本人が朝鮮に行った訳でもないから、省略はし易いかも。
秀吉最大の事業だけど。
>>625 賤ヶ岳は堅実?
彼の辞書に堅実はありません。
>>628 出兵してるよ。島津義弘曰く「真田日本一の兵(つはもの)」。
>>626 何故かわからんが松平定知が
その台詞しゃべってる姿想像すると笑える。
>>620 そんなんじゃ「坂の上の雲」はどーなることか、、
主要登場人物に朝鮮人が加わってたり、正岡子規が韓国を尊敬してたり、
東郷 「ロシア艦隊を撃滅して韓半島を制圧してやるっ 」
秋山弟「我が帝國の威光を示しましょう。フハハハハハハハ 」 とかか
後藤又兵衛を主人公にして欲しいな〜。
地元なので。
>>629 重用って言うか擦り切れる程酷使されてる気が。
広家あたりは親父で秀吉に睨まれて働きの割にかなり損してるような。
関ヶ原に戻すと、
大津城に立花支隊拘束(15000)
宮津城に小野木支隊拘束(15000)と、
真田昌幸の苦労して遅滞させた分(+大谷が風説で足止めした前田家分も)以上に間に合って無いね。
大阪城にも相当数の兵力控置したままだし。
繰り返しかも知れないが「戦場では互いに間違いを犯す」=「戦略」的失点の多い方が負け,なんだなあ。
別に希望するわけじゃないけど、俺の予想
淀殿が何年か先に放映される
>>634 ありえないデマを信じるなよw リアル小学生か、おまいわwwwww
あの時素直に織田が籠城していれば…
京極が一日早く降伏していれば…
なんて事ね。
>>631 だから「賤ヶ岳後の堅実さ」と言ってるだろうが。小牧・長久手では
大陣地帯を設け、迂回作戦が失敗した後も兵力増強を続け対陣続行。信雄に和解工作。
家康に勝つことはできなかったが、家康側はこれでジリ貧となった。
講和したら他の敵を各個撃破。堅実ではないといえようか。
立花宗茂が関が原にいたら全然違っただろうな。
というかあんな名将がいたら家康は関が原で
あんな(一見)間抜けな布陣とらないだろうけど。
立花勢が到着しても毛利は味方してくれませんよ。
しかし関ヶ原は合戦までが面白くて、合戦自体は
指揮もへったくれもない各大名が入り乱れた乱戦って気も。
むしろ立花支隊も小野木支隊も、大将(前者は言うに及ばず、後者は島左近の婿で鉄炮戦に熟練)含め
「中小諸侯の寄せ集め」だから予備兵力として「数で押せる」城攻めに投じたのかも試練。後付けで
はともかく、下手な指揮官では烏合の衆化しそうだ。
そう考えると、やや一元的な指揮に基づく集団の徳川・前田勢不着は大きいだろう。
>>644 バトルロワイヤルで結構面白い。
あのまま毛利が動かなかったら決着つかなかったかも。
確か当時の鉄炮装備は軍役上石高比で、高ければ高い程鉄炮装備率が上がる(勿論各家間格差あり)。
その意味では1万石級をいくら掻き集めても「歩兵中隊の集合」になり、正面火力は単体で連隊・
旅団規模の他大名には対抗出来ない。人選はともかく、主決戦場には編成規模の多い集団を集めた
方が有利だった筈。
編成規模の多い集団を集めた結果→「おいおい毛利!長宗我部!金吾!なにやってんだうわやめろきんg」
650 :
名無し三等兵:2006/01/16(月) 01:33:11 ID:33rW6Ij6
まあ大身の大名家ほど、外交や利害関係が多岐にわたって錯綜してるしな。
東軍も関ヶ原では徳川家非直属部隊が多かったものの、黒田・福島など、石田三成に
敵意剥き出しな連中ばっかりだったからな。
広家が単独講和していない場合、毛利軍団は普通に東軍を攻撃するんだが
ぶっちゃけ秀秋の裏切りはどうにもならんかね。
秀秋が西軍として動ず、毛利軍だけ動いても東軍は勝ちそうだ。
毛利の動静は秀秋の決断に影響があるだろうが。
藤堂高虎と山内一豊の二人は世渡り上手だな。
秀吉から家康を抑えるために配置されたのに、あっさり裏切り、
大坂の陣になるとあっさり豊臣を裏切る。…ムカつく連中でもある。
大河は、キリスト教に関しては本当のことをやらない。
キリシタンが改宗しない領民を奴隷として売ったり、
女性一人と火薬ひと樽と交換したり
子供を扇動して墓を暴いているところなんか全部スルーだな。
>>641 あれの最大の勝因は、前田の戦場離脱だからな。
655 :
名無し三等兵:2006/01/16(月) 01:41:05 ID:33rW6Ij6
藤堂高虎の死後、納棺前に清めたら右手指二本欠落・左三本欠落とかで全身傷だらけだったとか。
大河ドラマにするなら、「とことん乱世が嫌になっていた武辺者」が理想の君主として家康に接近
する話になるのかも。
>>655 『利家とまつ』放映時に、三重県知事と市町村長が署名20〜30万を手に上京。
大河ドラマ『藤堂高虎』陳情運動の一幕である。
・・・今年は如何。
>>654 あまりエグいのを大河でやるのも常識的に考えてどうかと。
前田利家で一向一揆の呪いの文字瓦やる訳にもいかんし。
このさい視点を変えて毛利秀元とかどうだ。
クライマックスはランチタイム。
これまでの大河にない優雅さで売るんだ。
何か関ヶ原や大阪の陣の話題になると、『全部、淀殿と大野治長のバカさのせいで』という
意見が目に付くけど、これってWW2後のドイツ退役軍人たちの『ヒトラーのせいで〜』と
似てる感じがするんだよなぁ。実際、石田三成は当然として、大谷吉継にせよ、
真田幸村にせよ何らかのミスはしてたと思うんだよね。完全な推測だけど。
毛利秀元は朝鮮役ではいろいろ話があるんだけどね。
しかし年齢的に考えるとやはり名目上の大将で
実際は安国寺とかが仕切ってそうだが。
安国寺さんて…
当時の細木かずこだよね。
信長の死を予言してね。
しかし、ズバリ言うわよ!
