>>841 おぬしの言いたいことがわかるがスルーくらいしろ。
856 :
名無し三等兵:2005/04/17(日) 22:12:07 ID:kmEdaaxN
>>841 中学生の頃、古文の先生が元近衛第一師団の砲兵大尉で第二師団はガ島に行く
予定だったと昔、話していたので事実ではないでしょうか?
あくまで伝聞ですが。
>>856 ほぉ、それは為になるお話です。
所謂『公式の戦史』以外に、内々に色々な話があるものですね。
御爺ちゃんの話によると中国大陸では日本は毒ガス弾を使っていたらしい
中国兵は全員にはガスマスクが行き渡らなくて一部の中国兵はタオルで
口を塞いでゴホゴホしながら穴から出てきたのでそれを撃っていたらしい
民家に押し入ってズボンのチャックを上げながら出てきた同僚も見ている
もっとも使いに出した同僚の中には切り取られた自分のペニスを口の中に
突っ込まれた状態で発見された奴もいるそうだしどっちもどっちか・・・
>857
転属を申請して最前線に言った奴ならいると聞いた。靖国で・・・
860 :
841:2005/04/18(月) 00:26:08 ID:???
>>856 うちの爺さんが毎年戦友会を主催してまして、何人かの参加者からもそういう話を聞いた事はありますが、
あくまで噂話レベルの話であって、それを裏付ける記録は見た事がないんですよ。
個人的には、ガ島への近衛師団派遣計画があったと言い切れるほどの証拠があるなら、是非知りたいんですが。
爺さんたちの話の信憑性を確かめる為にも。
>>860 >ガ島への近衛師団派遣計画があったと言い切れるほどの証拠
OH!まだそんな事言ってるんDeathか!!
862 :
名無し三等兵:2005/04/18(月) 08:29:22 ID:??? BE:41332272-#
>>858 貴方の御爺さんは立派な人ですね。
・・・スルー出来なかった。
>>858 あー、『らしい』じゃなくて公然の秘密で(ry
でなかったら、アメリカは風船爆弾をあそこまで恐れてないと(ry藁
風船爆弾に乗って日本兵が女を襲いにくると恐れていたのか
>>827 あのー、伯父様は台湾出身だったりしますか?苗字の頭文字は?
>>858 致死性ではないけど、でも無茶苦茶ゲホゲホ苦しい涙と鼻とよだれだらだらの催涙ガスおえっと言う感じもするとか。 日中双方とも使っていたとか。
にたようなものは今でもライオットコントロールに使われているとかいないとか。
ズボンのチャックage
868 :
名無し三等兵:2005/04/19(火) 02:14:25 ID:RPjHpewA
じいちゃんの耳元でRPG!!って叫ぶと、寝てても驚いて辺りを警戒するよ。
きっと過酷な戦場を体験したんだろうなぁ(ToT)
飛び起きた次の瞬間、孫を組み伏せ一瞬で首を捻るお爺さんキボン
871 :
名無し三等兵:2005/04/19(火) 08:13:17 ID:r/A8eGlR
俺のじいちゃんは豆腐屋。若い頃は旭化成(?)マラソンやってたらしいが
満州で受けた傷がもとでびっこをひくようになった。これといって学がある
わけでもなかったが、いいじいちゃんだった。そのじいちゃんは酔うといつでも
こんな話をした。
「…大砲より何より、一番怖かったのは『チェッコの機関銃』じゃあや。
使っとる鉄がちがうけえのう。」
873 :
名無し三等兵:2005/04/21(木) 18:49:40 ID:OM7f0bvg
ZB26あげ。
>>858 ”ズボンのチャック”ですか。
陸軍の袴はボタン式だと思いましたが、チャックでしたか。そうですか。
>>858は捏造かw
チャックとボタンでばれるとは・・w
878 :
867:2005/04/21(木) 23:06:25 ID:???
やっと気付いてくれた・・・
日中を争わせようとする低レベルな煽りを感じるのは漏れだけ?
正直得をする者はいないだろ
得をしなくても半島の方はやると思うが?
