952 :
名無し三等兵:2006/05/12(金) 03:38:33 ID:BtW74pUS
>>951 >>948の最後の一行
鈴木氏の説については双方意地になってループすることが多いんでね
あまり好きではないだけ
>>952 ああ、前のあの長文煽りレスみたいになるのが嫌だったのね
それは素直に謝る
つか鈴木がどうとかってより、
戦国時代の騎馬突撃の姿を検証したかったんだがな
>>953 騎馬突撃については双方の言い分に一長一短あって分からんてのが実際のところだな
名和弓雄氏についても鈴木氏と同様の一研究者でしかないしね
三州長篠合戦記についても陣中で流れた噂の可能性もない訳ではないでしょ
>>954 確かに長篠日記とかは後世の作なんだよな
そこから「そんなもん信じられるか」という主張が通るのもわかる
ただここで一つ疑問なのは、
「武田騎馬軍団」を始めとする「騎馬隊神話」が後世の創作だったとして。
例えば信長記のように江戸時代に創作されたとして、
だったらなぜ「武田騎馬軍団」というアイデアを創作者が思いついたのかが疑問。
やっぱり何か騎馬武者に関係する何かがあったから、
そこから「騎馬軍団」という伝説が生まれ、
そして今日のように一般に流布したんじゃないのかな、と思うんだがな
最近いわれるような「武田は馬による荷役が上手だったから」
というのでは騎馬軍団に結びつかないような気がするんだけどね
「後世の創作」とするのは簡単だけど、
じゃあその創作はどうしてそういう創作になったのか、
これを検討するのも面白いと思う
とりあえず今日は寝ます
荒しそうな真似してすいませんでした
956 :
某研究者:2006/05/12(金) 04:00:20 ID:SRmsfRbr
>5.鉄炮組の発砲後に、弓組が入れ替わって前に出て斉射する。
まあ弓の数は鉄砲より
多かったかも知れぬし
鉄砲と入れ替わって発射して居たのは
一部の部隊だけと言う事は無いのかだが
>6.石を手ぬぐいで包んで遠心力で曲射することで、相手を混乱させる(当たれば脳挫傷・脳震盪)
まあどの程度の数の兵が此れを使用したのかだが
槍も持たない様な雑兵だけなのだろうか
>>955 まぁ元ネタがあるとするなら平安末期の武田信義勢のイメージと甲州が馬の産地ってだけで
江戸期に無理やり結びつけたのかもね騎馬軍団
俺もちょっと鈴木信者認定と信者狩りにウンザリしてたんですまんかった
信者が嫌われる原因って実は初期の信者が
・氏の著作をちょっと読んだだけで変な誤解したままその間違いをやたら喧伝して広めた
か、
・氏の著作の内容から都合のいい部分だけ抜粋して氏の主張さえも捏造した
という悪質な連中が居たからなんだよね。
あと、何で信者って呼ばれるかというと、やはり初期の連中が
・何かというと氏の著作、と言うばかりでそれしか根拠に持ち出さない
というような、どうみても最近になって氏の本を読んで詭弁のガイドラインにあるような
新しい発見や説こそが既存の定説をひっくり返すトレンドだみたいな
勘違いをした厨房だったから、皮肉を込めて信者って呼んでる面もあるんだよな。
>>957 案外無理やりじゃないかもしれないよ?
馬の産地であり馬を多く確保できたのなら、実際騎乗した武者の割合も
他の勢力より多かったのかもしれないし、そこから騎馬軍団のイメージが
来ている可能性もある。
それに信者で本当にウザイなあって思ったのは、
信者が必ず言うのが
「〜は鈴木氏の著作で否定され尽くしております」
これ、なんとかならないかなあって思う。
信者にも程度の差はあれ、痛い信者は昔の様々な文献の内容まで後世の
創作だとか間違いだとか言い出すし、じゃあ氏が著作の資料にしたものだけは
本物なのか?正しい記録なのか?と。
960 :
名無し三等兵:2006/05/12(金) 21:59:33 ID:EsLl3Agi
>>955 大阪の陣の時点で近頃の若い奴は馬に乗って戦うと嘆く話があったとおもう。
961 :
名無しの三等兵:2006/05/12(金) 22:54:52 ID:UYGo3q+G
日本の戦国時代の場合は主に
CavalryとしてではなくDragoon
見たいに使ったんじゃないのか?
