もちろん弓「だけ」ではないよ。
ただそれを持ってる部隊と無い部隊のどっちが有利かという話。
張力のみで語れる話じゃないし、徒歩弓兵と騎馬弓兵では役割が違う。
現実の話ローマ軍は弓兵を多用する相手に勝ってるわけで。
現実の話ローマ軍は弓兵を多用する相手にボロ負けしたこともあるわけで。
実際にカラエやトラシメヌスでローマ軍は弓を多用する敵に全滅に近い敗北を喫しており、
ローマのレギオンが敵の優勢な弓兵に対して常に優位に立てるとは言い難いでしょう
古代ローマ軍の戦術ドクトリンは基本的にケルトやガリアの軽歩兵戦術に対抗して編み出されたものです
これらの伝統的な部族戦士は白兵近接戦闘を重視していましたが、
弓兵の集中運用のような概念はほとんどありませんでした
だから東方では弓補助兵を多用した訳なんだな。
>>273 トラシメヌスってハンニバルが2万5千のローマ軍を待ち伏せして包囲殲滅したトラシメヌス湖畔の戦いの事?
弓兵が何かしたの?
276 :
名無し三等兵:2005/09/21(水) 16:24:02 ID:gFCXE1Nm
あげ
277 :
HAT:2005/09/21(水) 16:56:21 ID:qS3H6MYW
ハンニバルは由美兵にこだわっていたわけではないが、投槍や短弓、投石器を使いこなす散兵の必要性は高く見ていた。
トラシメヌスでも、ローマの総司令官フラミニウスは投槍によって絶命しているほか、歩兵での奇襲攻撃直前に混乱をねらって弓、投槍、石による一斉射撃を行っている。
オーダーミックス、すなわち数種類の兵科を混成して配置することで、作戦の幅ははるかに広がるのだ。
会戦での防戦時における長弓の有用性については、英仏百年戦争でのクレーシーの戦いが証明しているといえる。
ん?あの人が復帰したのか?
279 :
HAT:2005/09/26(月) 19:08:30 ID:???
クレーシーの戦い1
クレーシーの戦いは英仏百年戦争における両軍の戦法の象徴となった戦いといえるだろう。
まず英国軍の戦いは有利な地形を選ぶことからはじまった。クレシー村郊外になだらかな平地と手ごろな森を発見した英国軍は森から丸太を調達し、陣地の構築を始めた。
英国軍の基本装備は長弓である。イングランドのロングボウと恐れられた長弓兵は、ヨーマンリというある程度自立した農民で構成される。彼らは日常的に弓の訓練を行い、ベテランの域に達するものは6秒に1発の割合で連射できたと言われている。
この長弓兵と槍歩兵が英国軍の中核であった。
(´・∀・`)ワクワク
281 :
HAT:2005/09/26(月) 19:29:54 ID:???
クレーシーの戦い2
一方、英国軍布陣を察知したフランス軍は、行動を開始する。
フランス軍は誇り高い騎士たちからなる重装騎兵が中心だった。
彼らはプレートメイルと大剣、長槍で身を固める。
歩兵にとって重騎兵の一斉突撃はまさに脅威となり、その衝撃力は現代でいうところの戦車に匹敵する。
さらに補完的な目的でジェノバ人の強弩使いを傭兵として大量雇用していた。
強弩(クロスボウ)は木材を十字に組み合わせて弦を張り、ボルトまたはクォレルと呼ばれる短めの矢をスリットに装填して、弦の反発力によって矢を飛ばす兵器である。
長弓ほどの射程距離はないにせよ、初速が速く木製の盾ならいとも容易く貫通するほどの威力もある。
重心が安定しているため、弓に比べて扱いやすい事も普及した理由の一つであった。
フランス軍がクレーシーに着くと、英国軍はすでに布陣を終えていた。
282 :
HAT:2005/09/26(月) 19:51:52 ID:???
