226 :
何事も加減:2005/11/23(水) 19:27:56 ID:???
若い頃のナポレオンは、敵の力の中枢に打撃を加えることの効果を認識していた
敵の主戦力を撃破してしまえば、そして敵の政経の中枢を占領してしまえば、後はなるようになった
ナポレオンは、これらの目的を達成するための最も確実な方法として、可能な限り強力な軍隊を動員し、
基本的な目標に集中することを認識していた
この二つの認識は、政治的・軍事的現実の一面を正確に見抜いており、彼自身の征服と絶対的支配の欲求をも
反映していた
しかし、こうした視点が、彼の戦争の範囲を可能な限り最大の目的を達成するために
できる限り大きな力で戦う衝突のみに限定してしまうという非現実的な結果を招いた
一国の外交政策が大戦争のみを必要とするケースは稀だが、ナポレオンは独特の政治的軍事的なスタンスから
限定目標のための限定戦争を行おうとは考えもしなかった
こうして彼は自らその選択の幅を狭めただけでなく、フランス帝国の戦争資源の限界を超え、
対抗者たちに非常な努力を誘発する戦争に、そして最終的には戦略的にも戦術的にも政治的にも
勝ち目のない戦争に駆り立てられていった
そんだけ
227 :
言うは易し:2005/11/23(水) 19:28:20 ID:???
戦略レベルでは、ナポレオンの巨大癖は十分に力を持たないという基本的欠陥以外にも重大な欠陥を露呈した
北イタリアと中部ヨーロッパでは効果を発揮した指揮統制も、スペインやロシアや、
1813年以降の再結成された大同盟に対する戦役では十分な効果を発揮できなかった
こうした無理と敗北が、軍事的・政治的決定とそれを実行に移すための措置との間のバランスを崩しつつあった
ナポレオンは単に政治的独裁のみならず軍事的にも独裁を意図したので、
彼の幕僚活動の中核は彼の要求する情報資料の提出と報告や命令を伝達する組織以上のものにはならなかった
幕僚は戦略計画の発想もしなかったし、彼の戦略的・作戦的企図の中で組織としての
独立的な意思決定の能力を発揮させることもなかった
陸軍は軍団に区分されてはいたが、同一の戦場で戦っている限りこのことは殆ど障害にはならなかった
しかし、陸軍の規模が拡大し軍団が広く分離された戦域で戦うようになると、
ナポレオンの指揮統制は破綻してしまった
ロシア遠征でも、1813年のドイツにおける戦役でも、彼の元帥たちは彼の命令を刻々と変化する状況に
応じて解釈することを期待できなかった
彼は独立的に部隊を指揮できるだけの能力を備えた方面軍司令官に対して、彼の方針に従わせつつ
自主裁量の余地を与えるといった、服従と独断専行を組み合わせた統帥を決して認めなかった
もっとも、当時の通信技術ではそんな芸当は不可能だった
ナポレオン末期の大陸軍とナポレオンがそれに課した要求は、19世紀初頭の技術能力に
限界一杯の負荷をかけるものだった
そんだけ
228 :
将軍は踊る:2005/11/23(水) 19:28:47 ID:???
