>>596 職業軍人だったから、中途半端な反転になったのでしょうな。
>>606 フィリピンは本来おまけです。
泥沼化したら、マッカーサーの要求が棄却され、米海軍の要求が全部通るだけです。
>>606 ×大本営は政略攻勢(降伏への布石)を考えていたのだから
○小磯首相は政略攻勢(降伏への布石)と勘違いしていたのだから
以前戦艦榛名の元乗員に話しを聞く機会に恵まれたのだがレイテのあと日本に引き上げる際B24の空襲で操舵員待機所に直撃弾が出て全滅し、取りあえず操舵経験者を集めてなんとか帰ったらしい。
興味深い話を他にも色々聞けたが話が長く、中座するわけにもいかずションベン我慢するのに大変だった。
>>607 人種の問題以外のなんだと言うんだ?
アラブ諸国はれっきとした現代軍隊を持ってるんだぞ
613 :
名無し三等兵:2006/05/28(日) 17:43:04 ID:/rHeh3Tl
以前、仕事中に通りがかりの飲食店によったら、山城か扶桑の写真が
かざってあって、「××周年」の言葉がかかれていたな。ご遺族だったの
かな。
>れっきとした現代軍隊
少しは中東戦争を調べてから発言すれば?
どれだけ組織として前近代的かわかるよ。
装備一式海外から買いました、だから現代軍隊です。
なんて思っていないだろう?
615 :
名無し三等兵:2006/05/29(月) 00:37:34 ID:vsbAzAQh
サマール沖海戦の栗田艦隊の損害は重巡3隻だよ。
熊野は魚雷で艦首を吹っ飛ばされたがその後(マニラかな?)帰還している。11月25日、本土への脱出途中に艦載機の攻撃で沈んだ。サマール沖海戦からちょうど一月後とは何かの因縁かな?
鳥海や鈴谷は航行不能で自沈。制海権があれば曳航でもできただろうに、残念だ。
筑摩は艦載機の爆弾命中で魚雷が爆発して沈んだと思ったな。
616 :
名無し三等兵:2006/05/29(月) 01:02:54 ID:Z9z63iV5
魚雷が誘爆したのは鈴谷。この四隻はやられるまで戦果あげてたっけ?
1万mに迫った敵駆逐艦の雷撃を防げず(大和と長門が魚雷に挟まれて走ったのもこの時)
この時の重巡はやたら脆く艦載機からも数少ない被弾でなんでこうもやられるのやら。
重巡なんてそんなもんじゃね?
戦前の対米戦シミュでも結構な損失前提だったし
618 :
名無し三等兵:2006/06/03(土) 22:20:04 ID:ToCu9xVq
比島沖海戦では重巡を多数喪失していますね。
太平洋戦争では戦艦は戦力外だったから、武蔵・山城・扶桑を失っても
実質的な戦力低下はさほどではなかったかもしれないが、ワークホース
の巡洋艦を多数失ったのは痛い。まさに連合艦隊の壊滅ですね。
失われた三隻の戦艦と乗組員は貴重な戦力だぞ。
618さんこの三隻でなくて金剛型の方が失われてたらイタいとか言いそう。
武蔵の生き残りはフィリピンで陸戦隊となって戦闘し、飢餓状態の陸軍に喰われた。
621 :
618:2006/06/04(日) 20:32:20 ID:2J/oOiSP
>619
うーむ、3隻の戦艦と乗組将兵に対して失礼でした。
あの戦争、もっと戦艦を有効活用できていればなあ。
622 :
名無し三等兵:2006/06/05(月) 23:34:51 ID:/DhZywfu
仮にタマ不足の米第7艦隊を突破して、栗田艦隊がレイテ湾に突入したと
しても、不本意な作戦だし、敵に囲まれないうちに離脱しなくては
いけないから、通りすがりにマッカーサーの船団に攻撃を加えて
「相当の戦果」が認められたら、早々と北上してしまう気がする。
結局、米上陸船団への攻撃は不十分で、真珠湾や第1次ソロモン海戦
のような詰め甘さで、「もし攻撃を徹底していたら」という新たな
イフができていたかもしれない。
623 :
名無し三等兵:2006/06/05(月) 23:39:22 ID:/DhZywfu
小沢艦隊は内地で再建中に航空部隊を台湾沖航空戦に抽出されて、裸の
囮艦隊として出撃せざるを得なかったわけだが、もう少し米軍の反攻が
遅ければ、雲龍・天城も加えて南方で栗田艦隊と合流する予定だったの
ですかな。
624 :
名無し三等兵:2006/06/06(火) 00:18:03 ID:tLLM2Xkn
西村艦隊は小沢と同じ囮だと言う声もあるがそうなの?栗田が「突入時刻が遅延したからそれに合わせるように。」という命令を送らなかったことの言い訳のような気もする。
元々速力が遅いから別行動したんだろ?いくら旧式艦とはいえ、大型艦だけでも戦艦2隻、重巡1隻を沈める為に出したってことか?