クレーシーの戦い3
先に動いたのはフランス軍だった。
全面にジェノバ人傭兵を並べ、横列陣を組む。号令とともにボルトの雨がうなりをあげて英軍長弓部隊の前列を凪ぎ払った。
少しの間をおいて、長弓部隊の応射がはじまる。長弓兵たちは弓を高めにかかげて射撃する。重い矢じりをいかすためである。放たれた矢は慣性の法則にならい、放物線を描いてジェノバ兵に襲い掛かった。
腰に下げた丸盾をかざして必死に防御するジェノバ兵だったが、矢は軽がると盾を貫通し、全身に矢を浴びた兵士は次々と倒れ伏した。
強弩は確かに威力は高いが、発射間隔が長いという致命的な弱点があった。
弦がかたいため、ボルトを装填する際に特別な巻き上げ器を使わなくてはならなかったからである。その結果、発射間隔は50秒に1発とかなり遅い。
発射間隔が短い長弓の前にはひとたまりもなかったのである。
283 :
HAT:2005/09/27(火) 11:20:41 ID:???
クレーシーの戦い4
ジェノバ傭兵にこれ以上の戦果を期待できないとわかったフランス重騎兵隊は後退してくるジェノバ兵を吹き飛ばしつつ、突撃の号令をかけた。
フランス騎士名誉であり最も得意とする密集突撃は、敵の前面を粉砕し陣形に亀裂を入れる打撃力となるはずであった。
英国軍長弓部隊は素早く矢をつがえて連射を開始した。矢といえども慣性の力を十分にかければ、プレートメイルをも容易く打ち抜くことができた。兜に直撃させれば、相手は即死である。
フランス重騎兵はほぼ垂直に近い角度で落下してくる矢の雨の中を、損害を顧みずに突き進んだ。
英国軍の陣地に接近したフランス重騎兵は、長弓部隊の前面に防柵と落し穴が配置されているのを見た。しかし、歩兵の前には何も配置されていない。フランス重騎兵は迷わず歩兵部隊の前面に殺到した。
284 :
HAT:2005/09/28(水) 16:11:47 ID:???
クレーシーの戦い5
手薄な歩兵前面を蹂躙すべくフランス重騎兵隊が圧倒的打撃力をもって突撃をかけた。
しかし、彼らを待っていたのは槍による迎撃だった。密集した歩兵が構築する槍襖は、突撃の打撃力をそのまま跳ね返した。
さらに中央部と両翼からも、矢が容赦無く連射された。
フランス重騎兵の第一撃は失敗に終わったが、誇り高いフランス騎士は後退して隊列を組み、再び突撃を試みた。
結果は同じである。矢によって消耗した騎兵を槍が迎撃する。撤退に移ると安全圏内から矢で追撃する、という繰り返しとなった。
4度5度と突撃するたびにフランス重騎兵の兵力は暫減され、ついにフランス軍は潰走に至った。
こういう事ここで聞くのはそぐわないかも知れないけど、
これって、どうやればフランスが勝てたんでしょうか?
当時はそういう思考がないから勝てないとかいうのは置いておいた場合。
286 :
HAT:2005/09/29(木) 18:32:23 ID:???
戦略、戦術レベル問わず地形・地理というのは重要な位置を占めることが多い。攻城戦を例にとるならば、攻撃側は防衛側の3〜5倍以上の兵力をもってして初めて互角であるといわれている。
これに加え、城の立地条件が河の中洲や、突き出した半島、山岳の峡隘地、険しい山岳地帯を背後に持つ地形等、天然の要害であった場合は難攻不落の名をほしいままにするだろう。
クレーシーの戦いにおけるコンセプトは、徹底した遠距離攻撃と、騎兵の打撃力を削ぐ馬防柵の存在であろう。
長篠設楽が原の合戦で織田信長がとった三段構えと馬防柵の作戦同様である。
フィリップ6世率いるフランス軍は、敵にとって有利な地形に誘い込まれたのみならず、敵弓兵と歩兵のキルゾーンに15回も突撃をかけるという愚をおかしてしまったのである。
相手が布陣した所で決戦って、
相手を過小評価していた、
単にだらだら駆け引きする習慣がない、
さっさとやらないと食料が持たない、
他に騎士で陣組めるような場所がない、
などのうち、どれあたりが作用しているんでしょうか?
それとも、別な理由があるのでしょうか?
