1 :
名無し三等兵 :
2005/06/15(水) 15:08:00 ID:RhnofzJw 226事件 515事件 ゴーストップ事件 美保ヶ関事件 黙れ事件 陸奥爆沈 その他色々 語ってくらはい
2 :
名無し三等兵 :2005/06/15(水) 15:10:13 ID:???
222222
3 :
名無し三等兵 :2005/06/15(水) 15:10:37 ID:???
あぁ、久しぶりに一等自営業を阻止できるこの喜びときたら!!
4 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 00:34:03 ID:???
海軍メイドさん事件
5 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 20:31:56 ID:Ey2h8Fd3
ゴーストップ事件(;´Д`)ハァハァ ホリエモンvsフジテレビをより壮絶にした感じで 盛り上がったんだろうな 当時に2ちゃんねるがあったら絶対祭り 軍板が飛ぶ
6 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 20:37:01 ID:???
池田屋事件
7 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 21:12:57 ID:???
海軍乙事件とかね。 福留参謀は万死に値するとか、栗田や南雲死ね喚いている奴はいえよ
8 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 21:20:34 ID:o8q0FvYi
栗田や南雲は死ね。 あ、ついでに三川も。 反 転 三 兄 弟
9 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 21:44:07 ID:???
>8の心の中の闇は深いなw
10 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 21:47:49 ID:???
11 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 22:30:42 ID:???
>>9 心に闇がないと曹操を殺すことができないんだよ?
12 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 05:24:47 ID:otmMt40v
そうそう
13 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 06:06:40 ID:GHXd6VZ0
古本屋に当時の検察(?)の記録資料があるんだが、高くて手が出無い(´・ω・`) かなり資料価値が高そうなのだがーがーがー
14 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 06:37:25 ID:??? BE:95822892-###
金剛コミッション事件 今も昔も役人はせこい。
15 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 06:41:06 ID:???
おれも先日新宿西口でそういう資料(226事件)を手にとってみた。 岡田首相のスケッチ画と松尾秘書官の瓜ふたつぶりに「これでは間違う わな」と思った。
16 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 13:46:09 ID:???
17 :
名無し三等兵 :2005/06/18(土) 11:04:02 ID:or1RDfJA
昭和に入ってから妙な事件が多発しとるな
18 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 12:30:17 ID:gMmMqw0Z
昭和10年、相沢中佐事件 陸軍省軍務局長室に入るなり「天誅ッ!」と叫んで永田鉄山を河内守国次の軍刀で斬殺。 さすが 相沢三郎、皇軍の中佐ともなると朝から気合が入っとるのう
19 :
名無し三等兵 :2005/06/18(土) 12:35:14 ID:???
バラバラ殺人事件
20 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 13:00:12 ID:gMmMqw0Z
翌昭和11年にかの2・26が起きるわけだが、 軍事クーデターというと他国の例ではふつう政権奪取を目指すわけだが、2・26の場合は青年将校ばかりで政権を担うような人物が決起部隊にいない。 決起将校達も"昭和維新の魁となる。捨石になる”という気持ちで、自分達が政権奪取するということは考えてなかったようだ。 真崎大将などを盟主と考えていたのだろうが、真崎から直接の決起指示や盟約といったものがあったようでもない。 2・26というのは軍事クーデターというより所謂”テロ”なのだろうが、少し変った事件ではある。
21 :
名無し三等兵 :2005/06/18(土) 13:38:14 ID:???
22 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 13:53:47 ID:gMmMqw0Z
昭和のはじめ頃は、 歩兵四連隊でも泣きながら飯を喰う初年兵が営内斑にはいたのだという。 軍隊生活が辛いのでなく、「自分一人が三度三度こんな立派な食事をして申し訳ない」と郷里の父母兄妹を思って涙が流れるのだという。 東北の小作の貧農では満足な食事すら口に入らず、娘の身売り話など珍しくもなかった時代である。 なかには知らぬが故の不法な契約に泣いている例もあり、石原連隊長などは中隊長を兵の田舎に派遣して改善をみた例もあったそうだが、社会全体を改革するまでにはいかぬ。 社会の貧富の差も大きい、東北ばかりでなく何処でも同じような話があったろう。 2・26の ”昭和維新”断行に青年将校を走らせたのにはこのような社会背景があったのだと言うのだが?
23 :
名無し三等兵 :2005/06/18(土) 13:59:02 ID:???
青年将校達がやろうとしたのは 天皇制共産主義だからなあ
24 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 14:02:26 ID:gMmMqw0Z
ー尊皇討奸ー であるか。
25 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 14:48:49 ID:gMmMqw0Z
26 :
名無し三等兵 :2005/06/18(土) 15:07:04 ID:???
27 :
呉の床屋 :2005/06/18(土) 15:38:41 ID:gMmMqw0Z
蕨起部隊最先任だった歩兵3連隊第7中隊長野中四郎大尉は2・29日拳銃自決して果てたわけだが、 弟の 野中五郎は昭和20年3月の神雷桜花隊全滅時の隊長なんだよな。 やはり兄弟、同じ精神の血流を感じるな
28 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 05:10:26 ID:LvinXms7
うーん。散在して古本屋の史料買ってくるかなぁ? でも通読するのは相当しんどそうw 暇みてへろへろ調べてみるかな
29 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 12:03:59 ID:???
シーメンス事件 ただの賄賂事件だけど、金剛がシーメンス社製になってたら どんなふうになったんだろ?
30 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 15:22:31 ID:???
シーメンス事件におけるシーメンス社の贈収賄は電装関連だから、 金剛がシーメンス製にはならないよ。 シーメンス事件の金剛関連贈収賄は、ヴィッカースVSアームストロング。
31 :
名無し三等兵 :2005/06/20(月) 17:16:16 ID:???
雪は汚れてないよ。澤地久枝の勘違いだよ
32 :
名無し三等兵 :2005/06/21(火) 15:33:33 ID:JH9ILOZe
甘粕事件
33 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 02:02:42 ID:CEha6c5m
永田鉄山が生きていればなぁ。
34 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 16:06:41 ID:9FFhMgEV
十月事件
35 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/06/23(木) 18:55:03 ID:opx/KRpb
11月20日事件。 辻ーんが、士官学校学生をスパイとして青年将校団へ潜り込ませ、過激分子を摘発。 磯部浅一一等主計及び村中孝次大尉を停職処分(後に免官)。 この2人は、1年半後の2・26事件の中心人物となる。
36 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/06/23(木) 19:14:57 ID:opx/KRpb
昭和維新の歌(青年日本の歌)の作詞者は三上卓(5・15事件の首謀者)です。 映画「226」で熱唱されています。 軍歌CDでは、鶴田浩二のものに入っています。
37 :
国家公務員 :2005/06/23(木) 23:11:34 ID:nbiduqSf
相沢中佐の実弟も陸軍将校で、支那軍の飛行場に単機強行着陸、飛行場に火をかけて生還したというツワモノ。 戦後は航空自衛隊に入ったが、幹部候補生学校では学生を半殺しにするほど鍛えた鬼学生隊長だったそうだ。
38 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 23:42:52 ID:???
浅田次郎の天切り松の最新刊を見てみれ、相沢事件についての話がある
39 :
名無し三等兵 :2005/06/24(金) 00:00:22 ID:I9zBH1lA
検察は、当時は裁判所検事局。 平沼麒一郎が、シーメンス事件の時海軍艦政本部にガサ入れしている。 つーか、軍人なら軍法会議の資料を見た方がいいよ。 特に甘粕事件は、軍法会議なのに弁護士の弁護人がつき、甘粕に事件の核心に迫る被告人質問をしている。 甘粕の答弁が、実は子供に手をかけていないという衝撃の内容。 あの事件は、震災直後に全国から集められた憲兵が、一部暴走して起こしたという見解も強い。
40 :
イナゾウ中佐 :2005/06/25(土) 01:26:47 ID:GySVj13d
「永田(相沢)事件」が起きたのが1935年8月12日。 停職中の磯部浅一と村中孝次が「粛軍に関する意見書」なる怪文書をばら撒いて 免職になるのが1935年8月2日で、わずか10日前にあたります。 相沢三郎中佐と永田事件は「そのあまりの特殊性」により単独で語られがちですが、 2.26事件を起こした青年将校たちと密接に絡んでいます。 結論から言えば、相沢中佐は「青年将校の追っかけ」なのです。それも熱烈な。
41 :
イナゾウ中佐 :2005/06/25(土) 01:47:15 ID:GySVj13d
>>40 の続き
事件当時、相沢中佐は47歳(22期卒)。間違っても「青年」とは呼べない年齢ですが、
一回り以上も年下の憂国に燃える青年将校たちに心酔し切っていました。
相沢中佐がもっとも尊敬していたのが、大岸頼好大尉(36期卒)で14期も離れています。
しかも大岸は青年将校の中でも先輩格ですから、いわゆる青年将校は更に年下で親子ほど違うと
言ってもいいでしょう。相沢中佐は、大岸のことを「大岸先生」と呼んで崇拝していました。
東京の青年将校から呼び出しがあれば、相沢中佐は勤務中でも駐屯地から抜け出して上京し、
当時から「無断上京」が問題になっていました。相沢が中耳炎の治療を拒否して周囲を困らせて
いたときも、「大岸先生」の説得により受け入れたといいます。
永田事件を起こした前日深夜、相沢中佐は明治神宮で青年将校の急進派である
栗原安秀中尉と密会していますから、おそらくは煽られたのでしょう。
42 :
イナゾウ中佐 :2005/06/25(土) 01:58:19 ID:???
>永田鉄山が生きていればなぁ。 こんな異常者に永田が殺されなければならなかったのは、まさしく痛恨の極みであり、 残念至極です。いや、以って他山の石と心得なければならない事かも知れません。 狂人に有能者が暗殺されることは、常に危惧すべき事なのでしょう。 相沢中佐は、統制派から見ればまさしく狂人ですが、皇道派からは「至誠の人」と呼ばれています。 ちなみに栗原中尉は、何事も「俺はやる」が口癖で『ヤルヤルの栗原』が渾名です。 また大変な美形だったようです。
43 :
名無し三等兵 :2005/06/25(土) 03:10:54 ID:0fEphJJM
面白いな。直接一次史料にあたれればいいんだが、近辺の図書館にはないんだよな。 まぁ、それとは別に、概略的に把握できる簡単な一冊でお勧め! というものありますでしょうか。
44 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/06/25(土) 06:02:25 ID:NeUylx8Y
吉川弘文館から出ている2・26事件の本は御勧めですよ。
45 :
名無し三等兵 :2005/06/25(土) 17:37:07 ID:???
>>42 >ちなみに栗原中尉は・・・また大変な美形だったようです。
これ見て(ああやっぱり)と思った。
相沢中佐の奇矯な行動の背景に、ホモセクシァルなものを感じるのはオレだけかな?
46 :
名無し三等兵 :2005/06/25(土) 17:38:51 ID:???
永田鉄山が生きてりゃ、大日本帝国も、もう少しマシな負け方しただろうになぁ・・・。
47 :
名無し三等兵 :2005/06/25(土) 18:14:09 ID:FU9dpH0f
>>39 角田房子「甘粕大尉」では上層部の関与に匂わしてるな
48 :
名無し三等兵 :2005/06/25(土) 18:23:29 ID:???
「日本の一番長い日」で有名な森師団長斬殺や皇居占拠事件は?
49 :
イナゾウ中佐 :2005/06/25(土) 23:29:53 ID:hNmyLD3/
>>45 相沢中佐はその昔、宴会の帰りに酔っ払って池に落ち、中耳炎にかかった事があります。
症状が落ち着いたある晴れた朝、相沢中佐は散歩に出かけますが、運悪く突然の雷雨に遭い
ずぶ濡れになって帰宅します。その後、高熱を発して即入院。中耳炎の症状が酷く悪化した
にも関わらず、本格的な治療を拒んだのは
>>41 で既に記述。
中耳炎の症状は重くなると「脳に影響が出る」と言われていましたから、永田事件後に統制派の面々が
相沢中佐を「狂人」呼ばわりした理由に、この中耳炎の罹病があります。
かの「ヒトラー伍長」も毒ガスで目を患ったのが、その後の狂人に結びついた(視神経の損傷が脳に悪影響を及ぼした?)
という説がありますが、相沢中佐も「その亜流」と呼べるのかもしれませんw。もちろん何の根拠もありませんが。
ホモならまだ可愛いでしょうが、相沢中佐の青年将校に対する感情は「崇拝」であり「信者」ですね。
あるいは、自分も若い頃こうであればよかったのに……という夢を追っていたのかもしれません。
50 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 00:24:41 ID:???
話の本筋からずれるけど、仮に永田鉄山が殺害されなかった場合、 以後の統制派や日本はどうなったとみている? 永田を惜しむ声は良く聞くけど、具体的にどう変わるのかが判らない。
51 :
俄将軍 :2005/06/26(日) 00:25:18 ID:???
>>49 ボディビルで、肉体改造などおこない、「楯の会」を結成した、三島由紀夫も、
市ヶ谷での決起へと。
梯子は、外されるということになるのか。
52 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 01:38:56 ID:???
永田が生きてたら、東条の替わりに大東亜戦争を指導することになったのだろうか? 永田は東条と比べて、いくさや政治は上手だったのだろうか?
53 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 02:14:22 ID:FY9L17AO
まず永田鉄山が2.26事件後まで生き残る必要があります。 当時、永田は林銑十郎陸相のもと、軍務局長として皇道派の一掃に取り組んでいました。 そして「天皇の勅裁」を受けたうえで真崎甚三郎を軍事参議官に棚上げし、いわゆる陸軍三長官の 全てのポストから皇道派を叩き出すことに成功します。さすが永田というところでしょう。 これが過激派の青年将校(皇道派)の怒りを買うことになり、「相沢事件」に直結するのですが、 失敗に終わったとしておきます。現場に同席していた新見東京憲兵隊長が体を張って阻止したと。 もちろん2.26事件が起これば、永田は再び200%標的となり「念入りに殺される」でしょうが、これも 辛くも生き延びたとしましょう。人間万事、首の皮一枚の差です。刺客が間抜けの場合だってあります。 さあ、これで統制派の天下です。基本的には、ヒデキの通ったコースを永田も辿ると考えれば 基本的に早いでしょう。というか、でないと火葬戦記まっしぐらになりますw。以下、詳細は続く。
54 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 02:40:08 ID:???
ただ先に言っておくと、永田が首相になれたかどうかは疑問でしょう。そのためには 天皇の「イエス」が必要になります。日米開戦直前は特にです。 むしろ、時期的にもっと前の方が可能性はあるでしょうね。といっても、 2.26事件が1936年ですから、日米開戦まで5年強しかありませんが。 永田よりも「遥かに格下」のはずのヒデキが、その5年で首相にまで 上り詰めるのですから、いかにそれが「天の配剤」か、さもなくば「運命」で あったかが分かるでしょう。
55 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 02:45:03 ID:???
高橋蔵相暗殺も、軍事費削減と結びついた利害関係があり。 統制派の天下でも永田と東条の違いは、田中派の田中角栄と竹下登ほどの違いがあるのか。
56 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 03:32:30 ID:???
南米では反米政権を打倒し親米政権を打ち立てる軍事クーデターが流行していた時期に、日本での軍事クーデターというのは、 国粋主義的な軍事クーデター、米国が関与している軍事クーデターなど色々とあると。 三島事件は、結果として将来のクーデターの可能性すら消し去ったということに。
57 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 13:53:42 ID:zvcKP/kJ
松本清張の昭和史探訪、全9巻で復刊はじまったね。
58 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 14:07:49 ID:Qc3spfF5
大鯨全溶接スルメ化事件、友鶴転覆事故とか第四艦隊事件、臨時機関調査事件とか何故でてこない?
