86 :
名無し三等兵:
辻の起草した「北満??国境紛争処理要綱」だっけ、あれに従って
ハルハ川を越えた蒙ソ軍を一撃懲罰できずに休戦したんだから
負けは負けだと思うんだが、最近は「善戦」を通り越して「勝った」とかいう
言説があるそうだが本当かね?
それは「31師団がコヒマからディマプールに突入すればインパール作戦は勝てた」
とか戦後、英軍中佐に煽られた牟田口レベルの物言いだと思うのだが
87 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 11:51:39 ID:???
なんか日本陸海軍全面肯定ってブサヨの日本陸海軍全面否定と
ベクトルが違うだけで一緒だと思えるな。
88 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 12:06:20 ID:???
日本兵は精強だったのは事実だが、戦略、政略は一体化せず、戦術指導は杜撰の極み。
死傷者数の比較や戦車の損耗の数をあげて「勝った」等と言う輩は歴史の捏造をしているに過ぎない。
戦地で散っていった英霊はそんなことは望まないだろうし、事実を的確に見つめることのみが供養になると思う。
合掌
89 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 13:02:48 ID:???
引き分けってのもどうかな。
そもそも北満国境の安定のための懲罰作戦なのに、
ハルハ河越えるって意思おしつけられて領土協定結んだわけじゃん。
かわりに何ぼか前進した分、日本軍が確保したからって陣取り合戦した
わけじゃないからさぁ。
90 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 14:57:30 ID:???
でわ、日本政府が軍の希望通りにやらせてあげてたら勝ってたの?
なんて言ってみる
91 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 16:51:21 ID:???
軍の希望通りやらせてあげた結果あんなことになったんじゃ・・・。
中央が停戦してくれなきゃ第十五旅団の確保した土地も逆襲で奪い返されてたのは必死でしょ。
国境紛争のはずが、あそこら辺まで戦線を拡大しちゃうと最悪駅を奪われる可能性があるわけで、もしそうなると実質国境線が大きく塗り変わる事になっちゃうんじゃないの?
92 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 17:09:06 ID:???
さあそこで何故か独ソ不可侵条約成立でスターリンはヨーロッパ正面に
軍隊を早く送りたいから抗戦しないとかいう不思議な理屈になるわけだ。
じゃ1941年12月の極東軍の引き抜きによるモスクワ防衛の成功は何だったかというわけで。
三宅坂が関東軍をうまくとめて良かったじゃない。辻だって、正直日ソ開戦の引き金を
自分の作戦で引くのかと、最後の頃はびびってたと思うよ。
93 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 17:12:58 ID:???
非常に名誉なことだと思うんじゃないかねぇ、辻なら。
94 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 17:28:20 ID:???
いや、辻はあれで東条と同じ小心な所あるから。
彼が目指すのは常に「北満国境紛争処理要綱」や「マレー作戦シンガポール泊まり」
であって、「対ソ開戦」や「ビルマ英軍全掃討」いった誇大妄想まで走らないところが
彼の限界。
ガダルカナルでも悪評の割に、見切りをつけて「転進」進言したのは彼だし。
95 :
名無し三等兵:2005/04/11(月) 17:50:56 ID:SVUDwd8O
>>90 帝國陸軍にしてみたら中国戦線も抱えてるし、満州だって東部の方が予想主戦場。
よって使える師団数だって限られるし、そもそもその師団だって水増ししたものだし。
それにソ蒙軍は砲数、威力および標高の高いコマツ台に陣取ってたからね。
なにより戦車もある。
日満軍が有利なのは駅から戦場まで近い事だが、補給能力としてはソ軍の方が上回っていた。
やっぱ無理っぽいな。