1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 17:30:29 ID:2t5RoVSJ
自営業閣下こんにちわ
3 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 17:35:13 ID:cRr7g2Dg
埋める。竹の盾で種子島をガードしつつ
とりあえず一箇所だけでも埋める。
4 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 17:45:35 ID:???
5 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 17:52:08 ID:???
>>4 別に近代の軍事だけが軍事板の範囲じゃないだろ。
そういうこと言い出すと第二次や第一次も世界史板の範疇になっちまうぞ。
6 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 18:07:43 ID:???
7 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 18:21:56 ID:???
>1
おまいニュー極に誤爆しただろ?
8 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 19:14:02 ID:???
ここでならチハたんの威力を存分な語らえるね。
9 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 21:34:41 ID:???
>>1まったく簡単じゃないか
まず大砲を撃ちまくる→淀殿をビビらす→講和を持ち掛ける→講和の条件は外堀を埋めること→講和成立→知らん顔で内堀も埋める→はい完了
10 :
名無し三等兵:2005/06/10(金) 12:00:46 ID:???
11 :
名無し三等兵:2005/06/10(金) 12:03:40 ID:???
>>6 いやむしろ原爆をつかって堀を作る。
幅数キロの巨大な堀ができるぞ!
12 :
名無し三等兵:2005/06/12(日) 22:42:19 ID:???
ジャイアンツ城の堀内なら今年は突破されっぱなしですが何か?
13 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 17:21:30 ID:???
>>1 ケチつけて悪いが、今のお堀は徳川の地割。
よって「戦国最強」の豊君地割ではない。
14 :
名無し三等兵:2005/06/29(水) 12:00:56 ID:???
家康が作らせた大砲(おおつつ)とは兵器データとしてはどんなものだったのか?
15 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:10:56 ID:ZcMysvba
上がこしぬけだと戦もようできんねや
16 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:13:43 ID:???
シャルル勇猛公なら400門の大砲を保有しているので、簡単に攻略できるはず
17 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:15:46 ID:93+amxL6
つうか日本で唯一篭城戦可能な城だったからな。>>大阪城
クラウゼヴィッツが戦争論で書いてる、
防御力が攻撃力より圧倒的にまさるってのを地で行ってる以上、
戦争以外の形態で片をつけるしかなかろう。
その点で家康の作戦に勝るものはない。
18 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:19:19 ID:???
>>17 >つうか日本で唯一篭城戦可能な城だったからな。
その辺を詳しく解説しているサイトを知ってたら教えて。
19 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:21:57 ID:???
籠城可能な城って、中世の山城からあるんだが
館を自焼して、山岳地帯の山城に籠城なんてありふれてないかね
20 :
17:2005/07/21(木) 00:22:38 ID:93+amxL6
さあ?
詳しいサイトは知らないなあ。
21 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:27:04 ID:sbdYQZFf
やっぱ秀吉が小田原落としたみたいに内側から崩すしかないのでは?
22 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:30:32 ID:???
強襲揚陸艦を堀に浮かべて、LAVとヘリでマリンコをバカスカ上陸させる
23 :
17:2005/07/21(木) 00:31:46 ID:93+amxL6
>>19 山城の基本思想は援軍が来るまで持ちこたえる陣地ってやつだからね。
まあそれも篭城戦だな。
大阪城の思想はまるで逆。
篭城戦によって敵の消耗を誘い、攻勢に出ることが出来るよう、
十分な備蓄を蓄えることが出来る。加えて大坂という交通の要害を抑えてある。
また本来の設計思想に入っていたかどうかはわからないけれど、
真田丸という陣地を急造し、篭城戦でありながら攻勢をかけることも出来るという優れもの。
24 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:37:02 ID:???
>>23 何言っているのかわからん
籠城戦は全て消耗を誘い、自主的撤退を誘うか自軍の援軍により逆包囲するもの
大阪城に限らない。
また、真田丸は攻勢に出るものじゃない、あれは弱点を強化した馬出のようなものにすぎない
25 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:37:12 ID:???
