【双発雷撃3】九六陸攻・一式陸攻・銀河・四式重爆

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399の続き
 「九六式陸上攻撃機   計画から誕生まで     この八試特偵の完成が近づ
いていた昭和9年の2月、三菱に八試特偵(八試中攻)の実用機型として九試中型陸上
攻撃機(九試中攻)の開発が指示された。八試特偵と同じ本庄李朗技師を主務者とし
て、これに日下部伸彦、尾田弘志、福永説二の各技師を配して計画を進めることとし
たが、設計段階に入ってからは、高橋巳治朗、久保富夫の両技師らも加わった。
 そして、八試特偵をベースとして設計が進められ、7月末には実大模型審査が行われ
た。その際、胴体内の前後の連絡が不便なことが指摘され、胴体内の主桁に直径800mm
の穴を開けることとなった。桁の高さの関係で強度構造上、難題であったが、苦心の
結果、何とか解決した。
 設計がかなり進捗していた9年11月27日に海軍航空本部で決定した「八試及九試飛行
実験実施予定二関スル覚」では、6機発注し、10年6月〜7月に1号機で前期実験、7月
〜9月に3〜6号機使用して館山で実用実験という予定が組まれていたが、ほぼ予定どおり
に翌10年(1935)6月末、1号機が完成した。
 そのアウトライン        主翼は八試特偵のものをほとんどそのまま流用し
ていた。すなわち、アスペクト比8.33、テーパー比4、面積75uの直線テーパー翼で、翼断面型
は八試特偵同様、ブラックバーンB−9であった。張力場箱型桁構造、二重翼式補助翼、後縁
部の波板外板といった特徴もそのまま引き継がれており、フラップの無いことも同じであ
った。
 尾翼は八試特偵と同じ双尾翼式で、構造、外形なども基本的には、ほとんど同じであ
った。八試特偵の設計上の特色の一つであった尾翼容積を大きくとるという方針は九試
中攻にも引き継がれていたが、攻撃機は重心の前後移動が大きいので、これに対処する
ためと安定性を増すため再設計されて大型化されていた。水平尾翼は八試特偵の10.5u
に対し13.46uに増積され、垂直尾翼も2.5u×2から3.17u×2に増積されていた。
いずれも約30%の増積である。」
 
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401 の続き
 「なお、また、本庄技師は水平尾翼、垂直尾翼とともに全面積に対する舵面の割合
を小さく取るという方針を持っており、八試特偵の場合、昇降舵は水平尾翼の43.8%、
方向舵は垂直尾翼の60%という当時の他の機体に比べかなり小さい値をとっていたが、
九試中攻では、この方針をさらに押し進め、昇降舵は41.7%、方向舵は54.2%とさら
に小さくなっていた。
 胴体は流麗なラインは引き継がれていたが、完全に再設計されて、太く長くなっていた。
八試特偵の胴体は最大断面で幅が1.35m、高さが1.8mであったが、九試中攻では幅が1.6m
高さが2.0mと太くなっており、胴体も0.62m長くなっていた。部の儀装も全面的に再設計
されており、操縦席を正副並列式としたうえ、その後方に指揮官席と無線席、前後の桁の
中間に機関士兼上方銃手席が設けられていた。
 主脚は脚柱を1本にして構造の簡易化、重量の軽減、空気抵抗の減少を図っていた。武
装は強化され、前上方、後上方、後下方の3ヶ所に銃座が設けられた。そしてそれぞれに
留式7.7mm旋回銃1挺を装備していた。前上方と後上方は銃座は隠見式の円筒形銃塔であっ
たが、後下方銃座は胴体下面の昇降口を開き、ここから機銃を出して腹ばいになって射撃
する形式を採用していた。なお、射角を広くするため、この部分の胴体下面には軽い段が
付けられていた。
 当然、魚雷や爆弾の懸架・投下装置が設けられており、胴体下面に800kg魚雷、または
800kg爆弾または500kg爆弾のいずれかを1発、あるいは250kg爆弾2発を搭載できるように
なっていた。爆弾倉は設けられなかった。」