西村のおかげで旧式戦艦部隊の弾薬が底をついていたというが、敵の弾薬切れを期待しなければならないほど栗田艦隊の実力はお粗末なのか?
まぁ、サマール沖海戦の無様な戦いを見ると、敵が弾薬切れでも起こさないと勝てなかったかもしれないが…。
西村が歩調を合わせ、サマール沖海戦が無かっただけで(ま、これはありえないが)戦艦2隻、重巡4隻他多数の小型艦艇が失われずに済んだんだもんな。
625 :
名無し三等兵:2006/06/06(火) 01:33:51 ID:PUhXOQPx
西村艦隊のスリガオ突入と、栗田艦隊のレイテ突入が2時間以内くらいの誤差範囲で同時突入ならば一定の戦果はあったかも。
西村艦隊を撃破した後も《不屈の意思を持つ日本海軍は再突入がありうる》とオルデンドルフは待機してた訳だし。
せめて日本海軍が平文を連発しながら、陸から偵察機を出しまくってれば違う結果はあったかなと。
626 :
名無し三等兵:2006/06/06(火) 09:11:42 ID:o8mZA3kW
西村に関しては栗田に釘を刺すための突撃だったと思いたいね。
栗田の事前の言動からもレイテ突入を避ける気配濃厚で、無駄死にさせられそうだったのだから。
反転したのは小沢だろう
栗田に牟田口の蛮勇があれば歴史はどうなっていたろう
牟田口の蛮勇???
あれは蛮といえども勇気に属するものなのか?
>>625 >西村艦隊のスリガオ突入と、栗田艦隊のレイテ突入が2時間以内くらいの誤差範囲で同時突入ならば一定の戦果はあったかも。
そもそもこの仮定自体が無意味ってか不可能だし。
西村艦隊が突入を少し遅らせるということでどうか?
632 :
名無し三等兵:2006/06/07(水) 20:14:47 ID:TMmqIy/C
西村だけでは旧式戦艦部隊には太刀打ちできず、栗田と同時突入して初めて戦力になることがわかっているのだから、歩調を合わせるべきだったな。
栗田が遅れるとわかっていながら単独突入を試みた西村は愚将と言われても仕方ないな。
631の言うとおり、一時反転してでも突入を遅らせるべきだった。
ところで西村が栗田に歩調を合わせて25日にも無事でいたら、栗田は反転したかな?
実際には西村が全滅していたから自分の艦隊だけを考えればよかったが、もし西村が無事なら単独反転はしなかったかも・・・。
>>631 その間、米軍がじっと何もせずに待っててくれるとでも?
>>632 そもそも歩調を合わせる事自体が実現不可能なプランだったんだが?
何をいまさら
お腹痛くなったから反転しただけ。
635 :
名無し三等兵:2006/06/07(水) 21:08:36 ID:TMmqIy/C
なんで?栗田君は一回目の反転で再計算した突入予定時刻を西村君に知らせたじゃん。
西村君も栗田君みたいに反転して時間稼ぎしてればよかったのに。
西村君は敵から舐められていたせいか空襲も大したこと無かったし、ウロチョロしても攻撃は無かったんじゃない?
多少攻撃があったとしても、単独突入は無謀なのだから歩調を合わせるのは厳守しなければならなかったのでは?
635の言うことはもっともだが、IFにするには無理があるだろう。
あの頃の日本軍は死に急いでいた輩が多かったからな。西村もその一人だったんだろ。
西村がドンでいる限り歩調を合わせることはなかったと思う。上がアホだと部下はたまらないよな。
637 :
631です:2006/06/08(木) 02:48:34 ID:???
