34 :
FW190Ta152H-1:
24(前スレ928)の続き
「従って、攻撃の成功は冷静果敢な闘志の保持と我に味方する武運にかかっていた
と言えよう、攻撃発起点に進入を終わったら、爆撃隊は目標に対して急降下爆撃行動
に移った。降下角度は45°とし、(60°の急降下は照準修正が不正確となり、かつ投
下後の引き起こしの沈み過大の為制限)降下速度は300kt(約556km)、投下高度は
500mを基準とした。エアブレーキは機が水平に引き起こされる直前まで使用し、それ以後
はエンジン全開の高速低空飛行を行って戦場を離脱すると共に敵戦闘機の追跡を振り切る
よう着意した。
一方雷撃隊は攻撃発起点に進入を終わってからも高速緩降下を続け、機を水平に
起こしてから攻撃動作に入った。魚雷発射は速度250kt(約463km)[300kt(約556km)
まで可能]、高度50m、目標距離800mを基準とした。この状態においては全ての魚雷が
支障なく駿走するのは訓練済みであった。また、この間、エアブレーキは適宣使用する事
にしてあった。」
35 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 05:18:39 ID:9sU5BSAp
34(前スレ928)の続き
「魚雷投下後の避退はエンジン全速をもって直進し、最短距離、最短時間をもって敵
をクリアーするよう着意し、爆撃隊と同様に避退の迅速かつ安全な実施を図った。
しかし、敵の対空砲火は熾烈かつ強力であったので、爆撃隊は艦船攻撃、地上攻撃
のいずれにおいても機数の25%ないし、50%が撃墜され、また雷撃隊は機数の50%な
いし75%を失うという結果になった。
本機の胴体頭部に装備された20mm機銃は敵に肉薄した場合は相手に対して威嚇掃射
を行うのに有効であるが、前述のように周囲の風防を破裂させる危険と操縦員の攻撃
動作の補助に追われ、中々効果的に使用する機会は無かった。
次ぎに沖縄作戦における攻撃501飛行隊の銀河には偵察席前方頭部に長い「かんざし」
型の電波探知機が装備されていた。これは大集団の敵機動部隊艦船群の探知に有効で
あったが、次第に敵の偽瞞電波により妨害を受けるようになり、特に本土防空作戦態勢
に入ってからの敵機動部隊の夜間攻撃には実効があがらないようになってしまった。
他方、我が方も敵レーダーの偽瞞回避手段としてチャフ(レーダー妨害金属ハク)を戦場
において使用するようになり、特に夜間攻撃における被害の減少に効果が見られるよう
になった。
こうして沖縄作戦以後における敵機動部隊は、昼間は圧倒的な防空戦闘機及び、対空
砲火をレーダーの有効な警戒管制下におき、半径100海里以内においては我が方の攻撃を収
支不償のものとしたが、夜間はグループ全隊が静止又は微速航行し、燈火管制と無線封止
により位置の秘匿に努めていたようであり、これは我が部隊が一度敵を発見すれば、容易
かつ効果的に攻撃できる道を与えてくれた。 しかし、その代わりとして夜間戦闘機を
広範に使用するようになり、また本土防衛作戦に入ってからは潜水艦による我が電探索敵
の妨害が巧妙になり、我が大規模な夜間攻撃部隊の敵発見を極めて難しいものにさせてい
った。」
36 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 05:38:05 ID:9sU5BSAp
35(前スレ936)の続き
「銀河による索敵は台湾沖航空戦においては扇型捜索法を採用していた。敵の所在
海域推定してこれに対して、扇型に5本ないし9本の捜索線を配し各1機ずつの銀河を
配した。 進出距離は500海里(約926km)以上、側程50海里(約93km)とした。この
間隔は各機間に目視捜索の隙間を生じさせないように配慮されていた。捜索開始地点
までの進出は中高度(3000m基準又は雲層下)巡航によりそれ以降は低高度(100m
ないし500m)、高速による迅速な索敵を行う事にした。そして、索敵区域から離脱し