ナポレオンの勝利が曖昧になるにつれて、彼個人が軍事的権威と政治的権威を束ねていたことが
災難を招くことになった
責任が複数に分割されていれば、または適切な助言者がいれば、こうした事態は回避できたかもしれなかった
フリードリヒはナポレオンと同様に絶対的な権限を一身に集めていたが、国を破滅させなかった
フリードリヒは大きな危険を自ら冒す覚悟と用意があったが、自分の野心を抑え込むことができた
ナポレオンのロシア侵攻は理性の限界を超えていた
それは絶望的で不必要な博打だった
ロシアの野戦軍を撃滅できていないのにモスクワへの進撃を決定したことについても同じだった
10月中旬までモスクワに留まるという決定は、アレクサンドルが交渉に応じてくるに違いないという
根拠のない願望のために大陸軍を犠牲にすることを意味した
1813年の夏には和平に応じることを拒否したため、秋には極めて不利な状況で戦わなければならなかった
10月にザクセン同盟のためにドレスデンを諦めようとせず、ライプチヒの作戦に必要だったサンシール軍団を
引き抜いたのに、結局はザクセン同盟を確保しそこなった
「決戦の前に政策が介入して全てを失った」
1814年の作戦はナポレオンの内線作戦の傑作と激賞されているが、栄光ある戦いだったにせよ、
政治的空白の中で戦われた無益な流血に過ぎなかった
同盟軍がフランス国内に侵入する直前に、軍事的には同盟軍が数倍も優勢になっていたにもかかわらず、
同盟国を政治的に分断して許容できる条件で平和的に交渉をまとめる努力を拒否した
ブリュッヘルがパリへの中間点近くまで来たときに開かれたシャティオンの会談で、
フランス代表は情勢から見て当然要求される危機感と決意をもって会議に臨んだわけではなかった
この戦役は、政治指導と軍事指導が一体となったことの華麗さではなく、その悲惨さを明らかにしてしまった
そんだけ
229 :
奉:2005/11/23(水) 19:29:38 ID:???
ナポレオンの末期の一連の戦役が行われるまで、フランスの国力とある程度適切にバランスしていた政策指導が
ナポレオンの戦略の不可欠な要素をなしていた
しかし、後世の彼の戦争に対する分析はほとんどが純軍事的側面に焦点が当てられている
後の軍人の多くがナポレオンの戦争を近代戦の頂点と見なし、ナポレオンの戦略思考と作戦技術の秘密を
知ろうとした
彼の統治と彼の戦争がヨーロッパに及ぼした影響は非常に広く深かったため、彼の晩年の一連の敗北も
彼の偉大さを殆ど損なわなかった
数の力、戦略的な縦深突破、決定的な地点への兵力集中といった概念は、ナポレオン流やナポレオン派のような
言葉で括られるようになった
軍人にとって、ナポレオンは量と機動の推進者として時代を超越した模範となり、
その本質は技術の進歩によっても影響されることはないと信じられてきた
実際にはその逆で、鉄道や電信、後装銃のような新技術のおかげで、初めてナポレオンの大胆な構想が
現実的になった
19世紀後半にはナショナリズムが大量の軍隊を提供するようになった
ナポレオンはその初歩的な形のものしか知らなかった
現代でも、ナポレオンが戦争についての普遍的で恒久的な価値を発見し、それが彼の戦役や著作を通じて
後世に伝えられているという主張は根強い
ナポレオンの戦略はその時代の産物に過ぎず、ナポレオンは彼の時代の可能性に調和した戦略を確立して
大成功を収めた
彼が理解し活用した社会的・経済的・技術的・政治的要素が変化すると、彼の戦略構想も変化を余儀なくされ、
時代遅れになった
彼が後の世代に与えた最大の影響は、彼が後世の戦略や作戦に与えたとらえどころのない影響よりも、
非常に多くの軍人や研究者がその影響を信じていることにあったが、それはまた別の話
そんだけ
そんだけ氏が降臨したと言う事実というだけでも、
このスレにいてよかったと思える。
うむ。
そんじゃあ読むとするか。
アウステルリッツ戦勝200周年あげ
>225
>フランス軍に性急な攻撃と
>火力軽視の風潮を根付かせていた
フランス軍の兵力1000人当たりに占める大砲の数は以下のように推移している。
マレンゴ 1.03門
アウステルリッツ 2.11門
アイラウ 2.67門
ヴァグラム 3.24門
ボロディノ 4.41門
ライプツィヒ 3.50門
ワーテルロー 3.17門
ロシア遠征以降は敗戦による大砲の損失が響いて1000人あたりの門数も減少しているが
それまでは基本的にナポレオンは大砲の比率を高めるよう努力している。
これが果たして火力軽視と言えるのか。
何やらNHKのニュースの埋め草でちらっと流れた海外ネタにアウステルリッツで歴史ショーってのが
ちゃんと見た香具師いる?てか現場行って擲弾兵やってきた人とかいる(ワケガナイ。
200年にあわせての単発だったのか、今後も継続なのか?どっちなんだろうか?