59 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 14:14:48 ID:???
むう。吉村昭氏の著作のネクロフィズムに満ちた旧軍事件史関連は面白いですのう。 そういえば、臨時機関調査事件で連想したが、五十六は開戦のぎりぎりまで 「水を石油に変える未来エネルギーを発明した」という詐欺師に係りあっていなかったか?
60 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 14:26:48 ID:Qc3spfF5
終戦直前に千葉県の鉄道駅に停車していた火薬輸送列車が艦載機の射撃を受けて火災を 起こし、その車両を安全なところに移動させて消火活動をしようとしてた 駅員、消防員、軍人、軍属、一般人が100名近く爆発に巻き込まれて 亡くなり、現場に径数十メートル深さ二十メートルの孔があいた事故がなかったか?
61 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 14:27:16 ID:???
62 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 18:29:41 ID:fHOq84K6
>>53 の続き
前述の通り、永田は「統制派の領袖」でしたから、その配下であるヒデキの経歴を元に
2.26事件から生き残った以降を推測します。おそらくは当たらずとも遠からずでしょう。
まずヒデキの関東軍参謀長時代と、チャハル作戦における東条兵団の活躍は置いておきます。
もちろんこれも重要ではありますが、決定的な分岐点では無いからです。
ちなみに永田は「対シナ一撃論者」であり、永田死後、陸軍を牛耳った統制派がシナ事変に
のめり込むのは「永田の作ったシナリオ」をそのまま歩んでいるとも言えます。ただ、永田自身は
じっくり作戦を熟考するタイプの人間ですから、史実ほど性急なものになったかは疑問です。
永田も戦場に出れば、ヒデキ並みの活躍は出来たでしょう。
次にヒデキの経歴でもっとも重要な「分岐点」が、関東軍参謀長から陸軍次官に抜擢される部分です。
これが無ければヒデキは太平洋戦争中、おそらくはシナ戦線その他で活躍する一将に過ぎなかったでしょう。
63 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 18:58:32 ID:fHOq84K6
>>62 の続き
1938年5月、泥沼化したシナ事変に嫌気が差した近衛総理は辞職を考えますが、
内閣改造による事態の好転を図ります。その主眼は陸相の交代、杉山元の責任を
追及し、詰め腹を切らせる事です。近衛は杉山に辞職を迫りますが、当然難航します。
陸相交代の動きが表面化すると、次期候補は梅津美治郎中将(陸軍次官)が第一に挙げられました。
近衛の恐ろしい所は、2.26事件で失脚した荒木貞夫を陸相にカムバックさせよう(近衛は皇道派に
シンパシーを持ってた)と考えていたことであり、さもなくば石原莞爾を陸相に抜擢したいとさえ
内心では思っていました。ちなみに荒木はこの時、文相に返り咲きます。
さすがの近衛も、それは陸軍の同意が到底得られないことを自覚していましたので、
「次善の策」として石原と親しい板垣征四郎を陸相に起用しようとします。
ここで杉山が辞職する交換条件として、次官に東条英機をねじ込むのですね。
64 :
イナゾウ中佐@>>63 の続き :2005/06/26(日) 19:26:25 ID:arIovEK5
東条英機のことを「統制派の首領」として、最初から最後まで独裁的な権力を 握っていたと「漠然」と思っている一般の人は多いですが、全くの間違いです。 ヒデキ自身は、父親の英教のようにいつ予備役に編入されるかビクビクしていた 時代の方が圧倒的に長いのです。 「最大の分岐点」である陸軍次官の就任は、上記のようにヒデキの与り知らぬ所で 行われた政治的妥協の産物によります。 杉山がヒデキを次官に送り込んだのは、近衛のシナ事変の「不拡大方針」に対する 牽制でしょう。また、近衛自身が「国民党政府を対手とせず」との声明を出したくせに、 今更俺に責任を押し付けるのか!、という恨みも当然あるでしょう。また、どちらかと言えば 近衛が皇道派にシンパシーを感じている点も理由に挙げられます。 ここで、ヒデキの代わりに「永田鉄山が陸軍次官に推される」というのが、 永田首相が誕生するための最初のポイントになります。
65 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 19:48:08 ID:arIovEK5
>>64 の続き
まあ、板垣征四郎と永田鉄山は同期(16期)ですから、陸相と次官という
設定は難があるかもしれませんがご容赦を。
ヒデキは「ソ支同時正面作戦」を講演で説き、軽率との批判から責任を取って
次官を辞任します。このとき、和平派の多田駿参謀次長を道連れにします。
その後、初代航空総監、米内内閣の倒閣を経て、第二次近衛内閣(1940年)において、
「陸軍の総意」を受ける形で陸軍大臣に就任します。
ここで永田鉄山がヒデキの代わりに陸軍大臣となると予想するのは、極めて容易でしょう。
あとは簡単ですね。日独伊三国同盟の締結を経て、日米交渉が行き詰まるなか、
陸軍を抑えられるのは永田しかいないとなれば、日米開戦を直前に控え永田首相が
誕生することになります。
66 :
イナゾウ中佐@>>65 の続き :2005/06/26(日) 20:05:57 ID:arIovEK5
ただ「ヒデキの経歴」をそのままなぞるこの前提ですと、永田がシナからの撤兵に 強硬に反対しなければならないですし、「毒を以って毒を制する」とばかりに 木戸幸一から首相の推薦を受ける必要があります。 また、日米開戦を是が非でも避けたいと考える昭和天皇の了承を得なければ なりません。ヒデキはこの点、「忠狂」と呼ばれるほど天皇に対する忠誠心に 厚い人間でしたので、首相となり天皇の意向があくまで和平にあると知れば 避戦に向かって邁進するだろうとの信頼がありました。 永田が天皇からの信頼(了承)を得られるかどうか? 最終的にはこの1点にかかっています。 そこさえクリアすれば、永田鉄山首相が太平洋戦争を指導する歴史が誕生します。 まあ、永田なら日米開戦前にもっと上手くやるという可能性が高いですがね。 長々と連投スマソ。これにてお仕舞いです。
67 :
イナゾウ中佐 :2005/06/26(日) 21:35:49 ID:???
【太平洋戦争開戦時】 首相・陸軍大臣:永田鉄山、陸軍次官:東条英機、軍務局長:武藤章
68 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 22:32:57 ID:???
>>67 イナゾウ中佐殿、乙でした!
小官、永田鉄山首相のその後の活躍編もきぼんであります。
69 :
俄将軍 :2005/06/27(月) 00:25:36 ID:???
>>55 永田鉄山が大平正芳、東条英機が鈴木善幸。
脈絡もなく、「スカリー。大平元総理は、謀殺されたんだ!」ということに。
70 :
名無し三等兵 :2005/06/27(月) 00:30:44 ID:???
つうか、ヒデキ君ほどの戦略下手もそうそういないので、 誰が替わりをやってももっと上手にやれたと思う。
71 :
俄将軍 :2005/06/27(月) 00:36:03 ID:???
>>70 軽い御輿なのか、火中の栗を拾うような酔狂な人材に不足していたのか、敗戦
処理で担がれたのか。
日本の国内情勢が、どうあれ、世界は、日本を中心に回っているわけでもない
ということに。
72 :
名無し三等兵 :2005/06/27(月) 02:02:45 ID:???
戦略下手もなにも東條が参謀総長になったのは戦局もかなり進んでからじゃん。
73 :
イナゾウ中佐 :2005/06/27(月) 22:46:34 ID:???
>>68 どうもです。残念ですが『永田鉄山首相・黎明編』でギブアップですw。
>>55 >統制派の天下でも永田と東条の違いは、田中派の田中角栄と竹下登ほどの違いがあるのか。
まあ、商業誌的に煽るのであれば、自分なら「前書き」でこう書くでしょう。
『日本は偉大な男を失った。ほんの些細な、取るに足らない出来事によってだ。
計り知れない損失だった。山本五十六が連合艦隊司令長官として海上に出される前に、
海軍次官室で右翼に斬殺されたようなものと言えば、少しはお分かりになるだろうか。』
>>59 正確には『水から石油が取れる』というインチキですね。山本さんが海軍次官の時の話ですが、
実際に「自称発明家」が日比谷公園前の海軍共済組合で実験しています。いい度胸ですね。
74 :
名無し三等兵 :2005/06/28(火) 00:07:08 ID:???
>>73 >『日本は偉大な男を失った。ほんの些細な、取るに足らない出来事によってだ。
>計り知れない損失だった。山本五十六が連合艦隊司令長官として海上に出される前に、
>海軍次官室で右翼に斬殺されたようなものと言えば、少しはお分かりになるだろうか。』
(;゚∀゚)=3 イイ!
福田和也先生に、昭和天皇伝が終わった後で、永田鉄山を書いて欲しくなりました。
75 :
名無し三等兵 :2005/06/29(水) 16:31:54 ID:???
そんな偉い男だったのか・・・・。
76 :
名無し三等兵 :2005/06/29(水) 22:38:08 ID:???
館陶事件及び広水鎮事件について書かれた書物があれば教えてください、とググらずに教えて君してみるテスト 確か館陶事件は文庫で読んだ記憶があるんだが・・・
77 :
名無し三等兵 :2005/07/02(土) 23:35:58 ID:???
陸軍関係の事件を思い出すまま羅列してみる 陸軍シーメンス事件 津野田事件 造兵廠長官汚職事件 英総領事館襲撃未遂事件 北原事件 三月事件 田中義一機密費事件 十月事件 竹橋事件 十八連隊事件 福岡連隊事件 高崎連隊事件 白川大将暗殺 海軍はよくしらん
78 :
名無し三等兵 :2005/07/03(日) 09:03:45 ID:???
海軍メイドさん事件 海軍甲事件 海軍乙事件
79 :
名無し三等兵 :2005/07/03(日) 19:55:27 ID:???
>山本五十六が連合艦隊司令長官として海上に出される前に、 >海軍次官室で右翼に斬殺されたようなもの 鉄山が生きていればって、戦時の将帥の才能ってことじゃなくて 憲兵を駆使した粛軍で、陸軍の不満分子を統制し、もしかしたら日華事変がおこらないって理屈? でも陸軍の合法による国家改造運動、ルーデンドルフ寄りの「総力戦国家へ軍部主導」いうのは どのみちかわらんような?
80 :
イナゾウ中佐 :2005/07/03(日) 20:35:15 ID:F7bvPWEZ
ノンノン。スレの前半で、永田は「対中一撃論者」である事も書いてますし、 日米交渉が行き詰った挙句に首相になったと設定しているでしょう?w 山本五十六のくだりは、生きていれば同じぐらい大きな事をしていましたよ? という「商業誌的」煽り文句です。
81 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 00:24:31 ID:???
海軍乙事件って海軍の誰かがGJしてそれにみんなが乙した事件ですか はいはい馬鹿はここで乾いていきますよ
82 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 00:42:09 ID:???
戦陣訓だか生きて虜囚の辱めは受けずの精神はここでは無しですか。 そうですか>海軍乙事件
83 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 06:34:38 ID:???
俺たち陸軍じゃないし、という海軍の声が聞こえてきました。
84 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/06(水) 18:59:42 ID:c30nuGH+
松本清張の「昭和史発掘」(文春文庫)が出ていますね。是非そろえましょう。 氏の「二・二六事件」(全6巻)はおそらく文庫化はされないと思います ので、古本屋で見つけたら即買いを御勧めします。もちろん私は持ってますが。
85 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 19:10:45 ID:???
松本清張鵜呑みにしちゃだめだよ
86 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/06(水) 19:23:05 ID:c30nuGH+
あれ、「二・二六事件」の後半3巻は研究資料ですよ。 研究を志す者には必須だと思いますがねぇ。
87 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 19:31:39 ID:LkSjjtSw
戦争末期、日本海軍潜水艦の作戦行動が苛烈を極め損失が甚大であったことから、 潜水艦乗組員の不安と精神的重圧が極度に達し、ある夜、パニックに陥った当直下士官が 総員起こしと起床ラッパを吹き鳴らして、騒然となった事件があったとか。 あと、戦闘中に艦長が人事不肖となり先任士官と将兵が激号して玉砕的攻撃行動を とろうとするのを乗り組みの軍医がなだめすかして艦長代理となって帰投した事件があったとか。
88 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 21:46:44 ID:???
陸軍パンフレット事件とかいうの、内容は永田鉄山執筆でOKですか?
89 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 21:53:25 ID:???
陸軍も海軍もオツムの程度は同レベル 戦後の軍隊に引っ張られた知識人が、はなから士官の海軍を評価し 大卒でも一兵卒の陸軍を毛嫌いしたため
90 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 22:29:36 ID:???
陸軍は平等社会だからね。 メンコ(食事用のブリキ皿。転じてメシの数=勤務年数)の数が物を言うってことで、 社長様も学士様も初年兵からってことで。
91 :
名無し三等兵 :2005/07/06(水) 22:30:27 ID:N65cFwaC
92 :
名無し三等兵 :2005/07/09(土) 09:20:09 ID:???
93 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 03:07:07 ID:pYUSWu2Y
ttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20050712it01.htm 2・26事件、将校ら17人の遺書発見
「2・26事件」(1936年2月26日)で、処刑された陸軍の青年将校ら17人分の遺書45枚が69年ぶりに見つかった。
処刑前に入っていた陸軍刑務所の看守にあてたものなどで、自宅に保管していた仙台市太白区の平田俊夫さん(77)から、
将校らの遺族で作る「仏心会」に届けられた。七十回忌が営まれる12日、東京・港区の賢崇寺で関係者に公開される。
専門家は、「今になって、これだけの数の遺書が見つかったのは奇跡に近い」と話している。
2・26事件に関し、青年将校らの肉親あての遺書や手記をまとめた本の多くは昭和30〜40年代に出版されているが、近年、新たな肉筆の発見はなかった。
見つかった遺書は、軍法会議で死刑判決を受けた19人のうち、民間人の北一輝と西田税(みつぎ)・元陸軍少尉を除く17人分。
遺書には「大君(おおきみ)に 御國(くに)思ひて 斃(たお)れける 若き男乃子(おのこ)の心捧(ささ)けん」(栗原安秀中尉)、
「流れ星惜しくも消えしあかつきに 差し出で給へ朝の御光 謝御厚情 花淵警査殿」(中島莞爾少尉)などの辞世の句や漢詩、
さらに、世話になった看守に向け「入所中ノ御厚情ヲ深謝シ奉ル 只吾人ノ真精神ハ兄等ノミゾ知ル」(丹生誠忠中尉)といった言葉が署名とともに毛筆で書かれている。
「仏心会」世話役の安田善三郎さん(79)(神奈川県葉山町)が、筆跡などから青年将校らの直筆と確認した。
平田さんによると、1930年代後半、父・平治さんを「花淵」という友人が訪ね、「今は公にできないので預かってほしい」と、油紙に包んだ遺書の束を置いていったという。
花淵氏はもともと仙台の陸軍師団に勤務しており、事件後、東京の陸軍刑務所に看守として派遣され、
捕らえられた青年将校らの世話をしていた。76年刊行の「私の二・二六事件」(河野司著、河出書房新社)によると、
応援要員で「花淵栄吉」という看守が派遣されており、この人物が花淵氏とみられる。
花淵氏、平治さんとも65年ごろまでに死去、遺書は平田さんの手元に残された。平田さんは、書物で「仏心会」の存在を知り、安田さんに先月、連絡した。
94 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 03:18:18 ID:W/d9fE9g
まったく信じがたいニュースだ。 今年の1000大ニュース入りは間違いない
95 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 05:56:45 ID:???