たら、再び中高度巡航で基地に帰投する事とした。
比島方面作戦の索敵においては捜索海域と捜索コースが艦隊指令部より提示され、それ
を毎日指定された時間スケジュールに従って行うというものであったが、これは敵戦闘機の
待ち伏せに合い、撃墜されるという被害を伴うようになった。
沖縄作戦になってからの敵情報は高性能偵察機彩雲が投入せられ、高々度高速の昼間
強行写真偵察により、敵機動部隊、沖縄周辺艦船及び沖縄高空基地の動静が入るように
なった。
我が銀河攻撃部隊はこれを入手して、夜間攻撃の入念な準備を進める事が出来た。
基地攻撃はこれで十分であったが、敵機動部隊及び沖縄周辺艦船は夜間の動静が変化す
るので、電探と目視による索敵攻撃が夜間攻撃の常法となった。特に沖縄沿岸艦船は、
夜間阻塞気球を上げるという妨害手段をとったので、その実況を把握することは攻撃
の安全と成功の大きな関心事となった。」
FW190Ta152H-1警報発令です。
ここは隔離スレです。基本的には、沈める方向で。
幸いに有用な議論は始まっていないので、FW190Ta152H-1
を隔離しましょう。適度に煽てたり、邪魔したりしつつ
38 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 06:04:36 ID:9sU5BSAp
36(前スレ939)の続き
「次に銀河部隊の対戦闘機戦法であるが、1番良いのは相手を早期に発見し、高速
(できればこの際、急降下を利用)で海面に避退し、敵戦闘機を引離すことであった。
これはよく成功を収めた。運悪く敵の戦争機に追尾された場合は後方の20mm旋回機銃
で応戦し、敵の操縦と照準をかく乱すると共に敵戦闘機が射点に到達寸前に、機体を
滑らせて射線を間一髪外す方法があり、これを冷静的確に行えば効果が多かった。
1度攻撃に失敗した敵戦闘機は再攻撃の為上昇し、占位しようとしても、我が方の高速
によって後落し、再攻撃のチャンスを失った。台湾沖航空戦で、私はこの要領で敵機動部隊
上空の防空戦闘機約30機のF6Fの攻撃を全て回避する事ができた。
その後度々,戦場において敵戦闘機に遭遇したが、全て早期退避、又は攻撃回避に成
功し、捜索任務や攻撃任務を達成して無事帰投した。しかし、後席の20mm機銃は使用時
故障が多く、一度弾丸の突っ込みを生ずると、機上で復旧不能となり、また攻撃が夜間
行う事が多くなってからは、使用の機会が無く、かえって不用の重荷となるので、これ
を搭載しないようになり、地上部隊の対空火器として貸与するようになった。
銀河の対戦闘機戦法は以上のように高練者に有効であり、たとえ随伴援護戦闘機が無
くても独立して任務を安全に遂行できた。かくして戦闘機による被害は軽減していったが、
逆にレーダーにより管制された敵の対空砲火はいよいよ猛威を加え、我が方の損害を増大さ
せるようになっていった。
次に銀河の特攻戦法について述べておきたい。銀河を特別攻撃(体当たり)戦法の対象
としたのは、戦闘機に比べて800kgの大型爆弾を携行できるので、破壊効果が大きく、また
長距離攻撃に戦闘機以上の目標到達率が期待できるとみたからであろう。 しかし、銀河
は図体が大きいので敵の防禦砲火の目標になりやすく、また、急降下体当たりする場合は
機速が250kt(約463km)を越えて300kt(約556km)に近づくとツリムを1杯とっても機首
が浮き上がり、直進させる事は非常に難しかった。
これは私が特攻隊指定直後に自ら行った数回のテストで明らかであり、最後のテストで私は極限
まで挑み、引き起こしが遅れて危うく地上に激突しそうになった。」
39 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 06:24:27 ID:9sU5BSAp
38(前スレ942及び951)の続き
「逆に緩降下で進入し攻撃を行えば敵戦闘機に追撃され、敵防空砲火の洗礼を長く
受ける事になるので、体当たりの成功は期待薄とみていた。果たして戦後、米軍の記
録写真を見て、私の判断が正しかった事を知った。