熟れ熟れの淀君と立ちバック 立てなくなるぐらいの激しさだから流石の大阪城も落城
26 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:42:29 ID:???
援軍が来る可能性も無いし、徳川家が自壊する可能性も無いのだから
大阪60万石の大名として、おとなしく家康の孫を妻にしながらその後20万石くらいの大名になって
外様大名で生きていればイイのに
浪人を10万人も集めてしまったのが豊臣家の運の尽きだわな。
27 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:50:05 ID:???
>>17 なんで幾何学的兵学がクラウゼビッツなんだっつーのw
外線運動の優位性が証明したクラウゼビッツを借りて内線運動の絶対的優位性を説くとは・・・
クラウゼビッツはブラウンシュバイクの運動戦など古今の運動戦をあげて
フリードリヒ大王の絶えざる火力の増大が戦争の命題と合わせて、
時代の進歩によって内線運動の優位性が崩れたと証明しているだろうに。
だいたい篭城戦が可能な城って篭城戦の意味もわかってないだろ。
28 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:52:23 ID:???
>だいたい篭城戦が可能な城って篭城戦の意味もわかってないだろ。
籠城が可能でない城ってあるんかいね?
29 :
17:2005/07/21(木) 00:55:27 ID:93+amxL6
>>24 まあ保塁(変換できん)と要塞の差みたいなもんだ。
大阪城は要塞として作られてるって事を言いたかった。
ちなみに真田丸は馬出とは似てるけど規模が全然違う。
そのため陣地で消耗を強いて、
敵が撤退を始めた場合には多数の追撃の兵を真田丸から出すことが出来る。
現にそうしたし、徳川方の損害の多数は真田丸からの追撃を受けたもの。
30 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:55:54 ID:???
要塞を含む地形障害は敵兵力を拘束するためのものであり、
これにより敵に決戦を共用するか、決戦を回避するためのもの。
中に篭って敵の攻撃を避けるなんてのは馬鹿もいいところ。
地形生涯を利用しての防衛はその決戦なり、決戦回避に必要な時間を生み出すところに価値がある。
31 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:57:30 ID:???
強要な
32 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 00:57:39 ID:???
>>29 おまえさんの脳内定義で話が進んでいるようだが
「城」「要塞」「堡塁」の定義を示してくれ
でないと後出しジャンケンばっかりになって、アホらしくなる
33 :
17:2005/07/21(木) 00:59:34 ID:93+amxL6
別にあほらしくなってくれてかまわんよ
34 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 01:01:11 ID:???
そもそも、大砲の攻撃を想定して作っていないから、大砲の攻撃には滅法弱い…。
その地点で落城必死…。堀埋めんでも大砲を撃ち続けてたら、命中してそのうち防御拠点が倒壊するから。
35 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 01:01:21 ID:???
>>33 やっぱり定義は不可能か
そりゃ、状況によってコロコロ変わる予定では、定義なんてできないもんな
細部に突っ込まれるのは嫌いだろうから勘弁してやる
36 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 03:12:59 ID:???
佐渡金山から鉱夫引っ張ってきて坑道掘らせて堀直下に
煙硝しこたましかけて吹っ飛ばせばおk。
37 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 12:39:46 ID:???
根気よく兵糧攻め
38 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 15:32:11 ID:???
友引高校男子生徒なら余裕で突破できるでしょう。
39 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 22:57:11 ID:q+KjeGop
なにせ秀吉自身が大阪城の攻略法を話したことがあったから城攻めの名人でも堀を埋めるしか方法はないのでは
40 :
名無し三等兵:2005/07/21(木) 23:10:15 ID:eDvq9WwS
>>36 その計画はあったみたい
噂で大阪方は動揺したみたいね
武田信玄は穴堀職人を用い井戸を絶つ作戦を多用している
41 :
名無し三等兵:2005/07/22(金) 00:42:07 ID:???
大阪城の風上にインフルエンザの患者を千人ほど集めて何日も咳をさせる
42 :
名無し三等兵:2005/07/22(金) 10:03:13 ID:???