>平田さんによると、1930年代後半、父・平治さんを「花淵」という友人が訪ね、「今は公にできないので預かってほしい」と、油紙に包んだ遺書の束を置いていったという。 確かに、当時ではね。
>93 この栗原の遺書は2.26引き起こした真崎以下青年将校などのバカどものお花畑理論が 如実に表れてるような希ガス。 不遜にも大御心を忖度して「こうであるに違いない」などと勝手に決めつけた挙げ句 莫迦げた功名心から朝を乱し放題に乱し、さらには上御一身のお怒りをかった自らの 益体もない所業に反省することもなく「大君のためを思ってやりました」などとほざく 浅はかな小児病者をなぜ陸軍の将校などにしたのか。 5.15も併せて、帝国陸海軍の宿痾と、5.15/2.26という大犯罪を犯した連中の異常さが 改めて明らかになったような気がする。
97 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 09:59:09 ID:???
天皇親政を唱えて天皇機関説を否定していた連中が一番天皇を蔑ろにして いたってことですな。しかも、機関説を否定しているのに天皇を御輿扱いして いるし。 今の天皇は駄目だから秩父宮殿下を擁立しようといったのは誰だっけ?
98 :
名無し三等兵 :2005/07/12(火) 15:49:04 ID:6wwIxzoH
たたかいの意義 たたかいは創造の父、文化の母である。 試練の個人における、競争の国家における、 ひとしく夫々の生命の生成発展、文化創造の 動機であり刺激である・・・・ 国防の組織 ・・・・・将来の国際的抗争は知能と知能の競争であり 、組織と組織の争闘であるといいうる。 従って、勝利の栄冠は対手方に優る創意と組織とを 有するものに与えられるともいいうるであろう。・・・・・
99 :
98 :2005/07/12(火) 15:54:34 ID:???
陸軍パンフレット事件 1934(昭和9)年陸軍省は「国防の本義と其強化の提唱」 というパンフレットを頒布。国防国家の建設を力説し政治・ 経済への提言が多かったので陸軍の政治介入として 政党から強い反発をうけた
100 :
100 :2005/07/12(火) 15:55:33 ID:???
100
ああ、たしか獄中の磯辺、浅野あたりが怪文書事件(真崎や香椎や陸軍大臣告知の矛盾)を 起こさなきゃ、監視も緩くてもっとはやくこの手の遺書は出てきたんだろうがね・・・。
102 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/12(火) 18:59:06 ID:f7iNV8x/
青年将校の最強硬派である磯部浅一元一等主計らは、「自分たちの理想の天皇」に 恋していたのであって、「昭和天皇」という人格を嫌っていたのは以前から 周知の事実ですよ? 磯部の「陛下、お叱り申し上げますぞ!」という言葉(獄中日記)はよく 引用されてますし。 三島由紀夫はそのエッセンスを「英霊の声」で著しました。これの執筆中、 美輪明宏いわく、「磯部の亡霊が乗り移っていた」そうです。
103 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/12(火) 19:07:35 ID:f7iNV8x/
ちなみに今回の出来事の主役である平田氏の父君は、青年将校との付き合いは どうだったのでしょうか。黒崎貞明氏、大蔵栄一氏、山口一太郎氏などとの 付き合いがあれば興味津々なんですがね。
104 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/12(火) 19:13:21 ID:f7iNV8x/
テリー伊藤が髪を伸ばしてパーマかけると北一輝そっくりになりそうな悪寒がする件について。
そら、あなた単なるガチャ目じゃ?
106 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/12(火) 21:43:58 ID:f7iNV8x/
テリー伊藤は斜視ですが、北一輝の右目は義眼ですから! 残念!
今更ですが、図説日露戦争と一緒に、二二六事件を入手しますた ヽ(´ー`)ノ 大学生協なので割引購入。 文書ではいろいろ読んでも、映像としてのイメージができませんでしたけど、やはり写真だと実感が違いますね。盛りだくさんでとてもよい感じです。
北一輝は自分が天皇になるとか言ってたな、そういや。 不可侵性なんぞ毛ほども信じてなかったんだよなぁ、都合がイイから右翼やってただけでw
うをZII提督だ、おひさ〜(笑)
こちらこそ、どもども〜(笑
ここで雑談はじめないでください、クソコテどもw 特にキモんちゅ。雑談逃げ出さなきゃよかったのに。
113 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/13(水) 22:57:44 ID:DBWcBQGE
↑けしからん発言だな。 本庄繁の娘婿の名を答えよ。
クソコテに答える義理はありませんがなw
115 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 23:01:56 ID:i1pIdsy4
>113 山口大尉殿 ちなみに派遣学生で東大理工学部卒だな ZU殿、海の人殿 敬礼
一太郎だよ
117 :
イナゾウ中佐 :2005/07/14(木) 00:06:09 ID:J86JmPW0
通称「ワン太さん」ですね。父親は、山口勝陸軍中将で「毛並みのいいお坊ちゃん将校」です。 長身、頭脳明晰、貴公子然。士官学校(33期)も格別の成績で卒業し、中尉時代には 東大理学部に依託学生として学び、「理学士」の肩書きも持っています。技術将校として 幾つかの発明を残し、「着弾距離測定器」の開発では第一人者だったと言われています。 貧しい家庭の兵隊が多かった当時、「ワン太さん」は演習地から帰る兵隊たちのために 大量のスイカを用意しておくのが常でした。 そのスイカは全て、超高級果物店「銀座千疋店」のものです。 義父・本庄繁(侍従武官長)という天皇にも通じるコネをもち、軍上層部に対しても対等に交渉が可能な 山口を、青年将校たちは『別格』とあだ名していました。なるほど、まさに「色々な意味で」別格です。 2.26事件の青年将校および関係者は、本当に個性的な人たちで溢れています。
>>109 マジで似すぎだw
間違えるわけだよなぁ……
226の影の関係者、秩父宮はどうだろう? 当時青森で大隊長やってたから、良かったものの 在京してたらえらいことになってたかも
>影の関係者 そんなこと言われたら迷惑だろ。 国学者の平泉澄が、2月27日だか上京する秩父宮をどっかの国電連絡駅でわざわざつかまえ、 「あんたが調子こむと、南北朝の悲劇になりかねぬ。皇室を割るな。自重しろ」 って意見され、その後、宮城入りしたじゃん
アニキに怒られたにょ。ってぼやいてたらしいね、その後。
122 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/14(木) 18:48:14 ID:klddyUS8
>>117 名回答!
青年将校を実名で描いたのは平成元年公開「226」が最初ですね。三浦友和の
安藤大尉が似合ってました。竹中直人の磯部元一等主計はアレでしたがね(苦笑
磯部本人は大柄な人でしたから。
我が北海道関連で言えば、村中孝次元大尉ですね。
仏心会は長らく河野司氏が仕切っておられましたが、いつのまに亡くなられた
のでしょうか。残念です。
今回の遺書、是非単行本にしてほしいですね。河出書房新社が有力かな?
123 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/14(木) 19:05:15 ID:klddyUS8
「226」の脚本は笠原和夫氏です。当初の脚本は、事件関係者からの話を 元にした、かなり政治性の強いものだったようです。はっきりとは書いて ませんが、あるいは秩父宮を登場させるつもりだったのかもしれません。 出典は「226」のガイドブックです。この本、真面目に作ってあるので 古本屋で見かけたら即買いを御勧めします。 処刑・自決した21名全員の顔写真と略歴、参考図書一覧が載っていますからね。
スパイゾルゲとかわけわからんのやらんで 226の映画つくりゃあよかったのに(´ゝ`)
ローカル紙では、仏心会に送られた遺書の数枚が、看守の側でなお留め置かれているらしいね。 「送っていいものかどうなのか迷って」て話だけど。 ま、レクター博士の直筆も洛陽の紙価をたからしめたからな
126 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/15(金) 18:40:22 ID:Fec99ZhF
私は二・二六決起を「昭和の忠臣蔵」だと思っています。 仮名手本忠臣蔵は「とがなくて死す」です。 いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
127 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/15(金) 18:59:19 ID:Fec99ZhF
二・二六決起将校と相沢三郎中佐を合わせて、「二十二士」と呼びます。 【事件関係死刑】 な 中橋基明中尉(なかはし・もとあき) む 村中孝次元大尉(むらなか・たかじ) あ 安藤輝三大尉(あんどう・てるぞう) み 水上源一(みなかみ・げんいち) だ 高橋太郎少尉(たかはし・たろう) た 竹島継男少尉(たけじま・つぐお) さ 坂井直中尉(さかい・なおし) つ 対馬勝雄中尉(つしま・かつお) は 林八郎少尉(はやし・はちろう) こ 香田清貞大尉(こうだ・きよさだ) く 栗原安秀中尉(くりはら・やすひで) だ 田中勝中尉(たなか・まさる) し 渋川善助(しぶかわ・ぜんすけ) ね 丹生誠忠中尉(にう・よしただ) な 中島莞爾少尉(なかじま・かんじ) い 磯部浅一元一等主計(いそべ・あさいち) や 安田優少尉(やすだ・ゆたか) 【自決】 野中四郎大尉(のなか・しろう) 河野寿大尉(こうの・ひさし) 【その他死刑】 北一輝(きた・いっき) 西田税(にしだ・みつぎ) 相沢三郎中佐(あいざわ・さぶろう)
128 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/15(金) 19:04:47 ID:Fec99ZhF
戦後、仏心会の中心だった河野司氏は、河野寿大尉の兄です。 現代表の安田氏は、安田優少尉の弟です。
129 :
名無し三等兵 :2005/07/15(金) 22:03:25 ID:8cikWH9u
2.26の受刑者が、まだ存命とは驚いた。 なお相沢中佐の弟は、陸軍将校から戦後は空自に入隊。幹部候補生学校でも鬼の学生隊長として鳴らしたらしい。 「殺されるかと思った」とは、当時の候補生の談。
130 :
名無し三等兵 :2005/07/17(日) 01:43:40 ID:jb7rUJUq
小畑ら皇道派の将軍がいなくなったのは痛かった
131 :
名無し三等兵 :2005/07/18(月) 19:20:35 ID:1wl4MbUN
通州事件も有名になったことだし、今度は通化事件も知ってもらいたいですな。 こっちは掛け値なしに中共による日本人虐殺なんだから。
133 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/22(金) 19:13:13 ID:UF+B5j1f
汨羅の淵に波騒ぎ
コテの辞世の句かと思った。
ふざんのくもはみだれとぶ
136 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/22(金) 22:49:29 ID:UF+B5j1f
貴様は、護国の鬼となられた青年将校を愚弄する気か! この馬鹿者めが!!(マジギレ
天皇の逆鱗に触れたけどな
靖国には祀られてなかったよね<青年将校
>136 あぁ「卿らがやらねば、朕自ら近衛師団を率いて鎮圧せん」が実現してればなぁ、などと うっとりと空想にふける、あてくしのような人間は ゴコクノオニ?はぁ?それって恐れ多くも畏くも上御一身のご意志を蔑ろにするだけに飽きたらず、 山下などは人斬り包丁をガチャつかせながら宮中を傍若無人にうろつき回り、そこいら中に圧力 かけまくってた、あれですか? 程度にしか思わないのでありおりはべりいまそかりける(^_^;
勝手に空回りした青年将校もかなり逝かれているが 鎮圧できなかった軍上層部も同罪だな、さっさと鎮圧しろと
142 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/23(土) 13:22:44 ID:2Czxevpz
>142 あ、いえいえ、やはりここは基本的スタンスとして、2.26を評価する動きには 先手を打ってレスしておこうかと(~ー~)ニタ
どちらにしろ護国の鬼じゃないしな。 しかし雑談系のコテが居つくとスレって死ぬね。良コテも居なくなったし
145 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/23(土) 18:53:56 ID:2Czxevpz
相沢三郎中佐は、剣道の達人で、教官を務めていました。謹厳実直で、 あくまでも一直線な方でした。もしこの時代でなければ、平凡ながらも それなりの人生を全うできたことでしょう。 しかし幸か不幸か、相沢中佐は維新運動に関わってしまいました。 相沢中佐の一途な気質は、幼年学校生徒のそれそのものでした。軍隊以外の 世間知を持つことがついになかったのです。 相沢中佐の行動は死刑に値することには異議はありません。しかしせめて 満足な裁判が行なわれていれば…
146 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/23(土) 19:09:22 ID:2Czxevpz
民間人を標的とする無差別テロは絶対に許せませんが、要人テロは場合に よっては許されると私は考えています。銃ではなく、刀で、単独で行なう 要人テロは称賛にすら値します。 永田鉄山を倒した相沢中佐、浅沼稲次郎を倒した山口二矢。 この2人は理想の国士として未来永劫語り継がれるべきだと存じます。
>>146 はあ?
相沢中佐を銃殺刑にした慧眼は称えるべきだ、少し遅かったけどね。
要人テロが日本を戦争に引きずり込む勢力を加速したんだよ
軍人が法を率先して破っても良いという風潮が、昭和の軍閥の暴走を生んだ。
>理想の国士 はいはいクマー、と。
>>147 昭和天皇独白録でも、軍人によるテロ活動について触れられてるしね。
派閥抗争とそれによる要人テロが対外戦争にまで拡大するなんて、それこそガンダム世界のレベル。
>銃ではなく、刀で、単独で行なう >要人テロは称賛にすら値します。 未だに日本刀に思い入れあるのかね 爆弾で爆殺しようが、素手で殺そうがテロはテロ 日本刀に精神性求めるのは宗教の世界でやって欲しい
151 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/24(日) 15:31:09 ID:UpqT71R5
爆弾や銃は、返り血を浴びません。 自らの手が血塗れになること、それを覚悟して行なうことに意義があるのです。 たとえ悪人とはいえ、人を殺すということがどういうことなのか、それを 肌身に感じる必要があります。
152 :
呉の床屋 :2005/07/24(日) 16:11:16 ID:9PEUM0iA
昭和維新の歌ではないが、 5・15の時には国民から減刑の署名が多数集まったとか聞くが 当時の世情は「この日本をなんとかしろゴラァ!」と言う大衆の声があったんだろな そうゆう国民のエネルギーが軍部を持ち上げて、行く所まで逝ってしまったということでないのか 軍部がとか一党一派がどうこうという事だけでは無い気がするが? 退く事を知らぬ軍人では所詮、外交・政治は無理だったろうし大衆のエネルギーを吸収して尚且つ巧く日本を引っ張れる政治家に恵まれなかった時代の不幸というべきなのかもな
>>152 俺は政党なんかより軍の若手将校の方が民衆の鬱積した
不満を理解していたと思う。
なにしろ徴兵制で免除不可な貧しく、かつ次男三男といった
どちらかといえば冷遇されがちな人達が集まってたし。
それに比べて、政党はもう仏流であれ英流であれ財界に
目が向きっぱなしだったし、左翼政党も共産党は地下化して
ろくに活動できず、いわゆる農民系政党も結局、日和見活動
に終始して「民衆」の支持を得られなかった。
そんなに政治がやりたいなら政治家になれ、の一言で終わるような希ガス。
政治家は腐敗していると、軍人達に期待が集まったが…… 英雄願望は駄目なんだよね。
しかしその中で軍人自体(特に皇道派青年将校)が自分達で何とかするより 『天皇』という文字通りの神頼み状態になっていたのが問題と思われ、 現状の破壊はあっても具体的に国家改造をどう成しえるかというビジョンが見えてこないし。
「政治がおかしいのは、天皇陛下の政を重臣どもが歪めているからだ!!」 で、重臣暗殺してしまう連中の気が知れない。 元々天皇は政治に決定権もっていないし、天皇親政なんてあり得ないのに。 答え:青年将校連中は馬鹿だった。 憲法くらい勉強しろと
つ「改憲」
>>158 口で言うにゃ簡単だけどクーデターを本気でやる気だったら
そのプロセス本気で知ってたんかいなと。
2・26の時も川島陸相に対し自分達の要望を天皇に上奏とかいう方式を使っていたし、
真崎大将の「お前達の心はよぉくわかっとる」じゃないが天聴に達すれば
天皇はこの行為を認めてくれて維新政府樹立を信じて疑ってなかったわけか。
>>159 要するに思考がお子様なわけだ
正しいことしているのだから、上聞に達すれば必ず陛下は我々を認めてくださる
なんて妄想しているお馬鹿集団
161 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/24(日) 20:44:44 ID:UpqT71R5
二・二六事件で政府側の最大の殊勲者は、首相官邸の女中ですな。
岡田が生きてると聞いて喜ぶ人はあんまりいなかったみたいだけどね
163 :
俄将軍 :2005/07/24(日) 22:28:55 ID:???