この決死的戦法は搭乗員の士気を低下させ、事前に攻撃に対する不安と不信を醸成
するので最後の体当たりの瞬間まで冷静かつ適切に攻撃操作を行わせるのは個人差が
大きく、成功の公算も低いものであった。爆装は800kg爆弾を固縛して投下不能とす
るように指示されたが、私はこれを拒否し、敵戦闘機に襲撃されて明らかに体当たり
攻撃が不能と考えられる場合、又は敵艦に見事肉薄して体当たりせずとも命中できる
場合は、爆弾を投下して退避帰投し、再出撃に備えるよう密かに部隊を指揮した。
しかし、引き返した特攻搭乗員は卑怯者として罪人視され、この戦法の冷酷さが
後の部隊の団結と運用効率に決定的な悪影響を生じた。しかもこの特攻攻撃には練度
の低い若年搭乗員から先に出すという事では、その実施が困難で、老練者といえども
成功の算の低い戦法であるが故に、いたずらに気負いの為に無効な消耗を強行する
破目となった。
更に実際の特攻命令は突然、準備の無い状態で下令され、友軍戦闘機の援護と戦果
の確認も無いままに強行され、数度の実施にもかかわらず,戦場に到達した特攻機は
突入の電波を基地に発進しながら戦果不明のまま未帰還に終わってしまった。
以上のような攻撃405飛行隊の比島における特攻攻撃の体験に照らし、沖縄作戦以後
の攻撃505飛行隊では、私の着任直後飛行隊の半兵力が特攻隊に指定されたいたが、これ
を全て解除されるよう上司に具申した。」
39(前スレ928)の続き
「従って、攻撃の成功は冷静果敢な闘志の保持と我に味方する武運にかかっていた
と言えよう、攻撃発起点に進入を終わったら、爆撃隊は目標に対して急降下爆撃行動
に移った。降下角度は45°とし、(60°の急降下は照準修正が不正確となり、かつ投
下後の引き起こしの沈み過大の為制限)降下速度は300kt(約556km)、投下高度は
500mを基準とした。エアブレーキは機が水平に引き起こされる直前まで使用し、それ以後
はエンジン全開の高速低空飛行を行って戦場を離脱すると共に敵戦闘機の追跡を振り切る
よう着意した。
一方雷撃隊は攻撃発起点に進入を終わってからも高速緩降下を続け、機を水平に
起こしてから攻撃動作に入った。魚雷発射は速度250kt(約463km)[300kt(約556km)
まで可能]、高度50m、目標距離800mを基準とした。この状態においては全ての魚雷が
支障なく駿走するのは訓練済みであった。また、この間、エアブレーキは適宣使用する事
にしてあった。」
40のつづき
潮書房:世界軍用機解剖シリーズ「丸メカニック N0.46 合併号 銀河/一式陸攻」1984年5月
「知られざる銀河部隊の戦跡―「まぼろしの部隊」とまで伝えられた陸爆「銀河」の
戦績評価とその真相―元攻撃405飛行隊長・海軍大尉 鈴木 瞭五郎 文: P.102〜
P.107 の記述より、
前スレ905の続き
「―銀河部隊の編成と練成― 銀河飛行隊は空・地分離主義の下における
独立戦闘部隊であり、航空機定数36機、予備機9機を保有する大規模なものであった。飛行
隊は2コ飛行隊としてこれを支援する2コ整備隊により構成され、人員は約500名を擁する
大世帯であった。搭乗員は基幹要員が約4割程度で、艦爆、艦攻の実戦経験者が多く、1部に
中攻出身者も含まれていた。残りのい約6割の搭乗員は練習航空隊の実用機課程修了直後に
送り込まれた者がほとんどであった。
このような部隊搭乗員の練成には長時間と出身別の効果的な訓練スケジュールが必要であり、
練成目標は夜間、編隊による長距離行動による急降下爆撃と雷撃両用の搭乗員を実戦的に
養成する事だった。艦爆、艦攻出身者は双発機の操縦をまず九六陸攻を足場にして基礎訓練
から着手し、離着陸、空中操作に慣熟してから戦技訓練に入り、艦爆出身者には雷撃法、艦
攻出身者には急降下爆撃法を既修の戦技以上に懇切に指導する必要があり、また中攻出身者
は双発機基本訓練は容易であるが、軽快な銀河の空中操作と急降下爆撃法に習熟させる必要
があった。
