ドイツはロシアやユーゴで散々虐殺していたから。
それにしても、未だにイギリスやオランダが戦時中の捕虜の扱いについて
ギャーギャー言ってくるのはどうよ?
では、おまえの国は捕虜を人道的に扱ったのかよ、と。
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【ゴールデンレス】
このレスを見た人はコピペでもいいので
10分以内に3つのスレへ貼り付けてください。
そうすれば14日後好きな人から告白されるわ宝くじは当たるわ
出世しまくるわ体の悪い所全部治るわでえらい事です
ドイツ捕虜の惨殺については
消えた百万人が有名だよね。
相変わらず
「残虐非道の日本軍」「寛大で善良な中国軍」
といった主張を垂れ流す洗脳中帰連を有難がるバカ新聞が多い。
日本兵って捕虜の扱いに困って殺しまくったらしいね。
尋問の仕方(中帰連によればだが)
反省文を百枚書け
↓
書きました、どうでしょう?
↓
やり直し(自国に都合の良い事実を書いてない)
↓
反省文を百枚書け
↓
書きました、どうでしょう?
↓
やり直し(自国に都合の良い事実を書いてない)
↓
書くまで永遠に続く
今現在の日中両国の警察も尋問?に頼りすぎ。
取調室の撮影くらいやって、異常な尋問体制を抑止しろよ。
これじゃ、冤罪でまくりだぞ。
111 :
名無し三等兵:2005/08/22(月) 20:55:51 ID:bCzsZqBO
ドイツ軍に捕まったレジスタンスの捕虜が拷問の末、殺されたというのは
良く知られている。
だが、レジスタンスに捕まったドイツ兵捕虜の運命はあまり知られていない。
実際はレジスタンスはドイツ軍以上に捕虜を拷問、虐殺していたらしい。
と、拷問の歴史と言う本に書いてあった。
110じゃないが
>>112程度の違いはあれど明らかに日中。
他を攻撃するあまり、自国の至らぬところに目を瞑るのはやめてくれ。
114 :
名無し三等兵:2005/08/29(月) 14:43:58 ID:+D/oiU27
115 :
名無し三等兵:2005/08/29(月) 15:00:07 ID:W0+eUqib
日本の冤罪の少なさはすごいんじゃないかな
八路が紳士的であったことは事実。
軍の組織構築の過渡期にあった八路は、新四軍などの新編兵団を保有しながら、
その運営に苦慮していた。
その最大の要因は、指揮官が圧倒的に不足していたため。
よって、八路は、日本兵を捕虜にした場合、兎に角自軍へ寝返らせようとしていた。
下士・兵は尉官待遇。尉官は佐官待遇、佐官は将官(これは、終戦までに捕虜に
成り奔敵した佐官が居ないため、前例なし)、といった餌も用意していた。
日本兵が居なくなっても、国府軍との戦闘が残っているため、軍の構築には必死
だったことの所産。
女工作兵に惑わされ、奔敵した兵の例もかなりある模様。
捕虜にした日本兵を徹底的に虐殺したのは、国府軍、或いは国府系地方軍閥軍。
馬占山や、張作霖の軍などが典型。
これ等は最早軍というより規模の大きな匪賊で、軍律も何もあったものじゃない。
「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は、捕虜に成ると途轍もない拷問を受け、
遂には虐殺される例があまりに多かったため、捕虜に捕られるくらいなら死んだ
ほうがマシだぞ、との教えである意図も強い。
地方軍閥が残虐だったのはわかるが、蒋介石直属の軍はどうなんだろう?
米式装備の国府軍なんかは軍紀もそれなりだったというイメージがあるんだが。
>>117 「鉄軍」と自称していた第十九路軍のような、いわゆる「直隷軍」は、まぁ
それなりだったようだが、その他は話に成らない。
で、直隷軍というのはごくごく僅かで、結局国府軍というのは、地方軍閥の
寄り合い所帯。
直隷軍は支那事変当時ドイツから軍装兵器を調達しており、独兵によく似た
装備なので直ぐに判別が付く。
柄付きの手榴弾、モーゼル、円筒形の給弾箱、後庇の長い独特の鉄帽などなど、
独軍にそっくり。軍服の色が青いだけって云う程度の違い。
でも、そういうしっかりした装備に身を固め、軍規軍律に則った軍は、ごく一部。
他の軍閥軍は軍装もばらばらなら人数さえも一定でなく、山賊に毛が生えたようなもの。
戦争末期、ミートキーナ辺りでわが軍と戦った米式装備の新編師団は給与から何から
別格扱いの直隷軍なので、初期の「鉄軍」程度の軍規は維持していたと思われる。
円筒形の給弾箱って、もしかして壮大な勘違いかな?