西村艦隊に対する敵の(特に航空攻撃)は少なかったと思います。
本当はセブやマバラカット、クーラクフィールドに戦闘機の集結があれば助かるけどIFは無しならやはり西村艦隊の突入を遅らせたい。
大岡昇平はこれを栗田に対する負担軽減というけれど、やはり早いと思う。
ただ私は栗田がレイテ湾に突入し得たとしても戦果には疑問が残るとは思います。しかし、突入は可能だったと思います。
638 :
名無し三等兵:2006/06/08(木) 23:40:42 ID:fh7xcgLC
ところで栗田艦隊接近時のマッカーサー船団は大量の物資をまだ船腹に
抱え込んでいたままだったのかな?栗田艦隊首脳が危惧した赤腹さらした
空船ではなかったのかな。
天皇は言ったと言う、、あの時、真面目に戦をしたのは西村だけだと、、
しかし西村は芸が無い。敵が待ち受けてる事は明白なのな艦隊は旗艦先頭の単陣形で
的の懐に自ら侵入し包囲され袋叩きにあった。もっとましな戦術が無かったのかな
640 :
名無し三等兵:2006/06/09(金) 01:00:36 ID:tSWyujwl
1YB本隊から「栗田艦隊は突入時刻が遅れる。しかし、西村艦隊は定刻に突入せよ」という電文が発せられています。
西村艦隊はこれを受信していながら「繰り上げ突入」をしました。
本来は西村艦隊は志摩艦隊と合流して夜明けに突入する予定でしたが、それもすっ飛ばして突入しました。
志摩艦隊が定刻に戦場に到着した時、西村艦隊はとっくに潰滅していました…
さて、一番悪いのは誰?
小沢かな
640の電文は聞いたことがある。これが本当だとすると、この電文を命令したヤツは馬鹿でアホで間抜けだな。
この電文一つで西村艦隊を全滅させたのだから。
西村が「定刻」命令を「繰り上げ」したのは命令違反。だが同じ命令違反なら「繰り下げ」するべきだった。歩調を合わせない限り、どのみち全滅は避けられなかったからな。
志摩が一番えらいね。勝てないとわかれば潔く退却する。もし志摩が西村みたいな単純馬鹿だったら、西村艦隊の二の舞だったろう。
悪い順番
☆電文が本当なら@電文を命令したヤツ(栗田?)A西村
☆電文がウソなら@西村A栗田
ちなみに志摩は無罪!それどころか表彰ものだな
まあ悪者捜しは少し気が引ける。
西村中将は夜戦の時間を長く取りたかったのかもしれない。キスカ撤退の木村さんが指揮官なら『また来れるさ』と突入延期したかもしれない。
いずれにせよ、あれだけの激戦の指揮を大和艦上だけでするのは難しい。豊田長官の指揮もよく分からないし、栗田がどの程度に西村艦隊の動静を意識していたのかも疑問が残る。
西村中将が死に急いでいた、と言われるのは仕方ない気もする。
西村が夜戦の時間を長く取りたかったのなら空襲のリスク回避のためだよね。
以前に結果を問題にして西村は自軍の夜戦を過信してレーダーを甘く見た愚将よばわりする人が多くて困った。
645 :
西村艦隊:2006/06/09(金) 02:16:05 ID:???
まあメインは栗田さんだけど、全部栗田のせいにするスレまであるので置いといて。
西村艦隊には
@夜戦に時間を取るため早く突入
か
A空襲を覚悟して夜明け〜それ以降の突入
がある。
で、全軍の作戦目的を考慮するとAの方が一応気が利いていると私は思う。
史実としてはタクロバン飛行場等はほぼ機能しなかったけれど、西村中将(ないしはもうこの時期の日本海軍の将にとっては)日が昇ればもう敵と華々しく撃ち合う、なんてことは信じられなかったんじゃないでしょうか。
で、@は確実に敵に取りつける。でもAはもう永久にまともに敵とわたり合える可能性すらないんじゃないか、そういう不安があったんじゃないでしょうか。
艦隊司令官て大変ですね。
646 :
名無し三等兵:2006/06/09(金) 05:21:08 ID:tSWyujwl
西村艦隊の謎の繰上げ突入について、原因としてよく言われているのは
「とにかく夜戦がしたかった」(夜戦以外に勝機なしと判断した?)