また搭乗員の、練成訓練に先行して整備員の整備作業、兵装作業の練成訓練も昼夜の別無
く強行された。一方、航空機の領収増強もこれと併行し精力的に行われ、後方支援態勢も組
織、人員、資材の各面において整備されていった。
私は当時、部隊編成と練成には最低6ヶ月、理想として12ヶ月は必要と踏んでいたが、戦勢
時をかさず、僅か5ヶ月後に作戦出動を下令されてしまった。 基幹要員の練成は概ね8割程
度出来あがっていたが艦爆出身者が雷撃を、艦攻出身者が急降下爆撃を本来の専門戦技と同
様に実施できるには今一歩の感があり、新参の搭乗員を戦闘行動に参加させる事は無理と判
断された。」
42の続き
「八試特偵の完成 独特の設計 九六陸攻を語るとき、忘れることがで
きないのは八試特殊偵察機(略称八試特偵)である。この機は海軍用の陸上機とし
ては革新的な機体で、この機をベースとして九六式陸攻が生まれた。
七試大攻の開発に着手した翌年、海軍は八試特種偵察機と名付けた機体の開発を
三菱に命じた。長距離偵察用の陸上機で八試沿岸偵察機(八試沿偵)とも呼ばれた
が、七試特攻より軽快で、さらに高性能な中型陸上機の研究機的性格が強かった。
このため、海軍は兵装や儀装は二次的とし、極力、速度と航続力の向上を図ると
いう方針をとり、開発にあたり三菱に要求した事項は、乗員3名、巡航速度120kt(
222km/h)以上、航続距離1,800nm(3,334km)以上、自動操縦装置装備など、ごく簡
単なものであった。
三菱では本庄李朗技師を主務者とし、これに久保富夫技師(強度関係)、日下部
信夫技師(儀装関係)らを配して設計を開始した。当時、三菱の海軍機部門は全金
属製機を設計したことは無かった。陸軍機部門は九三式双発軽爆撃機を手掛けた経
験があったが、これもユンカ−スK37(愛国1号機)を基礎としたものであるので、厳
密に言うと、この八試特偵は三菱で設計する最初の全金属製機であった。」
43 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 06:46:14 ID:9sU5BSAp
39(前スレ969)の続き
「その結果、飛行隊全力で夜間の機動部隊通常攻撃に従事できるようになった。
―銀河部隊の戦果ー
攻撃405飛行隊による台湾沖航空戦、比島沖航空戦、ついでレイテ作戦、リンガエン上陸
阻止作戦、また攻撃501飛行隊による沖縄作戦、ついで本土防衛作戦の全般を通じ、
銀河部隊の飛行隊長(指揮官)としての私の所見を述べれば、圧倒的な優勢で、既に
我が日本列島の周辺にまで勢力を展開してきた敵の海空戦力に対し、後方支援の消耗
劣化の悪条件を踏まえながら、これを懸命に克服して可能な全能力の発揮に努め、銀
河部隊としては期待に応えて応分の戦果を挙げ得たものと私は確信している。
銀河による索敵任務は、台湾沖航空戦とリンガエン上陸阻止作戦のときと二度有ったが、
台湾沖航空戦では敵機動部隊来襲後3日目にして、我が銀河索敵部隊がこれを補足し、
その後連日その位置の確保を続けた。これにより、この機動部隊に対する我が総攻撃
の実施は可能となり、その結果、敵は被害を受けて後退するの止むなきに至った。
リンガエン上陸阻止作戦ではミンダナオ島デゴス基地からの銀河索敵機によりペリリュ―島
を発進して西約100海里(約185km)の大型輸送船250隻、護衛艦船部隊多数からなる
大輸送船団の2群を発見した。その後3日間にわたり、その大船団がレイテ湾に達し、スリ
ガオ海峡を通過し終わるまでその触接を続行した。そしてこれにより我が比島所在航
空兵力は全力をもってこれに対し攻撃を決行する事ができた。 これらは長距離高性能
の銀河ならではの索敵成功の戦果である。
次に銀河による敵機動部隊攻撃、又は特定の艦船攻撃であるが、攻撃405飛行隊による
台湾沖航空戦の時は、敵機動部隊に対して台湾、沖縄、南九州に在所する全航空兵力を
挙げての全力昼間強襲が決行され、我が銀河部隊も16機がこれに参加した。」
このスレは被害担当艦ですな
オマエ、何時寝てるんだ?覚せい剤でもやってるのか?
