アメリカ軍が前哨所防衛の決め手としていた弾道レーダー(対迫レーダー)が、RPGに対しては通用せずに非常に困ったとかね。
複数束ねてタイマーで発射するみたいな仕掛けも多用された。
RPG等の榴弾対策の為
空の弾薬箱をM113にぶら下げてたらしい。
ベトナム戦争映画見てれば知ってる可能性w
どうして休みの日はこんな流れになるんだろう。
>>884 もしかして 875はソ連軍のアフガン侵攻直後に投入されたと噂される、越南軍出稼ぎ部隊の存在を“あえて”示したかったんじゃないのか?w
>>887 そのAAと喋り方、ニュー速の基地外コテハン連想するからやめて
894 :
名無し三等兵:2005/06/20(月) 20:22:50 ID:wifdFvFc
誰かはなそう!!
グリーンベレーマンセーしよう
896 :
名無し三等兵:2005/06/20(月) 22:02:11 ID:nXYsCmr+
ヴェトナム当事のSEALSの写真やビデオを見てるとピッチピチのブルージーンズを履いているのをよく見ます
濡れると動きずらいように思えるんですけど何か意味があるのでしょうか??
つまんねえ規則はクソ喰らえだ、というチンピラ根性で〜〜す
という意味です。
あれは実はジーンズに似せたウェットスーツなんですよ。
マジレスすると、過酷な作戦環境でジーンズぐらい丈夫でないともたなかったから。
当時流行ったスタイル(すそをぎざぎざに切りっぱなしにする)してたり、おしゃれしてたりもするが。
それと、水兵にはデニムは身近な素材だぞ。ダンガリーが制服にある。
これが本当のマヂレスだが、あれはすっぽんぽんの上に描いてるんだよ。
よく見ると真ん中にホルスターを吊ってるだろ。
地肌を紙やすりで削ってるってきいた。
米軍艦が定期寄港するらしいね
903 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 22:32:09 ID:n+Otu/Ut
ケサン基地は何であんな簡単に落ちたんだ?
PT-76戦車などゴミなのに・・・
>ケサン基地は何であんな簡単に落ちた
ベトナム軍の攻勢は頓挫しましたがなにか?
バカじゃねーの
(´▼`)オマエガナー
908 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 16:24:42 ID:MmNUsJAS
RAMBO2、3ホウリュウkibonn
912 :
名無し三等兵:2005/07/02(土) 20:07:02 ID:5x9NU95Q
サイゴン陥落時、日本人や西側諸国の民間人はどうやって脱出したのですか?
それとも数週間前から順次避難&渡航禁止とか?
西貢(サイゴン)陥落時に逃げ出したのは米国系の人間だけで、欧州諸国や日本人/韓国人の多くはそのまま陥落を迎えた。
その後の西貢は急速に共産化されるが、韓国人は6,000人近くが残留し続け、ドイモイ後の韓国企業の越南進出成功の先兵となった。
西貢に入城した解放戦線軍/北越南軍はともに軍規厳正で、一般人への略奪強盗といった事態は発生せず、世界は安堵した。
これは、先立って陥落したプノンペンにて、その後の大量虐殺の幕開けたる 都市住民の強制移動が行われていたため。
>>911 たしか「鉄壁の壁 万里の長城」
とか言うオーストラリアで製作された
人民解放軍のドキュメンタリー映画では
「トンネル戦争」とか言う題名で
取り上げられていたね。
私のテレビで見たベトナム戦争
大使館の前で手を合わせたまま燃え盛る仏僧、そしてその後ろで泣き叫ぶ人たち
道の真ん中に後ろ手に縛られたまま引き出されて、おもむろに頭を打たれ、射殺される
ベトコン被疑者
田んぼに囲まれた田舎道を泣きながら、頭をナパームの火に包まれながら
走っていく丸裸の女の子(写真でしか見たことがないが、ビデオが実在するらしい)
大使館の銃撃戦、白いシャツが血だらけだ。
航空母艦からチョッパーを数人がかりで海に捨てている映像
少年時代、テレビで見ていたが、意味が良くわからなかった。
今は、わかるが、それらも忘れ去られようとしている。
これらの画像はリアルタイムではなかったように思う。しかし、アメリカではリアルタイムで
一家団欒の食事時とかで、見ていたのではないかと思う。
厭戦傾向になっていったのは至極当然ではないかと思う。それだけ。
テト攻勢までの米国のTVで流されていた越南戦の映像は、米兵が敵を掃討する様子や越南人相手に楽しい行事を開く様子などが多く、むしろ米国優勢を伝える内容だった。
しかし、無差別に届き始めた徴兵カードや戦死を告げるためにやって来る軍人といった存在が日常生活の中で目立ち始め、TVで流される映像に付く解説に違和感を覚える人達が静かに増え始めた頃、テト攻勢での大損害が伝えられた。
このニュースは越南での勝利が遠のいた事を告げ、米国世論の大勢は厭戦へと傾き 政府への信頼も また戻る事はなかった。
終わってもう30年。
先月は米越首脳会談。
来年はブッシュが訪越らしいね。
>>914 トンネルって手で掘っていける?ツルハシとかスコップ使うのかな?