>>235 小火器による火力軽視ということではないですかね。
実際12ポンド砲に代表されるように大陸軍の砲力重視は有名だと思いますが、
砲撃戦が終わり歩兵の前進が始まった後は砲兵は基本的に射撃できないですし。
大陸軍には確かに縦隊重視の傾向があり、これは必然的に歩兵火力の軽視をも
たらすのは事実だと思います。機動力重視、攻撃重視になると縦隊重視となる
のもまた必然でしょう。
拡張横隊を多用するイギリス軍などに比べれば、確かに歩兵火力軽視だと思い
ますよ。名作ウェリントンズヴィクトリーなどをプレイするとこれは痛感しま
す。
>237
225の文章は以下の通り。
>銃剣白兵突撃による突撃戦術を取り入れた混合隊形の戦術ドクトリンは、フランス軍に性急な攻撃と
>火力軽視の風潮を根付かせていた
そもそも砲兵の比率を高めたフランス軍に対する説明文としてこれが適切かどうかが問題だろう。
砲兵を集中運用し、事前に大規模な砲撃を加えたうえで攻撃を行うナポレオンの方式を
安易に「性急な攻撃と火力軽視の風潮」と断言している点が問題なのであり、
火力の意味が歩兵火力か否かなどという瑣末な点を取り上げているのではない。
加えて、フランス軍が歩兵火力の使用を軽視していたというのもどこまで本当なのか。
Nosworthyの"With Musket, Cannon and Sword"によれば
フランス軍は遠距離から銃を撃つことで弾を無駄遣いする傾向が強く、
逆にイギリス軍は「射撃の際のしみったれた態度」が特徴だったという。
射撃の回数を絞り、むしろ射撃直後の銃剣突撃を得意としていた英国軍の方が、
ある意味では「火力軽視」とすら言えるかもしれない。
>>238 当たりもしない距離から無駄弾をばら撒くこと=火力重視
しみったれといわれるくらいに効率的な射撃に徹すること=火力軽視
ではないことは自明のことでしょうけどねw
反証のない煽りは醜いな
241 :
788:2005/12/07(水) 09:39:37 ID:???
>>237 >火力の意味が歩兵火力か否かなどという瑣末な点を取り上げているのではない
瑣末な問題であるとは思いませんが、まあそういうご指摘なら原文は誤解を受け
ないように「歩兵火力」とすべきだったでしょうね。これも私の想像に対する考
察ですが。
>射撃の回数を絞り、むしろ射撃直後の銃剣突撃を得意としていた英国軍の方が
ナポレオン戦争の一般的な文献を読む限り、イギリス軍の横隊射撃の正確さ、お
よびこれによる歩兵火力重視の傾向はもはや定説化しているようにも思えるので
すが。必中を期すために引き付けをおこなっていた訳ですから。
またいくら大陸軍が縦隊を多用したことも事実であり、いくら弾をばらまこうと
したところで射撃正面自体が狭くなる訳ですから、これは歩兵火力軽視、白兵重
視と捉えるのが一般的であると思います。まあこれは当の皇帝自体が一番認識し
ていたわけで、そのために複合隊形によるスカーミッシュの活用、横隊による火
力支援をいう方法を洗練していった訳ですから。ただ兵の質低下に伴い再度これ
も困難になっていったようですが。
242 :
237:2005/12/07(水) 09:40:23 ID:???