本丸で同人誌即売会があるとの噂を流す。
大きなお兄さんお姉さんが白襷隊と化します…
崩れるのは早そうだけど
43 :
名無し三等兵:2005/07/24(日) 10:19:35 ID:???
大きなお兄さんお姉さん達による真田丸攻略!
元軍の攻城戦のごとく、死体で傾斜路が造れそうだな
44 :
名無し三等兵:2005/08/02(火) 19:05:53 ID:UJ5GSVIU
射程の長い大砲を開発する。これで解決。
45 :
名無し三等兵:2005/08/02(火) 19:27:54 ID:???
46 :
名無し三等兵:2005/08/04(木) 13:22:40 ID:???
江田島平八なら外堀の突破どころか単身で本丸の攻略も可能だろう
47 :
名無し三等兵:2005/08/11(木) 22:58:28 ID:8CmDFPxO
48 :
名無し三等兵:2005/08/11(木) 23:31:22 ID:???
49 :
名無し三等兵:2005/08/11(木) 23:55:06 ID:???
>そもそも、大砲の攻撃を想定して作っていないから、大砲の攻撃には滅法弱い…。
日本の城郭に大砲の攻撃を想定した城は無いに等しい。
ヨーロッパではオスマントルコのコンスタンティノープル攻略から、イタリア人技師が中心となって、砲撃に耐えうる城や要塞を作るようになった。
背の高い城壁からずんぐりむっくりの高くはないが厚い城壁に変わっていっている。
現に砲撃戦を考慮して作られたロードス島のヨハネ騎士団要塞は、コンスタンティーノープルの数十分の1の規模の要塞なのに、トルコの攻撃で崩壊しなかった(最終的には明け渡したが・・・。)
日本の城郭は砲撃には弱いだろうから、徳川がありえないとはいえ、大量に大筒をそろえて何ヶ月も撃ちまくれば、コンスタンティノープルのように陥落しただろう。
というか、日本って大規模な砲撃戦って文明開化が進んで日進日露までろくに経験してないんじゃないかと思うと、不思議な感じ・・・・。
50 :
名無し三等兵:2005/08/12(金) 03:18:26 ID:???
多分そうではない気がする。
51 :
名無し三等兵:2005/08/12(金) 09:49:09 ID:???
ヨーロッパでは15世紀から大砲による攻城戦が行われていたが
日本では大阪城が大量に使用された例だし
この分野では100〜150年は遅れていたな。
52 :
名無し三等兵:2005/08/12(金) 14:57:39 ID:FoRRQ4TQ
53 :
名無し三等兵:2005/08/12(金) 18:28:33 ID:AIhsQeB+
現 代 道 頓 堀 最 強 伝 説。
落ちた奴は傷口が物凄い勢いで化膿し即入院、高熱にうなされるという罠。
54 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 01:34:08 ID:hB1pbRKu
あと1年篭城してたら家康死んだのに
55 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 01:34:51 ID:???
豊臣の家があるかぎりあのおっさん死なへんで。
56 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 03:00:42 ID:???
そうそう、あれは安心して気が抜けたから死んだんだよね
「豊臣もやっつけたし、後は任せたからね」(家康談)
57 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 03:03:04 ID:???
家康を忍者で暗殺すればいいのに豊臣ってほんとバカ
58 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 03:27:15 ID:???
お前マジで頭良いな。
59 :
名無し三等兵:2005/08/13(土) 19:36:04 ID:???
>>57 大坂夏の陣で家康は討ち死にしていますが。
60 :
名無し三等兵:2005/08/14(日) 15:23:26 ID:???
61 :
名無し三等兵:2005/08/14(日) 16:08:46 ID:???
本物は慶次といっしょにお茶飲んでたんだよ
62 :
名無し三等兵:2005/08/16(火) 17:45:38 ID:???