やっぱりドリルや掘削機とかのイメージがある。
日本は防空壕があったようだけど、トンネルとかじゃないし。
すごい技術が要るような気がするなあ、、
NHKでみたベトナム特集では、ホーチミンルート開発とか、石油パイプライン
建設、あと地下にある頑丈な軍事会議室とか、すごいのがいっぱい紹介されてた。
本当にすごいよ、ベトナム人は。
栗林中将に謝れ! 大田少将に謝れ!
>>918 当然ながらトンネルを掘るのにはツルハシとスコップとモッコが要る。
現在の日本のようなモグラ型のトンネル掘削機があった訳ではないので、あのトンネル群は全て越南人の手で掘られた。
ボーグエンザップ将軍によれば、ディエンビエンフーの戦いでも 仏軍陣地へ迫るための塹壕堀りのため、ツルハシとスコップがこの上なく重要な武器になったそうだ。
尚、日本でも戦時中の突貫工事で建設された松代大本営に巨大なトンネル群があった。
東京が相模湾や九十九里と想定されていた米軍の上陸により東京を放棄せざるを得なくなった事態に備えて、大本営と昭和天皇の御所を移す先として建設されたものだった。
戦前の日本は そこそこの工業国だったが、建設にあたっては893が集めた大量のドカチン(かなりの数が朝鮮人だった)を動員して人力で掘る方法が採られ、過酷な労働から多数の死者が出た。
この手法は、幽霊トンネルで有名な常紋トンネル(近年コンクリ土台から多数の死体が発見された)と同じ手法で、軍からの仕事を請け負っていた○○組といった現在のゼネコンの母体が提案/仕切った仕事だったようだ...
>>建設にあたっては893が集めた大量のドカチン(かなりの数が朝鮮人だった)を動員して人力で掘る方法が採られ、過酷な労働から多数の死者が出た。
ホロン部か?
>>921 朝鮮人が嫌いなのは構わんが、松代大本営の建設にあたって大量の朝鮮人が死んだのは事実だ。
事実は事実として受け止めた方が宜しいw
924 :
名無し三等兵:2005/07/03(日) 23:47:11 ID:/SkELmQi
ベトナム独立史の裏面に日本人の血涙 井川一久 元朝日新聞編集委員
血で結ばれた国際関係は何よりも強い。だがベトナム独立戦争(一九四五〜五四年)に
命懸けで参加した日本人の事跡は、当の日越両国ですら意外に知られていない。
日本軍諸部隊の将兵が、ベトナム全土で続々と離隊(脱走)し始めたのはそのころである。
筆者らの調査によれば、離隊者約八百人のうち少数(約十人)の民間人を含む約六百人が
ベトミンの戦列に加わり、その半数以上は戦病死した。「新ベトナム人」と呼ばれた彼らの墓は
随所にあり、一部は各地の「烈士墓地」に葬られているが、すべてベトナム名なので本名の
確認は不可能に近い。
同年六月、ベトナム中部のクァンガイ市にグエン・ソンを校長とする陸軍中学(北部のチャン・
クォック・トアン武備学校と並ぶベトナム初の士官学校)が設立された。
生徒約四百人の大半が後年ベトナム人民軍の上・中級幹部となり、対米戦争(ベトナム
戦争)で作戦参謀や連隊長級の野戦指揮官として米軍を苦しめたことは、彼ら日本人の指導
がいかに優れていたかを示唆している。
これまでに公式記録などから判明した日本人受勲者は三十数名である。
彼らの活躍が独立戦争初期の戦局展開に決定的な意味を帯びていたことは、人民軍古参
幹部の多くが非公式に認めるところである。にもかかわらず彼らの功績に触れることは、
ベトナムでは長らくタブーとされ、現地遺族の会合すら憚られる空気があった。九〇年代初頭
までの険悪な日越関係などが原因だろう。
しかし近年、両国関係の緊密化につれて、このタブーは大幅に解け、ベトナム国防省戦史
研究所までが筆者らの調査に協力姿勢を見せ始めた。(以上、抜粋)
http://www.tkfd.or.jp/publication/reserch/chikara19_8.shtml
日本を捨てた兵隊だ。
926 :
名無し三等兵:2005/07/04(月) 00:18:25 ID:HsmWNMdB
ディエンビエンフーの戦いに日本人元将校が貢献したというのは本当か?