あんた自分の斬死も予言しなさいよw
安国寺が輝元を西軍の総大将にしちまったのか
輝元も一枚噛んでいたのか。
安国寺は最初毛利側の外交官的な立場だったが、途中から秀吉側になってる
から毛利の影響は薄いと思う。安国寺の仕事は僧職を活かしての外交や朝廷と
の饗応が中心だから中央権力が無いと糸が切れた凧状態になっちゃうんだよね。
もし豊臣政権が後200年位続いたら「影の宰相・安国寺」なんて本ができ
たかもしれないけど。
>>664 それは秀吉お得意のやり方なんだよね。
石川数正、小早川、立花、島津とか
直接に禄をあげて相手側を弱らせる手。
666 :
ドカン・オオカミ ◆s6tJH5.VuA :2006/01/16(月) 04:25:53 ID:VG4+JjMI
>>603 >ひたすら上司の命令をよく聞く人間になれ。
山内一豊は「内助の功で馬購入」と「小山軍議で城・所領の差し出し発言」でステップアップしていった。
正に人生サプライズ。
つまり「人生に何度かは一生を賭けるべきサプライズの時がある、それを見逃すな」がメッセージ。
なんせ人よりも早く発言しただけで24万石手に入れちゃったからなあ・・・。
(山内隊は関ヶ原では後方予備で武功無し)
>>666 > 山内隊は関ヶ原では後方予備
まったく動かなかった訳ではねーけどね。
小早川が裏切る前に、石田隊の正面に大移動している。
でもま、各隊の後ろでうろちょろしていたり、島津追跡も徹底を欠くというか中途半端で、働いているフリだけは立派。
ドラマでは、石田三成を睨みつけたり、島津に立ち塞がるが脇を擦り抜けられたと、戦場の要衝に常に居た山内って位置付けなんだろな。
あとあれか、仲間由紀恵を人質として差し出す覚悟を夫婦で決めたとかかな。
後方予備の仕事は前線部隊の攻撃が停滞した時注入されるもんだから役割
としては間違ってない。ただ投入された途端、小早川が裏切って関が原に
いる全員がそっちに注目してなんとなく不発だったのは可哀想だったな。
島津にしても味方戦線ぶった切って突き抜けてる相手を追撃するとなると
まず味方を除けないといけない。さすがに味方は切れないからこれも不発と
なるのも仕方ない。・・・仕事してない訳ではないんだよ仕事を、ただ大河
的に絵にならないだけ。
そんなのを大河ドラマの主役にして何が面白いんだろう。
自分も山内一豊に対して、「秀吉、家康といった時代の主役に常に従う無難な奴」というイメージしかない。
嫁が主役
大河ドラマにしてほしいヤツ
松永久秀
足利義昭
龍造寺孝信
山内が投入された途端に小早川の裏切りは発生ってのはどうもね。
裏切りの一時間ほど前で、まだ趨勢は決まってない段階じゃん。
というか家康が陣を前に押し出した後に移動を開始。
指示は下っただろうが、どちらかと言えばアピール?
さらに島津追撃戦だけど、前線の各隊は三成や宇喜多を追撃しつつあり、その間隙を島津を突破した。
(絶好のタイミングやね)
山内は比較的好位置に居ながら、追跡しかけて直ぐに家康の近くに寄った。
井伊、松平、本多が味方を掻き分けるようにして必死に追跡しているのと対照的。
それでありながら土佐一国か。
そこまですれば、確かに裏切りはないと思うよなあ。
で、明治維新では、雄藩といわれながら日和見。
会津のように徹底抗戦でもなく、脱藩浪人以外では、毛利のように死山血河で歴史を回天させたのでもない。
それが家風か?
>>脱藩浪人以外
そして最後は竜馬の死により漁夫の利をさらったのは山内の上士だもんな。
関ケ原と似てるw
まあ、国営放送だからな、何らかの公的なメッセージが込められても不思議ではない。
だからといって…
「長いものには上手く巻かれなはれ。上に上手くアピールして旨い汁吸いなはれ。
世の中、勝ったもんに着いてった方が得でっせ〜」
みたいなメッセージをドラマに託してを垂れ流していいものかどうかw
何時までもアメリカではありませんよ。
これからは中国の時代です、というメッセージかもしれん。
一思いに、日曜の大河ドラマが現代劇やってたときに、
水曜やっていた池波正太郎原作の『真田太平記』でもリメイクせんかな。
>>674みたくな時代風潮に反発する内容になっちまうだろうがw
真田の激動の流れは、やっぱ激しく惹かれるものあるものなあ…
武田家の信濃侵入に先立ち臣従し、武田家中で重きを為す
↓
武田家の滅亡に際して、上田、沼田を根拠に自立
↓
信濃〜関東方面を担当した滝川一益に降伏し、本領安堵
↓
信長死後の空白期に北信に進入した徳川軍、沼田に攻め寄せた北条軍を撃退。
景勝、秀吉と好を通じる
↓
長男・信幸を沼田に分家させて、婚姻関係を通じて徳川と良好な関係も構築
↓
関が原に際して信幸は徳川陣営に残し、昌幸と幸村は西軍陣営に。
上田で秀忠率いる徳川軍主力を釘付けにし、主戦場に大遅刻させる。
↓
戦後、信幸の本領は安堵。昌幸、幸村は九度山へ配流。
↓
昌幸の死後、幸村は大阪の陣に参加。夏の陣では家康本陣に迫り、自らの武を完結。
↓
信幸は真田家を全うさせ、小大名ながらも家名は幕末まで続く。
こういっては何だが、戦国時代のフィンランドつー感じで、非常にイイ!
厨っぽい意見で相済みませんが…
おいらの地域は金曜だった
さすがチョン地域w
田舎は半島扱いなのかあ
差別はいくない。大河の最初に井伊直弼を持ってきた頃のNHKに戻って
欲しいな。リアル大岡越前とか水戸黄門とかやって欲しい。美化されすぎて
実像が分からなくなってる。
逆に「大河・戦国無双」をちょっとだけ見てみたい
それよか、「維新無双」作れって。
>>683 何故か島津義弘が単騎で徳川本陣を突破するシーンを想像して少しだけワロタw
呂布の代わりに平八郎だなw
いや、三味線のバチを振るい、あちこちに放火しまくる高杉晋作とか。
「ガトリング侍」河井継之助はえらいことになりそうだな。
それじゃ石川賢の「爆末」だよ>ガトリング侍
捨てがまりにはされたくない
>871
石原完爾
東条英機
昭和天皇
宮本顕治
田中角栄
中曽根康弘
未来へのレスかw此処は>871に期待しよう
大河ドラマ「昭和天皇」
病弱な大正天皇にかわり政務を行う裕仁、だが、
天皇の病気回復を願う裕仁の願いもむなしく天皇は
崩御されてしまう、だがしかし後を継ぐ裕仁の前に
は非常なまでに困難な道が待ち受けていたのだった。
平和を願う裕仁の希望を無惨に打ち砕くかのような
世界情勢、裕仁はなんとかして先進各国との融和、
東アジアの協栄を画策するが、力及ばず、軍部によ
り中国朝鮮は占領され、先進国との戦争に突入す
るのであった・・・
こんな感じのねつ造か?
松永弾正、宇喜多親子、津軽為信じゃ駄目なのか?