上名前間違えました。正しくは「237」です。お詫びして訂正します。
まあ、ワーテルローの最終局面がよく物語ってると思うけどね、
仏軍の火力軽視と英軍の火力重視は。
騎兵および通常歩兵の予備が払底してしまっていたとは言え、
ラ・エイ・サントが陥落した時点で、英軍の最終防衛ラインを崩壊させるために、
仏軍が選択したのは老親衛隊による歩兵の縦隊突撃だった。
だが、英軍が反斜面陣地を強いていたお陰で、稜線に視線が妨害され、
砲兵の支援も十分ではなかった。
それでも、老親衛隊の縦隊突撃を最後の切り札として投入した。
それを崩壊させたのが、イギリス軍近衛歩兵連隊による、
正確無比な横隊射撃。
これほど両軍のコントラストが現れていた戦闘もないだろう。
244 :
237:2005/12/07(水) 11:33:09 ID:???
>>243 >老親衛隊による歩兵の縦隊突撃だった
これは実は壮年親衛隊であったとされています。それもトータル5〜7個大隊、
3000名前後。2個の縦隊を形成し攻撃を行った模様です。チャンドラーもロペス
もこの辺りの記述は一致してますね(大隊数は違ってますが)。
この時点で老親衛隊は右翼側(即ちプロイセン)からの攻撃のために既に投入さ
れていた模様です。
>241
では英軍が火力軽視ととられても仕方ない行動を取った具体例を示そう。
いずれもNosworthyの"With Muskets, Cannon and Sword"に紹介されているものだ。
・ある匿名のスコットランド兵がFuentes de Onoroの戦いで銃を構えずに突撃したと記録している。
・Wheelerは第51連隊が「一発も撃つことなく」目的の稜線を占領した話を記している。
・Kincaidは5個中隊の英軍がやはり一発も撃たずに仏軍を蹴散らした例を紹介している。
上の事例は特殊なものに過ぎないというのなら、「英軍火力重視」の具体例を紹介してくれ。
もちろん一次史料の紹介で、引用元の文献も記しておくこと。例えば以下のように。
「ワーテルローで仏親衛隊が縦隊で前進したという話は英軍側の証言に拠っている。
例えばMaitlandは親衛隊の擲弾兵が1個縦隊を、猟兵がもう1個の縦隊を組んだと記している。
(Siborne "Waterloo Letters")
しかし、フランス軍側の言い分は異なる。
親衛隊のPetit将軍は「親衛隊は大隊ごとに方陣を組み、そのようにして前進した」と書いている。
(Adkin "Waterloo Companion")
英軍は前進してくる親衛隊を夕暮れの中、硝煙の彼方に見ただけである。
英軍側の証言より仏軍側の言い分が信用できると判断したAdkin、Barberoなどは
その作品の中で親衛隊は5つの方陣を組んで連合軍戦線に向かって前進したと記述している」
246 :
237:2005/12/08(木) 10:32:23 ID:???
>>245 議論をされるなら以後名前に番号ハンをつけていただけると助かります。
>「英軍火力重視」の具体例を紹介してくれ
イギリス軍が横隊重視、大陸軍が縦隊重視であるという史実を持って、イギリス
軍の方が歩兵火力発揮重視であったという一般論は成り立つと思いますが。
横隊を組んでいても火力を使用しないような事例はシチュエーションによって当
然発生するでしょうが、しかしそれは横隊が縦隊よりも火力発揮重視であるとい
う基本的な性質を損なうものでは無いと思います。
まあイギリス軍が横隊火力を過信した結果、カトルブラでは騎兵突撃を横隊で迎
え撃つという暴挙に及んでしまい簡単に撃破されてしまった事例などはイギリス
軍の横隊重視の好例だと思います(もっともこれはアクスブリッジの方陣命令が
誤って伝わってしまったためであるとする説もありますが)。
247 :
237:2005/12/08(木) 10:44:54 ID:???