財閥の中の人に、政党が操られているということになると、クーデターによっ て、ということになるのか。
えーと、どこだっけかな。 船橋中央市場のそばのBOOKOFFに勾坂検察資料があったな。226の下巻に515が1巻。 一冊5500円くらい。欲しい奴は買ってこい
鉄道の国有化で加藤外務大臣が辞任するように、財閥の影響力は政党だけでなく軍にも。 藩閥政治への対抗になると、新興財閥、非薩長が入り乱れて主導権争い。
こういっては何だが、決起将校たちはけして愚鈍でもなく、むしろ狡猾だったと思うけどね。 少なくとも後先考えず決起したわけじゃない。 特に岡田を殺せば、いずれにせよ後継首班を立てなきゃならんし、閣僚も総辞職しなけりゃならない。 実際に辞表も出されたのを、木戸ー天皇ラインで懸命に保留にした。 新内閣を「維新内閣」と呼ぶかは別問題だけど。 問題は「朕が股肱の臣」を殺しすぎて、天皇を激怒させたことだな。 内閣総辞職だけなら、犬養毅と同じに、首相1人殺せばよい事だし
>>166 クーデターにおいてまず要人暗殺っていうのは上手いやり口じゃない、
反撃できないよう幽閉して「穏便に」権力の座を降りていただくのがスマートなやり方。
あと重臣の殺害で激怒したのは昭和天皇だけじゃなく海軍も黙っていなかった
まず岡田首相は海軍の出身、あと襲撃された斉藤内大臣、鈴木侍従長も海軍出身だったから
陸軍が対応にマゴつく中で海軍はいち早く断固鎮圧の姿勢をとって横須賀から陸戦隊を警備に出している、
戦艦長門の艦砲の照準を都心に向けたのも伊達じゃない。
恐らく岡田首相一人を殺害、あるいは幽閉して暫定内閣を組閣となっても確実に海軍は猛反発する。
安藤大尉ら一部将校は真崎大将、荒木大将、秩父宮など皇道派シンパ擁立のほか海軍軍令部総長の
伏見宮を担ぎ出すプランもあったらしいが海軍が承知するかと思うとまず無理かと。
>166 > 決起将校たちはけして愚鈍でもなく、むしろ狡猾 「決起」なんぞではなく、ましてやご聖断が下った段階で「将校」ですらないのだから 「賊の反乱」だというのはともかく、「狡猾」ですらないとおも。 「自分は狡猾だと思いこんでるバカ」は、この賊どもを操ってた真崎などの陸軍首脳部で 賊本人を評すなら 魯鈍 というべきなのでは。 軍事板的な言い方だと「無能な働き者」ですな。
15名が処刑された日、天皇は15個の提灯を掲げさせ、 一つ一つに敬礼しながら歩いたそうだ。
>>155-156 それって日本の右翼の伝統的な弱点だね。
三島由紀夫もやっぱりそういう風になってしまっていた。
>>168 軍首脳部は決起将校連中を操っていたのかね?
日本人の大好きな「空気」に幻惑された馬鹿真面目な青年将校が跳ね上がって暴走
真崎などの軍首脳部(の一部)はそれに対して動揺し、連携の取れたクーデターなんぞでは無かったと思える。
真崎などは主体性も見識も無く、ただ勝ち馬に乗ろうとしただけ
どいつもこいつも馬鹿ばかり! なのが226だと思う
172 :
名無し三等兵 :2005/07/29(金) 23:21:21 ID:aXF+luaB
陸軍パンフレット読んだ。 精神力マンセー記事に頭がクラクラしてきた。
>169 その話、どこから引っ張ってきたのか知らんけど、んなわきゃあるかい、昭和天皇陛下を バカにするのもいい加減にしろ、ということなのでは。 >171 なんつうか、あの反乱軍将校達はとことんバカがつくほど真面目な連中なので、そもそも 上層部の認可がなければ、いくら自分たちの燃えたぎる思いがあったにせよ、決して行動 には出なかったと思われ。
ttp://shomon.livedoor.biz/archives/15188757.html > ところが、何年か前の「プレジデント」で、あのときの天皇の側近の方が書いていた文章を
> 読みました。それには次のようにありました。
> この最初の15名の処刑のあった7月12日の夜に、天皇は彼に、ちょうちんを15個用意して、
> あるところに掲げるようにいいました。そして自分一人にしてくれと言い、誰も見ないようにということでした。
> だがその側近の彼は、天皇のことが心配で、かげからこっそり見ていたそうです。
> その彼の前で、軍服姿の昭和天皇は、掲げられている一つひとつのちょうちんに対して
> 直立不動で、敬礼をして歩いたそうです。
つうか今時上層部の認可があったって大丈夫か?
175 :
ゾル :2005/07/30(土) 01:21:20 ID:JyNAYKQU
>>171 実際に陸軍法務官だった原秀男氏も『二.二六事件軍法会議』上で、裁判記録を読んで得た結論として、真崎大将無罪を支持しているようだね。
要するに予審で、証人の磯辺を前にしても弁解に終始する真崎大将の態度は余りに見苦しく、とても反乱の黒幕とは思えなかったということである。
香椎中将やその仲間に、青年将校の行動を良い機会として利用しようとする動きがあったのは否定できないが。
176 :
名無し三等兵 :2005/07/30(土) 01:48:22 ID:QKjbnjzG
>>175 反乱を教唆、指導した訳ではなく、美味しいとこ取りをしようとしただけでは
犯罪にはならないでしょう。
177 :
名無し三等兵 :2005/07/30(土) 01:51:00 ID:QKjbnjzG
興味深いのは、地域史料になる、青年団(会)の団報や在郷軍人会の 会報では、5・15も2・26もかなり非難されています。
>174 どうでもいいような泡沫ブログの、それも > 何年か前の「プレジデント」で って、そっちこそ頭大丈夫か? つうかとっととコヴァは失せろ。
青年将校と皇道派はお互いに適当に利用しあってただけで、同志的つながりはないね。 また青年将校と一口に言っても、古株と若手とでは大分考えも違うし。 2.26に関しては、第一師団参謀長なんかが流した、背後にアカがいるというデマが 結構効いたんじゃないか? 結局みんな機会主義者なんだよ。
>177 国民の反応として、 5・15のときは青年将校の減刑嘆願の署名が何十万人と集まったけれども、 2・26のときはそっぽむかれたようですね。 むしろ殉職した警官への義捐金が殺到したとか。
青年将校は、けして真崎だけを当てにしたのではなく主体的に行動したんだけどね。 目標「真崎内閣」ではなく、真崎にケレンスキー的に内閣をとらせ、青年将校内閣に 移行する「アイディア」だったはず。 アイディアを誇大妄想とするのは、後世の後知恵というものだけど、 磯辺・村中の「作戦原案」は、宮城突入の天皇奪取が骨子とされたけど、 この点が中少尉クラスの同志から「陛下に弓は引けぬ」と断られ、結局、 「尊王討奸」をタテマエとする「奸臣の名目の反対派除去」「文人天皇への強圧的な間接工作」 が主とされた
決起の時点で、雲上人の陛下の人柄を青年将校たちがどうみたかは知らぬけど、 軍法会議の自己美化・自己正当化の発言「正義を行えば陛下もきっと賛同してくれると思った」と 磯辺原案「天皇は国務の総覧者として国務大臣の副署がなければ、己が一人の意志で反乱を否定は出来ない。 国務大臣を君側の奸の名目で排除し、副署のない国政(統帥権による反乱鎮圧作戦も同様)の空白期間中、 宮中工作を行えば、皇道派政権が確立できるはず」 の天皇=玉扱いを一緒にすると、226事件の本質が見えなくなるけどな。 愚かとか愚かでないとかではなく、軍内派閥闘争で負けのこんだ青年将校が 「一発逆転」を狙ったリアクションととらえるべきだが、違うのかな?
もともと古株の革新将校たちは、斬奸の後、即自決というふうに考えてたわけだが、 若い連中が加わり、また東京で皇道派のエリート連と接していくうちに変質したんだろうか
1)亀川哲也(浪人)→鵜沢総明(相澤事件弁護団長)→西園寺公 2)森伝(清浦秘書)→清浦圭吾(元総理) 3)山口大尉(本庄の娘婿)→本庄侍従武官長 4)北・西田→加藤寛治海軍大将→伏見宮軍令部総長 5)亀川哲也→山本英輔海軍大将 6)亀川哲也→真崎→伏見宮 7)川島陸相の参内と上奏 ・・・なんで木戸の差し金で「暫定内閣不可」天皇「即時鎮圧」なのに 4日も長引いたかといえば、「国務大臣の副署」「輔弼者の同意」が無かったから。 戦後公開の警保局資料によれば青年将校たちは「ソビエト革命武装指導要領」とか 読んでいたらしいし、「決起作戦失敗」の一大要因である「坂下門占拠失敗」 (坂下門を占拠し、宮城の外部との連絡を絶つ。実質的な天皇確保)の状況も 今一つ不明だしね。 青年将校たちのリアリズム(あからさまな玉扱いを避けての玉扱い)も含め、 「悪の行動学」を無視はできないと思うのだが
>>184 おお、知らなかった。
納得できる理由だな。
186 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/30(土) 22:03:49 ID:80cS6bkt
事件の時、陛下が自分で交番に電話して、応対した警官が腰を抜かしたってのは 本当ですかね?
本当です。2月27日午後8時、麹町署署長室の電話をとったのが私です。 「ヒロヒト、ヒロヒト・・・」と性急な第一声の後、いったん切れて、再度つながりました。 「いま日本で一番えらい方がお出になる。失礼のないように」 との挨拶に、”この非常時にふざけるな”と私は、当初思いました。 その方がお出になり、 「鈴木侍従長は無事か?総理は無事か」とお尋ねになります。 「それでは朕の命令を伝える。総理をはじめ状況を知りたい。見てくれぬか」 「名前は何て言うか?」 ”朕の命令”でそのお方が誰かわかった私は、「麹町の交通です。麹町の交通 でございます」と応えるのが精一杯でした。 昭和25年、皇居拝観のおり侍従を通して陛下の「このなかにコウジマチコウツウはいないか?」 のお言葉を賜っております。
188 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/31(日) 10:00:06 ID:CwWsNVoV
私の不確かな記憶を明らかにしてくださり、ありがとうございます。 青年将校たちの愛国心が、熱烈だが片思いの押しつけがましいものであった のに対して、現場警官たちのそれは真のものだったと言えます。 首相官邸で機関銃の猛射に対し拳銃で敢然と立ち向かって命を落とし、 また牧野伯爵邸で機転を利かせて河野大尉らを身をもって阻止した警官たちの 霊に、心から敬意を表します。
80年代にマルコス革命を見ていて思うのは、クーデターというのは関 係者の旗幟が鮮明になるまで、時間がかかるという事ですね。 ほとんどは中立派で、事後に有利な方につこうと紆余曲折、右顧左眄する。 226事件でもそうですが、甘露寺侍従から事件第一報(0226 AM05:40)を 聞いた陛下がまず思ったのは、以下3者の襲撃、すなわち @岡田(内閣首班 国務輔弼の筆頭者)、A斉藤(内大臣 同上) B鈴木(侍従長 国務上奏伝聞の最側近) により、自分が明治憲法下で手足と耳を奪われたという直感でしょう。 2月21日の将校たち(栗原、安藤、村中、磯部)の共同謀議における襲撃 対象決定(「後継内閣推奏者の西園寺をはずす」)を、陛下は当事者として 見ぬいていたと思います。 宮中では本庄武官長が、のちに「朕自ら近衛師団を率いて鎮圧」 「いや青年将校たちの至誠は必ずしも咎むべきにあらず」の論争をするとおり、 誰が敵味方か不明です。
鈴木貫太郎の妻たかは昭和天皇の乳母だった人 いわば父がわりの鈴木貫太郎が射殺されて、昭和天皇が激怒するのは当然。 青年将校どもが間違ったのは射殺したことだろうな 天誅とでも思いこんでいたのだろうが
私が大串政次巡査のエピソードが好きなのは、陛下がけして 「反乱将校たちの望む脅されてどうにかなる愚昧な文人君主」 ではなく、名も無き臣民に直接電話をかけて事態を把握し、 閣僚の残存の有無を確認して、反乱の目的である「中間暫定内閣成立」を 阻止しようと努力した事でしょう。 デモクラシーの平成から見れば、戦前の警察に色々批判すべきことがありますが、 基本的には市民社会の安寧、法治の立場から、超法規的な軍部ファシズムの横暴に よく対抗したと思います。 殉職警官や憲兵隊、事件後の検察など、事件の陰に語られぬ地道な人たちは 忘れられませんね
>190 旧姓・足立たかですな。 陛下は生まれてすぐに川村中将の家に「里子」に出されました。 明治天皇の意向で、優れた武官に帝王教育を受けさせるためでしたが、 川村中将は内心、「幼子には母親が必要だ。おれの夫人の春子では役不足だ」 と思ってたようです。 川村中将が亡くなると、川村家はすぐに皇孫御養育ご辞退を申し出、裕仁親王(4歳)は 皇居に戻りました。 足立たか(22歳 東京女子師範学校付属幼稚園教師)は、木戸侍従長の強い推奨で 「幼児に必要な母親としての養分を与えられる人物」として皇孫御殿に赴任した人物です。 のちに鈴木貫太郎夫人として、身を呈して瀕死の夫をかばい、たしか宮中に参内して、 反乱軍の残酷さを伝聞しています。 この辺も、昭和天皇の怒りを駆り立てた一因でしょう
鈴木侍従長の救命は、夫人孝子がかばったからか、 温厚な安藤輝三大尉がとどめを渋ったからか、評価が分かれるがね。 終戦時における貫太郎(笠地衆)の行動を思えば、歴史の影に夫人ありだな
問答無用で射撃しといて「温厚」もないもんだとおもうが(苦笑
195 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/07/31(日) 20:01:14 ID:CwWsNVoV
銃弾4発を受けても死なない貫太郎翁には、まさに老人パワーを感じますな。 何てったって、日清戦争の威海衛総攻撃や、日露戦争でバルチック艦隊に 水雷突撃した漢ですからね。
日本刀で斬れば死んでたのにな(w
安藤大尉は貫太郎と顔見知りだったな
>194 浅野内匠頭が精神病の発作で、吉良上野介に切りつけた挙句、 仕官目当てに浪士が切りこんだり、軍神乃木はじつは無能だったりの 極端な「脱神話」には、それほど真実はないと思うんですがね。 安藤は昭和9年1月末に「重臣ブロック」の鈴木侍従長と会っていますな。 で、部下の(皇民教育以外の)再教育が必要の薫陶を得て青山4丁目の梅窓院に講師を招き、 国学、歴史、経済、科学の講習会をもった。この企画に「安藤一任」で費用7000円を支出したのが のちの永田軍務局長。秩父宮との交友も含め、幅広い文人士官だったようです。 決起には最後まで反対。侍従長邸襲撃の際、警戒中の警官3名と書生2名は拘束。 公判では「自分の命令で侍従長を撃ったのは誰かわからない」と証言。 実際に拳銃射撃を担当した堂込喜市曹長の公判証言では 「『撃て』と命じられ発砲。隣室にいた夫人がかけより、どうかそれだけは許して くださいといわれたので、中隊長は敬礼して引き上げた」です。 発砲数は堂込曹長所持拳銃の2発〜4発で異説ありますが、少なくとも機関銃や 日本刀を使用した余所の襲撃地点よりは大人しいもんですな
>198 > 日本刀を使用した余所の襲撃地点よりは大人しいもんですな ・・・それって「五十歩百歩」といわんか?(苦笑 よそに比較して大人しければ「殺しに行った」ことは不問に付されるっつーのは ものすごいパラダイムシフトのような気がするんだか。 今年は戦後60周年だったり、我が国が「大中華主義のくびき」から解放されつつ あったりするもんだから、それに危機感を感じた中共が、 国粋主義醸成→反米思想蔓延→日米離間 を謀って工作活動を激化させているけれど、本人が知らないうちに、その種の工作に 載せられてるのが一番厄介ではある罠。 > 決起には最後まで反対。 「でも始まったからにはやる」っていうのは、その後の「誰も戦争など望んでなかったけど 雰囲気が戦争だったから始めた」などという巫山戯た開戦理由の太平洋戦争にも通じる 無能だとおもうけれども。
日本刀ならOK、っていうZIIが正直わからん。 ぬッ殺すのに銃も刀もあるまい?