能力的に山内よりも遥かに上だと思うんだけど。
宇喜多親子は見たい。親子でコントラストが激しすぎるけどw
クライマックスで小早川の裏切り後に半狂乱になって
「金吾の首を取る」ってわめく秀家とかすげー見てみたい。
>>692 だって能力がメインテーマじゃないもん。
土佐の郷士を差別扱いして、搾取出来る相手からは
徹底的に搾取して、かなわない相手には徹底的にこびる
現代の処世訓をテーマにしてるんだから。
「利家とまつ」に続きおなごに気をつかってんなぁ、NHK
その内大河ドラマまでキムチ臭くなりそうだ
大河ドラマ、根来衆の津田監物(算)なんてどうだろう?
>677
そんなあなたには真田太平記をお勧めする。NHKのやつもいいぞ。
>967
根来衆の方が歴史は有るがなぁ、クライマックスは顕如VS織田軍団の石山本願寺攻め
16匁散弾が雨霰と降りしきる中、突撃 うう見てー
マイナーシリーズなら古田織部、御宿韓兵、長岡興秋とか見たいな
いい加減戦国時代から離れて欲しいな。
次はニニギにしよう。
コノハナサクヤヒメとトヨタマヒメが毎回最低でも
20分以上は出る方向で。
んで神武天皇が橿原についたところで最終回。
つまりあれだ、戦国自衛隊をやればここの住人の視聴率100%
703 :
赤色大元帥:2006/01/16(月) 23:38:38 ID:???
大河ドラマは時々あるマイナー気味のが
結構好きだツタ利する、炎立つとか
毛利元就(マイナーでもないが)あたりが
好きだった。
>松永弾正
最終回で釜とともに壮絶な爆死みてみたい。
やっぱり最後は壮絶な死に様見せた方がいいのか。
小早川秀秋なんていいかもしれないな。
人生短すぎ。子供の頃から政治権力に翻弄され、周りから愚鈍・残酷と観られ
ながらも一時は秀吉の血筋という事で天下人に擬されるも、秀頼生まれてアボーン。
その後毛利の養子にと暗に秀吉が毛利に議すが小早川隆景が毛利の家を守る為
に泣く泣く引き取る。そんなサイボーグ大名の裏切りと死を大河にしてどうする。
一年保たない毛。
708 :
名無し三等兵:2006/01/17(火) 01:11:46 ID:d+Ff/Uk0
>>697、699
自分も石山合戦見たいな。でも主役張れる武将が・・・微妙。
津本陽はよく書いてますけどね。第六天魔王の太股を狙撃する所見たい!
709 :
名無し三等兵:2006/01/17(火) 02:11:14 ID:+0PtUSYl
利休でいいやろ
町人なのに切腹を強要された
武将は少し休んで、毛色の変わったところで大黒屋光太夫とかどうだ。
田沼意次……ナンデモナイ
711 :
名無し三等兵:2006/01/17(火) 03:06:50 ID:d+Ff/Uk0
似た所で越前屋俵太では!?
河内屋菊水丸やな
やっぱ松永弾正が一番見たい!
小早川秀秋も朝鮮征伐での活躍があるし、北条時宗で一年持ったんだからいけるっしょ?
大河ドラマ『松永久秀』
第一話:少年時代〜三好長慶の夜伽をする久秀
第十話:ボケた長慶のもと、義興・安宅冬康らをヌッコロす久秀
第二十話:足利義輝をヌッコロす久秀
第二十三話:三人衆と内ゲバして、大仏殿を焼く久秀。このころハウツーセックル本を執筆。
第二十七話:平蜘蛛との出会いや、多門山城築城など。
第三十五話:信長にたてつき始める久秀
第四十話位:大爆発する久秀、後日談で孫の貞徳がまとめる。
凄い話になりそうダナ。故・勝新クラスでないと主役つとまんないだろう。
意表をついて、司馬遼太郎キボン
大河ドラマ『司馬遼太郎』
滿州でチロを磨いたり、壊したり、チハに乗って道に迷ったり、チヌにヤスリ掛けする話か・・・
>>677 上田から松代への国替え。
↓
信之の晩年、家督争いで酒井雅楽頭と争う。
↓
分家の沼田の真田が御取り潰しになる。
↓
財政が逼迫し、恩田木工の改革。
とかもある。
普通の藩の江戸時代三百年とかはどうだろうか。
佐々木道誉やってくれんかのー。
もちろん陣内で。
ふむ、太平記は面白かった
あの配役も見事だった
大河ドラマ『伊藤博文』
5月製作発表
6月良識派の横槍
12月
「伊藤博文は諸般の理由により放送中止となりました、
来年度は大河ドラマは自粛し、ちゅらさん4を放送
いたします」
721 :
研究助手:2006/01/17(火) 10:46:05 ID:???
久しぶりにきたら大河スレになってるな
じゃあ俺のベスト5
1武田信玄
2秀吉
3跳ぶが如く
4毛利元就
5利家とまつ
やって欲しい企画
島津義弘
現代物(山河燃え以来やってない)
渡辺徹が秀頼やってたのは葵三代だっけ?
ネタじゃなくやってほしいのは
平将門
足利義満
北条早雲
明智光秀
723 :
名無し三等兵:2006/01/17(火) 12:05:36 ID:d+Ff/Uk0
鍋島直茂は駄目ですか?
今山、沖田畷、島津征伐、朝鮮出兵、立花征伐と活躍してますが・・・華が無いですかね。
俺は葵の前半つーか、関が原までがダントツで好き。
あとは秀吉かな。信長がかっこよすぎ
>>722 渡辺徹の秀頼は『独眼竜正宗』。
老若男女平均の「日本史三代人気者」は古来義経・信長・龍馬。最近の大河に絡んでる。
「九州三雄」にすれば一年中盛り上がるだろうが、役者と予算がキツい気がする。
>>725 『春日局』じゃなかったっけ?渡辺秀頼。
近代史好きの俺的には
「阿南惟幾」
「井上成美」
「山縣狂介」
「奥保鞏」
奥大将と山縣有朋の組み合わせで、馬関戦争、小倉城攻防戦とかやって欲しい
司馬原作作品の大河は視聴率悪いんだよね。
関東三国志、九州三国志、三好三国志くらいを見てみたい
九州三国志なら、
序盤:大内・大友抗争(勢場ヶ原合戦など)→二階崩れと若き大友義鎮を軸に
中盤:龍造寺の台頭・島津の薩隅日三州平定
終盤:島津北上(隆信戦死・道雪の死・紹運宗茂父子の力闘)
エピローグ:関ヶ原と各家のその後
と、燃えっぱなし・盛り上がりっぱなしで一年やれる素材になるな。
大河で一番面白かったのは独眼竜政宗かな。
それより前のはみてないからしらね。
「島津奔る」を原作にしてもらいたい。
どうでもいいけど島津製作所って島津と縁あるんかね。
関ヶ原から落ち延びた島津の世話した商いが、
褒美に家紋もらったとか聞いた事あるんだけどガセ?