>>245 つづきます。
またワーテルロー最終局面における壮年親衛隊撃破の際の英軍射撃の史料として
は、
「第52連隊が親衛隊の左側面に対して痛烈な射撃を浴びせかけ、フランス軍を狼
狽させ前進を停止させた」(Schom "One Hundred Days")
「僅か20ヤードの距離からイギリスの兵士たちは縦隊の先頭に次々と斉射を行っ
た。それから10分も経たないうちに、猟兵縦隊も同じ運命に見舞われた」
(Chandler "Campaigns")
「次に稜線を攻撃した親衛隊の部隊は第3猟歩兵連隊第1及び第2大隊だった。
フランス軍が25メートルまで近付いたところで公は叫んだ。“今だ、メイトラン
ド! 君の出番だ!” ほとんど肩を接するようにして4列横隊を組み、正面250
メートル以上に広がった1400人以上の歩兵が立ち上がった。彼らは相手を粉々にす
るような斉射を放った」(Adkin "The Waterloo Companion" )
などがあると思います(なお史料は「大陸軍 その虚像と実像」より引用させてい
ただきました)。むろんこれに続く白兵戦が生起したことも疑い無く、これによっ
て最終局面で壮年親衛隊が撃退されたことは間違いないでしょうが、このような近
距離戦闘においてもなお横隊による射撃を重視したということもまた特筆すべきだ
と思います。
なお追記しますと、貴方が引用した史料も私が引用した史料もいずれも一次史料で
は無いと思われますが。
先人の研究使わずに、なんでも一次資料引け引け言う人はたまにいます
最終的には戦闘はどろどろした消耗戦で決着した。
「彼はただ単に旧式のスタイルで前進しただけにすぎぬ」
ウェリントンは数週間後に記している。
「そして旧式なスタイルで撃退された」
戦いの後、ナポレオンはまだチャンスがあると思っていたが、
ワーテルローの失敗の結果を覆すことはあまりにも困難だったのである。
>246-247
>なお追記しますと、貴方が引用した史料も私が引用した史料もいずれも一次史料で
>は無いと思われますが。
説明不足だったかもしれないので書いておこう。AdkinとNosworthyの本自体は一次史料ではない。
しかし、こちらが紹介したのは彼らが本の中で一次史料から引用した部分。
戦争に参加した当事者が残した証言に基づく事例である。
さらに、Waterloo Lettersは誰がどう見てもprimary source。
Siborneがワーテルローの生き残りに何百通もの手紙を書いてかき集めた証言集だ。
当然、そこに紹介されている手紙も一次史料に相当する(当事者が残した記録、という意味で)
逆にそちらが引用したのはSchom、Chandler、Adkinが「地の文」で書いているところだ。
要するに20世紀後半に生きていた人間が書いた文章である。
実際にナポレオン戦争に参加した人間の証言と、百年以上後の人間が書いた記述。
どちらをより重視するかといえば前者を採るのが当然だろう。
ついでなのでAdkinの本からさらに一次史料の引用を紹介してやろう。
Colbourneによると仏親衛隊の射撃による英52連隊の被害は"suffered severely"だった。
散兵中隊では2人の士官が負傷し、連隊右翼は150人近くを失ったという。
「歩兵火力軽視」と言われる仏軍が、英軍相手に上げた実績だ。
>議論をされるなら以後名前に番号ハンをつけていただけると助かります。
そちらが一次史料に基づいた反論をしてくれるのであればそうする。
具体的な史料に基づいた生産的な議論になることが期待できるからだ。
だが、今後も単なる一般論を繰り返すだけであれば議論はここまで。時間の無駄。
なんか前にもこんなやりとり見た覚えあるな
こういうのを木を見て森を見ずって言うのかな。
木を見なければ森の実態はわからないよ。
一次資料の厳密な検証は絶対条件。
それを怠って森ばかり見ると、ただの風景鑑賞になることもあると思う。
他人の引用した史料の孫引きが厳密な検証になるのかよ
必ず直接一次資料にあたらないといけない、ということは、
研究者は毎度全員同じ労力をかけろということですか
先人の研究なんてゴミだと
ここで一次資料云々と言っているのは、必ず現物にあたれ
という意味ではないと思うよ。
他人の引用した史料の引用であっても、典拠をださない一般論よりは
説得力があると思うが。
まあ、
>>245を素直に読むなら、
英軍の横隊重視も、仏軍の縦隊重視も、結局は相対的なもの。
ということになるわいな。
一次資料に当たる暇も、能力もない一般ピープルの自分としては、
それが知れただけでもためにはなったw
258 :
237:2005/12/09(金) 12:58:45 ID:???