真田昌幸、幸村親子は、『真田太平記』を読むと、
北側正面からの急襲を良しと語らっていたようだが
(北側の方が固い故に、籠城側は北側正面からの攻撃は
あり得ないと油断するため)
あれって、やっぱ小説中の作り事かね?
63 :
名無し三等兵:2005/08/28(日) 08:07:32 ID:???
大阪冬の陣では、徳川方は兵糧不足に悩み(予想外の食料の高騰による)
撤退寸前の状況だった。
その状況をひっくり返したのは、偶然にも淀君の寝所の近くに大砲が
命中して、淀君がビビって講和したから。
64 :
名無し三等兵:2005/08/28(日) 17:33:39 ID:???
偶然じゃないぞ!
誤れ!精密な測距と弾道計算をした砲手の人に誤れ!
65 :
名無し三等兵:2005/08/29(月) 13:52:46 ID:???
>>64 ______
/_ |
/. \ ̄ ̄ ̄ ̄|
/ / ― ― |
| / - - |
||| (6 > |
| | | ┏━┓| / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| | | | ┃─┃| < 正直、無理(当時の技術では)
|| | | | \ ┃ ┃/ \________
| || | |  ̄  ̄|
66 :
名無し三等兵:2005/09/06(火) 21:23:24 ID:CYix0LpT
>>64 歴史群像71号によると櫓や築山を築いて、その上に据え付けて直接撃っていた
から命中率は高かったのでは?
もっとも、大坂冬の陣で効果があったのは大鉄砲だという話だから物理的に
大坂城全てを破壊するのは無理でしょう。
純粋戦術なら全ての大鉄砲、大筒を一点に集中し城壁を広範囲に破壊、水掘
の場合は埋め立てつつ、一つ一つ郭を制圧するしかないかと。
それなら、反撃できない長距離射撃で敵の士気を破壊した方が余程良いでしょう。
ちなみに、関ヶ原以降−特に徳川氏の天守閣は大筒対策を採っており、破壊は
出来ないと言われています。
67 :
名無し三等兵:2005/09/06(火) 22:06:20 ID:???
どんな対策でつか?
ソヴィエト戦車みたいに角度をつけたのかな?
68 :
名無し三等兵:2005/09/06(火) 22:33:15 ID:CYix0LpT
>>67 関ヶ原以前は柱を外側に見せた真壁造(土壁厚さ15cm程度)に対し
以後は塗り籠めの大壁造になり厚さはほぼ倍増。
更に壁を二重にしその間に小石を詰めた太鼓壁、更に徳川氏の城
では厚さ12cmのケヤキ材を厚さ30cmの土塀で塗り籠めたり(名古屋
城)、縄張り上の弱点である北面に3mmの鉄板を張ったり(福山城)
しています。
ちなみに福山城は戊辰戦争の際、官軍の砲撃を見事跳ね返しています。
69 :
名無し三等兵:2005/09/06(火) 23:13:17 ID:???
>68
すげぇ!
ちゃんと複合積層装甲してたんじゃないの。
でも壁に鉄板の入った部屋って、夏は暑くて冬は寒そうだなぁ…
70 :
名無し三等兵:2005/09/07(水) 03:52:12 ID:???
ヨーロッパの水準ではやはり攻城砲に耐えられないのでは。
71 :
名無し三等兵:2005/09/07(水) 06:08:38 ID:???
日本の大砲は真ん丸い弾丸で、向こうさんのはドングリ型だもんね。
72 :
名無し三等兵:2005/09/07(水) 09:27:35 ID:???
>>70 名古屋城天守を例にするならばセーカー砲では外郭ラインで射程外、カルバリン砲なら届くが
壁に跳ね返されると指摘。
屋根を狙えても射程の短い攻城砲では届かないかと。
>>71 そりゃ幕末の話ですか?
一応、日本の城の対応年代は17世紀初めですので
73 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:02:24 ID:Ro8EbR+7
ヨーロッパの攻城兵器を使えば大阪城は落とせるって事?
74 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:05:04 ID:???
空爆だろ、やっぱ
75 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:07:31 ID:???