うん、ちょっと資料が手元にないけど、児島襄「天皇」だと堂込曹長2発と 永田露曹長2発ですね。 「天皇の信任厚い侍従長をなぜ襲うのか?」と襲撃前から堂込は一応疑問を持っていたし、 鈴木たか夫人も「陛下の信任厚い夫をなぜ陛下の軍隊が襲うのか?」の気迫で 「土足であがるとは何事か」と一喝しているようです。 トドメ、トドメと発砲後、叫ぶ部下を抑えて官姓名を名乗り、丁重に一礼して安藤は 引き上げています。 もっとも松本清張史観だと「老人ゆえどうせ出血で死ぬだろうと引き上げた」という 見も蓋もないリアリズムで語られていますが
安藤は決起将校の中では古い人で、ちょっとほかとは肌合いが違う。
>195 貫太郎についてはあまり詳しくないのですが、終戦工作時、木戸も含めて 「誰にも本心を明かさずボケ老人のふりをして見事聖断まで持っていった」 なかなかの策士と聞いていますな。 明治の男ここにありです。
まぁ矢張り銃であろうと日本刀であろうと五十歩百歩であろうが斉藤実暗殺の 状況を見ると矢張り指揮官の性格の差が出ているのではなかろうかだし
>204 100点満点中15点 彼をもっと深く理解したほうがいい
206 :
205 :2005/08/01(月) 03:36:34 ID:???
あぁ、ごめんなさい、くだらんレスだ。 205は無かったことにしてください
もうぼろぼろだな。元海上自衛隊w
208 :
名無し三等兵 :2005/08/02(火) 12:07:40 ID:rveGPlKB
満ソ国境でのスパイ事件とか、戦闘機に乗って亡命しにきた白ロシアパイロットとかは事件ぢゃないの?
209 :
名無し三等兵 :2005/08/05(金) 13:04:31 ID:WZZF9PkL
映画「226」では渡辺錠太郎が銃で応戦してなかったのはなぜ? 岡田首相の回想録なんて読むと事実は小説よりも奇なりですね 岡田首相を初め多くの歴史的な有名人物が東郷平八郎に心服してた わけなんだけど東郷平八郎、そして東郷が尊敬してた西郷輝彦も偉 大な人物ですね
>209 > そして東郷が尊敬してた西郷輝彦も マテ
211 :
209 :2005/08/05(金) 13:18:22 ID:WZZF9PkL
>>210 気づいてくれて、ありがとう!!
西郷隆盛だわ
「星のフラメンコ」を尊敬してど〜すんだ?
>211 ちなみに、あおい輝彦はNHK BS2水曜午後10時からの「FBI失踪者を捜せ」で カコイイチーフを演っております。
515事件では、通常の手続きで裁判が行われたらしいが、 226事件では1審制の非公開軍事裁判が特設されたらしい。 非公開とは、要するに秘密裁判って事だが、 どうして226は秘密裁判だったんだ?
>213 陸軍だから。
215 :
匂坂春平 :2005/08/07(日) 14:16:34 ID:???
>208 リュシコフ事件とかね? >213 東京陸軍軍法会議ニ関スル件(昭和11年3月5日勅令第21号) によって「東京陸軍 軍法会議」が担当した為,軍法会議の公開も上告も認められない秘密裁判とな ったのは、それが「臭いものに蓋をする」目的の裁判だったから。そもそも22 6事件の戒厳令の施行は、「反乱部隊を鎮圧する法治的なもの」ではなく 真崎大将の提案で川島陸相が「反乱部隊を戒厳令下の都内警備部隊に編入する」 決起を一時的に認めたとする謀略的なものだったから。 あとで、それは「反乱部隊を懐柔する一時的な方便」と言い訳はあったけど、 実際には「戒厳令を悪用したクーデター」を、陸軍上層部複数名が場当たり的に 企んだ形跡もあり、それをすべて誤魔化すため。 ま、天皇の怒りゆえの即決処刑目的もあるがね。 >214 515事件でも陸軍士官候補生11名が参加。第1師団内軍法会議で公判にて裁かれている。 法的根拠は大正10年改定・陸軍軍法会議法。海軍は海軍軍法会議、民間は通常 裁判所で。すべて公判制。のちの永田鉄山惨殺事件も同様。 その公判の過程で、被告らの主義主張の宣伝がまかりとおり、平成の御世になって 「日本的ヒロイズムの誕生」と構造分析されてアニメ化されたのは、アニメの好きな あんたも知ってるだろw。 ラノベしか読めないあんたには、あのアニメの監督の元ネタの野阿梓「緑色研究」を おすすめするよ
216 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/14(日) 10:26:48 ID:Ob1yPhQX
さて、近衛師団長斬殺事件なわけですが。
井田(岩田)正孝中佐ってもう亡くなられたんですか?
218 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 15:25:12 ID:gcYAWTUu
警察は、反乱軍に抵抗しなかったのですか?
219 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/14(日) 15:31:11 ID:Ob1yPhQX
二・二六事件のことですか? 首相官邸・牧野伯爵邸の警官は殉職しています。 警視庁は丸ごと野中大尉の部隊に制圧されました。 まあ短銃では軍隊には抵抗できんのは当然ですが、情けないことです。
220 :
名無し三等兵 :2005/08/14(日) 15:42:30 ID:bvfbW2mp
>>219 機動隊の本部が自衛隊に制圧されたら「情けない」が、警視庁は基本的に
デスクワークの省庁なんだからショウガないべ。
小沢治三郎が駆逐艦での事故で顔面神経麻痺になり 表情を変えられなかったことからあだ名が鬼瓦となった とありますがこの事故って具体的にどの事故のことなんでしょうか?
>220 警視庁には武装した特別警備隊がいたが、機関銃隊まで引き連れた約400名の部隊に は勝ち目がないということで、隊長が抵抗を断念したとか。 (最多の兵力が向けられているところをみると、特別警備隊を警戒していたんでしょう。) いずれにせよ、いかに武装していても警察が軍と正面から戦って勝ち目があるとは 考えられないし、要人警護と違って、時間稼ぎ等の利益も考えられないわけだから、 「情けない」とは思わないですね。
>>221 昭和5年4月4日の駆逐艦「太刀風」に第4駆逐隊司令として乗艦したときの事故じゃないすかね。
青島と大連のあいだで演習中、低気圧で演習中止、夜間、波浪をくらって艦橋が一部破損。
その際、顔面挫傷、右肋骨2本骨折というから、これなんじゃないですかね?
相沢中佐によれば、 「北一輝先生は法華経信者であり、楠正成、西郷隆盛、勝海舟などの霊と交渉があり、生ける神であり生ける仏」 胡散臭くね?
8月15日未明の反乱は皇宮警察との交戦はあったの?
主殿寮の門監・消防監から始まった皇宮警察(明治19年宮内省皇宮警察署、 大正10年設立・宮内省大臣官房皇宮警察部、昭和16年宮内省警衛局)は、 捜査権をもちません。「聖域に犯罪無し(臣が君に弓ひかない)」のタテマエ から、武器は所持しましたが、もっぱら警備、警護、消防です。 皇居全体は「朝敵からの守護」の理念で近衛師団が担当しました。 玉音盤争奪事件は、阿南にぎりぎりまで決起の期待を持たされた軍務局課員と 近衛師団参謀が森師団長を射殺。偽の師団長命令を出して、一時的に近衛師団を掌握しての 狼藉なので、皇宮警察の出る幕は無かったでしょう。 226事件の坂下門突入も同様、近衛と叛軍将校との接触のみです。 なお迫水内閣書記官長の回想によれば、陛下に玉音放送をお願いしたのは 「抗戦派」の阿南陸相とのことです。軍務局若手に最後まで徹底抗戦の希望を持たせ、鈴木内閣の 崩壊(陸相が辞任すれば総辞職)を防ぎ、最後の最後で陛下の聖断が下ったところで自決して陸軍を 抑える腹だったろうとの事です。 大宅壮一『日本の一番長い日』では上記視点が抜けていますが、角田房子『一死大罪を謝す』では多分 取りこまれていると思います。
北の革命思想は、非常に前近代的なものらしいです。 北は父親が佐渡島の自由民権運動家、母が日蓮宗の帰依者ですが、 中国革命挺身時、宋教仁が土着的秘密結社の会頭・譚人鳳とくんで 最下層農民を組織して革命をおこそうとしたのを目撃したのが最大でしょう。 (松本健一『北一輝論』) ここに「民衆に支援される神秘主義」が北と結びつき、母親譲りの法華経三昧、 妻を依代にしての霊告といった、怪しげな方向に行きましたが、人望はあったようです。 松本清張みたいに「財閥からの恐喝金で優雅な右翼の親玉ライフを目指していた」と ザッハリッヒに切り捨てる見方もありますがね。
栗原「勅使の御差遣を仰いで自決しようではないか!」 天皇「自殺するなら勝手に為すべく、勅使などもってのほか!」
>>226 回答ありがとうございます
ちょうど角田氏の本を読む所なんでタイムリーでした
230 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/19(金) 19:30:09 ID:cKfVkEHx
三島由紀夫の映画「憂国」がDVD化されるそうですね! このスレの住人としては、是非押さえておきたいところです。
それには特典として最近見つかったらしい割腹予行演習VTRはつくんだろうな?
232 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 12:38:59 ID:Z+c4D/ua
>>219 教えてチャンですみません
牧野元内大臣の襲撃に関して女婿である吉田茂はどのように感じてたんでしょうか?
米内光政が横須賀の戦隊を率いてたと記憶にありますが米内元首相のはどのような心
中だったのですか?
233 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/20(土) 13:00:44 ID:WxHxgkjK
すみません、吉田・米内両氏の事件に対する認識は読んだことがありません。 なお、事件に際してあらかじめ予測を立てていち早く陸戦隊の手配をしたのは 井上成美ですね。
234 :
232 :2005/08/20(土) 13:29:04 ID:Z+c4D/ua
>>233 レスありがとうございます
井上成美は確か三国同盟反対派でしたね
さすが知性派ですね
235 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/20(土) 14:25:50 ID:WxHxgkjK
私の部屋は本が日高山脈のように積み重ねられて凄い状況になっているのですが、 茶園義男編著「図説二・二六事件」(日本図書センター、12600円)が手近に ありましたので、引っ張りだしてきました。 当時発行の新聞・資料や命令の原文が豊富に掲載されており、大変良い出来です。
>>235 「雪は汚れていた」の間違いをきっちり検証してたね。
237 :
232 :2005/08/20(土) 15:13:19 ID:Z+c4D/ua
>>237 654 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/21(土) 17:18
>>653 事件全体は長いので、大臣告示に関することだけ
陸軍大臣ヨリ 二月二十六日午後三時二十分 東京警備司令部
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國体顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現(弊風ヲ含ム)ニ就テハ恐懼ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニ依リ邁進スルコト申合ハセタリ
五、之レ以外ハ一ニ大御心ニ待ツ
655 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/21(土) 17:21
陸軍大臣告示
一、蹶起ノ趣旨ニ就テハ天聴ニ達セラレアリ
二、諸子ノ行動ハ國體顕現ノ至情ニ基クモノト認ム
三、國体ノ眞姿顕現ノ現況(弊風ヲモ含ム)ニ就テハ恐惶ニ堪ヘス
四、各軍事参議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進スルコト申合セタリ
五、之レ以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ
656 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/02/21(土) 17:25
山下少将が青年将校に口述
諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
諸子ノ真意ハ国体真姿顕現ノ至情ヨリ出タルモノト認ム
国体ノ真姿顕現ニ就テハ我々モ亦恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬誠ヲ致スヘク
其以上ハ一ニ大御心ヲ体スヘキモノナリ
240 :
239 :2005/08/20(土) 15:34:51 ID:???
657 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/02/21(土) 17:33
村上軍事課長、山下軍事調査部長(両方とも皇道派)によって起草された布告を、
川島大臣は軍事参議官会議にかけた後、香椎警備司令官(皇道派)に渡した。
香椎中将は電話で警備司令部にいる参謀長安井藤治に伝えた。安井少将はそれを
一字一句違えず書き取らせた。この文書が
>>654 の「陸軍大臣ヨリ」
植田大将(反皇道派)等は、
>>654 の「行動」を認めるというのは
あまりにも行き過ぎだと修正を加えた。
午後3時15分、電話から戻ってきた香椎中将は、先ほどの文章が一部修正されているのに
気づいたが、全体の大意は変わってない為、再び電話する事はなかった。
修正されたものを持って、山下少将は青年将校のところに行き、
口頭で伝えた。これが
>>656 658 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/21(土) 17:38
一方、警備司令部では、「陸軍大臣ヨリ」を近衛師団、第一師団、東京港湾要塞に
電話で通達、更に通牒も送付した。
これを受け取った橋本近衛師団長は「これは怪文書」といって破棄してしまった。
しかし、堀第一師団長は「これはいいものが来た」を喜び、兵士に配布する為に
大量に印刷させた。このとき参謀の手によって一部改竄され、出来上がったのが
>>655 の「陸軍大臣告示」
話はこれだけなんだけど、ここに「匂坂文書」というのが出てきてややこしくなる。
241 :
239 :2005/08/20(土) 15:37:17 ID:???