ベトナム共産党はそもそも兵隊達の貢献を殆ど省みなかった
(そして党関係者で利権を独占した)という小暗い過去があるからなァ。
越南労働党は独立達成後に、独立戦争に加わった多くの日本兵に帰国(事実上の強制退去)を命じている。
これは当時最大の支援国で日本とは戦争状態が続いていた中国に配慮した結果だったが、その後 中越関係が悪化した後の支援国であるソ連とも日本は対立関係にあった。
こうしたタガが外れて歴史を再認識できるまで生活水準が向上したおかげで、現在の旧日本兵再評価へと繋がっていると言えよう。
もうスレッドも900前半だな。
ベトナム戦で言えばラインバッカーIIが終わって
パリ和平協定の辺りだな。
民主カンプチアによるプノンペン解放の時期だな。
933 :
名無し三等兵:2005/07/05(火) 01:06:47 ID:kTiN2jQk
ヤングチャンピオンの漫画みた?
銃器描写が下手糞で話題沸騰
ア ジ ア 無 頼 だろ?
>>904 ケサンでは確かに北ベトナム軍の攻撃を撃退した米軍だが
結局68年7月には自身で基地を放棄してるからなあ
しかもテト攻勢後も猛攻を続ける北ベトナム側を揺さぶるために
ジョンソンが「北爆停止の用意あり」というカードをきらざるをえなかったし
北ベトナム軍は大損害を出して包囲攻撃自体には失敗してるけど
最終的には、ホーチミンルートへの重大な脅威になる機動軍の基地の
無力化に成功した
936 :
名無し三等兵:2005/07/07(木) 15:11:41 ID:HkKtglJF
アジア的優しさage
冥福。
ナム。
両軍の海軍はどんな働きだった?
北爆で艦載機がある程度働いたことしか知らない
>>937 敗軍の将 兵を語らず...
パットン戦車軍団出身のウェストモーランドにとって越南という戦場はあらゆる意味で彼の理想とはかけ離れていたようだ。
幽霊のような敵。解放したはずの農民が見せる裏切り、薬物に溺れる兵士達...
ウェストモーランドはファティーグ姿がよく似合ってた。
エイブラムスはあまり似合ってなかった。
>>935 ウェストモーランドが配置換えにならなければ、放棄はなかったかな?
第2のディエンビエンフーと散々言われていたから。
>>943 放棄しなければ越南側の延々と続く攻撃を受け続けて、救援と航空機での物資支援によって巨額にかさむ維持コストで、本当に米国にとってのディエンビエンフーになってただろう...
>>940 米海軍の艦艇だと戦艦や重巡が沿岸付近にある目標に艦砲射撃を加えたり。
駆逐艦か何かが空母に接近してきたMigをミサイルで撃墜なんてのもありました。
あとはブラウンウォーターネービーがデルタ地帯を中心にあれこれと。
ヤンキーステーション
Brown Water Navyとか
海兵隊が自前でボート運用すると後が五月蝿いと思って、セイラーを出したのが本音でしょ。
どんな強い軍隊もゲリラ戦には勝てないという現実。
旧軍もそうだが。
戦闘で勝っても戦略的不利を崩せない、ってのは別に珍しい話でもなんでもない。
「ゲリラ」が正規軍相手に生き延び続けるには、かなり戦略状況がゲリラ側に有利でないと無理よ。
ゲリラ戦ってのは負けないけど勝つこともできない戦い方だからな。
勝つにはどこかで戦い方を変えなきゃならない。
相手国に沿線気分にさせて撤退には追い込める。
実質勝利。
地の利がある、侵攻された側にとってはこんな良い戦い方もないようだな。
なんか惨めだが。
抗日って言い方も、下から上へあがらう意味を感じされる事に
奴らは気づかない。
「下から上へあがらう」というのはカッコイイと思うんだが。
ボコボコにされたヒーローが最後には立ち上がって傲岸不遜な悪漢を打ち倒す
というのはアクション物の基本だし。
957 :
955:2005/08/02(火) 21:20:52 ID:???