当時の大阪城を当時の国でどこが落とせるかという話になると…
必然的に明しかない。人海戦術で堀を人の死体で埋めて乗り越えられるのは明だけ。
76 :
DENJIN:2005/09/08(木) 01:15:52 ID:???
77 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:27:39 ID:BaPLd4JK
五稜郭最強伝説。
78 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:30:41 ID:???
軍学的には赤穂城最強
79 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:31:28 ID:???
軍学的に最低の城は名古屋城らしいが
狂っているとしか思えない
80 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:33:02 ID:???
熊本城は朝鮮での戦闘の経験(明軍が大砲を多用)を取り入れて大砲にも
耐えられる設計をしたと読んだ気がする
81 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:34:01 ID:???
今治城は櫓の中に大砲仕込んだが
使えたのかなあ
82 :
名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:35:55 ID:jvcyfE/t
>>80 西南の役でも落城しなかったしね。
でも神風連の乱だけはかんべんな(w
83 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:39:50 ID:???
84 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:41:46 ID:???
五稜郭って日本で唯一の近代城で、
大砲戦に備えた、最強の城って聞いたがガセか?
85 :
名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:43:11 ID:???
>>84 大砲の射程が延伸して艦砲が届くようになってしまったからねぇ(w
86 :
名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:44:20 ID:???
>>83 現在の名古屋嬢は徳川の世になってから建てられたからでは?
「難攻」な城はあっても「不落」な城は無いかと・・・。
攻城側に「守備側に数倍する兵力」と「充分な兵糧・弾薬」と「守備側の来援が来ない状況」があればどんな堅城も落ちます。
その好例は「備中高松城」と「小田原城」ですね。
大阪夏・冬の陣の時には家康には3つとも揃っていたわけです。
たまたま講和が結べて堀を埋めると言う策が取れたから短期の戦いで終結しましたけどね。
88 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:48:35 ID:???
しらべたが、名古屋城は構造が姫路やらに比べ直角で、専門家には不評らしい。
だが、だからと言ってカスではないとおもう。
米軍の空爆は酷かったが
89 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:49:05 ID:???
>>72 いきなり店主を狙わなくても良いのではないか・・・?
櫓や郭を落として行くのが常識的な戦法だが。
店主だの高い櫓を築いたり、日本の城は砲撃目標になる建造物が多い。
五稜郭もえらい目にあった。
多分だが、砲撃戦を意識すれば和洋折衷どころでなく西洋丸写しの縄張りしか有り得ない。
90 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:49:35 ID:3Ch++QmB
カタパルトだっけ。
ローマ帝国が使っていた、石を投げる器械。
アレがあれば、大砲なんかなくても、落ちたと思うよ。
なんかの番組で再現していたけど、結構飛ぶよ。
91 :
名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:50:52 ID:???
>>87 それを踏まえても功城戦において、落城しなかったケースのほうが実は多い。
92 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:52:58 ID:???
>>83 赤穂と名古屋の本丸の縄張りを見てくれればわかるけど
赤穂は横矢を入れやすいように屈曲してて名古屋は直線で構成されてる
当時の軍学者は屈曲が多い赤穂城最高といってたんだけど…
ところが屈曲というのは死角が出来やすいのと火力を一点集中させにくいのよ
直線だと横矢はかけられないけど一転に火力が集中できる。
少々の人数では太刀打ちできず近寄れない。
屈曲が多いことが必ずしも防御側に有利とはいえないのよ。
それに予算の関係で赤穂は石垣の上に塀ぐらいしか立てられなかったけど
名古屋は多聞櫓で固めた。これは何を意味するかというと天候に関係なく鉄砲が撃てた。
93 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:55:38 ID:???
そういえばアメリカの空母はカタパルトをつかっているね。
ブッシュはパンとサーカスの政策。
アメリカは末期ローマと同じ状態にあるな
94 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:56:23 ID:???