659 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/21(土) 17:45
軍法会議に近衛師団長が提出した文書に
「二月二十六日午前十時五十分陸軍大臣ヨリ東京警備司令官ヲ経テ下サレシ告示」
というのがある。中身は「陸軍大臣告示」で、これが午前11時前に来たという。
これをみて大喜びしたのが、澤地某たち。
午後三時にできたはずの文書が、午前十時五十分に近衛に下されていたというのは
大変な事だ。文書は予め作られていた、もっといえば青年将校のけっ起自体も、
皇道派上層部は知ってたのではないか。
660 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/02/21(土) 18:01
ところが最近、「陸軍大臣ヨリ」の原本が見つかった。東京港湾要塞司令部に送付された
ものが残っていたのだ。さらに近衛師団長が提出した文書も、第一師団がばら撒き、
後に憲兵隊が押収したものと同一である事が分かった。
とまあ、こういうことを証明したのが茶園教授の
>>235
ちなみに「行動」と「真意」のところ、香椎中将は余り気にしなかったようだけど、 村上大佐は、態々安井少将のところまで、訂正してくれって頼みに行ってる。
243 :
232 :2005/08/20(土) 15:43:00 ID:Z+c4D/ua
午前十時というのは結局、参謀が電話を受けたときに使ったメモ用紙?に 元々書いてあった落書きというのが落ちだっけ?
245 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/08/20(土) 15:55:01 ID:WxHxgkjK
丁寧な御解説、ありがとうございます。 茶園本の凄いところは、貴重な一次資料を大量にかつ余計な詮索を加えず 黙って整理配置しているところです。こういう地道な研究を応援するためにも、 本は買ってあげましょう。
わしゃあ、難しい事わからんし、澤地翁やタラコ唇の「緻密な事前計画による陰謀」史観は
どうかと思うが・・・・。
まず『杉山メモ』から(2月26日正午頃〜14:00@)
「告示なるや取り合えず山下少将をして陸相官邸に至らせ叛乱将校に論示して原所属に復帰をはからしむるとともに」
「警備司令官をへて、近衛、第一両師団長に示し、この意味で説得すべく(中略)」
「よって香椎中将は電話を持って告示を伝え、山下少将は急慮宮中を退す」
>>240 香椎東京警備司令官が宮中から電話口頭で安井藤次参謀長に「大臣告示」
を伝え、安井は2度復誦して、福島久作参謀に口述筆記させている。
それが「陸軍大臣告(諸子ノ行動ハ)」(
>>654 )
(A2月26日 14:00?)
山下少将が「陸相官邸で叛軍将校に『諸子ノ真意ハ』(
>>656 )と3度読み上げた」と同時に、
(B2月26日 14:30?)
村上大佐が「やはり陸相官邸で「(きみらの決起趣意書をもとに)維新大詔案が作成中と安藤大尉らに告げ」た
(C2月26日 15:00?)
警備司令部から第一師団、近衛師団に文書で「大臣告示(諸子ノ行動ハ)」が下達
(C2月26日 15:20?)
その夜、川島陸相が憲兵隊司令部を訪れ、「諸子の真意」が大臣原文だからと
そっちを正文とすると直している。
宮中原文は当初「行動」だったのを「真意」と、言うとおり植田大将の抗議で
トーンダウンさせている。
第1師団、近衛師団が「修正されたもの」を2月26日16:00受け取ったなら 「諸子の真意は(トーンダウン)」を受領したはずなのに、 実際に受け取っているのは「諸子の行動は(叛乱認知)」 電話通達で聞いたものを、近衛師団長が怪文書と破るのは可能か? そもそも東京警備司令部の文書通達を怪文書と断定した状況はどういうものか? わしゃあ「事前に文書が作られた」は一笑にふすが、一概に匂坂検察の 「川島、香椎、堀、山下、村上」上層部検束案、あるいは陸軍大臣告示午前説は 否定されたとは思わんけどね。 なんと言ってもあなた、叛乱軍が川島陸相に面談強要、決起趣意書を渡したのは 2月26日06:30ですよ? これを奇禍とし、有象無象の「事後の陰謀」が無かったとは、これまた「茶園本」の 資料でも、おそらく証明されてないでしょう
そもそも「陸軍大臣告示」原案は、軍事参議官たちの「申合せ書」に基づく。 この「申合せ書」を書いたのが山下少将。以下毛筆原文、《》内は植田謙吉訂正鉛筆ね。 「午後零時半於宮中(←欄外書きこみ) 諸子決起の趣旨は天聴に達し《アリ》諸子の真意は国体の真摯顕現の 至上《に出するものと》は之を認める・・・(以下略)」 これを元に荒木が山下に箇条書きさせたのが「陸軍大臣告示」。 ただしなぜ「大臣告示」にしたかというと、参議官告示では皇室の諮問機関の告示に なりかねず、「累を及ぼしかねない」ということで国務大臣の告知にさせた。 植田が「大臣告示」を変更させたって、ソースはあるのかな? 植田が「鉛筆で修正を入れた」申合せ書原文写真なら、 高橋正衛「226事件」(中公新書)で有名だけど?
>午前十時というのは結局、参謀が電話を受けたときに使ったメモ用紙?に >元々書いてあった落書きというのが落ちだっけ? だからさ、これが何故、「2月26日午後03時20分、東京警備司令部から出された 大臣告示印刷物(第一師団がばらまき、東京港湾要塞司令部と同一でいいや)」 に、その日の午前10時に電話で受けたときの落書きが書きこめるのか?って話になる。 澤地には飛躍がある。それはわかる。 だがね、「大臣告示」や「東京地区警備に叛軍を組みこむ」ってのは 鎮撫の謀略以上に、やはり「事件を奇禍とする皇道派上層部の事後の陰謀」だと 思うんだがねえ。 でなきゃ、近衛師団長がとりあわない「大臣告示」ちゃなんだということで
何かちょっと勘違いしてるみたいね。
例えば? ガリ版刷りの大臣告示に午前10時50分とメモしたのは冗談にしても 「午前10時50分」が他人の落書きと証明する客観的資料でもあるの?
冷静に考えろヴォケ。
やれやれ、また頭に血が上りやすいお方かい(ため息) わしは別に持論が間違っていれば修正するに吝かでないが どこが違うか言ってもらわなきゃね・・・
「陸軍大臣ヨリ」と「陸軍大臣告示」 GD、1D、東京湾要塞司令部に電話で伝えられたのは「陸軍大臣ヨリ」 これは要塞司令部に送られてた現物が見つかった。 警備司令部の福島参謀によれば、香椎の電話を受けて(午後3時15〜20分)、 「ヨリ」を「陸軍大臣告示」と改変、しかし安井はそれを元の「ヨリ」に戻させ 三司令部に通達させた(午後3時45分)。 ところが第一師団が後に印刷したものは「告示」。福島の手が入ったものとよく似てる。 ここで福島と第一師団参謀の供述が食い違う。1Dの参謀は福島から直接紙で(告示を) 受領したと主張。福島はそんなことはしてない。「ヨリ」を電話で伝え、後に通牒を送ったという。 ただ、偶然ここまで似るわけは無いので、福島は何らかの形で自分の作文(告示)を 1Dに伝えたんではないだろうか 午前十時云々について 当日午前10時30分ごろ、「部隊相撃を避けるように」という伝達を警備司令部が GDしていることからきた勘違いではないかと、福島参謀は云っている。
東京警備司令部が1DとGD、東京湾要塞司令部を統率してるのであって 香椎中将(宮中)→安井藤治参謀長(警備司令部で電話受領)→福島久作参謀(口述筆記) →1DとGD、あるいは港湾要塞の文書通達と従来されています。 これは、磯部が2月26日夕刻見た、ガリ版刷りの「大臣告示」と同一か不明です。 福島参謀が上司香椎から電話で「陸軍大臣ヨリ」と聞いたものを、独断で大臣告示として しかも電話を受けていない安井参謀長が「ヨリ」と戻せた根拠は? 従来、電話を受けたのは安井参謀長だったように思いうのですがね?
「行動」と「真意」 問題となるのは山下と香椎がそれぞれ部屋を出たタイミング。 香椎は自分が電話に行って帰ってきたら字句が修正されてたと書いてる。 香椎が電話をしたのは3時15分頃。 香椎が部屋を出た後に「行動」が「真意」と修正せられ、それを持って山下が 出て行ったというなら筋が通るのだが
>>255 ちょっと言葉足らずでしたな。安井が電話を受け福島がそれを筆記。
その後、紙に印刷するのに、「陸軍大臣ヨリ」ではおかしいから「陸軍大臣告示」と
(福島が)改変した。それを見た安井が元に戻させた。
以上福島の聴取書
いやいや、わしは、皆さんの仰る事も、ことごとく筋は通っていると思います。 ただ、大臣告示原稿となる軍事参議官会議「午後0時半毛筆/申合せ書」がそもそも 山下少将直筆のうえ、(こちらは)植田謙吉に鉛筆訂正されていること。 (※ 写真有り) ただし、「大臣ヨリ」乃至「大臣告示」作成を荒木から一任されたのは山下少将で それを山下がどのように原稿を作り香椎に渡して電話連絡させ、 みずからも陸相官邸で叛乱軍に口述させたか、藪の中だということ。
香椎は戦時警備令下令を伝える為、午後2時半ごろに一度電話に行ってる。 が、その後また東溜りの間に戻ってるような書き方だし。 彼はあんまり小細工できるタイプではなさそうだしなあ。 まだ、起案者である山下の中には元々「行動」と「真意」という言葉があり、 自分で恣意的に使い分けてたという可能性のほうがあるか?
東京警備司令部から1D、GD、港湾要塞に「陸軍大臣ヨリ」て文書が送付され こないだ発見されたのが1D=港湾の「陸軍大臣ヨリ」文書 でも1Dがばら撒いて憲兵隊に押収されたのは「陸軍大臣告示」 >ところが最近、「陸軍大臣ヨリ」の原本が見つかった。東京港湾要塞司令部に送付された >ものが残っていたのだ。さらに近衛師団長が提出した文書も、第一師団がばら撒き、 >後に憲兵隊が押収したものと同一である事が分かった。 怒らないで欲しいのだが、この内容と矛盾してないか?
むっきー! ムカツキムカツキー!
@ところが最近、「陸軍大臣ヨリ」の原本が見つかった。東京港湾要塞司令部に送付された Aさらに近衛師団長が提出した文書も、第一師団がばら撒き、 B後に憲兵隊が押収したものと同一である事が分かった (@≠A=B) @「陸軍大臣ヨリ」 A橋本GD団長が「なんだこの怪文書」と破り捨て「大臣告示」? B1Dがガリ版でばらまいた「陸軍大臣告示」なる怪文書 ・・・だよね?
GDの誰かが、1Dのばら撒いた「告示」に、午前十時五十分に来たと添えて提出した やっと話が見えてきたよ。あなたは1Dがばら撒いた「告示」(=GDが軍法会議に提出)が 原本と考えてるわけですね?う〜ん、どの辺は首肯しがたいなあ。
ようするに私の意見は 1、宮中より警備司令部に「ヨリ」が通達 2、警備司令部は「ヨリ」を三司令部に通達。しかし1Dとの間に何かがあり「告示」誕生。 橋本中将が破棄したのは「ヨリ」 3、1Dにより「告示」が印刷され撒かれる。 4、それを入手したGDが後に提出。
AM06:30 叛乱将校らが陸相官邸で川島陸相で「決起趣意書」と「陸軍大臣要望事項」手交 AM08:00 山下少将 官邸入り AM08:30 真崎「お前たちの気持ちはよーく判った」大将 官邸入り AM09:30 宮中に参内した川島陸相「決起趣意書」を奉読。陛下の不興を買う。 AM10:00 杉山参謀長以下、参謀本部徹底鎮圧の方向へ AM10:30 真崎、荒木ら皇道派、宮中入りし統帥外の陛下の諮問機関 「軍事参議官会議」を利用し、収拾策へ。 問題は、この時点で山下を含む皇道派上層部が、叛乱が鎮圧されれば自派は壊滅すると 判れば「天聴に達する」の既成事実をつくろうと頑張るのが普通じゃないかな
鎮圧されればというより、丸く収めないと自分達の立場がなくなるということで、 必死に決起部隊の機嫌を取ろうしたのが「ヨリ(告示)」でしょ。 皇道派将官で、当時これを好機と捉えた人はいないよ。 むしろ石原とか橋欣みたいな第三者?にその気配がある。 伝家の宝刀は抜いちゃダメなんだよ。青年将校も、暴発するぞするぞと見せかける ところにうまみがあったの、真崎たちにとってね。本当に暴発されちゃうと困るんだよ。 だから陛下を欺くようなギリギリの甘言でなんとか治めようとした。 しかしダメだったね。自決したのは野中一人だけ。それも山下たちに強制されて。
事件後の真崎の無様さを思えば、事前の大臣告示文書準備は妄想にすぎないなね。
ただ、
>>264 も合理的だが以下の可能性も考える。
2月26日15:20以降、
1D参謀福島が電話と通牒(?これが判らん)で送った、文書で送っていないいうなら
「ヨリ」は電話口頭で警備司令部から直接、3司令部に届きメモ。
(※ 通説では文書で送っている)
(※ 一体、最近港湾要塞で発見されたのは「印刷物」なのか「電話受領メモ」なのか)
GD司令部に何者かが系統を無視して、「警備司令部からの命令」として
1Dの印刷した「大臣告示」を複数枚届け、橋本GD団長が1枚破棄。
のちに軍法会議に証拠資料として提出する。
「10時50分に入手したと勘違いするメモ」付きで。
維新大詔を偽造しようとした手合いも軍務課長あたりいるし、なんか電話口頭で
宮中の香椎からいってきたんじゃないかな。山下ー真崎の知恵袋で。
午前10時50分。可愛い1D将兵救うために。
怪文書なり通牒なりは夕方として
通牒とは文書のこと。電話で伝えた後、文書も送った。 文書は翌二十七日に届いてる。それが出てきた。毛塚さんという人が保存されてたようで。
>>269 その頁探してたんです。ありがとう。
1Dの寺田参謀は、警備司令部まで出向き、印刷された「告示」を受領し、
それを電話で師団司令部の村田参謀に伝えたと供述してる。
一方福島久作はそれを否定し、「ヨリ」を電話で通達した後、通牒を送付したと主張。
東京湾要塞司令部に残ってた文書がそれを裏付けてる。
じゃあ寺田参謀はまるっきり嘘かといえば、そうでもないように思う。
福島は参謀長に注意され、「ヨリ」を電話で通達する一方、訪ねてきた寺田参謀には
自分が手を入れた「告示」を渡したんじゃないか?