一般的にはどのくらいの速度で走れば突撃になるんだろう。
映画だと競馬のサラブレッドの全力疾走みたいな感じだけど実際は早足くらい?
甲陽軍鑑や長篠日記とかの記述を見る限り、
信長記にあるような「騎馬軍団」は存在しないと思うけど、
「騎馬武者」と歩兵の混成部隊、
そしてその混成部隊の敵陣への突撃までは否定できないと思う。
個人的な推測だけど、
長篠日記にある「(武田勢は)戦いなかばに馬を入れ」という記述は、
弓隊・石投げ隊・鉄砲隊の攻撃後の長鑓隊の攻撃で敵が乱れ始めた頃に、
歩兵を引き連れた騎馬武者たちが歩兵と共に攻撃し、
敵を蹴散らしたことじゃないのかな、と思う。
それは騎馬武者が馬で先陣切って混乱する敵部隊へ攻撃する事もあっただろうし、
それと同等にもしくはそれ以上に、
騎馬武者たちの歩兵指揮が上手かったってことなんじゃないかなあ、と。
そのために武田は「戦いなかばに馬を入れ」て勝利する事が得意とされるんじゃないのかな。
そしてこのことが
>>957の言うような背景も加わって、
のちに信長記などで描かれる「騎馬軍団」の幻想につながるんじゃないか、と思う。
あと長篠日記を読んでると、長篠合戦で織田方の柵を破ろうと、武田方は、
「西上野の小幡、クツバミナラベ、太刀ヲ真甲ニ差カザシ、爰ヲ先途ト相戦フ」
と、小幡部隊が騎馬突撃での攻撃を試みた事も記されている。
※ただしこれは通説にあるような馬防柵への突撃とは異なるので注意。
これは山県隊に続いて柵を破ろうとした強攻策の一つであって、
その証拠に小幡隊の後の「馬場美濃守ハ、如何ニモ静々ト来ル」とあり、
通説のような武田勢の無謀な騎馬突撃を長篠日記では記していない。
こういうところから見ると、
「武田騎馬軍団」を否定的に捉えるのは止むを得ないとしても、
武田家では騎馬武者による攻撃自体が全く採用されていなかった、
というのは考えづらいんじゃないか、と思うんだけど…。
長文スマソ。
> 長篠日記にある「(武田勢は)戦いなかばに馬を入れ」という記述は、
> 弓隊・石投げ隊・鉄砲隊の攻撃後の長鑓隊の攻撃で敵が乱れ始めた頃に、
> 歩兵を引き連れた騎馬武者たちが歩兵と共に攻撃し、
> 敵を蹴散らしたことじゃないのかな、と思う。
こちらも推測なんですが、
長槍同士の叩き合いの背後に10騎単位でも侵入されると困るのではないかと。
長槍を歩兵に向けたら背後の騎馬には無防備ですし、
騎馬に対抗するには長槍を捨てるor向きを変える必要がある。
そうすると、正面の歩兵に対して無防備になる。
結局、騎馬武者に後ろに回られると長槍の叩き合いに負ける。ではないかと。
これについて、歩兵が随伴できればするのだろうけど、
ついてこれなくても騎馬だけで乗り入れることもあるのでは?
そして、そのことは互いに判っているので背後に回ろう、阻止しよう
といった動きを互いにするのではないでしょうか。
>>965 つまり歩兵引き連れた騎馬武者達が、
正面で相手と鑓で叩き合いをするのとは別に、
背後や側面から攻撃を仕掛けて相手を揺さぶり、
味方を勝利させる、ということでしょうか?
自分の場合は単純に長鑓の叩き合いで相手を押し始めたら、
騎馬武者が多くの歩兵引き連れて総攻撃掛けて相手を押す。
もしくは長鑓の叩き合いで相手が壊乱状態になって崩れたところを止めを刺す、
要するに、白兵戦での決着つけるような時に登場するのが、
武田「騎馬隊(実際は歩兵多数の混成部隊)」じゃないのかな、
と妄想するんですね。
最初から騎馬だけで突撃かけたら相手に槍衾されたらおしまいだし、
弓や鉄砲の標的にもされやすい。
それよりも相手が崩れたところで、
つまり騎馬のリスクがある程度少なくなる頃に、
多くの歩兵引き連れて一気に突撃かましたんじゃないのかな、と思ったのです。
>>965 と言うか古今東西の騎兵の使用法が正にそれなんだが。
アレクサンドロスもハンニバルも騎兵をそう使用した。
正面から突撃するなんて中世欧州の一時期にしか行われていない。
>>967 そういう騎馬の活躍について記された日本の一次資料ってどんなのがありますか?