>>250 >説明不足だったかもしれないので書いておこう
まさに説明不足だと思いますし、剽窃とされても仕方無いと思います。また原書を
当たるならばページ数を書くのも常識だと思いますが。私は一読して「大陸軍 そ
の虚像と実像」よりの剽窃との印象を受けましたので、以後気をつけられた方が良
いと思います。
また「建設的でない」議論では番号ハンは付けられないということですが、大変恐
縮ながた「建設的でない」議論であっても真剣に議論を行えない方は、正直私も議
論の相手にしたくはありません。正直最低限のマナーも心得ていない方であると判
断します。
>>257 >英軍の横隊重視も、仏軍の縦隊重視も、結局は相対的なもの。
それを一般化し、モデル化して理論化するのが「考察」というものだと思います。
あまりこの件で書き込みますと氏の本論を邪魔することになると思いますのでこの
辺で。
氏の本論ってなんだ?
ここはそんだけの個人スレではないよ、アホか
いきなり剽窃呼ばわりする無礼者が常識を語るなよw
260 :
237:2005/12/09(金) 13:20:31 ID:???
>>259 孫引きして引用ページも書かずにおいたら普通剽窃扱いされると思いますが。
またあなたは
>>245氏ですか?であるとしたら成りすましでないことを証明す
るためにも番号ハンを付けるべきだと思いますが。
第三者だよ
お前の議論の相手は本の名前は出してるだろ
まずお前がどこを「タクテクスの雑誌記事から引っ張ってきたものと」誤解したか、
自分から指摘するのが先
勝手に誤解して因縁つけてるように見える
引用ページを書かないうんぬんについては
お前もやってないな
自分もやっていないことを相手に提示して「常識」といってる時点で程度が知れるんだよ
262 :
237:2005/12/09(金) 13:42:59 ID:???
>>261 >第三者だよ
了解です。
>自分から指摘するのが先
私はタクティクスの名連載「光と陰」の方では無く、HPの「大陸軍 その虚像と実像」
ttp://www.asahi-net.or.jp/~uq9h-mzgc/g_armee/ にかなり類似した部分があったので、そちらから引用したように見えるとの疑義を抱い
た訳です。
>お前もやってないな
私は
>>247におきまして「なお史料は「大陸軍 その虚像と実像」より引用させていた
だきました」と孫引きであることを明記しておりますし、また当該HPはこのスレに書き
込む方ならだれでも見えるであろうし知っているであろうと思いました故、アドレスま
では書かなかった次第です。それともアドレスを明記すべきだったでしょうか?
また別人だがいい加減見苦しいので横レス。
あんた(
>>237)は孫引きだろうが相手にページ数書いて投稿しろ、と言っておいて、
自分は書いてないのは事実だろ。
参照したHPにページ数があるならそこまで写せ。
もういいから勝利宣言して消えてくれよ、ウザイから。
264 :
名無し三等兵:2005/12/09(金) 13:57:19 ID:uoNf+uyg
/l i;ヽY^"yilY'i/(/(、
)l ノ"_,.-‐'"~ ̄~ly/彡ミy;,
ノ/ノ/~....::::: li,i;,ハ ミ ミゞ
rー" ̄~'‐、 ノil//" ...::::::: li;,i;, ミ ミ
'i し 剽 l, ゞi,i/.::. ...:::::::: li,i; li, ミ ミ
,,_,,_l お 窃 'i,ノil/.:::......:::::::......::::::.... li,ii;,ミヾ ミ
;;; 'i っ ヽlii' / l :::::: / / "ヾミヾ ミ
;;; 〉て /ミ;il ""ヽ、_:::::_,,./,,../,,...,,,__'i, ヾ;;,,
;;;, ヽ__/三/ミl :: :: ::.../ ,/ i, .:ヾ
;;;,, ;;;;;;;==ー/::lミ'"'ヽ、'i, y く ,,,,,,;;;;'"' i .::lミ