はっきりいってあの大事件を前にしては、「行動」と「真意」ぐらいの差があるのならまだしも
文書の題が「陸軍大臣ヨリ」か「陸軍大臣告示」なんて大した問題じゃないからね。
茶園説の要(かなめ)は、 「26日警備司令部が電話のみで「陸軍大臣ヨリ」を1D、GDに通達」 (翌27日、通牒(文書)で、1D、GD、港湾要塞に送付) 「警備司令部安井参謀長の26日、1D,GDに電話通告のみ。同日、3司令部に通牒は嘘なり」 の匂坂見解を支持しているところだね。 1Dはこれをもとに「陸軍大臣告示」なる怪文書を印刷、将兵に配布。 叛軍村中や磯部が読んだ印刷物はこれ。 GDが軍法会議に「26日10時50分受領 陸軍大臣告示」と提出してきたのは27日に入手の1D怪文書。 原本紛失のためと茶園はいうが、受領してない原本をなんで「午前説」で提出するのかは、 わしゃあ、判らないけどねw
>>271 >「警備司令部安井参謀長の26日、1D,GDに電話通告のみ。同日、3司令部に通牒は嘘なり」
>の匂坂見解を支持しているところだね。
おいおい頼むよ。逆だよ逆。
ちょっと気になる事が。 >幹部の一人村中孝二が軍法会議法廷に於いて「陸軍の長老、各閣僚もこれ >を認めたりと最後に付言しあるもの(B')を最初に達せられ、後にて印刷配布せられた >るは付言無き方(D1D怪文書)なり」と証言しているのも至極当然と知れる。 「陸軍大臣ヨリ」原案は、2月26日「午前零時半宮中に於いて」山下が毛筆起草した 「申合書」だが、文末に「陸軍長老と閣僚もこれを認める」とある。 いわゆる大臣告示は、上記から 「参議官には権限無いから長老閣僚云々をはぶけ。国務大臣の告示をはぶけ」とし 川島陸相の許諾を得て、山下に起草させている。 ・・・なぜ、宮中の外に出ない付帯文「長老閣僚云々」を叛軍・村中が知っているんだ? 「10時50分」「26日は電話のみによる下達」「1D怪文書はいつ印刷され、磯部らは読んだのか」 わしゃあ、第1師団OBの山下が、あやしいと思うんだがなぁ。
東京警備司令部はGD,1D、要塞司令部にそれぞれ電話で「陸軍大臣ヨリ」通達、 さらに通牒も送付したと主張。 しかしその送ったはずの文書が出てこないため、匂坂は、端からそんなものは 送ってないんじゃないかと疑った。 しかし、事件から65?年目、茶園教授が、毛塚五郎氏が保存していた東京湾要塞歴史 という史料の中に、警備司令部から送られてきた通帳の原本を発見。 香椎安井の供述が嘘でないことが証明されたというわけ。
>「参議官には権限無いから長老閣僚云々をはぶけ。国務大臣の告示をはぶけ」とし >川島陸相の許諾を得て、山下に起草させている。 (誤)国務大臣の告示をはぶけ (正)国務大臣の告示でいけ
276 :
271 :2005/08/21(日) 02:30:52 ID:???
>272>274 おお、すまんすまん。何しろリンク先の不明な添付@、添付Aとやらを 憶測しながらの解読でね。これは、当方が間違った。恥しい奴だなw で、だな。茶園エッセイさっきから懸命に読み返しているんだが、 港湾要塞から通牒が出て安心だが・・・問題は「午前説」が残る。 なぜ「10時50分」と書いてGDが証拠資料を出してきたかだね。
一般的には山下はあの文を2回繰返して読んだだけと云われてるが、 そのへんは怪しいと思う。文書作成には最初から関ってた人だし、 何とかして円満に治めたいという気持ちも強かっただろうし、 陸軍の長老、各閣僚云々の付言について、ポロって漏らしたんじゃないだろうか?
A香椎が宮中より電話で伝えたもの
B福島参謀がAをいじくったもの
B'
>>239 の656
C
>>239 の654
D
>>239 の655
A──→B─→C──→D
│
└→B'
・このCが見つかった。
・GDが提出した午前説のもととなる文書がDとイコールだった。
午前10時代に警備司令部から何等かの伝達があったのは福島警備参謀も証言。 ここからはうろ覚えなんだけど、そのときの時間を記録したメモがあったようだ。 事件後、証拠を提出する時、警備司令部から送られてきた原本を破棄してしまって いた近衛師団は、第一師団が刷った「告示」で間に合わせ、更に本当に混乱してて 間違えたのか、作為的なのかはともかく、この10時云々という言葉を添えて提出。 というのが午前説否定派の考え。 橋本虎之助がそんなことするはずねいやいというのが午前説支持派の意見。 ただGDが10時に来たと称して提出した文書が、1Dの刷ったものだった以上ねえ・・・
>>239 656 山下口述に関して
〜モノナリの後にもまだ続いてる。
以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ
陸軍ノ長老ノ意見トシテ確立シタルモノ
ニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真
姿顕現ニ努力スヘク申合セタリ
村中たちが知ってるはずだよ。
ありがとう、よく判る。おれの心に巣食う怪しげな陰謀史観が謙虚な歴史研究の 積み重ねにより一掃される日も近いのだが・・・。 おそらく茶園教授は「橋本GD団長乃至GD幕僚が、正規の通牒(C)を『怪文書』だと破棄」 した責を回避するため、27日午前入手した1D謹製怪文書(D)を軍法会議に提出したのだろう。 ところで茶園教授はなぜGDが軍法会議にDを「午前十時五十分陸軍大臣ヨリ東京警備司令官ヲ経テ下サレシ告示」 と時間を(午前と冬の夕刻)誤って出してきたと説明してるのだろうか?
さあね。勘違いで出したのでなければ、誰かを陥れる悪意があったとしか思えない罠。
>>269 のリンク先で池田俊彦さんは師団長じゃなくて参謀の誰かが軽い気持ちで
やったんじゃないかと言っておられるよね。
ちなみに近衛師団は決起部隊に非常な反感を抱いていた。
橋本中将は士官学校事件のとき、次官としてこれを裁いてる。
283 :
名無し三等兵 :2005/08/21(日) 10:14:24 ID:VDdsyFck
諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シアリ
諸子ノ真意ハ国体真姿顕現ノ至情ヨリ出タルモノト認ム
国体ノ真姿顕現ニ就テハ我々モ亦恐懼ニ堪ヘサルモノアリ
参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬誠ヲ致スヘク
其以上ハ一ニ大御心ヲ体スヘキモノナリ
以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ
陸軍ノ長老ノ意見トシテ確立シタルモノ
ニシテ閣僚モ亦一致協力益々国体ノ真
姿顕現ニ努力スヘク申合セタリ
上記は山下口述の全文(茶園『図説二・二六事件』)
削除しろといわれた後半部を山下は復活させたみたい。
>>273 の疑問はこれで解けるね。
>283 それ午前10時には真崎と一緒に宮中入りした山下が、毛筆起草した 「午後0時半於宮中(欄外書込み) 申合せ書」に植田謙吉が鉛筆修正したものとほぼ同一だな。 「匪躬」とかの単語は、告示乃至陸相布告にはないからね。 閣僚なぞと打ち合せて無いし、「参議官一同」では列席した皇族参議官(朝香 宮、東久邇宮)に塁が及ぶということで、荒木が陸相布告にしましょうと後文 を削るよう山下奉文に指示した奴。 いわゆる「大臣告示」てのは、参謀本部が武力鎮圧案、川島陸相が勅命による原隊復帰・戒厳令案に 対して、統帥外の軍事参議官会議の影響力で皇道派幕僚が事件を「収拾」なり 「悪用」なりしようとしたものだからね。
あのさ、くどいようだが大臣ヨリの流通ルートには二つあるんだけど。 @ 山下毛筆起案「午後0時半於宮中(欄外書込み) 申合せ書」 A @を参議官会議にかけて荒木が「長老申合せ」を省かせ、 山下と村山に起草させた陸相布告「陸軍大臣ヨリ(諸子の行動は)」 これをノートに取った香椎が電話で東京警備司令部安井参謀長に伝えた。 架電後「諸子の行動」を「真意」にトーンダウンさせろと言われたが、香椎は拒否。 B 福島参謀がAをいじくったもの「陸軍大臣告示」 B' 山下が午後02時30分頃に、官邸で反乱軍に口述したもの(=@) C 「午後03時20分 警備司令部 陸軍大臣ヨリ」/安井が福島に再訂正させたもの。1D、GD、港湾要塞に通牒? D 「陸軍大臣布告」1D謹製怪文書 A)@──→A──→B──→C──→D (山下・村上が起案したAを香椎が電話で警備司令部へ) (@は「真意」A〜D「行動」) B)@──────→B’ (山下が直接、叛軍に口述「真意・軍長老・閣僚の合意」) ただし、系統上GDは警備司令部(香椎)からしか、告示なり布告を受けないから、 憲兵隊は「午前10時50分 (山下・真崎に示唆された)香椎が、GDに アクションをおこしたのではないか?」と疑ってるわけで。 香椎が「行動」で伝え真意への修正を「予ハ頑トシテ認メズ」なら Dの1D怪文書「行動」と一致させるための。 Dがいつから存在するかが、陰謀論の要だし。 でなきゃ、1D参謀と警備司令部参謀の「渡した、渡さない」の不明瞭な やりとりが気になるんだが。 港湾要塞で発見された通牒Cは、2月27日の送付でしょ? 1D、GDが通牒受理したと自称し、1D、GDともに通牒紛失してるんでしょ?
>1Dの寺田参謀は、警備司令部まで出向き、印刷された「告示」を受領し、 >それを電話で師団司令部の村田参謀に伝えたと供述してる。 >福島警備司令部参謀はそれを否定 GDが「10時50分に1D謹製怪文書が来た」いうなら、素直にその通りの事実が あったんじゃないかな
午前十時五十分に伝達を受けたと言ってるGDの関係者って誰かいるの?
288 :
名無し三等兵 :2005/08/21(日) 16:31:43 ID:VDdsyFck
>>286 寺田が受領したと主張してるのは午後3時のこと。
須崎教授は『二・二六事件』で、福島の供述には或る程度資料的裏付けがあるのに対し、
第一師団の方には不明瞭な点が多い。第一師団が証拠隠滅を図っていた
可能性は否定できないと書いてる。
高橋正衛氏はあまり告示に拘ってないね。 それどころか、”伝達時間の問題、幾種かの大臣告示があったなどの問題は本質的に 何の意味も無い”とまで言いきってる。だから彼の『二・二六事件』は申合書が 大臣告示になったなんて無造作に書いてる。この本読んだだけでは恐らく「ヨリ」と「告示」 の問題は理解できないだろう。
近衛師団の偽証に関しては、提出した文書が第一師団のばら撒いたビラであったことで 証明されてると思う。
しかし、決起部隊が2月26日午前06時30分に陸相官邸で川島陸相に手交した 『陸軍大臣要望事項』の第7項「(要求が貫徹するまで)決起部隊ハ警備部隊編入、 現占拠位置ヨリ絶対ニ移動セシメザル事」っちゃなんだ。 誰がそんな暗黒の知恵を授けたんだ。 それとも「戒厳令下の政変」の青地図が、過去にもあったのか これに応じて東京警備司令部 「本日午後3時第一師団管下戦時警備ヲ下命セラル」 「陸軍大臣ヨリ二月二十六日午後三時二十分 諸子の行動は天聴に・・・」 なんてやれば、香椎(を指導する荒木真崎)の通謀疑われても仕方の無いような
>291 まあ、そうだな。あとは茶園エッセイを真実と証明するには 「なぜ10時50分とGDは回答したか?」だけだな。 (※ 大臣ヨリを破棄しただけなら、「15時20分発令後受領した」と チラシを知らぬ顔で提出すれば済むはず。実際にチラシを知らぬ顔で出したしね) こえは永久にとけんだろう。 「文面の推移から想像される1D参謀と警備司令部参謀の通謀」については、 ま、納得するがね。すなわち、香椎電話後の午後の作成だって。
畑元帥の獄中日記読んでから、俺の中では坂本俊馬は凄い怪しい人物。 まあ全く論理的な根拠はないんだけどw
GDの協力「10時50分の勘違い」で香椎を検束。背後関係を吐かせるってか? おれのレベルの発想だぜw ・・・聞こう。畑俊六の巣鴨日記にはなんと書いてあるぞな?
ああ、「3人の坂本俊馬」てそんな話かw おれはまたてっきり陸士19期の東京憲兵隊長さんが、またぞろ 統制派だ粛軍派だと人脈が連なり、「叛軍一味徒党検挙計画案」へと結実したと。 いやはや、みんなのお陰で、オレの陰謀史観も大分すっきりしたね。 いや、週末付き合ってくれて有難う
>Pウェスタン大名誉教授
山下の動きはやはり相当問題があるな。 削れといわれた部分を復活させたり。
午後0時半於宮中
諸子蹶起ノ趣旨ハ天聴ニ達シ《アリ》
諸子ノ真意ハ国体ノ真姿顕現ノ至情《ニ出スルモノト》ハ之ヲ認ム
真姿顕現ニ就テハ《今日迄》我等亦恐懼ニ堪ヘザルモノアリ
参議官一同ハ国体顕現ノ上ニ一層匪躬誠ヲ致スヘ《ク》
其以上ハ一ニ大御心ヲ体スヘキモノナリ
以上ハ宮中ニ於テ軍事参議官一同相会シ陸軍長老ノ意見トシテ確立シタルモノニシテ
閣僚モ亦一致協力益ヾ国体ノ真姿顕現ニ努力スヘク申合ハサレタリ
>>239 山下が叛乱軍に口述(>656 長老・閣僚云々が抜けている?)したのと比較。
「真意」「匪躬」が、『大臣ヨリ』『陸軍大臣告示』では「行動」「邁進」になる。
302 :
名無し三等兵 :2005/08/22(月) 23:19:02 ID:9484bCPS
例のキーワードは「真意」→「行動」→「真意」と遷移したんだな。 杉山は「行動」なんて字句は一度も問題にならなかった。 「至誠」が阿部植田の意見で「真意」になったと書いてるけど、 これは表に出てしまった「行動」版告示を誤魔化すための嘘っぽいな。
戦時警備令に基づく師戦警第1号(26日午後4時) 「歩兵第三連隊長ハ本朝来行動シアル部隊ヲ併セ指揮シ担当警備地区ヲ整備シ 治安維持ニ任ズベシ。但シ歩一ノ部隊ハ適時歩三ノ部隊ト交代スベシ」 付記口達 一、敵ト見ズ友軍トナシ、友ニ警戒ニ任ジ軍相互ノ衝突ヲ絶対ニ避クルコト。 二、軍事参議官ハ積極的ニ部隊ヲ説得シ一丸トナリテ活発ナル経綸ヲ論ズ。 閣議モソノ趣旨ニ従イ善処セラル。 この口達については、おれは実物をしらないが児島穣とかの著書では、よく出てくる。 ここでも「まだ行われぬ閣議」やら「陸軍長老」やらが出てくる。 多分1D師団関係の資料を大宅文庫あたりから拾ったのだと思うが、真偽不明。 おれは香椎以外のルートで、宮中軍事参議官会議の内容が、1Dに漏れていると思う。 元1D歩三連隊長で、2月23日夜に安藤・野中持参の決起趣意書を自宅で添削し、 真崎に恐らく軍事参議官会議を示唆した誰かさんが、事後の謀議者として よくて事態収拾、あわよくば昭和維新のため場当たり的に動いていると思うんだがなぁ。
Pウェスタン大名誉教授の肩書きが無ければもっとよかったのに。
日本を震憾させた四日間って信用できる本なの?
307 :
名無し三等兵 :2005/09/17(土) 14:47:53 ID:G5QiRVSN
226事件の時、東條上等兵は何をしてたんですか?
>>307 ちょっと調べりゃスグ分かるだろうに。
満州にいたよ。
戦後の話ですが「三無事件」について詳しくご存知の方はいらっしゃるでしょうか? 実現の可能性についてはどうだったのでしょうか?