>>956 (´Д`lli)ゞ OK!勉強になりました!
「自由のためなら鬼となりー♪あらがう大人にとどめさすー♪」
こういう使い方でいいんだね。
>954
「国」が救われるためならいくら国民の生命財産が失われようと気にしない、っていう
人権思想が存在してる国では到底選択できない方法だけどな。
独立戦争以来、アメリカ人のほとんどはいざとなれば銃を取ってゲリラ戦をする
覚悟が出来ているわけだが。
「我に自由を。しからずんば死を!」
だな。ホ・チ・ミンも合衆国独立宣言をヴェトナム独立宣言で引用してるし。初志忘れるべからず。
ホーチミンは米国に敬意と好意を抱きつつ、やむなく長期戦を戦う羽目に...
越南戦争はボタンのかけ違いを最後まで直せなかった戦いだったとも言える。
ベトナムしかり、キューバしかり。
イデオロギーに変にこだわったせいで敵を増やしてしまった、戦後アメリカ外交の失策のひとつだ罠。
俺のイメージは、ゲリラ=土地の住民の支持を得ている武装集団だから、
そんなの相手に戦争したら、正規軍でもきついと思う
土地の住民の支持があっても、外部からの兵器の供給先がなければダメ。
土地の住民が支持してくれても、絶対安全な隠れ家を提供してもらえないのではダメ。
むろん土地の住民の支持がなくてはどちらもかなわないけどね。
保守
ゲリラが住民の支持を得ているというのは幻想だよ。徹底的な報復による恐怖統治。
>>966 そう・・・住民はゲリラに従わないとゲリラに殺され、政府軍に従わないと政府軍に殺される・・・・
大変だよなぁ・・・
越南に限定すれば、ベトコン(越共)と南部住民の関係は幻想ではなかったようだ。
米兵はもちろん、その支援を受けた南越南政権は南部住民の政府ではなく、北部からやって来たカトリック系の難民が権力を握っていて、徴税を巡って常に南部住民とは対立関係にあった。
南部住民の利益を代表する武装集団としては、フランスが育成したカオダイ教団が存在し 西貢政権との抗争(テロ攻撃)を繰り返していたが、より住民の支持を得たベトコン勢力の伸張に押され、テト攻勢を受けて西貢政権と和解してしまった。
農民が徴税を嫌がるのは当たり前のことであって、納税に協力しないと何が起こるかが問題なのよ。
訳のわからない“西貢政府”なる存在の派遣して来た徴税吏に納税しても、自らの利益になる見返りは全く無く、納税を拒否すれば「お代官様、ご無体な!」な要求を突きつけられる。
それならベトコンさんに頼んでAKやブービートラップでやっちまえ、となってしまったのが南部越南の農村だった。
これに米軍が輪をかけて農民を強制移住させたりしたおかげで、“西貢政府”は農民の支持を永遠に得る事が出来なかった...
本来戦争の一方の主体となるべき西貢政府が
「共に働き、共に食い、共に戦う」というVCのやり方を一向に真似もできず
アメさん直営のMIKE FORCEだけがかろうじてヤード相手にそれをできた、
という事実が端的に語ってるな
ベトナム=ホーチミンの手法が勝利につながったのは
単にゲリラ戦をやったというだけではなく
敵が正規戦を望めばゲリラ戦に、対ゲリラ戦に乗り出してくれば正規戦に
敵が戦闘でカタをつけようとすれば外交交渉で、敵が外交交渉でくれば戦闘で
と、常に戦場を自分達側が主体的に選んで、敵の有利な土俵に持ち込ませなかったあたりだ
それと、ジャン・ラクチュールが書いてることだが
ホー大統領が常に「目標は極力単純に、味方は極力多く、敵は極力少なく」という
原則を軍事、政治の両方で守ってることだな
二次大戦中は日本、ヴィシーフランス両方を敵とするため米OSSの支援を受け
対米戦争中は逆にフランスを西側の数少ない同情的外交相手として活用した。
独立後、仏軍が再進駐してきた時は、フォンテンブロー予備会談でも多くを望まず
「フランス連合枠内での独立」を主張、あくまで独立の既成事実化を優先したし
ジュネーブ協定でも、2年後の統一選挙の線で妥協、
対米戦も、まず「南ベトナムにおける非米、ジュネーブ協定遵守勢力」擁立
という手法をとった
そう、米国と西貢政府が勝てなかったのは、ホーチミンだったんだよね。
アイク政権当時からホーチミンと対決したニクソンの“ノーモアベトナム”には、序文から異例のホーチミンへの悪口雑言罵詈が書かれているが、ニクソンにとって最後まで超えられない壁がホーチミンだったと、自ら告白していたようなものだった。
越南人にとっての最大の幸運はホーチミンがいた事、そして最大の不幸はニクソンがホーチミンに挑み続けた事だったかも。
973 :
名無し三等兵:2005/08/16(火) 00:46:51 ID:5FluvILj
>>971 てことはホーチミンがもうちょっと長く生きていれば、
ベトナム戦後の歴史ももう少し違った物になったのかもしれないね。
>>973ホーチミンが無名の内に死んどけばベトナム戦後の歴史
(主にと言うかポルポト関連がメイン)も健全になってたかもな
運に見放されて沢山死んだカンボジア人カワイソス
ニクソンの子孫がタイムマシンを使って子供の頃のホーチミンを暗殺、って失敗してホー少年に天命を悟らせるきっかけになりそうだなw
ホーチミンは、明らかに歴史が望んで その役割を与えられた人間だよ。
彼はその役割を見事に成し遂げ、ちょうど良い時期に去って行った...