イングランド軍が馬防柵による構築障害を重視するようになるのはアジャンクール戦以降で、
クレーシーでは馬防柵はあまり重視されていません
ダプリン・ムーアやハリドン・ヒルで同盟していたスコットランド軍が
イングランドの長弓戦術でコテンパンにのされたこともあって、
フランスはかなり早い時期から長弓戦術に対抗するため幾つかの方法を試みています
クレーシーにおいても決して無策で無謀な突撃だけに頼っていたわけではありません
確かに失敗に終わりましたが、クレーシーではジェノヴァの弩兵を大量に投入しており、
また、モーロンやポワチエでは下馬騎兵による徒歩突撃が試みられています
この突撃は結局は失敗に終わっていますが、もう少しで成功するところであり、
実際にかなり有望な方法だと認められており、後の薔薇戦争では両軍の騎兵が
しばしば下馬して戦い、ベアナックルじみた殴り合いを展開しています
ポワチエ戦後、フランス軍は戦略を転換し、イングランドの野戦軍との野戦を極力回避し
攻城戦や小規模な小競り合いを重視するようになります
アジャンクールは数少ない例外で、この戦闘においてもフランス軍は当初は攻撃を戒めて防御に徹しています
長弓戦術が基本的に固定防御でしか威力を発揮しないことを認識していたからです
ただし、長弓兵による攻撃前進射撃という奇策によりフランス軍は結局は敗北しています
フォルミニー戦は長弓戦術に対する最終的な回答となった戦闘で、
スコットランドや大陸で数多の地獄を築いてきたイングランドの長弓戦術は
フランス軍の僅か3門の軽砲によって壊滅的な敗北を喫することになります
長弓戦術は決して最強無敵の戦術ではありません
長弓戦術は火力による機動の克服という命題に対する一つの回答であり、
確かに素晴らしい成果を収めましたが、そのためには様々な要件が存在しました
一つは、前述したようにこの戦術が基本的に固定的な防御戦術であり、
機動的な攻撃戦闘には全く向いていないことです
アジャンクールは唯一の例外ですが、アジャンクールの長弓兵のような
大胆で冒険的な運用はその後二度と行われませんでした
また、長弓戦術は至短時間に圧倒的な火力集中が可能であることが前提となっています
長弓は弩に比して発射速度で圧倒的に優越していますが、
それでも敵の突撃を破砕するためには大量の長弓兵を揃えなければなりませんでした
問題は、長弓兵の養成に多大な労力と時間が必要とされたことで、
一人前の長弓兵として大陸派遣軍に加わるためには青春をドブに捨てる覚悟と
骨格が変形するほどの修練が要求されました
イングランドが大量の長弓兵を調達できたのは、当時の西欧でイングランドが
産業の後進地域だったことと無縁ではありません
ウェールズ等のイングランドの農村地域は長弓兵の大量供給を支える策源でした
農家の次男坊や三男坊は、軍隊に入れなければ長男の下男として
牛馬のように働くしかほとんど途が残されていませんでした
これがイングランド以外で長弓戦術が普及しなかった最大の要因です
後にイングランドで羊毛業が発展するに及び、イングランドでも長弓兵は
ほとんど消滅することになります
290 :
HAT:2005/09/30(金) 06:52:16 ID:???
クレーシーでは敵の強力な騎兵を封じるため、長弓兵の前だけに馬防柵を設置した。それが結果的に歩兵前面に誘い込む形となったわけであるが、1575年に行われた長篠設楽が原の合戦では、織田軍は積極的に馬防柵を設置している。
騎兵の長所は、戦略的には機動力を使った奇襲や、兵站の破壊・分断である。また戦術的にはその足の速さにともなう打撃力によって敵陣を動揺させることにある。
騎兵の打撃力は、歩兵の戦列が動揺しているときにのみ発揮される。クレーシーでのエドワード3世も織田信長も、騎兵の有効性を熟知していたため、騎兵の打撃力を分散し、徹底的にアウトレンジから攻撃する戦法を考案したのである。
騎兵の突撃時の圧力は歩兵にしてみればまさに恐怖である。長槍を突き立てて突撃を受けとめるには、歩兵の恐怖心を押さえ込まなくてはならない。
その点からみても騎兵の機動力を減殺する馬防柵の存在は、歩兵に安心感を与える。柵をかわして敵陣に入る事ができても、すでに兵力が激減しており、そこから逆転するのは至難の業といえるだろう。
まさに騎兵中心の敵に対する必殺の策であった。
中世ヨーロッパの騎士って、個人戦的な戦闘から密集して突撃まで、
どんな段階で戦法が発達したんでしょうかね?
ブーヴィーヌくらいだと、まだ個人技でバラバラの印象があるんだけど。
それとも、時期と場所と人員によって、条件が大きく変わって、
戦い方も変わってしまうのでしょうか?