俺の爺ちゃんは長身でスタイルがよく田舎のちょっと大きな家の出、
徴兵で近衛騎兵連隊に配属され宮城の警衛をしたり
天皇陛下の近くで一緒に馬に乗って写っている写真もある。
その後、任期満了後にそのまま残らないかと言われたが
田んぼが心配だからと断って田舎に戻った。
田んぼは当時は新婚の婆ちゃんひとりでやっていたが
乳飲み子抱えて男手がないので大変だったらしい。
爺ちゃんが帰ってきて喜んでいたら、半年後に召集令状。
今度は近衛じゃなく即南方送り。目的地は仏印。
馬と一緒に船倉で揺られて、付いたところは上海。
途中で行き先が変更になったらしい。
その後中国各地を転戦して、最後にはシベリア抑留。
他の人が次々に復員してくるのになかなか爺ちゃんは帰ってこず
牛を売ったり田んぼを貸したりして婆ちゃんは耐え、
やっとのことで爺ちゃんは帰ってきた。
こんなことなら、あのとき近衛連隊に残っていれば良かったのに
というのが周りの感想。
爺ちゃん感想はもう聞けないが・・・
近衛に入ると悪い遊びを覚えさせられるって本当?
885 :
827:2005/04/22(金) 20:36:33 ID:???
>>865 レス遅くなってすんません。
純日本人ですよ?
ちなみに苗字は飯島です。下の名前は教えてもらってないです・・・
>>885 そうですか。自分の祖父がかなり似たような経歴の持ち主でして、
ひょっとしたら……と思った次第であります。お騒がせ致しました。
因みに、自分の祖父は台湾出身ですが純正の日本人です。
887 :
名無し三等兵:2005/04/23(土) 11:47:30 ID:8S/kJwL9
>841
うちの叔父(かなり前に亡くなった)もボルネオ島の
片田舎に駐屯していたとのこと。
この叔父は従軍4年間で一度も英米蘭軍との戦闘を経験したことが
なかったそうです。
ただし、現地人の矢による襲撃が何度かあり、
夜間の歩哨で突然樹幹から矢で射られ、水中に没した
同僚を目の当たりに見たとのことでした。
また、病死や病傷で後送された兵もいて、終戦時に
は部隊は3分の2になっていたとのことでした。
888 :
名無し三等兵:2005/04/23(土) 11:48:17 ID:8S/kJwL9
(続き)
ところで、5年ほど前、マレーシアに旅行したときに貴重な
はなしを聞きました。
美里という街の宿泊先のご主人は少数民族出身の方だったのですが
、その方の父上は、英軍の依頼で日本軍兵士を夜間に矢で射撃し
ていたとのことでした。
叔父から聞いた話と酷似する状況ですが、はやり夜間の歩哨にたつ
兵士を樹幹や草むらから狙い、射たあとは、その場をすぐに離れた
そうです。
少数民族は日本軍を憎しみ等があったわけでなく、マレーシア・
インドネシア人がするような差別せず、むしろ医療行為
や教育をしてくれ、感謝してたそうです。
ただ、英軍からは日本軍を攻撃する報酬や戦後のことで
約束があり、しかたなかったとも言っていました。
ただし、付近の住民は夜間に森の中で”サムライ”が光
るので怖がっているとも言ってました。
サムライは日本刀の意味で使用されているようでした。
889 :
名無し三等兵:2005/04/23(土) 12:17:56 ID:k1qCHSX2
俺のじいさんは、頬に大きな傷があってさぁ、
その話を聞いたら、
中国大陸でゲリラ掃討作戦中に
匪賊だが馬賊の一人をある村で追い詰め
小隊で捜索中、
そのゲリラを発見。
お互いに拳銃で撃ち合い、取り押さえたらしいのだけど、
自分も銃弾を頬と肩に食らったらしい
890 :
名無し三等兵:2005/04/23(土) 14:21:48 ID:8S/kJwL9
もう30年くらい前に中学校の教師に聞いた話。
この先生、士官候補生で満州に転戦していたそうだ。
あるとき、付近に居住する中国人から虎が出て家畜
をとられてしまうので、何とかしてほしいとの要望が
出された。
部隊では何班に分けて捕獲作戦を決行し、先生がいた
班は作戦中ある夜に虎の咆哮を聞いた。
秋の深夜、月下の冷涼な空気、全くの静寂のなかで
聞こえた虎の咆哮は、歴戦の古兵も震え上がったら
しい。
どんなことにも動ぜず、馬賊たちとの戦闘で、数日間
包囲されて、あわや全滅寸前までいっても頑強に戦い
続けたほどの勇気ある兵士たちで、若造の士官候補生
だった先生を半人前扱いしているくらいの生意気な古兵
だったらしいが、その彼らが震撼する様子を見て、
先生も生きた心地がしなかったとのこと。
出撃前は加藤清正を気取っていたが、帰隊後は、もう
やめようということになったらしい。
891 :
研究助手:2005/04/23(土) 14:36:16 ID:???
