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ゆうか ◆9a1boPv5wk :
なんか架空戦記に話が流れてるような気がしないでもないですが。
史実の「第二次」インド洋作戦は17年6月22日、軍令部総長から連合艦隊への指示が出され策定されたもの。
つまり最初から軍最高機関の意思により計画されたもので、
ミッドウェーの敗北で威信を失ってたことや現実的に他方面での攻勢発起能力を失ってたGFとしては否応もなく乗った作戦です。
ある意味で政治的駆け引きの産物といえなくもないですが、実際問題としてMIなどよりよほど軍事的合理性を伴った作戦であることは事実でした。
その後陸海での調整を経て、8月初旬から本格的なインド洋攻勢が予定されていました。
手始めに新編なった第三艦隊の最初の任務がB作戦(ベンガル湾通商破壊戦)、
次いで4個潜水戦隊(3個インド洋、1個豪北方面、当時のGF所属潜水艦戦力の6割以上)の投入による継続的な作戦。
これでインド洋の交通を麻痺させ、ドイツとの協同作戦によって18年半ば頃までに英国を間接的に屈服に追い込もうというものです。
太平洋方面は現状維持。
これが何故ぽしゃったのかは以前から申し上げたとおり。
ウォッチタワー作戦の発動がわずかに先んじ、戦略的主導権の獲得に成功したためです。
ごくわずかな発動タイミングのズレが、日本の大戦略を崩壊させたんですね。
・・・念のためですが、立場が逆で日本の発動の方が早かったら、大東亜戦争の経緯は全く別のものになっていましたよ?