独眼竜政宗から後は見てないやw
長宗我部元親キボンヌ
飛騨三国志とか銘打って、三木、姉工事の生き様を描いて欲しい。
734 :
赤色大元帥:2006/01/17(火) 22:49:09 ID:???
赤色大元帥
ここ20年ほどで見てたのっていうと・・・
「独眼竜正宗」「武田信玄」「太平記」「琉球の風」
「炎立つ」「花の乱」「毛利元就」「北条時宗」「義経」
ですな、基本的にイロモノばっかり、「徳川慶喜」は
二話くらい見たけど、菅原文太が熱いだけだったので
それっきり。
正宗・信玄・太平記・炎立つ・毛利が好き。
九州三国志やってくんないかな・・・。
足利義輝がいい。
予算の大半を最後の三好三人衆と松永久秀の襲撃に割いて
数話に渡る史上最高の大殺陣を繰り広げて欲しい。
並みいる雑兵をバッタバッタと切りまくる鬼神の如き将軍サマを見てみたい。
そこまで強くネェだろw
ドラマなんだからそれくらい許してくよ。
師匠の塚原卜伝とか、あと伊藤一刀斎でもいいけどな〜。
それにしても将軍サマは塚原卜伝に師事を受けたなら
恥も外聞も棄てて三好家と不穏な状態になった時点で
さっさと逃げるくらいの無茶苦茶さも身につけておけばよかったのに。
武蔵むさいと大不評だったのを思い出せ
>>735よ。
まぁ実際武蔵はむさかったし。
だいたい武蔵は今のご時世だと一番ドラマに向いてない気がする。
30年ほど前なら侍ジャイアンツ的ノリで作れば人気出たかもしれないけど。
今なら佐々木小次郎のがドラマの主人公に合ってたかもな。
ストイックは受けんのかのぅ、謙信好きなのに
俺が朝鮮出兵を知ったのは大河ドラマ。
70年代くらいでもちょろっと触れる程度っていうか
あの時代は「韓国」なんてのは遠い国だったなあ。
まともに歴史ドラマを語りたいなら
朝鮮出兵を描くべきだろう。
何というかさ、当時の戦国武将の戦術とかを忠実に再現したドラマ作ってくれないかねぇ。
合戦シーンだとポニーにまたがった体格小さめの武者(俳優)が郎党を率いて突進。
双方の部隊が竹束に隠れ鉄砲・弓を放ちつつ前進。近距離になったら槍隊が突撃、ってのを。
迂回部隊の使用、普通部隊より強力に統制されている大名直轄部隊、刈田狼藉も欠かさずに。
NGワードはクレシンな。軍ヲタならせめて(初代)戦国自衛隊って言ってくれよな。
戦国自衛隊って戦国ヒーローものじゃないからこそ、あそこまで出来たんだろうな。
今度の川中島ドラマどうなるかなって期待してたものですが見事に裏切られました。最悪です。
やっぱ金かけないとダメだね。
>>743 実は当時には戦術や陣計もなく、騎馬は戦う時には下馬戦だったとの説もあるんだが…
序でに言いますと鉄砲の三段打ちもないし、数回で使えなくなったとの説も…
もっと言いますと信長の桶狭間は奇襲ではなく、正面突破の遭遇戦説も…
一夜城は木々に隠していだたけで、墨俣はも結構時間かかった略事実。
蜂須賀小六は普通の国人で秀頼は実子じゃないと…
やっぱ脚色しましょうw
そんなにリアルな戦いみたいならハリウッド映画のDVDレンタルするなり買えばいいじゃん。
トロイ、ブレイブハートなど多数のエキストラを動員し、血生臭く殺しあう作品はいっぱいあるよ。
どうしても日本の武者が見たければ、ラスト・サムライもある。
金も撮影場所も残酷場面も十分に取れない戦国ドラマに期待すな。
カンネ会戦なんて実写でやったら失神する奴続出だろうな。
748 :
名無し三等兵:2006/01/18(水) 03:21:21 ID:0He8/ovo
>>745 雑賀衆なんかは射手一人あたりで何丁も鉄砲を用意して、弾こめる人、射撃する人と役割分担して
間断なく射撃したらしいが。人口に膾炙してる三段打ちとは違うが、連続して射撃
する為の創意工夫はあったよ。騎馬の下馬戦闘もそういうシチュエーションもあるん
だろうが、乗馬して戦闘しないなら騎射や、馬上から馬上の相手を打ち落とす技術が
あるのは何でだろうという疑問もある。
でも黒色火薬時代だから、連続発射なんかしてると彼我定かならぬ状態になったんじゃ。
まあ散布効果で敵を拘束出来たんだろうか。現在残ってる射撃術だと狙撃的な側面も強いけど、
長篠の武田軍も裏崩れ→追撃戦での戦死が多いし。鉄炮負傷でも後送が上手く行った場合は
助かってるような(大坂での東軍)。
逆に、他家では弾幕効果しかない鉄炮で「当てまくる」雑賀・根来が恐れられたのかも知れない。
鉄炮で戦死した侍大将クラス以上って、
後藤又兵衛・万見重元・井伊直政・松平忠吉・三好義賢・森長可・久武親信とかか。
あと朝鮮の李舜臣・申リツ(石+立)、結構居るな。
山県昌景、一柳直末も
井伊直政は鉄砲傷が元で死んだ。
明智光秀は朝倉家時代の記録では
鉄砲の名手で100発中65発がフルマーク
後は全て的に命中したらしい
信長を狙撃した杉谷某は信長が竹筒(水筒)を
とる為、屈んだ為ので弾は僅かに
こめかみをかすめて信長は助かった。
信長は数年後山寺に隠れた杉谷を探し出し
市中で鋸引きの刑に処し、市井の民に鋸を牽かせた。
>>745 桶狭間は、実際の記録が常識に照らし合わせると荒唐無稽すぎて
迂回奇襲を創作したらしいね。
戦いの経過は、イスラムあたりだと奇跡の範疇に入るらしい。
>>750 合戦中でない、狙撃によるものはどれくらいるだろうか。
>>737 芹沢鴨もそういう風に殺したんだったな。
>>754 そりゃあねえ…
策も無くやけくそ気味で正面突撃して、前衛部隊を撃破。
その前衛部隊を追撃しているうちに、本陣突入にも成功し、
豪雨のお陰もあって、大混戦状態になって、たまたま義元の首も取れますた…
では、後の天下人としてはかっこ悪いわなw
しかし、そんな奇跡的勝利のお陰で、お歯黒ボンクラ大名
扱いされる実力で家内統一して伸し上がった東海一の弓取りタン
桶狭間は信長なりに勝てる算段
(徹底した索敵、隠密行動等)を踏んだ勝利
信長が少兵で戦ったのは桶狭間と二回だけ
しかしこれがなかったら家康は出てこないな
>>749 大坂夏の陣では鉄砲の硝煙で視界が遮られた所に突撃していった例が
結構ある
>>757 いや、それがね。
迂回奇襲説なら確かに勝てる算段なんでつが。
最近の主流は、勝てる算段があまりついていなかった、
正面強襲説なんでつよ。
徹底的な索敵もくそも無く、入った砦の攻防から、
まんま前衛を強襲してしまったというね。
この場合の勝利の要因は、勝てる算段ではなく、勢いと幸運ですな。
当時は指揮系統が一本化されていない、土豪の寄せ集めだから、
一角を勢いで崩されたら、それが全面崩壊してもおかしくない。
でも、大将首を取れたのは、かなり幸運だったろうね。
まあ豪雨でかなり兵が散開していて実質
義元の直衛のみだったのも幸いだったな
>>759 強襲でもなく、今川の前衛を叩いて引揚げようとしていた、ようするに鳴海の砦への兵糧入れを妨害すると。
結果崩れた前衛を追撃したら義元の居る本陣にあたったと。
そういう説もあるよん(w
今川軍側は前衛部隊を率いるべき下級指揮官が織田方砦攻防戦で多数戦死してたという事情もある。
みなさん、漏れと同じく歴史群像読んでますなw
その後の美濃攻め、本願寺攻めなんかも考えあわせると、
むしろ信長は戦下手じゃないかと思う。
765 :
745:2006/01/18(水) 14:29:19 ID:???