>>975カンボジアで死んだ300万人も歴史が望んで
その役割を与えられた人間だな。
↑カンボジアで死んだ300万人(以上?)については、ホーチミンよりもポルポト/ニクソン/シアヌークにこそ、その責があるのではないかな?
サロトサルだった頃のポルポトはベトミンに参加しているが、越南人が越南の事にしか興味がないのに失望して脱退している。
その後、西部山岳地帯の少数民族を母体にポルポト派を立ち上げるが、並行して存在した南部越南のベトコン勢力とは ほとんど無関係に勢力を拡大している。
当時のポルポトにとって最大の打倒目標はシアヌークだった訳だが、当のシアヌークは西貢政権を弱体化させるためにベトコンとその補給路を保護していた。
この状況がごちゃ混ぜになるのは ニクソンのカンボジア侵攻からで、ベトコン/シアヌーク/ポルポト派は反米で協調してしまう。
そして、ニクソンの侵攻からポルポト派はベトコン補給路から届く中国経由の近代兵器を入手し、親米勢力だったカンボジア国軍を打倒してしまった。
このホーチミン死後の事態の、いったい どこに彼の責任が発生するのかな?
>>977最大かつ唯一の責任は戦争に勝ってた事。
負けてたらカンボジア侵攻も起きずに百万人以上も死なないで済んだ。
↑それでは半島人の斜め上論旨になってしまうよw
しかも、ホーチミン存命中の北越南は、戦争に勝っていたとはとても言えない状況だった。
唯一“負けない”事だけで米国を消耗させ、西貢政権を機能不全状態に追い込んでいたに過ぎない。
>>850 事実かは分からんが空挺団の隊員を秘密裏に派遣したって話はあったらしい。
一度自衛隊を除隊させ、米軍に参加させ、帰国後に再入隊?
小林源文の本に少し書いてある。
噺には聞くが、日本国が関与していたものなのかどうかと言う点になると怪しい。
除隊した自衛官が米軍に入隊したり、米国市民権欲しさに志願した在米日本人も居る。
航空自衛隊のF-4パイロットも、72年に交換研修員の名目で
コラート基地の388th TFWに派遣されたという話がある。
なんでもラインバッカー作戦に参戦したという話だが(w
>>982 米空軍の機材を飛ばしてたのか?
F4EとF4EJって、同じ滞空証明なんだっけ?
たかだか数人程度のパイロットに実戦経験積ませたところで
得るところは少なそうだけどなあ。
コンドル軍団みたいに、飛行隊単位なら判らなくもないけど。
985 :
984:2005/08/16(火) 23:09:50 ID:???
>>983 錬度の高い米軍に、わざわざ「義勇兵」を乗せる意味が米軍にはない。
朝鮮戦争のロシア人パイロットも、越南の北朝鮮パイロットも、
部隊単位の派遣だったんじゃなかったっけ?
ROTC取ってた留学生がそのまま出征した話なら読んだことがある。しかもLRRPだと。
>>985 可能性としてあるのは、かつての観戦武官のような扱いでの搭乗じゃないかな?
米軍にとっての空自は、あくまでお客さんだろう。
朝鮮/越南での第三国(参戦していない国家)空軍部隊の参戦とは、ちと異なる。