FW190Ta152H-1警報発令
そうです。まあ最初からだからちょうどいいですよ。
無職ですw
奴が寝た間に、2ちゃんの総力を挙げて沈めたいね。
49 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 07:14:22 ID:9sU5BSAp
43の続き
「当時は精鋭な戦闘機部隊の援護は無く、我が攻撃隊は突撃の電波を残して全機
未帰還となった。戦果は未確認であり、これに加わらなかった私はしばらく状況の
判断に迷ったが、結局はレーダー管制下の敵戦闘機の待ち伏せに食われたか、あるいは
攻撃終了後敵の防空砲火に撃墜されたかのいずれかであろう。しかし、この強襲によ
り、敵機動部隊は遂に翌日後退し去った。
比島沖航空戦における銀河部隊の作戦はルソン島東方海面の悪天候(スコール)に悩ま
され、中々まとまった攻撃の成功を収めることが出来なかった。ただ1回敵機動部隊
に到達し、敵空母に命中弾を与えた事があったが、大部分は悪天候に遮られて引き返
すか、敵を捕捉しないまま帰投する事になった。作戦基地の選定が敵との関係におい
て適当でなかったと言えよう。
次いでレイテ作戦においてはレイテ湾所在船の昼間強襲があった。銀河8機により実施し、
巡洋艦×2、大型輸送艦×2を撃沈し、巡洋艦×2に至近弾による損害を与えた。しかし、
攻撃は成功したが、一方我が方も8機のうち4機を失うことになった。 レイテ島タクロ
バン基地の攻撃はレイテ湾強襲に引き続き、約10日間実施して概ね成功を収めた。滑走路
中心部に800kg爆弾をもって大穴を開け、敵機の使用をストップさせるのが狙いであ
った。夜間爆撃により連日攻撃を決行し命中弾を得たが、翌朝の敵戦闘機の行動に余
り変化は無かった。これは敵がPSP板鉄板を滑走路に敷いて修復と応急措置をとった為
である。米軍のものは技術的に優れていた為、翌日の飛行場運用をマヒさせる事は出来
なかったようである。 これに反して、我が方の損害は毎回出撃機数の約半数が未帰還
となり、飛行隊の戦力は漸減していった。
リンガエン上陸阻止作戦において、我が銀河隊は残存機の全力を挙げて艦船攻撃を決行し
た。ミンダナオ島デゴス基地からは通常攻撃による雷撃を反復し、残存機3機により大型輸送
船6隻を撃沈したが3日間の攻撃により、全機未帰還となった。」
50 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 07:42:15 ID:9sU5BSAp
49の続き
「一方クラークフィールドの残存機は全部特攻機となり、レイテ周辺の敵艦船攻撃を行い、
ここに攻撃405飛行隊の戦力は若干の搭乗員と大部分の整備員を残したまま全機
戦場に消滅した。
攻撃501飛行隊による沖縄作戦では銀河の真価を発揮できたものと私は確信して
いる。 陸軍のキ−67(飛龍)2コ飛行戦隊が約60機が海軍762空に配属され、これ
と銀河2コ飛行隊約80機がいわゆる「T部隊」と称し敵機動部隊攻撃の主役として
戦力を蓄えていた。沖縄作戦当初は一回の出撃機数が陸海合わせて100機以上に及び、