長弓戦術は決してアウトレンジによる漸減射撃ではありません
これは、ダプリン・ムーアやハリドン・ヒルでスコットランド軍のスキルトローム内部で
発生した多くの圧死者が証明しています
彼らは、不意急襲的な突撃破砕射撃の弾幕により隊列を崩し、更に両翼から
イングランドの歩兵と下馬騎兵に圧迫されたことにより、
押し競饅頭状態になった挙句に戦友に押し潰されたり窒息させられたのです
長弓戦術のキモは、至短時間に限られた地域に圧倒的な火力を集中して
敵の突撃を破砕することにあり、そのためには火力集中帯を陣前に設定する必要があります
この戦術の発想は、機動を発揮する敵を陣前の火力集中帯で拘束し、
そこに持てる火力を集中して敵の組織的戦闘力を破壊することにあり、
この点で長弓戦術は現代のKZ戦法と非常に似通っています
クレーシーでも、敵の機動発揮を阻止する役割を歩兵と下馬騎兵が担っていました
彼らは馬防柵の後方ではなく、陣前に展開してフランス騎兵の衝撃力を直接受け止めて
フランス騎兵が長弓兵の列に飛び込むことを防ぎ、長弓兵の突撃破砕射撃を保証し、
更に長弓兵の射撃で隊列を崩したフランス軍を側面から圧迫して揉み潰しています
中世初期の騎兵の原型はフランク王国のカバラリウスです
カバラリウスはビザンティンの重装軽騎兵であるカタフラクトの装備と戦術を
概ね継承していますが、その装備はより重装化しています
その運用は基本的に軽騎兵のそれで、歩兵と小規模な混成チームを組んで
小競り合いや襲撃、伏撃を行いましたが、集成されて大規模な野戦軍を編成した際には、
重騎兵として振舞いました
フランク王国はほとんど毎年のように野合を行って検閲や演習、時には遠征を行っています
長い騎槍を抱え、緊密な隊列を組んで真一文字に敵陣目指して突撃する装甲槍騎兵が
登場するのは10世紀以降です
原型はビザンティンのクリヴァノフォロスですが、クリヴァノフォロスが
11世紀には消滅したのに対し、西欧では突撃兵科として発展し
13世紀には戦術遂行の中核兵科としての地位を確かなものにしました
装甲槍騎兵に期待されていた戦術的役割は敵軍の隊列を崩して混乱させることで、
そのためには緊密な隊形を組んだまま可能な限り速く機動することが要求されました
一人前の騎兵と呼ばれるためには、騎士物語が称揚するような個人的な武勇を
否定しなければならなかったのです
○V○氏再臨か?
騎兵による投槍ってのは、すぐ廃れてしまったような物なんでしょうか?
まあ、有効なタイミングや状況が限定されるのはわかるんですが。
>>294 複雑な言葉が並べ立てられてるが当時の人間がそこまで考えてたのか?
どこが複雑なの?
軍オタとしては基礎用語ばかりだと思うが・・・・。
>>298が単に知識不足なだけでそこまで考えられないだけだと思う。
投槍は中世初期まで割とポピュラーな投擲兵器で、歩騎ともに使用されており、
カタフラクトの装備の一つにも挙げられています
メロヴィング朝初期のフランク王国においても投槍は騎兵の主要な装備の一つで、
勅令によって鎧や楯、槍、剣、糧秣等とともにその携行が定められていました
クローヴィスの行った検閲に参集した騎兵はアンゴンと呼ばれる投槍を携えています
ただし、時代が下るとフランクの重装騎兵は重装甲化に伴い近接戦闘用の武器で武装するようになり、
当時の墳墓の発掘調査によれば、概ね6世紀末頃までに投槍はほとんど使用されなくなっています
一方、軽装騎兵にとって投槍は主要装備の一つで、9〜10世紀頃まで白兵戦用の槍と複数の投槍を
携行していました
あー、何か先代スレにバルタン星人みたいなやたら詳しいコテの人がいた記憶があったが
コテ名をどうしても思い出せなかった。
○V○氏だったねw 文字のコテハンじゃないから思い出しにくかったのかなw
>>300 言葉足らずだったかな?