でさ、こんな味もそっけもなく大河ドラマならね大河ドキュメント作ったら見るか?
やはり歴史って勝者の脚色あるからオモロイし感動出来るかもな。
>>764 前線指揮ではふるわないね(w
しかし信長のすごいところは致命的な敗北を致命傷にしなかったところかな。
>>765 正史と演技の両方があるといいねぇ。
大河ドキュメントはドキュメントとして見たいね。
>>764 姉川の合戦もそうだろ。
小勢の浅井勢に、かなりの大損害を負ってる。
寡兵の徳川勢が、超輪をかけて戦下手の朝倉勢の大戦力を
突破してるのと比べると、どうしたって見劣りがするな。
織田軍は戦下手ではなく初期より近代的な集団戦術で火力(鉄砲)重視にしたり専従足軽にしたから接近戦は苦手。
だから戦術より戦略的に勝利出来ればいいの罠。アメリカ的物量戦みたいなもんだな。
770 :
赤色大元帥:2006/01/18(水) 15:18:29 ID:???
姉川の戦い
織田 17000 VS 8000 浅井
徳川 6000 VS 10000 朝倉
でしたっけ?織田はコテンパンにやられてたので、
朝倉の総大将が朝暮宗滴みたいな名将で、徳川
に勝てないまでも食い止めてたら、織田側の戦線
゛か崩壊したかもしれんですな。
普通、「ハンマーと金床」なら、
大勢の部隊がハンマーになり、小勢の部隊が金床になるもんだが…。
逆「ハンマーと金床」かよ。しかも両陣営とも。
>>764 伊勢長島の一向衆にも最初は逐次投入をして失敗してるな。
まあ、織田軍に関しちゃ、
>>769の言うとおりの面はあるからな。
最後に勝ってりゃいいと。
兵農分離と軍団制で動員能力と柔軟な運用が可能ということで、
システム的には非常に優れてるしな。
最後に勝てる仕組みになっているわけだ。
元々尾張兵は弱兵として有名だし。
元々ではなく兵濃分離後だと思われ。
逆だろ。兵農分離したから強くなったんだろう。
モンゴメリーが正攻法でDAKを潰したように、
中盤以降の信長は奇策妙策の必要性が無い。
桶狭間に関しては今川の兵力が誇張されすぎだろう。
兵農分離したkら強くなったというより
兵農分離によって一年中動員が可能となり、また長期間の戦役が可能になった。
農民を動員する従来の戦国大名は、農繁期の大量動員が不可能であったし
戦死者や戦病死による損害は即生産力の低下につながった。
しかし、兵農分離により専門職となった兵士は一年中関係なく戦闘可能であったし
戦死しても生産力の低下にはつながらない。
信長得意の戦術って言ったらやっぱあれだ。
城一つ皆殺し。降伏しても構わず殺す。残りの城は戦わずして落ちる。
兵農分離はアイデアって言うより必然。
敵国に囲まれ、領内にはキチガイ荒坊主。
そうでもしなきゃ対処不可能。
781 :
(´Д`):2006/01/18(水) 22:09:42 ID:???
必然というが、どこかに必ずアイデアの元があるのでは?
応仁の乱以降にでてきた雑兵なんかは、
ぜんぶ宿無しみたいな連中ばかりだから、
そいつら集めて・・・とかいう展開では。
アイディアというより延長線上という感じ。
古河方の武田信長・長尾景仲に圧迫された、上杉家執事・太田道灌は雑兵(雇用・長柄足軽)を編成。
戦術機動と個人的勇武に優れた「旧時代型名将」の両者に、コンスタントに「負けない」防禦戦を反復
して徐々に巻き返している(勿論道灌の采配能力や、得意の野戦築城もあって)。
従来型騎乗身分の被官層(幼少から育成の必要、負傷戦死時は後継家督相続まで戦力外に、個々の利害要素)
よりも
長柄装備(刀や弓に較べれば、初期訓練が容易)な雇用歩兵(指揮系統は雇用者で一本化・再編容易)
へと徐々に転換が迫られた嚆矢と、後北条氏のほとんどマニュアル化された重厚な築城・防禦戦術の祖型かも。
784 :
(´Д`):2006/01/18(水) 23:44:13 ID:???
という事は、商業都市尾張には足軽予備軍が一杯いたという事か。
それと金もあるから雇る。
雇える。○
農家(ちょっとした土地持ちなら地侍)の次男・三男坊や、出稼ぎを吸収したのかもしれない。
↓
精強な専業武士(代わりに質がまちまち)には比較にならない、
集団戦で初めて威力発揮(だから敗戦しても再編が楽、システマティック運用さえ出来れば効果大)
補足、正式には当時の他国の足軽=農民=農兵は認識違いで、本当の農民は戦に出ても小物か人夫にしかなりません。
足軽と言えども準武士ですから、村である程度の身分がある奴か土着の武士(普段は農民)でした。
また、応仁の乱最初期の足軽は、細川軍の軽歩兵が散兵戦や近接戦で活躍
↓
兵力補充のため、ゴロツキ含め何でもいいから雇用してじゃんじゃん投入
↓
地侍・被官層(骨川道賢も六角か細川の陪臣出身だったはず)が配下を編成して渡り歩く
↓
大小戦乱の連続で、常態化。諸大名や國人層にまとめて雇用されたり野伏り化したり・・・
当時の農民と武士の境目なんて微妙
織田の常備兵が新時代の幕開けと言えば
今川家の今川仮名目録も統治方法の明文化の先駆けじゃなかったっけ?