あと大阪・名古屋・熊本・江戸城ぐらいの規模になると
少々の人数では落とせないので多少の屈曲云々より
石垣や土塁の高さと堀の深さと広さが重要になってくる。
熊本城が落ちなかった理由も縄張りの形より石垣の高さだった。
95 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:58:03 ID:3Ch++QmB
名古屋城は、徳川の世の中になって、作った城だからね。
特に、敵がいるわけではないが、四国、九州から攻めてが来るのを
威圧するのが目的だからね。
徳川の力を示すのが目的だから、そこそこ大きければ良かった
んだと思うよ。
場所も、特徴のない半端な場所だしね。
犬山城の方が、ずっと城らしい場所にあるからね。
96 :
名無し三等兵 :2005/09/08(木) 01:58:21 ID:???
>>94 要するに、少人数で守ることを前提とするか大軍で守ることを前提としているかということですね。
97 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 01:58:25 ID:???
>>88 そもそも日本の城は空からの攻撃なんか想定外ですがな(w
>>91 >落城しなかったケースのほうが実は多い。
それはそうだが・・・。
大阪夏・冬の陣のような状況下では城の防御機能の優劣を誇っても無意味かと。
豊臣方が徳川勢を自力で排除できない時点で勝負が付いています。
後は、包囲戦で兵糧責めにするか、真田丸や御門のような防御拠点を各個に撃破して攻城を継続するかしていればいずれは落城するかと。
99 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 02:03:25 ID:???
>>96 まさにそう
>>95 うーん見方によるけども、名古屋城と徳川再建大阪城は徳川の実戦経験の賜物とも言える
権威を見せつけるというのもあるけど対大阪戦を想定した名古屋城は純軍事的に作った城
(大軍で取り囲まれるのを想定した城、火力の有効利用を図ったので高い石垣と直線の縄張り)
大阪は権威と軍事の両用を兼ねた城(豊臣大阪の縄張りを基本にしてさらに高い石垣)
に作ってあるということとおもう
>98
そのいずれは落城するまで粘れる体力を攻城側が維持し続けるのが難しいかと。
実際、夏の陣では息切れしてたし。
>>98 落城したケースってのは内応がダンドツですね。
次が講和等による士気の崩壊。
戦闘での撃滅は少ないですよ。損害が多いから。
実際、真田丸落ちませんでしたし。
なぜかお城はよく燃えるな。
江戸城なんぞ何度焼け落ちたことか。
コンクリで作って要塞みたいにすればいいのに。
>>100 >実際、夏の陣では息切れしてたし。
でも徳川方の包囲網自体は健在だったしね。
既に天下人として幕府をも開いていた家康が力押しから包囲戦に移行しても継戦は可能だったと思うよ。
>>95 あと犬山は城らしい城だけど収容人数が少なくてね
攻められたら常に落ちていた城だよ犬山城は
あと名古屋城の城地の選定にしても半端どころか用意周到。
名古屋台地の北の端で南に城下町を作る余裕がたっぷりあり
北は湿地帯。運河を掘って熱田と繋げて海運も引き入れた
街が出来ちゃうと攻めにくい。
ぷらす名古屋城は実は未完成の城で三の丸の一部と総構えが出来ていない
これが出来ていたら旧豊臣の大阪城規模の城になってたという恐ろしいもの。
豊臣が滅んだので工事中止だったけど
>103
そこまでして勝っても、諸大名の不満が高まれば苦労して豊臣をつぶした意味が薄れる。
ここまでくると軍事より政策になってくるなあ。
>>101 だから家康としては何が何でもと力押しする必要がなかったから、搦手で落城に至る方法が取れたと言うことですよ。
小田原城のように包囲して内部崩壊を起こさせるようにすればよい訳で・・・。
例に出された真田丸だって戦術的妥当性から言えばあんな位置に砦を築く必要性は無く、豊臣側の不協和音の産物なんだからね。
>107
新領がないから恩賞も無いし(w
>>106 うろ覚えだけど
枇杷島〜古渡〜矢田〜矢田川だったかな。
今の地図で言うと東海道線の枇杷島〜金山〜鶴舞〜大曽根〜矢田川にいたる
というとんでもないもの
>>110 永久に篭城できるな
当時だったら街と農地をすっぽり丸がかえ。
食料も子供も自給自足できる(w
>>108 真田丸は後藤又兵衛が作ろうとしていたのを真田雪村が抜け駆けして作ったんじゃなかったっけ?