;;, ;;;;;;;二ニニl::l::'i,ーoっミヽ>ゝ'"ニOソ ..::lミヽ、_
;;,, ; ;;;;;;;二ニソl::ヽ:l  ̄~l" lソ :::::........ ..::::lミミ/〆l_
";;,, ;;;;;'"//ハ:::::.l..:::::,l r‐-、:::... ...::/ミミl ノ /
;;;, ;;;;;/ / / /ヾ、l..::〈...__..r-−':::..ヽ ..::/ミミl__,/》/》;/
;;, ";;, ";;;'/ / / i"l;;l .:::ー―--―、::...l ..:::/ミミミ/《/《《;/
";;, ";;, ";;;/ / l l;;'l ヾ十 + +ゝ 彡ミ/》》/》》;/ ,;;
";;,, ;;;, ;;, ;;;ヽ'l l:::::'i ヽ二二ニ" 彡/巛/巛_/_,,;;;;
\ ;;;;,, ;; ;;;;;"" /l'i, :::'"""'':::::~":::/》》/《/rー、\;; ,,;;, ,;;,
\ ;;;;;;,,, ;; ";;,,l ::l i, ::::: /巛/巛/ /;○−\\ ,;;;;;;
\;;;;;;;;,, ;; ;;/l l ヽ,,__/》》/》》》 l /::/::::: ̄ ̄\\;;;;;;
\;;;;;;;,, ;;;,,;;〈,, \ヽ_ヽ,//《::《::》::》/,;;\l:::::::/ ̄ ̄~\\
\;;;;;,, ;;;;;○、 ヾ-//:::》::::》:/,;,;;;;;;;\\/:::::::/ ̄ ̄\
\;;;,,;;;/ー;;,, ヽ/_l::::/"~,,;;;;;;;; ,;;\\,/::::/ ̄ ̄
\/ ヾ、/;;;ヽ、;;;;,,, ;;;;; \\/:::::/ ̄
|;, '/ ヽ、 ,,;;;; ;; ,,,;;;\\/
265 :
237:2005/12/09(金) 14:00:57 ID:???
>>263 私は「一次史料」であるとして孫引きであることを書かなかったことを
問題ではないか、としているだけです(
>>260は誤解を受ける書き方で
したね。お詫びいたします)。
勝利宣言などはしませんが、スレ違いになりそうなので消えます。
しかしこんな沈んでいるスレに見物人が多いことにビックリしました。
去年は戴冠200周年、
今年はアウステルリッツ200周年、
これから毎年いろんな200周年になるけど、
あんま本とかDVDとか出ないね
出るならアウステルリッツだろうけど、
そういや、あまり聞かないなぁ。
フランスではイベントやってたみたいだけど。
モスクワ退却200周年のコスプレとか大変そうだ…
議論してる二人は外野は完全無視したほうがいいよ。
今まで荒れる要素は第三者が煽り文入れ始めることでおきた。
>しかしこんな沈んでいるスレに見物人が多いことにビックリしました。
こういう時になると必ず加わってくるのがいるから。
こういうのは態度とかに難癖つけてくるから。
とりあえずチェコの一大コスプレ大会は見たかった。
トラファルガの花火大会も見たかった。
そういう今年に限って国外へは一度も出かけられなかったorz
ところでGeneral Cavari? MercerのJournal of the Waterloo Campaignは読んだ?
>268
つ「鏡」
マーサーって、砲兵隊の指揮官だった人だっけ?
あちこちで引用されてるよね。
それはそうと、ワーテルロー200周年のツァーに参加したいなあ。
>271
G Troop of the Royal Horse Artilleryの指揮官時代の回想録。
なかなか文才もあったらしく、紀行文としても楽しめる(上陸後の移動の顛末の下りはまさに
紀行文て感じ)。
>>272 トンクスです。ほぉ、戦争以外の部分も面白そう。
それにしてもワーテルロー関連は資料大杉。