【双発雷撃3】九六陸攻・一式陸攻・銀河・四式重爆

このエントリーをはてなブックマークに追加
421FW190Ta152H-1
419 の続き
 「◎11型武装強化型      13年夏頃、中国大陸で行動中の陸攻隊で11型の操縦席
後方の左右の窓枠に7.7mm機銃用の仮銃架を増設したことがあった。
◎翼端掩護機型         編隊の最後尾に占位する翼端機被害を減少させる為、翼
端占位機の搭載燃料を減らし、その相当重量で燃料タンクの防弾を強化するという改修が実施
されたことがあった。
◎九六式陸上輸送機11型(L3Y1)  九六式陸上輸送機は九六式陸攻を輸送機に改造したもの
で、多きく分けて1型(11型)と2型(21型)があった。
 1型(11型)は九六式陸攻21型(G3M2)を輸送機に改造したもので、おもな改造点は次の
とおりであった。
@胴体内に客室を設け、8〜10名の分の座席を配置。 
A胴体側面に窓を新設。
B外翼内に1,400L入りの燃料タンクを増設。
C滑油タンクを左右各257Lに増量。
D雷爆撃装置の廃止。
E射撃装備を後上方の7.7mm旋回機銃1挺のみに軽減。
F胴体下面の段を廃止。
 なお、既成の九六式陸攻11型を改造したものもあり、これらの機は胴体下面の段は
そのままであった。
 制式採用は14年6月1日で、当初は九六式陸上輸送機1型と呼ばれていたが、17年4月
7日付で九六式陸上輸送機11型と改称された。発動機は、同42型、同45型が使われている。
 発動機は金星42型又は45型が標準であるが、九六式陸攻改造機は金星2型や3型を装備
してたものもあった。重量は金星42型装備の九六式陸攻21型より若干重くなっており、自
重が5,000kg、全備重量が9,000kgであった。乗員は5名であった。」  
422FW190Ta152H-1:04/12/07 18:36:33 ID:CKutWijF
421の続き
 「◎九六式陸上輸送機21型(L3Y2)     この九六式輸送機11型を落下傘部隊
用の特種輸送機に改造したのがL3Y2で、客室内に落下傘兵12名分の長椅子と落下
傘用茄子環掛を設けた他、胴体内下面に梱包6個を2列に搭載できるようになっていた。
16年5月に制式採用となった当時は九六式陸上輸送機2型と呼ばれていたが、17年4月
7日付で九六式陸上輸送機21型と改称された。
 なお、17年2月6日付で第一線を退き第1、2、21航空廠に保管されていた九六式陸攻
11型50機を6月末までに九六式陸上輸送機2型に改造することが指示されており、これら
の航空廠で改造が実施された。
 主要寸度、発動機、乗員数、武装は11型同様で、性能も11型とほぼ同じであった。
 なお、九六式陸攻11型改造機は金星2型や3型を装備したものもあり、胴体下面の段は
そのままであった。」
423FW190Ta152H-1:04/12/07 19:07:25 ID:CKutWijF
422の続き 
 「◎三菱式双発輸送機      この九六式陸上輸送機を民間用の旅客機にした
のが、三菱式双発輸送機(通称、「ニッポン」号型輸送機)で、大日本航空、朝日新聞社、
大毎東日新聞社等で使用されたが、九六式陸攻を輸送機化した最初の機体は、大毎東日
新聞社が世界一周飛行の為海軍から払い下げを受けた通算328号機で、「ニッポン」号(J−
BACI)と名付けられたこの機は、昭和14年8月2日、中尾純利機長、吉田重雄操縦士、
佐伯弘技術員、下川一機関士、八百川長作機関士、佐藤信貞通信士、大原武夫使節ら7名
を乗せて羽田を出発、アラスカ、アメリカ、コロンビア、ペルー、チリ、ブラジル、仏領アフリカ、モロッコ、スペイン、
イタリア、インド、タイを経て10月20日に羽田に帰還。航程52,260km、実飛行時間194時間の
世界一周飛行に成功した。
 また、「ニッポン」号の成功に先立ち、14年4月には大日本航空の「そよかぜ」号(J−B
EOA)がイラン往復親善飛行を敢行したほか、同年11月には大日航の「大和」号(J−BE
OC)が日・タイ航空路開拓飛行に成功しており、さらに15年1月には「大和」号が東京−
ローマ間往復親善飛行に成功した。さらに同年2月には大日航の「龍風」号(J−BEOE)
が日・タイ航空路テスト飛行に成功しており、こうした一連の長距離飛行の成功は、本機の優秀
性、とくに航続性能の素晴らしさを立証した。
 民間型は機体によって多少儀装が異なったが、武装が全廃された他は基本的には軍用型
と同一で、客室内には4〜8名分の座席が設けられており、4名の乗員の他最大8名の乗客を
乗せることが出来た。発動機は金星41型、42型、43型が使われている。
 大日本航空では、前記の3機の他、春風(BE0D)、浦風(BE0F)、松風(BE0G)、天津風(B
F0E)、時津風(BF0F)、磯風(BJ0D)、濱風(BJ0E)、沖風(BJ0F)、波風(BJ0G)、帆風(BJ0H)、
矢風(BJ0I)、夕風(BJ0J)など、風の名前を付けて主に南方海外路線に使用していたが、機
内が狭いのが玉に疵で、DC−3やMC−20の出現後は次第に貨物輸送機に転用されていった。
朝日新聞社機は「朝凪」、大毎東日機は「海星」、「龍星」と名付けられた。」
424FW190Ta152H-1:04/12/07 21:30:02 ID:CKutWijF
423の続き
 「九六式陸攻の各型と名称について     日中戦争初期に要地爆撃に活躍した頃
は、1型、2型あるいは11型、21型といった分類は無く、単に96式陸上攻撃機と呼ばれ
ていたが、海軍公式文書である『航空機の名称』によると、14年4月17日付で三菱の資
料ではG3M1及びG3M2 1型と呼ばれている398号機以前のブリスター型銃座無しのタイプを九六
式陸上攻撃機1型、三菱の資料ではG3M2 2型と呼ばれている後上方銃座をブリスター型に改
め、側方銃座を設けた399号機以降のタイプを九六式陸上攻撃機2型に分けた。
 その後、17年4月7日付で1型を11型、96 2型を21型と改称された。そして、17年8月
に九六式陸上攻撃機23型が加わった。
 このように『航空機の名称』による分類には九六式陸上攻撃機22型という型は登場しな
いが、三菱の資料や航空本部で作成したデータ表等ではG3M1を11型、G3M21型を21型、G3M2
2型を22型としており、普通この分類が定着している。
 なお、大戦末期に分類と略符号が改訂されており、20年4月11日に航空本部で作成した『
海軍飛行機略符号一覧表』では八試特偵をG3M1、旧称九試中攻と旧称九六式陸攻1型(1〜
388号機)を九六式陸攻11型(G3M2a)、旧称九六式陸攻2型(399号機以降)を九六式陸攻22
型(G3M2b)、金星51型装備の最終型を九六式陸攻23型(G3M3)としている。」