今川義元って検地とかもいち早くやって仲の悪かった今川、北条、武田間で
三国同盟結んだりで内政、外交とかなりの手腕発揮したんだよね。
足利家で唯一戦国大名、しかも全国でも屈指の大大名になってるし。
息子が朝比奈泰朝くらいの気骨ありゃ義元が死んでも
衰退することなかっただろうな。
応仁の乱足軽=非正規兵の市街戦・ゲリラ戦投入
太田道灌の足軽=武器自弁なワイルドギースやランツクネヒト的傭兵
応永以降の足軽=大名・有力國人級の倍給歩兵構成員(武田家・旗本小人など)
織田家兵農分離後の足軽=徴募兵の常備雇用・装備貸与での統一(御貸具足や長柄鎗等)
元和偃武後の足軽=門番などの雑役必要分以外は整理、帰農(「先祖は武士」伝承へ)
となるのかね。
793 :
(´Д`):2006/01/19(木) 00:34:06 ID:???
百姓仕事がイヤな若者とか、昔から多かったんじゃなかかね?
794 :
792:2006/01/19(木) 00:35:13 ID:???
しまった、倍給→陪給で訂正。
秀吉の実父・弥右衛門も「水飲み百姓」ではなく「土地持ち百姓」(だから未亡人の母が婿を入れられた)
山内一豊の家臣・祖父江志摩も、一豊の父(國人被官層)に木曽川で扈従を願い出た伝承が土佐祖父江家
に残っている(祖父江姓は木曽川町に現在も多い、いわば大百姓・地侍層の下の方位?)。
御貸具足で兵科編成が進む天正以前は、ある程度武器自弁可能な層が足軽化したものと思われる。
足軽と農民が区別され始めるのは秀吉の検知刀狩りぐらいからでしょう。このれが一揆体質からの脱却と言われている。
そして正式に決まるのは徳川幕府での士農工商である。
まあルネサンス期のイタリアの傭兵は、ランチャ(槍騎兵と従者)単位で雇用されていた
(勿論「傭兵稼業の中小貴族」が陪臣引き連れて部隊単位契約した)例も多い。
が、後にランツクネヒトやスイス傭兵には(騎乗士官・軍曹や銃兵等も含んだ)「小隊単位」
雇用が増えている。
戦争形態の変化で数的確保・兵科単位運用の必要性が出たのが常備的な足軽の台頭なの
かもしれぬ。「触れ」で招集する被官層を介在しない、君主直結の常備軍として。
またしくじった、ランチャ単位での雇用契約と、陪臣引き連れた部隊単位契約共に多いのれす。
もう寝よう。
799 :
(´Д`):2006/01/19(木) 01:01:04 ID:???
足軽の意味が応仁の乱前後と、元亀・天正の頃とは違うごたるが?
世界史かよw
太閤検地以降も必要に応じて農民は士分に駆り出されてる
顕著な例が、「八王子千人同心」為政者の都合により幕末まで翻弄されとる
千人同心に付いては、歴史群像今月号に記載されてますので詳しい事は割愛しまふ
身分が確立したのは、島原の乱以降、檀家制度が浸透してからだろうね
身分確立いっても大名の取り潰しなんていくらでもあったし、養子・縁組
・買収なんかで士分を豪商や名主が手に入れたり、侍が宮仕えに嫌気さして
町人になったりいい加減な所も多々あるけどな。
ところで戦国期より明治維新期の方が人口が増えてるのに動員兵力が減ってる
のはなんでだろう。
>>791 今川氏真も最近は一部で評価が見直されてるらしいですけどな、
義元死後も離反が相次ぐ中、10年近く勢力をしていたのと、
その間の内政面の手腕などがある程度見直されるとらしいです。
>>802 戦国時代より明治期のほうが、軍備を維持するのにより大きな
生産力が必要っとことでは。
804 :
名無し三等兵:2006/01/19(木) 09:30:36 ID:xaSQ/NMb
>>796 士農工商はなかったらしいよ。この言葉があったことになったのは明治。
あったのは、武士、町人、農民の3つ。町人と農民がどっちが上かもない。
実際、工と商を分けるのは大変だし、医者やうどん屋など、
工なのか商なのかというような区別は実際には不可能なため、
住んでる場所によって決められたらしい。
田舎で商業やってても農民、町中で農業やってても町民、みたいに。
805 :
名無し三等兵:2006/01/19(木) 09:35:37 ID:xaSQ/NMb
同じように、武家の奉公人(下男とか使用人)は武士、みたいな
カテゴリーになって、武士の家に奉公するしていたものは全部が士族になった。
よくいわれる例が田舎の農民が町に出てきて兄は武士の家で、
弟は承認の家の薪割り下男になった。明治になって、兄のほうは士族に、
弟のほうは平民に。
関連する話として、勝海舟の家は旗本だけど、祖父が商家の次男だったので
家が継げないから、旗本株を飼ってもらって武士になったらしい。
806 :
名無し三等兵:2006/01/19(木) 09:38:59 ID:xaSQ/NMb
商家の次男以下が武士の株を買ってもらって武士になるというのは
よくあるパターン。坂本竜馬の家もそうだし。
>>799 当時の寺院記録だと、細川方が下級被官の非騎乗身分に白刃をきらめかせつつ歩兵急襲させたのが端緒、
同記録だと「北国(因幡但馬)より女騎(?)多数入京」とある騎乗身分+随伴歩兵1ユニットの他家は
手こずったらしい。
やがて双方が歩兵部隊ユニットでの運用や、その数的確保に動いた延長線上が足軽システム…かな。
身分非固定は同意。
有力百姓=地侍(没落國人級も多数帰農している)で、天領や藩によっては郷士も準軍編成。
(千人同心、薩摩・土佐郷士や会津の郷頭制など)土佐郷士は株制のほか、所有地か開墾
30石が条件で、下級行政職への取り立ても多く、全国で郷士の多くが村役人や天領手代(
現地雇用の同心足軽級職員)を輩出。
維新後確か十津川郷士は全員士族だけど、郷士は五等士族→卒族→廃籍が大半のはず。
「北国(因幡但馬)より女騎(?)多数入京」は山名軍。
赤松討伐等の経緯を見ると機動を生かした側面攻撃・迂回捕捉を行っている山名宗全含め、
騎兵+従者1ユニット編成だった諸家は、細川歩兵突撃に手こずったらしい。市街戦で騎兵
が遣いにくかったんだろう。
対抗して非騎乗身分の歩兵戦闘や、専業ゲリラ戦部隊の編制が始まったのではないか。
>>808 薩摩と土佐の郷士は根本的に違う。薩摩は藩命藩制による在郷武士で一種の屯田兵。
土佐は長曽宗部の臣家を下級武士として雇い入れた。
金やら力があれば、階級帰られるのは洋の東西を問わない事であり、
実際には金やら力を持つ事が大変むずかしかったのが事実。
>>812 人間のいきつく処は、最後には権力や名誉と言いますから現代と変わりませんね。
そして極める香具師の最後は…
新撰組も手柄で幕府直臣になってるし、需要次第って事だな。
一番可哀そうなのが浮浪人の類。何も悪さしてなくても捕まる。
>>811 おま、伊東勢二万に豊州島津家一万五千、北郷からの援軍六千て、
十分の一位だろう? それ。……戦闘描写はともかく。
あと、もともと飫肥を巡る争いに関しては伊東家優位だろう?