今の軍ヲタから見れば普通の用語だが、当時の王や騎士が実際に突撃破砕射撃だの漸減射撃だの火力集中帯なんて言葉を使用してたのかって事。
>>303 言葉じゃなくてそういう概念や戦法は実際にあった。
言葉は問題じゃないよ。
>>301 わざわざ回答ありがとうございます。
この前読んだ1200年頃のイギリスの小説で、
騎士は4本の投槍を準備しなくてはならない、ってのが出てきて、
他の人の小説や戦闘描写では投槍を使っているのを見たことないので、
どういうことだろうかと思っていたもので。
その小説は著者の知識の偏りがあるだろうし、実は児童文学に近い物なので、
信用したわけじゃないんですけどね。
なんか投槍というと、同時期ではナヴァールやガスコンなんかだと、
歩兵みたいだけど使用していたみたいなんですが、
読んだ本では運用の実態がよくわからなかったです。
スペインの投槍騎兵は有名じゃないか?
フランク王国圏の軍事技術が主にビザンティンからの影響を受けて発展していったのに対し、
スペインはイベリア半島のイスラム諸国の軍事技術の影響を受けていました
スペインの軽騎兵は14世紀頃まで投槍を用いていましたが、
これは北アフリカのイスラム騎兵に由来したものです
同じようなケースは他のフランク王国の領域の周辺地域でも見られています
例えばノルマン騎兵も12世紀頃まで投槍を使用していました
309 :
HAT:2005/10/13(木) 10:47:36 ID:???
タギネ会戦1
騎兵を中心に据えた戦術を得意とする相手、特に重騎兵の楔形陣による突撃の弱点は先に述べた通りであるが、騎兵が本来の運用法、すなわち軽騎兵による後方遮断、側面への奇襲が可能な場合、それが決定打となって戦いの流れが変わってしまう。
このような騎兵の運用に関してはマケドニアのアレクサンドロスが『槌と鉄床』と呼ばれる戦術を完成させている。
それら騎兵運用に関する集大成とも言える戦いが544年のタギネ会戦である。
この戦いは、ナルセス率いる東ローマ軍3万と国家存亡をかけたトティラ王の東ゴート軍1万5千がぶつかり合った戦いであった。
310 :
HAT:2005/10/13(木) 18:39:42 ID:???
タギネ会戦2
長年の経験によって培った戦術眼を持つ老将ナルセスは、会戦の舞台をタギネの原野に見て取った。
中央主力(歩兵+援護弓)を高地に配してその両翼を騎兵(弓騎兵多数)で固める。布陣としてはかなりオーソドックスな部類に入るが、それだけに堅実であることは間違いない。
ただ、中央を固める歩兵を実数以上に多く見せるために騎兵を馬から下ろし、槍兵の戦列前衛としていた。これは歩兵を軽んずる気風のある東ゴート騎兵を油断させるための策であった。
311 :
HAT:2005/10/13(木) 18:54:04 ID:???
タギネ会戦3
東ローマ軍が布陣を終えると遅れてあらわれた東ゴート軍は、地形の不利を挽回するため騎兵と歩兵をわけ、騎兵を前面に出した強襲攻撃隊形をとった。
もちろん自らを最強と自負し“西欧最初の騎士”の異名を持つトティラ王は最前線で采配をふるう。
トティラ王は圧倒的な勝利を欲した。東ローマ皇帝ユスティニアヌスに講和を認めさせねば、滅亡するしかないのである。
トティラ王は騎兵の優勢によって勝利を確信していたが、万全を期すため増援兵力2200を用意していた。
増援が到着するまでになんとしてもナルセスの布陣を崩す必要があった。
トティラ王は兵を鼓舞して士気を高めると、第一波の突撃を開始した。
勇猛果敢な東ゴート騎兵は土煙を上げてナルセス陣営に襲い掛かった。
312 :
HAT:2005/10/13(木) 19:24:23 ID:???
タギネ会戦4
トティラ王の得意とする戦術は騎兵部隊を連続突撃させての波状攻撃だった。
しかし、今回は本格的な突撃をちらつかせて敵騎兵の出撃を狙う前哨的な突撃の繰り返しであった。
老将ナルセスは迫る騎兵に戦慄を感じつつも挑発には乗らず、全軍に出撃を禁止した。
代わりに歩兵両翼に配置された弓兵が続け様に矢を放ち、前衛の槍兵(下馬騎兵)は槍襖を形成して威嚇した。
東ゴート騎兵の損害は未だ軽微であったが、突撃が功を奏さないとみたトティラ王は撤退の合図とともに弓の射程外へと後退した。
両軍ともそのまましばらく睨み合い、相手の出方をうかがう。
この間にナルセスは兵に軽食をとらせ、トティラ王は馬上での見事な槍さばきを披露して士気を高めた。
313 :
HAT:2005/10/14(金) 07:37:54 ID:???