教えていただけたら幸いです。
このスレ読んでからというもの、
どういう資料を目を通したらいいかわからなくなってしまって
とりあえず一次資料にあたってみるのがベターなのかな、と…
>>967 我らが鈴木御大はそういう点も無視されているのか?
この二人に関して「当事者によって書かれた記録」と言う意味での一次史料は殆ど残っていない。
アレクサンドロスの場合彼が生きていた時代に書かれた資料は中世に失われて今は残っていない。
あるのは彼の死後数百年たってから書かれた二次資料が殆ど。
但しこの二次史料はまだ当時残っていた一次資料を元に書かれているのである程度は信頼出来る。
ハンニバルはアレクサンドロスを真似てギリシャ人の作家を従軍させて自分の戦記を書かせていたがこれも残っていない。
その他の記録も殆ど残っていない。
一番近いのはポリビウスの著作でこれはハンニバルの死後の精々数十年後にしか書かれておらず第三次ポエニ戦争に関しては本人が直接見ているので信頼性は高い。
アレクサンドロスに関して一番一次資料に近く初心者にも読みやすいのはプルタルコスやアリアヌスの著作、ハンニバルに関してはポリビウスやリウィウスと言ったあたり。
>>970 日本の戦国の戦記の場合はどうですか?
教えて君で申し訳ないですが
972 :
名無しの三等兵:2006/05/13(土) 01:53:47 ID:HkUSWlfb
すいません既に日本と西洋の馬の違いは語られているんでしょうか?
>>972 違いは語られているが、
ただし、日本馬が「ポニーのように小さくそれゆえ力がなく劣等だった」ことについては、
意見が分かれる。
NHKの番組で日本馬に45キロ相当の装備をつけた人間を騎乗させたら、
馬はほとんど走る事が出来ず、このことから、
「日本馬は貧弱。ゆえに騎馬突撃はない」
とする鈴木真哉らの説が流れた。
が、これに対し、
「モンゴルの騎馬軍団の馬も日本の馬とそうかわらない」
「馬は訓練する事ではじめて役に立つ動物。
NHKのように何の訓練もしていない馬で実験をしても意味はない」
と反論も多い。
975 :
(´Д`):2006/05/13(土) 03:43:23 ID:???
合戦以外、行軍移動中も換え馬を持ってない者はなるべく乗らずに
大事にしただろね。
甲冑着ての乗馬戦闘はそんなに長い時間では無かったと思うタイ。
何に記載された話なのか詳しく知らんので出すのもあれだけど。
合戦を知らない若者たちから実戦の戦い方を見たいとせがまれた老人が、実際に
武具一式をつけて馬に乗り当時の様子を披露した。
しかし、馬上からバタバタと左右に槍を振り下ろすだけのものだったという。
977 :
名無し三等兵:2006/05/13(土) 07:11:09 ID:o2oVmtCF
騎馬突撃って何?
ポニーでのそのそ突撃して何になるの?
>騎馬突撃
騎兵による強襲攻撃。その機動力を駆使して敵の側面や後ろから攻撃する。
一般的には騎兵単独では行われず、他の兵科と共同で行う。
例
1.歩兵で敵を拘束しておき、側面を突つく。(もっとも一般的な方法)
2.投射武器で敵の陣形を崩した後で、突撃する。
(モンゴル騎兵は最初は騎馬弓兵や投槍による攻撃を行った後、突撃を行った)
>ポニーでのそのそ突撃して何になるの?
