【双発雷撃3】九六陸攻・一式陸攻・銀河・四式重爆

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文林堂:世界の傑作機No.91「九六式陸上攻撃機」 2002‐1 
「九六式陸上攻撃機の開発と変遷」文:秋本 実 P.10〜P.19 の記述より
 「新機種「陸上攻撃機」の誕生   陸上攻撃機という機種は、陸上の重要目標
の戦略爆撃にも使用されたが、もともとは洋上遠く進出し、雷撃や水平爆撃で敵艦
隊を撃滅することや遠距離捜索を行うことを目的とした大航続力の陸上機で、いう
なれば、軍縮条約による海上兵力の不足を補うため案出されたものである。
 九三式陸陸上攻撃機        この陸上攻撃機という名称を使用した最初
の機材は93式陸上攻撃機であるが、この機は、もともとは「赤城」級の大型航空母
艦の儀装を大改造しないで搭載できる大型の双発艦上攻撃機として計画されたもの
であった。
 爆弾(魚雷)搭載量:1,000kg、最高速度:130kt以上、航続力:90kt以上で8h以上
(増槽装着の場合は13h以上)を目標に七試双発艦上攻撃機の名で三菱で試作され、
昭和7年(1932年)10月19日に梶間義孝操縦士の手で初飛行した。
 後の金星発動機の原型である三菱A4型発動機を搭載した複葉式の双発機で、社内
試験の結果、速度は130ktを超えていることが確認されたが、海軍における実用実験
の結果、操縦性の不良、尾部の震動問題などの問題が指摘され、改修を重ねたが、
完全に改修されず、艦上機としては不適と判定され、11機で生産が打ち切られた。
 完成した11機は昭和11年(1936年)1月25日付で九三式陸上攻撃機として制式採
用されたが、実用機でなく特用機に分類され、館山空で双発陸上機の訓練に使用さ
れた。
 海軍の略符号は、当初は与えられておらず、八試特種偵察機(八試中攻)がG1M1、
九六式陸攻11型がG3M1であったが、その後、整理変更され、大戦末期には本機がG1
M1、八試中攻がG3M1、九六陸攻11型がG3M2aとなっていた。
 九五式陸上攻撃機(G2H1)   最初から陸上攻撃機として開発された機体
のトップバッターは広海軍工廠の九五式陸上攻撃機(G2H1)である。」