>749
ローマ兵の最低賃金は一日銀貨一枚(1デナリ)でした。
これは農園で労働者が一日働いた時の給金と同じ額です。
1デナリで小麦1リットル、大麦3リットル購入できたという話ですから、
小麦換算だと大体五合ということになります。
給金的には戦国も古代ローマも似たようなものですね。
近衛軍団兵だと給金は倍に跳ね上がります。
あと、20年勤めて3000デナリの退職金をもらえたそうです。
近衛軍団兵は16年勤めて5000デナリ
この辺は戦国負けてるかも。
>>751 ああ、だから川中島で長期のにらみ合い状態に陥ったとき、第三者に調停を頼まざるを得なかった訳だな。
>日本の足軽だと最低賃金は1人扶持(1日五合の米)、銭に換算すると・・・1日15文?
一両=4貫文(4000文)で、一両で1俵(3斗5升)だから大体一日60文(57文)やね。
江戸期の民衆の年収が5〜6両(24貫文)だから、平民の一般的な平均収入を貰っていたことになります。
>>751 だとすると永禄四年は家臣達は不満たらたらだったろうな。謙信が小田原攻めを
終えて春日山に帰ったのが6月28日、一月半後の8月14日には川中島へ向けて
出陣、1ヶ月の対陣を経て第四次川中島合戦だもんな。
たしかに不満はたらたらだったろうけど、直接言えない苦しさも(笑
1556年に家臣のあまりの言うこと聞かなさに家督を捨てて比叡山に出家すると言い出して、
それをみんなで必死で止めたという経緯もあるし。
(その前後の第2次川中島やら、何人もの家臣や豪族の反乱でぶち切れたらしい)
戦しても所領が増えないという点で多くの家臣が不満を持っていたらしいが、
独立心旺盛な豪族達を押さえ込める者が謙信以外見当たらなかったということもあって
ぐっ、とこらえてた点もあるらしい。
あの時代に分裂していたら周りの大名に各個撃破されるのは目に見えていたからなぁ…
しかし、調べてみると兵農分離していない大名にしては信じられないほど東奔西走の日々をすごしているんだよな。
家臣も畑仕事と戦の両立で頭を痛めてたろうなぁ。
封建といってもいろいろありまして・・・といっても封建制度が存在したのはヨーロッパと日本ぐらいだったんだけど。
ヨーロッパタイプは、領主がいてその領主が上位の領主と契約を交わすタイプ。
上位の領主は会の領主の領土を保障し、下位の領主は上位の領主の求めに応じて税や兵力の提供を行うというもの。
領民は基本的に領主の持ち物(農奴)であり、移動や職業選択の自由がなかった。
日本タイプも似てはいるが微妙に違う。
下位の領主が上位の領主の門下に入るというもの。
いわば家族になるようなもので、契約によるつながりではなく血縁同士の相互互助というものに近い。
領民も奴隷階級を除けば領主の一族郎党で構成されていて、農民であると当時に戦士でもあるというもの。
ヨーロッパタイプでは戦士階級と農民とでは明確な区分があるけど、日本タイプだと兵農分離が行われるまで明確な区分がなかったといえる。
青そ貿易と金山でなまじ軍資金があったばっかりに…
>>752 余談だけどカエサルは兵士11万人を丸一年雇えるぐらいの額の借金を個人でしてたそうだ。
>余談だけどカエサルは兵士11万人を丸一年雇えるぐらいの額の借金を個人でしてたそうだ。
およそ3000万デナリか。
1タラント6000デナリだから5000タラントだ。大借金皇帝だな(笑
たしか、国家予算の10パーセントを超える借金をしていなかったっけ。大馬鹿野郎だな(笑
30台にして1300タラントの借金をしていて、属州総督としてスペインに行く時、借金取りが出発を妨害したとか言う話がある。
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以下のデータは紀元79年頃のポンペイのデータですが。
元老院議員の年収が25万デナリ、中流家庭の年収が600〜1000デナリ
パン一日分が2アス(1デナリ=16アス)、居酒屋でワイン1杯1〜4アス
公衆浴場 1/4アス。
娼館で楽しむ場合は2アス〜8アス
普通の奴隷 500〜1500デナリ
熟練農園師(奴隷) 2000デナリ
きれいな女性(奴隷) 2000〜6000デナリ