【双発雷撃3】九六陸攻・一式陸攻・銀河・四式重爆

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454の続き
 「9機の索敵機を放った直後、伊58潜の敵発見の知らせを受けた第1航空艦隊司令部は、
索敵機の敵発見を待たずに攻撃部隊を発進させることにした。索敵の成果を待っていると
万が一、第2次攻撃の必要が出た際、日没に間に合わなくなる可能性があると判断したから
である。
 サイゴンでは大竹一飛曹が中西少佐の指揮する第1中隊第1小隊2番機の主操縦員として
出撃を今や遅しと待ち構えていた。普段一飛曹は操縦席前部、雷撃照準器を装着する横棒
に自分の懐中時計を掛けていたが、その朝は偵察の冨田三夫一飛曹に「今日は雷撃照準器
を設置するのだから、そこに時計をぶら下げるな」と言われて、はっとした。爆撃では偵
察員が照準器を扱うが、雷撃は主操縦員が照準する。その雷撃照準器に雷撃針路に入る前
に的速(目標とする敵艦の推定速度)と方位角(自機と目標との角度)を自分で入力しな
ければならない。そして照準器は必要に応じて横棒の上を移動させる。その為に邪魔な物
は置くな、と富田一飛曹は言ったのである。今日は訓練では無い。実戦で雷撃するのだ、と
いう緊張が大竹一飛曹の体を走った。 
 0755、発進が下令され中西中佐を1番機として3個中隊27機が離陸。
 ツドウム基地では鹿屋空の藤吉司令が、出撃する攻撃隊に「千載一隅の好機であり、各
隊全力でやれ。靖国で会おう」と訓示した。0814、宮内少佐率いる一式陸攻26機は全機、
雷装して出撃。一式陸攻は九六式陸攻の搭載する九一式魚雷改1より炸薬量が50kg余り
多い、改2を積んでいた。」
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481の続き
 「割りを食う九六陸攻     鹿屋空と同じツドウムにいた美幌空の岩崎二飛曹は、
白井少佐直率の第1中隊第2小隊2番機として発進準備を待っていた。しかし出撃の順
番は中々回ってこない。どうも鹿屋空の一式陸攻が優遇されているような気がしてなら
ない。そもそも美幌空がサイゴンの北北西10nm(約18km)ほどの所にあるこのツドウ
ム基地に移動して来たのは11月24日。サイゴンがエールフランスの就航している国際線の飛行場
であったのに対し、ツドウムは1,200mの滑走路が1本しかないこじんまりとした基地
だった。美幌空の九六陸攻30余機が移動してきた時はゆったりして見えたが、7日に鹿
屋空がサイゴンから進出して来ると急に手狭になり、何事につけ美幌空は割りを食わされ
ているように思えた。事実、この日も鹿屋空の雷装が優先され、美幌空の九六の兵装
転換は後回しになった。この辺の事情は、一式が優遇されたというよりも、鹿屋空の
藤吉司令が美幌の近藤司令より兵学校で一年先輩だったことの方が影響していたのでは
ないか、というのが壱岐氏の推測である。
 結局、美幌空の一番手、武田八郎大尉の指揮する第2中隊が発進したのは0820、続い
て雷装した高橋勝作大尉の第4中隊が0845に、そして0855にようやく白井中隊が発進を
開始。 
 岩崎二飛曹は副操縦席の座席の上に立って、天蓋を開け四方に注意を配りながら、メイン
パイロットの沼野利朗一飛曹に右手で指示を出しつつ、離陸点まで機を誘導する。8機は緊密
な編隊を組んで南へ向かった。全部隊のしんがりとなった美幌空太平吉朗大尉指揮の爆
装8機が離陸したのは0930の事、すでに鹿屋空部隊は200nm(370km)近く先を行ってい
た事になる。しかし、しんがりから2番目となる岩崎二飛曹らの白井中隊が戦場一番乗り
を果たすとは神ならぬ身の誰が予想し得たであろうか。
 9本の索敵線を行く索敵機から、敵発見の報はまだ入電していなかったが、気象情報は
逐次入ってきていた。それによれば天候は昨晩よりはかなり回復し、雲量は多いものの、
雲高は2,500m以上あり、視界も良いと判断された。」
483FW190Ta152H-1:04/12/10 14:29:26 ID:4Vzj+tcO
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 「各索敵機は9時半から10時半の間にそれぞれ予定の索敵線の南端に達し、おり返し
て西に向かい、さらに折り返す途中にあった。3番索敵線を行った帆足機はサイゴンから
進路197°で南下、サイゴンから500nmの地点を1103に反転、マレー半島に沿うかたちで北上
しつつ、1145英東洋艦隊を発見するのである。
 「1145、敵主力見ユ。北緯4度、東経103度55分。針路60度」。この時、帆足機
の発した「甲電波」を美幌空と元山空の第1中隊、第2中隊は直接受信、イギリス艦隊に
向け針路を変更した。
 爆弾命中           白井大尉の操縦する第1中隊1番機の電信員丸山
祐一一飛曹も帆足電を見事にキャッチ、暗号を解読し機長に報告した。この時白井中隊は
まだサイゴンから200nm余しか来ていなかった。鹿屋空が攻撃線の突破まで行って折り返
している間、白井隊はまだその半分も行っていなかったのだが、その事が幸いした。
白井隊は針路をわずか30°西に傾け、45分後の1230に英東洋艦隊を発見する。
 岩崎二飛曹も断雲の合間から青い海に伸びる白い航跡を見つけた。2本は太く、3本
は細い。体をぞくぞくするような、電流が掛け抜けたような気がした。」