――少なくとも当時は。
>814
捕まらない。テレビ漫画見過ぎ。
>>816 幕府が都市部に流入してくる無宿者を、
片っ端から佐渡に送ってた話知らんのか?
すぐ死んじゃうんだっけ
飯は腹いっぱい食わせてもらえるけど3年が寿命。
生きて帰れる奴のほうが少ない。
士農工商に属さない奴は非人か犯罪者扱い。
そこから生き残って帰ってきたのが、念仏の鉄。
中村主水は、養子に来る前のその頃は佐渡勤務であった。
>>814 非人の頭目の浅草団左衛門も幕臣になっている。
士農工商の身分制度があったっていう教えは共産主義勢力の陰謀だったような気がする・・・・
陰謀って程でもない。当時も今も徴税できる人口はどれ位か?それにどの
程度の税をかすべきか?徴税される人々の仕事はなにか?を把握するのは
国家基盤の建設上絶対に必要になる。当時は株式会社・銀行なんてないし、
多くの人々が住居と仕事を変えず、産業も職種も未分化。だったら士農工商
で大枠の身分を分けて把握し、税制度を決めてくのはそんな悪い方法ではな
い。
まあ、身分制度にしても、そうだけど、社会的な仕組みってのは、
だいたい後世の後知恵って大きいと思うぞ。
例えば、朝廷とか、幕府にしたって、今の我々は歴史の教科書や資料集の
組織図でそれらの仕組みを理解する。だけど、組織図を描くという発想自体が、
近代的な考えだからなあ。
中村主水は剣の達人だったのに
なんで同心なんてしてたんだろ。
道場でも開けばよかったのに。
姑が菅井きんだからだろw
カムイ伝はインチキ。
あんな藩ねーよ。
漫画にケチつけてどうするw
>>825 奥山新陰流は家康も印可を持ってた流派なんだが。
(まぁ、奥山休賀斎自体が遠い親戚みたいな部分はあるけど)。
因みに松平忠輝も弟子の一人。
道場を開くにはそれなりにコネやらも無ければ出来ない。
江戸時代の白い巨塔。
>>829 もう少し時代設定が遅かったら
京都を舞台に攘夷派か開国派のどっちかを
切りまくってたんだろうなw
京都でキルマシーンと化す塚原卜伝
剣客を撃ち殺しまくる橋本一巴
天水桶の陰から、河井継之助とスネルがガトリングガンをひっさげ登場。タランティーノばりのガンアクションで
対抗して呼ばれた村田蔵六(大村益次郎)は、市街地で砲撃戦を開始。2人の「人撃ち」の決斗がここに。
>>821 別に共産党の陰謀というか、唯物史観とその停滞論や個別実証的部分の克服や合致をめぐった論争が
歴史学会を拘束したせいもあるだろう。表現が「専制国家権力や共同体から派生した新しい首長層の搾取」
とかエグイ感じだが、要は時代毎の新興台頭層(開発地主の武士団形成や、豪農の地侍化)とその再編や把握
・掌握が政治的に常に迫られた訳で、特に軍制なんて技術面含めて常に先鋭的・先端的な現れになるからね。
まあ唯物史観は共産主義者とか革命家(一朝にして全てが革新出来ると思い込んだ人々)が政治的異でイデオ
ロギーとして敷衍・標榜したせいで言葉遣い全般がアレだが、ウェーバーですら批判しつつ新たな体系的方法
は造らなかった訳で、結構使える部分もありおりはべりいまそかり。
エンゲルスには論考『歩兵』もあったな。
一般に総予算に占める糧食費の割合が
高ければ高いほど弱兵化する傾向にある。
イタリアのことかー!!!111!!1
>>837 共同体自衛軍としてギリシャやローマの市民軍→首長の私軍→専制君主の軍と、各地の共同体から
新たな中小権力者の台頭とその軍(諸侯と騎士など)→専制国家の成立とその装置としての軍、更に
マスプロ的装備一致等→近代国民軍・・・といった西欧での兵制変化(若干の他地域例含む)と、
政治や社会・経済といった背景が軍制に与えて行った経緯を社会的分業の一環として論究。
無論、地域差・事情差はあれど、専業・傭兵化や封建的階級的変化がダイレクトに軍制をも
変えて行った点などの指摘は見るべきものがある。これをエンゲルス係数とは言わない。
しかし、大河見てるとドラマだな。
>>843 おそらく大河さんの人生がドラマみたいだということでせう
>>843-844 もう少しリアリティーが欲しいねって意味、余りにも三流小説の作り物みたくてつまらん。
手始めに戦場の通り道の村で略奪とレイプをしまくる描写なんか入れると満足?
>>845 2007年大河ドラマ「風林火山」
主演:阿部高和
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>>846 戦国自衛隊(初代)がお勧め。タイムスリップものだと侮ることなかれ。
戦国時代軍が自衛隊にあの手この手で挑んでいく描写は秀逸。性欲発散シーンもある。
下手な戦国ドラマより数十倍は良い。
>>849 性欲発散シーンって
上杉謙信と千葉真一が海辺を走るシーン?
角川春樹ってこういうの好きなんかね。
弟とは大違いだよな。
薬好きなのが偶に傷だけど。
魚雷艇の話ね、村娘が海に飛び込むシーンはマムコが見えた見えないと
消防の頃、話題になった(苦笑)
大河でマムコはマズイしょ。消防みるしPTAカンカンだろな。
子「ね〜ね〜お母さん、あの人達裸でなにやってるの、お馬さんごっこ?」
母「子供は早く寝なさい」
子「まだ、八時すぎだよ」母「…」
おれ、戦国自衛隊はテレビ放送のしか見たこと無いから、
そのシーン記憶にないんだろうな・・・、こんどビデオ借り
てこよう、いやそのシーンだけじゃなく、カットされたシーン
あるだろうから(笑)。
856 :
名無し三等兵:2006/01/25(水) 19:47:34 ID:7W7cOslv
>855
う
そ
つ
き
857 :
名無し三等兵:2006/01/25(水) 20:51:07 ID:WXpO35HI
>>857 津川・長門兄弟が出るのか。なかなか楽しそうだな。
ななよんたんも大活躍するに違いない。
どうしてわかった!!