出撃発進に1時間以上を要する壮大なものであった。まず銀河部隊が電探索敵により
敵機動部隊を襲撃し、敵艦船を炎上させ、敵の位置が視認できる状態の中へ陸軍飛龍
部隊が第2撃をかけるというのが戦法の建前であった。そして戦果の確認は爆弾又は
魚雷命中の火柱の有無のみ報告させ、撃沈や破壊は明らかに確実に視認した場合のみ
とした。
かくして、我が飛行隊の戦果はこの作戦間を通じて200隻以上に及び、その中に
は空母を轟沈するもの、戦艦を撃沈するものを含んでいた。また沖縄近海の輸送船団
は夜間は停泊中の為、1度これを襲えば我が攻撃の好餌となった。このようにして成果
は着々と累積されたが、我が方の損害も大きく、終期には出撃機数が全力で約20機まで
に消耗した。
しかし、搭乗員及び航空機の補充が概ね適時適切に行われ、我が損耗は数量的に見て
概ね飛行隊の全力を損耗した事になるが、飛行隊の戦力を約8割以上に保持することが
できた。 また沖縄の敵飛行場攻撃を時々実施したが、滑走路に穴を開けるより、その
周辺の多数の航空機を破壊する方が得策と考え、忙しい中で銀河の爆弾倉内に20mm機銃
16挺を斜前下方に向けて2列に装着したり、50kg爆弾12発を弾倉内に装着したりして、
これらを電気式投下管制器により同時発射または逐次投下させ、その火網又は弾幕により
列線に並ぶ無数の航空機を1航過により多数破壊しよう企てたが、我が部隊が直接これを
行う事は許可されなかった。」
51 :
FW190Ta152H-1:05/01/08 08:02:28 ID:9sU5BSAp
50の続き
「言うなれば、本来の敵機動部隊攻撃が本命であり、その貴重な戦力を他に割愛する
事が危惧されたからであろう。
最後に本土防衛作戦における敵機動部隊攻撃であるが、我が銀河飛行隊は航空機約
60機を保有する強力な部隊に戦力を整備していたので、数回の出撃においては常に
30機以上の大兵力を投入する事ができた。しかし、我が電探索敵による長時間の夜間
攻撃行動は敵の巧妙な偽瞞所在秘匿に遭って敵発見に至らず、終夜の威圧行動に終わ
った。しかし、敵機動部隊は、約3日間の本土接近空襲を行うのが限度で、損耗と疲労
の末、後退せざるを得なかった。ちなみに我が部隊の守備範囲は志摩半島以西であった
が、一度も敵に本土に対して直接砲撃を許す事は無かった。
―むすび―
銀河及び銀河部隊は以上のように開発における難産、量産における粗製濫造、編成に
おける若年搭乗員の多数注入、練成における期間の不足など幾多の不利、困難な境遇に
見舞われたが、それらの悪条件下によく戦ったと私は評価している。善戦したけれども
作戦目的が達成出来なかったのは米国の技術及び物量が拮抗出来ない程我に優っていて、
少々のダメージを与えても相手はいよいよ増長する大きな力のアンバランスに敗戦の根本原因
があった。この圧倒的な力の差の結末は開戦当初から既に予見されていた。
銀河部隊は”まぼろしの部隊”であったと誤って言う人もあるが、夜間洋上長距離攻撃
を本務とし、戦闘機の応援も全く当てにせず、基幹搭乗員の殆どを失って見れば銀河の価
値と銀河部隊の功績を正しく伝える人は少ないであろう。」
記事の終わり