戦術的妥当性は十分あるでしょ(w
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>>112 そうじゃなくて、幸村と後藤は近畿一円での徳川迎撃と遊撃戦を提案
んでも、上層部に受け入れられなくて篭城。
真田丸は攻撃正面の強化の為に作られたもので戦術的にはあってるけど
戦略的には妥協の産物で城をなんとしても長持ちさせる為に
ひたすら耐え抜くことを目的に絞られて作られた
というか、大阪の陣はどうせダメなんだからか外に出て賭けるしかなかったろう
冬は城に篭らずひたすら外線で徳川を各個撃破して、できれば家康の首をとる。
夏にこそ完全な大坂城が必要だったと思うが
そんなこと言っても無理か、淀じゃ
116 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 02:43:59 ID:Ro8EbR+7
日本の攻城兵器って大砲以外にどんなのがあるの?
あまり異本の攻城兵器って聞かないけど
>>115 更に言えば、片桐勝元の言うとうりにしてりゃよかった。
118 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 02:46:42 ID:evZXdgW2
>>102 コンクリートって戦国時代に有ったっけ?
>118
セメントは古代ローマ時代からあったそうだが
>>116 正直大砲しかない。攻城塔の簡単なのはあったと思うけど
基本は足軽の突撃。
あと穴掘って井戸を断つとかぐらいしかない
千早城の攻防戦からあまり進化してないんだよ実は。
>>116 日本は兵器にたよらず、黒鍬者をつかった。
>>117 まあね、大阪退去、大和郡山に移っていれば家は残せたわな
まあそもそも関が原で家康潰していたら問題なしだった豊臣家
>>122 秀吉が子供を早く作ってればもっと問題なし
>>120 まぁ本気での攻城は失敗が多いので、和睦開城や内応が多かったね。
>>123 明智光秀が裏切らなければもっと前に天下統一
その場合豊臣家じゃなくて織田家だが。
大阪城は出来ていたから無問題、「織田家の大阪城」というのも見てみたいなあ
欧州やら中国では城=都市で日本とは感覚が違うとかいう話
>>122 なんつっても、2代将軍秀忠の義理の子にして妻の姉の子だし(w
>>126 それに近いものが豊臣の大阪城と徳川の江戸城なんだけどね。
でも造りが違いすぎだから比較の対象になかなかならない
尾張の兵は弱いそうな。何故?
>>127 今更大名になれるか!ってとこだろう
考えてみりゃあ太平洋戦争開戦時の日本も同じ立場だったんだよな
>>129 そうそう(w
豊臣秀頼、徳川家光は、お市の孫なんだな(w
>>130 別に戦せんでもそこそこ食えた
んでも弱いから勝てたという説もある
>>131 たしかに短い目でみればそうだけど、3代家光に「後見人」として名乗りを上げれば
政治的には力は発揮できる。
>>134 長い目で見ても大和郡山に移った「大名豊臣家」は悲惨だよ
徳川から様々な手伝い命じられてキレルのを待たれるだけだろう。
何とかやり過ごしたとしても家光の頃には疲弊しまくってると思う。
加藤家のように難癖つけられて潰されてるっぽい
>>135 加藤はあからさまに抵抗したからねぇ・・・
で、肝心の突破する方法は?
>>138 発掘調査の結果、小田原城のような屏風掘りだったからなあ。
総構えの堀の高さは今の大阪城ほどではなかったらしいけど
高さはなくても屏風がその役目はたすからなあ。正直しんどい
>>139 たぶん様々な方法は試したんだろうが、あの当時の戦のプロたちが突破できんかったのだから
ないと結論つけられると思う。損害度外視ならいくらでも方法あるけど
>>141 しかも損害度外視で突撃したところで大した恩賞が無い(w
やはりここはエセックスに登場していただくしか…
>>140 >小田原城のような屏風掘り
それって、障子堀じゃ?