戦国自衛隊ってヘリで相手の本陣を急襲したらすぐ終わりじゃないかと
>857
哨戒艇だった!d
>>861 別に降下しなくても上空から64式小銃で撃ち殺せばいいし
戦国時代の人に戦車やヘリ見せるだけで逃げ出すよな。現代人がパソコン
の中から人が出てきたり、空からUFOが降りてくるところにかち遭う以上
の恐怖だと思うぞ。
どうせなら特科を召喚すれば良いのに。本陣を砲撃→終了。
戦国時代の前線と本陣の距離は長くて3キロ程度。120ミリ迫が10門
もありゃ楽勝だな。
反町も大和の乗員の次は陸自の3佐役か、軍人役が続くな。
大河「徳川家康」では戦で雑兵が女を乳だしでレイープしてなかったか?
アンガールズがエリート陸自1佐とかやっても迫力ないでしょ。
>>857 津川雅彦って一体何回家康役をやってるんだ?w
>>867 シエラザードでは陸軍大尉役になってたしな。
でも、自衛官とかだと雨上がりの宮迫みたいな
ゴツイキャラのほうが雰囲気はあるかも、まぁ
一般視聴者にはウケないだろうが。
875 :
(´Д`):2006/01/27(金) 02:09:24 ID:???
映画では後家さんに夜這いかけるシーンあったとよ。
>>874 知人のを借りたことがある。
志茂田大先生の凄みが味わえる逸品だ。
画面に乳が出たって話じゃね?
>>874 すごいな。
こんな発想を閃く事が出来て、尚且つそれを
現実のものに出来るのは純粋に凄いと思う。
何がすごいって、代償にいろいろと犠牲にしているモノがあるようなのにもかかわらず
既婚者であるところだな。
>>883 志茂田大先生はガチだし。
折伏鬼って本を書いていた事もある。
層かの先代会長をモデルにしたもんなんだが、これは中々筆力
を感じさせる(まさか後代に874みたいなものを書くなんて想像も
つかん)。
職業36回も変えているのに今絵本作家だし。
桑田は軍鶏にはまり>
巨人饅頭>
織田家臣団や徳川家臣団と野球の試合>
テラワロスwwwwwwwwwww
織田家や徳川家のスターティングメンバー想像してワロタ
試合中に光秀が謀反w
ナベツネはでてこんのかのう?
戦国のナベツネ
ナベツネなら普通に大大名になってんじゃないの?
別に社主としての地位は禅譲されたけでもなんでもないし。
一から上り詰めて自力で勝ち取ったもんだからな。
最近は往年のキレがなくなって老害でしかないけど。
関ヶ原で東軍の家康と対峙する西軍のナベツネ
史実と違うのはどっちか勝っても豊臣滅亡。
892 :
名無し三等兵:2006/01/31(火) 14:25:46 ID:7wsJHF1O
事もあろうかというか、自衛隊のタイムスリップってよくあるんじゃないの?気のせいかもしれないけど。
火葬戦記読んでたら良くあること。作者を忘れたけど、
次男の連れて来た彼女が茶髪で死んだ妻に申し訳ないとタイムスリップ先のミッドウェーで
やたら積極的に参戦する第一護衛隊群の司令官の話とかあったな。
見逃したorz
再放送はないの?
>>892 147 :名無し三等兵 :2006/02/01(水) 18:53:09 ID:???
まず反町たちがタイムスリップした日時を整理したい。
家康が会津征伐の為、大坂から伏見を経て出馬したのが慶長5年(1600年)の
6月18日。そして下野小山に到着するのが7月24日。
ちなみにこの時家康は秀頼から黄金二万両と米二万石を送られています。
まぁ当然ですけどね。名目上は豊臣家に反抗する上杉の討伐、家康はその
討伐軍の指揮官、というわけですから。
一方、石田三成が毛利輝元を総大将として家康打倒の挙兵をするのが
同年7月12日前後。毛利輝元も7月16日に大坂城に入城している。
んで、関ヶ原で決戦が行われたのは9月15日。
つまり、家康が近江?付近をうろちょろしているあたりから、
慶長5年6月15日以前であるということと、島左近が反町に「慶長5年だ!」
と答えたところから慶長5年1月1日から6月15日までの間であろうと推測できる。
しかし、家康の軍勢ならまだしも、小早川秀秋の軍勢が近江付近?
をうろちょろしているというのがよくわからない。
詳しい人補足頼む。
>>896 来週後編やるけど、前回のあらすじくらいはやるんじゃね?
まぁDVD待ちかな?出るなら、だけど
それは思ったナー、
1600年のいつやねん、と
>897
>898
いや、あれに時系列の合理性を求める事自体、無謀だとオモ
なんか雪すらチラついていたシーンがあったような・・・
反町の戦国自衛隊クソだな。
わけ分らん。家康悪者杉。
反町ヒーロー杉
902 :
名無し三等兵:2006/02/08(水) 00:11:19 ID:/wZBZ3B3
小早川隊離反後から動き出す島村隊・・・
やるきありますか?
903 :
名無し三等兵:2006/02/08(水) 00:14:45 ID:/wZBZ3B3
戦国自衛隊 島村隊のやるべきこと
1,秀頼を連れてくる
2,輝元をつれてくる
3,田辺・大津部隊を連れてくる
4,吉川を殺害する
5,小早川を殺害する
6,家康を殺害する
7,大垣篭城
8,左近を殺さない
9,もっと低姿勢で諸大名に対応する
10,ちゃんと歴史をおしえてやる
904 :
名無し三等兵:2006/02/08(水) 00:16:09 ID:/wZBZ3B3
それにしても、島村三成はすごい!!
島津義弘とか黙って付いてこさせてる!!
自衛隊が全滅したのは指揮官が無能だから。
島村も反町も。
島村隊には機動力があるんだから
小早川隊が裏切ってからでも東軍の背後からヘリで奇襲すれば
東軍壊走くさくねぇ?
そもそも、小早川隊が動いたら機先を制してそこめがけて戦車砲を撃ちまくれよ
史実じゃ小早川隊は大谷軍に一蹴されてるけど、
そのあとに続いて裏切ってきた各隊に大谷隊がつぶされてるから
小早川隊を大谷隊に近づけないだけで、小早川隊の裏切りが不発になるんじゃね?
途中から見たからわからないですが、なんで嶋村が石田三成に成り代わったの?
本物はどうなったの??
>>908 嶋村が切った。
他の武将はよくわからんがついてきた。
>>909 え、総大将が死んだのに!?普通は主導権争いするのに…。
何てクソドラマだ。ありがと。
>>910 まぁ、当時の武将は上司や同僚の顔なんて、親友でもない限り覚えてないからな。
成り代るのも容易でしょう。
>史実じゃ小早川隊は大谷軍に一蹴されてるけど
なぜそんなことを知っている?歴史群像読者か?
>>912 すなわち、
>>903の
>10,ちゃんと歴史をおしえてやる
には…
10'.ちゃんと歴史を教えてやろうにも、詳しい歴史を知らない低学歴なので無理っす
いやほんと、日本史オタじゃないんですから、勘弁してくだちい
が続くと。
保守