「ポニー」がどんな馬を指しているのかは判りませんが、体高120センチ未満の馬はペットか挽曳用に
訓練され用いられるもので、軍用馬として使われるのは一般的ではありません。
また、148センチ未満の馬は「ポニー」と呼ばれますが、
この分類の場合、ほとんどの騎馬民族の用いた馬はポニーになってしまいます。
後者のポニーの場合は、十分な訓練が行われていれば、十分役に立ちます。
前者でも訓練次第では。
あるハクニーポーには110センチの障害物を飛び越えることが出来るのだそうな。
ベースとなったハクニーは、馬車、軍馬用として有名。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%BC
ついで、馬の走り方。
馬の走り方には4つあり、遅い順に
常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)、襲歩(しゅうほ)
フランスナポレオン軍の騎兵隊について書かれた文章には速歩(トロット)、駈歩(キャンター)最も多く登場します。
つまり戦場では速歩や駈歩が一般的だったわけです。
速歩は乗馬倶楽部ではウォーミングアップのための歩様で、馬にとってもっとも負担にならない走り方と言われています。
馬の大きさにもよりますがだいたい時速15km.前後。
駈歩が時速20km前後で、襲歩で時速60km.前後。
襲歩は体力を激しく消耗するので、どんな馬であろうとも長い距離は走れません。
次は騎兵突撃の手順。
馬は騎手がどれほど拍車をかけようとも敵陣が崩れていない限りは突撃しなかったそうな。
指揮官が目標を定めて常歩で移動を開始。
これで敵陣が動揺するようであれば速歩に切り替えます。
この時点で敵側は1回しか射撃する機会を得られません。(突撃されるため)
この射撃をやり過ごせた段階で、襲歩に切り替え、突撃を開始します。
ここで敵が挫ければ騎兵部隊に蹂躙されてしまうわけです。
(騎兵部隊の打撃力は実際の殺傷力ではなく心理的効果のほうが大きい)
もし踏みとどまれば引き続き射撃か行われることになるので、騎兵部隊は速度を落とし矛先を転じます。
映画みたいに常に襲歩で駆け続けるなんてことはないわけです。
以上はナポレオン戦争時の一般的な騎兵突撃です。
古代や中世でもさほど変わらないとは思うのですが…
で、障害物とか堀に気がつかなければ
ワーテルローとかバラクラバになるワケですねぇ。
戦国時代の馬の調教は人間の死体に飼葉を入れて食わせ人間の味を覚えさせ
戦闘の際には馬が敵を襲うようにしたと二十八先生の著作にありますが
ガイシュツ
しかも与太
弓矢の射程に入ってから、有効弾を貰わずに射手に攻撃できれば十分かと<騎馬突撃の速度
和弓で直射だと有効射程は30mくらいかな
面制圧でよいなら、距離は伸びるけど
984 :
名無し三等兵:2006/05/13(土) 22:08:05 ID:o2oVmtCF
>>978-979 ぼんやりと把握できたthx
ついでに
>襲歩で時速60km
ナポレオンの騎兵ってサラブレット並だったの?GIでも60km/hくらいじゃなかった?
あと、速歩し始めるのってどのくらいの距離からなの?<大まかでいいです
どうでもいいことかも知れんけど、
上の方にある「川中島合戦図屏風ヲタ」のいう、
岩国歴史美術館の屏風(左隻)、
普通に騎馬武者描かれてるじゃん
いかに蒙古馬がすごかったかわかるね。
日本馬より一回りデカイけど人乗せてガンガン走れるからね。
そりゃそんな馬に数千数万マタガッテ、弓放ちながら全力疾走で突撃されたら、勝てねぇよな。
温血馬はスゲーよ。
>984
ナポレオン軍の騎兵は
軽騎兵が小型(350kg.)のアラブ馬。(乗り手武装あわせて70kg.以下。偵察、追撃、後方かく乱)
中騎兵は中型(450〜500s)、(乗り手武装あわせて100s以下。)
竜騎兵とも呼ばれ、基本は下馬戦闘。軽騎兵のように偵察に使われることもあれば、重騎兵のように騎馬突撃にも使われる。
重騎兵は700kg.を越えるホルスタイン種を使用。(乗り手武装あわせて130kg.を越えることがある)
>ナポレオンの騎兵ってサラブレット並だったの?