先週のこと
講義が終わり、中隊長が研究室に戻ったので教室を見回りしたら携帯が落ちてた
事務室に届けようと携帯を持って教室を出たら着信があった
出ると、落とした娘の友達だったので研究室まで取りにきてと告げて切った
なけにげに待受画面を見て驚いた、女子大生の携帯待受に軍服姿(陸式)の男達のスナップ写真(大陸ぽい?)があった
研究室に来た持ち主に聞いてみた
俺「これどこの写真かな?」
持ち主「母方のお爺ちゃんの写真にあってかっこいいので写メで撮ったんです」
本人は詳細は知らないそうで「今度お爺ちゃんに話を聞いてきます」
と言って研究室を後にした、なぜかわからないが妙に感慨深くなった。
漏れの爺さん。
226で仕官候補から満州送りに
北支事変が始まり満州のどこかで負傷、右手から肩へチェッコの弾が貫通、右手下腕部を切除。
内地へ搬送、新宿区の病院(いま国立医療センターのあるところ)にあった軍人病院に入院
退院後、終戦を迎える。
893 :
名無し三等兵:2005/04/23(土) 18:39:49 ID:CqU93WrC
昨日の夜、「紅の豚」をじいさんと見ていたら、元帝国陸軍航空整備兵のじいさん。
「ほれ、あーやって、クランク回して弾み車回してエンジンかける
んだぞ、イナーッシャって言うんだ」
「あれでかけた事あるの?」
「一度だけ、手伝いで掛けさせられた」
ポルコの機体のエンジンの調子が悪いシーン
「ほれ、ポンプを押したろ、あれはプライミングって言って、始動時に、燃料を濃くする為のもんで
当時は注射って言ってた、エンジンの調子が悪い時も取り合えず、
押すんだ」
モグラじいさんの工房シーンで
「あー昔の旋盤はアーだったなー」
と、話しが盛り上がりました。
イタリヤのはなしなのに、くろいシャツきたひとのはなしがでてこないのはげんじつとうひです。
前にどこかで書いた気がするけど、
父がガキの頃、家族で特攻隊の出撃を見に行った。
送る村人たちはみんなでお祭り騒ぎで、みんな笑ってる。
でも搭乗員たちの顔はそれぞれ孤独にひきつっていて暗く、
泣きそうな顔だったそうだ。
父は今でも「かわいそうだったなあ、かわいそうだったなあ」と言う。
やはり人に言われて軍神になるものでは・・・
特攻隊の見送りて堂々と家族に連絡したり新聞かなんかで発表して出撃するのだろうか・・。
>>898 死出の旅に見送りが少ないのは寂しい(そんな問題じゃないとは思うが)ので、
基地の人がそれとなく近隣の住民を集めて勇ましく送り出した様です...
特攻じゃないけど、戦前からあった土地名を冠した海軍航空隊
が、大陸など前線へ移動するときなどは、地元総出で見送り
したらしい。
俺の祖父さんは北海道の美幌空を見送ったそうだ。
その後、マレー沖で英艦隊に一撃を喰らわせたと聞き、感動した
って。
今年の正月鬼籍に入ったお祖父さんの遺品に「大和○道部」(○と道は破損の為推定)と書かれた写真があった。
1944年末から1945年初頭に大和に配属されて、四月頭に大和から降ろされたらしい。
詳細を求む。
何が写ってる写真なの?
大和に乗り込んでいた士官候補生(百数十人だったと思う)
は4月7日の沖縄出撃前に
伊藤長官の命令で下艦されたらしいからその一人では?