山中城も共通、てか同じ北条流の兵法だよね。
堀の深さ(空堀だから法面の高さか)を補うってよりも、
堀を越えるのに要る時間を長くして、
その間の射撃による損害を増やしてやろうっていう戦術。
堀の深さ広さは、
それが人工的な地形障碍として働くのは、攻城側に時間的余裕がなかったり、籠城側の3倍を超える
兵力差がなかったりした場合じゃなかろうか。
攻城側に時間があれば、まず城の周囲に付け城を築いて籠城側の奇襲反撃や攻囲突破に備え、より
少ない貼り付け兵力で効率的に攻囲し、あるいは籠城側に対して有利に戦える態勢を整えるだろう。
その上で、付け城によって捻出した兵力の余剰を一方面に集中し、それを用いて城の防御設備を土木
工事によって無効にする方策を採るだろう。つまり周囲の家屋や立木を打ち毀し刈り倒し、それで
堀を埋め塁壁に仕寄せ道を造る訳だ。
極端な兵力差がある場合も同じ。城方がどの方面に突出してきても、付け城を築くまでもなく優勢に
戦える兵力を周囲に拘置した上で、土木工事ができる程の余剰兵力があれば(或いは兵以外に労力を
集められれば)、攻囲を固めるまでの時間を節約できる。
結局、城方の限界を超えた兵力差が寄せ手にあれば乃至は寄せ手に充分な時間があれば、堀の深さ
広さは、土木的に無効化されるまでの時間の長短に過ぎなくなる。
>>146 山城の竪堀のように、進撃可能なラインを限定してしまう効果もあると見たが。
攻め手側が堀底に落ちるのを嫌って、畝を一列縦隊で行進してくれれば射撃の的。
>>148 そいつは、畝状竪堀群だな。
ただし畝の上でなく(畝は三和土で固めてあり、手懸かり足懸かりがない)、堀底に誘導する意図が
あったようだ。
>>140の「屏風掘り」は、会津若松城本丸南側塁壁などに見られる「屏風折」と混同しているのでは?
おっと、
>三和土で固めてあり
は不正確。正しくは、粘土その他を混ぜて盛土し、叩いて撞き固めてある。
その技術の応用が、古民家の土間に見られる三和土。
西洋と東洋の城塞を比較するにあたり、一番気になるのが
日本の石垣に砲弾が命中した場合、崩れるのか?
また木造建築と石造建築の対砲弾防御の優越はどちらが上か?
どうなんでしょう?
砲弾といっても口径の大きな榴弾でない限り、石垣は崩せないでしょ。石垣の石は表面(オモテヅラ)
よりも奥行が深く、それらを割栗石〜砂利〜砂という裏込が支えているからね。
また石造建築といっても、全て石で造り、天井もアーチ状ないしドーム状というのは、むしろ少数
派なんで、大抵は木造で床を貼り,梁を渡し,屋根を掛ける。つまり、壁や柱だけが石造りなのが
大部分。石壁を裏から支える物が無いだけに、石垣よりも脆いんじゃないか?
>山城の竪堀
山腹を登る際、山頂や稜線に直接向かって登れば、斜度が最も険しくなる。
そうでなく、山腹を横移動するように山を巻けば、山頂や稜線までの距離は伸びるものの、
斜度を緩やかにできる。それを妨害するための設備が、竪堀。
堀底に踏段を刻むなどして、山城に到る通路として利用されていた例も多い。
ところで、障子堀て最近の研究によると、以前ほど特別な存在じゃないらしい。北九州市の小倉城でも発見された。
歴史って変わるものだそうだけど、なんかさびしい・・・
あっと 障子堀のおまけとして 逃げる時や、ちょっとした偵察のとき便利だったらしいよ
155 :
名無し三等兵:
対艦ミサイルをぶちこむ