>>119 失礼しました。
「円筒形のガスマスクコンテナ、弾薬箱」って書きたかったんです。
121 :
名無し三等兵:2005/08/31(水) 20:22:38 ID:gISPgIeV
チャーハン作るよ!
.∧,,∧
(;`・ω・) 。・゚・⌒)
/ o━ヽニニフ))
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豚肉も入れるよ!
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(;`・ω・)
/ o━ヽニニフ
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( ´・ω・)…………
/ o━ヽニニフ
しー-J
ヘ⌒ヽフ ⌒γ
(・ω・ ) )
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野菜だけでもおいしいね
∧,,∧
(・ω・ )
/ ̄ヽ・゚。・゚/(_, )
./  ̄ ̄ ̄|、_)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
` ̄|| ̄ ̄|| ̄
ソマリアの米軍兵といいアフガンのソ連兵といい、現地人に侵略者認定されると辛いのう…
八路軍は公開人民裁判を行っており、その時日本協力者もしくはその疑いのあるものを
有罪として裁く時に人民に挙手させる。死刑採決時に躊躇した奴、または手を挙げなかった者は
民衆に紛れ込んでいた八路軍将校がそいつの後ろにチョークかなんかで印をつける。
その後印をつけられた奴は兵員が尾行し、そいつが帰宅した直後に制裁と称して殺害したそうな。
面白い作り話だね
なるほど・・・。近所に中国帰りの爺様がいるんだが・・。
うちの婆様なんか声を潜めて
「昔、中国軍の偉いさんしてて今でもあちらさんから招待状が来よる・・」言うていたな。
126 :
◆Se2xJ5T1.A :2005/09/21(水) 15:37:55 ID:z5yNwTAs
>>123の話は本当。子供を手懐けて尾行させ、始末したりもしていた。
国府軍は略奪暴行の限りを尽くして、支那の良民には何等益するところ
がなかったので仕方ないにせよ、パーロは軍律も厳しく規律統制がしっかり
していて、人民がなびいた、とされているのは大きな誤り。
国府はまぁ、本当に酷かったが、日本軍には懐いている良民も多く居た。
宣撫工作が巧くいった地域も、少なからず存在する。
そういう地域の良民は親日でパーロも嫌い、彼等になびかない。
そんなところへは、「制裁」をちらつかせての「脅迫」で、対日ゲリラ活動
を強制したりしていたのがパーロ。
面白い作り話だね
130 :
名無し三等兵:2005/09/30(金) 11:55:51 ID:PHtKZ2uQ
週刊新潮 [10月6日号]
『変見自在』(連載169) 高山正之
日清戦争の折に山県有朋は中国人について「古より極めて残忍の性あり」。
生きて捕まれば「酷虐にして死に勝る苦痛」を受けるから捕虜になるより死を
選べと訓示している。
その古には呂后は劉邦が愛した戚夫人の手足を切り耳を潰し目をくり抜いて
厠に閉じ込めた。
もう二十世紀という時に西太后がそれをそっくり真似ている。
>>130 「人豚」の話ね。
その通り。
通州で陵辱虐殺された日本人も、もの凄い惨状で殺されていた。
日本兵の残虐行為として伝えられている写真のほぼ全てが、国共、地方軍閥
の内戦時に繰り広げられた共食いの写真。
日本民族は、民族性としてあんな残虐なこと(女性の秘部に箒の柄を突っ込んで
突き殺したり)が出来ない。
>>131 中国式だから日本人の発想にないわな。日本軍の仕業とされる写真も、
実は日本人村が襲撃されたものだったり、当時土産モノとして刑死させられた
人の写真を「娯楽用」に売っていたものだったりするし。
日本人から見たら、性器にホウキ突っ込んでなんになるんだ?としか思えない。
日本人は死体は敵味方共に弔うという伝統があるので、中国人みたいに死体に
鞭打つ行為を楽しむというのが理解し難い。
ただ、中国人からしたら「墓から死体を暴いてでも死者を冒涜し、鞭打つのは当然」
という考えなので、彼らは「そんなの当然だろ?やらない奴がいるのか?」と思ってしまう。
だから、どんな偽写真でもそのまま信じてしまう。カルチャーギャップの大きな所だね。