「とにかく志摩提督が嫌いだった」(協働突入するくらいなら寡兵で全滅した方がましと考えた?)
の、2説ですね。
天皇から預かった艦船を沈めるのが怖かったから反転だけはガチ!
レイテ後の多号作戦でもわずかにブルネイから動いたら敵を牽制できた。
早く突入したら良いというものでもない。IFものでない限りどうしたって戦局は好転しないし。
日本海軍の各級指揮官の状況は辛いものがあった。それが戦時の常とは言え。
そうだよね。
真珠湾〜インド洋の序戦でも、かなり辛かっただろうね。
レイテ海戦自体よりも多号の方が、直接的にはやばかったわな。
マニラ湾から逃げ出した1水戦の面々の心中やいかに
艦橋にはすでに栗田長官以下その幕僚達が緊張した面もちで前方を睨んでいた。
しかしこの時、長官以下艦隊司令部の参謀達が防弾チョッキに身を固めていた事が、
通信士の都築中尉にはひどく気に入らなかった。
このチョッキはどの艦隊でも司令部だけ員数はそろえてあり、乗組員達には初めから
その支給は無かった。
都築中尉と田中大尉は、私がいる暗号室に入ってくるなり、
「艦隊司令部の奴らはだらしがないったら無い。長官以下みんな臆病風に吹かれて
防弾チョッキなんかつけてやがる」
「うちの艦長だって宇垣司令官だってそんなものつけている者は一人も居ない!」
純白の軍装のまま防弾チョッキも身につけず、端然として座席に座っている宇垣戦隊司令官や
森下艦長の落ち着き払った姿が、将兵達の眼にいかにも心強く見え、頼り甲斐のある上官と
して彼らを勇気づけた事もまた事実であった。
小島清文氏著「栗田艦隊」
あの、都築中尉のモデルは都竹中尉じゃなかったですか?
丸にあった話ですか?
>>651 WWTあたりのドイツ軍で
砲撃音がして、一斉に伏せる周囲に対し
「将校は伏せるな!」
と一喝して
見事、砲弾に吹っ飛ばされる将校を思い出したな。
655 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 14:16:24 ID:zUkMX413
西村提督は栗田艦隊がレイテ湾突入が25日11時となることは事前に連絡を受けいたが、
共同突入するよう指示を受けなかったため、予定通りレイテ湾に黎明突入した。
そこには、オルデンドルフ提督の魚雷艇、駆逐艦、巡洋艦、戦艦の各群が
待ち構えていた。
駆逐艦の魚雷により扶桑が大破し弾火薬庫に引火轟沈、
他の各艦も魚雷で損傷したところに巡洋艦と戦艦群からの主砲弾の雨で
殆ど戦果なく完敗した。
夜戦で劣勢を補うという伝統の戦術はもはや通用しなくなっていた。
せめて志摩提督の第五艦隊と協同させれば、との意見もあろうが、
守りならいざ知らず、攻めに行くのには24ノットの旧式戦艦では
結局各個撃破されて無理な突入だったであろう。
山城や最上は主砲を発砲していたのに、命中弾を得られなかったのは残念。
36 :名無し三等兵 :2005/05/11(水) 10:18:06 ID:???
>21
>『 戦艦大和・暗号士の終戦―一海軍予備学生のフィリピン戦記, 永沢 道雄著』(光人社)
読んだし面白いけど、これ原題が「不戦兵士・小島の記録」(朝日ソノラマ)とかいう作者永沢道雄(朝日新聞整理部長・不戦兵士の会代表)
が手法不明で聞き及んだ「戦艦大和暗号士・小島清文少尉からの戦時体験」いう内容で、
ちょっと信憑性が。
ソースは秦郁彦がワシントン公文書館でみつけた暗号士kiyohumiKojimaの捕虜聴取記録らしいけど、
この内容自体も、暗号室の小島予科練少尉が見分不可能なものを含んでいる。
「宇垣長官は悠然としてたが、栗田司令部は防弾チョッキを着ていた」
いう文章の信憑性はいかがなものかと・・・・
急に駆逐艦が来たので