【双発雷撃3】九六陸攻・一式陸攻・銀河・四式重爆

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453の続き
 「英東洋艦隊現る       マレー沖海戦に参加した陸攻部隊は鹿屋、元山、美幌
の3航空隊、計84機であるが、このうち九六陸攻は甲空襲部隊元山空、乙空襲部隊の美
幌空の合わせて58機。残る丁空襲部隊の鹿屋空26機が一式陸攻で、その鹿屋空とて9月
に九六陸攻から一式陸攻に機種改変したばかり、一式での実戦は初めてであった。
 これら航空部隊は第1航空部隊と称され、昭和16年1月に新編されたばかりの第11航
空艦隊に属し、第22航空戦隊司令官の松永貞一少将が指揮していた。第1航空部隊は近
藤信竹中将の指揮する南方部隊の配下にあり、更にその下位に位置する小澤治三朗中将
指揮の馬來(マレー)部隊の指導を仰いでいた。
 イギリス海軍が最新鋭のプリンス・オブ・ウェールズと、若干旧式であるが高速戦艦のレパルスを
シンガポールに向けて回航しているということを、セイロン島のコロンボ港に入港した同艦隊を、
イギリス側は日本を牽制するためにプロパガンダとして鳴り物入りで報じた。当初、陸軍の
マレー半島攻略の為に元山、美幌の両航空隊だけで充分間に合うと考えていた大本営、連合
艦隊は、急遽フィリピン攻略部隊とされていた鹿屋空一式陸攻部隊6個中隊のうち。半分の
3隊をマレー支援に回すことにしたのである。その時、壱岐大尉は、台湾の台中基地からサイ
ゴンに進出するよう命じられ、「イギリス艦隊とやるのだ」と嬉しいと思う反面、その3月
に行われた連合艦隊相手の戦技訓練で下された、雷撃部隊の被撃墜率は60〜70%、という
判定が頭を過ぎり、「生きて帰れない。来るべきものが来た」と覚悟したという。」