それじゃ薩摩のDQN共は日本人じゃなかったのか。
やはり奴ら西国人は真の日本人である我ら東国武士とは比較にもならんと言うことだな。
薩摩人こそ日本人
その他の地域の奴は糞
民族論はもういいからほのぼのしようぜポマイラ
136 :
名無し三等兵:2005/10/02(日) 13:00:30 ID:YV91nud5
生きて虜囚の辱めを受けるなと言った文句も
元は中国大陸から始まった言葉なのだろうね。
137 :
名無し三等兵:2005/10/02(日) 15:35:11 ID:aYpaIcEr
139 :
名無し三等兵:2005/10/04(火) 14:32:27 ID:GVopvP0B
>>136 確かに、国のために死ねという志向の一端を支えた現実ではあるよね
136 名前:名無し三等兵 投稿日:2005/10/02(日) 13:00:30 ID:YV91nud5
生きて虜囚の辱めを受けるなと言った文句も
元は中国大陸から始まった言葉なのだろうね。
国士様もここまでレベルが落ちたか(ため息
実は今村均閣下なんかの研究チームが考えた言葉だったりする。
島崎藤村先生が筆を入れて完成。
中国軍が生易しいものだったかどうかは考えた方がいいかもなあ。
ソ連でも虜囚の道を安易に選んで偉い目にあったし。
ちなみに、米軍が捕虜扱い人道的だと思ったら、とんでもない思い違いだ。
彼らは当時、人種対等を認めていない。
何もしてなくても日本人だけ強制収容(ドイツ人やイタリア人は不問)。
捕虜も殆ど取らない主義で、ソ連軍よろしく金歯集めやってる。
民間人には機銃掃射。
ドイツでは百万人規模で投降した兵が「行方不明」になった事になってる。
ドイツはソ連より米国の方が捕虜の扱いが良いだろうとおもってたんだが。
まあ、それでも「ソ連よりはマシ」なのは確かだったかも知れないが・・・
米兵がベトナム戦争で突然凶暴化したと思ったら、ちと勘違いが大きいかも。
145 :
名無し三等兵:2005/10/09(日) 09:27:03 ID:JGHgxGYI
>>136 一昔前の捕虜は、残虐の限りを尽くされて虐殺されたんだろ。(今もそうかもしれんが)
捕虜になった時の現実を考慮すれば、
「生きて虜囚の辱めを受けるな」の意味が確かにわかってくるね。
147 :
名無し三等兵:2005/10/19(水) 14:51:35 ID:t70+OGj0
>>145 別に地域限定相手限定じゃないから妄説却下。
第一次上海事変で捕虜となって停戦後に身柄交換された少佐が、自殺して以来、自殺賛美が官民に流行。
そしてノモンハン事変で大量の捕虜を出したことに、軍の上層部がショックを受けて、将校は自殺強制、下士官兵は軍法会議送り。
自殺推奨や自殺強制の軍律が無投降主義とセットになって定着(独ソより上をいく)。
ヒトラーもスターリンもやらせぬ自殺攻撃賛美キャンペーン張って、ナチ以上に残虐な米英捕虜取り扱いに至った。
まあネットだけじゃなくて学術文献嫁や。
>>147 ドイツも特攻あったんだが・・・。
スターリンに至っては棄兵理論者だぜ?
戦艦の道連れ主義はイギリスの模倣だし、
いうにことかいてナチや共産主義賛美するなよ。
保守
150 :
名無し三等兵:2005/11/03(木) 04:59:53 ID:pr7xB27i
「漢」字
>>147 米軍との交戦中に単独で投降しようとして射殺されたりした兵士も多い。
捕虜になった時の訓練など何も受けていないもんだから、
尋問に物凄く協力的だったり・・・本末転倒とはこの事を言うのだろうね。
152 :
名無し三等兵:2005/11/14(月) 16:13:21 ID:k367t+aO
>>148 エルベ特攻隊なんぞ、対爆撃機肉薄攻撃であるからして、
いわゆる危険任務を遂行したに過ぎん。
近接攻撃が失敗したら、体当たりも可でパラシュート脱出せよというだけ。
それも一度切り。
戦果の獲得が自殺行為と引き換え以外にありえなかったのは、日本の特攻戦術のみだよ。
無降伏主義が貫徹されたのは、スターリン及び天皇の軍隊ぐらいなものだが、
敗北時の自殺推奨や自殺強制、陸海空全軍挙げての自殺攻撃戦術採用やマスコミでの賛美キャンペーンなど、
ソ連軍において不可能かつ、想像を超えるものがあった。
>>152 粛清の嵐が吹き荒れる赤軍ではキャンペーンを張る必要も無い訳だが。
村の一つや一つ、簡単に焼き払うぞ。同胞でも。
もちろん、帰還兵でも欧州の事実を見てきた奴らはシベリア送りだ。
何か議論がずれてるぞ…