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FW190Ta152H-1:
388の続き
「爆弾2tを搭載し、2,000km以上の航続力を持つ長距離大型陸上攻撃機として、
七試特種攻撃機(七試特攻、G2H1)の名でロールバッハ飛行艇、九〇式一号飛行艇、九
一式飛行艇などを手掛けて全金属製大型機に最も深い経験を持っていた広海軍工廠
航空機で岡村純造兵少佐を主務者として設計試作され昭和8年(1933年)3月に試
作1号機が完成した。
全幅31.68m、全長20.15m、翼面積140u、全備重量11,000kgの双発機で、日本
最大の巨人機である陸軍の九三式重爆撃機(全幅44.00m、翼面積294.0u、全備
重量25.488t)にはおよばなかったが、海軍最大の陸上機であった。
広工廠のお家芸ともいえるワグナー式張力箱型桁構造を採用した大きな主翼に応力
外皮式構造の細い胴体を組み合わせた双尾翼式の中翼固定脚機で、補助翼はユンカ−
ス式二重翼を採用していた。発動機は当時の実用発動機中最大の出力を持っていた
九四式900馬力発動機1型(水冷W型18気筒、最大出力1,180hp)を搭載していた。
横須賀で実施されたテストでは、このクラスの大型機としては群を抜いた性能を示した
が、反面、胴体の強度不足による震動、補助翼のフラッター、発動機の不調などの
問題を抱えていたため、その改修に手間取り、九五式陸上攻撃機として制式採用に
なった昭和11年(1936年)6月2日であった。
この間、さらに新式で高性能の三菱九試中型陸上攻撃機が完成。同じ日に九六式
陸上攻撃機として制式採用になったが、これと比べると武装以外は劣っていたうえ、
コストも高かったため、九五式大攻生産は、広廠で6機、三菱で2機、合わせて8機
で打切られた。」