311 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/10/16(日) 13:38:40 ID:/NnDAAK+
来年は決起から70年です。新刊出ないかな〜
312 :
HAL :2005/10/26(水) 13:31:01 ID:oL/K/qMg
竹中直人が出演している二二六事件の映画ありましたよねえ?タイトルは「二二六」だったと思うのですが。もう一度観たいのですが、検索しても出て来ないのです。DVDになっていないのか、または何かの理由で発禁になっているのか、ご存知の方いませんか?
314 :
HAL :2005/10/27(木) 11:29:52 ID:uEoX1SeM
>>313 ありがとうございます。
映画226はOPで時計の分針がかちっと揺れて「2月26日午前零時零分」になるのと 東京音頭くらいしか記憶ない。 それよりも「北です」「は?」「北です」「はあ?」「きぃたぁ」「来た?」 「そう」「誰が?」「・・・もういい(がちゃっ)」のNHK特集の方が
316 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2005/11/16(水) 18:22:20 ID:mMzl0CRH
磯部浅一さんの霊は、三島由紀夫さんに取り付いた後、いずこへ去ったのでしょうか。
317 :
だつお :2005/11/16(水) 19:42:00 ID:+DJ/Ig9l
2・26事件は確かに反乱だが、結局のところあれが最後だった。 終戦まで米騒動さえ起こっていない状況は意外でさえある。 悪名高い統制経済でも、中国国民党よりは百倍マシなのだ ということを知っておく必要がある。
本来は統制されてしかるべき軍隊が反乱起こすのと 一般市民の暴動じゃレベルが違いすぎると思うが。 あと東條内閣がその前に倒れたお陰で立ち消えたがクーデター計画はあったし 終戦の土壇場で起きた玉音板強奪未遂事件とかは含まれないのか?
>>312 2・26事件映画「叛乱」もお勧めですよ。これも、DVDになってないですが、
新東宝作品のDVD復活が最近あるので…
先日、2・26観音にお参りして来ました。
絵的には吉永小百合と高倉健の「動乱」が脇を田中邦衛と桜田純子他がつめるなど ベストキャスティング(メロドラマとして)だが・・・・ま、あの内容はな
>>312 なぜかサントラは今でも買えるんだよなぁ
322 :
名無し三等兵 :2005/11/30(水) 14:03:50 ID:mh6LHFI2
322
323 :
名無し三等兵 :2005/12/10(土) 23:50:04 ID:wUILyxnq
第四艦隊事件。 台風で、切断された吹雪級の艦首を砲撃で撃沈したんだったかな。 海軍乙事件。 古賀長官が捕虜になり、奪回したあと自決させた。 水上機系の連中に知られたらしい。 あと、淵田が酔っ払って漏らす。 どこまでほんとか知らんが。
2・26事件だと叛乱が好きだな、原作小説も良いし。 この事件関連作品が一枚もDVDになってないのはどういう事だ・・・ そろそろレンタルビデオも劣化し始めた頃だし 70年を期に出してくれないかな
>海軍乙事件。 >古賀長官が捕虜になり、奪回したあと自決させた。 >水上機系の連中に知られたらしい。 >あと、淵田が酔っ払って漏らす。 まじ???
326 :
名無し三等兵 :2006/01/08(日) 20:43:48 ID:rkxAf/QD
>>232 牧野襲撃の際には自分の娘の麻生和子も殺されかけてますが、
決起した将校にたいしてどう考えていたかわからないものの、後に皇道派とは非常に親しくしています。
戦時中、近衛文麿と一緒に真崎、小畑、柳川らを何とか担ぎ出そうといろいろやっています。
このグループには他にも代表的皇道派シンパ言論人、岩淵辰雄や統制派陰謀論の殖田俊吉らも参加しているので、
だから近衛のいうように
「皇道派の思想は…対外政策は対ソ一本槍で、例えばシナに手をつけ、あるいは南に向かって進むことには極度に反対意見を有していた。
…たまたま二・二六事件に皇道派が連座、一斉に葬られたということは
シナ事変、今次大戦に対外政策が持っていかれる途が開かれた契機になったとみるべきである。」
と見ていたかもしれません。
327 :
名無し三等兵 :2006/01/08(日) 21:08:07 ID:vJYVLg0t
>>325 福留参謀長が原地人に助けられて作戦書類を紛失した、その書類が連合軍に渡ったが正解だろ。
328 :
名無し三等兵 :2006/01/15(日) 13:39:18 ID:B7h0+XWe
2.26事件から70年ということで 来月何か記念行事みたいなものがあるのでしょうか?
閑院宮もすごい美青年だったそうですね。
330 :
コヴァ :2006/01/29(日) 20:49:15 ID:c1JDxm2U
>>327 しかしながら、分っているはずのハルゼーが第3艦隊に引っかかって北に釣り上げられたんだから、戦争は不思議やねん。
映画「226」監督:五社英雄 安藤輝三大尉(三浦友和)、野中四郎大尉(萩原健一)、香田清貞大尉(勝野洋)、河野寿大尉(本木雅弘) 栗原安秀中尉(佐野史郎)、丹生誠忠中尉(宅間伸)、坂井直中尉(加藤昌也)、田中勝中尉(関口誠人)、 対馬勝雄中尉(池田さとし)、中橋基明中尉(うじきつよし)、高橋太郎少尉(鶴見辰吾)、林八郎少尉(石橋保) 磯部浅一(竹中直人)、村中孝次(隆大介) 真崎甚三郎大将(丹波哲郎)、荒木貞夫大将(日下武史)、川島義之陸相(金子信雄)、 杉山元参謀本部次長(仲代達矢)、寺内寿一大将(藤岡重慶)、 香椎浩平中将(加藤武)、山下奉文少将(高松英郎)、石原莞爾大佐(渡瀬恒彦)、 武藤章中佐(新克利) 鈴木貫太郎侍従長海軍大将(芦田伸介) 官位など間違ってたらごめん。
332 :
名無し三等兵 :2006/02/04(土) 03:37:59 ID:/e/xUGk6
>>325 >>327 古賀長官の乗っていた1番機は、行方不明とされる。
捕虜になった福留の乗っていたのは、2番機。
陸軍部隊に、ゲリラ側から引き渡すので、掃討作戦をやめて欲しいという申し入れがあった。
そして、古賀長官以下を引き取った。
戦死発表後なので、腹を切らせることにした。
陸軍部隊は、口封じをされる。
だから、古賀長官は戦死ではなく殉職という表現が使われる。
水上機に人の回想本に載っている。
淵田がもらしたというのは、ムーだな。
333 :
名無し三等兵 :2006/02/04(土) 04:03:14 ID:/e/xUGk6
佐藤宗次著 「海軍パイロットの証言 選修学生から中支・南方戦線へ」東洋経済刊
334 :
名無し三等兵 :2006/02/04(土) 13:01:47 ID:yo2RWn6V
ZII ◆RPvijAGt7k はウザイ
335 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/02/04(土) 13:06:33 ID:eOOSSFCv
はいはいわろすわろす。
336 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/02/04(土) 13:15:17 ID:eOOSSFCv
「本が崩れる」(文春新書)著者の草森紳一氏の父上は、旭川で村中大尉と 同じ連隊にいたそうです。
陸上自衛隊も2・26事件起こさないのかな〜?
ZII ◆RPvijAGt7kはあまり相手にされてない事に気付いた方が良い 調子に乗り過ぎ
>>331 丹波哲郎は叛乱では青年将校だったよね。
ところで226事件は作戦的には優れてたの?
340 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/02/08(水) 18:37:33 ID:yjk23Tvm
>>331 陰の主役、河野司(河野寿大尉の兄)(根津甚八)が抜けてますよ。
>>328 代々木の通称「二二六観音」にて、式典あります。
あと、麻布の菩提寺にて、講演と法要があります。
342 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/02/26(日) 06:48:55 ID:2Io2/Klr
あの日から、70年。
70年か……あげあげ
代々木の二・二六観音にお参りしてきました。 民族団体の方々が、ささやかながら式典をしてました。
346 :
名無し三等兵 :2006/02/27(月) 09:20:10 ID:OfQkflHR
>332 なんで福留は生かされて、古賀はダメなの? あと、長官に腹を切らせられる人間はごく一部だと思うんだが。 だれか、古賀長官の検死記録ってない?
感覚的には、当時の隊付青年将校運動(尉官クラス)は 浮世離れしているって点が、60年代左翼過激派と似ていると思う。 多分、人間的も似た感じなんだろうな
>345 イスラエルのヴィーゼンタール機関ですよ。 皇道派の犬塚大佐をはじめとする河豚計画のおかげでとにもかくにも シベリア鉄道〜神戸を経由して上海に東欧ユダヤ人が脱出できた。 これすべて皇道派のおかげ、荒木大将有難う!!という団体ですよ
350 :
名無し三等兵 :2006/03/03(金) 00:09:01 ID:GdrjefOT
海軍中攻隊の悲劇、原田隊事件を詳しく解説してるサイトは 無いかのう? いろいろ調べたんだが、いまいちだな・・・・・。 昔ヘタクソな劇画で読んだのが印象的だった。
351 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/03/04(土) 07:13:36 ID:4L/acwwS
週刊文春3月2日号のグラビアを見てください。 二・二六事件で殺害された3人の遺体写真が載っています。
352 :
名無し三等兵 :2006/03/04(土) 12:22:42 ID:S2TUTXUA
ここ初めて読んだがしかし松本ってのは最低のブサヨクだよな 青年将校の決起や愛国者の信念を 何か薄汚い陰謀や欲まみれのものとしか切り捨ててる 何でこんな奴をマスゴミは「大作家様」とか持ち上げて ドラマにしたりするのか
はいはい、釣り釣り(ry
354 :
名無し三等兵 :2006/03/04(土) 19:36:20 ID:lSNr7m/x
>>312-315 >>319 >>324 >>328 >>331 先週日曜日の226事件70周年当日、
日本映画専門チャンネルを見ただろうな。あ?
午後0時00分〜:映画『226』(平成元年)
午後2時00分〜:NHK特集「二・二六事件 消された真実〜陸軍軍法会議秘録」(昭和63年)
午後2時50分〜:NHK特集「戒厳指令…『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」(昭和54年)
午後4時20分〜:映画『叛乱』(昭和29年)
355 :
名無し三等兵 :2006/03/04(土) 22:16:27 ID:bu9hOhOx
>>353 いちいちうっせーよヒキオタ
アカヒ新聞とエロゲーにばかりのめりこんでないで
自衛隊にでも入れ
356 :
名無し三等兵 :2006/03/04(土) 22:27:50 ID:bu9hOhOx
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E6%B8%85%E5%BC%B5 >1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作
>1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作
>1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作
>1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作>
>1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作
>1950年、朝日新聞社西部本社社広告部に勤務中に書いた処女作
>「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選
>「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選
>「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選
>「週刊朝日」の「百万人の小説」に入選
>清張は日本共産党の支持者でもあった
>清張は日本共産党の支持者でもあった
>清張は日本共産党の支持者でもあった
>清張は日本共産党の支持者でもあった
>清張は日本共産党の支持者でもあった
>1990年 朝日賞
>1990年 朝日賞
>1990年 朝日賞
>1990年 朝日賞
>1990年 朝日賞
>>352 帝都を騒がせ、政治を混乱させ
国民の信任を受けた政治家を暗殺し
挙句陛下を大激怒させておいて
愛国も糞も無いものだ。
おまけに陛下を単なる玉と見なしていたしな。
359 :
名無し三等兵 :2006/03/04(土) 23:28:49 ID:Pv4Ghs0T
5.15事件で犬養首相を射殺した山岸中尉、実は首相以外にも5人の人を殺している。 5.15事件とは関係無いが、友人からもらった軍刀を持って歩いてたらヤクザから イチャモンを受けた。正当防衛だったがその軍刀で5人のヤクザを切り殺した。 現在なら普通に逮捕されるが、戦前で帝國海軍の士官ということもあって警察署長 から 「町の浄化になった」と感謝されたそうな。事件にはならなかったがこれは凄いと思う。 ちなみに彼の事件としては、戦後にタクシー会社を起こしたがちょくちょく交通事故 があったそうな。ただ、彼自体は家族に見守られながら穏やかに往生したとのこと。
>>354 スカパーやケーブルに加入してないので観ていないが、
一通り、放送当時にビデオ録りしてたり、ビデオ持ってる。
できれば、地上波でやれればね。
来年は、菩提寺の法要と講演に参加したいものです。
「叛乱」また観よう。良い作品だなぁ〜
二・二六事件 脱出 (1962, 東映)も良い作品ですよ。 岡田首相救出がメインのサスペンスアクション仕立てになってます。 首相書記官と、救出にあたった麹町憲兵分隊(健さん)と、 何より健気に首相を隠しとおした女中さんにも かっちりスポットがあたっているところがとてもグー。 ところで、事件の際に命を落とした憲兵・警官の方の慰霊碑はないのでしょうか?
>>361 憲兵の殉職者は、いなかったような。
警視庁の見学コースで二・二六事件関係の
コーナーがあったような。
あやふやで申し訳ないです。
>>362 渡辺大将の私邸を警備していたのは憲兵だったと思う。
渡辺邸警備の憲兵が発射した拳銃弾で坂井部隊の安田少尉が負傷している。 で、反乱軍側が軽機で応戦したが、憲兵は負傷していない。
論理的に考えて、憲兵は軽機の弾を見切ったか、着弾に耐えたかのいずれかだな
366 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/03/11(土) 07:23:39 ID:JsTNvvqy
読売新聞本日朝刊道内面に、事件当日首相官邸敷地内の住宅に住んでいた 女性(現在滝川市在住)の記事が載っています。
ほっしゅ
368 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2006/03/24(金) 19:49:23 ID:lqzO6I4A
自分の誕生日保守。
369 :
名無し三等兵 :2006/03/24(金) 19:50:42 ID:WJES/eEl
◆◆『2ちゃんねる』と朝鮮総連 ◆◆ 在日朝鮮人が、戦後の日本で組織的なスパイ活動を展開していることは、 国際政治に詳しい人々の間では、常識として知られている事実だ。 スパイ活動の中心的役割を果たしているのは、もちろん朝鮮総連と韓国民団である。 とくに朝鮮総連は、情報収集と宣伝工作活動のために、インターネット上でいくつもの 掲示板を運営している。それらの掲示板の中で最大規模のものが、皆さんもご存知の、 あの『2ちゃんねる』である。 『2ちゃんねる』は、とうぜん防衛庁や公安調査庁から監視されているのだが、 ここで気になる事がある。それは、『2ちゃんねる』の管理スタッフは、防衛庁や公安などの 国家機関が、『2ちゃんねる』が朝鮮総連の運営するウェブサイトであることに気づいていると いう事を、知っているのかという事だ。 『2ちゃんねる』の管理人たち、つまり、朝鮮総連=インターネット工作班の朝鮮人たちが、 自分たちが日本国家当局から監視されている事を承知の上で、『2ちゃんねる』で反日宣伝工作を 展開しているとしたら、「いいコンジョウしている」と言えるだろう。 Xデーが来たら彼らは終わりだが、その日が来るまでは『2ちゃんねる』上で反日宣伝工作を続けて いくつもりなのだろう。逆に言えば、『2ちゃんねる』が運営されている間は、 朝鮮総連はまだ大丈夫である。しかし、朝鮮総連が日本当局に潰される時になれば、 『2ちゃんねる』は何の予告もなしに、ある日、とつぜん閉鎖されるであろう。
お花見age
371 :
名無し三等兵 :
2006/04/05(水) 14:56:05 ID:WVrdAuLc