タギネ会戦5
東ゴート軍が陣形を組み直した時、待ちに待った増援2200が到着する。トティラ王は本命の連続突撃隊形を素早く組み上げると、東ローマ軍中央を固める歩兵に向かって突撃の号令をかけた。
この突撃をまともに受ければ数の上で優勢など瞬時に消滅する。
ナルセスは歩兵両翼に展開した弓兵を前進させ、歩兵前面を援護させた。歩兵正面にキル・ゾーンが形成されたのである。
損害を受けてもひるまずに突撃してくる東ゴート軍に、ナルセスは右翼の東欧騎兵をぶつけることにした。
東欧から傭兵としてやってきたこの騎兵は、精鋭をもって知られる騎馬民族である。槍を構えて突撃を開始した東欧騎兵が東ゴート騎兵の側面をついて襲いかかった。
314 :
HAT:2005/10/14(金) 20:34:14 ID:???
タギネ会戦6
東欧騎兵は東ゴート軍の側面に食らい付く。
しかし、トティラ王率いる重騎兵は突然向きを変えて東欧騎兵に突っ込んだ。その衝撃力は東欧騎兵を崩壊させるに十分であった。
ここで東ゴート軍が第2陣の歩兵を全力投入できれば勝敗は決していたかもしれない。
だが歩兵隊は動かない。
騎兵の威力を知る彼らは東ローマ軍騎兵を必要以上に警戒し、未だはるか後方にいた。
ナルセスは全騎兵に接近戦を禁止し、弓攻撃に切り替えるよう指示を出す。なんとか態勢をたて直した右翼騎兵が距離を保って射撃、左翼騎兵も前方に進出して射撃を開始した。
両翼の弓兵が馬を射すくめ、歩兵が槍を振って抵抗する。
東ローマ騎兵が弓を連射しながら退路を遮断したとき、トティラ王を含む東ゴート騎兵はキル・ゾーンの中で完全にとり残された。
315 :
HAT:2005/10/14(金) 21:01:46 ID:???
タギネ会戦7
包囲されたトティラ王は中央全面に打撃力を集中、ナルセス本陣を狙い続けた。下手に後退すれば追撃によって全滅させられるのは目に見えているからだ。
だがナルセスは遠すぎた。歩兵の分厚い戦列が東ゴート騎兵を阻み続け、後方と左右からは弓と投げ槍による攻撃が続いた。
限界である。
温存した左翼騎兵も突撃を開始、迫る騎兵を見た東ゴート騎兵は総崩れとなって後退した。
ナルセスは後方を塞いでいた騎兵隊に道を開けるように指示を出す。
かくして指揮を失った東ゴート騎兵は、後方から進んでくる味方の歩兵になだれ込んで大混乱に陥った。
東ローマ全軍が猛然と追撃を開始する。これにより、東ゴート軍は大損害を受けて壊滅した。
トティラ王自身も撤退戦にて戦死。
この後、東ゴート王国はローマをやすやすと落とされ、歴史上に復活することはなかった。
揚げ
>騎兵の突撃時の圧力は歩兵にしてみればまさに恐怖である。
長槍を突き立てて突撃を受けとめるには、歩兵の恐怖心を押さえ込まなくてはならない。
ファルサロスでこれを見事やり遂げ、騎兵を潰してしまったカエサルは
本当に凄いなあとおもいますねェ。
映画「ワーテルロー」 ありますよね。ロッド・スタイナーがナポレオン役。
軍のエキストラは、ソ連の1個歩兵師団がつとめた。
ネイ元帥が騎兵突撃するシーンでは方陣を組んでこれを迎え撃つのだが、リハーサルのときに2〜3回方陣が崩れたそうだ。
もちろん映画では、実際に方陣に突撃しないし、方陣の間を馬が走り抜けるだけなのだが、逃げ出す者が出たようだ。
もう一度言うが、エキストラは現役軍人(ソ連だから兵は徴兵だが)なのに・・・
とにかく騎兵はその物量感だけですごいらしいことが分かる。
そろそろ騎兵VS.パイク兵で誰か……。