と言う訳で主にアラブ種が使われています。サラブレッドのベースになった馬ですね。
ベストの状態で足場も良好であればサラブレッドであれば時速90km.出せますよ。
>あと、速歩し始めるのってどのくらいの距離からなの?<大まかでいいです
300メートルまで常歩。60メートルまで速歩。そして銃をぶっ放した後、抜刀。駈歩もしくは襲歩で突撃です。
完結千里の独楽って言葉あったっけな
多少のゴヂはきにしない
距離300から60まで時速15km.で移動。(1分)
当時のマスケット銃の有効射程は150メートルが限度とされてた。
実戦的環境では100ヤードで命中率15%とされている。(実際調べてみると1%未満がほとんど)
よって突撃を受けている歩兵部隊はだいたい100メートルほどの距離で射撃を開始する。
射撃速度は毎分2〜3発とされている。理論上は20〜30秒に1発。
距離60から時速20〜50kmで突撃するとすると、攻撃まで11秒ほど(時速20km.の場合)
初弾発射後、ビビッて逃げ出さなければぎりぎり2発目が打てるかもしれないと言うところ。
990 :
名無し三等兵:2006/05/14(日) 09:34:18 ID:EyljC7Av
ふーんそうか
陣形組んだ歩兵正面からの騎馬突撃って、ほとんど自殺任務じゃないの
彼我兵数が同じ、何て事は無いわけだし
>陣形組んだ歩兵正面からの騎馬突撃って、ほとんど自殺任務じゃないの
だからネイ元帥が、勇者の中の勇者と言われるわけだ。 ワーテルロー以外では成功していたんだし。
992 :
名無し三等兵:2006/05/14(日) 11:18:06 ID:SU4NxCpr
ネイは運が良かった それだけ
騎兵の利点は機動力と、心理的な衝撃を相手に与えるのが主だから、
それを封殺されると、ただ高価で的の大きな兵種というたいへん困った存在に。
まぁ、闇雲に騎兵を突撃させるのは阿呆のやることだわなぁ。
騎兵部隊は一旦壊滅すると再編成にすさまじく時間とコストがかかるので、騎兵の投入は慎重になるものなのだ。
ワーテルローのナポレオン軍の弱体化は、騎兵をモスクワ遠征ですり減らしたせいだとも言われている。
イギリスの騎兵隊指揮官の話では、「フランス軍の馬は貧弱で訓練もろくに行き届いていない駄馬ばかり」
だったそうな。
騎兵の出番が無くなったのは、アメリカ南北戦争後かな
ライフリング付き重で命中精度と射程距離が伸びて散兵戦術が機能するようになった
歩兵が密集して統制射撃を行う必要がなくなったので、突撃対象が無い+遠距離から狙撃される
ピストル騎馬も対騎馬には有効だけど対歩兵に弱い
伊達の鉄砲騎馬隊も大阪城攻防戦では役立たず
功城戦に馬は論外だろな
夏の陣は野戦
散兵戦術が機能するようになったのは、志願兵による国民軍が登場するようになったから。
それまで兵は士気が低く陣を組んでないと逃亡してしまうんだなぁ。
アメリカ兵が散兵戦術をとったのは独立戦争まで遡り、まったく統制も取れてなく制服も着て居ないという
ヨーロッパの軍事常識とはかけ離れた軍隊というか民兵だったのです。
独立心が旺盛な上に隊列を組む訓練もしたことがないのでナチュラルに散兵戦術に。
そして、土地柄から(狩猟は生活の一部)射撃が得意なものが多く、この戦術に実にマッチングしたのです。
大砲による攻撃も、散兵戦術のおかげでほとんどノーダメージ。
地形に行動を束縛されることも無かったので、イギリス軍をコテンパンにすることが出来たのです。
そのかわり、ろくな軍事教練を受けていなかったので銃剣突撃は苦手。
戦国の備は欧州の密集陣と散兵の中間に位置するものと考えるべきなのだろうか?
隊列戦闘を行う鉄砲・弓・槍足軽は縦深1・2程度だし、突撃を行う騎馬・徒武者(とその従者
や兵科足軽以外の足軽)は隊列を考慮せずに突っ込むであろう。
この辺に野戦で散弾や球形弾による大砲射撃が行われなかった理由があるのかもしれない
尤も、日本には持ち運びが便利な大鉄砲があったからかもしれないが
1000 :
名無し三等兵:2006/05/14(日) 15:46:46 ID:2Z4aGjI4
1000 騎馬隊は存在しない
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。